はてなキーワード: 研究室とは
情報工学を専攻していて,特に機械学習の理論寄りの研究をしています。
大学を出たあとは都内の大学院に進学しようと思っていて,今月末に研究室見学に行きます。
ただのぽっちゃり(ってかデブだね。175cmの75kg)だし,髪とかセットしたことすらない。
あまりに不安すぎて,研究室見学前日に都内の美容室を予約した。
男性にもおすすめって書いてある,カットと眉のカットがセットになってる美容室。4000円しないぐらい。
なんだろう,これでいいのかな。不安。
あと,服も不安。
どうすればいいの。なんか適当なシャツきて,テーラードジャケット羽織って,下はチノパンにスニーカーにすればいいですか。
気合い入れすぎですか。
おしゃれなみんな教えて。
背景1 誕生 猪突猛進 高校二年生 現代文の授業の何かがきっかけ。物事をいろんな観点で見てみよう。何故そこにタンポポ? 種がとんできて成長したから。あらゆる物事には原因があるんだなぁ。まてよ、何故宇宙は存在するんだ? 分からない。きっと人類の誰も分からない。ロマンだなーすごいなー。地球上にはロマンが残ってないかもだけど、他にも目を向ければロマンあるよジャイアン。あれ、自分は何で生きているんだ? 勉強とか大変なのに。楽しみよりも苦しみの方が多いのに。親に聞く。そんなことも分からないのか? 俺たちはこんな人間をつくっちまったのか。図書館行って調べてこい。分かるまで帰ってくるな。俺はダメ人間だったのか。図書館行って調べる。他の人が喜ぶことをすることで自分も嬉しい。他の人のために生きる、それが理由。報告。 数日後 取って付けた理由は霧散していた 憂鬱 FF9を久々にプレイ 生きる理由を見つけることが、今の生きる理由でいいのか、なるほど 生きていればそのうち見つかるだろう 大学 友人なかなかできず。でも少ないながら良き友人できた 研究室配属 大学院 一人暮らし開始。素晴らしい解放感。研究室のみんな楽しい でもいまだに生きる理由見つからない 楽しいこともあれど、ダメ人間にはなりたくないという斥力と惰性で生きてきている 就職 何か問題が起きた時は、その原因を特定し、それを排除すれば問題は解決する、ということをようやく会得。 他の人のキーボードのタイプ音が異常に気になりはじめる。超しんどい タイプ音問題なかなか解決できない 生きる理由の最後の希望、振られる 下降 音しんどい。発狂しそう 強迫性障害 判明。しんどい事や違和感を感じた時に、自分は人と違うんじゃないか そのせいではないか、と思いはするが気のせいだろうと無視してきた。しかし今、自分はいくらか人と違うことが判明してしまった。かなり損をしてきたのだ。そして治らなければ今後もまた同様に辛いことが。 下降 強迫性障害 軽減の試み 奏功せず 下降 難しい仕事、そして割に合わないほどのクオリティを求めてしまう 下降 睡眠障害 アトピー 鬱病 休職 下降 鬱病を治すために、薬飲んだり適宜運動、が、不適切なほど運動。超悪化 下降 生きることは苦痛そのもの。幸せになっていく友人のことを素直に喜べなくなる日がいつか来る。生きても苦しみが増えるのみ。絶望。自殺以外に救いは無い。ただ自殺すると、親が発狂してしまうのではなかろうか。自殺するのも容易でない。 下降 さらに悪化。自殺するにもいくばくかの気力、体力が必要だが、それすら無くなった。地獄とは死後にあるのではなく、現世にあり、そして今まさに地獄にいる 地獄 時間経過 少し良くなる。自分の未来なんてもはやどうでもいい。地獄だけは勘弁。無理せずに歩き続ける。楽しいこと見つけよう。FGOおもしろす。 山あり谷あり 復職訓練 山あり谷あり ゴーストのささやき、自分の心の声が存在することを明瞭に知覚できるようになる 声に従って行動すると、心のエンジンがかかる。シティハンターのあれはこういうことだったのか。 生きる理由は無いけど、自分の本能が後押ししてくれる 声の導くままに。 世界は無慈悲に進行する なるようになる 悟り 全てを受け入れられる 未来は定まっており、それを知ることはできず、辿るのみ 客観的には無意味 主観 意味あり 全 単一 同じ ある量子に対して,他の量子が影響を与えている 自分の脳を構成する量子も他から影響を受けている 世界のある人間と,別のある人間とは,独立ではなく従属の関係にある.完全な独立など存在しない 世界や量子はすべて一通りしかない 因果律 地獄 睡眠障害 常にしんどい 頭痛 希望を抱くことは不可能 絶望しか見えない 時間が経過すれば良くなるかも、といった希望すら見えない 自殺以外に救いがないことを確信しているが、自殺することもできない 永遠に続き、逃れること能わずな苦しみ 地獄入りする直前には、自殺する計画を立てる決意までいった 超悪化の原因候補 無理して運動 甘いものを暴食 栄養不足 背景2 以下の人生タスクを達成できれば、良い人生になる気がする。 人生タスク 以下を継続的に遂行できる状態にする 適度に抑圧された、無意識的衝動による活動 タスク"生きる理由~する"の遂行活動 生きる理由を見い出す、創り出す、あるいは気付いたら創られているという状態にする 同タスクを達成できるよう、計画が必要だ。すなわち人生設計。 目的 自分の人生を設計する 人生タスクを達成するための方法・手順を、筋道立てて企てる 方法 人生タスクの達成条件を定義する 人生タスク達成に必要な方法・手順を考案する 得られた人生設計結果をまとめる 実行 人生タスクの達成条件を定義する 人生タスク 1. 以下を継続的に遂行できる状態にする 適度に抑圧された、無意識的衝動による活動 タスク"生きる理由~する"の遂行活動 2. 生きる理由を見い出す、創り出す、あるいは気付いたら創られているという状態にする 2の達成条件 定義 生きる理由が見いだされた、創り出された状態になれば達成 1の達成条件 定義 タスク"生きる理由~する"の遂行活動 の継続遂行可能な状態になれば達成 どういう状態であれば継続遂行可能? 遂行活動の内容にもよるが… 健康であればとりあえずおk 肉体的 精神的 曖昧だがひとまずなんとなくのままで まとめると? 健康を維持できれば達成 適度に抑圧された、無意識的衝動による活動 の継続遂行可能な状態になれば達成 適度に抑圧とは? 衝動だけでは逮捕される 現実に折り合える形 理想は実現できるとは限らない 社会の中で活動できる程度に折り合う 相互扶助ネットワークである社会の利用はきっとマストだろう 無意識的衝動による活動とは? 無意識的衝動 人類普遍のもの ../読書メモ/ 史上最強図解よくわかる社会心理学 生きづらさはどこから来るか 進化心理学で考える 脳のしくみ 自分固有のもの ./俺マインドマップ/* https://ja.wikipedia.org/wiki/生活 生活とは基本的に、命をつなぎ活動することであり、また生きながらえるために行う様々な活動である。 人は生き続けるためには、少なくとも、何らかの栄養を取らなければならず、(一般に)身体に何かをまとうことで体温を保つ必要があり、また野の雨や風をしのげる場所で眠りをとることを必要とする。つまり食べること、着ること、住まうことである。日本では、そうした生活の基本を漢字で簡潔に表現しようとする時は「衣食住」(いしょくじゅう)などと表現する[注 1]。「衣食住」の基本は、人が生活していく上で必要な、食(食事)、衣(衣服)、住(居住、雨風をしのげる寝場所)の確保である。 生活を構成するもの 基本、普遍 食べる - 栄養をとること。食事。そのために食材を入手し調理をすること(あるいは食品を入手すること)。 着る - 身体が冷えないように衣類をまとう。 住まう - 睡眠をとり身体に休養を与えるための場所を確保すること。居住。住居の確保。 世界を解釈し、その世界像のもと、上記のさまざまな活動を営み(食べ、住まい、子供を産み育て)表象行為を行う。(もともと生きることと、世界解釈と一体化して生きることは不可分であった)現代風に言えば、「信仰生活」「宗教行為」「年中行事」など。 子供をつくり、産み、育てる - (婚姻)、性生活、出産、子育て 老人が孫の子育てを手伝い若い世代に知恵を授け、若い世代が老人の世話をする - 子育て、扶養、介護[注 4] 近代化、資本主義化以降 (食糧を直接自分で狩る、採る、漁する代わりに)貨幣を得る - 貨幣を得られる仕事(労働)をする。家計を成り立たせること。 近年 「生活」の原義にとどまらず、生活以上の何か、QOLに関わる様々なこと。例えば健康の維持・増進など[4]。 すなわち 衣 体温維持 食 栄養摂取 住 休息、睡眠 パートナー獲得 ただし子孫は現時点では欲していない 自分とその周辺を,適度に,秩序だててかつコントロール下に置く 好奇心を満たす、真理の探究 世界に対して影響を与えつつ名誉を獲得する どういう状態であれば継続遂行可能? ./適度に抑圧された無意識的衝動による活動の継続遂行可能な状態についてのマインドマップ/* 概要 衣 体温維持 知識 服 食 栄養摂取 栄養摂取の知識 食べ物 住 休息、睡眠 知識 家 アトピー性皮膚炎 対策 パートナー獲得 ただし子孫は現時点では欲していない 肉体的、精神的に健康 自分とその周辺を,適度に,秩序だててかつコントロール下に置く 知識 健康 好奇心を満たす、真理の探究 健康 未知にアクセス可能な環境 世界に対して影響を与えつつ名誉を獲得する 健康 影響を受ける世界、すなわち人々の魂が、直接的間接的に手が届くところに存在する 世界についての知識 影響の与え方 その他=適度に抑圧 社会のルールについての知識 常識 深堀りする 服や食べ物などを得るには、自分で作る/育てるか、お金を払って社会から得るか、のどちらか 後者のほうが明らかに効率的。社会に依存することにはなるが。 安定収入が必要 #まとめると? まとめると? 人生タスク 1 以下を継続的に遂行できる状態にする 適度に抑圧された、無意識的衝動による活動 タスク"生きる理由~する"の遂行活動 適度に抑圧 現実に折り合える形 無意識的衝動による活動 衣 体温維持 食 栄養摂取 住 休息、睡眠 パートナー獲得 ただし子孫は現時点では欲していない 自分とその周辺を,適度に,秩序だててかつコントロール下に置く 好奇心を満たす、真理の探究 世界に対して影響を与えつつ名誉を獲得する 継続遂行可能な状態 以下を有する状態 健康 知識(体温維持、栄養摂取、休息、睡眠、整理整頓管理、世界、世界への影響の与え方、社会ルール、常識) 服 食べ物 家 アトピー対策 未知にアクセス可能な環境 影響を受ける世界、すなわち人々の魂が、直接的間接的に手が届くところに存在する 安定収入 上記の状態が得られれば達成 人生タスク達成に必要な方法・手順を考案する を実行中
