電車の中で30代男性がONE PIECEを読んでいるのを見たとき「こいつは仲間と共に冒険の旅に出たいのだな」とは思わない。
電車の中で30代男性が進撃の巨人を読んでいるのを見たとき「こいつは危機的な状況に飛び込み巨大な問題を解決して英雄になる妄想を抱えているのだな」とは思わない。
しかし電車の中で30代男性が賢者の孫を読んでいるのを見たとき「こいつは会社がつらくて自分の能力に絶望しているから死んで異世界に生まれ変わってチート能力を貰って楽して大活躍したいのだな」と人は考えてしまう。
まるで脳にバグが仕込まれたかのように、人はなろう系の主人公と読者を同一視してしまうのである。
なろう系のアニメが始まったときに「よーしいっちょ俺TUEEE(笑)でも見てスカッとするかなー!」とかなんとか自分に言い訳しながらそれを見る。
そして最強の力を持ちながらそれを誇るわけでもなく積極的に行動するわけでもなく何か問題に巻き込まれたときに淡々とそれを解決して周囲から褒められるだけの主人公に「感情移入できない」ことに驚く。
「感情移入するための物語」のはずなのに主人公にまったく共感しないしスカッともしない。
なんだこれは。何が面白いんだ。
二次創作SSにはしばしば作者の妄想が爆発して生まれた最強完璧主人公が登場する。
最強完璧主人公と自分を同一視できないのは当然だし、その非現実的な存在を不快にさえ思うだろう。
二次創作SSには「ヘイト」だの「断罪」だのといったジャンルがある。
原作で嫌いなキャラを二次創作のなかで徹底的に酷い目に遭わせてウサを晴らすというものである。
チート能力を手に入れて調子に乗ったモブ勇者がそれ故に失敗を重ね、周囲から嫌われ、最後には謙虚な主人公にボコボコにぶちのめされるという話である。
なろう系にはこうしたエッセンスが色濃く残っているので、主人公がチート能力を手に入れてもあまり調子に乗らない。
あるいは、即物的な快楽に見向きもせずに大きな目標を目指すようなキャラ造形になる。
二十年以上もかけて、お約束をメタり、それが新たなお約束となり、またメタり、気に入らない展開を潰し、好ましい展開を真似してきた、その果てに現在のなろう系がある。
理解できないものをみたときに、思わず自分が理解しやすい卑近で俗悪な解釈に落とし込んでしまうことがある。
それが故に人は「なろう系」とその読者を同一視してしまうのであろう。