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はてなキーワード: 卑近とは

2023-02-08

たとえ出版物(自費出版ではなく)でも、その本の全てとは当然言いませんけれど、著者が自分が書こうとしてる文の持つ意味念頭におかず、極端なたとえかもしれませんがうわごとや管を巻くように言いたいことを書き連ねてるっていう箇所が混在してる場合もあるんですかね。もっと卑近なたとえをするならツイッター感覚と言うか、ツイッターは当然主張しっぱなしで無責任にも根拠を書かないということも普通ですが、そんなふうに書かれた文も普通にあるということですかね。

2023-01-06

要するにフィルター機能不具合なんだと思う

コラボなどの女性支援団体公的機関バックアップを多大に受けたり行政立法に関与したりしてる件

自民党カルト宗教である統一教会との関係をいまだに精算してない件

・先日朝日新聞イケダハヤトをなんか好意的に取り上げてた件

他にもいろいろあるんだろうけど卑近な例として三つほど挙げてみた

これら全部に共通してるのは、持ち上げる側(東京都自民党朝日新聞)の選定眼というか、こいつはちょっとヤバいから撥ねとけ、みたいなフィルタリング機能してない点なんだと思う

俺の親類に自民党地方議員やってる人がいるんだけど、数年前にその人が統一教会系の団体の催しに出席したことがあったのね

俺はその人に「あれは統一教会系だから距離を取った方がいい」と伝えたことがあったんだけど、まあ案の定全く理解して貰えなかった

その人曰わく「あの団体慈善活動特別熱心にやってるし多額の寄付も欠かさない、素晴らしい団体だ」と

で、昨年安倍総理が銃撃された事件後しばらくしてその人と話す機会があった

その人は「統一教会ってそんなに嫌われていたのか」とショックを受けてた

なんかね、判断基準が古いというか、その古さを脆弱性として相手から付け込まれてるというか「良いことをしてるかどうか」だけでフィルター機能の判定が終わっちゃってるっぽいんだよね

