はてなキーワード: イスラム法学者とは
髪を見せることすら禁忌なのに肌を露出させたら救命目的でも理解されなさそう
なんなら女性の方が身内から厳しい仕打ちを与えられることもありうる
特定宗教の信者に輸血するか問題とも通じるけど、宗教的価値観による禁忌と救命行為はどちらが優越するのだろう
(追記)
勘違いしてるブコメもあるようだけど自分は必要であればもちろんAEDを使うつもり。
ただマイノリティのことを考慮する必要、というかデバッグ的に境界線上のケースを考えないのは不誠実だと思う。
有用なコメントも多く感謝。詳しくは各コメントとURLを調べてもらうとして簡単なまとめを。
・ファトワー(イスラム法学者ムフティーが示す見解)により許されるようだ
・スンニ派の多いUAE、シーア派が運営するseekerpathで許可するファトワーが示されている
https://www.islamweb.net/en/fatwa/99003/ruling-on-cpr-cardio-pulmonary-resuscitation
・ファトワーは国や地域、宗派を超えないのでムスリム全体に適用できないケースがある
@suzukiyuusuke3
今日までアニメはある種の人々(一般にオタクと呼ばれる)の信仰対象になっていた。それは新興宗教だった。以前、あるアニメをみろとそういう人達に奨められ、なんとか苦労して全話みてみた上で、おもに美術の批評言語を使って率直に批評したところ、その種の狂信者から大変しつこく誹謗中傷された。
それで私は気づいた。アニメは或る一部の人々にとっての正真正銘の宗教なのだと。信者の中に批評言語は持ち込まれない慣行になっている。だから私がちょっとしたきっかけ(アマゾンプライムビデオに入ってみた)で一時的にひきずりこまれたその業界中では、同調か全拒否どちらかしかできないのだった。
アニメは手塚治虫やディズニー辺りから流行しだした新たな映画の形式といえるだろうが、その商業芸術が主な客にしているのは一般大衆の中でも子供や、特に幼稚な大人達である。宮崎駿でさえ子供向けを前提にしていたから、総じて知的障害に近い社会不適合者を大勢ひきつける結果になるのは必然だった。
私が何とか苦労してあるアニメを全編みてみたのは、そのアニメのファンがネット上で制作陣を執拗に脅迫していたのを知っていたからだ。アニオタによる猟奇的事件を引き起こしている作品とは何かを確かめてみたのだ。結果はひたすら幼稚な中身で、反社会的な知的障害ボーダー層を煽っていたのだった。
京アニの作品は1度もみたことがないから中身については何もいえないのだが、昨今アニメをとりまく状況は嘗てのものとは全然様変わりしている。それは上述のよう反社会的で精神遅滞に近い人々が大勢、新興宗教として崇める対象になっているという点で、過去のアニメ界とはまるで質が違うのである。
アップルCEOのティムクック氏が京アニに同情の様なツイートをしていて私はこの事件について知ったのだが、彼はアイフォンの主要な顧客層である日本人全体の中でも、京都に新たな店舗を設置したところなどから、現代アニメ界をとりまく社会病理をまったく無視して単なるテロとして扱っていると思う。
他の大衆娯楽、たとえば(これも京都に本社がある任天堂に縁が深いが)テレビゲームとか、映画とか、漫画、小説みたいなものとアニメが「サブカルチャー」として近い位置づけにあるのは確かだが、現時点のアニメはほぼ深夜テレビなどで提供される無料の娯楽で、いってみれば下流の慰み物なのである。
村上隆氏はアニメの無教養(Lowbrow)な性質を、知的な文脈操作で欧米美術史に皮肉な位置づけで乗せることで有名になった。端的にいうとアメリカのポップアーティストが漫画に素材をとったのを日本ネタで流用したのだが、一時的に彼の援護的唱道者だった東浩紀氏らも、アニメに公民権を与えた原因だ。
なにがいいたいか。日本政府が麻生大臣や、東氏に親しい猪瀬都知事が在籍していた時期に、クールブリタニアを表層的に猿真似した文化政策であるクールジャパンでアニメにお墨つきを与えたのは、間接的に東京圏のスーパーフラッターが影響している。要はアニメの暗黒面は意図的に無視されていたのだ。
アニメは「わかりやすく」「子供に愛されており」「みなが大好きな」「誰にとっても望ましい」「外国人にも大人気で」「日本文化の象徴」といった凄まじい厚化粧で美化されてしまった。背後には労働集約的手描きの不合理な制作、過酷な長時間労働の地獄があり、知的ボーダーの客層による退廃があった。
たとえば同人誌という分類がある。二次創作という名目でアニメキャラに、変態性欲の性行為をさせる独自制作の漫画・アニメ作品を販売するとんでもない退廃主義的世界が、東京コミックマーケットを中心に勃興していた。石原都知事の時代には一部は18禁化されたが、堂々と非実在児童の性を含んでいる。
美術史の中ではバルテュスを筆頭に、その種の児童性愛の表現や、ギリシア美術とか江戸の春画などに由来した変態性欲的なエロス表現は多かれ少なかれ容認されている。つまり同人誌もサブカルの派生物として、未来では昭和~平成・令和期の主に東京での大衆芸術の姿と歴史化されてはいるだろう。
京都は中世、「上方」と称し、大衆蔑視の高踏的な文化傾向を自認していた。が上述の任天堂や今回被害にあった京アニはそうではない。京都府民の一部は東京文化を自らとりこみ、多かれ少なかれ低俗な大衆芸術を販売しはじめた。これは質的変容でもあるし、アニオタによる炎上事件の伏線にもなっている。
サブカルなるものは低俗で無教養な一般大衆を相手に客商売するところに発生した。しかもアニメは単なる売り上げの為ますます「大衆の中で最も愚かな者」を最大公約数の客層にしようと幼児退行じみた卑俗化を極めていった。その極点に起きたのが某アニメ制作陣への脅迫事件や今回のガチ炎上事件なのだ。
今日、アニオタと呼ばれる人々には、おそらく東京のキー局によるテレビのニュースでコメンテーターが訳知り顔でいいそうな「犯罪者予備軍」といった客層が確かに含まれている。それは例えば高IQな知識人とかハイカルチャーの客層(日本ではほぼ絶滅しているが)に比べてより多めに含まれているだろう。