3月に卒業する予定なのですが、4年間で感じてきたことを身バレ無しで書きたいと思い、投稿してます。
何を感じたかというと、常に話題になりつづけている「格差」です。
ここでいう格差とはピラミッド上位層の中に限定した中での格差(つまり上の上と上の下の格差)かもしれませんし、もっと広義での格差かもしれませんが、私の中でも曖昧です。文章を読むにつれて伝わっていけばいいなと思っています。
私は地方出身で、首都圏に身寄りもないので一人暮らしをしています。家賃は5万円台です。
もちろん高卒で働かなければ家庭が維持できないほどの貧困家庭ではなかったということです。
母子家庭なので国や地方自治体からの援助があり、そのため働くことなく上京できた可能性がありますが、このあたりは母親にまかせっきりなので詳しくはわかりません。
学費をバイト代から払ってしまうと生活がままならないので、学生支援機構の奨学金を学費に充てています。いわゆる一種と二種の両方を全額借り、学費を払い、余剰分は実家の母親に預けています。
上京するまでは月々8万円ほど稼げば十分に暮らしていけると思っていました。
食費3万円、光熱費や携帯など固定費2万円~3万円、自由に使えるお金として2万円~3万円。
高校生の頃は月5000円のお小遣いだったので、自由なお金が約2万円というのはとても魅力的に感じていました。
しかし実際は全く8万円では足りず、毎月15万円ほどは必要でした。
試算との差額の多くは交友費です。
私は貧乏ということを周りに印象つけられたくなかったので、誘われた飲み会や旅行にはなるべく参加しようとしました。
それだけで月5万円以上は必要となったわけです。
周りの友達の多く(体感では8割ほど)は両親からの仕送りや小遣いで飲み会や旅行に参加します。
比較的お金のない友達でも、アルバイト代が全額小遣いになり、生活費全般はすべて仕送りや奨学金で賄っていることがほとんどです。
「貧乏というレッテルを貼られたくない」というプライドだけで、毎月約70時間、年間800時間以上をアルバイトに費やしてしまいました。
アルバイトの時間が多い分だけ失ったものがあると考えると、とてもつらいです。
4年間で約3000時間以上です。もし全くアルバイトが必要なければ6000時間を超えるでしょう。
難易度の高い資格試験に挑戦できたでしょうし、プログラミングにも手を出せたかもしれません。
何百冊もの本を読むこともできました。
4年間多額の交友費を使っていたことでサークルやゼミなどの友達とたくさんの思い出ができましたし、それが無意味だったとか無駄だったとか言いたいわけではありません。
楽しかったですし、実際遊んでいるときに「このお金(時間)があれば…」と考えることもありません。
私は文系で、大学の研究室でいわゆる日本の格差問題について議論することがあります。
正直私以外は格差問題について基本的に上からの視点でしか話しません。
両親の収入によって子供に文化資本的な格差がある、教育格差がある、なども問題は存在を認めながらも他人事でしかないようです。
解決しなければいけない問題ではありますが、本人が直面している問題ではありません。
この、格差問題との距離感の違いが必ず浮き彫りとなり、つらかった。
私が母子家庭に生まれなければ、この大学での一般的な家庭に生まれていれば、見栄やプライドがなければ、地元の大学に入学していれば、と卒業を前にした今どうしても考えてしまいます。
母親に話せるわけもなく、同じ大学の友達に話せるわけもなく、高校の友達と頻繁に会うこともできず、つらいです。
文章を書くのが好きで、小学生の頃から今に至るまで非現実的な世界観の短編小説を書いて遊んだりエッセイを書いては懸賞に応募したりしている。
いくつか賞ももらったし、研究室の先生が雑誌(学術誌じゃなくて業界専門誌みたいな月刊の雑誌)に寄稿するときはわたしが校正してあげたりしているし、
文章を組み立てることが人より多少は得意だと思っている。
けど、学術論文はわたしがいままで培ってきた叙述法とはかなり違う文法の元に成り立っていた。
今、わたしは理系の大学4年生なので卒論執筆に忙しい。卒論の内容は、マイナーチェンジを加えて学会報に投稿するつもりだから、先生もしっかり目を通してチェックしてくれる。
初稿をチェックしてもらって、返ってきた原稿はアドバイスや注意点の青ペンで真っ青になっていた。
たくさん論文も読んだし、要旨のチェックのときにも確認したし、かなり論文の文法は覚えてきたつもりだったんだけどなあ。
並列のときは(たとえば「赤と青と緑にそれぞれ色付けられた~」とか)英語に倣って「赤、青、および緑に色付けされた~」みたいな書き方を一律でしなきゃいけない。これはだいぶ慣れたけど、いつもそのときそのときで一番読みやすそうな、より語感のいい書き方を心がけてきたわたしにとっては抵抗感が大きいものだった。「赤、青、緑に~」はもちろんだめだし「赤と青、そして緑~」もグレーゾーン。
「だった」「~で、」も「であった」「~であり、」とかに統一。一文の長さはできるだけ短く。
筆者を示す主語はほとんど登場させず、「我々はデータを~~に従って分析した」みたいなことを言うときには「データは~~に従って分析された」とかいう書き方になる。
英語的な表現が多くて、読みやすさの点で言うとあんまり読みやすくない。でも、できるだけ筆者の言いたいことをできるだけそのまま読み手に解釈してもらうという意味ではこういう統一された文法が便利なのかもしれない。
あまり読んでて気分がよくなる文章にはならないけれど、しかし、この文法を完全に身につけて必要なときに使えるようになったら、それはそれですごく大きな力になるだろうな、とも思った。
4年生のとき、当時M1だったAさんと同じ班員として研究をしていた。
そのAさんははっきり言って無能だった。4年生の4月に研究が始まって、1か月経つ頃には「この人を信用したら大変なことになる」と悟った。
というのも、Aさんが描いた図面をもとに部品を制作していたら、全然寸法が合わないので、よく調べたら全然違う寸法が入ってたり、実験ノートをフリクションペンで書いて、ちょくちょく消しながら実験してたり、そのせいで条件とデータの関係が分からなくなってデータを取り直しになる(しかもこれはAさんはやらないで自分がやらされる)とかそんなことばかりだったからだ。
しかもその上にいたM2の先輩も責任感のない人だったので、自分はすぐに相談にいけて、頼りになる存在がいないままだった。そんな状況で、大して知識や経験もないままやってるので、たまにある進捗報告で指導教員にボロボロに言われる。
結局、あまり価値のない卒論しか書けなかった。教員にも半ば放置されていたので、先輩や教員に厳しく指導されながら研究をやっている同期が、うらやましくて仕方なかった。それでも、当時はSTAP細胞問題が話題になってた頃でもあったので、コピペなどあってはならないという気持ちをもって卒論を書いた。
自分のいる研究室は「序論とか実験手法は過去の卒修論をコピペすればいい」みたいな風潮があって、実際に過去の人たちが書いた卒修論を読んでいると「ここは誰かの論文のコピペだな・・・」と気づいてしまうことがよくある。実際、実験装置などは同じものを使っているし、手法も変わらないので、結果的に同じものを書くことになってしまうこともある。だからといってコピペが許されるわけではないし、いくら研究室内で保管されるだけとはいえ、将来、誰かに読まれる可能性は高い。しかも、研究内容としては価値がない以上、自分で文章を書く、というところだけは譲らずに書こうという気持ちがあった。図や装置の諸元は引用したりはしたものの、基本的には自力で書いて提出した。
同じ研究室の大学院生になって研究を進めてくる中で、卒修論については上述のような事情があることは分かっていたので、昨年修了したAさんの修論を読んでみようなどという気持にはならなかった。ただ、自分と一緒に研究をしている4年生が、過去の卒修論の中で、役に立ちそうな論文としてAさんの書いた修論を持ってきていた。一応Aさんの修論発表は聴講しに行ったのだが、発表を聞きながら「これ、自分が卒論でやったこととほとんど変わらないじゃないか、こんなので修論として認められるのか」と感じていた。その修論が後輩の机の上に置いてあったので、どうせAさんのことだから大した出来ではないのだろう、と思って、目次をちらっと見てみた。
最初は、あれ、という違和感だった。「従来研究」として目次に書かれている論文が、自分が4年生のときに調べて卒論に書いたものと同じだったからだ。どんな風に引用しているんだろうと思ってそのページを開いた。
違和感は確信に変わった。手元にある自分の卒論のファイルと見比べてみると、一字一句変わっていない。「序論はコピペでいい」という論理で、後輩が過去に書いた卒論を、修論でコピペするなんてことがあり得るのか、と愕然とした。
しかし、そんなのはまだ序の口だった。さらにページを読み進めてみると、実験手法、解析方法、モデリング方法、計算結果、考察、結論、ほとんどが自分の書いた卒論のコピペだった。しかも、英数字のフォントが自分のものとは変わっていて、図表番号や設定条件などだけは置き換えられているので、「間違って使ってしまった」などということはありえない。さらに、自分の卒論と違う部分は追記されたりしているので、その修論を読んだだけでは誰かの論文をコピペしていたとは気づかないだろう。でも書いた本人が見ればすぐにわかる。こんなことがバレないとでも思ったのだろうか?
