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はてなキーワード: 卑近とは

2021-03-15

anond:20210314235710

アニメ業界作画マン物語らせん駄作になるって法則あるじゃん

たまたま取り巻きが優秀で若いうちに金ヅルも見つかっただけで、取り巻きを巻き込んで思春期から連なるルサンチマン的な感情作画に乗せて旧劇作れただけで、

ストーリーテラーとしては宮崎富野に遠く及ばない空っぽの人なんじゃないかだんだん思うようになってきたよ。その証拠に本人が充足されて会社経営なんて卑近活動を続けて結果このザマだしな。

1世代下だけど谷口とか水島のほうがよっぽど物語を作ることに真剣だと思うよ

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(2)

戻る→anond:20210301080105

倉橋由美子聖少女

まり男性女性がとは言いたくないのだが、女性作家の描く知的早熟少年たちというのは、エルサ・モランテの「アルトゥーロの島」なんかでもそうなんだが、男性が描くときはまた違った魅力を発する。サリンジャー知的論理的自分を追い詰める子供たちとはまた別の硬さがあってよい。新城カズマサマータイムトラベラー」の高度に知的でありながら情緒は年相応な少年少女もいい。

さておき、これは近親相姦お話なのだが、印象に残っている描写は次の通り。主人公たちの仲間に大食漢の男がいて、しばしば生肉弁当の代わりに食らっている。回りの女子生徒たちも面白がって彼に餌付け(?)していたのだが、ある女子生徒がブルマーを入れていた袋の中に隠していたウサギを、生きたままで彼に与えた。血まみれで凄惨な場面でありながらも、大食漢は実においしそうに平らげていた。

例の文学少女から薦められて読んだことでも思い出深い一篇。

ミラン・クンデラ存在の耐えられない軽さ」

頭が良くてモテる男が主人公なのでいけ好かないモテること、たくさんセックスすることこそが人生の目的になっているような奴は理解できない。なんか知らないやつにいきなり人の部屋をのぞきまれ、「お前の人生にはエロスが足りない!」と叫んで出ていかれるような気分がする。しかし、これもまた祖国を追われた人間が、知性と皮肉現実適応しようとした姿なのかもしれないのだ。

それと、この本で感謝しているのは、さまざまな政治的活動に対して感じていた居心地の悪さを、「キッチュ」をはじめとしたさまざまな言葉言語化してくれたことだ。ポリコレを正しいと信じているのに、そこにあるどうにも解消できない居心地の悪さが気になる人が読むといいんじゃないかな。

あとは頭が良すぎて、多くの人が無視したり忘れていたりしていることが見えてしまい、幸せになれない著者みたいなタイプが読むと幸せになれそう。イワンカラマーゾフとか御冷ミァハみたいに、頭が良すぎて不幸になるというか、自分の知性をどこか持て余してしまタイプキャラクターが好きだ。

メアリーシェリーフランケンシュタイン

死体から作られた怪物がただただかわいそう。容貌醜悪なだけで化け物として追われ、創造主からも拒絶された彼の孤独を考えるだけで悲しくなる。まったく同じ理由で「オペラ座の怪人」も好きだ。どちらも間違いなく殺人者ではあるのだけれども、容姿馬鹿にされたことがあるのなら共感せずにはいられないだろう。関係ないけど、オペラ座の怪人ヒロインから振られたことを受け入れられたのって、やっぱり正面から振ってもらったからだよな、と思う。音信不通フェードアウトされたら怨念はなかなか成仏しない。

それと、これはSF的な感覚かもしれないが、人間離れした(時としてグロテスクな)姿を持つ存在が、非常に知的であるというシチュエーションがとても好きで、その理由から後述の「時間からの影」や「狂気山脈にて」も愛好している。

ロード・ダンセイニ「ぺガーナの神々」

架空神話ショートショート形式で述べられていく。ただそれだけなのにこんなに魅力的なのはなぜだろう。彼の作品基本的に短く、しょうもないオチ作品も割とあるのだけれども、時に偉大で時に卑小な神々の物語は、壮大な架空世界に連れて行ってくれるし、すぐ隣に隠れているかもしれない小さな妖精魔法も見せてくれる。

テッド・チャン「息吹」

あなたの人生の物語」とどっちにするかやっぱり迷った。映画メッセージ」の原作が入ってるし、増田で盛り上がってるルッキズムテーマ作品だってある。だが、寡作な人なのでこの2冊しか出していないし、片方が気に入ったらきっともう片方も読みたくなる。

表題作は、意識を持ったロボットのような存在がいる宇宙お話なのだけれども、そのロボット自分の脳をのぞき込んでその複雑な仕組みに心を打たれる。そして、世界を観察することで、何万年も経てばこの世界は滅んでしまうことを悟る。人間とは全く似ても似つかないロボットたちだが、やっていることは人間サイエンス、真理の追求という営みと本質的には同じだ。何かを知ろうとする営為の尊さについて語っている。得られた知恵で、自分たちも世界もいつかは終わってしまうと知ることになろうとも、知識を求める崇高さは変わらないのだ。

イワンセルゲーヴィチ・ツルゲーネフ「初恋」

学生時代自分女性に冷たくされる文学が好きだった。からかわれたりもてあそばされたり馬鹿にされたりする作品のほうが好きだ。そのほうがリアリティがあったから。寝取られ文学が好きなのもそれが理由だし、谷崎潤一郎作品も同様の理由で好きだ。

自分馬鹿にしていた少女が突然しおらしくなり、自分に近づいてくる。いったいどうしたことか、と思って期待しながら読んで、絶望に叩き落されるがいい。

イサク・ディネセン「アフリカの日々」

ライ麦畑」でホールデン少年が感動した本。アフリカ植民地で暮らす女性視点からその生活を書いている。友人のイギリス人が亡くなったとき、まるで故郷をしのぶかのように墓が深い霧に包まれたシーンがとても美しい。

個人的には、当時の基準からすればアフリカの人々に対して丁寧に接しており、評価も概して公平であるように感じた。ところどころ「有色人種特有の」といった表現があったり、アフリカ前近代社会とみなしたり、古い進歩史観は見られるし、植民地支配者側から視点批判的に読まなければならないが、色眼鏡比較的少ない観点に心を動かされてしまったのは事実だ。

植民地時代アフリカって、宗主国以外の人もたくさんいたこともわかって面白い。当時は英領東アフリカだが、そこにはスウェーデン人もいればノルウェー人もいる。古くから貿易相手としてのインド人だっている。独立後、彼らは日本人満州朝鮮半島台湾などから引き揚げたように、撤退したのだろう。植民地について理解するためにもおすすめ

J・R・R・トールキン指輪物語

はまった。十代の頃にとにかくどっぷりとはまった。今でも表紙のエルフ文字を使って誰にも読まれたくないことをメモするレベルではまった。

かに話の展開は遅い。重厚に過ぎる。設定を語るためのページも多い。しかし、この長大小説を読むことで、開始数ページで読者をひきつけなければならない現代小説からは得られない、長い旅をしたという実感を得られるのは確かだ。小説家には良き編集者の助言は必要だが、今のように急ぐ必要のなかった時代もあったことは忘れたくない。

