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はてなキーワード: 即興とは

2021-07-08

10年いた寝る前のおとぎ話界隈からジャンル撤退して思うこと

物心がついた頃からずっと、二次創作は私にとって身近な存在だった。

シンデレラ白雪姫ラプンツェル。気に入った話があればすぐ「続きは?」とせがむ私に母はよく即興の続編を聞かせてくれた。

本を読んでくれるのは昼間だが、続編を聞かせてくれるのは眠る前の布団の中だった。


お話をしてもらえない日の夜は、仕方ないので自分二次創作妄想で眠りにつくまでの時間を埋めた。母の語る話には遠く及ばないが、神が書いてくれない日は自分で書くしかない。私は今でもそう思っている。

お気に入り妄想は、シンデレラ白雪姫王子様に嫁いだあと、隣国王子が姫を奪いに攻め込んでくる話だ。

自軍が不利な戦況になり、さらわれそうになったシンデレラが、果敢に剣術で立ち向かい隣国王子を斬り捨てるシーンが特に好きだった。

隣国王子を殺したあとは、隣国の家臣から銃殺されることも少なくなかった。

母のお話では主人公は死なないので、軽率に死ネタ妄想ができるのはひとりで寝る日だけの特権だった。


まあ、そうやってお話で寝かしつけられていた私は、下の子が生まれると今度はお話をしてあげる立場になった。

ROM専から卒業である

内容は好きなアニメ絵本漫画キャラクターがよその世界に遊びに行ったり、冒険をしたり、無人島漂流したりする、雑多なクロスオーバーだったように思う。

小学生の発想力なんてそんなもんだ。

私がおはなし上手だったのか、それとも下手なのか、今となっては確認するすべもないが、当時はそれなりに喜ばれていた。

もうお話してあげないよ!と言って下の子を脅したり、言うことを聞かせたりしていたかもしれない。最低がすぎる。界隈でROM専相手に横暴きわめる同人女かよ。

「あの…そういう方に私の作品をお見せすることはできません。これからリスト限定公開とさせていただきます。」「こんにちは!〇〇さんの繊細でありながら大胆な絵柄が大好きです!よろしければリスインお願いします💦」「初リプ失礼します。いつも〇〇さんの作品に元気をいただいています。昨日上げられていた✕✕の△△も、なんと申し上げて良いのか…すごいの一言です。もしご迷惑でなければリスインしていただけないでしょうか。」「初めまし

いやまあなんでも良いけど。


私はほぼ毎晩のようにお話をした。家族伊勢海老を食べに行った日は、セーラームーン無人島で釣った伊勢海老エビグラタンにする話をしたし、幼稚園運動会が近いときは、テレビで見たキャラがみんなで運動会をやる話をした。

大玉転がしの玉の下敷きになるハム太郎の話に、かけっこで水の上を走るバジリスクの話。応援テント酒盛りをしているアガサ博士毛利小五郎の話。バジリスクダーウィンが来たに出ていたのを一度見ただけだが、かなり気に入っていたのでどの話にもちょいちょい出した。

いくらでも作れたし、思いついた話を笑って聞いてもらえるのはとても楽しかった。


しかし私がどんなお話をしようと、界隈の神は揺るぎなく母であった。

特別な夜にだけしてもらえる母のお話は、いつも夢中になるくらい面白くて、私なんか台詞ストーリ構成。どれをとっても母には敵わなかった。

私の話はキャラ萌えと勢いの良いギャグけが売りの、とっ散らかった話だ。毎日連載し続けた根性はともかくとして、行き当りばったりで筋の通ったストーリーが一つもない。

まあしかし特に私は母に嫉妬するでもなく、たまに母のお話が聞ける日をとても楽しみにしていた。


そんな私がジャンル撤退するきっかけになったのは、別の神との出会いだった。

10歳の頃、初めて使ったインターネットで、なんとなく好きなアニメについて検索していたら、同人サイトに入ってしまった。

同人サイトの主は原作によく似たきれいな絵を描く人で、私はたちまち彼女の虜になった。


そこから私は「寝る前のおとぎ話界隈」という平和世界彼女解釈妄想をそれとなく持ち込むようになった。

の子世界観のアンバランスさに文句を言いながらも、はじめは許容してくれていた。

でも私が「同人サイト出会った神」から得たネタを使う割合が増えるに従って、「寝る前のおとぎ話界隈」はどんどん崩壊していった。

それまでハリーポッターにもおじゃる丸にも濱口優にも等しく見せ場があったはずなのに、私が「新しい神」に毒され好きなキャラばかりを贔屓し始めたからだ。


やがて、「寝る前のおとぎ話界隈」は、かつて神であった母からの「あんたたちいつまで一緒に寝てるの?」という言葉により終了した。

そのとき既に私の関心は新しい「神」に移っており、特に未練はなかった。

まれから10年。私に二次創作の楽しさを教えてくれた本当に長い付き合いの界隈であった。



まああれから十数年経った今も、私は好きなジャンル同人界隈に属し、二次創作を書き散らかしている。

下品エロを書くこともあれば、原作のほんの一コマを補うなんでもない話を書くこともあるし、昔みたいに推しシンデレラにする日もある。

しかし「寝る前のおとぎ話界隈」にいたときほど自由に、のびのびと活動できることはもうないと思う。

性欲とか、原作レイプとか、解釈違いとか、神への嫉妬とか、スランプとか、評価とか、感想とか、ネタ切れとか、文才とか、表現力とか、完成度とかそんなことは一切考えずにただ思いついた話を語り、それを聞いてもらうだけで楽しかった「寝る前のおとぎ話界隈」


二次創作は全部オタク戯言だとか、他人の褌で相撲を取る下劣妄想だとか言われると、まあ今の私は怒らないけど、10歳の私はきっと怒るだろうなと思う。

あの頃の私は原作を神だなんて思ったことはなかったし、世に出されたキャラクターは読者みんなのもので、ルパン桃太郎も鉢かつぎ姫もひとたびお話に出してしまえば全部自分のものになった。

キャラクターはみんなのものだと言いたがらないミッキーマウスは嫌いだった。絶対お話には出さなかった。


私もそのうち子供が産まれたら、今いるジャンル撤退して寝る前のお話界隈に戻るかもしれない。

それとも今の乳幼児お話じゃなくてYoutube眠るんだろうか。

2021-06-15

ワクチンとかカルトなひとたちって

現実世界というステージにおいて、即興演劇役者になりきっているような感じなのかな?

科学事実演出ひとつみたいな感じになっちゃうよね。

でも、その役割自体人生の全てと思っちゃう人と、一時的役者になりきることが愉快な人だったり、経済的利益目的に演じる人が入り混じってるから、ややこしいよね。

人間って面白...!!

2021-05-26

日本人初のシンガーソングライター美輪明宏、これはわりと知られた話だろう。では、1つの曲で作詞作曲を行った最初日本人は誰か。これがなかなか難しくて困ってる。作曲とはみずから譜面に起こすまでをこなすことをいうものとして。

江戸時代から相撲甚句明治初期の演説歌(川上音二郎オッペケペー節等)は歌詞即興節回しをつけて歌っているだけで、これはこれで素晴らしいものだが作曲とは呼べない。

童謡唱歌作詞家は作詞だけを、作曲家は作曲だけを担うばかり。それは十分合理的なのだけれど、両方の才能にめぐまれた人もきっといたと思うんだ。例えば山田耕作なんかも試みに作詞をしたと思うんだけど、残念ながら曲がついた形としては何も残っていない。

戦後の美輪が日本人初の作詞作曲であるとはまったく思えないのだけど、じゃあ誰がとなるとわからないままだ。

2021-05-22

先輩なんで音楽辞めたんだよ

サークルに才能の塊みたいな先輩がいた。とにかく誰よりも耳がよくて、一度聞いた曲を再現できるような人。ピアノ以外にもギターベースドラムの他管楽器演奏できたし、なにより先輩の音楽はとにかく感情にあふれていて、人柄もよく、誰よりも楽しそうに楽器を鳴らす姿は部員みんなの憧れだった。あまり家が裕福じゃなかったそうで、美大なんてもってのほか。仕方無しに家から近いこの大学特待生として通っていたと後々聞いた。

先輩は大学を出たあと、大学レベルでは考えられないくらいいい会社就職した。先輩は頭も良くて努力家だったから、会社でも出世を見込まれたみたいで、入社して数年後には海外へ行ってしまった。忙しくて音楽に触れる時間なんてなかったようで、この前会ったときにはただのアラサーサラリーマンになってた。何よりここ数年楽器に触れてないと聞いてショックを受けた。

先輩が大学を出たのと同じくらいのタイミングで、私の組んでたバンドが徐々にあちこちライブできるようになった。ツアーだって経験したしそれなりの規模のフェスにも乗った。ただ、自分たち音楽は先輩がちょろっと弾いた即興の曲に勝てる自信がない。実際に先輩は学生時代映画ドラマの曲を幾つも手掛けてたし、部室で適当セッションしたときのあのフィーリングは明らかに才能のある人のそれだった。社会に出ても音楽を続けていたら、絶対に私達より有名になったはずなのに。すごく悔しい。

2021-05-11

anond:20210511231615

ふたりまとめて即興昔ばなしでも聞かせるんや

桃太郎はきび団子を差ししました。

桃太郎:300円になります

キジEDYでおねがいしま

シャリーン

みたいな。

2021-05-03

弱者問題で「丁寧に暮らせ」というアドバイスはありなの?