しかし、一つ違和感があった。というのも、Aさんに自分の書いた卒論のデータを渡した覚えがないのである。だからどうやってコピペをしたのかが不思議だった。
しばらく考えてから思い出した。自分がM1のとき、卒論を書いている後輩に参考資料としてデータを渡していたのだった。その後輩はAさんの近くで研究をしていたので、おそらく後輩がAさんにデータを渡したのだろう。その後輩は自分とは研究テーマが少し違っていたので、「せっかく卒論のファイルをもらったけど、あまり参考にはならなくて、引用もできなかった」と言っていた。
Aさんの修論発表を見ていたときに「自分の卒論とあまり変わらない」と感じたが、むしろAさんがコピペして修論を書いていたのだからそう感じるのも当然である。
Aさんがコピペしていたことに気が付いてすぐ思ったのが、どうしてこれで指導教員は何も言わなかったのか、ということである。「他の大学の研究と変わらない」「新規性がない」とかのレベルではなくて、「昨年の○○が卒論でやった研究と変わらないじゃないか」と一蹴されるレベルである。数年前のことならまだしも、1年前に卒論で書かれていた内容を忘れているはずがない。
これはあくまで推測なのだが、おそらく指導教員はAさんの指導を放棄していたのではないか。留年させても仕方ない、何も進めないなら叱ってでも何かやらせるけど、無価値な内容とはいえ修論を書いている(かどうかが怪しいのだが)し、修論発表も一応乗り切っているので、とりあえず修了させたのではないかと。
卒論をコピペされたことで頭に来ているのかというと、Aさんがいかに無能かはよくわかっているので、今更どう感じるわけでもない。ただ、コピペされた側として、このことについて指導教員に話をするくらいの権利はあるはずだ。
今は修論の審議がなされている段階なので、波風を立てるようなことはしないでおいて、修了が確定してから、訴えてみようと思う。
Aさんの修了は取り消すべきなのではないか、と。
学部から修士に上がった時に研究室を変更するというのはよくある話だけど、
じゃあなんで僕が変えるのかというと、それは指導教員が嫌いになったからだ。
不満が積もり積もって、「もう限界」というところまで来てしまった。
その不満というのは主に「時間」に関することだ。
打ち合わせを予定していたのに平気で1時間、2時間遅れてくる。しかも謝らない。
理由は様々だが、一番腹が立つのは「前の打ち合わせが長引いた」だ。
たしかに、そういうことはあるかもしれない。
1回、2回なら「仕方ない」で済ますこともできるが、これが増えてくるとそうもいかない。
僕たちが打ち合わせのために報告書を書き、そのために準備をしているのに気づいていないのだろう。
学生の時間や予定はフリーでいくら変更しても構わないとでも思っているんだろうか。
「この研究室では、勉強会もやるし、ソースレビューもする。gitも教えるし、ちゃんと研究の面倒もみる。」
と言ったからだ。
純粋だった学部3年の僕は、この研究室に入れば論文書いて学会にも参加して、という風に理想の研究生活が送れて圧倒的成長ができると思ってしまった。
実際に蓋を開けてみれば、風呂敷をできるだけ広げるタイプの人間だった。
勉強会にはやソースレビューには遅れてくるし、学生だけでやることもあった。
じゃあ研究の面倒は見てくれたのか。
これは見てくれたほうなのだろうか。ほかの研究室を知らないので何とも言えない。
しかし僕が嫌だと思ったのはそこではない。
打ち合わせの時の口癖が「俺にもわからない」「教員も3割バッター」など。
「じゃあ大学の准教授ですらあまり分かってないことをぺーぺーの学生ができんのかよ」と無駄に不安にさせられる。
研究結果はどうだったかというともちろんネガティブな結果になった。
「ネガティブな結果は往々にしてある」と言われたが、もう「はいそうですか次は頑張ります」とは思えなくなってしまった。
次の研究もネガティブな結果で学会には1つも参加せず卒業するという未来が見えてしまったのだ。
「研究方針がよく分からなくなってるから打ち合わせがしたい」と送った連絡が無視されてる時に、就活系のガイダンスがあった。
就職が決まっている1つ上の先輩が面接で何を話したかについて教えてくれた。
主に研究の話だそうだ。自分がどういう研究をしてどういう結果が出て、そういう話だ。
その時僕は思った。
じゃあ僕はどうなのだろうか、研究について話せることはあるのだろうか。
2年間やってきて何もない。
2年間二人三脚でやってきて(すくなくとも僕はそう考えている)何も生まれなかったら、それはもうあと1年やっても意味ないだろう。
研究室を決めるときは、自分のやりたいことでも、先輩の話でも、教員の大風呂敷でもなく研究成果を見よう。
私だって大学院入ったばかりの頃はもうちょっと希望に溢れてバリバリがんばるぞ!とか思ってたはずなんだ。
工学部の機電系で就職も恵まれてたのにそれを捨てて理学系に来たんだ。当然そのつもりだった。
研究室のセミナーで数々のマスハラをうけても、進捗報告で「それは違う、君の言ってるここはおかしいでしょ!」って毎回のように炎上しても、それでもちゃんと耐えていられると思ってた。
甘かった。
いつ頃からか、毎週の報告会が近づいてくると脈拍がおかしくて胃がひっくり返りそうな感覚で何度も嘔吐するようになってた。
たぶん酸蝕のせいか前歯が欠けていることも、言われて初めて気がついた。
精神安定剤と睡眠導入剤は一度それに頼るようになると増えることはあっても減ることなんてない。
ただでさえ立派な肩書きのついたおじさんってだけで私にとっては威圧感を感じるのに、私のためだけに一対一で圧迫面接を毎週やってくれるのだ。こんなに効率的に削られる環境もそうそうないだろう。
処世術を身につけた私は、報告会の時にはなるべく断定的なことをいって詰められるより、ボスの気分を害しないよう曖昧な返答に終始するようになっていた。
詰められるかわりに今度は「何言いたいの?意味がわからないんだけど。」と言われる回数が増えていった。
でもあからさまにマスハラ受けるよりはそっちの方がずっとマシだ。ボスよりずっと私のことをよく知ってる友人たちにもよく言われてることだし、たぶん自分でも言ってる意味がわかってないことのほうが多いから。なんで間違ってるか自分でもわからない詰められ方してる時より、そうだよなあやっぱりわかんないよなあ、って自分でも納得できたから。
D進するかどうかは悩んだけど、親類縁者で理系大学院にいくのなんて私が初めてで両親はそんな私を誇りに思ってくれてた。研究テーマが決まってなくて学振すら出せなかったけど、それでも両親は支援してくれた。まだいける、まだいけるはず。
療養のために半年休学したりもしたけど、なんだかんだで3年乗り切ってきた。幸いなことに後輩の卒研指導などの役割分担からは外されていた。自分のことだけで精一杯な現状に引け目を感じつつがんばって、なんとかようやく原著論文の投稿にお許しをもらった。レフェリーのコメントが帰ってきた。introduction からなかなcriticalな指摘がきてる。進捗報告の時に改定案を見せなきゃ。
見せたところで帰ってきた返事は「言ってる意味がわからない、つまりどうしたいの?」。いつものことだ。昔の私じゃない。こういう時はどうするか?ボスがどのように理解したがってるかなんてこっちは知ったこっちゃない。こちらが取りうるほぼ唯一の戦略はどうとでも取れる玉虫色の返答をジャブとして繰り出して、相手の出方に応じて適切な返答を作る。即興ながら官僚の作る国会答弁問答集にだって負けないぞ!私の頭はキレッキレだ。
いつものこと、どう返事したかなんて細かいことは覚えてない。その代わり、呆れ返った声で彼が返した言葉はジャブどころか私に向かってストレートに投げつけられてきた。
「あのねえ、◯◯さんがこの論文でどういう事を主張したいのか、まずそれをはっきりさせてくれないことにはこっちだってアドバイスしようがないんだよ」
なんで今更そういうことを言ってくるんだ。私が何を主張しないべきかだけはあれだけしっかりわかってるくせに。辛い。苦しい。私は何を主張したいべきなんだ?わからない。わかってたらもっとはっきり自分の意見を今までも言えてきたはずだ。でも私が知ってのは、ただただ「私は何をしないべきか?」。それだけだ。
「何をしないべきか」を彫刻刀で一つづつ削っていったら、版画みたいに「何をするべきか」がネガとして浮き上がってくる、そううまくはいってくれなかったようだ。
私は何をしたいべきなんだろう??最初は論文の主張の話だけだったはずなのに、考えれば考えるほど、この問いに人生そのものまで絡め取られていってる気がする。
何をしないべきか?逃げ出すことが敗北なのはわかってる。ボスだけじゃなく共著者みんなに対しても無責任なことだ。中退なんて高校だけでもうたくさんだ。でも、いくら「何をしないべきか」を潰していっても、どこからも「何をするべきか」は浮かび上がってこない。あとどれだけ「何をしないべきか」を潰していけばこの暗闇の中から一筋のネガが見えてくるんだろう。
疲れた。来週もまた研究室に行ける気がしない。レフェリーへお返事書く期限もたぶん間に合わない。「何をしないべきか」だけははっきりわかる。もっと別のことを私はわかりたかった。とにかくもう疲れた。
そこで兄ちゃんの発明品のベイマックスとロボット工学の権威の教授と出会い、
っていってがんばる
んで発表会でマイクロボットという電磁石みたいな感じの機能がついた小さいロボットを発表して見事合格を勝ち取る
帰りに発表会場が火事になる
直後会場爆発して教授兄ちゃん死亡
ぬけがらのようになってた主人公だけど、ふとしたきっかけでベイマックスが起動する
そこで犯人探しすることに
仮面の男がこっそり主人公が発明したはずのマイクロボットを郊外の工場で量産してた
主人公と大学の研究室の兄ちゃんの仲間が協力して仮面の男を追い詰める
会場でマイクロボットを盗んで爆発から自分の身を守って生きていた
お金儲けのための人間の実験で、自分の娘が犠牲になったことに怒り、復讐しようとしていたのだった
主人公は、兄ちゃんが無駄死にだったと思って感情にまかせて教授を殺そうとしたけど、
そんで教授をとめようとしてバトる
最後は異次元空間にいっちゃってた教授の娘を助け出して、これからヒーローで活躍するぞ、みたいな感じで終わり
最初の30分くらいは文句なしに面白かったけど、途中、最後らへんはなんかコレジャナイ感があって微妙だったなあ
大学院の先輩の話
その研究室の教授は言うことがコロコロ変わったり、意味不明なアイディアや意見をバンバン言うタイプだった
お陰でその研究室のメンバーは徐々に、教授が何か言った瞬間に「またなんか言ってるよ」「前と言ってることが違うじゃないか」と信じなくなっていった
だが先輩はそうではなかった
喩え話だが、先輩は、その教授が「これはハンバーガーだよ」と言って石を差し出してきても
「ひょっとしたらハンバーガーかもしれない」と考え石を噛み、咀嚼した上で「これはハンバーガーではないですね」と突き返すような人間だった
その際に教授は「当たり前だろう」なんて言うので、先輩も毎日ブチ切れていたのだが
「こんなのハンバーガーじゃない!」と石を咀嚼せずに突き返すことはしないのだった
そのおかげで、先輩の論文は深いものに仕上がっていたし、他の人が気づかないことにも気づいていた
もちろんそのお陰でスピードは落ちるのだが、研究者ならそのくらい熟考できなくてはいけないのかもしれないと私は思った
私は先輩のようにはなれないが
「情報の咀嚼の長さ」というものを柔軟に変更できる人間になりたいと感じた
何でもかんでも自分の過去の常識を信じ込み、「そんなもの間違っている」と断じてしまうといずれ前進できなくなる
相手が信用できないからとか、誰が言ったからとか、常識的ではないとか、そういうのを少し脇に置いといて
「ひょっとしたら真実を言っているかもしれない」と少しだけ考える癖をつける
まあ大抵は「石じゃねーか!!」となるのだが、たまーに、ひょっとしたらハンバーガーな時もあるのではないだろうか
修士論文提出3日前に、3か月前に報告済みの実験データの再解析を命じられるとは思わなかった。
もちろん提出に間に合わないではないが、地味に痛い。嫌がらせ炸裂って感じ。
持つべきものは良き師匠だなぁ。私のついている助教は修了したらどうせ会わないと思ってふざけたことをしてくる、チンケな野郎である。
そして私は解析用のパラメータの設定を間違えて2時間の解析をドブに捨てたしょうもない院生である。いい組み合わせじゃないかって?やかましいわ。
発表が終わったらまた学生相談所に行って、私の研究室でのストレスをぶちまけていたカウンセラーにお礼を言おう。
あと、権力も華々しい研究成果もなくて、年下の助教に小馬鹿にされていたけれど、時折気にかけてくれたあの先生にお礼を言いに行かなくては。
女の子のほうが積極的で、飲みに行きましょう!とか、ドライブ行きましょう!って言ってきてくれて3回デートした
