はてなキーワード: 披露とは
いわゆるフェミニズムの思想潮流の中に自分を位置付けられるほどは勉強してない。
F1公式の発表は以下だ。
we feel this custom does not resonate with our brand values and clearly is at odds with modern day societal norms. We don’t believe the practice is appropriate or relevant to Formula 1 and its fans, old and new, across the world.
「私たちは、この慣習が世界中の、これまでのそしてこれからのファンにとって適切だとは思わない。」
この台詞を言わせたのは「フェミニズムの圧力」「騒ぎ立てた人権屋」なのか?
どうも私にはそうは思えない。
間接的にはあると思う。
つまり、「modern day societal norms」の醸成に影響しているという点において。
ここからは憶測だが、F1公式の考える「modern day societal norms」にしたがった自分達のあり方が何なのか、というと、
性別と年齢とに関わらず誰もが参加できる「the glamour and spectacle of the Grand Prix」なのだと思う。
客層を限定するメッセージを発しすぎるという判断なのではないか。
(女性だって美しい女性を見るのが好きだと感じる人は多いだろうが、単純にターゲットの問題だ。)
こう考えているブコメが多数あったが、私はそうは思わない。
認めないのは
「性的魅力を、本人の自由意思に基づかず要請されたり搾取されること」で、
目指す理想の世界は
「その人の性的なことを、社会による強制や圧力を一切感じずに取り扱える世界」
だと思っている。
現にセックスワークに従事する女性の権利擁護はフェミニズムの範疇だ。
たとえば性行為を対価にお金を稼ぐ自由は尊重されてしかるべきだと思っている。
もちろん、若さと美しさを披露することで対価を得ることも当然、市場原理に保証されてしかるべき自由だ。
フェミニズムが、それらの行為自体を悪と見なしているように見えるのは、
それらが本当に自由意思で行われているか、疑わしいことがあるからだ。
たとえばセックスワークに望んで従事している、と笑顔で言い切る人がいたとして、
その影には本当にたくさんの要因が含まれることがある。
それはわかりやすいものを挙げてしまえば貧困であり、教育であり、環境であり、
その人個人の性体験であり、社会的な「性的魅力の取り扱い」に関する要請であり、
そしてそんなカテゴリワードが意味をなさないほどに、個人のいりくんだ感情と生育かもしれない。
そこに明確な線引きをすることなどできない。
フェミニズムの名のもとにずかずか入り込むことは許されない。
それでも、その人になにかを強制するものがもし何かあるならば。
もしあるなら、ひとつでもなくなってほしいと願わずにはいられない。
それが起きる社会についてかんがえるし、
それをさせている何か、誰かがいないかと考える。
私にとってのフェミニズムはそういう、自由と抑圧について絶えず考え悩む姿勢のことだ。
私は、私個人の経験から、性にまつわることの有形無形の「自由意思以外」を感じとってきたので
理想の世界があればいいのにな、と思っている。
私は「その女性が、自ら望んでグリッドガールとして働くこと」それ自体には一切の批判はない。
だが、同時に「グリッドガールという役割を作り出す社会そのもの」には疑問を投げ掛け続けると思う。
逆にいうならば、グリッドガール自身が、自分達の美しさと若さがブランド価値に寄与するのだと堂堂と言ってくれるなら、
そしてそこに内面化された抑圧ではなくて彼女たちの自由意思を信じることができるなら、
多いに祝福すると思うし、私が本当に望むのはそうした社会だ。
「それしかできないかわいそうな女性が仕事を奪われた」という構図で話したがる人がいる。
まず第一にこの話が「人権団体」の働きかけによるものだとはどこにも書いてないし、
第二に、グリッドガールは「それしかできないかわいそうな子達がようやく得た仕事」ではない。
彼女たちが美と若さを売り物にするための市場がひとつ消えてしまったのは事実だ。
グリッドガールを夢見ていた女の子がいたら気の毒だとは思うが、
小人プロレスの都市伝説になぞらえて語るものでもまたないのではないか。
だが同時に、グリッドガールは弱者ではない強者だ!ともいえない。
「美しさを競い続け、選ばれ続けるために努力し続け、そしてその先に待つものがなにか」という問題について踏み込むとき、
そこには「誇りをもって美しさから対価を得ていたのに、フェミニストに仕事を奪われたかわいそうなグリッドガール」という弱者像とは別の
「美しさを対価にお金を稼ぐことの苦しさと弱さ」は浮かんでくる。
美しいグリッドガールと嫉妬に歪んだフェミニストが叩きあうという構図をお望みのかたはたくさんいるようだった。
フェミニストは「男性=強者」から「女性=弱者」を守りたいと叫んでいるのに、
ほんとうはグリッドガールを抑圧する「強者」なのだ!という転倒の痛快。
そこにあるのは、普段「社会と女性」の構図でフェミニズムが叫んできた構図のパロディである。
フェミニストという醜いモンスターとグリッドガールという美しい虐げられた弱者ならば
自分達に関係なく、そして美しく弱いものを心置きなく応援できて、
普段から気にくわなかったフェミニストたちを存分に叩けるのだ。
きっとさぞ楽しいのだろう。
だから、特に声明には書かれていないフェミニストは引きずり出され、
さらに関係が疑わしい「人権擁護団体」(誰なのかはよくわからない。架空のそういう人たち)を叩き、小人プロレスを引き合いに出している。
そういう人たちがたくさんいる。
グリッドガールがなくなることが正しいとおもうか?
わからない。
わからない。
けれど確信しているのは、上記のようにみにくいプロレスを望む人の声にのせられて、ファイティングポーズをとる必要はないということだ。
私は、できれば自由について話したい。
自由について、美しさや若さや性を売る自由について、その価値と市場について、それが売り手にとって苦しみをもたらさないための社会について。
それがいくつもいくつも積み重ねられて、次の「modern day societal norms」の話ができることを真剣に望んでいる。
同人活動やめようかな、という迷いの話
タイトルも含めて、とりとめなく自分の同人活動を振り返ったり脱線したりするだけの話です。
ありきたりな前置きですが本当にまっとうな思考の人間による文章ではありません。
小中学生の頃は、好きな作品に触発されながら、毎日のようにノートやコピー用紙に絵を描いていた。多いときは週に10作品以上ビデオ録画をしてアニメを観て、絵を描いていた。
当時SNSがあったのか知らないけれど(それこそ2chしか記憶がないし、2chはSNSではない)、とにかく今のようにSNSが当たり前の時代ではなく、また家族にも友人にも、誰にも披露するわけでもないのにアニメの感想やゲームレポをイラスト付きでたくさんかいていた。多少、「アニメディア」や「ファンロード」の影響があった。
はじめて二次創作の本らしきものを作ったのは中学2年の頃だった。鉛筆で描いた漫画をコピー用紙に印刷して、ホチキスで留めただけのもので、しかも複製せず一冊しか作らなかった。
次に本を作ったのは高校1年の頃で、友人3人と合同誌を作った。その時はペン入れしたりトーンも使ったりしてアナログ原稿を作った。オンデマンド印刷本だった。はじめてイベントに出て本やラミカを頒布した。
ほぼ同時に、その頃から徐々に界隈に広がりはじめたデジタル原稿にも挑戦して、これもオンデマンド印刷ではじめての個人誌を作った。
どちらも、自分の漫画はネタも作画も本当に拙くて酷かったのを覚えている。
漫画を描くのは普通にイラストを描くよりも、何倍も難しかった。
それからしばらく受験や何やらで忙しくなって、本は出さなかった。暇を作ってはイラストを描いたり、鉛筆描きの短い漫画くらいは描いていた。
高校を卒業したあたりからpixiv、Twitterを始めて、二次創作の世界を広がりを感じた。自分はpixivにらくがき程度のものを少量しかアップせず、ほとんど見る専と言ってもよかった。
大学生になり、大きなジャンルにハマって、描く量が一気に増えた。人生で最大級に大きなハマりっぷりで、グッズにも相当お金を使ったし、それまであまり買っていなかった同人誌もたくさん買うようになった。大学生で時間もあったのか、熱に浮かされたようにずっとそのジャンルのことを考えていたし、ずっと絵を描いていた。Twitterの二次創作アカウントも作り、大学2年か3年のあたりだったか、ついにそのジャンルで本を出し始め、イベントにも出はじめた。
