はてなキーワード: ももちとは
http://anond.hatelabo.jp/20161124071825
http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021101000492.html
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酒はおそろしい毒。ドラッグ。犯罪と事故を呼び起こす社会の癌。
年末年始や歓送迎会ではオーバードーズ、いわゆる急性アルコール中毒で毎年3万人が死亡している。
酒を飲むとまず咽頭・食道がやられる。食道静脈瘤や咽頭がんなど。
「酒焼け」とよくいうだろう、あれが出たらもう赤信号。
そして次に当然ながら胃が多大なダメージを受ける。
アルコールが運ばれる循環器系はもちろんやられる、血管バキバキで脳血栓できまくりで脳卒中の最大要因。
「休肝日」という言葉があるくらい皆さんご存知の通り、アルコール分解の主役である肝臓はもうボッコボコになる。
最終的な分解を受け持つ筋肉もやられ、深刻な場合は慢性的な震えや痙攣・運動障害をひき起こす。
そしてアルコールで最も甚大な影響を受けるのが、酒の麻痺効果のターゲットである脳・神経系。
飲酒常習者は脳が萎縮し、非飲酒者に比べ痴呆が10年速く進行する。
慢性アル中患者は脳血流やグルコース代謝が低下し判断力などの高次機能が破壊され、反社会的行動を起こしやすくなる。
さらに膵臓のランゲルハンス島もやられて糖尿病になる。膵炎の半数はアルコール性。
もちろん腎臓もやられるし、アルコール性心筋症は心筋梗塞の最大要因。
それだけじゃない、免疫力が著しく低下するためエイズや肝炎などあらゆる感染症にかかりやすくなり、
酒による肥満はありとあらゆる成人病を加速させ、さまざまな合併症をひき起こす。
さらに言えば、酒の上の暴行や傷害や殺人や強姦など、様々な犯罪の間接要因でもあり、
昨今ようやく少し認識が改まりつつある飲酒運転被害ももちろん酒の害のひとつ。
まさに百害あって一利なし。万病の素。
あらゆる悪の根源。経済的にも社会的にも、恐ろしく多大な損失を生む、まさに悪魔のドラッグ。
それが酒。
いろいろと誤解も多いのだが、いわゆるオタク文化というのは元来「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」の文化である。その点においてジェンダー規範からの逸脱が気持ち悪がられ、長らく迫害の対象となってきた。いまも特に女性のオタクたちはその趣味を秘匿してる人たちが多い。
なんだこれ雑だなあ。あるいは主従が逆転してる。
引用文における「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」ってのはセーラームーンを見るような少年と、キャプ翼とかスラダンとか幽白とか封神演義を見たり読んだりする少女のことを指してるんだろう。“長らく”とあるし、最近のみならずコミケが晴海でやってたような頃のことももちろん含んでるのだと思われる。確かにこういう連中はオタク扱いされた。
しかしながらそれがオタク文化とイコールで結べるかというともちろん結べない。エヴァを好んで見てた連中は男だろうが女だろうが“教室”でモロにオタク扱いされたし、ときメモなんてもっとヤバかったし、シスプリなんて最悪だ。こういう連中がオタクとラベリングされることから逃げるのは、90年代当時不可能だった。
また、「ジェンダー規範からの逸脱が気持ち悪がられ、長らく迫害の対象となってきた」というのもかなり語弊があるというか端的に言って間違ってる。というのはオタクが迫害されたのは社会的弱者が社会一般から見て理解できない、迫害側が見たことのないアニメのような気持ち悪いものを愛好してるからだ。ドラゴンボールは許されるけど、エヴァは許されない。ジェンダー規範からの逸脱が許されないのではなく、所属するコミュニティの文化から逸脱すると攻撃されるのだ。そこに「少年漫画を読む女と少女漫画を読む男」というのは含み得るが、レイヤーは一段下がる。含み得るというだけにすぎない。
ところでいちばん鼻につくのは「いろいろと誤解も多いのだが」という表現。ここでいう「誤解」が何を指すのかわからないが、引用した「いわゆるオタク文化というのは~」以外のオタク文化に関する言説と理解しうるのが普通の読みだろう。しかし「ジェンダー規範からの逸脱」うんぬんはすでに述べたように低レイヤーの事象を拡大解釈して一般化するという誤ったものであるし、誤ったものを真のオタク文化みたいな言い方をしてしまう言説は非常に劣悪だと思う。
元記事は劇場アニメ『聲の形』評であって、オタクうんぬんはその前口上にすぎないようだが、しかし『聲の形』を評するために現実を歪めて解釈することは、むしろそれがいちばん罪深いことだ。
予算:6万
チェックとか無地とか、一生使えるのでシンプルなものがおすすめ。
売り場でとにかく触って、一番気持ち良いと思えるものを買おう。
しっとりしててあったかくて、幸せになれる。ベタだがジョンストンズは最高。
予算:3万
トゥモローランドやエストネーションあたりが選びやすいと思う。
デザインよりも、肌触りにこだわると幸せになれる。肌触りのいいタートルニットは人を幸せにする。
長く着られるので、汚れが気にならず飽きのこない色を買おう。
予算:2万
シンプルな冬の格好に合うような、大ぶりなやつ。
新宿伊勢丹に入ってるようなブランドの、ちょっとあくが強いものを冒険して買ってみると楽しいかも。
ストールとニットを買って幸せになれたので今年はそれを華やかにしてくれるようなイヤリングを買うつもり。
ストールやニットはデパート、もしくはトゥモローランド・エストネーション・ドゥーズィエムクラスなどのセレクトショップで買うと良いかも。
「何の話かな?この人スカトロ好きなのかな?」
まず私が話していることは、「Change The World」。
つまりこの世の、具体的に言うと世論を変えようということです。
誰かが嫌な目に遭わないとそれをなんとかしようという気持ちは生まれないのです。
では、なんとかしないといけないこととは例えば何でしょう?
私はコンビニおでんが好きなのですが、あれは普通フタを閉められずに置いてあります。
閉まってると思ったら今温めてるところだったりします。
「あそこのコンビニは閉まってるよ」などの意見ももちろんあると思いますが、全体の割合で言ったらやっぱり開けっぱなしの事ばかりなのです。
衛生面で問題があったという話は聞いたことがありませんし、私も「しょうがないなぁ」と思いながら買っていきます。
もうお分かりですね。
小便袋です。
小便袋こそ、この悪習を亡き者にする打開策、その1つなのです。
ある日のこと、男の人が小さなビニールの子袋に小便を溜めたものを持って入店し、店員が見てないところでおもむろに
とぷん
うわぁ。おでんは汚れました。
でも1度や2度ではバレないでしょう。
とぷんとぷんとぷんとぷん
この事は徐々にバレてテレビで取り上げられるほど大騒ぎになり、ある日警察の努力の甲斐あり犯人は捕まります。
犯人は自己破産をしないといけないくらいの慰謝料に押し潰され、社会的に最悪な意味で有名人となってしまい、残りの人生なかなか生きづらくなるでしょう。
頑張って生き抜いてほしいですね。
でも彼の行いは決して無駄ではないのです。
日本だけではありません。海外でもちょっとしたおもしろワールドニュースとして取り上げられます。
「ワーオ!AVの見過ぎでスカトロを共有かい?いつものジャパンだね!HAHAHA!」などと言われ、redditのデイリーランキングで8位くらいは取れるでしょう。
その大騒ぎを受けてコンビニ各社はこの事件以後、全てのフタを閉めるよう対策を取るでしょう。
目的意識を持って異物を入れようとする輩がいたとしてもある程度は足切りできるでしょう。
本物の人にはかないませんが、それでも有効な策です。
どうです?
結果としてコンビニからフタ開けっ放しのおでんはなくなりました。
小便おでんを食べた被害者は一生の心の傷を負い、犯人は後の人生に大きな打撃を受けました。
これが犠牲なのです。
この犠牲が世間の「なんとかしようという気持ち」を生んだのです。
その気持ちに押されてコンビニ各社は対応せざるを得なかったのです。
どうです?
