はてなキーワード: 統計データとは
成績悪く、いじめられ、非行に走りやすい 「早生まれ」は損な人生歩むのか - ライブドアニュース
http://news.livedoor.com/article/detail/6087458/
とか、
同学年内において誕生月の差が子供に与える影響 - 名古屋大学
http://ir.nul.nagoya-u.ac.jp/jspui/bitstream/2237/14939/1/誕生月の差.pdf
その一方
金曜日 - 「早生まれはどこへ行った?プロジェクト」第二弾…東京大学医学部医学科卒業生編
http://tokyo.talentnavi.biz/charukok/1927
ちょっと気になって調べてみたけど、最高裁判所事務総局「司法統計年報」にある「性別離婚申し立ての動機別割合の推移」がソース?
これって申立ての動機は1件につき3個まで重複計上しているみたいだから、DVに当たるであろう「暴力を振るう」「生活費を渡さない」「精神的に虐待する」を単純に足し算して74%とするのはおかしくないかい?
( 参考:厚生労働省 司法統計からみた離婚 )
1位「性格が合わない」(40.9%)
5位「異性関係」(18.7%)
6位「その他」(11.5%)
7位「浪費する」(11.3%)
8位「家庭を捨てて省みない」(9.2%)
11位「酒を飲みすぎる」(6.5%)
12位「不詳」(4.3%)
14位「同居に応じない」(2.6%)
( 参考:女性と男性に関する統計データベース )
一般名はタンドスピロンクエン酸塩で、1996年に発売された大日本住友製薬の抗不安薬である。
このセディールはggったらわかるのだけれども、びっくりするほど評判が悪い。
私はセディールに丸2年ちかく、1日3回世話になり続けた。
途中何度か油断して断薬したりもしたが、
その度に「やっぱりセディールがないとだめなんだ」と反省して飲み直した。
どれくらい飲んだんだろう。700日間飲んだとしたら2100錠だから、21箱?
私はセディールが好きだ。人生を救ってくれたと思っている。とても感謝している。
できれば1日3回の用法が煩雑なので徐放とか開発してくれないかと思っているのだが、
というわけで、ネットにセディール万歳記事が見当たらないと悔しいので、
どうせこの記事も埋もれるんだろうけど、それでも書きたい。自己満足です。
長くなるけど自己満足っていうことで許してほしい。
セディールの話をしているからには、私は抗不安薬を飲まなくちゃいけないような人間だ。
幼い頃はADHDのクラスメイトとセットで爪弾きにされて、彼女の失禁の面倒ばかりみていた。
その後不登校になって自殺未遂して、……まあ波乱万丈に鬱々と生きてきた。
受験生のときに、駿台模試の数学で偏差値103とったことがあるくらい。
他人にはほぼ無関心を貫いていた私も、さすがに驚いた。
「こんなに簡単な問題を解けない人がいるらしい」という方向に。
別に数学自慢をしたい訳ではなく、抗不安薬の薬効を褒めるに当たって
どういったバックグラウンドの患者であるかを説明したいのだが、
数学ができそうなことを書いてみたが、私は基本的にテストが苦手だ。
知らない場所へ行くのも大嫌いで、場所が変わったらただ硬直するだけの人になる。
たまたま前述の模試は知っている予備校の知っている部屋で開催されただけで、
別の部屋で開催していたら多分偏差値なんて40とかその程度に落ちていたと思う。
たとえば「月末に試験がある」とか、いつもと違う予定になってしまったら
食事も食べられないし、部屋の片隅でずっと猫のように丸まっている。
両親はいつも「私に物事を意識させない」ように気遣ってくれていた。
幸か不幸か、観察眼もないし日付や時間もよくわからない人間だったので
騙し騙し手を引けば、何にも気付かずいつも通りに過ごしていた。
「今日は一緒に出掛けよう」←よくあること
「この席に座って問題を解いてね」←よくあること
で、誤魔化すことが可能だった。
子供だましのようだが、子供だましが看破できないからASDなので仕方がない。
しかし、そんな風に一から十まで他人に面倒を見させる訳にもいかないだろう。
大学受験の段階で、かなりムリがあったと思う。
一般企業で働くのは無理だと気づいて、手に職をつけさせようとしたのだと思う。
という訳で、向不安薬の存在をはじめて意識したのは、大学の教科書の上だった。
そのとき、私はまだ精神科や心療内科の世話になったことはなかったのだが
セディールが、セロトニン5-HT1A自己受容体に部分アゴニストとして作用するとか、
受容体が脱感作してダウンレギュレーションを起こすことは何となく印象に残った。
他の多くの抗不安薬はGABAa受容体のCl-透過性をどうの、という作用点なので
「あー全然違うのが混ざってる、へー」程度だったと思うが。
まあいろいろあって、職場を追い出され、実家でもちょっとトラブルが起き
元々神経過敏であった私は、あっという間に鬱っぽくなった。
あくまで「鬱っぽく」だ。
適応障害と言われたが、私の問題は適応障害云々とは別のところにあった。
そりゃ何もなくても泣き出したりしたりしたけど。
ご存知の方もたくさんいらっしゃると思うが、
物音も人間の気配も何もかもが耐えられなくて、
外出してみたものの、机の下に隠れて出られなくなるような有様だった。
ちなみに、この時点でカウンセリングやテストを受けて、ASDが正式に発覚した。
また、これもよく知られていることだが、
私もその系統で、鬱や適応障害に投与される抗不安薬がほぼ使い物にならなかった。
たとえば、メイラックス(ロフラゼプ酸エチル)という薬がある。
成人なら1回2mgで1日1回服用の、長時間作用型の穏やかな抗不安薬だ。
高齢者などで1mgで投与されることもある。
1mg飲んだところ、2日間に渡って朦朧状態、ほぼ40時間ぶっ通しで爆睡した。
メイラックスは比較的コントロールできるので今も世話になることがあるが
初日に0.5mg(1mg錠を半分に割る)、以降1日おきに0.25mg(1/4に割る)。
この使い方は、自分の体感を頼りに半減期などを考慮して自分で計算して決めたものなので、
他の薬の感受性が高い人が同じ容量で効果を得られることなどを保証するものではない。
飲んだら千鳥足、からの爆睡。半日以上目が覚めない、そればっかりで、
とてもじゃないけれども、外に出ることを前提に使えたものではなかった。
なお、三環系や四環系、SSRI、SNRIなどは未経験である。
かろうじて大学だけは卒業したものの、卒業したところで私は立ち止まった。
そのまま部屋の外に出られなくて引きこもって終わる可能性も覚悟した。
そんな時に処方されたのがセディールだった。
効果は薄いかもしれないけれど、と抑肝散と共に処方されたそれを見て、
そして、こいつに即効性はないはずだ、と引きこもりの頭で考えた。
知らない。知らないけど、俗に作用発現に2週間と言われているということは、
とりあえず長く見積もって1ヶ月、高コンプライアンスを維持しよう。
とかなんとか。
目標は抗不安効果ではなく、セロトニン受容体を殴ることだと割り切り、
効果の体感がほぼない分、服薬忘れに細心の注意を払ったと思う。
で、2ヶ月くらい飲んだ頃、正直、「あんまり効果ないな」と思った。
依然として不調な時は不調だったし、
そこで面倒になった私は、薬のなくなるタイミングで勝手に断薬した。
2週間くらい放ったらかして、何だかイライラする頻度が増した。
落ち着かない感じというのだろうか。
その時にはすっかり忘れていた強迫行動がぶり返した気がした。
ベンゾジアゼピン薬の消費が増えかけたので、
その時即効性を感じた訳ではないが、数日後にぴたりと強迫行動は止まった。
日付感覚がないので、カレンダーにメモする癖がついていたせいだ。
そして、しばらくして十分に安定した頃合いに、
その直後はなんともないのだが、
数日するとまた覚えのある強迫行動がぶり返す。
退薬症状でいきなり強迫行動のような特徴的なものが発現したら、
何度か間をあけて飲んでは止め、を繰り返し、
たまに本気で飲み忘れる日も挟んで
カレンダーに出来上がった記録を見て、思った。
なんていう内容をやっていたので、熱心に信じることにした。
頻度は減り続け、今では月に1度も必要ない。
そのうち周囲の環境が変化してよくなったこともあってか、
こだわりも飛躍的に軽減した。
もちろん、今日も私は時計が読めないし、日付はよくわからない。
試験とか言われると倒れそうにはなる。
数字が大好きで、統計データを眺めてひとりでテンションを上げている。
でも、もしかして……?と思うことがある。
数年前より格段に増えた気がする。
「今は『じゅうしちすなわちごじじゅうにふんという時間』なんだなあ〜」と素直に受け入れて、
気にせずスルーすることができるようになった。
思えば、私はずっと怖かったのかもしれない。
歩く時は地面しか見ていなかった。
気づいたら増えていて、気づいたら減っている変なものによって
だから見なかったし、感心を払わなかった。
何歳になってもずっとポケモンを見ていた。
私はたいへん臆病だったのだ。
ところが、その恐怖心が、なんだかこの数年でスーッと、静かに
砂の山がいつの間にか溶けてなくなっているような感じで、小さくなっていた。
全てセディールのおかげかもしれないとまでは言わない。
私が単純に成長しただけかもしれない。図太くなったのかもしれない。
世の中に怖いものが増える、という感覚はやっぱり戻ってくると思う。
最近の私が服薬を忘れる時というのは、何かに熱中している時だ。
慣れ親しんだ恐怖心が平行するように顔を覗かせるのだ。
楽しい気分の時に忘れた時なんて、完全に意識の外へゆくはずだ。
でもそうじゃない。
ということは薬効は100%気のせいではないのではないか、と思う。
私はASDで、薬物過敏だし、普通の抗不安薬で昏倒する体質なので、
ベンゾジアゼピン薬を飲んでも普通に起きていられる人には、セディールは弱すぎるのかもしれない。
セディールは、私のような誰かにとって救世主になり得る良い薬だ。
読んでくれた人がいる気がしないが、もしここまでスクロールしてくださった方が
いたのだとしたら、ありがとうございます。
大日本住友製薬さん大好きだよ。
最近、チンピラが「ガンをつけられて頭にきた」とかいう理由で同居している3才児を暴行・殺害したというキチガイじみた事件があったが、今日その続報を読んでいたら、こんな記事をみつけた。
http://www.sankei.com/premium/news/160130/prm1601300035-n1.html
大田区大森南のマンションでの夕食中、永富容疑者は礼人ちゃんが「自分をにらみつけてきた」と激高した。
さらに「テレビのほうを見た」「またにらんだ」などと次々と因縁をつけ、暴行はエスカレートしていった。
母親は「永富容疑者が息子をつかみ、ボーリングのボールを投げるようにしてガラス戸棚に投げ飛ばした。正座させて平手打ちしたり、かかとを頭に振り下ろしたりもした」と説明。永富容疑者はさらに、ベランダを指さし「行け。死んでしまえ」などと話し、床に包丁を突き立てたという。部屋はマンション4階だった。
身長1メートルに満たない礼人ちゃん。けいれんを起こして過呼吸を起こしたところで、凶行は終わった。約1時間半後のことだった。
母親は翌26日、礼人ちゃんに水や食事を与えたが、嘔吐(おうと)を繰り返し、失禁もしていた。左耳からは血が流れ出ており、「ママ、苦しい」と漏らしたという。
暴行から丸1日以上が過ぎた27日未明になって母親が「子供に熱があって、反応がない」と119番通報。すでに心肺停止の状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。
とても痛ましい事件で、このチンピラ(永富容疑者)は死刑にしても気がすまないという人が多いと思う。
ところで、上のニュースを読んでいて気になったのは、法政大学の越智啓太とかいう犯罪心理学者のコメントだ。
法政大学の越智啓太教授(犯罪心理学)は、今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」と指摘。
おいおい、ちょっと待ってくれ。
継父や継母の場合に、虐待等の発生率が、実親の場合に比べて多いというデータはけっこう存在するかもしれない。しかし今回の事件の報道を読めば、家庭環境がどうこうみたいな次元を遥かに超越した「狂人」による犯行であることは明らかだ。要は、頭がおかしいから虐待したのであって、血のつながりがない子どもを育てることの「ストレス」から犯行に及んだなどという説明をするのはどうみても見当違いである。
俺自身、離婚歴のある妻の連れ子を育てて4年半になる。実子がもともといなかったこともあって、「血のつながりがある場合」と「無い場合」の比較は俺自身にはできないのだが、べつに血のつながりがないからといってストレスなんか感じていないし、ふつうに「かわいい俺の息子」として育てている。
正直、実際にこういう境遇に身を置いてみるまでは、血のつながりの無い親子というのは微妙なもんだろうと想像していたのだが、実際に経験してみると、子どもの年齢が低かった(4歳〜)こともあってか、全く違和感はなかった。一緒に風呂入ったりゲームしたり、公文やその他の習い事に連れて行ったりと、たぶん平均的な実親と同程度かそれ以上にかわいがっているほうだと思う。子どもが難しい計算ができるようになったりすれば俺も喜ぶし、学校に送り出すときは「今日も事故とかなければいいのだが」と毎日心配で仕方がない。
「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」(越智啓太教授)なんていう実感は全くない。
俺自身だけではなく、周りには「血のつながりのない親子」がけっこういるのだが、みんなそれなりに上手くやっている。幼なじみのお父さんが実は実親ではなかったということを、大人になってから知ったこともある。
やや複雑な家庭環境であることは確かだから、揉め事が起きやすいのは事実かもしれないのだが、少なくとも、今回の永富容疑者のようなキチガイじみた暴行が発生する可能性を感じたことなど一度もない。
べつに、「虐待の発生率は、実父の場合より継父の場合のほうが多い」と、調査データに基づいて主張されることには、腹は立たないよ。ぶっちゃけ、統計的にはたぶんそうなんだろうと思うし。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/jicen/gyakutai/index.files/hakusho2.pdf
こんな資料があって、
虐待者の内訳は、実母が63.3%、実父が21.6%と、実父・母が虐待者であることが多くなっています。前回調査と、全体の傾向に変化はありません。
と書かれている。
実父以外の父に育てられた人の割合が、全体としては8%もいないだろうから、やはり家族関係が通常と異なる場合に、虐待が発生しやすいというのは事実なのかもしれない。
しかし、虐待に至る原因や文脈には色々なものがあるはずで、その色々な要因との間できちんと比較をした、正確な議論をしてもらいたいものだ。要は、「血のつながりがないこと」は、虐待の原因の1番目や2番目に挙げられるほど重要なものなのか?という疑問があるのである。
今回の永富容疑者ほど酷い事例ではなかったとしても、虐待に至るような親というのはそもそもおかしい人が多いわけで、その「そもそもおかしい」という点に注意を払わずに、「血のつながりがない」という家庭環境だけを取り上げて犯罪の原因を説明しようとするのは危険というか、俺のように血のつながりのない子をふつうに育てている人間に対する侮辱であると言っていい。
たとえばだが、仮に「継父の場合、虐待発生率が高い」というデータがあったとしても、そのデータだけでは、「継父だから虐待した」のか、「もともとおかしい奴だったから、家庭環境も複雑になったし、子どもも虐待した」のか区別を付けることはできない(いわゆる「見せかけの相関」の問題)。
つまり、仮に、
「頭おかしい」→「離婚再婚をくりかえしやすく、血のつながりのない子と同居しているケースが比較的多い」
という2つの別々の因果関係が作用しているだけであったとしても、統計データ上は、「血のつながりのない子と同居している」と「虐待する」の間に相関が生まれてしまって、あたかも「血のつながりがないから虐待が起きる」かのような錯覚を引き起こしてしまうのだ。
なお、さっき紹介した資料のなかでは、実親による虐待の場合はきょうだい揃って虐待されるケースが多いのに対して、継父・継母による虐待の場合はきょうだいは虐待されていないケースが多いとされている。
実父や実母が虐待を行った場合、他のきょうだいに対しても虐待を行うことが多くなっています。特に実母にその傾向が強く、「きょうだいはいるが本児のみ虐待」を受けた事例が 22.1%に対し、「本児以外に他の子も虐待」を受けた事例が 36.4%となっています。
一方で、養・継父及び養・継母はその子ども一人だけを虐待することが多くなっています。養・継父では、「きょうだいはいるが本児のみ虐待」を受けた事例が 61.2%であるのに対し、「本児以外に他の子も虐待」を受けた事例が20.0%となっています。
これを読んで、一瞬、「継父・継母による虐待は、血のつながりがないことが大きな原因なので、その特定の児童だけが虐待されている。一方、実親による虐待の場合は、それ以外の理由で虐待が起きているので、兄弟そろって虐待される場合が多い」という主張なのかと思ったのだが、よく読むと、「本児以外に他の子」というのが、虐待者の実子であるかどうかは示されていないので、そのような主張はできない。
繰り返すが、越智啓太教授は今回の永富容疑者による礼人ちゃん殺害事件について、
今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」
と指摘している。取材ではほかにも色々な説明をしたのかもしれないが、少なくとも記事上では、この教授は「子どもをボーリングのボールを投げるようにしてガラス戸棚に投げ飛ばし、正座させて平手打ちし、かかとを頭に振り下ろしたりして殺害したのは、継父だったからである」としか説明していないのである。
べつに俺自身は、誰に何と言われようとふつうに子どもをかわいがって育てているので構わないのだが、新聞記事で学者が一般論としてこんな安易な説明をするのは、差別以外の何ものでもなく、看過してはならないと思う。
それで、何なんだこのいい加減な犯罪心理学者とやらは・・・と思っていたら、以下のような記事があった。
法大教授が同性愛を揶揄する投稿 批判が殺到、「性嗜好と性指向を混同」と謝罪
http://www.j-cast.com/2013/01/07160376.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
神奈川でセクシャルマイノリティー用相談ホットラインができたというニュースに対して、越智啓太教授は、Twitterで「神奈川県、同性愛サポートか~次はロリコンとか熟女マニアとかもサポートしなくちゃな」などとツイートして炎上したらしい。
炎上後に色々弁解したらしいが、差別意識がなければこんな発言を口にすることは不可能だろう。
おそらくこの教授は、血のつながりのない子を育てている俺のような人間や、血のつながりのない親に育てられた俺の幼なじみのような人間に対しても、心のどこかで(あるいはあからさまに)差別しているのだろう。そうでなければ、明らかに「血のつながりの有無」以外に説明されるべき要因が大量にあると思われる今回のような事件に対して、
今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」
などというコメントを寄せることができるわけはない。
■■■■■追記■■■■■
それはともかく、ブコメに変なのがあったので少し触れておく。
データによると虐待事件は、実父6000件に対して、実父以外が2000件と大雑把に考えたら、実父以外の家庭の割合が25%でないと等しいといえないと。明らかに倍以上の虐待率。継父は高リスクなのは完全に事実だな
無視しているどころか俺自身が本文でデータを紹介してるのだが(笑)、それはともかく、これらのコメントは(そもそも何を言ってるのか若干分からないところもあるが)俺が書いた本文の基本的な理屈を理解してない恐れがあるので、一応説明しておこう。
「継父である場合に虐待者になる確率が、実父である場合に虐待者になる確率よりも、有意に高い」というのが仮に事実だったとして、本文ですでに言及した「見せかけの相関」の問題を無視することにしたとしても、ある人物が虐待者になるかどうかを予測する上で「継父である」という情報が重要な意味を持つとは限らない。
たとえば、性犯罪者は女性よりも男性のほうが圧倒的に多いと思うが、だからといって、ある特定の人が将来性犯罪者になるかどうかの予測に、「その人は男性である」という情報が大して役に立つわけではない(役に立つの定義にもよるが)。「男性であることによって、女性であるよりも、性犯罪者になるリスクが◯倍高い」みたいなことは確かに言えるのだが、そもそも男性であろうが女性であろうが性犯罪者になるということ自体がレアだとすると、個別のケースで何か判断をする上では、あまり意味のない情報なのだ。
またこれは、どこかで性犯罪事件が起きて、なぜそんな事件が起きたのかという原因を考えるときに、「やっぱ男だからですよ。性犯罪者は男が多いんです」なんていう分析をしても意味がないということでもある。
これと同じで、仮に継父である場合に虐待を犯すリスクが、実父である場合のリスクに比べて何倍も高かったとしても(そもそも本当に高いのかは、色々な論文等を読むまで判断できないが)、その差は、ある人が虐待を犯すかどうかの予測の役には立たないかもしれないし、既に起きた虐待事件を振り返って「原因はやっぱり、この人が継父だったからでしょう」なんていう分析をしても意味がないかもしれないのだ。
だから俺は、べつに継父であることによる虐待リスクの増大については否定していないというか、むしろそれらしきデータを俺自身がわざわざ紹介した上で、「しかし、虐待に至る原因や文脈には色々なものがあるはずで、その色々な要因との間できちんと比較をした、正確な議論をしてもらいたいものだ。要は、「血のつながりがないこと」は、虐待の原因の1番目や2番目に挙げられるほど重要なものなのか?という疑問があるのである。」と言ったわけ。
今回の越智啓太教授のコメントは、たとえていうなら、性犯罪事件のニュースに接して「男だから仕方ないっすよ」とか言ってるのと同じレベルであるように思える。そのぐらい、ナンセンスなコメントなのだ。
傾向の話をしているのに「うちはそうじゃない」なんて反論にならない
というブコメもあったが、その「傾向の話」は、今回起きた特定の事件を解釈する上ではあまり役に立たんだろうというのが俺の本文の論旨だ。傾向の話をしても別に良いというか、俺自身がそういうデータを紹介しているのだが、今回の事件についてのコメントでそれに言及するのはナンセンス。
手持ちのプログラムをちょっと手を加えれば作れそうだったので作ってみた(総工数0.5MH)。最下位2つが404になってたおかげでちょっと変なことになってるけど、だいたいこんなもんかな。いわゆるホッテントリーに上がる記事を大雑把に分けると、
に分かれる(勿論ミックスもあるけど)。諸君が『くだらねー』と思っている、エクセルだの英語だの簿記だのは後者だな。ただ、はてブはSNSとして機能している側面もあるけど、SBMが本来の目的である以上、インフォメーション系の記事も当然上位に上がってくる。まあ、ブコメが盛り上がっている何か?を表示出来るようにしたいんだったら、日曜プログラミングでちょろっと書けば?と思う今日このごろ。
ブログに書くほどの話じゃないので、スペースお借りしますm(_ _)m
ここを読んで統計的差別という用語があるのを知り、自分なりに考えてみた。
統計的差別とは属性別の統計データ(または経験)をもとに個人を選別することで、例えば企業の人事で、女性は勤続年数が短いというデータがあるので長期的成長の必要な役職に就けないようにするとか、経験的に博士課程の人は融通が利かないことが多いので採用を見送る、など。
「統計的」とあるが、「オタク的外見とコミュ技能の相関」のようにちゃんとした調査データでなく経験をもとにしたものも含まれるのだろう。
調べてて思ったのは、統計は個人評価に使用するには向いてないはずでは?ということ。しかし実際にはそのような使い方はよくされているわけで、これは人を評価することの難しさからきてるのではと思う。
個人を評価するのが難しい場合、その評価に責任を取れないので安易なわかりやすい選択、言いわけのしやすい選択をしがちになるのでは。またコストの面からも多面的で丁寧な評価でなく簡便な評価軸を使ったものが好まれるのだろう。
足切のように自覚的にやってる場合はともかく、そういうつもりでない時でも言いわけのために統計を使った属性での評価に重みを置きすぎてしまうことがあるのではと思う。
もう一つ重要なのはポジティブフィードバックループで、これはランチェスター第二法則のように、試行を繰り返すことで極端化する現象のこと。統計的差別も、繰り返されることで統計データ上の差がより大きくなっていくわけである。
例えば「女子は理系に向かない」という社会イメージが女子の理系科目の成績低下につながり、それがまた社会イメージを強化し更なる成績低下につながる、というもの。
僅かな差しかないはずのものが大きな差になったり、本来は差がないはずのものが最初に間違ったイメージをもったため実際にデータ的な差ができてしまったりするのである。
> そういう相関が生じる要因についてはいろいろあって、統計的差別が行われていること自体も要因の一つかと。たまたま容姿に優れなかった人が、既に存在している統計的差別で切り捨てられ、コミュニケーション技能を伸ばす機会を摘まれる、とか。
と、まとめのツイートにあるように予言の自己成就的なことが発生してしまうので、一見判断は正しかったように見えてしまい、問題があることを認識できなくなってしまうことが、"この統計的差別というやつは、差別意識などより遥かに根が深く、対抗する難易度が高い" ということなのかなと思う。
さらに思ったのは、統計的差別の逆のパターンというものがあるのではということ。統計データ(または経験)をもって差別することの逆に、統計データをもって差別を忌避することもあるのではないだろうか。
普通の人と同じように社会に混じってコミュニケーションを取ろうとしても差別されることが多いとわかってる人は、積極的にコミュニケーションを取ろうとしなくなるのではないか。そしてそれがまたコミュニケーション能力育成の機会を失わせてしまうということになってしまう。
https://www.mededge.jp/b/huap/14009
http://www.sciencenewsline.com/news/2015052714510039.html
器量の良くない人はイケメンと比べ、普段は差別されないが何か好ましくない行為を行った場合に、イケメンがそうした場合の倍、悪い評価を得るというもの。
そういう人の犯罪はイケメンの犯罪に比べ印象に残りやすくなったりもしそうである。
統計により社会が見た目で評価を変えるのがわかっているなら、見た目の悪い人は自発的に社会との関わりを減らすことが適応戦略となる。しかし今度は積極的なコミュニケーションをしないことを理由に差別を正当化されたりする。
社会の差別が元となって発生してる状況なのに「コミュニケーションで傷つきたくないのだろう」と原因にされたり、「キモがられないように努力しろ」と改善の責任を押し付けられたりする。
社会とコミュニケートする難易度がますます高くなってしまってコミュニケーションの忌避を強化するというループにはまってしまう。
このように差別される側が統計データ(というか経験則)をもとに、ドツボにはまる選択をしてしまうことはよくあるのではないだろうか。そもそも、統計データで個人を評価するのはあまり好ましくないが、統計データで社会を評価するのは正しいわけだから。
表面から見ると問題行動を起こしてるのが非差別側であるせいでこの問題は発覚しにくく、統計的差別以上に対応しづらいのではと思う。
ところでこのまとめはツイートの順序を入れ替えたり会話をつぎはぎしたりしてて、かなり恣意性の強い編集になってるように思えるのだが、どうだろうか。
フェミニズム関連ではこのような恣意的な引用を用いた印象操作をちょくちょく見かけるのだが、はてブではあまり問題にならずに受け入れられてることも多いので、そーいうものなのだろうか。
質問の件に触れる前に前回の補足と今回の質問に関係する部分をお話ししたいと思います。話が長くなって申し訳ないです。くどかったら飛ばして下さい。
ものには何でも「値ごろ感」とでも言うべきものがあり、それはその値段の歴史でおおざっぱに決まっているようです。原価や需給のバランスというのは経済学的には価格決定の要素として解説されるのですが、マクロにはともかくミクロや日常レベルではそこまでビビッドは要因にはなりません(人間の目は店頭で需給バランスが可視化して見えるというわけではないですからね)。書籍で言えば文庫本って500円から1000円弱くらいだよなあ。ハードカバーって2000円から3000円くらい? そういう肌感覚です。もちろんこれは永遠不変のものではなく、値上げしたり値下げしたりがおこなわれ、受け入れられ日常化する繰り返しです。いまから10年ほど前、おそらく文庫本の平均価格は50円ほど安かったと思いますし、僕たちが子どもの頃(というとばらつきがありますが)週刊少年ジャンプは200円を切っていました。
前回はなした「ハードカバー3000円ほどで売り出して、後に廉価版で700円ほどの文庫で出し直す」というのも、この値ごろ感が関係した結果です。最初から3000円の文庫でだし、部数が伸びるに従って値段を下げることは(少なくとも法制上や原理上)不可能ではありませんが、みなさんの「値ごろ感」が邪魔をして、3000円の文庫は購入してもらえないのです。なかには「いいや俺は本棚圧縮のために喜んで金を払うね」という方もいらっしゃいますが、それは少数派です。
さて、値ごろ感の話ですが「ハードカバーって2000円から3000円くらい」の本は売れます。多くは売れません。しかし少なくとも、その規格の本が現在でも毎月出る程度には、世間に受容されているわけです。「この大きさの商品に2000円から3000円くらいは払うよ」というのが一定読者層からは理解を得られていると考えられます。それは文庫も同じです。文庫サイズで500円から1000円弱(じりじり値上がりしています)は世間に「まあ、そんな値段のアイテムだろう」と思われているわけです。パッケージと値段のセットはセットであって、たとえば「ハードカバーと文庫の間の大きさで、値段も真ん中くらい」とか自由に決めてもなかなか浸透しません。書棚のサイズの問題や整理の問題もありますし、なにしろ値ごろ感は皆さんの内部の常識ですからそれを固定化するのに時間やコストがかかります。
角川ホラー文庫とかあとハヤカワとかの、
さてやっとこの話が出来るのですが、「B6程度のソフトカバーで1000円~1500円程度の小説を売る」というのは、最近「発明」されて「根付いた」新しい値ごろ感なのです。
いやいや昔からあったよ、という指摘もあるとは思いますが、いまほど安定できたのはごく最近のことだと思います。(さらに以前はカッパノベルスなどのノベルス判型があった地位なのですが、仮想戦記没落のあたりで徐々に廃れて行ってしまいましたね)
この新しい値ごろ感は、Web小説などをきっかけに広まったように思います(ここは私見です。きちんと統計などを蒐集すれば別の経緯かもしれません)。
新しい値ごろ感の発見というのは、そのまま、新しい読者層の発見でもあります。いってみれば「文庫しか買ってくれないと思っていたライトノベルユーザーが、少し大きめの判型であれば1200円だしてくれるのだ!」というエウレカでした。はっきりとした統計データなどはもっていませんが、現場の肌触り的な感覚で言えば、a)初期ラノベを読んでいた読者の皆さんが年齢を重ね可処分所得が増えた結果、1200円程度のレーベルでも購入してくれるようになった。b)すべての国内大衆小説が多かれ少なかれラノベの影響を受ける中で、文庫判型ではないライトノベル(の隣接したなにか)が要請された――などの実感を持っています。
日常的に書店に行く皆さんであれば判ると思うのですが、ここ数年の間に書店ではB6判型ソフトカバーのライトノベル的な書籍がふえていませんか? Web小説が主流ですがそれ以外の参入や、ボカロ小説と呼ばれるものや、自動文学的なもの、推理小説とライトノベルのハイブリットのようなものも見られると思います。それはこの「新しい値ごろ感」=「新しい判型と価格のバランスポイント」が皆さんに受け入れられ、希望があると出版社が判断したからです。もちろんそれが全面的に善だとはいいません。まだ固まっていない規格でぼったくってやれ、というような出版社やレーベルがあるかもしれませんし、読者的には「文庫で良かったのに」と思われるかもしれません。
とはいえ、新しいチャレンジなど10して1つか2つ成功すれば万歳ですから、この「B6ソフトカバーで1000円~1500円」というチャレンジは、最近の出版業界では(かなり)成功した部類だと言えます。
どんな事でもいいと言ったな?
それでは言ってしまおう。
まず、ギャルにはギャル男が、真面目系女性には真面目系男子が、くっつきやすい傾向にある。
あなたの場合は無理にギャル男を目指すよりも真面目系のほうがよいだろう。
と照れながら言ってみるとどうだろう。
よくわからないなら男女置き換えて読むといい。
理系研究職に進むなら、お見合いを目指した方がいいかもしれない。
ここでまちがっても
いい女性いないすかね〜〜?? いやー誰でもいいんですけどね〜 あーもてたいなー」
とは言ってはいけない。男性側は「誰でもいいと譲歩しているじゃないか」と思うかもしれないが、
「最近独り身が寂しくてね・・」
「もうそろそろ身を固めようかと・・」
この程度で十分だ。むしろこの方がみんな一生懸命探してくれるだろう。
あなたが誠実で真面目で皆から慕われるほど、誠実で真面目で皆から愛される女性が紹介される。
この理由は単純で、みんな好きな人には幸せになって欲しいからだ。
「どんな娘が好みですか?」
もしくは気になる女性の前で、にやにやしながら同僚から聞かれる日が。
自分には気がないのかと諦めるか、面食いとあきれられるかどっちかだろう。
相手の聞いているのは顔ではない。顔ではないぞ。
「そうですね・・お互いに支え合える女性がいいですね」
この辺りは誠実に答えた方がお互いのためだ。
あ、これか!って思った。
なにかの概念をちょうどよく一言で言い表すコトバができて普及すると、いろいろ捗るという現象があるよね。
たとえば「セクハラ」というコトバが一般に普及する前には、スケベな上司などからお尻触られたり、やらしい言葉を囁かれたり、あるいはエロい雑誌などをこれ見よがしに置かれたり、などなどのことがあっても、それを身内に相談したり公的機関などに訴えたりするのに、個々の事象が自分にとってどう感じられるのか、精神的にどんだけダメージがあるかといったことをこまかく説明しなきゃいけなかったり、面倒くさいしそれだけでさらに精神的苦痛だったりしたわけだが、今では「セクハラ!」って言うだけで話が通じるし、相手を罵倒することもできる。
印象論や感情論だけでいろんな制度政策に反対したり妙な主張を繰り広げたりして、客観的な統計データとか科学的な証拠に基づいた論理的な思考ができない(もしくは意図的に拒否してる)人たちがたくさんいるんだけど、そういうダメな人たちを一括りにちょうどよく言い表せて、お手軽に罵倒し論破することができるのが「反知性主義」なんじゃないかと。
...あと何があるかな〜
http://anond.hatelabo.jp/20151007113507
もともと骨の弱い子は、組体操をやらなかったとしても同じ境遇になっていたと思いますよ。
たまたま、ワクチンを打った時に特殊な病気が発症したというだけで、
もともとそうういう病気になる子はワクチンを打たなくても同じ症状になっていたと思いますよ。
こういう主張に対しては、大量の統計データで、ワクチンと副作用の因果関係、
組体操と骨折事故の因果関係を調べ上げないと、科学的には証明できないのだけど、
報道番組のキャスターなりコメンテーターなりが、「国民の理解が得られていない」ってほざいているの見る度にすごく腹が立つ。
お前ら一体何のためにそこにいるんだ。そんなこと言ってる暇があったら国民の理解とやらを助けるために少しは説明したらどうだ。
そもそもなんだけどさ。国民の理解って何をすれば得られたって言えるの?
私がうっかり会社の役員になって、うっかり不祥事で謝罪会見を開くことになったとしたら、何をするのが正解なんだろう。
凄いざっくりとした計算なんだけどさ。
私がすごくわかりやすい説明を考えることができたとしよう。あくまで仮定の話だ。この説明を原文のまま聞くと国民の8割が納得したとしよう。
その原文をマスコミが良い意味で要約したとする。要約された分多少わかりづらくなったと仮定して、さっきの人のうち8割が納得できたとする。
この時点で0.8の2乗で国民の64%が納得できるわけだ。国民の半分が納得しているわけだし、これだけできりゃ上出来のような気もする。
さて、ここでマスコミが要約した説明を国民の何割が見ているか?という問題がでてくる。さっきの問題はこの部分を一切考慮していない。
いまどきの人間がどれぐらい報道をみているのか?って統計データ探したかったんだけどどうも見つからなかった。
まぁ仮に8割ぐらいとしておこうか。そしたら0.8の3乗で0.512らしい。いまのところギリギリ半分超えている感じ。
でもこれって、少し考えただけでもだいぶありえない話だってわかるよね。
大体さ、見ている人の8割を納得させる説明なんて無謀じゃん。それができたとしても、マスコミが良い方向に要約なんてしてくれるわけ無いじゃん。
今回の佐野さんのトートバッグの案件とかさ、佐野の部下がやりましたって話、誰も言わなくなったよね。あくまで佐野さんがやった体になってるし。まぁ、そもそも部下がやったかどうか分からんけどね。
マスコミってフィルタを通した時点で国民の理解を得ようなんて、もう絶望しかないよね。不祥事起こしたらさっさと首切って遺書でも遺した方が周りのためにもなるし一番自分が救われるんじゃない?
インターネットのお陰でマスコミのフィルタ機能がどんどん薄くなっているとはいえ、結局ネット上のソースとしての役割はやっぱりマスコミに頼るしか無いわけで。
またエンブレム問題の話で申し訳無いんだけど、ベルギーのあれと佐野さんのあれが違うことだっていう理由に、「正方形を9分割したものを元に云々」ってのがあったんだけど、「これ我々には全然理解できませんよね」って言ったコメンテーターにブチ切れそうになっちゃったんだよね。
こいつら、そもそも理解する気さらさら無いんだな、って。問題の張本人と国民をつなぐパイプになるはずなのに、そのままの状態で通す気さらさら無いじゃん。
もうね、すげー不愉快なの。そもそも理解しようとしたの?通常のデザインの課程とか調べたの?
そして観る人達に理解させる気あるの?専門家も呼ばずに何も知らない馬鹿そうなコメンテーターに中身すっからかんのコメントさせて何がしたいの?
正直トートバッグの件とか出てきたあたりから佐野さんのことは少しも擁護する気なかったんだけど、こんなのばっかり見ていたらちょっと可哀想に見えちゃったわ。
そういうわけで、やっぱりなにか不祥事を起こしたら、遺書書いて首切るか首吊るかなんかして死ぬのが最強なんだろうなって。
どんなに頑張ったって国民が理解するわけ無いんだから。責任逃れも何も、責任取ろうとすると更にひどい目に合うわけだし。
生きてればいいことあるとかほざく人いるけどさ、ネット上にさんざん書かれた内容が完全に消えるわけ無いじゃん。
自分の名前でググったら不祥事で叩かれた内容が死ぬまで出てくるんだよ。そんな目に合うならやっぱり死んだ方がマシだわ。
あー、怖い怖い。不祥事起こらないようなところで生きるようにしないと。
「幼なじみ婚の増加から考える日本の社会構造の変化」というホッテントリがあったが、
http://lacucaracha.hatenablog.com/entry/2015/06/19/013111
これ「幼なじみ婚の増加」というのは、1%⇒2%になった程度で、いわば「統計誤差」。
むしろこのデータ(国立人口問題研データ)、幼なじみ婚の傾向より、はるかにいろいろ面白いことが読み取れるので、それをここで分析してみる。
★この調査で一番注目すべきは、「結婚のキッカケが職場」という割合が、1992年の35%をピークとして、どんどん低下傾向にあるということ。
直近2010年は29.3%にまで低下。
つまり、「職場で結婚相手を見つける」ことが、徐々に難しくなりつつある
私見だが、職場で「異性の社員に下手に声掛けすると、セクハラと疑われかねない」というコンプラ意識の普及が、職場交際を「委縮」させてしまっているのでは?
「職場結婚比率」は、1982⇒1987⇒1992は「増えている」ように見えるが、これは「見合い結婚」の中で、相当部分「職場を介した見合い婚」があったのでは?と思われる。
実質的な職場結婚の割合は、1982年頃の方が高かったのでは?
★次に注目すべきは、「友人の紹介」「兄弟姉妹を通じて」という比率がじわじわ増え、2005・2010年調査ではついに職場結婚を抜いて「第一位」に躍り出たこと。
たかが1%の変動でしかない幼馴染婚云々よりも、この事実が「この表から最初に読み取るべきこと」だろう。
少子化対策として「出会いの促進」「婚活の促進」みたいなことが言われているが、このデータを見る限り、
「友人とか、兄弟姉妹のネットワークを密にして、異性の紹介を得る」のが、結婚相手を見つける近道、ということがわかるが、
「友人兄弟姉妹紹介婚が増えていて、職場婚をも抜いている」という事実の方が、幼なじみ婚よりも圧倒的に重要で、もっと世間に周知されるべき
★「結婚相手を紹介した友人兄弟姉妹には、報奨金10万円を上げます」みたいな制度を自治体が創設した方が、圧倒的に婚活そして少子化対策の実効性がある、ということになる。
そういう目鱗な事実に気づかせてくれた、という意味で、「幼なじみ婚の増加から考える日本の社会構造の変化」記事は有用だった
★三番目に注目すべきが「学校で」知り合った、という人の比率がじわじわ増えていること。
これがまさに「大学時代に、相手をゲットしなければ、マズイ」という、この作者ももう一つのエントリに繋がる話になる。
★あと、昔ながらの「見合い」と現代風の「婚活」の合計値の割合も、着実に減少している。
オーネットとかツヴァイは、まだまだ力不足ということが、データから読み取れる。
★「街中や旅先で、結婚相手と知り合った」比率は長期的には減少している。
これはつまり、「ナンパ」の類が、一時的な快楽目的なら兎も角、結婚相手獲得目的だと極めて効率が悪いことがわかる
★「その他・不詳」が2000年を境に有意に増えているようだ。
「ネットで知り合った」の類が、「その他・不詳」にカウントされている可能性があり、次回調査からは独立した項目にすることが求められる。
★「友人や兄弟姉妹からの紹介が、結婚ルートで最多を占める」というデータ、これって
「紹介してもらった相手といい加減な交際をして、ポイっと捨てたら、友人の顔に泥を塗る」という世間体もあるんだろうな。
あと、その紹介した友人が、「ねえねえ●●さんとの交際、うまく行ってるの?」と世話を焼いてしまうという「効果」もあるんだろうな。
★「友人や兄弟姉妹からの異性紹介は、結婚に結びつきやすい」というトリビアは、結婚願望で相手がいない全若者が知っておくべき知識。
そういう間柄で交際始めた場合、相手方も「友人等の顔に泥を塗れない」から、結果として浮気せずにキチンと付き合ってくれる。
自力で結婚相手を見つけるスキルのない人は、結婚相談所に行くよりも、
「そういう相手を紹介してくれそうな、お節介な友人」を、大学時代とかに作っておくことですな。持つべきは友。
★いわゆる結婚相談所とか、婚活サイトが、データの面では「うまく行ってない」のは、多分「話を断るハードルが低いから」だろうな。
見ず知らずの結婚あっせん人の顔に泥を塗っても、罪悪感はあまりない/友人知人ルートの交際が、「顔に泥を塗れない」が為に、結婚に結びつきやすいのと好対照
結婚相談所は、「相談する敷居の低さ」をウリにしているところが多いが、それって結果に結びつかない。
変な話、敷居が高い方が「結果」に結びつく。
今話題の「ライザップ」と同じ理屈。高額を払うから、敷居が高いから、「ダイエットしなきゃ」と思うようになり、結果になる。
楽天とかリクルートとか、ネット系の企業が、「敷居の低い、ネットの気軽な婚活」をウリにしているが、それって結局「結果に結びつきにくい」ことになりそう。
ある程度、敷居の高さを感じさせる、或は「斡旋人に、悪いなあ」と思わせるような婚活の仕組みの方が、トータルの成婚率は高くなると思う。
つまり、リアルな世話焼き人がいろいろお膳立てして、「顔をつぶすのは悪いなあ」と、自分が、それ以上に「相手が」感じることが重要
★自分はダイヤモンド・東洋経済が好きだが、ニッセイ基礎研究所のレポートも好きだ。
生保系の研究所なので、人口・出産・老後といった厚労省的レポートが多いのが特色
そのニッセイ基礎研のレポートで、「一般市民が、社会統計データを脳内でどう想像してるか?」の話があって面白かった。
★一般市民に「日本の高齢者人口比率(65歳以上比率)は何%と思いますか?」
と尋ねたら、実際の高齢者比率(25%)より高い回答結果になった。
(全回答者の平均数値は「44%」)
つまり一般市民は実態以上に「高齢化は深刻」と悲観バイアスを感じている。
★「一般市民の、脳内社会データ」を測定すると、日本市民の「悲観バイアス」がいろいろ確認できそうな気がする。
例えば「老後に何万円貯金が必要ですか?」と質問したら、多分実際必要額より多額の資金が必要と回答あるだろう
また、「日本社会に凶悪犯罪が増えてますか?」と脳内治安レベルの質問をしたら、
多分過半数は「治安が悪化したと思う」と回答するだろう。実際は減少してるのだが
★「誤った常識が定着しているのではないか?」の事実確認も、このニッセイ基礎研流の市民脳内調査で確認したい。
例えば、「家庭でCO2排出が増える、エネルギー使用が増える季節」は「夏」と誤解している人が多いが、実は「冬」だったりする。
★例えば「日本の都市の中で、若者人口比率が高い都市はどこだと思いますか?」と脳内人口統計テストをしたら、
多分大多数は「そりゃ東京でしょ?」と回答するだろう。
大学が多数な京都はわからなくもないが、「福岡の若年比率が東京より多い」という統計事実を認識している一般市民はほとんどいない。
★恐らく、今後東京23区の高齢者比率は恐ろしく急増するだろう。
⇒多分、あと10年もすれば、全国10大都市の中で、東京は「高齢者比率が多い方の都市」になると思われるが、
仮にそうなっても、日本人の脳内では「東京は若者が多い都市」のママになってるんだろうなあ。
「東アジア若者調査」として、若者に年収や欲しいもの、「生活に余裕があるかどうか」質問しているのだが、
東京の若者とソウルの若者の収入比較で、円安効果もあるのだろうが、「ソウルの若者の方が収入高い」
シンガポールには抜かされたとは知っていたが、まさかソウルに抜かされているとは・・・
最近の韓国批判は酷いもので、ネットも書籍もとりあえず韓国を批判しときゃいいだろみたな風潮である。
そんな中ふと、このネトウヨの嫌韓はいわば宗教みないなもののように思ったので書き出してみる。
「私、K-POPが好きです。」という書き込みをネットで見かけた。しかしその後のネットの反応たるや誹謗中傷の嵐である。
「頭おかしいんですか?」
「奴らはクソだ。奴らを肯定するお前もクソだ。」
しかし日本では個々人の趣味趣向は自由のハズ。なんで好みを言っただけで、国民であることや彼女(多分女性)自身が否定されなきゃならないんだろうか。
そしてふと何かに似ているような気がした。
そうだ「イスラム国」だ。
ご存じの通りイスラム教はアッラーを唯一神とし、教えはコーランに準ずる。そしてイスラム国は自分たちの思想以外は認めない。思想が違えば「悪魔(異教徒)の手先」として殺される。十字架を持っている?悪だ。殺すべし。
ネトウヨにとっての思想・教義は「韓国は敵だ」ということだろう。それに従わない場合は容赦なく攻撃する。それが趣味や好みの範疇だろうが関係ない。教義に反したのだ。それはつまり悪であるということだ。悪なら攻撃して問題ない。キムチが好きだ?悪だ。死んだ方が良い。