大学院に入ってからは、1年目はびっくりするほどイベントに出ていた。2~3ヵ月に一度はイベントに出ていた。これは自分にとっては驚くべき頻度だった。ジャンルがとても盛り上がっていたこと、また院生の研究生活がわりと孤独だったことも大きな要因だったと思う。いろいろなご縁をいただいて、アンソロジーに寄稿させていただくことも何度かあった。
この頃——というよりずっと昔からだったが、自分は本当に締切が守れない人間だった。個人誌についてはそれが顕著で、新刊を落とすか、割増入稿をするか、常に二択だった。
ただ本当にだらしないせいだと思うけれど、病気か?と本気で疑いたくなるくらい、ギリギリになるまで原稿に手をつけなかった。心を改めるどころか、年々それは酷くなっていった。
さすがに研究論文の執筆が佳境を迎えたころは同人活動を控え、修了までの1年間は本を出さなかった。イラストはたくさん描いていたけれど。
社会人になってから、以前よりずっと絵を描く時間が減った。社会人になってからの同人活動は大変だと聞いてはいたものの、身にしみてそれを感じた。社会人1,2年目は本は出せないだろうな、と学生を終える前にも思っていたけれど、いざその状況になってみると、それでも本を出したい、という思いが湧いてきた。同人活動をしばらく抑えていた反動だった。
久々に本を出した。……酷かった。
全然時間が足りず、というよりは原稿計画がしっかりしておらず、後半の作画は目も当てられなかった。ストーリーも読み返すと良くなかった。
かなり、後悔した。
それでも買ってくれる人や、感想を送ってくれる人がいて、とても励みになったし、次は頑張ろうと思った。
わりと昔から自分の作品を貶したくなる癖があった。癖というか、実際本当に、自分は話作りが下手だったし、それを補うほどの努力もできていなかった。
それでも、見てくれる人、買ってくれる人がいる中で自分の作品を貶すのは失礼だと思って、なんとかこらえてきた。
また新しい本を出した。
……前よりもっと、酷かった。
あんなに前回後悔したのに、まるで活かされていない。反省できていない。明らかに時間をかけられなかった。努力できなかった。
イベントから日が経つほど心は冷え冷えとしてきて、多少通販もしたが、これ以上世に出すのが耐えられない、と感じて、早々に打ち切った。
最低限、きちんとした本——手抜きせず、自分が納得できるもの——を出すことができなくて、自分の所業ながらただただショックだった。
「何がなんでも出さなきゃ」、という思いだけがあまりに強かった。
納得できないならどうして無理矢理出してしまったのか。落とす、という選択肢はなかったのか。いつもすべて過ぎてから、後悔が襲ってくる。
今はかなりマイナーなCPを描いていて、こんな自堕落ぶりで同じ界隈の人にも申し訳なくなったし、自意識過剰かもしれないけれど、CPのイメージが悪くなるのではないかとまで思っている。それでもまだ、好きだから描きたいという思いはある。
しばらく、休んだほうがいいんじゃないかと自分でも思う。実質最近は大きな仕事を任されていて、同人活動は休止状態に近い。
でも今までの休止期間以上に極端に絵を描かなくなっていて、それが少し怖い。
もしこのまま、絵が描けなくなってしまったらと思うと、漠然とした不安が頭を埋める。
絵を描くこと、同人活動をすることは、自分の人生においていつの間にかとても大事なことになっていた。10年くらい前は、なんとなくいつかは絵を描くこと、同人活動をやめる日が来るんじゃないかなと思っていた。「こういう職に就いてこういうことをしたい、それに打ち込みたい」と、自分の創作とは関係しない夢を当時は持っていて、同人活動の時間が自然に淘汰されるのだろうという予感があった。けれど今になって、これからもしばらく同人活動を続けていきたいと思ったし、その終わりが見えてしまうのが怖くなった。
同人活動は趣味に過ぎないと思う。つらいなら、できないなら、やめてしまえばいいと思う。
休止じゃなくて、……本当にもうやめてしまおうか?
そう思う時もある。でもそれがやっぱり怖い。
自分の不甲斐なさで好きだったことがつらくなって、自滅以外のなにものでもなくて、本当に馬鹿だなあと思う。
いい年になりつつあるが、浮いた話もとくにない。結婚というのも、同人活動をやめるきっかけとしてよくあることなのだろうか。知り合いでは結婚しても同人活動してる人がたくさんいるけれど。
仕事をして、日々が、月が、年が過ぎていく。仕事は嫌いではなく、むしろ好きだ。でも絵を描かない日々は、少しずつ自分の心を色褪せさせている気がする。
これからどうするかは、まだ決められていない。
「同人活動続けようよ、あなたの作品は素敵だよ」と言ってくれる人よりも、「あなたの作品はこういうところがダメ。活動姿勢もダメ。改められないなら、つらいならやめてしまえば?」と言いきってくれる人がほしい。
でもそれも独りよがりで、続けるきっかけ、またはやめるきっかけが他人からほしいだけなのだと自分で思う。方向はどうあれ、背中を押すか蹴るかしてほしいだけなんだと思う。
よしなしごとは、以上です。
弱気なこと、不安なことを言える機会がなかったので、ついここにしたためてしまいました。
読んでくださりありがとうございます。
F1からレースクイーンがいなくなるという飯ウマ面白いニュースを目にしたので、匿名ダイアリーにレースクイーン時代やグラビア時代の実体験と私が思ったことなどを書いていくのでお付き合い頂けたら幸いです。詳しいレースの専門用語などは全部省略してますのでご了承ください。
私は元レースクイーンです。
スペック的には以下。
F1、superGT、motoGP、S耐、鈴鹿8耐、東京モーターショーなど色々なレースやモーターショーにでたレースクイーン。
プレイボーイ、ヤングマガジン、ギャルパラダイスなどで多々ページを頂きグラビア活動をし、CDやDVDにでたりもしていました。
終末期の方はアイドルユニットを組み下手くそな歌を唄いながら地上波のレギュラー番組にも定期的ポツッと針の穴程度に出演していました。
元々は芸能事務所には無所属で赤文字雑誌(JJ、cancan.rayなど)のモデルをしていて、編集部の人の紹介で大手芸能プロダクションに所属することになりました。
当時20代の私は見た目の清楚さ(一緒にお仕事したことある高部あいちゃん並みのギャップを兼ね備えていた)とは裏腹に、中身は超絶パリピな上に今で言う港区女子?でした。
糞ビッチだったのでご了承下さい。
(追記2月4日: https://anond.hatelabo.jp/20180204023951 レースクイーン業界闇深4にて詳しい写真付きの記事をうpしました )
ちなみに先日SAKURAまなちゃんがAV女優だからといってセクハラしていい女って訳じゃないという意見に同意しています。
元始、女性は太陽だった平塚らいてう先生のおっしゃる女性解放運動ってやつで、はあちゅうが如く私なりの#metooのヒトカケラです。
さて本題に入ります。
グラビア、モデル業界と同様で事務所総勢のスポンサー接待、枕営業への誘導があります。
サーキット外では西麻布六本木で事務所主催で連日スポンサー接待です。
私がいた事務所はかなりの大手でチームも有名でしたが、裏側は本当ヤバいです。
1.屋内イベントの東京モーターショー、オートサロンなどでパンフレット配布や受付の仕事。オーディション有り。(これはやってない為詳細以下略)
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2.各ブースのステージにあがり車やバイクの横でフォトセッションタイムをひたすらニコニコ笑う仕事。なかなか厳しい水着オーディションを受け、私服のセンスなどもちゃっかり審査されている。
ひたすら覚えた原稿botになり、色んなメーカーや車やバイク、選手、部品などを教わる。ついでにカメコ対応などを学ぶ。男性マネージャーが鬼だったので上場企業のポートフォリオまで渡されたりしていました。
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3.当時レースクイーン業界で絶大な権力があったオールアバウトのヤザワさん、ギャルパラダイス編集部、日刊新聞系担当記者、一般有名カメコブロガーたち(モンブランなど)の目につき爪痕を残す。
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4.各自動車メーカー、部品メーカーなどスポーサーに3の方々や芸能事務所の営業名前が伝わりほぼ出来レースの様々なモータースポーツオーディションで受かる。
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6.一定のファンと人気がつくとスクール水着を着て例のプールでグラビアの撮影があったりする。
ここで伝家の宝刀、海外でDVD写真集撮ろう!と芸能事務所のマネージャーに誘い出され気をつけないとAVに出る羽目になる事になるんですねー。
