はてなキーワード: 分散とは
VRや分散ソーシャルネットワーキングのオープン化に関する詳細な言及がある割にVRMやその制作を支えるMayaや3ds Maxへの言及がないのは妙にアンバランスに感じました
ポリコレの一般的な浸透が進んで今回の件は到底看過できない事態になっている
少なくともそうした人物を輩出し、あまつさえ青少年の購読誌に抜擢するという愚行
集英社はその責任を取るべきであり、速やかなる「週刊少年ジャンプ」の廃刊を要求する
明らかに厳罰であるという声もあるし、同誌で連載する作家陣にも迷惑はかかるであろう
しかし犯罪、それも性犯罪であることを加味すれば妥当な処分と言える
各作者も分散するとはいえ他紙に移籍し連載すれば良いだけの話ではないか
少なくとも作者本人と、その作者を見て見ぬふりをして囲って子飼いにしていた本誌は徹底的に排除されるべきである
それだけ性犯罪は重いものであり、女性に対する強制わいせつ、売春、その他女性に危害を加えることのあさましさとことの重大さを知らしめてほしい
国民の過半数がジャンプの廃刊を求めていること、集英社は知ってください
そして直ちにジャンプを闇に葬り去って再発防止に努めてください
以上
楽しいことを考えるのが好きだ。
特に自分自身は優れた人間ではない。何らかを生産する能力がなければ行動力もない。
しかしながら自分自身が考えた世界を妄想するのが非常に好きなのだ。
如何にして従業員が快適に労働しつつ会社を維持するための収益を挙げるか?を考えている。
他の企業相手に商売するBtoBを検討したが、話題性一発で勝負できる可能性のある一般消費者を相手にするBtoCでやってみよう。
もちろん今から起業するのであればITの分野で、BtoCということであるならば想定できるのはコミュニケーション、まぁつまりSNSだ。
ただ単純にSNSで勝負しようたって既存のTwitterやFacebookに勝てるはずもないので話題性が必要。
ここで疑問が湧く。なぜ発言を投稿するタイムラインをメインへ据えたSNSにしなきゃならないのかと。
タイムラインによるコミュニケーションはオマケでも良いのでは?と。
いわゆるSNSの利点と言えば常時接続性にあるというのは多くの人が理解しているはずだから、常時接続性の悪いサービスとくっつけてしまうのはどうだろうか?
人々の話題を得つつ、まだまだ新しさを感じ、接続性の悪いサービスと言えばなにか?
そうだコレしかないだろう「VR型コミュニケーションサービス」だ。
VRChatへ代表されるように既存のVR型コミュニケーションサービスはどうしてもVRゴーグルなどを装着していないとコミュニケーションが取れないという問題があった。
皆さんが「それならもうVRじゃなくてもいいんじゃないか?」と感じるのはもっともだが、ゆったり腰をすえてコミュニケーションを取る時はVRワールドへインして、外出時などはTwitterのようなタイムラインでコミュニケーションを取り続けられるのは魅力的だと思わないか?
なんならVRゴーグルなしでもVRアバターを操作できるようにしたって良い。それはもう既にMMOやFPSで実現できているのだから技術的な問題はない。
欲を言えばVRゴーグルも専用機でなく、Google Cardboardのような形式が望ましいな。参加の敷居を著しく下げるだろう。
ARとVRの利点を融合し、スマホカメラから手指の動きを認識させVRアバターの手指腕の動作と連動させよう。VRコントローラも悪くはないが。
どうだ?自宅ではスマホを使ってVRワールドへインして、外出先ではVR仲間とタイムライン上でコミュニケーションを取る。
オープンソースで公開し、個々のサーバがまるでMinecraftのように自由なVRワールドを公開できつつ、サーバ同士がネットワークで相互接続し、法令に違反しない範囲で自治権を与えられるようにしよう。
これならばリアルの仲間内でVRワールド上でコミュニケーション取れるじゃないか。同じ趣味の者たちが集まるテーマを持ったサーバも公開できるぞ。
もうここまで来たらSNSの仕様は以前話題となったMastodonが採用するActivityPubプロトコルへ準拠し、メディアの配送形式をP2PであるWebTorrentにしようじゃないか。
個人がサーバを公開する際に問題になるのは借り受けたサーバの従量課金転送量なのだから、画像や動画はP2Pで配送してしまおう。
需要があるだろうしタイムラインのほかチャットも用意してしまおう。こちらも分散型のMatrixプロトコルへ準拠だ。
開発の中心たる我が社は特権としてマーケットサービスを運営できるようにしたら、ある程度のマネタイズも可能になるのではないだろうか?
クリエイターが3DCGモデルを公開したり、タイムライン上で使えるカスタム絵文字やスタンプ(ステッカー)を有償公開できるマーケットだ。
それと並行してVRワールド上で音楽ライブなどを開催できる環境をパッケージとして法人や団体へ売り込もう。BtoB需要もこれで確保できる。チケットはマーケットから購入する。
もしもVRワールドとしてSAOのようなMMOを公開できるとするならば、更に面白くなるんじゃないか?
分散型コミュニケーションVRシステムがゲームプラットフォームにまでなる。しかもそれはスマホで参加可能というものだ。
こんなものを立ち上げられれば、会社には面白い人材が集まるだろう。
だからこそそういう会社ではMicrosoftやApple、Googleへ強く依存しないことが求められる。
しかしITの巨人たちを脊髄反射でEvilと決めつけるのは良くない。彼らは重要なビジネスパートナーで居て貰いたいからだ。
少なくともスマホOSは2大巨頭であるiOSとAndroidOSなわけだし、GPUの多くはWindowsに最適化され、Apple Silicon化するMacは次世代に大きな影響を残すかも知れない。
重要なのは会社内部の業務環境へどのくらい自由度があるのか?という点だろう。
しかし自由度が高すぎると管理が煩雑になりセキュアな社内システムが構築しにくいという表裏一体の問題があるのも事実だ。
ならば経営者として示さなければならない社内で用いる基礎システムはPOSIXだろう。
しかしPOSIXが示されたとしてもバックオフィスの人員はまだ困るかも知れない。つまりどのようなオフィススイートが標準なのか?だ。
この点、Microsoft Officeは申し訳ないが却下で、OpenDocumentFormatも検討に入れたが、よりアクセシビリティを考えた結果Google G Suiteをオフィススイートのフロントエンドとして選択することにした。
これならばChrome Webブラウザ(またはChromium Webブラウザ)でアクセス可能なのでWindowsやMacはもとよりLinuxでも利用できる。
G Suiteを選択したことによってバックオフィス人員すべてへChrome Bookを配布することまで検討できる。
無論、アカウント管理もG Suiteで行えるし、YubiKeyなどで2段階認証も可能だろう。
・・・ふぅ
みたいなことを考えると凄く楽しいよね。
ポリコレの一般的な浸透が進んで今回の件は到底看過できない事態になっている
少なくともそうした人物を輩出し、あまつさえ青少年の購読誌に抜擢するという愚行
集英社はその責任を取るべきであり、速やかなる「週刊少年ジャンプ」の廃刊を要求する
明らかに厳罰であるという声もあるし、同誌で連載する作家陣にも迷惑はかかるであろう
しかし犯罪、それも性犯罪であることを加味すれば妥当な処分と言える
