「ドラマツルギー」を含む日記 RSS

はてなキーワード: ドラマツルギーとは

2019-09-21

ここ1年でよく聞いたバーチャルシンガーとその仲間大賞

ここ1年でよかったVsinger、あるいは歌系バーチャルYouTuberをあげる。

  1. YuNi(独立系/upd8)
  2. AZKi(イノナカミュージック/ホロライブ
  3. 天神子兎音(独立系
    • おすすめ曲「天ノ弱」(39万回再生)「ヒビカセ」
    • シャウト、がなりがすき
  4. 緑仙(にじさんじ
  5. 周防パトラ(ハニーストラップ/upd8)
  6. キズナアイ(upd8)
  7. 燦鳥ノム(独立系
  8. 蒼月エリ(引退
    • 「蒼い蝶」「なんでもないや」「花瓶の花」
    • すき






---

2019春夏オールジャンル anond:20190908004020

2019-01-11

Vtuberアニメの相性の悪さ

注:Vtuberに対して「中の人」という言葉を使うのは、何か間違っている気はしますが、適切な言葉を知らないので、「中の人」という言葉を使います

バーチャルさんはみている」見ました。きつかったです。

もう見ることはないので、内容については置いておいて、そもそもVtuberアニメって相性悪くないですか、という話を。

Vtuberアイデンティティ

自分Vtuber動画全然見ていないので、想像しかないんですが、

Vtuberの良さって、「中の人」が演じているというのはなく、「中の人」のスタンド?別人格アバター?的な存在であることだと思っています

台本なんて全く存在せず、あくまで、ある人格を持った生命体が自由に振る舞っているように見えるというか。

視聴者意識されているか重要で、実態として存在するかは重要でない)

そして、そこがキャラクター声優が演じるのと異なる魅力を生み出していると思うんですよ。

で、そこへきてアニメですよ。アニメ台本があり、声優キャラクターを演じていることなんてみんな知っています

そして、その意識は「バーチャルさんはみている」に対しても同様に働くわけです。同じアニメなのですから

まり視聴者から見ると、誰かがあるキャラクター台本通りに演じているように観測されてしまうわけです。

そして、Vtuberと「中の人」の関係は一気にキャラクター声優関係に変わってしまます

これはVtuberアイデンティティ喪失もつながってきます

声優との比較

バーチャルさんはみている」に対しての蔑称として、「高級クッキー☆」というのを見かけました。

クッキー☆というのは簡単に言えば、東方同人アニメです。

まり、金のかかっているが同人レベルアニメだって罵倒されているわけです。

そして、これは面白いくらい的を射ています。(そして実際めちゃくちゃ笑いました。)

そりゃそうですよ。活躍している声優発声・演技の練習をし、厳しい競争に勝ち残ったプロばかりです。

声優という同じ土俵に乗って勝てるはずがありません。

そしてそれは、別に中の人演技力の低さが悪いという話ではなく、むしろ中の人は演技をしてはいけないということです。

正確には、演技であることが外に漏れ出てはいけないといった感じでしょうか。

そして、素が求められる普段動画と、演技が求められるアニメ、相容れないのは当然です。

ドラマという可能

案外、ドラマの方が相性いいんじゃないかと少し思いました。

なぜなら、視聴者からVtuberがある別の人物を演じているように見えるだけで、Vtuberと「中の人」の乖離を生じさせないからです。

ただ、これには大きな穴があって、Vtuberの見た目がアニメアニメし過ぎているという点です。

バーチャルさんはみている」のように全員Vtuberドラマが万一月9放送されようと、アニメしか見えないでしょう。

これに対する対処は2つ考えられます

しかしたら、背景を現実にするだけでそれっぽく見えるのかもしれませんが。

PS

個人的には、燦鳥ノムさんだけは歌声が好きなので好きです。

ドラマツルギー by 燦鳥ノム【歌ってみた】」いいぞ。

https://www.youtube.com/watch?v=ZtTQ_pI-cCw

2018-06-07

anond:20180606220347

31歳の女10人で久しぶりに飲みに行ったらスゴいミームになる――情報社会も、遂にその段階に来てた

リテラシー55くらいの高校同級生

足掛かりとして既婚クワドルプル顧客、そのうち子持ちサードウェーブアントレプレナー

既婚クアッドマジョリティのうちクアッド人が正社員、子持ちサードウェーブネットアドバイザーのうちダブル外資系コンサルタント生産ローンチ退職、2人とも再起業容易な肩書き持ち。