なぜなら、上に述べたとおり、東京や京都のアニメなるものは金儲けを目的に、できるだけ量的に俗受けする為、どんどんと卑近な表現に自らを変質させていったからだ。要は、下流相手に客商売しているので、当然ながら犯罪者や反社会的な知的ボーダーの部類もアニメファンには含まれてしまうことになる。
なぜ彼ら下流的な知的ボーダー層に昨今のアニメが宗教とみなされているかだが、私のみたかぎり、彼らは知識社会に全然ついていけていない。当然ながら幼稚極まりない娯楽作品しか理解できない。資本主義の手順に従い広告費やグッズ販売などを目的に次々流される深夜アニメが彼らのたまり場なのだ。
ニコニコ動画は、今では国際レベルでビリビリ動画にお株を奪われたが、嘗ても今もこのアニオタ層と極めて親近していた。2chねらーを誘引した西村博之氏らが匿名コメント機能をつけたので、名誉どころか恥も外聞もない反社会的犯罪者との境界例にとって極めて居心地のよい居場所になったからだった。
もう一つ、注目すべき事件があった。悠仁親王をアニメ『エヴァンゲリオン』内で引用された、ロンギヌスの槍とほぼ同じピンク色に塗った二股の刃物で、或る被疑者が脅迫した事件だ。この槍は神学上、磔刑後のイエスを突いて聖性を否定した遺物とされており、王権神授説の否定を意識した事件だったろう。
アニメオタクはそもそもが、虚構を現実と多かれ少なかれ混同し易い脳の性質の持ち主が大半であろう。さもなくば作り話にいつまでも夢中になるわけもない。いわゆる偶像崇拝の禁忌という私徳が弱い人達といいかえてもいい。この点では、ポケモンGO等を禁止した一部のイスラム法学者は正見を述べている。
そして虚構と現実を混同し易い脳は、一般に子供の時点でそうなり易いのが経験的に明らかなかぎり、いわゆる精神年齢の低い人々により多くみられるはずだ。つまりアニオタは単に批評言語が拙いだけではなく、アニメ内で表現された思想を宗教的に鵜呑みにしがちで、かつ知的ボーターも相当混じっている。
識から、多かれ少なかれ類似の退廃がみられる他のサブカル(例えば小説とかも)含め、一切近づかないことにした。その内部にいる人々は特定の宗教信者とほぼ類似のエコーチェンバー(残響室)内にいると自覚し、サブカル批判を進んで行うのが賢明だ。
https://twitter.com/suzukiyuusuke3/status/1151922241971478528
2019/07/19
昨今のVtuberブームはめざましく、Twitter上でその話題を聞かない日はないと行っても過言ではない。その中でも、私の周辺では、なにかと過激な発言で注目を集めるVtuber『ディープウェブアンダーグラウンド(https://www.youtube.com/c/DeepWebUnderground)』が話題を集めているように思う。そこで、私見ではあるがディープウェブアンダーグラウンド(以下DWU)の背後について述べていこうと思う。
DWUは今年の5月に『DWU VS イスラム国に参加志願した北大生【#003】』 (https://youtu.be/gYOHVDFop_A)と題して、シリアに渡航しようとした北大生との対談動画をアップしている。この動画の中でシリア北大生は「友人の紹介なので取材を受けた」という旨の発言があり、それ以外ではほとんど取材を受けていないことを述べている。実際、彼について書かれているネット記事は多々あれど、本人が取材に答えている記事は私の調査範囲では見つからなかった。つまり、DWUには『シリア北大生を紹介できる友人』が関係者にいることがわかる。
シリア北大生は、秋葉原の本屋に出ていた求人広告を見て、シリアに向かったとされる。その秋葉原の本屋の経営者は『大司教』と呼ばれ、シリア北大生とTwitter上で面識があったとされる。(以下の記事を参照)
「イスラム国・北大生」呼び出した『大司教』何者?他にも危ない求人 https://www.j-cast.com/tv/2014/10/08217868.html
イスラム国」行きを志願した北大生の素顔に迫る――「研究者として渡ってほしかった」岩上安身によるイスラム法学者・中田考氏緊急インタビュー(実況ツイートまとめ) https://iwj.co.jp/wj/open/archives/180682
その大司教(現在は非人と名乗っている)であるが、今年の3月に『「会社乗っ取り屋」の通称「大司教」と話す【2018-79】えらてんラジヲ3/1』(https://youtu.be/-dYR64DA3h0)という動画に出演しているが、その中で、「Vtuberをはじめる」という発言しており、今年の10月にも
あれキャラデザそれなりの人だぞ— 非人 (@Im_Weltkriege) 2018年10月11日
モデル流用で権利無視で視聴者無視かつ一定の技術力が担保できるなら、タダに近い費用と思い付きに近い時間で出来る。— 非人 (@Im_Weltkriege) 2018年10月12日
とTwitterで発言している。この発言から、VtuberとDWUの内情に詳しいように感じられる。
この大司教の2つから、大司教及びその周辺がDWUの運営に関わっているのではないかと推察できる。
上の動画で大司教はディープウェブで犯罪に関わっていると述べており、DWUは案外浅瀬チャプチャプでも陸地トコトコでもなかったんだなぁ…と感じられた。おわり。
追記:明日の夜に『発達障害の僕が「食える人」に変わった すごい仕事術』で有名な借金玉との対談がプレミア放送でアップされるらしい。上記の大司教の動画でも借金玉の名前が上げられており、シリア北大生と借金玉がリプライを交わしてる光景はよく見られる。その界隈とDWUの関係性の深さがを疑わせる材料が増え、本文中の疑惑は更に深まったのではないかと感じさせる。
らしいよ。
移民のイスラム教徒がバンバン子供を作るから、人口統計学的にほぼ確実な未来なんだって!
