はてなキーワード: グラデーションとは
いやー、引用されてるマシーナリーとも子の記事については、法則分かりやすいでしょ。
要は、客観的な情報になればなるほどフォーマルに、主観的なパッションが乗れば乗るほどカジュアルになる。
「文体が混ざる」という表面的な部分にだけ注目するのではなく、「フォーマルさ」「カジュアルさ」のグラデーションの発現として常体敬体を捉えるべき。
それに私が始めた1年前と違って、現在はバーチャルYouTuber的なライブ配信を可能なスマホアプリも数多くリリースされています。
中でも「REALITY」や「Mirrativ」、「カスタムキャスト」などが人気ですな。これらは既に用意されたアバターをカスタマイズできるし、アプリから直接配信もできるので、絵が描けない人でも、普段スマホしか使ってないPC操作が苦手な人でもバーチャルYouTuberになれちゃう。
ここらへん分かりやすい。
客観情報から、徐々に主観が入って敬体常体の合いの子の「ですな」を経由し、最後には完全に自分のパッションを伝える文章になる。
例えば、3DCGの姿でダンスを踊ってる動画を配信したいんならVR用のトラッカー(さまざまな物体に取り付けることで、VR内でそれらの位置を割り出し、現実の動きとVR内での動きを同期させる端末)を用意しなければならない。費用は60,000~数十万円かかるのでピンキリっすね!
これも同じ法則。
配信にまつわる自分自身の苦労を頭に置いた文章は常体だけど、客観的な入手手段の情報になると敬体に移り変わる。ただ「ピンキリ」と主観がちょっと混じるので「っすね!」で微妙なカジュアル感を加えてる。
敬体常体の使い分けについては、「小学校学習指導要領」にも言及があるようだ。
オリジナルへのリンクが切れてたので孫引きになるが、「ですます調・だである調、敬体と常体の使い分けと正しいルール」にはこうある。
(ア)丁寧な言葉と普通の言葉との違いに気を付けて話し,また,敬体で書かれた文章に慣れること。
「丁寧な言葉と普通の言葉との違い」については、日常の場面に応じて使っている話し言葉を中心にして気付き、先生や家の人、さまざまな学習の場面で出会う人などに対して、具体的な場面で丁寧な言葉遣いで話すことができるように指導することが大切である。「敬体で書かれた文章」については、まず、入学して初めて出会う教科書の敬体の文章に読み慣れるようにし、漸次、自分でも使い慣れるように指導していくようにする。
しかしこういうパッション交じりの記事の場合、その読者は「お客様」であると同時に、「オタク仲間」でもある。
お客様には敬体で語りかけるべきですが、オタク仲間には常体で語りたいよね。
その結果が、こういう文体の使い分けに現れているんじゃないかな。
Webという不特定多数の目を想定した場での文書においては、こういった敬体常体の混ざった文体は合理的で自然なものなのです。
引っかかるか、残念だったな。慣れろ。
例の増田です
あのエントリ以降「これ増田さんでしょ?」なんてツッコミを受けたりしてますが「違うよ」とか明らかに特定している人には「答えられない」と応じる日々を送っております
ただその中で踊ってみた勢が「アドバイスが欲しい」「どう撮影するのが良いのか?」というような質問を貰うようになったので、一気に回答するためこのエントリを書きました。何らかの参考になればと思います
今回は大きなイメージセンサーが搭載されているカメラを使いましたが、そういうビデオカメラとか一眼カメラ、コンパクトカメラを使う最も大きな理由が「物理的なボタンやダイヤルなどの存在は撮影労力の低減に繋がる」からです
スマホはインターネットを見たり、ゲームをしたり、そしてカメラで撮影したりと総合力を発揮する設計になっていますが、突き詰めるとやはり撮影専用に設計された機械の方が撮影に向いているのは当たり前な話なのです
おそらくスマホで撮影を続けているといつか「操作性の壁」にぶつかると思うのですが、そのときカメラ購入の検討を始めても遅くはないですよ。欲しいときが買いどきです
これも上記の質問とだいたい同様の内容ですが、ちょっと趣向を変えましょうか
昨今のスマホカメラは高画質になり、大きなイメージセンサーを搭載したレンズ交換式カメラでなくとも良いシチュエーションや目的というのは非常に多くなりました
しかしスマホカメラでは向かないシチュエーションや目的というのも今まで通り存在します
それは「美しいボケ味を得たい」という目的で発生するもので、スマホカメラでボケを得ようとするとき向かないシチュエーションとは「物理的に狭い屋内などではスマホだとボケが得にくい」のです
最近のスマホはソフトウェアでボケを作り出す機能が搭載されていますが、輪郭線が曖昧な、例えば髪の毛などを誤判定してキレイなボケが作れなかったという経験をした方も数多く居ると思います
やはり、狭い屋内で美しいボケ味を得るには物理・光学的な作用によってボケを作り出すレンズ交換式カメラの方が得やすいという事実は認識しておいた方が良いかも知れません
スマホの質問多いなぁと思わなくも無いですが、スマホで大丈夫です。スマホでもキレイな踊ってみたを撮れます
上記でも語りましたがスマホは屋内で使うとボケを得にくいですし、イメージセンサーが小さいので明るさが足りないとどうしてもノイジーになってしまいます
スマホの欠点をカバーするなら逆のことをやれば良いわけで、最強の光源である太陽が出ている日中に広い屋外で撮影すると「最近のスマホってすげぇな!」とビックリするくらいキレイに撮れます
イメージセンサーとレンズと被写界深度という小難しい話はここでは無視します
説明してもエントリが長くなるだけで、踊ってみたを撮影する人たちにとって一番重要なのは「どうやったらボケるの?」って話だと思うんですよ
詳しく知りたい人は自発的に調べるでしょうし、ここでは取り敢えず知りたいという人へ答えます
その方法が「演者と背景の距離を出来るだけ長くする」というわけです
ちなみに所有しているスマホに光学ズームが搭載されているなら「光学ズームをMAXまで使った方がボケる」ということも覚えておきましょう
ただ「デジタルズームではボケ量は変わらない」ので注意が必要です。デジタルズームは映像を拡大しているだけなので光学的なボケは増減しないのです
スマホに限った話ではないのですが、ブレは画質低下に繋がります。詳しいメカニズムはこれまたググッてください
実際、固定するものは三脚でなくとも良いのですが、取り敢えず「スマホを手持ちで撮影するのは意図した演出がない限り限り控える」方が画質的には有利です
スマホはイメージセンサーの大きさに起因してダイナミックレンジ(明暗のグラデーションの細かさ)が狭いです
逆光で撮影するとどんなに露出(明るさ)を調整してもこの欠点が如実に現れてしまうので、わざわざ苦手な分野で勝負することもないので順光で撮影がベターです
演出的な意図で逆光撮影して白飛びさせまくっても面白い映像になるような気もしますが「スマホでの撮影は基本的に順光」というのを心の教科書に載せておきましょう
この4つを守るだけでスマホでの踊ってみた撮影がめちゃくちゃキレイになります。オススメです
「変」という文言に悩んで「これって誤りや間違いという意味での変ですか?」と聞き返したら「そうです」と言うので答えます
おそらくという前提が付きますが「既存の踊ってみた動画の7〜8割くらいはカメラの高さに誤りがある」のではないか?と感じています