各作者も分散するとはいえ他紙に移籍し連載すれば良いだけの話ではないか
少なくとも作者本人と、その作者を見て見ぬふりをして囲って子飼いにしていた本誌は徹底的に排除されるべきである
それだけ性犯罪は重いものであり、女性に対する強制わいせつ、売春、その他女性に危害を加えることのあさましさとことの重大さを知らしめてほしい
国民の過半数がジャンプの廃刊を求めていること、集英社は知ってください
そして直ちにジャンプを闇に葬り去って再発防止に努めてください
以上
尾崎:あとはさっき5つのテーマが出ていたと思いますが、それにつきましては各担当の副会長のほうからお話をさせていただきます。よろしくお願いします。
カクタ:副会長のカクタでございます。ただいま私どもの会長尾崎が申し上げたことを少し補足と言いますか。させていただきたいと思います。
エピセンターについてでございます。法的な強制力を持った、そういった補償を伴うかたちの休業要請をしっかりと都道府県単位でもできるようにする。しかもそれを地域を限定して、期間もだいたい限定。約2週間程度、潜伏期等を考えますとその程度をしっかりと集中的にPCR検査を通して感染者をそこで洗い出すと。
そして隔離等の処置をするということが大事だと思っております。このPCR検査につきましては非常に検査数も増えますので、今お話があったように、行政だけではなくて医療機関、そしてその他の緊急機関等も協力をしていただいて、しっかりと行いたいと。
このことをぜひ強くお願いしたいと思います。
続きましてPCR検査の拡大についてお話申し上げます。私ども、先ほど尾崎会長が申し上げましたように医療的な必要を鑑みますと、東京都内で人口1万人当たり1箇所程度PCR検査ができる施設をジュウチしたいと思っています。
この1万人というのはほぼ中学校区に匹敵いたします。地域包括ケアもこの1万人規模、中学校区を中心として構築されておりますし、1万人規模であれば、歩いて通えるということで。
身近でしっかりと必要な方にはPCR検査を受けていただく体制をとりたいと思っております。ご存知のように唾液のPCR検査が認められまして症状がない方に対しての適用も認められております。
昨日私ども地区の47の地区医師会の先生方とテレビ会議をいたしまして、こういったかたち、都内では1400箇所のPCRができる施設をジュウチしたいので各医師会でご協力、さらに唾液PCR検査の実地拡充をお願いしていることでお話をさせていただいております。
また公衆衛生的見地で言いますと先ほど言ったように行政検体。これは濃厚接触者トウド、ないしは感染者周辺の検査になりますが、つきましては大学、ないしは研究機関等にご協力いただいて、迅速に多くの検出ができるようにしたいと思っています。
また、社会活動、経済活動を再開させるために、PCR検査を行う。これも受け皿をしっかり用意していきたいと思いますし、ひいては個人のヘルスケアないしは企業の検診、イベント等も開催できるように充実させていきたいと思います。
また医学的に言いますと現在PCR検査としてはこの順番でやはり重要性があるというふうに考えております。
続きましてこれも繰り返しになりますが都民の方へのメリハリのある自粛をお願いしたいということです。今まさに第二波が到来しようとしております。または到来しつつあります。
ぜひ新規感染者数が減少するまでは20代から30代、40代までの若い世代の方々。この方々はほとんど重症化しません。またご自分がかかってることすらわからない。症状のない方も多く存在します。ですからこの今の地域感染者数が増えている状態では是非飲み会会食等の三密の状態は避けていただきたいということです。
またどうしてもそういったところに行くのであればしっかりとしたガイドラインを遵守しているところへステッカーの貼ってあるところへ行っていただきたいというふうに思います。
特に医療関係者・介護関係者、この方たちは感染すると重症化する高齢者の方々と直接接する職種の方です。この方々はそういった感染を施設に持ち込むと大変重症化、場合によっては亡くなる方も増えますので、そういった方々はぜひ自分たちの行動に今一度気をつけていただきたいというふうに思っています。
また学校、園の関係者、また個人的には、家族に高齢者のいらっしゃる方はぜひこれを気をつけていただきたいというふうに思っております。
また三密を避けるために可能な限り今続けていらっしゃる企業に向けましては、テレワークのさらなる充実継続をお願いしたいと思いますし、中小企業等も含めまして、これは行政としっかり連携の下、テレワーク等を一層広めていただきたいというふうに思っています。
イノグチ:はい。副会長のイノグチです。よろしくお願いします。
私は最初に話をするのはカクタ副会長のPCRの拡充のところに関係するところなんですけれども。
こういうものがあります。”迅速PCR検査チーム”の創設。これはエピセンターの話が出ていましたが、そのエピセンターとなっているようなところ、もしくはクラスターができたりだとか、そういうところに集団感染があった場合には、PCR課というのは東京都医師会が持っておりまして。
そのPCR課を派遣して迅速、それから集中的にPCR検査を行うモバイルチームというものを、東京都医師会は実はもう結成しております。
要請があればそちらに向かって検査をすることができる。1台あれば1日、200~300人ぐらいの検査はゆうにできますので、かなり集中的なPCRをやるのには効果的な方法と思います。
これはPCR課を動かしていくのにちょっと問題点がありまして。
まずは人の確保なんですけれども、これは東京都医師会のほうで確保したということで今お話しましたけれども。あとは場所の確保なんですね。それぞれの施設の前でやろうと思ったときに、広い庭でもあれば問題はないんですけれども、意外となくて困ったときには、地域の住民の方たちの理解が得られない時があるんですよ。
ただ、そこでPCRの検査をやったからといって、離れている方に映ることはまずありません。オープンスペースにおいては。
ですからご理解をいただいて、感染が広がらないように検査をすることを住民の方に認めていただけるとますますこういうツールを利用してうまく働くことができるんじゃないかなと思っています。ぜひご理解をいただきたいと思います。
それからPCR検査の拡充の話で、2次救急病院。検査機関を利用してやっていくという話がありましたけれども、そのほかに我々が今進めているのは、2次救急病院にPCR検査分析装置ですね。これを置いていこうというふうに考えています。
2次救急病院は、都内で約250病院ございます。救急が逼迫していく原因にあっては、感染期においては発熱する患者さんが新型コロナ感染症の疑いがあるということで、なかなか疑い患者さんを診られる病院じゃないと診ることができません。
診断がつくまでには、今PCR装置がそれぞれのところにありませんから1日かかってしまいます。そうすると、感染症の患者さんなのかそうでないのかということがわかりませんね。そうするとどうしても個室に入っていただくしかありません。
陰性者と陽性者を同じ部屋に……。疑いという病名は一緒かもしれないけれども、陰性者と陽性者ですから。どちらかわからない方を一緒の部屋で診るということはできません。
そこで2次救急のレベルでは、こうした患者さんを診るのに非常に困ってしまって、搬送時間が長くなったりします。
ですが、今2次救急病院にこうしたPCR分析装置を置くことができれば、24時間体制で2~3時間で結果がわかります。
