はてなキーワード: ブラッシュとは
引きこもったままでも良いという選択肢があるのは素晴らしい。かじれる親のすねがあるということだ。
ならば例えば、年齢が27歳くらいまでなら、
①今年は今のまま引きこもって英語の勉強をする。同時に、運動したり、人と話したりして、脳みそと人間関係のリハビリをしていく。医者や引きこもりの社会復帰支援センターなども活用する。
②親を口説き落として1~3ヶ月ほどフィリピン留学に行く。英語力のブラッシュアップと転地療法と海外慣れを兼ねる。
③海外へワーキングホリデーしに行き、働きながら金を貯めつつ英語をさらに鍛える。
④学費の安い途上国(フィリピンとか)の大学、あるいはヨーロッパの学費無料や学費の安い国を調べ、そっちの大学で学ぶ。学科はつぶしの効くものを選ぶ。
⑤英語力と、学歴と、あれば何かしらのスキルやポートフォリオと、海外生活アピールで、どこかの会社(日本でもいいし海外のどこかでもいい)に潜り込む
めでたし
とか。
日本は年功序列制と新卒一括採用制が崩れかかっているとはいえ、まだまだ人の意識は切り替わっていない。なので、この「一般的な」ルートから外れた人は醜いアヒルの子扱いだ。一度そのルートから外れた人が普通のやり方で元のルートに乗り直そうとしても無駄に難度が高い。
ならば思い切って海外に飛び出してしまい、海外で視野と活動範囲と能力を広げたらいい。そうして機会を日本の外に見つけ出すか、外から日本に戻ってくることで「色々あったけど海外で学んで帰ってきた人」という新しいポジションを活かして機会を生み出す。万が一、最終的に大してうまく行かなかったとしてもそっちのほうがずっと楽しい。
面白かった
巨大なロボットが市街地でドンパチやる怖さ、臨場感、ガンダムというつよつよロボットが登場してきた時の高揚感、
正直今見ると過去の宇宙世紀ガンダムシリーズが古めかしく迫力不足に感じてしまうのも否めないぐらい新世代感がある
メインキャラのデザインも、昔の野暮ったい感じがなくなり、今時のシュッとした美男美女にブラッシュアップされている
ストーリーは三部作の一作目ということを割り引いても、描写が不足気味で視聴者置いてけぼり感がある
誰々大佐とか誰々伯爵とか、メインキャラクターのバックグラウンドに深く関わっていても、
印象に残る回想シーンとかなく名前だけで把握しとけ。って感じなので、初見は一時記憶の負荷が高くてちょっと辛い
またガンダムの登場シーンがこの映画の山場と思われるが、そのガンダムに関するエピソードがないので、ぽっと出感は否めない
全般的に、一作目ということもあり思わせぶりなセリフで謎や伏線を積み上げて、それらが回収されることはないので、
これだけ見るとカタルシス不足感がある、もう30分とって新エヴァ1作目のラミエル撃破のような、カタルシスがある場面を作った方が良かったのでは?
ver.5である。
これは呪いだ。
タレも具もどうしても多量になる。
調達上どうしても量を調節できない卵以外は基本今回のすべて2/3くらいにしてもらわないと本当に困る。
肉が食いたいなら喰え。だがそれ以外の量が多すぎる。
…豆腐だ海藻だって話ならまあ腹持ちせんし、また肉もササミなら重くなることもないかもしれんが、それでもだ。
大根おろしは2個で良い。
辛子は必要以上に水を絞れ。
豆腐はもっと半分で良いし、半分でないなら水を切れ。徹底的に。
タレは醤油2、酢2.5~3、砂糖1.5、アレ1~1.5という配分で良い。あと粉末スープ。
あとあれば生姜絞り、味を見て酸味と甘味の調整。加熱の必要なし。よく溶かして後は冷凍直行。
そしてすべての具は先にサッサと用意して、冷蔵~冷凍。冷たいのが身上。
かといって大根おろしは結晶が残るようでは冷たすぎるし食感による食味もマイナス。
実に難しい。
例の醤がけはナイスアイディア。これにより鶏や卵などは味付けなしで良い。
卵はゆで卵で十分。錦糸卵とか時間かかるから時短モードでは省略の第一候補。
そして鶏。ササミが@86とかあるんですね。やっぱり胸肉よりも遥かに美味いっすよ。
筋取りも極めかけたので、次早めに取りかかることができれば完全マスターも容易。
これをブラッシュアップしていければ、次は手順書くらいまでいきたいものだね。
第四、…といった塩梅で。
あたふたやってると1時間かかるけれど、レシピが固まって手順も固まれば30分のお手軽レシピに化けるポテンシャルを秘めている。
タレも美味い、やはり自分的には甘味と酸味が決め手のようだし、例の醤があるから醤油は薄味で良いかも。あ、あとスープの素との兼ね合いもね。
ササミは冷凍で、半本単位でやろう。1本だと多いと思うのだが、肉メインなら1本、そういった運用をとりあえずは想定。
それにしても業務スーパーの縮れ麺は@30円なのに何の遜色もない。激安豆腐はあれほど激マズなのに。
そうなると3玉188円の普段のスーパーのアレは何なのかと。2倍美味いとも、業務スーパーのが1/2の旨さとも思えん。不思議だ。
ver.4也。
同じ分量で作ったつもりが、タレが多かった。洪水である。ノアが具を一種番ずつ持ち去る勢いである。
辛子も多量なら具も多量。錦糸卵を作らなくてよかった。
マジでこれくらい欲しいと思った量の半分~1/3くらいのテンパランスがないと過食で胃がヤラれる。
今回の具は豆腐、きくらげ、油揚げ、わかめ、辛子漬けきゅうり、鳥の胸肉である。
結論から言うとどう考えてもササミよりも圧倒的に低コスト且つ美味い。
冷やし中華というと大体800円くらい取られるイメージだが、今回の具だとマジで400円しないだろう。
トマトが高いのかな。
次回は鶏むねを基調に具を峻厳に節制し、理想の配分にて配膳することを目指す。
ver.3だ。
とにかく具について、量が多すぎるのがネックである。
肉の量ももう少し小盛りで良い。
きゅうりは5枚。きくらげは小なら3枚、これは以外に少なかった。大1.5、中2枚という検討。
わかめは多すぎ。本当に少しで良いのだ。
卵も、Mでつまみ食いしても1個は多い、やはり半個だな。
大根おろしはキューブ2個でも良いのでは。今回温めたタレの急冷にもう1個使ったが。
醤油4、酢3、砂糖2、酒2、アレ2、量にすると相当多くなるが、多少浸り気味でも問題はないと思う。
あ、あとしょうがをすりおろした。だが辛子とか大きなパンチのあるものを入れるとその繊細な風味はあまり感じられない。
なければないでも良い。
欲を言えばパンチが欲しい。
そういう意味で、例の翡翠のアレは大いに検討の対象になりうる。
缶詰の安売りをついこないだ逃したのが痛恨である…瓶詰めで何とか代用できるか。
具が多いので麺が110gだとすくないと錯覚しがちだが、
具が多すぎておかしいのだ。
今回はわかめ、きくらげ、ささみ、辛子漬けきゅうり、錦糸卵、大根おろしである。
今回豆腐はまったく無いのだ。それでいてこの膨満感。
とにかく上記の具に豆腐を加え、それぞれの最適量を今後検討していくべきだろう。
…あっさり行きたいなら醤油たれだな。楽だし。
あるならゴマダレも、ってところか。
あとは翡翠プラスでどうなるかにつきさらなる検討を加えたいところだ。
ver.2でR。
錦糸卵、鶏ササミ、きゅうり、わかめ、豆腐、干し椎茸、きくらげ、なめたけ、生姜、ネギ。
タレはver.1と同量。調味料皿に入れると如何にもなみなみ感があるが、
全体に回しかけると、水分が少なければむしろひたひたにもならず、偏在の恐れすらあるかもしれない。
また、芝麻醤を分量以上にたっぷり入れたくなるが、本当に入れすぎると相当濃くなるかもしれない。
水分(酢とか)を多くするなら、それに見合い、といった形の運用が望ましいと思われる。
まず大前提として具が多すぎる。今回多すぎたのはわかめ、きくらげである。
両方とも乾物なのだから控えめで良い。足りないと思ったらまたふやかせば良いのである。
干し椎茸はあればで良い。今度発展形で、戻し汁をタレに絡めてみるか…?