民主的な選挙で多数を取ったイスラム教徒の大統領/首相が誕生して、
同性婚違憲判決が下されて(というか法廷で争うまでもなく、ムスリム大統領/首相が就任した日からゲイは街頭でリンチされて警察は見て見ぬ振りって感じになるだろうな)、
国会で絶対多数を占めるイスラム政党が重婚の合法化を立法して……
特にイスラム移民の多いフランス、オランダ、ノルウェーあたりが50年以内にそんな国になるとか想像しただけで胸がキュンってなる。
その日を拝むためだけでも絶対に長生きしなきゃって元気が湧いてくる。
ところで、中世ジャップランドから人権先進国に亡命したはずの出羽守さんたちどうするんだろう?
日本に逃げ帰って『ムスリムだらけで神権政治のヨーロッパは地獄だった。戻ってみたら日本は天国だった』みたいなヘイト本書いてチョッパリをホルホルさせて老後の足しにするの?
それとも白人ジジイとの間に生まれた息子を「白人・キリスト教徒・人権思想が支配していたあたしが愛した欧米をトリモロス!」みたいに洗脳教育してホームグロウン・テロリストに仕立て上げるの?
お前ら最低だな。
イエスは律法学者とガチバトルして抹殺されたが、イエスの信徒たちの作った教団にも、聖職者階級が出来て、彼らのものになった。
建て前では出家在家の区別はなく、聖職者という存在はないことになっているが、イスラム法学者が幅をきかせている。
教皇もカリフも、代理人という微妙な位置付けから始まっているが、権威であることは皆が知る通り。
教皇やカリフがいなかったら、組織として成り立たずに歴史の中に消えていっただろうし、リーダーを持つ組織をつくれば、その下に側近、その部下という階級が出来上がり、信徒の平等は実現できない。
イエスはムハンマドの教えは、精神面では教義に原点回帰しつつ(あるいはしたつもり)でも、当時なりに当時の社会情勢にチューニングしていた。
「律法とローマ法でダブスタのところは、ローマ法を優先したっていいよん」
とイエス
「ダブスタがないように世俗の法も宗教の戒律も擦り合わせて一本化しとけ」
とムハンマド。
現代だと問題はアリアリでも、当時はそれなりに柔軟な解釈で改革したつもりだったわけで。
ISも当然だが、S県の顕正会、まじヤバ。
こないだ勧誘を受けたのだが。
日蓮の教えは一語一句正しい!
中国(元)が攻めてくるから天皇を帰依させて国立戒壇をつくって国を守れ。
政教一致は必達!
ちなみに、
日蓮宗から原点回帰を強めて過激すぎて破門されたのが日蓮正宗。
日蓮正宗から原点回帰を強めて過激すぎて破門されたのが創価学会と立正佼成会。
この両会は在家たちの、つまり下からの宗教改革だったが、知っての通り王国を作ってる。
ゲームの提案
こんにちは。自分は41歳の鬱病ニートです。一応まだ会社に籍はありますが、風前の灯です。年収は750万ですが、来月の給料は振り込まれないかもしれません。
さて、そんな自分が、有り余る暇と、借りてきた知識と、浅はかな理解を総動員して、以下、改憲について語ってみました。
しかし、しょせん居酒屋の政治談義レベルです。あちこちに穴があろうかと思います。偉そうに語りながら自ら政治的な活動を取ることは絶対にない、実行する立場で考えていない現実性のなさなど、大嫌いな民主党と同じです。立場の違いによって意見が異なる方も大勢いることでしょう。薬を飲んでいて集中力が持たないので、文章も精緻とは言いがたい。
以下の駄文をあなたの立場で好きにブラッシュアップして、トラバにぶら下げてみてほしい。それぞれの記事のブコメの侃々諤々も楽しみたい。それで、改憲についての理解を深めさせてほしい。
国民の基本的人権と国際平和を基準に、国体と国家権力の範囲を規定したものだと捉えています。
集団的自衛権の法整備について、”憲法解釈”で侃々諤々になっています。自分も、今の進め方では法案は違憲だと考えていますが、そもそもの問題は、憲法を不改常典のごとく扱うことだと思っています。
一般論として、人の作った物はなんであれどこかに不備があり、経年劣化も起こし、時代とともに実情に合わなくなっていきます。一神教の啓典の民のみなさんが、聖典と実情の辻褄合わせにいかに苦労しているかは、日々ニュースを見ていれば自明です(聖典を人の作った物とする点、信者ではない愚かな人間の考えですので敬虔な信者の方々はご容赦ください)。”憲法解釈”もまた、穏健派のイスラム法学者がクルアーンほかと現代の実情の辻褄合わせに「解釈」を以て臨むことに似ています。
両者に相通ずるのは、「解釈」とは、変えられない記述に対して現状を容認(その程度は議論によってはかられるものの)することを先ず目的とし、換骨奪胎を試み、不都合な記述の実効性をなくす点です。そのあたりを原典に対する欺瞞(あるいは冒涜)だとして攻撃するのが、イスラムで例えればいわゆる原理主義であり、憲法では護憲派と言われる人たちの一部だと認識しています。
しかし憲法は、一神教の聖典とは異なります。憲法は、自らが国民の意思によって改められることを認めています。不改の聖典ではないことを条文の中で表明しています。古びて時代に合わなくなったところは、十分な議論の下で速やかに更新し、実情に合わせて憲法の合理性を常に維持する。そのことで「解釈」の余地を減らし、国権を制限するという憲法の機能そのものの実効性を維持する。そのような合理性をもともと憲法は備えています。