パリピだった私は当時、鈴木麻奈美さんと元祖レースクイーン出身のセクシー女優さんに可愛がっていただいたこともあり、見抜くアドバイスを教わっていました。
このレースクイーン闇深スポットに香西咲ちゃんや月見栞ちゃんほしのあすかちゃんなどは完全にハマってしまったのかな?と最近の報道を見て思いました。
同期のグラビアの子は私より先に写真集とDVDを販売していましたが、見事に手ぶらお尻丸出しで友人バレし在籍していた大学からもお叱りを受け引退していきました。
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7.色々なオーディションに受かりAV女優ルートを回避すると、私が知っている子は愛人ルート(大物お笑い芸人愛人)、覚せい剤ルート(高島礼子の元旦那愛人)、女社長転身ルート(レースクイーンオブザイヤー)ママタレセレブ専業主婦ルート(モカちゃん、ちえぴょん)、プロ彼女ルート、女医ルートとハッピーエンドはごく稀なのです。
実話ナックル並みの濃い内容が体験を沢山書きたい事が、今回はレースクイーン発祥の鈴鹿8耐での体験を書きますね。
※皆さん事件です。
レースクイーン新人で鈴鹿8耐レースには選ばれし者と言われる某チームのレースクイーンに何故かこのゴッドオブビッチが選ばれてしまいました。
先にスケジュールが抑えられていたsuperGTのレースと日程が被っていても、8耐のそのチームならぜひそちらに!と言っただけるクラス。
8耐の会場には某チームレースクイーンたちが印刷された団扇一色になる日。
自己顕示欲を満たされ、日給は馬鹿みたいに高い桁、前日入りで鈴鹿、ロッシとか言う選手見てみたーい、オーストラリアの選手イケメソ〜と熱い暑いの鈴鹿8耐に頭が沸きとにかく楽しみでした。
いざ参戦。
いきなり同じチームのレースクイーンが行きの新幹線車内で嘔吐です。酔いかと思いますよね。
実は彼女妊娠3ヶ月の悪阻真っ最中で鈴鹿8耐に参戦していたんです。
彼女も他の誰にも言えずいたんですが、仕事で一緒になり本性のビッチを出していなかった私には気を許して話してくれたんですね。
同伴の男性マネージャーには結局言えず私がバックアップすることになりました。最後までカメラの前以外では具合悪そうで可哀想でした。
#metoo 発動していいですか?
妊婦さんとは知らなかったとか関係ないですからね。キモいから。
レーサーたちの間では、性欲を高めて高めまくると勝ちやすくなる!最終日前に射精すると勝つというジンクスがあるからこういったセクハラ行為をするんです。
このレーサーさんは特に酷くて毎年いろんな子にお手手を出しているようで、鰻屋を経営しているらしく性欲がチンパンジーなんですね。
私も1日目の夜にエレベーターで相乗りした時2人きりでいきなり壁ドンされて股間触られて最後は半ケツで逃げ出しましたもん。
ほっぺたぐーでなぐりましたけどね!
妻子ある身で信じられないです。
男性マネージャーは枕営業については触れない人でしたが、所属するレースクイーンたちを束ねてスポンサーさんにお披露目して営業かける熱心な人でした。
四泊五日目の鈴鹿8耐の夜はビッチなりにもまぐわる相手を選ぶ権利はあるわけで、自分の身を守るためにこの男性マネージャーと同じ事務所の子と毎晩接待接待。
歩くキャバクラ嬢ですね。
千葉船橋にあるトップレースクイーンだけが許される?みたいな専用のスタジオはAVの撮影もやっているところで、しみけんに遭遇した時は本当にヤバいかもと思いました。
女がプロデュースしているレースチームだからといって安心してはいけません。
女社長、女がオーナー、女プロデュース系はイジメが半端ないですし。
何がレースクイーンオブザイヤーじゃ。
レースクイーンの傘はレーサーへの日陰、バイクの場合はエンジンやタンク部分に日陰を作る意味もあります。
あんな糞みたいな飾りの日傘さっさと廃止にしてくれてGJです。
結論として私が言いたいのは、容姿端麗を仕事にするのは悪いことでは無いしレースクイーンやグラビアに限らず芸能人はキラキラ輝いて見える。
しかし裏側では魑魅魍魎の集まりだということ。レースクイーンという枕営業薬物汚染が当たり前にまかり通っている悪しき風習を、みなさんに知っていただきたい思いから書き綴りました。
女性たちが病んで枯れずに、ヒマワリのように燦々と照りつける8耐の熱い日差しを浴びながら#metoo セクハラのない日が来ることを強く願います。
それは参加型のイベントで人前で色々と披露する内容だったんだけど、自分はとてもじゃないけどそんな人前で披露するレベルなんかじゃないから遠慮していた。でも周りは違った。どんどん参加して楽しんでいた。それを見て自分は「えぇ!?そんなレベル低いのを恥ずかしげもなくみんなの前で披露しちゃうの!?」と思ったのと同時に、「こんなレベルでいいなら自分の方がもっと出来るじゃん!」と思った。世間の人って意外と気にせず色んなことにチャレンジしているんだなって思った。自分は遠慮し過ぎなんだ。人の目を気にしすぎ。自分の実力を過小評価している。やれば出来るし、もっと見せていくべきだと思った。人生損している。本当は高いポテンシャルがあるのに、それを勝手に過小評価して表に出していないだけで、やってみたら意外と人生すんなりと向上するんじゃないかって気がしてきた。なんか人生に灯りが見えてきた気がした。
同人二次創作なんて、自分の萌えを吐き出して、それに共感してくれる人がいたら儲けもの、やったー赤字じゃないから次の本出せるー
感想がないと死ぬマンも周囲でよく見るし、twitterで絵をあげてもいいねがつかない、とか言う奴もよくいる。
全然意味分からんわ。認められたいが為にやるもんじゃないだろ二次創作なんて。
私はこういうのが尊いと思うんだけど、どうよ!と披露するのが同人誌だろうが。
ファンです!って言ってくれてる人は、自分のファンなのではない、原作の二人のファンなのだ。読む方も書く方も同じキャラを愛する同士でしかない。
ピコからシャッター前まで経験してるけど、ちやほやされたいとか思ったことないし、感想なんてゼロでも描き続ける。本当は感想なんてなくてもいい。買ってくれてるだけで、自分の萌えに共感してくれているのだと分かるから。
ご贔屓(他ジャンルで言うところの推し)の私設ファンクラブに入り、入り待ちに行き、公演を観て、出待ちに行く。
でも、特定の贔屓を持つヅカオタは、だいたい同じくらい観ていると思う。
夢だ。煌びやかなイルミネーションや、ディズニーのパレードを見ている時と同じ気持ちだと思ってほしい。現実を忘れて、ただうっとりする時間。
なのに終演後、幸せな気持ちで1人帰路につくとき、無性に虚しくなる瞬間がある。
彼女たちは美しい。
美しいだけでめちゃめちゃ偉いのに、加えて努力している。
これは応援する側のスタンスの話でもあるが、宝塚というのはアイドル的要素もあって、舞台自体は完璧じゃないことも多い。
入団1、2年目のド新人が抜擢されて、大きな役を演じることも多々ある。なんだこいつは!?とズッコケることもある。
それも含めて宝塚。我々は完璧な舞台を求めているわけではなく、成長していく彼女たちを観に行っている。私たちが応援して支えるんだ!というファン心理を上手くついたビジネスである。実際、入り出待ちに数人しかいないような日は、私が支えているんだという気持ちになってくる。
夢を追って、もしくは夢を叶えてキラキラしている。常に上を目指して努力している。大勢のお客に作り上げたものを披露し、大きな拍手を貰っている。
勿論、表に見せない様々な悩みや困難はあるだろう。でもその困難に向かって頑張っていること自体が、私にはひどく眩しい。彼女達はいろんな経験をして、ひとつひとつ積み上げて、成長していく。
私には何もない。
私のような虫けらがフェアリーと肩を並べようなどと考えたことはないが、ときどき無性にそう思う。
宝塚が私にくれるのはひとときの夢であって、私の人生ではない。
でもそこまでの情熱が、どうしても持てない。なぜか。1番やりたいことではないからだ。
私にもかつて夢があったが、20歳そこそこで無理だと気がついた。このまま続けても、恐らくバイト暮らしの夢追い人になる。夢を叶えるには才能が必要で、どう足掻こうと無いものは無い。それを得るだけの果てしない努力も、人生を投げ打ってまでやり切れる自信がなかった。
私は全てを諦めた。
そして就職した。
ここで宝塚とは縁もゆかりもない、むしろ一番かけ離れた漫画の話をぶっ込みたい。
「最強伝説黒沢」という漫画をご存知だろうか。かの有名なギャンブル漫画「カイジ」の作者、福本先生の漫画である。
中年の冴えない土木作業員の日常を、独特の台詞回しで哀愁たっぷりに描いた名作だ。
だいぶ前に読んだきりだったが、第1話の冒頭に忘れられない台詞があったので、調べ直した。
主人公・黒沢が、仲間たちとテレビでサッカーW杯の中継を見ている場面。黒沢は日本の勝利に歓喜し涙するが、一方で彼のモノローグは以下である。
「感動などないっ…!
