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はてなキーワード: 漠然とは

2021-01-27

anond:20210127021600

たった一言で3年不登校になるぐらい他人から影響を受けやすいーーストレス耐性の低い増田くんは、もしその一言がなかったとしても「普通青春」は送れなかったと思うよ。

増田くんは、ストレス耐性が一般人より極めて低いから「普通」を目指すのは諦めたほうがいいよ。普通に囚われても増田くんは普通以下の弱い精神の持ち主だから苦しいだけだろうよ。

青春は奪われたんじゃなくて最初から手にしていなかったんだよ。理解のない教師増田くんを傷つけた一言きっかけに過ぎないよ。

漠然と後悔するぐらいなら「普通青春」とは何か、一つ一つ書き出して小規模な高校でも実行可能そうなものから達成していったほうがいいよ。

そもそも青春に拘る必要もないと思うけどね。

2021-01-26

anond:20210126100909

ストレス問題言語化および処理出来ると、問題への対処が出来てQOLが上がる

頭が悪い問題言語化および処理が出来ないから、問題漠然とした問題として処理できないまま詰みあがっていくのでQOLは下がる

2021-01-25

anond:20210125095256

あのね、こいつは「自分を変えたい」「何者かになりたい」ぐらいの極めて漠然とした動機で金突っ込んじゃったわけで

からバズった時点で紛れもなくそ目標を達成しちゃってるの

ネットで名を上げて行きたいのなら間違いなくおいしい話のはずなんだ

それをプラスの方向に活かせないのはそいつ責任

2021-01-24

実際のところ女の子は何をオカズにシコシコしてるの?

BLは性欲処理に使うモノではないんです、男の人向けのエロ漫画とは違うんです!」という意見はよく聞くし、ここでもそんな腐女子意見が集まってるけど。

https://anond.hatelabo.jp/20210123154953

じゃあ何をオカズにシコってるのか知りたいって話。

自分が聞ける範囲生物学女子オカズとついでにオナニーの仕方を質問した結果は以下。

■主なオカズ

男性向けエロ漫画:3名

漠然としたエロ妄想:1名

オナニーの仕方

ぱんつのからクリトリスを擦る:3名

乳首を擦ったり摘んだり様々に刺激する(下は汚れるので触らない):1名

2021-01-23

精神科 鹿児島県姶良病院院長「山畑狂蔵」

精神科 鹿児島県姶良病院 鹿児島県姶良市平松6067 TEL:0995-65-3138 FAX:0995-65-8044 E-mail.air-hos@pref.kagoshima.lg.jp

http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/

2019-06-19 県内唯一の公立精神科病院 社会ニーズに応えたい

鹿児島県姶良病院 山畑良蔵 院長(やまはた・りょうぞう)

1983年鹿児島大学医学部卒業鹿児島大学医学部附属病院神経科精神科医員、県立鹿児島保養院医長などを経て、2013年から現職」

「また、医療観察法に基づく指定入院・通院医療機関としての役割も担っており、研修実施しています。この研修は、関係者をはじめとする地域精神科医療関係者を募り、年に1回程度開いています

裁判員制度が始まってから全国的精神鑑定件数が増えています責任が重い仕事ですので、当院では6~7人が分担しています精神鑑定ができる医師養成も、われわれの役割です。そのためには、経験を積んでもらうことが必要社会要請に応えられる人材が育ってくれたらと願っています

時代とともに患者構造や病状が変化し、地域社会精神疾患患者に対する目も変わってきました。地域移行も進んでいます

私たち役割は、まず患者さんや地域の方が困ったときに、すぐに対応できる力をつけておくこと。さらには地域住民にも、精神疾患精神疾患がある患者さんに対する理解を深めてもらい、地域全体の対応力を上げていくことなのだと思います

https://k-ijishinpo.jp/article/%e7%9c%8c%e5%86%85%e5%94%af%e4%b8%80%e3%81%ae%e5%85%ac%e7%ab%8b%e7%b2%be%e7%a5%9e%e7%a7%91%e7%97%85%e9%99%a2%e3%80%80%e7%a4%be%e4%bc%9a%e3%81%ae%e3%83%8b%e3%83%bc%e3%82%ba%e3%81%ab%e5%bf%9c%e3%81%88-3/

2020/11/27 13:00 日置5人殺害公判被告は重度の妄想障害」 起訴前鑑定医が証言

2018年に日置東市来町湯田の民家で男女5人が殺害された事件で、殺人死体遺棄の罪に問われた近くの無職岩倉知広被告(41)の裁判員裁判第6回公判が26日、鹿児島地裁(岩田光生裁判長)であった。起訴前に精神鑑定した医師は「犯行当時は生来自閉スペクトラム症ASD)に加え、重度の妄想障害を抱えていた。深刻な精神状態にあった」などと述べた。

起訴後に精神鑑定した別の医師は25日の証人尋問で「妄想障害の程度は軽微で、一連の犯行は元来の人格傾向の影響を強く受けている」と証言裁判の大きな争点である責任能力判断を巡り、参考となる鑑定医意見が大きく分かれた。

26日の証人尋問に出廷したのは、県立姶良病院の山畑良蔵院長。検察から依頼を受け、逮捕・送検後に期間を延長しながら18年7月から19年1月まで精神鑑定した。

山畑院長は、生活の変化などから妄想障害発症した時期を04年前後推定一時的に軽減することを繰り返し、長期的には悪化していたとした。病状の深刻さを踏まえ、統合失調症可能性も示唆した。

妄想障害悪化により、「思考・行動に異常があった」と指摘。弁護側から動機や行動選択への影響を問われ、山畑院長は「誤った考えに基づく病的感情は、当然行動に影響を与えている」と述べた。

27日は、精神科医の証人尋問被告質問、遺族の心情意見陳述を予定している」

https://373news.com/_news/?storyid=129151

「副院長 堀切医師

平成元年卒業し、鹿児島大学病院精神科研修を受けました。精神科自然科学だけでは解明できない興味深い世界があるのでと思って期待もありましたが、漠然とした不安もありました。

しかし、指導医先生方に丁寧に指導していただき、また、いろんな病状、個性のある患者様と向き合い経験していく中で、「人の心」「精神」というもの自分なりに考えるようになり、学会で発表したりもしました。

姶良病院は、鹿児島県における精神科医療の中核としての役割果たしてます精神科に興味のある先生方にとっては、貴重な研修ができるものと思います

http://hospital.pref.kagoshima.jp/recruitment/message/aira.html

「県立姶良病院情報誌 第 62 号 やすらぎ 令和元年 7 月 1 日発行 病院理念 ~安らぎと幸せを~

「山畑狂蔵」とは 副院長 堀切

知らない方が多いと思うが、山畑良蔵院長は以前「山畑狂蔵」というペンネームを持っていた。少し自虐的で、少し自慢げで、少し笑いを取った、とってもいいネーミングだと私は思う。

「狂」の其の一:顔で笑って、実は心の中で怒っている。逆に、怒っているように見えて、心の中では笑っている。これ、まさしく「狂」

「狂」の其の二:私は昨年から医療観察法病棟病棟医長をしているが、多職種会議を開き、入院継続の 3 要件や症状評価17 項目を検討したり、外出、外泊では詳細な計画を立てる等、大変。大雑把な私は集中力がなくなり、いつしか違うことを考えたり、眠くなったりする。しかし、狂蔵氏は、それらの報告を聞き、ちょっとした?間違いに気づき、でも、実はそれが大きな問題だったりするのに気づかされる。その集中力、注意力、気づきの鋭さ、まさに「狂」

「狂」の其の三:志布志田舎で生まれ育った、まさしく神童神童数学者を目指していたと言う。高校時代愛読書哲学書。狂蔵氏が入院していた時、私が感動した小説差し入れたところ、小説を読む楽しみは将来に取っておいていたのだと。その知力、忍耐力、まさしく「狂」

「狂」の其の四:医療観察法病棟を開棟する際、20 人?30 人?の職員研修会に参加。懇親会の後の 2 次会は狂蔵氏がカードでポン。腹が出ているのは昔からだったか?まさに「狂」

「狂」の其の五:長年にわたり姶良病院に勤務し、海千山千処遇困難例の治療に携わる。その間、興奮し暴言を吐く患者対峙すること数えきれず。時に消化器で泡だらけにされたこともあれば、包丁を持った患者に追いかけられたこともあり。それでも患者を愛する狂蔵氏、まさに「狂」

「狂」の其の六:姶良病院交通事故違反が多いということで、繰り返し職員指導が行われている。実は狂蔵氏は 2 回も後ろから追突されたことあり。しかも、1 回は大きなダンプカーであったが、ボルボに乗っていたためか、特に怪我はなし。ただ車は 2 回とも廃車。これも「狂」なる故か。

「狂」の其の七:毎年、95 パーセント稼働率を維持し、県立病院経営改善に最大限に貢献する。医療観察法病棟の開棟、精神科救急病棟の開棟、各病棟の改築を行った。去年は自治体病院精神科部会会長来年日本司法精神学会会長を務める。さらに重大事件の鑑定、各所での講演等々、その働きぶりは、もう「狂」と言うしかない。だが、近くで見ている私が一番すごいと思うのは、リスクマネージメント組織運営管理する能力である管理者としての能力はとても真似できない秀逸な「狂」。

「狂」と言いながら、褒めてしまった。なので、ここでこそっと言っておこう。狂蔵氏は隠れセクハラ親父である可愛い女性職員に「おっ、今日洋服かわいいね。いいね!」等、ポロッと言ってしまうのを私は聞いている。その心の中は「狂」に違いない」

http://hospital.pref.kagoshima.jp/aira/images/stories/contents/201901yasuuragi.pdf

・・・殺人事件精神鑑定も行っている県立病院医者たちが「あのセンセイは狂っている、狂だよね~」などと院内誌に堂々とおふざけを書く人権感覚のなさ。

さらに紛れもない「セクハラ」を「ちょっと微笑ましい話」として書き、さらに「これも狂だよね~」とは・・・

この人たちはどういう人権感覚をしているのか? 鹿児島県庁はなぜこんな医者たちを放置しているのか?

anond:20210123124641

しろゼリーだかジャムしかないのにそれ以外になんだと思ったんだよ

よくわからんけどなんかとっても甘くておいしそうなやつ!みたいに漠然とすげー高い期待感もってたんだろ

茶とコーヒーと俺ん家の話

俺は30過ぎてこどおじで、別に給与が特段低いとか家族介護必要とかそういう事情でもなく、俺個人引っ越しするための意欲が湧かないのと、そもそも家を出る意義がもう一つピンと来てないので、実家にいる。