勉強もせず怠惰子育てを楽しんでいつつパラレルタスクを消化している模様。

シングルセクスタプルビジネスパーソンコンテンツクアッド人がアシンメトリーコミットメント雇用及び派遣及びワークボランティア

自分」のオピニオンでオリジナルでいて、おそらくドラマツルギーニーズのない人は、難易度コストパフォーマンスが低い国家ライセンス持ちのシングルリソース、つまり新しいアイフォーンだけ。

なにが分かれ道だったか論理的思考ロジカルシンキング)するとBBT大学生活の当時の企業理念の無さだったとシナジーを感じる。

ライセンスを取り、肩書きを活かしてプロパー起業した人はスキームアズイズにサティスファクションしてイノベーションを起こしているようだ。

不測の事態に備えて意識の高い学生の集まる場所だったり、自分の手が汚れるのも厭わず率先してレモンを絞ったりモチベーションがアンダーなまま進学する、そして結果にコミットすると、ズルズルとこんな筈ではないというより、あえてしなかったとプレゼンすることにコンセンサスを得てしまう。こういう日本を変えないといけない。

既婚と孤立者のマージン差異に圧倒される。

なりたい自分になれる肩書きキャリア未来への自分投資なんだなと肌で感じました。

重ねて既に少子化は止まらないのではなく、敢えてやらないねリアリティマクロ的な観点から見たポテンシャルがその後、銀座フレンチレストラン食事をする。

2017-08-20

ドラマツルギーという剣って何なの

ドラマチックな剣ってどういうものなのだろう。その剣そのもの物語を持つ、例えば村正のような因縁がある剣の呼び名なのだろうか。

2016-05-06

ハイフリ、その可能性の中心

ハイスクール・フリート面白い

まり話題にはなってない作品なのかもしれないど、これってかなり面白いことしてると思うんだよね。

女の子艦船に乗って戦うみたいな、いっけんガルパン亜流みたいに見えるんだけど、実はぜんぜん違うのです。

ガルパン物語構造は、基本的スポ根的なドラマツルギーに基いていて、ラブライブ!とかとほとんど同じです。

要は、「努力友情、勝利」のジャンプメソッドmeets美少女なわけ。

ガルパン戦車を、ラブライブ!アイドルを素材にして美少女スポ根を展開してるわけで、その先祖はトップをねらえ!あたりかな?

