意志の力が生体構造を凌駕できるというならそういう人もいるで済むが人の体の構造は意志の力ではなんともならん
意思がどうであれそういう時期がくるとかそうすべき時期というものがある
制限がゆるくなり個人が選択できる幅が広くなったものを自由だとしてそれに選択肢があり対象も広くあるとすれば
それは性別においてグラデーションになるべきで男女の垣根は超えない
超えることができるとすれば肉体を改造するか肉体の機能を諦めた時になる
どこまでいっても女性は女性だし男性は男性で 機能はあるが使用しないを前提にするならそういう規約でもないかぎり
機内では発砲しないし、発砲をするつもりもないし、発砲してはいけないことを十分に理解していると言ってもやはり持ち込みは全面禁止になる
結果において性別を問うものではなかったという事象があったとしても逆説的に性別的な差はないものとする理由がない
性別にかかわらないと言うのであれば女性が活躍するために男性ホルモンを接種して生理をとめて身体能力を強化することになんら疑問を感じないはずだし
男性が職場環境に適すためと女性ホルモンを接種し服装を女性にして女性用の設備を利用することも問題ないはずである
仕事、賃金については平等であるべきだとするならばその素体について差が発生しない条件によるはずだ
つまり賃金があがらない理由が発生する場合それぞれの身体の基本的構造と労働形態の一致不一致があり差が発生するということだ
そういう局面の切り出しを行えばそうなるということだ
女性の給与が低いということについて女性の特徴が多くみられるから一概にそういう傾向であるという視野においてなら逆説的に女性であることを等価とできるだろう
そうでない場合はそうでないという傾向として一概に言える業界や職場もあるだろう
平等というものをそれぞれの差を埋めることで得られるものだとするとか多様性を認めることが平等であるということとするならば
それぞれが完全に別個で異なる条件をもっているものに平坦にフィットすべく完璧に不平等を施さざるを得なくなる
大きく出っ張った突起と低くくぼんだ穴が入り混じるでこぼこの壁を埋めるために平にセメントを塗ったとすると
セメントの厚みは薄い所と厚い所ができる
どのような局面においても平坦に平均を行える人造人間のような性別や身体構造を改造した人間でもないかぎり性別の問題も特徴の問題も一概にまずくくられてこそ平等を目指せる
もはや男女の性でも個の問題でもなくというのは身体構造を機能させたまま人間的な生活を希望する上で平等を模索することについて非常に差別的だといえる