「劇作」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 劇作とは

2022-06-17

1981年 エリアス・カネッティブルガリア

着想と芸術性に富み、幅広い視野によって書かれた著作に対して

眩暈

1982年 ガブリエル・ガルシア=マルケスコロンビア

現実的もの幻想的なものとを融合させて、一つの大陸の生と葛藤実相を反映する豊かな想像力世界を構築した

1983年 ウィリアム・ゴールディング(英)

現実的物語芸術の明快さと多様性神話普遍性に満ちた小説によって、現代世界人間が置かれた状況を照らし出したこと

蠅の王

1984年 ヤロスラフ・サイフェルトチェコスロバキア

新鮮さ、官能性、豊かな創意性に富んだ詩によって、不屈の精神人間多様性解放的イメージを与えたこ

この世の美しきものすべて

1985年 クロード・シモン(仏)

その小説において、詩人創造性と画家創造性を深められた時間意識に結びつけ、人間の状況を描出した

アカシア

1986年 ウォーレ・ショインカ(ナイジェリア

幅広い文化的視点と、詩的な響きによって、存在ドラマを創り上げたこ

1987年 ヨシフ・ブロツキーソ連

思考の明快さと詩的な力強さが一体化した、包括的作品群にたいして

1988年 ナギーブ・マフフーズ(エジプト

時には克明な現実主義によって、時には想像力を書きたてる手法を駆使するといった、ニュアンスに富んだ作品群を通して、全人類普遍性を持つアラビア語創作芸術形成したこと

張り出し窓の街

1989年 カミーロ・ホセセラスペイン

人間脆弱性の挑戦的なビジョン形成する、自制的な憐憫を含んだ、豊穣で徹底した散文に対して


1990年代

1990年 オクタビオ・パスメキシコ

広い視野を持ち、先鋭的知性と人文主義高潔さを特徴とした、情熱的な作品に対して

弓と竪琴

1991年 ナディン・ゴーディマー(南アフリカ

彼女の壮大な叙事詩が、"アルフレッド・ノーベル言葉"に即した、人文主義にとっての重要利益であったこ

いつか月曜日に、きっと

1992年 デレック・ウォルコットセントルシア

偉大なる明るさ、歴史的視野に支えられた、多文化融合の産物たる詩的創作に対して

1993年 トニ・モリソン(米)

先見的な力と詩的な重要性によって特徴付けられた小説で、アメリカ現実重要な側面に生気を与えたこ

他者」の起源 ノーベル賞作家ハーバード連続講演録 (集英社新書)

1994年 大江健三郎日本

詩趣に富む表現力を持ち 、現実虚構が一体となった世界創作して 、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている

万延元年のフットボール

1995年 シェイマス・ヒーニーアイルランド

日々の奇跡と生き生きとした過去を称える、詩的な美しさと民族的な深みを持つ作品に対して

1996年 ヴィスワヴァ・シンボルスカ(波)

皮肉はらんだ緻密な詩によって、人間リアリティフラグメントに光を当て、その歴史的生物学文脈を浮き彫りにした

シンボルスカ詩集

1997年 ダリオ・フォ(伊)

中世的な道化権威風刺し、弱者尊厳庇護したこと

1998年 ジョゼ・サラマーゴポルトガル

想像、哀れみ、アイロニーを盛り込んだ寓話によって我々がとらえにくい現実を描いた

白の闇

1999年 ギュンター・グラス(独)

遊戯風刺に満ちた寓話的な作品によって、歴史の忘れられた側面を描き出した

2000年代

2002年 ケルテス・イムレ(ハンガリー

人間社会的圧力ますます服従している時代にあって、個人として生き、考え続ける可能性を追求した

運命ではなく

<<

2003年 J.M.クッツェー南アフリカ

アウトサイダーが巻き込まれていくさまを、無数の手法を用いながら意表をついた物語によって描いたこ

2004年 エルフリーデ・イェリネクオーストリア

その小説劇作における音楽的な声と対声によって、社会不条理と抑圧を並はずれた言葉への情熱を持って描き出した

ピアニスト

2005年 ハロルド・ピンター(英)

劇作によって、日常対話の中に潜在する危機晒し出し、抑圧された密室突破口を開いたこ

2006年 オルハン・パムクトルコ

故郷の街のメランコリックな魂を探求する中で、文明の衝突と混交との新たな象徴見出し

わたしの名は赤〔新訳版〕 (上) (ハヤカワepi文庫)

わたしの名は赤

2007年 ドレスレッシング(英)

女性経験を描く叙事詩人であり、懐疑と激情、予見力をもって、対立する文明吟味した

破壊者ベンの誕生

2008年 ジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオ(仏)