この前サークルの飲み会に行ったときは三次会までずっと近くに座ってくれて、たくさん話したし、今日は自炊しない僕のためにお弁当を作ってくれた
たぶん告白したら付き合えるんだろうけど、いいのかな
僕はこれから就活やら研究室やらで間違いなく忙しくなってあんまり会えなくなってくる
そして、いちばん悩ませてるのは僕は本当に後輩ちゃんを好きかどうか
なんか妹みたいな感じでかわいいって見てるだけなのかもしれない
でもそりゃ、もし後輩ちゃんが別の男と付き合ったりしたら悔しいって思うだろうし、もしかしたら泣くかも
そうは思ってるんだけど、なんだか踏ん張りがつかない
すごくモヤモヤしてる
もはや何のために生きているのか全くわからない。
もう疲れた。ゴールしたい。
死んだらウンタラカンタラという人はよくいるかも知れないけど、正常じゃない精神をもっているひとは死ぬのが一番ラクな方法であることをしっている。
せっかく死ぬんだから死ぬつもりで頑張れといっている人もいるけど、やっぱり死ぬのが一番ラクなんだ。
どこでこんなふうになったのか、ちょっと振り返ってみるとする。
そこまで人生に悲観するような人ではなかった。あたりまえだ。このころから壊れていたらそれこそ怖い。
自発的に物事に取り組めていろんなことを楽しんで経験できたと思う。
だけど、今思うと凶兆はでていたのかもしれない。
ただ要領はよかったので、少ない努力で他人を打ち負かすことができた。
この時からか、勝ち負けにこだわり続けるようになったのか。
この時も持ち前の要領の良さを活かして勝負ごとではそこそこの成績は残してきた。
だけど、嫌な逃げ癖を覚えてしまった。
部活は剣道をやっていたが、練習がとても厳しくよくサボっていた。
しかも練習をただサボるのではなく、練習中にわざと倒れたり、持病があるといって病院に行くと嘘をついたりしていた。
つまり外面を守りながらサボる、クソみたいなサボり方だったのだ。
わざと過呼吸を起こして家に帰ってゲームをしていたということもあった。
救いようが無いな。
そのせいであとで自分の首を締めることになるとは思ってもいなかっただろうに。
地元でトップという理由で高校に入った自分は何の目標もなくのうのうと生きていた。
部活も中学校の時みたいに苦労したくなかったので、ほとんど遊んでいる登山部に入部した。
高校3年の夏、担任の先生に志望校を伝えたら鼻で笑われたから、頭にきて大学受験の勉強をした。
それだけだったな。振り返ってみると
そこそこの大学(旧帝)の理系に入ることができたが、入った目的は担任の先生を見返してやりたいということだけだった。
入ったあと無気力になり、サークルにも入らず家に引きこもるようになる。
厳密には大学には行っていたので引きこもりでは無いが、授業を受けて帰宅してネットサーフィンをするという日々を繰り返していた。
無論友達もほとんどいない。どこの大学にはいるのが重要ではなくて、大学に入って何をやるのかというのが重要であると気付き始める。
このときから、生きる目的を探すように、探すことにすがるようになる。
生きる目的も人生の目標も無い私は、学年トップの成績がなければ配属競争に負けるという噂があった研究室の名前を配属希望書に書いて提出した。
単なる見栄だ。自分が他人より優れているということを証明したかった。
いま思うとこれが人生最大の過ちだったと思う。
もちろんその研究室の専攻分野に興味を持っていたのは確かだった。しかし、大まかな動機は上にあったソレだ。
ここの研究室の人たちは皆優秀だった。噂通りだった。
しかもみんな背骨のあった人であった。(http://next49.hatenadiary.jp/entry/20090222/p2)
自分にはなかった。もっと言えばこの時に育てることができなかった。
見栄で研究室内でだれもやってない難しいテーマを選び、玉砕した。
そのテーマの研究は企業との共同研究だったため、強い責任を感じていた。
また誰もやっていないテーマだったため、質問しにいっても迷惑がかかると思い、質問にあまり行けなかった。
行ったとしてもすごく辛かった。迷惑を掛けている気がして。
次第には研究室に行かなくなった。教授に、先輩に、同期に、クソ野郎のレッテルを貼られるのがいやで。
順調に悪循環を築き上げていった。
卒論は糞みたいなのを書き上げて卒業した。自他共に認める糞だった。
大学成績が良かったため、大学側から賞を戴いたが、自分は糞製造機にしか過ぎず、もらうには不適切だと思って更に気分が落ち込んだ。
旧帝の理系学生は院に行く、というよくわからないしきたりに流されて、大学院に行った。
これも間違いだった。糞製造機と成り果てた自分はもはや研究に熱意もなく、ただただやらなければならないことをこなすだけだった。
面白くもなく、楽しくもない。
今M1だが、生きる目的も目標もなく、割り振られた仕事すら放棄し、研究室にも行かず、ここ増田で愚痴を書いている。
精神科にも行った。カウンセリングにも行った。だけどやっぱり何のために生きているかわからなかった。
もうなにもしたくない。生きる目的もない。
こんな苦しいことが続くなら、とっとと楽になりたい。
振り返ってみると、糞野郎になった原因は、逃げて逃げて楽して見栄をはったからだとわかる。
至極当たり前だ。しかも中身がない。
そんな人が、中身のある集団(研究室)に放り込まれた結果、病んだだけ。
なるほど。
22年間生きてきて学んだことがこれだけかと思うと涙がでてくる。
京大出身なのでは?研究室を掃除しない人がたくさんいて本当に汚かった。自分の机だけはやっても共有スペースや流しは絶対やらない。床にはほこりがこびりつき真っ黒になり、流しや冷蔵庫からは異臭が発生する。毎日自分の部屋のように使っている人で「自分はめったに来ないから使わない」と言い訳できない人も、汚れているのは誰かほかの人のせいだと言い張っていた。自分のメリットにはならないただ働きはしたくないという考え方で、まれに誰かが掃除を始めても絶対に手伝わず、無言でいなくなる。「掃除をしたい奴にさせてやっている」という頭なんだと思う。似たような専攻の大学院でも別の大学だと(国立私立関係なく)そこまで汚くならないし、何となく掃除を始める人がいて、手伝う人もいるので不思議。
12月中に指導受けてて年末年始作業してたんなら、そんなに間を開けてないと自分は思うんだが
何よりまず会って顔見せとけ、それだけでいい
トイレとか食事で席を外してるだけならいいんだけど,明らかにそうじゃない時も夜中に行くとよく真っ暗な部屋の中で煌々と光ってる.
それを見るたびもったいないなっていう気持ちももちろんあるんだけど,漠然とした「それってどうなの」って気持ちでため息が出る.
で,消しちゃうんだよ俺が.
最初は気づいたときになんとなくそうしてたんだけど,最近になって俺がそうしてるせいで無操作で勝手にモニターの電源が落ちると思ってるのか,
ついに今朝亡くなった.
その後輩とは全然仲良くないし,三月でさよならだから直接言うつもりはないんだけど,すごいモヤモヤする.席入り口にあるし.
さっきも消した.
労働者の権利があるなら学生の権利というのもあっていいだろう。
例えば大学生の権利というのは非常に弱い。自分は工学部卒なのでどうしても理系の話になってしまうが容赦してほしい。
・実験をすっぽかしたりすると一発で留年。実験に1回遅刻しただけで留年の場合も。
・必修科目落とすと場合によっては1科目落としただけでも一発で留年確定。再試験が無い場合、ぶっつけ本番のテストで一定の点を取らないと一発で留年する。
・そこそこの病気になると留年。学校休んで葬式行くのが許されるのは親など極限られた親族が死んだ時のみ。
・研究室ではこき使われる。アホみたいに拘束されて夏休みほとんどもない。
特に奨学金を打ち切る指定暴力団学生支援機構が悪質だ。奨学金は経済的に困窮している学生に教育資金を援助(貸与)する仕組みだ。では、経済的に困窮している学生が、なんらかの事情でコロッと留年して、奨学金が打ち切られたらどうなるか?経済的に困窮している学生は経済的に困窮しているから、当然大学をやめざるを得ない。経済的に困窮している学生だった無職は、高卒の肩書と数百万円の借金を背負ったままどうやって生きていけばいいというのか。留年するやつが悪い、と思うかも知れないが、大学生というのはがんばっていても留年するときは本当にあっさりと留年するものなのだ。理系なら学生の4割が留年する学科も珍しくない。
お金の話は置いておくとしても、アホみたいに課題を出してくるのも問題だ。課題が多すぎて土日はほとんど休めないという学生は少なくない。
・朝から晩まで馬車馬のように勉強させられる。課題も山ほど出る。
・部活もある。朝早く出て朝練、放課後は遅くまで練習。部活強制とかいう謎の制度を持つ学校も多い。
・それだけでなく、休日に授業がある。たまになら別に良いかもしれないが、毎週土曜日に必ず補習がある学校や地域も存在するらしい。
・教師の主観で評価を付けられる。中学校の場合、評価が悪いとろくなところに進学できない。
・服装や髪型の規定が異常に厳しい。染めるのはもちろん、ちょっと髪が長いだけでアウト。中高生には基本的人権すら認められていないのか。
これでは中学生高校生は死んでしまう。冗談じゃない。日本でブラックなのは企業と皇室だけではない。なんと学校までもがブラックなのだ。
こんな調子では勉強と部活以外のことができないではないか。いくらなんでも学校の束縛が強すぎる。あれはするな、これはするなという調子で私生活を制限しまくった上で学校で勉強ばかりさせているから大学生になった途端何していいのかわからなくなったり、「学校が人生のすべて」みたいな固定観念ができて、ちょっといじめられたくらいで自殺してしまう子供が出て来る。悲しいことだ。
アホみたいに勉強するのが尊いと思っている人は多いが、そんなことはない。学生にもっと自由な時間があれば、やりたいことや趣味や生きがいが見つかるかもしれないし、将来やりたいことが見えてくるかもしれない。その結果として、将来やりたいことを実現するために勉強するのは確かに尊い。しかし勉強しか知らないから勉強をするというのはただの思考停止だ。尊くもなんともない。
そもそも学校の勉強、特に中学高校の勉強というのは進学先、就職先によっては本当に糞の役にもたたない。理系に行くなら古文漢文は100パーセント無駄だ。教養は大事とか言う奴は居るがそんなことはない。教養がなくても幸せに生きている人はいくらでもいる。教養があって良いことといえば少し悦に浸れるということくらいだ。クソつまらないし99パーセント受験以外で役にたたない古文漢文のために、最も頭脳が柔らかくて、最も体力があって、最も感受性が豊かな10代の後半に、死にそうになりながら学校と自宅を往復をすることに意味があるだろうか。しかしそれでも学生たちは古文漢文を勉強しなければならない。なぜなら受験で必要だからだ。
最近でこそマシになってきたが、一昔前は、教師というただの小汚いそのへんのオッサンが、か弱い小学生や中学生や高校生をぶん殴るという異常事態が全国規模で発生していたし、それが当たり前のこととして受け入れられていたから周りも何も言わなかった。そのくらい学生というのは「勉強して当たり前」「親や教師の言うことを聞いて当然」という考え方に迫害されて生きている。我々はもっと学生の権利を考えるべきではないか。
といろいろなレベルがある。だが問題は教員には今自分が直面したルールの壁がどのルールにあてはまるのかわからないということだ。
架空の例として極端なものを考えてみる。A大学のA部局が舞台だ。
15年前のA大学では、出張の報告を行う際に報告書には「○○月○○日 ○○時頃 ○○大学へ××先生と研究に関する打ち合わせ」と書くと共に相手方の名刺を添えて提出することとしていた。これは、名刺をもって相手と打ち合わせしたという証拠にするという理解のもとに行っていた。
だが、名刺だけでは打ち合わせ以前の名刺を添えることも可能になり、また、知己の相手から名刺をもらう手間もわずらわしいとの声が教員から大きいということで、10年前のA大学では出張の際に、大学のルールとして出張の報告を行う場合は、報告書に出張者がどこに行ったのかを、「○○月○○日 ○○時頃 ○○大学へ××先生と研究に関する打ち合わせ」のように簡単に報告するように変わった。
しかし、A大学のA部局では、8年前の内部で行う会計監査でカラ出張が横行していることがわかった。他の部局では行われていないこともあり、大学としてはA部局に改善を求めた。その結果、A部局では出張の際には相手と打ち合わせを行った証拠を必ず添付するようになった。それは相手の研究室のドアの写真でもよいし、相手方の近くまで行ったことを証明できる搭乗証明でもよいし、相手から打ち合わせをおこなったという日付入りのサインでも、とにかく証明できればかまわないということにしたが、実際の業務を行っていくうちに、「打ち合わせを行ったという相手の署名入りの証明書」を添付することに落ち着いていった。
2年前、全国的に研究不正が多発しA大学でも研究不正対策に乗り出した。その際、他大学では「出張報告に添付する書類の偽造」が基でカラ出張が行われる例が多くあることがわかった。そのためA大学で検討した結果「宿泊先の領収書(領収書が無い場合は宿泊を証明する書類)」、「電車等の搭乗券(搭乗証明書)」を添付することとなった。A部局ではこの扱いに従い「相手方署名入りの証明書」の添付を廃止した。
A部局ではある数億円の大型補助金が当たり、その事業の実地検査があった。その際、検査員より「実際に打ち合わせを行った証拠がない」という指摘があり、「補助金は大学ルールで執行することになっているじゃないか」と反論したものの「証拠がない」の一点張りであり、後日、証拠及び若しくは理由書を提出ということとなった。その旅費では十数名が百数件の旅費を執行していたため、全ての出張先に「打ち合わせを行ったという相手の署名入りの証明書」の作成を依頼し、証拠を集めて提出した。また、今後も証拠は提出するよう指導を受けた。
後々、他の大学でその補助金によるカラ出張が発覚していたため、検査員が厳しく対処したらしいという噂が流れた。
この実地検査を受け、A部局と大学は今後の取り扱いを相談したが、特定の補助金の実地検査によるものなので、全学ルールは変えることはせず、その補助金のみ追加で「相手方署名入り証明書」を集めるということになった。
A部局ではその補助金のみ、追加で書類を集めるようにしたが、その補助金の担当教員からいちいち取扱いが違うのは面倒くさいという抗議があったこともあり、旅費担当事務のBさんは自分の担当教員のほとんどがその補助金関係者(補助金8割、他2割)ということもあり、一律的に「相手方署名入り証明書」を集めることとした。
Bさんが親の介護の都合で退職することになり、他部局のCさんが後任に補充された。Cさんが引き継いだ時は(補助金5割、他5割)という担当であり、補助金と関係ない教員から「なんで「相手方署名入り証明書」が必要なのだ!!おかしいじゃないか」と抗議を受けた。
そして、その教員は河野ブログにローカルルールとして「出張の際に相手方署名入り証明書」が必要と書き込み、全国的にさらされた。
河野太郎さんのブログ↑でさらされた「ローカルルール」にいちいちコメント付けてみた。大学や大学事務の問題ではなく、国の問題が多い。
まずは問題を区別する必要がある。
これらは各個撃破していくしかないのではないか。
大学としても、このブログで名前を挙げられた大学に対してはプレッシャーにはなるだろうが、政治家とはいえ一ブログ記事に対していちいち対応するわけにもいかないだろう。大学としては、文科省辺りからの通知が無いと厳しいのではないか。
あるいは問題意識の高い会計系職員が自発的に動くこともあるだろうが、その運動は途中で様々な壁にぶちあたるだろう。そこに研究者に背後から攻撃されてはますますやる気を失う。よって、研究者は大学事務職員も、こいつは攻撃すべき相手か、味方にすべき相手か見分ける必要がある。すべて攻撃していても生産性は無い。
↑日本において税金を食事に使うのはハードルが高い。大学の問題というより、国の問題。
国立大学も法人化したとはいえ、会計検査院の検査対象であることはまったく変わっていない。また、会計検査院は事前相談を受けてはくれない。執行後にやってきて、好きなことを言って、指摘して去って行くだけ。そのためルールはどうしても予防的、保守的になる。
国際学会などに昼食が含まれていれば、日当から千円が差し引かれるため、参加費に昼食代が含まれているかどうかを確認しなければならない。提供されていないときは、昼食代が含まれていないことを証明するものを提出させられる。学会のときは全て千円を一律に差し引くという対応をお願いしても、それはできないといわれる。
↑別記事でもあったし、Twitterでも色んな人がつっこんでいるが、東工大は不正会計が相次いだ結果なので「お前が言うな」で済む。
日当に食事分が含まれているという考え方は旅費法のもの。旅費法を変えるか、あるいは大学が一切、旅費法から離れるか。前者は大学ではなく国の問題。後者は大学に旅費法時代の考え方に染まっているベテランが残っていて、旅費法にどっぷり浸かった文科省から人事異動で偉い人が来ている限り容易ではない。
確かに学会に参加したという証拠のために、学外2名の出席者か代表者にサインをもらう必要がある。最近では学会の名札でも許されるようになったが、証拠書類として学会の看板と写真を撮らねばならない。
↑また東工大。これは以前、Twitterでも話題になった案件。不正が相次いだ結果であり、東工大の問題。
理研
研究に関するクレジットカードは「法人カード」を使って決済しているが、そのカード決済に「消耗品の購入は不可」というローカルルールがある。クレジットカード決済すれば、国外からでも1週間以内に消耗品である試薬が届くのに、書類決済でなければならないとの理由で、振込手数料がかかり、振込をする日が決まっている等の理由で、数ヶ月単位で試薬(消耗品)の入手が遅れる。
↑理研の問題。「法人カード」があるのはそれだけで恵まれているのではないか。
理研
科研費と他の資金の合算使用について学振のHPでは認められているにもかかわらず、理研内のローカルルールによって合算が制限されている。
科研費では、充足率が6-7割であることが多く、当初予定していた機器を単独で購入できないケースが往々にしてあり、所内予算や民間財団の公募でも、単独では必要な機器を購入できない場合がある。
↑科研費の合算使用は、認められているものの、かなりめんどくさいものではなかったか。
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奈良先端大学
未だに、見積もり、納品、請求書の紙書類を提出させられ準備に時間を費やす。
↑国もそうです。これは税金が原資である限り仕方無い。大学の問題ではなく、国の問題。
1円から全て検収があり、納品書に検収済みのハンコが必要。1万円以上のものにはシールを貼るが、大概、箱に貼るなど形骸化している。最近は検収を受ける前に使用したとしても、よしとしている。
↑すべて検収するのは、会計の基本であって、大学の問題ではない。シールを貼るとか、個別のやり方は、不正が相次いだ東工大固有の問題。
海外から直接物品を買うことができない。クレジットカード決裁できれば1万円で買える海外品が、日本の代理店を通すことで値段が2倍以上になり、納期も遅れる。
例1:
海外直接$130
日本の代理店経由 \40,000
例2:
海外直接$500.00
日本の代理店経由 \111,000
↑東大には「法人カード」が無いのかな?理研と規模が違って難しいのかもしれない。日々の契約件数は膨大なので、会計システムがカード決済に対応していないと業務量が膨大になる→事務職員を増やす→人件費増→研究費減となる。
立て替え払いが不可能。コンビニに行けば10分で買える100円の物を、業者を通じて1週間かけて500円で買わなければならない。
↑100円が500円というのはふっかけすぎだろう。業者との交渉の余地あり。
この意見は立替払いを認めてくれ、下記では同じ香川大学で旅費の立替払いはきつい、と。
★立替払い
消しゴムのような文房具や書籍、論文投稿などを含めて、購入品は検収センターで、物品の品名・品番と納品書、そして注文書の相互確認が行われる。ここ数年で、本学の3つのキャンパス計12箇所に、新規の検収センターが設置された。合計では40~50名のスタッフが雇用されているのではないか。検収手続きの負担を減らす方法として、特に安くもないが、書類一式準備してくれる大学生協に購入が集中することになる。
公費で書籍を購入する場合、かならず図書館を仲介して購入しなくてはならない。教員が、図書館のウェブサイトから購入希望図書を入力し、それを受けて図書館は、大学向けの書類をそろえる業者に発注する。入力後一カ月もたってから「品切れの連絡がきました」と言われることもある。教員が直接、アマゾンなどに発注するほうが、スピードも速く、手数料も取られないので安くあがる。九州大学でも、教員が「立替払い」でインターネット購入する方法はあるが、立替払いするための何らかの理由が必要であり、図書館にその理由の妥当性を検討してもらい、認められて初めて直接インターネット購入が可能となる。その際、「理由書」「立替払請求書」という書類も作成しなくてはならない。実際のところ、理由として「研究のため早急に必要であり、ネット購入のほうが早いため立替購入を希望する」と書けば、まず断られることはないが、だとしても、結局、図書館とのやり取りおよび書類作成に、かなりの時間と労力を割かなくてはならない。インターネットを駆使して安く、早く書籍を購入(研究時間と研究費を節約できるので、「研究費のより適切な利用」にあたるはず)しようと考える教員のために、「図書を立替購入するための図書館への事前問い合わせを廃止する」「立替払いのさいの理由書・立替請求書を廃止する」ことが、必要である。
↑これ基本は、国立大学法人会計基準の問題ではないか。図書は資産になる。資産になる図書は当然図書館で管理する必要がある。であれば図書館を通じて購入するのが原則となる。
国の税金を執行するのだから、何でも早ければよいというものではない。
書籍を購入する際に原則として付属図書館に発注する必要があり、購入後も図書館にて管理される。教員が他大学に異動する際も、研究費で購入した書籍を持って異動できない。また図書館は出入りの業者に発注しており、洋書は一般的に市価より高い。さらに注文から納品まで短くとも1週間、長ければ数ヶ月待たされ、研究の円滑な遂行にも支障を来たす。学会会場にて特別割引で買う場合などは購入を認められるが、理由書の提出を求められる上、管理システムへの登録のためという名目で1週間以上取り上げられてしまう。
また図書館で管理する都合上、裁断などが禁止されており、1000ページを超える大型の書籍をバラバラにして、必要な部分だけ持ち歩く、学生に貸し出す、というようなことが出来ない。
↑図書は大学にとって重要な資産なので、研究者が異動しても持って行けないというのは当たり前だろう。ただ、科研費で購入した図書の場合は手続きを踏めば持って行けるのではないか。後者であれば事務の怠慢の可能性あり。
研究費で洋書を購入しようとする場合、オンラインで直接購入することができず、国内代理店か「大学生協Amazon.co.jp 洋書用決済代行サービス」を使用することが求められている。しかし国内代理店の場合、価格が高いだけでなく、専門書を海外から取り寄せとなってしまうため、実際に入手できるまでに非常に時間がかかる。また、大学生協の代行サービスでは、10%もの手数料が上乗せされ、無駄が多くなる。
また、物品購入後には、小額のものからすべて会計係の担当者による検品と研究者自身による書類への押印が求められる。大学の法人アカウント経由であれば、納入の事実やキャンセルの有無などが確認できるため、大型・高額物品を除いて、こうした無駄な作業が省けるのではないか。
↑大学の法人アカウントは、クレジットカードの法人カードと同様に、東大や東北大のような規模がでかい大学の場合、管理が極めて大変なのではないか?一日にどれだけの品目を大学法人全体で発注しているのか、試しに会計担当者に聞かれてみてはいかがだろうか?
10万円を超えていると備品扱いになるが、書籍、コンピュータ本体、コンピュータのディスプレイなどは無条件に備品になり、異動や持ち出しや廃棄のために多くの手続きが必要になる。
↑換金性の高い消耗品は備品として管理するように神戸大学は決めているようだ。神戸大学の問題。勝手にリサイクルショップなどに持ち込んで売り払う輩がいるので仕方無い。
↑相見積もりが必要というのは金額の基準が神戸大でどうなっているのだろうか?パソコンの場合、特別なのだろうか?
「学会発表のために」ノートパソコンやレーザーポインタを購入することが出来ない。これは、発表は研究の一部ではないという判断に基づくと説明される。
↑詳細不明。たとえば科研費の場合、ノートパソコンやレーザーポインタは汎用性があり、その課題専用で使うものではないために直接経費では購入できないのではないか?会計担当者の説明不足か、研究者の理解不足か、その両方か。要するにコミュニケーションの問題。
登録業者からしか物品調達できないため、パソコンの購入等で無駄な経費を支払う必要がある。たとえば、30%を超えるWeb割引や祝日割引があっても利用できず、逆に「登録業者に委託して購入してもらうために手数料5%を支払う」必要がある。
↑登録業者というのは、大学の会計規則等を理解した上で受注する必要があるためと思われる。たとえば大学は原則後払いだろうが、そういった条件をあらかじめ承知しておいてもらう必要がある。この研究者はどこからパソコンを買おうとしたのだろう?
外部資金で購入した(科研費等国の資金)物品を転出の際に持ち出せない。他大学では各大学の資産ではあるが、国共通の資産として研究者個人が移管できるようになっている。若手の研究者がスッテプアップを望んで他大学に出ようとしても「身ぐるみ剥がされる」としたらはたして外に出ることを考えるだろうか。
↑話はずれるが、研究者が自由に移籍できるのは大学にとってつらい。地方大学が若手研究者に投資しても、優秀であればあるほどすぐに上位の旧帝国大学に引き抜かれる。しかも、移籍金ゼロ!サッカークラブの場合、若手を育成して上位クラブに「売る」というビジネスモデルが成り立つが大学ではそれができない。
ちなみに科研費で購入した物品は転出の際には持ち出せるはずなので、本当に岡山大学ができないとしたらそれこそ真にローカルルールだと思われる。
大学経費(科研費含む)での物品購入は請求書払いを原則としており、立替払いは原則禁止。このため請求書払いに対応していない店からは購入できず、請求書払いに対応する大学生協を通して割高で購入しなければならないような仕組みになっている。そのため、ネット通販で買えるものを、わざわざ生協に買ってもらい、研究費で生協から、ネット通販価格に手数料(15%)が乗った価格で買わざるをえない。
例えば、毎年恒例のある企画において、お茶を購入しようというとき、限られたお茶代の予算でできるだけ安く買いたいので、大学生協ではなく、圧倒的に安価で購入できる街の大手スーパーで購入したい。しかしそういう街のスーパーは現金払いしか対応してくれないので、大学の経費で購入不可。そこで、その大手スーパーで購入したものを、一旦大学生協に持ち込んで買い取ってもらい、手数料を上乗せしたかたちで大学の経費で購入するという無意味で無駄で非合理的な方法がとられている。大学生協に手数料(15%)を支払っても大学生協から購入するより安いのでこの方法を選択するというケースがある。
↑国の会計は後払いが原則となっている。国の問題。
また、手数料15%は高くないか?生協と交渉の余地あり。
業者のサイトではクレジット払いが可能であり,そうすれば定価で購入できる。しかし,岡山大学では,直接取引可能な業者と認められていない業者は全て,国内の代理業者を通してしか購入できず、10%以上の手数料を余分に支払う必要がある。事務方からのメールを読むと,料金が高くなることは認識しているようだが、規則であることを理由に,クレジットカードによる立替払を認めない。
↑情報不足。上と同じく国の問題ではないか。
会議でお弁当を出す場合、下記の稟議が必要になる。
研究者=起案者(事務担当)=途中で何人か=事務部長=部局長等(この中で唯一の教員)=契約担当課長=総務・監査グループ長=財務担当理事・副学長(文科省出身)
弁当は食べる前に,検収センター員のチェックを受ける必要あり。その場合の納品書は、和風弁当10個ではダメで弁当の中身がわかるような(鮭,卵焼き,ご飯,から揚げとか)お品書きを弁当業者に準備してもらう必要あり。
↑笑える。相次いだ不正に次々と対応していった結果の喜劇。最初の方にも書いたが国の税金で食事を出すのはハードルが高いので国の問題。納品書の書き方などは、不正が相次いだ東工大の問題。
研究協力者への謝礼を図書カード等で行うことができず、必ず事務からの振り込みしかできない。少額の場合も、マイナンバー等の手続きが必要なため、事務作業が増える。マイナンバー提出があるために協力者となっていただけない場合があり、研究協力者を集めるのが困難になっている。
↑お茶の水大学の問題。図書カードでの謝礼を認めていいのではないか。ただ、科研費等の外部資金の場合、研究期間終了時点で図書カードが余ってしまうリスクが考えられる。余った場合、図書カードでの返還を学振に認めていただいてはどうだろうか。
年度末に科研費の支出ができない期間が発生する。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
科研費の執行期日は以下のとおり設定させていただいております。
ご協力お願いします。
—————————————————————————
今年度の科研費の予算執行は以下の期日までに全額執行(支払いを終わらせて、財務会計システムの予算情報を0円にすること)願います。
研究代表者となっている科研費:平成29年2月28日(火)まで
※なお、以下の理由により期日を定めさせて頂いております。ご協力くださいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
研究代表者は実績報告の作成が義務となっております。また、科研費の実績報告の作成は3月中から4月中にかけて行います。そのため、3月末日までの執行となると収支状況が確定せず、研究代表者の収支データ入力時期が遅れてしまうため期日までに実績報告書を提出することができなくなります。したがって、2月28日(火)までの執行をお願いいたします。
以上の理由より、期日までの全額執行にご協力をお願いいたします
↑実績報告書等の締切まで余裕が無いことから生じる問題なので、これは学振や文科省の問題。要するに資金交付元の問題。そもそも3月に物品を購入して1か月も無いのに何に使ったの?という疑義が生じる。委託元や会計検査院から監査で指摘される可能性がある。逆になぜ早く執行できないのだろうか?
5年間の科研費を使って3年間のソフトウェアのライセンス契約を結ぶことは問題なく、科研費の節約にもなるが、科研費は複数年の支給であっても、実際は年度ごとに支給されているという理由で認められない。
↑一橋大学の問題。ローカルルールと思われる。基金の場合、ライセンス期間が研究期間内に収まっていれば認めるべきでは?
共通機器が故障した場合、その修理代を科研費で支払うことができない。当該課題以外にも利用している場合、科研費の目的外利用に当たる、というのがその理由。つまり、購入した機器を有効活用すればするほど、その機器の使い勝手が悪くなってしまう、という状況になる。
↑なぜ学会に子どもを連れて行く必要があるのか、という説明責任が出ると思われる。その場合、やはり書類として理由書が必要だろう。
現金払いの場合は、領収書だけで大丈夫なのに、クレジットカードで立替払いをした場合、領収書の提出に加えてクレジットカード利用詳細の提出を求められる。通常、利用詳細が来るのが二か月後なのでその間ずっと立替える必要がある。そもそも立替払いは小額の案件のみでしか認められておらず、たった数千円の立替払いについて、領収書に加えてクレジットカードの利用明細の提出を求める必要があるのか。
↑税金の執行にあっては「たった数千円」のように、金額の多寡で区別は無い。この辺りの感覚を粘り強く研究者に説明していく必要があると思われる。そこを楽をしようとして、会計担当者がいい加減な説明をしている場合がある。
インタビューに、謝金を支払う事自体は妥当だと判断されているが、財務担当者が代わるたびに支払いに関するルールが変更される(たとえば、押印必須になったり、住所を記載する必要が生じたりする)。
↑福教大の問題。
研究室の事務業務のアシスタントの給与を科研費で支払った場合、その課題以外の業務をすることは原則として認めらない。例えばJSTやAMEDの研究費と、科研費の研究費を持っていた場合、それぞれの課題で別々のアシスタントを雇わなければならない。
↑これは委託元の問題。エフォート管理するという手もあるが煩雑だという苦情が出てきそう。JSTやAMEDも監査や額の確定調査で指摘してくる可能性あり。
JAMSTEC
海外企業の多くが請求書/領収書を電子ファイルとした電子メ-ルで取引対応しているが、当機関ではPDFを印刷したものに加え「なぜ原本が無いか」などの説明を研究者が書き付記することが要求されている。
↑国の問題。会計検査院の問題。国の会計書類は押印された原本が基本。法人なので、国とは違うよと法人独自で決めてもいいかもしれないが、そうなるとそれってローカルルールでは?また、会計検査院が許してくれない可能性が大きい。
学会年会費・入会金の科研費からの支出が昨年より認められなくなった。このため、海外の学会に出席する際に非会員として出席することで年会費分が自腹になることを避けているが、非会員の学会参加費は、会員向けの学会参加費を大幅に上回り、年会費分をも超えてしまい、結果的に無駄な支出が増える。事務によれば、このルールは、「学会での活動が、必ずしも科研で採択された課題の研究の遂行のみを目的としているとは言い切れない」ため。しかし、それならば例えば科研費で実験用のビーカーを購入することは、「必ずしも科研で採択された課題の研究の遂行のみを目的としているとは言い切れない」ため、購入できないということになってしまわないか。
↑支出が認められなくなったのには何か個別の経緯が無いのだろうか(東北大学の問題)?年会費・入会金は、その科研費の課題のみと考えにくいのが原因かもしれない。ビーカーの場合は、その科研費の課題占有で使っていると言い切ることが可能だから広く認めている可能性がある。つまり、学会年会費・入会金が厳しいのではなく、ビーカーが緩い可能性が高い。そこをあまり会計担当を攻めると、じゃあビーカー購入も駄目、となる可能性はないか?結局、研究者と大学事務との関係性をどのように構築していくかなのだ。
今まで見てみたが、訴えている研究者は自分と研究のことしか考えていない。組織の一員として、組織の内在的論理、文科省や会計検査院に対する立場なども理解していただき、その間で折衝を行って、どちらにとってもよい落としどころを探し出すという作業が必要。それをできない研究者が河野太郎さんに報告している可能性がある。できる研究者は、事務側とよい関係性を構築して、うまく自分の要求を通している可能性がある。そういう研究者は黙して語らない。
要するに両者のコミュニケーションの問題。どちらが悪いというか、両方悪い。
一回の出張で複数の用務をこなすことは時間と経費の節約になるはずだが、その場合は行きの旅費しか出ない、その業務に関する滞在費が出せない。
↑未だに旅費法の世界なので。国の問題。あるいは大学法人が旅費法を離脱する決定をするか。その場合会計検査院はどういう意見を出すだろうか?会計検査院の問題。リスクが高すぎる。
★旅費法
旅費の
それが公開された。
なるほどと思うものもあるし、意見送ったやつの頭を疑うものもある。
これは事務がバカ、意見を送るやつがバカといって自分なりにつっこみたい。
学会関係
海外学会の参加登録費に一括して含まれている懇親会・ランチ・バンケット代を研究費から支出できない。
国際学会などに昼食が含まれていれば、日当から千円が差し引かれるため、参加費に昼食代が含まれているかどうかを確認しなければならない。提供されていないときは、昼食代が含まれていないことを証明するものを提出させられる。学会のときは全て千円を一律に差し引くという対応をお願いしても、それはできないといわれる。
確かに学会に参加したという証拠のために、学外2名の出席者か代表者にサインをもらう必要がある。最近では学会の名札でも許されるようになったが、証拠書類として学会の看板と写真を撮らねばならない。
研究に関するクレジットカードは「法人カード」を使って決済しているが、そのカード決済に「消耗品の購入は不可」というローカルルールがある。クレジットカード決済すれば、国外からでも1週間以内に消耗品である試薬が届くのに、書類決済でなければならないとの理由で、振込手数料がかかり、振込をする日が決まっている等の理由で、数ヶ月単位で試薬(消耗品)の入手が遅れる。
科研費と他の資金の合算使用について学振のHPでは認められているにもかかわらず、理研内のローカルルールによって合算が制限されている。
科研費では、充足率が6-7割であることが多く、当初予定していた機器を単独で購入できないケースが往々にしてあり、所内予算や民間財団の公募でも、単独では必要な機器を購入できない場合がある。
未だに、見積もり、納品、請求書の紙書類を提出させられ準備に時間を費やす。
1円から全て検収があり、納品書に検収済みのハンコが必要。1万円以上のものにはシールを貼るが、大概、箱に貼るなど形骸化している。最近は検収を受ける前に使用したとしても、よしとしている。
海外から直接物品を買うことができない。クレジットカード決裁できれば1万円で買える海外品が、日本の代理店を通すことで値段が2倍以上になり、納期も遅れる。
例1:
海外直接$130
日本の代理店経由 \40,000
例2:
海外直接$500.00
日本の代理店経由 \111,000
