はてなキーワード: グラデーションとは
2018年7月11日から12月7日までの5ヶ月間ダイエットしました。と言いつつ稼働は実質4ヶ月だったんですが、最後の30日も地味に減ったので観察期間と銘打って期間に含めることにしました。今のところリバウンドしてません。
食事制限はカロリー制限と糖質制限、運動は筋トレとジョギングです。
これらをほぼ毎日やりました。ほぼ、と言うのはダイエットの方法を調べながらやったため、メニューにグラデーションがあるからです。具体的には最初の1ヶ月は筋トレをやっていませんし、最初の半月ほどはタンパク質を厳密に計測してません。あと手抜きも許していたので、歩くだけの日とかもありました。
ぶっちゃけしんどかったです。終わってみると大してしんどくなかったようにも思うし、日々やってる最中も同様の感想だったのですが、時折、猛烈にやめたくなるタイミングがありました。
ジョギングに加えて筋トレを始めた2ヶ月目の序盤が特にキツくて、自分としては頑張ってるのに体重・体脂肪ともに変動しない(下手したら増えてる)日が続き、夏で暑かったのもあって、何やってんだろうなー、と夕方のジョギングロードで棒立ちになりそうになったのを覚えてます。
4ヶ月はやると決めていたのもあって、やめる選択肢はなかったんですが、何が一番つらかったか振り返ると、「頑張ってるのに結果がでない」ことだったのかなという気がします。
絶対そうすると決めていたわけではなく、逆に室内シューズとプロテインは買うところまで行ったんですが、最後まで使わずじまいでした。
ちゃんとしたダイエットが初めてで、それぞれ選択肢に入ったのが終盤だったこともあり、行こう飲もうと思ってるうちに目標に到達してまあいいやとなってしまった感じです。
7月に戻って改めてダイエットするとしたらトレーナーはともかくジムには行くと思います。その方が早く痩せたり、効率的に筋肉をつけたりすることができると思うからです。家だと自重トレがメインになると思いますが、ジムに比べるとできることが限られるんですよね。筋肉への負荷もかけにくく効率性では劣るように思います。
痩せるよう設計されたメニューをこなしてる限り必ず痩せる、というのが得られた最も大きな知見です。なんかトートロジーっぽいですが。
ダイエットを始めたころ、ボディービルダーの方が筋トレの解説をしているyoutubeチャンネルをよく見てたのですが、その方が「消費カロリー>摂取カロリーを続けている以上、必ず痩せる」と断言されていて、その言葉が今回のダイエットの柱になりました。
脂肪を1kg減らすには7000kcalの消費が必要と言われており、消費>摂取で1日1000kcal減らすと1ヶ月で4kg、4ヶ月で16kg、すると私の場合62kgぐらいになりだいたい目標体重です。
その後、早い段階で糖質制限を取り入れると決めたため、指標としてのカロリーの重要度は下がったのですが、4ヶ月は続けるという考えはここから生まれたものでした。
続ければ痩せることぐらい分かってるけど続けらんないんだよ! という方は多いと思います。
個人的にポイントだったのは「不安を最初にぬぐう」と「メニューをテンプレ化する」のふたつです。
今回、ちゃんとしたダイエットが初ということもあって正しい方法が分からない、という不安はけっこう強かったです。本を読んでもネットを見ても本当に色々な方法が紹介されています。私はカロリー制限からスタートしたものの、摂取カロリーが基礎代謝を下回ると筋肉を分解してアミノ酸として消費してしまうから糖質制限ダイエットの方がいいというような書き込みがあったり、逆に糖質制限ダイエットをやりすぎるとカタボリック状態になって筋肉をエネルギーとして消費するから注意が必要という話があったりで様々でした(けっきょくダイエットをする以上、筋肉は落ちるという理解に落ち着きました。筋肉はつねに合成と分解を繰り返しており、分解を上回るように合成をしないと筋肉量は減ります。つまり痩せながら筋肉量を増やすのは無理で、ダイエット中にできるのはなるべく筋肉を落とさないように痩せるのが限界……という感じです。正しくなかったらすみません)。
なので調べるだけ調べて具体的な達成目標に置き換え、あとは逆に考えないようにして食事と運動のメニューを組みました。
具体的な達成目標というのは上述した1日の糖質摂取を50~100gにし、代わりにタンパク質を100~120gぐらい摂るといったアレです。
パッケージに書いてある成分表やカロリー計算サイトに載ってる情報を元に、朝昼夜ごとに3バリエーションずつぐらい食事メニューをもうけ、それを摂り続けることで前述の数字をクリアしていきました。
糖質やタンパク質を気にしながらメニューを毎日かんがえるとか無理ですけど、同じメニューをひたすら繰り返すだけなら出来ました。なんならスーパーのルートが楽になって買い物時間が減るまであります。
朝はシーチキンを1缶使った卵焼きとサラダ100gと豆乳200ml、昼はサラダチキンとサラダ100gと野菜ジュース200mlと豆乳200nlとか、夜はブロッコリー1房ゆでたやつにカレーと卵と豆乳200mlとかそんな感じです。
書き出してみると非常に質素なメニューですね。食べられればオッケー派なので、このあたりのハードルは低かったです。白米が好きなのでそれを切らざるを得なかったのは辛かったですが、お茶碗1杯で糖質55gとか見るとンなこと言ってる場合じゃねえ! となりました。数字ベースで見るようになると優先順位を容易に変えられるのが良かったです。
期間中もっともお世話になった食材はなんといっても大豆です。豆乳に豆腐に納豆、そしておから。
糖質制限で困ったのはとにかくう○こが出なくなることでした。1週間近く出る気配がまったくないみたいなことになり、これはイカンと調べた結果、食物繊維を摂るのがイイらしいという情報を得ました。何を食べれば効率的に摂れるか検討した結果、おからが圧倒的に優秀でした。ただ単体では食べられないし、継続性を考えると手軽さが重要だったのでヨーグルトに混ぜて食べることにしました。これは大当たりで、すぐに問題解決につながりました。下す感じじゃなく固形のブツが出るのも良かったです。
ちなみにもし真似をしようという人がいたらヨーグルトははちみつの入った甘いやつにしてください。うっかりプレーンに混ぜたらこの世の地獄を見ることになります。
あと豆乳は『のむ大豆』がおすすめです。200ml(コップ1杯)でタンパク質が12gも摂れる豆乳は私の知る限りこれだけです。どろり濃厚なのどごしは人を選ぶかもしれません。
運動も、食事と同じようにメニューを決めて、それをひたすら繰り返しました。
運動は食事以上に全く知識がなかったので、筋トレは大きい筋肉から鍛えるとか、複数の筋肉を同時に鍛えるとか、筋肉は48時間は休ませるとか、だいたいどの本でも言ってることは即メニューに取り入れました。
自重トレだったので、腕立て・腹筋・スクワットがメインでした(レッグカールとかレッグエクステンションとかバックエクステンションとかベンチディップスとかダンベルフライとかもやりましたが)。
筋トレ動画を見ると、トレーナーの方は「いかに筋肉を追い込むか」ということを力説してるような気がします。この感覚は長らく分からなかったんですが、SNSでも話題になったNHKの『みんなで筋肉体操』でも紹介されていたブルガリアンスクワットをやったときになんとなく分かるようになった気がします。
下半身の筋トレの日は『みんなで筋肉体操』のスクワットを3セットやってたんですが、3セット目になるとほんと脚がパンパンになってめちゃくちゃキツイ感じになったんですよね。でもなんかギリギリやれるみたいな塩梅で、「もう無理!」と言いながら「もう1回!」がギリ可能で、これが追い込んでる感じなのかなーと。違うかもしれませんが。
ジョギングもそうですが、この頑張りきった感じを体感できると、トレーニングに対する満足感が出るので、そういうメニューを組むのは心理的に重要だと感じました。
あと上とは真逆かもしれませんが、「自分に甘える」ことは個人的に重要でした。
疲れ切って帰ってくると今日はほんと何もする気ねー、筋トレもジョギングもしたくないし、ブロッコリーだってゆがきたくねーということがけっこうあったんですよね。そういう日はただ歩くだけ、夜ごはんもサラダチキンと豆乳と野菜ジュースで済ませる、ということを許容しました。
とにかく1日でも途切れさせるとなんだかんだ言い訳つけて止めそうだという恐怖は常にあったんですよね。なのでとにかく毎日続けてるという状況をつくることを最優先しました。極論メニューは問わない。メニューはショボショボだけどダイエットは継続中だと自分に言い張れるようにしました。
一番がんばってたのは30~90日めだったんですけど、停滞期もあったので思ったほど痩せてません。思うに↘みたいには落ちないんですね。→→↓↓→→みたいな。停滞期が来ても知らん顔して継続することが大事だと思います。
自分の中の情報量を爆発的に増やすのは大事だなーと思いました。色々調べまくった結果、最初の1ヶ月ぐらいは寝ても覚めてもダイエットのことばかり考えてました。情報量を増やすと同時にモチベも上がるので取り組むこと自体が楽しくなります。
でもそのモチベは1ヶ月で切れました。
モチベが切れた後もやり続けられたのはメニューを組んであったからだと思います。何も考えずにただひたすら同じことをやり続けました。日々、微動だにしない体重計にストレスもありましたが、思考停止してやり続けました。
う○こが出ないといった解決すべき問題だけ調べて方策を練りました。むしろそういう時はモチベが上がりました。
どうしてもやりたくない時は極限までゆるいメニューで許容したのも良かったと思います。歩くだけ、サラダチキンかじるだけ、野菜ジュース飲むだけ。サボってしまうと自分との約束を破った、負けた、という気持ちになってずるずるいきそうだったので。
ダイエットを毎日継続中という旗を掲げられるのは、続ける上で大きな意味があったと思います。
やれば出来るんだなー、というのが素直な感想です。
始めたのも必要に迫られてとかではなく、単に朝早く目が覚めて散歩する日がたまたま続いて、どうせ歩くならダイエットでもしてみるか、ぐらいの気持ちでした。もちろんたるんだ腹をなんとかしたいという気持ちは心の片隅にずっとありましたが、この機会にどうにかしてやろう! みたいな気合いはなかったです。というか無理だと思ってました。ゆるく始めたのが良かったかもしれません。
心残りは腹を割れなかったことです。調べていくと人間の腹筋は基本的に割れていて、脂肪が邪魔で見えないだけ、らしいです。なのでダイエットが終わるころには軽く割れてるかなと淡い期待を抱いていましたが、けっきょく全く割れてません。まだぷよぷよしてます。12%程度じゃダメということですね。次回は筋トレがんばってシックスパック目指したいと思います(言うだけでやらないパターン)。
国内で繕えなくなったら、外国人材を無理矢理増やしたいと思うほど現代では労働者が足りないとひとまず困るっぽいので貧民は鉄の意志でもって働かないことが富裕層を困らせることに繋がるだろう。
しかし、少額の金につられて労働してしまう貧民が多いのでこの鉄の意志は完遂できないし、貧民間で意志の連携もとれない。(ここでは与田翼みたいな存在を富裕層とし、それ以外は全て貧民とカウントする)
現代では貧民にもグラデーションがありすぎて、コミュニケーションが取れないのだ。貧民には医者もいるし正社員もいるしシングルマザー家庭もあるしホームレスもいる。貧民を自認する貧民は少ない。誰かと比べながら「自分はまだマシ。貧困層じゃない。」とか思ってる間はなにも解決しない。
ソシャゲにたとえると富裕層は重課金勢みたいなもの。貧困層は無課金勢。無課金勢がたくさんいるから重課金勢に価値が出る。無課金勢がいなくなれば重課金の中での争いでしかなくなる。
重課金の中で争うにあたって、いままで無課金がいたから下位よりの上位を保ってたやつが下位になる。
誰かと比べながらしか自分の位置を捉えられないのは本当に不幸なことだが、富裕層の優越をぶち壊すには優越の前提条件を無に還すのがよさげ。
アンティークな土台、ただ沢山取り付けた歯車、スチームパンク、ラメ、グラデーション、猫。
この手のモチーフは色んなイベントやネットで見かけるので目新しさがない。ゴテゴテキラキラなデザインは普段着にも合わせにくい。
axes femmeとか、ゴスロリとか、フリフリな服には合うと思うけどこの手のデザインを作りがちな20代後半以降が着れるかと言うと怪しくなる。
オタク界隈で個人サイトが出来始めた頃、Photoshopで作りましたっていう感じの蝶や羽のモチーフが流行ったじゃないですか。
黒い背景に合いそうなグラデーション、キラキラ、ゴシックな厨二病溢れるデザイン。
なんか今レジンアクセサリー界隈で溢れているのはこうしたセンスを今に受け継いだ古き良き女オタクなのかもしれない。