踊ってみたのようなダンスパフォーマンス撮影(アイドルなどの撮影含む)での「カメラの高さの基本は演者の腰の位置」で「大半の踊ってみた動画では演者の顔もしくは胸の位置にカメラが設置してあるのが誤り」ですね
これは何故かと言えば「腰の位置にカメラが設置してあると足が長く小顔に見える」んですね。そういうもんだという理解でOK小難しい話はググッてください
わかりやすいサンプルに韓国系女性アイドルグループのミュージックビデオがありますね。韓国系女性アイドルグループは足を重要視しているようで例外なくカメラの高さは腰の位置にあります
ちょっと前に流行ったDA PUMPのU.S.A.もカメラは腰の高さでした。色々な動画を観てみると「腰の高さだ!」と気付くと思います
絶対的な基本ではないとは思いますが、アイドルが出演する音楽番組などを収録したことある人なら基礎知識として知っている知識のはずです
マルチカメラ初心者さんということで先ずは2台から始めてみましょう
1台目のカメラは真正面の固定置き、2台目のカメラは演者の上半身を追い続けるという感じが良いかと思います
ただ、演者に追従するって実は非常に難しく素人がやると手ブレしまくって見れた映像にはなりません。下手すると酔います
カメラジンバルなどを使って追従するのが一番良いのですが、カメラジンバルってそこそこ高価なものなので素人は導入しにくいです
だから「マルチカメラの裏ワザ」を使ってしまいましょう。大丈夫です意外と編集するとバレませんw
マルチカメラの裏ワザとは「2本撮りをし、1本目と2本目のダンスの構成を変えてしまう」というものです
1本目は前後左右の移動する普通のダンス構成で踊ってもらい、2本目は前後左右の移動を廃したダンス構成で踊ってもらうのです
これで2台目の上半身を映すカメラを三脚固定することが可能となり、手ブレしない演者へ追従するマルチカメラ撮影ができるのですw
マルチカメラと言いつつ1台でも可能な裏ワザですのでお試しあれ
すべてのカメラユーザーがツッコミを入れたいと思っているはずなので不詳ながら代表をしてツッコミを入れます
今は一眼レフって言わないんだぞ!一眼レフってミラーがボディに内蔵されているカm(ry
・・・ふぅ
今は一眼レフカメラやミラーレス一眼カメラなどのレンズ交換式カメラを総称して「(レンズ交換式)デジタル一眼カメラ」と言います
本当に一眼レフを求めている可能性がほんの僅かにあるかも知れませんので一応は問かけたところ「デジタル一眼カメラ」で良いそうです
長くなってしまいましたが本題のオススメですが、はじめてのデジタル一眼カメラでコスプレをする踊ってみた勢という条件で絞ると「SONY α6400」一択です
色々とご意見や信仰もあるとは思うのですが、フルサイズミラーレスのレンズは高価ですし、動画を撮影するというのならコレからも考えて4K30FPSは対応しておいて欲しいですし、コスプレに関係しそうな機能の大半は載ってますし、性能・機能と価格のバランスが良いんじゃないかなぁと
価格なんてどうでも良いと言うのならCANON EOS RやNIKON Z7も良いと思うんですけどね。いやいやFUJIFILMもPanasonicも・・・となるので取り敢えず今ここでオススメするならSONY α6400です
ちなみに知り合いのコスプレイヤーさんやモデルさんなど"撮られる人"が5人も買ってますねα6400。それくらいなかなか出来る子なんですよ
SONYで揃えていたのは色調を揃えるため
やっぱり色んなメーカーのカメラが混ざっていると色調を揃えるだけでも重労働になっちゃうので編集の労力を下げるためにSONYで揃えました
そしてなんでそんなにSONY製品持っているの?という疑問も持つかも知れませんが、日本国内であれば業務用であれ何であれ同じカメラを追加したいときには絶対にリース在庫があるからです
SONYは絶対にリース在庫あるってのは物凄く安心感あります。急にカメラ壊れることも無くはないので
ちなみにCANONもNIKONもPanasonicもFUJIFILMもPENTAXも持ってますよ。あの日SONYだったのはたまたまそういう気分だったからとしか言いようがない
今は一眼レh(ry
前述しましたが狭い屋内でもボケを得やすいですし、スマホでは暗くてノイジーになりやすいところでも比較的明るく撮れますし、いろいろひっくるめて答えるなら「スマホでなくカメラを使っているのは撮影の自由度が高いから」です
画質というよりも本当にこの自由度が撮影において非常に重要で、特にスポーツやイメージビデオなんて収録していると瞬間的に露出を変更したいなんてときにサクッと変更できるのがカメラの良いとこなんですね
ただ強く、非常に強く強調しておきたいことがあって、コスプレ界隈って一時期「謎のフルサイズ信仰」があったじゃないですか
アレよくないですね。スマホに向いたシチュエーションってのもありますし、目的があってカメラを選ぶわけであってカメラ絶対主義は良くない
今回SONY推しちゃったけど「SONY信仰」みたいなのは見たくないですね
DaVinci Resolveです
例えばカットやクロップや色調補正や文字入れは無料範囲内ですし、女性なら手間は掛かりますがパンチラもマスクして隠せますよ
ちなみに購入しても4万円しないので、ここまで高機能なビデオ編集ソフトがこんな価格で買えちゃうなんで安くなりましたねぇ!
メチャクチャ高機能なので(課金さえしたら)やりたいことはたいていできるはずなのでオススメですよ
ただ、重量級ソフトなので低スペックなパソコン使ってる人は厳しいかも知れません
他にも質問がいくつかありましたが内容が大体被っているので端折ります
最初はまさか本人たちへ届くとは思っていなく言葉も荒っぽくなってしまったのを後悔しています
ただこれを切っ掛けに映像作りへ興味のある方が反応を示してくれたことが怪我の功名かなと感じる次第です
はてなーの皆様、そして踊ってみた勢の皆様、本当にありがとうございました
普通に結婚したかったので、性転換手術をした元女性(現男性)です。娘さんは、本当に悩んでご家族に打ち明けたと思います。僕は、同性カップルでいることが難しかったので、不妊手術(性転換手術)をして性別を変えてしまいました。
簡単に僕の状況を説明しますね。性自認(自分がどちらか)は、9割側男性より。でも、体は女性だし、自分は女性だなと同時に思っていた。性指向(どちらの性別が好きか)も、9割側男性より。でも、男性でも好きになれたし、結婚も考えることもあった。
しかし、僕は同性(女性)を好きになる割合が多めで、同性でカップルでいることの辛さをよく知っていました。10代のころ、手を繋いでいて「(男と女)どっちかな?」と指を差されることばかりだったし、当たり前のようにカップルとして祝福されることはすごく少なくて、腫れ物に触るようにいつも扱われました。逆に男性と交際したときは、拍子抜けするくらい、社会から受け入れられて驚いたものです。20代になってから、そういう偏見の目を彼女たちに向けさせたくなかったし、自分が男性である自認が強かったので、診断を受けて、戸籍は女性のままで、世間一般では男性として生活しました。