あなたはスカトロを期待してこのページを開いたのかもしれませんが、とんでもない知見を得られましたね。
もちろんこれは世論を変える方法のただの1つに過ぎず、しかもおすすめできる方法ではありません。
とは言えこれを見てあなたがビニール袋を買いに100円ショップへ走ったとしてもあなた以外の誰の責任でもありません。
そう思うと心が楽ですね。
別に女にも責任があるって言うのは構わんけど、そう言ったところで大して実益がないんだよね。
せいぜい「若い女の子はキケンな場所や人に近づかないようにしましょう」ってのが確認される程度でしょ。しかもこれだって事件が起きればおのずと分かることだし、わざわざ責任云々を議論する必要もない。
むしろ女の側の責任を問うと、加害者の責任を減じたり、被害者を不当に叩く方向に話が行っちゃいがちな点で、責任を問うのは有害とさえ言える。
あと、
他ならこうはいかない。
中東で捕まった人がいた時には、自己責任だの税金の無駄だの散々言われたものだ。
首を切られてもバッシングがやまなかった。
長い長い、永遠とも感じる不況により、日本は超少子化・超高齢化からさらなる東京一極集中が進みそうだ。
このままの状況だと、日本は緩やかにアフリカ化していくかもしれないと思っている。
まぁ、多分そうはならないとも思うが。
アフリカ、と一緒くたに語ることはもちろんできないが、大雑把にアフリカ諸国の問題を見てみよう。問題は複雑極まるが。なるべく単純化して。
1.アフリカは近代以前にまともな国家がなかった。あるいは植民地化によって政治がリセットされた。これにより、国家の基本である、「国民の大多数を占める農民から税を取り、それを基本収入とする」という段階が存在しなかった。大雑把に言えば、「行政が全く行き届いていない状態」だった。
2.独立国家となった後の収入は、地下資源と他国からの援助である。これが、「行政を国民に行き届ける」必要性を失わせた。つまり、国に遍在する農業を生業とする国民たちを無視しても何ら問題ない状態のまま、「国家」が成立してしまった。
3.国民の大部分は、生きようが死のうがどうでもいい存在である。税が取れないから。取ろうとしなかったから。取らなくても別にいいから。取る苦労なんてゴメンだ。援助が降ってくるし、黙ってても地下資源が金を稼ぐ。
4.政府が国民(農業民)を守る意味が完全になくなった。むしろ、邪魔な存在となった。農業民から上がってくる税金や作物は極小。むしろ税や作物を取り立てるコストのほうが馬鹿でかい。
5.こうして、行政の行き届かない地域に軍閥が跋扈する。応仁の乱以降の戦国時代と同じ状態。地方の顔役、豪族、長老が行政の代わりに台頭してくる。そして、彼らはもちろん、鉱山などを制圧する。農業民は金を持ってないから。支配する意味がないから。
6.そして、虐殺が始まる。鉱山などを維持できるだけの人数がいれば、あとの人間は無駄に飯を食うだけの邪魔者となる。「儲けるために人手が必要」なのでなく、「儲けるためには人間を削減しなければならない」から。
7.こうして地方軍閥は肥大化し、政府にそれを止めるインセンティブはなく(軍閥から上がりを受け取ればいいだけ)、国民は死に続ける。
改善されてきている国や、最初からうまく行った国ももちろんある。しかし、多くのアフリカの国は、まさに今が戦国時代のどまんなかである。刀や弓でなく、AK47でやる戦国時代だ。
秀吉の刀狩りは、軍閥を解体しつつ農民の必要性を大幅に上げ、「農民が国家財政の柱である」と明確に打ち出したものすごく重要な政策なのだが、あんまりこういう評価はされてないな。
ホットエントリなんかのブコメを見ていると、地方と東京の対立をよく目にする。まぁ以前からあったんだろうが。
お馴染みの野菜瞑想運動バカなんかは愚かにも「地方は切り捨てないとダメだ」なんて言ってるが、上記のアフリカの状況を見りゃ「地方を無意味にすることの恐ろしさ」はわかるよな?こないだの新潟知事選、自民党の広告がひどい、と話題になったが(政府とのパイプを維持します、みたいな)、あれは一定の真理はあるんだぞ。まぁ俺は自民をことさら支持するわけじゃないし、あの文言はダメだろと思うが。
日本の場合、地方に行政が行き届かなくなると、そこの領主が軍閥となる。昔で言えば国司や守護だな。現代はもちろん知事だ。まぁ現代日本では私兵は持てんから軍閥とは言わんだろうが。
「地方政治の腐り具合」というのはすなわち、「地方の軍閥度」だ。
行政が地方を切り捨てたら、軍閥は必ずできる。そしてそこにいる人々は軍閥に期待する。せざるを得ない。生きるために。
だから何としても政府は、地方へ行政を行き渡らせなければならない。これは国家の義務であり、存在意義であり、生き残るために必要なことだ。
まぁ結論としては、地方を切り捨てると内乱が起き、一度起きたらそうそう止まらないぞということだよ。
当たり障りのない結論になったが。
写実性が高くなると刺激も強くなる、というのはエロに限ったことじゃないね。
豚を輪切りにした絵が肉屋の看板に使われることがあるけど、実物の写真を使ったら大惨事だし。
だからといって、血管を描くとグロいとか、組織の断面がグロいとか、表現の内容に具体的な基準を作ってもあまり解決しないとも思う。
極端な話、「何が地雷か」「何が名作か」なんて説明して理解させられるものではない。
批評の努力ももちろん大事だけど、規制の網を掻い潜るチキンレースがいくらでも可能なのも事実。
だから表現の内容を厳密に決めるのは諦めて、感情的に叩くのも、チキンレースも両方共ある程度自由に任せるとして、
ここから先は内容無制限っていう表現していい場所を確保した方が早いんじゃないっていうのも思うんだけど、
ゴジラに自分の町が破壊されるのは嫌だ、駅がエロゲの販促をするな、みたいな反応まで含めて、
公共機関が関わると表現の場所も簡単に曖昧になるのかな、という感じで、
結局よく分からなかった。
どうでもいい話ですが、なんか書いてすっきりするためだけの自己満足増田なのです。
妻と結婚する前に、最後につきあってた彼女は、自分基準では本物の理想の人でした。
知り合って、お互いを知って、徐々に好きになっていくというのではなく
理想としてイメージしていた人が、突然目の前に現れたという感じで。
理想の人が、本当に実在するなんて夢にも思っていなかったし、そんな人がまさか自分の彼女になるなんて夢のまた夢でした。
東京の街で、何万人とすれ違う今でも、そしてどんなきれいなタレントでも自分にとって彼女を超える理想の人はこの先の人生でいないと断言できます。
追記:どういう意味で理想だったのか?というのがあったのですが、なんか書いてしまうと陳腐になりそうで書いてませんでしたが一応書いておきます。
いろんな要素があるので一言で言うのは難しいのですが、もちろん容姿も100点です。ただ、それだけではなくて、普通の女の子にはない、ちょっと常識外くらい合理的に自分らしく生きている人、危なっかしいくらいの自由奔放さ。人を好きになるということの価値観、これまで歩んできた人生、などなど、ちょっと言い表すのが難しそうです。
ある日、そんな彼女と、ちょっとした偶然も重なりまさか、まさか付き合うことになってしまいました。
ただ、1点、彼女には若干ヒステリックな面とちょっとした暗黒面(障碍者への嫌悪)がありました。