中島敦「狼疾記」

李陵」や「弟子」や「山月記」じゃなくてなんでこれなのか、という声もするのだけれど、自意識過剰文学少年の思っていることをすべて言語化してくれているので推さずにはいられなかった。十代の頃の感受性は、何よりもこうしたものを求めていた。親の本棚にこれが積んであったのは幸運だった。

これは「三造もの」と呼ばれる中島敦私小説的の一つであり、世界の滅亡や文明無意味さに対する形而上学的な恐れや不安意識の片隅にある人間なら確実に刺さる内容だ。最後説教パートもさほどうっとうしくない。なぜなら、きっと文学少年文学少女たちは、その言葉無意識のうちに自分に投げかけてきたからだ。

ウラジーミル・ナボコフロリータ

膨大な知識と華麗な文体を背景にして、あらゆる性的な乱行を正当化してしまうのがナボコフ作品の一つの特徴である。語り手ハンバート・ハンバートは十代前半の少女を性の対象とする中年だ。自分初恋の思い出がどうこうとか述べているが、それだって言い訳だ。

しかし、この作品はただの小児性愛者の物語ではない点が油断ならない。少女ロリータはただ性的搾取されるだけの存在ではなく、自ら性の冒険に乗り出す。清純で清楚な少女という幻想は、最初からハンバート夢想の中にしか存在しない。ハンバートにはロリータ内面や考えなど最初から見えていなかったし、見ようともしてこなかった。

ただのスキャンダラスな本ではない。これは一人の身勝手男性心理の解剖である

新美南吉「屁」

ごんぎつね」の作者として知られるが、こんなふざけたタイトルの話も書いている。しかし、これは「自分は常に正しい、正しく道徳的であらねばならない」としてきた子供挫折を描いた小説であり、この社会弱者にあらゆる責任を擦り付けている様子を全く卑近話題から告発した話なのだ自分がした屁の責任かぶらされた、いつも屁をこいている少年への同情と軽蔑は、僕らの弱者への姿勢のものじゃなかろうか。

短いし、青空文庫で読めるのでオススメ

https://www.aozora.gr.jp/cards/000121/files/3040_47823.html

仁木稔「グアルディア」

遺伝学の発展が少し早かったパラレルワールド未来舞台にした愛憎劇であり、変身ヒーローものでもある。ただのSFと違うのは、さまざまな文化が変容を受け、再解釈を受けて受容されることまでもプロットの一部として組み込んでいるところだ。さらには疑似科学陰謀論社会関係も描いている。今、読まれてほしい作家の一人だ。

仁木稔作品は僕の好み、ストライクど真ん中なんだけど、世界史や文化史、自然科学物語論の素養がないと(かじるレベルでいい)作者の構想を味わい尽くすのが難しいので、滅茶苦茶売れる作品にはならなそうだというのは認めざるを得ない。現に舞台ラテンアメリカ日本人になじみが薄いし、シリーズの別の作品中央アジアだ。それでも、伊藤計劃と並んで、社会学なんてつまらないって誤解を解いてくれた大きな恩がある作家だ。早くこのシリーズ最新刊が出ないか、今か今かと待っている。

イザベラ・バードイザベラ・バード日本紀行」

明治一年日本都市から農村を実際に歩いて見聞した手記である。率直に衛生状態の悪さやはびこる迷信批判している箇所はあるものの、その率直さが当時の日本がどんなだったか身びいきなしに教えてくれる。現代日本人が近隣の、例えば東南アジア諸国を見聞して不満がる、偽ブランドの横行や衛生状態の悪さ、家畜との同居や騒々しさなどが明治日本ではごく普通だったってことは知っておいていいと思う。

著者は北海道にも足を延ばした。アイヌ民族について日本人よりも好意的に描いている場面もある。しかし、当時の西欧人の感覚でよくわからないのだが、「粗野な外見だけどとても優しい目をしている」と褒めた民族のことを、別のところでは「将来の可能性を閉ざされ民族である」と書く点だ。もしかして、かつての人々が持っていた、文明と野蛮の間にある壁・差異イメージは、僕らが直観するよりもはるかに深刻な差別意識内包した、強固な偏見に根差しものだったのかもしれない。単純な軽蔑どころではない、もっとひどい無理解に基づいた恐ろしい何か。同じように、キリスト教によってこそ日本の悪習は絶えるという発想がどこから来たのか。そういうことを考える意味でもおススメしたい。

ハン・ガン菜食主義者」。

とても面白かった。父の暴力を遠因として、あらゆる動物的なもの嫌悪するようになった妹と、ただやり過ごすことで生きてきた姉を軸に描かれた三連作。壊れた夫婦描写に優れる。

妹は最後には精神を完全に病んで、何も食べられなくなるのだけれども、彼女が持つ植物になりたいという妄念が、本当に精神病の患者さんを観察したんじゃないかってくらい、細部にリアリティがある。

姉はおとなしいのだが、自分はただ忍従し、やり過ごしてきただけで、自分人生を全く生きていなかったのだと、夫の裏切りによってやっと気づく。夫は夫で、そのおとなしい妻に対して息苦しさを感じている。他の家庭のように、怒鳴り散らしてくれたらどれほど楽か、と嘆くのだ。

韓国ってよく叩かれているけど、日本と同じように家族のしがらみとかとかで苦しむ描写が多いので、意外とわかりやすい気がする。

進む→anond:20210301080225

2021-02-14

anond:20210214120826

お疲れ。ゴールは明確に見えているのになかなか距離が縮まらない感じなのかな?焦る気持ちが出るよな。

集中力には睡眠栄養運動大事らしいよ。頑張りすぎることでどこかバランスが崩れると、逆に悪影響が出るかもしれない。

社会への帰属はかなり欲求の段階としては高度、本能から遠いとも言えるからもっと卑近な喜びを認めてモチベに変えてみたらどうだろうか。

終わったらゆっくり遊べるぜ、とか、うまいものいっぱい食べてやるぜ、とか、バイトして金貯めて旅行行くぜ、とか。

生活の中から社会コミットするヒントが見つかるケースもあるみたいよ。

2021-01-25

次の時代西欧パブリックエネミーは中国日本韓国になるのでは?

中国の人がかかわるオンラインミーティングみたいのに出席したところ、これ見よがしにマスクをせず複数人が同じ場所に在籍していて、中国では COVID-19 を抑え込んでいるというようなことをアピールしているように思われた。実際のところ市中では皆マスクをして生活しているようであり、それは「そのように言われてやっているパフォーマンス」に過ぎないのだろうが、とにかく「そういうパフォーマンスをしたほうがいい」と思っている人が多くいるのはわかる。

翻って日本のことを考えたときに「ワクチンなり封じ込めなりでCOVID-19を消滅させればあとは元通りの生活をするだけ」という考えはほぼコンセンサスなのではないかと思う。結局、「コロナ以前」へどこかで戻ろう、戻るべきと考えているのは、中国と同じだ。

一方で、ヨーロッパアメリカでは「元通り」という気分にはなれないほど人が死にまくっている。多くの人が心に傷を負い、新型コロナ自体の影響力が小さくなったとしても、恒久的な変化を人心と社会は受けている。感染状況があまりに軽微であるため、おそらく、中国人、日本人、韓国人はその変化を理解しないだろう。もっと卑近な言い方をすれば欧米空気を読まずに無神経な行動を取りまくるのではなかろうか。その結果、欧米の人々や社会極東アジアにたいして反発するが、我々はおそらくそれを「差別」としてしか受け取らないのではないだろうか(実際そこには強烈な差別の要素も含まれるだろうから)。