まりon Twitter: "弱者男性問題解決必要なのは雑誌クロワッサンだとわたし確信しています

https://twitter.com/travis02130213/status/1387927956392009732

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/travis02130213/status/1387927956392009732

これさあ。  

 

 

 

1,「弱者男性」論のおさら

正直「弱者男性」論と言うものが完全にはわかってないんだけど

男性社会的弱者学歴なり職業なり容姿なりコミュ力なり何かもしくは複数が低調で、

経済力も友人やパートナー等の人的資本も低く困窮していく人

という理解でだいたい合ってるんでしょ?

 

それが特に昨今論じられるようになった理由としては、

女性障碍者オカマホモ外国人なら弱者として考えてもらえる一方

ジャップオスだとまとめて加害者扱いされることはあっても当人弱者として認められることが大変難しい

という現実への異議申し立てが増えてきたと。

 

で、

「そういうのはやっぱりおかしいか男性だって相対的弱者や困窮者は弱者と認めるべきでしょう」

「彼等も社会的ケア必要弱者です」

みたいな話が興ってきたというのが最近はてなの流れだと認識してる。

 

 

2.弱者に「アドバイス」すんのってアリなんでしたっけ

そこでこれ?

まりー@travis02130213 4月30日

自分自分で救うことができる」という事実を大概の男は認めたがらないか、認めると負けだと思ってしまます恋愛なんてコミュニケーション最上級なわけで「わたしたち」にまだそれは必要ないのですよ。「相手」を必要とする難しいことの前に自分でやれることはありますよ、と思うわけです。

まりー@travis02130213 4月30日

弱者男性問題解決必要なのは雑誌クロワッサンだとわたし確信しています。「家事が軽くなる道具と工夫」とか「冬の食卓ラクしておいしい97品」とかがモテない男性を救います。誰かがおれを愛してくれないかなとぼーっと思い煩うより自分生活を上げましょう。

自助に取り組め」

「君達には社会他者扶助必要ない。君達に必要なのはクロワッサン。」

「君達は自分自分を苦しめてる自業自得なだけだから努力して自分生活を持ち上げなさい。」

これを大絶賛っていったいなに?

   

え、そもそも原則レベルから揺らぐんだけど、

社会問題としての「弱者」について

こういうアドバイスソリューションとしちゃうのってアリでしたっけ?

 

じゃ生活保護受給者に

「娯楽も食事住まいも進路も身の程弁えて選べば保護なしでもやれるでしょ」

子供は中卒で働かせれば扶助母子手当も要らないでしょ」

ってアドバイスしていいの?

 

伊是名夏子さんに

「まずなるべく自立した生活しましょうよ」

「最大限ひと様の手煩わせない旅程を作って、それからJR対応求めるんがスジでしょ」

ヘルパー10人使って子育てってなんだよ単純にお前いない方が育児コスト低いよ」

とか助言しちゃうのとどう違うの?

 

石川優実さんに

「勝部を切ってkutoo以外の活動も辞めた方が幸せになれますよ」

あなた精神的苦痛社会思想のせいではなくて、勝手肥大させた自意識と食らい判定のせいです」

あなたには社会問題よりクロワッサンがお似合いです、自分生活を上げましょう」

って諭しても許されるの? 

 

少なくともはてなのような良識あるリベラル空間では

それは絶対ダメ弱者への疎外、差別への加担、わきまえ論、最低のセカンドレイプ

ってルールだったと認識してるんですけど。

  

 

  

3.こんなのを嬉々として賛同し持ち上げるブコメ

はてぶ人気順に並べます

cha9

馬鹿にされがちな丁寧な暮らし、というやつ。

自分を愛せない人は他人を愛せない。

dancyuじゃダメなのもわかる。ツイ主は男性

関連ツイも読まずに脊髄反射で叩く人はその言葉そのままブーメラン自分に刺さってるよ

2021/05/02

するっと出てきた弱者男性他人を愛せない人格的劣等であるという前提はなんなんでしょうか?

他の弱者にもそういうこと言ってるの?

 

oka_mailer

弱者男性固有の問題でもないとは思うけど、

でもこうやってセルフネグレクトからどう脱するか、みたいな具体的な課題になるまで深堀しないとどのみち話がすすまないよなー。

2021/05/02

深堀り?

深いどころか、弱者人格生活態度に問題押し付ける滅茶苦茶浅いネトウヨ言説みたいに見えるんですが。

「話が進まないよなー」って、しろ問題をすべて当人のせいにすることで話を終わらせたがってますよね?

 

rgfx 「これはわたしの話ですけれども「モテないオトコの欲求不満の解消」に必要だったのは長年にわたるセルフネグレクト自覚し解消することでした」/ツリーみなよ。「牛丼福祉」なんて話じゃないよ。

2021/05/02

そうですね。

ある弱者問題へのソリューションを、弱者当人反省や改心や精神改革に求める話ですね。

  

 

4.こいつらよりこいつらを人気1位にする連中が問題

見てきたように全員底の浅いヘイト言説と言うか、

弱者問題自助アドバイスするような典型的ヘイトツイート一言咎めないどころか積極的賛同してヘイトを重ねる、

さらに「これを非難する奴にはブーメランが刺さる!」と威嚇を始めて非難を封じる意欲まで見せる、

積極的戦意を出した差別欲・弱者存置欲旺盛な典型的ネトウヨさんなわけです。

 

こいつらはまあヤフコメあたりからはてなに紛れ込んできた差別大好きな「自称現実主義」ウヨ豚さんだとして

なんでこれが人気1,2,3になってんの?

 

 

わかってるけどね。

弱者男性なんて弱者として認めたくない。

これでしょ。

 

何か調査するまでもなく論理的に考えれば日本人男性にも弱者がいるなんて当たり前なんだけど、

あなた達の気持ちとしてそれは絶対に認めたくない。

ジャップオスの場合当人生活態度や人格が悪い、自業自得ケアも救済も必要ない。

そういう感情でしょ?

   

「お前の生活が悪いに違いない(根拠なし)ため、お前は人格が悪い(根拠なし)、クロワッサンでも読んでろ」

これ、女性とかゲイとか障碍者とか外国人かに言ってたらあなた絶対非難したでしょ?正義の味方ヅラで。

でも弱者男性相手に放たれてればなんとか正当化したい。

こんな発言を追認するネトウヨブコメにこそこそと☆を入れて人気ブコメにしちゃう。 

 

ほんといつまで経っても治らないですよねこ性格

 

 

5.あなた達が差別し続けたい理由

はてなあなた達はふだんから差別反対だの弱者権利擁護だののお題目で遊んではいても、

それを優しい気持ちで、困ってる人を助けようという気持ちでやったことが一度もないってことなんです。 

 

これは口で言うほど簡単じゃないですからね。

自分に甘くて自分の心の動きを観察できない人なら「いや私は善意と優しい気持ちだった」って言うんです。

 

でも実際は違ってるでしょう。

差別されて困ってる人を口実にして、その状況を作ったとされる誰かに対するものすごく攻撃的で侮蔑的感情をぶつける、

怒りの感情をはじけさせる時の快感が楽しくて気持ちよくてやってるだけなんです。

 

純粋に伊是名夏子さんの利便性を上げたい、楽しい旅行をしてほしい、という気持ち応援したのではなく、

「我々に反撃したらショウガイシャサベツだぞ」と言って抵抗を封じておいて

即興の難題を押し付ける、出来なかったらそれを責めて殴りまくって顔に唾を吐く、それで悔しがる顔を見る、

そういうことをやりたいだけの暗い人間と言うのが残念ながら「差別反対」の旗の下に少なくない数紛れ込んでいるんです。

 

そんな暗い娯楽だからやればやるほど性格が暗くなって、

すぐ次の怒るネタを探し回るようになるし、恐ろしく口汚くなるし、

twitterでくだらない喧嘩RTをすることに時間と精力を使うようになるでしょう?

本当に人助けをして優しい心を育ててるならそんな風になるわけないんです。 

 

優しい気持ち差別反対・弱者権利擁護やってる人なら

弱者男性弱者カテゴリに入ってきても何も困らないですよ。

そもそも属性差別しないんだから

困ってるならどうにかしてあげようと智慧を絞るだけ。

 

怒りのネタ探しでやってる人は

日本人男性というカテゴリは集めてきた怒りのぶつけどころとして使ってるんだから

そんな属性から弱者が出てくるのはものすごく困るんです。

怒りと侮蔑快楽機構が壊れてきちゃうから

 

そういうことをいつまでやってるんでしょう。

自称社会派のような人で、本当に社会で困ってる人に関心ある人間は何割ぐらいなんでしょうかね。

はてなでは残念ながら少数派に見えます

  

 

おまけ.ところでツイ主のクロワッサンの話なんかおかしくない?

経済力とか人的資本とか生活資本とかが低い男性にすすめるのがクロワッサン

ありえないでしょ。

これに突っ込まずに賛同してる人達って絶対クロワッサンエアプでしょ。

 

クロワッサンってはっきり言って意識高くておしゃれなんですよね。

料理記事そこそこに、決して安くない服とか相当敷居高いお店とかアンティーク家具とかの話始める雑誌なんだけど。

それに今となっては読者も編集部高齢化してるので2021年の実際の読者層って一番下でもアラフィフだと思う。(公称では「40代から」とか言ってるけど。)

から今だと70代向けみたいな記事も増えてる。

 

これを?せいぜい中年ぐらいの困窮男性が?読んで役立てる?