そんなに好きなのだから、なんでもハイハイ受け入れて聞いていればよかったのですが
今後も対等に付き合っていくためには、こちらもしっかり反論しないと長く関係を築けないだろうと思い
折れてしまってもいいことに、あえて対等に反論するようにしていました(内心フラレるのではないかとびくびくしながらも平静を装って)。
結果、毎日のようにヒステリック攻撃を受けていたのですが、仲が良い時ももちろん有り、つきあう分には全然耐えることができていました。
友人の家で10人くらいで集った会で、今妻と知り合いました。天真爛漫できれいな人だとは思いましたが、なにせ理想の人とつきあっているので、全然興味がその時はありませんでした。
しかし、その会の翌月くらいから今妻の猛アプローチが始まりました。
直接的に好きだとか言ってくるわけではないので普通にメッセージのやり取りはしつつも流していたのですが
ビンビンに気持ちが伝わる感じで、それでいてきれいな心の人だというのが伝わってきました。
30中盤にさしかかり結婚を意識し始めた自分は、つきあうとか、そういうことだけではなく、本気で自分の人生を冷静になって考えようと思いました。
そしてこんなことを考え始めました。
10年後、その先も隣で笑顔でいてくれるのはどっちなのだろうか。どっちがイメージできるのか。
結局、自分は結婚後の平穏を望んでいることに気付いてしまいました。
そこで断腸の想いで理想の人と別ることを決心し、今妻とつきあい、そしてその1年後に結婚しました。
今でもこんなことを思い出して書いていることに、今妻への罪悪感はありますが。
二度とその理想の人と会うことも連絡を取ることもないでしょう。
理想の人に会えたことで、もうこれ以上がないというところを知ってしまったからです。
つきあうのと、結婚するのは何が違うのか。ずっとよくわからなかったのですが、今ならそれがわかった気がします。
この先の人生をイメージできるかどうか。なのだろうと思いました。
理想の人と結婚できるなんて、幸せなこと。というのは、その理想像が人によって違うから一概には言えませんが
なんかこうやって書いてみると、つまらない、はいはいだからって感じの記事ですね。それが書けるから書いているのだと思いますが。
もう何度も出尽くされた話だけど、数年作る側として同人誌を頒布してみて価格について自分なりに考えたことをまとめようと思ったので。
価格のことはイヤでもついて回ったのであくまで一個人の考え方としてアウトプットしてみる。
そもそも弱小サークルなので印刷費+スペース代がとんとんって感じだったけど、それでも最終的に大きな赤字にはならなかった。
これは本自体を少しだけ多めに刷って半年以上(本によっては一年とか)+通販で在庫を捌けさすスタイルだったことももちろんあると思うんだけど、私のようなへっぽこが趣味として同人をしていくうえで赤字が少なくすんだのはジャンルとカップリングと毎回新刊を手に取ってくださった方々に感謝するばかりです。
私はこれを「多少は儲けたっていいじゃん」と思っている人だけど、黒字がでた分に関してはできれば他の人の同人誌買ったり、お世話になってる印刷会社さんにお金を落としたりしてくれれば嬉しいなぁとは思う。
私のカプでも【多少は黒字でたっていいじゃん派】と【同人で黒字なんてもってのほか派】と両方いた。
んで私の周りの【同人で黒字なんて~派】はとにかく儲けている人への攻撃がすごかった。
あくまで私の周りだけだから特殊な人が集まっただけだと思うけれども、黒字をだしてそうなサークルでノベルティ等で還元してなさそうな人はもうなんか思い出したくも無いレベルで罵っていらっしゃった。闇を聞いてしまったと思う。
これはすごく勝手な分析だけれどもその人たちはおそらく「ジャンルに対して真摯な自分」であり「ジャンルで儲けようとしてる人間」を許せなかったんだと思うし、「自分たちがやってないことを平気な顔してやってる人」に腹がたって仕方が無かったのかな、とも思った。
これは、同人に対しては半分正しくて半分間違ってることだなと思った。
例えば普通の趣味で、何か習い事をしたりするってなったときに先生との相性、立地を含む通いやすさとかを見ると思うんだけど富豪でもない限り必ずそれに伴う料金を考えると思う。
少なくとも私は見る。めっちゃ考える。続けていくうえでどこまで趣味に投資できるのか。お金を使えるのか。自分の月収から趣味に対してどこまでの金額を使えるのかっていうのは結構重要なことだと思っている。
普通の趣味もしくは習い事(例えば語学教室とか料理教室とか)って同人と違って金銭のリターンがあるほうが珍しいんだよね。
だから趣味は赤字が当たり前で、その赤字(というか自己投資なんだけども)を財布と相談したうえで現実的な値にするかというのも本人に決定権がある。
同人は誰かに強制されるわけじゃないから多くの人にとって趣味だけど、当人と印刷会社だけ額を決められないんだよなぁっていうのに同人誌を作りはじめてちょっとたった頃に気付いた。
私の月収、生活環境から一ヶ月の趣味にあてられる金額は2,3万円ぐらいが自分の中での目安だっだ。
参加する即売会イベントは基本的に2,3ヶ月に一回、ぐらいなので一回のイベントに対して掛かる金額は4万~6,7万ぐらいになる。
ここから私は【交通費】【スペース代】【印刷費】【当日買いたい同人誌】を全部まかなっていた。冒頭でも書いたけども弱小サークルなので基本的にこれだけの額があれば上記はクリアできたし、頒布側の人はわかると思うけれどもこれがいっきににドカンとくるわけではないのであくまで目安としてほしい。
一例としてあげると
一月:スペース申し込み代金4千円~6千円
二月:印刷費(私の場合)約3万~5万(部数とページ数によっての変動や印刷会社による価格の違い)
三月(イベント当日):交通費(東京の場合往復で5千円程度)、同人誌の購入費平均2万ぐらい
こんな感じで多少の変動はあれどまったりとやっていた。
ところがどっこい。私ももちろんサークル参加するとあるイベントで嬉しい誤算が起こった。
再録、アンソロ、分厚い個人誌のオンパレード。同人誌は一期一会買わなければ絶対に後悔する。
馬鹿だと思ってくれていいんだけどそれはもう欲望のままに買った。戦争は大勝利だった。財布はもちろん瀕死だった。
冒頭にも書いたけれど私は本自体を少し多めに刷って、半年ぐらいは持つように在庫を持っていた。
新刊の内容や装丁、参加者の入りに左右はされるけれども基本的に一度のイベントで印刷費が回収できることはない。そういうサークルでした。
このイベントで私の本が売れたかっていうとまぁ、まぁいつもと同じでした。
つまり私は予算オーバーをし(これは自己責任であり本が摂取できてるので心は安らかだった)、イベント以降も自分にとって大きな額の赤字引きずったままだった。
続けていくためには黒字にできなくても現実的な赤字に戻さなければ生活は圧迫されたままだ。
結論を言うと印刷費を削った。ページ数は無理だったし装丁はオプションのせてなかったので部数を削りました。
毎回イベントでは余ってるし、半年~一年持たせなくてもとりあえず落ち着くまではイベント一回分と通販あればいいかなって。
本を作るのは好きだし、手に取ってもらえると嬉しい。でも私の場合は人が作った本も欲しかった。次のイベントもおそらくこのフィーバーは続く。アニメ化して人気だったし!!!次イベは丁度推しのパートだし!!