第一次世界大戦によるヨーロッパ空気の変化」を読めなかった日本ナチスに並ぶ第二次世界大戦パブリックエネミーになったことが繰り返される可能性はそれなりにあるんじゃなかかろうか。

2020-12-23

anond:20201223114029

近くで見るようになればなるほどやりたくなくなるハズレ仕事だと思うよ総理大臣

卑近な例でいうと、正社員仕事待遇を同じ職場で見れば見るほど正社員になりたくなくなる非正規雇用民みたいな

アメリカ大統領がカッコいい映画プロバガンダだと思ってるw

2020-11-27

ドラマツルギー現実区別しない人々

 ドラマツルギーというのは劇作術と言って、ドラマをよりドラマらしく仕立てるために使われる方法論であったり、信念であったり、あるいは独自法則のことを言うのである

 例えば、有名なもので言うと「チェーホフの銃」という、「劇中に登場した銃は必ず使われなければならない」という法則がある。つまりドラマの中に無駄な道具立てや登場人物存在してはならないという、ある種の劇作術における信念を表しているのがこの「チェーホフの銃」というドラマツルギーなのである

 他にも卑近な例を上げるとすれば、『とある魔術の禁書目録』にて「熱膨張って知ってるか?」とか「粉塵爆発って知ってるか?」「電圧が例え数億ボルトでも――」云々、といったように、現実法則を切り取ってドラマの中に無理やりぶちこむことでドラマを成立させる手法も、一種ドラマツルギーであると言える。これらのことは換言すれば、ドラマの中にはドラマ法則性、そして、現実法則性とは独立した独自法則性がはたらいているということになる。コーヒーに浸かった銃がそのまま使用できてしまえばその時点でドラマは終わってしまうのであるドラマと、現実は違うものだし、時にはそれは大きく食い違っていなければならないものでさえあるのだ。


 で、最近見られるのはこのドラマツルギー現実法則とを幾分混同している人々である

 例えば某漫画における「意識混濁している少女結婚誘導する行為に異を唱えたい」という意見は少しズレてる、ってな話なのであって、劇を進行させるための道具立てを批判するという行為がズレていることを俺は人々に知ってほしいのである。そんなこと言ったら刀ブンブン振り回してるキャラクター現実においては銃刀法違反だし、「味方に当たったら危ないから、もっと安全短刀を使うべきだ」みたいなカンボジアPKOばりの意見さえ正当化されてしまう。

 というか、こういう物語キャラクターに対する善悪理非とか倫理的瑕疵検証する姿勢は俺としてはブーイングの対象である歌劇カルメン』に登場するカルメン倫理的破綻したジプシーから悪だ! とか言ってる人間がいたら困惑してしまうのと一緒で、「このキャラクター倫理的現実乖離している」って意見全般は、基本的ナンセンスなのだということは知ってほしいんですね。いや勿論そういう意見を一切封殺するのもまた息苦しいんだけれど、某ラノベに即して言うならば「ドラマツルギーって知ってるか?」ってな話なのである

2020-11-21

anond:20201121101543

我々が人権を獲得できたのは先人たちのやってみなければわからない抗議や抵抗運動の積み重ねだったこと忘れていませんかね。

みんな最初から勝算があって始まったと思っています

火星テラフォーミングしましょうやってみなければわからないなんて話はしてないんですよ。

家庭にあっても人の自由が生きられるための挑戦をあきらめてはならないという、卑近な、

しかしだれにとっても大切な話を今はしているのです。

2020-11-09

学歴社会へのアンチテーゼ」へのアンチテーゼ

地方国立B4です。就活をやって思ったことをば少し。

学歴関係ないって言葉をよく聞く。

地元人口10万足らずのしょぼい町だったので勉強はできた方だったけど、「お勉強ができても〜」から始まる言葉は耳にタコができるくらい聞かせられた。

もちろん正論もあった。お勉強ができても遅刻する奴は信頼を失う。でもその2つって関係なくね?なんでそんな否定から入るのか疑問でならなかった。

そして勉強できない奴ほどいつだって無能だった。言われたことを理解解釈する能力は総じて低かった。総じて、だけど。

こういうレッテル貼りってのは他者理解することから最も遠い行為であることは重々承知しているがそれでも疑問に思う。学歴機能は消えないのでは。

大学に出てきて、僕とは違う境遇の人や、他大の人も含めて色んな交友を持って思った結論がある。学歴は「積み重ねられること」の指標なのではなかろうか。ぼかした表現だが、ある程度の学歴を手にするには、よっぽどの天才舐めプ㌠を除いて積み重ねが肝要なはず。学がなくても成功している人(卑近な例はアスリート)もその能力はかなり高いはずだが、一般的に分かりやす物差しがお勉強ができるかどうかなんだろうな。Upper sideの選別よりもDowner sideの足切りとしての機能の方があるのかもしれない。

…とここまで書いて思ったのはこれってブラック企業の思う壷でしたね。

2020-10-17

anond:20201017205548

うっかり消しちゃったので再投稿しま><

 

どーも。id:ruin20です。

なんで? 貴方が「ミノリとそういう会話をするのが当たり前」と判断した理由はどこですか?説明してほしいです。

「カナメが裏表のないキャラクタだということは終始一貫している」も意味が分かりません。「裏表がない」という言葉をどういう意味で使っているのかわかりませんが、神崎さんに対する態度がすべてカナメさんの素だと判断されたということですよね?だとすると、「裏表がない」は本心を包み隠さずストレート表現するっていう意味ですか?

阿らないという意味です。いいと思えばいいと言うし、ふつうと思えばふつうと言う。神崎イラストミノリの音楽、そのいずれも評価ストレートに下すことに躊躇がない。自分物言いキツイだろうか、相手はどう受け取るだろうか、そういうことを考慮しないキャラクタに見えます。例えばミノリの音楽試聴するシーン。神崎が隠れていることに、カナメは気づいている。ここでカナメがどう評価するかはミノリは元より神崎にこそ効果を及ぼす。「洗脳云々」で言うなら、神崎イラストは叩いてミノリの音楽は激賞する、それを神崎に見せつけるシーンにここはなるでしょう。でもカナメは神崎の様子をうかがってませんし(神崎が隠れてこっちを見てることに気づいてるんだから、カナメがこっそり視線を送りながら褒めるぐらいしないとそういう表現にならないのは大丈夫ですよね?)、「ダメならダメって言います」というカナメの言葉ミノリが疑ってないことからもカナメがそういう人物であるという証左になるでしょう。