立て替え払いが不可能。コンビニに行けば10分で買える100円の物を、業者を通じて1週間かけて500円で買わなければならない。
消しゴムのような文房具や書籍、論文投稿などを含めて、購入品は検収センターで、物品の品名・品番と納品書、そして注文書の相互確認が行われる。ここ数年で、本学の3つのキャンパス計12箇所に、新規の検収センターが設置された。合計では40~50名のスタッフが雇用されているのではないか。検収手続きの負担を減らす方法として、特に安くもないが、書類一式準備してくれる大学生協に購入が集中することになる。
公費で書籍を購入する場合、かならず図書館を仲介して購入しなくてはならない。教員が、図書館のウェブサイトから購入希望図書を入力し、それを受けて図書館は、大学向けの書類をそろえる業者に発注する。入力後一カ月もたってから「品切れの連絡がきました」と言われることもある。教員が直接、アマゾンなどに発注するほうが、スピードも速く、手数料も取られないので安くあがる。九州大学でも、教員が「立替払い」でインターネット購入する方法はあるが、立替払いするための何らかの理由が必要であり、図書館にその理由の妥当性を検討してもらい、認められて初めて直接インターネット購入が可能となる。その際、「理由書」「立替払請求書」という書類も作成しなくてはならない。実際のところ、理由として「研究のため早急に必要であり、ネット購入のほうが早いため立替購入を希望する」と書けば、まず断られることはないが、だとしても、結局、図書館とのやり取りおよび書類作成に、かなりの時間と労力を割かなくてはならない。インターネットを駆使して安く、早く書籍を購入(研究時間と研究費を節約できるので、「研究費のより適切な利用」にあたるはず)しようと考える教員のために、「図書を立替購入するための図書館への事前問い合わせを廃止する」「立替払いのさいの理由書・立替請求書を廃止する」ことが、必要である。
書籍を購入する際に原則として付属図書館に発注する必要があり、購入後も図書館にて管理される。教員が他大学に異動する際も、研究費で購入した書籍を持って異動できない。また図書館は出入りの業者に発注しており、洋書は一般的に市価より高い。さらに注文から納品まで短くとも1週間、長ければ数ヶ月待たされ、研究の円滑な遂行にも支障を来たす。学会会場にて特別割引で買う場合などは購入を認められるが、理由書の提出を求められる上、管理システムへの登録のためという名目で1週間以上取り上げられてしまう。
また図書館で管理する都合上、裁断などが禁止されており、1000ページを超える大型の書籍をバラバラにして、必要な部分だけ持ち歩く、学生に貸し出す、というようなことが出来ない。
研究費で洋書を購入しようとする場合、オンラインで直接購入することができず、国内代理店か「大学生協Amazon.co.jp 洋書用決済代行サービス」を使用することが求められている。しかし国内代理店の場合、価格が高いだけでなく、専門書を海外から取り寄せとなってしまうため、実際に入手できるまでに非常に時間がかかる。また、大学生協の代行サービスでは、10%もの手数料が上乗せされ、無駄が多くなる。
また、物品購入後には、小額のものからすべて会計係の担当者による検品と研究者自身による書類への押印が求められる。大学の法人アカウント経由であれば、納入の事実やキャンセルの有無などが確認できるため、大型・高額物品を除いて、こうした無駄な作業が省けるのではないか。
10万円を超えていると備品扱いになるが、書籍、コンピュータ本体、コンピュータのディスプレイなどは無条件に備品になり、異動や持ち出しや廃棄のために多くの手続きが必要になる。
コンピュータの購入には原則として相見積もりが必要で、故障しても即日買うことが出来ない。
「学会発表のために」ノートパソコンやレーザーポインタを購入することが出来ない。これは、発表は研究の一部ではないという判断に基づくと説明される。
登録業者からしか物品調達できないため、パソコンの購入等で無駄な経費を支払う必要がある。たとえば、30%を超えるWeb割引や祝日割引があっても利用できず、逆に「登録業者に委託して購入してもらうために手数料5%を支払う」必要がある。
外部資金で購入した(科研費等国の資金)物品を転出の際に持ち出せない。他大学では各大学の資産ではあるが、国共通の資産として研究者個人が移管できるようになっている。若手の研究者がスッテプアップを望んで他大学に出ようとしても「身ぐるみ剥がされる」としたらはたして外に出ることを考えるだろうか。
大学経費(科研費含む)での物品購入は請求書払いを原則としており、立替払いは原則禁止。このため請求書払いに対応していない店からは購入できず、請求書払いに対応する大学生協を通して割高で購入しなければならないような仕組みになっている。そのため、ネット通販で買えるものを、わざわざ生協に買ってもらい、研究費で生協から、ネット通販価格に手数料(15%)が乗った価格で買わざるをえない。
例えば、毎年恒例のある企画において、お茶を購入しようというとき、限られたお茶代の予算でできるだけ安く買いたいので、大学生協ではなく、圧倒的に安価で購入できる街の大手スーパーで購入したい。しかしそういう街のスーパーは現金払いしか対応してくれないので、大学の経費で購入不可。そこで、その大手スーパーで購入したものを、一旦大学生協に持ち込んで買い取ってもらい、手数料を上乗せしたかたちで大学の経費で購入するという無意味で無駄で非合理的な方法がとられている。大学生協に手数料(15%)を支払っても大学生協から購入するより安いのでこの方法を選択するというケースがある。
業者のサイトではクレジット払いが可能であり,そうすれば定価で購入できる。しかし,岡山大学では,直接取引可能な業者と認められていない業者は全て,国内の代理業者を通してしか購入できず、10%以上の手数料を余分に支払う必要がある。事務方からのメールを読むと,料金が高くなることは認識しているようだが、規則であることを理由に,クレジットカードによる立替払を認めない。
会議でお弁当を出す場合、下記の稟議が必要になる。
研究者=起案者(事務担当)=途中で何人か=事務部長=部局長等(この中で唯一の教員)=契約担当課長=総務・監査グループ長=財務担当理事・副学長(文科省出身)
弁当は食べる前に,検収センター員のチェックを受ける必要あり。その場合の納品書は、和風弁当10個ではダメで弁当の中身がわかるような(鮭,卵焼き,ご飯,から揚げとか)お品書きを弁当業者に準備してもらう必要あり。
研究協力者への謝礼を図書カード等で行うことができず、必ず事務からの振り込みしかできない。少額の場合も、マイナンバー等の手続きが必要なため、事務作業が増える。マイナンバー提出があるために協力者となっていただけない場合があり、研究協力者を集めるのが困難になっている。
以下、所属部局の会計担当からのメール。
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科研費の執行期日は以下のとおり設定させていただいております。
ご協力お願いします。
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今年度の科研費の予算執行は以下の期日までに全額執行(支払いを終わらせて、財務会計システムの予算情報を0円にすること)願います。
研究代表者となっている科研費:平成29年2月28日(火)まで
※なお、以下の理由により期日を定めさせて頂いております。ご協力くださいますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
研究代表者は実績報告の作成が義務となっております。また、科研費の実績報告の作成は3月中から4月中にかけて行います。そのため、3月末日までの執行となると収支状況が確定せず、研究代表者の収支データ入力時期が遅れてしまうため期日までに実績報告書を提出することができなくなります。したがって、2月28日(火)までの執行をお願いいたします。
以上の理由より、期日までの全額執行にご協力をお願いいたします
5年間の科研費を使って3年間のソフトウェアのライセンス契約を結ぶことは問題なく、科研費の節約にもなるが、科研費は複数年の支給であっても、実際は年度ごとに支給されているという理由で認められない。
http://www.mext.go.jp/a_menu/shinkou/hojyo/faq/1322944.htm
共通機器が故障した場合、その修理代を科研費で支払うことができない。当該課題以外にも利用している場合、科研費の目的外利用に当たる、というのがその理由。つまり、購入した機器を有効活用すればするほど、その機器の使い勝手が悪くなってしまう、という状況になる。
学会出張中の託児施設の利用の科研費での支払いができない。「研究費の不正利用に当たる」という見解。
現金払いの場合は、領収書だけで大丈夫なのに、クレジットカードで立替払いをした場合、領収書の提出に加えてクレジットカード利用詳細の提出を求められる。通常、利用詳細が来るのが二か月後なのでその間ずっと立替える必要がある。そもそも立替払いは小額の案件のみでしか認められておらず、たった数千円の立替払いについて、領収書に加えてクレジットカードの利用明細の提出を求める必要があるのか。
インタビューに、謝金を支払う事自体は妥当だと判断されているが、財務担当者が代わるたびに支払いに関するルールが変更される(たとえば、押印必須になったり、住所を記載する必要が生じたりする)。
研究室の事務業務のアシスタントの給与を科研費で支払った場合、その課題以外の業務をすることは原則として認めらない。例えばJSTやAMEDの研究費と、科研費の研究費を持っていた場合、それぞれの課題で別々のアシスタントを雇わなければならない。
海外企業の多くが請求書/領収書を電子ファイルとした電子メ-ルで取引対応しているが、当機関ではPDFを印刷したものに加え「なぜ原本が無いか」などの説明を研究者が書き付記することが要求されている。
学会年会費・入会金の科研費からの支出が昨年より認められなくなった。このため、海外の学会に出席する際に非会員として出席することで年会費分が自腹になることを避けているが、非会員の学会参加費は、会員向けの学会参加費を大幅に上回り、年会費分をも超えてしまい、結果的に無駄な支出が増える。事務によれば、このルールは、「学会での活動が、必ずしも科研で採択された課題の研究の遂行のみを目的としているとは言い切れない」ため。しかし、それならば例えば科研費で実験用のビーカーを購入することは、「必ずしも科研で採択された課題の研究の遂行のみを目的としているとは言い切れない」ため、購入できないということになってしまわないか。
一回の出張で複数の用務をこなすことは時間と経費の節約になるはずだが、その場合は行きの旅費しか出ない、その業務に関する滞在費が出せない。
旅費の機関直接執行(科研費口座からの直接支払い)が不可。旅費は必ず自分のポケットマネーからいったん立て替え払い。
学会のために地方に出張するさい、「始発で間に合うのであれば前泊は禁止」「学会後終電で帰宅できるのであれば延泊は禁止」というルールがある。「5時発の始発でも間に合うのであれば前泊禁止」ということになってしまい、結局、全国のほとんどの場所で開催される学会では前泊が禁止される。
学会の後はほぼ必ず、オフィシャルではない懇親会が開かれることが開かれる。学会における質疑応答時間はあまり多くは設けられていないため、基本的にはそういう非公式な場でのディスカッションが学術的には非常に有益であり、かつ不可欠だが、延泊できないため、最終日の午後に発表する場合などは、たいしたディスカッションもできないまま開催地を後にせざるを得ない。
宿泊費を自腹で支払うと旅費が出ない。
例えば旅費は20万円しかない場合、海外のミーティングに参加する時に、飛行機代が10万円、宿泊費が10万円かかるとすると、10万円は自腹で払っても海外のミーティングに行きたい、と言っているポスドクが2人いる場合、宿泊費は各自の支払いということで、10万円ずつ飛行機代を出してあげたい、と思っても、宿泊費を出さない出張はカラ出張の原因になるから、という理由で、一人分、20万円しか出せない。