買いたい本に割く金額が増えるのだから、使える金額の上限が決まっている以上どこか切らなければならない。
いつもより人が増えた今回のイベントで新刊の頒布数は変動していないのだから減らしてもいいだろう。そう思ったのだ。
そして次のイベントではありがたいやら部数読み間違えて悲しいやら新刊はまさかの完売だった。
受け入れてもらいやすい内容だったのも影響したのかもしれない。その本はイベント開始から1時間もったかどうかも怪しい。
サークル活動を続けて私はここで初めて複数名から「再版ありますか?」と声を掛けられた。
刷れば刷っただけ一冊単価が下がるのが同人誌だけれども、部数を減らした私は完売しても印刷費分がやっと回収できるレベルだった。
金銭面を総合するとここでやっと普通の生活に戻れるラインにはなっているが、正直再版は厳しい。だって既刊はまだ残ってる。これ以上部数を落とせば原価割れで売れても売れても赤字になるわけで、残っている既刊が全部はければ再版分の赤字を補えるがそんな奇跡に期待するのは厳しい。果たしてその赤字は私の中の現実的な赤字に納まるのか?その赤字を抱えたまま次の印刷費は捻出できるのか?と思うと再版はできない。
ごめんなさい、と言うしかなかった。(今でも読みたいと言ってくれた方がいたのに再版する財力が無かったことを悔やんでる)
それまでが長めに頒布するスタイルだっただけに、いつも手に取ってくださってた方々も「あのサークル(私のサークル)は長めに頒布してくれるから後回しにしても大丈夫だろう」と思ったのだと思う。私も買う側なら私のサークルをそう判断する。
結果として手にはいらなくてももちろん自分の判断を悔やむしかない。けれどこの時ふと思った。
「あれ?これって私はこの程度で済んでるけどシャッターや壁なんてこのレベルじゃ無理だよな?っていうか文句つける人でてくるだろ」と。
有名になればその分だけいい人も悪い人もついてくると思う。
そして有名な人がみんな財力をもっているわけじゃない。
私の印刷費はかかっても過去最高で5万円ぐらいだったけど(それでもこの額を振り込むときは勇気がいった)、大手サークルはなんかもう「私の生活費からだせる印刷費はここまでの額で刷れるぶんだけ!」って決められるレベルじゃない人ばっかなんじゃないだろうか…
みんなが富豪なら問題ないけど、きっと人気のあるサークルさん(壁やシャッターだけでなく)の中には学生さんもいたりするんじゃないか。そしてその人たちの財布の状況とは別に需要が発生してしまうんじゃないか。
私は自分の頒布数と印刷費が自分で決めれるけれど、そうじゃない人もいて、そして需要を作っている人間に間違いなく本を買った私も含まれているのでは?
そう思ったら【同人誌で黒字なんてもってのほか派】が途端に恐ろしくなった。
いやいや、だって、本が買えなかったら悲しいじゃん…本欲しいよ……買わせてくれよ……印刷するための多少の黒字は確保しててほしいよ……
次の印刷費にあてるだけの黒字は持っててくれるほうが安心するよ……再版で毎回赤字のリスク抱えるのやめてくれよ……額でかすぎたら心臓キュってなるじゃん
次の印刷費の満額だすような黒字じゃなくてもさ、せめて半分だけでも黒字分を確保してくれてたら安心だよ…
女性向け界隈では人を叩くのに使われる「完売はわわ」「再版はわわ」というのがある
最初はツイッターとかで「完売しちゃってごめんなさい><はわわ」ってする人のことだと思ってたんだけど、毎回毎回再版してる人のことをサークル側が「いい加減学べば?馬鹿じゃないの?」と言ってたりもする…女が集まってるんだからこんなのはたぶんどのジャンルやカップリングでも多かれ少なかれでもあるのかな、と思う。
私の場合は買う本を減らせば印刷費に当てられたけど、たとえば最初からどうしても我慢が出来ない分しか本を買ってない人にそこを我慢して印刷費にあてろというのは酷だし、そもそも既にそこを削っている人もいるかもしれない。
私は欲望を抑えられなかっただけなんだけど、今は不景気だし減給とかあとフリーランスの人は収入自体が左右されたりするんじゃないかな、と思うとやっぱり赤字を現実的な額に抑える努力は必要だし、赤字抑えた結果の本が手にはいらなくなるぐらいなら黒字だしていいから刷ってくれ!頼む!って感じがする。
こういうのを誰かと話す機会もなくなってしまったのでどこかに頭の整理として書きたかった。
作品は自分の子供なんです!とか、本が売れないと創作意欲が萎えるからとか、神のアフター代まで賄うべきとか、印刷費以外の経費のことを考えろ!とか私はそういうことを言う気はさらさらないです。
ただ「欲しいと思った本」が「その時に欲しいと思っている人に届けられる冊数」が成り立てば最高だなって思ったら、黒字は金銭的にはもちろんメンタル的にもすごく大事なことなんじゃないかな、と思いました。
もてないわけじゃなかったけど、言い寄ってくる男の人が気持ち悪かった。
かわいいとか言われるのも嫌だったし、女として誉められるのが本当に苦痛だった。
でも、普通に恋愛相手は男性だと思っていた。好きな人できなかったし、気持ち悪かったけどそのうちいい人と出会ったらかわるかなって。
言い寄ってくる男は無視。
あれ?って思った。
なんか違う。ときめきとかなくて、ただただ時間が無駄で、きつくて、苦痛だった。
で、困ってしまって、カウンセリング受けてみた。同性愛者っぽいって言われて、びっくりした。
おかしいな?と思って、LGBT専門のカウンセリング受けてみたら、また同性愛者っぽいって言われた。
?????って思って、ネット友達にビアンの子がいて、その子誘って、ビアンのイベントに行ってみた。初心者が集う感じのやつ。
口説かれてうれしくなったのって初めてで、顔近づけられても嫌悪感なくて、うれしかった。
ああ、女の人が好きなんだ、ってすとんと腑に落ちた。
今までもてたい、て気持ちになったことがなかったのが、今、もてたい、と思う。
恋人、ほしい。いちゃいちゃとか、したい。
私、普通に恋愛できる人間だったんだ!って、そのことに浮かれてる。
同性愛者ってことに悩んでいる人、たくさんいると思う。
でも私は、それがわかってうれしかった。
それだけなんだけど、それが書きたかった。
そういう人もいるんだなって、もし誰かがこれを読んで思ってくれたらちょっとうれしい。おわり。
追記
こんなにたくさん読んでもらえると思っていませんでした。
年齢についてですが、アラサー=四捨五入して30、というつもりでした。
友達とアラサーになった!ってよく話していたので、普通の使い方かとおもってました。
ずっと、なんで彼氏いないの?と言われ続けていて、チャンスもあったのに何故か逃げてしまう自分にずっと悩んでいました。
彼氏がいない自分が好きなんでしょ、とか言われたこともあって、そうじゃないのに、恋愛したいのになんでダメなんだろうって悲しくて。
それが、対象が違ったけど私も恋愛出来るんだ!!って思えたことが本当に嬉しかったんです。
結婚して子供を産んで…と、一般的に考えられる女性の生き方的なものをしていかなければ、という想いが強くて、なかなか気付けなかったのかもしれません。気付いてからは、あっその生き方は出来ないんだ、まあ仕方ないか、と割とあっさり受け入れられました。こうしたい、というよりしなければ、という気持ちが強かったみたいです。
コメントでも頂いたように、辛いこととかももちろんあると思うんですが、今までの辛さよりぜんぜんいいな、と思います。
長くなってしまいましたが、優しいお言葉本当にありがとうございました!
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.nikkei.com/article/DGXLZO07909200S6A001C1TJC000/
ブコメでは年齢採用をやめよとかいう頭お花畑なコメントが上位に来ているが、
「採用する300人のうちに経験者が含まれていれば芽を摘むことになる」というコメントに答えることにする。
経費削減について理解していれば、これもまた経費削減策の一環であることは理解できるはずだ。それと同時に、お花畑な回答もしなくなる。
採用する300人の中に、経験者を含めるのは、当然である。ヤフーがやろうとしてるのは、「300人全員が経験者でも構わない」というスタンスである。そしてこの取組みはそれなりに成功するだろう。
ヤフーぐらいの企業であれば、転職の募集をすれば人材が掃いて捨てるほど募集がかかる。これはどれもが新卒よりは優秀な人材である場合が多い。
しかし、予算が決まってるのでホイホイと多めに採用はできない。なぜなら、採用する枠は新卒に割かれているからだ。
合理的な企業であれば、そんな馬鹿な雇用環境に付き合う理由はないだろうし、ヤフーはただ合理的な判断に基づいただけである。
なぜこの国は募集かければ腐るほど人材が集まる企業で新卒採用をしているんだろうか。そいつらの専門性が活かせるならわかるが、そうでない場合が圧倒的だ(特に文系。)
これは大抵の人間が言っていることだが、今の大学は多すぎる。職業訓練校に変えてしまえばすべての企業にメリットがある。すべての企業にメリットがあるということは、すべての国民にメリットがあるということであり、すべての国民にメリットがあるということは国家にとってメリットがあるということであり、やらない理由はないはずだ。
デメリットももちろんある。研究の受け皿は少なくなる。しかし考えてみてほしい。F欄の研究者が具体的に何を為した?どんな論文を書いてどれだけ引用された?