同性カップルであることのストレスは、僕の外見が変わったことで、日常生活においては、ほぼなくなりました。しかし、誰が見ても男性に見えても、入籍はできないままです。日本の法律では、性別を変更するためには不妊手術で内性器を摘出する必要があります。手術は体にも家計にも仕事にも負担がかかるし、普通の生活では男性と見分けがつかなくなっていたので、性別を変更することには二の足を踏んでいました。しかし、結局、結婚をする際に、不妊手術をして、戸籍の性別を変えて、入籍をしました。入籍で得られるカップルの制度が同性カップルでいるよりも整っており、ご両親へのご説明もしやすく、かつ書類の性別を変えることで個人的な各種ストレスも軽減されるためでした。
交際相手と世界が二人だけであれば、本当はどちらでもよかったのです。現在の妻からも当時、手術を反対されました。全身麻酔の手術で何百人に1人くらいは死んじゃいますし、手術後も数日間ベットから起き上がれずに、手術後の半年間は体力も戻らなかったし、一生定期的な注射が必要になってしまった。それでも、僕が戸籍を変えたのは、僕が社会からの圧力にとても弱かったからです。いろいろな人から指を差されて、偏見の中で数十年生活するくらいなら、自分が自然な姿の自分を捨ててしまえば、解決すると思ったのです。
話は、娘さんに戻ります。僕は、同性カップルがどのように指を差されるのか知っていて、恥ずかしながら、そこから逃げて安牌に走った人間です。僕にとっては、命を賭した手術と、子孫の断絶を合わせて、安牌に思えるレベルの苦痛が同性カップルでいることだったのです。(あくまで、僕個人の持つ様々な状況の中での答えですから、丸飲みにはしないでください。この答えを出すのにも30年以上かかりました。)ですから、娘さんがどんな覚悟で同性カップルでいることを選び、ご家族にお知らせしたのか、どれだけ考えて息子さんの精子についてお話したのか、少しは理解できるのです。でもね。残念ながらわかりやすい答えなんてないんですよ。
娘さんが社会から自然に受け入れられるために娘さんかパートナーの方に僕のような手術を望む方もいれば、そんなことをさせるくらいなら自分たちが味方になって社会へ説明をしていく方もいるし、何も受け入れることができずに絶縁してしまう方もいる。ステレオタイプの家族以外の情報は、現代の日本にはとんでもなく少ないですから、ロールモデルを見つけるのもとても大変です。
倫理的に良いか、家族がどう感じるか、答えは国や家族の数だけあるので、家族のみなさんでたくさん書籍(専門書とエッセイ両方をバランス良く)を読んで、そしてたくさん娘さんと息子さんとお話してください。今までどう感じて、どう生きてきたのか、よく娘さんとパートナーさんとお話してください。僕たちは、ご家族の知らないところで20〜30数年ずっと考えてきて、今の自分達の答えを持っています。ご家族が数時間でそれに一足飛びに追いつくことなんてできないことはよくわかっています。だから、時間をかけて、ご家族にもゆっくり自分達の答えを見つけてほしいと思っているはずです。焦らなくてもよいはずです。
全てがグラデーションやグレーで答えのない世界に辟易としたり、時には不安になる情報もあったり、絶望することもあるとおもいます。そこで勝手に判断して、歩みを止めないでくださいね。その一つ一つの絶望の何十倍もの数の絶望を乗り越えて、僕たちは自分の答えを見つけました。歩みを止めずに、ゆっくりゆっくり色んな本を読んで、新しく勉強してきたことを娘さんカップルに一つ一つお話ししてみてください。ご家族にとって、良い答えが見つかりますように。
BBQの話を読んでモヤモヤしたので愚痴る相手もいないしここで書く。
コミュ強の人は稀に喋ることができればコミュニケーションは取れるものだと軽く考えている不知がある。
しかしコミュニケーションにだって得手不得手がある。走るのが苦手で体力もない人もいるように。
歩み寄る努力が足りないのだと言われそうだが、努力してもある程度まではいけてもコミュ強にはなれない。
コミュ強の人にとって、大人数でワイワイはちょっとした娯楽かもしれん。
だがコミュ下手にとって、人と話すのは全力疾走をさせられるのに等しい。精神力がゴリゴリと削られ、クタクタに疲れきる。
体動かして気持ちいい!みたいな気楽さではない。
コミュ強の人にとっては、「たまには体を動かしたら?」くらいの気持ちかもしれんが、仕事でもないのに休みに全力疾走させられる方は溜まったもんじゃない。
せめて苦手な人を走りに誘うなら、準備運動はさせてくれ。事前知識をくれ。最初はこっちのペースにも合わせてほしい。
いきなり全力疾走させられたら、加減が分からず足をつっても仕方がないよ。そりゃ加減をミスったこっちも悪いが。
ただし、コミュ下手側も頑張って事前にコミュニケーションの下手さを伝える努力はした方が色々と上手くいく。
「自分がいかに疲れるか」「なぜ疲れるのか」「何が苦手なのか」「どんな環境や人数なら大丈夫なのか」「会話下手でも話せそうな人を教えてほしい」とか。
相手がたとえコミュ強でも、言わないと自分の苦手具合は伝わらないだろう。対策も立てられない。
事前のすり合わせもなしで行けば怪我をするのはこちらだ。これに関しては自省したい。
コミュ下手も「たまには体動かさないと健康に悪いしな~」みたいな感じでコミュニケーションを取りたいことも(多分)あるので、誘ってくれるのはありがたいんだ。自分からは誘えないだろうし。
ただコミュ強と同じ扱いをされると辛い。
あースッキリした。
ちなみにコミュ下手でも結婚はできる。コミュ下手にも段階があるのでな。
( 2019年春アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その2 からの続き )
戦争で生まれた兵器の再利用。「魔法少女特殊戦あすか」的な感じ。戦争のため、魔法によって生み出された兵器「妖精兵」がテーマ。戦争が終わり御役御免なっちゃったので新しいお仕事を探す羽目に。存在自体が違法扱いになってるところや、体よく利用される姿は「PSYCHO-PASS」みたいな感じ?特に本作は2話から公安の職員としていろんな調査に駆り出されるところも刑事ドラマっぽさを感じる。でもあっちは「一般人」と「サイコパス」がグラデーションであるという点で明確に異なる。
なんかファンタジーモノやりたいね→パーティ全員暗黒騎士って面白くね?→でも悪魔(邪神)って何なん?→いっそ妖精にしようぜ→じゃあそれで とのこと。グリムガルとの関係でお世話になった十文字青がシリーズ構成として参加していたり、劇伴をノーネームが担当していたりする(ちなみに制作はグリムガル:A-1 これ:PA)。作中で挿入歌を流す演出も健在。あれめっちゃかっこいいよね。こないだニコ生ライブ見たけどめっちゃ凄かった。
世界観はグリムガルと比べてリアル寄り。「妖精にまつわる部分のみファンタジーだけど、それ以外は全部現実と同じにしたい」というコンセプトらしい。一応、ちょい昔の西欧が舞台。背景はいつものスタジオ・イースター。美術監督は東潤一が担当。相変わらず石畳がエロい。キャラクターデザイン、衣装、小道具まですべてリアル志向。非常に印象的なのが、ボルトアクションライフルを撃つたびリロードする主人公。ほぼすべての射撃シーンにてリロードモーションまできっちり描かれている。手での操作も排出される薬莢も、SEも明らかに拘ってて「ここはファンタジー世界じゃなくて、僕らの知ってる世界線なんだぜ」っていう暗示みたい。
その妖精だけど、あんまり可愛くない(人間に宿る前は可愛いんだけど)。「あ!こいつあのゲームで戦ったやつだ!」みたいな禍々しいデザインで、それこそ妖精というより悪魔みたい。こいつダクソにいなかった?