海外からの招聘にかかる旅費執行(科研費)について海外からシンポジストなどを招聘する際にかかるフライト代を科研費で請求する際、以下の書類が必要になる。フライトチケットの領収書、クレジットで立て替え払いした場合はクレジットの利用明細書、フライトチケットの半券(往復分)。往路チケットの半券は来日時に提出してもらうにしても、復路分の半券はシンポジスト帰国後、郵送してもらうか(半券をPDFなどにしてもらって)メールを送ってもらう必要があり、海外からくるシンポジストに過度な負担を与えるとともに、招聘側としても事務手続きが煩雑になる。
鉄道を利用した場合は領収書もいらないが、飛行機の場合は領収書に加え、搭乗券の半券もしくは搭乗証明書の提出を要求される。
新幹線や特急を使う出張には特急券を持ち帰るというルールがある。これは在来線で移動し、差額を着服することを防止するためらしい。しかし新幹線の特急券は改札機にて回収されるため、駅の係員に事情を説明して持ち帰らねばならない。事故等で改札が混雑しているときなどは、そのために相当の時間がかかり、乗り継ぎにも支障を来している。
国内の移動にタクシーを使用できない。福岡は、交通機関が東京や大阪ほど発展していないため、調査で学校訪問をする際に、公共交通機関を利用できない(あるいは、本数が少なく、現実的ではない)場合があり、こうした場合、タクシーを利用せざるを得ないが、研究費による国内でのタクシー利用が一切認められていない。
出張時に,基本的に航空機での移動が認められていない。時間がいくらかかろうと,電車で行かれる範囲は飛行機利用が許可されておらず,用務先に到着するだけで1日使ってしまう,というようなことが生じる。
本学では、毎月毎月、どこで何を何時間していたかを記録した紙の勤務報告書の提出を求められる。事務に確認したところ、裁量労働制の場合でも、厚生労働省の指導により事業主(大学)は、 勤務状況の把握することが必要となっているとのこと。
その際、勤務のルールとして、勤務は原則として学内で行う。在宅勤務は勤務時間を管理することが難しくなるため認めない。法令上は、例えば大学入試センター試験業務など、具体的な土日勤務の命令があってはじめて勤務とみなされる。
この書式はいまだにサインをして紙で提出することになっており、それを事務職員が全員分目視でチェックして、出張日と学内勤務日が重なっていないか確認している。
コンプライアンス研修という、法律遵守の講習が義務付けられ、年に一回必ず出席し、番号をもらわなければ、翌年の予算が使えない。
週3日でアシスタントを雇っているが、保育園の行事やお子さんが急に熱が出た時など、その日は休んで曜日をずらして働きたいという希望が本人にあっても、契約で曜日が決まっているので、有給をとってその日は休むということしかできない。週3日のような、 Permalink | 記事への反応(8) | 19:57
増田は博士課程進学を薦めているが、おすすめしない。理由は日本では大学という仕組み自体が疲弊しており、社会での役割が年々縮小しているからである。防疫、防災、国防、医療、農林漁業畜産、化学、機械、材料などで核となる組織は維持する必要があるが、各50人態勢の最先端組織を作ったとしてもそこで働けるのは数百人でしかない。欧米アジアの一流大学、研究機関を合算で考えれば行き先は増える。だから博士課程を目指す人は、シンガポールで、ソウルで、ドバイで、上海で、サンフランシスコで、ワシントンで、ロンドンで就職するつもりでいる必要がある。
明治に国を急速に欧米ロシア中国に対抗するため近代化する必要があった際、飲み込みの早い子供たちを留学させ、英才教育を施して、日本全体と地域の発展の核として育てた。それが旧帝大だったと思う。
21世紀の今、大学に社会から求められる知の蓄積と創造活動、情報発信というものはあまりないように思う。それは個々の大学教員の資質とかそういうことではなくて、一人親方個人経営の大学研究室では教授やスタッフの資質がいくら優れていても達成できることに限界があり、大資本を投下して遂行される民間の活動には逆立ちしても追い付けない。(ポスドクの待遇が悪いのはまさに資金のなさを精神論で克服しようとするための歪によっておこることだ。)
民間でできないことがあるじゃないか、ということはあるのだが、防疫、防災、国防といった基幹的なこと以外で民間でできないことというのはそもそも民需がない。社会的要請がないのだ。
博士をとってから大学で博士研究員として1年ほど働いたが、先日、民間企業から内定をいただいて大学を去ることになった。転職の活動をする中で思ったことを書き残しておきたい。自分と同じ程度に何も考えず、ちゃらんぽらんに博士課程に進もうとしている人の参考になればよいと思う。
1.スペック
男29 バイオ系 医学研究科所属(non-MD) 特筆すべき業績は無い
いわゆるピペド的な分野だけど、医学系に所属していたことが就職にプラスとなった模様。
1日6時間勤務で時給1670円。つまり日給1万円。額面20万程度なので、手取りは16~17万ほど。残業手当や休日出勤手当についての規定はいろいろ事細かに書いてあるが、残業や休日出勤は存在しないことになっている。生物相手の仕事なので6時間の中で全ての仕事を収めることが不可能である。場合によっては夜中に始めなければいけない実験もある。また、生物には曜日も関係ない。大学院生の頃、研究室に行かない日は年10日ほどだった。卒業前、ポスドクになってもそのペースで仕事ができると思っていたのだが、お金をもらう身分になるとそれができなくなった。給料が発生しないのに研究室に行くことが馬鹿らしくなってしまった。こういうことを言うと、休みがほしいと言ってるようでは研究者に向かない、と言われたりするのだが、そういう問題ではないだろう。だって、こちらは契約書を交わして雇用されている身分なのである。そういう意味では民間企業で働く人と同じだ。上の言い分がまかり通るなら、サービス残業ができないような会社員だって、その会社の仕事に向いてないと言ってよいことになるのではないか。少なくともこれまではてブ等で言われてきた基準から考えれば、即退職すべき職場と言えるはずだ。
これはうちの大学だけの問題ではなく、どこの大学でも聞いてみると似たような人が居る。教授たちはポスドクの生活について特になんとも思っていないし、月20万も出してやれば逃げていかないと思っているらしい。「サイエンスにサティスファイ」していれば飲まず食わずでやっていけると思っているのだろう。
それでも、百歩譲って、自分の好きな研究をしているなら、お金をもらわずに働いてもまだ納得がいく。しかし、雑務に追われて研究ができない大学教員同様、ポスドクも上でオーバーフローした雑用をこなしているだけで時間が過ぎていく。毎週末出張に行かされたり、インターンの学部学生の面倒を見たり、他大学の学生やスタッフに技術指導をしたり、シンポジウムの運営を手伝ったり、種々の書類を書かされたり、というのが日々の業務である。それでいて、世間からは、研究者なんて劇団員とか芸人とかそういう類なのだから待遇が悪くても仕方が無いだろう、お金がもらえるだけいいでは無いか、というようなことを言われるので腹が立つ。
活動期間はトータル4ヶ月。ただそのうち一ヶ月半ほど忙しすぎて何も動けない期間があった。覚えている限り、13社応募した。うち、3社は転職エージェントと音信不通になった。2社は転職エージェントから応募を断られた。残りのうち、4社は書類で落ちて、4社で面接に呼ばれた。最終的に2社から内定をもらった。
専門知識が活かせそうな職であれば、研究職、非研究職に関わらず応募した。そのため、最初は何がやりたいのかもはっきり固まっておらず、書類審査に通りにくかった。後半は、希望の業界や職種が絞れてきたことと、求人票から書類審査に通りそうなものがある程度わかるようになってきたので、思ってたよりもあっさり終わった。
巷では博士まで行くと就職が無い、特にバイオ系は終わっているというような話が多かったので、活動を始める前は心配していたが、別にそんなことはなかった。ただ、研究職に絞っていたらそう早く決まらなかったかもしれない。自分の実験技術はニッチな職人芸で、企業の研究で活かせるかというと微妙だったし、業績も研究職を目指すには寂しいので書類選考がかなり厳しかった。それに、やっぱり分子生物学を直接活かせる分野はまだそんなに無いというのも思った。
博士課程で身につけるべき専門性やスキルは、研究以外にも活かせる道があると思うので、研究以外のことにも興味を持てる人だったら、博士まで出たからといって特に就職で不利になることはないと思う(能力的に博士として平凡な人でも)。
4.博士進学すべきか
私は博士進学したことを全く後悔していない。ポスドク期間は精神的につらかったが、大学院生の間は、研究を通じてエキサイティングな経験ができたと思う。
博士を取るのは、学士や修士に比べたらかなり大変ではあるが、その分、達成感がある。私は基礎研究分野なので、その視点に絞って言うが、博士というのは世界で初めて誰も到達してない場所まで登り、そこから新たな景色を見せることができた人に与えられる称号だと思っている。博士課程で行う研究なんて、そうたいしたものではないけれども、でもどんな小さなことであれ、世界で一番になる経験というのはなかなかできるもんじゃない。だから、もし学部や修士課程で研究を面白いと感じているなら、その先の山まで登ってみることは悪い経験にはならないと思う。
もちろん、リスクやデメリットはいろいろあるし、向いている向いていないもあるけど、条件が合えばリスクは限りなく小さくできる。博士課程に進学しようと思ったらお金が必要であるが、親から全く援助が受けられなくても、プラス収支で博士課程を卒業することは不可能ではない。最近、貧困の原因になっているとも言われている学生支援機構の奨学金だが、大学院で借りた奨学金は3分の1の確率で半額または全額が免除されることはあまり知られていないのではないか。免除されなかったら大きな借金を背負うことになるのでハイリスクな賭けではあるが、単純なギャンブルではないので勝率を上げることはできる。免除される枠は大学ごとに割り当てられているので、学内の相対評価で勝てれば良い。背伸びして良い大学院に入ると大変かもしれないが、小さな大学でアクティビティの高いラボに入れれば免除される可能性はかなり高くなる。私もこのパターンで、日本全体では平凡な大学院生だったと思うが、所属大学では上位に入れた。それから、最近はお金を出してでも学生を囲いたい大学院もあるから、この辺をうまく使えればお金がなくても進学は可能である。卒業後の就職のことに関しては上に書いたとおりである。実感として、そんなに不利だとは思わなかった。研究を続けるか別の道を歩むかの決断はあるかもしれないが、仕事を見つけること自体は難しいことではない。
優秀な人が将来の懸念から、博士過程を避けるようになっているという話をよく聞く。それがどの程度本当なのか私はよく知らないが、本当だとすれば残念なことである。真に優秀な人はおそらく研究者として残っていけるだろうし、別の道を探すことだって難しくはないだろう。重要なのは進学前の情報収集だ。良い指導者(色々な意味で)に出会うことは極めて重要である。
5.学術界に言いたいこと
それはそうと、博士課程を卒業した後、ポスドクの待遇は酷い。なんなら、学生のころよりも生活が苦しくなったりする。私の待遇でも、社会保険と厚生年金に入れるだけ全体としてはマシだと言われるようなレベルである。
博士まで取った人なら、仕事くらい自分で見つけてこられるだろう。だから、別に今いるポスドクをみんな救済しろと言いたいわけではない。ただ、せめてルールくらい守れと言いたいだけだ。大学や予算枠の規定で仕方がないのか知らないが、秘書や実験補助員と同じ枠でポスドクを雇用し、ポスドクにだけ特別な暗黙のルールを適用することはいい加減やめた方がいい(秘書や実験補助員は定時で帰るし、定時で帰れるように配慮される)。本来、研究者を時間給で雇うのが間違いなのだが、全員を正規雇用できないというのもわかる。だから、正規雇用されなくてもいいから、パートタイムで雇うならその規定をきっちりと適用してほしい。そんな中途半端な研究者は要らないと思うなら雇わなければいい。自分だって、ボスからポスドクとして残ってほしいと言われたから残ったのである。必要だと思うなら、必要性に応じてお金を出せばいいし、出せないなら逃げられても文句は言わないでほしい。
6.まとめ
大学院は超エキサイティングだったが、ポスドクの待遇が酷いため研究をやめることにした。
博士進学および研究は人生を賭けた博打であり、勝つためには運が多大に必要である。しかし、単に運だけで決まるわけではない。そこそこ得たいものを得て降りることは可能である。研究の過程を楽しく思えてかつ優秀な人には博士進学を勧める。