で、ハイフリなんだけど、これって冒険小説ドラマツルギーなんだよね。

アリステア・マクリーンとかギャビン・ライアルとかの古き良き冒険小説

不可解な敵や、限定された状況下でのサヴァイヴとかまさにそんな感じ。

これで、内輪に裏切り者かいたらまさに古典的冒険小説な展開だよ。

つーことで、男臭い冒険小説物語構造に、ポップな美少女をぶち込んだこのアニメ真骨頂なのだ

ウェルメイドっちゃー、それまでだけど、ガルパン話題になったのにこれが話題にならないなんて、悲しいよ。

2012-09-07

http://anond.hatelabo.jp/20120907192145

ネットだとこういう回顧的な論調をよく見るけど

昔のゲーマーが一枚岩だったかというとまったくそんなこともなく

個人的な経験から言うと昔のファミコン世代のゲームを消費していた層とソシャゲやってる層が断絶してるとは思わんのだよなあ

俺が住んでた地域貧乏下層階級地域だったから俺の経験は偏っているとも思うんだが

ファミコン世代でもマリオの1-1で死にまくるような下手糞は多かったし

ドラクエ4の章構成なんかせっかくレベル上げたのに次の章になるとまたレベル1に戻るなんてアホくさいしクソゲーだろなんていう

物語の進行とかドラマツルギーへったくれもなく目先の数値にしか興味がないような意見はよく聞いたし

某社のカスタマーサービスには大して難しくもないようなゲームなのに、どこどこのボスが倒せねーんだよこんな商品売るなよなんて

クレームしょっちゅう入れてた(来てた)なんて話もきいたことがある

ネットで当時のそういう子らをちょっと追跡してみるとやっぱりソシャゲにはまっていたりする

彼らからすると金払えば簡単にゲーム内で強者になれるんだから昔の彼らにとっての理不尽ゲームに比べたらマシってことなんだろうなあ

別にたけしの挑戦状とかそういう極端なゲームの話をしてるわけじゃないからね、一応)

ファミコン以前のハードマニアックゲーマーだけのものだったのかもしれないが

ファミコンあたりからはブームに乗って買ってみたもののついていけなかった層というのが実は膨大な人数いて

そういう人々が今のソシャゲを支えているという部分は確実にあると思う

2012-02-07

今更になって『あの花』をクリティークしてみる

 俺はあんまりあの花』好きじゃない

 ラストシーンが期待通りのものじゃなかったっていうのが大きいね。期待外れと言うか、それまでの文脈にそぐわないラストというか


 しかしそれでも俺は『あの花』に対してある種の好意を抱いてもいる

 というのも、『あの花』という作品がある特定の人々を傷つけるようなシロモノであるからだ。

「傷つける」ということは一体どういうことなのか? ということはこの場では一旦後述に回すとして、まず、『ある特定の人々』が一体何を指すのか、について言及することにする。


『ある特定の人々』。それは誰か?

 スタッフ


 特に、中心的なスタッフであればあるほど、あの作品によって多かれ少なかれダメージを受けているに違いないと私は思っている

 何故なら、あの作品がいわゆる商業ジュブナイル作品であるのが一つ。そして、もう一つはあの作品が失敗作だから

 あの作品は商品であると同時に、ある種の内的な息遣いというか、核となる生命力のようなものを欠いた作品だから


 あの作品において核となる生命力が欠如していることは、そもそもの作品のコンセプトを省みれば一目瞭然である

 というのも、あの作品のコンセプトが如何なるものかと言えば、

“何か特別な力を持っていない虚しい人間でも(まあ霊視のことはさておき)、人生を肯定するに足る思い出なり価値なりを享受できる”

ということに尽きるのである

 つまり、『あの花』はその基底となるコンセプトから言っても、中心的な何かを欠いた、ある種の虚しさを湛えた作品であるといって差障り無いのだ。

 ただ、ドラマツルギーとは往々にしてそういうものだ。それ単体ではさしたる価値を持たない物事の羅列が、ある種の偶然によって価値を持つようになるのは、ドラマツルギーの特徴だ。

 私は別に、そのようなドラマツルギー全般のことを空虚なシロモノだと言って否定しているわけではない。


 しかし、あのスタッフたちは、特にその中核的なスタッフたちは、あの作品によって生み出されたドラマに、どれほどの価値を感じているだろうか?