監督が「JOJOの奇妙な冒険」でお馴染み鈴木健一なので、戦闘シーンはスタンド使い同士の戦いに近い。ただ「ダイヤモンドは砕けない」以降に見られるような「主人格の心を反映した能力」みたいなやつではなく(妖精だからね)、より直接的な戦闘能力を持ってる。殴るのが強い、衝撃波でぶっ飛ばす、強力な弾丸を放つ、暗殺する、etc。作中で妖精の能力は詳しく解説しないので、公式サイトを見てね。JOJOと決定的にに違うのは、人間自身も戦闘に参加していること。主人公はボルトアクションライフル、バディは双剣、フォーマンセルのときは+スナイパー、スポッター。3DCGでゴリゴリ動く妖精と作画でゴリゴリ動く人間の乱闘凄かった。
公式チャンネルでは解説動画シリーズ「ふぇありーんごー」を毎週公開している。まさかのいらすとやコラボである。内容はだいたいあってる。専用新素材もあり、ちょうど素材を切らしていたいらすとやフリークは要チェック。「仮にオーダーメイド素材を沢山使っても、必ず”いらすとやで再現してみたシリーズ”みたいな感じになる」という知見を得た。
もう一つの聲の形。ショートアニメ。制作はシルバーリンクとの共同制作でよく見るCONNECT。元請けは初?監督は「CHAOS;CHILD」「異世界食堂」とかでおなじみ神保昌登。ちなみに神保さんが来年のアニメ「へやキャン」の監督を務める(1期のOP絵コンテを担当したよしみかな)。
人と言葉で喋ろうとすると「はわわーっ」ってなっちゃうので、「もう一つの声」で喋る女の子のお話。「GO!GO!575」よりも575してる。余談だけど先のアニメ「かぐや様は告らせたい」では何気にセリフを575にまとめてテンポ感を出す演出を多用してたので、チェックしてみてね。
主人公かわいい。人前でしゃべれない割に575ならめっちゃ積極的になる感じ。あとセリフがないぶん表情で魅せてくる。笑顔がかわいい。あのちょっと抜けてるとこが良いよね。声は花澤香菜(ファルセットの方)。最近は地声増えてきた印象。パンドーラとかよりもいとかはたらく細胞とか五等分とか。声でいうと先輩を演じる矢作紗友里の矢作紗友里感が非常に強い。ここ最近で一番ツッコミがキレッキレ。
毒島くんに限らず、口下手なキャラと主人公の対比良いよね。筆談(しかも文字制限あり)で思いの丈を全部喋っちゃう主人公が羨ましい。
はるか昔から語り継がれるゲーム原作。エグゼクティブプロデューサー:志倉千代丸。というわけで平行世界を舞台にしたSFアドベンチャー。制作は去年「ISLAND」制作のfeel.。SFモノにご執心なのだろうか。
「2クール全26話のアニメでは、原作ゲームに出てくる全キャラ、全ルートを描いていく」と公式アナウンスがあった。1話は伏線パート。印象としてはそれこそシュタゲみたいなガチガチのSFやんのかなー、的な。「もし平行世界に干渉すると、何が起こるんだろう」みたいなところを掘り下げていくお話。時空を操る系主人公の中ではトライアンドエラー方式を採用してて、よくわかんないけどやってみっか!精神に溢れている。ISLANDのセツナより前のめりな主人公。その割に言い回しがクレバーなところが好き。
feelということで、キャラデザは「この美術部には問題がある!」の人。ジト目かわいい。そして何かとfeel作品と縁のある小澤亜李。この美(主人公)、ヒナまつり(主人公)に続き本作で表題のヒロイン役。1話で四散しちゃったけど再登場は暫く先とのこと。
監督は「ゼロから始める魔法の書」監督の平川哲生。多分本作も監督とシリーズ構成を兼任してるみたい。ゼロ魔でも見られるような女の子とノリの良い掛け合いすき。ちなみにゼロ魔並みに涼しい顔して下ネタを自重しないスタイル。
あと2話の「民主主義は手順の政治よ。事後承諾なんてもっての外だわ!」のパワーワード感が強い。先のクールで社会派パワーワードを連発したアニメ「えんどろ~!」に引き続き、今期のMVPはこれかも。
視聴者参加型総合エンターテインメント。アイドルたちの青春を描く。そしてジャニーズのキンプリとは関係がない。本作はプリティーリズムシリーズの系譜にある作品。
・現在、その後継シリーズとしてプリチャン(2期目)が放送中。
で、プリリズのTVシリーズ内で登場した男性アイドルグループを主人公とするスピンオフ作品がこのキンプリ。元々は劇場公開作品で、2016年に劇場版1作目、2017年に劇場版2作目、そして現在3作目が公開されている。TV版の内容としては、現在公開されている3作目を再編集したもの。劇場版1話→TV版1〜2話相当?で合ってますか?教えてすごい人。なので、過去作を追いかけるなら劇場版を見ればいいはず。
そういうわけで、基本的に劇場版(とりわけ応援上映)として視聴者が参加することを前提に作られている。冒頭のアレとか。応援上映の様子が0話の中で取り上げられているけど、めっちゃ楽しそう。その気になればTV放送版でも同じことができるので、ライブシーンに出てくる主張の強い観客を参考に叫んでみよう。歓声の内容が具体的で草。
1話はざっくりこれまでのあらすじを追ってるので、初見でも大丈夫だった。2話はかなりヘビーな人間ドラマになってて、オケ中心のエモい劇伴も相まって見入っちゃう。やっぱり山ちゃんマジすごい。
すごい。あらゆる飛び道具を駆使して想像の限りを尽くした演出。というかカオス。演出は他のプリリズ作品に引き続き京極尚彦(「宝石の国」監督等でおなじみ)、乙部善弘、今中菜々。ショーをテーマにした作品だと「レヴュースタァライト」もミュージカル作品だけれど、あっちが舞台少女vs舞台少女のオーディションなのに対して本作はショーなので綺羅びやか。2話のショーは、散々悩み倒した末に見出した自己を表現するっていうシナリオの流れでめっちゃかっこよかった。
とうらぶっぽい聖☆おにいさん。人間に化けて人間界で生活する仏様の日常を描く。そのとき、聖☆おにいさんみたいなことが起こった。
DMMのゲーム原作。シリーズ構成がDMMつながりでとうらぶ(花丸)の脚本を担当した吉田恵里香。なんか花丸っぽさがある。
仏のお仕事を通して描かれる宗教観が面白い。仏教の勉強してないのでよく分かんないけど、基本は仙狐さんみたいに人間の負の感情を祓うお仕事。が、「何でもかんでも祓ってしまうのは良くない」というバランス感覚も同時に描いてて、改めてその宗教観に興味が湧いた。2話では動物園の倫理に触れてたり。でもあんまりシリアスに寄り過ぎない感じなので、日常アニメとして楽しめそう。IT音痴のおじいちゃんがいるのはまだしもデイトレはさすがに笑う。てかそのPCいつのだよ!
音楽は日常アニメですっかりおなじみ藤澤慶昌。ほぼ寺で日常生活してるだけなのに凄く風情がある音楽は「宝石の国」劇伴に近いものを感じる。
全体的に作画がかなり安定している。それこそとうらぶ(動画工房)くらい。制作は旭プロダクション(下請けでよく見るとこ)で、年1くらいしか元請け作品が無いようなところなんだけど、実は大手並みにマンパワーのある会社なのかな。最近だとかぐや様の千花ダンスに動画で参加してたりする。アクションシーンめっちゃ動くやん。
スマホゲーム原作。女子校の野球部をテーマにしたスポ根。まさかの硬式。硬球ってめっちゃでかいイメージなんだけど、女子でも持てるんだろうか?
1話のあらすじ…初心者が初めて野球に触れる→あれ、意外とおもしろい→みんなで同好会つくろ!→生徒会「不許可」→なんでー!? まで。生徒会のくだりまで1話でまとめたあたりに「王道中の王道でやってやりますよ!」という気概を感じる。
監督は「南鎌倉高校女子自転車部」の工藤進。両作品ともスポーツものとして序盤の流れは割と似てるけど、こっちのほうがガチ感が強い。ゼロスタートな部分は一緒だけど、
みなかま:「スポーツバイクってどういうもの?」という初心者向け(そういう趣旨のCパートもある)。最終目標が自転車部としての活動継続。
「野球を楽しもう」という角度で野球部を描く作品ってかなり珍しい気がする。 女子x野球といえば「大正野球娘。」だけど、あっちは1話副題「男子がすなるという、あれ」の通り「男がするような野蛮な競技を女がするなんてとんでもない!」とか「今の時代、女性に学歴なんて必要ないでしょ?」みたいな時代の流れに対する反骨が一つの大きなテーマだったの対して本作はそういう路線ではなさそう。強いて言えばリトルリーグ時代の回想で男子についていけない女の子っていうシチュはあったけど、あれは「自分はみんなほど野球が得意じゃないっていうパーソナリティを持っているんだ、という自覚が芽生えるシーン」という文脈っぽいよね。男vs女という構図はあんまり前面に出さないスタイル。だからこそ敢えて硬式を選んだのかな。それにしても2話エモかった。得手不得手の話とか、自分の得意なモノを優先した結果楽しさを見失ったとか、「楽しい」という理由で集まり始めるメンバーとか。EDのマッキーエモい。やっぱりいい曲だよね。先のレイトン教授の娘さんもEDがマッキー作曲だったのでこれから徐々に見る機会が増えていく可能性あるかもね。
Netflix独占
癒やし全フリのストップモーション芸術。ショートアニメ。制作はドワーフ。
社会の中ですり減った心を癒やすリラックマ。仙狐さんで描かれている「リアルな社会人(男性)」とこっちの「リアルな社会人(女性)」どっちもわかり味が深い。仙狐さんがおばあちゃんなのに対して本作はむしろ立場が逆で、「あんまり言うことを聞かない息子」みたいな感じ。でも憎めない。
ストップモーションアニメとしてはかなりヌルヌル動いている。公式ようつべ動画でメイキング映像が公開されてるんだけど、それによると作品全体で約22万コマとのこと。制作に2年かかったらしい。表情も丁寧に作られててびっくりした。細かいジオラマも良く出来てるし、太陽光線の角度まで計算されている。主人公の表情も相まって夕方のシーンがエモい。EDのスキップめっちゃすごかった。
あだち充の漫画原作。冒頭からタッチのネタバレがあるので注意。タッチでおなじみの高校が舞台ではあるけれど、時代の変遷によってすっかり強豪ではなくなった野球部がもう一回甲子園に返り咲くために頑張るスポ根。同じ世界線とはいえストーリーにガッツリ絡んでくるわけでもなく、あくまでフレーバー要素に留めてるみたい。2クールくらい放送するのかな。
ナレーションが日高のり子さん。めっちゃ丁寧な解説が付いてるのでタッチ見たことない人も安心して観てね。本作における日高のり子さんは「この世界の母」的ポジなので、お母さんに見守られながら描かれる世界全てに優しさを感じる。お母さんかわいい。モブもかわいい。男子も女子もかわいいキャラデザ。強いて言えば新旧エース対決くらい?