豆腐はやはり水切りをした方が良い。
半分ゆで卵、半分錦糸卵とできれば良いのに。23世紀になったら開発される技術だろうか。
豆腐の水があったので味付きのなめたけとうまい具合に中和し、塩加減がうまくいっただろうか。
豆腐の水切りがよく出来たらタレの酢をもう少し足しても良い。
上述したように、タレ自体は量が多いように見えて、豆腐の水分がもしなくなれば全体に行き渡るほどの液量が得られないように思われる。
きゅうりは1/3本が適量。残った分は辛子漬けにして次の具にする。
メインの鳥ササミだが、2枚入り(少量)を買ってその1枚を細切りにして、
肉は多いかと思ったが余分感はまったくなかった。やはり唯一の肉・動物性タンパク質なので多すぎるということはないのだろう。
見た目はキレイだが、うまく混ざらないと、特に鶏ササミが偏った部分を喫食してしまうともったいない感が半端ない。
ネギは本当に申し訳程度でよい。何ならみじん切りにしてタレに打ち込んだ方が良いかもしれん。
今回はうまく行ったが、塩加減は難しそうだ。
なめたけやきゅうり、ササミなどの既味付け具と兼ね合いに考えたタレの醤油配分がモノをいうと思われる。
クソ地味だが、いないと始まらない、というか成立しない。
漬物運用で何とか今後様子を見てみよう。作るごとに買ってたのでは追いつかない。
鶏ササミもまとめて千切り炒めにしたものを小分けに冷凍、という運用が良いのではないかと思われる。
またタレについて、合わせた後は何なら冷凍庫でも良いかもしれない。
氷水でキュッと締めた麺の冷たさに比べ、冷蔵庫に申し訳程度の時間保管した程度のタレでは冷たさが及ばない。
肉も鶏だな。ササミは良い。調理がうまくできれば胸肉でも良いのかも知らんが。
豚、とりわけチャーシューのような獣脂を味わうという向きと根本的に合わない。冷菜だから。
きくらげは一枚あるとテクスチャー的にも良いアクセントだし調達が容易だ。
…干し椎茸はあってもなくてもいい感じ。
すりおろしたあとの繊維ガビガビになったところを断面で削いで千切りにする運用が良さそうだ。
あと錦糸卵、焼く際はフライパン全面に卵液が浸るようにするのだったよ。
Lなら大フライパン、Sなら小フライパンでやって、念の為油を全面うっすらが良い。
弱火でやれば良い感じに仕上がる。
ver.2は総じてver.1の全面改良である。
問題は具の準備に些か時間がかかるか、でもこれも要領が得られれば時短は大いに望める予感。
ver.3を期待しよう。
あとやっぱ、業務スーパーの数十年ラーメンは味に何らの遜色がない。
醤油ダレも検討したいが、ついついゴマダレに流れて言ってしまうのでR~。
以下ver.1。
業スーの1玉30円の麺で十分。
きゅうりがないと濃く、重く、さっぱり感がない。
ザーサイも味が付いてるので濃く重し。ゴマダレの醤油とのバランスが必要。
ゴマダレは大3、醤油大2、酢大2.5くらい。あと砂糖大1におろし生姜少々。ただすこし汁が残り気味。
わかめは相性抜群。多めでもヨシ。
卵はL1個だと多い。
しいたけはアクセントとしてあって良いが、多いと邪魔。ごく小さい干し椎茸でヨシ。
きゅうり、もやしといったさっぱり歯ごたえ系のものが冷やし中華ではここまで重要なアクセントになるものか。
漬物にすることを前提にするか連チャンで食べるようにしないと難しい。
しかしチャーシューがこんなに相性がイマイチになるとは思わなかった。
ゴマダレももうすこし粘度を増したい。保存用の油をもっと減らした方が良くて、使う都度油を足す運用の方が良いのだろうか。
またすりおろし生姜の風味もよくわからず有無の評価判定ができん。なくても良いならムダに使いたくないが。
ゴマダレだから余計にさっぱりシャッキリが必要になると思われる。
あと錦糸卵は油敷かないとテフロンでもきれいに取れん。或いは新しい良いテフロン買うか。
あと具は必須材料から引き算してメンバーを決めないと具が多すぎて食いきれん。
モウ1、2品目をごく僅かに、ってところか。
また試行錯誤が楽しみでR。
自分で情報系学部のシラバスに乗っているテキストを読んで演習をする程度か
そんなの知るかと場当たりでコードを書いて公開しブラッシュアップをしているかだろう
仕組み≒ルール(しきたり)を知らないんで勘弁してねというメッセージととらえるのが無難
パワハラにされてはかなわん
なんでオンとオフは二値なんですかといいだしたら困るが
ホントお前バカ、こういうヒトバシラーみたいなガジェットマニアが居るからこそお前が好きなiPhoneとかMacがブラッシュアップされんだよ
ていうかこういうガジェットマニアがお前の好きなiPhoneやMacを作ってる
お前は知らないだろうけど、ダークモードが流行り始めた初期はアプリケーションが個々にダークモードへ対応していたが、現在はOS自体へダークモードが適用できるようになったよな?