「自分には高いと感じるから買わない」「デザインがイマイチだから買わない」
つい先日もハンドメイドの値段設定が話題になりましたけど、様々な理由を胸に買い手は黙って買わないという選択肢をとれば丸く収まっていたのが今度は売り手が「売れない」とぼやき始めた。
こういうの作ってる人達が果たして本当に欲しいと思って作ってるのか疑問なんですよね。
自己顕示欲丸出しでこういうの作ってるんですよ~とアピールしてくるけど。売れないのはPR不足ではなく魅力不足なんだ。
まあ非モテに対する恋愛アドバイスが相変わらず量産されてる昨今ですが、
いや本当にこう言っては申し訳ないのですが、
正直役に立たないものばかりであると言わざるを得ないんですよね。
恋愛アドバイスをしている方々は「こうすれば恋愛なんて楽勝なんぢゃあああ(ドヤァァァァ」な気分なんでしょうが、
実際は全然役に立ってなどいないのです。
何故なのか?その理由は、
世にあふれる恋愛アドバイスは「猛烈に好きになること」を前提としているからです。
『相手のことが好きで好きしょうがないんだから、どんなことでも苦にせずできるだろ!』というのをモットーとしているからです。
そこが駄目なのです。分水嶺なのです。
いや、1か0の話じゃなく、そこは以下のようにグラデーション的に100~0で考えるならば、
100→「うおおお!好きだ好きだ大好きだああああああ!恋人になりてええええええええ!」
50 →「う~んなんか好きだなあ…?恋人になりてえかなあ……いや…そうでもないかなあ…?」
0 →「………………………………………………………………(絶対零度。虚無。)」
世の恋愛アドバイスは上記の、恐らく80以上を対象にしているのだ、と思われます。
「人を好きになりにくい」あるいは「人を好きならない」のです。
だから前述の
『相手のことが好きで好きしょうがないんだから、どんなことでも苦にせずできるだろ!』
なんてことをモットーとした恋愛アドバイスが受け入れられないのはアタボーです。
「いやなんでそこまで頑張らなあかんねん…モチベーションがあらへんがな…そこまでするなら恋愛なんてせんでええわ…ウザ…」
一体好きにならない理由は何なのか…?他に娯楽があるから…トラウマがあるから…みたいな理由は長くなりそうなので置いときますが、
まあこれで、非モテに対して恋愛アドバイスが役に立たない理由が得心が行っていただけたと思います。
自らのアドバイスの役立たなさについて、もっと猛省すべきと思います。
もっと非モテの気持ちに寄り添った、上から目線でないアドバイスを構築すべきであると思います。
なんの実もないポエムのような恋愛アドバイスから脱するべきでは無いでしょうか。
まあ所詮君らにゃ無理かな…
最善の相で解釈するのであれば、ネットでフェミニズムを主張している人の中には本当に『男性にとっても女性にとっても共通する、性欲とは無関係な可愛いの概念』が存在すると信じている人がいるように思える。
なぜそう思うかを語ろうとすると男にとっての可愛いと性欲と恋愛感情を真面目に語ることになったので、性欲についてフェミニストに語らないお前らキモオタや男共は卑怯だへの返答も兼ねて書いてみようと思う。
男の性欲は割と即物的であり、結局のところ男にとって性的な行為で直接的に一番気持ちが良いのは『射精することそのもの』だ。それはセックスだろうがオナニーだろうが関係ない。(これ以外の副次的な部分、社会的な部分や支配欲的なところは存在するが、直接的には射精第一である。)
しばしば言われる『ブスとセックスするのは辛い』『結婚してから嫁が劣化(←この言葉は好きではないが)したので夜の相手が辛い』ということはつまるところ、
『勃起させ、射精するための労力>射精による快楽』という構図になってしまったから言われるだけにすぎない。
女の性欲はもう少し複雑である、ということになっているはずだが、その点は深くは追及しない。
一般的な男にとっての”可愛い”は2種類しかない。『愛らしいという意味での可愛い』と『恋愛対象として高評価という意味での可愛い』だ。
(本筋から外れるが、女性の言う”可愛い”の意味はもっと多いことそのものは増田も理解している。ただ増田も含め、女性の言う”可愛い”の全体像を理解している男は滅多にいない。女性から”可愛い”と言われて戸惑ったりする男が多いが、これは『俺にとっては意味不明な尺度による”可愛い”かもしれないと思うと疑心暗鬼になる』ことによるものだ)
前者の代表例は『子犬可愛い』『子猫可愛い』であり、人間の女の子であっても、5歳の女の子が健気に頑張っている姿を可愛いと言っているならばこちらの意味だ。
後者の代表例は『新垣結衣可愛い』であり、ある程度成長した女性に使っているならばこちらの意味だ。
ただ、人間の女性に使っている場合、前者と後者はグラデーション気味になることがある。増田の場合、成人した女性であっても『金田朋子ちゃん可愛い』は前者の意味をある程度含んでいるし、逆に未成年でも『4年前の生田絵梨花(当時17歳)可愛い』は後者の意味を明確に含んでいる。デビューした当時のまいんちゃん(福原遥:当時10歳)可愛い』は100%前者である。岩本蓮加(14)なら…分からない。
そして男にとって ──女はどうなのか、というのはいまだに分からない── 恋愛感情の一部に性欲は必ず含まれていると言っても構わない。恋愛感情=性欲ではなく、恋愛感情には性欲以外の部分もあるが、性欲を含まない恋愛感情は(おそらく)存在しない。つまり性欲⊂恋愛感情 である(←数学記号は文字コード的に大丈夫?)。生田絵梨花を可愛いと言っている男は、多かれ少なかれ『生田絵梨花とデートして、その後セックスしている自分』を想像している。ただ、そのことに自覚的であるかないか、それだけの違いでしか無い。
そして前述したように、三次元では幼い女の子がどこまで恋愛や性の対象になるかについてはある程度遠慮している部分もある。だが、二次元が相手だとその”遠慮”も無くなり、オタクの男が『木之本さくらちゃん可愛い』『高町なのはさん可愛い』と言っている時にはある程度は性的な意識もある場合が多い。同人誌を見れば明らかである。
…そんなわけなので、『エロと無関係な可愛い』は存在するかもしれないが、それは特に二次元の場合極めて限定的であると増田は思う。ただ一方で、『性的である』から『それ以外の部分を無視している』わけでもない、ということを主張しておきたい。
これって名前付いてないのかな?