研究の裾野は広い方がいいと言うが、F欄を放置して、研究未満、論文未満の人間を放置して、裾野を維持するなどとは笑わせるぞ。
そういうやつもどんどん放り出せるように、改めねばならない。
それで日本から研究者がいなくなるなら、結果的にそうなってしまったなら、私はそれでもかまわない。そうなる前に手を打てなかった国家、大学の無策であり、可能性ある日本人は国外でどうとでもやるだろう。
話が逸れたが、この結果若者の失業率が上がると言うなら、上がってしまえばいいと思う。能力のない人間は程度問題にせよ雇う価値がないのが社会人である。
いつの時代も無能な若者だが、それは社会人になるまでに使える人材になれなかったやつが悪い。これからはそうすべきだ。
何かになりたいと言うなら、そうなる前にその資質を備えてから来るのが当然である。金に汚い人間が政治家になろうとして「明日からクリーンになりまーす」と言って誰が支持するだろうか。
若者よ、働きたければ使える人材になれ。歯車になれ。使えないなら万年深夜バイトで死ぬ覚悟を決めろ。
お前の強みは何だ?若いときは誰でもある。強みでも何でもない。資格は?普通自動車免許は都市圏でも最低限だよね?
東大を出たから何だというのだ。ネコ文二だろ、レイプ犯の同類め!今から頭踏みつけにしてやるから土下座しろ。
例えば、ライトノベルの分野で言うと、今は売れるための絶対の方法があるんです。
ライトノベルの主人公は努力しちゃダメなんです。読む側が自分を投影できなくなるからです。ヒロインは都合よく向こうからやってくる。超能力などの能力は、いつのまにか勝手に身についている。今のライトノベルの多くが、そういう設定で書かれていますよ。
――恋人や能力を努力して勝ち取るのではなく、何もしなくても、いつの間にか恋人と能力を手に入れているという設定でないと売れないということですか。その努力の過程こそが、今までは物語の根幹だったはずなのに。
そうです。今は努力できる立派な人物が主人公だと、読む側が気後れして感情移入できないんですよ。主人公は読者と同じ等身大の人間。そして、主人公に都合のいい物語を求める傾向が進んできた。文学の世界でもそうなってきていると思います。
http://www.yomiuri.co.jp/yolon/ichiran/20160923-OYT8T50010.html
散々話題になってるけど、ちょっと驚いたね。あまりに時代錯誤すぎて。
たしかに「主人公は努力しちゃダメ」論、聞いたことあるよ。2ちゃんねるとかまとめブログのコメント欄とかでよく見る。
けどその認識って、あまりに時代遅れっていうか、昨今のライトノベル情勢について、言い訳のしようがない勘違いがあってさ。
だって、今この時代――2016年のラノベ業界って、「努力しちゃダメ」どころかむしろその反動、カウンターの時代に突入してるんだから。
とりあえず、まずこの辺を見てほしい。
これはネットのラノベ読みがみんなで投票してその半期ごとのベストライトノベルを決めるっていう企画で、
参加サイト数はブログ・Twitter含めて296個とそこまで多くはないけど、積極的にライトノベルを読んでいるいわば「最先端の層」にいる人たちが作ってるランキングだ。
ちなみに俺は2016年上期にランクインしてるもののうち、まあ全部は読んでないんだけど、上位の4作品は全部読んでる。
そこでまず、言わせてもらう。
これは、川上さんにとって、とても残念な発表なんだけど、その上位4作品のうち、なんと、3作品が。3作品が、だよ。
「ちゃんと努力する」ってことを、大きなテーマとして掲げてる物語なんだ。
あーあ、やっちゃった、って感じだろ?
この段階で、「主人公は努力しちゃダメ」なんて、少なくとも2016年には時代遅れだってことがわかるじゃんか。
ちなみにその3作品っていうのが、「りゅうおうのおしごと!」「最果てのパラディン」「弱キャラ友崎くん」の3つな。
1位の「りゅうおうのおしごと!」は別の記事(http://anond.hatelabo.jp/20160928053429)で語られてたからここで語るまでもなく。
じゃあ残りの「最果てのパラディン」「弱キャラ友崎くん」になるけど、まずは後者の方に、典型的なシーンがあるから抜粋する。
「負け犬の遠吠えって言ったのよ。リア充みたいな人生は嫌い? リア充の人生を送ったことがないのに? バカみたい。なんで嫌いだってわかるのよ? リア充の楽しさを味わった上で、でもそれは楽しくない、って言うなら筋は通ってるわ。けど、あなたは味わったことない。だったらそんなのただの酸っぱい葡萄、負け犬の遠吠えね」
(中略)
これは「弱キャラ友崎くん」の序盤のシーンで、ヒロインの日南葵が主人公に言い放つ言葉なんだけど、このセリフ以降、
この作品の根底には常にこの考え方が通底してる。この物語の主人公は、ここから「表情筋を鍛える」「人と話す話題を暗記する」みたいな
クソみたいに地味な努力を積み重ねていって、リア充を目指して人生を攻略していく。マスクを付けて、その下を常に笑顔でいることで、根暗っぽい表情を消したり、
単語カードに人と話す話題を書いて暗記して、雑談を得意にしたり。とにかくそんな感じの話で、総じて言えば「努力賛歌」だ。
そして重要なのはこれがきちんと、いま、注目されて、売れている、ということ。
さてさて、それだけじゃない。お次は「最果てのパラディン」だ。
この作品はいわゆる「なろう」から書籍化した「なろう小説」で、例に漏れず主人公のウィルは現実世界から異世界へ「転生」する。
しかし重要なのは、「転生」によって生まれた主人公のモチベーションだ。
どうしようもなく曖昧で、混濁した生を送り。その靄のなかで、そのまま死んだ。
なぜだか、じわりと涙が滲んだ。こらえようとして、唇を引き結ぶけれど、それでも涙はぽろぽろとこぼれてきた。
(中略)
失敗してもいい。無様でもいい。泥にまみれてもいい。
僕は、今度こそ。今度こそ、生きるんだ。この世界で、生きるんだ!
こんなふうに、今までニート(?)として曖昧に暮らしてきた自分を恥じ、「今度こそちゃんと生きる」ことを心に誓う。
そして、前世の知識、というアドバンテージはありながらも、地道な剣術の練習、魔術の練習を繰り返し、
大きなドラマを乗り越えながらも旅に出る、という物語を、なんとまるまる1巻を使って描く。
0歳から主人公が成人するまで、地道に筋肉を鍛えたり、座学を受けたり。もちろんそれが物語にはなってるんだけど、
1冊ほぼ半分が「特訓」の描写であると言っていい。特訓はキツイことだけど、「ちゃんと生きる」だめに、そこから逃げない。そんな話だ。
そしてこれももちろん売れてる。となると、おかしな話になってきましたね。
これも言うまでもなく、「主人公は努力しちゃダメ」論の真逆なのにな?
ちなみに、上記の抜粋シーンはいずれも、1巻の50P以内に出てくる。
こういう価値観が、そもそもの前提として物語られてるってことがそこからもわかるよな?