ちなみに前回の話は読んでませんでしたw

前回の話が顕著ですが、少なくともミノリに対して「直接感情ストレートに見せるタイプ」だとは思いません。

いやー、今回と描かれ方ぜんぜん違いません?(話の主旨、とでも言えばいいのか。前回はカナメ→ミノリの好意の話で、今回はゲームづくりの話) 前回ラストコマが顕著ですけど、「ミノリさんもってわけじゃないですからね。全っ然」っていうのは本心逆ですよね? なぜ逆の言い方になってるかについては解釈が分かれるところでしょう。照れ隠しともとれるし、からかってるともとれる。ただ本心が逆というのは同意いただけますよね? 卑近な言い方をすれば「女の顔を見せている」ということです。「言い方考えよ」のシーンはビジネスの話をしてるわけなので、本心と逆のことを言う理由がない。逆に「言い方考えよ」のシーンで本心と違うことを言っていると思う根拠はなんですか? 作品上該当ページをそうすることによるどんな効果があります? 私は「彼女なら大丈夫ですよ」が強調されてることからもカナメはキツいことを言ってるけどその分、彼女を見込んでるということが示したいページだと受け取りましたが。

で、1つ目の回答は「ミノリとそういう会話をしないと、神崎言葉で籠絡しようとしている話にならない」からですね。上記で述べているように、「言い方考えよ」のシーンはカナメが神崎が見込んでることを読者に伝えるシーンだと私は思ってます。それ以外の意図が作者にあるのならその意図表現されているはず。でもそうなってはいない。という辺りでいかがでしょうか。

2020-09-13

anond:20200912074948

卑近な例ですと、マスクを配ってくれるとか10万円を給付してくれるかどうかとか。どなたが決定権をお持ちかをご存じないのかしら?

2020-09-03

白井聡氏の記事が全く理解できない

こんにちは大学政治学を学んでいる学生です。白井聡氏の論考が、鋭い指摘をしていると一部で話題になっているそうです。無料公開分を読んでみたものの、私にはどこが鋭いのか全くわからなかったので、疑問に感じた点をまとめました。

以下の引用は、論座掲載されている『【1】安倍政権の7年余りとは、日本史上の汚点である』(白井聡)に基づきます

(1)

本稿で私は、第二次安倍政権2012年12月に発足し現在に至るまで続いたその間にずっと感じ続けてきた、自分の足許が崩れ落ちるような感覚、深い喪失感とその理由について書きたいと思う。

タイトルには「日本史上の汚点である」とあり、これまでの政権比較した上で安倍政権が汚点であるとの主張がなされている。しかし冒頭の段落で「深い喪失感とその理由について書きたい」とあり、タイトルと内容が乖離しているように読める。

(2)

「[多くの日本人安倍政権を支持してきたという]事実は、私にとって耐え難い苦痛であった」とあるように、記事の1ページ目全てを使って、白井氏は己の「知性と倫理基準」を満たさな政治家が支持されている現状に対する深い失望感を述べている。

しかし、白井氏が評価に用いた「基準」が明らかにされることはない。これは学術論文ではないことは重々承知だが、仮にも学者を名乗りメディア寄稿する者が、印象論を展開すべきだと私は考えない。

(3)

無論、あちこちで指摘されてきたように、どの領域においても安倍政権は長期安定政権にもかかわらずロクな成果を出せず、ほとんどの政策が失敗に終わった。

私の知る限りでは、安倍政権政策には賛否両論あった。例えば、政権代表的政策であるアベノミクスは、株価の上昇をもたらした一方で、日本経済の実力を示すとされる潜在成長率は低水準に留まっているし、デフレの脱却も達成されていない(「アベノミクスの8年とはいったい何だったのか」東洋経済オンライン)。外交についても、日米同盟を強化し安定的ものにしたという側面もある一方、拉致問題は進展を見せなかった("The Abe Era Ends, Cheering China, Concerning Washington", Foreign Policy)。これは評価問題であるから、「ほとんどの政策が失敗に終わった」と結論づけるならば、その理由を示すべきではなかろうか。少なくとも、「あちこちで指摘」されているのなら、それらを引用すべきである

(4)

こうして腐敗は底なしになった。森友学園事件加計学園事件桜を見る会問題などはその典型であるが、安倍政権は己の腐りきった本質さらけ出した。

白井氏は腐敗の例として、伊藤詩織氏に対する性的暴行事件森友学園事件加計学園事件桜を見る会問題を挙げている。これらに関しては、新しい政権の下で調査を行うことが必要だろう。流行語にもなった「忖度であるが、私には構造的な問題に思えた。というのも、忖度があるのならば、それは官邸の強い人事権、また中央省庁を頂点とするピラミッド型の組織を背景とするはずだからである官僚組織官邸から独立しているのであれば、何も官邸の顔色を伺う必要はない、また強い分権型の組織であれば、中央省庁忖度を汲む可能性も減る。つまり忖度組織構造がもたらすものであり、政権担当者関係なく起こりうるものではないか。腐敗が疑われる事例があったことは間違いないが、それを政権固有の問題として片付けるのは、政治学者としてあまり稚拙であると考える。

(5)

例えば、新元号の発表と改元の時の政権の振る舞いを思い出してみれば、それは明白だ。先の天皇(現上皇)の譲位意思に対しては執拗抵抗を試みたくせに、新元号の発表となれば、安倍は前面にしゃしゃり出て、「令和」に込めた自分の「思い」を滔々と語った。

私は年代的に平成改元とき事情を知らないが、これは比較することが必要ではないか。小渕元首相は「平成おじさん」と呼ばれていたと聞くが、それは白井氏のいう「抑制的」な振る舞いだったのだろうか。パフォーマンスとしての側面があったとするならば、今回は譲位という形をとり、準備に時間があったことも理由としてあるだろう。

(6)

十分に機能してきた制度センター試験)をわざわざ潰して民間業者を導入する主たる動機は、安倍の忠実な従僕たちの利権漁りである安倍自身の知性に対する憎悪がそれを後押しした。

「十分に機能してきた制度」、「安倍自身の知性に対する憎悪がそれを後押しした」という主張には根拠必要であると考える。両者ともに白井氏の印象ではないか特にセンター試験については、教育学等の知見があるのではないか

(7)

安倍政権下で失われたもの、すなわち公正と正義をめぐる議論が提起され、それが実行に移されなければならない。

3ページ目に入る。この引用では、安倍政権下で公正と正義をめぐる議論が失われたとあるが、果たしてそれはそもそも存在していたのだろうか?卑近な例を挙げるならば、雇用環境性差別をめぐる問題は、安倍政権以前からあったと記憶している。

(8)

体調不良とこれまでの政権運営における責任問題は、完全に無関係である

この箇所には同意できる。政権全体への評価必要だろう。

(9)

私たちの再出発は、公正と正義理念の復活なくしてあり得ず、その復活のためには、総理自身違法脱法行為の究明が絶対的必須である

この箇所には同意しかねる。(4)でも述べたように、不正為政者個人問題ではなく、構造的な側面を持つものだと私は考えるからだ。政府という巨大な組織を、その頂点にいる者が意のままに動かしていると考えるのは、あまりにも非現実的ではなかろうか。総理個人だけを追求するのは、非本質的な結論しか導かない。

(10)

どの事件にも、その背後で進行する社会構造の大変化などを感じさせるものは何もなく、ただひたすら凡庸ケチ臭い

引用文を含む前後段落意図が掴みかねる。政治家スケールの大きな不正をする方が大物だと言いたいのだろうか。

全体を通して

政治には腐敗がつきものであり、安倍政権もその例外ではないはずであるから政権の終わりを調査の終わりとしてはいけないという意見には納得できる。しかし、政治と腐敗を特定政権と過度に結びつける白井氏の論調は、腐敗・不正を許しうる構造への追求を妨げるものだ。