その人に、統一教会過去所業をまとめたサイトをいくつか見せたんだけど、その人マジでプログラムバグのように固まってしまってたよ

好意的につきあうべき」と「批判的に接するべき」が同時に発生して、脳がフリーズしたんだと思う

コラボの件にしても、代表者の常日頃から攻撃的な言動ヘイト発言の数々が東京都担当部署の判定のパラメーターに取り込まれてないんだと思う

たぶん「良いことをしてるから」だけでもろもろのフィルター機能全部通過しちゃってるんじゃないか

からこれから求められるのは、東京都自民党といった大きくて公的機関フィルター機能をどのように改善していくか、なんだと思う

たとえば反社会的組織交際したらコンプラ違反ペナルティ食らうとか、そういう仕組みにどのように落とし込んでいくか、なんじゃないか

2023-01-03

anond:20230102150139

初詣というのは自分の心の中に神様の居場所をつくる行為だと思うんだよな。

自分もそうだけど、日本人の多くって本気で神様存在肯定してはいないじゃん。

初詣なんかでもクリスマスハロウィンとかと同じで単なるイベントとして消化してる人も多いと思う。

まあ、そういう関わり方でいいとは思う。

俺もそうだったしさ。

でもさ、いっぽうで神様存在必要としてる心の部分もないこともないんだよね。

例えばさ、俺は今年一年〇〇を頑張るぞ!、と決めたとしてもただ自分の心の中だけで決めていては頑張らなくても別に、まっいいか、で終わるじゃない。

そのために有言実行とか言って周りに〇〇、

たとえば禁煙するとかダイエットするとかを宣言するやり方とかが存在するんだけど、

世の中にはそういう卑近なことじゃなくて、

もっと大望というかちょっと口に出して他人には言い難いような大きなものを抱えていたりする場合もあるじゃない。

あるいはちょっと言葉にするには照れくさいこととかさ。

家族とか配偶者とか、

そういう人の幸せのために生きていこう、

なんて言葉自分の中に秘めることも多いわけだけど、

ただ思ってるだけではなしに

「誓い」とか「願い」という形にして自分の心の中の神様に「宣言」することで、

その思いをしっかりとした形づくられたものとして、心の中の神聖領域へと移動させることが出来るんだよね。

まあ、このへんの感覚は何言ってんのか全然わかんない、って言われるところかもしれないけど少なくとも俺は心の中に俺の個人的神聖場所というもの必要としている。

そういう場所を開く行為として初詣を俺は毎年行っている部分がある。

から、俺はわりとガチ神様と向き合うし、少々の時間を頂いて作業としての初詣の回転率を落としたりしてるので迷惑だな、と思われたりすることもあると思う。

でもさ、俺にはその時間必要なんだ。

それはコロナ禍で初詣に行けなかったことでよっくわかったことなんだ。

もちろん俺も本気では宗教をやってない。日頃は神様ことなんて考えることはない。

でも、だからこそ年に一度だけは神聖場所を心の中に開く行為必要なんだ。

そうでないとうまくいかなくなってしまう。

意味はわからいかもしれないけど、時間必要としているということだけは出来ればわかってほしいし、そして申し訳ないが少しだけ時間を使うことを許して欲しい。

元増田がいうマナーとか作法として無駄時間を使うのはやめようよ、という話とは少しズレるけれど、初詣時間を使う人の心理とは?、のひとつの例として書いてみた。

2022-12-09

すぐ他人バカアホって断罪する人

アラサーになって世間のことがようやく少しわかり始めてきた

一方で、ネットですぐに企業経営層や官僚もっと卑近な例だとスポーツの首脳陣(サッカー野球監督運営層とか)をあいつらはバカだと断定する人を見て疑問に思うようになってきた

彼ら彼女らはどういう所を見てそう言ってるのだろう??

  

自分世間的には頭が良い方とされる京大を出て世間的には頭が良い人が就職するとされる会社就職した

10年ほど仕事をしてその中でいろいろな人に関わったけど、身の回りの人を頭悪いとかバカとか思ったことは一度もない

協力会社取引先の方、みんな優秀だなと思って過ごすことができた

(厳密にいうと、もっと頑張ってほしいとかやりにくいなとかはあったけど、根本的にバカとか思ったことは本当に一度もない)

 

1つ確信して言えるのは、部外者が「こうしたらいいのに」とか言うことは、当事者は当然考えが及んでいるということ

ネットですぐに反応される、こうすればいいのにとか言われてる案は当然考えられてて、特に検討の初期段階で既に揉まれてることがほとんど

 

また、上層部が頭悪い、お偉いさんはクソみたいな意見は常に一定の支持を受けるけど、

大企業中央官庁意思決定に関わる人(プライム上場大企業取締役級、中央官庁局長級課長級やそれに準ずる人)と仕事で接する機会あったけど

やっぱりそこまで行く人はそれなりにきちんと優秀な人がほとんどだった

同族企業で…というパターンは私の経験も多くはないので知らないけど…本当に無能な人も血縁存在しうる環境は確かに一定程度はあると思う

 

ただ、最後にまとめていうと、ネット増田ブコメ簡単他人無能だと断罪できる人ってどういうキャリアでどういう世界でやってるのかなってのが不思議だなって思うのです

 

 

追記

すぐにいくつかのレス増田ありがとうございます

 

一瞬見た後で修正されたかなと思うけど

「(そういう人は)有能な人が少ない階層にいる人が多い」

この意見自分が今そういう思いにまさに染まりそうで怖かったので増田してみました

そのコメントくれた方を批判したいわけじゃないです、でもそれでも自分に取り込むとその見解って偏見に思えるのです

ミソジニーミサンドリー、どっちが男性でどっちが女性全然覚えられない

と思っていたのだが

アンドロギュノスと同じパーツが用いられた言葉だと気付いた

すなわち両性具有卑近な言い方だとふたなり

ギリシア語でアンドロ(男)+ギュノス(女)

ミサンドリーミス+アンドロで、ミソジニーミス+ギュノスなのだなあ

そしてアンドロってのはアンドロイドのアンドロだ

アンドロイドは「人間を模したもの」くらいの意味で捉えればいいはず

往々にして人間男性は同じ単語表現されがち

これで覚えられる

2022-12-08

NFT卑近な使い道

個人が開催したゲーム大会で、参加者順位証明するNFTを売ったら面白そう

2022-10-30

将棋は次の100年へ進めるのか

将棋は崇高な文化である棋士は日々己の頭脳を磨き、それを魂を削り、命を傾けて対局に挑む。盤上の勝負けが彼らの生きる縁(よすが)であり、生きる意味将棋同義になるほどに没入して闘う。その生き様に、そこからまれ珠玉棋譜に魅入られたもの達が価値見出し、やがて国が誇る文化ひとつとして昇華した。

…したはずだった。

人口からすればほんの僅かな選ばれた者たちだけがなれるのが棋士。誇らしく、また、ある程度、将棋をするだけで生活保障されるという夢。巨大なスポンサーと太客に支えられ、ボードゲームで生きていく。そういう類の夢の職業であるはずである

世の中、しがないサラリーマンだけで構成されたら面白くもなんともない。己の才能と矜持努力で夢を掴む職業がある方がいい。それに大企業市井の人々が金を出すのもまた夢のひとつである

棋士は崇高な職業であるが故に、彼らのことは彼ら自身で決める。団体は煌めく脳細胞集合体なのだから、律するルールは己らで決定するのである。そうしてきたし、そうしているし、これからもずっとそうする。自分らで決め、自分らで裁き、勝ち、負け、蹴落とし、蹴落とされ、また這い上がり、生きていく。

