はてなキーワード: 研究室とは
以前働いていた大学で研究費の不正使用があってどうしようかとかなり悩んだ。その大学は毎年のようにいずれかの研究室で不正使用があって、教授が逮捕されている。トップダウンで筋の通らないことでも無理でもなんでも通ってしまうという体質の大学。こちら一人が頑張っても変わらないだろうし、告発するには労力もかかる、リスクもあるので結局告発はせず。でも巻き込まれたくないのでそこをやめた。関係する外部機関からの評判はすこぶる悪く(偉そうだ、一方的だ)、離職率もかなり高かったからよくあることだった。別に大学の経営が傾いているわけではないけど、斜陽な感じはあった。違和感があるまま続けてもストレスがたまるし、責任を押し付けられる可能性もあるから、転職できるなら転職するという方法もあると思う(ただ、大学の職員は多くはOBなので簡単に転職できるかは知らないけど。)
そんななかで迫ってくる中間発表、本当に書くことに詰まってどうにもならない。
今年から授業をまた受けねばならなかったこと、いきなり英語論文の投稿と発表でてんやわんやとなり、まったく研究に思考や作業を割けなかった。あまりにも自分が不器用すぎる。
そうして学会発表終わった9月から研究を始めたけれど、春先にボスと話していた研究内容が食い違い、考え直しに。何度考えてもボツをくらい、研究が固まったのが10月後半。
プログラムを完成させ実験を行うも、最終的にボスから「当初の目標から大きく逸れてるよね。軌道修正しよう」と言われ今までの研究がボツになりかける。「その研究やっててもいいけど、それじゃあ将来性がないし院生レベルの研究とは言えない」と言われてはどうしようもない。
結局、今の研究の流れから大きく変更となり、その中での小さな研究とし今の研究を行うことになる。今までやってきたことはこれだけだったのか、悲しい。しかも、結局提案した手法の成果は従来手法より悪化する。おいおい、結果考察が書けねえ。
研究内容も大幅に変わり、今まで考えていた導入から大幅に変更を加えなきゃいけない。
実験結果は前述の通り。
中間発表は目前。
もう疲れた。
どうにかボスと相談して、もう少しマシな導入を考えて、実験結果も考察して。
どうにか中間発表を乗り切らなければ。
頭では、まだそう考えられる。
でも、心も体もそれに追いつかなくなってきている。
今更何をやっても無駄なのかな
疲れたよ、結局何をやっても否定されて「院生レベルじゃない」とか「将来性」とか言われるし
結局なにも成果ないし
疲れたよ
結局のところ何もしてなかったんだけどさ
頑張ったつもりでいただけの話なんだけどさ
辛いものは辛いしどうにかしたいんだけど
もう、どうにかしようと体や心を動かせなくなってきてる
研究室の誰にもこういう話できないし
高校二年生
現代文の授業の何かがきっかけ。物事をいろんな観点で見てみよう。何故そこにタンポポ? 種がとんできて成長したから。あらゆる物事には原因があるんだなぁ。まてよ、何故宇宙は存在するんだ? 分からない。きっと人類の誰も分からない。ロマンだなーすごいなー。地球上にはロマンが残ってないかもだけど、他にも目を向ければロマンあるよジャイアン。あれ、自分は何で生きているんだ? 勉強とか大変なのに。楽しみよりも苦しみの方が多いのに。親に聞く。そんなことも分からないのか? 俺たちはこんな人間をつくっちまったのか。図書館行って調べてこい。分かるまで帰ってくるな。俺はダメ人間だったのか。図書館行って調べる。他の人が喜ぶことをすることで自分も嬉しい。他の人のために生きる、それが理由。報告。
数日後
生きる理由を見つけることが、今の生きる理由でいいのか、なるほど
生きていればそのうち見つかるだろう
友人なかなかできず。でも少ないながら良き友人できた
研究室配属
楽しいこともあれど、ダメ人間にはなりたくないという斥力と惰性で生きてきている
何か問題が起きた時は、その原因を特定し、それを排除すれば問題は解決する、ということをようやく会得。
他の人のキーボードのタイプ音が異常に気になりはじめる。超しんどい
下降
強迫性障害 判明。しんどい事や違和感を感じた時に、自分は人と違うんじゃないか そのせいではないか、と思いはするが気のせいだろうと無視してきた。しかし今、自分はいくらか人と違うことが判明してしまった。かなり損をしてきたのだ。そして治らなければ今後もまた同様に辛いことが。
下降
強迫性障害 軽減の試み 奏功せず
下降
難しい仕事、そして割に合わないほどのクオリティを求めてしまう
下降
下降
鬱病を治すために、薬飲んだり適宜運動、が、不適切なほど運動。超悪化
下降
生きることは苦痛そのもの。幸せになっていく友人のことを素直に喜べなくなる日がいつか来る。生きても苦しみが増えるのみ。絶望。自殺以外に救いは無い。ただ自殺すると、親が発狂してしまうのではなかろうか。自殺するのも容易でない。
下降
さらに悪化。自殺するにもいくばくかの気力、体力が必要だが、それすら無くなった。地獄とは死後にあるのではなく、現世にあり、そして今まさに地獄にいる
時間経過
少し良くなる。自分の未来なんてもはやどうでもいい。地獄だけは勘弁。無理せずに歩き続ける。楽しいこと見つけよう。FGOおもしろす。
山あり谷あり
復職訓練
山あり谷あり
ゴーストのささやき、自分の心の声が存在することを明瞭に知覚できるようになる
声に従って行動すると、心のエンジンがかかる。シティハンターのあれはこういうことだったのか。
声の導くままに。
Twitterのアレを見ててわかると思うけど理系大の研究室に入ったら周りはオタクだらけで、アニメネタが日常会話になる。
それは良い。一方で、アニメネタを話す人達はほぼ必ずSNSのヘイトネタを日常会話で繰り出してくる。
アニメを見ている=SNSのヘイトをリアルで口に出すことに抵抗がない というのは、少なくともうちの研究室では常に成り立っていた。
SNSの言説が、そのままリアルに流れ込んできても許される空気が理系大のクローズドなコミュニティではすぐに成り立ってしまう。
「ま〜んはマジで死ね」なんて隣の席で言い合ってる奴らが居るのは、至って普通で、それを咎める言葉なんて無い。
それを咎める文脈は、全然別の世界の人達しかもってない。我々特に関係の無い人間は、客観的に見て唾棄すべきであるような、暴言を聞き流すしかない。
あのホワイトボードの楽しいお喋りを現実に隣でずっと言っているやつが居たら、というリアリティをぜひ想像してみてほしい。辛かった。
大学教授だろうと教育者なんだから、もう少し学生のモチベーション保たせるような方針で研究室運営してほしい
今まで研究進めてきたのに、進捗も定期的に聞いていたのにしばらくして突然「それじゃあ院生レベルの研究じゃない」と言われても、困る
確かに努力の方向は間違ったけどさ
確かにレベル低いけどさ
言う言葉が悪いよ
ストレートにやる気へし折る言葉を投げかけられたら、こっちだって心折れるよ
誰しもタフな心持ってないよ
もう少し研究の楽しさや成長する喜びを教えてよ
自分が成長できた気がしないよ
アフターケアもなかったね
何度も自信を打ち砕かれ、ろくに褒められもせず、しばらく放置して時間なくなってからちゃぶ台返して
私の心を殺す気か貴方は
言うタイミングも遅いよ
中間発表もうすぐだよ
今更ちゃぶ台返ししないでくれ、もっと早くからおかしいと気付いていただろう
どういう考えでどんな方向に研究してたかはきちんと週一で報告していたし
聞いてなかったはずないよね、意見返してくれてたよね
ならば研究室とは何なんだ?
多分教員とはどこまで行っても打ち解けられないのだろう
忙しいことも抱える学生10人いてそれぞれ面倒見るのが大変なことも私なりに理解しているけど
もう少し一人ひとり見てくれてもいいと思うんだ
少なくとも後輩に「うちの研究室楽しいよ」なんて、今のままじゃ言えない
「来ないほうがいい、疲れるだけだよ」と教えて回りたいくらいだよ
現に不登校になった人もいるし……
私も疲れたよ
答えは出ないし道は見えないし、最小限のヒントすらもらえない
もう研究室が嫌だよ
心に鞭打ってるよ
制度的に無理かな
そして、どこに行ってもこんな教員ばかりなのかな
ああ、嫌だなぁ
もともと師弟関係の強い一部の工学系や理学の実験系はともかく、
最近国の予算的にプロジェクト研究が流行っていて、組織化が進んでいるだけでは。
幼稚園では一人遊びが最高の楽しみだった、自分の世界だけで生きていた
朝顔のたねを潰して、砂を掘って、壁に登った
小学校では図書室の図鑑だけが昼休みの私を癒してくれた、外遊びには興味が持てなかった
中学校では、体育の時間の後で全員が制服に着替えても一人だけ体操服で授業を受けた、そのほうが涼しいから
高校では体育祭をサボって図書室で本を読んでいた、拘束されるのが嫌だったから
親が泣いても文化祭に行かなかった、それまで一日もクラスを手伝ってなかったから
遠足のときは家を出てから学校に病欠の連絡をして満喫で時間を潰した、もう親を泣かせたくなかったから
授業は面白かった、つまらなくても過去問で単位を取った、科学こそ自分のスキなことだと感じた
サークルに熱中した、気づいたらリーダーになってすべてをつぎ込んでいた
大学院は思っていたのとは違った
科学への渇望は消えていなかったけど修了と同時にアテもなく飛び出した、先生と研究室には我慢の限界だったから
僕は10年経っても体育祭から逃げていたんだ。集団から、どこからともなくリーダーが現れて全員に無言の圧力で不文律を押し付ける。集団の中で、時間と場所と思考の自由を奪われていくあの感じ。社会に蔓延するあの体育祭の空気から、きっと抜け出せると信じていたんだ。それでも、自由になれなかった。
まだ、後夜祭のキャンプファイヤーは消えずにいる。
東大女子が特定のマンションにすんだら家賃補助の話について、東大は男子大学生にむけた食事付き格安寮の募集が構内に貼ってあったり、県民寮の募集が男子限定だったりするので、おそらくこの処置で住居環境にまつわる援助の差が対等に近づきます。
東大以外、東大女子と東大男子の住環境の問題に興味がないのである程度は仕方ないんですが、ぶっちゃけてもいいんだからちゃんと実地調査して結果発表した方が納得されたのではないでしょうか。
個人的には、世間や他に楽しみのない男子大学生からのヘイトを考えるとこの制度ができる以前から東大理系への女子学生の入学はあまりお勧めしません。
また、性別関係なく親の収入による補助ですが、すでに学費免除制度はあり、自分の周囲だと、主に地方出身の男子大学生が利用していました。
地方出身の女性については男女で同じ割合の人が利用したとするとごく少数になってしまうせいか、耳に入ってきてないです。
研究内容や成績優秀者に対する奨学金もあり、学科の教務の前に貼り出してあります。
つまり、女性優遇の前にすることがあるだろうと言われていた類の話はすでに結構あります。
大学の教務や教室付近の掲示板にだけ貼ってある(特に大学以外からの団体からの援助)ことも多いので、学部学科によっては東大生でも知らない人もいます。
文系でずっと駒場にいた人とか特にそうです。また、特に理系ですが、そもそも東大生には書類をきちんと整理して揃える、掲示板で情報をこまめに収集するというのが苦手な人が多く、対人的にはいじけてる人もそうでない人もよくよく話を聞いたら素朴に夢と専門分野がロマン思考の人が多いので、気づいてない可能性も高いです。
本郷と駒場の全校舎の張り紙調べてみて定期的にネットへ流すサービスがあると学生全体の福利厚生上がりそうだと素直に思います。これ書いてる人も、今回の件で県民寮に入ってる女子は聞いたことないな、と思ったら男子限定だったらしい、と卒業してから知りました。書類を4種類以上そろえて出せと言われると辛いタイプの人も結構多いです。
さて、東大女子の女子率ですが、自分が出てから数年で大幅に状況が変わっていなければ、農学部や文学部、経済学部は比較的状況がましだったはずです(少なくとも工学部と比べれば桁違いに)。
進学振分の枠の都合で女子に比較的人気の高い学科のうち教育系や不況時に女子学生の志望が増えやすい医学薬学は本当にそこ行きたいならよそへ行った方がよい状況があります。たとえば薬学部薬学科へ進もうと思ったら全校生徒の志望者の中で8人くらいに入る必要があります。
東大に来ない方が良い大学教育が必要な上で資格と結びつくタイプの学科については不景気だと志望者が増える傾向にあるので、景気が悪いんじゃないでしょうか。
極端なのは工学部、特に生物系、化学系でないところで、そういう学科は定員の枠も大きいことが多いです。
その学科の状況やどうしてそうなるかについては、関連しそうな学科のTwitter検索用リストを置いておきますね。
検索結果を見て、これと同じ温度の空気の中で研究室生活の間ずっと過ごしても平気、気にならない、と言い切れる人か、A先生のもとで何々学を勉強したい、という感じに目的意識がはっきりしてる人しか行かないほうが良いと思います。
今まで生きてきて、1度も結婚式に呼ばれた事がない。ひとりっ子かつ親戚付き合いも殆どないので、身内の結婚式にも出たことがなく、本当に祝いの席に参加した経験は皆無である。流石にこの歳になると、結婚式に出た事がないとは恥ずかしくて誰にも言えない。友達がいないと公言しているようなものだ。
友達がいなかった訳ではない、と思っている。いや、今となってはよく分からないが。
小学校はイジメられっ子だったが、学区の違う中学、高校では一緒に遊ぶグループもできた。しかし卒業と同時に縁が切れ、今ではフェイスブックでふわふわ繋がっているだけの関係。なまじ繋がっているから、彼等が素敵なパートナーと結ばれて華やかな式を挙げたことだけは知っている。早い人には子どもも出来た。大学生活はリア充とは程遠かったものの、サークル、語学のクラス、バイト先、学生寮にそれぞれ親しい人達がいた。しかし、サークルは活動がガチ過ぎてついて行けなくなって辞めてしまった。無理にでもついていくべきだったのだろう。語学クラスとバイト先の仲間は、進学•就職を機に付き合いがなくなった。こちらも高校時代同様、フェイスブックだけで未だふわふわ繋がっていて、最初の数年は同窓会もやったりしたが、そのうち開催しなくなった。SNSでの私の見かけの友達数はやたら多い。学生寮の人間とは、引越した後も比較的長く付き合っていたが、2-3年もすると徐々に疎遠になってしまった。学生寮は同窓会ネットワークもないので、今後会うことはないような気がする。大学院の研究室の関係者とは、今も関わりがない訳ではないが、非常に表面的な付き合いである。
考えてみたら、友達だと思っていたのは私の一方通行な勘違いで、どこにも友達は居なかったのかもしれない。だから、誰からも祝いの席に呼んでもらえないのだ。お前が積極的に繋がりを残そうとしなかったのが悪いんだろう、自己責任だ、と指摘されるかもしれない。確かに、私は同窓会の幹事をやった事もないし、そんなネットワークも行動力も持っていなかった。でもその程度の受け身人間、いっぱい居るじゃないか。それに、親しい(と思っていた)数人に連絡して遊びや飲みに誘うくらいのことなら、自分でもやってきた。けれど、私がやると何故か上手くいかないんだ。誰も乗り気でないような、酷い場合には全員不参加で流れるような。
今の職場にも、プライベートで飲みに行ったりする仲間はいるが、彼等を友人と呼んで良いのか分からない。職場が変われば簡単に付き合いは無くなる気がする。ついでに言うと既婚者ばかりなので、仮に付き合いが続けられても結婚式未経験なのは変わらなかったりする。
そういえば職場の後輩が、学生時代の友人の結婚式が今週末あると言っていた。新しい服やらご祝儀やら、出費がキツいと嘆いていた。「増田さんくらいの年齢だと結婚式多いですよね?どうやってやりくりしてるんですか?」と聞かれたけど、さすがに行った事がないとは言えず、金欠だよね等々言って適当に誤魔化しておいた。今頃披露宴なのだろうか。誰かの華やかな人生の門出に立ち会って祝福するというのは、どんな感じなのだろう。私には、誰かを祝福する資格は無いのかもしれない。
卒論、つらい。
自分の頭のなかを今輪切りにしたら、多分この二単語が縞模様を作っている。
卒論を書きはじめるまで、自分はそこそこデキる学生だと思っていた。
研究室の同期のなかではレポートの出来も一番良いと褒められることが多かったし、
教授との仲も良好で、コミュニケーション能力を褒められることも多々。
デキるやつだと思い込んでいた。
でも、今、卒論を通してその自己認識がいかに薄っぺらで都合の良いものだったか思い知らされている。
人に見せてきた明るい性格も虚勢だったみたいで、今はメンタル系の薬を飲んで心を落ち着かせるので精一杯だ。
大学生活、インターネットや趣味で時間を浪費して何も身に付けられなかったのに、
上っ面を取り繕うのだけは上手いから自分の無能さに気付くこともできなかった。
周りは気にし過ぎだとか、十分能力はあるとか言ってくれる。
研究テーマが、つまり自分の関心の所在がわからないのもきっとそのせいなんだろう。
私みたいに、自分の無能さに打ちひしがれて、死んだほうがましだって考えたりしてるんだろうか。
そうだとして、これを「通過」できる自信が正直自分の中に無い。
卒論、つらい。
IT企業だが、給与・福利厚生もよく、残業代も50時間分が自動的に支給される。50時間を超えたとしてもその分の残業代は出る。
残業代が50時間でるが、基本的に残業が嫌いなので、月5時間くらいしかしていない。
ノルマとかも特にない。勝手に成果を出してね、というスタイル。
所属している部署は7〜8人のところで、全体的に酒を飲まない+個人主義なので飲み会もなし、昼食も一緒に行かない。なので無理してコミュニケーションをとる必要もない。
もともと仕事=趣味みたいな人間だったので、プライベート、仕事問わず同じようなことをやっていた。
そうした結果、仕事の実力はなかなかついてきて、外部から講演依頼とか多々頂くことも出てきた。取材とかも受けた。
どんどん楽しんで仕事をして成果を残していたが、なぜか徐々に辛くなり始めてきた。
俺は人より少しだけ承認欲求が強かったので、早く認められるようにと努力してきた。
人から認められるためには、他の人がやってないことをいち早く、周りが期待するレベル以上の成果を出し続ければいい。
そのためには、自分の能力を限界まで使い、見せ方を工夫し、少し背伸びして成果を見せてあげることになる。
それを繰り返すと、周りから周知され、またすごいものを作ってくれるのでは、という周りの期待感を生み出すことができる。
そうすると、期待感を込めてその人が新たな機会をくれることがある。
そうしたら、その期待感を絶対に裏切らないように、次の成果をひたすら出すだけ。
多分どんな分野でも、これを繰り返せば、その業界で名の知れた人間になれると思う。
だけど、これを繰り返した結果、俺はうつになった。
始めは自分の好きな技術を使って、便利なもの、面白いものを作りたいと思って色々作り、楽しんでいたが
それが評価され始めて、認められてしまい、その評価されている自分を演じるのが辛くなった。
期待を超え続けることが辛くなった。
期待を超えるアウトプットを短期的に出そうとしてしまい、自分の技術や能力を磨くことができない。
その結果、見せ方やネタの質で補うばかりになってしまう。本質的に技術力がつかないのに、求められる期待だけ上がってしまって、とても辛い。
趣味で好きな技術を使って遊んでいた頃の純粋な気持ちはあまり残っていない。
世間は、労働環境のひどいブラック企業でのうつや自殺が問題になってるけど、うつは労働環境が恵まれていても起きる。
正直、こんな良い環境でうつになるとか、贅沢だなとか言われると思うけど、うつっていうのは、相対的なものじゃなく、どんな労働環境でも起きうる。
俺の場合は、大学の研究室の教授が話してくれた経験があったから、うつに対してちゃんと向き合うことができた。
その教授は、昔からちょっとうつになりがちなことがあったのだが、結構気軽に精神科や心療内科に相談に行っていた。
どうしても、精神科や診療内科へ相談に行くとなると、頭がおかしい奴みたいな印象があって行きづらいと思うんだが
こんな大学の教授になる成果を残してきた先生が、そんな体裁や体面を気にせず、ちょっと気分が悪いなと思ったら相談しに行くレベルで
やってきたと聞いて、ああ、そんな気張らなくてもいいんだな、と当時は思った。
だから、気軽に精神科に相談しに行ってたし、今回も「本当にムリ」ってなった時は、すぐ診断書を書いてくれた。
うつ状態の診断書ってすごいのな。会社の人事に持って行ったら、すぐに休職手続きを進めてくれた。あれを出されたらやっぱやばいのな。
増田のコメント欄にて、「CRISPR-Cas9っていう技術改革で最近医学発展したよ」ってのを見た。
俺医者なんだけど。
しかも、5年前にまさに遺伝子改変の研究してたんだけど(遺伝子組み換えガン細胞に、治療してみて効果判定する程度のお遊びレベルだが)。
この技術知らなかった。
PCRっていう方法で、遺伝子増幅させたりして、遺伝子いじったり、ノックアウトマウスっていう遺伝子欠損させたマウス使って実験したり。そういうことをやってたんだけど。(ちょうどそのころ、国際ノックアウトマウスプロジェクトっていうので、ノックアウトマウスを世界共有で利用できるようになったぞ!みたいなのがたぶんネイチャーにのって、わくわくしていたものだ)
おいおい!!!このCRISPR-Cas9って2013年から出だしたらしいけど、すごすぎねえか?
いやいや、俺が何時間もかけて、並列で遺伝子実験してたあの膨大な時間がいらなくなったってこと?
いやいや、ちょっともう技術的に古い話かもしれないけど、もうさあ。俺が生まれた時代なんて、30年前なんだけど。
「遺伝子が増幅できるようになったらしいぜ」っていうの聞いただけで、もう超絶未来感じてたんですね。
「遺伝子組み換えて、挿入したりして、新しい細胞とか作りたいです」っていったら、教授から「そういうのはうちよりもっとすごい研究所がすんげー頑張ってやってるところだからねえ、うちはアイディア勝負だからねえ」って感じだった。
それが、もう、高校生でもできるっていうのがCRISPR-Cas9ってやつらしいな!
いやーびっくりしたわ。
これって、ようするに、並列で遺伝子を組み替えたやつを何千パターンも作って、同時並行で実験できるんでしょ?
俺がやってたのなんて、だいたい、3パターンくらいの遺伝子変更の奴を、1日かけて治療して、で、治療がうまくいったら光るようにしてから、顕微鏡で光ったか確認。みたいなのを、1日かけてようやくだった。
びっくりした。
多分、俺が1年間でやった実験数を2,3日でやれるようになるんじゃねーのこれ。
しかも今はいい感じで人工知能発展してるし、人間よりはるかに効率よく遺伝子実験やるんだろうね。
いやいや。今日は凄いは。
IPSの時くらい腰抜かした。PCRの衝撃超えてすごいかもしれない。
びっくりした。
これは革命だわ。
考えていた研究内容が教授と食い違い、何度もダメ出しを受ける。
何度もダメ出しを受けるうちに、最初からうまく行く方法はどこにもなくただ無意味に苦しんでいるのではないかと感じるようになった。
自分の考えた内容に全く自信が持てず、試行錯誤さえ無駄のように思えてくる。
そうしているうちに時間は過ぎ、成果は上がらず、ますます嫌な気持ちになる。
週に一度くらい研究室に行く気分にならず家に閉じこもる日がある。これは数ヶ月前から続いている。
ぼんやりと、自分は本当は何をしたかったのだろうと考えることが多くなった。
だいたいは、意味などなく別に死んでもよいのではないか、と考えてしまう。
疲れた、なんでこんなことしているんだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20161017031727
老婆心ながら,おそらくSIer関係を目指しているだろう情報系?学生へのアドバイス
どの大学でも学生課は糞対応なので,カウンセラー通して学生課に学費免除なり,奨学金なり,対応を仰げ.
このままいくと研究室・ゼミ配属で積みそうなにおいするから,中退・途中就職(大学頼らない就職)の選択肢も考えておけ.
- http://dotinstall.com/ title: dotinstall]
- http://gacco.org/ title: gacco]
- https://schoo.jp/ title: schoo]
SIerに関係ないと思われるが,Web系への選択肢も拡がるしな.騙されたとおもってやっておけ.
最近だと技術文書をMarkdown で書く場合も多いし知っておいて損ないで.
ドットインストールにも授業がある.
基本情報持ってるなら知ってると思うが,
慣れておくといいで.ついでに言語はC++でもいいが,SIerならJava8勉強しておけ.
多分授業だけだと,実際のコード使わないと思うので,自分でインストールして使ってみるとええで.
MySQLインストールして使えるようにしておけ.基本コマンドだけええで.
後々データベースの資格(シルバー,ゴールド)にもつながるしな.
基本情報持ってるならある程度知ってると思うが,低レイヤのIP/TCP, UDPのソケット通信をCでもJavaでも書けるようにしておくとええで.
開発の話あるしね
ドットインストールにもある.
今までやったこと忘れるのもったいないし,他人に見せる意味でも技術ブログやっておけ.毎日更新とかいらんで.
Linuxインストールしたレベルで,やったことならなんでもええで.
技術者の就職面接で,(関係ない)バイトしてました,サークルやってましたじゃあんま意味ないからな.
録画して好きな時間観て見ておけ.
情報系の授業もある.
コード書くようになったら騙されたと思って読んどけ.
自分の中の名著にしておけ.
スカウト来たら,入らないにしても会ってみるとええで.
バイト大事なのはわかるが,大学の目的は,知識で選択肢拡げるというのもあるので,頑張って生きるんやで.
じゃあの.
VRが話題の中、20年前にVR題材で書かれていた本の主人公が、AI化されるらしい。
http://book-sp.kodansha.co.jp/saikawa/?utm_content=buffer8f434&utm_medium=social
これ間違ったら犀川先生が偏った思想を話しだしたりとか、腐男子になってしまったりするのではないだろうか。あの、犀川先生が。
しかしこれが上手く行けば、各々の好きなキャラクターがつぶやき登録botではなく、AIとして動き出すということになる。
人工知能というわけで、キャラクター性が活かせるのか、意味なしジョークが使えるのかが最大の課題になりそう。
そういえばAI=人工知能だけど、20年くらい前の作中では「構築知性」と呼ばれていたと記憶している。
そっちのほうがしっくりくる言葉だと、今でも思う。
私は、27歳の男性で、韓国の大学院で月10万くらいもらいながら博士課程の学生をしています。
年齢が高い人物を尊重する、という文化は日本だけでなく、世界各国にあるらしく、それがとても窮屈に感じます。
皆さんは、年齢が高いと尊敬される文化のほうが、仕事や日常生活を送る上で都合がいいですか?
研究室には韓国人(7人くらい?)、日本人(私1人)、ガーナ人(2人)、バングラディッシュ人(1人)がいます。全員男性。
ガーナ人、バングラディッシュ人、韓国人の人間関係があんまりうまくいかない。(私自身はみんなとうまくやれていると思っています)
①言語の問題(ガーナ人は英語が母国語レベル、韓国人は1人がtoeic Lv6くらい(らしい)、あとはかたこと)
②年長者に対する態度の文化的背景
一番大きな問題は、②と思われます。年長者を尊重する文化は果たして、メンバー全員に都合がいいのか?というのが疑問です。
人種も言語も違う人間でチーム組むのはまーじで難しいです。でも、創造的な仕事にはダイバーシティが必須らしいので、
成果が出ることを祈っています。
いわずもがな、英語でコミュニケーションが取れないため、ガーナ人は研究室で起こっていることが理解できない。
例)韓国人が(教授の指示のもと)新たな研究機材を購入。ところが、ガーナ人が前々から必要だと言っていたものは購入されない。
その理由がガーナ人には説明されない。(英語が喋れない韓国人が説明するのをめんどくさがる。結果無視した形になる)
これは一部、教授の問題でもある(ガーナ人に説明をしていない)。とはいえ、そんなこと位学生のチーム内でうまくやれ、とも思う。
韓国では年長者が敬われる傾向が強い。これは日本より強い。はっきり言って旧時代的すぎてついていけないレベル。
ただ、幸運なことに、外国人は、そのSeniority(年功序列?)の枠外にいる。
これは普段の会話の呼びかけ方にも象徴される。通常、韓国人は年長者を呼ぶ際に特別な敬称が使われる。
例えば、韓国人男性が自分より年長の男性を呼ぶときは”ひょん”(兄という意味らしい)を付ける。
ガーナ人2人は、英語を喋れる1人の韓国人を除いて、全員より年上。ただ、韓国人は誰一人敬称を付けない。
これは日本で外人にSmithくん、と呼び掛けたら変な感じがするのと同じ感覚だと思われる。
そのフラットな関係が、どうもガーナ人は気に食わない部分があるらしい。(呼び方の問題ではなく、接する態度の問題)
ガーナ人も、韓国ほどではないが、年長者は無条件で(?)敬われるものらしい(ガーナに行ったことがないのでわからない)
ただ、韓国人の学生は、外人への呼びかけ方に象徴されるように、そのような年長者に接するような態度はない。
上記の①のように、むしろ蔑ろにする傾向すらある。その辺のミスコミュニケーションで、お互いにうまくやれない。
ガーナ人は、なぜ年下の向こうから(例えつたない英語でも)事情を説明してこないのか、と思うし、韓国人は韓国に来てまで韓国語を
これは意外に思えるが、結構大事な要素に思われる。まず、豚肉を食べないと韓国で生きていくのは難しい。
ガーナ人の1人とバングラディッシュ人は豚肉を食べない(宗教的な理由で)。そのため、韓国人と豚肉を食べない外国人が、
一緒に食事をすることが難しい。そうすると、コミュニケーションをする機会がなく、親交が深まらない。
やはり、何か感覚を共有するというのはコミュニケーションの第一歩であると感じる(同じものをおいしいと感じる等)