このツイ主なんか怪しいなあ。ほんとにクロワッサン何冊も買って役立ててる人なのかかーーーなーーーり怪しい。

じゃあ何を読むのか?

オレンジページでしょ。

 

ツイ主が言ってるみたいな用途なら絶対オレンジページですよクロワッサンよりは。

こういうツッコミを誰一人してないってどういうこと? 

言ってる事の内容の真偽も確かめずに賛同してる?

というか、そもそも誰もクロワッサンオレンジページを読んでない?

個人的には子供時代に読む本尽きたら母のクロワッサンオレンジページはよく読んでて今に至るのでこういういい加減な言及許せない。

 

まあこの場合は「弱者男性のあげた声を封じること」が関心の全てであって

クロワッサンがどういう雑誌かなんてことは全然考えもしないのかもしれないけど。

 

脳の使い方があべこべっていうか、本当につまんない使い方だよね。

2021-03-22

anond:20210321071720

追記

なんかはてブされてたか追記してみたり…

あと、マクロスゼントラーディとかも巨人なんだよなあ

庵野氏は巨神兵といいマクロスの異星人といい、なんかよく分からんが「巨人」に縁があるんだなあと

から庵野氏が野球を観るなら応援するのは巨人なんだろうなあと

というか、つい「虚構否定」と書いてしまったけど、ゼントラーディみたいにウルトラマン生物だ、

ということを視聴者が忘れがちなところがあって、

例えば、エヴァウルトラマンメタファーなわけだけど、

からこそエヴァ最初の登場の時点で風呂に入ってるwわけだし、

傷つけば大量の血を流すわけだけど、円谷的にはそういうウルトラマンは描かないというか描けないというか

から本来だったらウルトラマンは巨大な生物で、私生活では風呂にも入るし、

戦闘で傷ついて大量の血が流れれば、足元のビルとか道路を血で汚していくはずなんだけど、

ウルトラマンにはそういう描写がないので、生物感がないんだと思う

話を戻すと、自主制作帰りマン庵野氏がウルトラマンをやることで、

考えようによっては、ウルトラマンの再定義、とでもいうか、

本当はあれはマスクマスクの下は人間みたいな顔があるのかもね、

と考えることもできなくもない

要は、ウルトラマンもっと生物臭さを出したかったが故の即興かもしれない

というか、単に映像としても面白くなりそうだからやってみた、というだけなんだろうけどw

作者が何を考えて描いたかからない絵画があったとして、

それを大勢の人があーだこーだ議論して、そのどれもが作者の意図を汲み取れていない、

実は作者は何も考えていなかった、としても自分面白いと思うんだよね

あと、それだけ人が集うということは、

その作品に対してみんなが「なんかいい」と思っているということは共通しているわけで

町中に変なオブジェを置いて通行人がどういう解釈を示すかというのは、

ホームレスやってた時期の吾妻ひでおもやってて、

変なオブジェの作者は神の視点で、勝手解釈をする人たちを「おまえらバカだなー」と思いながら眺めることができてしまうという

というか、この世界神様あんまりちゃんと考えて作ってない気がするんだよね

とりあえず、自分を模してアダム創ったけど、なんか一体だけじゃつまんねーな、とか思い始めて、

アダム身体から肋骨を一部切除して、それを培養してイブを創った

この辺の描写が手術っぽいんで、ガイバーみたいな神=異星人説の根拠の一つみたいになってたりもする

まあ、よくあるムーの読者みたいなネタだけど

から生殖器官が排泄器官の近くというのはやっぱり頭おかしいというか、

一応、自称クリスチャン自分としても、あのー、神様ってもしかしてスカトロものがお好きなんですか?

と問いかけたくなってくるんだけども、まあ、あんまり根拠はないんだろうなあ

ダーウィニズムで考えても、ダーウィニズムは付け足し付け足しで、

Apacheじゃないけど、生物進化は大量のパッチの繰り返しみたいなものにも思えるわけで、

当然、その場しのぎの連続の末に絶滅する種がいてもおかしくないわけで

なんか脳内そのままダンプしたら話が脱線しまくったけどそのままにしておくのだった

2021-02-15

友達いなさすぎて文中で人の会話が書けない

俺のぼっち歴は相当なもので、プライベートで遊ぶ関係友達勘定するならばたぶん中学一年生ぐらいの頃に映画を見に行ったのが最後だ。(クラス映画を観に行く話をしてるところに俺が空気を読まずに“自分も行っていいか”と訊ねたことでついていく運びになった。今にして思えば、彼らにとっていい迷惑だった)

大学生の頃同じゼミのやつからマクドナルドに呼び出されたことはあるが、どうだろう……友達だろうか…友達ではないな。

なんなら映画を観に行ったときも、俺は観てすぐ帰ったので(楽しくなかったのではなく、普通に映画を観て満足したらすぐ帰りたくなった)そのあとなんやかんやでそのことを突っつかれ、俺はやるせない気持ちになった。「帰るわ!」と言って、特に引き止められずに「ああそう?じゃあまた」と言われたのだからそりゃ帰るよ。

俺は高校大学友達と呼べる人間が一人も出来ないまま過ごし、わけのわからぬまま人生の一番自由な時期を、イヤホンが耳に刺さったまま一人で過ごした。

サークルは一時期落語研究会に属していたが、裏方だけやろうと思っていたのに字が汚すぎて題目名前を書いた紙すら満足に書けず、あがり症のおかげで「時そば」を、客ではなく先輩の前で練習することすら出来ない始末。(なぜか、“枕”という、噺の前にやる些細な無駄話だけは少しだけ達者に話すことができた。20分ほど)どうしたものかと悩んでいたが、ちょうどそのとき部内の人間関係トラブルが生じ、同級生が一人、先輩が二人やめたところで俺も便乗して辞めた。

俺は完全に一人になった。孤立という自覚さえない一人だった。

暇なときイヤホンで外界の情報遮断してなんかしらの曲を聞きながらキャンパス内を徘徊し、たまに構内を出て無意味に一時間ほど歩き通してみたりした。

これで偏差値の高い大学に通っていたとかなら人と違う視点を持ったがゆえの孤立とか格好がつくのだろうが、普通に偏差値の低い大学に通っていたので、俺はぼっちで、しかバカなだけだった。

どれぐらい偏差値が低い大学かというと、ここを出た某作家が著者略歴にうちの大学ではなく、所属していた他大学サークル名前を書いてしまうぐらい偏差値が低い。

とは言え、何も本当に音楽聞きながら歩くだけの学生生活だったわけではない。たまにラーメン屋巡りとかしてたし、ちょいと小銭があるとき雀荘に立ち寄ったり、また、本当に本当~~~に暇なときは、ネット小説をチョロッッッッッとだけ書いたりしていた。半年に、ほんの六、七行ずつみたいなペースで。

そうしてある日、気付いたことがある。

俺は意外と、少なくとも感想文みたいなレポートを提出して怒られていた同級生よりかは、文というヤツが書けるのでは?と。

それまでは星新一ズッコケ三人組ぐらいしか読んだことが無く、他にはエブリスタでクソみたいな異世界転生系小説を読んであざ笑うというカス以下の習慣しかなかったのだが、それが思いのほか文章力の向上に繋がっていたのだろうか。「こういう文章を書かない」という手本は意外と役に立った。気がする。

ブリスタで小さい賞を取ってアマギフを三千円ぶんぐらいもらったりして調子づいた俺はもうちょっと色々書いてみようと思い、半年に一度ペースで書いていた小説で人と人がどうのこうのするパート差し掛かり、そこを頑張って、ウィットエスプリの利いた小気味良い会話文を作ろうとした。

出来なかった。

どうやっても平面的な、話している人間人格が反映されない、ただの「文」にしかならなかった。読んでいて不気味だった。作品思い入れのない声優が「あのキャラやってみて」と頼まれ、とりあえず声だけ出してみた。みたいな。あるいは同じ作品で共演する声優同士に、台本なしでそのキャラ即興で演じてみてくれ。と頼んだ時の会話のような…

とにかく形容しがたい、薄っぺらさが隠せない会話になってしまう。

要するに、三人称視点の文はてんでダメだった。『楽しそうな会話』が書けない。

反対に、一人称視点だとけっこう書けた。なのでレポート論文はヒョイヒョイ書けた。あれは一人称視点で書く文章からだ。だが小説は別だ。いくら一人称でも話の途中で主人公が人と会話をしなくてはならないときがある。これが本当にできない。

相手がどういう感情主人公に話しかけているかを考え、主人公の受け答えでどう気持ちが動いて、気持ちに応じてどう対応が変わるかを考えてセリフを作る。すると、何を考えているかわかっている俺から見ればそれに気付かず喋っている主人公が妙にマヌケに思えてきて、そうなるとそのマヌケ一人称視点で綴られている他の文もマヌケな文に見えてくる。そしてどっと気が萎える。

なんのことはない。俺が普段人の感情機微について推し量るような機会とほとんど出くわさず、機会があっても推し量る能力がないマヌケであり、そのマヌケぶりが主人公に伝染していただけのことだった。