”憲法解釈”による憲法の死文化と機能喪失を防ぎ、違憲状態の国権発動を防ぐためにこそ、改憲の提案とその議論は常に行われるべきです。それが本当の積極的「護憲」だと考えます。しかし、現在のような、翼賛体制でもない限り超えられないような鉄壁のハードルがあっては、投票(国民一人一人の意思の反映)を前提とした議論は起こり得ず、従って適切な更新も為されません。そして現に今、変えられないなら憲法を死文化してしまえとばかりに、相当無理のある”憲法解釈”が強行されようとしています。
あなたがたが第一に「護」りたいのは、憲法の機能そのものなのか。特定の条文なのか。はじめにそこを整理してほしい。
前者であるなら、上述の通り、改憲は積極的に認めるべきです。繰り返しになりますが、改憲は憲法の中で保障されている国民の権利のひとつです。いかなる思想があろうとも、これを否定することは前者の意味での「護憲」と矛盾すると考えています。
後者であるのなら、その条文の是非を問う投票を通して、国民に白黒はっきりしろと突きつけるべきです。そのための議論の中で、あなたたちの考えを訴えるべきです。条文を護るために改憲手続きそのものを否定し、国民投票をさせないというベクトルは、上述の通り自分の目からは憲法の意志に反すると映るし、主権者たる国民とその権利を軽視するものだと思っています。
さて、そこで提案です。
“解釈”による憲法の無効化を阻むためにも、いまここで、あなた方のサイドから憲法改正を訴えませんか?たとえば、現状の九条から解釈の余地を削り、よりあなたがたの望みに沿う条文にするとか。そして、「改正可能にする」という一点で改憲派と連携し、”解釈”と対峙しませんか?
もちろん、改憲派から出させる対案の中には、あなたがたが受け入れることができないものもあるでしょう。しかし、選ぶのは国民です。憲法がそれを保障しています。
後生大事に特定の条文だけを護っても、憲法そのものの実効性が失われれば無意味です。
護憲にもいろいろあるように、ひとくくりに「改憲派」といってもいろんな考えがあろうと思います。しかし、条文を改めてまで、なお憲法を維持しようとする一点では、護憲的とも言えます。そこについては、上述の通り、護憲派と連携する余地があると思っています。
あなたが改憲の後に実現すべきと考えている政策が、今の政権の”解釈”の末にあるものとたとえ一致したとしても、憲法の箍がはめられているか否かの違いは後の世に対して非常に大きなものがあります。国権を制限する憲法が機能を喪失している状態を容認してしまえば、いまの政権が暴走しなかったとしても(あるいは今の政権なら暴走しても容認できる、とあなたが考えるにしても)、後のあらゆる政権にその選択を許すことになります。
数年前、日本国民は民主党政権を選びました。同じように、後の世がどのような政権を選ぶかは分かりません。今のあなたにはとても支持できないような政権が生まれたとして、そこにも等しく暴走の余地が残されます。暴走する○○党政権(○○にお好みの政党を当ててください)。おそろしい。
政策的に結果オーライではなく、その手続きが法を逸脱することについてはNOを突きつけませんか?数が必要なら、護憲派も引き入れて。
民主主義とは、すなわち手続きでもあります。国民の付託を請けた行政のあらゆる意思決定が手続きを通して公にされ、それを国民が監視することが国民主権の根幹にあります。多少煩わしく、遠回りがあったとしても、それはいわゆる「民主主義のコスト」です。この先も日本が健全な民主主義国家であり続け、国際社会の中で世界に誇れる国であるために必要なことだと思います。
イスラム国に助命嘆願をした国内イスラム法学者が叩かれてるらしい
http://anond.hatelabo.jp/20150122200634
有名中東研究者の人は「この件で政府批判するのはテロリストの味方しているのと同じ」と釘を刺し
NHK含め報道番組では解説者たちが「この件で国内が揺さぶられることはテロリストの思う壺」と話し、国民に一枚岩になることを要請する。
マスコミはただ単に政府の方針を伝えるだけではなくて「身代金を払うのはテロリストの味方になることだ。新たなテロの資金源になる」と解説し、それが普遍的で唯一正しいメッセージだと視聴者に植えこませようとしている。
英米は身代金を絶対に払わない、相手に絶対に譲歩しないという立場を表向きしているが、他の国では柔軟に対応し人質解放を目指す交渉をしている。
「イスラム国に絶対に譲歩しない」は唯一の解決方法ではないし、自由主義国家では国民がそれぞれ解決方法を提案できる。
イスラム国に揚げ足取られて殺害予告動画に使われた安倍総理の中東訪問について、もっと他にベターな選択肢はなかったのか、と疑問を発することもできるし、批判したっていい。批判したからといってテロや暴力を肯定し、イスラム国を支持することには絶対にならない。「反日」「売国」になると思う人がいれば、日本語が不自由か、それこそテロリストのイスラム国と同じ圧力で従わせる性質を持っているのだろう。太平洋戦争中の窮屈さもこんな感じだったんじゃないか。こんなもんだったと言うべきか。
あと、国内ネットでは「譲歩できない」と吹き上がってるけど現場では普通にあらゆるカードを想定して動くのが普通だよね。表に出す出さないは別だけど。
中田考さん(イスラム法学者でムスリム)が叩かれてるようなので、ちょっとだけフォローしたい。