新たな旅立ち、詩的な冒険官能的悦楽の書き手となって、支配的な文明を超越した人間性とその裏側を探究した

来るべきロートレアモン

2009年 ヘルタ・ミュラー(独)

凝縮した詩と率直な散文によって、収奪された人々の風景を描いた

2010年代

2010年 マリオ・バルガス・リョサ(ペルー

権力構造地図と、個人抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた

楽園への道

2011年 トーマス・トランストロンメルスウェーデン

稠密で透光性のあるイメージを通じて、読者に現実への斬新な道筋を与えたこ

悲しみのゴンドラ

2012年 莫言(中)

幻覚的なリアリズムによって民話歴史現代を融合させた

白檀の刑

2013年 アリス・マンローカナダ

現代短篇小説の名手として

ピアノ・レッスン

2014年 パトリック・モディアノ(仏)

最も捉え難い人々の運命召喚し、占領下の生活世界を明らかにした記憶芸術に対して

1941年パリの尋ね人

2015年 スヴェトラーナアレクシエーヴィッチ(露)

我々の時代における苦難と勇気記念碑と言える多声的な叙述に対して

戦争は女の顔をしていない

2016年 ボブ・ディラン(米)

米国歌謡伝統の中に新しい詩の表現創造したこと

2017年 カズオ・イシグロ(英)

壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想感覚に隠された深淵を暴いた

2018年 オルガ・トカルチュク(ポーランド

博学的な情熱によって、生き方としての越境象徴する物語想像力に対して

逃亡派

2019年 ペーターハントケオーストリア

言語的な技巧を交えて、人間経験の外縁と特異性を探究した、影響力のある諸作品に対して

2020年代

2020年 ルイーズ・グリュックアメリカ

厳粛な美によって個人存在普遍的ものとした、その紛う方無き詩的な声に対して。

anond:20220617140024

歴代ノーベル文学賞受賞者と、受賞理由

https://moriishi.com/entry/nobel-prize-in-literature-early20c

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%B3%9E%E5%8F%97%E8%B3%9E%E8%80%85%E3%81%AE%E4%B8%80%E8%A6%A7

面白かった。ウィンストンチャーチルも受賞してたの知らなかった。

日本人

1968年 川端康成 (1899 – 1972)

日本人の心の真髄をすぐれた感受性をもって表現し、世界の人々に深い感銘を与えたため

受賞講演 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%81%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BA%8F%E8%AA%AC

1994年大江健三郎 (1935 – )

詩趣に富む表現力を持ち、現実虚構が一体となった世界創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている

2017年 カズオ・イシグロ (1954 – )

壮大な感情の力を持った小説を通し、幻想的な世界とのつながりの感覚の下にある深淵発見した

───────────────────

1901年 シュリ・プリュドム(仏)

高尚な理想主義芸術的完成度の形跡、心情と知性の両方の資質の珍しい組み合わせを与える、詩的な構成物に対して

1902年 テオドールモムゼン(独)

彼の記念碑著作"ローマ史"を代表作として、存命中歴史著作家の中では最大の巨匠であること

モムゼン ローマ歴史I―ローマの成立―

1903年 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(ノルウェー

その感化の鮮度と精神の希少な純度の両方において名高い、高貴で壮大、且つ多彩な詩に敬意を表して

アルネ

1904年 フレデリックミストラル(同時受賞)(仏)

プロヴァンス言語学者としての重要な業績の他、自然景観と人々の土着の精神を忠実に反映した、彼の詩作の新鮮な独創性と真の触発に対して


1904年 ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ(同時受賞)(スペイン

独創的で個性的手法スペイン演劇の偉大な伝統を復活させた、数多くの鮮やかな構成物に対して


1905年 ヘンリク・シェンキェヴィチ(ポーランド

叙事詩作家としての顕著な功績に対して

1906年 ジョズエ・カルドゥッチ(伊)

念入りな学究とその成果を評価するとともに、創造的なエネルギースタイルの新鮮さ、詩的な傑作を特徴づける叙情的な力に敬意を表して

1907年 ラドヤード・キプリング(英)

この世界的に有名な作家創作を特徴づける、観察力、想像力独創性、発想の意欲と、叙情非凡な才能に対して

ジャングル・ブック

1908年 ルドルフ・クリストフ・オイケン(独)

真実のための本格的検索思考の一貫した力、視野の広さ、表現の暖かさと強さによって、数多くの作品の中で人生理想主義哲学実証したこと

1909年 セルマ・ラーゲルレーヴスウェーデン

その著作を特徴付ける崇高な理想主義生気溢れる想像力精神性の認識を称えて

ニルスのふしぎな旅

1910年 パウル・フォン・ハイゼ(独)

