はてなキーワード: 川上音二郎とは
日本人初のシンガーソングライターは美輪明宏、これはわりと知られた話だろう。では、1つの曲で作詞作曲を行った最初の日本人は誰か。これがなかなか難しくて困ってる。作曲とはみずから譜面に起こすまでをこなすことをいうものとして。
江戸時代からの相撲甚句や明治初期の演説歌(川上音二郎のオッペケペー節等)は歌詞に即興で節回しをつけて歌っているだけで、これはこれで素晴らしいものだが作曲とは呼べない。
童謡や唱歌は作詞家は作詞だけを、作曲家は作曲だけを担うばかり。それは十分合理的なのだけれど、両方の才能にめぐまれた人もきっといたと思うんだ。例えば山田耕作なんかも試みに作詞をしたと思うんだけど、残念ながら曲がついた形としては何も残っていない。
かつて私は、三谷幸喜が好きだった。
その飄々としててちょっとネガティブで、でも面白いものを書くことに真剣な、三谷幸喜とその作品が好きだった。
「王様のレストラン」のお洒落さとユーモア。「古畑任三郎」のイヤミス的ブラックさと程良いミステリー感。大河ドラマ「新選組!」の熱い青春ストーリー。
「恐れを知らぬ川上音二郎一座」は綱渡りのような舞台にずっとハラハラするのに爽やかだった。
「おのれナポレオン」は舞台をフルに生かしていて観客ごとナポレオンの思惑に巻き込まれるような感覚を覚えた。
「ありふれた日々」も単行本を買っていた。DVDも揃えていた。
もっともこれくらいのファンなら、にわかに過ぎないだろうということもわかっている。
ところが、近年の作品になるにつれ「あれ?」と思うことが増えた。
「この役者さん、前も似たような役で出てたな……」と思う。
どうにも面白くない。退屈で欠伸が出る。
「清須会議」は開始15分しないうちに睡眠導入用BGMになった。
「真田丸」は「新選組!」に比べて作品から勢いが感じられず、周囲で絶賛されている理由が全くわからなかった。
ちなみに「ギャラクシー街道」は予告から絶望した。もはや語りたくも無い。
私の嗜好が変化したのもあるだろう。
三谷さん自身のプライベートな生活環境の変化が、作風に影響したという事情もあるかもしれない。
いずれにせよ、大好きだったはずのものが次第に受け付けなくなるのは悲しい。決定的な理由、大きな理由も思い付かないから余計に虚しい。
ただ、最近ではいわゆるアンチの意見のほうが納得出来てしまう。
発信者も受信者も歳を重ね考え方が変わっていく以上、仕方のないことなのか。
ところが先日、某局で二時間ドラマ枠で「君たちがいて僕がいる」が再放送されていた。
なお、若かりし日の渡辺謙と石黒賢がメインキャスト(この二人が今も第一線で活躍している時点で凄い)。
期待はしていなかったが三谷作品の中では見たことが無かったので一応と思って録画し、暇だった今日の午後に見ることにした。
面白かった。
二時間ドラマなのに人は死なず、ミステリーもサスペンスもお色気も無い。
もちろん特別予算をかけたようなシーンも無く、舞台の大半は地方の商店街と駅前で画面は至って地味だ。
ほとんどが渡辺謙の軽妙な実演販売トークと石黒賢の執念めいた奮闘で成り立っている。
ネタバレは避けるが、「衝撃のラスト」なんていう安っぽい展開も無い。
でも、面白いのだ。
テンポの良い会話が疲れた心に心地良い。染み入る人情が胸に刺さる。
くすっと笑った所で、はっとした。
私がかつて三谷作品に求めていた、そして今も求めている、あたたかな笑いがそこにあった。
新作映画の公開に向けてテレビに露出されることも最近また増えたが、私はその度にチャンネルを変える。
それでも多分、これからも私は、少なくとも過去の三谷作品についてはことあるごとに見続けると思う。
名作は廃れない。
新作の「記憶にございません!」はどうだろう。
面白い、と思えない可能性が怖くて映画館に行くのを躊躇う映画など、正直私にとっては三谷作品くらいかもしれない。
しかし、「君たちがいて僕がいる」を見たことで少し気持ちが揺らいだ。
……あと10日ほど、迷ってみようかな。