OS自体へダークモード適用はmacOSよりもLinuxディストリビューションの方が先だからな?GNOMEデスクトップ環境が先に実現していた
お前はバカだからイノベーターやアーリーアダプターの技術的貢献を理解できてねぇんだよ
しかもあの増田はAppleも活用しようとしたOpenStreetMapへ貢献するような徳高い人物だぞ
給料は悪くないが、今いる会社ではキャリアもスキルも天井が見えてきたので転職を考えている、そんな感じのよくいるITエンジニアだと思う。
増田のいる会社は特別大きいわけではないけれど、毎年ちゃんと新入社員が入ってきてくれる。
それも見境なく採用しているわけではなく、しっかり採用計画を立てた上で当人のスキルや志向を見て合否を判断、予定の人数に着地させている。
学生からすれば大手に落ちたらなんとなく面白そうだしで入ってくれるような会社、という立ち位置に落ち着いているようにも思うし、実際増田もそのクチである。
さて、繰り返しになるが増田のいる会社は特別大きくはないため、新人研修も大規模なものではなく、多くは社員に時間と担当科目を割り当てて行っている。
その内容は組織や事業の紹介をはじめとして、開発ツールや技術の軽い演習を交えた研修など多岐に渡り、それなりに立場のある者から2-3年目の若手まで、自身で資料を用意して新人研修に臨む。
スケジュールや大筋の内容は事前に決められるものの、細かいコンテンツについては割り当てられた社員に一任されている。
増田も例に漏れず毎年新人研修を担当しているのだが、他の研修を覗くと年々ブラッシュアップされていて、改めて一式受けてみたいと思えるほどだ。
2-3年目の若手が技術的な背景までしっかり理解した、それでいてかみ砕いた分かりやすい研修を行う姿、また入ってきたばかりの新人が理解して使いこなせるようになっていく姿は毎年増田を驚かせてくれる。
個人差は大いにあるものの、平均的には毎年新入社員の質が高まっているように感じる。
もちろん大学で学ぶ内容も増田の頃からすれば進化していて、注入される知識や技術が現代的なものに入れ替わっているのもあるだろう。
しかし技術の学習コストは過去の類似技術と地続きで学ぶよりも新規参入して学ぶ方が高くつくもので、優秀さは疑いようのないものだと思う。
このように若手が優秀に映ることで、若手よりも高い給料をもらっている増田には、若手の評価面での天井となってしまわないようにしなければというプレッシャーが生じている。
増田がしっかり評価されないことには子弟関係にあたる若手たちも増田ほどでないということで評価されないし、増田の上司も増田をうまく使えていないということで評価されなくなってしまう。
彼らの障壁となってしまわないよう増田自身も優秀でありたいと思う一方、増田視点での増田の評価の天井、ひいては給料の上限も見えてきているので転職もありかなと思う次第である。
今の給料が十分であるかとは別の話で、高く評価されたとしても給料の伸びしろがないことが分かってしまうと、その後の就業意欲に影を落とす。
成果を出せば出した分だけ、成長すれば成長した分だけ評価され、評価の結果として報酬を得たいのが人間の性であろう。
ありきたりな結論になってしまったが、今の若者は優秀であり、優秀な若者が優秀なまま活躍し続けるためにも、はたらきに見合うだけの報酬を、十分な伸びしろをもって提示すべきだろうと増田は思う。
(他国でも自己犠牲を賛美する風潮はあるが、露骨に特攻を命令するのは貴重な兵士というリソースの無駄使いであり、普通はありえない
今の日本の政治家も悪党としては小物感が漂いすぎてて、こすいというかケチというか
WWIIもそうだけど、上層部は小悪党なのに強い言葉(コロナに勝った証とか)を言うだけで、結局は全部現場に丸投げでしかない
現場に丸投げというなら米国のベトナム戦争もそうだったわけだけど、流石に特攻を命令したり賛美したりはしない
(ベトナム戦争は北軍のゲリラ戦術が勝因ではなく、実際は中ソが米国への核攻撃を匂わせたため、米国は核による脅迫という外交で負けたのである
特攻が嫌で徴兵から逃げた息子を親が捕まえたり、特攻するために出兵する息子を親もご近所も万歳三唱したり、
GHQに支配されても、やっぱり日本人の本質は変わってないんだと今回のコロナでも思ったよ
国難というか、困ったことが起こると先に精神論に持ち込んでしまう
日本人以外に頑張る系の自己啓発は基本的に「ダルい」という反応しか得られれないと思う
(そうすると従業員やチームメンバーがついてこなくなるため、上層部は妥協案や合理化を考える
良くも悪くも基本的に真面目、
だから、上の人間にその真面目さを体よく利用されやすいのだと思う
付け加えるなら、ズルをしてでも敵国に勝つ、ズルをしてでも勝って支配する、領土を奪うという「欲」がない
キリスト教だってプロテスタントは「合理的禁欲」という考え方が根本にあるため、
お金を無駄使い散財しない→いざというときのために貯蓄する→資本主義
という流れがあったが、しかしあくまで「合理的」禁欲であり、仏教のような無欲を良いものとは考えていない
そもそも、無欲になりたい、という欲で座禅や修行をしているというトートロジーがある(一休宗純
うろ覚えだが、アニメのコードギアスでもシュナイゼルには「欲」がなかった
欲や執着心がないことがかえってルルーシュに負ける敗因になってしまった
自己啓発などで欲や執着を捨てようというネタもよく散見されるが、これはバランスの問題であって、
欲や執着が自分を苦しめるなら量を減らすべきだが、欲や執着がなければなんの成功にもたどり着かない
老後になったらオレオレ詐欺で無一文になっても構わない、なんてことはない、
それでは明日から生きていけないわけで、死ぬまでお金や何かに人間は執着するべきなのである
そう考えてみると、この国はコードギアスのシュナイゼル側に似ているとも思える
欲や執着心が足りないのに、「美しく」勝利しようとする
これが自分には良くないように思う
「美しい国」だの「国家の品格」だの言い出した時点で、アベはシュナイゼルにどこか似ているように思う
持論だが、まず「美しく勝とう」などと考えてはならない
大切なのは「みっともない形でもまずは目標を達成する」ことである
ダクトテープによるプロトタイピングとか、まずはみっともなくても完成させる、目的を達成することである
この段階から「軍神」がどうのとか、戦場に美的感覚を持ち込みすぎてはならない
勝利よりも何よりも、まずは目的を細分化し、その1つ1つをみっともないながらも達成していくことである
そして、そこから今度はそのみっともないものをブラッシュアップしていくことである
私は格闘ゲームをやったことがほとんどないのだが、人間がコンボを入力するのはバカげている、
キー操作を記録して一発のキー入力で技が発動できないか、みたいなことを考えるのである
WWIIの日本は、根性でみっともない形で達成しても、それを合理化、単純化しようとしない傾向があるように思える
また、そういった合理化や単純化を悪としたり、そういうのは美しくない、みたいな余計な美観が介入しているように思える
ズルをしてでも勝たなければならない
軍神がどうの、天皇がどうの、そういう美観を戦場に持ち込んではならない
そういう意味で、仮想敵国である中国はやはり良くやっているように思わざるをえない
ホリエモンだったか、自著の自己啓発本で「真似される奴になれ」とか偉そうに書いているらしいが、
真似をするというのは一位の背中にピタリと追随してスリップストリームを利用して走る二位のようなものである
そんな二位がゴール手前で一位を押し倒して一位になってしまうものである
たしかに「真似される奴」はオリジナルであり、ブレイクスルーを作り出すものであり、偉大な存在である
しかし、ホリエモンは起業家としてビジネスの歴史をそれなりに知っているはずではないのか?
ビジネスの世界で意外と最後に勝利するのは二番手だったりすることが多いのである
シュナイゼルについてうろ覚えなのでググってみたが、この文を書いていて、ついアベ氏と似ていると書いてしまったが、
goldhead氏だったか、安倍晋三氏がテレビで演説しているのを観て、
なんて空っぽで空虚な人なんだろう、みたいに思ったようなことをブログだかに書いていたと思うのだけど、
それは自分も同感であって、
安倍晋三氏=シュナイゼルと考えると意外と彼という人物を理解できる気がしてきた
まず、生まれながらにしてすべてが揃っているため「欲」がない、執着がない、
そして、「周囲が望むことを喋り、実行するだけ」の、
ある意味、気味が悪いぐらいよくできた長男みたいな人物だということだと思う
それが見える人には見えるのだけど、見えない人には見えない
なぜなら、安倍晋三氏が空虚に見えない人にとって、そういった一部の大衆が望むようなことを声高に喋るからである
自分のフラストレーションを代弁してもらっているような気分になるから、彼が空虚に見えない
しかし、その崇め奉っている彼は単なる「鏡」でしかないのである
端的に言うなら、二世だから出自が恵まれすぎている、生まれてこの方金銭関係などで大した苦労もない、
それが人間性に反映されて「欲」がない、
しかし、悪い意味で「いい子ちゃん」だから、周囲の望んだことを喋る、
そうやって有権者中の有力者の気持ちを代弁することで味方を増やす、勢力を付けるという戦法だったように思う
そう考えてみると、私はマシュマロ・テストというのがやはり解せないのである
今はルルーシュにくれてやるとしよう、みたいな台詞がうろ覚えだがあった気がする
もちろん、戦争であれ何であれ、意図的に負けてやる、忍耐みたいな姿勢も大事であることは理解できる
しかし、マシュマロ・テストというのはあれも極論めいた話であって、場合によるのである
では、目の前のマシュマロを誰よりも先に奪わなければ死ぬとしたらどうだろうか?