叙情詩人、作家そして世界的に知られた短編小説家としての長年の創作活動を通して世に送り出してきた、無上の芸術性、理想主義の浸透を賞賛して

1911年 モーリス・メーテルリンクベルギー

多岐にわたる文学活動特に戯曲の数々を評価して。豊かな想像力と詩的な空想は、時に御伽話の形を装いながらも、それぞれの作品神秘的な方法で読者ひとりひとりの感性に訴え想像力を刺激する間、深い創造的発想を明らかにする

青い鳥

1912年 ゲアハルト・ハウプトマン(独)

主に、演劇の分野での豊饒で多様、且つ顕著な功績に対して


1913年 ラビンドラナート・タゴール(印)

西洋文学一角なす英語思考表現された、至極の技巧による彼の深く敏感な、鮮やかで美しい韻文に対して

1914年該当者なし

1915年 ロマン・ロラン(仏)

彼の文学活動の高尚な理想主義に、人類の異なるタイプ描写した思いやりと真の慈愛に、敬意を表して

ジャン・クリストフ

1916年 ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム(スウェーデン

我々の文学における新時代を率先的に代表する者としての重要性を認めて

1917年 カール・ギェレルプ(同時受賞(デンマーク))

崇高な理想に触発された、彼の多様で豊かな詩に対して

1917年 ヘンリク・ポントピダン(同時受賞)(デンマーク

デンマーク現代生活の本格的な描写に対して

1918年該当者なし

1919年 カール・シュピッテラースイス

1920年代

1920年 クヌート・ハムスン(ノルウェー

彼の記念碑著作"土地の成長"に対して

ヴィクトリア (岩波文庫)

1921年 アナトール・フランス(仏)

格調高い様式人類への深い共感優美さ、真なるガリア人気質からなる作風による、文学上の輝かしい功績が認められた。

神々は渇く

1922年 ハシント・ベナベンテ(スペイン

スペイン演劇の輝かしい伝統継承する、幸福手法に対して

1923年 ウィリアム・バトラー・イェイツアイルランド

芸術性が高く精妙な詩歌によって国民全体の精神表現した貢献に対し

1924年 ヴワディスワフ・レイモント(波)

彼の偉大なる国民叙事詩"農民"に対して

1925年 ジョージ・バーナード・ショーアイルランド

他に類を見ない風刺に満ち、理想性と人間性を描いた作品を送り出した事に対して


1926年 グラツィア・デレッダ(伊)

まれ故郷の島での生活人間一般的問題を深く人工的に明快に描写した、理想的な天来の著作に対して

1927年 アンリベルクソン(仏)

彼の豊かで活発な発想と、それが表現された鮮やかな技巧に対して

時間自由

1928年 シグリ・ウンセット(ノルウェー

主に、中世北欧生活についての力強い著述に対して

1929年 トーマス・マン(独)

主に現代古典としての認識を広く得た傑作『ブッデンブローク家の人々』に対して

ブッデンブローク家の人びと

魔の山

1930年 シンクレアルイス(米)

活き活きとした写実的描写技術および機智とユーモアを伴った、新しいタイプ人物を造形する能力に対して

本町通り

1931年 エリクアクセルカールフェルトスウェーデン

エリクアクセルカールフェルトの詩に対して

1932年 ジョン・ゴールズワージー(英)

"フォーサイト物語"で頂点を極めた、優れた物語芸術に対して

林檎の樹

1933年 イヴァンブーニンソ連

散文によって古典的なロシア伝統継承した厳格な芸術に対して

呪われた日々、チェーホフのこと

1934年 ルイジ・ピランデルロ(伊)

劇的且つ美しい芸術を、大胆且つ独創的に復活させたこ

月を見つけた

1935年該当者なし

1936年 ユージン・オニール(米)

悲劇の独創的な概念を具現化する、彼の戯曲の力強さ、誠実的さ、深い感情に対して

楡の木陰の欲望

1937年 ロジェ・マルタン・デュ・ガール(仏)

"チボー家の人々"で、現代生活のいくつかの基本的な側面のみならず、人間葛藤を描いた芸術の力と真実に対して

チボー家の人々

1938年 パール・S・バック(米)