そうすると陽性なら陽性の患者さんとして診ることができますし、陰性なら陰性として一般の患者さんと一緒に診ることができるということです。
これは地域に、さきほど1万人に1人というようなかたちでカクタ副会長からお話がありましたけれども、その1つの方法として広げていくことができれば一石二鳥って言うんでしょうかね。地域にとって非常にいい方法なんじゃないかなと思っています。
それから私のほうとしてはもう1つ。コロナ専門病院の話です。これはなかなか進まないままで、本当にこういう感染拡大期に入ってきました。
今このコロナ専門病院は本当に必要な状態だと私たちは考えています。新規の陽性患者さんが200~300人。この場合は360人を超えてきました。そうすると調整本部、東京都庁の中に入院患者さんの調整本部というのがございますけれども、そこに調整案件が100件を超えてまいります。
1つの、1人の患者さんを入院するのに電話をかけて相談するのにやっぱり15分ぐらいはかかっちゃいます。
こういう15分かかるような患者さんが、何回も電話して、これはどんどん感染が広がっていくと、1人の患者さんに病院に電話するのは2つ3つと増えていったらこれはなかなか調整がつきません。
1つの病院に、このコロナ専門病院に入れていただければ、簡単にその調整をしないですむ。
その病院がショクアクソウバとなっていただいて、そこでトリアージ等を行って、軽症・中等症・重症というかたちの指示をやっていただくということが周りの東京都内の病院にとって非常にプラスになるわけです。
その他に今110病院ぐらいの施設で、病院で分散型に診ております。この分散型に見ているということが、「この病院はコロナの患者さんを診ている」とか「診ていない」とかいろんなかたちでうわさが出るんですね。
「診るって決めている病院は感染対策をしっかりしていますから大丈夫なんだ」と本当に言いたいところなんですけど、なかなか噂は……。そうするとあの病院・この病院と分散に診ることによって、「医療機関はコロナの患者さんがいて怖いんだ」というような風評というのが第一波の頃に起きたわけです。
今も、今後もこれだけ、どんどん増えていきますと、#7119の相談件数も増えてきています。やっぱりみなさん不安になってくるんです。
そういうようなときに、コロナを一手に引き受けてくれるような病院がありましたら、その方が他の病院の受療抑制とかそういったことも起きなくなると思いますので、ぜひ作っていただきたい。
この規模ですけれども、まあ3000床ぐらい。これだけ多くの、1週間で1000人以上の入院が出ている状況ですからぜひ3000床規模ぐらいでトリツコウシャ病院を中心として作っていただけたらと思っています。
私のほうは以上です。00:25:12
どうやら最近MAD文化というものがなくなったのだと考えている人が多い。
MAD文化がなくなったということは、もうMADの作り手がほとんどいなくなってしまったということが考えられるがそれは大きな誤解である。
ニコニコで「音MAD」をタグ検索すると、5年前の2015年から2019年まで投稿件数は減っていないどころか大幅な増加をしているのだ。
2020年はすでに9545件もの音MADが投稿されており、すでに2019年の投稿件数を超えそうなペースで増加している。
少なくとも作り手がほとんどいなくなってしまったということはない。しかしMADがたまに伸びたり、Twitterでバズると「こういう動画減ったな〜」というコメントが必ずつく。これは一般視聴者がMADを見なくなってしまったということである。
私はMADを見なくなってしまったという人が多いのは皆が知ってる共通認識のネタが減ったのが原因であると考えている。
一昔前はオタクならほぼ全員が知っているコンテンツが見られていた(咲、禁書、らき☆すたのようなアニメやゲームなら艦これ等)
しかし昨今はオタクの趣味がソシャゲ、Vtuber等に細分化され、かつては多くのMADが作られていたアニメ自体視聴者は日常系、なろう等の多ジャンルに分散化された。
Vtuberも四天王が出てきた2018年頃にはネット全体がVtuberというジャンルに注目しており、そのころは多くのダンスロボットダンス等のMADが作られていたが、その後にVtuberの主流が配信者となり、VtuberのMADの視聴者層がほぼそのVtuberのファンのみとなったため再生数自体は減った。
しかし今でもMAD、特に音MADは良作が作られ続けているのは事実である。昨年11月に平成に投稿された全音MADから各人10個選び順位づけ、それらを集計したうえでランキングにしたイベントが行われた。このランキングには大体の人がMAD全盛期をイメージしている2009,2010年頃だけではなく、最近の動画特に2018年の動画が多くランキング入りしている。
https://www.youtube.com/watch?v=0fbikIWDKIU
長いと感じる人は10位からの動画(59:48~)がフルで見れるのでそこから見てほしい。
https://www.nicovideo.jp/mylist/67036747
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1q0oKdIh5AV8-2biDY8KYd_5uEB0-Im8EXShlf-z0I0Q/
話は変わり、ニコニコにおいては動画を発掘する手段としてタグ検索とランキングに上がっている動画を見るというのが主流であるが、タグ検索はその素材がよっぽど好きな人しかやらず、ニコニコのランキングページはそもそも見る人が減りつつある。
今でも良いMADが作られていると言われても、これでは探しようがないと言う人におすすめするものがある。それは、毎年行われている「音MAD10選」である。
こちらのホームページで毎年投票式によりその年ごとの良かった音MADを選び集計結果が発表されている。
http://oto10.s602.xrea.com/10sen/
1年おきではなく最新の動画群の中から良作を見つけ出したいという方は音MADの作り手の中に最新の動画をマイリストに入れてニコレポに放流している人もいるのでそれをチェックしてみるのもよいだろう。
かつては創作の場において2ch(現5ch)が主流で多数の面白い人が集まりコピペ、FLASH、AA等多くのネット発文化が生まれた。その後に人の集まる場所はTwitterに移ったが、最近異なる思想の人が一つに集まりすぎることの弊害からか、強い口調で煽り合ったり他人の意見を否定することが増えつつある。動画投稿で生計を立てるという新しい職業を生み出したYoutubeも、最近の急上昇は芸能人が席巻し、新規に素人が出る幕がなくなってきた。しかし、ニコニコにおけるMADの作り手は当然のことではあるが一切の見返りにもならずとも動画を作り続け、技術の向上を目的にしたり、純粋に面白い動画を投稿したりし続けている。その姿はニコニコ、いや大きな資本が投入され続ける前の楽しかったころのインターネット文化を継承している最後の砦といえるのかもしれない。
3密なので、営業時間拡大の方向 ひとりひとりを分散して入店してもらうために 営業時間を 早朝営業 深夜営業に拡大 一時的に派遣増強
まぁコロナ不況対策としては、軽微だし、コロナ感染リスクを背負いながら店頭に立てというのはひどいが、特別手当で赤字覚悟の営業時間拡大+お手当て増強はさすが山本彩
いやぁこれなら、おじさん握手券をサイトで購入して列に並んじゃうよ。
