はてなキーワード: 利用者とは
ブコメやレスで元増田を擁護してる人達の多くが、派閥的な「敵/味方」の判定をして味方側だとみなしたからか、元増田が言ってることの過激さに気づいてないように見える。元増田の主張は、おそらくウマ娘ファンの多くの認識とも、同人活動・二次創作を擁護する人々の一般的見解とも違ってると思う。もう一度元のエントリをよく読んで、みなさん本当にこの増田の言い分に乗っていいのか、改めて考えてみたほうがいいんじゃないかしらん。
元増田の主張の核となるのは:
①ウマ娘公式は好感度と信頼度が高いから、オタクもふわっとした公式のお願いに従っている
②彼らは人気者ゆえに特権的な「お願い」権がある
③人気者ゆえ多少スジの通ってない横着なお願いも聞いてもらえる
という理屈。
その「お願い」を聞くかどうかはあくまでオタク側の裁量や判断だけど、〈ウマ娘公式は〉面白いし、評判を落とす事件もなくて好感度が高いから、公式の「多少スジの通ってない、聞かなくてもいいお願い」をオタクも聞いてやっているんだ、ということ。フェミや表現規制派の「お願い」は聞かないが、ウマ娘公式の「お願い」は聞いてやる。それは〈ウマ娘公式が〉ファンに好意を持たれているからにすぎない。もしその好意が失われれば、ファンがウマ娘公式の「お願い」に付き合う義理はない、ということ。
つまり元増田は「オタクがウマ娘公式のお願いなら聞ける」理由は、権利者と利用者の権利関係を考慮しているからではなくて、権利者と対等(または優越的)な立場にある二次利用者や鑑賞者側が、あくまで「権利者への好意」にもとづいて、本当はどれだけやっても構わないことをあえて手控えているかのように語ってるわけ。具体的には:
「お願いはお願いでしかない」
「この状況下、別にウマ娘を同人誌でエロく描こうがグロく描こうが殺そうが馬刺しにして食おうがなんでもありでしょ?」
とまで言ってる。勇ましい。でもこの主張って、ウマ娘やその他の同人コンテンツのファンにとって本当に味方といえるんすかねえ。だって公式が何かポカやってファンからの「好意」が失われたら、ファンのほうも公式の「お願い」なんか無視してあらゆる毀損表現を尽くしたっていいって言ってるんだよ。一次権利者にお願いされようが何されようが二次利用は原則的に「なんでもあり」で、いまウマ娘がそうなってないのは〈たまたま〉ウマ娘公式が面白くて人気があってファンに好感を持たれてるから、ファンに対して特権的な「お願い」権を持ってるんだ、人気あるゆえの特別扱いなんだ、と言っている。ヤベーじゃん。
一方で、ブコメへの追記反論の部分を見てみると、突然「土地を人に駐車場として貸す」「契約書」という例え話が出てきたりもする。つまり元増田も、心の中ではこれが権利者と利用者の関係、何かについて権利を持つ側と利用する側の関係であることは薄々理解してるんだけど、このエントリで「フェミや表現規制派は俺たちに好意的じゃないから、俺たちもお前らの『お願い』は聞いてやらん」というストーリーに沿って話を進めるために、その核心には徹底して触れないようにしてたということ。最後にポロリしちゃったけど。
でも、この「権利を持つ側と利用する側との力関係」こそが「オタクがウマ娘公式のお願いを聞ける理由」だってことは、多くのウマ娘擁護派にとっても自明の話でしょ?
たとえば id:aa_R_waiwai さんがブコメで張ったURL http://doujinsokuhou45.com/archives/8925157.html では、元増田のエントリに対して、擁護派の多くが
「二次創作の可否は著作権法上の問題だからウマ娘だからは関係ない」
と書いてるし、元増田へのブコメでも、増田を擁護する立場から(実は擁護になってないんだけど)、
「いうこと聞かないと飯の種が奪われるか奪われないかの違い」
「権利者からの要請なんだから従うか訴えられるリスクを背負うかの2択で普通は前者を選ぶってだけの話」
「そらそうやろその気になればコンテンツ自体取り下げれる立場なんやし…」
といった内容が多数ある。御説ごもっともで、自分もこのことが「お願いを聞く理由」の根本にあると思う。でも元増田は、ウマ娘コミュニティの公式への反応の根底にはこの著作者と利用者の権利関係があることを認識しつつ、あくまで「そうではないことにしたい」のね。著作物の二次利用という行為につきものの権利関係の力学をわかっていながら、あたかもそれが存在しないかように、純粋に公式とオタクの好意的な関係性にもとづいて、オタクの側が「お願い」を聞いてあげているかのように書いてる。これって、明らかに増田の自己欺瞞でしょ。
(または、もしかしてもしかすると、元増田は二次創作という営為に伴って同人界がず〜っと抱えてきた権利関係をめぐる緊張感や危機意識について全く理解せず、「表現の自由は全てに優越する」と考えてる、マジモンの「表現の自由戦士」だという可能性もあるけど、それはそれで皆さんお困りでしょう。)
もし元増田が「コンテンツの二次利用は権利者のお目こぼしのもとで成り立ってるグレーゾーンで、『お願い』を無視し続ければより厳しい使用規制が課せられたり、コンテンツ自体が供給されなくなっちゃう危険があるから、みんなそれを避けるために『お願い』を遵守してる。そうした権利関係のない第三者からああしろこうしろと『お願い』されるのとは状況が全く異なる。それを『態度が異なる』と笑うならどうぞご自由に」と(他の擁護派の方々と同じような)模範解答を言ってれば、多少の揶揄やあてこすりをされる余地はあっても、主張の筋道自体には文句のつけようがなかったと思う。でも実際は、元増田は「二次利用はなんでもありだが、ウマ娘公式はオタクに好意を持たれているから、オタクのほうも彼らの『お願い』を聞いてやってる。でもフェミニストや表現規制派はオタクに好意を持っていないし持たれてもいないから、オタクにも彼らの『お願い』を聞く義理はない」という、何重にも地雷を孕んだ主張をゴリ押ししている。これにウマ娘ファンのみなさんは「そうだそうだ」と乗っちゃっていいのか?という話。
自分は、著作物に対する著作者の諸権利には二次利用者の表現の自由に優越する要素が確実にあると思う。だから、著作権を持つコンテンツホルダーに対して二次利用者が配慮を示すこと自体は、何らおかしなことじゃない。「コンテンツに対する権利を持ってる人達がガチで怒ったらどうなるかわからないから、謙抑的にやりましょう」というのは二次利用者としてごく常識的な判断だし、自分だって似た状況が発生したらフツーに相手の「お願い」に従うし、何ならゴロニャンする。日頃「表現の自由」について何か勇ましい物言いをしてたとして、その忖度や阿りとのギャップを誰かに笑われても構わない。「それとこれとは別です」でおしまい。
それはコンテンツホルダーの権利との関係でそうするのが当然だと思うからで、間違っても「あいつらのお願いに従うかどうかはこちらの腹ひとつだが(何だったらエロく描いたりグロく描いたり○したり馬刺しにして食うこともできるんだが)、あいつらには好感を持っているし、我々の評価を落とすような事件も起こしてないから、今はその〈お願い〉を聞いてやってるんだ。テメーらはそうじゃないだろ!」なんてことを第三者に向かって言わない。
「電車でいつも降りる人の顔を覚えて確実に座る」という考えの人、結構いるだろう。
私は今の会社に入って約6年間、ずっとこれを「される側」の毎日を送っている者だ。
些細な事だし気にしないようにしていたけど、6年も蓄積すると少ししんどくなってきた。
私は急行停車駅に住んでいるが、職場の最寄駅は利用者が少なすぎて急行が止まらない。
座りたいのもあって、乗り換えはせず少し早起きして普通電車に10駅分乗っている。
私の乗る電車は大都市とは違って激混みというほどではなく、ラッシュタイムも7〜8分間隔で運行している。ただ、終点に近くなると流石に立ってる人で混んでくる。
降りる時には既にかなり混んでる電車内、ほぼ人が降りない駅なのでドア前の人が全然避けてくれない。
毎朝毎朝「降りまーす」とか言いながら人をかき分けて降りてるので周りからすごく目立ってしまう。
3日ぐらいで1人2人が「あ、こいつ○○駅で降りる奴だな」とでも言いたそうな顔をしている。
5日ぐらい経つと、まだ比較的空いてる車内でも
私の目の前だけ2〜3人がお互い牽制しながらスタンバイしてるとかがザラにある。
だんだんそんな毎日に嫌気がさしてきてちょっと乗る扉や車両を変えてみるが、
そこでしばらくするとやっぱりまた別の人が覚えて、何日も同じ人達が目の前に立ってきたりしている。
別の車両では高校生が私を探しては横に座り、そのあとの駅で乗ってきた友達が私の空いた席に座る気満々だったり。
自意識過剰と言われるかもしれないが
・どこの席に座ってても探してまで目の前まで割り込んできてキープしたがる人多数
・私の降りる駅が近付くと体を斜めにして立ち上がるのを待つおじさんおばさん
・私と隣の人の僅かな隙間に弁当袋(?)や手持ちカバンを差し込んで必死な女
・同じく隙間に傘を差し込んで待つ男
でも、みんな確実に座る席を押さえたいだけで、悪意がないのは分かっている。
「別にみんなお前に興味ねーよ勘違いすんなwww」←そりゃそうだ。これはその手の話ではないのだ。
っていうかこれ、同性だろうと異性だろうと、老いも若きも関係なく気持ち悪くて困る。
これは自己分析だが、たぶん毎日毎日探されて狙われてる側としては「他人に利用されてる感じ」が気分悪いのか?と思っている。
職場で電車通勤は他に2人いるが、1人はそもそも乗車時間が短いし
もう1人は筋トレ兼ねて立っていたいそうで全然ピンと来ないらしい…。
ちなみにジグザグにいろんな扉に乗るのは今やってる。
でももう割とどこ乗っても覚えられてんのよな〜。
なんだか「そんな最寄駅の会社を選んだお前が悪い」と言われてしまいそうだが
まあそりゃ私が悪いだろうな。
でも幸い、仕事内容も職場環境も人間関係もいいし、自宅は自宅で気に入っている。
この程度の事で自宅を引っ越したり、会社を辞めたり、電車の時間を変えるのはあまり現実的ではない。なおペーパーなので車通勤はできないw
あくまで「降りる瞬間を狙われてる人間の中にはこんな風に思ってる人もいますよ…」ぐらいに思ってもらえればそれで構わない。
読んでくれた人ありがとう。
バカみたいな話だが、特にゴキに関してCM等で怖がり不快に思うよう洗脳されている気がしてどうしても恐怖を克服したいと思い学生時代駆除業者でアルバイトをしたことがある。
一般家庭ではなく外食や商業施設テナントの害虫調査と駆除、主にネズミとゴキがターゲットだ。
最初はトリモチについた数多のネズミが身体は千切れボロボロになっても必死に生きようとする無残な姿とそれを躊躇なくふたつに畳んでブスブス足で潰しながら歩いていく先輩の姿に何度も目を背けたくなった。
私達が担当するような商業テナントのゴキは小型のチャバネが多く一般家庭で見られる大型のクロゴキは屋内で大繁殖していることはほとんどない。
それでもとあるスポーツクラブの屋外練習場でクロゴキが大量繁殖しナイター営業している時に床を縦横無尽にクロゴキが行き交う様は凄まじかったし、見えているのか見えていないのか無造作に練習道具やタオルの入ったバッグを置いてナイターのスポーツに汗を流す利用者の姿は不思議だった。
(この時は従来の毒エサに加え、大元になっていた屋外の空調室外機器類への徹底的な殺虫が行われた)
基本的には小さなゴキホイホイみたいな調査キットで生息地を絞り込み毒エサで駆除をする。
ゴキというのは本当に頭が良くて、同じところで仲間が駆除されたら基本的にはもうそこには近づかないし住処を変える。
同じ毒エサも何度も繰り返し使用し続けると目に見えて効果が下がる。
このいたちごっこのサイクルを緩やかに間延びさせ生息数をできるだけ少数で抑え続けるのがプロの業者の真髄である。
最初は恐怖を克服するつもりではじめたアルバイトだったが、何度もネズミやゴキを駆除しているうちに芽生えたのは彼らへのある種の畏敬の念だった。
ネズミもゴキも今この瞬間を生きるために本当に一生懸命考え抜いて生きている。
例えば彼らがひと刺しで人を死に至らしめる毒針や毒牙を持っていたら現代文明の中で生きながらえただろうか。
彼らはヒトが作り上げた文明の中でそのおこぼれをもらうことに適応する形に進化した。
動物園の動物にヒトの残飯をあげたら腹を壊すが、小型化し群衆を形成し悪食で生き延びる事ができる野生の強さはまさに生きることそのものである。
私はあの数年間のアルバイトで一般人の何千倍、もしかしたらそれ以上ネズミとゴキを殺した。
父や祖母祖父のお墓参りに行く時など、ふと「私はきっと天国には行けないだろうな」と思ったりもする。
子供達もいっちょ前にゴキを怖がるのだが、スパーンと新聞で引っ叩き(出来るだけ潰れないように加減する)そのまま触覚を掴んでポイと窓の外に放り投げる私。
という息子の声を聞くと、こういう事で母の威厳を保つのはちょっと想定外だったんだけどなぁと苦笑いしてしまう。
ちなみにゴキと対峙した時に一番大切な心構えはむやみに恐れないことだ。
恐怖が伝わった時、ゴキは決死の覚悟であなたに向かったり、飛んで逃げようとする。
「殺る時はできるだけ素早く静かにな」
バイト帰りに洗面所で髪を解くとパラパラと死んだチャバネが落ちてきて血の気が引いた事は忘れられないが、ゴキとネズミのおかげで少しだけ強くなった母ちゃんがここにいる。
正直なところ自分は“どうでもいい”と思ってる。
『パンティー派だけどパンティーが好きになりたいならどうぞお好きに。
ブリーフ派でブリーフにアプローチかけるんなら勝手にしといて。
これじゃダメなの?
ハッキリ言って必要なのは『配慮』じゃなくて『干渉しないこと』なんじゃないかな。どうでもいいよ好きにすれば?ルールは守ってね。これで終わり。ぶっちゃけノーパン派の人で、公衆が定める下着区分に自己申告の下着で適用されようと思ってる人、バカにしか見えないよ。
いくら心がブリーフでもパンティー履いたままで立ち小便器は使いにくいし、心がパンティーでもブリーフ履いたままでビデ使っても無意味なのと同じ。
下着の区別とか誰も興味ないし、どう着飾ろうがどう喋ろうが下着は変わらないんだから黙って下着に従った区分を受け入れなよ。『心は大人なのに!』とか言ってる身長100センチに満たない子供がオート開閉付きのトルネード水流付きウォシュレット乗ろうとしてダダこねてるようなモノだよ。利用者にも、そのトイレの設計者にも迷惑。ちょっと身勝手過ぎない?
85 :番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です:2014/06/03(火) 21:12:06.68 ID:U8PbAIkh0
近所の特殊支援学校に行ったときにすごいこと聞いちゃったんだが。
池沼って、趣味を聞くとアニメ鑑賞ってのがダントツで多いらしいぞ。
とくに男の池沼は、可愛い女の子が出てくるアニメを見せておけば、食い入る様に見つめて
すごく管理が楽になるそうだ。
ってことはだ
私たちは、過去障害福祉サービス事業を運営した経験から特に発達及び知的、
重心障害者の利用者様はアニメやキャラクター、アイドル等が大好きな方が
とても多いことに気付かされました。
ただし上記はQOLを上げるために当事者へ寄り添った素敵な取り組み
抱えている困難に関わらず誰もが好きを楽しめる社会であるべきだね
ぶっちゃけトランスセクシャルの人で、公衆が定める性区分に自己申告の性別で適用されようと思ってる人、バカにしか見えないよ。
マジョリティが自分たちのために定めたルールと価値観に従わせようとする。
大きい国と小さい国に分けて「干渉しないからこちらに従え」では、小さい国はずっと肩身が狭いままだ。
全員が同じ国の住人だ、と捉え直すべきだ。
ずっと昔に据えられた前提、「体を男女で分ける、そうすればみんなが生きやすい」
そんな考えを基にした区分だ。そのみんな、には彼らは含まれていない。
ダダこねてるのも身勝手なのも私たちだ。数の暴力でやり方を、まるで再考の余地のない自明なことのように言われて押し付けられて、迷惑しているのは彼らの方だ。
マジョリティが当然の如く享受できる権利を、最初に振ったサイコロの目だけをみて、放棄させられる。ワガママなどとみなされる。
利益を当然享受する人々と、当然飢える人々。差は生まれで決まる。理不尽以外の何ものでもない。
体が女なら女子に男子校の入学はあきらめて、体が男なら他の男たちに混じってスポーツやればいい。なんでこれが出来ないのかな。
女性は女性であるってだけで仕事を、キャリアを、夢を、諦めさせられてきた。
なんでこれが出来ないのかな、だって?
答え ——理由が何もないから。みずから膝を折って瞳を濁らすのが自分を大切にする道だと思えるクソみたいな理由が何もないから。
でも通常でないことは心得ろ。
レズもゲイも異性を受け入れられんのならノーマルに拒絶されても凹むな。ヘテロのことノーマルって呼ぶなとかそういうのはいらんぞ。
そもそも人体は異性間の性交を前提に作られとるんや。異性愛者がノーマルなのは仕方ない。そこはわきまえろ。ケツは座薬以外のモノ入れる場所じゃない。当然や。
通常・ノーマル・当然…
例えば、子ども産まないのは普通でないとか、少女漫画を男性が読むのはおかしいとか。
集団の構成員が同質になろうとする傾向が、同調圧力として機能して、迫害を生む。
弱いものを殴ったこぶしに残った感触は、いつか自分が殴られる方になるかもしれない、って恐怖を生む。
みんなが、真実の意味でのみんなが悪夢で震えないためには、理不尽を止める必要がある。
口を閉ざしてみんなに合わせてるだけでは別の種類の同調圧力の発生を止められない。
時間をかけて人間が変わっていくこのプロセスは、“反省” と呼ばれる。
正直なところ自分は“どうでもいい”と思ってる。
『女だけど女が好きになりたいならどうぞお好きに。
男も女も好きなんだ。そりゃお得だね。
体と心の性別が違うんだ。好きなカッコしなよ。』
これじゃダメなの?
ハッキリ言って必要なのは『配慮』じゃなくて『干渉しないこと』なんじゃないかな。どうでもいいよ好きにすれば?ルールは守ってね。これで終わり。ぶっちゃけトランスセクシャルの人で、公衆が定める性区分に自己申告の性別で適用されようと思ってる人、バカにしか見えないよ。
いくら心が男でも女の体で立ち小便器は使いにくいし、心が女でも男の体でビデ使っても無意味なのと同じ。
心の性別とか誰も興味ないし、どう着飾ろうがどう喋ろうが性別は変わらないんだから黙って体の性別に従った区分を受け入れなよ。『心は大人なのに!』とか言ってる身長100センチに満たない子供が身長制限付きのジェットコースター乗ろうとしてダダこねてるようなモノだよ。利用者にも、その施設の運営者にも迷惑。ちょっと身勝手過ぎない?
トランスジェンダーだから苦しんでるんじゃなくて、叶わないワガママ言ってるから苦しいだけだよ。体が女なら女子に男子校の入学はあきらめて、体が男なら他の男たちに混じってスポーツやればいい。なんでこれが出来ないのかな。『体は男だけど心は女。せめて女子トイレに入ったり女風呂に入ったりして社会的には女性という承認を受けたい!』とか、そう思ってるならその時点で心身ともに女性ではないよ。女性に限らず、『こう振る舞うことで社会的にはその性別として認められたい!』なんてその性別の人は思わないもの。
どうでもええねん。心の性別とかどうでもええねん。変なもん持ち出すな。好きなカッコしろ。好きな性別の相手を愛せ。それを馬鹿にするやつは悪い。そいつは道徳的に間違ってる。さらし者にしたれ。でも通常でないことは心得ろ。
レズもゲイも異性を受け入れられんのならノーマルに拒絶されても凹むな。ヘテロのことノーマルって呼ぶなとかそういうのはいらんぞ。
そもそも人体は異性間の性交を前提に作られとるんや。異性愛者がノーマルなのは仕方ない。そこはわきまえろ。ケツは座薬以外のモノ入れる場所じゃない。当然や。
Qとかいう自分の性別を疑問視してるやつも好きにしろ。迷ったら股間見ろ。それが答えじゃ。
好きな色のランドセル背負えばいいし好きな服着たらいい。
ただ体の性別だけは絶対だからそこだけしっかり参照しろ。ガチ両性具有でバイの人はもうあれ。ボーナス。なんでも好きにしたらいい。そこはしゃあない。男子風呂入っても女子風呂入っても嬉しいならもう最強。こいつには誰も勝てない。ふたなりはマジで強い。メスショタと女装子と男の娘はただのホモ。以上をもって閉廷じゃ。
※追記
性自認なんて黙って自分の股間見て決めとけやって話なんだけどね
心の性別()と食い違うからなんやねん。心でちんこは生えてこねえんだよ
他の利用者が不安に思うから体が男なら黙って男風呂入っとけや。何考えとんねん。それさえ嫌なら公衆浴場使うなや。家に風呂ないなら引っ越してくれ
レズもゲイも普通に自然界にはいるよ。同性愛に向かう動物もいるよ。
そういう意味では生き物として絶対にあり得ないことではないよ。
でもそれは自然界のそいつらも異常ってだけだよ。事実として普通ではないじゃん。なんでそこで「我々は少数派なだけで普通だ!」って意地張るの?
・「携帯メールが使えないとわかり諦めた」という人がどれだけ居そうなのか
・総務省の調査では○割の人が携帯メールを理由に他社へ移行できないと考えていた
・総務省、ドコモ関係者のやりとりを勘案すると、将来ahamoでも携帯メールが利用できる可能性がある
という記事なんだよね。
「キャリアメールからの切り替えが自力でできない人」「努力しない人」「サポートが欲しい人」「老害層」の話として書かれているわけではないんだよね。「携帯メールサービスを"無料"で提供しろ」「窓口対応もしろ」という主張が書かれてるわけでもない。
それなのに「"そういう層"が文句言ってる!」「頭悪い不平不満」「文句だけは一人前のクソ客層」と勝手に頭でストーリーを作って叩いている人がいるのはなぜだろうか。
「ろくに記事を読んでない」
「誰かが叩いてるから乗っかる」
というところなんだろうか。
元ブログ→https://otoko-shine.hatenablog.com/entry/otaku-otoko-is-stupid
私(女)が知る限り、はてな匿名ダイアリーにいるネット民(男)は一等キモいです。
ネットに巣食う気色悪いオタクたちは、定期的にチー牛やらこどおじやら、お互いを貶すための蔑称を作って同種同士で攻撃し合っています。
もしくは、直接そういった言葉を使わずとも、はてな匿名ダイアリーでは謎の上から目線でそういった非モテや社会的弱者を罵倒して優越感に浸っている利用者が見られます。
いやいや、女性から見ればそんな場末の匿名掲示板に居着いてる時点で、お前も"チー牛 or 低収入の平均未満の顔面したキモ男"ですからw
どうして自分は違うと思っているのでしょうか?
ほら、今もそのパッとしない一重まぶたの目でディスプレイ眺めちゃってるんですよね?(ついでに鼻も低そう)
女だったら出産の方面に価値があり、なかんずく今の私のように「若さ」という特権があれば、ほぼ誰でもパートナーが作れる。
一方、男でも君たちのような、匿名掲示板に齧り付くしか能の無い陰キャでさえなければ5人に4人は恋愛して結婚できる。
どちらからもあぶれた 君たち"こどおじ"
「子供部屋おじさん」ならぬ「孤独なおじさん」とその一歩手前の予備軍たち。
来週も来月も来年も変わらず、徐々に白髪と小ジワを増やし続けるだけの人生を送るんでしょう、つくづく不憫ですね・・・
anond:20210303120555 の増田について。
anond:20210303200953 にも書いたけど、採用した二人の社員はどちらも体調不良で妊娠発覚という経緯を辿っている。妊娠による体調不良、つまりつわりが始まるのは大体妊娠4〜6周の間のこと。対して、産休(産前休暇)がとれるのは、出産予定日の6週間前から。これは、大体妊娠35週め。だから、元増田の会社で休職した二人の社員が取ったのは、産休ではなく、傷病休暇。それも、妊娠などの、会社の都合によらない体調不良は、私傷病休暇と呼ばれ、法令には定められてない。
だから普通は、入社後すぐに私傷病休暇をとられるのを防ぐために、「勤続年数〜年以上のみ」と条件をつけてこの制度を作る。
が、元増田の会社はこれを怠った。元増田の会社は、入社後1ヶ月でも私傷病休暇が取れるザル制度だったわけ。たった1ヶ月ってことは、きっと勤続期間の条件自体が存在しないんだろう。
元増田の会社が悪い。そういう条件で契約を結んだのだから、二人の社員が1日目で休もうが2日目で休もうが正当な権利の行使。
個人的な信条として、制度は悪用されることを想定して作り、その上で運用者は利用者の善性を信じるべきだと思っている。
制度に基づいた権利の行使は、悪じゃない。悪であってはならない。そのために、きちんとした制度・システムを作るべきだ。
権利の行使が悪になるような、社会システムでは、権利を行使することに圧力がかかり、個人の権利、ひいては個人自体まで蔑ろにされるようになってしまう。
日本の有給取得率の低さがいい例だ。有給という正当な権利の行使が、「誰かが抜けると周囲の社員に迷惑がかかる仕組み」によって悪い事とされ、権利が形骸化してしまった。有給の取得に罪悪感を感じる人の割合は6割もいるという報告もある。これは裏を返せば、他者が有給を取得することを「罪悪」と感じていることになる。権利が権利として理解されていないのだ。制度のせいで、自分の権利も人の権利も蔑ろにしてしまうようになるのは、制度の犠牲者と言っていいだろう。
元増田も、二人の社員も言ってしまえば被害者だと思うよ。元増田も女性であり、それ以前に人間だ。急な体調不良、妊娠、親の介護など家庭の事情……etcで、休業する可能性はある。休業は、元増田の会社の就業規則の定める正当な権利だ。そういう契約で元増田は働いてきた筈だ。でも、休業すると周りの人に迷惑をかけてしまう。きっと元増田は罪悪感を感じるだろう。迷惑をかけることを自分の責任だと思ってしまうだろう。
妊娠した二人の社員も、正当な権利を行使したに過ぎないのに、その負担が元増田に集中してしまった。悪いことはしていないのに、加害者になってしまった。しかし元増田に迷惑をかけないようにすることは、妊娠出産する自由を諦めたり体調不良の中ギリギリまで働いたりの自己犠牲することを指していた。会社の規則や日本の雇用の形態、そういった社会システムによって元増田を犠牲にするか、自分を犠牲にするかの2択を強いられたんだよ。
どちらを選んだかは関係ない。元増田も二人の社員も相手を犠牲にするか自分を犠牲にするか、被害者か加害者どちらかにならざるを得なかった。被害者になるのも加害者なるのも不幸なことだ。それは全て制度やシステムのせいであって誰のせいでもない。罪を憎んで人を憎まず。罪を犯させたのは他でもない就業規則だ。そう思うことで、自分の権利も妊婦2人の権利も大切にしていきませんか?と投げかけたい。会社も国も人間じゃない。ただの仕組みだ。人を憎むよりよっぽどいい。
しかし、いち労働者側としては、勤続年数に関わらず休暇を与える元増田の会社は、労働者の権利を大切にする素晴らしい会社だと称賛したい、とも思う。
元増田の会社のような、労働者の権利を大切にする会社が損をする仕組みでは、会社もまた『自分(会社の利益)を犠牲にするか、社員を犠牲にするか』という2択を強いられてしまう。資本主義社会では、利益を犠牲にする会社は淘汰されてしまうだろう。これは、労働者たる国民の不幸だ。
私たちは私たちの権利を大切にすべきだし、そのために制度のあり方、社会のあり方について考え続けなくてはならないと思う。新しい命の誕生と、社会に進出し、また出産も出来る女性社員の自由を素直に祝えれば幸せではないか。
そして、負担が集中する元増田のような犠牲者が出ないように、どうすれば社会をより良く出来るか考え続けていきたいものだ。
制度が悪い、人は悪くない。
ここ数年の銭湯ブームからサウナブームの流れでお気に入りの銭湯が混雑してて悲しい・・・。
頻繁ではないけどもう十数年も銭湯に通ってたんだけど、ここ数年のブームで「ついに見つかっちゃったか」という感じ。
まあつぶれてく銭湯も多い中で銀行から億単位の借り入れして改装するような銭湯まで現れたのは利用者としては嬉しいんだけどもね。
理由をまとめると
といったところ。
自動車は基本的に所有も運転も割に合わないのが現実としてある。
自動車の運転なんていう割に合わないリスクを背負わずとも快適に暮らせる地域もたくさんある。
そこで暮らせばいいだけなんですよね。
自動車というのはつくづく
だと感じる次第。
いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。
大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトとサークル活動であっという間に過ぎていった。
記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶の水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。
こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業に入社できた。この業界では一流とされている。
会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。
私自身を殺したい。
子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメやドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。
大学3回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学のレベルの低さを。
志望していた企業は説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。
うすうす分かっていた。
学際サークルに所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。
どうして私はあの時、浪人を選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。
あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。
もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学に合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。
朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去の自分に鞭を打つ。
こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。
もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。
つまらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……
エピソードをひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェントの見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。
その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。
課題というのは、転職希望者リスト(履歴書+職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである。
「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」
先輩が椅子に腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。
お昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。
勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。
「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人も留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。
私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強を半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。
でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生と麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。
部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。
彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。
「こいつの見てみ」
こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。
「お前も」
先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。
……整然としていた。業界、職種、特技、資格、学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。
「参りました!」
芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。
「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」
そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。
「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」
声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。
「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」
彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。
「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」
ほら、やっぱり。
もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。
先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。
先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。
先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。
彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。
行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手と食事はできない。
彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分の意思を実行する力に欠けている。
甘えたい私に負けて、自分で自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。
これからも自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。
私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。
転職できる可能性順だ。社内にある過去の転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランク、ほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。
クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。
なのでこの場合、優先順位は、①学歴、②社会人経験(特に新卒で入った会社)、③希望する業界・職種・企業名になる。
①学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。
②も大事だ。どんなレベルの会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測しやすいこともある。
③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。
詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。
結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。
その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。
今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。
『嘘』を吐かれたからだ。
講義とか、就職関係の行事などで、大学の先生や事務職員から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。
とある文学部の先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験に合格して法務省に採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学を卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業に必要な単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。
とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事に内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売の仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学の学園祭ではパヒュームのダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。
私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校の先生だった。
見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部の先生方から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元の教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。
相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学の先生が、どうしてはるか年下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議な光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。
すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。
大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格がおかしい人が多かった。
①常識のない人
健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会の部活が支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険極まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人の利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかにも危険な行為をしていた。
②精神的に幼い人
講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人のレベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。
私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋を強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルームで危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子のそばで震えていた。
すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情を説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。
大学を卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織に所属したことはなかった。
大学だけでなく、中学・高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。
数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検本試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。
高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。
このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。
学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。
私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流であると認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。
飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ちに抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。
嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分で自分を許せない気持ちになる。
どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?
