はてなキーワード: ドリームとは
ミサンドリストでホモフォビアでミソジニストで女性の権利についてネットで語りたい既婚腐女子と婚活腐女子
・・・みたいな矛盾の塊に向けた救済創作なんでメンヘラじゃない方が少ないのだけど
でも同じ指摘をしている人はネットにそれなりにいてblogまであった
自己愛性云々は飛び過ぎだが『ポルノ依存症』『自己投影のセクシャルドリーム』はみんな思うことなんだなって思った
けどまぁ可哀想な人を揶揄するのは可哀想だし訴えられたら嫌なのでリンクではなくワードだけに留めておくが
昔から個人的に、日本語のカタカナ英語で「ファンタジー」という言葉を当てられてカテゴリ分類される作品(小説、映画、漫画など)の大半が苦手である。良い悪い、正しい正しくないではなく、あくまで個人的な好みの話である。もしも、これらを好きな人が気を悪くされたら、先に謝ります。すみません。
日本語で言う時に「ファンタジー」よりも「幻想」という硬めの言葉を当てられる作品は嫌いではない。国内の作家で例を挙げれば、山尾悠子とか。
海外のSF周辺の作家や作品だと、クリストファー・プリーストの『魔法』や『奇術師』は好きである。ものすごく古いが、子供の頃に読んだH.G.ウエルズの短編『魔法を売る店』も好きである。SF作家の視点から「魔法(のような技術体系)が存在する世界」を描いたような作品、例えばハインラインの『魔法株式会社』や、霊魂テクノロジーが実現した未来世界を描いたロバート・シェクリー『不死販売株式会社』のような佳作も好きだ。ここまで読めばお分かりのように、どちらかと言えば私はSF寄りの人間である。
日本を含めて世界的に『ハリー・ポッター』シリーズや『指輪物語(LoTR)』シリーズが劇場映画としてヒットした頃に「食わず嫌いも良くないな」と思い、これらの映画を観に行ったり原作に挑戦したりした。結果を言えば、結局だめだった。私は、これらを少しも楽しめなかった。『ナルニア国物語』も駄目だった。SF映画のジャンルに含められるが実質的には「剣と魔法の世界」のようなものと言ってもよい『スター・ウォーズ』シリーズも、旧EP4以外のシリーズ作品は全く楽しめなかった。こんな感じだから当然ではあるが、家庭用ゲームの『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』などにも手を出していない。
「剣と魔法」系統の娯楽作品の全てを無条件に嫌いかと言えば、そういう訳でもない。子供の頃にテレビやビデオで観た『アルゴ探検隊の冒険』や『タイタンの戦い(オリジナル版)』といったレイ・ハリーハウゼン作品は、昔も今も大好きである。
『ハリー・ポッター』などが苦手に感じるのには、別の理由も有る。たとえば、ドラえもんの「うつつマクラ」で、余りにも都合が良すぎる夢(文武両道の大天才でモテモテで、教師にも親にも級友にもチヤホヤされる世界)に、のび太が興醒めしていたようなものだと言えば、理解してもらえるだろうか?学期末の成績を発表する場で、校長が「勝ったのは…スリザリン!……じゃありません!大逆転でグリフィンドールの勝ち!」とか言って、バラエティ番組の「結果発表ー!」みたいな真似をしてスリザリンの生徒たちを糠喜びさせたのは非道い。校長があんな依怙贔屓をするような人間だから、スリザリンの生徒たちも性格が歪んでしまったのではないだろうか。あの校長は、教育者として失格だと思う。スリザリンの生徒たちは、腐ったミカンなんかじゃない!こんなハリー・ポッターがヒットしたということは「なろう系作品」を好む人間が、日本と同様に海外でも少なくないということなのだろう。どうも私は「なろう系作品」が苦手だ。そういえば、上で挙げた『アルゴ探検隊の大冒険』や『タイタンの戦い』は、ハリウッド作品としてアレンジされているとはいえ、ギリシア神話の英雄譚がベースであり、依怙贔屓どころか、むしろ主人公に理不尽な試練が課せられる物語なので、その点がツボなのかもしれない。
LoTRが苦手なのは、正義の側のキャラクターは白人がベースの美しい造形または愛嬌の有る造形ばかりで、悪の側は醜悪な造形ばかりというのが、どうしても興醒めしてダメだった。ルッキズム。それに、LoTRの悪の側の造形は、白人から見た有色人種のイメージが入り込んでいる気がする。ルッキズム。それはそれとして、第一部で地下に消えたガンダルフが、続編で生きていたと判明し、杖一本を手に巨大な怪物を相手にガキーン!ガキーン!と肉弾戦をしていたところは、正直に言うと大爆笑した。
こんな感じでカタカナ・ファンタジー作品の大半が私は苦手であるが、例外的に楽しめて大好きだった作品が、先ごろ惜しくも亡くなられた三浦建太郎の『ベルセルク』である。
外形的には、人知を超越する異形の存在や怪物、魔法などが存在する世界を舞台にした物語という意味で、同じカタカナ英語のファンタジーという単語が当てられていた作品ではある。しかし、私個人にとっては、ハリー・ポッターやLoTRと天と地の違いが有るように思えた。もちろん、私にとっては『ベルセルク』の方が「天」である。ハリー・ポッターやLoTRのファンの人には、重ね重ねすみません。繰り返しますが、個人の好みの話です。
ゴットハンドの名前(スラン、ユービック、ヴォークト)や、黄金時代篇の敵の武将の名前(ボスコーン)からは、作者の原体験にSF作品が有ったことは想像に難くない。だから、ベルセルクの物語世界では「魔法のような人知を超えた事象が存在する/起きるならば、その根源となるエネルギーは何処から齎されるのか」「その代償に払う犠牲は何か」といった理(ことわり、ロジック)を、作者は考えていたと思う。上でも書いたように、SF作家がSF的視点から「魔法が存在する世界を舞台にした物語」を書くケースはしばしばあったので、SF好きの三浦建太郎もそれらの影響を受けていたことと推測される。ゴッドハンドの1人として転生する直前、深淵に降ったグリフィスが「ヒトの作りし神」に出会って対話を交わす場面(※単行本未収録)は、あれも「この物語世界がどのような理(ロジック)で動いているか」を読者に示すものだったと言える。
少し脱線するが、理(ことわり、ロジック)と言えば、ハリー・ポッターのような作品を読んだり見たりしていると「あんな大きな学校が有って、そこから大勢の卒業生たちが魔法使いになって世に送り出されて、就職先は確保できるのだろうか?」とか「石を投げれば魔法使いに当たるぐらい、たくさんの魔法使いがいる世界では、そもそも魔法使いの存在価値は有るのだろうか?」とか考えてしまう。モンティ・パイソンのコント「スーパーマンだらけの世界で大活躍するスーパーヒーロー!我らが『自転車修理マン』!」みたいになったりしないのだろうか?捻くれたSF好きである私は、おそらく「物語のような『不思議な世界』が存在していて、それが自分のいる現実世界と地続きであって欲しい」という願望が強いのだろう。だから、不思議な世界を成り立たせるロジックを求めてしまうのだと思う。ちなみに、驚異の世界を成り立たせるような、もっともらしい理屈を付けてくれるハードSFは大好きである。
話を戻すと、『ベルセルク』の物語は魔法や異形のモノが存在する世界で展開されるが、主人公のガッツ自身は、魔法による恩恵を受けていない時期の方が長かった(パックの翅の鱗粉で傷を治癒する描写とか有ったけれど)。ベヘリットによりゴッドハンドが召喚され、鷹の団メンバーたちが使徒たちへの贄として捧げられた悲劇を考えれば、ベルセルクの物語における魔法や人知を超えた異形の怪物のほとんどは、主人公に困難を与える原因として存在したと言っても過言ではない。そんな中でガッツは、鍛錬で身につけた能力や人間の業で作れる武器だけを頼りに、使徒という異形の怪物たちを相手に、文字通り満身創痍になって半死半生になりながら、ギリギリで死線を掻い潜る闘いを繰り広げていた。リッケルト、鍛冶のゴドーと養女エリカの親子、パックなど少数の例外を除けば、長い間ガッツの闘いは孤立無援だった。これでは読者も、応援したくなるというものである。
それとは対照的に、地下牢で長期間に渡る拷問を受けたものの、ベヘリットを使ってゴッドハンドを召喚し、彼らの1人フェムトとなり、受肉して自分の王国ファルコニアも手に入れた新生グリフィスは、謂わば「うつつマクラでドリーム状態を実現した、ハンサムな野比のび太」である。まさに、なろう系の究極形。しかも、ノスフェラトゥ・ゾッドを筆頭に使徒たちを配下に従えているのだから、主人公との戦力差は圧倒的であり、まさに天と地の差である。