 恐らく大した価値を感じてはいるまい。私はそう思う。

あの花』とは、その程度の作品だ。


 しかし、私はそれ故に、その不甲斐ない出来の故に、『あの花』にある種の魅力が芽生えるのを感じるのだ。

 それは、あの作品が製作者たちのジュブナイルを、多少なりに切り売りした形で生み出された作品だからである

 そして、そのように思い出を切り売りしてまで作った作品に、あの程度のドラマしか付与できなかったということが、恐らくは中核的なスタッフの心をえぐり、ダメージを与えているかである

 ジュブナイル――つまりは彼らの思い出そのもの――というものを、はした金の為に切り売りして、そして結局あの程度のドラマしか作れなかったという事実は、恐らくスタッフの中の数人の、ナイーブで温かく息づいていた部分を傷つけたことだろう。


 そしてそのような失敗作としてのダイナミズムを持っているからこそ、私は『あの花』に対して好意を抱いているのである

 スタッフの方々、貴方達の後悔はすぐに貴方達本人によってさえ忘れられてしまうだろうが、しかしそのひとときの味わいが甘美であることには、間違いあるまい。

2012-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20120131112414

二次元の登場人物ってどうして脱抑制状態なの?

そりゃ、ドラマツルギーにより登場人物は動かなきゃいかからだろ。

演劇でも、オペラでも登場人物は動きまくるものだが。

生育環境に欠陥があったわけでもないのに、どうして愛着障害なの?

舞台を狭い空間時間に押し込めるためには仕方がないだろ。

人間関係だって場面の説明のためには誇張しなければならん。

2009-07-22

古人の糟粕を嘗めまくり

たとえば新房作品が古人の糟粕嘗めまくりで陳腐である、と正岡子規ばりの批判を展開するとして、

我々の感じる作品の陳腐さ(洗練度合い)のうまい指標はあるか、と考えると、エンディングテーマ

カバー曲を使っているか否かというのは有力な候補に思えるし、ましてエンディングテーマカラオケ

大会にするとかいうのはそれこそ糟粕の糟粕の糟粕ばかりに御座候、と切り捨てることができる。

たとえば「ぱにょデジ」はでじこ本編よりも陳腐さが高い、という判断ができる。

作品テーマが陳腐、とか、ドラマツルギーが安易である、というのは古今を否、万葉を是とする立場から

すれば問題とはならないのであって、同工異曲といわれても新規に書き起こし意識的に何か固有の著者を

もつ作品からの引用を行っていないことが重要となる。最悪、誰か他人の作品を丸コピーしたとしても

そこに原著者のクレジットが一切なければこれは万葉型の表現ということになる。

マーケティングの結果最終的に選ばれる表現が万葉型になるのか古今型になるのか、というのは

主に対象年齢層と作業(典拠の確認や権利処理等)のコスト、企画者のリスク回避度によって

決まってくる(おっさんにウケる作品すべてが必ずしもおっさんホイホイではないけれども、

リスク回避的な企画者は当然おっさんホイホイを選好する)。ただ、「ゆとり伝統を教えてやる」と

いうことで意図的に古今型の表現が選択される事例も多い。これはアーカイブの権利者に近いほど

やりたくなる戦略でもある。

いや、とくに結論というのがあるわけではなく。

追記:ええ、一連の「歌よみに与ふる書」をちゃんと読んでいませんが、日本酒醸造工程

アナロジーで、現代でいうところの「劣化コピー」に相当する語であることは理解しています。

楽曲の再利用のさらに再利用をしているわけではないので確かにあまり的確な表現ではないのですが。

追記:たとえば『トレインスポッティング』でキルケゴール言及されている(記憶によれば)

からといってそれが古今的な作品だということにはなりません。あーうまい説明ができない。

2008-06-11

ドラゴンボール』劇中で、一番現実離れしていたもの

僕は、ブゥ編の最後、地球上のみんなにサタンの呼びかけによって元気玉の元気をもらったシーンちゃん!