さて、つまりだ。
積極的にライトノベルを読んでいるいわば「最先端の層」にいる人たちが作ってる2016年上期のランキングの、
上位4作品のうち「りゅうおうのおしごと!」「最果てのパラディン」「弱キャラ友崎くん」の3つが、
明らかに意図を持って「努力」のシーンを丁寧に描いているってことになる。しかも、どれもちゃんと売れてるんだ。
川上さんはそれでも、「売れるため」には「ライトノベルの主人公は努力しちゃダメ」なんて言えるのか? って話だよ。
「取材記事の文章の中身やニュアンスについて文句を言われても困る」なんて言い訳にすらなってない。
だって、これはもうニュアンスってレベルの話じゃない。むしろ逆、いま「売れるため」には「ライトノベルの主人公は努力しないとダメ」なんだから。
と、そういう話。
仮病で会社をズル休みして書いてる。ニートに向けて書いてる。お前ら、ニャーキャリみたいな大成功体験談を読んでITに入ったら死んじゃうよって話だよ。読めよ。
一昨年までニートしてた。いつかは脱出しなきゃと思ってたけど、どーせまともな職になんか就けないし無理だろーなーと思ってた。でも、そこでひとつのブログに出会った。ニーキャリ/ニャーキャリというブログだ。ニート脱出界隈では、それこそ神のごとく崇められてるブログだ。高卒ニートからブラックITに入って、最終的に外資系企業のエリートSEにまで上り詰めた凄い人が書いていた。しんどいけど、ニートにはITがお勧めだよ、スキルを積んで転職すればいいよと言っていた。自分も高卒で長いことニートしてて、ずっとパソコンで遊んでたし、俺もこのルートで人生逆転できるかもと思ってしまった。馬鹿だった。
ブラックITに入って、今SEをしている。死にそうだ。仕事も人間関係も社長がいきなりブチ上げる意味不明な社内行事(運動会やってます。本当です)も全部最悪だ。職場では俺がニートだってことがみんなに知られてて、いつ辞めるのーとか笑いながら言ってくる。まあ仕事自体はブラックなのは覚悟してたので、涙を流しながら耐えてるけど、それ以上にしんどいのが、ITに全く興味がモテないことだ。結局、ニャーキャリを書いてたexneetさんはITへの興味と適性があって努力できたから成功したのであって、俺みたいな糞凡人にーとがこの仕事してても全然できるようにならないし、興味も持てないしで、そんなんだと転職なんてできるはずもないし、もう展望がぜんぜん見えないよ。最高だ。
ニャーキャリは、ニートでもやれるという前例を示して、ニートの連中に大きな希望を与えた。それは間違いないよ。でも、逆に無垢なニートの連中をブラックITに飛び込ませた罪もあると思うのよ。exneetさんは一年くらいでポンポン転職してたけど、今ではそんなのうまくいくはずないし、それ以上に、99.999999999999%のニートはどう足掻いてもITの高度な仕事なんかできるようにはならないよ。身の程を知るべきなんだ、俺らは。たぶん、周囲もコミュ障ばっかの糞底辺現場仕事に就いた方がずっと幸せになれると思う。夢なんか見るな。
責任感とか、非常時の対応みたいなのではそれなりに評価されてるので、ITを辞めて警備員でもやろうかと思っている。警備ももちろんしんどいだろうが、ITの精神をダイレクトに殺しにかかる悪夢のようなしんどさよりはまだマシだろう。ネットで調べたら、アホみたいな社内行事もないみたいだし。
とりあえず、ニート脱出を目論む人間はニャーキャリは信じちゃいけないよ。あれはたまたまニート経験があるエリートの体験談だよ。都合のいい話を信じちゃいけないよ。業界の裏話や不満や愚痴を調べて比較して、これだったら何とか耐えられるだろう、自分はこのストレスにならまだ耐性があるだろうと思えた職業に就くべきだ。ホワイトカラー、デスクワークなんて下らないよ。奴隷だよ。これなら現場仕事のバイトの方がまだよかった。
そんな無駄に食う分があったらアフリカの子供に……という、いつもの理屈である。
なんでも、終わった後は吐いてるらしいから、確かに食べ物の無駄と言われてもしょうがない。
投書では触れられていなかったが、危険というのももちろんある。
しかし、よくよく考えてみると、食い物を無駄に消費するという点では、他のスポーツも同じだ。
例えば相撲の力士。体重別ではないため、基本的には太るほど有利なルールになっている。
だから、彼らは毎日のように、稽古をしては大量に食って寝る。太るのも仕事のうちだという。
小兵で活躍すればもてはやされるが、それはレアケースだからで、やっていくのは厳しいのだろう。
つまり、力士でいる限り、不必要に食うことがほぼ必要とされている。
みんなそんなことはわかっていて、でもまあしょうがないよね相撲だから、とごまかしているのだ。
けしからんからテレビ中継なんかやめてしまえ、という年寄りの話なんか聞いたこともない。
大食いとの差はただひとつ。その光景をテレビで直接見ずに済んでいるだけだ。
だからあの体を見ても何とも思わないのだろう。
結構前になるんだけど、マイケルムーア監督の「世界侵略のススメ」って映画を見た。
元々この監督は好きだったし、今回もアメリカンなブラックジョークで笑かしてもらおう、みたいな軽い気持ちで観に行ったのね。
で、予想通りアメリカンジョークで笑ってたら、段々笑えなくなって来て、最後には結構泣いちゃってた。
映画自体が良かったのももちろんあるんだけど、映画の中で描かれてるアメリカが日本と同じなんだよね。
今までこの監督が作った映画、ボウリング・フォー・コロンバインや華氏911、シッコと言った映画は海の向こうのアメリカが抱える深刻な問題を扱ってた。(銃規制の話や、国民皆保険制度が無く貧困層が医療の恩恵を得られないと言った話)
それが今回は労働や教育、人間の尊厳と言った問題がメインで、よくよく聞いてるとそういう話題のアメリカの現状は日本と変わらないんだよね。
なので海の向こうの話かと思ってたら、突然話が身近で現実的な話になっちゃった。他人事では聞いていられない。
アメリカは長時間労働に低賃金、休みも少ない。休みが多いと言われるフランスやイタリアはどう?
アメリカは詰め込み教育に学歴社会。学力世界一なフィンランドはどう?
アメリカは前科者は人間扱いされず。まともな職も得られない。死刑制度を廃止したポルトガルはどうしてる?
もちろん良いことばかりじゃないし、不況だらけで経済は行き詰まってるけど、欧州の人は「やりたくないことはやらずに、人間らしく生きていこう」としてるんだよね。
社会で生きていくためには嫌なことでもやっていかなくちゃいけない。それができなくなったら人間失格だ。
そんなことはない、と思いながらも心のそこではそう思ってた自分に気づいて、そして大変ながらも人間らしく生きていこうとする欧州の人達のその姿勢に涙が止まらなかった。
○朝食:野菜ジュース
○夕食:考え中
○調子
はややー。
お昼ご飯に、カレービュッフェでカレーは少しだけ食べて、野菜サラダをもりもり食べた。
ただ、外人の店員さんにイマイチ注文が伝わらなかったらしく、もうお腹いっぱいで「いらないです」と断ったはずなのに、ナンを持ってこられた。
お腹いっぱいだけど、食べ放題で残すのはさすがにマナー悪いし……
と思い、頑張って食べたら、お腹がいっぱいで気持ち悪くなり、日が落ちるまでぐったりしてた。
○ReCore
だと、思ってただけど、フタを開けてみると、予想通りのTPS要素ももちろんあるんだけど、
「マリオ64」とか「バンカズ」みたいな「アスレチック」もあって、二つのゲーム性を楽しめる感じ。
ストーリーは、パンデミックから逃れるために地球を脱出した人類が、ファーエデンという星に移住するために、テラフォーミングを始めるが……って感じかな。
ジュールちゃんは何かのトラブルがあって、ロボットのマックと2人っきりなんだけど、またこのロボットのマックが可愛いんですよ!
リアルの犬は噛んだり吠えるから怖いんですが、ゲームの犬はただただ可愛くて素敵です。
・敵が赤青黄の色(他にも紫とか緑もあるみたい)で別れてるから、それに対応する「同じ色」の射撃をすると、弱点がつける。
・敵の体力を減らして行くと「コア」をぶっこ抜けるチャンスタイム
って感じのシステムなんだけど、単純ながらこの「敵と同じ色で打つ」って凄く良いね。
よくゲームで剣槍弓の三すくみとか、炎は草に強くて草は水に強くて水は炎に強い、みたいなシステムあるけど、あれ新しいの覚えるの正直しんどいんだよね。
あと、「コア」のぶっこ抜きが楽しい、やる事は「綱引き」なんだけど、ワイヤーで敵のコアをつかんでぶっこ抜き! ってのが爽快感あって超楽しい。
次にアスレチック部分は、
二段ジャンプ+空中ダッシュで足場を乗り継いで行く感じのよくある感じかなあ。
けど、キビキビ動くし、足場のつかまり判定がゆるゆるだから、かなり適当にやってても「スタイリッシュ感」が出て、楽しい。
サンセットオーバードライブの時も思ったけど「プレイヤーが自分ことをイケてるプレイをしたように思わせる感」って、年々進化してる部分だと思うんですよね。
昔のゲームやると、こう「これぐらい普通だろ?」を感じちゃって、なんかこう成功した自分を褒めたくなるというより、失敗した自分がアホらしく思えてくることが、よくあるんだよねー。(とは言え好きなゲームなので、ちょっと具体的に言及するのは辞めますが)
ごめん、ここまで書いてる途中にご飯食べたくなって、ご飯食べてたら、お酒飲みたくなって、お酒飲んじゃったので、メチャクチャ中途半端な上にで、
ここから「いまいちな所」を書いて以降と思ったんだけど、もうちょっとフラフラしてきたので、寝ます。
一行で言うと「ロード長過ぎ」です。
ノー課金。
○ポケとる
ニャース稼ぎのみ。
ログボのみ。
私は今、モスクワの大学寮にいます。ロシア大使館主催の第6回ロシア語学短期留学プログラムに参加しているからです。
日本の大学生約80名がモスクワの国立大学に派遣され、授業料免除で約1ヶ月間ロシア語を学べるありがたいプログラムなのですが、
大学側の対応や日本での担当窓口のロシア旅行社に思うところがあるので、この記事を書きました。
約6畳の部屋に3人押し込まれるので狭いです。
1つの風呂、トイレ、洗面台を5人で共有する部屋もあるので、ストレスが溜まります。
共有キッチンもありますが、電熱コンロなので火力が弱すぎて、炒め物は無理です。
鍋・食器なんで全くありませんし、電子レンジや湯沸かし器ももちろん無いです。
仕方がないので、皿、フライパン、食器、電気ケトル、炊飯器を現地調達しました。
物価が安いので3000ルーブルでなんとか揃ったのが救いです。
あと、ベッドの毛布が臭いし、部屋に人数分机がないところもあるので勉強が大変です。
ロシア旅行社様(日本側の窓口)の説明では、寮にWifi完備とありましたが、
半分本当で半分嘘です。
大学1階ロビーには登録不要で使えるWiFiがあるのですが、寮の部屋で使えるWiFiはロシアの携帯番号がないと登録できないので使えません!
私はMegafonという携帯会社のSIMカードを買ったので、なんとかなりましたが、
多くの人はわざわざ1階に降りてネットを使ってました。
日本からレンタルWiFiを持って行くという方法もありますが、
1ヶ月1万円以上かかるのでおすすめできません。(ロシアでSIMを買えば1ヶ月1000ルーブルで8GB以上使える)
ロシア旅行社様からの説明では、1日5000円計算で15万円程ドル・ユーロ等の現金を持参するのがおすすめとのことでした。
しかし、実際は外食も日本と比べて安く、博物館・劇場の料金もかなり安いので、
1日2000円も使っていません。頑張れば1日500円で生活できます。
クレジットカードはかなり通用しますし、VISAデビットのキャッシュカードなら簡単に現金を引き出せたので、現金は少なめで大丈夫です。
ロシアは遠いので仕方が無いと思いますが、寮の部屋などの現地情報をもっと詳細・正確に伝えて欲しかったです。
クラスの移動がかなりありました。
上級から初級まで6クラスあるのですが、上のクラスは本当に難しいようで上智のロシア語学科でも死にます。
まあ、実際に授業を受けてクラス分けするというのはある意味合理的ですが。
以上のように大学に来てからいろいろ大変なことはあったのですが、
なんとか生きながらえています。
金~日が休みなので、バレエやサーカスをみれて非常に楽しいです。
まだ2週間ほどですが、ロシア語力は伸びているのでかなり有意義だと思います。
ただ、寮がひどすぎますが…
日本の食材(レトルトカレー、米、緑茶、乾麺など)とマイ箸 ※必須
フライパン、鍋、まな板、ナイフ・フォーク、コップ、マグカップ、湯沸かし器 ※現地の方が安く買える
※以上の文章は個人の感想・体験を記したもので、 ロシア旅行社 様および プーシキン記念ロシア語大学 (Государственный институт русского языка имени А. С. Пушкина) の社会的評価を低下させる意図はありません。
ロシアの学生にしては快適な生活を送らせて頂けているものと思っていますし、あくまでもロシアで感じたカルチャーショックを伝えたいだけです。
その子を守ればその子のネットワークを通じて当たりが引ける可能性がある
男性が女性になにかアプローチをすることというのはその当人にむけてではない
そうではなくその当人の女性に対してむけているという場合ももちろんある
見分け方は「愛してるって言って」「好きだよって言ってみて」で言えるなら直接
「うたの☆プリンスさまっ♪」という作品を知っているだろうか?
2010年にシリーズ1作目となるゲームが発売され、翌年アニメ化。
そのアニメが大当たりとなりゲーム続編やアニメ2期等が制作され、今年は6年目に突入したコンテンツだ。
内容はいわゆる乙女ゲームで、プレイヤーは登場してくるアイドルのたまごたちの曲を作る作曲家となり、一緒にデビューを目指す。デビューを果たした後は彼らとの仲を育みながら、アイドルとして作曲家として共に成長していく…という、説明してしまえば何の変哲もないストーリーだ。
今年の1月にはさいたまスーパーアリーナで2日間に渡るライブも開催され、10月からはアニメ4期が放送となる。
この時点で「なんだ、おたくのジャンル紹介日記か」と思われたなら仕方ない。
もちろんこの記事はうたプリの存在くらいは知っている人を前提に書かれた記事なので、知らない人からしたらどうでもいいことこの上ないだろう。
それでも今、うたプリファンの一人として私はどうしてもうたプリの真髄のひとつ(だと勝手に思っている)でもある「遊び」について言葉にしておきたくてキーボードに向かっているので、もし少しでもこのジャンルに興味がわいたならぜひ知ってみて欲しい。
さっきも説明したけれど、うたプリはアイドルと恋愛するゲームだ。
シリーズ1作目の舞台はアイドル養成専門学校で、一応恋愛禁止だったりする。アニメでもその設定はガッツリ意識されていて、アニメ第1期放送時には「誰も校則守ってねえじゃん!」とまあネタにもなった。
しかし彼らと私たちプレイヤーは、アイドルと作曲家という枠の中で恋愛をしていく。
作品の大元であるゲームの中では個と個であり、そのストーリーは彼と私(あるいはヒロインである七海春歌)の物語だ。
しかしうたプリのすごいところは、「私と彼」という枠組みとは別にもうひとつ「アイドルとファン」という枠組みがある点だ。
一つ例を挙げたいと思う。
シャイニング事務所公認Twitterアカウント|うたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/twitter/index.php#.V84vgkjOyk8.twitter
これはシャイニング事務所に所属するアイドルたちがやっている(という体の)事務所公式アカウントだ。
このツイッターが始まったのは2012年のクリスマスのことで、まずアカウントが出来たところからすごかった。
各キャラクターの互いをフォローするタイミングから順番が見事にキャラクターらしさを外れず、キャラクターごとに異なるクライアントや写真撮影の技術。長期でつぶやくときには、仕事や移動時間まで計算し、どのキャラクターがどの新幹線に乗ったのか特定することだって出来た。
そこには圧倒的な"存在感"がある。
これが大いに盛り上がった。
もちろん、キャラクターツイッターの先駆者がうたプリだとかそんなことは言わないし(確かスタスカとかの方が早かった気がする)、こんなのスタッフが必死こいて原稿を打ち込んでるんでしょ、と言われたら元も子もない。
