はてなキーワード: 大阪駅とは
大阪駅前ヒルトンホテルウエスト前は公開空地になってて自由に通行できる。
広場というほどのスペースではないがそれなりに広い
数年前の夕方、二十歳くらいのスーツ姿の若者たちが追いかけっこしていた、分別ある大人は絶対やらない場所だが。
なにか楽しい事でもあったのだろうか4,5人の若者たちが走り回っていた。
一人の男が後ろを見ながら走り、振り返った瞬間柱に激突した、それは見事で漫画のようなクリーンヒット、柱GJで、俺の目の前だった
ええもんみせてもらった
当然だが俺は満面の笑みである
老人や子供にでも当たれば下手すりゃ殺してたわけで、ざまぁ案件でしかない
その場所はよく通る場所なんだけど、通るたびに思い出してクスってなる
どこの誰だか知らんし、もしかしたら後遺症が残ってたりするかもしれん
顔がひん曲がって仕事を失い、女にも振られて人生転落のきっかけになってるかもしれんが、
だが、一人のオジサンを何年も喜ばしてる
そんな功徳を残していることを彼に伝えたい
もうすぐ神楽坂ゆか生誕祭である。昭和のアイドルっぽさを感じさせる彼女は、もともとは「田村ゆかり」という名前でデビューしたと記憶している。
ところで、たまたま先日購入した1978年10月「ゴーサントオ」の時刻表復刻版がある。
https://jtbpublishing.co.jp/topics/CL000461好評の「時刻表復刻版」第6弾 特急時代の幕開け!「ごお・さん・とお」(1978年10月号)ダイヤ改正号 『時刻表復刻版 1978年10月号』 2022年5月23日(月)発売 | 株式会社JTBパブリッシング
https://www.amazon.co.jp/dp/4533149782/
この年は音楽番組「ザ・ベストテン」の放送開始の年でもあり、「レッツゴーヤング」「トップテン」「ヒットスタジオ」といった番組がゴールデンタイムを彩った時期でもある。キャンディーズが解散し、レコード大賞をピンクレディーが獲得し、山口百恵が活躍していた。
いま挙げたようなレジェンドともいうべき女性アイドルたちが全国ツアーを開催していたかどうかは定かではないが、もしもそんな昭和時代に我らが田村ゆかりの全国ツアーがあったなら、皆どういう感じで移動していたのだろうか…などと、時刻表を見ていてふと考えてしまったのが懐古鉄オタの性というもの。
そんなわけで「もしも昭和のトップアイドル・田村ゆかりが全国ツアーをやっていたら王国民はどうやって民族大移動したのだろうか?」というテーマこそ壮大ながら実際は老眼に抗って縮刷版の時刻表とにらめっこして連敗した駄文をそっと放流したいと思った所存。
今年もツアーはあったが、過去最大25公演を誇る2021年の*Airy-Fairy Twintail*の開催地からいくつか選んで当時の時刻表に沿った旅程を考えてみたい。
なお毎日運転ではない季節列車・臨時列車は極力排した。仕方ないね。
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当時はソニックシティはまだなく、大宮商工会館なる施設が同じ場所にあったらしい。1979年にはサザンオールスターズが公演しているらしいので、昭和のトップアイドルもひょっとしたらステージに立っていたかもしれない。
https://www.livefans.jp/venues/1204
この頃は上野東京ラインも湘南新宿ラインも、埼京線さえも存在しなかった。国電京浜東北線の103系か東北本線・高崎線の115系で到着した大宮駅の片隅には首都圏色の川越線気動車が、反対側には東武野田線の吊り掛け駆動車が見られたはずだ。
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北陸新幹線のないこの時代、東京から金沢に向かうメインルートは信越本線だった。
上野発916の特急「白山1号」に乗れば、長野経由でおよそ7時間後の1611には金沢駅に着き、前の年に落成したばかりの本多の森ホールにどうにか開演時刻ギリギリに間に合う計算だ。少し余裕を持ちたいなら上野819発の特急「はくたか1号」で1504金沢着。こちらは長岡経由である。
翌朝、今度は金沢から松本に向かう。筆者はAFTでは北陸新幹線に長野まで乗り、そこから特急「しなの」に乗り換えて松本に向かったが、この時代は乗り換えなしの列車がある。それが金沢949発、おそらくキハ58の、時刻表ピンクのページによれば堂々10両編成の急行列車。後ろ3両が松本行き急行「白馬」、中ほど4両は秋田止まりで前寄り5両は青森までロングランする急行「しらゆき」だ。間違わずに後寄り3両に乗れば、途中の糸魚川で青森・秋田行き「しらゆき」から切り離され、進行方向を変えて大糸線に入って1435松本着だから公演には余裕を持って臨むことができる。編成分割をする糸魚川では正午を挟んで8分停車するから、えび釜めしなど駅弁を買う余裕もあっただろう。
ただ、逆にいうとそれしか手段はない。ましてキハ58はいわゆる「直角椅子」のクロスシートでリクライニングも方向転換もできない。7時間近くも乗っていたらそれだけで相当疲れてしまう。
さらに松本公演が終わった日曜の夜。筆者はAFTのときは最終「しなの」で長野に出て一泊し、翌朝の北陸新幹線で出勤した。しかしこの時代なら松本発2056の普通列車新宿行きがある。423に新宿駅に着くから一度帰宅してシャワーを浴びて着替えて出勤する余裕は十分にある。ただしこれもまた「直角椅子」どころかおそらくセミクロスの115系だったろうから、少しでも居住性を求めたければ2359発の急行「アルプス18号」のグリーン車に乗れば良い。新宿着は500だから余裕を持って出勤できるのは言うまでもない(出勤した後のことは例によって保証できない)。