ドラゴンボールには色々と現実離れした現象が起こる。

エネルギー波を飛ばしたり、月や惑星を軽々破壊したり、月を見ると巨大猿化したり、瞬間移動したり、

国王が犬だったり、三つ目だったり、鼻がなかったり、しっぽが生えてたり、

柱に乗って飛んでいったり、舌だけで人を殺したり、一度倒された後、改造人間になって現れたり。

でも、そんなことよりも、あれはずっと現実離れしていると思う。

「多くの人になにかを分かってもらう」という行為は本当に難しい。

どれだけ広告広報の方法論が進化したとしても、多くの人に伝えるのはなお難しい。

パロマのガス器具の回収は全戸に郵便した上、毎日CMで延々と告知していた。

それでも全部の回収は終わらなかったはずである。

地上波デジタル裁判員制度も、もうすぐ来るというのに、世間の多くの人はまだなにも知らない。

そう考えると、あのシーンが一番メルヘンだと思う。

しっかし、バトルマンガの最後がテレパシーで決まる、ってのも興味深いものがあると思うんだ。

強大な敵を倒すために、(世界の)みんなから力を借りる、というのはドラマツルギーとしてよくあるんだよね。

今ちょっと思い出しただけでも、うしおととらダイの大冒険FF4あたりもそう。

今まで出てきたキャラクターを全部登場させることが出来たりするから、ありがちなんだろうけど。

2007-11-09

http://anond.hatelabo.jp/20071109124234

なるほど!納得したよ!

ヲタ受けの良い萌えだとかを保持したまま、大衆性の取り込んだ事によるエロゲ文脈の変化はわかったよ!

「古今東西あらゆるドラマツルギーは13種類のいずれかに分類できる」

この辺の詳細はまったく知らないから、ちょっと調べてみる事にするよ。

ありがとう。賢い増田さん。

http://anond.hatelabo.jp/20071109120241

単にどこにでもありがちな泣かせ話

ですねー。昔ッから「古今東西あらゆるドラマツルギーは13種類のいずれかに分類できる」とか言いますし。感情なんて頑固で動物的だから、決まり切った筋道でしか動かないものなんですよ。それが「ドラマ」。ドラマと対をなす「物語」だって−−プロップトンプソン物語類型、果てはちょっと前に流行った(笑)ノックスの十戒を見れば分かるように−−大衆が受け容れられる範囲には数えられるくらいのバリエーションしかないんです。で、

高尚なエロゲってなにが「高尚」なん?

http://anond.hatelabo.jp/20071109120719

だから、それまでのエロゲはその13種類すら踏まえられていなかった、ッてことじゃないですかね。ようやく土俵に上った的な。どこぞの踊り手が言ってましたが「格式(セオリ)を踏まえた上でそれを壊すことを『破格』を言うのであり、最初から壊れているのはただのクズ」みたいな。筒井康隆とか思い浮かべるといいんじゃないですかね。ナーーーンセンス!

じゃ、そんなマンネリズムの固まりみたいなシロモノが、なぜ僕たちをここまで惹きつけるのか。

フルカラーで綺麗で大きな(小説挿絵程度ではない)絵と音楽と声が付いてること

http://anond.hatelabo.jp/20071109121418

純文学世界インスパイアされて現代風にアレンジされた泣きゲーとか、あったらやってみたいし。

泣きゲーとはちょっと違うけど、Forestってエロゲは近い印象かも。

http://anond.hatelabo.jp/20071109121755

要するにソレですよ。

ディテール

ネタ

語り口。

古典落語がなぜいつまでもおもしろいのか。談志のらくだと志ん生のらくだがまるで違うからだよ。

----

追記ー

エロは抜き目的なんだから、の実用派の方もいらっしゃるようですが。

昔からエロメディアってのは、そういう実用派のかたを食い物にしてパトロンになっていただいて、好き勝手(その時点では)マイナーな文化的趣味を発露する場でもあるんですよ。現在邦画にっかつロマンポルノを、萌えというジャンルロリコンポルノ雑誌をそれぞれの母胎としている、というのは常識でございますがね。いずれ世間様からはじき出され、それでも表現に執着する業の深いモノどもの吹きだまるところは、決まっておるのでございます。

そういう期待感、青田買い感をもってエロゲを眺めていらっしゃる先端派の方々もいらっしゃるようでございますよ。

 
アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん