はてなキーワード: オタカルとは
■村上隆が何をやろうとしているのか理解して嫌いではなくなった
https://anond.hatelabo.jp/20240829132621
「西洋を中心とした世界の信じられないようなハイソサエティの間で流通している概念上のアートの文脈に日本のアニメや漫画といったオタクカルチャーのスタイルもアートであると認知させるため芸術活動をしている」ということだ。
西洋の正統的なハイカルチャー、アートらしいアートがアートだった時代っていつよ?
100年前の話してる?
そこに日出ずる国からなんか異質なもん(アニメ絵やアホみたいなイラスト)がやってきて「なんだこれは!?」「いやこんなのはアートじゃない」みたいな騒ぎになり、それにまけじと「アート概念の領域を拡張する闘争」をやってるって?
何がアートで何がアートでなくて、なんてとっくの昔に脱構築に脱構築を繰り返してしっちゃかめっちゃかになってるのよ。
津軽三味線弾きがゴットタレントに乗り込んだら欧米人は驚いてひっくり返るだろう、ってくらい素朴(というか…)なこと言ってるよ。驚くわけねえじゃん。
まず「信じられないようなハイソサエティ」ってのがよ…村上龍が昔そういう幻想振りまいてたけどな。まだそんな夢見てる奴がいたとは。
難解なゲージュツがわかるフリしたいセレブ()に取り入って「わかりやすくわけわからないもの」をハメ込む業者だよ。
昔から一貫してそれだけやってんだよ。
「みろよジャップのこの人形。イカれてるだろ。オレっちこれ100万ドルで買っちゃったりなんかしてw」って金持ちの友達に自慢すんだよ。
カート・コバーンとかがへったくそな素人バンド前座にして愛でるみたいにな。
別に村上隆も商売だし非難すべきことでもないけど当人のハッタリ真に受けてどうすんの?
お前らプーチンが平和願ってまーすとか演説したら「プーチンは平和を願っていたんだ!」「よくわかった!」って感動すんの?
勘弁してくれよ。
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「翻訳」「紹介」なんかしなくてももう好きなやつは勝手に直でナルトや駿やタツキ観てんだよ。おフランスでもブラジルでもバングラでも。
何がアートかは白人様が決める、ムラカミはそこにオタカルも加えてもらえるよう孤軍奮闘してる…ってお前らいつの時代から来たんだよ
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「翻訳」と言えば日本語から各国語への翻訳のことだと思い込んだり
「スカム」は一言でイメージを掴めるようにもののたとえで言ってるのに「本来のスカムの意味じゃない〜」
津軽三味線はじっさい出演してたのを踏まえて言ってるに決まってるのに「実際出てるけどガイジンおどろいてるだろー」
あたまがわるすぎて話にならない。
というか何書いても結局バカが何かモノ考えてる気分に浸るためのダシにされてる気がする
NHKのノーベル賞の件、キズナアイは「性的に強調されてる」だろうよ。「あのくらいの服は普通に売ってる」「着るだろ」とか言ってる人も見たんだけど、その「現実にある服ならOK」みたいなライン、どっから来たの。
「NHKのWEBコンテンツで、女子アナが、肩と太もも露出して胸の形がわかる服を着た、立ち絵が載ってたら」
それなりなことじゃないですか。バラエティならともかく、ノーベル賞扱う教育コンテンツなんだから、「?」てなるでしょ。AKBだって真面目そうな格好するとか、ステージ衣裳の中でも露出度低めなの選ぶとかしますよ。ゾーニングてより、「真面目な話する時は、性的な強調を抑制した服装で」て、ごく常識的なTPOの話ですよ。なんでキズナアイだったら許されるの。絵だから?