何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。
シロクマ先生ほか、有名なブロガーの記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは、自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我が生まれる。
私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。
今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。
満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代の努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去の自分を許せないんだと思う。
最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。
だったら、この、昔の自分が許せない気持ちに感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。
ここまで聞いてくれた人、ありがとう。
涙が止まらないんだ。
昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。
「諦めないでくれてありがとう」って。
aupayの「使えるお店」に載っていた居酒屋に入り、aupayの利用ができるか聞いたところ断られてしまった。
店主によれば
「au payの営業の人に勧められて加盟した。実際システムとしては使える状態だ。しかし他の決済用バーコード(paypay等)もあると業務が煩雑になるため、うちではpaypayだけを使い他はお断りしている。営業の人は、とりあえず加盟だけしておいて実際には使わなくてもいいと言っていた気がする」
とのこと。念のため飲食サービスを受ける前に聞いたので穏便に済んだが、飲み食いしたあとに発覚したらどうするつもりだったのだろうか?
aupay利用者向け窓口(https://wallet.auone.jp/contents/pc/support/index.html 0120-977-964)に問い合わせたところ、早急に加盟店向け窓口に取り次いでおくとのこと。
こういうのは早急に放置されるので、加盟店窓口に直接問い合わせてみた。いわく「加盟店から、アプリへの表示取りやめを依頼されるまでは何もしない。加盟店への指導なども行わない。」
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aupayが使えるという条件で店に入ったのだから、客は現金で支払う責任はないのでは?
現状を整理する。
院進学時に大きく分野を変えて今の研究室に進学し、3年目の終わり。
博士課程後期にも差し掛かると、研究計画から論文化まで全て自分でできるものとして放任の指導がなされる。
自分の勉強不足および実力不足で修士から今に至るまで殆ど業績はない。
半ば信じられないだろうが、D1の現在で業績は国内の学会での発表1件のみ。
それも、去年学会が中止になったので要旨を出しただけの幻の発表だ。
学会発表の要旨に研究が間に合ったためしがなく、期限を過ぎてから指導教員に発表しないとだめだよと指導される。
そんなことわかっているが、正しい研究の進め方が会得できていないので、結局翌年も同じことの繰り返しになってしまう。
修士の頃から院生なのだから自分で研究できるよねと言われ続け、研究の正しい進め方などがよく理解できていないまま現在に至る。
院生なのだから当然放任指導で、研究の進め方を乞うても一からできるようになることが醍醐味だと諭されて結局何も得られていない。
指導教員に手取り足取り指導されても学位取得後どうするのだという話になるので、厳しいがこれは合理的だ。
発達障害で時間の管理が苦手で、絶望的にスケジュール調整ができない。
準備に2週間かかる実験で、結果が出るまでに少なくとも1か月はかかるので、1回の失敗が重くもう6回失敗した。
半年もデータが出ない時点で危惧して指導教員に相談したが、実りのある議論はできなかった。
何か足がかりになるデータがあるわけでもなく、このままだと3年で出られるどころか、5年かかっても出られるとは思い難い。
片親で経済状況が悪く、3年で出られないと博士後期課程を継続することは困難。
親は大丈夫というが、利子すら返せない借金がもう400万円にも膨れ上がっているのに全くもって大丈夫ではない。
最近、学振に出すためだけに業績を積もうとして指導教員と揉めた。
20万円もらえる治験に参加し、文字通り売血してまで治験協力費からゲノム解読の費用を捻出し、研究発表しようとしたからだ。
指導教員の意見としては、業績が少なすぎて通るわけないし、君は学振に出すために研究をしているわけではないということだ。
それはわかるが、昨年同じような状況でDC2の申請を蹴ったら蹴ったで指導教員に遠回しに嫌味を言われた。
飛び級して同期になった元後輩がDC2に受かったこともあり、事あるごとに嫌味を言われる現状出さないという選択肢はないのだ。
話し合いの末、指導教員の方針にそぐわない形で研究がしたいなら指導教員を変えろと言われてしまった。
同時に、学振に通らなかったら大学院を辞めるつもりでいるんだろうなとも脅された。
結局、指導教員の考えているストーリーや指導方針に忖度して研究を進める宣言をするに至った。
事実上の隷属だが、指導教員が忖度を強要したしたわけではないことは留意。
指導教員には入学時から現在に至るまでかなりお世話になっている。
研究の話をしているときは殺したいが、人柄は好きなので不思議だ。
子供の頃から昆虫博士になりたいと夢見て、アカデミアの研究者になることを志して現在に至るのだが、どうにも夢は叶いそうにない。
学部生時代から日本学生支援機構の奨学金を借り続け、博士後期課程の修了時点で1000万を超える借金の返済義務が発生する。
2年後に学位が取れなくて単位取得退学すると、29歳修士卒職歴なし借金1000万円おじさんになって人生が詰む。
学位がとれていても29歳Ph.D職歴なし借金1000万円おじさんになってしまうが、結婚しなければ細々と生きていけるだろう。