また、この文章を「学者」として公開することの意義は何なのだろうか。少なくとも私は「学者」という職業に就く方には、その他大勢の「評論家」とは一線を画する議論を求めたい。

評論家」ならば、印象論で語ることも、明確な根拠を示さず何らかの主張を行うことも大目に見られるであろう。しかし、専門家としての訓練を経たはずの「学者」は「評論家」とは異なる論理展開をすべきである。主張には適切な引用があるべきだし、用いる言葉定義を明確にすべきである

もしも、本来ならば専門家たるべき「学者」が、都合よく「評論家」の顔を使うのであれば、それこそ知性の劣化ではないか

記事には直接関係ないが、白井氏はFacebook上で人の生き死に関する発言を軽々しく行なったと聞く。白井氏には、そして日本大学の全ての大学人の皆様には、是非とも学者としての矜持を持った発信をしていただきたい。印象に基づく議論は、分断と対立を深めるだけである

2020-08-21

anond:20200821141701

 普段増田書き逃げなんだけど、凄く切実そうに見えたので、大マジレスする。釣りなら釣りでいいや。代筆にならない程度に書く。なお、私は「子供教育」の疑似体験をめちゃくちゃ傲慢に楽しむからな。

 まず一言で。物事ジャッジするのが辛いなら、物事ジャッジするのが辛いと"まず"書く。これが私流感想文。それすらも書きたくない、というのは、自己主張をしないのが美徳空気を読みすぎて空気なるのが楽って思ってしまっているので、そこは個性であっても伸ばすべきではない。怠惰に近い。なお、「感想文を書きたくない。」が書き出しの読書感想文を書いてもいいぞ。上級者向けだがな。

 当然ながら、よくある読書感想文指導面白かった、は何が面白かったか」「よくわからなかった、ならなぜよくわからなかったか」も、立派な指導ではある。けど、これは修羅の道。なぜなぜ分析ができるならいいんだが。「面白かった、ところで私は~」「よくわからなかった、ところで私は~」のほうが楽でしょ。やっぱり自分のことを書くのが一番楽なんよ。

 さて、話し聞いた限りだと、

物事ジャッジするのがとてもストレスになるようで、「ある人から見たらいいことでも、別の人には悪いかもしれないじゃん、だから自分はどっちとも決められない。作文で○○と思いました、って書くと決めなきゃいけないから書けない。」と言います

ここがすごく良い種。何読んだかしらんが、ここを1文目に、そのまま書いていい。例えばこうだ。

 「私は物事を判定するのがとても苦手だ。何故なら、ある人から見たらいいことでも、別の人には悪いことかもしれない。それを考えると、自分はどっちと決めるのが(億劫/ずるい/傲慢/いけないこと/理不尽)な気がしてくるのだ。どうしても決めなければならないとなると、だんだん辛くなってきて、泣きそうになってしまう。」

 ほぼそのまま、一人称文語にしただけ。ここからスタートして、本のタイトル書いて、その「どちらが正しいと決めたくない」ポイントを文中から引っ張り出してきて、両論書いて、みたいな構成にすると思う。私ならね。登場人物決断して何かを切り捨てるシーンとかがあったら儲けもんだ。「私には主人公理不尽権化に見えてしまう」とか書けば、先生も「お、コピペ感想文じゃないな」となってくれる。

 書くことを楽しむなら、一文目をもっと派手にしてもいい。「私に決断をさせるな!」とか、「感想言葉にするのが、とても辛くて泣きそうになる。」とか。後者なんて、どんな感動超大作を読んだのか?と思わせておきながら、「別に本の内容に感動したわけじゃない。感想言葉にすること自体が〜」と、ずっと卑近な話に流れるから意外性もあって楽しそう。

 ともあれ、他人がどう思うか、を考えられるのはとても優しいお子さんなんだと思う。読んでいただければわかるとおり、私は我と圧の強いメンタルをしていて、他人とか知るかよ、という感じなので、私とは全く違う読書感想文がかけると思う。

 身勝手なこと言うけど、そこを褒めてみてほしい。「褒められてどう思った?」が書けるようになれば、多分この「物事ジャッジするのが苦手」をフォーカスした感想文にオチがつけられる。「優柔不断自分だけれども、親は「相手のことを考えられる優しい子」だと褒めてくれる。これを甘やかしととるか、個性を伸ばす教育ととるか、ジャッジはしないでおこうと思う。」な具合で。私だったら褒められてなくても捏造してこう書くけど。

2020-07-03

anond:20200702000854

直接関係ないが、「お気持ち表明」って陛下のアレが元ネタだよな。

それをあえて卑近事柄に用いるのはおそらくハセカラが嚆矢か。

すっかり村にも定着した感がある。

やっぱ陛下日本国民象徴だわ

2020-05-19

anond:20200519212929

じゃあ逆にお聞きしますが

今この瞬間社会に出て、すぐさま活躍世界的な新商品を開発できる学生は何人います

画期的臨床医薬を作れる人材は?紛争解決できる人材は?

もっと卑近に、会社の現行赤字を帳消しにできる働きぶりを見せられる学生さんでも良いですよ


ほとんどいないでしょう?

そういった学生たちは大学でお遊びをやって真面目に社会をお勉強していません

役に立たない学生なんかに支援する必要はありません

無用の長物なんですから

2020-05-07

技能実習生風俗アンフェアネスに対する選択について

コロナの大流行現在進行形世界歴史が大きく動いている。日本に住む私達は政府から自粛要請され生活様式が一変した。私の生活にも様々な変化があったが、そのうちのひとつ自炊する頻度が大幅に増えたためスーパー野菜売り場で悩むことが多くなったことだ。そのときに私が感じ、考え、悩んでいることを書き残そうと思う。

技能実習生制度が許せない

私は関東の某県で医療に携っている。三次救急指定病院大学病院に勤務していた時期があるので、様々な重症度の患者を診てきた。そのなかでも幾人かの忘れられない患者達がいる。外国人技能実習生だ。4年間で3人、それぞれ様々な疾患のために入院治療に当たった。そして3人とも保険に入っておらず、退院直後に帰国する手筈を(多くの苦労のすえ)整えた。そのなかで技能実習生の送り出し機関や受け入れ企業組合大使館入国管理局保健所などと交渉する機会があった。また逃亡した技能実習生の横の繋がりや助け合いについても知る機会があった。詳細については記載できないが、本当にこの制度は許せない。これは絶対に続いてはいけない仕組みだ。そう確信させるような失望交渉相手が信頼出来なくなるエピソードが何度もあった。私は今でもその担当した1人が救急外来処置を受けながら「アッラーフアックバルアッラーフアックバル!!」と叫んでいたこと、その後回診のとき仕送りをしないといけない家族が何人もいること、日本アニメ好きだ、とはにかみながらTシャツに描かれたキャラ名前を教えてくれたことを忘れられない。彼らはいまどうしているだろうか。生きていてほしい、母国でも治療が続けられていてほしいと願う。