中国での農民生活の豊かで真に叙事詩的な記述と、彼女の伝記の傑作のために。

1939年 フランス・エーミルシランペー(フィンランド

1940年代

1940年該当者なし

1941年該当者なし

1942年該当者なし

1943年該当者なし

1944年 ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン(デンマーク

広い視野知的好奇心と大胆で新鮮な創造スタイルに結びつけられた、彼の詩的想像力の類稀なる強さと豊かさに対して

1945年 ガブリエラミストラルチリ

その力強い動機に触発された抒情詩によって、彼女の名が全ラテンアメリカ世界理想主義的な願望の象徴と化したこと

1946年 ヘルマン・ヘッセスイス

古典的な博愛家の理想と上質な文章を例示する、大胆さと洞察の中で育まれた豊かな筆業に対して

車輪の下

1947年 アンドレジッド(仏)

人間問題や状況を、真の大胆不敵な愛と鋭い心理洞察力で表現した、包括的芸術的重要著作に対して

狭き門

1948年 T・S・エリオット(英)

今日(こんにち)の詩文学への卓越した貢献に対して

1949年 ウィリアム・フォークナー(米)

アメリカ現代小説に対する、強力かつ独創的な貢献に対して


1950年代

1950年 バートランド・ラッセル(英)

人道的理想思想の自由尊重する、彼の多様で顕著な著作群を表彰して

哲学入門

1951年 ペール・ラーゲルクヴィスト(スウェーデン

人類が直面する永遠課題に対し詩作により解を探ろうと試みる芸術的活力と真の意味での精神的自立に対して

バラ

1952年 フランソワ・モーリアック(仏)

彼の小説人間生活ドラマに浸透した、深い精神的な洞察力と芸術的な強さに対して

テレーズ・デスケル

1953年 ウィンストンチャーチル(英)

歴史や伝記の記述熟達に加え、高揚した人間価値についての雄弁な庇護であること

第二次世界大戦

1954年 アーネスト・ヘミングウェイ(米)

"老人と海"に代表される、叙述の芸術への熟達と、現代ストーリーテリング形式に及ぼした影響に対して

老人と海

1955年 ハルドルラクスネスアイスランド

アイスランドの偉大な物語芸術革新した、彼の鮮やかで壮大な力に対して

1956年 フアン・ラモン・ヒメネス(西)

高邁な精神芸術的純度の一例を構成する、スペイン語による彼の叙情的な詩に対して

1957年 アルベール・カミュ(仏)

この時代における人類道義心に関する問題点を、明確な視点から誠実に照らし出した、彼の重要文学創作活動に対して

1958年 ボリス・L・パステルナークソ連

現代風の叙情的な詩、および大ロシア歴史伝統に関する分野における、彼の重要な功績に対して

ドクトル・ジバゴ

1959年 サルヴァトーレ・クァジモド(伊)

古典的な火で現代生活悲劇的な経験を照らし出す、叙情的な詩に対して

1960年代

1960年 サン=ジョン・ペルス(仏)

我々の時代の状況を先見的に反映した、彼の詩の高らかな飛翔と喚情的な形象に対して

1961年 イヴォ・アンドリッチユーゴスラビア

自国歴史主題人間運命を叙述した、彼の偉大な力量に対して

宰相の象の物語

1962年 ジョン・スタインベック(米)

優れた思いやりのあるユーモアと鋭い社会観察を結びつけた、現実的で想像力のある著作に対して

怒りの葡萄

1963年 イオゴス・セフェリス(希)

ヘレネ世界観への深い感情から着想を得た、優れた詩作に対して

1964年 ジャン=ポール・サルトル(受賞辞退)(仏)

アイデアに富み、自由精神真実の探求に満ちた彼の作品が、私たち時代に広範囲な影響を与えてきたことに対して

嘔吐 

1965年ハイル・ショーロホフ(ソ連

彼の「ドン」の叙事詩によって、ロシアの人々の生活歴史的な段階を表現した芸術の力と整合性に対して

静かなドン

1966年 シュムエル・アグノン(同時受賞)(イスラエル

ユダヤ人の人々の生活モチーフにした、深遠に個性的な叙述の芸術に対して

1966年 ネリー・ザックス(同時受賞)(スウェーデン

イスラエル運命を伝える優れた詩と劇作に対して

1967年 ミゲル・アンヘル・アストゥリアスグアテマラ

ラテンアメリカ原住民伝統国民性に深く根ざした、鮮やかな文学的業績に対して

マヤの三つの太陽

1968年 川端康成日本

日本人の心の精髄を、すぐれた感受性をもって表現世界の人々に深い感銘を与えたため

雪国

1969年 サミュエルベケットアイルランド

小説戯曲の新たな形式の中で、現代人の悲惨を描き、その芸術的な偉業を果たした彼の作品に対して

ゴドーを待ちながら

1970年代

1970年 アレクサンドル・ソルジェニーツィンソ連

ロシア文学の不可欠な伝統を追求したその倫理的な力に対して

収容所群島

1971年 パブロ・ネルーダチリ

一国の大陸運命と、多くの人々の夢に生気を与える源となった、力強い詩的作品に対して

1972年 ハインリヒ・ベル(西独)