(なお自分はムスリムではないし、かの美しいと有名なクルアーン(コーラン)も注釈でしか触れたことがない)
六信五行なんて訳されることもあるが、ムスリムは義務としての決め事が多い。
判りやすいところでいくと、ザカート(Zakat)というのがあって、これは義務的な施しにあたる。
翻訳の難しいところで、これは税金として解釈されることもあるし、喜捨つまり寄付の一種と看做されることもある。
財産税による社会福祉と言うのが実体に近く、アッラーフに寄進して、それを皆が使う、という再分配機能になっている。
と、言うようにイスラームというのは宗教であるのだが、その根幹が社会制度になっている。
王様が世捨て人を経て悟った宗教とか、大工の息子が突如悟って国教になっちゃった宗教とは違い、
砂漠のど真ん中で戦国時代やってたような連中をまとめ上げてサバイブしてきた宗教なので、
政(まつりごと)やってる連中に好きに利用されちゃう宗教とは違って、
なので、イスラーム共同体を作り守り広げるぞ、いう感じなわけだ。
ウンマ・イスラーミーヤ(ummma islamiya)とか言われるものがそれになる。
で、ジハードのことを聖戦と訳すとまたややこしいことになるんだが、
「アッラーフのための奮闘努力」が多分一番近いニュアンスになる。
意外(?)な事に、大ジハードとは個人的な内面の戦いになる。現実の戦争とか小ジハードなのね。
ラマダーン(断食月間)だとか、宗教的に正しい行いをするのはより困難で重要である、というわけ。
これは、大体の法学者が見解を一致する数少ない部分でもあって、かなり重要な概念なのです。
宗教というよりは生活様式というかまんま国是みたいなものですというのを理解してもらった上で、
さらにムハンマドにもたらされたクルアーンは絶対、というのが義務として五行に組み込まれていて、
ムスリムはみんなそれを守るのは重要だと考えている、という前提をおいた上で、
ダール・アル=イスラームと呼ばれる、イスラーム世界というのがあるわけです。
ダール・アル=ハルブと呼ばれる、非イスラーム世界というのもあるのです。
自分たちのルールとは、違うルールを使ってる世界、というニュアンス。
すると、当然、自分の家を守るのは義務、ということでイスラーム世界を守るのは義務なわけです。
宗教は自由なので無理強いはしないけど、イスラーム世界のルールには従おう、みたいなのがあるのです。
結果、非ムスリムは許容するけど、非イスラーム世界をイスラーム世界に組み入れる努力を怠ってはならない、
という、ワリと複雑なことになっているわけです。
まあ、正確にはアラビア語のクルアーンを読むべきなんだけれども、
不信仰者の攻撃を受けて背を向けてはならない、戦略的撤退等を除いてはアッラーフの怒りを被り地獄に住むことになる、とか書いてある。
そうすると、非イスラーム世界からの攻撃に、ムスリムは防衛する義務があって、背を向けてはならないわけです。
そして、非イスラーム世界の代表例とも言えるのがアメリカ合衆国で、これに背を向けられないと。
ただし、害がない場合(イスラーム世界と和平を結びたがってる異教徒)には、和平を結んでも良い、とされている。
ムスリムである中田考さんの会見は、同胞であるムスリムに対する呼びかけになるわけですね。
イスラーム国をムスリムでないと断定できれば攻撃したり非難したりすることは簡単なんだけど、それは出来ない。
すると、非イスラーム世界と戦っている!と言われれば、背を向けよ、とは声掛け出来ない。
日本政府側には「ムスリムは異教徒と戦って背を向ける事は出来ない(地獄に落ちる)ので、戦うとか言わないで」とまず言ったと。
テロリスト、非テロリストという枠組みではなく、まずイスラーム世界と非イスラーム世界との枠組みの話ね。
で、トルコ経由で人道支援に限って渡すことも出来るよ、仲介するよ、と。
「日本政府の資金は、人道支援に限ってるよ(戦うために使っているわけではない≒非イスラーム世界だが敵対中ではない)」
「(君らも知ってると思うが、安部総理はトルコ・レバノンへ支援すると言ってるわけで)トルコ経由で渡すこともできるよ」
「双方にとって時間が短すぎるよ、そこはなんとかならんかね。自分もそっちに行くよ」
「ヤージディー教徒は解放したよね。そういう態度の方が、主張は通りやすいよ」
ムハンマドにもたらされたクルアーンは絶対、という前提のもとでは、攻撃に折れよとは絶対に言えないわけです。
ただ、テロリストとは交渉しない、テロリストに金を払わないという日本政府側の前提も曲げられないと。
すると、日本は非イスラーム世界だが、人道支援に限って金を出しているので敵対中ではなく、和平を望んでいると、
イスラーム国もムスリムなら、小ジハードを止めろとは言わないから、異教徒に寛大でも良くないか、
そもそも時間も短すぎるし、ちょっとムスリムの法学者たる自分が間に入るから話を聞いてくれまいか、
と、そういう声掛けになるわけです。
質疑応答でも、身代金を払うんじゃない人道支援だ、と繰り返し言ってるのが、板挟みの回答になってるわけですよ。
まあ、ワリと中田考さんはイスラーム国側に立った物言いしてるわけですね。どちらかと言うとメッセージになってる。
敵対すると同じ派閥であっても即処刑する人達なので、非難して即斬首とか困るわけですよ。当然ながら。