昔は新聞テレビ国民情報収集と娯楽を担っていた。家庭内ではサラリーマン専業主婦と子を養えるだけの給与があったため、家長の力が金銭的にも精神的にも強く、将棋はそこにおいては祖父父親文化的な嗜みとしての強い立場がある程度存在していた。新聞将棋の強い親となり、国営放送積極的であった。そういう時代があった。

人間が鎬を削って苦しみ抜き、勝ち負けを決める盤上の駒を使うゲームは、金を払う価値があった。

あれから随分と時が経った。新聞テレビだけで満足する時代は終わった。家長けが働いても食える時代ではなく、家庭のバランスも変わった。メディア父親はもちろん、どちらも生き残ってはいるが、台頭するスマートフォンタブレットに、男女が働く時代に、馴染まないと生きてはいけない。将棋自体は、スマートフォンで気軽に指せる時代にもなったが、気高く素晴らしい棋士存在は、意義を問われることとなる。

新聞が金を出しきれなくなった。テレビで流すことも極端に減った。他業種のスポンサーは追加され、ストリーミング再生放映権を売った。

どうせ親が金を出すから将棋だけしていればいい時代が終わった。現代に馴染むためにはエンタテインメント化されるのは必然だ。あるとき道化となり、メシを食い菓子を食い、ついでに将棋を見てもらう。若き救世主地球侵略しに来たことによって、それは加速された。

メシアAIという集合知を連れて侵略にとりかかった。それは将棋の内容においての改革意味していた。向上しようとするもの必死に縋り付くもの諦観を持って見守るもの、利用して他の切り口を模索するもの…。面白くなった、つまらなくなった、指すものからしても、観るものからしても、取材するものからしても、どう思うかは人によって違う。

そしてメシアは強烈なファンダムをも従えた。アイドルとは偶像崇拝を示すのが元の言葉である新時代では避けて通れないSNSというものの圧倒的な力で振りまわす、いや、振り回されたのか。

繰り返すが、太い親とパトロンで保たれていた内側の秩序は崩壊した。

ひとつひとつの力は小さいが、集まれ世論をも左右するファンダムコントロールしなければこの星は滅びへと向かう。メシアが星を滅ぼすのではない。彼はどうやら将棋を心の底から愛していそうで、まだ、メシアで居続けようとしてくれている。まだ。

滅ぶのはファンダムコントロールできなくなったときだ。ファンダムはある時は鮮烈に良さを訴え社会現象を作りだすが、ある時は量で圧倒してスポンサーをも非難する。諸刃の剣に近い。

ファンダム集合体であり、それぞれの知性もまちまちだ。ひとつ事件が起これば、愚鈍発言がもてはやされる場合だって大いにある。SNSで取り上げられるのは、必ずしも論理的倫理観のある発言ではないからだ。

文化という話に戻ろう。文化とは何か。それは半永続的な魅力のある、それ自体一般市民人生必要のないものだと定義したい。生きるのに必要はないが金を出す価値がある。卑近に言えばそういう類のものだ。

将棋で生きている、または、将棋に関連して飯を食っているものからすれば噴飯ものの言いようかもしれない。だが、一般社会ではそういうものだ。将棋が無くなって、困る人の方が少ない。世界には多くの人間存在していて、多様な娯楽があり、人生があり、他の仕事がある。

将棋と関わり、生きていくものにとって生きづらくなった、と思われるかもしれない。そう。いま、生きるとはそういうことだ。何かすればすぐに炎上し、働き方は厳しさを増し、対面での人間関係は難しい。他の人々も何かしらの生きづらさを抱えて生きている。それが現代社会だ。認めなければいけない。

身分や全てを隠した故、自分がここに書いたことを卑怯誤謬や脚色に満ちていると思われてもいい。ただ、将棋棋士を素晴らしいものだと思っている。たった1人の棋士存在自分将棋への見方を変えた。メシアでもない、かつてのメシアでもない、残りの棋士のひとりだ。自分は彼に将棋を指し続けて欲しいからこれを書いた。

どの立場からも、互いに歪み合っている場合ではない。不用意にお気持ちを述べることも、ただ黙って推移を見守ることも、それぞれのファンダム暴走することも、形勢を有利にはしない。

匿名はてブで書くのは非常に遺憾だった。しかし、それにも、それでもきっと書く意味はある。職業・年齢・性別・棋力は伏せた方がよかった。たとえば、

会社員で30歳で男でウォーズ四段だ。

大学生20歳で女で初段免除待ちだ。

棋士40歳で男で七段だ。

経営者で60歳で男で町道場三段だ。

主婦で50歳で女で駒の動きしか知らない。

この5つの前提で同じ文章を書いた時、それぞれ違った先入観が発生する。そういう階層区別が罷り通るのがこの素晴らしい文化からだ。(なお、一例であり、上記のどれかが自分に当てはまるわけではない。)

何かが変わるだろうか。この星はどうやって滅びるのか手をこまねいて見ているだけはもどかしい

将棋を次の100年へ。

それぞれが考慮する時間だ。

2022-08-29

anond:20220828030644

そこまで極端じゃないが、親は絶対愛玩用搾取用を分けてるよねと思う。

分け隔てなくはしてないよねって思う。

愛玩用の子の無法は許されても、搾取の子の無法は許されないとか。

愛玩用には割かし何でも与えられるが、搾取用には何も与えられないとか。

どちらが愛玩用でどちらが搾取用になるのかは本人の性格と親との相性によるんだろうな。

卑近な例だと、甘えん坊の方が母には愛され、手下みたいな感じのほうが父には愛されそうだが、夫婦パワーバランスによって家の搾取用・愛玩用も決まる。

搾取の子供になっちゃったら、成人したら可能な限り逃げることだろうな。

親は変わらないかもしれないけれど、親と関わらないことで心の平穏は保てる。

2022-08-26

anond:20220826003132

本に囲まれることと、本を読むことは別の話だね。

そして、他人添削批評してもらうというのを繰り返さ差ないと文章力はつかないだろうね。

図書館非正規雇用職員にそういう訓練をしたことがある人がどれだけいるのかは知らんけど...

卑近な例だと、論文業務文書添削してもらうというのがありそうだが、果たして図書館非正規雇用職員にこれまでそういう機会があったか

2022-08-23

自我の切り売り

ここ10年くらいで一気に、配信者、が増えたと思う。

それこそ昔はニコ生くらいしかなかったのが、今ではスマホ一台あれば、無限配信サービスもあるから、増えるのは自明なんだが。

かくいう自分も、配信者をやっていた。同接は多くて15名くらいの、底辺底辺だ。

話すこと自体は好きだったし、YouTube収益化ができたときは嬉しかった。(スパチャを投げられるとかそんなことはないので半年収益は数円だったが)

推しイラストレーターイラストを依頼とか、配信者でなければできなかっただろう。

そう、自分を切り売りした結果としてできることは増えるので錯覚しがちなのだが、擦り減っていくものは、かけがえのない大切な何かなのだ

これをうまく説明する語彙が、自分にはないのだが。

皿の上に差し出しているソレは、簡単に消費されていいものではないし、消費される側もする側も、麻痺しているように感じる。

配信者側は今言ったように、できることが増えていくから、擦り減ったものには目が行きにくいし、

視聴者側も「配信者が好きでやっていることだから自分も好きに応援しよう」と考えるものだ。

さら根深いのが、思うに、「素人である」ことだと思う。

自分もそうだが、とりたてて絵がうまいわけでも、歌が上手いわけでもない。トークも平凡だと思う。

絵や歌、ゲームの巧みさなど売れるだけの芸があるなら、それを売れる。だが、自分も含め、素人にはそれが無い。だから自分のものを切り売りするしかない。

枯れたスポンジから血が滴るようになっても、売れる芸などないからだ。

そこまでして承認欲求をかなえたいものなのか、とは自分も思う。

自分場合は、始めたきっかけは承認欲求だったのだと思うが、今となっては素人自分の話をなぜか面白いと聞いてくれる人がいるから、その人たちに自分のできる範囲内で精一杯お礼がしたい、そんな感情なのだ

から、ひとくちに承認欲求肥大化問題、というのも自分としては違うと感じる。

等身大自分を切り売りして、売った分だけできることが増えて、承認欲求も満たされて、

気が付いたら致死量まで擦り減っていた何かによって、いつか、死んでしまうのではないか

少なくとも自分は擦り減った結果、あんなに話すことが好きだったのに、「ああ、こんなにもことばって伝わらないんだ」という絶望を得た。

どれだけことばを重ねても、

「なるほど!××ということですね!」「自分がいつ××だと言った!?

と頭を抱えることが多く、それが耐えきれなかったんだろうと思う。

ことば、言語というもの相手自分が一意のものを思い浮かべるためのコミュニケーションツールだと思っていたばかりに、本当につらかった。

今となっては、いつ、どこで、誰と話す時だとしても、「どうせ自分言葉は伝わらないのだ」という諦観絶望支配するようになった。

まあ、自分の具体例で言えば話が通じないやつを放置、ということができなかった自分不器用さに原因があると思うから別に構わないのだが。

それでも、「話が通じる人もいる」ということを信じられなくなったのは、自分にとっては大きな損失だろうとは思う。

最近トレンドひとつに、「夢を追いかける若い少年少女を消費する」文脈があるような気がする。

もちろん、これは最近に限らず昔からそうで、だからオーディション番組甲子園はみんなが好きなんだろう。

ただ、ネットの普及、SNSの浸透、素人でも誰でも配信ができるという状況が、これを加速させ、卑近にしているように思えてならない。

少なくとも、オーディション番組甲子園のように、覚悟をもって飛び込む、ということはなく、敷居が低く気軽に飛び込めるようになっているのは間違いないだろう。

それに加え、先でも述べたがオーディション番組甲子園のように、明確な一芸を競うなら、そこまで自我は痛めつけられないと思う。そこでの失敗は能力の不足(まあ運もあるだろうが)と割り切ることは比較的容易だ。自分を切り売りする場合に比べれば。

オーバーリアクションばかりしていると、寿命を縮めるという。

ひとの感情は、それだけコストのかかるものなのだ

決して簡単に消費されて良いものではないはずだ。簡単に皿の上に載せて供して良いものではないはずだ。

と、思うのだが、私だけだろうか。

2022-07-19

anond:20220719171224

リベラリスト根拠は(中略)個人へ委ねられている。この問題点現在まさに問題視されている特定宗教団体問題と殆んど違いがない

現在まさに問題視されている特定宗教団体、すなわち旧統一教会問題は、霊感商法によって破産にまでいたる多額の献金プレッシャーマインドコントロール、合同結婚による海外への日本人女性に対するhuman trafficking など人権無視の疑いのある諸活動と、そのような団体政権与党の関与の疑いでは?

かに自称愛国者たちの言論活動反日を掲げるカルト関係世論的には重要ポイントになるだろう。

思想的な対立であるかのように言ってるけどどこまでも卑近で単純な話だと思うんだがなぁ

追記元増田は要するにリベラルだってカルトじゃん!と言っているっぽくて、そのうえで同じカルトなんだからこれは思想内容の対立だ!と持っていこうとしているように見える。しかし実際はリベラリズム、あるいは保守主義でさえ思想のもの特定個人権威に頼ったものとは言い切れず、さらに本件の問題統一教会活動内容そのものにあると思われるがいかがか

2022-07-13

法や道徳を守らないのが成功のための唯一の道なのかよ 2022.8.8 22:40追記

追記する】

なんで1ヶ月前に書いた増田が今更ホッテントリに入るのか……

ひろゆきやガーシーは書いた当時に話題になってたから話の枕にしただけで別に羨ましくもなんともないよ(22:45追記: 羨ましくもなんともないは言いすぎた ちょっとうらやましい お金ほしい)

「日々を心安らかに過ごすことが成功です」みたいな人の話は別の機会に聞くから回れ右してほしいんだけど、少なくとも収入知名度の点でほとんどのはてなーよりも成功してるでしょ?そのくらいは共通認識にできませんこと?

天才は法に縛られない!お前は凡人だから成功できないだけだ!みたいなウスラトンカチなこと言ってるのがいるが、別に凡人なのは自覚してるからくだらねえ話すんなよ

天才「かつ」法に縛られない人間ばかりが成功してるように見えるからそんな社会ダメじゃね?って話をしてんのよ。なんなら道徳的天才よりも法に縛られないだけの奴のほうが成功してね?俺は道徳的天才成功してほしい

ちなみにビジネスの話ね?個人成功で言うと基準曖昧になるから、みんなが聞いたことがあるような大企業グレーゾーンを通ってきてない企業なんてある?

追記した】

ガーシーが話題になってるし、あとひろゆきとか、例が卑近すぎるなら大きいところではマーク・ザッカーバーグとかイーロン・マスクとか

詐欺的な行為とか違法、脱法的なことで金や注目を集めて事業を拡大していくのが成功のためには必要に思えてならない

企業単位でもソフトバンクなんか違法スレスレっていうかダメじゃね?みたいなこともあるし、飲食チェーンで労働基準法守ってるところなんて皆無だし

ときどき話題になるようなベンチャー貧テックみたいな知的障害ボーダーを狙うオレオレ詐欺みたいの出てくるしメルカリは盗品市だし

大きくなってからようやく色々整備したようなところは実際あるかもしれんけど、拡大時期から律儀にルールを守ってた大企業なんて存在するのかな

ルールを守りましょう、他の人を大事しましょう、って教育しておいて、そうでない人が成功してもてはやされるのはなんだかなあ

2022-07-08

サイゼリヤ番号化問題について

qyosshy 誤注文がなくなって客にも店にもやさしいシステムしか思えん。聞き間違いだの頼んだ頼んでないだのが発生する仕組みを倫理的に正しいと思える感覚理解できん。/ 労働者側の視点が無いんだろうなあって思う。

yP0hKHY1zjyP0hKHY1zj 何十年も前からバーコードという形で生が番号化されているのだが、それを当たり前のように受け入れてきてファミレスの数少ないメニューの3桁の番号化で急に危機感を持つところがかわいい

akutsu-koumiakutsu-koumi 気に入らん人は騒いでおれば良いと思いますよ。でも銀行ATMを導入して倫理が損なわれましたかセルフレジの普及が人の機械化を推進しまたか自分漠然とした抵抗感を尤もらしい言葉に置き換えているだけでは?

slimebethslimebeth この手の人が下らないのは文中の老婆のような上の世代が嫌がってたことはあっさり受け入れてる点だな。文明の利便は享受したい、若い世代感覚は受け入れられない、我々世代情緒けが真っ当!てのは老人の我儘だ

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/anatatachi_ohno/status/1544470962011115521



このブクマ連中の言っていることは一応は正しい。しかし、人間機械産業システム論理に組み込まれて、人間が取り替え可能部品のようになっていくことへの抵抗感や違和感は、マルクスウェーバーアーレントフーコー主題でもある。大野さんを老害断罪するのなら、これらの偉大な(とされる)哲学者老害断罪されなければならないだろう。

「新しい便利なモノ」に対して、何も考えずにさっさと適応できてしまう人と、違和感抵抗感を覚えながら少しずつ適応していく人と、どちらが人間としての主体性を持っているかと言えば、やはり後者であろう。前者の人は、今の中国のような独裁権威主義体制にも「便利だからいいじゃん」と、あっさり順応できてしまうに違いない。


ただもともとの最初エピソードサイゼリヤという、主題の大きさに比してあまり卑近な(個人的意見では不適切な)事例だったので、誤解を招きやすい面があったのは確か。また前後文脈大事なので、切り取られるのが宿命Twitterでは、論じるのに最も向かないタイプ議論でもある。GAFAのような事例で、字数を費やして活字で論じるべきだろう。

2022-06-22

anond:20220622172814

そうなんだよね。どっかのタイミングでそういう文化として定着しちゃったんだろうけど、一貫性はないし謎。

卑近な例が思いつかなくて挙げられなかったんだけど、例えば論文誌のPNASを「ピーナス」と読んでひんしゅくを買うみたいなやつ。ピーエヌエーエスでいいだろっていう。

2022-05-27

シン・ウルトラマンは『ベルリン・天使の詩

シンマンさんが「人間を好きになった」ように見えない、という感想を時々見かける。id:whkr さんのブログの、理解できない対象への好奇心、という解釈は納得できる。

自分も鑑賞後に、長澤まさみLOVEみたいな卑近な解りやすさを避けたんだろうな、と思いつつ、自分なりに少し考えた。

https://twitter.com/y_gurizou/status/1528323226899648512

https://twitter.com/y_gurizou/status/1528494336773869568

映画は、シンマンさんの監視員立場を逸脱した罪を贖う物語として再構築されており、勿論、贖罪テーマにした文学映画は多くあるけれど、人間への思い入れによって天使立場を逸脱してしまった、という『ベルリン・天使の詩』が、補助線として近いかな、という感想です。

2022-05-07

anond:20220507223421

卑近な例で言えば男女で公衆トイレ構造は異なるが、そういう直接は作用しないほんの少しの環境の差が心理的性差を生み出している可能性は大いにあると思っている

誰がなんと言おうと男は男として育てられるし女は女として育てられるのは事実なのだから、そういう逃れ得ない環境要因は無視できないはずだ

そういう作用を不十分な現在脳科学だかで「肉体による性差はない」と断言できるだろうか

2022-03-20

どうして弱者男性定義程度でそう揉めるんだろうね。

そもそも歴史的な話として封建時代の「男系長子相続社会」みたいなモデルを「男子優遇社会」だと社会学者なんかが判断したのが始まりっしょ。それはそれで間違ってない、なぜならこの社会において女性財産相続権がないわけだから

んで、この社会は「男子優遇社会なのはそれはそれでいいんだけど、じゃあすべての男子がそうなのかといえば違う。具体的には長子以外の男子相続権がないし、長子のスペアとして自由やら権利やらが制限されてきた。つまり男子優遇社会」の中で相対的弱者だった。これが前近代封建社会における弱者男性だよ。

上記の話は歴史上の話であって直接的には現代社会には関係ない。のだけど、現代自由主義社会を作るに当たって、その恋愛観や男女観を形作るときに、騎士道物語的なロマンチック・ラブイデオロギーを利用したってのはある。女性人権なんざ薄っぺら封建主義から人道人権重要近代主義に移行する仮定で、女性尊重するに当たっての「物語」として男性女性を守るべしみたいな価値観が挿入された。

でもそれって「物語」であって「価値観」だから色んなものがごっちゃになって濁って導入するしかなかった。物語って多面的ものから仕方ない。

「男は女を守るべきだ、それが男の甲斐なのだ」みたいな価値観日本で言えば文明開化から戦後昭和に至るまで、そういうのが繰り返されてきた。ジャンプ漫画だってその影響は強くある。それは細かく精査すれば、男性側の労力的精神力的あるいは財産的な「持ち出し」にあたる行動規範だ。

しかし、前述したように封建的だった時代から男性女性よりも優遇されてきた。最終的には優遇をなくして同権社会を作ればいいんだけど、一足飛びにそこにはいけない。社会が混乱するし下手したら壊れる。なので、男性優遇社会優遇分を「再配分」するために、男性側が持ち出して女性を遇するという文化要請された。

時代が進み現代になっても、この文化はあちこち根付いている。卑近な話で言えばデート料金をどっちが持つかって話にもなるだろうし、専業主夫にたいする風当たりの問題もあるだろうし。