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新幹線はすでに博多まで開通していたし、熊本空港には全日空の3発ジェット・トライスターか東亜国内航空のDC-9が就航していたが、鉄道好きとしては1645東京発1058熊本着の西鹿児島行き「はやぶさ」か、1700東京発1123熊本着の「みずほ」を推したい。食堂車で夕食・朝食の2食をいただくのんびりとした旅である。
ただ、昨今の「サンライズ」などとは違って当時の寝台特急にはシャワー室はなかった。「はやぶさ」「みずほ」には個室もなければ女性専用車もなかったから、今や全国民の1/4に迫らんとする女性王国民の遠征には不向きだったかもしれない。まして当時の長距離列車は喫煙可能が当たり前で各ボックスシートの窓際に灰皿が標準装備されていた。
しかしもう少し前の1970年頃に青春時代を過ごした我が母親によれば、当時のスキー列車はいつも満席で男女問わず通路やデッキに新聞紙を敷いて座り込んだというから、たくましい遠征女子も実は相当数いたかもしれない。
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東北・上越どちらも新幹線はこの時代は絶賛工事中。開通は4年後の1982年だ。しかし上越線には「とき」、東北本線には「ひばり」というエル特急が毎時1本ペースで運転されていたから往路はどうにでもなる。
新潟の帰路、私は最終新幹線に飛び乗れたが、この当時なら2300新潟発の急行「佐渡8号」で506上野着か、横になりたければ2312の秋田から来る急行「天の川」で555上野着。新津まで普通列車で出ておいて040発の急行「鳥海」で642上野着でもいい。
仙台からは公演後だと2320発の急行「新星」がおすすめだ。仙台駅には早々と入線しており2130から発車前の寝台を利用できるのが嬉しい。上野到着は536だから一度帰って身支度を整える余裕もありそうだ。このほか、仙台2257→上野519の青森発常磐線経由の急行「十和田2号」や、座席車なら仙台2336→上野542の急行「いわて4号」も便利であろう。なお急行「十和田」はこのあとも4号・6号が仙台に停車するし、特急「ゆうづる」2号・4号も利用できる。
そうして考えてみると、まだまだ高速道路網が未熟だったこの頃、寝ている間に移動できる安価な手段は鉄道しかなかったのだということを改めて感じさせられる。1970年代でも長距離バスは運行されていたが、都内と新潟が高速道路でつながったのは1985年、仙台は87年。歴史でいえば線路の方がはるかに長い。
なおこの当時、上野→仙台が特急「ひばり」で4時間以上かかっていたので、羽田空港から仙台空港への航空便も全日空により1日4往復運航されていた。
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ならばその先はどうか? 札幌公演に行くにはこの当時でも飛行機が当たり前の選択になってきていた。筆者は81年の夏に北海道の親戚を訪ねる旅に出たが、祖父母に連れられて上野駅から青函連絡船を経て親戚の住む苫小牧まで20時間ぐらいかかったように記憶している。まだ青函トンネルは開通していなかった。
それでは札幌公演に陸路・海路で挑むとすればどうなったであろうか?余裕を持って開演に間に合わせるならこのルートである。
2140上野[特急ゆうづる5号]705青森or2221上野[特急はくつる]711青森
1140函館[特急おおぞら5号釧路行き]1550札幌or1145函館[特急おおとり網走行き]1558札幌
急行自由席に乗れる周遊券を利用するなら上野1908→青森617の「八甲田」や函館1150→札幌1630の稚内行き「宗谷」も良い選択肢であろう。
やはり北海道は遠い。時間に余裕のない向きは素直に飛行機を利用すべきであろうが、千歳空港と国鉄の駅が接続されるのは2年後の1980年のこと。この時刻表の時点では札幌駅前からバスに乗るのが普通の手段であった。
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そして福島公演はエクストリーム出勤の宝庫であった。終演後の福島駅発上野行きを見てみると、
2350 急行「あづま4号」437
043 急行「新星」536(寝台あり)
056 急行「いわて4号」542
このほかにも夏休みシーズンだけに季節列車・臨時列車も運転されていたと思われるので、かなりの席数が利用可能であったと推察される。
座席車の特急はいわゆる「直角椅子」であるが、寝台車連結の急行列車では短時間でも横になって移動できる利点がある。これは現代の夜行高速バスでも(実際に運行されてはいるが)まだまだ一般的ではない。バスは鉄道車両よりも小さくて何両も連ねて運転されるわけもないから、寝台は不可能ではなくても困難が多いのであろう。
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国鉄監修時刻表を見る限りでは、東名阪のバスは国鉄ハイウェイバスしか掲載されていない。関西公演からの帰り道は2240大阪駅→815東京駅の「ドリーム2号」か2200京都駅→643東京駅の「ドリーム4号」しか見当たらない。
鉄道ならば京都2237の特急「出雲2号」、同015発の「出雲4号」なら700には、大阪2358の特急「瀬戸」や同005の特急「あさかぜ2号」でも730には東京駅に着けるから、エクストリーム出勤勢の強い味方になり得たと思われる。なんなら関西勢と感想を語り合いつつ酌み交わす余裕は十分にある。しかもこれらは当然寝台車であるから、予約さえ取れれば会場内外で充実至福のひと時を過ごしたのちに千鳥足でベッドに潜り込んで目覚めれば東京駅も間近に迫り、どうかすればまだ夢見心地のまま出勤せざるを得ないベストコンディションを通り越した邪悪な何かを感じずにはいられない有様である。
なぜ新幹線ではなく在来線を推すのかと問われれば、その当時の東京行き最終「ひかり116号」は新大阪2034発であるから、フェスティバルホール(当時は改築前)から終演後直ちに最寄りの四つ橋線肥後橋駅に走ったとしてもけっこうタイトな時刻設定であることが第一に挙げられる。梅田の地下に慣れない関東勢が四つ橋線西梅田を出て乗り換えに手間取ると、最終の新幹線は慈悲もなく出発してしまう…それは正直恐ろしい。
筆者は鉄道好きで鈍行やら夜行やら多少は乗ってきた経験とノスタルジーがあるので満更でもない旅行だなとほくそ笑みつつこの文章を書きつけてはいるが、冷静に考えてみれば当時は今よりずっと不便で居住環境は悪かったように思う。なりふり構わぬ男性、特に体力に自信のある若者にはなんということはない行程だったと思うが、女性にはあまり優しくない環境だったし、筆者も若い頃は大きな鞄を抱えて夜行連泊するような旅をしてきたけれど今この歳になってふたたび体験するのは懐古趣味を差し引いてもためらいが多めに残る。
とはいえ不便で時間のかかる旅を楽しみたい向きが今もなお大勢いるのは承知している。そんな黒鉄の人々に机上タイムトラベルを提供できたら幸いかなと。ただそれだけ。
本文に田村ゆかりは出てこずに時刻表を読み解くだけだったが、10月に横浜で公演があるのでよければバスや飛行機よりも鉄道を乗り継いで参加して紀行文と公演感想文を読ませてくだされば筆者はDouble Fascinationになれる。
それはともかくできる限り多くの客席を埋めて盛況の公演としたいので、関心のある方は下記から申し込みいただければ幸甚に存じます。
仁藤氏の発言に端を発した騒動は、運営が火の付いた設定を削除、関係が曖昧な後援団体の看板も下ろし、スポーツ文化ツーリズムアワードの受賞も辞退、その後は何事もなかったように平常運転を続けている。仁藤氏も当初から米山議員との諍いの話題そらしの感があったが、早々にフェードアウトしていた。
温泉むすめの設定は、セクシャルな趣味や未成年であることを匂わせる学年表記が消え、30歳で見えなくなる設定も消えた。今回の騒動以前にも不適切な描写のいくつかが削られ、修正されることは何度もあったらしいが、傍から見て温泉むすめはどんどん健全な方向へ変化していっているようだ。喜ばしいことだと思う。
温泉むすめの飲酒行為やエロ趣味は公式サイトを見なきゃ分からないんで、今回仁藤氏がサイトを覗きに行くまではコアなオタク以外誰も知らない設定だったりした。で、飲酒の言い訳に使われている「温泉むすめは神さまです」という設定も公式サイトを見なきゃ分からないんでこれも誰も知らない設定だったりした。
温泉むすめは容姿も能力も人間と何ら変わりないので、姿を見ただけでは神さまと判別することはできない(龍神温泉の龍神晴除く)。Tシャツ姿のラブやんを見ても愛のキューピッドだとは分からないし、スーツ姿の大川隆法を見ても地球神だとは分からないことと同じだ。
オタクが喜んでくれるだろうと作った神さまとか学校の設定。オタクが喜んでくれるだろうと作った温泉むすめのプロフィール。ゲームアプリとか温泉むすめ声優のライブみたいな2次元、2.5次元の中にいた頃はオタクが喜んでくれるだけで終わっていた表現が、温泉地とコラボして3次元に出てくると仁藤氏みたいな人に見つかって吊るしあげられることになる。
まあ、温泉観光協会や自治体の公認を貰って観光庁にも後援してもらおうっていうのなら、遅かれ早かれオタクノリは見直す必要はあった。
私は仁藤氏の温泉むすめの絵柄についての抗議は頷けないけれど、設定への批判は十分理解できる。そして(温泉むすめのコアファンとは違う層だとは思うけど)、営利目的で温泉むすめのセクシャル設定を残せと主張していた一部オタク論客の意見に全く同意しない。まあ、フェミニスト側の人間だよね。
ここにフェミニストたる私が温泉むすめの思い出と温泉むすめコンテンツに願うことを書く。
書いたのはもうしばらく前だけど、騒動の際中には放り込みたくなかったんでそろそろ世間が忘れた今放流する。
日記部分が長いので三分割くらいにする。
私は温泉むすめのゲームアプリは一度も触ったことがなく、温泉むすめ声優のイベントにも参加したことはない。ただ、ここ二年ほどの間に温泉むすめの等身大パネルやキャラグッズを目当てに全国の温泉地30か所以上を巡った。
私は元々温泉巡りが趣味で年に50か所ほどの温泉を訪れている。毎週温泉に出かけている訳じゃなく、一日で複数の温泉地をはしごするのでこの数になる。有名な古湯から山中の秘湯、天然温泉利用の銭湯まで種類は問わない。一人旅なので温泉旅館には泊まらない。だいたい車で移動するのでアルコールも摂らない。朝風呂をキメて走り、外湯巡りをして道の駅で土地の名物を食べまた走り、寺社や景勝地を観光し外湯巡りをしてビジネスホテルに泊まる。これを繰り返す。
また私はアニメの聖地巡礼も趣味にしている。今年巡礼に出かけた作品は、「ジョゼと虎と魚たち」「魔女見習いをさがして」「君は彼方」「竜とそばかすの姫」「サイダーのように言葉が湧き上がる」「劇場編集版かくしごと」「岬のマヨイガ」「きんいろモザイクThankyou!」「神在月のこども」などだ。
「EUREKA」を見て檜原村にも行きたくなっているし、「フラ・フラダンス」も面白かったからいわきにもまた行くことになるだろう。
アニメで描かれた景色の写真を撮り、アニメのポスターがあれば写真を撮り、ついでに立ち寄った温泉地にゆるキャラがいればこれまた写真に撮る。志摩リン、なでしこの訪れた温泉は全てトレースした。それでもこれまで訪れた温泉地で偶然温泉むすめに出会うという経験はなかった。
初めて温泉むすめの存在を知ったのはゲームアプリ「駅メモ!」と「温泉むすめ ゆのはなこれくしょん」のコラボイベント「日本全国温泉駅巡り!(2019年5月24日開始)」だった。
駅メモ!ではアニメやゲームとコラボするスタンプラリー型イベントが何度か開催されており、チェックポイントの駅に行けばご当地アニメのパネルにも会えた。特に「鉄道むすめ」とのコラボは相性抜群で、駅メモ!アプリで駅にチェックイン、改札を出て鉄道むすめのパネルの写真を撮り、トミーテック発行のスタンプ帳に鉄道むすめのスタンプ押印と、三倍楽しむことが出来た。
「日本全国温泉駅巡り!」では、温泉地の最寄り駅にチェックインするとアイテムかユニットキャラを貰える。その内7駅では温泉むすめのユニット草津結衣奈、鬼怒川日向、熱海初夏、黒川姫楽、伊香保葉凪、いわきあろは、大手町梨稟が貰える。熱海や鬼怒川に行くだけで、一回500円のガチャを回さなくてもユニットが確定で貰えるのだ。
鉄道むすめコラボでは全国32か所の駅にチェックインしても貰えるユニットは立石あやめひとりだけだったのに、温泉むすめコラボの報酬は破格だ。行くしかない。
こうして7人の温泉むすめに会いに行く旅は2019年5月にスタートした。
最初に訪れたのは阿蘇。駅にチェックインすればユニット黒川姫楽が貰える。ただ、阿蘇駅はあくまで最寄り駅というだけで黒川温泉のある小国町は阿蘇駅からは離れた場所にある。そのせいか駅には黒川姫楽のパネルなどは見当たらなかった。代わりに熊本ゆかりの尾田栄一郎にちなんだ黄金のウソップ像が立っている。
その後、黒川温泉に向かい日帰り入湯できる旅館で温泉を楽しむ。黒川温泉では入湯手形を買えば三か所の外湯が利用できるのだが、すでに日は落ちていたので利用するのは一軒だけにした。黒川温泉は過去に何度も利用しているし、今日は大分市のホテルまで車を飛ばすのだ。
記念にキャラパネルを撮影しておこうと、入湯させて貰った旅館でスマホ画面の黒川姫楽を見せ「このキャラご存じですか?」と尋ねたが「分からない」との返事。まあ、聖地巡礼先で地元民がご当地キャラを知らないなんてことはこれまでいくらでもあった。景観に配慮して看板もほとんど見られない黒川温泉でパネルが路上に設置されている訳でもないだろうし。
観光案内所も閉まっている時間なので、パネル撮影は諦めることにした。
この空振りは草津でも続いた。長野原草津口駅で、草津結衣奈について尋ねてみたがここでも知らないという。草津温泉もJRの駅からは離れているし仕方ないのかもしれないが、これはもう地元で聞いても駄目だと、Google検索してパネルが展示されているという湯畑の玉屋酒店を訪ねた。
玉屋には声優のサイン入り草津結衣奈パネルが飾られており、缶バッチ、キーホルダー、お守りなどのグッズも販売されている。よく見る光景にやっと出会えた。聞くとどうやらこの玉屋と草津スカイランドホテルでしか草津結衣奈には会えないらしい。何か扱いが小さい。
調べると、温泉地から公認を貰っている温泉むすめは4人しかおらず(2019年7月時点)、黒川姫楽も草津結衣奈も温泉の公認キャラではなく、名乗りを上げた有志が温泉むすめを宣伝してくれている状態のようだった。ただ草津では温泉むすめのイベントは何度も開催されているらしい。どうやらアプリの方には熱心なファンが付いているらしいが地元との温度差は気になるところだ。
それでもパネルに会えただけで嬉しい。玉屋でキーホルダーを買い、御座之湯で温泉に浸かり、温泉りらっくまのぬいぐるみを買って帰路についた。
何か最初に想像していたものと違う。公式サイトのNEWSページを読んでみると、どうやらゲームアプリも本体ではなく、温泉むすめを演じる声優の楽曲販売とライブイベントが太い柱というか温泉むすめという存在のほぼ全てだった。
日本の温泉地の公認はまだ有馬温泉と道後温泉しかない状態なのに楽曲のCDとドラマCDは10枚以上リリースされ、ライブやトークショーは50回以上開催されている。しかも羽田空港で15回もイベントをやっているとか、こんなのもう空港むすめじゃないか。
空港イベントの盛況を材料に温泉地にコラボを売り込んでいる最中らしく、この程度の実績なのに観光庁の後援も取り付けたようだ。運営企業の営業力には見るものがある。
これまで温泉地で見たことがなかった訳だ。これは温泉地の名前のアイドルが羽田空港でライブをするコンテンツで、温泉むすめファンは温泉好きでも何でもない東京の声優オタクだった。
でもイベントで草津温泉までは何度も来るその情熱は凄い。まあ、草津結衣奈役の高田憂希は可愛いもんな。「NEWGAME!」のあおっちだもんな。
気を取り直してパネルを探す旅を続ける。伊香保温泉、いわき湯本温泉は観光案内所に、熱海は温泉ではなくレストランにパネルが置かれていた。鬼怒川温泉も観光案内所にパネルがあったようだが夜遅くに着いたため会えなかった。
どこでも温泉むすめファンは熱心に足を運んでくれているようで、パネルの評判は良かった。
ただ、大手町温泉だけはキャラパネルどころか入れそうな温泉すら見当たらなかった。なぜこんな所にチェックインスポットを作ったのか謎だ。
7温泉地を巡ってユニットも手に入れ、温泉むすめとはかばかりと心得、アプリを仕舞おうとした頃、以前より温泉地に公認されていた有馬温泉の有馬輪花、有馬楓花姉妹が駅メモ!イベントに追加参入することになり状況は変わった。
地元に近いのであまり頻繁に来ることもなかった有馬温泉駅を3年ぶりに訪れてみると、改札前にいきなり有馬姉妹のパネルが現れた。観光案内所にもスカイマークの制服を着た有馬楓花のパネルが設置されており、街の至る所にはポスター。金の湯、銀の湯を過ぎて、デイユース目的のかんぽの宿有馬にたどり着くとここにも姉妹のパネル。炭酸煎餅の三ツ森本店では有馬姉妹パッケージの炭酸煎餅も売られている。以前から萌えポスターのようなものはちらほら見かけたけれど、今はその大半が有馬姉妹に入れ替わっている。
有馬輪花は赤い瞳に赤いボブヘア、黒のセーラー服、キャラ原案はMika Pikazoさん、有馬楓花はグレーの瞳にグレーのツインテール、グレーのセーラー服、キャラ原案はさくら小春さん。姉妹なのにびっくりするほど似てない。めっちゃ適当。だけど可愛いから気にしない。
店員さんに聞くと過去には温泉むすめの声優が来る販売イベントなども行われ、温泉むすめと神鉄や北神急行と連携したコラボ企画もあり、そのたび全国からファンが訪ねて来るのだという。神戸新聞にも盛況が取り上げられていたようだ。
大阪駅から一時間で来られる有馬温泉は草津温泉へ行くより遥かに楽だし、声優が来るなら声優オタクもそりゃ来るわ。有馬輪花の声優は本宮佳奈、フェネックだ。有馬楓花の声優は桑原由気、メイドラゴントールだ。そりゃ来るわ。炭酸煎餅買いに来るわ。
聖地商売などしなくても既に圧倒的な知名度を持つ有馬温泉が、有馬姉妹というアイコンを手に入れ、団体旅行やシルバー世代だけでない客層を貪欲に取り込もうとしている。
元々有馬は豪華なホテルや旅館が並ぶ賑やかな場所だし、この街は常に新しいものを受け入れて、いつまでも明るく楽しく変化し続けるのだろう。
温泉むすめラリー熱が加速する。その後、さらに駅メモ!イベントに追加された道後泉海、秋保那菜子、箱根彩耶、奏・バーデン・由布院、下呂美月、登別綾瀬を手に入れる時は、事前に温泉むすめパネルの展示場所やグッズ販売所を確認し、温泉むすめファンのブログなども参考にしながら出かけた。登別や由布院では姿を見ることはできなかったが、箱根のカフェや道後温泉、秋保温泉の観光案内所ではグッズも買うことが出来た。
結局駅メモ!のゲームイベント期間中に、登別温泉、浅虫温泉、鳴子温泉、秋保温泉、いわき湯本温泉、鬼怒川温泉、草津温泉、伊香保温泉、箱根湯本温泉、宇奈月温泉、和倉温泉、芦原温泉、石和温泉、下呂温泉、熱海温泉、榊原温泉、おごと温泉、有馬温泉、城崎温泉、玉造温泉、温泉津、道後温泉、武雄温泉、黒川温泉、人吉温泉、由布院を訪れることになった。
並べると何か凄そうだけど、駅メモ!のランカー勢はこの上にまだ2000人くらいいる。
そして、「温泉むすめ ゆのはなこれくしょん」は駅メモ!コラボのイベント期間終了を待たずにサービスを終了した。温泉むすめファンはゲームには課金してくれなかった。
つづく
まず前提として、事情も知らぬ一般人に暴言吐くような集団は趣味趣向がどんなものであれ批判されるべきである。
それを含めても「鉄オタの民度が近年から急激に悪化したわけではない」ことが抜けてる人間が多い印象。
鉄オタ側からすればもう彼らの改善は見込めないので、会社側からの規制なり逮捕なりでさっさと排除してくれってのが多数派。
関西最強と称される鉄オタ集団。ネタがある日にJR大阪駅の11番線に鉄が群がることが多いことが語源となっている。
RSEC、鉄道友の会と並び証される撮り鉄集団。軍団員は11歳~20歳が多い。
お - 2ちゃんねる鉄道板用語辞典 - atwiki(アットウィキ)
まだツイッターもスマホも存在してなかったころにこれである。むしろよく当時のマスメディアの標的にならなかったのが奇跡ともいえよう。
さらに遡れば線路乱入は当たり前、架線柱によじ登って撮影したり、車両基地に侵入した挙句感電してお陀仏になったりした例も実在する。
有名なレイルライターでも、部品盗難や不正乗車経験を公言した人物は存在している。
しかしソースは当時の鉄道趣味誌になってしまうので、非オタがそれらを目にすることは存在しない(当時の写真があってもソースはオタクなので取り合ってもらえない)。
まとめサイトが氷山の一角をあざ笑ってたが、本当に氷山の一角なのである。
ちなみに大宮レイプ軍団は動画が残っている。ぜひこちらも参照の元。
こういった土壌の上にヤンキーに憧れるタイプが入り込んで害悪行為をかっこいいと思ってやってしまう。
さらにはインターネットの普及で手軽に拡散でき、逆に同業間で晒すこともできる状況となり、害悪行為が広めやすい、いわば蟲毒になってしまったのではないか。
それらを無視して発達障害が云々言ってる連中が多いのは、私見となるが「アニオタは鉄オタ嫌い」ってのが根底にあるのでは。
同族嫌悪なのか、宮崎勤の際に差別されなかったからなのか、ヒキニートでも見下せるからなのかは知らないが、とにかくアニオタは鉄オタが嫌いなイメージ。
今まで書き溜めてた夢のまとめ
使えそうだったら使って
ウクレレが出てきた
◆お姉さん……?と妹?
デビィ夫人が指揮を撮ってる
◆植物園
◆セーラー服、晴雨の豪雨、女の子3人で百合百合しながら傘から飛び出て公園の水溜りをひたすら踏んだ
◆この旅行が終わったら自殺する。友人が言った。目の前で自殺が見れる、しかも友人のが見れるなんて喜んでワクワクして旅行中ずっと「死ぬ前にしとかなくちゃね」とか「これから死ぬから〜」みたいな話を何度もして、気持ちが高まって、嬉しくて。遂にその日が近づいてきて、私はロープを買った。友人の前でそのロープを私が結んでたら「やっぱり気持ちが楽になったから、自殺するのやめた。」と言い出した。なんでどうして、あんなに自殺しようとしてたじゃん。なんでなんでなんで、興ざめ、もう何もしたくない。そんな気持ちに包まれてじゃあもう私が自殺すると言って、ロープに首をかけた。
◆母親が自殺するねと家を出ていってその後に自殺するなら私はこう言えばよかったああ言えばよかったと後悔して涙が止まらなくてこれは夢だ夢だ夢だって思ったら目が覚めた
- 津山-京都 すべて (津山発0650, 0740, 1200, 1710) 廃止 (路線休止)
- 社-大阪 (社発1142, 1342, 1912)が廃止
- 津山-USJ 便 すべて大阪駅までに短縮 (津山発0600特急, 0630急行, 0730急行(平日)/特急(土日祝))
-- 大阪行き最終便が1930 → 1830 に前倒し
- 西脇発1227 急行 大阪行き → 発1157に変更 30分前倒し
- 津山発1700 特急 大阪行き → 発1730に変更 30分後倒し
- 西脇発1827 急行 大阪行き → 発1857に変更 30分後倒し
- 西脇発2027 急行 大阪行き → 発2057に変更 30分後倒し
- 京都-津山 すべて (京都発0920, 1520, 1640, 1920) 廃止 (路線休止)
- 大阪-社 (大阪発0830, 1100, 1600) 廃止
-- 津山行き最終便が 2100 → 2000 に前倒し
- 大阪発1730 急行 アスティア加西行き → 社行き に変更
- 大阪発1030 急行 津山行き → 発1100に変更 30分後倒し
もう忘れた人もいるかもしれないが2年前大型台風が関西を襲った。
人は忘れるものだ。被害としては同年の地震よりひどかったのに。
信号が止まることがここまでデスシティ化させるとは思わなかった。
近辺の信号は一気に新しいものになったが、あの日を忘れられない。
ゆがんだり落ちたり傾いた信号機、もちろん電気はついてない。二週間三週間エアコンがつけられなかった家も多い。
台風のあと小さな交通事故が多発していた。もちろんみんな気を付けてたわけだが交差点ではどうしても仕方なかったのかもしれない。
電気が止まっていたので、充電が解放された施設ではみな地べたに座って充電待ちをしていた。
町中がゴミだらけで看板が落ちたり公園の木の多くが折れていた。
もうこの辺はしょうがないかもしれないので、9月一週目の週末伊勢湾台風クラスが来る予報に合わせて対応策を模索する。
懐中電灯が必要だ。スマホで代用するな。スマホの充電は命だ。バッテリーを持っておけ。
あの時、断水地域もあった。近場の災害時給水栓を用意しておこう。ポリタンクも必要だ。
ベランダにはなにも置くな。物干しざおが窓ガラスを破ってくるのは勿論、薄いものは飛んで行ってしまえば良い、ではない。飛んで行った先で電柱にぶつかり関電がサイレンをならすのを何か所も見た。それも2週間くらい続いた。
瓦屋根は落ちるものだ。落ちてすぐ片付けられないなら、外を歩く人が踏まないように黄色と黒のテープや赤いコーンなどでいいから目印を置こう。
家がもろいと感じる人は避難所へ。
プレハブは飛ぶ。近づくな。
窓の側に居るな。関西ではとくに雨戸というものを設置している家が少ない。カーテンでは生ぬるい。テープじゃ意味が無い。新聞紙も生ぬるい。段ボールを貼っておけ。できるだけ奥の部屋に居ろ。
時期的に少ないと思うが外国人への通達はなんとしてでも早めにしろ。大阪駅で寝泊まりする人が多かった。そのため駅員が大変そうだった。
自転車は外に出すなら寝かせておけ。ビルとビルの間で起きた局地的小さな竜巻が、自転車置き場ごと巻き上げるのが映像に残っている。
関空には行くな。行くな。
車の中で実況中継をするな。次は死ぬぞ。
水害は大雨と高潮だけではない。大きな川の近くに住んでいる人は、ビル竜巻で飛んでくる川の水に注意だ。前回で分かってるはずだ。
水を貯めたポリ袋を玄関においておけ。防水対策にも、非常用の水にもなる。
スーパーの供給が不安定になった。最低限必要なものを用意しておこう。
外に置く車は悲惨なことになる。防水対策&窓ガラスの対策を。できるだけ頑丈に、思ったよりも頑丈でいいから。
物置はキャンプテントのようにワイヤーで固定しろ。絶対倒れる。
1日半ほど凌げばいい。なんとしてでも生き残るための準備をしろ。
直前ではだめだ。今から、準備しよう。
https://www.nhk.or.jp/hibaku-blog/timeline/434538.html
そう言う人の意見も一理あるけど、肝心なことが抜けてると思う。
NHKは公共放送として一定の権威があるってことを忘れとるんやなかろうか。
信頼されとる。
NHKの発信した情報は、ドキュメンタリーでもツイッターでも、そこそこ信頼のおけるソースとして扱われる。
NHKのツイート内容を引用して「ほらコレが証拠や」ってできる程度には力がある。
<朝鮮人だ!! 大阪駅で戦勝国となった朝鮮人の群衆が、列車に乗り込んでくる!>
当時の人間の生な感想として、こういう目線や感想を抱くのは不思議じゃない。
問題は、NHKの発信する情報がこれだけで終わっとることやな。
「狂暴な朝鮮人を見た」という証言がNHKという信頼できるソースから発信され、受け手に摂取される一方、
それが偏見だという情報にアクセスする手段が用意されていない。
NHKのこの態度は言い換えると
「これが本当かは気になる方は自分で調べてやー。ワシは当時の少年のインタビューをそのまま発信しただけやから後は知らんけど。」
って言ってるのに等しい。
先も言ったようにNHKは一般の人々よりもはるかに信頼されていて権威がある。
その権威がこんな態度を取るとどうなるか?
それは今ツイッターで起きてる混乱を見ればわかる。
女性用風俗に行ってきた、というレポなんてインターネットを探せば溢れかえっているとは思うが、なぜか大体写真通りの死ぬほどイケメンが来て、いつもよりめちゃくちゃ感じて、楽しかった、ってストーリーが多い。
でも多分そんなことばっかりじゃないと思う。
というわけで、今日私が女性用風俗に行ってきたありのままのレポートを書いていきます。
まず私のスペック?
・20代
・彼氏は1人いた
・処女
・クリトリスでイける
・イッても声どころか息も漏れない
正直、男が好きなのかも怪しい。
だからといって女が好きというわけでもない気がする。
アセクシャルか?と思ったこともあるけど、性欲は女性用風俗に行こうと思い立つくらいにはそれなり。
①予約
何回か予約しようとしてやめるというのを繰り返していたが、今日ふとサイトを見ると好みの顔の人がちょうど時間的に空いていたので予約を入れた。
1番短い70分コースを選んだら、待ち合わせ不可だったので先にラブホテルで待つことに。
事前にホテルでシャワーを浴びていいか聞いた。問題ないらしい。(結局到着がギリギリで浴びれなかった)
ホテルに何分前に着いた方が良いかも聞いた。10分前くらいには部屋番号を連絡して欲しいと言われた。(ギリギリに着いたのでry)
とりあえず道に迷って到着が遅れる。
タッチパネルが思いの外デカくて、大阪駅の電光掲示板並みのサイズがある。なんかオシャレ。1番安い部屋を選ぶ。
エレベーターで上がり、部屋に入って1分後くらいに指名した人が来た。部屋の開け方が分からなくて混乱する。
ロビーに電話して「もう1人来たので開けてもらって良いですか?」と言ったら、すぐ開けてもらえた。
そこは誰か教えて欲しかった。
③対面
私はジャニ系の顔が好きで、とにかく目が大きくて可愛い感じの人を選んだ。Twitterをやっていて顔写真が普通に見れたので、それを参考に選んだ。
実際会ってみると、思いの外痩せている、それは別に問題ない。むしろ痩せている方が好きだから。
というわけで、総合印象は窪田正孝と関ジュの藤原丈一郎って人を足して2で割って10引いた感じ。
いや、多分悪くないんだと思う。ただ私はもっとツルツルしてて可愛い感じの子を予想してたんだ。ごめん。
④施術前
お茶をくれた。死ぬほど会話が弾まない。もうちょっと喋ってくれるもんじゃないのか?
雰囲気は疲れた窪田くんといった感じなので、ここから彼のことを窪田くんと呼ぶ。
窪田くんは100枚ほど束ねてバインダーに挟まれたカウンセリングシートを几帳面に整え、私の方に向けながら器用に丸をつけていく。
ちなみに前の人のカウンセリングシートが1番上に残っていた。
ここでキスが苦手なことを伝える。
ということを正直に伝えればよかったのだが、微妙に濁したせいで手をつなぎながら言葉攻めのようなことをされる。今じゃない。ごめん。
どうやら私とのカウンセリングが微妙な空気になったことに気づいたらしく、残りの設問は早めに切り上げてくれた。ごめんね。疲れた窪田くんは若干空回りが見えるものの、基本的には優しい。
そして支払いを終えて、シャワーへ。
「一緒に入る?入ってくる?」と聞かれてビックリして「入ってくる」と答えてしまった。だって色々洗わないといけないし。
ラブホの風呂場って脱衣所ないんですね。こんなことなら一緒に入った方が脱ぐタイミング困らなかったのにと少し後悔した。
私が出ると、窪田くんは何やらオイルとかが入っているポーチを開けて精力剤的な何かを持って洗面所に向かった。セックスしないのに大変だね。
3分ほどでバスローブを着た窪田くんが戻ってきて、仰向けに寝るように言われた。
⑤施術
めちゃくちゃ細く見えたけど、思ったよりもガタイは良い。174cmとプロフィールには書いていて、私がヒールを履いて175cmで少し小さいくらいだったので、恐らく172cmとかかな?
それでも私の実際の身長よりは4cm高いので、そんなもんなのかもしれない。
なんというか、上から見ると窪田くんが消えて藤原丈一郎になることが気になってしょうがない。
キスはやっぱり楽しくない。ていうか口周りに他人の唾液つけられるの気持ち悪い。これは多分どんなにイケメンであってもだと思う。
その後耳を舐められたが、くすぐったいものの快感はない。でも嫌いじゃない。わりとすぐに切り上げられた。
すごい、本当にやるんだ、と妙に冷静。
左側をはだけられて、乳首の周りを触られたり舐められたり、これはわりと気持ちいい。早く触って欲しいってなる。
で、しばらくして乳首を吸われた。
ごめん、気づかなかった。
なんなら乳首の周りの方がまだ敏感。
「可愛い」と何度か言ってくれたが、どう反応していいか全く分からない。セックス中に「可愛い」と言われた時の反応の正解って何?
ラブホの天井は壁と同じ柄で、なんか火災報知器とか、ちっちゃいライトとか、色々付いてる。
もちろん声は出ない。どう反応すればいいのか分からない。
途中で「声我慢してるの?出ないの?」と聞かれた。「出ない」と素直に答えた。声が出ないタイプだと気づいてくれたのは嬉しかった。
しばらくして指が下に進む。
しばらくして指は内側に進み、やけに同じ場所を触ってるなぁと思ったらクリトリスだった。
ていうか乳首にもクリトリスにも気づかない私、どうなってるんだろう?
途中動きを速くしてくれたあたりで、軽〜くイった気もした。マジで軽い。気持ちよさが0というわけではないけど、3/100くらい。
その後はなんか痛かった。
その後クンニが始まった。
「めっちゃ舐めてるなぁ」って思った。
足開いてるの辛くなってきた。ごめん。
気持ちよくないわけではない。ただ気持ちいいわけでもない。虚無。
この時間が結構長かった気がするけど、これ以上書くことがないので飛ばす。
いよいよ指を入れられる。音的に思ったより濡れてるようだ。極めて冷静。
元彼と未遂になったことがあったけど、あの時も「濡れてる」と言われた。でも全然気持ちよくなかった。
窪田くんは「濡れてる」と得意な顔で言ってこなかったのが、ありがたかった。多分プロなので私があまり気持ちよくなっていないことに気づいている。
「2本は痛い?」と聞かれて実際そうだったので頷いた。
1本入ってくる。「痛くない?」と何回も確認されたが、全然痛くない。だってタンポンと変わんねえし。
なんなら入ってることが分からない。
そのまましばらく動かされながらクリトリスを舐められた。舌疲れそう。
なんかイけそうな気がする、みたいなタイミングもあったけど、無理だった。
ていうか皮剥かれると痛くてそれどころではない。
しばらくして何か変化が必要だと思ったのか、指2本の挑戦が始まった。
最初は痛くない。でも途中でなんかビリって痛みが来た。
「痛い?」と聞かれて頷く。「1本にしとこっか」と言われて、タイマーが鳴るまでこの時間が続いた。
⑥解散まで
70分はあっという間だった。
ハグされながら「イけなかった?ほんとはイッてた?」って聞かれたので、素直にダメだったと答えた。
最初の「声我慢してるの?出ないの?」の時もそうだったけど、2択の答えを先に与えてくれてることで、雰囲気のままYESと言ってしまわないようにしてくれてる。
というわけで、一緒にシャワーを浴びることになった。
初めて生のちんこを見た。勃起してるのかしてないのか、判別はつかなかった。
面白かった?興味深かった。
「そうなの?」
「そう、手って思ってるより力が強いから、刺激に慣れちゃうんだよ」
「そうなんだ」
「指入れられるの、痛かった?」
「うんう」
「2本入れたときは痛かったんだよね」
「うん」
「痛そうだなって分かるんだよ」
「そうなの?」
「輪ゴムで指を締め付けられるみたいな」
「え、すごいね」
「1本の時も感じたんだけど、2本入れたときはかなり強くて、途中まではいけるかなと思ったんだけど、この第二関節が一番太いからさ、ここさえ入れば問題ないんだよ、でも第二関節の時にやっぱり引っかかる感じがしたから」
いや、マジでその話興味深すぎるからあと30分くらい聞かせて欲しい、と思ったけど、時間も時間だったのですぐに湯船を出た。
粘液がねとねとして気持ち悪いのと、キスされた口を洗いたいと思っていたら、ちゃんと先に出てくれた。ありがたい。思う存分洗う。
お互い背を向けながらそそくさと服を着る。ちょっとマンネリ気味のカップルみたいで面白い。
と思ってたら、ブラをつける時にストラップをつける手伝いに来てくれた。
ブラのストラップ、外されるより付けてくれる方がときめく気がする。
「いつもホック何個め?」と聞かれて、プロってすげえなと思った。そう、あれ1個変わると気持ち悪いんだよね。
そんな感じで着替え終わって、相変わらず会話の弾まないまま駅まで送ってもらって解散した。
・やっぱり「痛い」は伝えないといけない
・抱かれても興奮しないが、嫌悪感があるわけではない
・私は思ったより羞恥心が欠けている
・プロはマジすげえ
・ブラは外してあげるより、付けてあげる
・キスは嫌い
性に興味はあるものの、男から責められるセックスに興奮しないことが分かって良かったです。個人的に自分はSではないか疑惑があるので、今後何かの機会があれば検証してみたい。
あとは、女の子ともヤッてみたいな。以上。