こういう丁寧な前フリがあればこそ、近年の主人公を取り巻く状況に変化(イシドロ、ファルネーゼ、セルピコなどの新たな仲間の誕生、髑髏の騎士や魔女による魔法的サポート)を生じさせたことにも、説得力が生まれた。最初からガッツに心強い仲間がいて、魔法によるサポートも受けられるような状態で物語が始まっていたとしたら、私のようなカタカナ・ファンタジーの大半が苦手な人間は「ハイハイ、どうせ魔法でチョチョイのチョイと助かるんでしょ」と興醒めして終わっただろうし、多くの熱狂的なファンも生まれなかったことだろう。
長い長い時を経てキャスカが正気を取り戻したことは、主人公ガッツにとっても読者にとっても喜ばしいことだった。しかし、それでグリフィスに対するガッツの闘いに終止符が打たれた訳ではなかった。新たな仲間や魔法的なサポートを得たとはいえ、これから先もガッツは、強大なグリフィスに対して、苦しく不利な闘いを挑むことになるのは確実だった。そういう骨太の物語を、作者は描いてくれる。長期間の休載は読者としては辛いけれど、長く待つだけの甲斐が有る作品を描いてくれる。これまでと同様に、これから先も、そうであろう。そう思っていた。鷹の団メンバーが、グリフィスの夢の実現を信じていたように。
私を含めたファンの願望は、もう叶わない。三浦建太郎自身のペンによる物語の続きを、我々が読むことが出来る機会は、永遠に喪われてしまった。
このまま未完で終わらせるのか。構想のメモなどを元に、誰か脚本家や作画者を代筆に立てて遺志を継ぐのか。今後どうなるのかは、未定だという。どちらが良いのか、私には分からない。
人は誰しも、別れを告げる時には詩人になるのだと、誰かが言った。しかし、ご覧のとおり私には詩才は無い。こんなに心乱れたままで、長々と駄文を書き連ねた挙げ句、偉大なる作家が彼の代表作の中に残した印象的なフレーズを引用するぐらいしか出来ない。
「風が、旅の終わりを告げていた」と。
長瀞さんのゲス顔が行動を隠すものでしかなくなっててギャル属性ってなんだという印象。都合の良いギャル属性がギャルの実態と離れすぎてて何がなんだか。教えてギャル子さん!の頃以前からズレがあったと思うので多分最初にギャルがサブカルに登場した頃からだろうな。ギャルを本気で描いてしまうとギャル男が必要になってくるので舞台がクラブとかホストとかチャラくなるし、そうなるとオタクと親和性がない。結果的に褐色でスレてて、マンバですらない。スマホにラメもつけてない健全なダークエルフがギャルとして珍重されてしまう。要するにスレてるダークエルフ魔王を出せば補間できてしまう。ただ、魔王は魔王であってわがままそうなギャルと仲良くなるという非日常的なドリームが消える。
ずっと君に伝えたかったことがある。どうか俺たちも、ラップでバトルをさせてくれないだろうか。
このことを言いたくて言いたくてずっとモヤモヤしていたので、今日は匿名で吐き出せる場所をお借りして、ヒプノシスマイクくんへの思いを伝えたいと思います。
ここ数日(いや数ヶ月)、ヒプノシスマイクのオタク界隈はザワザワしている。バトルシーズンだからだ。
今でこそ、界隈はそれなりにザワついている。けれどヒプノシスマイクくんはバトルシーズンの手始めに、高いクオリティと圧巻のパフォーマンスと配信であることを生かしきった演出と、何より演じている方それぞれの魂がこもった素晴らしいライブを見せてくれた。
昨年3月、コロナウイルスの影響によって配信にならざるをえなかったライブだって、もちろん素晴らしいものだった。でも今回のライブは、バトルであるという特性上「勝ちたい」という演者の方々の思いがビンビンに伝わってきて、その熱量とか気迫にグワッと心を掴まれるものだった。画面越しなのに、こんなに熱くなれる、こんなに泣いて笑えるエンターテイメントがあるのか。そんな風に思わせてくれるライブだった。
この配信ではじめて聴くことになった新曲たちも、そのチームらしさが全開だったり、逆に今までにない曲調や歌詞だったり、心を鎮めないと冷静に聴けなかったり、逆に中毒になったように再生してしまったり、「待ってました!」と手を叩いて喜んだり、逆に「こんな風に来るの!?」と度肝を抜かれたり、どれも本当に最高だった。
それぞれのバトル曲も、言葉の応酬と韻の踏み合いとそれぞれの信念のぶつかり合いを感じられて、どれも違う味わいながらも、たしかな満足の得られる仕上がりだったと思う。
視聴期間中、毎朝毎晩繰り返し観てもまだ足りないぐらい、プロフェッショナルによる最高のエンターテイメントを存分に味わわせてもらうことができた。関係者ご一同には、本当に頭が上がらない。早く円盤購入という形で感謝を伝えたい。
そしてここでは、観た人がどちらかのチームに一票を投じることができた。ひとつのライブにつき一票。単純明快で、シンプルな仕組みだった。
「良すぎて選べない」という贅沢な悩みこそあれ、最終的に投じる票はひとつしかない以上、どちらかを選んでボタンを押すしかできなかった。
そしてこの時点で我々は、この一票が後に控えた投票形式での「一票」と同じ重みとして扱われるのかどうか知らなかった。(と、記憶している)いま思うと、それが不穏な空気の前触れだったんだろう。
最高なライブの余韻の醒めないまま、現金を投票券に換えてCDを積む形式のバトルが始まった。
前回のバトルでは、街からCDが消えたとか、相手チームのファンを装ったアンチが偽装工作をするとか、「〇〇のアニメイトにはもうCDがありません!」みたいな虚偽の情報が流れたりしたらしい。それは怖いな、と思っていたけれど、個人的な印象では、案外そうでもなかった。
後から判明したところによると、「サイレント投票」といって、相手方に悟らせないように黙々と積むことが推奨されていたらしい。投票期間が終わると、「微力ながら〇票を投じました」というCDタワーの画像がタイムラインに乱れ咲いていて、なるほどこれが令和のバトルか、と思った。
まあでも、外から見ている分には、比較的穏やかなまま過ぎていった期間だったように感じられる。
そのCD積みバトルが終わった段階で、中間発表をするのだと言われていた。
正直、なんでだろうとずっと不思議だった。戦いの火蓋が切って落とされた当時、我々は三次投票にあたる「VRバトル」の詳細を知らなかった。MAX一人6票らしい、というような情報はあったかもしれない。
とすれば、中間発表で僅差でも大差でも、ファンの母数が急激に変わらない以上、結果に大きな影響は与えられないだろうに。それなら、たくさんCDを積ませるためにライブでの投票が終わった時点でいちど結果を出せばいいのに。
不思議なことをするなあ、という疑念を抱きつつ、「VRで積めない可能性があるなら、実質CDで勝負するしかない」と覚悟して積んでいる方々を見て、そういうものだろうかとアッサリ流していた。
で、中間発表があった。大差のついた戦いと、僅差の戦いと、逃げ切り/逆転を狙いたくなるような戦いがあった。(これ、あまりにも綺麗な分かれ方だったけど、ヒプノシスマイクくんの予想通りだったんだろうか)
そして中間発表と前後して、「VRでも積める」ことが判明した。しかも、一票あたりの単価が最もお得だ。(ライブはたしか四千円ぐらい、CDが二千円、VRは千円)そして、金額によって票の重みが変動することはないらしい。たぶん。
阿鼻叫喚、ってこのことか、と思った。タイムラインを眺めていると、めちゃくちゃに人間の感情が乱高下していて、見ているだけで酔いそうな感覚になるほどだった。
すでに(単純計算で)十億円を超えるカネが動いていて、その上まだ、ヒプノシスマイクくんは人のカネと感情を動かすつもりらしい。
せめて少しでも巻き返したい、という気持ち。
なんとか逃げ切りたかったり、猛追して逆転したかったりする気持ち。
同じチームを応援する者同士の連帯感が高まる一方で、自陣への不信感を募らせたり、相手方への攻撃に転じたりする心情だってある。そして、今まで投じてきた票の意味を自問したり、疲れて何かが折れてしまう気持ち。
金銭によるバトルをはじめて間近で見る身として、ものすごい世界だなあと溜め息が漏れた。
中間発表の形式やタイミングは、ここまできて振り返ると、それなりの合理性があったのだろう。
単に「VRも始めたからみんな観てね」って言うよりも、ずっと効果的に多くの人にアプリのインストールやプラットフォームへの会員登録をさせられる。
「現金」や「CD」という物理空間での制約を受けない形式での投票は、よく言えばエコだし、わるく言えば金銭感覚をより麻痺させる。
「中の人」を表に出して結果を発表するグロテスクさだって、結果的にはこの札束バトルを過熱させる要因のひとつになっている。
ごく個人的見解では、収益化のうまいコンテンツは見ていて信頼できる。そういう意味で、カネの集め方や人の心理の誘導の仕方として、ヒプノシスマイクくんには一定の信頼を置いている。そのうえで、私は思うのだ。
ダッセーーーーー!!!!!