(もちろん、ムスリムがみんなこうかとういとそうじゃなくて、過激派は認めないとか、イスラムの名を利用した単なる侵略だ、とか言ってるトコロも多くある)
とういわけで、ワリと詰んでる状況で、譲歩を引き出す限界ギリギリのところだったんじゃないかなあと思うわけです。
だって、日本は米国と協調路線で、ガッツリ名前出してISIL壊滅の為にイラク政府に手を貸すとか言っちゃってるわけで。
本来なら政府はテロリストと交渉しないので、引き伸ばしつつ救出(奪還)作戦を展開して成功させないといけないわけで。
家族とか所属会社経由で身代金に応じるっていう裏取引(政府は目をつぶる)も、時間が短すぎると。
すべての物事には必ず難癖がつけられるというのがポリシーです。こんにちは。
さて、人質事件無事解決すると良いですね。
特に腹案もないのでそれについては何も言えませんが、リテラシーを見るに良い題材なので、具体的に書いてみたいと思います。
プロのデバッガーになると、症状を聞いただけでバグってるところのアタリが付けられるそうですが、
なんか変だな?と思うポイントというのも、実はアタリが付けられます。
身も蓋もないですが、素人がある一定の信頼を置くのはどこかというと、書き手の所属だったりします。
はい。聞こえそうな非難は百も承知ですが、確率的に「自称専門家」と「大学教授」なら正しいのは教授です。
(ただし、専門領域に限る。工学部教授が医学に口出す時は「自称専門家」扱いしましょう)
*今回の殺害予告・身代金要求では、日本の中東諸国への経済援助をもって十字軍の一部でありジハードの対象であると明確に主張し、行動に移している。これは従来からも潜在的にはそのようにみなされていたと考えられるが、今回のように日本の対中東経済支援のみを特定して問題視した事例は少なかった。
(中略)
そうであれば、従来から行われてきた経済支援そのものが、「イスラーム国」等のグローバル・ジハードのイデオロギーを護持する集団からは、「欧米の支配に与する」ものとみられており、潜在的にはジハードの対象となっていたのが、今回の首相歴訪というタイミングで政治的に提起されたと考えらえれる。
という記述を観た時に、リテラシー的にまずおさえておくべきことは、
普通は、この程度で「ふーん、そんなもんか、他のニュースではどう言ってるのかな」と思えば良いわけです。
が、自分の主義主張とは違うので難癖つけしたい時は、見るべきポイントが実は違います。
(まあ、リテラシーとして「変な偏向がかかってないかな?」と確認したいとき、でも良いわけですが)
*「集団的自衛権」とは無関係である。そもそも集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけである。
現在日本が行っており、今回の安倍首相の中東訪問で再確認された経済援助は、従来から行われてきた中東諸国の経済開発、安定化、テロ対策、難民支援への資金供与となんら変わりなく、もちろん集団的・個別的自衛権のいずれとも関係がなく、関係があると受け止められる報道は現地にも国際メディアにもない。今回の安倍首相の中東訪問によって日本側には従来からの対中東政策に変更はないし、変更がなされたとも現地で受け止められていない。
さて、さっきまで言ったとおり専門領域外については、自称専門家扱いするのがリテラシー的には良いわけです。
なので、2番の「従来の対中東政策に変更はないと現地で受け止められている」は正しそうでOKですが、
1番の「集団的自衛権と個別的自衛権の区別が議論されるのは日本だけ」というのは、ナンカ変だな?と思った方が良いわけです。
ブログ筆者は、(自称)池内恵さんであって、イスラム政治思想が専門なので、国際法の専門家では無いからです。
つまり、「素人が専門家の予測にケチをつけるのは難しい」と言うのが大前提な上でケチをつけるには、
イスラム政治思想研究を専門にやってる人よりも精度良く予測できると思うだけのナニかがなければいけないわけです。
(たまにそういうこともある。自分の専門領域で、相手よりも情報を多く入手できる立場にいる等)
もしくは、「素人が素人にケチを付ける」状態まで持って行くことが必要です。
同じ土俵でなら、技のかけようもある。
例えば「集団的自衛権は、個別的自衛権よりも適用範囲が曖昧な為、国際司法裁判所沙汰になることもある。当然日本以外でも区別されて議論されている」等。
(逆に言えば、なんか礼儀知らずの記者にその辺煩く突っ込まれて専門外なのにキレてんだろうな、という予測をした上で、塩をすり込むワケです)
あーなんか気に入らない、なにか反論したいと思った時、大抵の場合他の人が先にやってくれています。
これは「俺は素人だけど、なんとなく違う気がする」というレベルでOKです。自分の感性は大切にしましょう。
taro terahara @srgmtaro 2015-01-21 07:39:09
池内恵のこの意見は強弁。安倍晋三はイスラエルで、どうみても「従来からの政策」とは言えない「イスラム国に対抗する国々への支援」を名言してる訳だし、イスラム国からの声明にもそれははっきり示されている。従来通りの支援を継続することが理由ではなく敵対する立場の表明が理由じゃないの。
この人はどういう人かというと、http://srgmtaro.jimdo.com/profile-1/ にあるようにバーンスリー(インドの横笛)奏者で有名な人ですね。