時代への幅広い眺望と鋭い描写によって、ドイツ文学刷新に貢献した

1973年 パトリックホワイト(豪)

文学新大陸を導入した、叙事詩心理的叙述の芸術に対して

ヴォス―オーストラリア探険家の物語

1974年 エイヴィンド・ユーンソン(同時受賞)(スウェーデン

地域および各時代俯瞰しつつ自由のために奉仕する語りの技法に対して

1974年 ハリーマーティンソン(同時受賞)(スウェーデン

露のひとしずくを捉えて宇宙を映し出す作品群に対して

ニアーラ

1975年 エウジェーニオ・モンターレ(伊)

2021-03-20

プロフェッショナル仕事流儀』で庵野秀明を4年間密着してたらしいけど、旧劇作ってるときを密着してて欲しかった。

2021-03-15

anond:20210314235710

アニメ業界作画マン物語らせん駄作になるって法則あるじゃん

たまたま取り巻きが優秀で若いうちに金ヅルも見つかっただけで、取り巻きを巻き込んで思春期から連なるルサンチマン的な感情作画に乗せて旧劇作れただけで、

ストーリーテラーとしては宮崎富野に遠く及ばない空っぽの人なんじゃないかだんだん思うようになってきたよ。その証拠に本人が充足されて会社経営なんて卑近活動を続けて結果このザマだしな。

1世代下だけど谷口とか水島のほうがよっぽど物語を作ることに真剣だと思うよ

2020-11-27

ドラマツルギー現実区別しない人々

 ドラマツルギーというのは劇作術と言って、ドラマをよりドラマらしく仕立てるために使われる方法論であったり、信念であったり、あるいは独自法則のことを言うのである

 例えば、有名なもので言うと「チェーホフの銃」という、「劇中に登場した銃は必ず使われなければならない」という法則がある。つまりドラマの中に無駄な道具立てや登場人物存在してはならないという、ある種の劇作術における信念を表しているのがこの「チェーホフの銃」というドラマツルギーなのである

 他にも卑近な例を上げるとすれば、『とある魔術の禁書目録』にて「熱膨張って知ってるか?」とか「粉塵爆発って知ってるか?」「電圧が例え数億ボルトでも――」云々、といったように、現実法則を切り取ってドラマの中に無理やりぶちこむことでドラマを成立させる手法も、一種ドラマツルギーであると言える。これらのことは換言すれば、ドラマの中にはドラマ法則性、そして、現実法則性とは独立した独自法則性がはたらいているということになる。コーヒーに浸かった銃がそのまま使用できてしまえばその時点でドラマは終わってしまうのであるドラマと、現実は違うものだし、時にはそれは大きく食い違っていなければならないものでさえあるのだ。


 で、最近見られるのはこのドラマツルギー現実法則とを幾分混同している人々である

 例えば某漫画における「意識混濁している少女結婚誘導する行為に異を唱えたい」という意見は少しズレてる、ってな話なのであって、劇を進行させるための道具立てを批判するという行為がズレていることを俺は人々に知ってほしいのである。そんなこと言ったら刀ブンブン振り回してるキャラクター現実においては銃刀法違反だし、「味方に当たったら危ないから、もっと安全短刀を使うべきだ」みたいなカンボジアPKOばりの意見さえ正当化されてしまう。

 というか、こういう物語キャラクターに対する善悪理非とか倫理的瑕疵検証する姿勢は俺としてはブーイングの対象である歌劇カルメン』に登場するカルメン倫理的破綻したジプシーから悪だ! とか言ってる人間がいたら困惑してしまうのと一緒で、「このキャラクター倫理的現実乖離している」って意見全般は、基本的ナンセンスなのだということは知ってほしいんですね。いや勿論そういう意見を一切封殺するのもまた息苦しいんだけれど、某ラノベに即して言うならば「ドラマツルギーって知ってるか?」ってな話なのである

2019-11-04

お前らは全員フェミニズム理解していない

献血ポスターの件でまたあちこち燃えているけれど、フェミニズムについて両陣営がよく理解していないまま戦争しているなあ、と考えていたらふと学生時代に書いたレポートを思い出したので供養しようかと思う。

これは「ポルノグラフィ法規制」に対してのフェミニズム観点テーマであって今回の件とは必ずしも直接は関与しないが色々なところが補助線として使えるのではないかと思うのでもし議論の整理に何らか役立てば。