と。
ダサい。あんまりにもダサい。やってることが格好悪い。ヒップホップってもっとイカした世界観じゃないのか?ここは昭和でも平成でもなくて令和、あるいはH歴じゃないのか?なんでこんなダサい商法を、君は性懲りもなく続けられるのか?答えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
ヒップホップとか、ラップミュージックの歴史にあまり明るくない人間でも、少なくともこのジャンルは「富める者によって独占されるべき音楽」ではないんじゃないかと突っ込みたくなってしまう。資本主義が一番偉いから、カネや地位や権力のない人間は虐げられて一生地べたに這いつくばってるべきだっていう世界に反逆できなくて、何がペンは剣よりヒプノシスマイクなんだ?教えてくれ、ヒプノシスマイクくん。
私には純粋に、それが疑問なのだ。コンテンツの維持にはお金が必要なのは百も承知で、それでもなお、音楽(あるいは魂)の在り方と商法の相性が悪くて、これじゃああんまりにもダサいんじゃなかろうかと思ってしまうのだ。ダサすぎて仕方なくて、コンテンツとして廃れてしまうんじゃないだろうかと思って、そこに私はずっとヒヤヒヤしているのだ。
だから、私は提言したい。せめて、俺たちもラップで戦わせてくれ!と。言葉がいまやマシンガンであるなら、ライムが脳漿をかき回せるなら、金銭以外のフィールドでも戦わせてくれないだろうか。
たとえば、CDを買ってシリアルコードを使って普通に投票すると、それは一票としてカウントされる。でも、リリックを添えて投票すれば、それが二票としてカウントされる。そういう仕組みはどうだろう。
こういう仕掛けなら、お金はあるけど時間のない人は、CDをたくさん買って黙々と投票すればいい。逆に、時間はあるけどお金のない人でも、リリックを練り上げることで力添えができる。今までたくさんヒプ生で学んできた知識も生かせるし、日本語を母語としない人でも参加できるんじゃないだろうか。
日本語ラップは押韻判定が難しそうだけど、それを見極めるために人が雇われれば雇用の創出になるし、AI的なシステムを作ればラップの発展に貢献できるかもしれない。
今までプロとして歌詞提供してきた方々も、ひょっとしたら参戦してくれるかもしれない。それを見て、まだヒプノシスマイクに触れたことのなかったラッパーの方も、面白いと感じて参加してくれるかもしれない。総力戦である。
こうなってくると、同じ「二票」になるのなら、CD二枚を買うのではなくてリリックを考えることを選択する人も出てくるだろう。演じている方への愛を伝える手段としても、体温のこもった一票を投じることができるというのは、悪い選択肢ではないはずだ。
それで、できれば、そうやって集まったリリックを選び抜いて、それを楽曲に使ってくれないだろうかと思うのだ。
それもまた、想像すら及ばないほど難しいものなんだろうということは、今まで世に出てきたヒプノシスマイク楽曲を聞いていればわかる。一連の曲の中で無駄なフレーズなど一つもないほどに、リリックというのは緻密に組み上げられているのだ。
でも、たとえワンバースであっても、自分のリリックが使われるかもしれないという可能性が見えていたほうが、ずっと張り合いがあるしドリームがあるじゃないか。CD一枚、二千二百円に全身全霊をこめたリリックを乗せて票として投じて、それが「推し」のパンチラインになるかもしれない。そんなビッグドリームを抱けずして、何がヒプノシスマイクなのだろう。
ラップミュージックは、その人の人生を背負う音楽なのだという。だとしたらやはり、キャラクターへの愛やヒップホップへの造詣の深い人がより力を持つ投票の仕掛けとしても、リリックバトルをやってみてくれないだろうか。きっと面白いだろうから。それで盛り上がる世界を、私が見てみたいから。そんなムーブメントを巻き起こせるだけの力がヒプノシスマイクくんにはあると、私は特段の根拠もなく信じているから。
数年後には、「来たぜホンモノのDRB(絵文字) 燃やせ闘志入れてけよ気合い(絵文字) リリックバトルこれこそ新時代(絵文字)」みたいなフザけたお知らせとともに、本気でリリックバトルをブチ上げて欲しい。そういうヒプノシスマイクくんであってくれると嬉しいなと思っている、一人のファンの気持ちでした。
なんだかんだ言いつつも、私はこのバトルシーズンをそれなりに楽しんでいるので、まずは今のバトルの結果を最後までキッチリ見届けたいと思います。
シンエヴァの感想を中心に色々書いているのですが、どうも書ききれないので増田の種としてここに蒔きます
じゆうに書いて構いませんよ
エロ騎士、アンシュラチンポ、オッパイ(オージェ)などが登場する
チン(カン)を思いつきひときしり笑った後、カンはエルガイムに出てきてないことを思い出し絶望して書くのを辞めた
タイトルだけ決めて何も書いてない
けどこの道に何かあるとは思っている、いつかちゃんと書きたい
タブリエ社長の福井裕佳梨大好きおじさんが離婚して釣具Youtuberになってのを見てしまい悲しくて斉藤Kのモノマネをして一晩過ごした
これを書くためだけに美味しんぼを読みに漫画喫茶に行って僕のヒーローアカデミアをなんの衒いも無しに楽しんだ
ステイゴールドを調べれば調べるほどウマ娘に出て欲しくなりました
な
ミステリ作家のTwitterネタを嬉々として書き込む自分が情けなくて、円居クルセイダーズ以下のゴミだとようやく自覚でき、Twitterを辞める決心がついたから
スプレー缶で学校に落書きしまくる二人を想像して、幸せになって欲しくなったから
近づけないから
気づいた瞬間さめざめと泣いたわ
なれねえかなあ、志倉千代丸に
俺はマジでこれを書き切らないとプリコネを遊ぶたびにあいつの顔が浮かんでしまうんだよなあ
俺が死ぬ時耳元で囁いてほしい
アニメが好きすぎて聖地巡礼だけでなく移住してしまった人を紹介するコーナー
咲の阿知賀に移住した人のブログを思い出して胸が痛くなって書くのを辞めた
好き
したい
じゃね?