現状から一歩踏み出すためにまとめてみた。
少し時間が経ったら、追加したり書き直してブラッシュアップするつもり。
会社員生活に性格的になじめない。今まで我慢して続けていたが、現在とは違った収入手段を得て会社を辞めたい。
人間関係でストレスを感じる。もともと対人関係スキル、ストレス耐性が低かった。会社に入って慣れていくこともできず、ストレスから不眠症状などが出て、生活の質が低いと感じる。
生活は地味目で支出はあまり多くない。月20万円程度の収入を目標(年収200~250万円)にして、ウォーキング、読書、ネット徘徊などを趣味にして、マイペースで生きていくことを希望。
転職しても、また現在の職場と同様、人間関係に悩むことになるだろうから、ネットを使った個人事業プラス足りない分を短期間のアルバイトで補うかたちで収入を得たい。
・自分のような「会社員生活不適応人種」が、この世の中で細々と生き延びるスキルとか考え方をつづる。現在社会の中で「生きづらい」と感じている人も一定数いるだろうと思われるので、その層から購読者を得たい。
・同様の内容を発信している人はすでに多く、いかに特色を打ち出していくか。
・個人によるアフィリエイト収入は多くを望めず、かなりの作業量を投入したとしても月1~2万円程度が関の山か。
マキシマムザホルモンかと思ったり
まあ、本当に日本は終わってるというか平和ボケしてる感あるけどな
歴史的に考えても、ちゃんと戦争もできない国が生き残れるわけがないわけで
ということを証明した、日本は生き証人みたいになってしまった感がある
原発事故は核戦争への備えがあるか、援軍に来た米国にはちゃんと想定されたマニュアルがあり、日頃から訓練されていた
コロナは、米国の疾病対策センターみたいな組織はバイオ兵器、化学兵器に即時に軍と連携して対応することも兼ねているわけで、
軍需=軍国主義みたいな短絡な考えが間違いであることを十分に証明していると思う
今になって国産戦闘機だのアビオニクスはNECだのみたいな話になってるが、
韓国や中国はパクリだろうが何だろうが、国産戦闘機開発は完全に日本よりリードしているように思える
パクリだろうが真似て作ってちゃんと飛ぶとか動くってのは、それだけで十分に凄いと俺は思ってる
サイバー攻撃だの産業スパイだので設計図面を入手したからって、それを理解する脳みそがないならコピーさえできない
だから、ロシアでさえスホーイのアビオニクスを抜いたものを中国に売りつけてる
機体はゴミとか戦場で墜落した機体を回収するとかすれば、いつかはコピーできるだろうけど、
アビオニクスや特にソフトウェアは上述のようにコピーできてしまうわけで、
しかし、中国は曲がりなりにもアビオニクスを独自に埋めてちゃんと飛ばすところを世界に報道した
米国の人工知能による爆撃機の空母への離発着とレベルの差は雲泥ではあるが、
公式に中国政府が粗大ゴミになった建造中の空母を買いたいと言ったら拒否されるだけだろう
上述のように、同じ共産圏とはいえ、空母建造のノウハウを渡したくはない
粗大ごみを買ってくれるのか、どうぞどうぞ、みたいな話になってしまったわけだが、
もう半完成品の遼寧は完成させ、遼寧のノウハウ+αの山東も完成し、
これから完全にゼロベースからの巨大空母が複数建造されるのだろうし、
トランペッターのプラモをネットで眺めてて色々思ったのだけど、
世界でもユニークなサリン事件があり、テレビドラマのERでも会話の中にサリン事件で日本の名前が出たが、
極めて稀なテロ事件に遭遇していながら、コロナへの対処もショボいのが今の日本の現実である
普段から災害や国難があるのなら、それに対処する知見、蓄積があるはずなわけで、
例えば、建造物の耐震、免震構造などは日本は他国より優れているのではないかと自分は思うが、
千葉の台風でもゴルフ場のフェンスが倒れ住宅街の一部を破壊したが、
そもそも、あのフェンス外側に倒れてもおかしくない設置してなかったかとも思ったし、
なったらなったで、あの件はゴルフ場の女性経営者がゴルフ場を完全に売却し補填に当てることで決着したようだけど、
そもそもの設置基準、国側の監督責任、ゴルフ場を売っても金が足りない場合どうするか、
みたいなものが意外にこの国は未だに脆弱なように思えてならないし、
そういうことが回り回って、国民が安全安心に暮らせる社会になってない、としか自分には思えない
そういう話をすると、いやいや他国だってそんなに理想的ではない、日本なんかより酷い問題がある、みたいに話を折る人が出てくるわけだが、
まず、中途半端なところで満足するというのは、初学者が俺天才と錯覚するダニング=クルーガー現象みたいなもので、
自己満足した時点で成長は止まってしまう、だから日本は国として成長が止まってしまうのではないか
それから、仮に日本が最も豊かで恵まれた国だったとしても、それを更にブラッシュアップして、最強、最最強、最最最強の国家にするべきであって、
これも同様に自己満足が成長を止める
こういう自己満足や逆に米国だけを礼賛するような竹中○蔵みたいな輩が成長を止めているように思える
少なくとも米国側からも指摘されているように、台湾において米中がなんらかの武力的衝突をするのは避けられないと思っている
当然ながら在日米軍がある日本も無関係ではいられないわけで、ロシアのように第三次世界大戦を想定していかなければ困る
半導体製造においても、NVIDIAは台湾から韓国サムスンに製造委託を移すようだし、
日本は蚊帳の外感がずっと否めないのだけど、中韓のダンピングに負けたような経緯もあった気がするが、
半導体においても負け、半導体製造装置が今のアドバンテージであるが、その牙城が崩されるのも時間の問題かもしれない
比較的最近だったと思うが、ファナックは第二の創業として産業ロボットの次に射出成形機に乗り出してたと思う
同期に抜かれ、後輩に抜かれ、非常に辛い気持ちだ。
なぜ辛いのだろう。
虚栄心とは人によく思われたいという気持ちで、野心は何かを自分の力で成し遂げたいという気持ち、と言ったのは塩野七生だったと思うが、俺は虚栄心が大きいのだと思う。昇進をして何かを成し遂げたいという気持ちはなかった。みんなで受ける昇進試験に自分も取り組んで、みんなと一緒に昇進をしたいだけだった。それができなくて、恥ずかしくて、辛いのだ。
人に遅れを取ったことはあまりなかった。概ね、マジョリティ、しかも結構優位な立場で社会生活を送っていた。
そういうコンプレックスからは自由に生きていた。俺は、俺が優れている人間だと思っていた。評価もされていた。薄っぺらな言葉ではなく、人事評価という形でも返してもらっていた。
それが、これだ。
あまりにも辛くて、転職活動もして、悪くない条件のところに拾ってもらえそうだった。だが、最後の最後で踏み切れなかった。
なぜ踏み切れなかったか。拾い先がネット上でクソ叩かれているところで、就職したところで胸を張れそうになかったのと、少子高齢化の影響をモロに受けて30年後には倒産してそうだな、と思ったから。
転職の動機がネガティブなら、転職をやめた理由もネガティブだな、と気がついて本当に嫌になった。
思い返してみれば、何かをしようという強い動機がなかった。ずーとそうだった。みんながすることをして、その中でたまたま悪くない位置を占めてきただけだ。
屈辱、汚辱、とんでもない悲しみ、身も世もない恥で息も苦しくて、後輩にタメ口をきかれて、席次を譲って。クソが!!!!!!!!!
今、俺は組織に拉がれようとしている。ないがしろにされても、生活のために縋りつかざるを得ないから。なんてひどい人生になっちゃったんだろう。
そう思っていた。
だけれども、これは変わるためのチャンスなんじゃないんだろうか、と思えないでもない。小手先の昇進試験の技術をブラッシュアップするだけでなく。
少し野心的になろう。数年、昇進をフイにしている。取り返し難い。それでも、まだ、やり直せる。やり直せると信じたい。
旧劇エヴァ(EoE)に感動しQからの流れがめっちゃ好きなので、皮肉ではなく本気で称賛として書いてる。
前回の増田(anond:20210308160516)にも書いたが、
何百億というお金が動くプロジェクトで、誰の顔色を伺うことなく、シン・エヴァをやり切った60歳という事実が最高にクールである。
・あなたは、60歳になった時に自分の一存でプロジェクトのすべてを仕切れるような影響力を持っていそうか?
・ あなたは、60歳になった時に己の感性のみを信じて突き進む事はできそうか?
しかも何百億というお金が動くプロジェクトの矢面に立つ総監督(脚本兼任)という立場で
「さすが庵野!」
「おれたちにできない事を平然とやってのけるッ そこにシビれる!あこがれるゥ!」 としか言う他ない。
庵野監督のようなビックプロジェクトに関わる事はないにせよ、一応若者の区分の自分も頑張りたい尖りたいと純粋に思った。
ただ感動した事実は事実として、ストーリーについて忖度なしに言えばタイトルの通りゴミだったので以下に感想(お気持ち長文)を書き連ねていく。
(注意:シン・エヴァの造形や絵作りや音楽については専門のお兄様たちの批評・感想をあたってください。この増田では映画を構成する様々な要素のひとつ "ストーリー" についてしか触れません。)
ファンのためにファン向けた作品を作ることのいったい何が悪いか?と思うかもしれない。
なので先にシン・エヴァの結末を書く。
庵野監督のアバター "シンジくん" は 声優:緒方恵美 (14歳) から 俳優:神木隆之介(スーツ) に変身、
安野モヨコ氏 (庵野監督の妻) のアバター "マリ" と お手て繋いで駆け出し、
庵野監督の地元 "宇部新川" で 前前前生 して終劇。
ーーー・・・普通にバッカじゃねぇの?😒である。 シン・エヴァじゃなくて庵野監督のエッセイでやれ。
大マジである。
エヴァンゲリオンイマジナリー、ゴルゴダオブジェクト など急に設定を生やしたり、
無かったことにされていた 渚カヲル司令 をサルベージしたり (なお、予告にいたキカイダーエヴァみたいなヤツのことは忘れろ)
カヲルと加持と冬月とゲンドウ で "ジェバンニが一晩でやってくれました" をしたり、
ソードマスターヤマト 並みの怒涛の畳み掛けを 新劇 を終わらせるためにかましたのに、
マリ が何者なのかについて "だけ" 、最後まで触れなかった。
その影響で、マリが(当然シンジも) なぜ エヴァに乗れる・操れるのか、劇中で言及されること無く終わった。
もちろん、劇中の情報からなぜマリがエヴァに乗れる・操縦出来るかについて、推測・想像・妄想は出来る。
劇中でネブカドネザルの鍵を自らに付与したゲンドウがエヴァを操縦していたように、おそらく後天的に仕組まれたのだろう。
けれど、カットはもちろんセリフで匂わせすらなく、まったく劇中で語られていない以上、推測・想像・妄想でしかないので、
忖度なしに言えば "どうかしている" としか言いようがない。
なんでも説明してしまうのはつまらない? 想像・妄想の余地がある方が面白い? よろしい、では、
シン・エヴァ:|| (本作) になるまでシンジが名前すら知らなかった "マリ"、しかも、シンジにとっては、"パラシュートの人" でしかない "マリ"と、
庵野監督の地元 "宇部新川" で 前前前生 したのは 何故なのか?
意外で驚いたぁ〜?(笑) だけがしたいのであれば、前前前生するのは、北上ミドリ や トウジの妹(鈴原サクラ) でも よかったはずだ。
なんなら、シンジはマリよりも彼女たちのことについての方が名前も人となりも知っているまである。
"シンジは急速にマリが好きになったのだ!人を好きになるのに、恋に落ちるのに、理由も時間も要らない!" で押し通すにしても、
"マリは最初からシンジに対して一定以上の執着を持っていた" についてはどう説明するのか?
それも "どこにいても必ず迎えに行くから。待ってなよワンコくん" と口にしたり、"命をかけて裏宇宙に行く" ほどの執着だ。
ヒロイン(マリ)が抱いている、まどマギのほむらレベルのマリ執着を 言及しないで オッケー👌とかあり得る??? あり得るとしたら何故?
そもそも"執着以前にマリが何者であるかも明らかではない"が、そんなことって通常のストーリーで許容されるもの???
しかも、外そうとしたらカヲルくんみたいに頭ボーンして死ぬ "DSSチョーカー" をラストシーンでひょいと外せる謎能力を持った超超超超超超超超重要人物だぞ???
マリは庵野監督の妻である安野モヨコ氏の投影キャラ。だからシンジ(庵野監督)の心の枷を外せた。
そしてメアリー・スーでもあるマリついてのすべてを劇中で言及不要とした。"
い、いや、エヴァ漫画版ではマリについての描写があったから(震え) にしたって、
漫画版の設定を引き継いでいるなら 同性愛者設定 はどこへいった?だし、
実年齢だって、『破』の時点で33歳、『Q』の時点で47歳くらいだということになる。
まどマギのほむらレベルの執着をみせているのに、この実年齢でマリがシンジを親族の家に預けたままにしていたのは何故?
忙しい云々ならマリより年若いミサトがシンジを預かっているので別に不可能ということもないだろう。
そして "DSSチョーカー" を外せる理由やそもそも何者なのかについて触れない理由は???
なんにせよ、とても褒められた出来のシナリオでは無い。
せやね、誰よりも劇中でセリフが長そうなゲンドウの自分語りとか。
「Beautiful World」はゲンドウの歌だったんだな、ユイに出会って世界が変わった云々は絶対庵野監督自身のことを重ねてるな、つかこれ旧劇で見たけど?と思ったけど。
旧劇でそれ見たよ?の展開だけなら褒められないが初見向けとして許容出来た。
しかし、突如悟りを開いた シンジ様 が登場人物達のカウンセリングを始めるのである。
709 名無しが氏んでも代わりはいるもの 2021/03/08(月) 21:33:24.38ID:???
シンジ「どんなに探してもユイはいねえよ現実を受け入れて責任を果たしていけ」
シンジ「お前は俺のことを幸せにしたいんじゃなくてそうやって自分が幸せになりたいだけだろ」
シンジ「昔はお前のこと好きだったけどいい加減自分の人生を生きたら?」
オーケー、悟りを開き覚醒したシンジ様がグループセラピーを始めるのはヨシとしよう。
・・・でもな?
シンジが覚醒した理由について劇中で言及されないのである!!!!
本当に、本当にありがとうございました。
精一杯、善意的な解釈をすれば シンジは "生命の書" にカヲル同様に名前を連ねているからループを繰り返している。
村とポカ波の一連の出来事でシンジは違う世界線の経験の活かせる状態に覚醒した・・・みたいな???
(これも劇中で言及されない以上、推測・想像・妄想でしかない)
他は、なんちゃってジブリでナディアの島編のような冗長さがある村での描写とか、
エヴァ無し・ほぼ丸腰でハイカイ(首無しエヴァもどき)がいる世界でシンジ・レイ・アスカ無事(危機に陥る描写無し)だったとか、
Exactly(そのとおりでございます)
映画・アニメは総合芸術だ。ストーリーは総合芸術を構成する要素のひとつにしか過ぎない。
絵作りが素晴らしければただそれだけで名作になることもある。
造形・絵作り・音楽について長文を書き連ねたい情熱も専門性も持ち合わせていないので省略するが、
パリ以外でも大好きな絵作りのシーンがいくつかある。
(ヴンダーの戦艦アクションや映画館向きじゃないぐるんぐるするアングル好き)
この増田はあくまで"ストーリー"だけを切り取ったとき、出来は酷かったという個人的な感想(お気持ち)で、
シン・エヴァが駄作だと評しているわけではないので誤解なきよう。
狂気を魅せたという意味ではなくて圧倒的に低レベルなシナリオ完成度的な意味で
摩砂雪とか貞本がいなくなったばかりではなく、
『男の戦い』や『最後のシ者』など旧作で重要な話は 薩川昭夫 脚本、SF要素は磯だがそれらもいなくなった
▼供養の設定資料
もう20年以上前の某アニメで作った脚本回の設定。地下施設の詳細が決まってなかったのでセントラルドグマとか名称や細部を私が設定していった。他にも中盤は私が作ったセリフや展開が結構使用されているが結局全部ノーギャラ。
https://twitter.com/isomitsuo/status/823830687400636416?s=21
Aパート→絵コンテなし、さらに作られては壊されめちゃくちゃに
Cパート→時間とスタッフ足りなかったからブラッシュアップしきれなかった
Dパート→とりあえず締め切りに間に合うように作った
理解ある彼くんなワイはオタクへの反撃(Qの恨み)とモヨコとの私小説が書ければあとはどうでもいいだったんだなってすぐさま読み取ったけど
自分自身を映画に重ねるキョロ充の非オタな豚どもは感動したり勝手に意味を読み取ってたな
正解はパンフレットに書かれてたスタッフから『意味不明』『謎』『もっと客観性を持って作品作りを』ってメッセージ
NHKのドキュメンタリーでも、スタッフに意味不明って言われたし、絶対に破れない締切のせいでああなった様子が映し出されてた
あとドキュメンタリーで映像面ではグルグルアングルに並々ならぬこだわりがあるってやってたね
なにしてるかわからないって評判が多かったけど、ワイは初めからグルグルアングルは面白いって評してたぞ
(現実に帰れっていうテーマは)あったと思うよ、庵野くんEOEの頃からずっと的外れだけど
押井のビューティフルドリーマーで見たけど?だったけど
EOEの狂気が凄まじいのと作品としての完成度が高いから許された
(もちろん激怒したやつもいる)
そもそも虚構の世界に逃げているとされる人たちのオタ活の中心はとっくにエヴァなんかじゃないぞ
炎上商法狙ってるにしたってクソ寒すぎ
シンを観て隙あらば氷河期世代をしているのは商業ライター・個人ともに闇が深すぎるのでノーコメント
メンヘラ女(アスカ)の相手は理解ある彼氏くんなぬいぐるみペニス以外には出来ないは正しいが
"常識的な嘘"を書けば、アスカとケンスケを受け入れる人は多かったと思うんだよな
メンヘラはこうだについても嘘がつきたくなかったし
アスカ厨ムカつくについても嘘がつきたくなかったし
エヴァもうやりたくないんだよなぁと俺が思うエヴァからの解放にも嘘がつきたくなかった
何よりも嘘つかないでも商売としてやっているけるレベルで信者を集めていることに確信的だからな
276 公共放送名無しさん 2021/03/22(月) 20:37:24.34 ID:cd47Rl9
ぼく「じゃあもういいや」
ぼく「しょーがねーなぁ」
ぼく「お前なんなん?」
今
庵野くんに少しは反省して欲しかったので大ヒットしないで欲しかったな
庵野くんは何しても許されることに自覚的だからエヴァやりたくねーアピールしてエヴァ串刺しにして
>なんらかの作品を見て、起こってることしか感じられないのは可哀想だと思う。
ワイ的にはこっちのが理解し難い
キョロ充「成長 (ちらっ)」
キョロ充「救い(ちらっ)」
ワイ「キミらのいう "希望" 、"成長"、"救い"、"大人" 、"人生"、"人間" 、"対話" とは? シン・エヴァのどの辺りから感じたの?」
カサカサカサカサカサカサカサカサカサカサ(キョロ充逃げる)
あんだけ尺取るなら真面目にやろうよって思った
庵野くんはメカアクションや組織で大事を成すカタルシスをケレン味たっぷりにやる作家で
エヴァが庵野くん物語ということも承知しているし庵野くんがエヴァやりたくないことも承知している
けれどそれでもなぁなぁにできないレベルのクソゴミシナリオだったと思うよ
EOEの時に庵野くんを支えた人がいなくなったからでは?と言われても致し方ないレベル
エヴァについて色々質問してくる娘に答える。昔流行ったアニメであること。今も作られ続けていて、今度ようやく完結すること。画面の中で動くキャラの名前と兵器のこと。あれこれと説明していく私の横で、娘は一言こう言った。
「面白い?」
私は答えられなかった。あらためて新劇場版を前にして、序を見ても、破を見ても、浮かんでくるのは「懐かしい」「キャラがかわいい」という感想だけで、「やっぱり面白いな」という感覚が私の中になかったのだ。1995年のテレビ版と2007年の序を観た時には確実に心にあったものが、今はすっかり抜け落ちていた。
一体私は、あのアニメの何を楽しんでいたのだろうか?
1995年当時、エヴァが社会的にヒットした理由は「新奇性」なのだと思っている。暗い世界観、謎に満ちたストーリー、コンプレックスを抱えたキャラクター、迫力の戦闘シーン、人間ドラマ、そして何より「空気感」。
後世に残る大ヒットをかました作品は、往々にしてその時代の空気感を反映している。エヴァというものは今までに無かったもので、そこに震災やらオウムやら世紀末やらといった「世相」が絡まっていた。1995年に生きた人間にしか分かり得ない何かがあって、でもそれは2021年からは振り返れない何かであって、その熱量が本物だったから、エヴァは時代を超えるアニメになったのだと思う。
当時小学生だった私は、エヴァの裏にある複雑なストーリーは理解していなかったが、「何か凄い」という感覚だけは頭の中にずっと走っていた。それは私よりずっとずっと大人の人も同じ感覚だったのだろう。「〇〇みたいなアニメ」という枠で語れない、それが新世紀エヴァンゲリオンであった。
新奇性がそこにあった。時代の先駆者となれたからこそ、25年も続くアニメシリーズが作られ続けたのだ。
しかし、今は違う。エヴァンゲリオンフォロワーは世の中に多く溢れかえり、設定も、キャラクターも、その後に続くフォロワー達の中に埋もれていった。アニメの表現が自由になるにつれて、「エヴァっぽさ」は1995年という文脈から独立して一人歩きを始め、当時の世の中を取り巻いていた空気は、25年の歳月の中で霧散していた。
スペースオペラの金字塔を打ち立てたスターウォーズが、新三部作で散々な評価を受けたように、またオープンワールドの先駆けたるシェンムーが、20年の時を経てリリースされた3で大ゴケしたように、時代の先駆者は、往々にしてその後のフォロワー達からの突き上げにあい、自分の立ち位置と時代性を見誤る。オリジナルからのブラッシュアップを得たフォロワー達は、技術進歩と数の恩恵を受け、先駆者を時代遅れへと追いやっていく。
それでも、先駆者は死なない。死ぬのは2番手以降の粗製品だ。一番乗りにはブランドと、話題性と、そして神話があるのだ。
その神話はエヴァにおいては非常に重かった。定期的(と言えるか微妙な間隔)に公式から供給がある。あのころのファンは存命で、まだ強い熱量を持っている。そして何より、エヴァはまだ完結していないのだ。
しかし、序からでさえ14年経った。もう時代遅れなのではないだろうか。2021年の空気感を捉え、エヴァを完結へと導くには、あまりに長すぎる時が経ってしまったのではないだろうか。私は一挙放送でそう感じてしまったのだ。
それは私が大人になったからなのかもしれない。色々な作品を観てきたうちに、珍しさも目新しさも感じなくなり、エヴァそのものへの興奮が薄れてきたからかもしれない。
隣に座っていた娘におそるおそる聞いて見た。「エヴァ、面白いと思う?」
私が子どものときに抱いた感想と同じであった。娘は娘で、エヴァを「なんかすごい」ものだと思っている。
子どもは面白さに敏感だ。面白いものを前にしているときは、外から分かるぐらいはっきりと目がキラキラする。しかし、画面の前に座っていた娘の目は、Youtubeを見ているいつものときとあまり変わらなかった。
娘は派手なシーンでよく「すごい」と言う。それは恐らくアクション映画を観る感覚であり、一瞬一瞬のパーツの面白さを味わっているのだろう。TwitterやTikTokの動画のようなインスタントな面白さが、ハイテンポで繰り返される、その状態をすごいと表しているのだと思う。
「〇〇とどっちが面白い?」口にしかけた言葉はすんでのところで飲み込んだ。
Twitterで散見された感想も、ほとんどはキャラクターへの感情だけであり、ストーリーや、世界観や、その他色んな「エヴァらしさ」に触れている人はあまりいなかった。ハッシュタグを追って見ても、あのころを懐かしむ意見ばかりで、新たにエヴァの世界に参入してきた人は見かけなかった。
もう、そこには「新奇性」は無いのだ。世界観も、メカニックも、専門用語の羅列によるバトルシーンも。何なら綾波やアスカといったキャラクターすら、無数のフォロワー達によって「よくあるもの」となっていた。新世紀から20年経ち、時代はエヴァを完全に置き去りにしていた。
でも、エヴァはまだ死んでいない。新劇場版4部作、中でもアニメと大きく異なる3、4作品目、ここにまだエヴァが残されている。エヴァらしさのほとんどは時代によって風化したが、まだ、一番大きなものが残っており、ファンもそれを強く求めていた。
そして、その期待を受けて出来上がったのが他ならぬ「エヴァQ」であったのだ。
私は、エヴァQは残された「エヴァらしさ」を極限まで追求した結果生まれたものだと思っている。その純化した素材は、考えられる限り最悪の料理を作り出したわけだが。
何も描かれていない背景の下でぐりぐり動くメカ、声優と口調以外に面影のないキャラクター、そして「難解」というよりも「支離滅裂」なストーリー。最先端だったアニメ表現は当たり前のものとなり、1995年の空気感どころか、2012年当時の空気感すら作れていなかった。
Qを観て、私は思ってしまった。目の前で繰り広げられる群像劇の一つひとつが、キャラクターの心情を深掘りするのではなく、制作者の考えたオ○ニーを少年少女に代弁させているだけのような気がしてしまったのだ。ただただ意味の無いセリフが飛ぶ奇妙な寸劇を眺めて、言い知れぬ不快感を覚えてしまったのだ。17年の集大成が結局ただのキャラ萌えであり、もうエヴァはとっくに時代に耐えられないのだと、そう感じてしまったのだ。
だけど、エヴァがどこかに向かって逸れていくのは、きっと仕方がないことだ。エンディングをぶん投げてから25年、今さら「シンジ君がサードインパクトを止めて世界を救いました」では、ファンが許さない。時代が進むにつれエヴァは古くなっていき、それに反比例するようにハードルは上がっていく。
もう一度エヴァが築き上げたものを再構築し、あの熱狂を甦らせようと、制作者はエヴァらしさを突き詰め続けた。ただ、その先に、未来が無かっただけなのだ。
一体私は、このアニメの何を楽しんでいたのだろうか?
3月8日、いよいよ新劇場版最終作が公開される。私も娘を連れずに観に行くつもりだ。
しかし、正直きちんと完結するとは思えない。毎週更新され続けたテレビアニメ版ですらまとめきれなかったのだ。たった4作で綺麗に締められるわけがない。
ただもし完結することがあったなら、ファンがかける言葉はきっと、「面白かった」や「つまらなかった」よりも、「完結おめでとう、お疲れ様」なのだと思う。それはまるで野球選手の引退試合のように、時代と戦い続けた者を称え、時代に敗れた者を見送る、そんな言葉がたくさん注がれるのだと、私は強く思っている。
アメリカ:確かにその開発コストは低いが、重要な関連パートの開発コストは含まれていないためだった。
ドイツ:確かにその開発コストは低いが、新技術が力を発揮するのは特定条件下のテストでのみだった。
日本:確かにその開発コストは低いが、サービス残業によって人件費が異常に低いことによるものだった。
中国:確かにその開発コストは低いが、核心部分が他国で開発された技術を諜報により得たためだった。
ロシア:確かにその開発コストは低いが、他国ではまず選択肢に入らない危険な技術を含むためだった。
イギリス:そのような技術の開発を行おうと思っていなかったので、他国には画期的なのか・低コストなのか判別がつかない。
ぜひ修正や追加などしていただければ。
『どうやったら、人の話が分かるようになるのか?』
悩むねー。分かるわ。
普通の人ならねー。大卒や一般向けだと、野矢茂樹さんの論理トレーニング。戸田山先生の論文の教室。新井紀子先生のRSTテスト。ってので、ブラッシュアップされるかもなんだろうけれど。。難しいね。
人間によって頭脳の作りが異なっているので、言語機能から攻めるよりは、図解にすると理解しやすいとかあるし。基本的な三段論法とか起承転結みたいなのも、要点を四角□で囲って、を三つか四つ並べて矢印で結んで文の繋がりを考えてみるってことだよなあ。これは、冒頭で例を出した『野矢茂樹さん「論理トレーニング」』って本にもあるので。
コンサルなんかの本での例(安宅和人さんのイシューからはじめよ)だと、雲、雨、傘っていう『雲が出てきた(状況)』ので『雨が降りそう(判断・予測)』だと思い『傘を持って出かける(実行)』って流れを理解するって言うけど。
もう、ホントこれをやれば伸びるってのは分からないので、教えて欲しいところではあるよね。。
偏差値50前後で、知識が足りないとかなら。地道にやるには、漢字検定3級の問題集、小学生向けのコグトレ本(国語・算数)からでもいいかもって思ってる。僕も、たまにやってる。僕も、中学の国語の問題やってもつづかたかったな。
就活で使うような公務員試験やSPIの問題でも、方角と距離を文章から読み取らせる文章題、あるでしょ。ああいう単純なのから始めるとイイかもね。
心理カウンセリングを受けるにも、なんか、話せないとダメ出しされるから凹むしねぇ。WAISやらは、専門の医師やカウンセラーがいるメンタルクリニックへ行けばってやってもらえるはず。
最近、絵描きが「絵描くのが辛い」って言ってみんな消えてしまう。
私が支援しなかったせいなのかなって思ったけど、それは絵描きのみんなどう思ってるんだろうか。
でも、そんなこと言っても私は相互の絵RTするbotじゃないし、相互のこと有名にしたくてフォローしたわけじゃないし、互いの絵に胡麻すったり傷の舐め合いしたくて「フォローありがとうございますよろしくお願いします」って言ったわけじゃないし、でも、私のRT一つで寿命伸びるんだったら、変な意地張ってないで機械にでもなりゃよかったのかなあ、どうなんだろう。でもそれは私のTwitterの楽しみ方に反している気がする。
「キモイ意地張ってないでRTしろクソカス」といわれても仕方ないと思う。目に見える結果でやる気が出るのはマジでそうだし、自分もそういう時期あったし今でもちょっと思ったりするし、その気持ちを肯定したい。でも、それのせいでSNSが住みづらい場所になってしまうならもうやめてほしいって、思う。相互の絵が悪いわけじゃないし、相互の絵好きだし、相互が気に入らなくて貶めたいわけじゃない、ただ、「相互の支援しなきゃ」って言ってTwitter開くなんておかしいだろって。相互の絵一つ一つに引用RTで一生懸命胡麻すって(ほんとうに本心だったらごめんなさい)、それ楽しいですか。どの界隈でも同じくらいそういう人がいると思うだろうから、私のようなクソザコごときが何言ったって何も変わらないだろうけど、でも、ずっとずっと引っかかってた。
いいねとRTしなきゃ、相互じゃないんですか。絵描かなきゃ人権ないんですか。
自分の事有名にしてくれないなら興味もないんですか。
繋がりたいタグは、友達じゃなくて支持者を増やすためのものだったんですか。
相互にとって、わたしはどこまで行っても「1RT1いいね」でしかなかったんでしょうか。
それが間違ってるとは思わない。だけど、きっと正しくもないんだろう。
私はただ、相互がたしかに同じ日本国内に存在していてそれぞれの生活をしていて、働き遊び気が向いたら好きなだけ絵を描いて、私とおなじジャンルに夢中になっているところを、別のジャンルを楽しんでいるところでさえ、見ていたかった。(さすがに全員に対してそうとは言えないけど)
でも相互はそうじゃなかったんだなって思ったら、なんだか悲しい気持ちになってしまった。それはもちろん勝手に夢想してる私が悪いけれど。
いや、でも、正直気持ちはマジでわかる!!!!!!!!何日も何時間もかけてエスキースたくさんして、ラフも時間の許す限りブラッシュアップして、配色も塗りもめちゃくちゃにこだわって、時折エゴイスティックになってみたりして、そんなふうにしてようやく完成した絵があまり見てもらえないとさすがにつらい!!!!それは私もわりとあるしせっかく描いたんだからもっと見てよーとは思うし、見てもらうために恥ずかしながらアップする時間とか考えたりハッシュタグつけたり、はずかしい話だけどあんまりにも「これはめっちゃうまく描けた!!」と思う絵だったら時間たってから自分でRTしたりしてる!!!
でもやっぱり私たちがやってることってどこまでいってもファンアートで、二次創作で、人の作品を借りているだけでしかないから、そういうことは声を大にしてまで言えない。言わない方がいいと思っている。
高校1年生の時いろいろ教えてくれたり仲良くしていただいた方に一度お𠮟りを受けたことがあって、「見てもらえるだけの努力が足りていない」という言葉を私は今でもずっと覚えているし、それが人並みとは言えないかもしれないけど努力はしてきた。それでも伸びなかったときは、次は何描こうかなって前を向くことにしてる。みんなそうすればいいとは言えないけど、数字という無機質で無感情なものに縋らないでいることはそんなに難しいのかな、とは思っちゃう。
今日、「消えるけど垢は残すしいつか戻ってくると思う」と言っている人や、おそらく息をしていない人、絡みがあんまりにも少ない人、合わない人などを何人か相互から外してしまったけれど、正直めちゃくちゃに迷った。インターネットとはいってもその向こう側にいる人は生身の人間だし、リアルでもSNSでも壊してしまった人間関係が多すぎる故、関係を断ち切るって結構すごい事だと思っている。だから、いくら「またどこかで会えたらいいね」という軽い気持ちだったとしても罪悪感がつきまとってすごく、すごくつらかった。
でも、「戻ってきてくれるかもしれない」という希望を捨てたかった。もう終わりにしたかった。絵描きのたまごとして、絵を学んで生きている人間として、「伸びる伸びない」で絵を描く人を見ていたくなかった。絵やフォロワーを、承認欲求を満たす完全な道具にしている人を見たくなかった。絵が伸びなくて苦しんでいる姿だってもう見たくない。
やっぱり、私のせいだったんだろうか。私のせいでもあったかもしれないのに、関係を断ち切ってしまってよかったんだろうか。ってずっとずっとそれが離れない。
よほどの努力をしない限り「努力が報われる」とか微塵も思ってないしそんなこと言うつもりない、お願いだからもう、こんなことで苦しまないでほしい。こんなことで、いなくなったりしないでほしい。もちろん人間関係が辛いとか嫌がらせをされるとかもうこのジャンル飽きたとか、垢分けしたいとか、疲れたとか、それで消えるのはその人の強い意志だからいいけど、でも承認欲求が満たされない事を理由に病んでしまう、なんてことが最近あまりにも多い気がする。もちろんそれが全てだと思っている人もいるかもしれないし、私の悩みこそくだらないと思っている人の方が多いだろう実際。
でも私は、ずっとずっと疑問に思ってる。絵が伸びないから消えてしまった相互にとって私ってなんだったんだろう。私は、ただ自分の性癖をひけらかしてそれについてきてくれる人と楽しく話がしたかっただけ。相互とは、リアルともSNSとも違う近くて遠い友人でいたかった。誰にも言えない事を円になってこっそり打ち明けるような温かさが好きだった。時にお互いの事を褒めてえへへってするのもちょっと嬉しかった。それで、どこか別のジャンルに旅立ちたいからとブロ解する相互をバイバイってポジティブな気持ちで見送りたかった。(あまりにも理想的過ぎるけど)
なんか、私も相当に参ってて感情的でまとまらない文章になってしまったけど、今日バイバイした相互とまたどっかで会えるといいなって思いながらSNSがまた居心地の良い場所になることをちょっとどこかで祈ってたりもしてる。
色々言いたいことはあるが
まあ最後に言うと
今回で言えば、価値観の対立で終わって、事実争いまで行かなかったのがコミュニケーションの失敗
本来、価値観が大きく違ったとしても争えるのが事実認識、つまりデータとその解釈だからだ
価値観が違ったら事実を共有できないなら、科学の意味がないし、民主主義も成立しないだろう
ネットでは価値観が違った時点で話す価値無しとして物別れに終わることは多いが
それこそがおかしい話と言える
あー、解説ありがとう、ようやくお前さんとすれ違っている部分が分かったわ
・ショーン氏と山口氏が価値観の違いで対立している、二人の価値観は排他性があり、
→これについては同意
・俺が最初に出した部分的にお互いの意見を取り入れたら?という意見
→意見が排他的なので、互いの意見を取り入れるという俺の意見は存在しようがない
という事だな
お互いの価値観を認め合って折衷案をお互いに考えたら?という俺の意見は2人の選択肢にはありえない
申し訳ないが、俺はそうだとするのであれば、俺はそういう他人の意見を一切受け入れないという価値観自体に反対
勿論学者でもなんでもないので、俺が反対しても何の意味もないがね
ただ、この二人の論争はイデオロギー論争であって、イデオロギー論争は排他的なものなんだよ、と言われたらそれはよくわかるし
やはり他人の意見を排他するだけではあってほしくないな、と思っている
ショーン氏と山口氏の場合、二人とも男女格差を解消したいと考えていてゴールは一緒なんだろ?
その解決方法でもめているわけだから、お互い参考にする部分はあったんじゃないかと思うんだけどな
そこでブラッシュアップすればよかったんじゃないか?と思うしギャラリーもそう思っていた人もいるように思える
ゴールが同じであればこそ、イデオロギーで対立するのってもったいなくないか?と思ってしまうんだよな
イデオロギー論争は排他的であるから折衷案が存在しないのはやむを得ない、というお前さんの価値観と
色んな価値観のいいとこどりをした方がいいのでは、という俺の価値観が
排他的になっていて、俺が反論してる時点で、俺がそういう事をいうのもおかしいんだけどなw
「ツイッターとは大衆に自分の正しさを訴える場所と考えると世界が狭くなるので、ツイッターとは集合知によって
自分の誤りを指摘してもらえるところ」という事であってほしいなと思う
あと、
→んなあほな、そんな一貫していたらこんな衆愚政治になっていねえ
は付け加えておきたい