中の人ネタで言うと、主人公兄弟(兄と妹)を演じるのが内田真礼/雄馬姉弟。最近かなり共演する機会増えたよね。自然な(コミカルな声調を抑えた)演技がリアルな学生の日常っぽくて好き。特に内田真礼はピーキーなキャラを演じている作品が多い印象だったのでギャップを感じた。本作は(しばらく)会話劇がメインなんだけど、漫画のコマをモチーフにした演出で時系列を行ったり来たりするシーンとかテンポよく話が進んでいく上に見てて楽しい。
回想シーンで言えば、冒頭の回想シーン。「ここは時系列的に昔の話ですよ」を表現する方法としてよく使われるようになった「16:9→シネスコサイズにアス比を変える演出」に対して、「16:9→4:3にアス比を変える演出」になってるのがエモかった。
ここに限らず、ちょくちょくタッチリスペクトを挟んでくる。ナレーションもメタネタをガンガン突っ込んでくるし、吹奏楽部の演奏とか(リアル世界ではありふれてる出来事なんだけど)あえてアニメ内でこれをやるっていうのがエモい(演奏は公式で募集をかけている。2話は青学高等部の吹奏楽部による演奏)。
ADHD の疑いがあり、通院して2ヶ月が経った。ストラテラはあんまり効果が感じられなかったため、コンサータ18mmを試している。
思えば授業中はよく居眠りをしていたし、ケアレスミスをやらかすことが多かった。部屋も片付けられた試しがない。でもそれって普通の人も同じじゃない? と問われると自信がない。
その人が発達障害か否かというのは判断がしにくい。レントゲンとかCT撮って分かるものでもないから、具体的なバリアーがあって生活する上で困難と認められたときにお墨付きが貰える。グラデーションは広い。自分の場合、院退学とか会社での低評価とかが当てはまるかもだが、それだってよくある話ではある。
コンサータを飲んで居眠りはしなくなったが、不注意とか過集中は改善されていない。忙しそうにしているPGMにコンタクトをとりたくなくて先延ばしにするのは、障害というより院進で食らったトラウマな気がする。
仕事が見当違いのところにいきがちなのは脳の特性のせいです。だから考慮してくださいというのは、頭脳労働者としては致命的な気がするし、重いタスクが割り振られなくなった(体感)のでTwitterやってる言い訳にもならない。ちなみに居眠りは指摘されたがTwitterは指摘されなかったので別にいいのかもしれない。そのうちはてブもやるか。
カウンセラーの薦めで、会社には「最近気分が落ち込むため、脳の神経に効く薬を処方してもらっています。まだ傾向ありの状況なので鬱とか具体的な病名は出ていません」と説明している。嘘ではない。嘘ではないが、障害と怠惰の違いが自分でも分からないため、はっきり言うのは抵抗がある。
意志の力が生体構造を凌駕できるというならそういう人もいるで済むが人の体の構造は意志の力ではなんともならん
意思がどうであれそういう時期がくるとかそうすべき時期というものがある
制限がゆるくなり個人が選択できる幅が広くなったものを自由だとしてそれに選択肢があり対象も広くあるとすれば
それは性別においてグラデーションになるべきで男女の垣根は超えない
超えることができるとすれば肉体を改造するか肉体の機能を諦めた時になる
どこまでいっても女性は女性だし男性は男性で 機能はあるが使用しないを前提にするならそういう規約でもないかぎり
機内では発砲しないし、発砲をするつもりもないし、発砲してはいけないことを十分に理解していると言ってもやはり持ち込みは全面禁止になる
結果において性別を問うものではなかったという事象があったとしても逆説的に性別的な差はないものとする理由がない
性別にかかわらないと言うのであれば女性が活躍するために男性ホルモンを接種して生理をとめて身体能力を強化することになんら疑問を感じないはずだし
男性が職場環境に適すためと女性ホルモンを接種し服装を女性にして女性用の設備を利用することも問題ないはずである
仕事、賃金については平等であるべきだとするならばその素体について差が発生しない条件によるはずだ
つまり賃金があがらない理由が発生する場合それぞれの身体の基本的構造と労働形態の一致不一致があり差が発生するということだ
そういう局面の切り出しを行えばそうなるということだ
女性の給与が低いということについて女性の特徴が多くみられるから一概にそういう傾向であるという視野においてなら逆説的に女性であることを等価とできるだろう
そうでない場合はそうでないという傾向として一概に言える業界や職場もあるだろう
平等というものをそれぞれの差を埋めることで得られるものだとするとか多様性を認めることが平等であるということとするならば
それぞれが完全に別個で異なる条件をもっているものに平坦にフィットすべく完璧に不平等を施さざるを得なくなる
大きく出っ張った突起と低くくぼんだ穴が入り混じるでこぼこの壁を埋めるために平にセメントを塗ったとすると
セメントの厚みは薄い所と厚い所ができる
どのような局面においても平坦に平均を行える人造人間のような性別や身体構造を改造した人間でもないかぎり性別の問題も特徴の問題も一概にまずくくられてこそ平等を目指せる
もはや男女の性でも個の問題でもなくというのは身体構造を機能させたまま人間的な生活を希望する上で平等を模索することについて非常に差別的だといえる
この話題について。
ネットに広まる「魔女っ子は放送禁止用語」説 調査して分かった「放送で扱いにくい理由」と「一般人が納得できない理由」 - ねとらぼ
先に結論から言えば「放送禁止用語」という言葉は放送局では使われていない。「使用を注意する言葉」というものがあるだけだ。言葉の言い換えかよ、というツッコミが入りそうだが、そういうことではないのだ。以下は、そのお話である。
まずはこれだ。最近はそれほどの差もなくなってきたが、それでもニュースでは絶対に使ってはいけない言葉、というのがある。例えばおおよその量を示す「約」。別に規制する理由もなく普通に使われている言葉だが、これを「やく」と読むニュースは稀だ。おおよその量を示す言葉のあとには必ず数字が来るが、どんなにいい滑舌でこれを読んでも「ひゃく」と聞き間違う人が出てくるから、必ず「およそ」と読むことになっているのだ。だから、訓練されたアナウンサーは完成された原稿でなく普通の文章を読むときもふりがななしで「約」が出てくると「およそ」と読んでしまう。ミステリーなんかの伏線に使えると思うので使いたい人は使って欲しい。
「ら抜き言葉」には気がついている人もいるかもしれない。別に放送禁止用語でもなんでもない言葉なので、街頭インタビューを受けた人でもそれを修正するよう言われた人はいないと思うが、文字起こしでは必ずら抜き言葉ではない表記に修正される。これはバラエティでもそう。お笑い芸人は言葉を使うプロではあるが言葉遣いのプロではないので、ら抜き言葉は時々登場するが、テロップ上では大体の場合ら抜き言葉ではない表記になっているはずだ。逆に訓練されたアナウンサーはら抜き言葉はまず使わない。
NHKが「テトラポッド」や「真っ赤なポルシェ」の出てくる歌詞を規制した、なんて話が過去に言われたことはあるし、NHKは商売抜きでの放送を強いられているのでそういうところに敏感だ、なんて話も聞くことがあるが、この辺実はNHKと民放で差が縮まっている部分ではある。民放は民放でスポンサー競合などを嫌うため、特定の商品紹介でない場面では番組内で商標を使うのを控える傾向にあるのだ。セロテープはそのいい例だろう。ちなみにガムテープも「粘着テープ」という言い換えがまま見られるが、実はその意味でのガムテープは今は商標登録されていない。明治がお菓子の名称として3年前に登録したきりなのだ。明治の「ガムテープ」ってお菓子を見たことはないがそういうアップデートが遅れているところはままあるものではある。余談ではあるが、最近テレビで「無化調」という言葉が特にラーメン紹介で使われているかは調べると面白いかもしれない。
マスコミ、特にテレビは少なくともニュースでは「東北本線」「国道4号線」とは言わない。「東北線」「国道4号」という。これは現場間の用語統一のために決められていることでまあ説得のために屁理屈は付いているのだが屁理屈以上のなにものでもないので記載は省略する。そもそも「東北本線」は他ならぬJRが使っている言葉なのだがマスコミはそれを何らかの事情で使わないことがある。またニュースではないが、商品紹介の際の形容詞まで決められていることもあったりするものもあり、例えばあるビールでは「すっきりしているのにうまみも十分」という表現しか出てこない((この表現で検索するとある1つのブランドしか出てこなくなる))。まあこの辺はまともな事情から大人の事情まで様々ありすぎて一言では言えない。近々近場では「岩手公園」が「盛岡城跡公園」に名称変更されたのだが、これがまた正式名称の変更ではなく愛称として別の名前をつける、という複雑な命名の仕方をされたためNHKと少なくとも地元民放1局は改名前のまま「岩手公園」として呼ぶという複雑なことになっている。ちなみに残念ながらかどうかはわからないが、本名能年玲奈さんはこの辺でも度々テレビに出ているのだが、その時は「のん」呼びされてはいる。仮に何かの犯罪で逮捕されたら「『のん』こと能年玲奈容疑者」呼びになるんだろうなと思うが未だ犯罪では逮捕されていないので蛇足でしかない。
ここまで挙げた例はおそらく一般の人が思い浮かべる「放送禁止用語」とは違っていると思う。だから「使用を注意する言葉」は「放送禁止用語」とは別物であると言ったのだが、「使用を注意する言葉」とみんなの思い浮かべる「放送禁止用語」が重なる部分は存在する。それが「蔑称」である。被差別階級や身体障害などに関わる話だけなら判断は簡単そうだが、何らかの職業の後に「屋」をつけて呼ぶような、後から蔑視の意味で使われるようになった言葉まで考えるとどこからどこまでが明らかな「放送禁止用語」かは言えず、だからこそ「放送禁止用語」ではなく「使用を注意する言葉」なのである、とも言える。
実際「魔女」が蔑称なのかと言われると確かにそういう場面もありそうだが日本ではまだそういう場面は少なそうでもあり、昨今は例えば百姓、みたいに自称の場合は問題ないんじゃないかとか、「めくら」みたいに過去許されても今許される表現ではないんじゃないかとか、有料視聴の場所なら但し書き付きでいけるんじゃないか、いや但し書きつけられるならどこでもいけるんじゃないかといろんな異説が生まれつつリアルタイムで揺れ動いている話題であり、個々の言葉ごとに注意度にもグラデーションがあり、少なくともこれらはなんの留保もない「禁止用語集」みたいなところでまとめられるものじゃない、ということは繰り返し言っておきたい。
新入社員としていまの職場に来て、わりとすぐに、この職場には仲良しグループあるいは派閥がある、ということに気づいた。
偉い人とそのお気に入りの社員からなる仲良しグループがあって、みんなで一緒に煙草に行ったり、長時間残業したり、若手が偉い人の雑用(パソコンの設定とか)したり、みたいな感じ。そのグループの外の人間の立場にはグラデーションがあって、すごい仲良しなわけじゃないけど友好的な人から、敵対気味な人までいる。私は、あまり社会性がないので、仲良しグループの外で、まあ敵対しない立場をキープしようと思って今までやってきた。やることやって、礼儀正しく、誰にでも公平に、って感じで。
それはわりとうまく行っていたと思うんだけど、最近業務の割り当ての都合で、仲良しグループと敵対してる人と関わることが多くなってきて、気づいたら板挟みっぽい立ち位置になってしまった。仲良しグループの人たち、グループと敵対してる人、双方うっぷんがたまっているらしい。おもにお互いの仕事の仕方について。わたしはどちらの言い分も聞く機会があるけど、どちらの言っていることもわかる、って感じ。で、そうやって双方の言い分、つまりは陰口とか直接の言い争いを聞くことがほんとうに最近多くて、なんだか気持ちが参ってきた。おまけに仲良しグループの人たちからのあたりが心なしか強い気がするし…。どちらの人たちとも、関わらざるを得ないのに、どちらの人たちのことも信用ならないという気持ちになりつつある。ほんとしんどくて、勘弁してほしい。落ち着いた気持ちで、やるべきことをちゃんとやっていきたいのに、気持ちをかき乱されることが多すぎる。
医者もそうだけど、死に直面せざるを得ないなりわいの人は
ここでいう「殺す」というのは、単に救えない、延命できないことも含める。
もう少し過失が大きい医療事故寸前だったり、日本にないはずの安楽死制度っぽいものまでいろいろケースバイケースでグラデーションはあるけど、
結局どんな貴重な能力や知識をもった人間も100年もしたらたいてい肉体の機能を失って死んでしまうし、
どうしても救えないものに対してその場なり自分なりにベストは尽くしたけどどうやっても後悔は残るようなケースもある。
後悔してるし結果は死だからもう事実上、殺したといってもいいわけだ、という言葉。
それくらい露悪的な自称ができるくらいの覚悟っつか、いいかえれば専門知識がいるってこと。
でも医者でもない素人でも高齢化社会では親をいつかはかならず「殺す」わけ。
たとえば昭和でいう長男の嫁だと実父、実母、義父、義母どころか
自分の祖父母、義祖父母まで、「殺す(救えないで死ぬまでを看取る)」ことがある。
ターミナルケアなんてできる人そういないし、
それが介護離職して家庭で1人だけにつきそったらそれこそ社会の損失、もったいないじゃん。
(「殺した」医者以外)、介護する側される側、だれもが死にたいしてはド素人。
それが前提。
社会生活のアダプターとして、普通に、自分と親とを切り離しつつ、
スマホで医者の説明のわからんとこをぐぐったり、場合によって医者をよく探す程度のことしかできない。
個人がそれ以上のことをやろうとすること自体が間違いなんじゃないかな。
まあこんな話を十分つくして介護保険制度ができたはずなんだけどね。
お母さん、そんなに何もかもが苦しいなら死んでみますか。
いつものあのおくすり飲まなかったらすぐお迎えが来ますよ、って言いたくなっちゃったことある。
結局のところ属性で分けること自体が差別を含むので、認められるべきではないのだろう。
属性別の風呂がある時点で、そこにはまりきらない人には強烈な疎外感を与える。
L用G用B用T用と分けるにしても、性差も性自認もグラデーションなのだから、必ず中間領域が出てくるはず。
混浴、個人用、同意のあるグループ用に分けるしかないのだろう。
着衣か裸かは差別的な要素ではないので施設のポリシーでよいだろう。
「トランス女性への根源的恐怖感はスルーされていいわけ?」(anond:20190110110456)のブコメもメタブも差別主義者多すぎてやばい。
これ、書き方は悪いかもしんないけど気持ちはわかる。相手が強いから怖いっていうのはちょっと違くて、例えば女湯に小学生男児が入ってきたら嫌なんですよ。男の子は何歳まで?とか話題になったりしたことあるよね。
トランス女性は男性じゃなくて女性なんですが。なんで男の子の話が出てくるの?(もちろん身体的に男の子であってもシス男性とは限らないのだが)
「差別を無くすにはLGBT以外の人間は犯罪被害に遭っても仕方ない。我慢しろ」とか言ってるホームラン馬鹿がいて笑った 女は黙ってレイプされてろってか? どっちが差別主義者なんだか
当たり前だけどLGBTの人も性被害に遭うし、もっと言えばトランス女性はシス女性よりも性被害に遭いやすいという統計があるんだよねえ。トランス女性を女性専用スペースから追い出そうとする人は「トランス女性は黙ってレイプされてろ」と思ってるってことでいいの?