現状、どう考えても詰んでおり別の道を志して生きるべきだが、どうしても夢が捨てきれない。
アカデミアの研究者になるか自殺するか、極端な二択に追い詰められている。
アカデミアの研究者にはもうなれそうにもないので、自殺一択なのだ。
中退してから自殺すると無職の自殺になってしまうので、学籍があるうちに自殺したい。
親にはもう学位がとれなかったら学生のうちに自殺するとは通告済みで、許さないとの回答を得ている。
しかし、私が死んだ方が親の負担は確実に減るし、私が自殺すれば日本学生支援機構の奨学金も死亡時の返済免除を受けられるのでいいことづくめだ。
私には二人の兄弟がおり、残機は2つ残っているのだから、私が死んだところで2人が子孫を残せば家計も絶えない。
長男の私が死ねば弟が全ての財産を引き継げるようになるのだから、私が死んだ方が世界がよく回るのではないかとすら思えてくる。
出来損ないが一人消えた方が家計も家督も、そして研究室も最適化されるのでないだろうか。
科学を志した以上、科学に貢献できないのなら自害すべきだと思う。
幸いにして、うちは自殺者が多い大学とのイメージ通り、広大なキャンパスと大自然を持ちどこでも首が吊れる。
図書館1階のX-1書庫は地上3メートルあたりに剝き出しの梁があり、ロープをかけやすい。
しかし、問題の本質は如何に片付けが不要な死に方で死に、蘇生が不可能になった時点で速やかに発見されるかだ。
現在ではエレベーターの中で液体窒素の運搬容器をひっくり返し、酸欠空気を吸引することで自殺しようと考えている。
当研究棟のエレベーター内部には液体窒素の運搬容器と同乗する危険性を示す張り紙がある。
酸欠空気を吸えば一息で即死だと示してあり、エレベーターは昼夜を問わず利用者が多いので自殺後すぐに発見されるだろう。
死体を除去後十分に換気すればエレベーターの利用にも問題がない。
液体窒素の入手は大変容易だ。
当大学では責任者の捺印がされた専用の用紙が必要だが、研究室に捺印された用紙が大量にストックしてあって、いつでも汲みに行ける。
少しでも楽しいことがあると自殺への意思が揺らいでしまうのでできるだけ早く、また指導教員に嫌味を言われるとかで致命的な出来事が起きて欲しい。
嫌味を言われただけで死ぬなんて馬鹿げているが、あまりにも突発的に死ぬと他殺を疑われてしまう。
指導教員と揉めて、将来への不安感からかねてより病んでいた精神が崩壊し自殺に至ったというわかりやすいストーリーが重要だ。
直近ならばDC2の最後のチャンスでまた揉めて、結局申請できなくされるか、申請して落ちた後に嫌味を言われた時点で突発的に自殺できるといいな。
https://note.com/oredayo_ore/n/ne64be5c33038
上記noteがバズっているようですが、内容にほとんど納得できませんでした。
ただし私は法的観点にはまったくの素人なので実際には書いてあることが正しいのかもしれませんが、疑問点は多かったです。
確かにスマホを持っていないことについて疑惑は持たれるでしょうが、携帯キャリアはGPSレベルの位置情報は持っていないでしょう。
「こういったサービスもあります」としてソフトバンクの「紛失ケータイ捜索サービスとは」にリンクしていますが、リンク先を読むと
またnoteには「キャリアが具体的にどんなデータを保管しているかまではさすがにわからないです」と書かれていますが、そもそも利用者に告知せずGPSの位置情報を取得すること自体が重大なプライバシーの侵害です。
たとえば110や119の緊急通報時にはGPSの位置情報を取得されますが、そのことは公開されており、実際その状況になった場合は利用者のスマホに「位置情報が取得された」と通知が来るそうです。
「実はGPSの位置情報を常時取得していて警察に渡していました」という場合、会社が傾くくらいの大問題になると思います。
「時間にもよるものの飲み屋に行っていたのならその時点でアウトです。」とありますが、そんなわけないですよね。
重要なのはアルコールを摂取していたかどうかであって、飲み屋に行ったかどうかではないはずです。
酒を飲んだかどうかはどんな注文をしていたかを店員に聞くぐらいしかないと思いますが、当日ならともかく、何日も前に来た客の注文なんて覚えているものでしょうか。
さらにそもそも防犯カメラ映像を確認するのが大変な作業のはずで、足取りを追うためにどれだけの数の防犯カメラを確認しなければならないでしょうか。
ほとんどの防犯カメラは警察が管理しているわけでもなく、所有者に許可を得て映像をもらわなければならないはずです。
犯人が行った可能性のある全ての場所で防犯カメラを探し、許可を取ってようやく映像のチェックができるようになると思いますが、それらの映像を見るのにもまた膨大な時間がかかります。
犯人がまだ見つかっていないとか、間違いなく飲酒していたと思われる別な証拠でもあるならともかく、「飲酒したかどうか不明な自首してきた犯人」に対してそこまでやるんでしょうか。
「九条の間違いその3~あまりにもピュアで人を信用しすぎ~」について
これは確かにその通りで、録音とかされてたらオシマイでしょうね。
ただ、「過酷な取調べに耐えきれず虚偽自白をしてしまった冤罪事件は枚挙に暇がありません。」とありますが、そもそもこの事件は冤罪事件ではありません。
冤罪事件の被疑者は無罪であり、無罪であることを主張してもまったく受け入れられないことから絶望して虚偽自白をするのでしょう。
一方でこの事件の被疑者は実際犯人であり、罪を軽くするために証拠隠滅をし、弁護士からは余計なことを喋らないよう指示を受けています。
冤罪事件とはまったく立場が違い、「森田くんが取調べに耐えきれず、全てを白状してしまって」という状況がいったいどのような取調べなら発生しうるのか、見当がつきません。
(何か決定的な証拠でも見つかれば別ですが、その場合はもう冤罪事件の話なんかなんの関係も無くなってますよね)
たとえば「(証拠隠滅が発覚した場合)九条先生はそのまま逮捕・勾留されて職を失い」と書かれていて、確かにそれはそうだろうとは思うものも、「法的観点から考察」というタイトルから期待したのは「この行為は〇〇法の第○条に違反しており、このケースでは〇〇の刑罰を受けることになるだろう」という話でした。
しかしこのnoteには具体的な法律の話はほとんど出てきません。
「イソ弁ごときが依頼者をクズなどというのは決して許されません。」とか、一体なんの法律の話をしてるんだという感じです。
‣日本一長い駅名、9ヵ月で陥落 記念硬券も発売中止でも「誇らしい」
https://www.kyoto-np.co.jp/articles/-/516731
【要点】
‣昨年3月20日、嵐電を運行する京福電気鉄道(中京区)は【学校法人立命館(同)との連携協定の一環】で、立命館大衣笠キャンパス(北区)最寄り駅の「等持院」駅を改称した
→学校法人立命館と京福電気鉄道株式会社が連携・協力協定を締結
http://www.ritsumei.ac.jp/news/detail/?id=1697
3月13日(金)、学校法人立命館と京福電気鉄道株式会社(以下、京福電気鉄道)は、地域社会の発展および人材育成への貢献を目指し、連携・協力に関する協定を締結いたしました。
【本協定締結を機に】、京福電気鉄道は、3月20日(金)より嵐電北野線「等持院」を「等持院・立命館大学衣笠キャンパス前」に改称いたします
‣京福電鉄の担当者は【「駅名の長さは競うものではないので『残念』という意識はない」】
‣「再び追い抜こうとすることは考えておらず、地域の方にとって分かりやすい現在の駅名を続けたい」
‣富山地方鉄道(富山市)の路面電車の「富山トヨペット本社前(五福末広町)」停留場が、【ネーミングライツ(命名権)を所有する会社の合併に伴って改称】。新駅名は「トヨタモビリティ富山Gスクエア五福前(五福末広町)」となり、文字数は25、音読数も32に増えた。
‣【同鉄道は「変更は企業の合併によるもので、1位を狙ったわけではない。偶然です」】
→日本一長~い駅名返り咲き 富山市内電車停留所、京福電鉄の17字越え
【命名権を持つ自動車ディーラーの富山トヨペットが、合併でトヨタモビリティ富山となり、市内電車を運行する富山地方鉄道に変更を申し出た】
トヨタモビリティ富山の品川祐一郎社長は「【日本一は意識していなかったので驚いた。】長い名称で申し訳ないが、地域や利用者に親しんでもらいたい」
≪結論≫
noteの売上金の有効期限が180日になるようです。180日を超えると自動的にAmazonギフト券に交換されるらしい。
これまでのnoteの不誠実な対応(IPアドレス等個人情報漏洩(事故そのものよりもそれへの広報がムッとなった)や、cakesの各種炎上)があるし、データポータビリティへの意識の低さ、などの印象があり非常に心証が悪かったが、ユーザーの売上をできる限り消滅させないという姿勢は良しとするものの、もっと前段での問題があると思うので、うううーんという気持ちになっている。具体的には、noteの投げ銭(サポート機能)の扱いは資金決済法に関連した問題をはらんでいると思う。
正面切って「我社の投げ銭機能は合法です!」と言い張れる投げ銭機能はほぼない、という立場をとったとしても、noteの投げ銭機能は法的には黒なんじゃないかと思っている。この辺り結構ややこしいが、以下の3点がポイントになるだろうと思う。
まず現金化できることが問題のトリガーになる。これが例えばアマゾンギフト券交換だけなら問題ない。なぜなら為替取引ではなくなるので。上で触れた資金決済法に抵触しないのであれば問題は一切ないと言える。
コンテンツ販売収益をユーザーに還元するスキームは、収納代行と考えられる。noteはあくまでユーザー間の取引を安全に行うための場を提供するだけであり、資金の移動は「コンテンツの販売」という役務の提供に付随するものなので、このような収納代行スキームは昨今の流れからも問題のないものと考えられる(すでに一般的な取引と思われている収納代行(メルカリ等)も為替取引なのでは?という議論が行われるくらい慎重に進められているので、こういう大丈夫じゃないっすかね表現になる)。
有効期限を180日に設定したのも、収納代行スキームにおいては受け取った代金を必要以上に残しておいてはいけない(資金決済法の趣旨は利用者の保護である。収納代行では前払式支払証票などによる供託金による資産の保全義務がない。そのため、必要以上の期間支払金をプールしておくことが法の趣旨に反する)ということにようやく気がついた、ということだろうと思う(個人的には180日でも長すぎると思う、メルカリはこの問題で90日に変更した)。
しかし、投げ銭については疑義がある。noteの想定スキームは、「投げ銭とともに投稿者にメッセージを送れる」「サポートのアイコンを表示できる」などの役務を提供している、ということだろうと推測している。しかしながら、「投げ銭の価格を自由に設定できる」ので、そもそも役務に対する正当な価格が定められていない、ということになる。対価に対応した役務が提供されていないにもかかわらず(経費を控除した上で)全額為替として受け取ることができるのは、脱法的、というよりもはっきりと資金移動に当たるんじゃないか?と思う。
また、上記のような性質の違いがあるにも関わらず、コンテンツ販売収益と投げ銭収益を一緒くたに取り扱っていることもポイントであると思う。note的には実装上の楽をし、合法的な収納代行のスキームに投げ銭機能を潜り込ませることで、グレーな感じを演出しているのじゃないかなー。
投げ銭の現金化について違法性があったので取りやめて、今後Amazonギフト券交換に限定したとしても、まだ問題はある。投げ銭によりプールされたポイントは、未使用の前払式支払証票となり、投げ銭の売上は自家型の前払式支払手段と判断されるだろう。noteは資金決済法的な対応は一切していないのだ。
自家型の場合、未使用残高が1000万円以下が適用除外になり、法的な対応は必要なくなる。ただ、noteの場合、これまでずっと有効期限なしで投げ銭を受け続けており、かつ振込手数料あるので、換金せずに貯めてるユーザー多いのではないかな…本当に未使用残高1000万超えてないのかな…というのは疑問。超えてて資金決済法の対応を行わず、かつ利用規約の変更で有効期限を6ヶ月以下に設定し(有効期限が6ヶ月以下の前払式支払手段は法の適用対象外になる)、法の適用対象から逃れようとするの、めちゃくちゃずるくないか?と思ってしまう。いや、まあ未使用残高が1000万円を超えているかは外野からはわかんないので、下衆の勘繰りといえばそうだねという感じではあるよ…。まあ、この辺もうちょっと説明したほうが良くないか、とも思う。
いい記事にいいフィードバックが還るのは尊いと思うので、機能が提供されているのはいい。が、法を無視して進んでいくと利用者は法で定められる保護が受けられなくなるし、善良な企業が馬鹿を見るので、良くねえと思っているよ。