「私がAと思うんだから皆Aにするべき」とか
「このグループでは皆Aで揃えましょう」みたいな、差を許容しない同質化の考え方と
「私はAだけど、隣の人はBで構わない」とか、基本個人の自由で不干渉みたいな異質許容の考え方
世の中にある用語はどうにも歴史的に要らない意味が拡張されてて当てはまりづらい
どちらが良いかと言えば、正直どっちもメリット・デメリット出てくると思うんだけど
どちらをより好むかで、その人の性格が分かれる印象がある
規律・規範・ルールで縛る なのが同質化側、真面目で保守的でお硬い印象、和を大事にする、最たる例は学校や軍隊
自由で最低限のルールにするのが異質許容側、行き過ぎるとアウトロー、他人とは別の行動するタイプ
世界的には異質許容が主流なように見えてるがそうでもない
「『一部の異質なこと』を許容する」ことを同質化しようとする動きも多くて、あれは同質化側だと思ってる
これ厄介で、自分は異質許容だと思ってるようでいて、実はよりマイノリティーを許さない同質化側がいる
社会的に認められた「異質」は「許容を同質化」するが
社会的に認められていない「異質」は「排除を同質化」するタイプ
あれはやっぱり同質化
社会的に認められているかどうかってのは個人の観測になるから、ややグラデーションが存在するし、年齢によって下手すると真逆の答えを出す
だから一瞬その人がどっち側の性格なのか分かりづらくなるが、何個か話を聞いてみるとやはりどっちかに偏る
もちろん両方をバランスよく使ってる人も居ると思うんだけど、有能な経営者とか
___
我ながら説明がわかりにくい
言いたいことは「同質化タイプと、異質許容タイプの人が分かれているのでは?(名前付いてないのかな)」って主張
そして色んなラベリングをされながらお互い殴り合ってるけど、一個のルールで説明つくのではないかと
例えば
・「Bのグループは考え方Aになるべきだ」が同質化
・「Bのグループは考え方Aになるべきだ」は、同質化
に見えるけど、①が異質許容、②が同質化であるとすれば、それぞれ矛盾したことになり一貫性がない
主体が考えて決めたのか、社会のコンセンサスで決まったのか、誰かに影響されたのか、あるいはそれ以外なのか(感情的など)
もし、主体が考えて決めたのではないのであれば、「主張」はまだ成り立つのではないかと思った
例えば同性愛の話をすると
それをベースに考えれば
これを最近にすると、「同性愛は許容すべき」が社会的に主流だから
主張が逆転してるんだけど、考え方の根っこはお互い変わってないんだよ
最近は「◯◯の人たちが以前と逆のこと言ってる。彼らは本当に◯◯なのか?」みたいなことを言われるが、こういうからくりなんだと思ってる
そういう風なラベリングがされたら、話がスムーズなんじゃなかろうか
ていうか、同じ結論の中でも同質化/異質許容が混ざってると思う
どうしても「同じ結論」「同じ思想」でグループは分かれちゃうからしょうがないけど、内部でお互い仲悪い印象
__
こんな分かりづらい意見聞いてもらえて嬉しいのでもう少し書かせてくれ
差別なんかで
みたいな話がたまに出るんだが、あれの考え方もこの話に似てる
異質許容タイプってのはおそらく、世界を一貫性を持った小さいルールベースで理解したいタイプで
「差別はいけない」を「グループを作って排除する行為」と捉えている
そのため「差別するものを差別する」という行為が頭の中で矛盾してバグる
差別をもっと深掘りすれば「肌の色で差別してはいけない」「性別で差別してはいけない」みたいな社会共通認識があるが
何故それが特別化を理解できないので、異質許容タイプは受け入れられない
一方同質化側は、「差別」を特別ななにか(例外)だと脳内で定義できている
(ただ、「それは差別だ/差別じゃない」に揺れがあるのでボーダーラインで矛盾を起こす)
(どちらが良いという話ではなく、会話がぶっ壊れる理由の話)
2.同質化が嫌いで、異質許容を同質化したいタイプ(不寛容排除タイプ=寛容同質化タイプ)
3.同質化が嫌いだが、異質許容を異質許容するタイプ(関わりたくないタイプ)
それをもとに3タイプの人が嫌韓になったが、結局別々の道を辿っている
実は1は少なく、その後攻撃的になったのが2だと思う
最近の所謂フェミニストへの反発や、何か立法で制限を加えるといったときに反発するのが2だ
(これについては名前ついてそう)
よくそういう一群を指して「あいつら」とか言われるのは、思考タイプが同じだからではないだろうか
「ルール vs 定義は話が平行線になる」と言ったほうが説明しやすいかもしれない
https://togetter.com/li/1280122
こういうの「人気」の度合いにもグラデーションがあるし