俺と両親合わせて3人の家族仲は特別良くも悪くもない…というのは、家庭内の緊張とか不和とかの微妙感情をないまぜにして無難に平均化した言い方で、俺と両親はそれぞれあまり会話もないけど、「お前、いつ家出るんだよ? あと、結婚…はまあ置いといて、日々の言動とか読んでる本とかなんか変なんばっかりだし、まともに社会人やれてるんだろうか?」的な無言の変な気まずさを感じるし、母と父の方はわりかし明確にいまお互いの生活態度にストレスを感じているっぽい。

しかし、だからといって、各々の了見をめぐってケンカになったりとかもないのだ。だから、まあ特別仲は良くも悪くもない、ということになる。

夕飯は大抵三人で一緒に食べて、不思議なことに、俺が食い終わると母親が必ず、「茶かコーヒーを淹れるからお湯を沸かしてくれ」という(食べ終える順番的に、母は毎回まだ食事中)。

俺はまずてめえの食器を洗い、それから鉄瓶で湯を沸かす。三人分。何回か、「お湯が少ねえよ(多いよ)」のやり取りを経て、数年がかりでおおよその分量がようやくわかったのだ。鉄瓶から蒸気がしゅんしゅん言い始めたあたりで母親食事が終わる。

俺が「変な本」や「変なマンガ」を読んでいる間、父親ソファで横になってテレビを観ている間、母親が茶かコーヒーのどちらかを淹れ、俺の前に、それから仲たがいしている父の前に無言で置く。そして、各自飲み終えた者から自室に帰っていく。

父も茶やコーヒーを淹れる。三人分。タイミングは父本人が飲みたいときなので、何でいまなんだよ? みたいな不思議ときに来たりするが、ありがたくもらう。母親の前にも父はカップを置く。母親「ありがとう」を伴侶に言う、けっこう珍しい場面が見られる。

俺もときどき、自分の飲みたくなったタイミングで茶を淹れるが、俺は俺の分しか湯を沸かさない。俺の飲みたい分だけ茶を淹れる。

俺が一人分のお湯を沸かし、一人分の茶っ葉で淹れた茶を居間でずるずる飲んでると、父も母も、ものすごく奇異な目で俺を見る。「普通、みんなの分淹れるでしょ」と呆れ半分に言われることもある。

俺も、まあそうだよな、と思うんだけど、「でも茶を飲みたいのは俺だし」という理屈特に気にしない…ところが俺の幼い&気持ち悪いところで、最近ようやく自分でも「なんじゃこいつ」という感覚の方にチューニングがあってきたが、基本的には、「俺の願望なんだから、俺一人が充足されれば十分って当たり前じゃん」みたいな考え方をしているところが、俺という人間の心のベースとしてデカめにある。

最近になって、ようやく俺は家族全員分の茶やコーヒーを淹れるようになった。なんでかはわからないが、そろそろやってみっか、という感じだ。別に、「今から! 俺は! みんなにお茶を淹れます!」と宣言してやり始めたわけではないので、最初ものすごく恥ずかしかった。

正直、これは今でも恥ずかしく、それと同時に、ほい、ほい、と母と父それぞれの前にカップを置きながら、なんとなく、この二人が自分の伴侶の前に茶を差し入れとき、どんな心境でそうしていたのか、それがこの二人にとっていまどんな意味を持つ行為なのだか、漠然想像がついた気がした。このどちらかというと仲の悪い夫婦の間で。

ところではじめて俺が宣告もなく父親に茶を淹れてやったとき、父は、十年前に俺が初任給外食に連れて行ったとき以上に衝撃を受けた顔をしていた。親不孝…と感じつつ、そんな顔すんなよ、と若干ムカついた。いまもって家族仲はトータルで良くも悪くもない。

2021-01-22

やらないとやれないの違いってなに?

1 問題提起

やらないとやれないの違いはなんだろうか。

行動を起こさないことの原因が、自分判断にあるのか、外的要因にあるのか、という基準区別されるものかと思うが、その判断はどうやってすればいいんだろうか。

行動を起こせるようにするには、「やる気をだす」「責任感をもつ」以外に、どうしたらいいんだろうか。

自分でも自分の状況が、「やらない」のか「やれない」のか分からないが、ひとまず主観に従って、「やれない」を使用する。

2 これまでの状況

私の仕事は、そこそこ専門的な仕事で、会社が、法人または個人から依頼を受け、会社が私に案件を割り振って、私はその案件を進めていく。

この仕事についてから、6年程である

その間、業種は同じだが、勤め先は何回か変わった。

最初三年は独り暮らし、ここ三年は実家暮らしである

1年目の終わりにうつになって半年休職した。

そのとききっかけは、業務量が多かったり、人に相談できずに身動きできなくなって、仕事がどんどんたまっていったのが原因だったと思う。

休職明けてからも、半年に一度会社にいけなくなって、その会社はやめた。

次の会社では、職場に一人のことが多くて、仕事サボるようになって仕事がたまって辞めた。

今の会社(ここ2年)では、「なんかやりたくないな」と感じる仕事がやれなくなってしまい、今、正に退職するかどうかの瀬戸際である

「やりたくない」のきっかけに大した理由はない。

しかったり、初めてやる仕事になかなか手をつけられないということは、今までもあったが、この「やりたくない」は、それこそ電話一本かけることだけだったり、来ていた電話に折り返すだけだったりする。

別に難しくないし、今やれば終わることは分かっている。

でも、なんか今すぐはやりたくないのである

仕事はほかにもあるので、とりあえず別の仕事をやっているうちに、次の日になって、さら時間が経っていく。

そうすると、段々、自分からアクションをとるのが気まずくなって、もっとやりたくなっていく。

こんなのは当然で、小学生でも分かるというか、小学生でもすでに学習している。

自分でも、後回しにするときに、「あとで大変なことになるんだろうな」とは思う。

でも、その予測による「やらなきゃいけない」に、「やりたくない」が勝ってしまうのである

また、例えば、締め切りがある案件で、どうしても今この仕事をやる必要性があることは分かっていても、手につかないことがある。

そのとき気持ちは、もはや「死ぬほどやりたくない。この仕事をするくらいなら、死ぬ方がマシである。何故なら、死んだらやらなくていいから。」という域である

この「やりたくない」になってしまうと、例えば終電時間まで会社にいても、休日出勤してみても、結局やらないのである

人に見られているという強制力のない休日出勤では、六時間ただただスマホをいじって終わった。

(月給制なので、余分な残業代等は貰っていない。)

そうなると、「人として、社会人として当然やらなきゃいけない。」とは、理性では分かっていても、体は動かないというか、できないのである

しろ、「やらなきゃいけない」と思えば思うほど、「やりたくない」気持ちが強くなる。

作用反作用の如しである

ここでいう「死ぬほど」は、やりたくない気持ちの量的な表現というか、その仕事をやらないための逃避の発想からくるものだと思っていたので、自分でも本気で自分死ぬ気があるとは思っていなかった。

ちなみに、半年休職する前は、「死にたいなー。首吊り用の縄ほしいなー」とは漠然と思っていた。

今思えば、このときから、未処理の仕事のことを考えたときに、死にたいと思うようになり、実際「死にたい!」と口に出すようになっていた。

しかし、今すぐ自殺するほどを死にたさはなく、かつ、言霊的に、死にたいと口に出すことで本当に死んだらやだな、という気持ちもあった。

なので、復職してから同じ気持ちになったとき、つまり、単純に未処理の仕事を思い出して押し潰されそうになったときは、「死にたい!」「うそ、死にたくない!」と口に、独り言を言うようになった。

家族心配をかけたくはないので、一人のときに。

3 これまでの対応

精神科心療内科にはずっと通院している。

また、途中から、そのクリニックに併設されているカウンセリングで、認知行動療法を受けていたが、イマイチ改善されなかった。

「やりたくない気持ち」とか「やる気」にも波があって、認知行動療法で考えた対処方法が、続かないのである

それすらも、「やりたくなくなってしまう」のである

これをなんとかしようと、続けられるやり方が見つけられないかと、色んなビジネス書自己啓発本を読んでみた。

そのうちに、ADHDに後回し癖があることを知り、自分ADHDかも?と思うようになり、クリニックで診断を受けてみた。

検査の結果、自己評価の点数は高い

(ADHD可能性が高い)が、他者評価(母)の点数は低いとのことで、先生としても「なんとも言えないな…」とのことであった。

自分としては、当てはまるエピソードはそこそこあるとは思っているが、自分のいたらなさをADHDのせいにしたい気持ちもあったから、医者になんともいえないといわれたら、自分もなんともいえないのである

今は、試験投薬してみようとのことで、お試しで毎日出されたADHD用の薬を飲んでいる。

ちなみに、IQ検査は、言語は高くて他はそこそこだったので、ギャップを感じるかもね、とのことだった。

検査受ける際の困り事の説明に、上記死ぬほどやりたくない」について説明すると、「それは、仮にADHDだったとして、それだけでは説明できないから、他に原因があるかもしれないね」と言われる。

そこで、現在カウンセリングでは、「死ぬほどやりたくない」を解決するため、精神分析療法を受けていた。

なお、このカウンセリングの際に、「死ぬほどやりたくない」気持ちになることは話していたが、日常的に、未処理案件を思い出しては「死にた~い!嘘です!」とやばい独り言をいっていることは話していなかった。

本気で死にたい訳ではないので、実際よりも症状が重いと思われると考え、また、なんとなく担当カウンセラーに心を完全に開けなかったこともあり、言えなかった。

こうやって、日常的な「死にたーい」気持ちを真面目に受け止めず、嘘ってことにして、流して生活していた。

実際、家族のことを考えると、死ね家族を傷つけるな、それは嫌だな、と考えてブレーキもかかっていた。

4 直近の出来事

さて、1月15日、私が外出中に、とある案件について会社に連絡があり、私が滞留・放置していたことが上司に発覚した。

そうすると、私には、会社に向かって、その案件の処理・報告をする必要がある。

でも、その理由は、「なんかやりたくなくて」という、完全に主観的で、理由にならない理由である

ちなみに、私がよく連絡の折り返しをサボることについては、何度も注意を受けており、「社会人として当然だからちゃんとやって!」という至極最もな指導を受けていた。

(私のやれなくなってしまうことについては、「それは病気ではなくて、やらないだけにしか思えない。やるしかないんだよ。」と言われていた。)

このように、何度も指導を受けていたにも関わらず、全く改善できていないことを説明する必要が生じた。

また、社会人として、自分が起こした問題について、上司に報告するのは、当然の義務である

これによって、この日、職場に行くことが、高度の「やらなきゃいけないこと」になり、「死ぬほどやりたくないこと」になった。

そして、普段なら、家族のことを思い出せばかかるブレーキが、イマイチからなかった。

ヤバいと思いながら、「飛び降り 高さ」で検索した。

すると、政府電話窓口が表示された。

そこで、私は、とりあえずビル5階の屋上駐車場にでてから、その窓口にかけてみた。

つながらない。

いのちの電話を含む、そういった窓口に片っ端からかけてみた。つながらない。

かけては繋がらない、またかけてみては繋がらない、このやりとりを二時間弱やった。

この、「死なないための行動」ができなくなったら、次はいよいよ自分飛び降りしまうと思って、それはまずいとは思っていたので、ひたすら電話をかける行動をやめられなかった。

そのうち、自分が住んでいる市役所にも、そういった窓口があることが分かったので、そっちにかけてみた。

やっと繋がった。

話を聞いてもらった。市役所の人、ありがとう

あなたは、やらないんじゃなくて、やれないんですよ。なにか原因があるんですよ。そして、その原因を明らかにするために、精神分析療法を受けて、やれることをやっているじゃないですか。」と、私が望んでいた言葉をくれてありがとう

この電話のお陰で、飛び降りたい気持ちは落ち着いた。

でも、そのまま出勤はできなくて、とりあえず同じビルマックに行き、スマホを充電することにした。

どうしよう、なんて言おう、そもそももう2時間連絡なく出社していない理由についてもなんて言おう、ぐるぐるしていた。

自分がいつまでたっても、社会人としてやらなきゃいけないことをやらないことを、なんでいくら言われてもやらないことを維持してしまうのか、自分でも分からなくて、なんて言ったらいいんだろう。

このとき気持ち、考えたことを、ノートにまとめてみたりした。

やがて、会社から家に連絡がいったようで、家族からも連絡が入る。

ヤバい大事になってきた。

でもどうしよう。

身動きのとれなくなった私は、自分業界協会?にメンタルヘルス相談窓口があったことを思い出して、そちらにかけてみた。

そこで、ひとまず無事なことを家族から会社に連絡し、その後、日曜にカウンセリングがあるから、そのときカウンセラーと一緒に電話して状況とかを話すことにする。

そして、その日は、家族を通して会社に連絡して、家族と一緒に帰った。

カウンセリングルーム電話して、事務員さんを通して、次のカウンセリングで一緒に電話かけてもらうことの許可をとり、その旨会社に連絡する。

日曜、カウンセラーに金曜の出来事説明したら、カウンセラーはこういった。

「それで、なんで私が説明しないといけないんですか?」

手の指が冷たくなっていった。

それから

「これは、精神分析療法じゃないですよね…」

ともいった(精神分析療法は、毎週やらなきゃいけないが、その前の週は年末ルーム休み、前々週は、私が親戚に会いたくて休んだ。今日もやれねぇじゃねぇかよ、という意味だ。)。

上司のこれまでの対応から、やらなきゃいけないとわかっていてもやれないだといっても、信じて貰えないと思って、信じて貰えないことが怖いから助けて欲しかったといった。

そのあと、上司電話する時間になったので、電話した。

私が話した。

上司は、

「それはやらないだけにしか思えない。責任感の問題じゃないか実家暮らしで、そばに助けてくれる人がいるから、そうなるんじゃないか。一度、助けてくれる人がいない環境においた方がいいんじゃないか。」

「(私)さんはできると思うよ。やんないと成長しないよ。できるって信じてるよ」

といって、時間がきたので、電話を切った。

そのまま時間がきたので、カウンセラーが、

上司の方は、(私)さんを信じてるんですね。」といって、その日のカウンセラーは終わった。

わたしビルをでて、泣きじゃくった。

今週は、ひとまずリモートワークをすることになった。

月、火曜はそこそこリモートワークができていたが、水曜日生産性が落ちた。

木曜、もっと生産性が落ちて、予定が消化てまきなかった。その日の業務報告ができないまま、夜中になって、どうしようもなく、寝た。

今日、「昨日は報告できず、すみませんでした。今日はあまりやれなさそうです。○○はやります。」とのメールをなんとか送る。

そのご、不穏な長文メールが返ってくる。

メールの内容すら読めず、仕事不能になり、ベットに転がる。

(中略)

今に至る。

4 私のぐちゃぐちゃな心境

責任感とか人として当然、ってだけで、できてたら、こんなことになってないんだよ!

飛び降りそうになって電話かけまくってないんだよ!

やりたくてもやれないの!!!

私のせいじゃない!

(逆ギレじゃね?

結局やらないことを、維持することを自分選択してるんでしょ。

本当にマジでやんなきゃいけないやつ(損害賠償請求されそうなやつ)はやるじゃん。

やらない方が楽だから、やんないだけでしょ。

自分が、必要最低限のこともやらない最低の人間なだけでしょ)

これ以上、この仕事を続けても、同じことを繰り返してまた迷惑をかける。

もう辞めたいし、辞めた方がいいと思う。

(また投げ出して逃げ出すの?

うつになるような大した仕事量じゃないじゃん。

これじゃいつまで経っても成長しないダメ人間のままだよ。)

独り暮らししたら、また部屋にコバエがわくだけですけど。

独り暮らししたら、責任感が身に付くってのはないと思うし、余計に家族ブレーキにならなくて、今度は飛ぶかも。

飛ばんと分からんのか?

(信じて貰えないことの当て付けか?)

担当カウンセラー、私が飛ばなくてすんだって話をしたあとの感想が「今日も療法できないじゃん」なの?そっちのが大事なの?

信じて貰えないのが怖いって話して、実話信じて貰えなかったやりとりをきいて、「信用されてますね」ってどういうこと?

(今まで日常的に軽く死にたくなってたことを話してなかったのは、自分じゃん。

そういうしかないんじゃね?)

多分、逃げ癖ついちゃってるんだよねー。

すぐ現実逃避、逃げのためにスマホいじったりネットニュースみたりするじゃん。

意志が弱すぎる。

いい大人とは思えない。

(もう一台スマホをかった。そっちには、スケジューラーライン仕事用のアプリだけいれて、持ち歩く。ツイッターとかpixivとかゲームいれてるスマホは家においてく。家族に預ける。)

アドラー心理学の本、ちょっと読んでみた。

多分、「仕事をやらずにいたい、すませたい、やりたくない」っていう目的のためにこうなっているんだろうなと思う。

そこから、どうしたらいいんだ?

今まで、口から死にたい!」ってだしても、自分で本気にしてなかった。

真に受けずに、その気持ち直視しないで、その気持ちからも逃げてた。

でも、その都度、「その仕事をやるくらいなら死にたい」って逃げの気持ちはあって、ブレーキでどうにかなってただけだった。

この死にたい気持ち、逃げたい気持ちに向き合うことが、実は必要なのかな。。。

(僕が僕であるためのパラダイムシフト読んだ)

5 最後

本当にただの日記になったが、自分気持ちを整理できた。よかった。

似たような経験がある人とか、なんか専門的に説明がつくのかとか、単なる感想とか。

客観的コメントがあったらお願いします。

また、結構そのまま書いちゃったので、「この増田○○さん…?」って思った人がいても、声はかけないで下さいね

anond:20210122103749

そういう意図であればインスタント(即時・即席)あたりが適当じゃないの。

オンデマンドって単語を使うなら、それまで需要に応じず一方的に与えられるとか垂れ流されるような、自由に利用できない状況があった上で、その一方向性に対する問題意識が共有されてないとそういう表現は出てこないと思うが。

もしくはオンプレミス疲労スキャンをするような技術を内製し所持する組織存在していることを前提として、その反対としてその同等技術クラウド化され万民が使えるようになった状態という意味でならオンデマンドという言葉が出てくることも想像できるが、脳の疲労度なんて漠然としたもの一方的にあるいは閉じた組織内であっても計測・数値化する技術確立済みの社会状況は存在してないんだから、突如オンデマンドという表現が湧いてくるのは違和感がある。

2021-01-21

孤独死

これから独身と子なし夫婦もっと増えると思うけど老後ってどうなるんだろう。

孤独死して特殊清掃入るのは避けたい。

老人ホームも金が必要だし、そもそも入れるかわからない。保証人もいない。

みんなはどうするつもりなの?漠然とした老後でもいいからおせーて。

午前中は病院にいく

普段と違うことをする時の漠然とした不安感、苦手感を感じている

2021-01-20

友達いないのに強がってたら惨めな夢みた

夢の中で朝起きる。家を出ていつも通りの行動をする。

ふと街中で高校同級生出会う。久しぶりとか言って他愛ない話をする。

人と話せて嬉しい!って思った瞬間、目が覚める、夢の中で。

なんだ、夢だったのかとめちゃくちゃ落ち込む。そしていつも通り家を出る。

すると今度は、大学の後輩にばったり出くわす。

こんな感じで何回繰り返したかはわからないけど、一度に数人出会うこともあったから十人近くと談笑したと思う。

最後にほんとうに目が覚めて、時間確認したらまだ2時間は寝れるくらいで、普段なら二度寝できるって喜ぶんだけど、寝れんかった。

こんな夢見るのが惨めで落ち着けなかった。

大学の同期たちが就職していく中、自分はだらだらと学生を続けることにした。

それまではなんとなく入ってたサークルで楽しくやってたけど、卒業後も連絡を取るような相手はいない。

自分が友人関係を築く努力をしなかったから。

自分から遊びに誘ったことはなかった。SNSで会話もあんまりしなかったし、おしゃれにも気を遣わなかった。

サークル活動にも、周囲みたいに精力的に取り組んだりしなかった。後輩の面倒とか見たりしなかったな。

他にも原因はいっぱいありそうだけど、その結果、大学卒業後は誰とも会っていない。

週に2日だけ研究室に行って、教授や他の学生たちと最低限の会話をして過ごす。

バイトも大体おんなじ感じ。

帰って、布団に籠って、アカウント作らない範囲で閲覧できる、夢に出てきたようなひとたちのSNSを眺めてる。

自粛自粛の世の中になって、人と会えないって嘆くひとが多いらしい。SNSでも何人か言ってた。

それまでは、みんな友達と遊べて精神衛生保てていて羨ましいな~とか思ってた。

友達付き合いって楽しいことだけじゃないのかもしれないけど、想像しかできないからわからない)

だけど、コロナ禍になって、自分相対的幸せになれたと思ってた。

友達に会えなくてそんなに弱るなんて、って憐れんでるつもりだった。

でも、会えなくてもオンライン飲みとか、オンラインで遊べるゲームとかたくさんあるわけで、みんななんだかんだ繋がりをもって生きてる(これもSNS覗いて知った)。勿論、対面で交流してるひとたちもいるし。

用事がなくてもLINEとかで会話してるらしい。どうやって始まるの、その会話。

やっぱり羨ましいし、今までの人付き合いについて後悔も拭い切れない。

でも、漠然と至らなかった点は思い浮かぶけど、具体的に何をすればよかったのかは考えてない。


書いてたら、また諦めがついてきた気もするけど、そう思いつつまた同じ夢をみるのかなあ。

2021-01-19

コロナより人の悪意が怖い

ただの風邪からなんの対策もしなくていいとまでは言わないけど、自分でできる感染対策をしながら外に出る、という方に傾いている。 1年、自分なりに出てきた数字とか見て、ここまで色んなもの犠牲にしてまでやんなきゃなんないかな、正直もうゼロにしようウイルス自体日本からくそうなんてのはどだい無理なんだし、命のほうが大事だろって言うけどその命だってコロナだけじゃなく経済が止まりゃ失う人も自ら落とす人も増えるだろうし、後から取り戻せばいいって言われたって潰れた店は返ってこないし取り戻すのにどんだけの時間がかかるんだろう、もうちょっとバランスとれないもんかな、とはずっと思ってる。

正常性バイアスなのかもしれない。周りにかかって酷かった人はいないけど、解雇されて必死転職した人とか収入が減ったとかお店がやばいとかストレスうつ気味だとかの話はいくらでも聞くし、言ってもデータの上では致死率の特に低い世代だし。

 

もちろん対応に追われている医療従事者や保健所の人には感謝もあるし給料とかだけでもなんとか上げれないんだろうかって気持ちはある、ゼロにしようとかじゃなくてキャパ限界からいったん減らしてくれってのもわかる。でもじゃあ、感染症が冬に増えるのも冬に人が亡くなりやすいのも分かってる話だし、検査拡充するなら数が出るのも当たり前だから対応できる数だってやすべきだったし、人の出入りを一旦減らすだけが問題か?まだそういうフェーズか?ワクチンできれば全部解決、なんてあんのかな、絶対かかんないもんでもないんだし、ワクチンのもしかしたらの危険性とコロナ危険性、自分の中で天秤にかけたら喜んで手を上げて打つの無理かもしれない。そもそも行き渡らせようとしたら時間がまだかかるだろうな、だったら長期的に見てずっと我慢は無理じゃないか

保障がとか給付金(考えてないらしいな、おつかれ)がとか言うと乞食だのそんなの無くても自分で考えろと言うやつもいるが、漠然とした不安に対して公的機関が与えられるのも与えるべきなのもちゃんとした説明決断と金銭くらいだと思うのでそれくらいは欲しいだろ。多分、影響を受けてない層が想像していないくらギリギリの人だっている。まぁ公的機関の人たちも、どんな決断でも批判はあるだろうし大変だろうな。

 

専門性もない一個人が考えてても唸るばっかりで状況が好転するわけでもないし普段周りとそんな話もしたくない。でも情報がないのも怖いし嫌でも入ってくるし、考えを停止したまま要請に従うのも無視するのも気分が悪い。結局何が一番しんどくなるって、何が言いたかたかって、人の悪意みたいなもんがしんどいコロナに限った話じゃなくて、今回で露呈したってだけなんだけど。

 

 

SNSのぞいたって当たり前みたいに自己責任論や差別蔓延してる。ニュースでも営業している飲食店感染者の出た学校に苦情の電話が来た、張り紙をされたなんてやってる。都会はどうかわかんないけど田舎なんて未だに元々排他的から、それこそ県内感染者が自殺した町を追われた職を失った、なんて何度も聞いたし(噂レベルだけど)、昨日出たのがどこの誰かも一瞬で回ってくる。高齢者が多いから命に直結するかもしれないって不安なのはあるだろうけど、にしたって赤の他人攻撃していい訳はないんだよな。それも、心や命や生活を脅かされるほど。

みんなで協力して頑張りましょう、暗に、協力しないやつを吊し上げましょう、みたいな雰囲気もこうしないから罰が当たったみたいなのも嫌な学生時代みたいで気味悪くなってくる。危険だとも思う、根拠のない、絶対のない努力はいくらやっても結果にならないこともあるって理解してないと。もし我慢してたのに感染した側になったとき、何かを責めないといられなくなりそう。

 

一番怖いのは、例えばこの騒ぎが収まったとき、全部“コロナ犠牲になった”ってことにされるんじゃないかってことだ。

いらない差別暴力で職を失ったり生活をめちゃくちゃにされた人は、精神を病んで自殺した人は、閉じなければならなくなったお店は、けしてコロナのせいではなくて明らかに“人の悪意”によってそうなってしまったのに、コロナの騒ぎに巻き込まれた、可哀想に、って、それこそウイルスなんかより加害者になってたかもしれない人に言われて風化していくかもしれない、そんで似たようなことがある度また繰り返されるのかもしれないことを思うと最悪な気持ちになる。

なんだって数が多く見えるだけで一部の人なんだろうけどな。

少しでもそっち側になりたくないって気持ち自分の考えに影響しているのかもしれない。なんにせよ、もうそろそろしんどいから、早く騒ぎが収まってほしい。

俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なものに勝てない話(追記

こうやってわざわざ文章に取り上げている時点で自分の負けをさらに引き寄せるようなものだと思うんだけど、こりゃあ敵わねえな、と思ったから書いておく。

いま話題のプペルじゃなくって、西野氏がある大学卒業式講演に来たときの話。俺も現場ではもちろん、動画を視聴したわけでもないんだけど、twitterキャプチャで見たのね。

それで、たぶん最初に登壇したとき学生たちの反応が、そこまで芳しくなかったんでしょう。西野氏がこんなことを言う(経緯は俺の推測です。念のため)。

「みなさんには二つの選択肢がある」

「今みたいなバラバラ拍手西野を迎え入れるのか、それとも全員立ち上がって、西野あらためて迎え入れるのか」

「僕自身はどっちでもいいんです」

ってやつです。

俺はこの画像を見たとき、これは敵わねえな、と思ったよ。というか、なんだろうな、この世界で「西野氏的なもの」にしてやられないように、こいつを回避し続けるのは、相当至難の業だな、と思った。

「どっちでもいいんです」と言いつつ、西野氏の希望は当然、万雷の拍手でみんなが自分を迎え入れてくれることなんだけど、西野氏はたぶん、仕切り直すことで学生たちが自身を全霊で歓迎してくれることを確信していたと思うんだ。なんでかというと、それは別に西野氏がスーパー人物からでも、彼へのはちきれそうな期待を学生たちから感じたからでもなくて、むしろ反対に、学生たちにとって西野氏なんて、特に興味もない、当初はそれこそどっちでもいい相手だったからで、西野氏もそれをよく理解していたからだと思うんだ。

たぶん、学生たちにとって西野氏なんてマジでどうでもよかった。だから最初登場してくる西野氏に拍手していたときも、自分がどんなテンションで手を叩いてるかなんて意識しないで、漠然と手を叩いていただろう。「空っぽ」だったんだ。

それが、登壇した直後の西野氏のひと言で、まず自分たちに思わぬ選択肢が与えられていることに気付かされた。西野氏をもっと歓迎してあらためて迎えるかどうか、という選択肢だ。

そして、みんなで一体になって西野氏を歓迎した方が、どっちかと言えば雰囲気的にハッピーだな、ということを、ここではじめて「想像させられた」。

悪い言い方をすれば、それまでがらんどうのまま椅子ぼんやり座ってたところに、気持ちの部分で血肉が入ったんだ。

俺はその後のことを知らないけど(動画を観たくないから)、たぶん、二度目は割れんばかりの喝采で迎え入れられたんだろう。まるで魔法のように大勢の人を操ってみせた話だけど、こんなの良くも悪くも人間を冷静に観察し続け、相手をナメてかかることができる人物なら手のひらの上の話だ。たぶん、西野氏にしてみれば楽勝だっただろう。

「どっちでもいいんです」という登壇直後の発言も上手い。これが例えば、自分から拍手を強いるような言動があれば、学生の方にも抵抗感がある。歓迎するかどうか、あくま学生の側に選ばせることで、かつ、自分たちでこの場をハッピー雰囲気で満たすことができると想像させた時点で、西野氏の勝ち確だったのだ。

そこには「ほとんどの人間は通常何も考えないで生きているし、何にも興味を持たずに生きている。だからこそ、自分たちが主役として何かを選び、決定することができる機会を与えられたとき自分たちこそこの場を盛り上げられると確信したとき、その魅力から逃れられない」という冷静な人間観がある。これは敵わねえよ。俺もその場にいたら拍手してると思う。きっとね。

そういう西野氏が『えんとつ町のプペル』をひっさげてエンターテインメント業界数字を出せるか…はまた別の話なんだけど、それは西野氏が卒業式で見せたような手法が通じないからじゃなくて、反対に、エンターテインメント世界こそ、西野氏的な方法跋扈する世界からだと思うんだ。西野氏の特異性って、そういう技法を非演芸的な空間一般ピーポーに容赦なく使用したところにあるんであって、業界としてはありふれた手法人間観だと思うんだよな。

こういっちゃなんだけど、どの作品ブームを仕掛けるのも、「人間ってやつは99%空っぽで、何も考えていなくて、でも自分には特別な見識や機会が与えられていると信じていて、自分で何かを決めることができるという幻想があって、人生を楽しむ権利があると思い込んでいて、できればそれを周りの人たちと共有できたら最高!」的な人間観で消費者を見てないと、市場になんて参戦できないんじゃねえかな。

具体的な作品名とブーム出したら不快にさせるだけだろうけど、例えば『ジョーカー』みたいなダークで暴力的作品も、文芸的な邦画作品も、屈折はしてるけど、結局はそういう手法で仕掛けられてると思うんだ。俺には『えんとつ町のプペル』をめぐるプロモーションと、他のエンターテインメントの仕掛け方の本質的な違いって正直わかんねえんだよな。

もちろん、作品としての評価は別かもしれない。でも、俺たちが感じるような「ああ、いい作品だった!」「うーん、クソだった!」が、はたして、俺たちを無意識にがんじがらめる商業的な網から、いったいどこまで自由なもんだろうな? って気もする。

商業的なアプローチから自由って話のひとつの余談として、俺が浪人とき、気まぐれで古本屋に入ったことがあった。11月ぐらいのことだ。街も全体的に灰色だったし、俺の心も灰色だった。俺はこの受験に失敗したら死のうかな、と思っていた。

たまたまカフカの『審判』という本が目に入った。新潮版だ。レア(たぶん)。

俺はカフカなんて『変身』しか知らなかったので、興味と呼ぶにも希薄感情のまま、本当にたまたま、それをレジに持ってった。200円ぐらいだったと思う。

審判』は俺の人生を完全に変えた。どちらかと言うと悪い方にだけど、とにかく、他のどんな作品とどんなかたちで出会ってもあり得ないくらい、深く俺をゆさぶった。

あれこそ、商業の魔の手から完全に自由体験だった。そして、ああい運命と呼べる体験しか、人と作品出会いは本当には成立しねえんじゃねえかな…というのはロマンチックすぎるかもしれないけど、俺は割と本気でそう思ってる。

ところで、あのとき審判』を手に取る代わりに、西野氏のオンラインサロンに参加していたらどうなっただろう?

それでも俺の人生はきっと「完全に変わった」だろうな、と思う。むしろ審判』で三日間くらい飯の味がしなくなるような体験よりよっぽどハッピーだろう。

結局、そんなもんなんだ。キングコング西野氏的なものはこの世界の至るところに、程度の差こそあるけどあふれているし、おおよそ感動はオンラインサロンの充実感で代替される。だから、俺たちはたぶん、キングコング西野氏的なもの永遠に勝てないだろうと思う。

追記

トラバで、「『審判』のくだりでお前が言ってる、商業的に自由っていうのは、仕掛けられたマーケティング接点では無い出会いだった(古本屋の偶然)という意味か、『審判』の中身・題材に関連したことか?」という質問をいただいて、これは前者のつもりで書きました。

ただ、カフカという作家についても、おそらく、「再発見された天才カフカ」「俺たちの代弁者カフカ」「いま、イケてるやつはカフカを読む! カフカで他のみんなと差をつけちゃえ!」的なかたちで仕掛けられたムーブメントがきっとあだたんだと思います

審判』もきっと、その延長上で古本屋の棚に並んでいたわけで、そう考えると消費者小馬鹿にしつつも心理の隙間に入ってこようとする商業ってやつからは、千切っても千切っても完全に自由にはなれないのかな、と思いました。

ところで、上記の「『審判』の中身・題材に関連したこと」という部分で思いついたことがあるので、それを付記しておきます

審判』のネタバレになること、作品解釈あくまで俺によることをことわっておくのですが、『審判』は、「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という話です。

カフカにはたぶん、いわゆる「自分探し」を揶揄するつもりはまったくなかったことをふまえて考察するんですが、物語の冒頭でなんの脈絡もなく訴えられた結果(罪状も明かされない)、

自分はこれまで、どんな善行(悪行)を重ねてきたか

自分の将来にはどんな可能性が残されているか

そもそも自分とはこの社会世界)において何者か」

を考え、自分無罪を信じぬいた結果、得体の知れない訴訟にハマりこんでいき、破綻する話です。

自分を「信じ抜いた」結果、破滅を迎える。俺が増田に『審判』の話を書いたのは本当にたまたまですが、『プペル』のキャッチコピーを考えたとき、ああ、この対比は面白いな、と思いました。

で、この面白いという感覚には続きがあります

俺は上で、あえて「自分探し」という表現しました。なんでかというと、こう思ったからです。

審判』の「自分という存在について徹底的に考え続けた者は、必ず破滅する」という一つの解釈について、次のように補足・換言してみる。

自分という存在(の可能性)について徹底的に考え続けた(諦めなかった)者は、(社会的に)必ず破滅する(≒冷遇される)」

…こうしてみると、この増田でも話題にしてきた別の「作品」が見えてこねえか? ということです。

俺は何十回でも強調するつもりなんだけど、俺は『審判』と『プペル』を同列に見ているわけではなくて(『プペル』も別に、読み終わった後しばらく飯の味がわからなくなるくらい衝撃だった、って言われたくはないだろうし)、ただ、この辺ってけっこう曖昧で危ういんじゃねえか、ということです。

自己」「孤立」「理解不能なマジョリティ」「困難な戦い」、こういった要素を含む物語は、例え真逆メッセージを送っていたとしても、じゃあ全然違う別モンだぜ、と胸を張って主張できるかと言うと、「いや、うん、全然違うよ、違うんだけど…ちょっと小一時間整理させてくんねえか」というところがある気がして、それが面白いな、と思いました。

強いて言えば、俺は子供に『審判』は絶対読ませたくないし、『プペル』は別にいいんじゃねえの、という感じです。

それは、『審判』が俺にとってスペシャルなのと、あと単に理解できても暗い気持ちになるからで、自分の子供がそんなんなったらイヤだからです。

2021-01-18

anond:20210116205156

保育士待遇問題を見聞きするたびに、定められた保育料とは別に保育園独自収益を確保できる仕組みを構築できないのかと以前から考えている。

例えば、保育園場所(スペース)を貸して、夕方~夜まで習い事教室を開催できないのだろうか。

東京習い事教室は、平日の午後に実施している教室も多いが、恐らくターゲット幼稚園児向けだろう。

保育園児の場合には、土日の習い事しか選択肢がなくなるため、少ない選択肢の中から選ぶことになり、親も土日が潰れることになる。

もし、平日17時~18時まで保育園習い事が開催されていたら、保育料とは別に月謝を払ってでも通わせたいと考える家庭は少なくないのではないだろうか。

習い事教室保育園の移動距離ゼロであるということは、親にとっては付き添いの負担がない上に大きな安心感もあり、他の習い事教室にはないメリットがある。

ダンス教室でも、英語教室でも、リトミックでも、保育園のスペース・用具があれば一通り何でもできるはずである

保育園は保育をする場で教育をする場でない云々は、提携しているだけならいいのではないだろうか?)

それから子供保育園に通わせていると不便に感じることは多々あるが、それらの不便さを顧客ニーズとして捉えた場合、不便さを解消する代わりに保護者からお金徴収してもいいように思う。

一例を挙げると、手書きの連絡帳をデジタル化して、報告内容は子供写真とそれに一言添えるような形式にすれば、保護者保育士負担は減るのではないだろうか。

そのシステム費用を各家庭に負担させれば、保育士負担は減りつつ、保育園収益を確保できると思うのである

手書きがいい保護者システム料が払えない家庭は、従来通りでいい)

また、以前に男性保育士女児オムツ交換をして欲しくないという保護者一定数いるということが話題になったが、その問題もそういうニーズがあるならオプション化してお金を取ればいいと思う。


そのようなことを考えていくと、保育園収益改善する方法はまだまだあり、保育士待遇改善ができる余地は大いにあるような気がするのである

恐らくは、法的な縛りなどがあり実際にそれらを実現させるのは難しいのであろうが、保育士待遇改善させるには、保育園経営改善必要であり、そのために厚生労働省が主導になって助成金ありきの経営ではない新しい保育園経営モデルの道を示すことが求められるのではないかと、門外漢ながらに漠然と考えている。

いい年こいて、だっこされたい

いい年こいて、だっこされたい


一番ナイスなのは、こう、私が横向きに寝て、んで背中から優しく包んでもらう感じ そしてただそのまま、それだけが悠久に続く 良いな~

いつもそればかり考えている 自分キモいと思いつつも、どうすることもできない

私は今大学生で、同学年にお付き合いしている男性がいる お互い就活中の身分である

その男性は地元への熱い使命感に燃えそちらで就職(そのために帰省中)、私は自らの上昇志向に振り回され東京での就職検討している

大きな不安がある だっこの問題である

大事である 物理距離 どうする 耐えられない

大学生活はほとんど甘え散らかしていた 日々だっこ祭りである

表向きまずまずで、勉学はまあ、そこそこ、体育会系部活で主戦力張るなどしてクールにキめてきたつもりだ が、中身はだっこがないと死んでしまウサギチャンであった

私の外面を支えていたのは、言うまでもなく、だっこだった (ま、パッとしない大学なんすけどね)

これからはもう、だっこしてくれる人がいないのである 困った 飼育放棄されたウサギチャンみたいになっちゃっている

だって寂しさでトチ狂っちゃっているのにこれから就職すれば当然離れて暮らすんだよな、 直視できない、漠然とした絶望

毎日うわ~ん寂しいよう寂しいようとひとりで泣いている 最悪である やっぱりキモい


多分誰彼かまわずだっこしてくださいみたいなのを頼み込んでまわればしてもらえるんだろうな、でもそれは違うとわかる

こうみえても事情があって自分には夜職の経験があるので、人の持ち合わせる欲望というか、下心というか(しょうがないので責めるつもりはない)、そういったものに当てられて若干スレちゃっている節がある

根幹的な弱みを見せればつけあがられるという経験則も得た


そんなこんなで私は傲慢にも人を選ばさせていただく。強欲だな。でもみんなそんなもんだよね。

お付き合いしている男性は、紆余曲折を乗り越えた関係性、財産、言わば私が育てた専属だっこマイスターである ここは当然譲れない



困った…

だっこを強く熱望し、だっこ不足で精神を崩す機能不全の成人女性 完全にモンスターだ これって依存!?そんなの弱者のすること…!


そして最悪なことは重なるもので、それが就職活動をするのである

今は履歴書で、3月から面接で、自分は有能ですよもらってくださいよと吹いて回る 嘘でしょ 冗談じゃないよ

こんなサイズだけでかくなった赤ちゃん、どこが拾ってくれるんだよ

社会のみなさんごめんなさい、甘ったれカス女です、みたいな気持ちを抱えたままプロの人事の面接を捌けるわけがない

だっこが足りないことへの不安就活不安ダブルパンチで襲う


自分の弱さダメさに耐えかねて、ああこれ私おかしいのかな、病気かな、そう思って " だっこされたい 大人" とか調べたりする

そうすると、家庭環境がツラい方とか、両親から愛情がもらえなかったためにそういった状況に陥ってしまった方のエピソードをたくさん目にする マジで涙なしには見られない

凄絶すぎる オイオイ、みんな頑張りすぎだぜ


かくいう私は、全くそんなことはない

普通一般家庭に育ち 父も母もいて、年の離れたかわいい妹がいて、習い事を受けさせてもらったり、私立大学にまで行かせてもらったりして、まあ愛情たっぷりで育っている 無問題 というかパーフェクトに近いんじゃないの。余計に申し訳ないです 愛情をお返ししていく立場ですよ



どうしうよう 頑張っている世間のみなさんに顔向けができない

そんなに愛情もらっておいてまだ甘えるんですか?ちょっと情けなくないですか?おこがましいです ズルいですね

検索結果にすら、遠回しに怒られている気がする



明日も(もう今日や)朝から就職活動です 今年は感染症のこともあって余計に厳しい つらいな

就職活動って今、自己分析みたいなのが流行りなんですよ 自らと修行僧がごとく毎日毎日向き合って、結果自分はクソだというところに毎回毎回行き着く。


だっこか。本当にだっこが原因なのかな。こんなに弱いならばどこかに欠陥があんじゃないの。だっこがあったって、いつかどこかでぶっ壊れるんじゃないの。いつか誰でも、どうでも良くなっちゃうんじゃないの。そういうことばかり考えて気が滅入る。


みんなはだっこなくても生きていけるんですよね、多分。なんか思考のコツとかあるんですか?もういっそ猫ちゃんなっちゃいたいな。撫でられて過ごす。

風もいい。風になってみんなの髪を撫でてまわり、透明な気持ちでだっこします。それがいちばんいいんですけどね。

2021-01-17

エンドロールのその先

自分の整理のために記録として書いています

長いし、読む価値は無いので、読んでからガッカリしたとしても自己責任でお願いします。




子供の頃からなんとなく漠然と、自分人生は二十歳で終わると思っていた。

高校受験学校見学で魅力的な学校を見つけ、どうしても入りたくて、頑張った。

憧れた高校入学して、そのあと何をしたらいいのか分からなくなった。

受験が、入学が、私のゴールだった。

高校生活は何をすればいいのかわからなくて、とりあえず「それっぽい」ことをして終わった。

憧れた高校生活は、ほとんど何もせず、ただ好きな制服を着て、かっこいい校舎を彷徨くだけだった。

それで満足していたし、それ以上はなかった。

大学は行きたくなかった。

やりたい事はほぼなくて、勉強もできないし、将来の目標も無いから、行く意味が分からなかった。

小学生の頃の昼休み友達に「絵が上手いか漫画家になればいいじゃん」と言われた。

その時からなんとなく漠然と、自分漫画家になるんだ、と思っていたし、漫画家になるなら専門学校の方がいいと思っていた。

あとは、当時見た3D映画がかっこよくて、そういうのを作る人になりたいと漠然と思って、そういう専門学校も考えていた。

結局、絶対大学じゃなきゃダメだという両親に説得され、漫画3Dも学べる大学に入った。

入学から半年後、学部全体説明会で、学長に言われた。

「お前ら今すぐ全員大学辞めて専門学校行け」

新設の学部だったし、入試説明会や案内には、漫画アニメ…それこそ専門学校のようなラインナップが書かれていて、親が許さず専門学校ではなくこちらにきた、という人が私以外にも大勢いた。8割はそうだったと思う。

実際、入学前に散々確認した3Dモデリングに関する知識のある講師は、入学後には存在しなかった。

かろうじて漫画講義はあったが、ただのオタクおじさんが自分ロリ趣味を語って聞かせるだけで、そこに学べるもの(例えば、そのロリの魅力、なぜいいのか、どういうところがファンの心を掴むポイントなのか、などを話されればまだしも、ただ「かわいい」としか話されなかった)は無かった。

これは、このままここにいても意味がない。このままじゃ無駄時間を過ごしすぎる。

だって私の人生はあと数年で終わってしまうのだから

二十歳まで残り2年、アルバイトを頑張って、大学在学中に夜間の漫画専門学校に通った。

ぶっちゃけ漫画専門学校に通わなくても描ける。

それでも学校に行ったのは、私自身がそうしないと一作も描けない人間だったからだ。

まり、この時点で気づくべきだった。

私に漫画は向いてない。

専門学校では初めこそ有意義時間を過ごせた。

話の組み立て方、起承転結コマ割り…

授業は週一、1年間。必死で稼いだバイト代ほとんどを注ぎ込んだ。最大限に有効活用して作品作りに役立てようと息巻いていた。

入学特典として、時間外でも個別相談作品を見てもらえたので、入学2ヶ月後、早速初めてのネームを見てもらった。

ストーリーも何もかもボロボロで、とても酷いネームだったと思う。

それでも、丁寧に指導してもらえて、学ぶことがたくさんあって嬉しかった。

教えてもらった事を活かすために、早速新しいものを描いて、2週間後にまた持っていった。

あなたネームは長いし、見るのに時間がかかるからなぁ。僕、家が郊外で遠いし、嫁が家で待ってるから

今思うと、先生だってそりゃ家庭があるし、仕方ない話だ。

それ以来、週一の授業も休みがちになり、半年をこえた頃には専門学校は行かなくなった。

自分でなんとかしなきゃ。

とにかく、まずは一作。

そうして、専門学校卒業前に1人で作品を完成させ、初めての持ち込みに行った。

せっかく描いたし、なるべくたくさんの意見を聞いて次に活かしたい。

5個の編集部に持ち込みに行った。

うち2箇所で、二度と漫画を描くなと言われた。

そんなバカな、誇張が過ぎると思うでしょ?一箇所はあくまでやんわり、自分担当作家と私との違いを長々と話した上で、向いてないと思うと言われた。

もう一箇所は誇張無しでハッキリと、「二度と描くな」だった。

そりゃ、最初から傑作が描けるとは思わなかった。

まして、今回は誰にも見せてなかった。ダメ出しも覚悟の上だ。

でも、2度目を描くことも許されないとは思わなかった。

帰り道の足取りは重かった。

初めての単身上京、知らない街。

憧れた新宿から半蔵門まで歩いた。

足を止めたら消えてなくなる気がしたから。

そんな作品だが、一応残りの2箇所では名刺をもらった。

うち一つは、みんなの憧れで厳しいと言われる場所で、なんならそここそ絶対無理だと思っていた場所だ。持ち込み予約の電話時点で扱いが悪かったし、当日も約束時間に行って、30分待たされて、待ってる間他の人が酷評されているのが聞こえて、怖くて途中で帰ろうかと思っていた。

でも、そこの編集者が1番優しくて、また見せてほしいと言われた。

社交辞令かもしれなかったけど、それが嬉しかった。

でも結局、編集部名前が凄すぎて恐れ多いし、なにより田舎者自分はそう簡単に持ち込みに行けないので、もう1箇所の名刺をくれた人にネームを送るようになった。

結果から話すと、うまく行かなかった。

私の実力と、担当さんの期待値が合わなかった。

その頃には大学卒業の年になり、最後の思い出のつもりで卒業制作を別の編集部投稿した。

ついでに、同じ雑誌イラスト賞にも応募した。

持ち込みの時にも行った編集部だが、持ち込みの反応はかなり悪かったし、きっと今回もダメだと思っていたが、卒業旅行中の魚市場で受賞の連絡を貰った。

カニを見ながら泣いた。嬉しかった。

漠然と、自分漫画家になる、と思っていたから、就活はしていなかった。

元々していたアルバイトフルタイムにして、漫画を描いていた。

しかバイトハードすぎて漫画を描く時間はなかった。休憩時間事務所トーン貼りしたりしてた。

鬱になった。

正確には鬱になったのは卒業制作中、同じゼミの子と比べられるプレッシャー作品ができない焦り、バイトの繁忙期が重なってパンクした。

ある日突然、プツンと何かが切れるような感覚があって、それ以降、目の前で話しかけられても、音声として認識できても言葉として理解できなかった。

話を聞いているのに、聞き取れない。理解できない。

当時の店長相談して、接客から裏方作業に切り替えてなんとか過ごしていたが、色々あって結局辞めた。

元々2年で辞めるつもりだったし、漫画バイトもうまく行かなくて、就活を考えた。2年以内ならまだ第二新卒枠がある。

何社か受けて、履歴書を見て笑われたこともあった。

それでも雇ってくれるという会社があった。絵を描ける技術を買ってくれて、新しく雇用形態も増やして、漫画の夢を追いながらうちで働けるようにサポートしてくれる、と。

すごく嬉しかったが、断った。

私は、言葉呪いが効きやすタイプだ。

そして特に、親の言葉は。

雇ってくれるという会社は、夜の街に近かったし、それに隣接するお店も取引先になっていた。

両親はそれが心配だったらしい。

「周りの人に、そんなとこで働いてるって言えるの?」

私は働いた事がないから分からないけど、親が言うならそうなのかも、と思ってしまって、断った。

今思えば、あの時あの会社で働いていたのが、1番幸せ分岐だったのかもしれない。

面接をしては落ち、を繰り返している間にふと、どうせ働くなら漫画に近い場所の方がいいのでは?と、アシスタント先を探すことにした。

当時はまだアナログが主流で、どこも都内で通いの募集ばかり。田舎者自分には不可能だった。

そんななか、本当に偶然、地元募集を見つけた。

から自転車で行ける場所、未経験者可、自分にとっては最高の条件。

早速応募して、面接

そこで初めて、現役の漫画家さんと話した。

採用になり、週に四日、6時間勤務。

作家さんの仕事場はフルデジで、ワンルーム作家さんと私用のPCと液タブが、それぞれ壁を向いて設置されていた。他は何も無い。

お互いにコミュ障で、会話はあまり弾まなかった。それでも、ネームを見てもらったり、トーンの貼り方をなんとなく教わったりした(基本的には「いい感じにして」の指示だったので、ほとんどは独学だった)。

その作家さんは漫画業界の闇に触れすぎて疲れていたので、ほとんど話し相手役割だったが(そもそも週刊と月刊の2本連載をほぼ1人で描く狂人だった)、私にとっては貴重な話がたくさん聞けた。

あと、その話を聞いてて、「漫画家なんてなるもんじゃないのかもしれないな」、とも思った。(作家さんが毎日のように辞めたいと言っていたから。そもそも異常な執筆量を1人でこなしてたし、そりゃ辞めたくもなるわな、と今は思う。)

そこで1年半すごし、作家さんの連載の終了と共に辞めた。

その頃は、何度か原稿を送って、1番小さい賞を何度か取っていた。しか担当さんとはうまくいかないし、原稿送っても「悪くは無いけどよくもない」しか言われず、何をどうしていいかからない状態だった。

そしてふと、自分は今まで一度も漫画を楽しく描いた事がないことに気づいた。

展開が、目線誘導が、読者の盛り上がりが…

初めて描いた時から、そんな事を気にしてばかりで、自分自身が楽しく漫画を描いたことがなかった。

アシスタントも無くなり、名実ともに無職になり、再度就活を始めた。

相変わらず履歴書を笑われて、嘘つきな採用担当意味不明な事を言われながら、最後自分の好きなものを描いてみようと思った。

何を描いても、誰にも何も言われない。

好きなように、楽しく。

結果的にやっぱり「読者の目が〜」とか「起承転結が〜」とかを気にしてしまい、完全には楽しくなかったけど、それでも、今までで1番気楽に描けた。

せっかく描いたし、SNSにあげてみた。

今まで私の漫画学校先生と、編集部の人くらいしかたことがないし、反応をもらえた事はない。

いいねが1万件ついた。

びっくりした。

たった一晩で想像もしない人数が見てくれた。感想コメントもいっぱいついた。

しかった。

それから就職が決まるまでの間…と、少しずつ好きな作品を描いた。

編集部酷評だったけど、SNSコメントは優しかった。

これで漫画最後にしようと思っていたのに、やっぱり描きたくなった。

SNSにあげた漫画を、編集部に送ってみた。

ジャンルが違うので、今までのところではなく新しい編集部だ。

ほとんど返事はなかったが、1箇所だけ返ってきた。

そしてそこで、いきなり連載になった。

今までもらった事ない反応が続いて、ある種のハイ状態だった事もあり、その連載もうまくやれる気がしていた。

電子のみの連載だったが、書籍化もできる自信がなぜかあった。

そして実際単行本も出した。

これだけ聞くと、SNSで人気出て連載、書籍化、すごく順調っぽい。

当時の自分もそう思っていた。

でも実際は違う。

話数が増えて、人気もちょっとずつ出て、物語ちょっと複雑な内容を追加した。

すると担当から言われた。

エロがあればいいから、余計な事はしないで」

私が描いていたのは、エロ系の漫画だった。

とはいえ、ただエロシーンが続くだけでは読者も飽きるし面白くない。何より話が続けられない。

そして元々少年漫画が描きたかった私は、エロだけを描くのは本意では無い。

今までは「いつか人気が出れば複雑な話も描けるから」と言われて頑張っていたが、その「いつか」が来ない。

担当にはっきりと、「絵がそこそこ描ければ話なんてどうでもいいから」と言われ、自分から打ち切りを申し出た。

今でも配信サイトコメント欄には続きを望む声が書かれていて、非常に申し訳ない。

描けなかった。

今度こそ、きちんと、話で勝負できるように。

単行本と、新作のネームを持って持ち込みに行った。

連載の経験もあるし、単行本も出てる。今までとは違う。採用にならなくても、作品を良くする話をしてもらえるはず。

「よくこれで本が出ましたね」

持っていったネーム単行本も、今までのどの持ち込みよりも酷い評価だった。

曲がりなりにも約2年、頑張って描いていたのはなんどったのか。

当たり前といえばそうかもしれない

過去に2社で連載をしたが、その二つ共が作品の打ち合わせはほぼ無かった。

一社に関しては一応ネームチェックがあり、エロの量だけ指示された。

もう一社に関しては、企画段階で一度だけ電話があり、メールの内容の復唱だけして終わった。以降は何を送っても「いいですね!」何も良くない。こっちが頑張って、相談しても特に取りあわれず、返事は全て「いいですね!」

1人で何度もネーム再考して、完成原稿を期日までに送る。

一応お金をもらっていたけど、やってる事はSNS投稿漫画と同じ。

商業作品の魅せ方のノウハウはもちろん無く、作品作りの才能がない自分には、自分だけの力で読者を惹きつける漫画を描くことはできなかった。

3度目の、「もう漫画やめよう」が来た。

悔しいけど、やっぱり自分には描けない。

でも、今日まで頑張った事を無駄にするのも惜しい。

また、「最後」と言う名目で、好きな漫画を描いて本にした。

作画配信したりしたおかげで、完成前から応援の声は多かった。

そして初めて、オリジナル同人誌完売した。

その漫画は、内容にアラは感じていたが、今までで1番楽しく描けた。

初めて感想差し入れもたくさんもらえた。

その作品を持って出張編集部に行って、そこでも2社声がかかった。

あの時がたぶん、私の漫画人生ピークだった。

その後、持ち込んだ漫画を元に読み切りを描き、運良く掲載

SNS時代ファンの皆様の応援もあり、連載化が決まった。

描けなかった。

私の中でイメージするキャラは持ち込みの時から変わっていない。けれど、いくらネームを描き直しても、担当さんからキャラブレ、別人になってるという指摘をされた。

だんだん自分でもそのキャラがどんな子なのかわからなくなった。

しばらく練り直して、やはり変わらなくて。

諦めて別の話を描くことにした。

そこからは真っ暗闇だった。

どんな話を描いても、中身が全部同じと言われる。

当然だ。「好きなもの」を描いてるから

下手に考えるより、自分の好きなものを好きなように描いて、それを膨らませる。

そう言う方法で描いた方がうまくいくタイプなのは自覚していたから、そのように描いていたつもりだ。

結局実力も追いついていなかったし、描きたいものも分からなくなってダメだった。

そんな事が2年近く続いた。

別の編集部の人に、考えている途中のネームを見せたこともある。

足りないのは実力じゃなくて話の一番の見せ所だ。あとちょっとでうまくいきそうだし是非頑張って。

それは、私が初めての持ち込みの時からずっと言われている事だった。

初持ち込みから10年。

結局自分は、10年経っても何も変わらなかった。

そろそろ30になる。

二十歳で死ぬと思っていたのに、10年もロスタイムを生きてしまった。

友達は1人もいない。比喩表現ではなく、本当に誰もいない。

小学時代、一番仲が良かった子に、ある日突然いじめられた。

一番仲がいいと自分では思ってたし、昨日まで仲良く遊んでたのに。

転校して、中学時代もそうだった。

突然クラス男子からいじめに遭い、それを一番仲が良い友達相談していた。

男子を使ったいじめの首謀者がその子だと気づいた時は目の前が真っ白になった。

「そう言う事するなら、あなたとはもう友達じゃいられない」

はっきりと意思表示をした。思い直してくれることに期待した。

別にいいし」

友達を作るのが怖くなった。

どんなに仲良くなっても、弱みを握られるだけだ。

お陰で高校の2年間はクラスで1人で過ごした。

ある程度損得が考えられる生徒が多かったから、いじめにはならなかった。

触れてはいけない、祟り神みたいな扱いだった。

3年でようやくできた友達は、卒業と同時に「私たち高校の間だけの友達じゃん」と言われた。

友達って難しいな。

中学時代、好きな男の子にはペットボトルを投げられた。

親には言えなかった。

高校時代、好きな子相談を親にした事があった。

友達に言うとまたいじめられるかもしれない。親なら相談に乗ってもらえるだろう。

あんなこ辞めときな。大学生になったら彼氏できるから!」

大学時代バイトと専門、学部女子が圧倒的に多い。

そのまま卒業した。

「いつかいい人が現れるから

そう言われ続けて卒業した。

卒業した瞬間、「いつになったら彼氏できるの」に変わった。

友達の作り方も分からないのに、彼氏ができるわけない。

一応婚活とか街コンには何度か行った。

まずは友達が欲しかった。

何人か連絡先を交換して話したりした。

仲良くなった人もいる。

その頃の私はマニキュアを塗るのが楽しかった。

ちょうどアシスタントを始めた頃で、それまでバイトの都合で服装制限があったし、オシャレはほぼした事がなかった。

ネイルと言うにはお粗末だが、100均の安いマニキュアを買ってなんとなく色をつけて喜んでいた。

100均のマニキュアを使った事がある人なら分かると思うが、乾くのが早い代わりに、木工用ボンドみたいにペロッと剥がす事ができたりする。

オシャレに無頓着な私はそれが何となく楽しくて、塗った後しばらくたって剥がれたマニキュアをめくったりもしていた。

ある日、LINEのやりとりで仲良くなった1人に食事に誘われた。

趣味の話とかゲームとか、そう言う楽しい話をしていた、異性で初めてできた友達感覚だった。

自分の指先が、剥がし掛けのマニキュアボロボロなのを完全に忘れて食事に行った。

かい合った個室のテーブルで、その爪に気づいたその人に、「ネイルやってるの?見せて」と手を握られた。

そして、ボロボロの爪を見られた。

「オシャレだね」

怖くなった。

ボロボロハゲ公園遊具ペンキみたいな指先を綺麗と言ったのだ。

しかも、気持ち悪い笑顔を貼り付けて、視線は全く手を見ていなかった。

メガネの奥の瞳と視線があって、二度と会わないことを決めた。

男女でただの友達になれるのは大学まで、そのあと仲良くなれるのは下心のある人だけらしい。

それがたまらなく怖かった。

その後も何度か友達までの付き合いの人はいたが、例えばふとした瞬間肩を触られたり、手を握られたり。

そう言うのが怖くて続かなかった。

そのままもうすぐ30だ。

家を出る能力がないので実家暮らし毎日両親…特に母に怯えて生きている。

「家にいるんだから家事しなさい」「他の人は外に働きに出てるんだから

少ないながらに在宅でアシスタントはしている。

両親の中で、外に通勤していない、在宅労働は「仕事」ではないらしい。

本当は拘束時間が長い職場だが、家事があるため作家さんに頼んで短くしてもらっている。

当然、その分給料は減る。

給料が少ないから、その分早く自分原稿で稼げるために作品作りに励む。焦る。

それでもようやく希望が見えてきて、前向きに色々挑戦できそうになってきた。

真夜中に叩き起こされ、いつ結婚するのかと叱責された。

完全に寝ていたので、はじめ何を言われているのか分からなかった。

真っ暗な部屋の中で、Permalink | 記事への反応(1) | 16:44

2021-01-16

漠然とコミニュテーに入りたいと思う気持ち

別に何か共通話題があるわけじゃない。

みんな何であんな楽しそうに語り合えるんだろうと憧れがある。

でも、前が見えなくて何処の誰でも良いから救って欲しいと思う。

他人交流を深めたいって気持ちがあるけど、

その事を考えるだけでどっと疲れが出る。

独りに慣れてるんだろうか…

独りは心地よいのだけどぬるま湯に浸かっている状況が怖い。

田舎育ちだけど、10年くらいは東京生活してたときがある。

東京での生活は楽しかったし、友達も多く出来た(恋人はできなかった)ので、東京を離れるなんて事は、ほとんど考えた事もなかった。

このまま東京で一生暮らして行くんだろうな、と漠然と思っていた。

から家業を手伝う為に帰ってきてほしいと父親に言われたときは、本当に悩んだ。

というか嫌で嫌で仕方なかった。

しかし、あるとき急に気持ちが変わった。

それはお盆休み帰省したときだった。

新幹線を乗り間違え、途中の駅で本来新幹線が来るのを待っていたときだ。

なんとなく駅のホームから見える空を眺めていた。

真っ青な空と、その下に真緑の山並みが見えていた。

何てことはない風景だった。

それを見たとき「うわぁ、空が広い」と思った。

その気持ちが物凄く新鮮だった。

東京暮らしている人には、この「空が広い」という意味がわからない人もいるかもしれないけど、そこに見える空と山は本当に広く、新鮮に心に響いた。

東京ではこんなものは見れないな。

田舎に帰れば一生この風景の下で暮らす事になるんだな。

そう考えたとき自然と「それも悪くないな」と思えたのだ。

東京で暮らす事を当たり前だと思っていた気持ちが、一瞬にして切り替わった。

「憑き物が落ちる」という言葉があるが、まさにそういう事なんだろうと今になって思う。

それまでの自分は、東京という呪縛に囚われていたのだと思う。それが故郷風景を見た事で解けた。自然故郷に帰ろうと思えたのだ。

それから故郷へ帰り、10年以上暮らしている。

東京ではできなかった恋人ができ、結婚をした。田舎に暮らす事で不便に思う事もほとんどなく、むしろ東京では出来ない趣味や遊びもあり、それが楽しい

多分幸せに暮らせているのだと思う。

東京に住む事がマストのように語られる事も少なくないネット界隈だし、自分も元々は田舎で育った田舎者だからこそというのはあるのだと思うが、なんとなく今これを書いてみんなに読んでもらいたいと思いました。

2021-01-14

anond:20210114084501

うちは同世代だけど子供がいるし、年収差も勤務時間の差もほぼないかちょっと状況は違うんだけど、

最近相手家事したことに気付いたらそれを口に出して言うようになって、何となく前より良い気分で家事が出来てるよ。

「あ!食器洗ってくれたんだ!」「廊下掃除機をかけてくれたんだね」みたいな感じね。

食器以外が洗われていなくても、廊下以外は掃除機かけてなくても、とりあえず「やったこと」に注目して言う。

  

もともとは、子供を褒めるときに具体的に褒めましょう、というのを本で読んだからなんだけど。  

例えば子供が絵を描いたときに、「上手だね~」「頑張ったね~」みたいに漠然と褒めるより

「色んな色を使ったんだね」「この部分が特徴を捉えているね」と具体的な ”事実を述べる” 方が子供がのびのび育つ、という感じの内容ね。

子供にこれを実践していたら癖になってきて、「相手のやった事実」に言及する言葉が増えてきた気がする。

  

不思議なんだけど、口に出す方が「相手も色々してくれてるな」って思えるようになったし、

自分がいちいちそういうことを言うようになったら相手も言ってくれるようになった。

かいことも気付いたら全部言う。

食器洗ったならついでに鍋も洗っておいてよ、みたいに言われるよりポジティブ気持ち家事ができるよ。

分担はちゃんと決めていないけど、お互いに率先して家事育児もしてる。

奥さんにも通じるか分からないけど、もしよかったら試してみて。

2021-01-13

コロナほか、漠然と悩みを抱える状況から離れたいなら

FXをやれ。(やるな)

自分の金が自分制御できないところで益したり損したりする様は、漠然とした悩みなど考えていられないほどにストレスを与えてくれるぞ。

熱血教師の子

「これ以上負担をかけないでくれ。このままだと、父さんも母さんも過労死してしまう」

父親言葉が、今でも頭から離れない。

この日記はダラダラと長いだけの自分語りである

愚痴相手もいないので、せめてこの場を借り発散させてほしい。

私の両親は学校先生だった。常に多忙で、食事や看病など日々の世話は、祖父母にみてもらっていた。

冒頭の言葉を投げかけられたのは確か中学生の頃だ。父から説教は珍しいことではなかったが、〈過労死〉のインパクトは強かった。

私は日頃から親に負担をかけないよう、手のかからない良い子でいるよう努めていたつもりだった。部活で悩んでいた時も、学校いじめられた時も、愚痴だって全部我慢した。親に反抗するなんて以ての外だった。

その時の父はきっと大層イライラしていて、つい口走ってしまったのだろう。(母の名前も出たが、父が説教する時の主語は基本「父と母」である。母本人の意向無視していることも多い)

それでも私は真面目に考えた。何か気に障ることをしてしまったのか?家の手伝いが足りなかった?成績が少し下がったから?外出の誘いを断ったから?そんなちいさな不満の積み重ねが父の負担になった?

私の存在のもの負担なら、いっそ消えてしまったほうがいいのではないか?と、この頃から漠然と思うようになった。

ここでタイトルの話に入る。

父は授業や部活顧問のほか、生徒指導担当として、非行に走る生徒や素行不良、不登校の子サポートを行っていた。

そういう仕事なので熱血も何もないが、イメージが伝わりやすいと思い、少し大袈裟だが〈熱血教師〉という言葉を使わせてもらう。

父はよく生徒指導の話を私にしてくれた。

例えば、暴走族学校に入ってきたと思ったら、かつて指導した子が笑顔挨拶しにきたこと。

不登校生徒が夜になると、父とお喋りをしに職員室にやってくること。

大人になった元不良少年が、先生のおかげで更生できたと感謝手紙をくれたこと。

そんなことをいつも誇らしげに語っていた。

家庭に問題があったり、居場所がなくて道を外した子供たちの親代わりになって導いた、教育者として立派な仕事だと私も褒めそやした。

が、胸の内は複雑だった。

の子である私は、手を煩わせないようにいつも良い子でいるのに。甘えたくても「今疲れてるから」で後回しにされるのに。私が父の帰りを待っている間も、彼は問題児たちの世話をしているのだ。

他所の子供の面倒を見るのが教師仕事。それは理解している。家庭を優先的すると保護者からクレームがくる。だから仕方ない。学校行事に親が来ないことは当たり前だったが、それは気にならなかった。

でも、〈手のかかる子〉の話はどうしても耐えられなかった。

私の父親が、顔も知らない子供に取られてしまったようで、嫉妬のような恐怖のような感情を抱いた。父の仕事は立派だとは思う。けれど私の前ではその話はしないで欲しかった。

そんなに手のかかる子が好きなら、いっそ私も家出して消えてしまおうか。親はとても不安になり、血眼になって探してくれるだろうと、ふと魔が差したこともあったが、できなかった。

そんな自分勝手で親を過労死させたくなかったから。

その後も良い子を続けた私はそれなりの大学入学できたものの、今までストレスを堰き止めていたダム決壊したことにより、現在は鬱の寛解と再発を繰り返しながら社会の底を這いつくばっている。

私はとうとう〈手のかかる子〉になり、両親の不安の種となってしまった。

こうして文章を書きながら自分の弱さを省みる。厳しくも根気よく育て上げてくれた家族に対し、本当に申し訳ない限りだ。

未だに実家寄生を続ける私に、定年近くなった父はこう言った。

「我が子も満足に育てられなかった自分が、他の子供をちゃん教育できているか、もう自信がない」

私は何も答えられなかった。

2021-01-12

anond:20210111000145

Twitterの方から来ました。

しっかりと全部を読み込むだけの時間も取れず、この文章推敲するだけの時間が取れないことをご容赦いただき、まとまりのない文章ですが書かせてください。

まず私自身も忙しい中、リスポンスを起こそうと思ったのは、発信者の方への敬意からです。

これだけしっかりと自分の考えをまとめていること、素晴しいと思います

私もそれ程は年は変わりませんが、私自身が漠然自粛(=医療に協力)に協力している動機について説明させてください。

目に見える形での恩恵は感じられないのは事実だと思います

ただ我々は日々、目に見えない数々の恩恵を様々な人から受けています

日常生活で誰とも会わずに一人で生活している人ですら、コンビニ自分自身の欲しいものが買えるのは、コンビニ運営会社商品製造会社だけでなく、物流を支えている人達いるからです。

たこの世の中、若者高齢者が別々に分かれて生活しているわけではなく、そのような影で社会を支えている構成員には高齢者も多いです。

そして、そのような恩恵はなくなって初めて気が付くものがあまりに多いです。

また別の観点からですが、仮に今日本中で感染が拡大してほぼ全員が感染するような事態になったとしましょう。

そして、極端な例ですが、高齢者が全員死亡したとしましょう。

その場合、例えば、今の高度な医療を担っている医師は、経験のある比較高齢であることが多いと思いますが、そのような医師次世代若い医師技術継承することなく死亡した場合、今の若者高齢者になる数十年後の医療の質はどうなるでしょうか。

また、感染が拡大した場合田舎にも当然広がるわけであり、自分自身が帰省をしなかったからといって故郷にいる両親が感染しないことはなく、感染蔓延した状態では近所のスーパーカートから感染する可能性が飛躍的に高まります

恐らく、このようなことが私が思い付かないだけで、本当は数えきれない程あるんだと思います

ただ、このような想像したもの言及することは、政治家立場上難しいと思います

またちゃんとした御返し、というのも難しいと思います

そもそも自粛への協力の程度を評価する手段がありません。

それ故に一律の給付金が精一杯なのでしょう。

それも現状では一度しか行われていないのは理由は分かりませんが、こんな事態が想定されていない中、新規国家予算を組むにも色々と制約があるのかもしれません。

それから、一点だけ内容に直接的なコメントをさせていただきますと、民間病院は協力的でないのかの理由についての言及の部分です。

病院赤字回避しようとしていることと、個人的利益を追求することは、次元が違う問題であり、同じには議論できません。

病院赤字になってしまうと、従業員給料が払えなくなってしまう、また経営破綻してそれ以上医療継続してしまえなくなる可能性があります

(このあたり、医療法人故にうんぬんという細かい補足がありそうな気はしますが、大枠は違わないと思います

少なくても医療法人の場合、大幅な赤字にならずに安定した経営によって医療提供し続けることは世の中のためであり、一個人利益追求とは性質が異なります

またそれは営利企業にもあてはまり、よりよいサービス商品提供することによって世の中をよくしようという企業理念があるはずです。

消費者を騙して利益を巻き上げ、社員をこきつかって一部の経営陣が贅沢し放題、なんて企業漫画の中では多いですが、現実には極少数のはずです。

それから倫理観を使って責めてくる輩はいますが、それは放置でいいと思います

常識倫理相手押し付けてくる輩はあまりいい人はおりません。

相手利益のために、都合のいい価値観を使って、従わせようとしている場合が多いですから

自分自身の利益度外視して他人に尽せ、というのは間違っていると思います

一方で、自分自身の利益は、自分の周りにいる人が幸せであることにより生まれてくることが多いです。

自分の周りのいる人、というのは、家族や友人に限定した話ではなく、普段会う近所の人であったり、職場の人であったりするわけです。

そのような人を不幸にしないため、つまりその方々の身近にいる高齢者の方を失わせないためにも自分自身の少しくらいの不利益であれば受け入れてもいいのではないでしょうか。

文章を読む限り、本当に真面目な人なのではないでしょうか。

多分、これまで本当に自粛してきたんだと思います

高齢者代表するような立場にはありませんが、仮にそのような立場であれば感謝したいくらいです。

もっと自粛する理由が欲しいから、誰かに答えてほしい。」なんて言うような人から想像もできないような、むちゃくちゃな行動をする人が若者にも、恐らく高齢者にもいます

そして感染を広げているのはそのような方が多いのでしょう。

それ故、もう自粛はやめたと言っても、それでも無駄感染を広げるような行動は取らないと思います

長期戦になりそうなので、これまでのような徹底的な自粛ではなく、多少の不利益と納得できるくらいに息抜き必要でしょう。

今の状況では、どこが安全とかなさそうなので、できるだけ接触する人数が少なく、幸せを感じられるものを選んでみてはいかがでしょうか。

anond:20210112165321

筋肉だ。

まじで筋肉だ。

筋肉があればこういう問題はほぼ確実に間違いなく解決する。

 

暴力が身につけばいじめられなくなる上、筋肉運動がもたらすホルモン健康が、精神の安定、ひいては漠然とした自信すらもたらす。

とにかく筋肉をつけるんだ。

2021-01-11

社会人1年目だけど精神科っていつ行けばいいのか分からん

ネットで調べてもあんまりピンとこない

死にたくなるのは発作的にあるけど、1時間くらいあれば落ち着くし、自殺未遂したこといから、病院に行くほどではない気がする

上司から電話とか負荷が高いイベントがあると終わってしばらくは手が震えたりドキドキして仕事が手につかなかったりする

普通に遊んで楽しいと言う気持ちもある。終わった途端に憂鬱になることが多いけど。

日常生活に影響が出たらって言うけど、会社行けなくなる前にはどうにかしたい。会社行けなくなる前のラインって難しくないか

そもそも漠然調子が悪いとか気分が上がらないとかはあっても、これと言って相談したいこともないしなあ

時間感覚の薄らぎ(昨日のことがずっと昔に思える)とか、〇〇しなきゃと思ってから忘れるまでの時間が短くなってるのはちょっと困るんだけど、病院行ったところで自己管理で頑張るしかないような気がしている

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