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2018-01-12

千葉都民妊婦でした

マタニティマーク経験談ぼんやり書く。

結論的には妊婦は見えるところにつけて堂々立ってればいいと思う。あれは「席を譲ってください」じゃなくて、気持ち悪くて立ってられなくて座り込んじゃったときに「マナーのなってない最近の残念な若者じゃないんですよ。体調悪いからですよ。ほらみてマタニティマーク妊婦妊婦!」に使うもの気持ち悪くなったら席を譲ってもらえるよう自分から言うか座り込んでください。座り込むのが恥ずかしい方、吐くよりましですよ。

===

マタニティマークつけてて立っていた場合、目の前の人が席を譲ってくれたのは数えてないけど肌感覚1~2割てかんじでした。辛いときは恨めしや〜世界妊婦に厳し〜て思っちゃうけど、いま思えばそこそこの割合のような。

ちまただと「男は譲らん!」ていうけど、譲る人譲らない人に老若男女関係なかった。疲れ果てたサラリーマンでも譲る人は譲るし、美人なお姉さんでも子育て経験ありそうなお姉さんでもチラ見して無視するひとは無視する。男は譲らん!て決めつけ記事はよくないよね。一回、離れた場所に大声だす怖いオッチャンが座ってて、ヒィィて思ってたら「座りなさい!」と大声で呼ばれてヒィィてなったことがありました。ありがとうございます

で、これは私の経験談なんだけど、譲らなかった8~9割の人が、全員が全員、悪人だったり、ふて寝したりしてたわけじゃないんだろうなと。

なぜかって言うと、譲られるぶん座ることが増えたのがあるのだけど、マタニティマーク時代、圧倒的に私自身が「席を譲る」回数が増えたので。

席を譲られると感謝気持ちか、私も誰かに譲ろうとなるので、目の前を気にするようになって。そうすると目の前にご老人、私よりお腹の膨らんだ妊婦、怪我をしてる人体調悪い人に気付くようになりました。そのとき自分の体調がよければ声をかける気分になるようになりました。まぁ、私も妊婦なんで断られるときもあるし、なんとなくマタニティマーク見えないようにして声かけときもあるし。

席を譲っちゃうほど割と元気な妊婦は、ある意味で「やっぱ妊婦に譲る必要ねーじゃん」風潮呼ぶから妊婦の敵になるとは思うのだけど。譲れるときは譲ってました。半年で5回は譲ったと思う。私の人生のなかでも異常に多い。やっぱりこれは譲られるようになったから、私も譲れるときは譲ろうという気持になって、見るもの変わったからだとおもう。マタニティマーク以前の私もその姿勢はあったけど、レベルが違うよね。だからついスマホに熱中してマークに気付かなかったり距離に臆して、悪意はないけど譲らない側に入ってたのかなぁと今更思う。じゃなきゃこの時期の譲り率は異常。

はいえ、辛いときは本当に辛いので、目の前の人が譲ってくれないと世界が全部敵になったような気になるしネット呪いを吐きたくなるのも本当です。車内で吐きそうになって座り込んじゃっても譲ってもらえないどころか周りはチラチラ見るだけで声かけないこともあったし(体調わるいと被害妄想はいから冷たい視線に感じたし)。もうダメだ〜てなって途中下車したけどトイレまで辿り着けず座り込んじゃって周りにチラチラ見られて恥ずかしいけど動けなくて駅員さん来ちゃったこともあったし。もうホントめだかくなる上は金の力〜てなってタクシーのって車内で堪えきれず吐いたこともありました運転手さんごめんなさいビニールありがとうございます

何が言いたいかからなくなったけど男は譲らねぇとかじゃなくて世の中いろいろだよねと。譲られる経験あるぶん、今後は余裕あったら譲りたいよねと。とはいえ皆余裕あるわけじゃないから譲ってくれない人もいるけど、譲る譲らない関係なくマークはつけといたほうがいいよ車内で吐きかけた場合免罪符になるからということです。

あとこんな道徳教科書みたいなことが書けるのは妊婦時代が遠い昔になったからで妊婦だった頃はそんな余裕ないし悪阻辛い時代はただただ辛かったし私は妊婦だけど体調悪くない時代あったけど妊婦だしずっと体調悪い…て人もいっぱいいるからやっぱマタニティマークには譲ってあげてほしいし優しくしてほしいです。あとそもそも妊婦悪阻ラッシュアワー通勤したくないし私内勤だったしフレックスなんで認めてくれなかったの前職〜!他社でやってる話を聞いてないといわれたときあぁ社会は厳しいなぁと思いました。つらたんつらたん

2018-01-11

悪阻ってなんかあくそ呪詛?みたいに読めてしまってものすごくやばいもののような字面してる

anond:20180111132818

悪阻が酷い! と言うと、個人差があるからね!! と返されておしまいから

何で悪阻って知られて無いんだろうな

ネットマタニティマーク叩きで

何で体調が悪くない健康妊娠初期女に席を譲らないといけないんだよ!!

みたいなのを頻繁に見かけるし、そういったコメントにはプラスがたくさんついてたりする

何で妊娠初期は大概の妊婦悪阻でめちゃくちゃしんどい事を知らない人がこんなに多いのだろうと不思議になる

私は昔から普通に知ってたけど何が切っ掛けで知ったかは思い出せないし、昔はドラマで吐いて妊娠発覚みたいなお約束シーンがあったけど、今はほとんど無いから今時の人は知る切っ掛けが無いとか?

2018-01-02

娘の抱負

‪うちの母はスラッとしたカッコいい女性が憧れだが自分チビデブ(母の談)だからそういう格好ができないといつも口癖のように言っていた。そのせいか、娘である私にボーイッシュな格好をさせたがったし、そんな格好をさせられた3歳の私が道であった外国人に「ボーイ?」とニコニコ声をかけられたというのが、母からもう何千回と聞かされた自慢話だった。‬

‪でもその裏で、幼児だった私が欲しいと言ったお姫様ドレスも、みんなが履いていた段フリルスカートも発表会の花柄ドレスも全部罵倒対象だった。笑ってバカにして、私にさせてる男の子っぽい格好やスッキリとしたデザインの服が一番可愛いと何度も言った。うちの子が一番可愛いの子は全く可愛くないと。他の子はダサくて芋くさくてどうしようもないと。私は常に誰かへの否定を聞いて育った。‬

‪私は発達の早い子供で、文字が読めるようになるのも抜群に早かった。賢い子ってのが小さい頃からの周りの評価で、周りの多くの人達が「ご両親に似たのね」と言った。母にはそれが最高の自慢だった。でも、私は高学年になる頃には落ちこぼれて、勉強について行けなくなった。‬

勉強しろと何度も言われたけど、勉強のやり方もわかっておらず、結果は出なかった。そんな中でも自分なりに考えてテスト前に一生懸命作ったノートを母に見せたら「今更そんなことしてんの」とまたバカにされた。机に向かえば「明日は雨が降るんじゃないか」と、わざわざ私の部屋を覗いては、母は何度も笑った。‬

‪中3の頃、教室私立高校の案内本の制服特集を眺めていたら、担任が「ここの制服可愛いよな?どうや?」と私に勧めてきた。可愛い制服がウリの偏差値はお世辞にも高くない学校。今思えば私の学力にちょうどいいレベル。‬

‪でも私の答えは「制服バカっぽいから嫌」担任ものすごく驚いた顔をしたのを見て、自分がひどい事を言ったことに気づいた。二度と口にしなかった。でもこれは母からずっと言われ続けてきた事そのままだった。バカっぽい制服。そんなところには行くな、と。‬

‪結局、私は高校地元底辺校に進んだ。その程度の成績しかなかったからだ。入学説明会の日、同じ高校に進む事になった近所の小学校から同級生の子ママさんが「お互い良かったですね」と母に声をかけたんだそうだ。そのママさんは高校合格を素直におめでとうという気持ちだったんだろう。‬

入学説明会からの帰りの車の中で「なんであんな子の親に『一緒でよかった』なんていわれなくちゃいけないんだ。恥だ。」と殴られた。この件はさすがに母も後からやり過ぎたんだと思ったんだろう。数年が経った頃に「あの時は悪かった」と潤んだ目で唐突に謝られた。「別にいいよ」と私は小さな声で答えたけど、それ以外の返事が許されただろうか?‬

大学は家を出て、実家から離れたところで一人暮らしをした。相変わらず私の成績は悪く勉強も好きではなかったが、大学進学は幼い頃からずっと母に言われ続けてきた進路だった(短大、専門、就職は母の激しいdisりの対象だった)し、一人暮らしも母がそうさせたいと強く希望した事でもあった。なぜなら、母自身がそういう学生生活を送ったからだ。‬

一人暮らしを始めてからバイトをしたいと何度も言ったし、実際いくつかしたけど、その度に母は「学生のうちから働くな」「金なら全部出してやる」と繰り返し、実際私がシフトがあるから実家に帰れないといえば「そんな事より家族大事にすべき」「親不孝だ」と私がバイトを続ける事を良しとしなかった。‬

‪それに乗って「じゃあいいか」と甘えた私にも問題はあったのだろう。しかし、それからはずっと「あんたは親に全部金を出させた親不孝者」「あんたは恵まれている。親に感謝すべき」「すねかじりが偉そうに金返せ」と言われ続けている。‬

自分が認めなかった事も、自分がそうするように私にいい続けた事も、母の中では全部なかったことになって、私の希望を全部言われるままに叶えてあげた優しい親だと自分の事を思っている。そして「子供犠牲になったかわいそうな私」と繰り返しアピールするのが母のいつものパターンだった。‬

‪同じ頃、父の浮気騒動があった。母は荒れた。何度も実家に呼び戻され、家族のための時間を過ごせと言われた。当時高校生の弟と二人で、母から涙ながらに「お父さんは『エッチはしてない』と泣きながら話した」と聞かされた。何で自分の親のそんな話を聞かなくてはいけないのだろう。心底気持ち悪いし聞きたくもないと思ったが、黙っていた。弟も何も言わなかった。‬

‪泣いて喚く母の話を何度も聞き、母を否定しないように過ごした。少しでも母を否定するニュアンスのことを言えば「あんたまで私をコケにするのか」と罵られるからだ。散々罵倒されたあとは「あんなことを言って悪かったね」と泣かれる。そして「いいよ」と私は言わなければならない。おきまりパターン。そんな気持ちの悪いやりとりをできるだけ避けたかった。‬

‪両親はその後関係を修復したようで、この頃の事はなかった事のように蒸し返されることのない家族タブーになった。‬

‪母は当時はまだ少数派のフルタイムWMだった。父も一流企業研究者で、高給取りだったので、母は止むに止まれず働きたくないのに働いていた…というわけではない。母も仕事がしたかった人だった。それは別に生き方の一つの選択だと私は思う。‬

‪でも母はそうは思ってなかった。働く自分は最高で、専業主婦いか無駄無能か、そんな選択バカだ、そんなだから○○ちゃんの母親や××ちゃんの母親は…と友達の親の非難を何度も子供だった私に聞かせた。‬

‪私が学生の頃も社会人になったあとも母と同じ職を選べと何度も言われたけど、それは断った。資格を取るための金も出してやると言われたけど、その職に興味がないからと避け続けたのは、今となっては本当によかったと思う。‬

‪私は妊娠した時に、仕事も辞めて一旦専業主婦になる道を選んだ。旦那希望でもあったし、私の希望でもあったから、私たち夫婦の中ではそれで問題はなかった。‬

‪でも、母は自分が散々バカにしてきた専業主婦の道を自分の娘が選んだことが面白くなかったようで、私が悪阻が辛いと寝ていると聞けば「私は仕事をしていて悪阻なんかで倒れていられなかった」と電話をしてきては繰り返した。‬

産後、初めての育児しんどいといえば「専業主婦しんどいわけあるか」「専業主婦のくせに忙しいわけがない」とバカにして笑った。その後にはいかに自分が働きながらの育児に苦労したか辛かったか、そんな思いをさせたあんたは親不孝、感謝すべきという言葉が必ず並んだ。‬

‪産まれたうちの子供は障害児だった。たくさん本を読んでネットでもたくさんの親子に関する情報に触れた。親子で療育にも通い、子供への接し方についても多く学んだ。そんな事をしながらの第二子妊娠出産。ここまでそれなりに大変な育児だったように思う。‬

‪そして、そんな子育ての中で薄皮を剥がすように少しずつ少しずつ、母の私に対するあれこれはおかしかったのではないか?そういう思いが私の中で浮かんでは消えていた。‬

‪数年前に実家リフォームをした。私はインテリア住宅特集を見るのが子供の頃から好きで得意だったのでアドバイスをして欲しいと言われ、何度も実家に通った。担当営業マンと、ここはこういう風にした方が…なんて話を一生懸命していたら横で聞いていた母が「はっ。偉そうに。」と吐き捨てるように言い放ったのは今も鮮明に蘇る。‬

自分が手伝ってくれと呼びつけておいたものの、娘が自分差し置いてイキイキと一人前に話をする姿に耐えられなかったんだろう。思えば、子供の頃から私が何をするにも「偉そうに」「いっちょまえに」「でも○○はできない」という言葉が付いてきたな、と思った。この頃から違和感がはっきりしてきたように思う。‬

‪定年を迎えた母は頻繁に我が家に来るようになった。孫へと過剰なほどの物を抱えて「ここに来ると金がかかる」と口癖のように言っていたが、どこにでもいる孫に甘すぎる祖母の姿だと思っていた。‬

‪母は会うたびに、私の掃除の仕方、家事の仕方、夕飯のおかずの品数、体型、服装生活全てを笑いながら否定し、自分はいかに頑張っているかを語っていたが、私は黙って聞いていた。母にとってそれは最高に面白いジョークのつもりだったからだ。‬

‪内心では苛立つ事もあったけど、それを表に出せば、それ以上の言葉否定されるのがわかっていた。母のその性格が治る日が来るとは思えなかった。老いていく母にもうそれを指摘するのも酷だと思っていた。だから私は何も言わなかった。‬

他人からみれば、楽しそうに会話する仲のいい母娘に見えていただろう。‬

しかしついに母と揉めた。きっかけは些細な売り言葉に買い言葉だった。私の中で剥がれ落ちた薄皮は相当な量に達していたのだろう。違和感に私が我慢しきれなかったのだ。‬

‪私に反発された事で、母は発狂した。浴びせられるマシンガンのような暴言否定。今までの私の人生否定し、いかに親不孝かを叫び怒鳴り散らしながら、自分子供(私)のせいで我慢を強いられているんだと喚き散らす母に「私にだってずっと我慢してきた事はある」と初めて言った。母はその内容を聞く事なく「お前のなにが我慢だ。親不孝め」と、また暴言否定を吐き続けた。‬

‪その場に居合わせたうちの娘たちは、自分母親(私)が目の前で罵倒される姿を見て、驚いて固まっていた。そして不安がって泣いた。その間も母の暴言は止まらず、うちの娘の障害名まで母は私への罵倒言葉に使った。娘たちの前でだ。無理だと思った。もう無理だと思った。‬

‪母は自分で「どうせ私は毒親だ」と叫んでいた。そんなふうに考えた事は今まで一度もなかったが、その時初めてそうかもしれないと思った。そしてまた、もう無理だと思った。‬

‪この先、私はどうするのか。もう答えは決まっているのではないか。本当にそれができるのか。いまはまだ立ち止まっている。‬

しかし目の前の扉は開いてしまった。扉の向こうの世界は明るいだろうか。険しいだろうか。一歩を踏み出す決意をしたい。それが娘である私の今年の抱負。‬

2017-11-12

妊娠って気持ち悪くないですか?

悪阻で体調悪いとかの話ではなく、現象として冷静に考えてみると、鳥肌立つくらい生理的に受け付けない。

体内に今までいなかった生き物が突然発生するってどういうこと?日に日に栄養母体から奪いながら、腹のなかの知らない人は大きくなっていく。

ごめんだけど、自分の体内に物理的に他人がいるのって、想像すると吐きそうになる。

妊娠出産は太古から続いてて、あらゆる生物が同じことを繰り返してて。巨大に膨れ上がったお腹を堂々とSNSに載せて持て囃されてる時代に、女の私が言っていいことではないのはわかってる。

でも、想像すると本当に無理なんだよ。

こんなこと増田くらいにしか書けない。

2017-09-19

プロポーズされたら、母になるのは二年後である

どうでしょう

まぁ、これは、未婚の20代半ばのまだまだ若い女のひとつの考えです。


色々な人生、色々な形、それを否定するわけではなく

20代のあるひとりの独身女としての考えです。


夢物語かもしれません。

もっと現実は違うのかもしれません。

でも、もしも、もしも今、プロポーズされたとしましょう。

まずはきっと親に挨拶します。

お互いの両親と都合をつけて、挨拶をするでしょう。

そのあとは、両家の両親とわたしたち揃っての顔合わせがありますよね??

そして入籍となる、とします。

具体例は知りませんが、わたしはここに半年くらいかかるのでは??

とおもうのです。

まりまず、プロポーズから入籍までには半年かるということです。

同時進行で、といっても、せめてお互いの親への挨拶だけでも済んでから結婚式について考えていきたいところです。

これはきっと考え始めてから1年後くらいが式の日になるとおもうのです。

計算してみてください。

プロポーズからもう既に1年と少し経過しているのです。

仮にここでは、プロポーズから1年2ヶ月後に結婚式を挙げたとしましょう。


そして子供です。


妊娠するなら結婚式の後がいいです。

だいたいの女性はそう思っているのではないだろうか、とおもいます

(でも子連れ結婚式も楽しそうだし自分の子供のドレス姿はきっと死ぬほどかわいい)

可愛いドレスが着たいし、悪阻と重なるのも嫌です。

なんなら、新婚旅行が終わったタイミング妊娠できるのがベストなのでは、と思うのです。


子供は授かり物と言います


でもここはあくまでも想像

順当に授かるとしましょう。

最短の期間を算出したいので、今回の設定では結婚式後そのままハネムーンにも行ってしまいましょう。

結婚式ハネムーンが済んだ次の月、思惑通り妊娠したとしましょう。

ここでプロポーズから1年3ヶ月が経過しています

あとは子供が生まれるまでと十月十日といいますから

子供が生まれるのはプロポーズの2年1ヶ月後となるわけです。

プロポーズから2年後、やっと母になれるわけです。

「30までに子供を産みたい」

逆算しましょう。


これが初産の希望だとすると、30歳の誕生日の二年1ヶ月前

まり、27歳の最後の月にはプロポーズされなくてはならないのです。


「30までに末子まで産みきりたい」

どうなるでしょう。

あとの計算はお任せします。

もちろんデキ婚や、結婚式なんてしない、ハネムーン別にいいのでは?入籍したら子供はいつでもいい!とかとか

色々なパターンがあるとおもいます

これは、あるひとつシュミレーションとして提起させていただいたまでの話です。

どうでしょう

世代の20代半ばの男性はどのようにお考えなのでしょう。

2017-07-18

https://anond.hatelabo.jp/20170718212323

増田辺りは勘違いしとらんよ

精神不安定だし、悪阻はくっそ苦しいし、腹が膨れたら生活は大変だし、食べ物飲み物不自由で行動も制約される、産後不安も大きいし、ストレスはどうしてもかかる

夫はストレスかけんようにするのに越した事はないよ

キラキラネームならともかく字画にこだわるのが好みじゃないくらいで妊婦と戦う意味がねぇ

2017-06-12

私に子供が出来るまで

元々は子供は要らなかった、つーか喪女結婚も出来ないと思ってたしどうでもよかったが妹が子供を産み、その赤子が超絶可愛かった。

の子の為なら死ねると言ってたら妹から「そういうのは親がやるからおばさんが重い愛をそそがんといて自分の子供を作れ」と言われた。

それもそうだ子供が欲しいと思ったのでギリギリ二十代で結婚する事にし、幸い母親の新しい友達お見合いおばさんがいたので紹介してもらい結婚相手高齢童貞だった。

新婚当初は処女童貞だった為にセックスが出来なかった。

毎晩頑張ったが痛そうな顔をすると夫が萎えて終了を半年ほど毎晩続けた。

子供はまだなの?若いから気楽に思ってるかもしれないけどそろそろ孫が見たい。と言われる度に処女懐胎は無理と思ったが高齢処女旦那高齢童貞なのでやり方が解らないのは人には言えない話題だった。

やっと成功して子供が出来たがいわゆるぶどう子で流産した。

一人で行ったそうは手術の麻酔からさめたら、カーテン越しに妊婦さんが血液検査で明るく「血管には自信があるんです」と笑っている声が聞こえて辛かった。

最初は辛い程度だったのがぶどう子で異常に分泌されてた妊娠ホルモンが一気に消えた影響と流産のショックでその晩から不眠に苦しみ鬱のようになり、死ねお前のせいで子供が死んだと夜中に幻覚幻聴が聞こえ気絶するように眠り朝起きたら絶望を感じ地獄だった。

悪阻がきつくて妊娠してない体に戻りたいと思っていた事を思い出しては泣いた。

旦那の親に妊娠を伝えた直後の流産だったので旦那流産を伝えるように頼むと「病気流産した」と電話で話しており、その言い方だと性病勘違いされるだろうが!!!と腹が立ったのを覚えている。

その後ガンになる危険があったので検査のために医者に子作りをしばらく止められ、やっと出来たがまた流産をしてと数年経った頃に旦那睡眠時間も足りない程の超激務になりセックスが出来なくなった。

親は孫を見たそうだったが、セックスせずに子供は出来ないとは言えなかった。

その後運よく正月休みに体力回復してやったセックス子供を授かったが、ある日夜中にトイレに行くと真っ赤な血が大量に出てきた。

旦那過労死心配になるレベル睡眠時間だったので伝えてから家で寝かせて、母に電話をして泣きじゃくりながら病院に行きそのまま入院看護婦さんがお腹を温めるカイロを持ってきて聴診器赤ちゃん心音を聞かせてくれた。

数週間寝たきりになり退院したその日の晩にまた出血した。

また長期の入院になり今度は退院したらそのまま私の実家で寝たきりになるように指示された。

薬は飲んだら冷や汗が出るくらい副作用が強い、横向きになったら腹がはるので上向きで姿勢が固定され、トイレ食事風呂以外ずっと寝てるので大きな腹に圧迫されて背中やお尻は真っ赤に腫れて痛かった。

ギリギリ子供が逆子になり帝王切開出産、顔を見た瞬間に幸福ホルモンが脳に溢れて物凄い愛しさと幸福感に包まれ涙が出た。

出てくるまで生きているのかずっと不安だったが腹から五体満足な赤ちゃんが出てきた人体の神秘を感じた。

子供が居ないなら居ない幸せもあると思っていたけど今は居ない幸福想像できない。

2017-04-30

育児には参加しないけど子供は欲しいと言われた

婚活で会った男性に、

子供は2人くらいは欲しい。でも俺は育児には参加できない。仕事で帰りが遅いから」

と言われた。

因みに彼は、子無しなら結婚意味を見出さなタイプで、共働き希望

共働き希望子供が欲しいのは私も同じだし、仕事が忙しいのは理解できるんだけど、なんだかなあ。

だって、本当なら、悪阻陣痛で苦しみたくなんてないよ。24時間授乳乳児のお守りなんてしたくないよ。

本当は思う存分、仕事残業して稼いで自己実現したいよ…。

2017-04-16

http://anond.hatelabo.jp/20170416073814

不妊様の精神的なつらさは努力至上主義みたいなものにある気がする。

つわりのつらさが人それぞれなように、不妊治療の体のつらさも人それぞれで、軽い人も重い人も居るんだろうと思う。

ちなみに、悪阻は一番ひどい場合母体生存が危ぶまれから中絶することがあるらしいね

真面目な人ほど「努力は報われる。成果が出ないのは努力が足りないからだ。」にとらわれてしまって、それをこじらせると「私よりも努力していないはずにやつが報われるのはおかしい」という呪いが生まれるのではないかと思う。

不妊治療をする人のステレオタイプ勝手に予想すると、それなりの学歴があり、それなりの職歴もあるようなある種の成功者で、努力が実ってきたタイプのように思う。それ故に、努力が実らないという人生であまり経験したことの無い現象に戸惑い、こじらせてしまうこともままあるのではないかと思った。

たぶん、努力が実ってきたのは男女雇用機会均等法(とその改正)によって、女性の登用を積極的に行っていこうという時代下駄があったからというところもあるんだろうな。50代-60代が成功したのと同じように。

http://anond.hatelabo.jp/20160427195509

だいたい50代〜60代の人っていうのは時代が良くて好景気で、バブル前夜→バブルキター!みたいなのと、

若くて脂が乗ってバリバリ働けた時期がまるかぶりしてるんですよ。

2016-12-27

日本人男性ゲスデフォルト

また芸能人ゲス不倫がどうとか話題になってるけど、もう皆気づいてるよね?

日本人男性子供を授かっても「金食い虫が増えるなあ」くらいの感想で喜びなんて一切ないし、

自分の出したもののせいで妊娠して悪阻に苦しむ妻を見ても「やれない女が家に居て邪魔だなあ」としか思わないんだよ。

今後日本人男性結婚を考えている女性は、上記のような生き物だってゆう前提を忘れないでほしい。

少なくとも、「まともな人間父親」になることを期待しちゃいけない。

追記

おばさんは既婚の選択子梨です。若い女性性交渉することしか考えられない男性には理解できないかもしれませんが、

女性は異性に相手にされたいとはそんなに思っていないので大丈夫です。

あと、万が一子供が欲しくなったら離婚します。男性子育てに関わってほしくないので。

2016-09-24

悪阻を見てるのが辛い

妻の悪阻が、割と重い。

悪阻が始まって1ヶ月と言う期間ですでに8kg痩せた。

所謂、重傷悪阻って言えるレベル

でも、悪阻って結局入院してもブドウ糖ビタミン剤レベルの点滴で

悪阻自体改善をする様な事ができない。

僕は自営業で自宅作業がメインなので、妻が妊娠してから基本的にずっと側で見ながら仕事をできている。

会社勤務の方に比べれば、妻にとっては側に居てくれる事自体ありがたい事だと言ってくれる。

側に居られても、できる事は、基本的に、背中さすってあげたり、食べたいと言った物を用意して上げるくらい。

(結局、ほとんど吐いてしまうんだけども)

痛みや苦しみは変わって上げられない。

僕の母は悪阻が一切無かった人だし、親戚も、そこまで重い悪阻になってないので

女性から意見でも何となく遠巻きな「大変だねー」っていう一般的一言を頂く事が多い。

逆にそれが辛い。

なぜ、ウチの妻だけが。なぜ、僕たちだけが

と、言いたくなる。

そして、周りの子持ちの男性達に聞いても意見は皆そろって、そのリアルを見た事が実際に無いんだろうなという話ばかり。

まるで誰にも理解されず、僕らだけこのリアルに直面し続けている。

もう、この辛さを止めて中絶してくれと、言いたくなるときがある。

嬉しいはずなのに。

こんな気持ちになった人は居ないのだろうか。

試行錯誤して、痩せないように食べられそうな食べ物を試作しては試してもらい、また吐かれ・・・

諦めない僕が人生で初めて心が折れそうになる日々だ。

2016-08-05

美味しんぼ悪阻は甘えみたいなのを見たが

私に関しては甘えと悪阻関係あると思った

悪阻に限らんけどスゲー体調悪いけど全く誰にも心配されず頑張るしかない時は体調の悪さを自覚できなかったりする感じでコマシな気がせんでもない

甘える相手がいないけど入院レベルや連日の38℃超えの高熱&水も飲めないみたいな人も知ってるから個人差でかいけど

2016-06-20

二人目の妊娠を喜べなかった

二人目は計画するでもなく、自然に任せていた。

1日、1日と生理が来ない日を重ねて気分は重くなっていった。

観念してついに検査薬で陽性が出た時、やっぱり喜べない自分に泣きたくなった。

自分には母性なんて備わっていなかった。

子どもが一歳を過ぎた今でも備わっているか疑問に思う。

契約社員ながらも色んな人と関わりあって、大した仕事ではないけれど頼りにしてもらって、

カツカツだけど自活して自由に過ごしていた独身時代のことがどうしても懐かしい。

それでも、母親業も馴染んできた。

三ヶ月頃までは愛猫の方が可愛いと思っていたけれど、今では我が子は愛らしいと思う。

子どもを持つ喜びも実感するようになった。

夫婦仲も良く、夫は育児に協力的で、理解もある。

良いお父さんをしてくれていると思う。

なのに、妊娠を、子どもを、どうしても枷と感じてしまう。

一歳を過ぎてやっと少し自由が得られるようになったのに。

また悪阻の辛い日々が来る。

悪阻を過ぎても、身体が重くなるにつれ、地味なしんどさが増していく。

出産の大変さは言うまでもなく。

睡眠不足の日々がやって来て、きっと産まれたばかりの赤ちゃんに、私は愛情を持てない。

新生児に外の刺激を与えたくないとの夫の希望で、外に出ることを許されず家の中だけで過ごす数ヶ月。

何もない。何も生産しない。何者とも関わらない。何もない。同じ毎日。同じことの繰り返し。

受け入れるしかないのに、自由にならない不満ばかりを思う自分が嫌。

2016-02-20

中絶手術を終えた



昨日の夜、中絶手術を受けた。

経済的幸せに育てるのが難しいこと、お互い同棲だけで結婚してないことから中絶を選択した。

手術の日までは悪阻もひどく、少し動いただけですぐ疲労してしまったり仕事もなかなかこなせなかった。

中絶という最低な選択を取ったけれど、手術日までの間だけでも名前を付けて可愛がろうとしていた。

エゴだけど。

当日、術前術後のベッドで彼に付き添ってもらえるかと思っていたが病院川に拒否され、彼には病院外で待って貰うことになった。

私は昔から相当なビビリで病院が苦手なので、かなり不安感があったが、子供も一緒だと思うと頑張るしかないという気持ちになった。

分娩台に乗せられ、右腕に注射をされた。

駐車をされている中、左隣でおばちゃんの婦長さんが「二度とこんなことやっちゃだめよ。」

と言っていた。

私は「もう一度妊娠することは可能ですか」と聞いた。

婦長さんは「出来るわよ。ちゃんといい人と巡り会って、恋愛をして結婚して、それから子供三人ぐらい産んでね。その時はうちの病院に来てね。」と言った。

そうこうしていると先生が来て、腕に麻酔注射をされた。

怖かったので彼の顔や、家族の顔を一人ずつ思い出していた。

貧血で倒れるときに似た感覚で、注射後すぐ手がしびれ、耳が遠くなり意識が無くなった。

その間は幸せ感覚だった。

真っ白な景色の中、親戚一同、死んだはずのおじいちゃんやおばあちゃんも勢揃いしていた。

私の名前を呼んでたくさんの愛情を貰い、すごくふわふわした気持ちになれた。

皆揃ってるから彼を紹介しなきゃ!行こう!と彼の手を引いたところで目が覚めた。

実家で寝ていたかと一瞬勘違いするぐらい幸せな目覚めだった。

意識は戻ったが体がまだ動かず、なんとかしてスマホを取り彼に連絡した。

から見返すと日本語がうてておらず、さらに途中で時間が飛んでいたので連絡中何度もまた寝ていたのだろう。

お腹の痛みはあまりなく、元々生理痛がひどい私にとってはどうってことない痛みだった。

中絶技術はすごいなと思った。

診察を受けるため着替え、歩いて診察室に向かおうとしたが、尋常じゃない吐き気と動かない体に驚いた。

看護師さんは「麻酔きいてなかったからいっぱい投与したからねぇ」と言っていた。

診察でお医者さんにふらふらしながら「すみませんありがとうございました。申し訳ないです。」と言ったが無視された。

人殺しをさせてしまったのだし当然だと思った。

その後は彼にタクシーを呼んでもらい、起きあがると気持ち悪かったのでアパートの三階まで恥ずかしながらお姫様だっこで持ち上げてもらい、全部の世話をして貰った。

麻酔吐き気は相当だった。

そして眠りに落ち、目が覚めて今に至る。

以前までは起きた瞬間悪阻が酷かったのだが、今は全くなく、お腹の痛みだけがある。

妊娠発覚から術前日までに三キロ増えていた体重が、さっきは二キロ落ちていた。

なかにあった感覚が無くなっていた。

言い方がおかしいかもしれないが軽い。

前まではからだが重かったのに今は全くそんなことがない。

自分でもよく分からない。

これで本当に子供が亡くなってしまうのか、あの幸せな夢を見ている間に私の子供は辛い思いをして死んでいったのかと思うと変な気分になる。

よくわからない。

書き殴りな文章になってしまったけど中絶後のこの気持ちを書いておきたかった。

2016-02-18

妊婦子持ち叩きを見ると

腹が出ているならともかく何で妊娠初期の普通と変わらん女がマタニティマークをつけるんだ

みたいな話を見ると、妊娠初期は流産やすいとか悪阻で苦しいと知らんのだろうなぁ

電車に乗るなと言うのを見ると会社は初期から休めないと知らんのだろうなぁ

タクシーに乗れと言うのを見るとタクシーの値段を知らんのだろうなぁ

ベビーカーを使わず抱けと言うのを見ると子供の重さを知らんのだろうなぁ

子持ちが百貨店に来るのは非常識と言うのを見ると百貨店子供超ウエルカム体制と知らんのだろうなぁ

ベビーカーエレベーターでたたむのがマナーと見ると一日何度も畳んだり赤子を起こす苦労やエレベーター車椅子ベビーカー優先と知らないのだろうなぁ

最近の赤子のおもちゃは原色で下品と言うのを見ると赤ちゃんぼんやりした色が解らないと知らないのだろうなぁ

まぁ産まないとわからないわなぁと思ったら、叩く人たちが一番怒り狂う単語がそれで、しかし産まないと解らないんだろうなぁとしか言いようがない事ばかり言ってるし何なんだろうなあの人たち。

2015-12-03

何で妊娠出産っていつまでたっても楽にならんの

妊娠中の悪阻治療できない。

悪阻入院する事もあるが出来るのは点滴での水分栄養補給くらいだ。

悪阻で吐き続けて生存困難となったら中絶をする事すらある。

入院した母や数ヶ月38℃以上の高熱で炭酸水しか飲めなかった姉に比べ、私は楽な方だったが毎日二日酔いのような最悪の体調に数ヶ月耐えた。

何でこの苦しみを楽にする方法が開発されないのか解らない。

出産にしてもそうだ、人間以外の動物はまっすぐな産道でスルッと出るように出来ている。

人間二足歩行のせいで産道はS字になりお尻や太股の筋肉や贅肉で産道は細くなっている、しか赤ちゃんの頭は大きい。

陣痛の長さも哺乳類最長、しか人類二足歩行を始めてどれだけ経ってると思ってるんだ。

そろそろお産が楽になるように進化をしてもいいはずだ。

ウサギみたいに餌を食べながらスルスル出ましたってなってもいいはずだ。

おかしいよ、なんで医学進歩人間進化妊娠出産を楽にしないんだ。

2015-07-14

婚外子 違憲ニュースを見て 落ち込んでしまいました。

女性も働いて自立していれば 夫が不倫しても離婚すればいい。

そう考える人が多いので言わせてください。

世の中には様々な理由主婦している→資産を夫名義にしている人

たくさんいると思います

子供に障害があり世話のため主婦しなければならない。

子供学童で居場所がなくて帰宅してくるから パート程度しかできない。

双方の親の介護 不登校 習い事の送迎 病気がち 産後うつ 強烈な悪阻

他にもさまざまな事情があるでしょう。

妻の相続分は守られているという人もいるけど、

妻は自分のために貯金してきたんじゃないですよ

自分の子供のために心身ともにボロボロになっても耐えてきたんです。

離婚したくても育児でそれどころではないとき

子供のためにひたすら耐えて育児してきたんです。

家庭を維持してきたんです。

将来子供迷惑かけないように財産を築いたのです。

その労働労災を金銭にかえて 夫に支払わせたら破産してしまうでしょう。

なんで努力して努力して積み上げた財産を他の家庭の子供に持っていかれなければならないのですか?

にの責任があるのですから摘出子の二分の一が妥当でしょう?

同額って計算おかしくないですか?

とりあえず夫と財産をわけて夫には私の遺産放棄してもらいます

夫は他に子供はいませんが 何がおこるかわかない世の中です。

必死自分の子供を守っていきます

2015-05-24

主観的辛いことランキング

鬱病を患っていたことがある。

不妊治療を受けたことがある。

流産したことがある。

抗がん剤治療を受けたことがある。

辛いこともあったし、良いこともたくさんあった。

幸いにも、今こうして、元気に生きている。

世界一大好きな夫と、世界一大切な息子に囲まれて、これ以上は何も望んでいない。

ただ、人よりちょっと、体調面で、運が悪いような気がする。

単純に身体が弱いだけではない気がする。

予防接種インフルエンザにかかってしまったことも、1度や2度ではない。

そんな私が、幸せな今のうちに、辛かったことを思い出してランク付けしてみました。

主観なので、悪しからず。


1位 妊娠

悪阻がとにかくキツいし、感情コントロールがきかない。

さらに、どんなにきつくても薬が飲めない。

妊婦に優しくない社会だということも学んだ。

この辛さと天秤にかけると2人目を作ろうと思えない。ごめんね。


2位 流産

身体もだけど、一番はメンタルがやられた。

自分殺人犯のように思えた。

でも、周囲の人間に恵まれて皆が支えてくれたので乗り越えられた。


3位 抗がん剤治療

生きるために死にかけるような感覚

病院食もマズイし、なんで生きてるんだろうと疑問に思うこともあった。

しか吐き気とか諸々は悪阻の方が圧倒的に辛かったので3位。

子どもに励まされてなんとかなった。


4位 鬱病

薬の力は本当にすごい。


5位 出産

死ぬほど痛いけど、生まれた瞬間超幸せなので、4位と迷って5位。


6位 偏頭痛

超痛い。


7位 不妊治療

私はあまり羞恥心の無い方だけど、それでもかなり嫌だった。


8位 階段から落ちた

すごく大きなタンコブが出来た。


9位 骨折

痛い。


10盲腸

痛い。


まあ、こんなところかな。

みんなの辛かったことも聞かせて。

2014-09-04

無痛分娩に反対する男

無痛分娩ダメ?】出産で痛みを伴ってこそ子への愛情が湧く、と考える男性には肛門拡張&部分切開してみてほしい

http://togetter.com/li/715043

痛みや苦しみがあってこそ、本当の価値がある。

こういう考えをしてる男って結構多いイメージ

若いうちの苦労は買ってでもしろ、とかさ。

これだけ選択肢に溢れた時代にわざわざ茨の道を往くなんて効率悪いしただのマゾヒストでしょ。

そりゃあそうでもしないと辿り着けないような場所ならいいよ?

でもさ、楽な道と過酷な道どっちも選べるんなら、過酷な道を選ぶメリットがないじゃん。

それなのに訳の分からない精神論でさ。

てめえが経験するわけでもない激痛を、それも無意味な激痛を女に強いるって馬鹿でしょ。

お腹を痛めて産んだ方がより子供を愛せる?

じゃあお腹痛めるどころか悪阻すら経験してないてめえらは子供を愛せないんだね。

うちの母は、お産の時聞いてたより楽だったって言ってたよ。

それでも立派に愛情注いでくれたよ。

世間がお産は辛いお産は辛い言うから、それで出産に踏み出せない女性だってたくさんいるんだから

その辺を男性のみなさんはもっと考えて欲しいです。

2014-02-13

言いたいことを相手に上手く伝えられない

嫁は悪阻で一日に7回以上は吐いている。

おそらく吐きすぎで逆流性食道炎になっているが妊娠中なので薬を飲んで治療することができない。

安静にしていても寝起きや食後はつらそうで、トイレに行って吐いている。

今朝も辛そうにしていて「会社を休む」とベッドでは言っていたのだが、私のコーヒーを入れるために起きてきた。

会社を休むくらい辛いのなら家でも何もせずに休んでて欲しい。

思った通りそのまま言えばいいのに「しんどいんやろ?ええからとき

という言い方になってしまい、なかなかベッドに戻ってくれないことに苛立って

「それだけ動けるなら会社に行けよ」と言ってしまった。

別に無理をして会社に行って欲しいわけではないし、安静にしていて欲しいと真剣に思っているのに、

なぜそういった言い方になってしまったのか自分でも不本意であり、しばらく自己嫌悪で頭がいっぱいになった。

嫁はベッドに戻って泣いていたと思う。

その後支度をしてコーヒーを飲み、シンクに残っていた洗い物をする間に気持ちが落ち着いてきた。

家をでる前に「さっきはごめん。キツイ言い方をしてしまった」と詫びて、嫁も笑顔で応えてくれた。

ということが今朝あったのだが、

わりと顔色を伺って生きてきた身としては自分意見を言うことに慣れていないので、急な場面で

言いたいことを相手に上手く伝えられなくて自分のことをとても残念に思う。

人の親になろうとしている人間がこんなことではいけないと思ったので、これからは思ったことを

文にする練習をして少しでも上手く伝えられるようにしていこうと思う。

 
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