地元は人口10万足らずのしょぼい町だったので勉強はできた方だったけど、「お勉強ができても〜」から始まる言葉は耳にタコができるくらい聞かせられた。
もちろん正論もあった。お勉強ができても遅刻する奴は信頼を失う。でもその2つって関係なくね?なんでそんな否定から入るのか疑問でならなかった。
そして勉強できない奴ほどいつだって無能だった。言われたことを理解し解釈する能力は総じて低かった。総じて、だけど。
こういうレッテル貼りってのは他者を理解することから最も遠い行為であることは重々承知しているがそれでも疑問に思う。学歴の機能は消えないのでは。
大学に出てきて、僕とは違う境遇の人や、他大の人も含めて色んな交友を持って思った結論がある。学歴は「積み重ねられること」の指標なのではなかろうか。ぼかした表現だが、ある程度の学歴を手にするには、よっぽどの天才や舐めプ㌠を除いて積み重ねが肝要なはず。学がなくても成功している人(卑近な例はアスリート)もその能力はかなり高いはずだが、一般的に分かりやすい物差しがお勉強ができるかどうかなんだろうな。Upper sideの選別よりもDowner sideの足切りとしての機能の方があるのかもしれない。
…とここまで書いて思ったのはこれってブラック企業の思う壷でしたね。