男性オタクが「性的」という言葉に反発する理由を、俺個人の場合を例として考えてみた
(男性一般について言えるかわからないが)少なくとも俺個人に関しては、オナニーで射精することに罪悪感がある
「賢者モード」なんていう言葉がそれなりに認知されていることからも、さほど特殊な感覚ではないと思う
だから、単純に「性的」という言葉を見ると「オナニー/射精」と関連付けられて「罪悪感」と結びつく
女性キャラクターに対して、こういった「性的」な視線で見ることがあるのは事実だし、否定することはできないが、
だからといって「すべての」女性キャラクターをそういう視線で見ているわけではない
「性的」な視線ではなく、射精を伴わない範囲で、おもしろい、かわいいと思って好意を持つこともできている
「男性」ではなくあくまでも「女性」のキャラクターが人気であることをもって「性的魅力」によるものだという指摘がなされているのはブコメでも見かけた
「女性」という性別属性に対して「性的魅力」を感じるのは事実だと思う
どこかでも言われていたが「男性は男性の体がうっすら嫌い」というのは、俺個人には当てはまる
一方で、「女性」という性別属性における「性的魅力」にもグラデーションがある
上にも書いたようにオナニー・射精行為に直結するような罪悪感を伴う「性的魅力」もあれば、
友達感覚の延長線上に性的な接触が直結しないことは、むしろ女性のほうがわかるのではないだろうか
恋愛感情の告白に対して「お友達でいましょう」と断るのは「友達として見ることはできても性的に見ることはできない」という意味だろう
同じようなことが男性から女性を見る場合にもあるのだとは思ってもらえないのだろうか
男性が女性を見るときに、「女性」という性別属性だから魅力的に見えるという事実はあると思う
だからといって、それをもって「性的魅力」として見ているという言葉を使われると、言われた男性側は「その女性を見てオナニーしているのだろう」と決めつけられているように感じるのだと思う
ここに断絶がある
相手が異性だということに対して「性的魅力」という意味であれば、それによって成り立っているのは事実と言ってもいいと思うが、
「露出」とか肉感的な要素によってオナニーに直結する意味での「性的魅力」という意味では、それのみによって成り立っているわけではないのだと否定したい
ダウンロード中の、グラデーション点線で描かれた円がぐりぐり回る(ように見える短いアニメーション)とかも
もうほぼ「そういうもん」になりつつあるんで、
よくつかう機能は自分で選んでリボンなりに出現させられるわけだし、がんばればアイコンも自分の好きなのをネットからひろって割り当てられる。
「アイコンにカーソル当てると文字説明出る」というMSがもってた特許もそろそろ切れただろ。
まあデファクトスタンダードってやつだな!
でも「×√」で確定を選ばせていたフォトショップのことはまだ許してない。
ローカライズで「○×」になってからもウィンドウ右端いっぱいに固定にしやがって枠ちぢめると隠れるようにしてたのも許してない。
電荷はまあ・・許すかな・・
萌絵は性的か?
→性的要素を含む。度合いはグラデーションで、ほぼ含まないけど萌え絵っぽいものもある。キノとか
性的なものは公共の目にさらされないようゾーニングするべきか?
→性的なもの、がわからんが、現実男性が現実女性に性的なものを感じる以上、ゾーニングはできないだろう。ヒジャブ?
実在の人物はともかく、性的な創作物は公共の目にさらされないようゾーニングすべきか?
→ある程度したほうがいいんじゃないか派
なんで?
→性的なものが嫌いな人がいる、でいいんじゃないか。ハラスメントは極力控えるべきという視点から。
そして「公共の場においてエロがないことは嫌がらせ」と感じる人はいないんじゃないか
個人的には、ある女の子に綾野剛と自分を比較されて悲しい思いをしたから、イケメン俳優もルッキズムに貢献してるという点で露出を制限してもらえるとありがたい。
キズナアイについて
→最初はわからなかったが、性的な要素を含んでいると感じる。あざとい。
あれがハラスメントに該当するかは人によるが、少数派なんじゃない?という感覚。街を歩けばあんなもんじゃない人はふつうにいる
→そうでもないと感じる。これを機に白衣モードとかの衣装つくったらいいとは思うけど
→ありふれていたけど、逆でも別にいいと思う。
ただこの構図自体を忌避すると、あとは男→男、女→男、女→女のいずれか、または性別を想起させないモチーフしか受け入れないことになる。
それが理想とも思わない
ある社会学者について
→業界のルールによるんでないか。なんらかの方法で成果物の程度が担保されていればいいと思うよ。
じゃあ何が問題?
