はてなキーワード: ベッドタウンとは
大型ショッピングモールも次々に作られて、交通網も充実している。
別に高知に住めと言っているわけではない。千葉だって埼玉だって神奈川だっていいのだ。
今の家賃に交通費を加えてもお釣りが来るようなところに住めるし、マイホームだって全然夢なんかじゃない。
その点を踏まえた上で、保育園に入れなくて声を上げている人に共通している点を挙げる。
・親元を離れて暮らしている。
大体にして、親の代から東京に住んでいるわけではない人が多い。
だから生活の基盤が弱い。困ったときに助け合える家族も、知人も少ない。
・夫婦どちらか一方の収入では生活ができない、もしくはギリギリである。
共働きしないと生活できないから保育園を必要としているのだろう。
つまり、どちらかが働けば生活できるような水準の収入ではないということだ。
・仕事が安定していない
企業の福利厚生や援助が手厚ければ、それでもやっていけるはずだ。
つまりは仕事にそうした地盤のない、不安定な職についている人間であることがわかる。
聞きたいことが一つあるのだが、どうして行政に文句を言う前に親や兄弟、親戚に相談をしないのか。
そこにこそ生活基盤の脆弱性があると考えたことはないだろうか。
聞いて欲しいのは、東京都にしてみればただでさえ都心に人が流入して困っているということだ。
都心の経済はほうって置いても安定している。いまテコを入れなくてはならないのは地方なのだ。
大した生活基盤もなしに、後先考えずに東京に流入した挙句、保育園に入れないと行政を責めるのはあまりにお門違いではなかろうか。
何も少子化を加速させたいわけではない。都心を少し離れれば、余裕を持って子育てできる環境が作られているのだ。
要するに、保育園に入ってこれなくて困っているような人たちは、都内に住んでほしくないということを行政は言っているということに早く気づきなさいということだ。
駅周りは雑居ビルばっかでごみごみしてるし飯もラーメンと飲み屋ばっか
夜は駅周りにオッパブやキャバの客引きが多数現れるし、言わずもがな治安が悪い
坂が多くて移動が不便で、大型の商業施設は国道沿いにあるので車が必要なレベルの都市なくせに駅周りの主要地域の道路が整備されてないので、国道に繋がる道はいつも渋滞している
常磐線が常時混んでるうえに環境が悪いのでうんざり。しかし車で移動するにも大抵橋を通らねばならず、結局常時渋滞に捕まる
ベッドタウンにしてはマンションが少なく、ボロいアパートや悪い意味での旧家が線路、国道、旧道、河に寸断された狭い地域にひしめくため息苦しい
サイバーメガネさんの「政治・選挙業界の闇の用語集」 というエントリを目にして、学生時代、東京都議選候補者の事務所で働いた時のことを思い出したので、つらつら書いてみる。
その自民党候補者の事務所で働き始めたのは、べつに支持者だったからではない。
むしろ、当時の若者の常で「それほど政治に興味はないが、しいて言えば左寄り」だったと思う。
なのに、なぜ働いたかといえば、単に友人から「とっぱらいの、面白いバイトがある」と紹介されただけの話である。
9時から18時まで日給1万円、延長の時は時給1000円、半日しか来れないときはそれでも良い、しかも昼食付きという条件に魅力を感じて、
選挙公示日の2週間前くらいから、そのバイトにはいることになった。
なお、現在、選挙事務所が、ウグイス嬢などの特殊技能を持っていない単純な運動員をバイトとして雇うのは、公職選挙法で禁じられている筈である。
当時の規定がどうだったのかは、よく知らない。
ただ、バイトにいった初日、「外で何か聞かれたら、○○事務所のボランティアですと答えるように」という注意があった。
あと、昼食は無料で弁当が出たのだが、なにか帳面のようなものに、弁当と金額が書いてあって、サインをさせられたが、
それでいて、とっぱらいの一万円をもらうにあたって、なにかにサインしたり、書類をもらったりすることはなかった。
仕事は、荷物を運んだり、連日どこかの体育館や集会場で行われている個人演説会の会場設営や後片付けをしたり、街頭演説の交通整理やビラ配りをしたり、
要するに雑用だった。
応援にきた時の首相に道を開けるため、群衆を抑える、みたいなこともあった。
あと、選挙カーの通れない細い路地を、候補者を先頭に自転車で走り抜けながら支持を訴えて走り回ったこともあった。
候補者のあとを、背中に候補者名や政党名を書いた「のぼり」をたてて路地を練り歩いたりもした。これは、内部で「桃太郎」と呼ばれていた。
「桃太郎」には「先発隊」が出されることもあった。
あらかじめ、候補者の一群が来る前に、支持者の家に声をかけて、表に出て先生に声をかけてくれるように頼んでおくのだ。
候補者が自ら支持者の家にいったら、公選法で禁じられている「戸別訪問」だが、あらかじめ支持者が公道に出ていれば、そうはならない。
告示日がすぎて、ドタバタと忙しくなっていたある日、印を付けられた地図を渡されて「ここのお宅にいって、先生のポスターを剥がしてきて」と頼まれた。
普段も街中で政治家や政党のポスターを見かけるが、選挙期間中は指定された掲示板以外にポスターを掲示してはならず、
実は、告示日が来る前のバイトの主な仕事として、選挙区を自転車で走り回ってポスターをはがして回る、というのがあったのだが、
それでも「見落とし」というのは当然ある。
そのまま、掲示をしていると、その筋(たぶん、選挙管理委員会)から警告のファックスがくるらしく、
その時は、大急ぎでバイトがポスターを剥がしに駆けつけるのである。
指定された場所は、ゴミゴミとした「アパート」というより「長屋」とでもいったほうが似合うような、古びた木造集合住宅が密集した地域であった。
今でも、東京の東部には案外そういう建物が残っているが、当時は今以上に、そういう地域が多かった。
その雰囲気は、サラリーマン家庭が圧倒的多数を占める、いわゆる「ベッドタウン」で育った大学生にとって、
物珍しさと一抹の不安を呼び覚まさせるに十分だった。
問題のポスターは、その木造長屋の二階の雨戸の戸袋に貼ってあった。
窓から乗り出さなければ、張ることも剥がすことも不可能な場所だ。
マッチ箱のような大きさの昔ながらのドアチャイムを押すと、引き戸を開けて出てきたのは
絵に描いたような「下町のばあさん」だった。腰がかなり曲がっていた。
来意を告げると、「ああ、そう。剥がさなきゃいけないのは知っていたけれど、あの場所じゃ自分でできなくてねえ」と言われた。
二階の窓から身を乗り出して、ポスターを剥がし終えると、ばあさんが冷たい麦茶を出してくれた。
ありがたくいただいていると、ばあさんがこんなことを言った。
「お宅の先生、ちゃんと頑張ってるの? こっちの方、まだ全然選挙カー来ないじゃないのよ。KM党とKS党ばっかりよ」
僕は思わず、ばあさんの方をじっと見た。選挙カーが来るのを待ちわびている人を、人生で初めて見て、いささか驚いたからだ。
「あたしゃね、SK学会とか、KS党とか、大っ嫌いなのよ。だからお宅の先生にも頑張ってもらわなきゃ。あたしも知り合いに投票してくれるように頼んでんだからさ」
ばあさんの言うことは、政策がどうとか、そんなこととは関係ない次元ではあったけれど、でも十分筋が通っていた。
あんな騒々しく名前を連呼して支持者の獲得なんてできるのだろうか、むしろ逆効果じゃないのか、と、それまでは漠然と思っていた。
世の中には選挙カーがこないと「先生、ちゃんと頑張ってるの?」と心配する支持者がいるのだ。
そして、その支持者が、さらなる支持者を獲得するために動いてくれるのだ。
もともと、候補者のことなどろくに興味がなく、選挙カーが来たら「うるせえなあ」としか反応しない層の反感によるデメリットよりも、
「ああ、先生、頑張っているなあ。あたしも頑張らなきゃ」というばあさんの意識に呼びかける効果のほうが、大きいのであろう。
世の中の仕組みをもう一つ知れた気分になって、いささか感心しながら事務所に戻ると、事務所の司令塔でもある候補者の長女に「ごくろうさま」と声をかけられた。
そして、彼女は、笑いながらこんなことをいった。
「あのあたり、ゴミゴミしてほんと汚いでしょう? いっそ地震でも起こって全部燃えちゃえば、再開発でもできるんでしょうけどねぇ」
彼女の父親の地位は、その「ゴミゴミしてほんと汚い」ところに住んでいるばあさんたちに支えられている筈であるのだが、
彼女にとってそこは、さっさと燃えてしまえばいい場所のようであった。
もともと冷めた目でこのバイトをしていた上に、さらに「軽蔑」の気持ちが加わったのだが、それはそれとして、バイト代は魅力的だったので、僕はその事務所に通い詰めた。
そういえば、投票日当日、事務所の整理などの仕事があったので、やはりバイトにいったのだが、
そのとき、事務所の「コールセンター」で、女性たちが支持者名簿を片手に電話をかけまくっていた。
女性たちは、「○○事務所のものですが、本日の選挙、投票にいかれましたか? 大事な選挙ですので、ぜひ投票なさってくださいね」などと呼びかけていた。
「○○候補への投票をお願いします」と当日に電話で呼びかけてしまうと、公選法違反になるということだった。
事務所の幹部たちは、1時間ごとにだされる投票所ごとの投票者数が記された紙を見て、「○○地区の出足がおそいなあ」などと言いながら、
女性たちに「○○のほうを強化して」などと、電話をかける先を指示していた。
結局、その候補者は当選した。開票速報が流れたときにも事務所にいたのだが、それはもう大層な盛り上がりようだった。
関係の深い人々はもちろんのこと、つい一か月ほど前に縁をもったばかりのバイトの大半も、それなりに興奮していた。
一月の間、同じ目標に向かって働くことによって生まれる一体感が、その興奮を生み出すエネルギーの源泉となっていたのだろうが、
先の一件で事務所に軽蔑の念をもっていたので、心の中ではかなり冷めた目でその光景を見ていた。
表向きは、その歓喜の輪に加わって、翌日に行われた祝賀会でも、随分ご相伴にあずかって、ビールやら桶の寿司やらをしこたまいただいたけれども。
このとき、結局、一月で20万近くを稼いだ僕は、その資金で海外へと貧乏旅行に出た。
インドで、現地で知り合った人に
「この国は世界最大の民主主義国なんだけれど、まだまだ文字が読めない人も多いので、
選挙の投票用紙には政党のマークが印刷してあって、それに印をつけるんだ」という話を聞いて、
「選挙ってなんだろう」と考えたりもした。
あれ以来、選挙の現場に直接かかわったことはないが、選挙の季節が来て、候補者の名前を連呼する声が聞こえると、
ああ、この辺りに、あの候補者の支援者が住んでいるのだろうか、などと考える。
選挙は一度も棄権したことはないが、選挙カーによる名前の連呼は、僕の投票行動にはいささかも影響を与えていない。
選挙カーで名前を連呼する事象について言及すると「そもそも公職選挙法で規定されているから、それしかできないのだ」とブコメやトラバでご教示くださる方がいる。
仮に、連呼以外のことが認められ、選挙カーが政策を訴えだしても、「うるさい」と思う人は「うるさい」と思うだろうし、
走り回る選挙カーから、「政策に興味のある意識が高い有権者」の判断材料になるほど意義のある複雑な内容が訴えられるとも思えない。
Times Higher Educationの世界大学ランキングが今年も出て、東大がアジアの大学トップから陥落した。他の大学も軒並みランキングを下げている。文部科学省は、今後10年間で世界大学ランキングトップ100に我が国の大学10校以上を目指すという目標を掲げて、スーパーグローバル大学創成支援プログラムなどを行ってきた。思惑と完全に逆の結果が出て、明日からいろいろと議論のあることだろう。
しかし、大学内部では、この結果にむしろ安堵している向きもじつは多いのではないかと推察する。
国が大学をいじろうとすると、ろくなことにならないという、大学内部の人々の見解が、外部からの評価によってはっきりと示されたからである。学位を持たない政治家、文部官僚、コンサルティング会社の従業員が作ったエクセルファイルとパワーポイントのスライドが生み出したものは、国外の大学評価者からゴミとみなされてしまったわけである。
ともあれ、今回のランキングでトップ10に入った大学と東大ではとうてい比較にならないということは、教育内容のみならず、キャンパス環境においてもそうであることも記憶しておいてよい。キャンパス環境は研究のパフォーマンスに影響を及ぼすからだ。東大のキャンパス、とくに本郷キャンパスとその周辺環境は劣悪である。
東大の出身者であり、ランキングでトップ10に入った大学のうち、4校を実際に訪れた人間の見解として読んでほしい。いわゆる出羽守である。
本郷キャンパスで学生時代を過ごしたことのある人ならば、独特の「居場所がない感じ」を覚えたことがあるのではないだろうか。たくさんの建物があるはずなのに、授業の合間に本を読んだり、軽く休んだり友達と喋ったりしようとするときに、行くところの選択肢が極端に少ない。キャンパス内に「隙間」的な場所がないのだ。
東大本郷は息苦しい。キャンパス敷地内の建ぺい率が高すぎるのだ。敷地の隙間を埋めるようにして、企業からお金をもらってはビルを建てつづけているうちに、場所がなくなってしまった。かつて東大出版会があった建物は近いうちに壊され、緑地になろうとしているが、これはキャンパス内の建ぺい率が高すぎるため、アリバイのようにして何もない場所を残しておく必要があるためだ。
スペースがあるところすべてに建物を立てるのが合理的だという発想は、大きな子供の考え方である。人間の深い欲求を見ていないからである。敷地にめいっぱい高層ビルを立てた環境の中で、知的能力を極限まで働かせて競うという状況に、人は耐えることができない。「隙間」が必要なのだ。検索すれば、本郷の高層ビルから学生が飛び降りて死んでいることがわかるだろう。
本郷キャンパス内に居場所がないならば、大学の外でゆっくりしようと思っても、なかなか難しい。昔ならいざしらず、本郷はもはや学生街ではなくなっているからだ。
本郷は老人と若いファミリー層の街である。文京区がそのようなまちづくりをしようとしているのである。文京区では25平方メートルより狭いワンルームマンションは新しく作ってはいけないように、条例で決まっている(http://www.j-cast.com/2008/08/05024411.html?p=all)。東大周辺で昔から不動産業を営んでいる人に直接聞いた話によると、規制が敷かれる以前につくられた狭小物件の家賃は、バブル時代の水準で高止まりしている。あまりお金のない東大生にとって、本郷周辺で手頃な部屋を見つけるのはとても難しい。このため、多くの東大生はベッドタウンから通勤してくるサラリーマンのようにして、朝、本郷キャンパスへやってくる。
こうした住宅事情は、本郷界隈のビジネスにも影響を及ぼしている。この10年の間に本郷通りで増えたものといえば、高層マンション、ラーメン屋、カレー屋、中華料理屋、小型スーパーである。飲食店は、主にサラリーマン層の需要を当て込み、食べたらすぐに出て行かなくてはならない高回転率型のビジネスが増えた。あまりお金をかけずにゆっくり本でも読もうとすれば、ドトール、スタバ、サンマルクカフェといった選択肢になろうか。この他にも本郷通ではまだ個人経営の喫茶店が健闘しているが、いかんせん価格帯が高く、老朽化が進んでいるため居心地に問題があるように思う。
北米や英国の大きな大学は、町と大学の境目がないことが多い。両者が融合して美しい町並みを作っている。これが東大本郷との最大の違いである(いわゆるオックスブリッジは、旧市街と伝統的なカレッジ周辺の家賃は高いが、その辺に住まずとも、とりあえず身を隠せるところがそこそこある)。文京区は東大周辺の学生を追い出し、高く売れそうな高層マンションの建設ばかり許している。そのような場所に住む人は、税金を払ってくれるからだ。友達の部屋にちょっと寄り、周辺でご飯を食べてコーヒーを飲みながら話をして、歩いて大学に行ける環境から生まれるものと、そうでない環境から生まれるものは、やはりちがう。
このような議論には、はてなーお得意の、さまざまな「もう一つの視点」からの批判があろうし、そうあってしかるべきだが、東大が本気で研究の生産性を、しかもお金をあまりかけずに上げたいのならば、まちづくりの段階から周辺の人々と協議して、もっと学生が定着しやすい空間を創りだしたほうがよいのではないだろうかと思わざるをえない。
大阪、東京、さらに地方の10万人の街、地方政令市、などなど、で暮らしたことある俺が調べてみたよ!
東京都、神奈川県、埼玉県、千葉県の4つを合わせた人口は3562万人!
この人たちは、俺らは東京周辺に住んでる、日本でも中道の人間だぜ!って思っていることでしょう。
実際、1/4を超える割合です。
紛れも無い都会人ですね。
実際は、房総半島の先っぽとかは絶望的な田舎なんだろうけど、ざっくりとした話だから許してね。
大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、滋賀県の5つ合わせると1991万人!
この人たちは土曜のお昼に新喜劇見て、せやねん見て暮らしています。
16%というと、時計で言えば12時間中2時間をしめているので、それなり、ですよね。
都会人です。
日本海側や琵琶湖の東側とかは死ねるけど、気にしない気にしない。
関西ほどじゃないけど、かなり近い数字になっていて、人口の9%を占めます。
岐阜県が案外人口多くて、案外名古屋にすぐ出れることを、関東人は知っているかな?
ここまで、いわゆる三大都市圏が出ましたが、この合計ですでに日本人口の53%を占めていますよ。
つまり、日本人の半分以上が大都市に暮らしてるってことですね。
じゃあそれ以外は田舎?
いわゆる大都市に通勤したり気軽に遊びにいったり、ではないけど、自分の街はそれなりの都会で満たされてるぜ!って人です。
この人たちは、自分たちが中心じゃないことを知っているので、ローカルなメンタリティを持って生きています。
が、関東人がバカにするような田舎じゃなく、都市にあるものは大体そこで買えます。
種類は選べなかったりするけどね。
札幌、福岡、広島、仙台、北九州、新潟、浜松、熊本、静岡、岡山、この10都市の合計で1034万人!
県じゃなくて全部、市のことだよ!
これが全て田舎か?というと必ずしもそうではなく。
例えば福岡県は福岡市と北九州市を擁する九州の中心都市ですが、福岡市のベッドタウンをカウントしてません。
それと、田舎県の高知県や香川県でも、県庁所在地とそれ以外の街では天と地の差があります。
しかし、それでも一応、残りの人々は、そんな気軽に街には行けず、行けても地方中核都市、という環境です。
申し訳ないけど、ざっくり田舎と言ってしまいましょう、ここでは!
県庁所在地だけここでくくり出すのは大変だし、ん?米子?鳥取?みたいなことも起きるからね!
案外、多いよね?
都会・田舎論争が起きる時って、関東人28%と田舎人39%の構図になって、関西人東海人地方都市民33%が両方わかるんだよなァ、な感じになってるんじゃないかね。
両方経験してる人は案外どっちかの立場を強く推してる気がするし。
これ、いい感じのバランスじゃない?
関東人28%、田舎人39%、関西人東海人地方都市民33%、って。
関東人は最多数の中心派閥ではあるけど、自分の環境や意見が、日本人の総意である、当たり前である、なんて思い込まないことね!
ところでこれを面積でするとどうなると思う?
関東3.6%、関西6.0%、東海5.7%、地方都市2.2%、それ以外の田舎82.5%ってなるんだ。
なんだいそりゃ、って話だよね。
横浜生まれ東京住まい、20代会社員。先日有休がとれたので、ふと思い立って人生初の函館旅行に行ってきた。親しい人を誘っての気楽な二人旅だ。
楽しかったこと、残念に思ったこと、多々あったので書いてみる。長いよー。
で、しみじみ思ったんだけど、函館って結構近いのな。は~るばるきたぜは~こだって~!というフレーズがあまりにも有名なのでもっと遠いイメージだった。案外気軽に行けるんだなぁ、と目からウロコが落ちた。
だって、飛行機乗って1時間20分で着くんだもん。めちゃくちゃ早い。しかも、飛行場が市街地から車で20分程度とアクセスが良く、超便利。そう、函館ってコンパクトな街なんだよな。関東平野のど真ん中に住む身としては山も海も温泉も非日常なので自宅のすぐそばにそういったものがある環境というのは羨ましい。
JR函館駅でシャトルバスをおり、その駅前のあまりの茫漠とした様子に衝撃を受けた。
土曜の昼だったが、ほとんど人影がない。駅舎は新しくて立派だし駅前ロータリーも広く、周辺には大きなビルやホテルが林立していて、ハードが整っているだけに主役となる人間がいなくてまったく賑わっていないのがなんだか異様な感じ。ロータリーを囲む唯一の店らしい店といえば小さなサンクスだけだし。
自分の住む関東の某ベッドタウンは、知名度は低く駅も小規模で周辺にも函館駅ほど大きなビルやホテルが林立している訳ではない。でも、駅前には複数のコンビニや飲食店、フィットネスジム、銀行、パチンコ屋、スーパー、病院、学習塾がそろっていて人通りが絶えない。チェーン店と地元資本の小型店が競合し、学生や主婦やおっさんやじいちゃんばあちゃんがワラワラ路上を歩いていたりスイスイ自転車で進んでいる。
地方は車社会と聞く。だからJR函館駅の駅前はこんなに人影が見えないのか? みんな車で移動していて歩かない? でもそれにしたって人いなさすぎじゃないか? 別に山奥とかじゃなくて、街の中なんだからさ。
夜にも駅周辺を通りかかった。そしたら20時台だというのにしーんと静まり返っていて真っ暗なんだよ。うちの地元じゃ23時レベルの閑寂さ。普通、土曜の夜といったらどの繁華街も賑わう時間帯だろうに、大門地区もほとんどの店のシャッターが下りていてポツンポツンと小規模なお店がやっているだけだった。観光客としてお金を落とす気満々で夜の函館に繰り出したのに、静まり返っていてお金を落としたいと思える場所がないんだわ。
あまりにも異様に感じたので、その場でスマホで函館についてぐぐってみたら、「2014年に市域全域が過疎地域指定された」という情報を得た。ドーナツ化現象の典型的な例だ、とも。
函館って過疎地だったのか! そんなのるるぶに書いてなかったよ!
どおりで、函館駅周辺をウロウロしているのは観光客ばかりで地元民の姿はなかなか見えないはずだ。函館朝市行ってみても観光客だけだったし、その客足自体も少なかったし(これは行った日時が良くなかったのかもしれんが)。値段も安くないわ、客引きの口上が胡散臭いわ強引だわで怖かったんだけど、やっぱり地元民が買いに来ないから観光客頼みになってしまい、少ない客を逃すまいと必死になってるんだろうな。
気を取り直して良かった函館観光について書いてみる。夜景が有名だが、今回一番気に入ったのは晴れた日の早朝に行った八幡坂からの眺めだった。この坂は観光で訪れたい坂の名所ベスト1に輝いた坂なんだそうな。海へと伸びる真っ直ぐな広い道で、そして坂の上から見える海の青さが実に鮮やかで、晴空の青さと相俟って素晴らしい景観だ。ああ、やっぱり港町って良いなぁ!凄く良い!と思わされる。これは嬉しい驚きだったな。
余談ながら、なぜこんなにも函館の坂の道幅が広く直線なのかというと、何度も大火に見舞われた歴史を踏まえて火除けを意図しているのだそうだ。ブラタモリの函館の回を見たとき知った。
八幡坂を登って右に折れると、大三坂とぶつかる十字路がある。この十字路、面白いよ。4つの角のうち3つが、
とそれぞれ宗派の違うキリスト教系教会の敷地となっているんだ。
ちなみに、十字路には面していないけれど、近くには日本基督教団函館教会(プロテスタント)や船魂神社、東本願寺函館別院などもある。なんじゃこの宗教激戦区!
我々が件の十字路付近を歩いていたのは日曜日の10時頃だったんだけど、突然十字路の方から「ガランゴロンガランゴロン」と元気の良い鐘の音が辺り一帯に鳴り響いた。
「あ、教会の鐘だね」「三つの教会のうちのどこのだろうね」と同行者と話しながら歩いていると、「ガランゴロン」の鐘の音は数分程度で止み、すぐ後に今度は落ち着いた「ゴーンゴーンゴーンゴーン」という違う鐘が聞こえてきた。
どちらの音も「今から日曜礼拝やるよ!信者の皆さんは教会にいらっしゃい!」という合図の鐘なんだろうけど、何しろ3つも教会が隣接しているのであえて違う鐘の鳴らし方をして各々の信者に伝えていえうんだろうな。
自分は特に信仰は持っていないが、旅の同行者は日本人には珍しく成人洗礼をしているガチのカトリック教徒で、「せっかくだから函館のミサにぜひ行きたい」と言い出した。時間に余裕はあったので一緒に元町教会の日曜礼拝に出席してみることになった。
同行者からはミサの間の注意点として①携帯の電源は必ず切っておく②信者じゃないので「アーメン」は言わない③信者じゃないので十字は切らない④信者じゃないので聖体拝領は望まず神父からは「祝福」を受ける、の4点は気をつけてほしい、と言われた。
元町教会の中に入って世話役さんのような方に旅行者だがミサに参加したい旨を伝えると、普段はどこの教会に通っているのか等あれこれ気さくに話しかけてくれ、ミサの最中も「今歌っているのは聖歌集〇〇ページですよ」等と親切に教えてくれた。さらにミサの後には全員の前で同行者を「本日は東京の〇〇教会所属の〇〇さんが来てくれました」と紹介までしてくれた。ありがたいことだ。
その際、我々の他にも「京都の〇〇教会からは~」「福岡の〇〇教会からは~」「シンガポールの〇〇教会からは~」と紹介されてる人たちがおり、国内外から観光で来函したカトリック教徒が多数ミサに参加していたのだとわかった。
同行者曰く、こういう風にわざわざ紹介する習慣は他のカトリック教会にはないそうな。「さすが港町。オープンだな~」と他所者を受け入れることに慣れている様子に感心していた。一方で、女性信徒がみんな頭に白いベールを被っていることにも驚いたようで「都内のいつも通っている教会ではベールを被っている人はもうあまりいないんだよね」と言っていた。
カトリック教会の場合、信者でなくてもミサに参加することは拒まれない。しかし、キリスト教信仰に興味のない観光客は単なる物見遊山のつもりで参加すると気がひけると思う。やはりミサというのは信徒の真摯な祈りの場だからね。教会内部は淡い水色のアーチが連なるデザインの天井で、ミサに参加しなくても建築を見るだけで充分信者以外も楽しめる。信徒や信仰に興味のある人の場合は、歓迎してくれるので行ってみるのも良いだろう。同行者は大変満足したようだった。
函館でキリスト教文化というと元町の教会群だけではなく修道院も有名だ。トラピスチヌ女子修道院にも行ってきた。通常の見学者が入れるエリアは非常に限られており内部には入れないし、修道女も出てこない。しかし開放されている前庭は隅々まで掃除が行き届いて美しかった。展示物はボリュームは少ないものの中身は色々と興味深かった。
このトラピスチヌ修道院の修道女は広大な内部で自給自足の生活を送り、基本的に外部との接触は断つそうだ。はー、凄いなー、現代日本にそういう生活をしている人がいるとはとしみじみ感じ入っていたら、近くにいた観光客のおっさんが「ドローン飛ばして内部の様子を撮ってみたいわー、ガッハッハ」と下品な声で笑っていてげんなりした。きもい。痴漢かよ。今後、本当にそういうことやりだす奴がいたら嫌だな。
まぁ、自分も、ここの前庭を見学しているとき以下のコピペを思い出してしまい、ぐふふふふwwwwwと1人込みあがる笑いをかみ殺していたので、下品さではあまりひとのことは言えないが。
524 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:36:24 ID:/3DgV0R00
めちゃくちゃうまい
15歳~18歳くらいの修道女見習いたちが素手でこねて作っていると聞いた
527 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:47:21 ID:m6sYxkhI0
>>524
ここでクッキーは作ってないはず
528 名前:番組の途中ですが名無しです[] 投稿日:2005/04/16(土) 00:49:42 ID:/3DgV0R00
もう二度と食わない
トラピスチヌ修道院の近くに牧場がある。タクシーの運転手さんに「入場料無料だし、函館牛乳の会社がやっているところだから」と勧められて寄ることにした。函館牛乳の会社と言われても正直ピンとこないが、地元ではブランドなのだろう。牧場では牛が見れた。周辺は北海道っぽい広々とした畑が広がっていて景観もいい。野外の牧場の売店でバニラのソフトクリームを食べてみたら大変美味だった。北海道のソフト!牧場のソフト!というシチュエーションがより美味しく感じさせたのかもしれないが、美味いものは美味いのだ。
ホテルの朝食バイキングも良かった。今回泊まったのは函館国際ホテルなんだが、ここは「朝食のおいしいホテル2015日本全国第5位」なんだとか。実際美味くて満腹になるまで食べた。イクラとか甘海老とか海鮮盛り放題なのが嬉しい。米も粒がたっていてツヤツヤで美味くて感動。あと、じゃがバターも美味かったな。あの芋なんだろ?独特のネッチョリ感があって甘かった。バターの塩気と組み合わさって、口の中が幸せになる。「空き部屋があったので」と部屋も自動的にランクアップしてくれていたし、サービスにも満足だ。
ホテルの徒歩圏内に「まるかつ水産」という回転寿司屋があったので昼食を取りに行った。ネタは新鮮でやっぱり美味い。ただ値段は観光地価格だわな。
北海道土産は色々充実しているので試食しながらあれこれ選ぶのも楽しい。職場へのお土産用に買うのはもちろん、自分用にも色々買ったわ。白い恋人ウマー!ロイズのポテチチップチョコレートウマー!とうきびチョコウマー!カリカリまだあるウマー!チーズオムレットウマー!!
函館のお洒落スポットとしてどのガイドブックにも載っているのが金森赤レンガ倉庫。外観は大きくて迫力もあって異国情緒もあり良かった。少し色あせたレンガが歴史を感じさせるし、夜のライトアップされた姿はロマンチックで綺麗だ。写真映えするスポットだと思う。
でも肝心のテナントショップがちょっと惜しいな。1棟丸ごと使って北海道の土産物屋をドドン!と大容量で販売している棟があるのは観光客には便利なのでありがたいが、その他の棟には小さな店がゴチャゴチャ雑多に入っていて清潔感がないし、しかも何処でも買えるような、函館の匂いどころか北海道っぽさの欠片もない、わけのわからん雑貨屋とか多くてしょぼい。やたら安っぽいプラスチックのテカテカした感じの商品ばっかり置いている雑貨屋もあったが、あれは修学旅行の小中学生向けなんだろうか??
ぶっちゃけ、地元のイオンの方がまともな店が入っていて楽しめる気がしたわ……
結構中国やら韓国やら外国人が多かったんだけど、わざわざ海外から来てくれた人はあのテナントのラインナップにはちょっとがっかりしたんじゃなかろうか、と函館人でもないのに勝手に申し訳なく思ってしまった。
もうちょっと赤レンガの中は洗練されたお洒落な空間になるといいと思うんだけどな。
函館といえば、陸繋島というあの特徴的な地形があげられると思う。まるで女性の腰のような見事なくびれ。
で、今回我々はあのくびれの正体を勘違いしていた、と気付いた。つまり、あのくびれを北海道の尻尾みたいに突き出ている渡島半島のことだと思っていたんだ。馬鹿だよねw 我ながらこんな酷い勘違いを30年弱もしていたなんて凄いビビったw
このことに気付いたのは、ロープウェイで函館山に上って展望台から函館の街を一望した時だ。本当は夜景を見たかったんだけど、その日の夜は天気予報が芳しくなかったので晴れていた昼間のうちに展望台に上ったのだった。澄み切った水色の空の下、青い海も見えて、市街地の一つ一つの建物も肉眼ではっきり見えて、五稜郭と函館山のこんもりとした緑も見えて、とても綺麗な眺望だったので満足している。
その経歴じゃ、関東、東海、関西の三大都市圏以外の視点はゼロなんだろうな
東北や九州や中四国とかの、中心県 (福岡、宮城、広島とか) 以外の県 (宮崎、山形、島根とか) の、さらに県庁所在地じゃない都市 (都城市、鶴岡市、出雲市とか) が、いかに驚くほど田舎であり、しかし実はそこそこ人口や工業が栄えていて文化があり、そしていかにまだまだ本当の田舎があるか知った時、増田の価値観はひっくり返るだろうよ
ついでにいかに夜が暗いかもわかる
イオンモールのある田舎、って表現が何もわかってないことを表明してるよ
県内第二の都市にあるイオンモールまで、車で1時間かけてわざわざ行くんだよ
俺も、大阪の守口市のイオン大日に初めて行った時、「田舎は大規模なイオンモールがあって楽しいな」って思ったものだけど、なんのことはない、九州の人口10万人の都市に住んでみて、大日なんて大都会のベッドタウンでしかない (つまり大都会に内包されるエリア) だったって思い知ったわ
でも案外、ガチの田舎もイオンモールまでいかなくたって、ゲオやジョイフルやマクドは近所にあることが多いから、日頃は驚くほど近所の国道沿いで済んだりするとこも多いんだよな
まあ行ってみなって
小学校まで地元で、中高は電車で30分ほどにある都心の学校に通っていた。
周囲と話をしたことがないから多いのか少ないのかは分かりません。
(1)幼稚園か小学校低学年くらいのとき、レストランゲームと言われて食べ物役になり服を一枚ずつ脱がされるゲームを姉(5つ上)に強要された。
(2)小学校中~高学年の時、学校外のスキー教室(一泊二日)で寝ている間にインストラクターに局部をいじられていた。
トイレが我慢できなくなり目が覚めて気付いた。部屋に戻ったらもういなくなってました。
(3)高校に入りたての頃、朝の通学電車でいつも局部を押し付けてくるおっさんに半年以上付きまとわれた。
車両を替えても時間を替えてもついてきたので、どこかで見張られているようでした。
(4)高校の頃、超満員の終電でお色気ムンムンのお姉さんに巨乳と扉の板挟みにされた。
実際に遭ってみると分かるけど、嬉しいというより恐怖と罪悪感(羞恥心?)が半端ないです。
それ以降巨乳恐怖症でなまめかしいというか生々しい女性が苦手です。
あとはよっぱらったおかまちゃんに抱きつかれたり男性の局部を手に押し付けられたりって些細な事は電車に載ってると結構遭遇したけどあんまり覚えてません。
(2)までは自分が性的対象として扱われていることに気付いたのがずっと後でした。
とくに姉の件はどちらかというと最近急に思い出したことで、前後の言動やら行動を考えると異性に対する興味の現れだったんだろうなぁと納得できました。
ちなみに見た目がかわいらしいとか女性的っていうのは一切無いです。
今振り返ってみると、思春期の頃は異様なほど男性の同性愛を毛嫌いしてたかも。
そういう話になると過剰反応して逆に怪しまれたりしてさらにキレるなんてことがざらだった。
ただ、一時期の嫌悪感を払拭するために色々と調べたりしたこともあってか、うちに秘めた異様なほどの変態性は自覚してます。
増田の趣旨が変わってしまうのでここには書きませんけど、これは多分、一生飼いならさなきゃいけないと思っているので一番のカルマといえばカルマです。
トラウマと言えなくはないけど、ひと通りの事案はどれもドキドキ感を伴うので、思い出すときに少しでも高揚してしまう自分に対する嫌悪感はあった。
自分が望んでるのではないかという葛藤のようなものだけど、いまではそれは全て吊り橋効果的なものだと割り切るようになって罪悪感のようなものは感じなくなった。
もしそういう高揚感で痴漢被害を自分が望んでるかもしれないと葛藤してしまう人がいたら、それは単なる生理的反応だと思えばいいと思います。
ちなみに当然だけど痴漢したことはないです。
当然お礼を言われることもないですけどむしろそのほうがいいと思ってます。
関東のベッドタウンで生まれ育ち、高校は自転車通学、大学は電車通学、社会人は徒歩通勤だった自分の経験を書いておく。
○小学校高学年
○中学校
○高校
○大学
なぜ反撃しないのかという意見をよく見るが、人の体を勝手に触っておいて反撃されたら殴り返すというクズは存在するので、その点ふまえて発言してはと思う。
○社会人
友人、知人の体験と比較すると、これでも少ないほうではある。こいつは反撃するなというのを感じ取られているのだと思う。
少ない経験ながらも、これまで遭遇した痴漢は、服装がだらしなかったり、明らかに不潔そうだったりなおっさんが多かった。
なので、自分は、男性のうち、社会不適合者のごく一部が痴漢をはたらいているという印象が強い。
電車通学、通勤でリーマンにしょっちゅう痴漢されている人だと違う印象をもっているかもしれない。
以上。
ますます市場競争が過酷さを増す中、少しでも有望な人材を獲得したいというのは企業の本音であろう。しかしながらいかにして将来有望な人物を見極めるのかについては、依然として難しい課題である。
企業側は採用試験としてユニークな課題を与えてみるなど工夫をこらしてはいるが、それでもわずかな時間でその内面までを見通すには限界があるいうのが実感ではないだろうか。
しかし、実は「有望でない人物」を高い精度で見抜くことができる非常に簡単な方法が存在するのである。今回紹介するこの方法はある実験から統計的に得られたものだが、内容が内容なだけに表立って公開することができず、このような場を借りて紹介することとなった。
それでは早速だが、 今回明らかになった「絶対に採用してはならない人物の見分け方」を紹介していきたい。
Ingress(イングレス)は、Googleの社内スタートアップ「ナイアンティックラボ」(Niantic Labs)が開発・運営する、スマートフォン向けの拡張現実技術を利用したオンラインゲーム・位置情報ゲームである(Wikipediaより)。
このゲームのプレイヤーは、EnlightenedとResistanceという2つのチームに分かれて競い合うことになる。2つのチームにはあるストーリーのもと性格付けがなされており、それぞれを一言で表すとすればEnlightenedは積極派であり、Resistanceは慎重派である。自分がどちらのチームに属するかはゲーム開始時に選択することができるのだが、ここでどちらを選択するかというのが実に良い心理テストになっているのである。
ますます変化が激しさを増す世の中では、常に先手を打って立ち回る戦略がより有利となる。本能的にそのような戦略を取りたがる人物は、反射的にEnlightenedを選択する。
一方で変化を恐れるあまり、他者より判断が遅れてしまいがちなユーザほどResistanceを選択しがちである。このような人物を採用していては、社内で慎重派の意見が大勢を占めるようになり、チャレンジできない社風に傾くばかりであろう。
IngressでResistanceを選んでいるものを採用してはならない。
自分に自信のある人物と、自信がない人物。仕事を頼む相手として選びたいのはどちらだろうか。もちろん前者である。
Enlightenedを選ぶ人物というのは、基本的に自信家である。何故ならば、積極的な攻めの心理は、自分は大丈夫であるという安心感、つまり自信があって初めて生まれるものだからである。
一方Resistanceを選ぶ人物は、比較的自信のない者が多い。未来に不安を感じ、現状より悪くなるように感じられる。だから現状を守らなければならない。そのためには正解することよりも間違わないことが大事である。そういった心理が無意識に慎重派であるResistanceを選択させるのである。こういった人物を採用すればするほど、会社はネガティブムードに支配されていくだろう。
IngressでResistanceを選んでいるものを採用してはならない。
世の中の人間は2種類に分けることができる。与える人間と、与えられる人間である。与える人間が増えれば世の中はより豊かになるし、与えられる人間が増えれば停滞、衰退へと向かう。
実は与える人間ほど、Enlightenedを選ぶ傾向がある。これは自分は満たされていると感じているものが、さらには他者を満たすことを喜びとするような人物ほど積極的な行動を起こすからであると考えられる。
Enlightenedを選択した者は献身的に社会や会社に尽くし、それによって社会はより豊かになるだろう。会社としてもこういった人物を採用するほど、真に世の中に必要とされる事業を産む文化が形成することができるだろう。世間から愛される企業となり、さらに成長は加速するだろう。
一方慎重派であるResistanceは、与えられる側である。自分のことに精一杯で、人に与えるまでの余裕はない。下手をすると奪われる、だからそうなる前に奪わなくてはならない。守りつつ、奪わなければ。どうすればいい?そんな心理が、慎重派であるResistanceを選択させる。
Resistance選択する社員は、とにかく自分の権利を主張し、少ない貢献で多くの給料を貰うことだけを考えるだろう。利益を最優先した仕事を行い、それが他者や社会にとってどんな役割を果たすかなど二の次である。こういった人物に支配された会社はやがて社会の癌と化し、数々の不幸を生み出し続けることになるだろう。
IngressでResistanceを選んでいるものを採用してはならない。
実際に皆さんの身の回りでEnlightenedを選択している人物と、Resistanceを選択している人物を比較してみよう。恐らく皆さんその結果に驚かれるのではないだろうか。社会的に成功しており、幸せそうな人物ほどEnlightenedを選択しており、卑屈でぱっとしない人物ほど、見事にResistanceを選択しているのである。
この傾向は、全国のポータル(ゲーム内で両チーム奪い合う、実在の場所にひもづいた目印のようなもの)の状況を見ても明らかである。
例えば都内の高級住宅街や幹線道路沿い、有料施設ではEnlightened優勢なことが多いが、都心から離れたベッドタウン、古びたアパートの隣にあるような公園や、名前も聞いたこともないような駅やその周辺はResistance優勢なことが多い。Enlightenedを選ぶ人物は十分な収入があり車で移動する機会も多いのに対し、Resistance選ぶ人物は低収入で常に長距離電車通勤、徒歩生活なのである。
有名大学周辺はEnlightened優勢だが、三流大学はどこも見事にResistance優勢である。大小問わず活気のある企業のビルはEnlightened優勢で、ぱっとしなかったり、ブラックと言われるような企業はこれまたResistance一色である。
積極戦略は勝ち組の選ぶ戦略であり、慎重戦略は負け組の戦略である。そして勝ち組の戦略を選ぶものが勝ち組となり、負け組の戦略を選ぶものが負け組となる。どちらのチーム選ぶか、たったそれだけのことがその人物の現在、そして未来を残酷なまでに正確に示しているのである。
皆さんの企業に今、そして将来必要なのは勝ち組だろうか、負け組だろうか。
IngressでResistanceを選んでいるものを採用してはならない。
地方と東京の違いについて考えたりもするが、単純に言えば東京は人が多いだけなのではと思ったりもする。
人が多いから、仕事が生じる。多くの人を円滑にするための仕事が。
一定以上の人数が集中するとカオスが生じ、それ故にそのカオスを対処するための仕事が生じる。
但し東京などは、もうその混乱を受け止めきれる余裕が少ないように思えてしょうがない。
東京出身としては、東京が疲弊する姿は見たくないので、その役を地方にも担って欲しいと思う。
それには地方において、人が居るが故に生じる仕事のレベルを超えた人の集約を産まなければならない。
人と人との出会いが触媒に、起爆剤になるほどの多様性、知識などだ。
それには中核となる大学などの教育機関と人材を集める意味で、道州制による州都化が必要だと思う。
州都となれば行政機構としてそれに付随する人が否が応でも集まってくる。
それを種に、地方の活性化となる人材の多様性を構築、確保していかなければならない。
その特徴を構築できるのならば他の都市との差別化と、企業の吸引が可能であろう。
自治体は、その存続において集約化か自律分散型の選択を迫られるだろう。
いつまで噛んでもなくなる気配がないが咀嚼していればそのうち口の中で溶けて消えていく時が来る、消えても口の中はガムの匂いに侵されている、人と会話している時に絶望という口臭に気づかれないだろうか
そんな感じだ
あえて時代観を述べなさいと言われたら僕は「感情の喪失と排除」だと答えるだろう
例えば現代は怒りに関してはとても不寛容だ、twitterなどでDQNが店員を土下座させていたりするとすぐに共感性が欠如したアホウが湧いてきては社会的制裁を与える
しかしよく考えてみてほしい、人はその時の感情によって怒りのリミッターなどすぐに外れるものだ。僕は高校生の時に500円の借金を返してくれない友人にキレたことがある
理由?ただ虫の居所が悪かっただけだ
キレたことがないのでわからない?おまえはおまえの人生を生きることに尽力したほうがいい
500円で失う友人との関係という社会的損失のことなど頭によぎることもなくキレた、がこんなことをネット上に書いたらなんとバカな人間かと99%の人間が非難するだろう
しかしDQNに土下座させるのも友人にキレるのもネット上で非難するのも単なる「刺激に対する反応」だけで本質はそれほど変わらない
全てを押しなべて考えることができる人間は人の感情が発露した行動にたいして救う気があるなら優しさを見せるかもしくは黙るはずだ、秩序を守る裁きは裁判所でやればいい
よるするに怒ることは恥だなんていう浅薄な考え方が蔓延っている
絶望も同じだ
リストラや借金や失恋、離婚などなど積み上げたものがぶっ壊れたりいきなり奈落に突き落とされる絶望なんかそこら中に転がっている
しかし満員電車で肩を落として座っているわけにはいかない、会社に「失恋したのでしばらく休ませてください」なんてことも言えない
一人でファミリーレストランで酒を煽るわけにもいかない、こじゃれたバーに死んだ目で座っているわけにもいかない
うつ病やパニック障害などは人を嫌うのではなく避けるようになる。これは人が持つ価値観にたいして違和感を持つようになるからだ。うつやパニックの人はけっして人が嫌いだという人ばかりではない
人を嫌うのではなく自らとの錯誤を感じる人のその偶像を嫌うのだ
すこし前までは絶望という経験はとても大切で心を落ち着かせるものであったような気がする。飲みやでは昔の苦労話を笑って誇りのように話す人がたくさんいた
最近はあまり聞かない、それは絶望が恥であるという妙な価値観が格差という言葉に踊らされた人によって作られてしまったからだろう
死んだ目をして肩を丸めて黒いダウンを着て缶チューハイを片手にベッドタウンを歩くことの何が悪いのだろうか
頼むから静かにしてくれ
■はじめに。
今のリーフの隆盛を準備した作品が『雫』なのは、『To Heart』から入ったユーザーには理解できない事かもしれない。その理由については後述するけど、筆者が美少女ゲームについて書いたのは、『雫』の紹介記事が最初なので、思い入れも強いし、ある意味で呪縛にもなっていた。そんな筆者が、1998年の最初に買った『雪色のカルテ』は、その呪縛を見事に吹き飛ばしてくれたのだ。まずはここから始めよう。
■雪色のカルテ
『WoRKs DoLL』のTOPCATが、昨年、Peachから発売した作品。3人の患者を診療しながら、診療所を運営するSLG。原画は緒方剛志氏。
最初はポンと投げ出されたような状況で、迷いつつプレイしていた。しかし、過剰さを抑えたキャラクター、台詞、イベントの数々が、散発的ながらも徐々に物語を形作っていく緊張感の虜になってしまった。具体的には、主人公に対し、患者たちが徐々に心を開いていき、医師と患者の関係性が変化していくあたりの展開の上手さだけども、何よりも世界観の徹底ぶりには敬服した。
まず、登場人物全てが、多面性を持っていた事には驚かされた。加えて、投薬などで感情を制御し、それが数値化されてしまうという、人間の限界と悲しさを突いたクールな設定にも惹かれた。『プリンセスメーカー』で、ぬいぐるみを大量に与えて、娘の機嫌をコントロールするという、安永航一郎のまんがのネタにも使われた設定があったが、医師と患者という設定で、それは、普遍的なリアリティを持った訳だ。
このゲームでは、病の本質を「精神的、または肉体的コミュニケーションの欠落」と捉えた上で物語を形成している。そして、シナリオだけでなく、システムやビジュアルなど、全ての要素が有機的に結びついて、完成度の高い作品を作り上げた事には、驚きを越えた衝撃があった。
■いちょうの舞う頃
Typesから発売された、「純愛」をテーマにしたAVG。恋人や家族との関係を軸に、青春の原風景を丁寧に描いた作品である。
『To Heart』という、強烈な爆弾が炸裂した後の、美少女ゲームに於ける恋愛の扱いというか、回答としては、一つは『ホワイトアルバム』のように、恋愛のダークサイドに踏み込んでいくというのがある。ただ、この方法論は、安全な幻想を提供する為に純化されたギャルゲーの流れに逆らっており、自身の属するジャンルの存在意義を否定しかねない、パンクな危うさも孕んでいた。
『いちょう』の場合は、その逆で、過剰な演出をできる限り抑え、細かい日常描写の積み重ねで見せる手法を、更に押し進めた形になっている。この方向性は『To Heart』自体が、TVアニメ化の際に強調している。ただ、物語性よりも、ピュアな感性がものを言う領域であり、むしろ、作り手側の負担は大きくなっている気もする。イージーリスニングというのは、発想としてはさておき、技術的には非常に難しい。
『いちょう~』の洗練されたビジュアルイメージは、この方向性の作品では屈指だ。ただ、個人的には、あまりにも健全明朗な展開には、気恥ずかしさを感じてしまうし、都市圏周縁のベッドタウンという、土着的な要素が少ない舞台設定には、渇きにも似た不安を覚えてしまった。もっとも、中上健次の『枯木灘』のような舞台設定のギャルゲーがあったら怖いし、出る訳もないのだが。
Leafが『To Heart』に続いて、世に送り出したAVG。美少女ゲームのセオリーを覆す、実験的なシナリオが賛否両論を巻き起こした。
かつて、『雫』で描かれた心情は、マイノリティの闇だった。毒電波というメタファーは、思春期の疎外感や、強烈な自意識を揶揄していた。物語である以上、結末に救済=日常への回帰を用意してはいたが。
だからこそ、まだ若かった筆者や、筆者の周辺はこの作品を熱烈に支持していたのだ。そして、『To Heart』は、その闇を潜り抜けた人々の物語だった。でも、それは同時に闇を忘れてしまった人々の物語でもあった。もっとも、思春期という暗黒は、いずれ回収されていくものだし、ユーザーの支持を得た以上、闇を見つめる必要は無くなっていた。美少女ゲームもまた、開かれた場所に向かっており、闇を知らない幸福なユーザーも増えた。
しかし、闇を忘れられなかった人々もいた。そして産み落とされたのが『ホワイトアルバム』だった。確かに売れた。しかし……もはや、毒電波に心情を仮託する事もできず、幸福な妄想の為に仕掛けられた世界にすら、違和感を感じる……荒涼とした場所に取り残されたマイノリティの為の物語が、予定調和とも言える、約束された祝福の世界を描いた『To Heart』の次回作なのだ、ある意味、これほど不幸な作品も無い。
肉体性を見事に排除した「マルチ」という理想の偶像を作り上げた後で、既に、過去の神話に過ぎないアイドルビジネスを、物語の舞台として、肉体性との相克を描いた事が、既に同時代的ではないし、結果的にこの作品のバランスを崩している。
けれども、不完全ゆえに、プリミティヴな負の破壊力を生み出し、まさにロックンロールな、『ホワイトアルバム』の名に恥じぬ作品が出来上がったのだと思う。
丁寧に練り込まれたシナリオのAVGと、明朗明快なRPGという違いはあれど、アリスソフトは1998年も好調にヒット作を出している。
もう一つ、筆者の遺伝子に刻み込まれた作品として『AmbivalenZ~二律背反~』がある。ロマンティックな復讐と因果の物語は筆者を大いに酔わせてくれたが、その流れを汲む『デアボリカ』では、内省的な描写を突き詰め、同じテーマに対しても、異なるアプローチを試みている。理想と現実、純愛とエゴ、といった、二律背反なテーマの相克に対し、複数の回答を用意した(選択の幅を増やした)事で、物語としての奥行きが深まったのは特筆できるだろう。
『ぱすてるチャイム』は、前回も取り上げたし、こちらも良いゲームだけど、説明不足の事柄もあり……例えば、ゲームが進行して、実際に呪文などを覚えて、パラメータの意味がやっと分かるというのは、昔とは異なり、ストイックさとは無縁のユーザーが増え、レベル自体も拡散拡大した状況からユーザーを幅広く取り込むには、少々敷居の高さも感じたのだ。……そう、長い間、最も安定したメーカーであるアリスソフトも、時代との折り合いを考えなくてはならない時期になったのだな、と筆者は痛感したのだった……。
■反省と近況と総括。
前回は某誌で使いそびれた文章をベースに書いたんだけど、これからは、特定のゲームに絞らない状況論の方向で行こうと思います。文体もまだ一定しないしなあ……。それ以前にちゃんと続くのか、これ(笑)。……ところで、筆者は、ギャルゲーの本質は、ストーリーの練り込みによって、キャラクターへの感情移入を高めていくものという認識があるのだけど、声優の起用やグッズ展開の方を前面に押し出す昨今の状況には、正直言って、違和感があるんだよな。まあ、これも、年寄りユーザーの単なる戯言なんだろうけどね~。あ、次回のサブタイトルは、「アンドロイド少女は電気羊の夢なんか見ない」です。BGMは野口五郎『甘い生活』でどうぞ。
空き家の問題を語る時は、色んな話がごちゃまぜになりがちなので、
ガッツリボジショントークで、解説してみることにする。
要は「固定資産税が変わらずに、撤去費用役所持ちなら、何が変わる?」という話。
みんな空き家買おうぜ。
NHKの「郊外住宅地の見えない空き家」では、あえて郊外という高度成長時代の職場から離れたベッドタウンに焦点を当てている。
ただ、途中のグラフでも上手いこといってないように、東京の単身・老人世代が多いとか、ちょっとチグハグだ。
まず、「空き家」を、理解しやすいように4つに分類しておこう。
本来は「郊外住宅地の見えない空き家」には入らない話なんだが、グラフにすると入ってきちまう。
古くなってきたワンルームマンションで、学生が減ると、まあ空くよね。
あとは、地方の一戸建て。誰も借りない。不動産屋でも持て余し気味。
親が死んで相続したけど、もう俺マンションローン中だしなあ、なんて物件。
両親の思い出を整理する時間はないし、かと言って全部捨てるには忍びない。
売ろうかなあ、どうしようかなあ、とちゃんと税金は払ってるパターン。
賃貸も販売もそうなんだけど、バブルって言うと言い過ぎだが、思った値では売れないね。
のに、やっぱり人間「家賃は下げたくない」「この値段以下では売りたくない」となりがち。
まあ、掲載料を頂ければ高値で掲載し続けても不動産屋的には問題無いですからね。
別に借り手見つからないとか、売れないとか、不動産屋困らないし。
思い出の家として倉庫代わりにしてたり、昔の土地を売って都会でマンションでも買いたいんだけど
「古家付きなんで評価的にはマイナスですねぇ諸経費引くと150万くらいかな」とかで売りたくない。
あと、超揉めてる。そもそも誰が相続したのかわからない。撤去費用がないしなあ。
とかナントカやってるうちに、経年劣化や台風一過であちこち壊れていく感じ。
売れないか、売りたくないか、どっちかだから。
(なお、課税標準1/3になるタイプの家はまあまあレアケースだから触れない)
なんか変じゃない?
その廃墟は、年間3~10万円くらい無駄にカネが出て行ってる。
もちろん古家を潰せば18~60万円になるから潰す理由はない。
じゃあ、なんで住んでもいないのに売らないの?
簡単な方からね。
「思い出の家」や「バブルの残り香」だと、売りたくない。
単に近所の人が「あそこ空き家だし、不審者が住み着いても嫌だし……」というレベル。
まあ、治安悪化につながりかねないというのも判らなくはないが、
実体的にはバブル期のリゾートマンションとかも、結構こういうの多い。
リゾートマンションみたいに不払い管理料で、とかは実は管理組合が競売にかけて強制的に精算するって荒業がある。
(たいてい管理組合が機能してないから問題なのであって、残債整理も行政が手を入れるという手段は残されてる)
これが、「あの土地は高く売れる」とか「先祖伝来の土地だから」とかで放置されると廃墟になる。
これね、売主が満足する値段が付けば売れるという意味で売りたくない理由に聞こえるかもしれないんだけど、
実質的に「売れない」のよ。売主が納得する値段は(たぶん)本人が生きてるうちにはつかない。
(バブリーな地価上昇が夢物語だと言うのは同意してもらえると思うが、そう思わないお年寄りも多いということよ)
身寄りのない年寄りにも法律的には権利のある親類が居るかもしれない。
母親は老人ホーム。兄貴は売ってカネにして分けようというが、妹が「父は生前残してほしいと言ってた」とか揉めてる奴。
もうね、正直触りたくないですそういう揉め事。
築年数不明な古家付き借地権。土地はその辺の顔役が持ってて絶対売らない。田舎。300万。買う?
人は減ってきてる。空き家が増えてる。
ということはだよ。わざわざ郊外まで行かなくても、手頃な値段の家って沢山あるのよ。
職場から電車で一本。駅近。でも古家付きで売れない。こういうのは更地にして新築立てりゃ売れますよと言いやすい。
調べたら実家の近所の廃墟もオヤジの持ち家だった、物納するにゃカネがある。そもそも廃墟だから物納対象外だ。
値段を下げたら売れる?売れない。そもそも仲介手数料の旨味もないし売り込む理由がない。
だから、「郊外住宅地の見えない空き家」は、どん詰まって放置される。
(蛇足。民法第717条読むと、ボロ家を捨て値で貸せない理由がわかるよ。無過失責任超重い)
固定資産税取られるぐらいなら売ったり貸したら良いのに、という質問が本質。
売れないし貸せないんです。
撤去費用も立替費用もなく、売り更地にも新規賃貸物件にも出来ない。
売れるアテもない。引き取り手もいない。
これが「固定資産税UPは一定期間保留」だけだとあんまり減らない。
追加で「警告から一定期間後に、撤去費用は役所持ちで、強制撤去」にするとほぼ無くせるとは思う。
東京に行くついでに寄ってみたらショボくて笑った。松江に勝ってるのって、中華街だけじゃん。まず、近代建築がショボい。銀行建築だけだよね、横浜が誇れるのって。松江の武家屋敷みたく、個性豊かな個人の住宅が残っていない。まあ関東大震災があったから仕方ないけど、ちょっと肩透かしを食らった。てか横浜は街並みが汚いよね。松江駅そばのシャッター街のが人が居なくて綺麗。あとさ、みなとみらいにある横浜ランドマークタワーって建造も松江出身者が関わっているんだよね。横浜があまりに労働者がないからって、出稼ぎしてたみたい。真実は知らない。
それに、繁華街も松江のスターバックス前の方が密度があって栄えているイメージ。横浜はでかい箱物って感じ。横浜が誇る人口だって、面積広いだけじゃん。あと、東京のベッドタウン(笑)で稼いでいるだけ。なんかさ、横浜って東京の属国みたいな感じだよね。頭があがらないイメージ。その点松江は、米子や出雲に対しても胸を張って誇れるものがあるし、内心下に見ているよ。
あとさ、横浜はポプラが少ない。松江は多い。横浜に大盛りライス文化が根付いてない証拠。横浜ってガストっぽいんだよ。
過去から脈々と受け継がれるプログラミング文化がない。米子から松江にRuby本買いに行く人は沢山いるが、東京から横浜は全くない。Perl(笑)が横浜の限界だもん。学生向けのRuby教室とか、プログラミング書籍コーナーにおけるRuby本の比率とか松江のがダントツに多い。街ゆく人も、松江の方がRubyistが多い。そういうのは、横浜は全て東京に奪われてる。まつもとゆきひろみたいな言語的分担がない。『初めてのPerl』よりも『初めてのRuby』の方が薄いしね。
だいたい、横浜国立大学ってほぼ単科大学じゃないか。国立なのに早慶に蹴られるし。その点島根大学は総合大学だし、山口大学にも肩を並べる大学。山陰の政財界に多数OBを排出している。レベルが違う。
あと、島根は山があるところが素敵。横浜みたいなぼんやりとした平地とは違う。琴引山(松江市から車で1時間半)ではスキーが出来る。海もあって山もあって、おまけに歴史があって栄えている街なんて松江ぐらいしかない。あと横浜は言葉が汚い。下品。なんだダベって。松江のようなだがぁ、だがぁって素朴な感じがない。田舎の港町そのまま。
まあ総合すると、
メレ子さんのブログに行くついでに寄ってみたらショボくて笑った。アメーバに勝ってるのって、はてブだけじゃん。まず、はてダがショボい。障害の時に出るシナモンの画像だけだよね、はてなが誇れるのって。アメーバのアメピグみたく、個性豊かな個人のアバターが残っていない。まあ闘争の歴史があったから仕方ないけど、ちょっと肩透かしを食らった。てかはてなは街並みが汚いよね。アメーバの芸能人・有名人ブログのが華やかで綺麗。あとさ、はてなブログやってる吉野香織ってオフィシャルも更新頻度もアメーバなんだよね。はてながあまりに著名人がいないからって、貸してあげたみたい。
それに、ニュースもアメーバニュースの方が密度があって栄えているイメージ。はてなニュースはでかい箱物って感じ。はてなが誇る学歴だって、友達いなかったから勉強しかすることなかっただけじゃん。あと、ハフポのベッドタウン(笑)で稼いでいるだけ。なんかさ、はてなってハフポの属国みたいな感じだよね。頭があがらないイメージ。その点アメーバは、seesaaや魔法のiランドに対しても胸を張って誇れるものがあるし、内心下に見ているよ。
あとさ、はてなはアイドルが少ない。アメーバは多い。はてなにファッション文化が根付いてない証拠。はてなっておっさんくさいんだよ。過去から脈々と受け継がれる若者文化がない。seesaaからアメーバにブログ読みに行く人は沢山いるが、ハフポからはてなは全くない。はてな女子(笑)がはてなの限界だもん。オシャレなモデルとか、美容師とかアメーバのがダントツに多い。ブロガーも、アメーバの方がオシャレな美男美女が多い。そういうのは、はてなは全てハフポに奪われてる。文化的分担がない。『ちきりん』よりも『しょこたん』の方がセンスいいしね。
だいたい、はてなブログってほぼ情報商材じゃないか。個人ブログなのにアフィカスばっかり。その点アメーバブログはアフィカス少ないし、mixiにも肩を並べるコミュニティ。アイドル・モデル→主婦ブロガーに多数OGを排出している。レベルが違う。
あと、アメーバはゲームがあるところが素敵。はてなみたいなぼんやりとしたサービスとは違う。アメピグではナンパが出来る。ゲームもあってチャットもあって、おまけに歴史があって栄えているサービスなんてアメーバぐらいしかない。あとはてなは言葉が汚い。下品。なんだこれはひどいって。アメーバのようなモダンでハイソな感じがない。田舎の村そのまま。
まあ総合すると、