はてなキーワード: 羞恥とは
要項要領
https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/about/yoko_yoryo/
https://www.kotsu.metro.tokyo.jp/about/yoko_yoryo/pdf/b_yoko_yoryo07.pdf
この辺かな。
1 基本的人権に関すること
〜
② 性に関する表現が、露骨、猥褻、挑発的又は品位に欠けているもの
④ 性犯罪を興味本位に取り上げ、肯定、誘発、助長又は美化しているもの
⑥ セクシャルハラスメントに該当するもの
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/202211120000292.htmlより引用
>12日にツイッター投稿を行った元ジャニーズ事務所の滝沢秀明氏(40)が同日の投稿後、プロフィル欄も更新し、ツイッター投稿の「先生」がいることを明かした。
>滝沢氏は「冒険家」と記しているプロフィル欄に追記する形で「ツイートあげるのに1時間ぐらい格闘したわ。Twitterの先生に練習しながら作った!先生レスが遅いから時間かかるわ。でも大好き」とコメント。勉強中である様子を明かしている。
>滝沢氏は12日に、開設時の声明文画像の投稿以来4日ぶり2度目のツイートを行い、「はい、Twitter開設しました。大切な事はツイートしますね。Instagramも何故か始めました!適当にチラチラ見に来て下さい!」と、インスタグラム開設をあわせて報告した。ツイッターは初投稿以降、赤西仁、山下智久、錦戸亮や、YOSHIKIらが結成したバンドTHE LAST ROCKSTARの投稿のリツイートやプロフィル欄の更新はしていたが、テキスト文を打ち込むツイートは初めてだった。
引用おわり
この前の画像を逆さまにしてツイートした時も、クラスの陽キャが何度もコスられてきたネタをやった(けど周りはそれを指摘できず愛想笑いをしている)的な客観的には恥ずかしい光景が繰り広げられていたけど、この例を含む上記記事の「すきあらばツイッター初心者アピール」を見てると身体がかゆくなるような恥ずかしさを覚える。端的にいえば共感羞恥だ。
しかし、言うまでもなく自分はイケメンではないし陽キャでもない。まして火山探検家でもない。
こんなインキャの自分がなぜ滝沢氏のツイートに共感羞恥を覚えるのか…と考えて、思い当たった。
これ、ツイッターが世間に浸透し始めた頃の広瀬香美そのものなんだわ。
あの当時広瀬香美は勝間和代を先生としてツイッターを開設し、そのロゴをイヒッヒーと読み違えたり、ツイッター初心者あるある的なエピソードを日々投稿し、ほのぼのとした笑いを届けていた。
今から考えるとツイッターのロゴをイヒッヒーと読むわけがないし、今や(自分はガジェット好きだから今でも尊敬しているが、世間一般的には)名前も出すのも恥ずかしい人扱いされている勝間和代がちょくちょく戦略的アドバイスをしていたのだろうと想像がつく。
自分はあの時の「ツイッター初心者の広瀬香美さんをみんなで暖かかく見守っていこう」という雰囲気が苦手ではあったが、世間の空気に負けていいね(当時は星だっけ)を付けていた気がする。顔文字つけて引用RTとかしてたかもしれない。思い出すと恥ずかしい黒歴史だ。
その黒歴史の記憶を思い起こさせる光景が、まさか10年以上経って繰り返されるとは。
とても気持ち悪い。
作者の性欲と読者の性欲、それを駆り立てて商売にしたい出版社の思惑だけがある。
だが私の性欲は全く刺激されない。
こんなものに金を払う人がいるのが信じられない。
でも売れているらしい。
理解不能だ。
だがこれが「Not for me」なのだ。
昔はあえてスカトロモノのAVを借りていたが、流石に苦痛すぎたし段々と「つまり羞恥プレイなんやな?」って理解できるようになってきてしまったのでBLに乗り換えた。
完全に理解できない。
これは私が同性愛を否定しているのではなく、男性に対して性欲を一切感じないからだ。
だがそのうち私も「つまり……エロの濃度を無駄に濃くした情緒のないタイプの百合と同じなんやろ?」と理解してしまうようになるのだろうか。
そうしたら今度はババァ介護モノのAVでも借りることにしよう。
「Not for me」の感覚は絶対に身に着けないといけないので、絶対に年1回は自分から自分にとっての駄作に飛び込む必要がある。
ネットで話題の作品が合わなかっただけでは、自分が単に疲れているだけなのか、本当に合わないのかが分からない。
羞恥が急に高まっただけかもしれんやん
男性が受けている差別として重要だと私が思うのは、警戒されることと、信頼という名目で粗末に扱われることです。
男にも女にも、男は警戒すべき存在だという感情がうっすらとあります。
同時に、男性だったらほっといても大丈夫だろう、という肯定的な信頼の形をとって、男性のことをろくに気遣う必要はないとされがちです。
だから、世間話でもマスメディアでも、男性への警戒や、過度の信頼による雑で粗末な扱いが平然と行われています。
それが積み重なった結果として男性は、敬遠されて孤独な人生になりやすく、自尊心も低く、自分たち男性自身への嫌悪も生まれ、自分の事すら粗末に扱い、次世代男性もそのように扱うので引き継がれる、などの被害を負っています。
「保護と抑圧は地続きなのでバランスが大切だ」という話をよく目にしますが、同じように、信頼と放置も地続きなのです。
家父長制は、自立したい女性にとっては抑圧という差別だけれど、自立を望まない女性には保護を受けやすいというメリットとしても働く。
それを裏返したように、男の自由放任は自立できる強者男性にとってはメリットだけれど、弱者男性にとっては助けてもらえないし悲鳴も無視される差別として働いています。
若者が遭遇しやすい実例として、バイトやサークル活動が長引き、夜になってしまった場面を考えましょう。
これは、男性の方が不安や心配事が少なく、お節介な干渉もされず自由に生きやすいというメリットととらえることは確かにできます。
しかし同時に、「襲ってくるとしたらたぶん男だ。男を警戒すべきだ」「男の自分は、夜道で女とすれ違う時に怖がらせてしまうだろうから気を使わねばならない」「男の帰り道を気遣ってやる必要はない、男は粗末に扱っていい。自分も男だから、自分の事も心配せず粗末に扱うべきだ」という認識を強めることにもなります。
実際は、男性でも深夜に一人で帰ることに恐怖を感じる人がそれなりにいるのですけどね。
でも、女性の帰り道は心配されるが男性はそうではないという現実と向き合うたびに、「ああ、俺の夜道への恐怖は認識すべきでない感情なのだ。むしろ俺は怖がる側ではなく怖がらせる側なのだ」という方向へ矯正され、やがて本当に自分でも自分の不安や恐怖に気づけなくなります。
しばしば指摘される中高年男性の自分語りの下手さや、困りごとをうまく伝えられずかんしゃくを起こす傾向などは、彼らが自分の苦痛や不安を認識する能力を社会に破壊されているからでしょう。まして適切な言語化などできるわけがありません。
他にも色々な場面で、不安を感じてないことを前提とした粗末な扱われ方を重ねて、男性は自分に対しても他人に対しても鈍感にさせられていきます。
たとえばトイレ。
男だったら道端で立ちションしても大目に見られがちという自由は、性器を露出し排泄を見られたくない感情を気遣ってもらえないという粗末な扱いでもあります。(道端は許されないと思うならハイキングや海釣りや森林浴を想定してください)
不安や羞恥を感じていた男児も、「その辺でおしっこ済ませてきな」と言われたり、仕切りのない小便器や、女性が清掃に入ってくるトイレを使ううちにその弱さを鈍麻させ忘れてしまいます。
この言葉はおおむね好意や信頼の表れですが、同時に「男の人は一人でも不安になる必要はないよね、あなた自身が男の人なんだから加害者である男と戦えるもんね」という扱いでもあります。
一人で行動しても口を挟まれない自由の反面、一人は心細いという男性の感情は最初から考慮されていない。
このような扱いに触れ続けることで、「俺は男だから不安になる必要はないんだ」と自分を勇気づけ、痩せ我慢することが癖になります。
夜道にせよ、トイレにせよ、一人行動にせよ、成人男性に直接聞いてもたいてい「いや全然平気だが」と言うだけでしょう。
最初から平気な男性と、鈍麻し平気にさせられた男性と、本当は平気じゃないが痩せ我慢している男性を区別することは本人にすら困難です。
この論法は「たとえ当事者が男性差別を否定しても、それをそのまま受け取るべきではない。男性差別は存在する」という無敵論法っぽくなるので好きではないロジックですが、そう言わざるを得ない。
ネットでは、男性はセルフケア能力が低い、まずは自分を大切にすべきなのにそれをしようともしない、などという話も多くなっていますが、男性のセルフケア能力の低さは数十年にわたる「男性は自由に行動してよい反面、粗末に扱ってよい」という経験の積み重ねによるものであり、決して男性個人に責を負わせるべきでも、自己解決を求めるべきでもありません。
セルフケアに焦点を当てるならば、社会によって損なわれた男性個人のセルフケア能力を育て直すため、社会が反省して手厚く協力してあげよう、という話になるのが妥当でしょう。
しかし現状の男性セルフケア論では、セルフケアというスローガンと丁寧な暮らし雑誌は与えてやるのであとは自分で(せいぜい弱者男性内部で)上手くやって成長しろ、社会は手を貸す気はないぞ、という正反対の切り捨て論になっています。
男同士で友人を作っても、それは楽しさや得意分野を分かち合うには向いていますが、弱みを見せ合い癒し合うことには向いていません。「今日はパーっと遊んで嫌なことは忘れちまおうぜ」のような会話がその典型です。
男性が警戒され、気遣ってもらえない原因には合理的理由がある、という反論はできるでしょう。
腕力の強さ、性欲や暴力性の強さ、外見の悪さ(体毛が濃く皮脂が多く禿げやすいなど男性ホルモンが外見に与える悪影響は多い)、コミュニケーション能力と共感能力の低さ、など。
しかし、そのようなある程度の合理性があったとしても、統計的差別であることは間違いありません。
統計的差別はどの程度まで許されて良いか、というのは難しい問題なので、別に論じる必要があります。
そして、フェミニズムと弱者男性論の共闘が難しいのはここが主な原因でしょう。
「性犯罪は男性から女性への加害が多い(犯罪全体では男性が被害者になる方が多いですが)」「腕力が強くて制止が困難」「妊娠リスク」など様々な事実に基づき男性に対する統計的差別をどの程度認めるべきか、フェミニズムと弱者男性論は真っ向から対立しています。
統計的差別は一切許されるべきでないと言い切る人も時々いますが、それはどの陣営であっても非現実的でよくないと思います。
もっとも「社会を運営するにはマクロ視点の統計的差別が必要なことは認めるけれど、その加減を考えましょう」とかぬるいことを言ってると、確かにそうだね考えなきゃねとは言ってもらえても実態は現状維持が続くだけであり、統計的差別を一切許すな!と極端なこと言って圧を掛ける方が新規分野の社会運動としては実を結びやすいんでしょうけどね……。
今までも男性差別については、男性は加害者として認められやすく被害者として認められづらいという内容でしばしば語られてきましたが、たいてい注目されるのは女から男への悲惨なセクハラや暴力事件がほとんどです。
それも由々しき問題ですが、男性差別の根底にあるのは、もっと日常的でうっすらとした「男ならまあ平気だろ。ほら、やっぱり平気だった」という日々の積み重ねではないでしょうか。
特に、「男性なら大丈夫」という信頼により粗末に扱われる場面は見過ごされやすいと思います。
フェミニズムでは、「女を自立した人間と信頼して放任しろ、家父長制で口を出してくるのやめろ」というアプローチが行われていたため、その逆である、過度の信頼による放置という男性差別は問題視されづらいのです。
「女子供は弱いから保護して指示してあげなきゃね」という慈悲的差別に対して、男性が受けやすい「男は大丈夫だろうから心配する必要もないし勝手に自立しててくれ」という扱いは、信頼的差別などと呼べそうです。
この記事は、これまで弱者男性論で強調されてきた、人間関係や恋愛や経済やジェンダーロール面の困難や、弱者男性の存在自体が不条理に否定される、などの論点と対立しません。
警戒されつつ粗末に扱われることは、親しい人間関係や恋愛関係のハードルを上げます。
経済的貧しさについては、一般的な貧困問題に加えて、男性は公的にも私的にも助けてもらいづらいし、そもそも助けを求める能力が社会により破壊されている点に、男性特有の困難があります。
男性ジェンダーロール問題とくくられるような、男なんだから泣くなしっかりしろと言われるとか、責任を負わされるとかは、「信頼の名目で粗末に扱われる」部分です。
弱者男性論自体があまり聞く耳を持ってもらえないしミソジニストとすら言われることや、困ってると認めてもらえなかったり、困っててもそれは受け入れるべき部分だと言われることなども、「信頼してるという名目で粗末に扱われる」の一種ですね。
また、「男性にも弱者がいることは分かったけど、結局どうなることを求めてるんだ、要求を出してくれ」という問いがありますが、運動として歴史の浅い弱者に、的確な要求をする強さをいきなり求めないでください。
現時点では、「どうなったらいいかを、男性に肩入れしつつ一緒に考えてくれる人が増えるのが望みです」としか言えません。
少なくとも私は、男の乳首も露出NGにしろとか、男性トイレもすべて個室にしろとか、芸人のちんちんポロリシーンやハゲネタはダメだとか、「男の人がいると安心」はハラスメントだから許すなとか、そういう短絡だったり個別的すぎる議論にはしたくありません。
男女平等に近づけることには合意されるとしても、男性も女性くらいに保護する方向と、女性も男性くらいに放任する方向では、目指すものは大きく変わるでしょう。
細かな調整が必要な問題ですから、今はまだ最終要求を問われてジャッジを受けるほど議論が深まっていません。
あくまで私の主観的な意見としては、消極的自由を重視して積極的自由には疑問を持っているので、保護よりも放任、安全よりも可能性を男女ともに重視する方がよいと思っています。
人間に限らず生物が「男性的な物、強そうな物、醜い物」へ抱く警戒と嫌悪は途方もなく根深いので、男性もケアされる男女平等の実現可能性は絶望的であり、女性も雑に扱われる男女平等の方がまだ実現可能性があるだろうという予想のせいでもあります。
本エントリの書き方だと皆が保護される平等を求めているように見えるかもしれませんが、私個人はそれが実現しそうにないと絶望しているので、皆が放任される平等を目指した方がマシだと感じている、ということです。この絶望感をぬぐえるならぬぐっていただきたい。お前にサン(son)は救えるか!
【追記】
母親と妻、そして「女をあてがえ論」についても書きました。
『男性が母と妻にだけ弱さを晒そうとするのは、皆に原因があります(anond:20220909191646)』
「今まで逃げ続けてきた人生でしょw」
会社のM先輩(仮名 イニシャルは男の先輩なんでmenのMより)からの何気ない一言。
こんなこと言われるほどまでにM先輩を怒らせるきっかけが色々あったのだがそれは省略。元を辿ると自分の仕事が甘いせいなので自業自得なんで。
まぁ嫌味の一つや二つ、言われたところで受け入れるしかない背景はあったのだけど、これは流石に変化球過ぎる唐突なディスりだったので(M先輩は何を突然失礼なことを…)と思って言い返そうと思ったけど、何も言い返せず黙ってしまった。
今まで生きてきて、これほどまでに自分の人間性を的確に言い表されたことは初めてだった。
受験や就活の時なんかは、面接対策だったり何かよくわからんセミナーの自己理解を深めようだかの目的で自分の性格を自己分析させられたりするが、そういう時大体は自分って「真面目系クズ」とか「ろくでなし」だなぁと分析してきた。しっかりやってるように見えて実はズボラだったり、言い訳さえつければ多少甘いことやっても仕方ねぇだろってスタンスだったり、アウトロー気取って悪ノリしてしょうもない遊びをやったり。でも他人がそういうことやってると真っ当に動かない人間には怒りたくなるし、あいつらはクズだ俺みたいな真人間とは違って劣ってるからああいうことしちゃうんだ、なんて見下したりするタイプの本当に嫌な奴。
まぁ流石に「分析した結果、自分は真面目系クズです!」なんてそのまんま言うわけにもいかないので、マイペースだとか、争いや変化を好まない温厚な性格とか、ちょっと綺麗な言葉に言い換えたりして誤魔化していたけども。
でもこんなに端的でわかりやすい表現があったのか!と目からうろこだった。「嫌なことから逃げる性格」とはまさに自分だ!
思い返せばまさにそんな逃げてきたエピソードがたくさんある。
誰か困っている人が居る時、大丈夫ですか!なんて駆け寄る構えだけはする。でも誰かほかの人がもう駆け寄っていれば自分は何もしない。あぁ大丈夫だな、とその状況から逃げる。
電車で座っていて目の前に老人が居る時、眠ってるふりだったりスマホに集中してるふりをして席を譲ることから逃げる。
学生の部活の時、こんな性格でも一応運動部だったが、何かと理由をつけて練習をサボって逃げたし、合宿も自由参加だったので最初の1年目は参加しても2年目はパス。キツイ練習から逃げたかったし。
就活の時、就職課や合同フェアなんかでよくやってた履歴書やESの添削とか、面接練習を受けることから逃げた。自分が書いた内容やチョイスしたエピソードをバッサリ切られて否定されるのが嫌で逃げた。あなたの受け答えこういうとこが足りてませんよって辛らつなこと言われるのが嫌で逃げた。どちらも自分のためには逃げるべきじゃなかったのに。
そんなもんだからちゃんとした会社からは一つも内定を貰えず、手元にあった数少ない内定がタクシー業界とブラックで有名な某オタク系古物商。でもこんなところで働くのは自分の理想じゃないから嫌だと、変なプライド持ち続けて逃げ出す。
就活は冬まで続いた。就活という行為自体から逃げなかったのは偉いと思う。
こういう時頼りになるのは大学の就職課なんだけど、春先から色々頼ってるならともかく、秋口になっていきなり頼りだすことのみっともなさとか、今まで何してたの?なんて言われる羞恥が嫌で逃げた。
一番逃げたかったのは「あなたこんな内容でずっとエントリーしてたの?」とか言われたりすることだった。今までの自分がやってきたこと全てが誤りで、全てが無駄になるような気がして。どっちみち落ちてるんだから結局無駄なんだけど。
まぁそんなんでも何とか「新卒でこの会社入りました」って言えたらそれなりの体裁を保てるぐらいの企業と縁を持つことが出来た。
でも仕事の中でも逃げることは続いた。
とりあえず最初の数年間は現業職で経験を積むことになるので、まずは交代制で勤務するのだが、まず自分が最初に考えていたのは「自分の勤務時間にでかいトラブルおこるなよ…」ということ
まだまだ新人として甘く見られてた頃に先輩と絡んだり積極的に仕事に取り組んでわからないことは質問したりすることから逃げてきたため、入社数年目なのに新卒レベルの質問をすることが度々あった。え、今更それ知りたがるの?これ知らなかったの?なんて反応されることは日常茶飯事
仕事のトラブルで困っているとき、本来なら自分の担当部門のトラブルなので自分一人で解決するべき内容なのだが、さも難問かのようにアピールして周りの人から「ここをこうすれば?」「あれはああして…これはこうで…」なんてアドバイスが飛んでくるのを待ってた。自分で解決することから逃げてた。
そしてもっと悪いことが「こうすれば?」なんてアドバイス貰った時に「それですよね、自分もそれ目は付けてたんですけど」なんていう一応自分でも考えてましたアピール。
「周りが解決してくれてよかったな」、と。う~ん、見透かされてるな。
そんな逃げ続けてきた人生を先輩に見事に見抜かれ、雷に打たれたようなショックを受けた私が今何をしているかというと、この発言がきっかけで適応障害を発症し休職に入るという「逃げ」の状況です。
嫌なこと言う先輩や仕事から、自分の性格に従ってに「逃げ」の選択肢を取りました。あんなこと言われた直後に、その人生を体現するかの如く本当に逃げのポーズ取ることになるとはさすがに自分でも思わなくて先輩の慧眼さに怖れおののきましたし、きっと先輩も「あいつに『逃げ続けてきた人生だろ』って言ったらここからも逃げやがったwwwwマジ図星wwwww」なんて職場でゲラゲラ笑ったことでしょう。多分自分が逆の立場だったら表向き反省した後に間違いなく裏でゲラゲラ笑うし。
そんな逃げの性格を変えたくて、とりあえずどっか仕事の楽そうなところを…なんて選択肢は選ばず「公務員試験を受けよう」という自分にしては珍しい積極的な選択肢。
でも滑り止めの自治体に内定誓約書を出しつつ、本命の自治体の試験がまだいくつか進行中なのでちゃっかり受け続けるという、どう転んでも少なからず公務員として働けるような「逃げ場」を用意しながらの転職活動なので、結局根っこのところは変わってねぇなぁこいつ、と思う日々。
細野守監督作品はなんだかんだでテレビで観たり映画館で観たりサブスクで観たりで全部観てるんですけど過去一感想が「何!?」だった。
もちろん悪い意味で。
先にいいところだけ
①絵(マジで背景綺麗)
②OP(曲いいしMVとして良 ワクワク感ある。のちにミリも残さず消えるけど)
以上、終わり。オタクの中では③だけで全てを許した人もいるので③にピン!と来た人はそれだけで見る価値あるかも知れません。
なんていうかこう、過去一「納得のいく状況説明が下手すぎ!?」っていうのが一番の感想。全て理解できず消化不良で終わるので何も味わえないこれぞ無味乾燥。あとは「何!?誰!?」と「これで終わり!?ふざけるな!」で完!解散!
常にツッコミどころしかない上に「これからどうなるんだろう」という期待感とか「なるほどね〜!」という気持ちいい納得とかポジティブな感想が皆無なので「なんだろう。なんなんだろうこれは。え!?なんなんだ!?」ってなる。
映画館で観てなくて良かった本当に「ワカラナイ……ナニモ……オレニチカヅクナァ!カネヲカエセ!!」ってエンドロールで暴れる竜になってた。
以下ツッコミどころさん
・母の死のシーン
→どうして!?!?!?第一意味不明展開が早すぎる!!!周りに誰もいない状況でなかったにも関わらず泣いて止める我が子をふり切って見知らぬ子供のために濁流の川に軽装備(救命ベストオンリー)で命をシューーーーゥ!!超エキサイティング!!ガチでお亡くなり!!バカ野郎!!!!そら叩かれる!他の人と助け合え!サマーウォーズでそれがテーマだったじゃん!?せめて命綱つけていくとかさ……
その後濁流に突っ込んでく母の映像の回想何回か?(一回だけでしたっけ?)挟まるけどマジでドキュメンタリー番組のお馬鹿さんVTR繰り返しみたいなのにしか見えない。マジでお馬鹿さん。
周りに助けてくれそうな人が本当にいない。もしくは女の子が藁をも掴む!な状況で「後10秒で溺れ死ぬんじゃいます!助けて!なう!」の状況ならわかるんだけどそうでもないから本当に……何故……?
せめてお母さんがこっち岸に女の子を預けて助け出したところで足を取られて流されるみたいな描写あれば良かったんですけどそういうのも全くなく……女の子普通に救助隊の人に複数人で助けられるので……マジで無駄死に感がすごい……。南無……。
→学校一可愛い女子を「可愛い」というのをアピールするのに不自然な寒い会話でその女子を褒め称えるモブ怖い絶対そんなこと思ってないだろうな感がすごい(「〇〇ちゃんがいると周りも明るくなるってかんじ!」「わかる〜!!」みたいな会話をする。JK=中身のない会話するバカの製作陣のイメージが透けて見えてなんか嫌)
ちなみにここで唯一の後々伏線回収されるシーンがある(学校一美女ががカヌー男の存在に気付いてちょっと焦った表情をする)
→超絶天才的衣装センスと頭脳を持つ主人公に理解のある毒舌女子高生(馴れ初めとかどうして仲良いかは不明)こんなんいるわけないよ。
とはいえ口は悪いけど理解があっていい子だ……と思ってたのに最後の最後で「お前 船降りろ」な感想をこちらに抱かせる発言をする。
これまで主人公のやることをサポートする良き友人だったのに本当に最後の最後になって主人公の行動(竜に信用してもらって彼を救うためにバーチャル世界でアバター姿ではなく素顔を晒して歌う)を全力で否定し始めるので今までの彼女を見ていたこちらは「ええ!?」ってなる。「そこは背中を押すところじゃない???」と。
恐らく彼女がこんな急なキャラ変換された理由は『「真に主人公を理解し応援している主人公と(恐らく)相思相愛の幼馴染」の対比の見せ場の演出のために急に嫌なやつにされた。』だと思う。本当に可哀想。
→弱い。カラオケ店のシーンで急にクラスメイトの語気が強くなって大量のマイクを差し出されて発狂するみたいなシーン……これがそういう演出(主人公の現実を盛った思い込みの妄想)なのか現実ママに起こってるのか非常にわかりづらくて困惑する。結果的に「マイク多すぎ」の感想しかなくなる。現実ママだったらマイク多すぎ。
その後で無駄にリアルな嘔吐描写と合唱マダム達のシーンで歌うのを拒否するシーンはあれどその他にどうしてそこまで主人公は歌うのがトラウマになってるのか……みたいな深刻な状況説明がないので最後の方でも「あっ…えっ…そこまで歌うのトラウマだったんだね!おじさん知らなかったナ!😅」ってなる「竜かすつまらん」の感想の人の中でも最後のシーンだけは良かったみたいな人ちょこちょこ見かけたんですが(ツイッター調べ)個人的にクジラの潮吹きで何故か爆笑しちゃった。なんか滑稽で。エレクトリカルパレードみてえだなしか思わなかった。
→きたない 帰ってきたら顔洗え。せめて吹け。
→①学校一のイケメンと主人公は実は幼馴染かつそれなりに気にかけてもらっている。
②急に始めたSNSで才能が開花してバズって一気に人気者にのし上がる。地味ではあるが歌がめちゃくちゃ上手い。
③ 学校でイケメンと深い仲なのでは!?と疑われ妬まれ爪弾きされかけるも華麗に回避する。
きついよ〜!!
・なんなんだお前な人たち
①急に出てくる妙齢女性5人組合唱団とそれに所属してるらしい主人公のシーンが急に始まる。ほかに同年代らしき子がおらずマジでなんでか急に説明もなしに5人が出てくるので主人公との関係性が分からず困惑する。
最後の最後まで見て「亡くなった母の友達で亡くなった母の代わりの母代わりとして主人公を見守ってきた人たち」だったのねとわかるけどそれならそれで最後のシーンにますます納得がいかなくなる。未成年ひとりで田舎から東京行かせてだいじょばねんだわ……馬鹿がよ……。
②元歌姫。マジで誰。とりあえず主人公と同じ「普通の女の子」らしいのは本人が言うんですけどマジで中身がどこのどなたか存じ上げないまま終わる。そんなキャラだし途中自分より後出しの歌姫の主人公を「あんな子すぐ消えるわよ」的発言で小馬鹿にしてた上に一位の座をあっさり取られて「キーーー!やめてー!」ってやるにも関わらず最後の最後で急に主人公を熱く応援する。キャラが読めなすぎ。いる?このキャラ……
③主人公の彼氏(になるだろうマン)。マジでお前はなんなんだ……。ミスリード要員なんだと思うんですけど最後の最後で急にいいとことっていく感じのトンビ野郎。お母さん亡くなって落ち込んでる時こそ絡みに行けば良かったんじゃないのぉ〜〜!?ねぇ〜!?
④父。顔しかいいところがない。未成年の娘1人東京に行かすな止めろ!それかついていけ!馬鹿がよ。
・くどいラブコメシーン
→間が!!長え!!
尺を取りすぎなんじゃ!!それがなければ数少ない良いところにあげてたんじゃ!
→多分ここ一番同じ感想の人多いポイントだと思う。竜の中の人のおおよその住まいを特定して(東京の高級住宅街ぽいところ)主人公が単身夜に場所を完全には特定していないのにも関わらず向かうところで誰一人として止めないのおかしくない!!!?!?!?誰かついてけ!!?!?!?父は何冷静にメール返してんだ!?妻亡くした後一人大事に育てた娘だろ!?!?理解ある父……みたいな感じにしてんじゃねーぞ!?
わかるよ!竜の中の人と一対一(ではなかったが)のシーンをやりたいのはわかるけどそれなら東京みんなで行った後で「よし!手分けして探そう!」で良かったじゃん!?これはフォロワーのパクリですけど!
母の死に対して「無謀なお馬鹿さん」の印象しか持ってないので、母の勇姿を娘にもなぞらせてやらせる意図(見ず知らずのこどものために危険なところに飛び込んでいく)なのはわかったけど「蛙の子は蛙。無謀なお馬鹿さん」としか思えませんでしたわ……。
→「元ネタがわかるようにしてるならパクリじゃない!」ってツイッターで言ってる人いたけどこれはパクリ。わかる上でのパクリ。玄関ホールのデザインとか装飾とかダンスシーンとかまんますぎ。脈絡なく当たり前のように説明なしで竜を守ってる?AI家来とかさ……なんなん……。ディズニーの中で美女と野獣が一番好きな人いたら怒るレベル。私なんですけど。
→いや…前々から集まって活動してましたみたいな雰囲気出してるけど初集まりだよなあんたら……。
・竜の中の人
本当になんならしのぶくんだった方がまだマシなレベル。
虐待受けてるらしい割にはパソコンとか自由に使えてるっぽいしガリガリに痩せ細ってるとかでなく弟?とあわせて美ショタだしきったねえ荒れ放題な部屋にいるとかでなく綺麗な部屋をあてがわれてる感じなので正直そこまで可哀想……感がない……。背中のあざがアバター通りならエグいんだけど消えてたりする演出あったの見ると心因てきなものなのかな〜と思ったり……。わからない何も。
→なんでやねん。
・竜の中の子の「大好き」
・竜の中の子と弟?のその後
とりあえず主人公とはこれきりの可能性高いのは確か(合唱団シーンでマダムが高校生の時に中学2年生の子と結局何もなく終わったみたいな話するから多分これ主人公と竜も同じだよって事なんでしょ多分……)
まあ幸せに生きるといいね……お父さんと和解とかできたんか?家に無事帰ったでいいんだよな……?
エンドロールの後なんかあるかと思ったらなんもねえしよ……。
実際にプレイした訳ではないけど面白いと噂で聞いた同人エロゲーの一覧を書いてみるの一覧
以上、終わり
俺の性癖は、毛根の交換。
しぶいおじさんのハゲずみの頭部に、女性のロン毛を植毛する。
でも植毛シーンはテレビではアウトかも知れないので、なくてもいい。
単に、植毛済みの男優が電車乗ったり食事する、普通の旅番組を流してくれればそれでいい。
もちろんテレビでは頭部をみせてくれるよな。
ただ会員向けサイトで「実は女性のロン毛を植毛してます」とバラしてくれたらそれで満足する。
そうなると、一般人には普通の旅番組だが、知るものにとっては女性のロン毛を植毛済みの羞恥プレイとなる。
どうだろう、これテレビで流せるかな?
無理ならYouTubeでもいい。
あとSFすぎ。移植しても遺伝子が違うんで拒絶反応でくさりおちるよね。
違うタイプの「植毛」をうたってるやつとそれを手術うけてCMに出たハゲはいるけど
あれ人工物だから拒絶反応でないだけで毛が伸びるわけじゃないやろ。
あと高校生物やりなおし。
件のおじさんがそういう趣向を持つノンケかゲイかバイかは知らんけど
おじさんのことを嫌っているパパはたとえ見つかった動画がノンケセックスものでもネタにして馬鹿にして悪口言ったと思う
ただ社会的には「ノンケセックス動画を笑い物にされる」と「ホモセックス動画を笑ものにされる」だと後者の方が重いのは事実
運送業なら作業服着替えるための更衣室があるだろうし「ホモ疑惑」を持たれたおじさんは社内で生きづらくなるだろう
パパの方だって言い分を聞けば「ホモと同じ更衣室なんて俺の方が生きづらい」と言うかもしれないが…
パパが子供に言い聞かせられて軟化するような人種でないのならば、今まで通りに距離を置き続ける他ないだろう
ママはパパと普通にやっていけているなら、ママ越しに同性愛差別はいけないよと伝えてみるというのも手ではあるが、ママへの負担が大きいかもしれない
不仲な家庭ではしばしば「不仲な父と母の意思疎通を代理させられる生きたラジコン扱いの子供」の苦しみがあるが、そのラジコン役をママにやらせるのは大人でも良くないかも
anond:20220702054142の追記。基本引用元は元記事ブコメ(https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220702054142)。
frothmouth 公権力でないから規制でない、ってのも今の時代の実態にそぐわない気がするなあ。キャンセルカルチャー批判とか考えるとね/真面目に書いた増田に「精液で全身ドロドロ〜」みたいなブコメ付けられて気の毒
ここで問題にしているのは一般人の抗議運動やボイコットのことで、その手のものは「規制」と考えることは不適切だということである。公権力でないから規制ではないとは言っていない(私人間効力の論点はもう半世紀以上前からある)。せっかくだから書いておこう。
2022年現在、公権力以外の「規制」を論じる意味があるとすれば、デジタルプラットフォーマーの問題だろう。我々の言論はあまりにも出版・放送・通信のインフラに依存している。たとえばツイッターやフェイスブック、「マンガ・アニメ」の類を配信しているプラットフォーム、pixivなんかの同人投稿サイト。こうしたプラットフォームに言論は依存しているので、もはや作者の書く自由を擁護するだけでは何の意味もない。その手のプラットフォーマーが恣意的な管理をすれば言論は生き残れない。一方で、こうしたプラットフォーマーもまた出版の自由を有するから、「持ち込まれた言論は絶対に出版しなければならない」義務を政府が課すことは許されない。そして実例として、SNS各社はプラットフォーム内でのヘイトスピーチを禁止しているし、pixivも同様である。みんなプラットフォーマーというとGAFAしかイメージしないが、もっと小規模なレベルのプラットフォーマーに目を向けるのが大事だ。
言論の流通過程全体を保護するためには―わかりやすく言えば2chの削ジェンヌみたいな滅茶苦茶な「管理」をされないようにしないとけない―プラットフォーマーが私人とはいっても、その行動を公権力によって規制する必要が出てくる。そしてプラットフォーマーのもつ出版の自由との慎重な調整が必要となる。その繊細な調整が表現の自由論の課題にますますなっていくだろう。
なぜ繊細慎重な調整と必要となるか。DPへの介入は、プライバシーや名誉毀損にあたる言論を裁判所が差止めるのと同じ構図だし、言論の分野ではないが、旅館業法が、ホテル・旅館(これも私人だ)に宿泊者を原則として拒否できないとする義務を課すのと同じ構図がある。似たような調整はこれまでも行われてきたわけである。ただ、後者の営業の自由は、もともと社会権を保障したり公平な自由を確保するために制限することが幅広く認められると観念されているのと違って、前者は、差止めの要件がかなり厳しく設定されている(『宴のあと』事件などを見れば明らか)。それは表現の自由がそれだけ「重い」権利だという観念があることによる。プライバシーや名誉毀損と営業に対する介入を比較すれば分かるように、表現の自由(就中送り手の自由)を重視すればするほど、プラットフォーマーのもつ「表現の自由」へ介入するのは困難となる。ブコメした多くの人が「表現の自由」はとにかく大事なんだという観念を持っているようだが、果たして一般論として表現の自由を称揚すればするほど、プラットフォーマーの地位が向上していき、利用者の立場は低下していく関係にある。DPに限らず、出版社も独自のポリシーを持っていて、刑法175条の要求とは別に、原稿に対していろいろな要求をして、修正しないなら出版を拒否する。表現の自由を称揚し、表現の自由の地位を向上させればさせるほど、出版の拒否に対して裁判所が介入するのは困難となっていく。皮肉な話である。「表現の自由」を称揚すればするほど、公権力以外の「規制」はつよくなりうる。私人間同士の対立場面で「表現の自由」を登場させないことには、それなりの理由がある。
なお、私は一般人の抗議運動を「規制」と言っているような人に調整作業をやらせたいと直感的に思えないところがある。その人こそが削ジェンヌになるのではないか。
minominofx66 まずは宇崎ちゃんにしろたわわにしろ、萌え絵やアニメが規制されるべき「エロ」なのか、健全な表現の範囲内なのか、この際だから徹底的に議論して白黒はっきりさせるべきだと思う。
第一に、さしあたって規制されるのは「わいせつ」(刑法175条)である。「エロ」ではない。そして「エロ」とか「健全」かそうでないかという問題は、表現の自由を擁護する上でどうでもいいことである。重要なのは「不健全」でも公権力によって規制されないということではないか。「不健全」なら規制しても良いという観念が前提にあるように見えるのは驚くほかない。アニメ・マンガの類の少なくない作品が不健全とか不道徳とか退廃的とか言わざるを得ないのは確かだろう(少なくともハード・コア・ポルノ的なものなら、だいたいどれかには当てはまるだろう)が、だからといって公権力が刑罰をもって発売頒布を禁止することは許されない。それが表現の自由論ではないの。
第二に、「規制」がどんな規制かも考えなければならない。仮に刑法175条が廃止されたとする。そうすると性器修正処理などは全廃されるだろうが、成人向けの書籍・ビデオ等は依然として年齢制限が課せられる(公権力が法律・条例をもって年齢制限を課すこともあれば、出版業界の内部協定として行うこともある)。販売頒布は禁止されなくても、流通過程が制限されることがある。それは言論の内容に着目したものではなく、付随的害悪(たとえば見たくない人の目に偶然触れるのを防ぐため)の阻止するための規制(内容中立規制というやつだ)である。一般論としてそのような規制は認められなければならないだろう※。付随的害悪を阻止するための規制もいっさい認められず、街路に成人向け書籍の広告を出したり、街頭モニターでビデオを上演したりすることも制限なく認められなければならないというのなら、もはや見解の相違としか言えないが。
第三に、宇崎ちゃんの欠缺ポスターやたわわのポスターに対する抗議や批判は、いかなる意味でも規制ではない(国連からという声もあるが、それは「日本の」公権力ではないし、日本国に対して強制力を持ったなにものでもない)。批判や抗議は、表現の自由がもともと予定するものであろう。「不健全な表現は規制せよ」と主張することすら(私はそうは思わないが)、表現の自由である。それに反論するのも自由だが、そういう主張自体が「規制」と言うのは馬鹿げている。
※
とはいってもこれがかなり厄介で、そのような規制によって出版社に過剰な経済的負担を課し、実質的に内容規制をしていこうという方法がないではない。しかし、付随的害悪の阻止のために合理的な規制を行うことは、一般論としては認めなければならないだろう。あとは個別事例による。
(1)
daydollarbotch 用語はそれっぽいが内容が所々おかしい。嫌がらせがあるなら不法行為たり得るし、間接適用説の下で表現の自由は考慮され得る。判決の引用部分では特にわいせつ表現が表現の自由の保護範囲外とは読み取れない(2階へ
①「わいせつ」に該当してもただちに保護範囲外にならないと最高裁が認定しているという趣旨か。だったら以下は何なのだろうか。なお、これはわたしやあなたが考えているところのあるべき「わいせつ」概念ではなく、最高裁の判例法理では「わいせつ」がどういう扱いを受けているかという問題である。
ところが猥褻文書は性欲を興奮、刺戟し、人間をしてその動物的存在の面を明瞭に意識させるから、羞恥の感情をいだかしめる。そしてそれは人間の性に関する良心を麻痺させ、理性による制限を度外視し、奔放、無制限に振舞い、性道徳、性秩序を無視することを誘発する危険を包蔵している。もちろん法はすべての道徳や善良の風俗を維持する任務を負わされているものではない。かような任務は教育や宗教の分野に属し、法は単に社会秩序の維持に関し重要な意義をもつ道徳すなわち「最少限度の道徳」だけを自己の中に取り入れ、それが実現を企図するのである。刑法各本条が犯罪として掲げているところのものは要するにかような最少限度の道徳に違反した行為だと認められる種類のものである。性道徳に関しても法はその最少限度を維持することを任務とする。そして刑法一七五条が猥褻文書の頒布販売を犯罪として禁止しているのも、かような趣旨に出ているのである。
②間接適用説のもとで「誰の」表現の自由を考慮するかが問題である。抗議者の言動を裁判所が差止めれば、それこそが表現の自由の制限となるから、裁判所が差止の権限を行使するにあたっては、表現の自由の趣旨を取り込んで適用しなければならない、というのが間接適用説だろう(ドイツのリュート判決はこれとそっくりな構図だった)。表現の自由の私人間効力は、抗議者に対して、一般論として相手の表現を一切抑制しないように注意する義務を課すものではない。もしそうだとすれば、あらゆる抗議の類が不法行為になるはずである。
③嫌がらせがあるなら不法行為なのは違いない。それは個別事例による。
関連して。
type-100 175条にしても猥褻物の作成・所持を禁じているわけではない。猥褻性を持つものも表現言論の自由の保護を受け、他の権利との綱引きで規制されている。
確かに、刑法175条はわいせつな文書・図画等の作成・所持を禁じていない。その限りであなたのいうとおり、「保護を受け」ると考えてみよう。しかし、販売・頒布は禁止される。警察が刑法175条の取締りの方針を変更して、性器が露出したり、性行為を描写するあらゆる作品を取り締まったとする。そこで作成・所持だけが保護されたとして、何の意味があるのか。「保護されない」という言い回しが気に入らないなら、「保護のレベルが著しく低い」という風に言い換えた上で読んでいただきたい。加えて、最高裁は作成・所持の禁止まですれば違憲となる、とも言っていない(アメリカなら、Stanley v. Georgia, 394 U.S. 557 (1969) 判決がそう言っているが)。
(2)
CocoA "一般に「エロ」の表現の自由を目指していきたいのであれば、少なくとも刑法175条を廃止しなければならないはずである"<-えっ、廃止に賛成している表現の自由の戦士たちを知らない・・・?
「戦士」なら刑法175条を廃止する署名運動なり政治運動なりをやるべきであろう。あるいは「戦士」とはただのネット弁慶か。廃止が提案されたら賛成するが、そうでなければ特に何かしないのか。
(3)
hom_functor これだけ長文書いても表現を規制する合理的な理由は絶対に説明しないんだよな。「抗議をやめる~ように請求する法的資格を有する」なんて見かけない主張を創作したり反論しやすいブコメをチェリーピッキングするだけ
「規制」なのかという問題か否かを読み取っていただけてないらしい。上記で書いたように、抗議運動なりボイコットなりは「規制」ではない。政治道徳的な観点からそれに理由があれば正当だし、理由がなければ不当だというだけのことである。むろん嫌がらせの類は、不法行為である。抗議運動なりボイコットに理由があるかという部分はともかく、「規制」というおかしな問題設定をしていることが馬鹿げているということだけはくみ取っていただきたいのだが。
(4)
sirobu 表現の不自由展に対する街宣カーも自由を制限する不当な圧力だと思ってるんだけど、増田はそう思わないってことかな?
あなたが街宣カーで街宣される時点で表現の抑圧だと考えていることはよく分かった。そういうレベルから見解が異なるのなら、議論がかみ合うことはないだろう。以下は参考まで。街宣カーで道路を走りながら何か言うだけなら、それは自由である(馬鹿なことを言っているなとは思うが)。問題は街宣カーそれ自体ではなく、殺害予告だったり大量電話のような嫌がらせだろう。また、名古屋市長の支出拒否しかり、大阪府知事の会場施設利用不許可しかり、公権力が規制に乗り出していることを考えれば、表現の不自由展では「不当な圧力」どころか、ズバリ「規制」が問題だった。公権力が嫌がらせを煽っていることも見逃せない(特に名古屋市長の愛知県知事リコール運動)。
(5)
thesecret3 憲法は法律ではないので専門家や判決がどうでも各自が独自の解釈で主張してもいいと思う。自由を保障すると言ったら基本は保障されなければならないのであって政府が邪魔しなければいいってもんではないと私は思う。
なんか進次郎構文っぽいトートロジーが・・・。
新着を見ていて https://anond.hatelabo.jp/20220626093727 があったので、こんなブコメを書き込んだ。
「ペドっぽい」ファンアートはまとめの中に実際にあるし、「そういう表現をするのは悪いことではないよね」「気持ち悪く思うのも悪いことではないけど個人の感想で規制に繋げてはいけないよね」という話をすべき
本当はもう少し長く書いたのだけど、100文字に収まるよう細部を削って書き込んだ。
その後、ブクマ数が少ないうちに書き込んだこともあっただろうが40を超えるスターが付けられてトップブコメになっていた。通知を見ながら気を良くしていたのは確かだ。
いや、ねーよ!
何言ってんだお前…
「そういう表現をするのは悪いことではないよね」「気持ち悪く思うのも悪いことではないけど個人の感想で規制に繋げてはいけないよね」という話をすべき
あー怖い怖い
これって誘導尋問じゃん
手前の勝手な前提で話を進めないでください!
これに対して、反論、というか私の持論を述べたいと思う。
一旦その前に、自分語りというやつをさせてほしい。
(正直なところを言うと、書きながら色々迷っている。本当にこの文章は書く価値のあるものだろうか。何のために書くのだろうか。
単にレスバに勝ちたいという気持ちで書いているなら無益だからやめておけ、と自分の一部は言う。
それに対して、いやこの文章は元増田に対してだけの物ではない。元増田に届かなかったとしても他の人に届けばいいのだ、と言う自分もいる。
でもやっぱりそれはただの言い訳なのでは?お前はただのレスバジャンキーなのでは?と言われると否と答える自信がない)
私はあまりネット上で自己開示をするたちではない。特にこうして名前を晒して(いや、実名ではないのだが)内心を晒すことはしてこなかった、と思う。
いや、うーん、政治の話ははてブではけっこうしたし、自分の内心を晒すこともした、かもしれない。
今からするのは性的な話である。つまり、自分の性的嗜好の開示である。
このkazatsuyuというIDはリアルの知り合いにも知っている人がいるし、そういう人の目に留まるのはだいぶ恥ずかしいので、もし見つけても見なかったことにしていただきたい。
いや、リアルの知り合いじゃなくてもTwitterのフォロワーとかはやっぱり恥ずかしいので、フォロワーも見なかったことにしてほしい。
この文章は確実に黒歴史になるので、もしかしたら羞恥に耐えられなくなったら消すかもしれない。まあ、魚拓だけなら残っていても検索には引っかからないと思うからいいかな……。
端的に言えば、私はロリコンである。好きな成年漫画家は岡田コウ、好きな同人エロゲサークルは夜のひつじ。
ケモロリは性的嗜好の範疇なのだが、ケモナーかと問われると自分では疑問。そこまでディープではないとは思うが、まあ他人と性的嗜好を比べあったこともないし。
基本的に、絵師や同好の士とのコミュニティに参加したりはしていない。普段TwitterではITエンジニアのクラスタに住んでいる。
コミュニティに参加している訳ではないので、界隈の代表面をできるような立場ではないし、できるだけの知識も多分ないだろう。だからこれは個人の意見だ。
こう書いたのは、つまり https://togetter.com/li/1906645 のまとめを見たロリコンでありケモを多少摂取している私個人が「ふーんエッチじゃん」と思った絵がいくつかあった、ということだ。
元増田は、
手前の勝手な前提で話を進めないでください!
と言っていたが、まあ、確かにこれは個人の感想であって、私の勝手な前提と言えるのかもしれない。
ただ、それを言うなら、
はっきり言わせてもらえば、私はまとめの中にある作品の中に(全てではないよ、もちろん)性的な意図、それも(もちろん虚構の)小さな子供に対するものを表現したものが「ある」と確信している。
証拠はない。いや、探せばあるかもしれないが、基本的には私のロリコン的な感性が「そうだ」と確信したものなので、証拠を探しても後付けの理由でしかない。
(「ながもはショタじゃないか?」と言われそうな気もするので一応、はい、ショタも範囲内です。ケモショタはギリいける。ケモロリの方が好きだが)
ところで、ながもに当てはめて良いものかは分からないが、ケモナー界隈には「ケモセーフ」という概念がある。(医療器具ではない)
https://dic.pixiv.net/a/%E3%82%B1%E3%83%A2%E3%82%BB%E3%83%BC%E3%83%95
要するに、ケモノは動物なのだから裸でも問題ないとか、毛皮で隠れているのだから大丈夫、という言い訳できわどい恰好をさせることができるという話だ。
そういう概念を持った上で、ながもを見てみる。帽子とマントは着用しているのに、あとは全裸である。
キャラクターの作者の意図までは読み取れないが、鑑賞者としてはエッチな気持ちが揺さぶられても不思議ではないと思うのだ。
その気持ちをそのまま二次創作にぶつけた絵師は「いる」と私は見た。それが元増田につけたブコメの前提だ。
で、本当に話したいのはここからのことだ。
元増田は私とは前提を共有していないようなので、ここまで読んでも勝手なことを言ってと怒っているかもしれない。
なので、なるべく一般論として話す。
そもそもの話として、エロい表現には「確実に規制されるライン」と「そこまでではない表現」というものが存在する。
当然、確実に規制されるラインは性器が描画されているとか、セックスをしているとか、そういうものである。(この規制ラインの妥当性は今は話さない)
規制されない表現には広いグラデーションがある。下着のラインがきわどいとかスカートの中が前張りであるとかそういう割と直接的だけどギリギリ引っかからないものから、表情が見ようによってはエロいといったものまで、多種多様である。
私は、そういった表現があるのは良いことだと思うし、それを見てエロいと感じることも良いことだと思っている。
つまり、作者が表現に仕込んだ意図を、ちゃんと読み取れたのが良いことだと思う。
読み取れなかったら悪いという訳ではない。多分、私自身作品を鑑賞する時に誤読していることはよくあるし、自分では誤読に気づけることは稀なので。
それこそ、「ながも」にケモセーフの意図が織り込まれていると私は読み取ってしまったが、これは作者の意図と照らせば間違いである可能性も十分にある。
問題は、作品に織り込まれた意図を読み取ったにも関わらず、「そうではない」と言う行為だ。
エロい表現物というのは常に攻撃に晒されてきた。だから守りの体勢に入ってしまうことは理解しているつもりだ。
だが、「これはエロい!駄目だ!」と言われた時に、「エロくない!」「エロさを読み取るお前がおかしい!」と返すのは、多くの場合、それこそが間違っていると私には見える。
鑑賞は人それぞれなので、本当にエロくないと思ったならエロくないと言ってもいい。だから、私のこの意見は完全に見当外れで、私がただ勝手にエロい意図を読み取ってしまっただけなのかもしれない。
けど、私は表現を擁護する側で「エロくない」と言っている人の一部は(一部、と言ったが主観ではほとんど、だと思っている)エロいと思ったのにエロくないと言っているように見える。
月曜日のたわわはエロい。スカートの股間のしわはエロい。宇崎ちゃんは……私にはあまりエロスを感じ取れないのだが。
「エロい!駄目だ!」と言われた時に、攻撃の理由をなくそうとして「エロくない」と言ってしまう気持ちは分かる。
でも、「エロい!駄目だ!」に対する答えは「エロくても駄目じゃない!」であるべきだと思うのだ。
世の中には確実にエロい意図を仕込んだ健全(非規制の)作品がある。その作品に対する誠実な鑑賞態度は、「これはエロいなあ」と感じることだと思うのだ。
元増田は完全にエロくないと思って、その心のままに増田を書いたのかもしれない。もしそうなら、この文章は私の独り相撲だ。
けれど、もし仮に、私の意見に思い当たる節があるのなら、「エロい」と感じた心に蓋をして「エロくない」と言っているのだとしたら、そのままの態度では良くないと私は思う。
ここまで書いてきて思ったのだが、「エロい」と「ペドい」は一般的にはまた別の問題かもしれない。私にとってエロはロリペドと割と強く結びついているので、少し混同して書いてしまったきらいがある。
元増田がペドの意図を読み取らなかったとしても、それは多分健全なのだと思う。無理に読み取る必要はない。
同時に、元増田の言及先であり、元増田のブコメでも晒されていたコメント(idは書かないでおこう、多分向こうにとって私は絡みたい相手ではないだろうから)がペドの意図を読み取ったのも悪いことではない。
悪くないはずだ。誰か私にも悪くないと言ってほしい。
元ブコメの人は気持ち悪いと受け取ったが、私は良いと受け取った。だからきっと分かり合えないと思うが、気持ち悪いという感覚もきっと悪いことではない。
悪いことではないと思うから、悪いことではないよ、と言った。これは誘導尋問ではなく、元ブコメの人のように感じる人へ言ったつもりだ。
その上でどうするか。個々の感想として好悪があったとしても、それを表現規制に結び付けてはならないと思った。だからそう言った。
これはやっぱり大事なことだから、書いておかないといけないと思ったのでがんばって100文字の中に詰め込んだ。
元増田には表現を守りたい気持ちがあるはずだ。私もそこにはある程度共感できていると思う(完璧にとは言えない)
けれど、私は表現を守る運動を見ていて、表現に接する態度に関して違和感を持っていた部分があったので、それを書かせてもらった。
そこの部分で元増田と私はあまり折り合えない気がする。もしかしたら私のような意見は「利敵行為」になるのかもしれない。