なので、インド音楽とか、横笛の演奏技法については信頼して良いけど、今回のは専門外だなあ、と思うのがまず一歩目。
直接的にISと対峙するトルコやレバノンなどの国々にISと戦う兵力や施設を整えるためのお金を提供すると読むのが当然です。今までの政策を変更したというメッセージに受け取られても仕方ありません。
前衆議院議員の三谷英弘さんです。(残念ながら専門は知的財産権、個人情報等)
専門外だけど、流石に元議員さんなら変なことは言わない訓練を受けただろうと予測して、この発言を使いたい。
裏取り、と言うか、証拠集めですね。
なんか難癖をつけたい。既に反論書いてくれてる人がいる。使いたい。
今回は、元議員さんがヒントをくれてるので、外務省のページをググりましょう。
イラク、シリアの難民・避難民支援、トルコ、レバノンへの支援をするのは、ISILがもたらす脅威を少しでも食い止めるためです。地道な人材開発、インフラ整備を含め、ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、支援をお約束します。
安倍総理大臣は「ISIL対抗の為に支援します、総額で2億ドル程度」と明確に言ってる。
次は、「従来の政策と違う」事を示したい。
が、探せども探せども出てこない。
両者は,ISILの脅威に一致して対応する必要があるとの認識を共有した。 岸田大臣からは,ISILの脅威に対抗する国際社会の連携が強化されている旨述べ,活発な広報活動への対抗,資金調達と人員流入の阻止,暴力的過激主義対策といった取組も重要である旨述べた。
米国と一致してって言っちゃってる。米国はISILには結構強気なのはご承知の通り。
(過激なオバマさんの2014年9月10日のスピーチはこちら→http://japanese.japan.usembassy.gov/j/p/tpj-20140911c.html)
イラク政府を含む国際社会のISILに対する闘いを支持し、必要な協力は惜しまない考えであり、ISILが弱体化され壊滅されることにつながることを期待する旨述べました。
更に岸田大臣から、今般、イラク国内避難民への人道支援として、新たに約2,000万ドルの支援を国際機関を通じて行うことを決定し、他の周辺国支援と合わせ、総額約2,550万ドルのISIL対策支援を決定した旨述べ、イラクの安定と国家的統一に向け、支援を継続していく旨伝達しました。
やはりイラク政府に岸田文雄外務大臣が、ISILの壊滅を期待するし総額約2,550万ドルのISIL対策支援をするよ、と言ってる。
ダメか。
ISILの脅威に対抗するため,日本は,軍事的な貢献はできませんが,人道支援やテロ対策に積極的に取り組んでいきます。今般,日本は,新規に約2550万ドルの支援を行うことを決定しました。
事務方じゃなくて、政治屋側の補佐官も「軍事的な貢献はできませんが」とハッキリ口にしつつ、ISILの脅威に対抗するために金を出すと言ってる。
テロはいかなる理由によっても正当化できず,我が国は,このようなテロ行為を断固として非難し,イラク政府によるテロとの闘いを支持します。
((文中に『テロ組織である「イラクとレバントのイスラム国(ISIL)」が』と言及有り))
そもそもテロ組織から(自称)イスラーム国に転換したのが2014年6月下旬だもんなあ。
さて、そういうわけで、残念ながら難癖の付け所は「集団的自衛権」の部分のみになってしまいました。
こういう時には「イスラム文化に関連の深い人」が、「今までは2000万ドルなのに、今回は2億ドルと桁が違う」と一気に10倍にしたところが方針変更だ、と強弁してくれるのを待ちましょう。
閑話休題。
さて、結論としてははてな村の皆さんに最も嫌われそうな「誰が発言しているかで信頼性を担保する」という結論に落ち着きました。
その道の専門家が、その道の話をしている件に対してケチを付けたい時は、慎重にしたほうが良いよ、
意外にググれば裏取りも出来なくはないよ、というお話でした。
まあ、本当は専門家も複数の見解があるはずで「この専門家って本当に専門家として大丈夫かなあ」と素人は判断できないので
少し話が違うけれど、年末にネタのような話題があって、日本のケンタッキーフライドチキンのある店舗が、夏に、カーネルサンダースに浴衣を着せて、スイカを手に持たせていたのね。まあよくある風景です。
で、それをあるアメリカ人が取り上げて、日本人ってこんなにレイシストって喧伝してたの。
スイカと鶏肉って、アメリカ南部ではやっすい食材で、それしか食えないということで黒人を嘲笑するアイテムになってるんですよ。
まあこれは、アホかね、君、何で日本人がアメリカのローカルなステレオタイプを知っておかねばならんのよ、君の方がレイシストやろうという反応と結論になっていたんだけど、私が気になったのは、どうしてケンタッキーの一店舗がやったことが「日本人」とか「日本」になってしまうんだろうってことね。
こういう例は全然珍しくないですよ。触手ポルノに「また日本か」みたいな反応とかね。
例えば、レイディ・ガガとかが、奇抜な格好をしていても、主語は、レイディ・ガガになって、アメリカ人にはならないですよ。
思うに、マイノリティというのは、大きな主語を用いられる人たち、と捉えてもいいかもしれない。逆に言えば個々の事例に対して大きな主語を用いている時点でそれはレイシストであり、セクシストであると言っていいのかも知れない。
