2024-10-29

曽祖母の遺品から1907年に書かれた英語便箋が出てきた

便箋の上部に四角い白地に赤い波線の2つ入った旗のロゴ、その下には以下の赤い印字がある

NIPPON YUSEN KAISHA.

   S. S. 〝TANGO MARU.”

         ___ 19 ___

「 ___ 19 ___」と印字された箇所に「July」「20」「07」 が手書きで記入してある

July 20 1907、1907年7月20日ということは120年近く前だが、そうとは思えないくらい紙もインクも綺麗だ

ネットで調べると、かつて横浜シアトル間を日本郵船丹後丸という船が運航していたらしい

これを書いた人はその丹後丸で日本までやって来たのかもしれない


本文の筆記体が読めないのでAIに書き起こしと翻訳を頼んだら、これは手紙ではなく仕事の推薦状だと教えてくれた

ちなみにAIによると、文体イギリス英語、「S. S.」は「Steamship(蒸気船)」の略だそうだ

曽祖母の両親(高祖父母)のために書かれたもののようだが、推薦状にしては船舶会社便箋に走り書き、署名も無しとはひどい

他にも同様の英文の推薦状が合計4組8通残っていたが、この一番古い丹後丸の便箋以外はすべて無地のもの使用され、署名もされている


こういう推薦状は就職先に提出すると返却されないものだと思っていた

しかし日付の違う推薦状が8通も残っていたということは、いわゆる在職証明書役割も兼ねていたのかもしれない

から祖父母最初の推薦状以外は、無地の便箋への記入と署名を求めたのかもしれない


推薦状の内容自体は、どれもこれも似たり寄ったりの文章だった

この推薦状の持参者である〜は、住み込みコックとして私の下で〜ヶ月間働いた

彼は忠実で誠実、温厚な人柄で〜

腕のよい料理人を求める方に、彼を推薦いたしま

この推薦状の持参者である〜は、家政婦として私の下で〜ヶ月間働いた

彼女は忠実で、性格が良く、きつい仕事もいとわず

さな子供のいる方、勤勉な使用人を探している方に、彼女を推薦いたしま

興味深いのは高祖母職種が「baby amah」や「house amah」となっていたことだ

「amah」は日本語の女性意味する「尼(あま)」が由来かと思ったらそうではなく、その昔、欧米人東アジアで家政婦兼乳母のことをそう呼んだそうだ

語源中国語説、ポルトガル語説、アラビア語説と諸説あるらしいが、よくわからないらしい


戦前、高祖父母神戸レストラン業を営んでいたことは聞いていたが、若い頃に外国人の下で夫婦住み込みで働いていたことまで知らなかった

一通の文書からいろんな歴史が見えて面白い

  • 推薦状にしては船舶会社の便箋に走り書き、署名も無し それは下書きだったのかもよ。 手書きのフォーマル文書とかだとまず1枚試しに書いて、文章量見て文字の大きさとか改行位置...

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