「これ以上負担をかけないでくれ。このままだと、父さんも母さんも過労死してしまう」
愚痴る相手もいないので、せめてこの場を借り発散させてほしい。
私の両親は学校の先生だった。常に多忙で、食事や看病など日々の世話は、祖父母にみてもらっていた。
冒頭の言葉を投げかけられたのは確か中学生の頃だ。父からの説教は珍しいことではなかったが、〈過労死〉のインパクトは強かった。
私は日頃から親に負担をかけないよう、手のかからない良い子でいるよう努めていたつもりだった。部活で悩んでいた時も、学校でいじめられた時も、愚痴だって全部我慢した。親に反抗するなんて以ての外だった。
その時の父はきっと大層イライラしていて、つい口走ってしまったのだろう。(母の名前も出たが、父が説教する時の主語は基本「父と母」である。母本人の意向を無視していることも多い)
それでも私は真面目に考えた。何か気に障ることをしてしまったのか?家の手伝いが足りなかった?成績が少し下がったから?外出の誘いを断ったから?そんなちいさな不満の積み重ねが父の負担になった?
私の存在そのものが負担なら、いっそ消えてしまったほうがいいのではないか?と、この頃から漠然と思うようになった。
ここでタイトルの話に入る。
父は授業や部活顧問のほか、生徒指導の担当として、非行に走る生徒や素行不良、不登校の子のサポートを行っていた。
そういう仕事なので熱血も何もないが、イメージが伝わりやすいと思い、少し大袈裟だが〈熱血教師〉という言葉を使わせてもらう。
父はよく生徒指導の話を私にしてくれた。
例えば、暴走族が学校に入ってきたと思ったら、かつて指導した子が笑顔で挨拶しにきたこと。
不登校生徒が夜になると、父とお喋りをしに職員室にやってくること。
大人になった元不良少年が、先生のおかげで更生できたと感謝の手紙をくれたこと。
そんなことをいつも誇らしげに語っていた。
家庭に問題があったり、居場所がなくて道を外した子供たちの親代わりになって導いた、教育者として立派な仕事だと私も褒めそやした。
が、胸の内は複雑だった。
実の子供である私は、手を煩わせないようにいつも良い子でいるのに。甘えたくても「今疲れてるから」で後回しにされるのに。私が父の帰りを待っている間も、彼は問題児たちの世話をしているのだ。
他所の子供の面倒を見るのが教師の仕事。それは理解している。家庭を優先的すると保護者からクレームがくる。だから仕方ない。学校行事に親が来ないことは当たり前だったが、それは気にならなかった。
でも、〈手のかかる子〉の話はどうしても耐えられなかった。
私の父親が、顔も知らない子供に取られてしまったようで、嫉妬のような恐怖のような感情を抱いた。父の仕事は立派だとは思う。けれど私の前ではその話はしないで欲しかった。
そんなに手のかかる子が好きなら、いっそ私も家出して消えてしまおうか。親はとても不安になり、血眼になって探してくれるだろうと、ふと魔が差したこともあったが、できなかった。
その後も良い子を続けた私はそれなりの大学に入学できたものの、今までストレスを堰き止めていたダムが決壊したことにより、現在は鬱の寛解と再発を繰り返しながら社会の底を這いつくばっている。
私はとうとう〈手のかかる子〉になり、両親の不安の種となってしまった。
こうして文章を書きながら自分の弱さを省みる。厳しくも根気よく育て上げてくれた家族に対し、本当に申し訳ない限りだ。
未だに実家に寄生を続ける私に、定年近くなった父はこう言った。
「我が子も満足に育てられなかった自分が、他の子供をちゃんと教育できているか、もう自信がない」
私は何も答えられなかった。
いつまでも親元にいるからそんな同じ考えに取りつかれてんだよ 毎日毎日そんなこと考えてんだろ? しょーもな 家を出ろ
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