字数が切れていたので分割。

anond:20191104142158

以下本文

----------

1. 問題設定

レポートでは、ポルノグラフィとその法規制について、いくつかの観点から検討する。ポルノグラフィは、フェミニズム運動の中でリプロダクティヴ・ライツやセクシュアル・ハラスメントなどと並んで一定地位を占めてきた。一方で、その規制は、日本国憲法21条や米国憲法修正1条にいう表現の自由と正面から激突するものでもある。本レポートにおいては、日本国憲法の射程に限定しつつ、これらがいかに衝突するものであり、どう分析されるべきかを簡単に整理することを目標とする。

2. ポルノグラフィ定義

最初検討されるべきは、規制対象たりうるポルノグラフィいかなるもの定義されるかということである。もちろん、いかなる性的描写ポルノグラフィであって規制対象たりうる、という立場自体不可能ではない。しかし、表現の自由が強く保障されることを前提としたときに、容易には首肯しがたい立場であるということは言うまでもない。表現の自由への制約は可能な限り小さくなくてはならないというのが前提であるとすれば、規制対象となるべきポルノグラフィもそれ自体また狭く定義される必要があるであろう。

まず、一般的ポルノグラフィ定義について俯瞰する。いわゆる四畳半襖の下張事件において、「わいせつ性の判断に当たっては、文書全体としてみたとき、読者の好色的興味に訴えるものであるかどうか否かなどの諸点を検討することが必要で、これらの事情総合し、その時代健全社会通念に照らして、チャタレー事件で示したわいせつ要件に該当するといえるかどうか判断すべきである」という判断がなされており、わいせつ要件(通常人羞恥心を害すること、性欲の興奮、刺激を来すこと、善良な性的道義観念に反すること)をベースとしたうえで、社会通念に照らして文書等のわいせつ性が判断されるという判例を構築している。

判例立場は、わいせつ性が前面に出ているのか否かという観点を取り入れることによって性的対象を扱った作品であっても、芸術的価値の高さなどに応じてわいせつ物該当性を認めないという形で一定の制約を設定しているといえる。ここには、表現の自由との緊張が見て取れる。つまり本来性的表現であっても、直接他者危害を与えるものでない限り、国家によって自由を制約されるべきではない。しかし、わいせつ該当性があるならば、例外的規制することが許されるとしていわゆる定義づけ衡量を行ってわいせつ図画を規制しているものであるといえる。

一方で、Andrea DworkinやCatherine McKinnonはポルノグラフィいか定義たか。それは、実際に彼女たちが起草した反ポルノグラフィ条例に見て取れると考えられる。ミネアポリス市の反ポルノ条例第三条 は、「ポルノグラフィとは、図画または文書を問わず写実的描写され、性的にあからさまな形で女性従属させるものであり、かつ次の各事項の一つまたはそれ以上を含むものを言う。(1) 女性人間性を奪われた形で、性的な客体、もの、または商品として提示されている、(2) 女性苦痛や辱めを快楽とする政敵対象物として提示されている、(3) 女性レイプされることに性的快感を覚える性的対象物として提示されている、(4) 女性性が縛られ、切りつけられ、損傷を加えられ、殴られ、または身体を傷つけられた性的対象物として提示されている、(5) 女性性的服従姿勢提示されている、(6) 女性が、その身体の部位……に還元されるような形で示されている、(7) 女性が生まれつきの娼婦として提示されている、(8) 女性がモノや動物によって挿入された状態提示されている、(9) 女性が、貶められたり、傷つけられた李、拷問されたりする筋書きにおいて、汚らわしいものないし劣等なものとして、または出血したり、殴られたたり、傷つけられたりして描かれ、かつそれらの状態性的ものとする文脈の中で提示されている」と詳細に定義している。最高裁判例の打ち立てた上記基準と比べるとこれは、はるかに明快である

ところでこの二つの定義には、その明確性を超えて、根底的な部分でのポルノ観の相違が明々白々と見て取れる。これは、ポルノ規制日本において考える際にも重大な差異であると考える。

最高裁におけるわいせつ概念定義は、三要件を用いたその定義から明らかに社会的性道徳、善良な性風俗といったもの保護対象としている。つまり、過度に扇情的ポルノ作品市場に氾濫することで、社会を成り立たせている道徳基盤が破壊されることを防ごうという目的である。いわゆるチャタレイ事件控訴審における判決理由中の「かゝる文書猥褻文書として排除せられるのは、これによつて人の性慾を刺戟し、興奮せしめ、理性による性衝動制御否定又は動揺せしめて、社会的共同生活を混乱に陥れ、延いては人類の滅亡を招来するに至る危険があるからである」という文章は、まさにこの懸念わいせつ文書規制するべき理由であるということが念頭に置かれているものであると考えられる。