それでもそこにはプリンスたちが存在する"リアル"があったし、自分たちのツイートと彼らのツイートが並ぶ画面は現実だった。
(だからこそ2016年のシャニフェスプリツイに関しては、言いたいことがないわけではないのだけれどここでは割愛する)
そしてここでの彼らと私たちは、完全にアイドルとファンなのだ。
プリンスたちアイドルは決して恋愛の匂いをさせないし、何においてもファンとの関わりを重視する。
ツイートの隙間に、文脈に、ヒロインの存在や自らを投影する楽しみ方ももちろんあるだろう。
しかしプリンスたちの言葉は、恐ろしいほどのクリーンさを持った、アイドルたちからのファンへのメッセージなのだ。
もう一つ例を挙げる。
うたの☆プリンスさまっ♪サマーキャンペーン PRINCE SUMMER!2015|うたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/prince_summer2015/
これは2015年の夏に行われたうたプリのサマーキャンペーンのページだが、その中でもグッズラインナップの一つを見てほしい。
「メモリアルフォト」と題されるグッズの説明文には"直筆サイン"の記載がある。
うたプリシリーズのキャラデザをされている倉花千夏先生が"撮り下ろした"ビジュアルブロマイドとともに額装された"直筆サイン"色紙。合わせてお値段5,500円+税。
うたプリを知らない人からしたら何を言っているのかと思われるかもしれないが、このサイン入り色紙はプリンスたちが自ら一枚一枚書き上げた(という設定の)色紙なのだ。
入っているコメントも種類があるし、もちろん一つとして同じものはない。
私たちはそこにプリンスの存在を信じて、5,500円の色紙を買う。
決して安い金額ではないと思うし(下手すると映画が5回は見られる)、キャラクター自体が実在しないのにバカじゃないかと言われたらそれまでかもしれないが、私たちにとって彼らは現実を生きていて、そしてその存在を信じるために5,000円以上を費やすことが出来る対象なのだ。
倉花先生の描くプリンスたちは"撮り下ろし"だし、誕生日や記念日にプリンス宛に届く手紙は必ずシャイニング事務所へ届けてくれる。
バレンタインには事務所からのお知らせが毎年でるし、ファンレターの宛先もブロッコリー方シャイニング事務所だ。
今年の夏に行われたイベント"『Shining Dream Festa(シャイニングドリームフェスタ)』 http://www.utapri.com/sp/shining_dream_festa/ "でコラボレーションした世界的デザイナー丸山敬太氏とも、アイドルたちは"相談して"衣装を作り上げた。
私はこの夏感動したのだ。
現実のアーティストのライブ衣装なども手がけてきた丸山氏がうたプリとコラボをしてくれたこと、そしてうたプリの世界観をきちんと意識してインタビューやSNSで応えてくれたこと。
私たちの大切にしてきたアイドルたちが、世界に存在を認めてもらえたように感じたのだ。大げさと言われるかもしれないが、私はそれが何よりも嬉しかった。
うたプリはこうした壮大な「遊び」を大切にしてくれている。
これは私の個人的な考えなのだけれど、アイドルは二次元三次元にかかわらず、その存在自体が究極の「ごっこ遊び」だと思っている。
アイドルを名乗る彼ら・彼女らはステージというフィールドの上で、精いっぱい自らをアイドルとして作り上げる。
アイドルたちも人間だから、当然恋愛もするし食事もするし代謝もある。それでもその瞬間は私たちファンとアイドルというたった一つの関係だし、それ以上でもそれ以下でもない。
その関係性に夢を見るから、例えばアイドルたちに恋愛スキャンダルがあろうもんなら、裏切られた気持ちになる。ファンの信じる"アイドルと私"という関係性の他に、関係のない人物が"アイドルと恋人"という関係性を作り上げているのだから。
もちろんそんなこと思わないし、恋人がいたって全然気にしない!という人もいるだろう。
それでも私たち受け手とアイドルたちにの関係は、どう頑張っても"アイドルとファン"を超えることはない。
アイドルでも個である彼らプリンスと、作曲家でもファンでもある私たち"うたプリのファン"。
「うたの☆プリンスさまっ♪」という作品は、その両面を楽しむことができる。
もちろん今までだってうたプリのやり方に困惑しなかったこともないし、キャラクターに関する重要な情報が後出しでぶれたりすることもあった。
それでも私が5年を超えてなおうたプリを応援しようと思えるのは、魅力溢れる楽曲や展開はもちろんのこと、うたプリの作り手たちがプリンスたちの存在を、生きていることを何よりも信じさせてくれるからである。
それが揺らがない限り、私は彼らを応援し続けるだろう。
アニメ4期もこれからの展開も、6年目を迎えたからこそ不安に思うことはたくさんある。
それでもそれ以上に楽しませてくれることを祈って、私はこれからもうたプリを応援したい。
応援していることが悲しくなってしまうようなコンテンツだけにはどうかならないで欲しいし、何よりも応援したいと思わせてくれるコンテンツでい続けてくれることを私は祈っている。
増田で延々と揚げ足競争したいわけではない。増田は「分かりやすく主張したもの勝ち」だと思うのでこちらの主張を簡単にまとめる。
「アイヌの人々」がスルーできないような(※1)言葉を使う人間は「アイヌ問題を全く知らない」と推定される。
彼らが使った言葉自体ももちろん問題だが、それ以上に「その表現を責めるな」という擁護こそが更にスルー不可だ。なぜならそれは
という主張であり、その(1)という主張は、次の(2)の考え方を前提としており、(反(2)であれば(1)の主張にはならない。)
(たとえば「大きな問題だが、相対的に見ればより優先度が低い」と言った主張であっても、相対的にみれば「大した問題ではない」という主張と同じ。)
私は、当該の表現以上に、指摘後のゲーマーの態度が最悪だったと思っている。(※2)
この(2)あるいは(3)の主張を、駅前でラウドスピーカーを積んだ街宣車でがなり立てたら、それは一体何であろうか? 誰もが見る可能性のあるTwitter上での、件のゲーマーや増田の(1)主張は、街宣車で(3)を怒鳴っているのと変わりませんよ、という意見がそれほど不思議で理解しがたい意見だろうか。(※3)
それが「ヘイトスピーチになりうる」と批判されていることの意味が本当に分からないとしたら、残念ながら、増田は「ポリコレ寄生虫」とやらのせいではなく、不用意な自爆により遠からずTwitterの自垢を確実に炎上させるだろうとしかいいようがない。(※4)
それにしても「ヘイトスピーチ」扱いに対する意外な反応を見ると、どうも「ヘイトスピーチ対策法」というのは、意外とその筋の方々の心に深いダメージを与えた法律であったらしい。ああいう人々は、法による規制など最初から気にもしていないと思っていたので、結構意外だ。(※5)
http://anond.hatelabo.jp/20160909105358
(追伸)前の拙文がhateko氏に届いたのは、望外だった。
(追記)※印が追記箇所。
※1 「アイヌの人が見たら文脈を探る前にとりあえずギョッとする」ような、でももちろん構わない。
※2 指摘されて「クソリプきた」と書いた行為も含め、その無自覚な差別性が批判されたのだと理解しているということ。なお、無自覚な差別と意識した差別のどちらが罪深いかは人によって感覚が異なる。意識的な差別は比較的避けやすかったり、差別を行う人自身の不遇や弱さが浮き彫りになったりすることも含め、被差別者に与えるダメージが相対的に低くなるということはあり得る。一方、無自覚な、一見差別を行いそうにない人の発言や文脈から露わになる差別性が与えるダメージは、人によってかなり大きなものになる。そこでそういう行為に対して、いわば「修正可能では…」という期待を込めて指摘が増えるということも十分よくあることである。いわば「言っても無駄な『カワイソウな』人に対しては、そもそも何も言う気がおきない」ということ。
※3 ハッキリ言えば「撒き散らす影響力という点で、Twitterは街宣行為よりひどい」ということ。
※4 ハッキリ言えば匿名の増田で勝ちだの負けだの騒ぐよりTwitterの自垢でうかつな発言をしないよう気を付けた方がいいよということ。そもそも私は増田やこのやりとりを見ている人に分かりやすく「説明」しようとしているだけであって、勝ちだ負けだなどという話をしているわけではないよ。なんでちょっと指摘されただけのことを「自分への攻撃!」とか思うのだろう?
※5 ホント意外だ。