今度は逆に一つに深すぎた
再プレイしないと書けないと気づいたので一旦やめた
12人目の増田で落とすことから逆算したので、道中が思いつかない
例えば芸能人を目指すとして東京生まれと沖縄生まれでは天と地の差がある
東京なら5歳から目指すとしても色々な入り口が開かれているだろう
成長しても芸能の話題が土地に溢れていてモチベーションが衰えることはないし仲間も情報も溢れる場所である
対して沖縄ならどうだろう
万が一見つかったとしても沖縄には電車がないので親に車で何時間もかけて送ってもらう
この何時間の差がゆくゆくは大きな差となってプロになれる確率に関わってくる
通うことになっても周りに情報が少なく環境も悪いのでモチベーションはどんどん失われていく
そしてドリームブレイカーに合う確率が東京と沖縄では大きく変わってくると思う
面倒くさいので親の経済力や顔の美醜は省きました
泣ける曲いい曲は山ほどあれど、笑いながら泣けるならこの曲が一番
作中に出てきた色々な面白エピソードを交えつつ、キャラクタたちの未来を語り、そして最後の最後唐突に挿入されるあの一文はブリックヴィンケルなのかアイツなのかセルフなのかSHIFTERなのかと妄想を掻き立てられるアレを思い出しては打越しゅきしゅきになる
あーこめちょききてえ
もうマジでシナリオ90点、絵80点、BGM70点、黒沢ともよの演技1億満点みたいなゲームなので、最後の最後オーラスに流れる黒沢ともよのお歌で感動しないわけがないんすよ。
いやもうマジでストーリーも良いんだよ、良いんだけど、これは脚本がどうのというよりは、黒沢ともよのパワーに持っていかれるんだよなあ
そりゃ辛い別れのお話なんだからこの曲も悲しくて当然なんだけど
黒沢ともよの演技力というか歌唱力のせいで、悲しいのにどこか「せめて自分は頑張らないと」と現実を前向きにさせるパワーがあるんすよ
好き。
システムが不親切だし、明らかに立ち絵やSEが変なシーンはあるし、ストーリーもとっ散らかってるし
家族の、母親と娘の関係値を強く強く抱えてる曲で、聞くたびに野中藍の娘に生まれ変わりたいなあとしみじみ思う
俺はね、この曲は志倉千代丸が掴んだビッグドリーム、それを魅せる曲だと思ってるんすよお
この曲を聞きながら目を瞑ると見えるんすよ? あのマンションが
なんかずっと心の中に残り続けてて、オムレットたべてえなって……
かわいい人にかわいいと言えないのは、僕としては結構ありえない
https://note.com/yasuharakenta/n/ne19f1e86e899
回りくどい文章だし、例えは似て非になるものばかり。歪んだ主観で全て判断しているし、なんでそれここで持ってきたんや!と思う部分が多く読んでて何度も悶絶した。
それでも女性の共感する部分を利用して、僕ならこうする!これがモテマインド!みたいなのが称賛されているのだから、筆者はさぞかし気持ちが良いんやろうな。
こんなんで女性層からの支持を得ていることや、他の男を下げ自分の立場を良く見せていることに、激おこスティックファイナリアリティぷんぷんドリーム状態になったこのワイが、勝手ながらnoteの気持ち悪い部分をピックアップして、細けえなと思うほどにツッコんで評価していく。
本文について賛同している人も、これ見れば割とフラットになるのでは?と思うわ。
ちなみにクソ長くなってしまったので、めんどくさい人は最後の方だけ見てもらってもまぁわかると思う。一応ちゃんと目を通してもらったほうが、noteの筆者が書いてることに疑問を持つことができると思うけどな。
頑張って面白くなるように書いたので、ワイの無駄な努力を汲んでくれるならできればちゃんと読んで欲しい。
以下では、noteの内容の一部抜粋を繰り返しツッコミを入れていくので、一度本文を読むか、照らし合わせて読んだ方がついていけると思うで。
それと、筆者に語りかけるような書き方をしているが、別に筆者に届いてほしいとかではなく、こう言いたいと想像して書いた結果なのでその辺は承知の上で見てほしい。
ではスタート。
男子の多い理系大学と女子の多い家政科系大学の合同サークルの新歓にふらふらと参加した。会は居酒屋2階のお座敷全体で行われ、20分もするとビール瓶を持った先輩たちが席を行き来し始めた。
僕がさっきまで話していた目の前の女の子のところにも複数人で来て「かわいいよね、言われるでしょ」と笑い「まあまあ」とビールを注いだ。別の席では胸の大きな女の子に「ってかスタイル良くね?」と、それまでの会話はどうでもよかったかのようなテンションで話している。
「胸の大きな女の子に「ってかスタイル良くね?」それまでの会話はどうでもよかったかのようなテンションで話している」
この書き方って、胸を見ていたお前さんだから出てくる言葉やないんか?
そいつらのコミュニケーションの取り方はあまり気持ちのいいものではないのかもしれん。お前さんの気持ちはめちゃくちゃわかる。
けど「スタイル良くね?」の発言は、ただただその通りの意味で、胸からきているものだと捉えているのは男性でも共通の感覚ではないやろ。
そんなつもりで書いたわけではないのかもしれんけど、胸を強調してしまっている書き方は読んでて気持ちが悪いので-5点
かわいいと言われても、そんなことないですと返せば「いやかわいいって」とゴリ押しを喰らい、ありがとうございますと返せば「調子乗ってる?笑」と餌食にされる。逃げ道がない。そういうことはふたりきりのときに言えばいい。
好意を持ってるからこその意地悪だと思うけど、確かにそうゆうやつは結構おるわな。
つっても、それは会話の切り口であって、基本的にかわいいについては二言三言とで終わるやろ、逃げ道がないって言葉で重く考えるのはちと考えすぎや。
仮にそうだったとしても、可愛いを言うのは二人のときだけにしようってのも飛躍しすぎや。
可愛いって伝えたい場合は、通路側までその子呼び出してかわいいねって言うんか?
それとも店の外にまで出るんか?二人きりの空間ならトイレの中か?
いずれにせよ、そっちの方がめちゃくちゃきもいし、めんどくさいわ。
女性側だって可愛いについてめんどくさいと思う人もいるだろうけど、言われなかったらそれはそれで悲しく感じたりもするやろ。
だからこそ言わないことにしようってゆう考えやろうけど、それは短絡的すぎや。
この人のエッセイによってアホみたいなハラスメントがまた生まれそうだし、そんなのできてしまったら、ますますコミュニケーションを取るのがめんどくさいから-5点
胸が大きい人に胸が大きいと言ったら、その人がキュンとするとでも思ってるのだろうか。下心があるからこその発言だろうけど、本当にやりたいならそんなことは言わないべきなのに。僕は背が高いけど、大きいねと言われてキュンとしたことは一度もない。会話のきっかけとしては仕方ないと諦めているが、もし「好き。だって背が高いから…」と告白されたら「キエエエエ!」と竜巻を起こしてしまう。天候を操る能力者の場合はだけど。
だから、どう考えても相手を喜ばせたくて「かわいいね」「胸が大きいね」と言ってるとは思えない。
本当に好きだったり付き合ったりしたいなら別の作戦を取るべきだ。
でも、その場の瞬間的な欲求に左右されてる。
ん?胸のくだりはどこから出てきたんや?お前さんはやっぱりおっぱいが大好きなんか?それとも書いてないけど新歓でだれか言ったんか?
だけど、それをお前の背丈と同様に考えるのは無理があるやろ。
胸について触れられたら不快感が生まれることがあると思うし、そもそも発言自体がセクハラに該当するのでタブー視されてるけど、身長ってそこまではいかんやん。
胸について話すことは構わないってゆうラフな人でも、どこまで話せばいいか難しいし、異性に幻滅されたり、同性からはビッチ扱いされることもあるだろうから、かなりセンシティブなことだと思うのに対して、やっぱり身長はそうでもないと思うわ。
それから、お前さんへの「大きいね」とゆう発言がキュンとしてもらうために言ってると思うんなら、自意識過剰の枠では収らないので早めに精神科への通院をオススメするで。
相手が好意を持ってると断定した上でのこととするなら、確かにキュンとはならないやろうな。
だが、身体的な特徴に対する発言でキュンとさせてくれるものってまぁ無いやん?そして相手もそうなると思って言ってるわけではないやろ。
彼女がそうゆうの求めるタイプやったらホンマにめんどくさいわぁ。
てかまず、なんやキュンって?
キュンってのは、ひょんなことで意識したり、しぐさや行動などで生まれるときめきだったりってゆう、だいぶ抽象的なものとおもうんやけどさ。
気合い入れておしゃれした日に、異性から「かっこいいね!、かわいいね!」ってゆう発言に嬉しさは感じたとしても、キュンってゆうときめきのようなものは滅多に感じないやん。
ポケットにどれだけのキュン詰め込めばそうなんねん。相手に求めるハードル高すぎやろ。
下手にキュンを求めているところと、天候を操るのくだりが何回読んでも意味不明だったので-15点。
いやお前さんも好感度稼ぎ大会に参加しとるやないかい。配慮しているように見せかけて、本当はあわよくばを狙ってたんちゃうんか?
さりげないようでゴリゴリに自慢をブチ込んでくるやつの話は大体つまらないから-10点
でも、仮に僕が優しいとして、それが姉妹に由来するならあまり嬉しくはない。
かわいいね、胸でかいよねと絡まれてる女性を見るのは全然楽しくないし、今からその人たちに年の近い姉妹ができるわけもないし。
絡まれてるのを見るのは大体の男が好かんやろな。ただあーゆうの自分がやる時は結構楽しかったりするんや。楽しいから何やってもいいわけではないけどな。
てかさ、初めからお前が止めればええやん。なにを「俺はこう考えている」「お前らとは違う」みたいなこと思ってんねん。実際被害が目の前で起きとるやんけ。
つっても、まぁそうだよな、「上級生だから、、」とか、「新歓からそんな動きは、、」とかいろいろと考えてしまうもんよな。すればいいやんでできるほど簡単なことじゃあないよな。
だから行動に移せないお前さんを責めたりはせん。
だが、こんなエッセイで自分を正当化しているのは気持ちが悪いから-15点
高校の放課後の教室で、よく話してた明るい同級生の女の子から、実は毎朝のように痴漢にあっていると聞いた。
痴漢を突き出せば数時間の拘束で遅刻は確定。毎朝声を上げるわけにもいかないと彼女は言った。
だからというわけじゃないけど、ほぼ初対面の女性にルックスのことばかり言うのは、好奇の目で見てますよと伝えてるようなもので、かなり抵抗がある。
かわいいも胸大きいもやりたいも同じ。全部「うっわ。いい女」と言ってるように聞こえる。
あのさ、関連しているわけじゃないのになんで痴漢の話出すんや?
仮にそれがあったからの話だったとしても、痴漢行為と外見についての発言って別問題よな?
なんだかずっと読んでて引っかかるんやけど、お前さんのルックスや外見に対する発言の解釈が=下心ありきの発言にだんだんなってるのが、読んでる側との認識にギャップが生まれて読みづらいんや。なんでそうなるんや?
「かわいい」って、好意を持った発言でもあれば、パリピがナンパで挨拶のように使うこともあるし、小さい子にだって「かわいい」って言うことだってあるやろ。
お前さんも何かしらがあって、かわいいなどの言葉をそう捉えてしまうようになったのかもしれん。それやったらさぞかし辛いできごとがあったんやろなぁ。
だが、その感覚が正当化されるように書くのは「は?」としか思わんし、伝えたいイメージを共有しにくくする文脈の書き方は、読んでて気持ちが悪いので-10点
僕も「背高いね」と言われるのは嬉しくないし竜巻は起こしちゃうけど、別にいい。「かわいい」と「背が高い」はそのくらい、性質が全然違う。
いや、十数行くらい前に、胸に対する発言を背丈で例えてたんだけど、、、、、、は?
竜巻で災害が起きると危険なので、むやみやたらに使うのは避けてほしい−5点
池袋で育ったから、「不良に絡まれた」という話は友達からときどき聞かされていた。中学生の頃の話だ。けど僕自身は一度も絡まれたことがない。どちらかといえば草食系だし体力にだって自信はないけど、たぶん背が高いから。
なるほど!不良でもそうするんなら、確かに女性はひどい仕打ちを受けてるよな!男サイテー!
ってのもさすがに短絡的すぎやろ。それどうゆう解釈なん?ワイにはその解釈の仕方がわからないわ。
不良が喧嘩を売る相手と、男性が卑猥なことをする女性の判断基準を一緒にするのは違うやろ。
まず暴力行為を行うことと不純な行為を行うことは目的が全然違いすぎる。
不良は自分より弱いであろう女性や子供に喧嘩売ったりすることはせんやろうし、卑猥な行為をする人はルックスや着ている服などその他もろもろの要素があって行為に走ると思う。電車内などは密着度が高いことが原因で、一過性の衝動に駆られ痴漢行為に走っていることもあるやろうしな。
まぁどちらも体力的に自分より弱そうが大前提だとは思うが、ただ入り口が似ているだけで、行動に出るかの判断材料は他にもあるはずなのに、それを「相手が体力的に弱いから行動するのだ!」と一緒くたにするのはさすがに無理があるわ。
なんでもかんでも取ってつけて、それっぽく出しているところが読んでて気持ち悪いので−5点
前にツイッターで「妻が池袋は人とぶつかるから嫌だと言っている」という投稿が回ってきたことがある。僕は当然意味がわからなかったが、後に確か別の人が後ろからその様子を撮影した動画も回ってきた。
その動画を見るまで、育った街ということもあって、渋谷より新宿より、池袋は過ごしやすいなぁとすら思っていた。
僕には到底分からない(と信じたい)が、背の低い中学生にしか絡まない不良も、女性に次々とぶつかる男も、弱いものを力で圧倒することに優越を感じているのだろう。
結局体力が物を言っている。どれだけ頑張って生きても。
実際、脳の構造上女性のほうが空間認識能力は低いと言われているんや(諸説あるがこっちの意見が多い)
「男性はぶつかってくる」は本当か
https://anond.hatelabo.jp/20201205155542
それだけが問題じゃないにしても、上の記事のように、反対側の考えを持っている人も女性の方におるんやで。(ホンマに女性かは知らんけど)
だとすると、そのツイッターの投稿だけ鵜呑みにして、男側がぶつかってくると考えるのは視野狭すぎるやろ。もうちょっと脳みそ使ってあげようや。
それとお前さんは、女性側の立場を少し知ったくらいで優越感を感じるんか?
お前さんもそうやってわからないことをSNSだったりで気づくわけやん。
気づいて、それを踏まえた上での行動や配慮することはいいことや。ワイもお前さんを見習うべきだと感じた。
けど、その行為で優越感を得たり、こんなエッセイで気づかない人を蔑むように書くのはさすがに心がすさんどるやろ。
実際お前さんも気づかない側におったはずやのにな。まるで童貞卒業したての男のようやな。
男はぶつかって優越感を得ているとか意味不明な結論を堂々と出したのにもかかわらず、結局しょうもない優越感を得ようとしているのは自分とゆう特大ブーメランがちょっときついので-10点
僕ら男だって、ドラえもんのタイムマシンで恐竜のいる時代に行き、大恐竜たちが次々と舐め回してきたら怖いに決まってる。ほんやくコンニャクで言葉の通じた恐竜たちが「大丈夫大丈夫!」「興味本位だから」「かわいかったからつい」「ちょっと触りたかっただけ」と言ってきても、なるほど!と納得できるだろうか。すぐそこで暴走した恐竜が別の男を食い千切ってても。
え?どうゆことこれ?、、、、、、、、、、、え?
マジでどゆこと?なにそのとんでもない例え方?え、ホンマに意味がわからん。
全然意味がわからないもんだから、試しに15回くらい立て続けに読んでみたけど、一ミリも意味が分からん。アカン頭痛くなってきた。
なるほど!と納得できないのはお前さんの例え方であって、恐竜の威圧的なコミュニケーションじゃないわ。
これ恐竜じゃないと無理か?トラやライオンでもいいやん。ゴリラだって一般男性より力強いやろ。
恐竜以外に例えらないのは知識的な問題であるのに、それを「恐竜以外に例えられないという事実自体が、体力差による不平等を既に示してる。」って置き換えるのはもはや天才なのか?ここまで責任転嫁が露骨に下手なのも珍しいと思ってしまったけど、ワイの様な凡人には理解できてないだけなのだろうか?
えっ、、、ほんとに意味がわからん。どうしよう、ゲボ吐きそうだ。
クロちゃんのわからないわからないがここで初めて共感できてしまった。
まず、そもそものパワーバランスがおかしい。男の人が襲ってきても女性側は抵抗の余地がある(武器なしの場合に限る)のに対し、恐竜なんて男が銃や刀持ち出してもどうすることもできひんやん。
その例えだとパワーバランスに開きがありすぎて、生まれる恐怖心の大きさが圧倒的に違うわ。
女性に恐竜と男の人どっちが怖いですか?のアンケートしたらそりゃ100パーセントに近い数値で恐竜やろ。
もしかして、ここでは恐怖心の大きさなどは考慮せずに、感じるものが似てるかどうかなのか?
わかった。じゃあそうゆうことにしとくわ。
それと、この時点でお前さんのnoteの内容は
・女性は外見の発言のみならず、視線や空間を共有するだけでも恐怖に感じていることを伝えたい
・自分は女性のためにいろいろやってんやで!すごいやろ?ってのを伝えたい
ってゆう複数の要素をごちゃまぜにしとることで、いろんな基準が飛び交い、そのせいで文章にまとまりが無く、読みずらいを超えてすごく気持ちが悪いんや。
そこに謎理論の例え話重ねるとかお前鬼か?
読みづらい文章、例えもひどい、男性嫌悪を無駄に助長している、恐竜大好き、以上の点を踏まえて-10点
時間を返してほしくなってきたので追加で-5点
勘の良い人なら「本当にやりたいならそんなこと言わないべき」ってことはお前が一番エロいだろと思ってるかもしれないし、その通りだと僕も思う。
ワイもそう思う。日本で一番エロイと言っても過言じゃない。おっぱい大好きそうやしな。自分を見つめ直すことはいいことや!+40点
https://anond.hatelabo.jp/20210320132031 (続き)
スターホースが時代を超越して、同じレースで激突するー。競馬ファンなら誰もが一度は夢想することを、JRAが本気でCM化したものだ。
何が「本気」か。CMに登場する18頭を集結させるために、過去のレースの馬番をもチェックしているのだ。
例えばウオッカは日本ダービーのときの3番、ディープインパクトは皐月賞の14番が使われている。実際のそのゼッケンを付けていたのだから映像に全く違和感がない。一方で、同じ馬番の被りは避けねばならず、丁寧な調査が必要だったと思う。
パソコンの整理をしていたら、おそらく4年程前に書きかけていたUSJのレポートが出てきた。
なかなかの文字数で頑張って書いていたみたいなのでここに残したくてユーザー登録をしてみた。
原文ままで載せる。アトラクションの多少のネタバレありなので注意。
***
五月の某日曜日にユニバーサルスタジオジャパン(USJ)に行ったんだけど、それがあまりに幸せで楽しくて感動したのでレポを残そうと思う。忘れないうちに。
結構な長さになる予定であり、ほぼすべてのアトラクションのネタバレ、少しオカルトな話も混ざってくると思うので、苦手な人は読まない方がいいと思う。
USJに行くと決めたのは多分一週間ほど前。理由は夫の誕生日パーティーだ。
私たち夫婦は、過去に一度だけ年間パスを購入したことがある程度のUSJファン。(これでファンと言うのはおこがましいと思ってる)
今まで行った回数は多分…覚えてないな。10回以上は行ったと思う。行く度に感動している。楽しくなかった事なんて一度もない。
まさに西の夢の国だと思う。東の方はほぼ行った事がないからわからないから比べるような話はできない。しなくていいと思うけど。
一週間前に決まったので天気予報はもう出ていた。曇りだ。五月も後半になってくるともう真夏日が多い。そんな中での曇りだ。太陽光降り注ぐ青空の元で楽しむのが一番だと思うけど、
チリチリ太陽の下で長時間アトラクションを待つのはかなり辛いものがある。経験者だからわかる。楽しさも少し減少する。(もちろん西の夢の国が暑さぐらいで楽しさ半減するわけがない。
1ミリ程度の減少。)やっぱり行くからには最高の気候、コンディションで行きたいので、曇りの予報は私としては最高だった。
開園時間は9時らしい。開園時間より少し早めに行く方が、最初のうちは待ち時間少なめでアトラクションを楽しめる。
そして今回は、今CMで流れている「ユニバーサル・スペクタクル・ナイトパレード~ベストオブハリウッド~」にも参加しなくてはいけない。
これはナイトパレードなので、20時スタートだ。となると約12時間以上外で活動する事になる。
オーバー30の私たちにそんな体力はあるだろうか。ある。なぜなら行き先がUSJだから。だけど少しでも身体に負担がかからないよう、動きやすい服装、少ない荷物で自分のコンディションも
最適にしなければいけない。
歩いているうちにだんだん靴の中で脱げてくるくるぶしソックスなんてもってのほかだ。
身体をしめつけるスキニージーンズなども控える方が良い。荷物もでかいカメラはいらない。iPhoneのカメラで充分だ。それに写真は…まぁまた後で触れよう。
緩めのジーンズ、Tシャツに、ゴムの緩くない靴下を履き、体温調節できるよう薄手のカーディガンを身に着け、両手が常に空くよう、それぞれショルダーバッグ、リュックを持った。
靴はもちろん歩きやすいスニーカーだ。朝の7時に家を出る。夢の国へ向かうので、楽な服装も手伝って足取りが軽い。日課のポケモンをゲットする指もスムーズだ。
30分前に到着予定なので、待ちながら朝ごはんを食べられるよう、コンビニでおにぎりを買った。「三種の昆布 かつおだしごはん」と「わさびアボカド巻(うろ覚え)」だ。
どちらも最高に美味しそうな名前だと思う。さすがセブンイレブンだ。コンビニ界の夢の国である。
JRに乗り、高槻を過ぎたので外を真剣に見る。見えた!でっかい板チョコ看板!!阪急から見るより近くてでかい!!まさに夢の国にありそうなサイズだ。
道中のすべてのものが気分を盛り上げてくれる。環状線に乗る。USJに向かうであろう同志が目立つ。みんなウキウキしているのであろう。「ユニバ」という単語もちらちら聞こえる。
ついに到着である。着いて早々帰りの事を考えるなんて寂しすぎるが、念のため帰りの切符を買っておく。
常に自分の気分を害さないため、未来の自分のために小さな事でも行動しておくのが大切だ。
予定通り30分前。思ったより人が少ない。もう入場して「フライングダイナソー」で絶叫している人もいる。きっと何かの特典で30分早く入れる人がいるんだろう。ちくしょう。待ってろよ。
くるくる回る地球を見ながら、用意しておいたおにぎりを食べ、お茶を飲む。チケットはWEBで購入してあるので余裕がある。
私たちはクラブユニバーサルの会員なので、誕生日月は500円引きでチケットを購入できる。これはお得なのでこれから行く人は入会する事をおすすめする。年会費は無料だし。