ミネアポリス市かいくつかの都市で起草された条例は、こうした目的のもとにポルノグラフィ規制しているのではない。それは、McKinnonらの論文や、また、条文そのものから明白である。ここで、ポルノグラフィはまさしく「女性差別」そのものとして認識されている。

ポルノグラフィは、女性を隷属させ、性的対象化objectificationするものである、とラディカルフミニストたちは考える。つまり、「ドウォーキンはいう。『女性従属においては、不平等のものがセクシュアルなものにされる』。マッキノンも次のように述べている。『ポルノグラフィーは女性の不平等をセクシュアルなものにする。それは女性の不平等セクシーものに仕立て上げる。それは、言葉の最も広い意味で、支配服従をセクシュアルなものにする』」 。

ここで、ポルノグラフィに対する定義が、二方向のアプローチを有しうることが示されている。つまりポルノが消費されたときに、社会倫理的道徳的にどのような影響を受けるかという観点と、道徳観点を一切取ることなく、ポルノの中で女性がどのように扱われているか、またポルノを消費する男性女性に対してそれを再演することでどのような危害が生じるか、という観点である

Millの提示した危害原理を素直に適用する限り、後者観点の方が規制根拠としては明らかに優れている。前者において、明白な危害存在していない。先に引用した人類滅亡論などは、まさしく論理の飛躍であろう。一方で、後者アプローチをとるならば、それが証明される限り、実際の危害が生じていると言える。これは、いか表現の自由価値絶対視し保護するとしても、しかしそれを規制する十分に強力な根拠たりえる。次章では、ここで主張される危害について検討する。

3. ポルノグラフィ危害

ポルノグラフィが「危害」を有するものであるならば、それは表現の自由を主張してもなお規制に当たることは言うまでもない。表現の自由に対して強く保護を与えることを主張したアメリカのOliver Wendell Holmes Jr.判事であっても、満員の劇場で「火事だ!」という嘘を叫ぶことをいかなる表現の自由保護しないと明言している 。また、実際にポルノグラフィ一般的危害を生ぜしめないとしても、上記の条文を見るに、発生しうる危害から逆算的にポルノグラフィ定義されており、これは限定列挙であると考えるべきであろう。

もっとも、注意しなくてはならないのは、ここで挙げられたものは、危害を「創作」したものまで範疇に含まれることである。つまり女性傷害を受けるという「現実」の存否にかかわらず、そうした創作は、ポルノグラフィとして定義される。そうした映像が、現実における傷害と必ずしも一致しないことは、あらゆる劇作の前提である 。そして、実際に生じた傷害については、こうした条例法律にかかわらず民事上、刑事上の責任を負わしめることが可能である

危害がどの広さで認識されるべきかということについては、確定的な見解はいまだ存在しないものと考える。元来はMillのいう危害原理、すなわち身体的な危害を指していたものであるが、現代的にはこれを精神的(に深刻)な不快の限度にまで拡大した不快原理offense principleと言われるものまで提唱されている 。もっとも、身体的な危害については明確で客観的基準の定立が可能である一方で、主観的不快およびその深刻性については、客観的判断が困難であり、現行の法システムに馴染むのかという点で深い疑義がある。

ラディカル・フェミニズムの主張する「危害」がそうしたグラデーションの中でどこに位置するものであるかは、詳細な分析必要とする。McKinnonの言明する危害は、ポルノグラフィはそれ自体性差別であり、それによって女性従属化されるということである。そして、そのポルノグラフィ撮影において、また、ポルノグラフィが再演されることによって、女性は「縛られ、殴られ、拷問され、貶められ、時には殺される場合さえある。あるいは、単に犯され、使用されている。視角ポルノに映し出されているあらゆる行為のために、女たちは実際に、縛られ、切りつけられ、焼かれ、猿ぐつわをはめられ、鞭うたれ、鎖でつながれ、肉吊り棒や木からロープで吊り下げられ、あるいは、……放尿させられ、排泄物を食べさせられ、ウナギネズミナイフピストルで貫かれ、喉の奥までペニスで侵され、血や泥や糞便や精液で汚される。……ちなみに、膣にペニスが挿入されるという意味での性交は、そこでは副次的テーマに過ぎない」 。すなわち、ポルノグラフィは、男性女性に対する性欲そのものが充足されるためのものではなく(それは副次的テーマに過ぎない)、もっぱら女性に対して暴行を加え、二級市民化することによって従属せしめることが目的とされ、そのためのプロパガンダとして成立しているものであるとされる。「ポルノグラフィ女性憎悪純粋蒸留物であり、女性経験の中でレイプ女性殴打、近親姦強制売春と結びついている。そのことを考えるなら、ポルノグラフィ擁護して発言する自称フェミニストがいったいいかなる道徳的・政治的原則にもとづいているのか、とうてい理解することができない」 と彼女は断言する。