好機を逃さず利用することを中国故事で『奇貨居くべし』と言うらしいが、機会を利用する能力を養う方法まで故事は面倒を見てくれないらしい。(きかい。と打とうとして“きかお”とタイポしたら予測変換に出てきたので、意味を調べた後使いたくなった)

とはいえ書かないと続きに進めないので、そこら辺のコミュニケーションパートはなあなあに、サッと流して次に進むのだった。

いろいろな作家の言では、脳内キャラクター像をしっかり組めばストーリー舞台範疇で、頭の中で勝手に動いてくれるそうだが、俺の脳内に居るキャラクター達は揃いも揃ってマネキンばかりだ。俺の思い通りのポーズはとるが、決して動き出さない。

仕方なくマネキンポーズを手作業ちょっとずつズラして、それを繰り返したもの描写して連続した動きを表現しようと試みるも、そうして出来上がったものは生きた人間の動きとは言い難い、不自然ものに仕上がる。どれだけ細かく刻んだストップモーションアニメも、自立して動く現実映像のように滑らかにはなってくれないのと同じだ。どうしてもギクシャクする。

やっぱり、友達いないとダメかなあ。友達がいたら創作活動なんて手出してないと思うんだけど。

anond:20210215093632

「切り取った」というよりも、発言の一部に注目しすぎた冷静さを欠いた報道だと思ってる。

発言は恐らく原稿などがない即興のもの文章構造がわかりづらいので1文ごとに、どういった意図だったのかを公の場で森氏に事細かに聞いていくべきだったんじゃないか

2021-02-07

変な設定の夢を見たので書いておく

なぜか会社の全員が仙台に異動することになり、電車ものすごい地下に到着したので壊れかけたエレベーターで地上に昇った

(※実際は仙台に何度も行っているので、仙台駅がそうでないことは知っている)

遅れて新オフィスに到着し、新しい制服をもらったところまでは良かったけれど、全員芸人みたいな派手な衣装に着替えて多くの部屋に分かれて即興劇をしており(研修の一環らしい)自分の課がどこだかわからない

いったん制服や持ち物を置いて歩き回り、ようやく自分の課の部屋を探し当てたがそこで昼休みになってしまった

売店では牛タン弁当をメインに販売していたが、制服や持ち物を入れていた袋は中身が空になっておりお弁当すら買えず、仕方なく外に出て警察に行くことになった


というところで目が覚めた。

この前日にも財布を盗まれる夢を見ているので正夢にならないか心配

2021-01-18

anond:20210118213800

演説即興でされるほうがやだよ

どこの国でもそんな演説ある?

読み合わせったってそもそも読まねえでしょ

2021-01-15

お前のスパチャはなぜ読まれないのか

VTuberスパチャしたけど読まれなかったとか最近反応してくれなくなったとか、その手のお気持ちで吹き上がっている輩を最近目にするけど、それはお前のコメントタイミングがズレていて面白くないからだよ。

面白くないだけならまだマシだけど、配信者の活動の妨げになってることすらあるよ。配信者のファンだとか配信好きだとか名乗るなら、お前が熱を上げている対象提供している「配信」という芸について理解しろよ。

配信者ってのは文字通り配信生業として人生かけてやってる芸人(近年のお笑い芸人限定した意味ではなく、広く芸事職業とする人)であって、配信者の芸とは「面白配信をすること」なんだよ。

配信者のトーク好調に回っている最中とか、ゲーム実況ボスに挑戦してるとか、そういうタイミングで投げられた無関係な内容のスパチャに反応なんか出来るわけないんだよ。「面白い芸の流れ」が切れるんだよ。

ミュージシャンでもお笑い芸人でも舞台役者でも何でも良いけど、なにか別の芸事に置き換えて考えてみろよ。

今まさに大勢の観客が盛り上がっている最中、流れに乗っている芸を、額面がどうであれ一人の客から投げ銭が飛んできた程度で止める芸人なんか居るわけがないんだよ。

どんな場面でも「面白い芸」を見せる事ができるから芸人芸人として生きていけるのだし、それをわかっているファンなら芸の邪魔をしないように観客席での振る舞いに気を配るもんだろう。

お前が配信をよく見ている人種なら、配信の内容に反応した通常のコメントが、場合によってはスパチャよりも優先して拾われている場面を見たことがあるだろ。

あれは内容に対して適切なタイミング面白レスポンスを返していて、「読んだら配信面白くなる」コメントからまれてんだよ。

あの手のコメント投稿者は「面白さ」とは何かってのをちゃん理解してる人間で、配信内容を受けて当意即妙面白い内容を考えて投稿しているし、配信者もその面白さが理解できるから反応するんだよ。

いわば即興大喜利のお題、ラジオ投稿コーナー、歌舞伎の大向うの掛け声みたいなもんで、熟練した観客が壇上の芸を受けて自らも芸を披露する、その相互関係面白さを生み出しているんだよ。

その点、額の割に大した反応が貰えていないスパチャってのは、どれもこれも配信の内容とクソほど無関係な内容を意味不明なタイミングで投げていて、配信面白さに寄与しないようなやつばっかなんだよ。

ただ一方的に愛をぶつけているだけだったり、個人的事情を盛り込んだ私信的な内容だったり、配信内容とは全然無関係に〇〇と言って欲しい、〇〇やってほしい、みたいなやつだったり。

別にスパチャで配信から反応してもらおうって考え自体否定しない。元々そのための機能として用意されているものだし、自分の好きな配信から直接反応がもらえたらそりゃ嬉しいだろうよ。その気持ちはわかる。

ただ、配信の盛り上がりどころでこの手の内容を投げ込むのは、「今のあなた配信の内容には全く興味はありません」と言ってるようなもんで、完全に配信者の活動蔑ろにした態度なんだよ。

お前は確かに少なからざる金額配信者に支払った上客かもしれない。それでもあくま大勢いる客の中のひとりでしかなくて、配信者はお前一人のために配信してるわけじゃないんだよ。

お前の「配信者への愛」とか「配信者にやってほしいこと」はお前一人の願望だけど、他の視聴者は全員「その配信者がやっていること」を見るために配信に来ているし、配信者はそんな視聴者全体の方を向いて配信をやっている。

配信者が「大多数の視聴者はこのスパチャの内容には興味がないだろうな」と判断したら、それでも他の視聴者が楽しんでいる流れを切って反応してやるか、それともスパチャ自体スルーするか、どっちを選んでも損な二択を強いられているんだよ。

お前のスパチャを見た配信自身が内心では「ちゃんと反応してあげたい内容だ」と思っていたとしても、タイミング次第では雑に対応せざるを得ないんだよ。それはスパチャを送ったお前にとっても、雑な対応をせざるを得なかった配信者にとってもすごく不幸なことだ。

配信者のファンだ、愛しているんだと主張するなら、愛の証明としてファン歴とか配信への張り付き度合いとか使った金額とかを誇るより前に、お前が愛する対象とその活動について理解すべきこと、想像して思いやるべきことがあるだろうよ。

愛する人活動内容をしっかり理解して、最大限楽しい配信を出来るように気を使ってやれよ。反応を求めるスパチャを送るにしても、配信の流れを汲み取って然るべきタイミングしろよ。そういう配慮があってこその愛だろ。

配信者が人生かけてやってる芸の性質面白みも分かってねえ、今やっている内容さえどうでもいいと思ってる、そんな人間一方的に好きだ何だと言い寄ったところで、配信者が良い反応を返してくれる可能性はゼロだよ。

anond:20210114153728

なんで投げ銭にこだわるんだ。

ライブ配信投げ銭が飛び交うのは即興ものからだ。

場の雰囲気タイミングがあってこその投げ銭なんだ。

その日、その時、その場所で、その金を投げられるのは今しかない。

からみんな金を投げるんだ。

 

ゲームのような完成しきった製品投げ銭形式にする意味はなんだ?

「タダでお配りしています。使ってみてよかったらお代をください。値段はあなたお気持ちで」

ようはこういうことだろ?

で、おまえはこんなこと言われて使ってみたいと思うか?

後払いなのはあいい。

問題は「値段はあなたお気持ちで」ってところだ。

1円しか払わなかったら常識を疑われるし、100円でもケチな奴と思われそうだ。じゃあ1000円?それとも2000円か?

いっそのこと1万円、、、いやさすがにそこまでは出せない。相場はどのあたりだろう?調べるか・・・

みたいなこと考えるくらいなら最初から使わないことを選ぶ。

まりな、完成品の対価として投げ銭を求めるってのは人の良心につけ込む商売なんだよ。

そんなもの古今東西上手くいかない。

儲けるVに金払わせたいなら最初から使用料を決めておけ。

青天井でモノを売ろうとするな。

2021-01-14

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世界が今年のベスト(#AOTY2020)を出す中、11月ベストです!今年中に年間ベスト来年1月中に2020年12月ベスト書く予定、まだまだ2020年は終わらない終われない!

Sankofa Season / Andrew Ashong & Kaidi Tatham

Kaidi Tathamが大好き人間なので、もちろん最高でした!クラブジャズ〜ブロークンビーツの良さの一つに、打ち込みで肉体的なフレーズ再現しようとした絶妙違和感があるのですが(あくま個人的感覚です)、もれなくその魅力が炸裂する高密度の異形ジャズ空間即興性があるけれど時間軸は繰り返されていそうな不思議さというか。「そんなフレーズ突如ユニゾンするの?」「このキメで合うの?」みたいな。

Andrew Ashsongのソウルフル歌声でより肉体性とDAW感が混乱し融解していく感覚がたまらなかったです。

Sin Miedo (del Amor y Otros Demonios) ∞ / Kali Uchis

Kali Uchisの2ndアルバムであり、スペイン語として1stとなるアルバムレゲトンラテンポップスを取り入れた所が肝なんですが、個人的には上記の曲のような、ローファイでサイケダウナーでドリーミーにチルい音像が素晴らしかったです。一歩間違えれば悪夢的な濃密さが凄い。

Girls FM / Girls of the Internet

今年頭から定期的に出すシングルが毎回良かったGirls of the Internet、その総集編的なアルバム基本的歌物ローファイハウスという感じなんですが、音数がしっかり少なく、チャラいけれどストイックである絶妙塩梅が良かったです。各フレーズをしっかり作っている印象で、丁寧さがクオリティに繋がっていました。

Small Moments / Dan Kye

Jordan RakeiのジャズハウスプロジェクトDan Kye。思ったより歌中心で、そういう意味だと割とそのまんまJordan Rakeiなんですが、M1"Mogeri"のダークでミニマルトラックが素晴らしかったです。ドープな方向に行ってもダンス・ミュージック的な明るさや開放感があることに、勝手オーストラリア・シーン的な雰囲気を感じました(活動拠点はもうUKですが)。

Muvaland / Cakes Da Killa x Proper Villains

ラッパーCakes Da KillaとプロデューサーProper VillainsとのコラボEPハウスラップを乗っかる「ヒップハウス」が中心。要素としてはディスコラップっぽくなりそうなんですが、両者とも攻め攻めです。快楽的で攻撃的な4つ打ち狂気を注入するCakes Da Killaのラップが最高でした。

The Angel You Don't Know / Amaarae

ガーナ出身シンガー/プロデューサーAmaaraeの1stアルバムAlté(オルテ)シーンの一人ですね。ギターの使い方が上手く、ラグジュアリー&リラクシンな音が良かったです。ウィスパーボイスでフロー感ある歌がトラック含めて聴きたくなるバランスにしていると思います

Ekundayo / Liam Bailey

El Michels AffairのLeon MichelsのレーベルBig Crown Recordsよりリリースされた、ジャマイカン・ルーツを持つシンガー作。曲としてはオールドスクールなんですが、ヴィンテージ的なざらついた音にすることで、むしろ今っぽい感じに聞こえる面白さです。

January 12th / Matthew Tavares & Leland Whitty

元BBNGのキーボーディストMatthew TavaresとBBNGの管楽器奏者Leland Whittyのコラボライブ版。今年3月に『VIsions』というアルバムを出していて、それと同様のメンバーです。即興セッションとのことなんですが息の合い方が素晴らしく、むしろ長尺&壮大&有機的にうねっていくための決め事の少なさなんじゃないかと思ってしまます。ざっくりとスピリチュアル・ジャズ系ではあるんですが、マスロックみたいな瞬間からアンビエントまで行き来する幅広さも魅力でした。スペーシー。

Speak Low II / Lucia Cadotsch

スイス出身シンガーLucia Cadotschに、サックス奏者Otis SandsjöとベーシストPetter Eldhが加わったコードレスドラムレストリオ編成によるアルバム楽曲によってはチェロハモンドオルガンが加わりますが、いずれにせよ支えに回る演奏はなく全員自立。緊張感のある隙間多めの演奏がかっこよかったです。この編成で歌い切るLucia Cadotschがひたすら凄いし、時にはリズミカルに時にはオブリとして動くOtis Sandsjö(今年出たアルバムよかったです)が魅力的でした。

Imminent / The Comet Is Coming

爆音爆圧爆裂!笑っちゃうくらいテンション振り切っていて最高でした。この異様な熱量の中で吹き切るShabaka Hutchingsも素晴らしいし、エレクトロ由来のビートを生々しく再解釈して叩くBetamaxもかっこ良い!そしてそれ以外すべてを司っていると思うとDanalogueすごすぎないかと思うトリオですね。爆音といえば→EDM感に行きそうでいかず、徹底的にハードコアであるバランスが見事!

近況

ミュージックマガジン寄稿しました

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2020-12-26

anond:20201225184859

かに6、7年前だかμ'sが生放送してた時はみんなお世辞抜きで芸人レベルを超えてたような視聴感覚があったな

妙なシンクロ感もあったし定番ネタのようなもの放送回ごとに生まれ天丼ネタやイジりのようなものもきっちり拾っていた気がする

全員容姿がすごく良いってわけではないし全員が即興コントできるほど頭が切れるわけでもないんだけど、どう転んでも面白くしていける雰囲気作りのようなものが出来ていた

とにかく全員が全力体当たり面白くしようというサービス精神にあふれていたし演者自身自分たちが好きで自分たちの参加するコンテンツファンであるという空気がそういうテンションを生んでいたのかもしれないな

Vtuberは基本1人だしコラボといってもせいぜい2,3人までが多いかちょっと小さくまとまりやすい気がする

個性バラバラアイドルとか役者とかが4,5人くらい集まってクイズのとかの企画ものやるのが一番面白カオスを生むんじゃないか

2020-12-21

議論戦闘したくない?

議論戦闘ゲームではよく見るけど現実でやる機会全然ない

「こんなことはやめるんだッ!今ならまだ引き返せる!」(鍔迫り合いをしながら)

「お前に…お前に何がわかるッ!」(斬り払う)