宗教全般にそうだが、人生や生活への不安を神と共にあると信じることで和らげ、心の拠り所にする。
ネトウヨは韓国を批判することで、心の平穏を保つ。例え自分が将来に何の可能性を感じない底辺な存在だろうが、自分は日本国人、彼らはそれより下。そう信じることで自尊心やアイデンティティを維持する。
イスラム教では日々神に祈りを捧げることにより、神を身近に感じ、心の平安を得ている。
ネトウヨは日々韓国の悪口を書くことで、ストレスを発散し、仲間の同意を得て教義を再確認し、心の平安を得ている。
イスラム国の戦闘員たちに、いくら「神様なんていないんだ」と説明しても通じない。科学や論理など意味をなさない。彼らにとってコーランが世界の法則であり、その歪曲解釈が正義なのである。
ネトウヨにとって「韓国が敵」であることが世界の法則で、韓国の批判こそが彼らの正義。彼らは根拠のない根拠や出所不明なデータ、使い方を誤った統計データ、そして完全な主観を繰り広げ韓国を批判するが、しかしそんな内容など実はどうでもいいのだ。教義に準じていればそれで良い。客観性やソースへの批判?それは教義に反する悪だから無視して良いのだ。
イスラム教には「異教徒を殺しても良い」という教えは含まれていない。しかし過激派は教育を受けていないので本が読めず、勝手な解釈をして乱暴な手段を講ずる。
韓国政府のやり方は褒められない点も多いが、イコール韓国全体・韓国人全体の批判には結びつかないハズだ。しかしネトウヨは無知なので、嫌韓の教えを無抵抗に信じ歪曲解釈をして乱暴な手段を講じる。
そのうちどこかでテロが起きるんじゃないだろうか。
http://anond.hatelabo.jp/20141216123246の増田だけど。
何かhttp://blog.livedoor.jp/sharescafe/archives/41836684.htmlがホッテントリに入っていて
(http://b.hatena.ne.jp/entry/blog.livedoor.jp/sharescafe/archives/41836684.html)
「ちゃんと統計データを根拠にしている信憑性が高い記事」扱いされてるけど
いやいやこれもかなーりいい加減だって。
上でも書いたが、現実の多数派である「出産退職して専業主婦になった後に再就職」ルートの存在を無視している時点で駄目駄目だ。
んじゃそのルートを踏まえた統計は、と言うと厚労省の出生動向基本調査というのがちゃんとある。
http://www.ipss.go.jp/ps-doukou/j/doukou14_s/chapter3.html
によると、最新(2010年)の時点で未婚女性の「理想」のライフコースは
専業19.7%、専業になった後に再就職35.2%、出産後も仕事を続ける(両立)30.6%。
「専業」と「専業後再就職」を足した「専業主婦になりたい未婚女性」は過半数を超える。
恐らく長谷川氏もこれを踏まえていたと思われる(他に記憶にないしなあ。どっかのネットアンケートとかそういういい加減な統計が根拠じゃないだろうし流石に)。
そして「理想」であっても「両立」したい女性は3割に過ぎない事も分かる。
(まして「アマゾネス」のようにバリキャリで行きたい人はもっと少ないだろう事も想像がつく)
と言うと「職場環境が悪いから両立を最初から諦めてるだけだ、職場環境さえ整えば皆両立したがる筈だ!」と言い出す人が出てきそうだが
専業(再就職含む)になりたい理由を調べた信頼のおける統計を出さない限りただの感情論で何の信憑性もない。
上のホッテントリのような「どっかの企業では残業減らして保育所作ったら出産が増えた」レベルの話じゃなくてさ。
ついでにもう一つ、「両立も再就職も同じだ、両方合わせれば65%の多数派だから仕事と育児の両立支援こそが最重要!」と言う意見も当然出てくると思う。
でも両者で必要な「仕事と育児の両立支援」ってかなり違うんだよね。
「両立」コースだと何より重要なのは産休育休の取得促進と低年齢(0~2歳)児の保育の充実だが、「再就職」コースはそんなもん要らない。
むしろ「両立」コース希望者が産休育休を取って勤め続ける事は、その分辞める人が減る=再就職の枠が狭まる事を意味する。
そして低年齢の保育を充実させるには多額の金がかかるが、「再就職」コース者はそれより自分の利益になる事
(子供が幼いうちの専業主婦支援や再就職の支援など)に金を掛けて欲しいだろう。
逆に多くが非正規雇用になると思われる「再就職」コース者が望むであろう「正規と非正規の格差解消」「同一労働同一賃金の徹底」は
つまり両者の利害はむしろ対立する事も多く、全てまとめて一緒くたに考える事は出来ない。
「アマゾネス」、つまり政府やマスコミのお偉方女性は「両立」コースしか頭にないので政府からは「両立」コースの支援策ばかりが出てくるが、
特にイケダハヤトなんかに影響を受けたような、意識高い系(笑)の若者はIターンなんかしないほうが賢明である。絶対に後悔することになるから。
首都圏・中京圏・近畿圏以外はとにかく仕事が無い。いや、厳密に言えば選ばなければ仕事ある。
例えば介護、ホテルや飲食、建設土木業などはどんな不景気な地方都市でも仕事はあるし、年間休日80日のブラック営業なんかの仕事はいくらでもある。
しかし意識高い系のやるような仕事、WEBとかIT系の技術者や広告代理店などはもちろん無いし、電機や自動車メーカーの工場の現地採用は給料のやすさの割に競争倍率が高く、とても就けるものではない。
あなたがまだ第二新卒でMARCHか駅弁大学を卒業したぐらいの学力の持ち主でコネがあれば、市役所や県庁、あるいは地方銀行や地方紙、ローカル局などに潜り込めるかもしれないが、それらがないならやめておいたほうがよい。大卒でも東京の高卒初任給レベルの給料で使われるのが落ちである。
イケダハヤトはクラウドソーシングなどを活用してフリーで仕事をとれというが、残念ながら東京の発注主は東京近郊在住のフリーランスにしか仕事をよこさない。あったこともなければ、いざとなった時にあうのに莫大なコストがかかる人物に仕事を頼むほど、世の中のクライアントは甘くないのだ。
さて、ある程度妥協してそれなりの仕事についたとして、今度は職場に不満を持つことになるだろう。こう言っちゃなんだが、地方というのは全体的に仕事のレベルが低い。
例えば仕事外部に発注するときに優先するのは、単価でもクオリティでも納品スピードでもなく、地縁やら血縁やらコネやらまず人間関係が優先される。たまに地方都市でコピー機やら光回線やら広告枠やらを飛び込みで売っている営業マンを見かけるが、彼らは首都圏の2/3ほどの給料を首都圏の1.5倍の苦労をしなければ稼げないのである。
そんな調子なので、仕事をしている連中のレベルも低くなる。地方のエリートが集まっているはずの地銀やローカル局ですら、いわゆる「都落ち」みたいな連中が多く、やたらエリートぶって威張るくせに仕事ができない連中がのさばっている事が多い。
「都落ち」以外では、いわゆる一度も地元から出たこともないような、本格的な世間知らずも多く、こいつらもはっきり言って仕事のレベルは低い。レベルが低い上に、他人の足を引っ張ることに情熱をす注ぐので、ますますレベルが下がっていく。彼らにとって仕事は何かを作るとか、何かを成し遂げるとか、そういう目的ではなくただ時間だけいて給料をもらう行為なのである。
エリートどころか、そこら辺のショップの店員のレベルもはっきり言って低い。注文したものを何日も連絡もされず放置されたり、間違えられたりなんてこともよくある。おかげでネットでしか買い物をしなくなるのだが、今度は配送員のレベルの低さに悩まされることになる。
Iターンを目的とする連中は、東京で疲れたとか田舎でのんびりとかそんな理由なんだろうけど、はっきり言って地方は給料が安い上に休みも少ない。下手すれば労基に引っかかるような求人がまかり通っていたりする。
あなたがもしIターンを画策していたなら、Iターン先のハローワークの求人をネットで見ることをおすすめする。一例として、とある県のバス会社の求人情報をここに引用してみよう。
求人広告内容 ・乗合路線バスの運転業務・就業時間内での6時間前後の運転(バスの運行時間により出退勤時間が変ります)*大型2種免許がない方でも養成いたします。*正社員登用あり(採用時45歳以下の方で、約1年半の期間を経て審査となります)※大型2種免許養成期間(9日~3週間)の賃金は時給675円となります
募集資格 保有資格:普通自動車一種運転免許(AT限定可) 経験について:不問 学歴:不問
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休日 5働1休を基本とした勤務割*有給休暇は、入社2ケ月後より付与となります 年間休日:66日
給与 日給月給 a 基本給(月額平均)又は時間額150,400円~150,400円
b 定額的に支払われる手当a + b150,400円~150,400円
c その他の手当等付記事項拘束手当他20,000円~60,000円
勤務待遇 加入保険:雇用 労災 健康 厚生 通勤手当:実費支給 上限あり 月額:6,500円 マイカー通勤:可会社敷地内に無料駐車場あり 定年制・再雇用:なし 育児休業取得実績:あり 入居可能住宅:
上記の求人は大体月の休日が平均5〜6日(良くて隔週、下手をすれば週休1日)で、月の労働時間が残業が有った場合250〜260時間、手当を含めても手取り20万行くか行かないかというところである。ちなみにこのバス会社は去年事故連発で行政処分を何回も食らっている。
こういう、ウンコ見たいな求人が当たり前のように転がっているのが地方都市である。年間120日休めて、手取り300万円を超える仕事はないと思った方がいい。イオンに入っているようなショップで、年間休日105日で、手取り200万円代といったところか、これでもマシな方である。
もっとわかりやすい話をすると、北東北の県庁所在地のファストフードの時給は680円、東京都中央区のファストフードの時給は1200円である。
「そうは言っても物価は安いだろ」と思うかもしれないが、安いのは家賃と生鮮食品だけである。イケハヤなんかは一戸建てが1万円で借りられるぞとアジっているが、築60年で上下水道なし、10年ほど前に老夫婦が他界して以来空き家でほとんど廃屋なんて家にあなたは住みたいだろうか?そういう家に住もうとしてらリフォームが必要になるし、浅築物件だとせいぜい東京より2割安い程度の家賃になる。
更に地方は自動車必須になるので、自動車本体とその維持費がかかる。走行距離も伸びるので、保険料・タイヤ代・オイル代で大体年間40〜50万円ほど、もちろん車本体は別である。そのせいか、東京じゃまず見かけない2代目マーチや初代デミオ、5ナンバー時代のカローラやすでにモデル自体が生産されていないサニー、車検が通るかどうかも怪しい軽トラ軽バンが走っていたりする。
更に東北や北陸などの場合は、光熱費がかかるので結局家賃や食料品の部分で浮いた部分を引いても、生活費は東京と変わらないぐらいとなる。
イケハヤが「近所の人が野菜をくれる」なんて嘘を言っているが、よそ者にくれる野菜などもちろん無い。秋田県には上小阿仁村という、よそ者の医者を老害がいびって追い出し続けている、絵に描いたようなクソ田舎の無医村があるが、はっきり言って首都圏以外近畿圏以外の地方都市はあれよりマシという程度の排他性である。名古屋や京都ですらあやしい。
あなたが豊臣秀吉や田中角栄や水無灯里級のコミュ強で、地元の消防団に入団したり、知らないばあさんを病院へ送って行ったり、知らない爺さんの葬式に出たりすることが苦痛でなければやっていけると思うが、意識高い系には無理だろう。地元の消防団はマイルドヤンキーみたいなのがゴロゴロしてるし、ジジイやババアは不条理な存在である。
ちなみにドラゴン桜の三田紀房も、岩手県へのUターンに一度失敗し漫画家デビューして再上京している。
よく「何の能力もない人間は東京になんかこないで地方でおとなしくしてろ」的な言説を見かけるが、むしろ逆である。バカとブスは大げさかもしれないが、平凡な人間こそ首都圏で仕事して生活するべきである。確かにブラック企業や倒産寸前の零細企業の労働条件は、日本全国どこでもいいものではないだろう。それでも、首都圏では地方都市に比べればそういうハズレ会社に当たる確率は大幅に低い。少なくともウンコみたいな労働条件で、事故と行政処分を連発するようなバス会社は、東京では存在すら許されないのだ。
何も東京都港区や千代田区で生活しろということではない。埼玉県所沢市でも東京都町田市でも、神奈川県藤沢市でもいい。大都市圏にいる人は頑張ってそこで生活すべきだし、駅弁大学の若者は一度大都市圏で生活してみるべきだし、大学から首都圏に出てきた若者は、そのままそこで就職したほうがよい。国は地方再生など諦めて、都市化をもっと進めるべきである。
結構気合を入れて書いたのに、全然トラバもブコメもつかなかくてがっかりしてたらいきなりホッテントリ入りしてびっくりした。
いやいや、お前のほうがいい加減だろ。こっちは地方のハローワークの求人状況と家賃相場と公共交通機関のダイヤとか、人口動態統計ともろもろの地方経済統計データとかを調べながら書いたのに、そんな特殊な成功例を2個あげられてドヤ顔されても困る。島根県海士町とか徳島県神山町とかDMMとかそういう「地方で成功した企業」とか「成功した町おこし」の裏には、ウンコみたいな地方零細企業と失敗した役所の町おこしの屍が山のようにつまれてるんだから。
ちなみに県庁所在地レベルならITの仕事もなくはないが、技術レベルがアレなSIerか東京に本拠を置くWEB系企業のオフショアセンターみたいなのになる。もちろん薄給激務。技術も身につくかどうか微妙。そういうのも含めれば、無くはないといえる。
同じようなジャンルで仕事してるけど、そんな統計データも人間がそんなもんであることも前提にして、でもそこから泥臭く一歩でもよい製品を作ったり、良い製品を人に寄り添えるようにするのが仕事だと思うぞ。40になっても50になっても悪戦苦闘だよ。でも1mmずつでもいいからラインを押し上げるでいいじゃんかよ。
結局、自分達が欲しているものは、ほとんど企業が売り込んでいるものだと分かったw
当たり前ではあるが、捉えようによっては、けっこうキツい。
「自分の判断で選択した」と豪語していたものも、巧妙な宣伝で選ばされていただけだと気づいていくわけだから。
しかも最近は統計データも駆使しているから、人間の好みさえ「数字」になってしまう。
何ていうか幼少期の自分の夢や願望をすべて否定された感じ。俺という存在もその選択も数字の一つに過ぎない。
競馬のデータ分析をすると、予想屋の予想がほとんど幻想だと気づくのと似たようなものかな。
下手な予想に従うぐらいなら、統計に基づく画一的な打ち方の方がまだマシだったりするし。
営業や広告の世界は、そういうのを何とも思わないサイコパス気質の合理的な人間の方が向いているな。