CDもうすぐでるんだろ?やっぱりNMBは山本彩センターなのか?まぁ、鉄板だよな。おじさんたちはみるきーのぽじあてがいまあつい。 ぜーつめーつのききじんるい・・・ちがう
自由競争は排除の論理であり、それを生殖に適用すれば優生思想的に作用する。
資本主義における自由競争は以下の2つの性質で社会を高効率にする。
①他社より市場が求めるものをより安く提供できる企業を富ませることで市場への参入を促す。
②市場に求められないものや、高コストで供給する企業を貧しくすることで市場から排除する。
自由恋愛も自由競争である以上は②のような排除の論理を宿している。
主に徒労感や自信喪失、学習性無力、年齢増加による無価値化によってだが。
更に商業的に作られた流行によって自由恋愛における理想的な人物像が作られる。
そして自由恋愛による結婚は生殖に直結する。つまり理想的ではない人物が淘汰される。
誰か特定の一人や集団が悪いというわけじゃないがそういう構造になっている。
もちろん資本主義よりまともな仕組みが見つからないから資本主義を続けているように
しかしそれが自由恋愛の残酷な側面から目を背けていい理由にはならないと思う。
人間は企業のように新しく作り直したり脳を入れ替えたりつぶしたり統廃合したり出来ないし、してはいけない。
人間は絶対に変えられない部分があるし、変わるにしても劇的には変われないし、恋愛市場で年齢の増加はマイナスに作用する。
恋愛市場は金融政策や公共事業で調整できるわけでもないし、失業保険のようなセーフティーネットもない。
恋愛市場はゼロサムゲームでいくら市場が活性化してもパイが増えるわけでもない。
少なくとも恋愛市場は資本主義市場より理不尽で未成熟なシステムだと思う…。
なんとかならないのだろうか?先行研究おせーてください。
いつからカタカナで呼称されるようになったのかババアには分からない、生理用パンツじゃダメかよ。
妥協できる範囲のヤツには出会えたけど一枚四千円弱のパンツとか嫌すぎる。買ったけど。
極端な話、血みどろになるの前提のパンツなので普通のパンツよりも寿命が短い。衛生面からしてもヨレすぎる前に買い換えるべきだろう。クソのように金がかかる。
月のうち1週間くらいしか使わないけど洗い替えようにイッパイ必要なのでタイミングによっては普通のパンツよりも所持枚数多かったりする。
三枚くらいで良くね?って意見もあると思うが、雨で乾かない事もあるし夜用と昼用は分けたいというか求める機能が違うし何なら部屋着とお出かけ着が違うように昼だって求める機能が違うわけで。拘るタイプならいくらでも拘れる。このへんはブラジャーも一緒であろう。見えてる服よりブラとパンツの方がお高いとかいうクソな状況に成りがちなババアは、クツとジャケットの方がそれでもお高いハズだ、だから大丈夫だ、安心してこのクソ高いパンツをポチれと己に言い聞かせながらネットショップでピンとくるパンツ検索しまくって何時間とか周期的にやりがち。クソすぎる。
ところでブラジャーも適当なカップ以上は値段高くなるので毎回クソのような気分になる。布面積多いからか知らないけど、この下品なレース要らねーから同じ値段にしてほしい、あとなんでセクシー系か肌色系ばっかなの?ほどほどに無難でほどほどな価格のヤツが欲しい。せめて肩紐が太くなってるとかホックが三段になってるとか一目で知れる特別感で攻めてきて欲しい、それなら諦めがつく。世の中クソだ。
あと適当なカップ以上は小さく見せるブラとか好みが分かれるタイプのヤツしか置かなくなった良く行くランジェリーショップは移転しろ早急に。その潰した肉はどこに行くの?脇と下に流れるのを阻止すると上にしか逃げ場が無くてメッチャ鳩胸な人みたいになる運命なんだが。谷間の汗疹率が普通のブラの比じゃないし、肉を抑えようと締め付けたら骨まで苦しいし形が不自然だからライン拾う服、具体的にはカチっとめのワイシャツとかシルエットおかしくなる。もうむしろ胸筋たくましい男性みたいになる、肩幅わりと有るタイプだからスカート履いた時のシルエットが納得いかなすぎてムリ。苦しい。コルセットで貧血起こして海にダイブしたアノ映画の美人ごっこでもしろというのか。死ぬわ、一般人なババアにはヒーローが居ないんだぞ、美人の皮もセットで売るとでも?クソが。しかしこの拷問ブラだと既製品のワイシャツが一応着られるようになるのは理解した。要するに需要があるから存在する、だがババアには晒しと何が違うのか分からない。むしろ和装用のブラの方がまだしもシルエットがマシだし苦しくはないし綿100%率が高い。というか和装が特別感無い社会だったらババアは適度に胸を潰して、適当にラフな和装で会社に行く。胸が楽で肩こらないという観点ではラフな和装がいい。
ブラは肩こるんだ。バストの重みを細い肩紐2本で支えてるから、太い紐なら多少は分散するけど紐は紐だし。和装ブラだと寄せて上げるとか固定して支えるとかって方向性じゃなくて、ほどほどに抑えてジャマじゃないようにするっていう感じなので肩にばっかり負担が行かなくて普通のブラよりは肩こらない。でも和装ブラで洋装だとシルエットが美しくは無いので、つくづく美意識が違うんだなー。あと和装だと帯との合わせ技で胸をどうにかしてる感もあると思う。ボタンじゃないので下品じゃない程度にラフな着付けだと動作に合わせて適当に動いてくれて肉が多くても割となんとかなる。シルエットの話するなら和装だと胸潰した方がいいんだろうけど、許容範囲がわりと広いという意味でキッチリ体の線を拾って仕立てる洋装よりも不特定多数に優しい気がする。成人式とかの晴れ着で想像されると優しくないので、あくまでラフな普段着としての和装ね。
和装流行らないだろうか。役所でかりゆしとかのノリで会社でラフな和装でもOKな世の中が来て欲しい。和装と洋装とドッチも居るよ、普通だよ、なテレビ小説的な時代設定の世の中になるといい。
パンツに戻す。
ババアは化繊にかぶれる年頃なのでパンツは綿がいい。レースとかも要らない、かゆい。
昨今だと不織布のマスク被れるとか一部で声も上がっていることと思う。花粉症とか他のアレルギーとかで年中マスクの人種からしたら何を今更っていうヤツ。
また逸れたのでパンツに戻す。
生理用パンツに綿100%は存在するけれども、クロッチ部分がガチすぎる防水布だとムレてムリとか、この防水布が素材によっては羽つきナプキンの粘着が取れなくなったりするのでクソだとか、まあ色々ある。ただでさえイライラする時期にナプキンの粘着べっとりとか、パンツ引き裂きたくなる。というか、クロッチ部分もだけど際にレースとか直に肌にあたるかもしれない部分に化繊を使っておいて綿100%表記とか首をひねるわ、まあ理解はできるけども。細かいアレだと糸も化繊だもんな、縫製によっては被れる。ちっとも綿100%ではない。クソが。
防水布だが。
だって上にナプキン置くじゃん?ナプキンの大きさによっては防水布の部分がピッタリ合うって事も無いけど。
通気性を強調するナプキンの下に通気を拒む防水布が有るってどういうこと?ナプキンずれた時用のセーフティーネットだっつーのはコピーになってたりするけど、現実的にはムリじゃね?ナプキンから漏れたらそれはもう漏れるわ、何ミリだか何センチだかの防水布部分で決壊を防げる程度の量なら綿100%さんが頑張ってくれると思うわ。防水布にしろ綿にしろパンツに血が付いたらパンツ交換した方がいいわ。防水布についた血が拭いたら取れるかっつーと、そうでもないし。出先とかで代えが無かったとしても大差無い気がする。というかケースバイケースすぎて比較できないのでは?つまり個人の好みでいいのでは?そしてババアは防水布が嫌いだ。
なんで後ろ全面防水布にする?