私が携った人のうち2人は農業従事していた。私はこの県の農業に、少なくない人数の技能実習生が関わっていることを知っている。そして彼らが低賃金で、過酷労働環境で、理不尽契約で、無保険で働いているからこの野菜売り場の一部の野菜がこの価格販売されていると想像する。コロナで多くの人達が困窮している、だから私は自分の手の届く範囲人達の手をとりたい、応援したいと思っている。その一環として地元野菜を買おうと手を伸ばすとき、(でもこの野菜技能実習生の誰かの苦しみのうえにあるんじゃないか?この野菜を食べて応援することはその制度を維持することに力を貸すのでは?)と考えてしまう。

一方で、地元農家の人々の顔も知っている。彼らの家庭環境経済状況もほんの部分的であるが知っている。あのおばあちゃん今年は桜見れたのかなぁ、と思い浮かぶしかし、その野菜栽培された県や農家写真はあっても私が知りたい情報である外国人技能実習生酷使されて作られたものかどうかはスーパーの展示からはわからない。当たり前だ、私達は私達が生きることで踏みにじる命や人生を知らなかったことにして生きるほうが快適だからだ。

私は個人的な関心と決意から技能実習生制度は許せないと思っているが、例えばこの記事を打ち込んでいるiPhoneがどんな環境で作られたものかは知らない。知らないからこそ次の機種の買い替えを楽しみにしていたりする。多分調べれば多くの情報が出てくるだろうが、あまり調べる気になっていない。フェアでありたい、自分倫理観に沿った選択をしたい、でも自分知識時間預金限界があることが歯痒い。

私はそういった葛藤を抱えて、どうかこの野菜理不尽な苦しみのうえに存在するものではありませんように、と小さく祈りながら地元野菜を選ぶ。国内フェアトレードの普及、そしてなにより技能実習生制度の一刻も早い改善を心から願う。

私は風俗を利用しない

これは関連があるようなないような話であるが、私はヘテロセクシャルアラサー独身男性であり、そして風俗いかないことにしている。岡村隆史発言で活発な議論が交わされているが、私は選択肢が大幅に狭められたにもかかわらず本人の自由意思による選択から自己責任である、という論には与しない。様々な反論があるだろうが私は日本社会男尊女卑根底にあると感じている。卑近な例で言えば医学部入試問題女性医療従事者の産休育休問題患者女性医療従事者に対する風当たりなどについて思うところが大いにある。そういった社会のなかでもとから職業選択経済的不利があり、世界的な不況さらに苦境に立つ若い女性が本来選択するつもりがなかった職業として風俗というハイリスク職業(感染症としても、また働いている最中/働いたあとのスティグマとしても)を選ばざるを得ない状況になることを社会的に成功した男性が心待ちにする姿勢放送することは品性が欠片もないと感じる。深く恥じてほしい。私はそういった他人の苦しみを踏み台にして自分の性欲を解消したくないし、自身の、そして今後パートナーになりうるかもしれない人への感染防御のために風俗いかないことにしている。正直にいうと私はモテない。パートナーは長くいないし、この5年で性交したのは2回だ。どうしようもなく孤独で寂しく、自暴自棄な気分になったとき風俗サイトを開いたり体験談を読んだことは何度かある。それでもやはり現時点の日本男性風俗を利用することは男女間の権威勾配に胡座をかいているように私は感じる。私はこの社会構造に納得していないし、与したくない。セックスするならお互いの自由意思で、対等な関係でしたいと本当に願っている。

アンフェアネスに対する私の選択

なぜこの話題を出したかというと、技能実習生制度風俗はともに弱者不公平社会制度が前提としてあり、本人の自由意思による選択から自己責任という体で存続しているアンフェアものだと感じているが、両者に対する私の対応が一貫していないように感じたからだ。

私は地元野菜を買う、風俗は利用しないという選択をしている。アンフェアネスに対する選択が違うのはなぜだろうか、と考えると、野菜を買うときは直接加害者にはならないが、風俗を利用するときは直接加害者になるからでは……?と気付いてしまった。もし野菜を買うときに小さく祈ることで一定確率技能実習生の苦しみに寄与することが許されるなら、風俗を利用するとき対応してくれる風俗嬢が選択肢を狭められた結果ではなく、本人の自由意思風俗従事していますようにと小さく祈ればいいのでは?と。あるいは一貫性をもたせるために地元野菜を一切買うべきではないのでは?と。

現時点での結論

妄想仮定のうえの思考実験自己欺瞞かもしれないが、今は以下のような結論にしている。仮に地元野菜回避して別の県の野菜を買ったとして、どれだけ技能実習生の苦しみが減るか不明である。一方、私は野菜を食べたい、また地元の県の経済を少しでも回したい。都道府県別に技能実習生生産に関わった野菜がわかるなら、より少ない県を選ぶ。そういった情報がない以上、小さく祈りながら地元野菜を選ぶ。しかしもし今後よりよい買い方があればそれを選ぶ。風俗嬢がまったく経済的に不自由しておらず本人の自由意思従事している可能性はゼロではないが限りなく低いと想像する。私が愛した女性が私をパートナーとして受け入れずひどく孤独であることと、私が風俗を利用するかどうかは別の問題であり、風俗アンフェアネスがある限り私は利用しない。という結論になった。

勿論この考えは完璧ではないと思う。本当に技能実習生を憂うなら抗議デモに参加を考えるべきだし、風俗を利用しない選択結果的風俗嬢の経済的苦境を悪化させるかもしれないし、利用しないことが風俗が賎業であるという偏見を後押しするかもしれない。(もし私の友人や家族風俗従事したいと言い出したらまず止めるだろう、そしてそこに一部もスティグマがないかと言われると難しい)不十分な情報をもとにした不十分な選択かもしれないが、今の私はアンフェアネスに対してこういった選択をしている。

私は自分の考えを確かなものにしたいので、もっと他の人の意見を知りたいです。野菜のより良い買い方や風俗利用について、そして根本的にはアンフェアネスに対する選択について、是非意見を教えてもらえないでしょうか?参考文献も購入を検討するのでご教示いただければ嬉しいです。

18時48分 追記:ブクマレスありがとうございます。全部目を通します。あと参考文献を載せてくれた方、ありがとうございます。購入しました。のちほどいくつか返信できればと思います

2020-03-05

anond:20200305061410

アートっていうのは手偏の漢字すべてだよ

人がなにか加工したものアーティフィシャルの語源

まあここでは日本人の大好きな「芸術」つまり狭いアート限定しておこう

術というのも行の部分で両手をつかっている状態を示す形象文字にすぎないんだが

日本人芸術といえば茶道みたいに(意図理解しなければただ空虚笑い種しかみえない)

儀式セレモニー)として奉ることが正当だとおもってるから

 

中世アートだってコンテクストはあり、空気読めない作者は

ミカン農園股間じわのついたミニスカート女を立たせた絵を描いたごとくにさんざんに怒られた

たとえば受胎告知というタイトルなのに聖母マリアらしき女性が青い服着てない、天使百合の花もってないなどは

いくら上手くてもけちょんけちょん、「なに考えてんの」「おまえ破門な」だ

 

しかるにこういったコンテクストによる価値づけは日本人卑近唾棄すべきとおもっている

フェミニスト価値観のほうがずっと自分の頭や感性をつかってる分芸術に近い

無知日本人は「自分が知らない・理解できないものから無条件にえらいものだろう」と奉るへんなアニミズム癖がある

二次元スカートはいてるからエロくなんてありませ~ん」もその派生

そうだな二次元萌え絵でまつ毛ばっさり深海魚あるいは0歳児みたいなデカ目に描かれてるのは神秘的で素敵だな

そして作者側もこれに積極的に乗っかっていくw

現代アートにあふれる「無題」w 

どうして無題か聞いても「おれ頭悪くてかっこいいタイトル書けないから」w

マクドナルドでふとおもいついたくだらないアイデアを発展させたものだとは

知らせない方がかっこよくみえるだろうという中二病同士のじゃれ合いw

 

漫画でゲジヒトだのノイシュシュヴァルツシルトだのドイツ語流行るのもドイツ語中学校選択できないからだ

ドイツ語がすらすら読める人にとってはなんで冠詞つけねえの変化させられねえからかなプゲラなのに

 

まあしょうがないよ 前沢氏だの麻生氏だのお金もちで芸術理解ありそうな人だってたいした基準で選んでるわけじゃない

日本にはまともな批評ができる芸術批評家がいないのだ

民衆芸術としてのアニメ映画でいいよもう

新型コロナ禍とはつまるところ

社会システム冗長性の問題じゃなかろーか。

平時無駄のなさ=有事の余力の無さ。

平時においてはムダなコストとなる余裕を、いかにうまくいろんなところに細かく散らしておくかということ。

まり働き方改革だよ。

正社員いかに定時に帰らすか?なんていう卑近目的意識じゃなく

いか競争力を維持しながら余力を貯められるか?にターゲットすべきなんだよ。

だろ?

敢えて漠然とした話を垂れ流すが

新型コロナ禍とはつまるところ

社会システム冗長性の問題じゃなかろーか。

平時無駄のなさ=有事の余力の無さ。

平時においてはムダなコストとなる余裕を、いかにうまくいろんなところに細かく散らしておくかということ。

まり働き方改革だよ。

正社員いかに定時に帰らすか?なんていう卑近目的意識じゃなく

いか競争力を維持しながら余力を貯められるか?にターゲットすべきなんだよ。

だろ?

2020-01-30

anond:20200130135351

卑近な例に置き換えると、

たとえば高校三年生文芸部員が、

試合に勝ったという高校一年生の剣道部員に、

「よかったやん」って言って背中を叩いたら、

「敬意がない」「マウントとってる」と思うんか?

よくわからんで。

2019-11-28

七つの大罪みたいな概念

2〜20個くらいのカッコいい名前がついたものの集まり 由緒ある方がいい

例えば生命の樹とその対になってる邪悪の樹なんてかなりカッコいい トランプの大アルカナもいい 数は少ないけど中国四神獣も渋い 十二支ちょっと卑近すぎるかな

あんまり手垢が付いてないやつないかなあ 七つの大罪マジで馬鹿ひとつ覚えレベル酷使されてすっかりダサくなってしまったように思う

2019-07-19

きょうの逸材

鈴木雄介 Suzuki Yuusuke

@suzukiyuusuke3

今日までアニメはある種の人々(一般オタクと呼ばれる)の信仰対象になっていた。それは新興宗教だった。以前、あるアニメをみろとそういう人達に奨められ、なんとか苦労して全話みてみた上で、おもに美術批評言語を使って率直に批評したところ、その種の狂信者から大変しつこく誹謗中傷された。

それで私は気づいた。アニメは或る一部の人々にとっての正真正銘宗教なのだと。信者の中に批評言語は持ち込まれない慣行になっている。だから私がちょっとしたきっかけ(アマゾンプライムビデオに入ってみた)で一時的にひきずりこまれたその業界中では、同調か全拒否どちらかしかできないのだった。

アニメ手塚治虫ディズニー辺りから流行しだした新たな映画形式といえるだろうが、その商業芸術が主な客にしているのは一般大衆の中でも子供や、特に幼稚な大人である宮崎駿でさえ子供向けを前提にしていたから、総じて知的障害に近い社会不適合者を大勢ひきつける結果になるのは必然だった。

私が何とか苦労してあるアニメを全編みてみたのは、そのアニメファンネット上で制作陣を執拗脅迫していたのを知っていたからだ。アニオタによる猟奇的事件引き起こしている作品とは何かを確かめてみたのだ。結果はひたすら幼稚な中身で、反社会的知的障害ボーダー層を煽っていたのだった。

京アニ作品は1度もみたことがないから中身については何もいえないのだが、昨今アニメとりまく状況は嘗てのものとは全然様変わりしている。それは上述のよう反社会的精神遅滞に近い人々が大勢新興宗教として崇める対象になっているという点で、過去アニメ界とはまるで質が違うのである

アップルCEOティムクック氏が京アニに同情の様なツイートをしていて私はこの事件について知ったのだが、彼はアイフォンの主要な顧客である日本人全体の中でも、京都に新たな店舗を設置したところなどから現代アニメ界をとりま社会病理をまったく無視して単なるテロとして扱っていると思う。

他の大衆娯楽、たとえば(これも京都本社がある任天堂に縁が深いが)テレビゲームとか、映画とか、漫画小説みたいなものアニメが「サブカルチャー」として近い位置づけにあるのは確かだが、現時点のアニメはほぼ深夜テレビなどで提供される無料の娯楽で、いってみれば下流の慰み物なのである

村上隆氏はアニメの無教養(Lowbrow)な性質を、知的文脈操作欧米美術史に皮肉位置づけで乗せることで有名になった。端的にいうとアメリカのポップアーティスト漫画に素材をとったのを日本ネタで流用したのだが、一時的に彼の援護的唱道者だった東浩紀氏らも、アニメ公民権を与えた原因だ。

なにがいいたいか日本政府が麻生大臣や、東氏に親しい猪瀬都知事が在籍していた時期に、クールブリタニアを表層的に猿真似した文化政策であるクールジャパンでアニメにお墨つきを与えたのは、間接的に東京圏スーパーフラッターが影響している。要はアニメの暗黒面は意図的無視されていたのだ。

アニメは「わかりやすく」「子供に愛されており」「みなが大好きな」「誰にとっても望ましい」「外国人にも大人気で」「日本文化象徴」といった凄まじい厚化粧で美化されてしまった。背後には労働集約的手描きの不合理な制作過酷長時間労働地獄があり、知的ボーダーの客層による退廃があった。

たとえば同人誌という分類がある。二次創作という名目アニメキャラに、変態性欲の性行為をさせる独自制作漫画アニメ作品販売するとんでもない退廃主義世界が、東京コミックマーケットを中心に勃興していた。石原都知事時代には一部は18禁化されたが、堂々と非実在児童の性を含んでいる。

美術史の中ではバルテュスを筆頭に、その種の児童性愛表現や、ギリシア美術とか江戸春画などに由来した変態性欲的なエロス表現は多かれ少なかれ容認されている。つまり同人誌サブカル派生物として、未来では昭和平成・令和期の主に東京での大衆芸術の姿と歴史化されてはいるだろう。

京都中世、「上方」と称し、大衆蔑視の高踏的な文化傾向を自認していた。が上述の任天堂や今回被害にあった京アニはそうではない。京都府民の一部は東京文化を自らとりこみ、多かれ少なかれ低俗大衆芸術販売しはじめた。これは質的変容でもあるし、アニオタによる炎上事件伏線にもなっている。

サブカルなるもの低俗で無教養一般大衆相手に客商売するところに発生した。しかアニメは単なる売り上げの為ますます大衆の中で最も愚かな者」を最大公約数の客層にしようと幼児退行じみた卑俗化を極めていった。その極点に起きたのが某アニメ制作陣への脅迫事件や今回のガチ炎上事件なのだ

今日アニオタと呼ばれる人々には、おそらく東京キー局によるテレビニュースコメンテーターが訳知り顔でいいそうな「犯罪者予備軍」といった客層が確かにまれている。それは例えば高IQ知識人とかハイカルチャーの客層(日本ではほぼ絶滅しているが)に比べてより多めに含まれているだろう。

なぜなら、上に述べたとおり、東京京都アニメなるものは金儲けを目的に、できるだけ量的に俗受けする為、どんどんと卑近表現に自らを変質させていったからだ。要は、下流相手に客商売しているので、当然ながら犯罪者反社会的知的ボーダーの部類もアニメファンには含まれしまうことになる。

なぜ彼ら下流的な知的ボーダー層に昨今のアニメ宗教とみなされているかだが、私のみたかぎり、彼らは知識社会全然ついていけていない。当然ながら幼稚極まりない娯楽作品しか理解できない。資本主義の手順に従い広告費やグッズ販売などを目的に次々流される深夜アニメが彼らのたまりなのだ

ニコニコ動画は、今では国際レベルビリビリ動画にお株を奪われたが、嘗ても今もこのアニオタ層と極めて親近していた。2chねらー誘引した西村博之氏らが匿名コメント機能をつけたので、名誉どころか恥も外聞もない反社会的犯罪者との境界例にとって極めて居心地のよい居場所になったからだった。

もう一つ、注目すべき事件があった。悠仁親王アニメエヴァンゲリオン』内で引用された、ロンギヌスの槍とほぼ同じピンク色に塗った二股刃物で、或る被疑者脅迫した事件だ。この槍は神学上、磔刑後のイエスを突いて聖性を否定した遺物とされており、王権神授説の否定意識した事件だったろう。

アニメオタクそもそもが、虚構現実と多かれ少なかれ混同し易い脳の性質の持ち主が大半であろう。さもなくば作り話にいつまでも夢中になるわけもない。いわゆる偶像崇拝禁忌という私徳が弱い人達といいかえてもいい。この点では、ポケモンGO等を禁止した一部のイスラム法学者正見を述べている。

そして虚構現実混同し易い脳は、一般子供の時点でそうなり易いのが経験的に明らかなかぎり、いわゆる精神年齢の低い人々により多くみられるはずだ。つまりアニオタは単に批評言語が拙いだけではなく、アニメ内で表現された思想宗教的に鵜呑みにしがちで、かつ知的ボーターも相当混じっている。

から、多かれ少なかれ類似の退廃がみられる他のサブカル(例えば小説とかも)含め、一切近づかないことにした。その内部にいる人々は特定宗教信者とほぼ類似エコーチェンバー残響室)内にいると自覚し、サブカル批判を進んで行うのが賢明だ。

https://twitter.com/suzukiyuusuke3/status/1151922241971478528

2019/07/19

アニオタ炎上

現実アニメ混同発狂偶像崇拝悪しきアニオタ

金儲け俗受けアニメ流布しつつオタク炎上悪しき京都

中華思想自文化中心差別していなか蔑視の悪しき京都

国内外うろつくアニメオタクらが偶像崇拝広め媚び売る

同調圧力加えアニオタの下衆な妄想流布し炎上

https://yuusukesuzuki.blogspot.com/

2019-07-02

さっき、とあるところのコメントを読んで、じんわりと不安になってきたんだが

もし今日おれが通り前に襲われたら、いやもし不慮の事故か何かで誰かに危害を加えてしまったら

その時世間に公開されるおれという人間は、ひょっとして卒業アルバム写真なのではないか…?

卑近のおれを切り取ったスナップ写真というものはどこからも出ないんじゃないか…?

という恐怖が湧いてきた

…この恐怖というのは、つまり、「いい大人なのに卒業アルバムしか顔写真がなかったのね」と誰かに思われてしまうことへの恐怖だ

2019-05-18

人はなぜ「なろう系」とその読者を同一視してしまうのか

電車の中で30代男性ONE PIECEを読んでいるのを見たとき「こいつは仲間と共に冒険の旅に出たいのだな」とは思わない。

電車の中で30代男性進撃の巨人を読んでいるのを見たとき「こいつは危機的な状況に飛び込み巨大な問題解決して英雄になる妄想を抱えているのだな」とは思わない。

しか電車の中で30代男性賢者の孫を読んでいるのを見たとき「こいつは会社がつらくて自分能力絶望しているから死んで異世界に生まれ変わってチート能力を貰って楽して大活躍したいのだな」と人は考えてしまう。

まるで脳にバグが仕込まれたかのように、人はなろう系の主人公と読者を同一視してしまうのである

なろう系のアニメが始まったときに「よーしいっちょ俺TUEEE(笑)でも見てスカッとするかなー!」とかなんとか自分言い訳しながらそれを見る。

そして最強の力を持ちながらそれを誇るわけでもなく積極的に行動するわけでもなく何か問題に巻き込まれとき淡々とそれを解決して周囲から褒められるだけの主人公に「感情移入できない」ことに驚く。

感情移入するための物語」のはずなのに主人公にまったく共感しないしスカッともしない。

なんだこれは。何が面白いんだ。

混乱を来した脳みそひとつ結論を導き出す。

「つまり、この作品は出来が悪いんだ」。

なろう系の土台には二次創作SS文化がある。

二次創作SSにはしばしば作者の妄想が爆発して生まれた最強完璧主人公が登場する。

最強完璧主人公自分を同一視できないのは当然だし、その非現実的存在不快にさえ思うだろう。

二次創作SSには「ヘイト」だの「断罪」だのといったジャンルがある。

原作で嫌いなキャラ二次創作のなかで徹底的に酷い目に遭わせてウサを晴らすというものである

そうした文化にもとづいて最強主人公へのヘイトが登場する。

チート能力を手に入れて調子に乗ったモブ勇者がそれ故に失敗を重ね、周囲から嫌われ、最後には謙虚主人公ボコボコにぶちのめされるという話である

なろう系にはこうしたエッセンスが色濃く残っているので、主人公チート能力を手に入れてもあまり調子に乗らない。

あるいは、即物的快楽に見向きもせずに大きな目標を目指すようなキャラ造形になる。

二十年以上もかけて、お約束メタり、それが新たなお約束となり、またメタり、気に入らない展開を潰し、好ましい展開を真似してきた、その果てに現在のなろう系がある。

しかし大多数の人はもちろんそんなお約束など知らない。

理解できないものをみたときに、思わず自分理解やす卑近で俗悪な解釈に落とし込んでしまうことがある。

それが故に人は「なろう系」とその読者を同一視してしまうのであろう。

まことに愚かなるは人の子よ。

2019-04-29

ていうか本当に哲学をほぼ勉強つくしたのなら医者なんかやってる場合でなく哲学者になったほうが無双できていいのでは

卑近な例で言っても英独仏+αで学術論文読み書きできるってそんじょそこら医者ときじゃ絶対かなわないでしょ

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