実際にこれらが物理危害として発生しているのならば、それは全く看過することのできない危害のものであり、規制はされてしかるべきものであるしかし、これらは実際の刑法典、民法典の規定によって補足可能ではないか? という疑問が生じてくる。McKinnonはこれに対して、現実にそうした摘発がなされていないことをもって実質的に法は存在せず、それゆえ国家及び社会ポルノグラフィ公認していると見做される旨主張する。

McKinnonの熱烈なポルノ批判に対し、Drucilla Cornellはポストモダンフェミズムの立場のもと、一定距離を置く。「私たちは、ポルノグラフィ生産に対してとられるべき法的行為措置を、ポルノグラフィの配給に特化してとられるべき行為措置から区別すべきである。私は、この区別が、ポルノワーカーを含めた女性たちが、人格となるプロジェクトを引き受けるのに十分なだけ自己を固体化していく、というフェミニスト目的根本的に寄与すると主張する。この産業女性たちを連帯に値しない不幸な犠牲者として扱うことは、彼女たちの基本的尊重を拒絶することである」 という言葉は、ポルノワーカー女性について、「ポルノグラフィに出演している女性の多くは、子どもとき性的虐待の被害者であった。……自宅から性的虐待を逃れて都会に出てきた子どもたちは、そこでヒモに拾われ、レイプされ、殴られ、麻薬づけにされ、売春ポルノグラフィ従事させられるのであるポルノグラフィに出演している女性の多くは貧しく、たいてい教育を満足に受けていない。ポルノグラフィ存在している社会は、女性経済的に不利な立場に置かれている社会である」 と記述するMcKinnonらを批判対象としている。Cornellはさらに、「私は二つの特殊フェミニスト的な理由からポルノグラフィ規制法律に過度に頼りすぎることに対して懐疑的である第一に、反差別法の基礎としてステレオタイプ女性性を強化すべきではない。言い換えると、キャサリン・マッキノン仕事のように、女性を「ファックされる者 fuckee」か犠牲者に切り詰めたうえで、そのような存在としての女性に対する保護要求するような、文化的コード化された女性性を促進するような法はいらない。そういうわけで私は、マッキノンやアンドレア・ドゥウォーキンのそれのような、ポルノ規制の適切な法的手段としての市民権条例案を拒否する」 と言う。

2017-07-26

漫画がつまらない(というか読めない)

俺が年食っただけなのか

最近ハヤリの漫画の良さがさっぱりわからない

 

やたら意識が高いと言うか、難しい専門的な題材や

社会問題テーマにしてて意欲らしきものは感じるのだけど

 

正直、その域に達してなくありませんか、と思う

 

セリフもごちゃごちゃして読みづらいし

絵もなんかCGで誤摩化してるだけで

肝心のキャラクター生気が抜けたような目をしているし

 

劇作品として読めるものになってないのに

生半可な知識理論武装した作者の身代わりみたいなキャラが出て来て

客観性を欠いた独りよがり演説みたいなものを延々ぶっている

 

はっきり言ってうんちく漫画としても

内容がさっぱり頭に入ってこなくて役に立たない

 

またこう言う捻った題材でなければ

一昔前ならニッチジャンル誌(ホラー誌やエロ雑誌)に載ってたような

普通の人はそこまでのものを求めてないような過激な内容で耳目を集めようとしたり

 

それもそんなに絵がうまくない

 

コンビニで売ってる漫画雑誌を時折手に取って眺めてみても

目が上滑りするばかりで全然内容に興味が持てない

 

難しい題材に挑戦するのは、恋愛ものとか人情ものとか

そういう普通の「キャラクター」が書けるようになってからで良いんじゃないですか

 

今の若者は、こんな人間味のないインクの塊で十分楽しめるって言うこと?

 

でも、そうじゃないから、漫画の売り上げも落ちてるんじゃないの?

2016-06-06

不死を殺す

劇作品でよくある、「不死を殺す」と言う描写

どんな存在であれ死ぬ以上、相手は不死でないのだけれど、「不死ではない」という正攻法に行かず、「不死を殺す」というレトリックに逃げる。

その方がインパクトがあるし、演出としてオイシイのもわかるけれど、そういう事書く作家が、言葉定義を使った駆け引きしてると褪めるんだ。

お前にとっての「不死」の定義はなんだよ、と。

いっそ、ゆで理論やら車田飛びみたいな、理屈?勢いだよ勢い、みたいな物の方が、よほど物語を阻害せず楽しめる。

 
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん