何番煎じかわからないけど、新海誠作品というか「天気の子」が東京を知っているかいないかで楽しみ具合に差が出そうだと思ったので偏見多めで書いてみました。
私は大学までずっと東京で生活してきて、現在田舎に勤務しているアラサーです。なので、新海誠作品では見知った東京の風景にテンションが上がります。特に、天気の子では線路の上を走っている時の映像なんか馴染みがありすぎて涙が出そうでした。しかし、今度仕事場で天気の子の話をしようと思った時、地元出身の人はその場面がどれだけ精密に描写されているかもわからないし、私の抱いた感慨の共感が得られないと思うと話題にすることに躊躇いを覚えます。
天気の子ではほぼ描かれていませんでしたが、君の名では田舎側のエモい風景や暮らしも描いていました。しかし、君の名の田舎パートはドが着く田舎の映像であって、私がいるような中途半端な田舎(エモい自然もなければ店もなく、街道沿いの全国チェーン店に生命与奪を握られている程度の田舎)ではありません。地元のジャスコ(イオンに変わっても未だにこう呼ぶ)とかスターバックス位しかランドマークが無い街じゃ、あんなドラマチックな映像にはならないだろうな。もし、地元の高校生が天気の子を見たら「おらさ東京さいくだ」と将来を左右するかもしれないが、もう職や家庭を持ったアラサー世代は何を思うんだろう。
また、場所(東京)を知っているかどうか?と言うだけでなく、「あれはセカイ系だよね?」という断面でも話が噛み合わない事もすぐに想定できてしまいます。これは私がオタク文化に触れていただけですが、地元の人達に聞いてもギャンブルか車か奥さんの愚痴位しか話さないので広がることはないでしょう。
私にとって地続きな物語が彼らにとってはハリウッドの映画と殆ど差がないんだろうなと、00年代を席巻したセカイ系を一般作品でやってこんだけヒットしたんだという感動が得られないんだろうなと、そう言った時に地方と都会(或いは育った環境)のギャップを強く感じます。もちろん、今いる場所では私が新参者でマイノリティーで私の方が異物なのは重々承知ですが。
長々と書きましたが、私としては知らない事で楽しみが半減してるのもったいないなという話です。そして、これは一生埋まることのない決定的な差なんだろうなと思います。大分上から目線ですが、この考えはどっちが良い悪いではなく、都会出身が田舎に行った結果これまでの環境と違いすぎてストレス感じますという最近ありがちな愚痴ですね。ジェネレーションギャップという言葉がありますが、カントリーギャップとでも言うんですかね?生まれ育った環境というのは大事ですね。ダイバーシティなんざ自分のホームを構築して余裕がある人達だけで好きにやってて欲しいです。
最後に、仕事を円滑にするためにも、話を合わせたりしてきましたが、向こうから寄り添って来ることがほぼない点も田舎の辛いところです(地元に残る保守的な人からは海外旅行の話なんざ珍獣扱い)。正直、早く転勤したいので表面上上手くやれればいいかな?と思って適当に流して時間を浪費しています。都会出身の就活生は田舎に行く可能性がある会社は辞めといた方がいいかもしれませんね?笑
ワイは大阪やが見知った風景が映画で描かれてても凡庸さは感じても面白くは感じないやで