いや、わかるよ、ナプキンがずれた時のセーフティーネットなんでしょ?先に上げた理由でクソすぎる。
世の中にはパンツからはみ出るんじゃね?っていう巨大なナプキンも存在するしパンツ型のナプキンも存在する。
ババアは多い日はパンツ型を愛用している。パンツ型、化繊には違いないけど防水布とは比べ物にならない肌あたり。とにかく防水!な防水布と、吸収して漏らさない!なナプキンと同じコンセプトであろうパンツ型ナプキンでは方向性が違うからだろうな。まあ、このへんは好みで探せばいいと思う。
漏れない事よりも肌が被れない事の方がババアには大事だ。パジャマもシーツも洗えば落ちる場合が多いけど、一度被れたら治るまでずっと痒い、痛い。
布団やマットレスに染みるのが心配ならパンツじゃなくて布団の方に防水っぽいシートを敷けばいい。腰回りだけでいいんだから、赤ちゃんのおねしょ対策用品とかでもいいし何ならバスタオル重ねて敷いとけば、わりとタオルが頑張る。
防水布アリガテーなパンツばっかりなのは需要があるって事なんだろうか。売れないものは作りたくないだろう、それは分かる。でも本当に生理パンツにおける防水布ってそんなに有り難いんだろうか。ババアはむしろクソだと思ってるが。
ナプキンじゃなくてタンポンとカップ型のシリコンのやつにすりゃいいじゃんって意見はババアは受け付けない。
どれもメリットとデメリットがあって、タンポンもカップ型シリコンもババアには合わない。化繊が被れるので、ナプキンだってメーカーによってはムリだし、粘膜に直越触れるとなるとコットンのタンポンでもムリだし、シリコンもムリだ。モノによるとしか言えないので自分で人体実験する気にはならない。
とある鍵垢同人女より商業作家さんのお気持ち表明についての構造整理
https://anond.hatelabo.jp/20200712141747 さんの激おこ文章、同人女サイドでは、ひとくくりに糾弾されて普通に嫌な気持ちになったけど、気持ちはわかる。
(私は同人女ですが、かつて別名義の本名で文学系一次創作詩歌・評論を発表していた人間です。自分の作品を私物化・海賊業されて…という経験はありません)
主さんもおっしゃる通り、商業として作品を商品にした以上、それを自分のものと主張するのは難しくなります。
「作者」と「読者」ではない、お金の介在する生産者と消費者の関係は、金銭契約により生産者と使用者の関係を生み、その生産者も雇用主・被雇用者に細分化するものです。
作品の発表に当たり人の手を経れば経るほど、その作品の所有層全体に見る自分の割合がちっぽけになっていきます。
この問題を切り分けて考えると、
(1)作品を発表した
(2)ゆがめて解釈された
(4)それにより純粋な「作者」の契約外の人間に利益が発生した
(なお、前提として、「作者」は作品を発表するにあたり企業などの商業的な発表媒体と契約を結び、「作品」は「商品」となっています。)
発信者の解釈する自作品と、受信者の解釈するその作品の間に、何らかの解釈の違いが生じることが、第一の難しさ。
・アート作品をプレスリリースした際、一方向から撮影した1枚しか写真が載らず、別の一面の情報が伝えられなかった。
・カラーの風景画を取材され、新聞にモノクロで掲載され、色味の再現が十分でなかった。
・詩吟の節回しとして本来長音が入らない箇所を、聴き手の記憶頼りのレビューで長音のように表記された。
・使用楽器の質にこだわってリリースした楽曲を、百円均一の音質の悪いスピーカーで再生された。
・ある特定のホットサンドメーカーを使った料理のレシピを、異なる製品で作った結果、焦げておいしくなかった。
ここには、「発表媒体」による不自由と、「ツール」による妨害が存在します。
いずれも、その作品の情報の伝達時の「再生」方法が、その作品を表現しきるに満たない、という問題です。
今回の漫画作品では、おそらくこうした再現性の問題はほぼないでしょうが、
【「作品」を再生する受信者は、必ずしも「作者」の思惑通りに「作品」を享受しない】。
その結果、【本来の作品のポテンシャル外の評価・解釈が生まれる】。
これは、芸能人や政治家が発言した内容を任意に切り取って報道する偏向報道もそうです。
本来与えられるべき情報量に到達できないまま受信者が作品を評価することが、作品発表の第一の関門です。
「××くんは○○くんを好き。▲話で腰に手を回してるからセックスした」
「▲▲さんは実は●●ちゃんを嫌いなんじゃない?」
「●●ちゃんは本当は腹黒で、○○くんに近づく奴を陰で×してる」
二次創作は、「●●という作品の○○という人物がもしも××したら」から端を発するものです。
つまり、二次創作の原動力は、作品の「余白」と「違和感」です。
その「違和感」の着眼点や「余白」の範囲は、作者によって規定できません。
二次創作には「パロ」という文化が存在し、読み手側が「もしも○○だったら」と仮定することで、作品の余白は無限に継ぎ足されます。
さらに、「違和感」は、疑えばいくらでも生み出すことが出来ます。人の行動の裏の意味について考えすぎてしまうとか、創作に関わらない人間関係と同じように。
【「余白」や「違和感」などの、二次創作の要因は、作品のいたるところに存在する】。
【作品を、想像力を持つ人間に届ける以上、この「解釈のゆがみ」の発生を止めることはできない】。
これが第二の問題です。
少年少女が生きる意味・死ぬ意味に向き合い、あらがい、自己を実現する、人生の解の物語です。
その物語では、一人一人の死には厳然たる尊厳があり、死は尊重されるべき、という観念が少年たちに獲得され、通底していました。
しかし、その物語がアニメ化された際、監督の好みで物語の大筋が改変され、少年たちの命運も、登場人物の人生の意味も、その監督の解釈により書き換えられました。
「アンインストール」というテーマ曲が有名なゼロ年代のアニメですので、主様やこの記事をご覧の方もご存知かもしれません。
こうした、【自己解釈による横取り・ただ乗り】が、主様の同人女に対する一番の怒りなのではと感じています。
これが第三の問題です。
例えば原作ファンが実写化を叩くのも、おそらく類似した心理によるものです。
そして、このただ乗りを素人(同人女)がする場合、その目的は3つが融合しています。
「自己実現」「他者からの承認」「何かに打ち込み成し遂げる快感」の3つです。
自己の考えを開示・表明することで自己を実現する。それを承認されて行為が加速する。同人イベントなどの目標を達成し、達成感を得る。
これらが融合し、「カップリング界隈」という一つの社会に生きる「同人女」としての個性を、一人の人間の中に築いている。
「趣味の活動」という、第一の人生を生きながらある程度の匿名性が担保された第二の自己を獲得することが、「二次創作界隈」では可能なのです。
しかも、その第二の自己は、第一の人生を妨げません。いざとなればアカウントを消去して関係を断てる、切り捨て可能なインスタントな人生。だから同人活動は気楽に楽しめます。
一次創作主ほどの切迫した人生・生活感が、二次創作主でいる間には、必要ないのです。
【「自己実現」「他者からの承認」「何かに打ち込み成し遂げる快感」は、「同人女」に第二の人生を与え、同人女を生きやすくする救済である】。
これが、SNS社会の現代で、同人作品の発表がなくならない理由ではないでしょうか。
しかし、取れる策が自衛しかない小さな政府・大衆民意・経済の尊重の今の世の中では、二次創作されるのが嫌な一次創作者は二次創作嫌だ二次創作禁止と言える会社で発表するしかありません。アルファポリスとかしか思い浮かびませんが。
一次創作で金儲けしながら作品を自分一人のものとして主張したいなら、同人でやるしかない。
企業に自分の作品を買い上げてもらうことはあきらめる。企業の製造ライン・企業の販路・企業の広報、そういうものに載せてもらった時点で、作品の方針を取る手綱は自分のものではなくなる。
生活のために金儲けすればするほど、作品の権利元が分散して、作品が多くの人の手を経て連帯の所有物になっていき、純粋な「作者」の手元を離れていく。
「商」業の性質上仕方ないです。
両得で叶えることは難しいと思います。残酷ですが、主様のおっしゃるとおりですね。
これに言えることはありません。
「利益」と「権利」に対する、同人活動者の考えの浅さに直面するたび、私もくやしくなります。
公式が発表していない自作ねんどろいどの写真をSNSに発表する。
公式のロゴに類似したロゴを使ったスマートフォンケースの受注生産。
全てアウトです。公式の受け取るべき権利の横取り。公式の意図しない第三者の営利活動が原因で、立体商品が発売されなくなったジャンルもあります。
それでも横行しています。「痛い目を見ていないから大丈夫」なんですね。
私が同人活動をしている作品は二次創作に好意的で、二次創作の中でも特に禁じるものを明記したガイドラインもあり、公式サイドで映像制作に関わっている方によるファンアートの投稿も盛んです。
それでもガイドライン中で明記されている禁止行為をする人が後を絶ちません。
「みんなやっているからいい」。
公式から二次創作全面禁止のお達しが出るまで続けるのでしょうか?
そこに倫理はないんでしょうか?
ここを踏みとどまってほしい、という、主様のメッセージの最後の一文だけでも、少しでも多くの同人女に届いてくれればよいと思います。
以上。
構造の整理と言って、結局私のお気持ち表明でしたが、以下に内容をまとめます。
●まとめ
(1)作品を発表した
【問題1】「作品」を再生する受信者は、必ずしも「作者」の思惑通りに「作品」を享受しない。その結果、本来の作品のポテンシャル外の評価・解釈が生まれる。
(2)ゆがめて解釈された
【問題2】二次創作の要因は、作品のいたるところに存在する。作品を、想像力を持つ人間に届ける以上、「解釈のゆがみ」の発生を止めることはできない。
【問題3】「自己実現」「他者からの承認」「何かに打ち込み成し遂げる快感」は、「同人女」に第二の人生を与え、同人女を生きやすくする救済である。
(4)それにより純粋な「作者」の契約外の人間に利益が発生した
5月中旬から始まった学校は、分散登校という慣らし運転期間を経て6月から本格的に始動した。
運動系の部活に入った事もあって、朝練・授業・部活・宿題・塾 と中々ハードな日々を送っていた。
7月に入ると宿題を朝慌ててやっていたり、起きれなくて朝練をサボったりする日がぽつぽつ出てきた。
宿題も「毎日提出するもの」と「2週間後の期日までに提出するもの」が出されていて、毎日提出のものをギリギリこなしているという状態だった。
そして今週の水曜日、その「2週間後提出期限」の宿題の提出日の朝、息子は学校に行くことをやめた。
机には全く手つかずの宿題。
学校に行かなくなってのこの3日間は一日中ネットを見たりゲームをしたりしている。
ただ、友達への負い目があるのかラインやSNS、フォートナイトのような人と繋がるゲームはやっていない。
親として7月に入ってからした事は
・宿題の量が多いのでスケジュールを細かく切って取り組む計画を一緒に立てた。
・塾を辞めてもいいと子供に話をした。(子供は辞めたくないと言った)
・塾の宿題にまで手が回らなそうだったので、塾の先生に相談して「出来るところまででいいですよ」と承諾をもらった。
2日目からは登校に間に合う時間に起こし、朝食をとらせ、あとは本人に任せている。
一向に宿題に取り組む様子は無いけれど。
現在は薬で症状は抑えられているが、小学生の頃は朝の着替えも、時間割通りに教科書を揃える事も一人では難しかった。
勉強は嫌いだった。
読書は好きで、教科書や参考書の内容の理解は早かったので成績は良かったのだが、
ドリルのような「問題を何度も解く」という行為をとにかく嫌った。
本人にとって分かり切った事を何度も繰り返しさせられる「作業」は苦痛でしかないという様子だった。
息子にとって学校に行き続けるという事は、毎日そういう苦痛の山と向き合い続けるという事なのかもしれない。
この先どうしたらいいのか、出口が全く見えない。
というかコロナが東京で再蔓延し出したのも一極集中が問題だろ。
別に都民が他の道府県民より自粛してないとは全く思わないけど、一極集中故に店は狭い、人は多いから感染リスクもそりゃ跳ね上がるわ。新しい生活様式も都民にはもっと厳しいバージョンが必要。
あまりブクマでも話題になってないけど昨日外務省や厚労省でも感染者が出た記事が出てたし、政府が機能しなくなったらこれまでの自民党政権の問題だよ。本格的に各エリアに分散するしかないし、それがバランスとれてるわ。別に福岡ぐらいの規模の都市があれば生活困らない人が大半だろうし。(それこそ東京が小さくなって仙台や広島が福岡や名古屋ぐらいに膨らめばいい。周縁の県もより栄えるだろうし)
私は都内の理系大学に通う4年生だ。大学へは1時間半かかり、一人暮らしすべきか悩むラインなのだが、この距離なら実家から通う方が格段に経済的なので、実家暮らしのまま大学も4年目に突入した。
実家暮らしは快適だ。衣食住は保証されているし、幸いなことに両親の仲も良い。金銭的にも、一人暮らしだと毎月数万の家賃+光熱費+食費がかかるのに対し、実家暮らしなら毎月せいぜい1万円の定期代しかかからない。一人暮らしだとバイト代からある程度の生活費を補填する場合が多いが、それもしなくて良い。
実家暮らしは最高!と信じ続けていたのだが、去年あたりからそれのほころびに気がつき始め、このコロナ禍でいつにもまして自宅にいることが増えた今、確信するようになった。これは、茹でガエルになって腐っていくやつだ、と。
タイトルは、自分の状況を見て「理系男子+実家+一人っ子」という組み合わせにしてみたが、実家に住んでいればある程度は誰にも起こりうる話だとは思う。しかし、この組み合わせは特にたちが悪い。
一人っ子だときょうだいがいる場合よりも家族から寵愛を受けて育つ、というような話は私には検証しようがないので分からないが、家庭内で近い世代の人がいないことで、家の外で同級生などとコミュニケーションを取りづらくなる、というのは実際起きることだと思う。親との接し方は、きょうだいとの接し方とは異なるわけで、一緒に遊んだり、時には争ったり揉めたり。一人っ子だとその経験が皆無だ。小学生の頃も、友達の家に遊びに行って兄弟喧嘩を目撃すると、これはマズいことになったな…と本気で心配したりしていた。そのような「雑な」コミュニケーションの取り方を覚えられずに成長してきてしまったのだと思う。例えば、友達に連絡する時もダル絡みのように、用件もなくLINEを送る、なんてことはまず考えられない。何かちゃんとした用件がないと連絡しても煙たがれるよな、と想像してしまう。(それでも、ありがたいことに何もない時でも比較的気軽に連絡できる友人が何人かはいる。本当にラッキーなことだ)その結果何が起きるか?LINEをほとんどしないのである。現代においてそれは、交友関係の狭さに直結する。
また、一人っ子で実家暮らしの際のもう一つの実際的な問題として、両親に行動をほぼ完璧に把握されてしまう、ということがある。例えば夕飯にしても、きょうだいがいれば毎晩ある程度の余裕を持って夕飯を作るだろうが、一人っ子だと毎日、今日は夕飯は家で食べるのかと確認される。そして現代の東京では、「遊ぶ」は多くの場合「食べにいく」「飲みにいく」ことを意味する。これだと突発的に友達と食べにいくこともなかなかしづらい。また、私はほぼ下戸である。「衆人皆酔えるに、我独り醒めたり」だ。テンションについていけない場合が多く、周りが酒の勢いで盛り上がっていても特段楽しくもない。
また、休日の行動も、友達と出かける場合は家にいないわけだから、どこかに行っていること自体は筒抜けだ。また、母親がやけに勘が鋭いのと人間関係の記憶力が良く、私がいくつか的確な質問に答えてしまうと、自分の周りの人間関係を如実に把握されてしまう。相手の性格やステータスなどについての評価を下されることも多く、居心地悪いことこの上ない。これも、きょうだいがいて親の関心が分散されていれば、実家暮らしだとしてもこれほどではないのだろうと思う。神経質な私は、交遊は無難な範囲に納めておこう、と無意識のうちに決めていたようだ。
そしてこのような状況は、恋愛関係の問題になってくると致命的となりかねない。
結局この4年間で、女性と正式に付き合うことはできなかった。まず、デートするための口実づくりのための心労が半端ではない。休日に出かけるとなると、大抵の場合、誰と会うの?などと親に聞かれる。そこで、「おんなのこと二人で遊びにいく!」なんて言おうもんなら、相手はどんな人か、どんな家庭か、写真見せてくれ、などと質問責めに合うことだろう。(実際に言ったことはないので分からないが。さすがに少しは気を利かせてくれるとは期待したいが、わざわざ確かめたくはない。)なので、デートの約束が取れた時は、親には適当な友達の名前を出しつつ、あまりにお洒落すると突っ込まれそうなので、友達と会う時にも着そうだしデートでも通用しそうな組み合わせの服を頑張って揃え、親に言うアリバイはどうしようかな、と考えながら家を出る。ストレスがすごい。そこまでしてもなお、勘の鋭い親にはデートに行っていることを見抜かれているのだろう。だったら自分から言えばいいのだろうが、この微妙なバランスを崩したくがないために、デートのたびにこういう流れになるのだ。
ところで、あまり口達者ではなくても、イケメンというわけではなくても頼れるテクニックとはなんだろう。そう、酒の勢いだ。酔いが回ってくれば、ちょっと恥ずかしい話だってできるし、そのまま話し続けて夜遅くなれば、じゃあこれからどうしよっか…ともなるだろう。しかし自分は下戸なのだ!そして、「今日は泊まってくる」なんて家に連絡できるわけがない。付き合えたところで、そういった困難がデートのたびに起きるのが予想できてしまうと、こちらも消極的になるわけだ。
単純接触効果というか、男女同士で定期的に会っているだけで好感が生まれ、好意に発展することもあるだろう。ところがどっこい、理系の学部はほぼ男子校なのだ。あいにく私は異性愛者なので、キャンパスライフを楽しんだところで恋愛的な出会いはほとんどない。いわゆるインカレ的なサークル活動もしてこなかったので、そもそも同年代の女性と会うことがほとんどないのだ。
そして今、問題は新たな局面に入った。感染症の蔓延により、自宅待機を余儀なくされているのだ。なに、「どうせみんな自宅待機なんだから、実家でも一人暮らしでも変わらなくない?」だと?甘い。世の一般的な一人暮らし大学生は、既に夜な夜な飲み会に出歩き、コロナなんて気にせず外出しまくっているのだ(私見)。コロナを広めにいくような行動はやめろよ、とは思うが、納得できるところはある。若者は統計的には重症化率が低く、感染しても軽症で済む場合がほとんどと知られている以上、一人暮らしで親と接する機会がなければ、普通に出歩くのもうなずけるのだ(大局的に見ると、重症化のリスクが高い人にまでウイルスの蔓延を広めているので、大いに賛成はできないが)。しかも、コロナで客足が減った飲食店や施設は空いているし、割引をしていることが多い。このチャンスを逃すのはもったいない、と思うのがむしろ自然だろう。しかし実家暮らしで生真面目な私は、自分から親にウイルスをうつすなど考えたくもない。そうなると、感染状況が落ち着くまでは、友達とカラオケや密な飲食店に行くこともしたくない。また、実家だと電話するにも家族に気を使わないといけない。深夜には話せないし、自室で話していても声が漏れるので、軽い雑談はできても、ぶっちゃけ話やゲスい話など、本当に盛り上がるような話は決してできない。
…………………分かっている。こう書いても、「結局はあなたの社交的な性格の問題でしょ?」と思われることは。性格がもっと外向的だったら、もっと要領がよければ、同じ環境でも全然違う状況になれるのかもしれない。しかし、環境が人を作るとも言う。この状況でどうしたら穏便に暮らせるか無意識に最適化した結果が今の性格、今の状況なのかもしれない。一人暮らしを始めれば、このような足かせから解き放たれるのかもしれない。
しかし、もう遅い。大学生活は終盤に差し掛かり、どうせコロナは年をまたぐであろう。実家引きこもり生活は卒業するまで続き、修士に進学するのでそのまま2年間続くかもしれない。今からでも、少し無理してでも一人暮らしをしてみた方がいいのかもしれない。環境が人を作るのだとしても、人が環境を作ることもできるはずだ。
もしタイトルに書いた条件があなたにも当てはまるなら、ぜひ私よりもマシな大学生活を送ってほしい。実家が近くても、一人暮らしができそうなら、ちょっと背伸びしてでもそうした方がいい。実家暮らしになるのであれば、自由度を増やせるように、早いうちから終電での帰宅などを繰り返して、自分が外出していても親に気にされない状態を作りだそう。そしてそして、女子と会える場をなんとかして見つけてほしい。
あんなことできるこんなことできる、確かに事実なのだろうが、そんなことが出来ているのは結局のところエリート採用された上澄か、所謂大都市の拠点支店に初任で配属された一部の人間ばかりだ。自分をはじめとした圧倒的大多数は地方の、さらに片田舎の支店に配属され、一生同じような仕事を繰り返すことになる。まさに歯車と言っていい。尊敬していたかなり年上の先輩は「手をあげ続けてきたけどチャレンジすらさせてもらえなかった。」とかなんとか言って他所に移って行った。研修に行けばいつ辞めようかあいつはもう辞めたと言った話ばかり。
とは言え楽しそうに仕事している人がいるのも事実。10年目ともなると担当先も案件のある先が増え、仕事もある程度自分で回せるようになり、それなりのやりがいを覚えるようだ。若手で楽しそうに仕事している人は稀だろう。大概は支店の、誰も持ちたがらないような先を持たされて疲弊している。若手で楽しそうに仕事している人間は、本当に案件と同僚に恵まれたか、よほどの営業の才能があるか、あるいはただの馬鹿だ。「これまで誰も掘れなかった先を持ってるんだぞ。やりがいしかないだろう。」本気でこう言ってきているのなら余程の呑気であるし、闘魂注入のためであればこれも余程の呑気だろう。
外回りしろ、じゃないんだ。準備してから訪問しろ、じゃないんだ。どこに何が書いてあるのかわからないような手続き書と睨めっこしながら通常の事務をまわしつつ、好き勝手頼まれる雑用をこなしつつ、誰もやりたがらない支店のお荷物先の対応をしてるんだ。いつ潰れるかもわからない会社でご奉公なんて時代じゃ今はもうないんだ。
銀行の採用は実に卑怯である。上の人間が仕事に集中できるように若者を使い捨てている。雑用を、前の世代の尻拭いを、無駄に抱え込んだ不採算先を全て若手に押し付けるために、キラキラした「バンカー」を喧伝し、これまで大量採用を続けてきたに違いない。徐々に減ってきているとはいえ今もそうだ。離職率を見ればわかる。そして生き残った人々が自覚か無自覚か知らないが同じことを続けていくのだ。僕は事務屋さんではない。20代をこんななんのスキルも身につかないような場所で終えたくない。3年で身についたのは「おっしゃる通りです。」「申し訳ございません。」のスピードだけだ。財務もエクセルも英語も、何もわからないまま。仕事は書類を擦り出して一枚一枚丁寧に付箋を貼って、上司の印鑑をもらうだけ。親が泣いているぞ。
給料。世間的に見れば〜という話もあるだろうが、自分の周りを見れば圧倒的に低いと言えるだろう。聞いた話では若手の給料は庶務さんと同じ程度だそうだ。ことによれば事務のお姉さまよりも断然低い。「私たちには責任は取れないので、そちらで判断してから持ってきてください。」だったら判断の分だけでも俺の給料を上げてくれ。もちろん堅確な事務は車の両輪の如く大切であるのは間違いない。ただ、どこまで行っても若手は事務処理要員の一つとしか見做されないのだなあと思うとやりきれない。
銀行は業界も内部の人間ももうめちゃくちゃだ。銀行に限った話じゃないのだろうけれど。
業界はお互いにお互いの首を真綿で締めあっていると言える。採算度外視の金利競争。地方は地方でズブズブの企業・人間関係。じゃあ今度は金利じゃ儲からないから手数料だ。収益を上げろ。そうして投信を売る。かつてはゴルフ会員権を売った銀行もあったそうだ。流動性が桁違いなので全く同じとは言わないが、似たものを感じる。顧客第一主義とは何か。本部から還元される資料には必ず「切り返し話法」が載っている。洗脳と変わらないじゃないか。
内部も内部だ。本部の言うことは一貫していないし、表彰のルールだってややこしい。あれしてこれしてこうして下さい、分厚いルールブックを配られて、それでもよくわからないことだらけ。皆が上席に忖度して媚び諂っている。風通しが良いふうを装っているあるいは本気で信じている上席はいるが、結局のところは自分の意見が正しいのだ。誰も自分の意見は言わず、本人のいないところで愚痴を言うだけ。
「やめられない」のは一番悪いところかもしれない。今やどこの支店もセコムやらアルソックやらを導入しているのに、いまだに金庫内のキャビネットの鍵すら丁寧に施錠している。セコムが破られて、分厚い金庫まで破る相手にキャビネットの鍵がなんだと言うのだ。そう言う決まりだから。これで終わりなのだ。鍵の開け閉めに一日30分はかかっているのに。朝礼も無限に長くなっていく。と言うかそもそも毎日朝礼する必要があるのか?あれもこれもとコンテンツを追加していって、結局始業の時間ギリギリになっている。知っていると思うんだけど、時間は有限だぞ。
仕事の仕組みも散々だ。手続き書に全てが書いてあるはずの銀行業務は、確かに全て書いてあるのだが、各所に分散していて、そこを参照すればいいのかは経験に強く依存している。ある業務を行うにはこの手続き書と、別の手続き書と、あの通達と、どこにも書いていないあの様式の書類を添付する必要がある、なんてのはザラだ。掲示板もいくつもいくつもいくつもあってまるでキメラのようだ。
この原因はおそらくデジタル化の勘違いからきていると僕は考えている。要はかつて銀行業務にパソコンを導入した人たちは「紙でやる業務にワープロを導入した」世代で、上にならえの我が業界人たちは長いことこれを踏襲してきているから不便なのだ。
定型的な業務であれば全て一つのシステムで、一気通貫に、指示通りの動作を行っていけば約定・実行まで終わるようにできて然るべきだろう。いくつもいくつもシステムがあって、それに対応するようにいくつもいくつもパスワードがあって、結局皆覚えきれずに手帳なりノートなりに一覧を作って管理している。何もかも無駄である。銀行にはこれを改革することはできない。お客さんには新しいシステム!を案内しておきながら内部でやる事務はなんら変わっていないどころか手間が増えていたりする。これじゃできの悪いハリボテである。採用もそうだが外面だけ立派で中は人を消耗するボロボロのシステムが銀行である。偉い人々はもう使うことがないから忘れているのだろうが、次世代金融どころの話ではない。そういった妄言はまず中身を整えてから、せめてそういった姿勢を見せてからだろう。若手はもう限界だ。文句を言うくらいなら手続きを覚えろと言うのは全くその通りであるが、人材の流動性が高まろうといった現在、手続きと言うある意味本質的でないところで時間を取らせる現在のシステムのままでは人材の受入はできないだろう。
銀行人材を斡旋すると言うニュースがある。世間がどの程度銀行人材を誤解しているのか知らないが、その太宗は大したスキルのないおじさんたちである。排出は考えるが受入は考えない、いつまで殿様のつもりなのだろう。銀行は働き方改革などと言う訳のわからない施策を講じる前に仕事の仕組みを改めて整えるべきだろう。
サービスが大事だと偉い人は言う。寄り添った提案が大事だと。僕はそうは思わない。これは特にリテール分野の話ではあるが、真に投信等に関心があれば手前でやるのだ。それも手数料の安いネット銀行で。ソニー銀行は口座開設から何から便利だし、楽天銀行はUIは流石楽天あまり良くないが結局便利だ。僕自身のメインバンクもネット銀行だ。寄り添った提案なぞ今働く世代にはできっこない。どうせ同じ時間帯で働いているのだ。寄り添った提案、結局のところ金持ちや年寄りに媚びて情に絆すだけのサービスに過ぎない。フローチャートを細かくすればそれこそネットで出来ることだ。
日本は多くの人が銀行口座を持つ珍しい国だと聞く。この傾向は続くだろうがそれはネット銀行に偏るだろう。店舗型の銀行は今のままでは本当にただコストだけ抱える過去の遺物に成り下がるだろう。いっそ法人と個人を全く別の銀行にしてしまえとさえ思う。そっちの方が余程効率がいいだろう。
偉い人曰くサービスが大事なのは銀行が同じような商品を取り扱っているからだと言う。確かにそうだ。特に法人分野はその傾向が強い。担当者の能力に依るものは大きい。一方で個人分野では少し違うんじゃないか、見落としがあるんじゃないかと思う。
我々商業銀行は商業銀行であるが故に、もっとブランドを意識するべきだろう。それは金持ちや年寄りに対する温い媚びのサービスであってはならず、どちらかと言うとアップルカードに連想されるような、スマートな商品開発だ。キャッシュカードやらスマホアプリやら、実は銀行には他行差別化の図れる商品がいくつかある。保有して人に自慢したくなるような商品の開発こそ、何も捨てられない銀行がいつまでも大衆の銀行であるために必要なことだろう。
なんだってやるべきだ。いつまでもジャケットを着てるのではなく、ポロシャツを着て街に出るべきだ。銀行がタイアップしたカフェやらコーワーキングスペースやらをもっと作るべきだ。せっかく無駄な資産をたくさん持っているのだから。無形の価値を、ブランドを、高めて向こうからやってきてくれる銀行になるべきだ。〇〇BANKがお洒落でスマートの代名詞になる日がくればいい。BANKの語源の確かなところは知らないが、いずれにせよ皆が腰掛けることのできる公器たるべきだ。因みにポロシャツはエスカレーションラダーを増やすといった意味でも是非とも推進するべきだ。普段がカジュアルであるからこそスーツがより際立つのだ。振り切りが大事だ。年寄りと金持ちには徹底的に媚びよう。大理石造りの基幹店を作ってもいい。マホガニーかなにか高級な素材を使った店内で、徹底的に厚遇すれば良い。そしてブランドで大衆を惹きつけよう。認知なくしては居ないものと同じなのだ。
思うがままに書き連ねて、推敲すらできていないが、日々感じるストレスの中、間も無く来るであろう異動を思い、こんなことを書いてしまった。
普段の業務ではこんなことできない。つまらないオトナ達が上の顔を見ながらクソみたいな施策を出してくるのを見守るだけだ。
仮にこう言う仕事ができるような年次になった時、おそらく僕もそういったクソみたいな大人になっていることだろう。
人事へ。探さないでください。なんだかんだ言って僕はまだクビにはなりたくありませんので。辞めるまで待ってくれよな。
何もできない若手の、根拠もない取り止めのない妄想である。これを根性のない若手と切り捨てるのは容易だ。僕でもそうする。ただ、そうして肥大してきた結果が「必要とされない銀行」であると言うことは偉い人は強く認識するべきだろう。だから、少しでもいいから真の改革の姿勢を、我々が充実して働けるような未来を見せて欲しい。何を言ってるのか自分でもわからなくなってきたな。いつかもっとまとめて書くこととする。