あと犯罪被害に遭った人が訴えるとか反撃するとかを否定してる人どこにもいなくない? 犯罪を犯していないトランス女性を排除するのはおかしいって主張してるだけで。この2つの区別がつかないならそりゃもうご立派な差別主義者ですわな。
恐怖云々は置いといて、身体的特徴で分けるべきと思う派。(ただし身体的特徴で分けてしまうと半陰陽の人は救われないんだけれども。)現在のシステムに内心の性別を適合させるのは、運用が難しすぎる。
身体的特徴で分けたら「おっぱいついててちんこがないけど性自認が男性で男の格好をしている」人が堂々と女子トイレを使うようになるわけだけど、「ちんこついてておっぱいがないけど性自認が女性で女の格好をしている」人が女子トイレに入ってくるよりそっちの方が安全だという感覚がまるで理解できない。
この話題痴漢や専用車両のあれこれと一緒でそもそもの問題は変質者なのに結局全部女性側に被せられてるのが見ててもやもやするわ 黒人置換えで女性を白人側に置くのまで同じ(T女性をどっちと言いたいわけではない
対立軸は「女性と男性」ではなく「シス女性とトランス女性」やで。シス女性はトランス女性との対比では間違いなく白人やで。
トランス女性でレズビアンのレイパーとかいるかもしれないしな。全ての人が全てを受け入れるのは無理だし、この不安はあって当然だと思う。
シス女性でレズビアンのレイパーとかもいるかもしれないし、もっと言えばヘテロセクシュアルのシス女性でも他人に加害しないとは限らないので、シス女性にも不安を感じた方がよいのでは?
中国人が犯罪を犯したら「中国人恐い」と言いつつ日本人が犯した犯罪では「日本人恐い」と言わない人みたいな。犯罪者と自分たちを同一視されないっていうのがマジョリティの特権なんだよね。
高校の男子トイレの前に何故か良くいる下級生がいて僕がトイレに入ると後からついてきて隣から股間を凝視してくるということが何度かあって怖かったのを思い出した。そういうのは我慢しないと差別になるんだろうか。
迷惑行為をする個人を警戒するのと迷惑行為を「するかもしれない」とある集団をくくって排除するのは全然違う話だと思うんですが差別主義者にはこんな簡単なことがわからないんですかね。
「日本人うざい。死ね」みたいなこと言ってる韓国人のAさんがいたとして「このAさんという個人はクズだな」と思うのは正当だけど「韓国人はクズだな」と思ったら差別だしそれを口に出したらヘイトスピーチでしょ。
脊髄反射で善人面する輩が多いな。若い女性が「性自認は男です」と男湯に入ってこられたら俺は嫌だけど。公衆施設で身体的特徴と性自認のどちらを優先すべきかは、ポリコレ棒で一発殴って解決するほど簡単じゃない。
性自認が男ならその人は若い男性だろ。胸がふくらんでてちんこがついてなかったとしても。
こういうこと言う人って、結局トランス女性/男性を「女/男じゃない」って思ってるんでしょ? だったら性自認を尊重するフリなんてやめてそう言えばいいのに。自分は差別主義者です、って。
なんで批判されてるのか。女湯に男体が入ってきたら発狂するわ。ただでさえ少なくない女は男体に痴漢されまくって常時厳重警戒態勢なのに。女湯の時間削ってLGBT専用の時間に充てるってんなら賛成するよ。
数十年前の南アフリカとかアメリカ南部とかに行ったら喜々として人種隔離を支持してそう。そもそもLGBTの意味わかってなさそうなのもウケる(Gがなんの略だと思ってるんだろ)
難しいなあ。とりあえず肉体が女性ならいいんじゃない?女湯にちんこはまずい(同時に男湯にまんこはまずい)でいいと思う。性欲の満足感以外でそこまでして銭湯利用したい気持ちもわからない
あったかいお湯に浸かってリラックスしたい、っていうごくごく普通の願望がトランスジェンダーを主語にした途端に「下心がないならなんでわざわざ銭湯に行きたいの?」って言われちゃうの、典型的な差別主義だよね。トランスジェンダーが湯浴み好きでなにかおかしいのか。
いつものフェミ叩きが男性恐怖症の意見とフェミの意見をごっちゃにして嬉々とフェミ叩きしてる。本当は誰も感染していなかったハンセン病とは違い実際の風呂場トイレで性犯罪被害にあった人が多数泣き寝入りしている
それ、悪いのは性犯罪者じゃん。性犯罪を犯していないトランス女性が排除されてよい理由はどこにあるの?
これってはてなーには男性が多いから、男のことが怖い女性は結構多いということが理解されてないのだと思う。あと女湯とか女トイレに見た目が男の人が入ってくるのは普通に恐怖だよ。
twitterだと女性の体に生まれた女性がボーイッシュな格好で女子トイレに入ったら警備員呼ばれた事案みたいなのがちらほら報告されてるわけだけど、その女性は髪を伸ばしてスカートを穿くべきだったのかな? 女性解放運動の精神はどこにいっちゃったんだろう。
実際的にこういうケースがあるんだよな… トランスジェンダーの受刑者女性刑務所で性暴行:カレン・ホワイトのケース https://1ovely.com/transgender/ /嬉々としてフェミ叩き女叩きしたいだけのブコメやトラバの嵐だ
はいはいカレン・ホワイト。twitterで「私は女子トイレでシス女性に加害されたことがある」という証言が出てきてるんだけど、カレン・ホワイトがいたからトランス女性を排除するのに妥当性があるというならシス女性の加害者がいた以上シス女性も女子トイレから排除すべきですね?
zyzy なら「かつて殺人した者への恐怖で次も殺すかは分からない殺人者を拉致監禁する差別を正当化するな」で刑法が要らないし、家に鍵かけるのもアウトだし、国境がある事自体外国人への差別なので国自体を無くさないとな
個人と属性の区別がついてないの典型的な差別主義者の思考でやばいし、犯した罪に対する刑罰と防犯と称して罪を犯していない人を排除することとの区別がつかないのもやばい。頼むから人権とか差別とかについて学んでくださいと言うしか。
type-100 「工事済みでないと女湯には入っちゃ駄目」ぐらいは仕方ないと思うけどね。それ超えて属性と個人を混同してたり、開き直って我が儘を言う連中は流石にね。
風呂場の外で女性として生活している未オペのトランス女性に風呂場だけ男性側使えっていうのも理不尽だよなって思います。仮に女性の友達に対してカミングアウトしていて、一緒にお風呂に入れる仲だとして、未オペってだけで「はいじゃあ友達と別れて男性側行ってください」ってのはあまりに酷でしょう。
まあ、だから多くのトランスジェンダーの男女は「オペするまで公衆浴場自体に入らない」(anond:20190111030811)って選択をするんでしょうね。それは実生活を円滑に回すための我慢なのだろうけれど、そうやって一部の人にばかり我慢を強いる構造を我々は差別と呼ぶわけで。
mumero "そうやって一部の人にばかり我慢を強いる構造を我々は差別と呼ぶわけ"<これ違うと思う。一部を尊重するために大部に我慢を強いるだけの構図でなく、お互いが納得するようなあり方を一緒に模索するのが大事だと思う。
一部を尊重って、別に特別扱いしろとは言ってないんだけどね。「トランス女性は女性なんだから女湯に入る権利はある」って言ってるだけ(もちろんトランス男性も男性である以上男湯に入る権利がある)。
少数派が多数派と対等に扱われることで多数派が不満を感じるのだとしたら、その不満は差別なので我慢してくださいとしか言えない。差別感情を我慢することは市民として当然の嗜みでしょう?
rirukarinka 女湯に関しては「女に対して生殖可能な体」を置くのがまずいとして、性自認の証明としてのオペと、オペ済みであれば区別しないことが許容ラインなのでは/不本意な生殖をされる恐怖をトランス女性は持ってるのかな…
生殖が可能だろうが不可能だろうが性暴力は脅威だろうと思うんだが、想像力ないにもほどがあるでしょ。性犯罪者は月経の有無を確認した上で女性を襲ってるわけ? 何度も書くけど、トランス女性だって性暴力に遭うんだよ。生理の来ていない幼女が被害に遭うように。子宮を摘出した女性が被害に遭うように。彼女たちは望まぬ妊娠の危険がないから恐怖感を一段低く見積もるべきだとでもいうの?