現代社会においては「男系長子相続」が強要されているわけではない(※日本でも一部田舎家系ではそういう文化が残っていたりして話を面倒くさくしてるんだが)。だからそういう意味でもう僕らの社会個人主義自由主義の社会だ。

にもかかわらず、再配分文化の名残で、男性その男性の能力財産とは無関係に、何らかの持ち出しを続けなければならないとすれば、それは再配分を超えた搾取であるのだから弱者搾取ではないか? これが現代弱者男性でしょ。

別に難しい話じゃないし、明快な話なのに、なんでこんなに混乱してるんだ。

歴史に学べとは言うけれど

歴史に学ぶ、というのはそんな簡単ではないと思う。そもそも現在が本当にその歴史と同じ状況なのか?ということをまず考えなくちゃいけない。

かつてヨーロッパヒトラーズデーテン地方併合を黙認したのも、「歴史に学んだ」(そっちの方がうまく収まると考えた)からであり、結果的にそれは悪手だった(と政治学教科書に書いてあった気もするが詳細はよく覚えとらん)


卑近な例で恐縮だが「歴史に学ぶ」といえるのは、次のようなミクロレベルのものくらいしかないのではないか

例えば、夏目漱石時代は「小説なんて読んだらバカになる」と言われ、彼の小説も蔑まれていたと聞く。

今は「なろう小説」や「異世界転生もの」が盛んにバカにされているけども、それははたして正当な評価なのだろうか?自分人間のよくある「新しいものバカにする」習性にハマっているだけという可能性を考えると、簡単バカにはできないように思える。

2022-03-07

自分の想いを子の名前に託す行為に可哀そうという人は、好きな野球チームやタレントにちなんだ名前をつけられた多くの子供達にも同じ感情を抱いて生きてきたのかな

https://b.hatena.ne.jp/entry/4716189011670940290/comment/n-styles

これ普通そうじゃない…? って思ったんだけど、この書きぶりを見るにそうじゃないのが世の中では普通なのかもしれん。

正確には可哀そうだとは思わない(他人名前に対してそう思うべきではない)が、名前をつける側がそういうことをしてはいけないと思う。だってその人のアイデンティティになるもの卑近実在のものに依ってるのって、それを知ったときに嫌な気分じゃない? 万一それが好きだったらいいけど、明らかに他人の好みを押しつける形でしょう。

これは二分法じゃなく程度の問題で、どこに線を引くかという話でもある。自分名前をつけられる側だったら、すでに実在がない歴史的もの偉人とか)なら許容範囲かなー。死んだじいちゃん名前、とかでもOK。つける側だったらそもそも具体的なものから名前を取らないと思う。

2022-01-31

十二夜空の青を微分せよ街の明りは無視してもよい ある和歌分析

問十二、夜空の青を微分せよ。街の明りは無視してもよい 川北 天華

概要構造構成分析結論を述べる。

概要
詠人

川北天華。当時は進学をめざす高校生。進学は最終目標ではなく過程ひとつだろう。

歌全体が試験問題体裁をとる。

単語と語法は平易。しかしそれらはすべてべつの何かを表象する。示唆により言外を表象するテクニック掛詞とよばれるが、この歌は全句が掛詞構成されさらに全体として言外のなにかを表象する。このため通常の和歌範疇を超え、たぶんに神話的な雰囲気を持つにいたる。

分析

配置


物理地学問題文をなす歌を助詞などを除去し単語をならべその内容を検討

内容は上記のとおりテスト光景に二分され、交互にならんだふたつの要素がリズム形成している。


リズムベクトル

テスト光景、ふたつの要素は卑近受験をひかえた高校生という状況をあてはめると、この世代特有神話的要素がうかぶ



テスト光景という対極を交互につなぐ構成は内外両極を往還するリズムを生んでいる。対句法ではくくりきれない振り子のようなリズムである。その振り子は往還をくりかえしながら全体をある方向へとすすめてゆく。机上の1枚の切片にしるされた問12という即物的文言は夜空を数式で描けと命じそのときは下界を無視せよと結ぶ。一枚の切片がもとめる問いは振り子のようなリズムのなかで一瞬にして無限宇宙へと拡大し発散する。読者はこの内外両面、両極往還のリズム、そして机上のちっぽけな紙片から数式をとおして一気に宇宙にひろがる強力なベクトルによってここちよく翻弄され、さまざまな記憶作用を楽しむことになる。じっさいのところこのリズムベクトルは、おとなとこども、他発と自発受動能動服従と自立ーつまり境界面を生きる高校生生活リズムベクトルのもので、それらが作者、あるい読者のこころのゆらぎそのもの表徴する。