西欧の風刺は徹底していて、イスラムを馬鹿にしていてけしからんと言うと、彼らは必ず風刺は全方位にやってますよと答えるの。それがエクスキュースになってるのね。そして実際彼らは、カトリック教会も大統領も女王もイエスもこき下ろしている。
でもね、やっぱりカトリック教会をこきおろすこととイスラムをこきおろすことは、同じじゃないのですよ。
カトリック教会を批判することはカトリックを批判することであって、その辺のパリジャンのポール君は何ら関係ないのですよ。
でもイスラムをテロリストとして描くことは、移民のアフマド君にとっては直接自分たちへの偏見を増大させる効果を持つのですよ。
これはね、やっぱり西洋帝国主義の結果であって白人の特権なわけ。
ここの非相似に鈍感で、俺らは全部を風刺しているんだって思い込んでいる時点で、チャーリーな連中の考えの浅さ、リベラルがレイシストになってしまってるんだよね。
で、Je suis Charlie というスローガン、ものすごく気持ち悪い。
私にはそれが、私たちは特権を享受する側の白人だ、と言っているようにしか見えないから。
[追記]
元記事の人とは違って、私はテロだからいけない、とはそもそも考えていません。テロと呼ばれる暴力があり、テロとは呼ばれない暴力がある、そして良し悪しはあるにしても歴史は暴力によって動いてきました。
そもそもフランス共和国そのものがテロによって成立した国家です。言論の自由が抑圧装置としてしか機能しない時に、それに暴力的に対抗措置をとる者があらわれるのは力学的には当たり前の話です。正義不正義の問題ではありません。
mirunaさんのコメント、「で、それが産油国における世界三大宗教のひとつであるイスラム教に基づく多大な人権侵害の免罪になるわけ?」と言うのがフランスにおけるイスラム教徒の話でどうしてなされるのかまったく理解できません。これはまさしく、マイノリティのみにアカウンタビリティが求められる一例だと思います。
ご存知の方ならば常識でしょうがイスラムには宗教者は存在しません。存在するのはイスラム法学者であって多種多様な学説があり、絶対的な唯一神信仰から多神教的なスフィズムが生じたように、どのような神学も成立可能です。当然のことながらイスラム世界にはかなりの幅と多様性がありますが、サウジアラビアの「公学」は特に極端な厳格性を持つワッハーブ派です。せめて批判するのであれば、サウジアラビア政府、ワッハーブ派を批判してはどうでしょうか。
フランスのムスリムはその多くがアルジェリア移民であって、ジダンもそうですが、アルジェリア少数民族のベルベル人が多数を占めます。これは百年に及ぶフランスのアルジェリア植民地支配の結果であって、ベルベル人を原住民抑圧のための中間層として用いたために、アルジェリア独立後、報復を恐れてベルベル人がフランスに亡命したのがそもそもの発端です。宗教は事後的に影響力を持ったものです。
個人的な見解として、植民地の損失を清算していないフランスには、どのような移民であれ、移民を拒絶する権利はないと考えています。ケベックであれ、インドシナであれ、アルジェリアであれ、ニューカレドニアであれ、異民族の流入に恐怖したのはそれらの場所の原住民も同じことです。
[追記]
suna_kago 問題を西洋と東洋(白色人種と有色人種)に図式化し、後者は前者に対して何をしてもいいと考えているらしい。そのような態度こそが上記の二項対立を強化するのだけど。
この文章からどこをどう読めばそう曲解出来るか理解できません。普通に誹謗中傷の類であると思います。
目くじらをたてるような突込みではないと一般には捉えられるかも知れませんが、大半の人は、夏の時期の写真が年末に話題になったと捉えられることを、そもそも話の本筋ではない部分に「これは年末が夏の国のお話なのか。」と"エスプリ"をきかせる精神構造は、非常にチャーリー的で、見かけ以上に深刻な問題を孕んでいると思います。
yingze 追記部分に粘着気質の気持ち悪い部分が出てきてるなぁ。「植民地の損失を清算」でヤクザの誠意を見せろ手口でしょう。
誠意は見せる必要はありませんが補償と原状回復はなすのが基本です。損害賠償の基本ですが。ここが意識の上でも棚上げされていること自体が、西欧中心史観なんだということを指摘しています。ところで、粘着気質ってこんなにぱっと出されて共有されなければいけないほど自明的にいけないものなんでしょうか。yingzeさんのコメント自体は粘着気質のなせるわざではないのでしょうか。よくわかりません。
sardine11 マイノリティが言論の非対称性に圧殺されてるという指摘は同意したい。ただシャルリの間違いを認めるとしても、反テロ運動自体は間違ってないし犠牲者追悼という大きな意義を無視するのはアンフェアな議論だと思う
反テロ運動=チャーリー追悼ではないでしょう。チャーリーを一方的な犠牲者として描くことがアンフェアです。チャーリーのしたことはしたこととして、銃撃殺人はいけないよと言うならば、少なくともチャーリーをまったく不問に付すような追悼集会というような手段はとらないだろうと思います。私はこの追悼集会で流される感情と踏みにじる感情が、結果ではなくて次の抑圧の原因になると思っているので批判しているのです。それぞれに自己の加害者性を見つめることの方が重要でしょう。
続きを書きました。