オレが求めているのは……
オレの鼓動… オレの歓喜 オレの咆哮
オレのオレによるオレだけの……感動だったはずだ…!
どんなに大がかりでも、あれは他人事だ…!
いつまで続けるつもりなんだ…?こんな事を…!」
今になって、あぁこれだなぁ、と思った。
私の感動ではない。
証拠に、近い将来贔屓が退団した時に、私の手元には何が残るだろうか。
ところで、宝塚歌劇団に入るには、宝塚音楽学校を卒業しなければならない。
そこで振るい落とされた女の子は、今何をしているんだろう?
新しい夢を見つけられただろうか。
黒沢はどうしたんだったっけ?
みんなのお弁当にアジフライを詰めて、モコッとさせていたことは覚えている。
私も、私だけの感動があればいいのに。
ドチクショウ。
私の舌は受け入れ範囲が広い。
きっと、足りない物質は舌が補っているのではないだろうか。
思い返せば、「くっそまずい」っていうご飯を余り食べたことが無い。
焦がしすぎて苦いものとかならマズイと思うし
味が薄すぎる場合は「うーん?」とは思う。
でも「メチャクチャマズイ!」「不味くて食べれない!」ってのは特にない。
私の舌が良い子でよかった。幸せだ。
人が「不味い」と言ったものも美味しく感じられることがあるし
人が「美味しい」って言ったものも美味しく感じられる。
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ざっくり追記してく。
⇒鼻や舌、耳 すべて正常だよ。
●「分かりみが強い。ただし手料理を披露するとき我々の種族は最弱になる 」
他の人が「美味しい」ってものを食べ続けると
「他の人が美味しいと思うのはこの味付けだな」って分かってくる。大丈夫だ、問題ない。
⇒その通り。
セブンイレブンのカルビ牛丼美味しい。なぜあんなに値上がりしてしまったのだろうか。
(ごめん、これ書いたら「あれは美味しくない」って美食家が言うかもしらん)
そして、最近はセブンの冷凍食品コーナーに出てきたんだけど、毎回売り切れてて悲しい。
●「値段見て不味いと認知する舌の持ち主もいるようなので、その状態が最も不幸かと。
⇒わかる。そういう人居たなぁ。
前に、そういう人の為にチェーン店料理を「1000円だ」と言って盛り付け変えて出したら
「美味い!」って言って食べだしたから笑った。
別日に「チェーン店のだよ」って言って出したら「まずい!こんなもんお前食うのか!?バカだな!!」って言う。
●「私もそう思っていたがな、イギリスやアメリカ行って自分も神レベルの舌を持っていることがわかって、長期滞在がつらいのじゃ 」
さくらんぼ味?の綿菓子とか、シャンプーみたいな味のするゼリー?グミ?みたいなのあったよ。
「面白いな」って思って食べた。イギリスはまだないなー。 日本調味料をAmazonさんとかで頼むのだ!
●「俺、○○も△△も食べたけど、やっぱり吉牛と豚汁が一番だわ、ってドヤ顔できる○○も△△も食べていない 」
⇒食べ比べできるほどに舌が持続してくれるか疑問。
ってか近所に3店舗ないよねw
●「「貧乏舌だから?」つっていちいちエクスキューズ入れるのやめてくれる? 」
⇒えっと、はてなを抜けってことかな?
●「ふつーじゃないのかね。情報で喰ってるバカは脇に置いておけ。 」
⇒たまに居るんだよね、「まっず」って声に出して言う人とかさ。悲しいなって思う。
●「謎のチェーン店信仰。コンビニ、安いお総菜、冷凍食品、チェーンの外食等から一度離れ久しぶりに食べた時、味の濃さと旨み・出汁の薄さに愕然とするぞ。万人向けの味ではなく、販売価格と原価第一だろうに。 」
私の舌は強化されたからか、どちらも美味しいと感じるよ。
味の濃さは確かに違ったけどね。
●「幸せの許容範囲が広いって最高だと思う。お金や物質的充足度と幸せとの関係全般に言えること。」
⇒ほんとうに、幸せだと思う。 何事も一回は挑戦してみるべきだよね(?)
●「一度ステーキガストのカットステーキ食べ放題行ってみなよ」
私もパートナーも噛み応えのある肉が好きなんだよね。前世犬だったのかも。
別な話だけど、柔らかくて溶ける、甘い肉汁を出すA5ランクのサーロインを食べたことがあるけど
肉の脂が出すぎてすぐにおなかいっぱいになったよ。あれは甘いね。
●「自分自身の幸せ供給力と、幸せ感度の話。贅沢を知れば感度は鈍くなり、供給力を高める必要に駆られる。感度を高いままに留めるのは重要なライフハック。 」
⇒声に出して「美味しい」っていうこと。笑って食べること。そして環境が大事。
楽しい、笑いたくなるような環境で食べるとご飯も美味しいよね!
20くらいまで、ピーマン苦手、しいたけ苦手、ブラックコーヒー苦手だったけど
社会人になってから普通に食べれるようになったし、美味しいと思えるようになった。
挑戦することって大事だね。
喉越しを楽しむものらしいけど怖くてグビグビいけないのが問題だと思ってる。
●「セブンイレブン大概なんでもウマい!(幸せ) 少ない!(悲しみ) 」
⇒わかるww
●「 ほんとに最下層の舌のやつに高くてうまいもん食わせると、変な味っていうことがある。数万のディナーと最新コンビニお菓子、両方美味しく感じられるのが幸せ。 」
⇒あー、私はそこまでの最下層では無かったということかな。
●「ウチの家内食はカチカチに乾燥して冷え切ったご飯とか、冷凍庫で何日も保存したご飯に、おかずは納豆だけとか出てくるので、我が舌を持ってしてもまったくもってフォロー不可能な地獄。」
冷凍3日くらいは美味しく食べれると思うんだけど、何日目なんだろう?
●「そんな幸せ物の増田が意識他界ラーメンを食べたときの感想をコウカイしてみてほしいの。 」
⇒読み返して誤字に気づいて修正しちゃった!ごめんね!
東京にあったりするかな?あるなら行ってみようと思う。
●「何でもかんでも不味いで済ませる貧相な語彙のほうが問題だよな 」
⇒まぁ、そうだよね。
●「美味しい物を食べる=幸せ、ってのはテレビの洗脳だよ。味よりも健康な体を維持する方が重要。 」
⇒そうかな? 美味しいものを食べているときに幸せな気持ちになったりしない?
●「分かる!そんな私の口ぐせは「普通に美味い」 」⇒わかる。
●「高いものしか美味しく感じられない人の方が偉そうにしてるよね。 」⇒わかる。
●「たまに一人で牛丼屋に行くのが幸せな私が通りますよ。目当ては松屋のネギ玉牛めしかカレーである。」
⇒美味しいやつや…
●「チェーン店の味噌汁って味を誤魔化すために馬鹿みたいにしょっぱくしてるんで、あれが美味いと感じるなら高血圧に注意した方がいいと思うよ。 」
●「強いて不便なことは、あそこは美味い、ここは不味いって話題に乗れないことか 」
⇒「ここは不味い」っていう話には参加しないなぁ。
●「土の味のオランジーナとはなんだったのか 」⇒なんだったんだろう。飲む前に砂ペロってしたかな?
●「私は違いがわからないくて、ちょっと寂しい。 」⇒区別がはっきりしている人とご飯食べに行くと良く分かるよ!
●「幸福のしきい値を低くすると世界に『幸福を感じることが出来る物』が増えるので幸せになりやすいと思う。」
⇒それね。みんな小さな幸せを見ようともしないのよ。そもそも食べれることが幸せ。
●「こういうのが洗脳なんだろうな 安いもので済ませるってのは本来経済的に安価にみえる牛丼やカップ麺食う事(実は高い)じゃなくて、面倒だが素材買って家で作って食べることだからな 」
⇒洗脳? 安いもので済ませる=チェーン店に行く ってことはしてないよ!
基本自炊だよ~
●「味覚の主な役目は「飲み込むとヤバげな毒物」の検出で、美味いもん検出じゃないからな…。食うと美味いもの検出は視覚と嗅覚の役目。人間は視覚全振り生物なので結局見た目重要。 」
⇒だよね~! 見た目の美意識が高いのかな?
●「うんうん、馬鹿にしてくるやつは幸せになってる奴を妬んでるんだよ?。 」
⇒馬鹿舌って言われても気にならない! そう言ってくる人より幸せな自信あるよ!
●「なら、本当においしいものを食べるともっと幸せになれる。他人の財布なら余計に。 」
⇒もう、何倍にもなって美味しいよね。もう幸せすぎてほっぺた落ちるよね。
●「好き/嫌いでなく、おいしい/まずいという客観的な判断が下せる人ってすごいと思う。自分が好きな味でも「おいしい」という絶対的な判断を下す自身がオレにはない 」
⇒「(自分的には)おいしい」で良いんじゃないかな? そもそも、そういう味覚判断って客観的なもの?
人に対して「美味しいよ!」とは自信をもったものしか薦めないし。
長くなりすぎちゃった。
一年とちょっと前、地下アイドル好きな友人に連れられて初めて地下アイドルのライブに行った。それは前々から勧められていたアイドルのワンマンで、本当に楽しかった。でもその後すぐメンバーの一人が脱退して体制が変わってしまったため、そこから推すことはなくなってしまった。
そしてそれからまたすぐ、その友人から今度は別のアイドルの対バンに誘われて行った。その中に出てくるあるアイドルを事前に勧められ、そのグループ目的で行った。他のアイドルの時間は、後ろでひっそり見ていようと思っていた。
結果からいうと、全然違うアイドルにどハマりした。グループ名こそ聞いたことはあったものの、曲名どころか、メンバーの名前すら、友人が推す一人のメンバーのあだ名しか知らなかった。だが彼女たちが登場した途端、ある一人のアイドルに、冗談ではなく本当に一目惚れした。(ガチ恋という意味ではなく、推すアイドルとして)
ライブ後に開催された物販には速攻並び、列に並びながら友人にメンバーの名前を聞き、彼女たちのツイッターをフォローした。その時は確か、チェキのシステムはそのアイドルグループにはなく、ケータイでの撮影だった。写真を撮ってもらった後、少しの間、ついさっき一目惚れしたアイドルと会話した。メンバーのAちゃんとする。
今でも忘れない。Aちゃんに、今日初めて現場に来て好きになったことを告げると
「もしかして、さっきツイッターフォローしてくれた?」と。物販列に並んでいる間にフォローしたのに、なんともう認知されていた。それが最初の現場だった。(ちなみにこのときちょうどバレンタインのイベントをやっていて、普通のチョコや激辛チョコをあーんしてくれるイベントがあったのだが、もちろん参加した)
そして約一ヶ月後、そのグループがワンマンを開くことになった。それに合わせ、メンバーが一人ずつ接客するカフェ?で手売りチケットを販売することになった。友人は所用でワンマンには行かれないことがわかっていたので、一人でカフェのイベントに行った。本当に狭いスペースがカウンターテーブルで分断されており、あちら側にAちゃん、こちら側にはファン6,7人が詰めて座るという形だった。自分は完全に新規だったため(またコミュ障であり、目の前の推しに緊張していたのもあり)、もともとのファンの内輪のノリについていけず、あまり会話に参加できなかった。そんな中、イベントの一環で、アカペラで何か歌を歌うことになった。そのアイドルの持ち歌はもちろん歌ったが、他に何かないか、という話になった。あまり会話に参加しなかった私に、Aちゃんは、「そうだ、(自分の名前)ちゃん、〇〇って歌手好きだよね!その歌にしよう」と、話を振ってくれた。本当にAちゃんはすごいのだが、私は〇〇という歌手が好きという話をAちゃんにしたことがない。どうして知ってるのと聞くと、Aちゃんはなんと自分のツイッターのホームを見たというのだ。本当にびっくりした。そして本当にその歌手の曲を歌ってくれた。また、ファン一人一人の似顔絵を描くコーナーがあり、それぞれ顔を見ながら描いてくれた。今も大切にとってある。
ワンマンのことも忘れない。前述の通り友人は来られなかったので初めて一人で現場に行った。その日は二曲新曲のお披露目があった。終了後物販で、またチェキを購入した。確かこの辺りで、Aちゃんは名前を覚えてくれていて、向こうから呼びかけてくれた。まだまだ緊張してなにを話していいかわからなかった自分に、「新曲、どっちの方が好き?」などと色々聞いてくれた。答えると、Aちゃんは「私もそっちの方が好き!」と返してくれた。
余談ではあるが、このライブで初めて現場で知り合った人と友人になった。
東京アイドル劇場にも何度か通った。一回の時間は短いが、他の会場よりもずっと近くで見られた。このときになってもまだ緊張してこちらから会話できなかったが、Aちゃんは「髪の毛短い方と長い方どっちがいいかな?」などと話を広げてくれた。
しばらくしてからまた夏に、レコ発のワンマンが開かれることになった。東京アイドル劇場で手売りチケットが販売されることになり、参加した。初めて全員チェキを撮った。死ぬほど緊張したけど、そのあとAちゃんと撮ったチェキは楽しかった。ワンマン行くねというと、喜んでいた。
レコ発のワンマンということで、CD発売に合わせ、リリイベも各地で開催された。これもまたすごく近くで見られた。割と地元の方まで推しが来てくれることが嬉しかった。
夏のレコ発ワンマンは本当に楽しかった。今までと比べられないくらい大きな会場と大音量でのライブだった。バックライトに照らされて踊るメンバーが神々しくて、ちょっとだけ泣いた。これからも推していこうと思った。
夏のワンマンからちょっとして、活動休止することが発表された。そして間も無く、そのまま解散することが発表された。活動休止直前ライブには、行かれなかった。
そして冬、解散ライブが行われることが決定した。同時に、手売りチケットを販売する機会があることも発表された。このアイドルに出会わせてくれた友人と、絶対に行こうと誓った。
昨年末、忘年会と称されたイベントが開催された。ライブではなかったが、ファンイベントのような形だった。トークイベントやカラオケをしながら食事ができるスタイルのイベントで、その現場で販売されている食べ物飲み物のみ、メンバーに差し入れることができるシステムだった。私はAちゃんにチョコケーキを差し入れた。Aちゃんは隣に座るメンバーと分け合いながら楽しそうに食べていた。それだけで楽しかった。とてもこれから解散するグループのイベントとは思えないほど、楽しかった。
イベントの前には物販もあり、久しぶりにAちゃんにあった。今考えると夏のワンマンぶりだったのかもしれない。Aちゃんは変わらず可愛かった。このころには割とAちゃんと話せるようになっていた。絶対に解散ライブ行くね、と言うとAちゃんはダンスとか歌とか忘れちゃったよ…とおちゃらけてくれた。
そして先日、解散ライブが開催された。奇しくも、その日はAちゃんの誕生日であった。もう絶対に後悔したくなかったので、とにかくいろんなことを話した。あけましておめでとう、と新年の挨拶をして、誕生日を祝い、いつもと違う髪型が可愛かったので話題に出した。チェキの時間が終わりの方になると、Aちゃんは、「チェキはこれで終わり?」と聞いて来た。(メンバー一人につき一人一枚の枚数制限があったが、ファン同士で協力し何周かする人もいた)
私は一枚しか手に入れられなかったため、そうだよと返事をすると、Aちゃんは、男性ばかりのこのアイドルの現場に、女の子一人なのに来てくれてありがとうと言ってくれた。これが最後かどうか聞いてくれたと言うことは、最後の挨拶をしてくれようとしたのだと思う。ライブも始まってないのに、本当に泣いてしまうかと思った。私もAちゃんと話せるのはこれが最後だと思い、「Aちゃんが一番大好きです。これからも応援してます。」と言って別れた。自分のできる最大限の返事をして別れたあと、その場にしゃがみ込みたくなるほどの感情に襲われた。それが無力感だったのかやりきった感だったのかはいまもよくわからない。
あまりに語彙力がないが、ライブは今までで一番最高だった。現場に行き始めたころは周りの怖そうなオタクに怯えていたが、今ではケチャをしたり、振りコピしたりするまでになった。本当に楽しかった。ライブ中は、とにかく後悔後半はとにかくずっと泣いていた。泣きたくない、笑顔で見送りたいと思っていたのに、泣いているメンバーを見たら駄目だった。
地下アイドルが好きな人は大抵、1つのグループだけでなく、いくつかのグループに推しがいることが多いそうだ。私はAちゃんのグループを追いかける過程で、ほかの地下アイドルにも何グループか出会ってきたが、推しはAちゃんだけだった。
楽曲、衣装、メンバーそれぞれ、ファン層など、どこを取っても、Aちゃんのいたグループが自分に合っていたのだと思う。
何かと白眼視されがちな仮想通貨取引だが、むしろ俺は今こそ仮想通貨取引を始めるべきだと思う。
この流れには乗っておくべきだ。
乗らなくても後悔はしないが、乗っておくといろいろといいことがあるから。
とりあえず、俺が仮想通貨取引をおすすめする理由を読んでみてくれ。
国内利用者がもっとも多いコインチェックという取引所の場合、アプリで認証して取引可能状態になるまでおよそ1週間。これは早い。まぁ仮想通貨取引になれるとこれでもクッソ遅いと感じるのだが、とりあえず株式投資などに比べると最初のハードルは劇的に低い。
しかも、数千円レベルから始められる。数百円レベルでも行けたかもしれない。詳細は忘れたが。
おまけに、面倒な勤め先情報の入力だとかあれやこれやおすすめされたりというわずらわしさがない。
株式取引が楽天で仮装通貨取引はamazonみたいなイメージだ。
とにかく手軽に、あっという間に取引を始められる。
仮想通貨はレバレッジをかける必要はほぼないので、破産におびえる心配もない。
万人にお勧めできる手軽さだ。
…と、このように書くと非難がすごそうだが、まぁ落ち着いてもう少し読んでくれ。
初心者の投資への心理的ハードルの高さというのは、「なんだかややこしそう」というイメージによるところが大きい。というかこれが全てだ。
チャートを読みとかなくてはいけないらしいし、ややこしい専門用語が飛び交うし。
ともすれば、「投資というのは一部の選ばれた人がやるものだ」と思ってしまいがちだ。
やたら上から目線で煽るやつとかも多いしな。
でも大丈夫だ。投資を始めればわかることだが、大体のやつは大してわかっていない。もちろん俺を含めて。君も含めて。
大してわかってないやつらが一生懸命それっぽく、自分の判断に理屈を付けようと頑張って語っているのが9割で、残りのごく一部ははそんな表に出てこないことが分かるだろう。
コインチェックのチャット画面とかもうびっくりするぞ。動物園かよ。
つまり、そんな「大してわかってないやつらがドヤ顔で投資理論を披露する」のに踊らされて、心理的ハードルを勝手にあげていたのだと理解できる。実に下らん。しかし、それが下らんことだとわかることは重要だ。
株式投資やFXはなかなか手軽に始められないので心理的ハードルはさらに上がる。
しかし仮想通貨は心理的ハードルが極限まで低く抑えられている。だからこそ、投資界隈特有のこけおどしにも早く慣れることができるだろう。
これを学んでおくと、今後の人生で無意味に心理的ハードルを感じる機会が減るだろう。
もちろん、株式投資に比べて仮想通貨取引は赤ちゃん状態なので、そこにいる人のレベルは非常に低い。だが、株式投資が特別に高尚なんてことはない。あくまでもほんの少しだけレベルが高いだけであって、そこにいる人たちは大して頭もよくないし、優れた投資家だなんてことはない。大体頭は悪い。俺も君も同じく。
そして、ゴミのような煽りと暴騰暴落、投資界隈のあらゆるトラブルを手早く体験するのだ。
2017年と違い、2018年の仮想通貨は実需ベースになるだろうとされている。
つまり、ビットコインのように「何に使われるかわかんねぇけどとりあえず持っておけ」という文字通りの仮想通貨から、「ブロックチェーン技術を使ってこういうことをしたいから投資してくれ」という具体的なビジョンのある暗号通貨へとトレンドが変化していく。
つまり、「とりあえず上がりそうな通貨を買う」という投機でなく、「このプロジェクトを応援したいから通貨を保有しておく」という投資に切り替わるだろうということだ。
まぁ、それでも十二分に投機的ではあるが。
多くの人の仮想通貨へのイメージは「何に使われるかわかんねぇけど」式のやつだろう。
しかしもうすでに一部のサービスは展開されていて、2018年上旬には暗号通貨を使った実際のプロダクトが登場してくる。この流れは今後も続くだろう。
そこで、投資をする際に「自分が応援したい銘柄は何か」「今後成長が期待できるプロジェクトは」と能動的に選ぶ楽しみが生まれる。
しかも、対象はブロックチェーンという未知の領域だ。すでにある程度固まっているマーケットでなく、ポンポンと新技術と詐欺通貨が出てくる玉石混交のマーケットである。
そして、「これは革新的だ!」と確信した銘柄が鳴かず飛ばずで、よく考えたら大したことない技術だった…みたいな投資によくあるミスもするだろう。そういうのを体験しておくのもいいことだ。
ただ、そんなゴミの山からごく少数の本物が生き残る可能性は十二分にある。
ITバブルで生き残ったやつらが今世界を牛耳ってるように、暗号通貨バブルで生き残った本物が今後の未来を決めるかもしれない。
仮想通貨取引では頻繁にICO(これから投資を募るぜ!というイベント)が起きるので、そこで「この通貨は来るんじゃないか?」とか予想するのは楽しい。
そして、明らかな詐欺銘柄に「期待しています!」と笑顔で突っ込んでいく人たちの姿を見て、また君は一つ成長を遂げるはずだ。それは鏡に映った自分かもしれんが。
はてブといえば英語勉強法。また今年も英語勉強法の記事が1000、2000ブクマを集め、実際にそれを実践するやつはほとんどいないという光景が繰り広げられるだろう。
海外で仕事したい?国内にいる外国人とコミュニケーションをとりたい?英語喋れた方がかっこいい?
はっきり言うが、必要に迫られないと英語は上達しない。そもそも日常で必要なシーンがないのなら、情熱は続かない。
ところが仮想通貨取引を始めると、英語が絶対に必要になってくる。どこもかしこも英語だ。英語しかねぇ。
日本語で得られる情報といえば、イケハヤだの与沢だの、もう絶望的なインフルエンサー(笑)しかいない。絶望的過ぎて髪の毛が抜け落ち、体重が増える勢いだ。
それにしても日本の仮想通貨界隈は本当にクソだよな。なんでまともな起業家がおらんのよ。OmiseGoの人とか日本すっ飛ばして東南アジアで始めちゃったじゃねーか。
海外だとまとも(そうな)人が結構いて、ちゃんと開発者集めたりまともな企業と提携したりめっちゃ動いてるのに、こっちはガクトだぜ。泣けるだろ。
だからこそ英語が必要になる。日本語はやめておけ。まぁ、煽られて踊らされて筋肉コインとか買っちゃうのも経験の一つかもしれんが。
仮想通貨取引は、テレグラムなどの各コミュニティが大きな役割を持っていて、自分が保有し応援する通貨のチャンネルに所属して情報を収集するのが一般的だ。
で、その場は当然すべてが英語で書かれるので、まともな投資をしようとするなら最低限英語を読み取る能力が必要で、さらに自発的に質問できたりするとより情報を得られる。
前述のように、仮想通貨取引をやる奴は全世界的に頭がよろしくない連中なので、英語でしゃべってるけど中身は俺らと大して変わらないと思えば、ゴミのような英語力でも質問してみようという気になる。「お前ひどい英語だな」とか言われながらもなんとか意思疎通が図れる。あとはまぁ、どのコミュニティに所属しても結局のところ「金の話」しかしてないわけなので、必然的に会話内容は限定される。だからこそ会話しやすい。「今何サトシ?」「500サトシ」このくらいの会話(?)でも、できたらちょっと嬉しいもんだからな。
投資を始めると、大体の人は気になって毎日チャートを見て、コミュニティの会話を見ることになる。
そこで英語を強制的に使うリズムが生まれるので、英語を勉強するモチベーションは上がる。
それに、俺は多読とかもう本当にやってられなかったからな。何が悲しくて興味のない童話やら小説やらを読まにゃならんのだ。それよりホワイトペーパーだとかサトシの行方について激論してる方がよっぽど楽で実践的だからな。
レバレッジはやめておけ。あと生活費を入れるのはやめろ。儲けが出ちまったら税金分は確保しておけ。
投資する対象を探して、調べて、買って、コミュニティに参加して、盛り上がるという経験はなかなか面白い。自分が投資に向いているかどうかもすぐにわかるだろう。
ハッキングされて自分の通貨を全部失うというマヌケでレアな体験もできるかもしれない。
儲かった成功体験に囚われて大損することもあるだろう。
最悪の(そして面白い)シナリオとしては、今度のG20で規制が本格化して阿鼻叫喚、って渦中にいられるかもしれないしな。
数千円~数万円の単位で、失う金と決めて始めるといいと思う。
手軽に始められるということは、それだけいろんなものがザルだということだ。ここは肝に銘じてほしい。本当にザルだからな。
ひと通りやらかすまではお金追加しないほうがいいぞ。
ほぼ毎日一緒にいるし、むしろ住んでるって言っても過言ではないのだけど、
「一生、愛し合ってそばに寄り添えるか」
と聞かれると「うん」って断言するのは難しいんだよなぁ。
とても好きで、ずっと一緒にいたいなあと思っていたけど、
やっぱりなんだかんだで別れてしまったわけで、
今の彼女と別れない方が、可能性としては低いと思ってしまうんだよね。
ってのならわかるんだけど、
それなら、別に一緒に住むだけでもいいと思う。
自分が生まれつき子供ができないってのも大きな理由なんだけど、
向こうのご両親とは何度もご飯食べてる仲だし、
とても自慢の素敵な彼女だと思っている。
でも、一生はわからないんだ。
そしたら愛想尽かしてくかもしれないじゃない。
結婚できないっていうのは変なのかね?
最近はわたしくしの所にも、色々とテレビや新聞、ラジオのお仕事が舞い込んで参ります。大変にありがたいことです。しかしなかなかに難しい注文をされるところもあって、申し訳ありませんがそれはわたくしの力量を越えておりますとご遠慮させていただくこともございます。難しいというのは風刺です。とくに政治の風刺は大変に難しい。10年前20年前も難しかったが、最近はもっともっと難しくなった。これはもういわば怪物です。わたくしのような年寄りには到底かなうものではございません。そう言うと、テレビ局の方、新聞記者の方は目を丸くされるんですな。
海外、特に欧米では政治の風刺というのは盛んだと言われています。一国の大統領や王様がコケにされる。それを喝采する人々というものがいる。しかし日本ではなかなかそれがうまくいきません。誰を虚仮にしても目を血走らせて食ってかかる人が現れる。てめえの噺はつまらねえんだよ!とお客さんに叱られるのはわたくしども日常茶飯事ではございますが、そういうのとは次元の違う感情をぶつけられる。しかも一人や二人ではございません。何百人なら少ない方、へたすりゃ何万人なんてことにもなりかねません。これをわたくしは怪物と呼んでおります。これにかなう者はこの世にはおらんでしょう。
さて、ではなぜ欧米と我々日本人は違うのでしょう。これもまた生半に語れることでもございません。ここにも怪物が潜んでおります。いやはや恐ろしいことです。おそるおそる怪物の尻尾をまたいでみたいと思います。
誰しも自分が虚仮にされて嬉しいものではございません。虚仮にされてうれしがるのは噺家のような奇人変人選りすぐりのエリート集団くらいなものです。では自分じゃなければ虚仮にされても平気でいられるのか、そんなことはございませんね。我が子、親兄弟、恋人、妻、夫、友人、恩師、ペット、愛人、などなど。…愛人は余計か。これらは場合によっては自分を虚仮にされるよりも腹が立つという人もいることでしょう。いま申し上げたのは自分の身近にいる自分にとって大事な人達です。それだけではございませんな。贔屓にしているアイドル、ミュージシャン、テレビタレント、スポーツ選手、こういう遠い存在も、やっぱり虚仮にされるとむかっ腹が立ってくるのが人情というものです。政治家というものも、この中に入ってくる。これが今の日本人というものなのかなと、噺家風情が考えてみたりするところであります。
虚仮にされて腹が立つのは、名前や顔を知っている人だけとも限りません。何かに一生懸命に打ち込んでいる人を虚仮にするというのも、やはりいい気持ちがしないというのが人情というものです。甲子園に出るために一生懸命練習する高校球児達を、何が面白くて汗まみれ泥まみれになりながら球を投げたり転がしたりしてやがるんだ馬鹿馬鹿しい、などと言おうものなら、明日からわたくし朝日新聞と毎日新聞から出入り禁止でございます。今日のお客様の中に関係者の方がいない事を祈るばかりです。いやあそれにしても、うちの○○と××を出入り禁止にしないNHK様の懐の広いこと広いこと!よっ、日本一!来月から受信料ちょっと多めに払っちゃう!
(注:○○と××…この噺家の一門に属するコメディアン。最近相方をビール瓶で殴る時事ネタを披露した)
まあそれはさておき、政治の風刺が難しい理由もこの辺にあるのでしょうな。誰もが応援している議員さんが一生懸命やっている事を知っている。知っているから虚仮にされるとムカッとくる。これは別に恥じることでも何でもないと思いますな。日本人は政治に関心がない、などといったことを言うお人もいらっしゃいますが、本当に関心がないのなら、政治の風刺も他人事と思って笑って流せるんです。今は政治は笑い事じゃないんですな。それの善し悪しは今は分かりません。昔からよく言いますな。政治・宗教・野球は飲み屋で話しちゃいけないよ、と。真剣になってる人に茶々を入れることほど無粋なものではございません。どうしても茶々を入れたくなったら、是非とも寄席へお越しいただいてわたくしどもに野次の一つでもいただければと思います。本日はどうもありがとうございました。
「てにをは」をよく間違える。算数の計算が非常にあやしい。そんな彼女だ。
出会いもめちゃくちゃだった。
そこそこのバカ高校の生徒であった当時、童貞は最高にダサいという価値観がクラスに蔓延していた。
そんな中、ひどく焦って、信頼できる先輩に紹介してもらったのが面識のない一つ年上の彼女だった。
先輩曰く、こいつは童貞の筆下ろしの達人だと。
セックスにおける諸々の礼儀作法を学ぶにはうってつけの、歴戦の猛者であると。
何度か電話で交渉した結果、初対面が俺の自宅デートかつその場で即座にセックスで条件合意という、
ガチのホームなのにアウェイという非常に困難な状況で会う事となり、
緊張しながらも、俺は彼女との初対局にあたり万全の備えをしつつも、立ち上がりは強めでいこうと決心していた。
童貞とてなめられてはいけない。オスとしてのプライドはある程度守らなくてはいけないが、
しかし紳士的かつフレンドリーでありたいと、そう心に決めて臨んだ対局だった。
結果として対局はスムーズに進みつつ、無事に童貞の見栄っ張りは一撃で粉々に砕け散った。
さすがは歴戦の猛者といった試合展開で、負けもいっそ心地いい。名人に一本とられたという具合だ。
初対面の童貞に職人芸を惜しげなく披露するプロフェッショナルな彼女の姿に感動し、
一緒に居たいといたく感動し、胸焦がれた事を今でも覚えている。
それから何度も逢瀬を重ねるも、やがて、全てがめちゃくちゃなので、自分から自然消滅的に連絡を絶ってしまった。
地元では有名なビッチだったので、その人を周囲に紹介しづらいという後ろめたさがあり、
とても愛していたのに。なんて馬鹿な事をしたのか。今でも、深い、深い後悔をしている。
俺は東京に出て一山あてようと頑張りつつなかなか成果が出ないという現状なのだが、
ひょんな事で、彼女が東京のしかもごく近くに住んでいる事を伝え聞いた。
彼女もいい年をしておいて独身だ。まぁ問題が色々あったんだろうなと即座に察した。
連絡をしようかどうか?これは極めて困難な問題だ。
20年も経って連絡するのは向こうも驚くだろうと。はたから見れば意味不明でしょうと。
でも、めっちゃ近い。なら会いたい。今なら。今であれば。
俺はそんなプロフェッショナルの人となりに、本当に敬意を持っている。
できるならば今後は俺の隣にいて欲しい。愛おしい人。
初めてのはてなブログだから、変な書き方とかになってたらごめん。
題材も、世間一般が苦笑いしながら付き合わされてるおっさんの話だから、加勢するようで申し訳ないんだけどさ。
もうその人とは別れて3年以上経つから自分の中では終わったことだし、なんなら仲良い友達との間ではネタとして話せるからいいんだけど。
付き合ったのは私は当時20歳、専門学生。彼はふた周り年上、バツイチ、会社員。そこから約2年半付き合って、別れました。
あえて言うけどパパ活じゃないよ。
彼女もきっとそうなんだと思うんだけど、同世代ともそれなりに付き合ってきて、やることもやってたんだけど、こんなに人を好きになったことは初めて!っていう気持ちなんだと思う今。
向こうがこっちのペースに合わせようとして若いデートに付き合ってくれるのも可愛く見える。逆に彼氏のペースに合わせようとすると大人になった気分になるんだよな。
おじさんだけど何しても可愛い。私のことを大好きでいてくれる。私も大好き。体の相性もいい。もういろんな壁を超えて結婚するしかないっしょ!だってこんなの運命だもん!!
〜〜〜これが2年は続きました〜〜〜
でも私と彼女が違うとこは、周りに堂々と宣言して、テレビ使ってイチャイチャも披露してること。
恋は盲目とはいえ、本当に仲の良い友達にしか真実は伝えてなかった。広まっちゃいけないことだとは思ってたんだよね。
私は親との関係も良かったから、年上の彼氏がいることは言ってたけど、詳しくは言わなかったし言えなかった。
紹介する気は毛頭なかったけど、結婚できると信じてるからいつかって思ってた。
その点あの子はすごいよ。将来も隣におじさんがいると信じてるから。おじさんが老けてく未来を考えてないから。
あ、この人ほんとに「おじさん」なんだ、って。
肌の油。首元のたるみ。着痩せするけど出ているお腹。だらしないいびき。持ち堪えてるけど密度の薄い生え際。
あのときの、あぁ、この人とはやっぱり一緒にいられない、いるべきじゃないって感覚は忘れられない。
隣にいる人が「おじさん」て気づいたとき、千年の恋も冷めたんだよね。
可愛いと思えなくなったら、もうほんとにただのおじさんがそこにいるだけだからね。
あと悲しいけど、勃たなくなるよ。
彼女に別れろとは言わない。
私も無駄だったとは言わないけど、
周りから祝福される恋愛をしたほうがいいって気付くときがきっと来る。
「おじさん」と付き合ってる自分が気持ち悪くなるときがきっと来る。
別れた後、テレビでその話ばかりする銭ゲバタレントにはならないでね。事務所とよく相談して、幸せになってね。
タイトルに思い出されて辛いとか書いたけど、辛いというより恥ずかしいって感じ。
変なコメント来ないといいな。
感想としては「悪ノリしてるなぁ」と。視聴率悪かったって報道で見たけどさもありなんという感じ。
今回はウッチャンを総合司会にしてNHKのコント番組LIFEの内容に触れた司会進行や演出が事前宣伝の頃からよく見られた。他にもバナナマンがNHKでやってる歌番組のネタが多く使われてたり、紅組司会の有村架純出演ドラマひよっこが長尺でコーナー化されていた。
これら番組が、ものすごい視聴率を取っていて国民誰もが知る番組だというのなら、こうして年末の紅白演出に使われるのも分かるが、これらの番組はどれも視聴率も内容も平凡なものであり、番組知名度が高いわけでもなく、これらの番組を見てない視聴者にとっては完全に置いてけぼりにされてしまっている。案の定視聴率は落ちた。
こういう自社番組独自のノリを大型スペシャル番組の縦軸演出に使うというのは嫌われ者のフジテレビの27時間テレビで行われているが、最近のNHK紅白はフジ27時間テレビ化してしまって完全に失敗している。
いい加減目覚めなさいと言いたい。
あと今の紅白は口パク完全OKに合わせてダンスパフォーマンスや映像演出の合戦になってるけど、ラジオユーザー置いてけぼり状態だよねぇ。少なくとも口パク絶対ダメという規則は復活させてほしいなぁ。今回みたいに個別に1VS1で判定させるなら、勝負させるのは生歌披露するアーティストだけにして、口パクダンスグループは勝負から外した応援団という立ち位置でパフォーマンスさせればいいのではないかと思う。