→①実績のない人が権威あるようにふるまうこと、②その人の程度の低い成果物が世に広まること が問題
そしてこれは社会学だけに、文系だけに限らず、アカデミックの各地で問われることだとおもう
かなり面倒な部分を掘り起こした印象
ほんとのことを言うと、ゾーニングなんてしたらいいじゃんと思っていて、嫌がる人の気持ちがわからず
社会学者がたたかれているのは発言権を剥奪したかった人がいるんだろうなと感じている。
出勤しないと。あとで追記する
簡単なことです。
うつ病は病気であり身体・精神の不調という症状が生じている状態のことを指すので、対象という語を用いての説明は必ずしもつかないものです。
そもそも元増田が引いている例には「甘え」は含まれていません。含んでいるのは診断がおりた傷病としての心身の不調と診断はおりていない心身の不調であり、これらを比較して「違いがわからない」「明確な境目がない」と称しているのであって、ぶっちゃけ完全にトートロジーに陥っています。そりゃ違いなんてわからないでしょうね。
「甘え」でググってみると、「人の好意を当てにする気持ち」とあります。
「甘える」は「かわいがってもらおうとして、まとわりついたり物をねだったりする」「相手の好意に遠慮なくよりかかる。また、なれ親しんでわがままに振る舞う」、「甘やかす」は「子供などを厳しくしつけないで、わがままにさせておく」です。
いずれも甘える者と甘えられる者との関係性を(やや非難して)称する語であり、「傷病や心身の不調の治癒を求める/優先する」ことは意味に含んでいません。
にもかかわらず甘えとうつ病の区別がつけられないというのは、私見ですが結構ヤバい状態です。思うに元増田は昨今言われる「うつ病は甘え」的言説に毒されすぎているようです。実は甘えとわがままのグラデーションも認識できていないのではないでしょうか?
「うつ病は甘え」的言説というのは、前提として甘えとわがままを混同した上で「傷病の治癒を優先させる」態度を「私的な都合を優先させる=わがまま」とスリップさせて非難する詭弁です。
「わがまま」とは「他人のことを考えず、自分の都合だけを考えて行動すること」であり、一般に他人をナメくさっていないとちょっと発動できない態度を指すものですが、これも厳密には甘えとは異なります。甘えの関係は通常はその端緒においてでも甘えさせる側に好意や許容がないと発生しないですが、わがままは必ずしもそうではありません。
「うつ病は甘え」的言説とは、本来結び付けられるはずのない概念を無理やり結び付けて、「仕事に支障を出すなんて/休むなんてとにかく許せない、ナメてんのか」という他害的な気分を何らかの論理のようなものに見せかけようとしているインチキに他なりません。「骨折は甘え」「心臓病はわがまま」「がんになるなんて周りの都合を考えていない」とか言って非難している人がいたら脳腫瘍を心配するところですが、うつ病についてはなぜかこういう理屈がまかり通っているし、こういう理屈を内面化して自分でも罪悪感で苦しんでしまう人も多く見かけるので恐ろしいと思います。
元増田はマジで少しずつでも「恵まれた環境だからこういう甘えが出る」的思考を捨てる試みをした方がいいです。それは百害あって一利なし、自分や他人の足を引っ張ることはあっても助けとなることはない呪いのような考え方です。現に休みを取るのに罪悪感を生じさせて休養を邪魔している。
例えば休みを取る事で仕事にどういう影響が出るのかを具体的に詰めてリカバリ可不可を整理するなどすれば、「あれとこれリカバれるんだから明日とか休んでも良くね!?」的な理屈が立てやすくなり、「休みたいサボりたい=甘えで悪」という図式を打ち破りやすくなるのではないかと思います。
蛇足ですがわたくし、新卒で就職して早9年目ですが、今日は朝から寝坊をこきまして、数日前から時間外労働及び頭痛腹痛が続いていたこともあって何もかも嫌になり午前休を申請、眠かったので二度寝をこいた結果午後出勤の時間にも遅刻して本日デスクに着いております。割と月イチでこんな感じで人事評価の際に小言を頂戴したりもしますが、陰口はともかく面と向かって「甘え」「わがまま」と咎めを受けたことはありません。
わたくしが厚顔無恥で陰口を全く気にしない性質であり、かつ(大したもんではないにせよ)必要な結果は出しているのでそういう働き方で支障が出ないポジにこぎつけられたという点においては、これは単なるウルトララッキーな一例にすぎませんが、しかし法律に従えばこれが当たり前であり、元増田も同様の働き方を求める権利はあるはずです。
現場の・職種の・業界の諸事情があるのが世の常とは言え、せめて元増田がしんどい時に一日サボる事くらいは一刻も早く可能になるよう願って止みません。
ちょっと極右、右翼、右より、中道、左より、左翼、極左みたいなグラデーションがあって最初の上下、内外は大雑把に右より、左よりの話をしているのかと。
極論言えば中道は左右で揉めてる政策全てに「どっちもあり」とか「中間案を採ろう」っていうことになるかな。
過激な連中に限って言うと
左翼のほうが矛盾が多いっていうけど、右翼だって実際に中国韓国北朝鮮(外)を変えるために危険を冒して戦ってる人なんてほとんどいなくて、実際は国内の左翼叩きに明け暮れている。移民だってそれは既に「内」の存在といえる。彼らがやりたいのは国のための戦いではなく、内部の武力統制。でもお前も俺も、右も左も藁人形叩きはいい加減にしろって話なんだけどな。
あと最近は過激派フェミニスト連中が左翼の代表みたいな扱いされてて不愉快なんだけど、あれは「女」という人類の50%を占めるがカテゴリーを至上とする連中であって、本来左右に分類できるものじゃない。左は歴史的に女性が抑圧されてきた経緯を、抑圧されてきた貧者になぞらえて(あるいは穏健派フェミニストはリベラリスト的思考なので)過激派フェミニストを批判できずにいるけれど、一部の連中が垂れ流すヘイトにはうんざりだし、過激派がやってることはもう一種の民族主義極右といってもいいと思う。
意味不明なものが多いし何かとケチつけないと気がすまない性格だから面倒なことを一々と
直接のユーザからの意見なら多少は変でもそのユーザが必要としてるなら納得できるし、イライラすることもない
社内でそんなことこだわったところで実際には気にされないことが多いのにだ
まだデザイナーがデザインについてこうした方がUXがいいねみたいなことをいうならわかる
専門の人の意見だし
そうでもないのに何かと文句をつけてくる
CSS すらまともに使いこなせずマージンもパディングもないような酷い作りのものしか作らないのにソッチのほうが良いという
色は red, green, yellow と標準のペイントのデフォルトカラーかよというような色を指定してくる
#fcfcfc や #0a0a0a なんて使おうものなら白と黒にしろと
max-width を指定せずに画面の端から端まであるようなものがいいという
今の時代のアプリやサービスを全く見てないのか?としか言えないようなセンスだ
自社サービスなんて手を出したらこれは酷いと話題になりそうなものだ
見た目にあまりこだわれない社内用サービスしか作ってないからと言って、その他サービスをみてる人からすれば明らかに
しかもデザインに限ったことではないがまだ序盤の時点で言っておけばいいものの完成後にいまから変えるなんて難しいのが
わかりきってるようなときになってからああしろこうしろ言い出す
先に書いたようにユーザの要望ならまだ仕方ないと言えるがなぜこんな無意味なことに付き合わなければならないのか
わりと自分が完璧主義なところもあるので作るならちゃんと作ろうとしてるんだが
こういうのを相手にしないといけないせいで結局グチャグチャになってくる
色のバランスやレイアウトを考えたところで一瞬でそのバランスが無意味になるようなことになる
プログラム側だって全然関係ないものを無理やり入れ込まないといけないようなことになることも多い
疎結合だとかグローバルをつかわないとかそういう作りやすくするためのことをしていても
それが維持できないような無茶で無意味な指示が出る
根本的に変えたり対処するためのものを作るとかすればなんとかできなくはない
過去のプロジェクトでもそういうのが多いから自分で作るのくらいは扱いやすくしたいと考えていたのだが
過去に言われたものだと速度を優先だとか言って自分で作ったものよりは遅くするなと言う
しかしながら関数は使わずコピペだわforeachなどは使わずループ変数を使って地道にやるなどメンテナンスが
できる気がしないが速度においては早いと言えるものだ
当たり前のようにグローバル変数がいっぱいあるしライブラリの使用箇所はカスタマイズするための仕組みがあるのに
便利で読みやすいような書き方だと速度的にはそれに劣る
だがわざわざそんな扱いづらいし見づらいコードは書きたくない
そんなに速度にこだわるなら勝手に一人で機械語でも書いてろよって思う
どちらか取捨選択すべきものなのに両方みたせとか無理なことを言う
ちなみに便利なライブラリは基本無駄が多い遅いものだからライブラリ頼みのベンダはクソだとか
能力がないだとか言っていた
そういえば昔先輩社員と仕事したときには変に凝ったものとか必要以上に作り込んだりはしないほうがいいとか
言っていてそれなりに手抜きでさらっと一応は動くようなものを作っていた
私はそういうやり方が嫌いだったのだが今ではこういう環境に長くいた結果仕事のものにこだわって作り込んでも無駄
ということがわかってそうなったのかなと感じた
自分でもサビ残や休日に無償出勤してまでいいものにしようと努力はしていたが謎の指摘に合わせていると
愛着もなくなってきたし後は適当に済ませてしまおうかなという気持ちだ
ちゃんとした自分なりの完璧なものを作ろうとするなら仕事ではなく趣味で作ってるツールやライブラリで
やればいいかと思う
作ったもの次第でユーザが集まる自社のウェブサービスやパッケージの商品やゲームなどは作り込む方が
良いと思うが先に値段が決まって受注して作るようなものだと最低限の要望さえ満たしていればあとは
どうでもいい
むしろ不便な方が改修依頼が来て稼げる
さらには綺麗で完璧な作りで大抵の想定できる改修は1日とかからないようなものに仕上げるよりも
どこ変えればいいかや影響範囲すらわからないくらいモノのほうが実作業時間が多いのでそれだけ請求できる
先に作り込むメリットがない
ストレスが溜まってきたので発散がてら書いてみたけど疲れてるのかわりと分かりづらい文章になった
けどまぁいいか
そろそろ転職でもしたいなーと考え始めた
”ちなみに友達の定義は「電話やメールで相談できる」「ラインを送るとき考え過ぎて時間をかけない間柄」です。”
これってどっちも自分の判断で決まってて、そこがすごい苦労だと思う。
相談しようって思うの自分の判断だし、ライン送る時に考えすぎるのも自分だし、結局自分で全部決めないといけない。
ちなみに私の友達の定義は「お互いが友達だと思っている事」です。
基本、人間関係にここから友達でここから友達じゃないって線引くの無理だと思ってて、
もっと虹色っていうかグラデーションあるし。世の中を敵と味方の二つに分けるのって疲れるし。
この定義だとこっちが友達だと思ってなかった場合この世から友達がいなくなるので…
まあ増田はちょっと躁鬱すごそうなのでちゃんとしたクリニックとか行った方が良いと思う。
私友達いないからさ!って自分が友達だと思ってる奴が言ってる事がよくあって、
その度に「少なくとも俺は友達だと思ってるよ」と伝えるようにしてるんだけど、
https://digital.asahi.com/articles/ASL8R4S75L8RUCFI00B.html
回答としてとても全うで、納得のいくものだった。だったのだが、当然回答者が岡田斗司夫である以上、「朝日新聞は岡田斗司夫が指導者という立場を利用したりして精神不安定な女性数十人と異性関係を持ったことが判明したあとも、彼を切らなかった。metooと程遠い人権感覚の会社だと思ってる。 」というブコメがついている。
ブコメをつけた人を非難したいわけじゃなくて、これは正にme tooにおけるある種の「正義」の本質を表している。つまり、「言動そのものや、その人が作り出したものの是非ではなく、その人の社会的状況に応じてその人の言動を判断する」。
これは、不正義の是正を誰かに任せるのではなく、評価者自身の判断で不正義を是正するものだ、ということになる。一面の真理はあると思う。社会は完璧ではないので社会や公的機関が必ずしも正しい在り方をしているわけじゃなく、それを正すのは社会に生きる人間であるべきだ。そのような仕組みが市民社会であり、社会的不正義に対して暴動や大規模なデモが起きるのはある種「健全」なこととは言えて、そういう事例が散見されるアメリカやフランスと違ってどうして日本は……という話題は、本筋からズレるので閑話休題(こういったある種の国ごとの政治態度や市民感覚の違いをまとめてる研究書どっかにないですかね。真面目に読むので割と本気で募集している)。
そういった考えの裏には、実のところかつてのモヒカン族とは全く逆の価値観がある。評価するかしないか、という価値判断だ。
上記の例で言えば、岡田斗司夫は評価されていい人間かどうかである。とりあえず自分の評価は差し控える。その全く真逆の例で言えば、〈ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー〉シリーズの監督を務めていたジェームズ・ガンが、過去の不適切なツイートを理由にシリーズ監督から降板させられた事件だ。その二つの違いはなんなのか。違いはいくらでも挙げられる。実際に問題になっているのが実在の女性との実際の関係に関する話題か、不特定多数に対する言及だけか。日本国内で活躍する批評家か、全世界的にヒットした作品を生み出した監督か。社会的な評価の違い。味方についた人がどの程度いたか、それが大きく報じられたかどうか。「不正義」とされるものは白か黒かではなく様々なグラデーションが存在し、「灰色は白である」=推定無罪の価値観はあくまで刑事事件=公的権力が市民を罰する際に発生するものであり、このような違いが発生するのは当然である。だが一方で、ジェームズ・ガンは擁護されるのに、『二度目の人生を異世界で』の原作者「まいん」氏が炎上した挙げ句にアニメ化が中止になるのは当然であるとされる。問題発言が日本における大きな政治的争点かどうか、という違いはあるが、それ以上に大きな違いは、2人がどんな作品を書いていたか、と言ってしまっても差し支えないのではないか、と個人的には思っている。一方で、慰安婦を揶揄していた「月曜日のたわわ」の比村奇石はさほど炎上せずに未だに活動を続けている。比村奇石が炎上しないのは不思議だなと思っているが、とはいえ自分自身、「うっわー気持ち悪いことしかやってねーなこの人、でもめっちゃエロい作品書くな。もっとやれ」って思いながら毎週月曜日を楽しみにしている。しかし本当に邪悪。
雑多になってしまったが、何が言いたいかというと、me tooというのは「何が正しいか」ではなく「どんなかたちの正義を指示するか」というある種の価値観、雑な表現であるところの「政治的態度」を求められている。正義に対するコミットメントである。だが正義は一枚岩ではなく、黒と白の間には無限のグラデーションが存在し、結果me tooのような価値観はある種のダブルスタンダードを許容する。
社会において「理性的判断」というのは存在せず、人間は社会のなかでしか行動ができず、社会のなかで行動するなら結果的に社会にコミットしなければならない。あたかも村上春樹がデタッチメントからコミットメントへの転換をした(「せざるを得なかった」と言っていいのかは、正直わからない)ように、これはある種当たり前のことなのだが、その事実を前に困惑するひとは少なからずいるのではないか、と思っている。自分は比較的その変化を受け入れている側の人間ではあると思うが、困惑する人間がいるのはよくわかる。人間は矛盾する生き物だからね。
だがはあちゅうてめーは駄目だ。
https://anond.hatelabo.jp/20180819023849
https://anond.hatelabo.jp/20180819105145
暇だしなんとなく文章書きたくなる時ってあるじゃない、いいでしょう?
まずお一方目から。
・ゲイは嘘つき
わかる、すごくわかる。
地方生まれの身としては、口が裂けても人に言えないのよ。高校の頃とかさ、やっぱ男子ってAVの話とかエロ本の話とかするじゃん?その時にどの女優が〜とかこんな本が〜とか話したりどんなんが好きとかなるわけよ。
無理。
具体的に答えられないから素人ものが〜とかいうわけよ、タイプが特定されないように。観たこともないのに。
・ゲイには本当はできれば普通に女性と結婚して子供もほしかった人がいるということ
結婚式は呼ばれたら基本行くよ。断ったことは今までない、たとえご祝儀が将来的に回収できないと思ってとしても、式に呼んでくれたならお祝いしたいじゃん?
周りにあいついつまでも結婚しないよなって思われてるんだろうなとは思ってる。
実際どう思ってるのか聞いてみたいな。
でも子どもはそんなに欲しくないかなぁ。嫌いではないんだけど、自分の子どもが欲しいとはそんなに思えなくて。
この辺は人によりけりなんじゃないかな。
・こんなことを思ってるけど公に言えない人間がたぶんあなたのまわりにもいること
これは、正直わからない。わからないけど、もしかしたらいるのかもって、そう思ってくれたら嬉しいなぁ。
昔上司に、女性の話になって"お前もしかしてこっち系?(例のポーズ)"って言われた時に酔ってたのもあって殴ろうかなと思うくらいにはカッとなってしまったことがある。
お二方目
項目がないので書きにくいな。
>ゲイの癖に強者の論理で来るからむかついて叩いちゃっただけだろーが。
これよくわかんなくて、結構叩いてたのってゲイの人だと思ったんだけど実際どうなの?
てかゲイの中にもきっと同じような比率で強者から弱者のグラデーションあると思うんだよね。
タワマン住んでるゲイもいれば、4畳半に住んでるゲイもいる。そんなもんじゃない?
>ゲイが強者として振舞って社会を肯定しただけでああいう叩かれ方するのって
「ゲイのくせに」じゃないならなんだっつーの?
タイミングが悪かったのと、観測範囲が狭かったのと、それまでの言動とかじゃね?
飲みながらだし書くのめんどくさくなっちゃった。
ゲイにもノンケにもいろんな人がいるし、少なくともこの国では儀式的な結婚はできても婚姻届を行政に提出することは叶わない。そして婚姻に付随する義務と権利はあることができない。
それだけは確かなんじゃない?