こういう状況、現実ではまず発生しないと思うんだよな

議論のあと決裂して戦闘という形ならなくはないかもしれない でも戦いながら同時に議論をするノリにはそうそうならない

でも俺はやりたい 「ただ怠惰なだけだろうッ!」とか言いながら切り掛かりたい 受け止められたあと、「怠惰なのは貴様のほうだッ!」とか言われたい

競技化できないかな 

適当テーマの論戦を即興でやりながら、スポーツチャンバラみたいなことも並行して行う 

審査員が二本立てで、チャンバラ部分と議論部分を分けて採点する 

試合終了の基準はどうしよう、チャンバラ部分が終わり次第…でもいいし、10点先取とかでもいい

ラップバトルみたいなもんかもしれないし、その意味では総合的な雰囲気勝敗を決めるんでもいい

FFTの「努力はしている!」みたいなやりとりが生まれてほしいんだよな あの感じは議論戦闘しかまれ得ないと思う

戦いで息が切れてるので思考がまとまらないし、興奮もしてるので結構脊髄反射みたいなことしか言えない状態での議論 絶対いいよ

よくねえかな よくねえ気もする

2020-12-16

[] #90-5「惚れ腫れひれほろ」

≪ 前

「何なのよ、いったい……」

辺りに重苦しい雰囲気が漂う。

タオナケはその居心地に耐えられず、蚊帳の外だった俺たちに助けを求めた。

やっと頭が冷えてくれたらしい。

俺たちも、途中で止めるべきだったという負い目があるので一緒に考えることにした。

「私、間違ったこと言ってないと思うけど、何か悪いことした?」

「間違ったかどうかと、悪いことしたかどうかは似て非なるものだよ」

「些かデリカットがなかったな!」

「……もしかしてデリカシーって言いたいの?」

「シロクロは黙っててくれ。いまボケられると話がこんがらがる」

まあシロクロの言ってることも的外れってほどじゃない。

ドッペルが怒ったのは、タオナケの無神経な発言理由だろう。

だけど具体的に何がどうダメだったのか、本当のところは俺たちにも分からない。

からいからこそ、慎重に距離を詰めるべきだったんだろう。

下手に踏み込みすぎると、今回みたいに深い溝ができてしまう。

そして踏み込んだ側が開き直ると、その溝はずっと埋まらない。

それはタオナケも分かっていて、望むところではなかった。

から俺たちの意見に納得いかない素振りはしつつも、いつもの調子反論はしてこない。

「何にしろ、悪いと思ってるなら、それを伝えるべきじゃないか

「そう、ね……とりあえず謝った方がよさそうね」

「じゃあ、ドッペルを探しに行こう」

こうして、ひとまず話がまとまったように思えた。

「そうだ! とりあえず謝れば、とりあえず許してくれる!」

だけどシロクロの何気ない言葉に俺たちはギクリとした。

かに、謝ればドッペルは許してくれるだろう。

でも“とりあえず謝った”ところで、それは“とりあえず許された”だけ。

たぶん根っこの部分で、俺たちの関係はギクシャクしたままだ。

「あやま~るなら、たいどでしめそ~よ」

シロクロは手を叩きながら、即興の歌を披露している。

なんだか遠まわしに馬鹿にされている気分だけど、歌っている内容は尤もだ。

本当の意味で謝るなら何に対してなのか理解し、そこに誠意を込めないといけない。

「『自分が何者かって考えたことはある?』……か」

あの時ドッペルが投げかけた言葉意味を、俺たちは知らないままだった。

たぶん、そこに重要ファクターがある。

とても単純にも思えるし、捉えどころがないようにも思える問い。

もちろん今の状況で、ドッペル本人に聞いても答えてはくれないだろう。

そりゃあ、仲間だからって全てを分かち合う必要はないかもしれない。

でも「言ったところで、どうせ理解されない」と思われたたままなのは、仲間として致命的だ。

次 ≫

2020-12-04

ゲームの要素抽出」とかいエセ科学みたいのがマジでうぜえから簡単でっち上げられることを証明する

ぶっちゃけゲーム必要なのはジャンル分けぐらいだろ。

いちいち「このゲームはこういった要素があって、ユーザーにこうやって受けてるんですよね」とか語る薄っぺらマーケティング論マジうぜえんだよ。

ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎共がよお。

如何に嘘っぱちか今から俺が『オレジナル要素分類』を即興でっち上げ証明してやる。

そうだな……まず名前から決めよう。その方が嘘くせえからな。

レインボー・シックス・パーツ」なんてどうだ?まさに今適当既存のものパクって思い付きましたなのが俺の狙い通りだな。

じゃあ適当ゲーム構成要素を6つでっち上げから待ってろ。

労働

 ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「人は自分必要とされること、自分が世の中に価値のあることをしたと感じることに喜びを見出しますゲームにおいてその最たるものクエストとなります。敵を倒して経験値を得ることや、採掘等でアイテムを得ることも、行動に対して報酬を得ることからさなクエストと見ることが出来ますクエストとはすなわち労働です。現実の私達は労働を嫌いがちですが、それは生きるための糧をちらつかされて嫌々やっているからです。ですが、人に求められることを実行することは、世界触媒とした自己効力感の確認にほかならず、本来楽しいはずです。ゲーム労働における不快の原因たる「過剰な理不尽さ」を取り除いて、クエストや稼ぎといった形でユーザー提供します。労働ゲーム構成する最も基本的な要素と言えるでしょう。」

脱衣

 ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「ココで言う脱衣とは、何もうんたらこれくしょんに代表されるお色気ゲームの一要素だけを意味しません。謎に隠された物のベールを脱ぐこと全般意味します。人は隠されれば暴きたくなるという習性を持っています。これはホモサピエンス本能のようなもので、探求により快感を感じるからこそ人類はここまで栄えたとも言えます。たとえばこれはラスボスを倒してゲーム真実を聞くことや、攻略方法見出して造り手の狙いを暴くことなども含まれます。当然、キャラクターパンツがキチンと3Dで作り込まれいるかカメラを傾け探すこともですが。」

脱糞

 ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎うんこをすることは非常に健康に良いことです。うんことは摂取したものから必要栄養素だけを抜き出して不要な物を吐き出す行為です。ゲームにおいてそれは、大量の情報や戦力を集めてから不要な要素を捨てていくこと、その過程において戦力全体が膨れ上がりプレイヤーもが成長する過程です。太いウンコを放り出した直後、自分がとても健康になったと感じるように、ゲームにおいては戦力外通告を突きつけることや、装備やジョブ、ひいては戦略を乗り換えていとき、人は本来それが齎す以上の戦力の高揚、そしてそれを実現した自分に達成感を覚えるでしょう。ときに、捨てることは得ることよりも大きな快感を齎します。過剰にそれを求めるあまり、一線級でないものを殊更に非難する癖がついてしまプレイヤーも少なくないのがこの快感の強さを示しています。」

脱税

 ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎システムを出し抜くとき、人は自分の影響力がシステムを超えたとすら勘違いします。王すらも自分を裁けないなら、己は皇帝であると思い込むのです。ゲームにおいてシステムのスキを付くような攻略法を編みだすこと、裏技発見すること、それまでの定石を破壊することは唯一無二の快感を齎します。もちろんその中には作り手が意図して仕込むものもあります。根幹の戦略をひっくり返すようなコンボや、知れば世界が変わる硬直キャンセル、そういった一見バグにも見えるものを見つけた時、プレイヤープログラムという神を超えたとすら感じるかも知れません。ですが、それらのうち何割かは、初心者マークを外したプレイヤーのための次のステージとして最初から仕様に含まれているのです」

飽き

 ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎「いい加減私も飽きてきました。あなた達もそうでしょう。しかし、これが私によって仕組まれていたとしたら?そうです。ゲームにおける飽きも製作者が仕込める要素の一つです。同じ戦術ばかりを繰り返すと飽きる、単調な展開のせいでなんだかダレてくる。そういったネガティブ感情を敢えて起こすことにより、ユーザーコントロールすることが可能です。コントロールするということは、こちらが選ばせたいもの相手自分意志で選ばせたと思わせることです。そうしたとき、全てが狙い通りに行くでしょう。そして、ユーザーもまたそのように作り手に狙い通りにコントロールされる体験をどこかで求めているのです。狙い位通りに飽きさせてください」

ヤオイ

 ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎ヤマナシオチナシ、イミナシ。ゲームにおいてこれは決してマイナスにはなりえません。ヤマがないということは、自分のペースで遊びやすいということで。オチがないということは、終わりを自分で決めやすいということです。イミがないということは、体験価値自分で決められるということです。過剰な山場の提供オチの用意、意味の設定、そういったものを鬱陶しいと感じる心は、実は全てのユーザーに多かれ少なかれあるものです。押し付けるなということではありません。どれぐらい押し付けているのかを把握しながら作っていくべきだということです」

どや?

な?

理屈と膏薬はどこへでもつく」のたぐいだろ?

ゲーム語り似非コンサル風クソ中身皆無ゴロ野郎の言うことってマジで信用ならんやろ?

な?

な?

anond:20201204172305

クラッシック時代だって即興はあったのではないだろうか

映画アマデウスモーツアルト天才的な即興演奏してた気がする、女の子の尻を追いかけ回しながら、一応フィクションではあるけど

作曲だけだったら考えないでもできる曲ってある気がする

カノン進行みたいな定番コード進行はある

既存音楽理論的制約に沿えばいいというのもある、マンネリになるけど

転調とか考えないと作りやすくなる、直線的だけど

自分プロではないけど、ふにゃふにゃ言いながらコード当てはめるとかはできるようになってきた

多分プロ作曲するときはそんな感じのことを繰り返すのだろう

でも、1日だと何回も繰り返せないし、気分が落ち着いて冷静になってから聴き返して、

これはボツだなあ、とか思い返す時間もない

なんでもそうだけど、品質を上げるには同じようなところで何回もおなじようなこを繰り返す必要があったりする気がする

1日でインスタントだと、即興そのままの質が低い凝った構成のない曲になる気がする

でも、似顔絵を描く仕事と同じで1日作曲はできるとは思う

から、1日一発収録でヒットすることもあるかもしれない

時間かければいいというものでもないだろうし

2020-11-24

カーニバルギリギリビキニ、その歴史

ギリギリビキニとの出会い

思春期である普通プールに行くことを考えるだけでムラムラが収まらないのである。そんなさなかに教科書参考書の隅っこにビキニ姿の女性が踊っているのを見て、平常心でいられるはずがあるだろうか。

だいたい、カーニバル衣装ビキニパンツ部分から下がっているふんどしというか前垂れというか、極限まで深くしたスリットみたいな、あれをみても平静ではいられない。たまにファンタジーものでもそういう名前がわからないけれどもふんどしというか、マーニャ踊り子衣装みたいなのがあるのだが、あれってめくったらどうなっているんだろ。鳥山明に聞いてみたい。

カーニバルとは何か?

カーニバル、つまり謝肉祭とは、四旬節という物忌みの期間直前のお祭りであり、しばらくは肉料理が出なくなる。要するに遊ぶだけ遊んで翌日からは真面目にやる日、というわけだ。別の説によれば異教の祭り起源であるのだが、どちらにしても現在ではキリスト教の暦と密接に関係している日である。ちなみに、この四旬節が明けて過ぎ越しが明けた日がイースター復活祭に当たる。

リオデジャネイロではこの祭りは3週間続く。

サンバとは何か? (何気ないマンボサンバ師匠をきずつけた)

ウィキペディアによれば、黒人白人音楽の混交からまれ音楽ダンスを指すそうである。もう少し詳しく述べると次の通り。

音楽としてのサンバダンス音楽であり、19世紀の終わりごろブラジル北東部港町バイーア(現:サルバドール)で生まれ音楽が源流となった。当時のバイーアは、奴隷貿易によってアフリカから連れて来られた黒人が集められ、売り買いされた場所であった。その後、白人文化からの影響も受けながら1910年代確立し、1930年代に普及と隆盛を迎えたそうである。内容も黒人生活人種差別から抒情的な内容も含むようになっていった。

ダンスとしてのサンバもまたバイーアに住んでいたアフリカ奴隷の踊りが元となっていて、足や腰の動きを基本とし、ほとんど即興であるポルトガル文化と混交してリズムや踊り方が変化した。伝統的には音楽演奏しながら周りで手を叩きながら輪を作って踊り、交代で人が中に入って踊るが、これをサンバ・ジ・ホーダ、サンバの輪といい、都会のサンバ進化にも影響を与えた。これは今や、ブラジル文化的なアイデンティティとなっている。

現在サンバショーでは現代欧米ダンスを取り入れた振り付けだが、あくまでもサンバ基本的即興の踊りが中心で、またその醍醐味であるそうだ。

なお、日本に初めてサンバが紹介されたときには知識が不足していたせいかキューバマンボ混同していたり、なぜかメキシカンハットをかぶっていたりと文化考証がめちゃくちゃで、冒頭に引用した語句のように、今でもこの誤解を引きずっている人は少なくない。マツケンサンバだってサンバとはちょっと違う。

衣装の変遷

Rio de Janeiro's Carnival Costumes Throughout the Years - ABC News(不幸にして画像リンク切れ

The History and Tradition of Rio Carnival Costumes - Bucket List Events

カーニバル仮装イタリアにその起源を持ち、その伝統ポルトガルにまで広まった。それが植民地ブラジルにもたらされた。誰が誰だかわからない、そういう楽しみであろう。

1930年まではブラジル社交界の人々は平民たちの視線のなかで、豪奢な衣装仮面を見せびらかして歩いていた。仮面動物悪魔の形をかたどったものや、イタリア起源もつ道化の顔もあった。

1930年以降、庶民カーニバルに参加するようになった。しかし、当然のことながら高価な衣装は身に着けられないし、2月ブラジルは非常に暑い。そこで、明るい色を身にまとうことになった。カーニバルパレード1932年に端を発する。

そこから徐々に衣装の軽量化が始まった。1950年にはすでに男性上半身裸、女性ビキニ姿になっていたことが確認される。水着ビキニ1946年誕生しているので、非常に適応が早い。海以外でビキニ姿になったことを考えれば、全く持って革命である

1970年代になるとサンバスクール組織化され、現代のように洗練され始める。この産業衣装の豪華さを支えている。実際、テカテカビキニばかり有名だけれども、他のメンバー極彩色衣装露出が少なくても見ていて楽しい。こうしたサンバスクールエスコーラ・ジ・サンバ)は学校を名乗っているが実際は組織化されたダンスグループで、最大で4000人の規模にも達する。舞踏衣装スタイルに違いがあり、区別される。なお、ダンサーだけで4000人であり、衣装を準備する人やその他オーガナイザーは含んでいない。

また、同時期にサンボードロモ、つまりサンバ披露するためのエリアが作られる。ウィキペディアによれば、通常は、サンバスクールパレードが展開できるほど長い空間を、観覧席が取り囲むような構造になっているそうだ。阿波踊りの会場みたいなものか。そして、リオデジャネイロサンボードロモの場合中央パレード空間の長さは700メートルに及ぶとのことである。ブロコスカーニバルブロックもまた作られた。

現代では、ほとんどあらわになった胸に紐パン姿も散見される。英国タブロイド紙がこうした乳首の露出やフェイクの乳首について記事を書いている。

今のところ、全裸は許容されていない。とはいえルールを守らない人もおり、そのせいでサンバスクールが時折資格剥奪されることさえある。そういう格好で踊っている人が見たければxvideosかpornhubをご覧いただきたい。野外で全裸になるのは露天風呂でもわかるように最高なので気持ちはわかるが、ルールは守りましょう。

本当にこれでいいのか? テカテカビキニと7歳の少女

英国のインデペンデント紙には次のような記事がある。

Hyper sexual Carnival atmosphere has a dark side for Rio's women | The Independent | The Independent

ここで記者は、カーニバルビキニ女性たちは過度に性の対象となっている、モノ化しているのではないか、と指摘している。つまりパレード疲れた男性たちを鼓舞するように休みなく踊り続ける半裸の女性、いわゆるボンキュッボンの「理想」的な体型で選ばれるサンバ女王たち。少年たちがサッカー選手に憧れるように、テカテカのビキニ女性に憧れる少女という構図。一見エンパワーメントされているようだが、実際は? しかも、カーニバルでは性暴力の数が圧倒的に増える。その場の雰囲気強制されたキスだけでなく、強姦も含む。こういう空気を嫌ってか、カーニバルの期間は脱出する人もいるそうだ。

自分は、よその文化から評価できる立場にはない。ただ、たとえば「理想」的でない体型の女性も選ばれたらもっと素敵になるかもしれない、と思うのだ。昨今、モデルの体型をやせ過ぎにするのはやめよう、という運動が起こっている。それに、いわゆる美人ではないしスリムではない女性芸能界活躍することが増えた。自分の好みではないが、とてもいいことだと考えている。貧乳でもいい、毛深くてもいい、ぽっちゃりでもいい。そういうメッセージ社会全体に広がることで、あなたあなたのままでいいという空気を作ってほしい。あなたあなたのままで尊重する、そうすることで暴力の少ない社会にしていきたい。

過度に性的空気は似たようなイベントニューオーリンズマルディグラでも問題になっている。家族で過ごすイベントである側面もありながら、野外で全裸になる人も後を絶たないのだ。ブラジルから外れるので詳しくは述べる余地がないが、詳しくはウィキペディアを参照してほしい。

Child queen, U.S. stars to light up Brazil Carnival | ロイター

https://www.france24.com/en/20100215-controversy-over-child-performances-mars-rio-carnival]

あるいは、7歳の少女が躍る権利についても議論が巻き起こっている。子ども権利保護する団体が、彼女性的搾取されることを恐れたのだ。ハイヒールビキニ大人たちのいる場はどうしても性的だし、40度にも達する気温は子供身体有害である恐れがある。同時に、踊りたいという子供の夢をかなえたい思いもある。日本でも、浅草かどこかで踊る小学生ビキニ姿をアップロードする者は後を絶たない。

ちょっと前まで子どもすっぽんぽんで泳ぐのがかわいいとか言っていた時代だったかもしれないが、誰でも写真動画が容易に拡散できるようになってしまった時代、そうもいかないだろう。僕たちは否が応でも自分身体性的だと意識せざるを得ないし、子ども自分身体を守るための性教育必要性は高まっている。何も幼稚園からセックスについて事細かに説明する必要はない。ただ、身体特定の部位を覆い、むやみに他人と触りっこしないように教えて身を守れるようにすれば十分だろう。性教育とはセックス知識だけではないのだ。

カーニバル日本に定着するか?

2月祭りとしてはしないと思う。日本人は概して祭りが好きだし、海外祭り積極的に受容してきたが、イースターが定着するかどうかどうかという雰囲気であり、これ以上の祭りを受け入れるキャパティは少ないのではないか2月にはすでにバレンタイン商戦があるので、そこにねじ込むのは少々無理があるだろう。50年経てばパリピホーリー祭りまでやり始めるかもしれないが。あるいは、8月浅草サンバカーニバル5月神戸まつりのように季節をずらすかもしれない。大体ああいう格好をするのは単純に踊っているとめちゃくちゃ暑いってのもあるだろう。

私事だが、イギリス育ちの自分としては、日本に戻ってハロウィンイースターがないのが当然だと思っていたし、寂しいとも思っていなかった。触れるとすればせいぜい、NHKの「えいごであそぼ」や国際交流の授業で言及されるくらいであった。ハロウィンイースターを定着させようとする動きはごく最近のものだ。

それに反対するわけではないのだが、ハロウィンが終わって街の雰囲気がすぐにクリスマスになるのは風情がなさすぎる。米国ならクリスマスまでの間に感謝祭があるのでまだ11月を感じることができるのだが、日本ではそうもいかない。二十四節季を楽しんでいた先人のいる国とはとても思えないほどに大味だ。

商業主義との両立を考えるなら、11月にも何かイベントをやればいいのではないか2月には豆まきバレンタインがある。毎月2度のイベントをやれば、二十四節季めいていてまだいいのではないか

まとめ

今後の展望

今回はテカテカビキニ50年代にまでさかのぼることを示した。今後は、世界各国の祝祭の場における露出自由、野外全裸性的規範のゆるみについて調べるとともに、暴力を防ぐための対策についても調べていきたい。

また、ハワイアンダンスタヒチアンダンスについても調査したい。

あるいは女性ふんどしそれからファンタジーの前垂れの起源についても気になるところである

2020-11-23

増田オフ会

去年の忘年会シーズンにひっそりと行われた増田オフ会

はてなじゃない某SNS増田書きを募るものがあったので、興味本位で参加した。募集主を含め、全員がそのためだけに作られたアカウントだった。

参加者は私を含めて6人。男女比はちょうど半々で、20〜30代だけだった。

見た目は全員なんというか、ブログ匿名で書くけどこういう会には来るような感じの、イケてもないしダサくもないという雰囲気

話題は当然はてなのことに集中していた。

ブックマークを使っているか増田セルクマをするか、うんこ関連の記事をどう思うか、三大○○を募集し始めたら負けだとか、バズり始めたタイミングで私が書きましたと名乗るやつはダサいとか、まあそんな話をした。

過去に一番バズった記事を自慢しあったり、その場で全員即興増田を書いたりして、私は30秒ぐらいで三大○○ネタを書いたら200ブクマ超えしたりしてなかなか良い思い出だ。

だいたいみんなほぼ毎日、短くても何かしら書いているということだった。固定されたアカウントじゃないからつまらないことでも気楽に書けるのがいいとこだよねと。

うち2人が、キャラクターを使い分けてる派だった。身バレを防ぐ以外にも、創作風の自分語りをしてる時があるとかなんとか。

みんなやっぱり自分体験をそれなりの文章に仕上げた記事や、ネタ系の投稿バズると嬉しいらしい。

中に一人、猛烈に日本死ねみたいなバズりを羨ましがってる人がいて、社会問題が起きると「日本死ねチャンス」と言って増田を書き始めると言っていた。

2020-11-20

anond:20201120015216

枕詞というテンプレがあるおかげで即興で句が紡ぎやすくなるんじゃね

2020-11-19

支配できないので支配される人々

 支配されるということは甘美なことで、大抵の人はそのことを悪徳(vice)であると思い込んでいるみたいだけど、実際のところ何かに支配されることによって安穏と振る舞っている人間は多い。

 人が誰かから支配を望む理由は色々あるのだけれど、煎じ詰めると一つの理由収束することになる。要は、自分自分支配できないから、誰かに支配して貰いたいのである。人は多くの場合自分自身を支配することができない。自分の行動原理を把握できず、その行動原理からまれるところの行動を把握できず、コントロールすることができない。人は自動人形のようにふらふらと手足と口を動かして、声帯を震わせて寝て起きて飯を食って排泄することを繰り返している。繰り返し、繰り返し、繰り返し。

 自分支配するということは極めて難しい。まず、自己支配を目指すためには、自己支配するところの原理を把握し、その原理の根っこを掴むところから始めなければならない。つまり自分の行動原理根底を自ら認め、把握し、その支配権を無意識ではなく有意識へと移し替える必要があるのである

 無論心臓の鼓動とかの不随意運動支配することはできないとしても、自分がどういう原理によって行動しているのか、何を求めているのか、そういう事柄理解し、その認識の背後に回り、メタ視点から認識や行動をある程度コントロールすることは決して人智を超えた行為などではない。単に、幾らか理性的行為範疇に過ぎない。それでも、多くの人々にとってその行為は極めて困難であると言わざるを得ないのが現状である

 例えば、誰かが誰かを悪者にしているとする。ここに悪い人がいます、と誰かが言っているとする。

 そのような際に、人々の取れる行動は大きく分ければ三つである。つまり肯定すること、否定すること、無視することの三つである

「確かにこいつは悪人ですね」という態度を取るか、「いやいやこの人は悪人ではないでしょう」という態度を取るか、「知らんし」という態度を取るかの三つの内のどれかを選ぶのが、多くの人間である。で、最近はこの中で肯定立場安易に選び取る人間が多いように思う。まあ、実際この世の中には救いようのない悪人がいるし、仮にそういう人間が居たとして、その悪事が明るみなった時に、多くの糾弾を向けることはそこまで間違ったことではないのだけれど。

 ただ、やはり人が自分の行動原理を把握しておくことは必要なのだと思う。つまり、この場合には、「何故自分は『悪人がいるよ!』という意見に対して肯定立場を取ったのだろう?」という思考をする必要があるということである。「何で自分悪人存在糾弾する側に回ったのだろう?」と考えることが必要なのである。色々と理由はあると思う。「自分正義を愛するから」「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」「単に誰かをやっつけたいから」「暇だから」「刺激を求めているから」「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」色々な原理が思い浮かぶことと思う。このように色々な原理候補が浮かんだとすれば、次にその真贋の区別を行う必要もまたある。「自分正義を愛するからウソつけ。「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」ウソつけ。「単に誰かをやっつけたいから」あり得る。「暇だから事実だ。「刺激を求めているから」どうだろう。「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」あるいはそうなのかもしれない。

 と、こんな具合に色々自分の行動の理由仮定し精査するという行為が、自分の行動を律する前段階として必要になる。でも、はっきり言ってこのような行為は面倒だし、そもそも自分の行動原理を把握し自分の行動を支配するというプロセスに、一体どのような利点が存在するのかと問われると、いかんせん答えに窮する。はっきり言えばそんな利点など無いし、むしろデメリットであれば明確に存在している。つまり思考リソース自己反省に割かれることによって、脳の処理能力総合的に減退するのである判断に遅れが生じ、瞬間的な即興的な判断能力が後退し、要するにどんくさくなる。しょうもないミスを繰り返したりするようになる。

 そんな具合に、人は自分を把握するのが困難である自分の行動原理を把握することが困難だし、把握することさえ困難なのだから、行動原理コントロールすることなど尚の事難しい。しかも、仮に行動原理コントロールできたところで、それは自分にとってメリットのある行為とは言えないかもしれないわけだ。そんなこんなで、人は自分を把握することを諦め、自分コントロールすることもまた諦める。別に、諦めたところで損があるわけでもないのだ。というか、むしろ明らかに得なのである


 というわけで、人はナチュラル自分支配することを諦める。人は、自分支配せずに、自分を把握せずに、自分理解せずに、時に何かを貶し、冒涜し、何かを貶める。そして、何かを壊す。自分のやっている行為について反省することはない。自分の行動原理について反省することはない。

 それはコストが大きすぎる割にリターンの少ない行為からである。よって、人は自分コントロールすることを諦める。

 人は自分支配することができない。だからこそ、誰かが自分支配することを心の底では望んでいるのだ。水は流れる。人は支配される。そうして今日地球は回る。幸いなるかな、水は流れる

支配できないので支配される人々

 支配されるということは甘美なことで、大抵の人はそのことを悪徳(vice)であると思い込んでいるみたいだけど、実際のところ何かに支配されることによって安穏と振る舞っている人間は多い。

 人が誰かから支配を望む理由は色々あるのだけれど、煎じ詰めると一つの理由収束することになる。要は、自分自分支配できないから、誰かに支配して貰いたいのである。人は多くの場合自分自身を支配することができない。自分の行動原理を把握できず、その行動原理からまれるところの行動を把握できず、コントロールすることができない。人は自動人形のようにふらふらと手足と口を動かして、声帯を震わせて寝て起きて飯を食って排泄することを繰り返している。繰り返し、繰り返し、繰り返し。

 自分支配するということは極めて難しい。まず、自己支配を目指すためには、自己支配するところの原理を把握し、その原理の根っこを掴むところから始めなければならない。つまり自分の行動原理根底を自ら認め、把握し、その支配権を無意識ではなく有意識へと移し替える必要があるのである

 無論心臓の鼓動とかの不随意運動支配することはできないとしても、自分がどういう原理によって行動しているのか、何を求めているのか、そういう事柄理解し、その認識の背後に回り、メタ視点から認識や行動をある程度コントロールすることは決して人智を超えた行為などではない。単に、幾らか理性的行為範疇に過ぎない。それでも、多くの人々にとってその行為は極めて困難であると言わざるを得ないのが現状である

 例えば、誰かが誰かを悪者にしているとする。ここに悪い人がいます、と誰かが言っているとする。

 そのような際に、人々の取れる行動は大きく分ければ三つである。つまり肯定すること、否定すること、無視することの三つである

「確かにこいつは悪人ですね」という態度を取るか、「いやいやこの人は悪人ではないでしょう」という態度を取るか、「知らんし」という態度を取るかの三つの内のどれかを選ぶのが、多くの人間である。で、最近はこの中で肯定立場安易に選び取る人間が多いように思う。まあ、実際この世の中には救いようのない悪人がいるし、仮にそういう人間が居たとして、その悪事が明るみなった時に、多くの糾弾を向けることはそこまで間違ったことではないのだけれど。

 ただ、やはり人が自分の行動原理を把握しておくことは必要なのだと思う。つまり、この場合には、「何故自分は『悪人がいるよ!』という意見に対して肯定立場を取ったのだろう?」という思考をする必要があるということである。「何で自分悪人存在糾弾する側に回ったのだろう?」と考えることが必要なのである。色々と理由はあると思う。「自分正義を愛するから」「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」「単に誰かをやっつけたいから」「暇だから」「刺激を求めているから」「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」色々な原理が思い浮かぶことと思う。このように色々な原理候補が浮かんだとすれば、次にその真贋の区別を行う必要もまたある。「自分正義を愛するからウソつけ。「自分は悪をやっつけることで世界を良くしたいから」ウソつけ。「単に誰かをやっつけたいから」あり得る。「暇だから事実だ。「刺激を求めているから」どうだろう。「何を喋っていいのか分からないので、とにかく誰かを糾弾するという形式を借りて、何でもいいか自分についての情報を発信したいから」あるいはそうなのかもしれない。

 と、こんな具合に色々自分の行動の理由仮定し精査するという行為が、自分の行動を律する前段階として必要になる。でも、はっきり言ってこのような行為は面倒だし、そもそも自分の行動原理を把握し自分の行動を支配するというプロセスに、一体どのような利点が存在するのかと問われると、いかんせん答えに窮する。はっきり言えばそんな利点など無いし、むしろデメリットであれば明確に存在している。つまり思考リソース自己反省に割かれることによって、脳の処理能力総合的に減退するのである判断に遅れが生じ、瞬間的な即興的な判断能力が後退し、要するにどんくさくなる。しょうもないミスを繰り返したりするようになる。

 そんな具合に、人は自分を把握するのが困難である自分の行動原理を把握することが困難だし、把握することさえ困難なのだから、行動原理コントロールすることなど尚の事難しい。しかも、仮に行動原理コントロールできたところで、それは自分にとってメリットのある行為とは言えないかもしれないわけだ。そんなこんなで、人は自分を把握することを諦め、自分コントロールすることもまた諦める。別に、諦めたところで損があるわけでもないのだ。というか、むしろ明らかに得なのである


 というわけで、人はナチュラル自分支配することを諦める。人は、自分支配せずに、自分を把握せずに、自分理解せずに、時に何かを貶し、冒涜し、何かを貶める。そして、何かを壊す。自分のやっている行為について反省することはない。自分の行動原理について反省することはない。

 それはコストが大きすぎる割にリターンの少ない行為からである。よって、人は自分コントロールすることを諦める。

 人は自分支配することができない。だからこそ、誰かが自分支配することを心の底では望んでいるのだ。水は流れる。人は支配される。そうして今日地球は回る。幸いなるかな、水は流れる

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