はてなキーワード: 大森南とは
最近だと武蔵小杉、海老名、川口、浦和、赤羽、綾瀬、南町田なんかの地価が彼らの思惑通りまんまと上がった(正直、海老名なんかよく上手くやれたと思う。とにかくクソ遠いぞ……快速急行使っても新宿駅まで乗車時間だけで45分もかかるんだぞ)
そこで疑問なんだけど、
八潮団地とか、小田栄とか、小島新田とか、川崎大師とか、浜川崎とか、大森南とか、羽田旭町とか、
あのへんの住宅購入不人気エリアが突然高騰する可能性かなり高くないか?
猫も杓子も東京近郊に家買いたがってる状況は相変わらず続いていて、コロナですらそれは変わらなかったわけだし、
不動産屋がその気になって開発してお化粧して売り出せば必ず売れちゃうわけじゃん
上記不人気エリアは都心オフィス街までの直線距離がやたら近いし
地価高騰がありえないって言うなら、すなわち不動産屋がこんな状況下でも例示した地域を売り出す気がないということになるけど、それはどんな理由からなんだろうか?
最近、チンピラが「ガンをつけられて頭にきた」とかいう理由で同居している3才児を暴行・殺害したというキチガイじみた事件があったが、今日その続報を読んでいたら、こんな記事をみつけた。
http://www.sankei.com/premium/news/160130/prm1601300035-n1.html
大田区大森南のマンションでの夕食中、永富容疑者は礼人ちゃんが「自分をにらみつけてきた」と激高した。
さらに「テレビのほうを見た」「またにらんだ」などと次々と因縁をつけ、暴行はエスカレートしていった。
母親は「永富容疑者が息子をつかみ、ボーリングのボールを投げるようにしてガラス戸棚に投げ飛ばした。正座させて平手打ちしたり、かかとを頭に振り下ろしたりもした」と説明。永富容疑者はさらに、ベランダを指さし「行け。死んでしまえ」などと話し、床に包丁を突き立てたという。部屋はマンション4階だった。
身長1メートルに満たない礼人ちゃん。けいれんを起こして過呼吸を起こしたところで、凶行は終わった。約1時間半後のことだった。
母親は翌26日、礼人ちゃんに水や食事を与えたが、嘔吐(おうと)を繰り返し、失禁もしていた。左耳からは血が流れ出ており、「ママ、苦しい」と漏らしたという。
暴行から丸1日以上が過ぎた27日未明になって母親が「子供に熱があって、反応がない」と119番通報。すでに心肺停止の状態で、搬送先の病院で死亡が確認された。
とても痛ましい事件で、このチンピラ(永富容疑者)は死刑にしても気がすまないという人が多いと思う。
ところで、上のニュースを読んでいて気になったのは、法政大学の越智啓太とかいう犯罪心理学者のコメントだ。
法政大学の越智啓太教授(犯罪心理学)は、今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」と指摘。
おいおい、ちょっと待ってくれ。
継父や継母の場合に、虐待等の発生率が、実親の場合に比べて多いというデータはけっこう存在するかもしれない。しかし今回の事件の報道を読めば、家庭環境がどうこうみたいな次元を遥かに超越した「狂人」による犯行であることは明らかだ。要は、頭がおかしいから虐待したのであって、血のつながりがない子どもを育てることの「ストレス」から犯行に及んだなどという説明をするのはどうみても見当違いである。
俺自身、離婚歴のある妻の連れ子を育てて4年半になる。実子がもともといなかったこともあって、「血のつながりがある場合」と「無い場合」の比較は俺自身にはできないのだが、べつに血のつながりがないからといってストレスなんか感じていないし、ふつうに「かわいい俺の息子」として育てている。
正直、実際にこういう境遇に身を置いてみるまでは、血のつながりの無い親子というのは微妙なもんだろうと想像していたのだが、実際に経験してみると、子どもの年齢が低かった(4歳〜)こともあってか、全く違和感はなかった。一緒に風呂入ったりゲームしたり、公文やその他の習い事に連れて行ったりと、たぶん平均的な実親と同程度かそれ以上にかわいがっているほうだと思う。子どもが難しい計算ができるようになったりすれば俺も喜ぶし、学校に送り出すときは「今日も事故とかなければいいのだが」と毎日心配で仕方がない。
「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」(越智啓太教授)なんていう実感は全くない。
俺自身だけではなく、周りには「血のつながりのない親子」がけっこういるのだが、みんなそれなりに上手くやっている。幼なじみのお父さんが実は実親ではなかったということを、大人になってから知ったこともある。
やや複雑な家庭環境であることは確かだから、揉め事が起きやすいのは事実かもしれないのだが、少なくとも、今回の永富容疑者のようなキチガイじみた暴行が発生する可能性を感じたことなど一度もない。
べつに、「虐待の発生率は、実父の場合より継父の場合のほうが多い」と、調査データに基づいて主張されることには、腹は立たないよ。ぶっちゃけ、統計的にはたぶんそうなんだろうと思うし。
http://www.fukushihoken.metro.tokyo.jp/jicen/gyakutai/index.files/hakusho2.pdf
こんな資料があって、
虐待者の内訳は、実母が63.3%、実父が21.6%と、実父・母が虐待者であることが多くなっています。前回調査と、全体の傾向に変化はありません。
と書かれている。
実父以外の父に育てられた人の割合が、全体としては8%もいないだろうから、やはり家族関係が通常と異なる場合に、虐待が発生しやすいというのは事実なのかもしれない。
しかし、虐待に至る原因や文脈には色々なものがあるはずで、その色々な要因との間できちんと比較をした、正確な議論をしてもらいたいものだ。要は、「血のつながりがないこと」は、虐待の原因の1番目や2番目に挙げられるほど重要なものなのか?という疑問があるのである。
今回の永富容疑者ほど酷い事例ではなかったとしても、虐待に至るような親というのはそもそもおかしい人が多いわけで、その「そもそもおかしい」という点に注意を払わずに、「血のつながりがない」という家庭環境だけを取り上げて犯罪の原因を説明しようとするのは危険というか、俺のように血のつながりのない子をふつうに育てている人間に対する侮辱であると言っていい。
たとえばだが、仮に「継父の場合、虐待発生率が高い」というデータがあったとしても、そのデータだけでは、「継父だから虐待した」のか、「もともとおかしい奴だったから、家庭環境も複雑になったし、子どもも虐待した」のか区別を付けることはできない(いわゆる「見せかけの相関」の問題)。
つまり、仮に、
「頭おかしい」→「離婚再婚をくりかえしやすく、血のつながりのない子と同居しているケースが比較的多い」
という2つの別々の因果関係が作用しているだけであったとしても、統計データ上は、「血のつながりのない子と同居している」と「虐待する」の間に相関が生まれてしまって、あたかも「血のつながりがないから虐待が起きる」かのような錯覚を引き起こしてしまうのだ。
なお、さっき紹介した資料のなかでは、実親による虐待の場合はきょうだい揃って虐待されるケースが多いのに対して、継父・継母による虐待の場合はきょうだいは虐待されていないケースが多いとされている。
実父や実母が虐待を行った場合、他のきょうだいに対しても虐待を行うことが多くなっています。特に実母にその傾向が強く、「きょうだいはいるが本児のみ虐待」を受けた事例が 22.1%に対し、「本児以外に他の子も虐待」を受けた事例が 36.4%となっています。
一方で、養・継父及び養・継母はその子ども一人だけを虐待することが多くなっています。養・継父では、「きょうだいはいるが本児のみ虐待」を受けた事例が 61.2%であるのに対し、「本児以外に他の子も虐待」を受けた事例が20.0%となっています。
これを読んで、一瞬、「継父・継母による虐待は、血のつながりがないことが大きな原因なので、その特定の児童だけが虐待されている。一方、実親による虐待の場合は、それ以外の理由で虐待が起きているので、兄弟そろって虐待される場合が多い」という主張なのかと思ったのだが、よく読むと、「本児以外に他の子」というのが、虐待者の実子であるかどうかは示されていないので、そのような主張はできない。
繰り返すが、越智啓太教授は今回の永富容疑者による礼人ちゃん殺害事件について、
今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」
と指摘している。取材ではほかにも色々な説明をしたのかもしれないが、少なくとも記事上では、この教授は「子どもをボーリングのボールを投げるようにしてガラス戸棚に投げ飛ばし、正座させて平手打ちし、かかとを頭に振り下ろしたりして殺害したのは、継父だったからである」としか説明していないのである。
べつに俺自身は、誰に何と言われようとふつうに子どもをかわいがって育てているので構わないのだが、新聞記事で学者が一般論としてこんな安易な説明をするのは、差別以外の何ものでもなく、看過してはならないと思う。
それで、何なんだこのいい加減な犯罪心理学者とやらは・・・と思っていたら、以下のような記事があった。
法大教授が同性愛を揶揄する投稿 批判が殺到、「性嗜好と性指向を混同」と謝罪
http://www.j-cast.com/2013/01/07160376.html?utm_source=dlvr.it&utm_medium=twitter
神奈川でセクシャルマイノリティー用相談ホットラインができたというニュースに対して、越智啓太教授は、Twitterで「神奈川県、同性愛サポートか~次はロリコンとか熟女マニアとかもサポートしなくちゃな」などとツイートして炎上したらしい。
炎上後に色々弁解したらしいが、差別意識がなければこんな発言を口にすることは不可能だろう。
おそらくこの教授は、血のつながりのない子を育てている俺のような人間や、血のつながりのない親に育てられた俺の幼なじみのような人間に対しても、心のどこかで(あるいはあからさまに)差別しているのだろう。そうでなければ、明らかに「血のつながりの有無」以外に説明されるべき要因が大量にあると思われる今回のような事件に対して、
今回のように、自分と血縁関係がない子供と同居している場合、「『他人の子』という意識が働き、愛着が持てない。さまざまなストレスのはけ口にされやすい」
などというコメントを寄せることができるわけはない。
■■■■■追記■■■■■
それはともかく、ブコメに変なのがあったので少し触れておく。
データによると虐待事件は、実父6000件に対して、実父以外が2000件と大雑把に考えたら、実父以外の家庭の割合が25%でないと等しいといえないと。明らかに倍以上の虐待率。継父は高リスクなのは完全に事実だな
無視しているどころか俺自身が本文でデータを紹介してるのだが(笑)、それはともかく、これらのコメントは(そもそも何を言ってるのか若干分からないところもあるが)俺が書いた本文の基本的な理屈を理解してない恐れがあるので、一応説明しておこう。
「継父である場合に虐待者になる確率が、実父である場合に虐待者になる確率よりも、有意に高い」というのが仮に事実だったとして、本文ですでに言及した「見せかけの相関」の問題を無視することにしたとしても、ある人物が虐待者になるかどうかを予測する上で「継父である」という情報が重要な意味を持つとは限らない。
たとえば、性犯罪者は女性よりも男性のほうが圧倒的に多いと思うが、だからといって、ある特定の人が将来性犯罪者になるかどうかの予測に、「その人は男性である」という情報が大して役に立つわけではない(役に立つの定義にもよるが)。「男性であることによって、女性であるよりも、性犯罪者になるリスクが◯倍高い」みたいなことは確かに言えるのだが、そもそも男性であろうが女性であろうが性犯罪者になるということ自体がレアだとすると、個別のケースで何か判断をする上では、あまり意味のない情報なのだ。
またこれは、どこかで性犯罪事件が起きて、なぜそんな事件が起きたのかという原因を考えるときに、「やっぱ男だからですよ。性犯罪者は男が多いんです」なんていう分析をしても意味がないということでもある。
これと同じで、仮に継父である場合に虐待を犯すリスクが、実父である場合のリスクに比べて何倍も高かったとしても(そもそも本当に高いのかは、色々な論文等を読むまで判断できないが)、その差は、ある人が虐待を犯すかどうかの予測の役には立たないかもしれないし、既に起きた虐待事件を振り返って「原因はやっぱり、この人が継父だったからでしょう」なんていう分析をしても意味がないかもしれないのだ。
だから俺は、べつに継父であることによる虐待リスクの増大については否定していないというか、むしろそれらしきデータを俺自身がわざわざ紹介した上で、「しかし、虐待に至る原因や文脈には色々なものがあるはずで、その色々な要因との間できちんと比較をした、正確な議論をしてもらいたいものだ。要は、「血のつながりがないこと」は、虐待の原因の1番目や2番目に挙げられるほど重要なものなのか?という疑問があるのである。」と言ったわけ。
今回の越智啓太教授のコメントは、たとえていうなら、性犯罪事件のニュースに接して「男だから仕方ないっすよ」とか言ってるのと同じレベルであるように思える。そのぐらい、ナンセンスなコメントなのだ。
傾向の話をしているのに「うちはそうじゃない」なんて反論にならない
というブコメもあったが、その「傾向の話」は、今回起きた特定の事件を解釈する上ではあまり役に立たんだろうというのが俺の本文の論旨だ。傾向の話をしても別に良いというか、俺自身がそういうデータを紹介しているのだが、今回の事件についてのコメントでそれに言及するのはナンセンス。