さて。おにぎりを食べ終わったので列に並ぶ。尿意を感じたので、ダッシュでトイレを往復した。これも未来の自分のためだ。少しのストレスも抱えてはいけない。今日は非日常なのだから。
いよいよ入場である。まずは何に乗ろう。USJのアプリをダウンロードしている私は、iPhoneで待ち時間を確認できる。
一番待ち時間が少ないのは「アメージング・アドベンチャー・オブ・スパイダーマン・ザ・ライド 4K3D」みたいだ。ニューヨークエリアへ向かう。
まだ早い時間なので、列がぐんぐん進む。スパイダーマンはもちろん何度も乗っている。一番の見どころはスパイダーマンに3Dメガネを褒められるところだ。(自分調べ)
危険なところに迷い込んだ私たちを注意しつつも、安心させるためなのか、去り際に「いいサングラスだね」と言ってくれる。正直ときめく。変な全身タイツなのに。
今回ももちろんときめいた。そしてかなりパワーアップしている気がする。早い。激しい。途中で撮ってもらった写真を確認したが、かなり必死につかまって縮こまっている自分がいた。
楽しかった。語彙力が乏しいのはこれからも続く。今回もドクターオクトパス一派から守ってくれてありがとう。スパイダーマン。大好きです。
さて次に行く。
アプリで確認すると、「ザ・フライングダイナソー」がまさかの40分待ちと出た。これは行かねば。だが実際行ってみると110分待ちだった。よくわからないけどこういう事もある。
曇りのはずが、太陽の姿がある。屋根のないところでの110分待ちは辛いが、私たちは達人だ。スマホがあれば割と無敵である。ゲームに夢中の夫に「最近のいらっとした話」や
「最近の嬉しかった話」などを聞いてもらう事もできる。列に並んでる同志を観察するのも楽しい。順番が来た。まさかの最前列だった。
これは、翼竜に背中を捕まれ巣に連れていかれて食べられる設定のアトラクションなのだけど、とにかく早い。回る。ひねる。上がる。下がる。ひっくり返る。
早い乗り物に乗るときは、少しでも死の確立を減らすため私はいつも歯を食いしばる。これにより、衝撃で舌を噛んで出血多量で死ぬ確率は無くなる。
なので常に無言なのである。夫には気絶していると思われていたようだ。実際少し魂は抜けていたと思う。瞬間瞬間で。
展望台 圧巻 海を渡る 幽体離脱 幽体離脱を体験できない諸君は8000円出せばUSJで疑似体験できる上にすべてのアトラクションに乗れる
おみやげを買う
お姉さんが手を振ってくれる
モッピーが手を振ってくれる
牛かつうまい
***
途中から、次に書く予定のアトラクションを箇条書きにしている。
多分全力で楽しみすぎて力尽きたんだと思う。
ReTaleイベお疲れ様でした。
イベントptランキングは100位が3,407,063と過去最高を記録し、2500位は331,117と最近にしてはやや高くなりましたね。
それは『S・O・S!サイキックヒーローズガシャ』で不具合が発生したこと。
・不具合の内容
一部ユーザーにおいて意図していないドリームスター所持数の増加が発生した。
・不具合の原因
以前開催されていた『お味はいかが?バレンタインチョコガシャ』にてプラチナガシャ10回チケットを使用できなくなる現象が発生し、
その補填対応として『お味はいかが?バレンタインチョコガシャ』中に所持していたドリームスターを一時的に付与して再開催する予定していた。
しかし開催前日の『S・O・S!サイキックヒーローズガシャ』期間中にドリームスターの一時的な付与が行われてしまった。
ガシャページの緊急メンテナンスを実施し、『お味はいかが?バレンタインチョコガシャ』の再開催まで全てのガシャ機能を一時的に停止。
ガシャメダルを使用できないことによるガシャメダルptの消失は他の事項と併せて後日対応予定。
このガシャページだけメンテナンスをするという機能はなかなか器用な芸当ですね。
(そういえば去年か一昨年か、正月に衣装購入ページだけメンテナンスに入ったこともあった気がします。)
このおかげで『プラチナスターツアー ~ReTale~』は中断することなく無事終了することができました。
無事…?
・『S・O・S!サイキックヒーローズガシャ』が引けなくなったことによるスコアアタックへの障害に触れられていない点
上記の通りガシャページのメンテナンスを実施したためガシャで新規追加SSRカードを入手できなくなってしまった。
加えて、今回はガシャの切り替わりでドリームフラワーを入手することもできなかった。
トリコロール編成でAngel枠に今回の茜が欲しかった人やフラワー交換でFESマスターピースを入手し志保、伊織、桃子、朋花のマスターレッスンを勧めたかった人。
そういった人に対する配慮が見受けられません。
スコアランキングも順位によって報酬に差がある以上(称号のみですが)このように不公平な状態でイベントを継続した点に関しては不信感を抱いてしまいます。
とはいえ、まだ詳細な対応の内容が発表されたわけではありません。
万人が納得できる対応をするのは不可能ですが、それはそれとしてしっかりと協議をして一人でも多くのユーザーが納得する対応をしていただければと思います。
以上。
そういえば、
すっかり忘れていたけど新年会。
延期延期になってるのよね。
いつ新年会が開催されるのか謎だけど、
もうこのまま桜を見る会にしたら!?って皮肉たっぷりに言いたいぐらいだけど、
お花見シーズンの頃には解除になるのかなーって
一人焼き鳥屋さんも串に刺さった焼けた鶏肉を豪快にキメることも一体何時私の焼き鳥ドリームは叶うのかしら?って心配になるわ。
飲食店行けなさすぎて、
任の天の堂を
私も売上に貢献していたのかと思うと、
そろそろ確定申告も秒で今年は終わらせる勢いの私なのよ。
昨年の私とは違うところをとくとご覧あれ!
今年は自信満々に満面の笑みを浮かべながら
とりあえず経費を今期はたくさん使ってしまったので、
そんな日経聴いてる?って雰囲気を漂わせられる用語100選のポケット版の小さな冊子を辞書のように鞄に忍ばせておけば、
日経新聞読んでなくても、
へーって涼しい顔できるってもんよ。
世の中の処世術よ。
戦場カメラマンの渡部陽一さんがもっと早くしゃべって欲しいぐらいに安全な胸ポケットに被弾!
でも大丈夫!
100人乗っても大丈夫!って手を大きく広げている物置でお馴染みのイナバの社長かと思ったら
私もそろそろマグロの解体ショーを間近で見なくちゃって思うのよ。
何度も何度も言うけど、
師匠についている弟子の名前が「たくみ」だったらややこしいやないかーい!って思わず
「たくみ」と「きわみ」だったら
お師匠さん見せてやれ!
極みの匠の技を!!!ってどっちが実演したらいいのかお弟子さん2人顔を見合わせて、
いまの言い方じゃおまえじゃね?って
混乱しまくるわよ。
鮪の尻尾の切り口を見て中の赤身の善し悪しを判断するってところは
でもあれって競り落としたお金の経費って実質広告費なのかしら?とも思うから、
あれは絶対に食費に回しちゃったら
エンゲル係数が爆上がりじゃない。
もうご家庭でお気軽に美味しい鮪が!鮪が!って
そこで初めて合点がいったってワケ。
今度あなたも鮪を食す機会があったら、
率直に美味しいなってことだけを感じて欲しいのよ。
そう普通が一番よ。
だからせっかく鮪の新鮮な切り身が手に入って
それを鮪ステーキにしても
って1回まではいいけど、
2回は言ったらダメだかんね!
せっかく新鮮な鮪を焼くなんて!とか言わないの。
焼肉がとっても楽しみなのよ!
マグロ!ご期待下さい!
うふふ。
あ!そっかそこで日経用語ポケット辞典で調べればいいんだ!って
載ってなかったけど。
やんないけど、
マグロマグロのはなしをしていたらマグロの口になっちゃうわね。
まあ関係ないけど
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
そっか、あるわけないか。ごめんごめん。
じゃあ、仮に有るものとして聞いて欲しいんだけど、今日乗った電車の吊革は本当にひどかった。
最近コロナの影響も何のそので、通勤電車の混雑がまたひどいけれど、今日も座席に座るどころか狛犬ポジションも取れず、
やむなくドア前の吊革を掴んで、押し合いへし合いする車内の圧力に流されまいと思ったんだ。
ところで、吊革で身体を支えるときって、その輪っかにほんの指先を絡めるだけでいいのに、
なぜか手全体まで力が入り、自然とグーの形になってるんだよ。知ってた?
そうだよな。俺も今日まで気づかなかったわけよ。
車圧の苦痛に耐えるので精一杯だから、手がグーだかパーだか考えてる余裕なんて、まあ無いわけで。
でも手汗は気にしろって?
それはともかく、なぜ気づいたかというとな、今日の吊革はゴムみたいに伸びてさ、そのグーの手が、そのまま吊革の下に居た通勤友達の頭にゴーンって当たったんだ。
人間ってとっさの場合、本当にイテッって言うのな。わりと無口な奴なのに。
いや、グーの手というと、まるでこぶしで殴ったかのように聞こえるダメ絶対だが、それは心外。
吊革を掴むと手首は下側になるわけで、正確には、手の付け根のわりと硬い部分でゴーンっていったわけよ。
まあ、グーで殴るよりひどいか。
とにかく、人間の頭って強打した場合、本当にゴーンって音するのは新発見。♪ゴーン
というか、あんな手の硬いところで重力加速度のまま叩かれたら、たしかに痛いだろうことはよくわかるけど、
まあ、まさかのまさかで吊革がゴムのように伸びるとは思ってなかったわけよ。ビヨンビヨーンのダッダーンなわけよ。ひとりエキスパンダーなわけよ。
だから、つい思わずププッって吹き出し笑いしちゃった。通勤友達もそれに吊られて一緒にププッ。
乗客みんなもそれ見てププッププッ。君もププッププッ。
そして、証拠を見せるごとくに吊革を2、3回ビヨンビヨーンさせては通勤友達も大いに納得。
乗客たちも笑いに包まれて、混雑で殺伐とした車内に温もりが生まれた。愛が生まれた。
しかし、それでも代わりの吊革を誰も回してくれないわけよ。ゴムゴムの吊革じゃ、通勤の嵐に耐えられないわけよ。
思えば、「嵐は愛に気づくために吹いてる」のだから、本当の愛には嵐が必要なんだね。おードリーム。
とにかく、ゴムゴムの吊革じゃ満員電車というウェーブに立ち向かえない。
それに俺、身長が160cm無いじゃん。いや、今さらまじまじ見なくても。
だから、吊革の上にある鉄パイプを掴もうと思っても手が届かない。
つまり、ひとりパイプフィニッシュ。排水口じゃなく俺が手詰まり。
このままじゃカーブで、コロナ対策で全開の窓から車外に飛ばされてしまう。
しかしだ。狛犬ポジションも取れない車内の混雑具合が、このときばかりは功を奏す。
難しい話は聞きたくない?
そんなことがあろうか、いやそんなことは…え、いやそんなこと…いや、じゃあスキップしよう。
とにかく、車内の密密具合が波動と同じ働きをもたらしたってこと。
つまり、先のププッとした笑いは車内の先頭部と最後部まで、すなわち運転手と車掌までウエーブのごとく伝達し、笑いの位相速度は電車の群速度を越えるのだと目の当たりにしたのだけれど、
それくらいぎゅうぎゅうに詰まる人間の圧力というウエーブにゴムゴムの吊革で、足元おぼつかなく立ち向かう俺の危機感は伝達しなかったようだ。
「吊革にお捕まりください」どころじゃねぇんだよ。まあ手錠みたいな形だけれども。
仕方なく圧力波なるウエーブに身体の一切を委ねるも、いつもの吊革のようには踏ん張りが利かないから、その振幅には吐き気と新たなイベントを催すほど。
仕方ないので、危機感を通勤友達に伝えようと、心もとないゴムゴムの吊革をできるだけ伸ばし、ゴム鉄砲のように友達の頭を狙うわけだが、
吊革をビヨーンと腕がちぎれるほど伸ばすと、吊革が鉄パイプから外れる。その勢いで電車の天板も外れ、酸素マスクが落ちてきた。
マッハ7と言われる高速からディスクブレーキが働き、人圧がウエーブとして身体ごと前傾する中、
くせの強い車掌さんことキャビンアテンダントは、車内放送で衝撃防止姿勢と車内設備を教える。
前傾姿勢を取り、顎を引き、頭を前の座席に付けるとのことだが、俺には座席どころかゴムゴムの吊革しか無い。
こんな吊革が何の役に立つんだ!いや、人生において役に立たないものなど無いはずだ!
とりあえず顎を引き、前傾姿勢についてはディスクブレーキの勢いでみんな100点。スリルも満点。
あと、禁煙車は3号車らしいが、酸素マスクがあるからどうでもいいわけで、さっそく酸素マスクを身に付けよう。
そう。知ってのとおり「酸素マスク」とは、酸素で作られたマスクだね。
「空気イス」と同じ意味合いだとは、なるほどわかりやすい例えだね。
それでもさすがコロナ禍と言うべきか、周囲を見ると、マスクをしたままその上に酸素マスクをつける奴が居た。
しかしそれはまだマシな方で、酸素マスクの上にマスクを付ける奴も居た。マスクドマスクだった。
しかし、それは一見シュールに見える行動だろうが、理由の無い行動ではない。
与えられた酸素マスクはその広義性に本来の意味を失わないよう、マスクのみなのだった。
もっとわかりやすく言えば、そこにあるのは酸素を放出するマスク面のみで、それを固定する耳バンドは無かった。
つまり、耳バンドを無くすことで本来の酸素マスクの定義(酸素マスク=酸素で構成されたマスク)を片鱗でも感じさせる心憎いマスク、
いや心憎いマスターことくせの強い車掌の気遣いなのであり、マスクドマスクはその車掌に対する返歌、
すなわちバンド代わりにマスクを使うという逆転人生な行動だったわけだ。
一方で、すっかり存在を忘れていた通勤友達には、だからか!と気付きが生まれたようだ。
つまり、バンドが無かろうと、天板から外れたゴム製の吊革でマスク面を顔面に縛りつければよいわけか!
人生において役立たないものなんてないわけだ。上出来じゃないか!
そんな天空の城もブレーキが効き始め、コロナ対策で全開になった窓から脱出できるくらいのスピードになった。
300km/hくらいかな。
鉛直方向にね。いよいよ茶番は終わり、嵐のような風当たりの中を人がゴミのように脱出すべきときだが、
愛が生まれる代わりに、玉座の間こと窓の間からは何かが出ていくだけじゃなく、何かが入ってくる。
そうするとゴミは細かいからみんなの目に入って、大方の予想どおり「目が~目が~」の大合唱。
乗客みんなの大合唱に、欲望という名の電車ならぬ、聴衆という名の車掌こと、くせの強い車掌は、
そこで大団円を感じて無料でスマイルするわけだが、私と通勤友達も目の前が見えないもんだから、
なんだかんだ有耶無耶ってなって、私だけ会社に無事到着。今日の昼飯は春を感じるしらす丼。
ところで、しらすってさぁ、色合いも柔らかさもミニチュアの「吊革」みたいだと思わない?
って話から、こんな長々とした展開になったわけだけれど、もう昼休み終わっちゃうよ?
そっか、電車に「吊革」なんて無いんだっけか。そうだったね。ごめんごめん。