単語分析

問十二

夜空

微分

明り

無視

良い


各々の単語および叙述は高校生にとって卑近ではあるが軽くはない。試験問題、ふと見上げる夜空、その奥にひろがる宇宙。それらは作者の人生の主要な一部、あるいはすべてかもしれない。ひとつひとつ単語が表層の意味から遊離して現状と行く手の不安、悩み、探求、願望、希望、決意といった、思春期から青年期にかけての心象を表象する。この歌は、読者ひとりひとりに当時の記憶を想起させる力を持つ。

述部の分析

展開は三部で序破急をとる。

序・問十二

テスト問題からはじまる文章表現そもそも斬新なのだが、それを体言止めとして何かを宣言している。この宣言は直裁に読者にとどき、読者はこの歌とともに問いに挑むことになる。

十二は天文暦法と関連がある。詠人だけにわかる何かの符丁かもしれない。だがそんな読み解き以前に十二月受験シーズンであり、夜空がもっとも冴えわたる季節でもある。受験生たち、あるいはかつての、そしてこれから受験生となる読者たちは、冴え渡る夜空にひろがる大宇宙を仰ぎ何を思うだろう。


破・夜空の青を微分せよ

専門術語の唐突な投入は文脈を破砕し衝撃を生む。

この衝撃はじゅうぶんに非凡な序を一気に振り切り読者を天空打ち上げる。

微分される夜空の青とは何か。

それは学問対象として規定される夜空であり、それゆえ純粋に観察と探求の対象であり、その分野への進学を目指す詠み人にとって、それは宇宙であり未来であり、そして自分でもあるだろう。それだけではない。その解をもとめる読者じしんの姿でもある。


急・街の明りは無視してもよい

街のあかりとは成功し定着したものたちの放つ光、そうしたしがらみとははなれた位置にいる受験生にとって、街のあかりは外部か雑音にあたるかもしれないし、いつか自分が再参入する場所かもしれない。


結論

この歌はテスト問題文そのものであり、解答は記されない。作者はこの問いに答えることも思考過程を示すこともせず、それらすべてを読者に投企している。そのため読者は作者の投げかけた問いの答えを探すことになる。読者は自問し夢み思惟想像記憶を想起する。歌を鑑賞することで作者の心象に分け入る作業がいつのまにか自問となり、ときには自分過去、あるいは未来、そして今この瞬間を投影する。

上記のような構成は、ありていに言えば時分の歌、青春限定叙情歌といっていい。さしあたり言語機能の極限をさぐる現代短歌のなかではこうしたテーマははやらない。ではそれだけを根拠にこの歌の価値限定できるのか。

そうかもしれないが、それで終わりにしてほしくない。なぜなら、こうした心のゆらめきを大切に記憶し想起し記述する行為自己世界のはざまからまれ認識の、つまり哲学科学原初のすがたであり、その姿勢現代短歌流行からはずれていようといまいといっこうにかまわないから。

結句を復唱したい。

俗世、しがらみ、現実などを表象する「街の明かり」を無視してもよいと歌い上げる。かそけき深き空の青さが真実ならばその対極にある現実など捨象してかまわないとも歌い上げる。

時分の歌かもしれないが、そこに込められたまっすぐに真実を見ようとする迷わない力をわたしたちは大切に保持してゆきたい。なぜならそれはたぶん、うしなってはいけないものから

2021-12-19

anond:20211219222726

あーはいはい

そーゆー卑近ゴシップにアンタす~ぐクラッとイッちゃう性質?(苦笑)

…アソーに騙されたの、まだ治ってないの?

2021-11-28

卑猥」って単語が突然出てきてびっくりしてたら「卑近」だった

俺が悪かった

2021-10-01

忘れたくないことを思い出せる方法発見した

しかしたら大発明では?と思うので書いてみる。

例えば出先で、「しまった、今日録画しようと思ってた深夜ドラマの録画をセットしとくの忘れた!」と思った時。

(卑近な例ですみません。小さく生きている人間なので)

家に帰ってから録画予約すればいいんだけど帰る頃には結局忘れちゃうんだよなー。

リマインダーセットしたりするんだけど、リマインダー見るの忘れちゃうし。

そんな時にこうすると思い出せることに気づいた。

まず、やらなきゃいけないことを、漠然と「忘れないようにしよう」ではなく、具体的に「いつ」「どのような状況で」やるのかを決める。

例えば録画予約だったら「家に帰って手を洗ったら服を着替える前にやろう」みたいな感じ。

次に自分が実際にそうしているところを頭の中に思い描いてみる。

手を洗ってタオルで拭いて、部屋に入って番組表を表示してリモコンを向けている一連の動作

それだけ。

で、案の定家に帰る頃には録画予約のことなんかすっかり忘れてるわけで。

だけど家について手を洗っていると不思議と「そういえば録画予約しなきゃ」と思い出すんだよな。

ポイントは、全く関係ない日常動作と、忘れたくないことを結びつけて記憶しておくことっぽい

なんというか、自分自分ちょっとした催眠術をかけているような感じ。


お試しあれ。

自分以外の人の試してみた感想も聞きたい。

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