RIP-1202 全裸でくつろいでる時にチンコついてる人に襲われたら妊娠させられるリスクある。チンコ付きがなしに襲われても妊娠はない。その1点。見た目ガチムチおっさんでもチンコなかったら別に怖くはない。
「妊娠のリスク」を基準に女性を分けるのなら、いっそのこと「妊娠できる人専用」とでもすればどうか。未オペのトランスジェンダー女性のみならず初潮前の女児とか閉経した老婆とか卵巣を摘出した若い女性とかが排除されるかもしれないが、「妊娠可能性の有無」がそんなに重大な問題ならその線に沿って分けるのがいちばん「合理的」だろう。
妊娠できなくても襲われれば痛いし苦しい? そうだね、知らなかったかもしれないけど、トランス女性も襲われれば痛いし苦しいんだよ。なんで自分たちが女湯でトランス女性に襲われる心配はするのに、トランス女性が男湯で男性に襲われることは心配しないの?
sysjojo 男体のトランス女性とフリをする男の見分けがつかんのが怖い、ってのが大きいと思ってたけど。 理解したからといって納得できるかは別とは思うけど。 知ってる人ならまだしも銭湯はリラックスできなくなりそうだねぇ
それ、「ゲイが同じ銭湯で入浴していたらケツを掘られるかもしれない! 怖くて入浴できない!」っていうのとどう違うんですかね。まあ、その差別感情を表に出さないなら別に構いませんが。
zire この話題、女性の分断を目論む一部の扇動者がとことん悪用しそう。商売目的の人、ストレス発散目的の人などにおもちゃにされ何一つ良い結果を生み出さず終わりそう。よくあるパターンとはいえ非常に不愉快。
女性を分断しているのは「トランス女性は女湯に入るな!」「トランス女性は『女』ではない!」と主張する一部のシス女性と一部のシス男性なんだよね。
tamtam3 生物的特徴のオスメス判定で良くない?と思う…精神が100%オスメス、きっちり別れてる人間なんて居らず大半はどっちつかず。となれば精神的オスメス判定は、オス成分○%メス成分○%の存在が無限に存在しかねない…
生物学上のオスメス判定にもグラデーションがあるんだけど。半陰陽とか知らない?
aquatofana 「シス女性とトランス女性の対比」はその通りだけど、トランス女性の権利を守った結果シス女性の権利が侵害された場合、今度は出生時の性別によって女性の間に差別が生まれる。だから両方を配慮せなならんのでは。
トランス女性が女子トイレや女湯を使ったとしても(というか、現に使っているんですが)、シス女性が女子トイレや女湯を使う権利は何一つ損なわれません。黒人が白人と同じ施設を使っても白人の権利が何一つ脅かされないのと一緒ですね。不愉快? ああ、それが差別感情ってやつですわ。今後のために覚えておくといいですよ。
「今度は出生時の性別によって女性の間に差別が生まれる」って、いや既に差別はあるんですが。シスジェンダーとトランスジェンダーのあいだにね。まさかトランスジェンダーは差別されてないとでも思ってたんです?
vkara 男体への恐怖じゃなくて、トランスを自称して加害を目論む男が入ってくる隙ができることへの恐怖。だからと言ってトランスまで追い出そうとは思わないけど対策は必要。
これほんと不思議なんだけど、なんで「トランス女性を自称してシスヘテ男が入ってくる隙ができる」ことを心配する人たちは、「トランス男性を自称してシスヘテ男が入ってくる」ことを警戒しないの?
仮に「生物学的な性に従ってトイレや風呂を使うべきだ」とするじゃん。トランス女性が男子便所使うようになったとするじゃん。
そうすると、必然的に女子トイレや女湯の脱衣所にトランス男性が入ってくることになるよね?
シスヘテ男の性犯罪者が「トランス女性のフリ」をしようと思ったら、女装とか色々としないといけない。でも、「トランス男性のフリ」なら準備は何も要らないんだよ。「心は男なんですけどトイレは生まれた性別の方使わなきゃいけないんで」って嘘をつけばそれで済む。どっちの世界が男の犯罪者にとって都合が良いかは明白でしょう。
https://en.wikipedia.org/wiki/Buck_Angel#/media/File:Buckangel_cowboy.JPG
https://en.wikipedia.org/wiki/Chaz_Bono#/media/File:Chaz_Bono_by_Gage_Skidmore.jpg
こういう人たちが、生まれつきちんこがないというだけの理由で堂々と女子トイレや女湯に入るのは怖くないの? トランス女性を怖がる人たちの「怖い」の基準がわからん。
smoothtooth 手術前のトランス男性で、男湯に入りたい人は少ないだろう。危険だし不快な目に合う可能性が高いから。手術前のトランス女性も同じなら、それは「差別する女」以前に「加害する男」の問題では。なぜ女だけの話に?
自分のことを女性だと思っている人が男湯に入りたがらないって、当たり前では。女だから女湯を使いたい以上の理由が必要だろうか。
go_kuma 例え言ってることが正しいとしても、言い方がな。攻撃的な物言いは反感を買うだけで聞く耳を持たれない。もっと優しく諭して欲しい。反感を煽るのが目的なら話は別だけど。
銭湯や温泉の女湯には女性だけじゃなくて女子児童や未成年の子供たちもたくさん入浴してるんだよね。
未成年のトランスジェンダーのことはどうでもいいの? 彼ら彼女らは手術できる年齢に達していないから手術しようと思ってもできないんだけど。「お前は『本当の女』ではない、だから女性用施設を使ってはいけない」と言われるトランスジェンダー児童の心の傷はどうでもいいの?
だいたい、低年齢のトランス女性も女子児童だろうが。そうやって都合よく「女性」「女子」からトランスジェンダー女性を排除するなよ差別主義者、って話なんだけどね。
トランスジェンダーへの差別をなくすためにも、もう究極のジェンダーフリー社会にしようぜ。性はグラデーションを念頭に。
女性専用○○は勿論風呂やトイレも更衣室も共同。宝塚も歌舞伎も相撲も女人禁制の山も女子校男子校も違法。女子会もハラミ会も禁止。スカートもズボンも好きな服装や髪型をするのが常識。入試や面接で性別を書き込むのもなし。
男を警戒しろという防犯対策も、男の家に行ったら襲われても自業自得、とかいうセカンドレイプもなし。それは黒人差別と同じだから。
妻や夫が異性の友達と二人で遊びに行こうが泊まりに行こうがそれは浮気ではない。同性の友達と同じように考えなければならない。でなきゃセクマイの立場がないから。
女らしく男らしく、女なら男ならこうしろ、と言うのもなし。ジェンダーフリーだから。たとえばトランス女性が「女性らしく化粧やおしゃれをしたい」とか言うのも糾弾の対象。女性向け男性向けも女性誌男性誌も勿論禁止。男女の差を扱ったアニメや漫画や小説やドラマ映画も全面禁止。
いや、もういっそ性別という概念もなくそう。性はグラデーションなのだから。一人一人は「こういう体をしているだけ」に過ぎず、子作りも「こういう体の人とこういう体の人が性交したらこうなってデキる」と説明される。
トランスジェンダーも「男/女になりたい」ではなく「こういう体になりたい」になる。整形と同じノリで。