個人的には、キズナアイの「肩出し・太もも出し・乳袋」はファッションの範疇だとは思う。しかし100パーじゃない。「健康的なお色気」くらいには、性的強調の意図が混じってると思う。この辺は個人の感想だけどさ。ただ、性的強調が「無い」ってのは、流石に無理筋じゃないですかね。それ、キズナアイにメガネかけさせて、リクルートスーツとか女教師ルックとかさせてないと無理じゃないですかね。
今回は声を上げた太田啓子氏がアレな人なので、「お前がキズナアイやオタカルチャーを嫌いなだけだろ」て反論も見かけました。でも、その人たちこそ「太田啓子が嫌いなだけ」にしか見えないんですよね。
シロクマ先生がFGOにハマってGWを溶かした記事を書いている[1]。
私はアニメ鑑賞と友人とのささやかな旅行でGWが終わってしまったので、このまま明日会社という辛さを紛らわすために総括したい。
このGWは久しぶりにアニメ鑑賞漬けだった。普段仕事していると、隙間にアニメ鑑賞を楽しむというよりは仕事に全部精神を持って行かれてアニメや娯楽を楽しむ余裕がないという感じ。
だからまだ自分が映像作品を見て楽しいと思えることが嬉しかった。意外と引きこもってアニメを見るのも体力いるんだよなあ。
読書もTVバラエティも楽しいけれど、やっぱりアニメが面白い。なんでかなあと思って浮かんだアイデアをメモしておく。
いますぐこの現実から抜け出したい、そんな願望を20分間x12回分だけ叶えてくれる[2]。
制服着た学生が出てくる学園モノも悪くないけど、やっぱりファンタジーとかSFが好き。
こういう作品は今ここにある「日本の村社会」から抜けだしていくような感覚がたまらない。
日常の中では決して触れることの出来ない謎解き、バトル、アクションといった要素がドーパミンを出しているのだと思う。
主人公は大抵「強い」。困難にぶち当たることもあるが、だいたいハードルをあっさりと越えていく。
強い魔術師だったり、特殊な能力が使えたり交換不可能な立場を持っている。
日々日常の中で感じる、会社の中では誰でも交換可能という虚無感から物語の中では無縁で居られる。
ほとんど絶対に主人公はたいした理由もなくヒロインに好意を抱かれている[3]。
好意にも幅があって、現代のテンプレートに則った「恋愛感情」やら「保護欲の発露」とか「優しさへの報酬」であったりする。
小学生男女のような恋愛感情に分化する前の「ふわっとした好意」が私は好きなのだが、素直に言えない系が多いですね。
露骨な恋愛感情の描写は苦手。だって自分にその経験が無いのだから。
とにかく、大事なのは主人公が「ただ存在するだけで好意を抱かれ続ける」という状況であり、それがとっても快感なのだ。
大した理由なく好意を抱かれるのは、自己肯定感の擬似的な充足何じゃないかと思う。
本来誰がなんと言おうとも、自分には価値があると言い張れるヒトが強いんだけど自分はそうじゃない。
アニメはそんな心の隙間を満たしてくれる疑似体験を与えてくれているんだろうと思う[4]。
アニメを心理的に分析して、「承認欲求を満たしたいヒトにはコレ!」「自己肯定感がミルミル満たされる傑作!」みたいなラベリングをしたら面白いと思うんだけどやっている人はいないかな?
こんな感じです。ちなみに私は気が強いけど情け深い感じのお姉さんキャラが好きです。
みなさんはどうですか?
明日からはまた日常が始まるんだけど、疲れない程度に頑張るよ。みなさんもお元気で。
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普段はゴリゴリの老害思考なんだけど、時折魅せるシロクマ先生の慧眼が光るオタカルチャー考察は好きだ。
まあ、その場合は
オタカルチャーが入ってるとモヤっとするの私だけ?
2006年にハルヒのアニメが、その前年できたばかりのYouTubeでブレイクしたとき、ちょうど30歳になった。
そしてそれくらいの年齢から、20代まではビデオやHDDプレーヤーフル稼働であんなにチェックしまくっていたアニメを、あまり見なくなっていった。
DVD-BOXはToHeartとGA1期とおねツイを最後に買っていない。サクラサクミライコイユメは名曲だったし亜沙先輩は可愛かったと思う。
しかし世間はハルヒ&つべを起爆剤に、今やオタカルチャーがネット連動で空前のブームに。
最近のまどマギやあの花の受容のされ方を見ていると、時代は明らかに変わったと思わされる。
あんなにキモがられ、日陰者扱いされていたアニメやアニオタは、面白いコンテンツを気軽に選び、気楽に楽しむものに変貌した。
もはや「なろうと思ってなったもんじゃねぇから、やめることもできねぇよ」みたいな屈折や屈託は過去の話だ。
事実上、アニメは「やめる・やめない」という踏み絵的な後ろめたさと覚悟と諦めを伴うものではなくなったのだ。
一方、自分の同年代では未だにオタ・非オタの断絶は途方もなく大きい。
結局ネットで若い人と同じ目線で話してるほうが全然楽しいけど、これも何か間違っている気がする。
こうした流れは自分にとって、大きなすれ違いがまた一つ生じたと言えるもので、結構愕然としている。
まあ、昔よりいい時代になったのは間違いないし、嬉しいとは思ってるけど。
ちなみに自分が小学生の時は、このハイテクの時代24時間戦ってめちゃくちゃカネかけまくったものすげーという風潮→バブル崩壊就職氷河期の谷底どうしてこうなった
中学・高校の時は女子大生ちやほやされまくり→大学入ったらコギャル女子高生ブームにシフトどうしてこうなった
というわけで、自分の世代はブームの中心からはとことん外れているという印象。
強いて言うならエヴァは間違いなく「俺らのアニメ」とか、CDのミリオンセラーバブルを体感したとか、2ちゃんの中心世代というくらい?個人的にはニコ動のが好きだけど。
あと同年代として、ひろゆきは永遠の19歳というにはさすがに老けた印象あるけど、いつまでもダラダラと、クラスにいる嫌な奴っぷり(褒めてます)をキープして生きて欲しいと思ってます。
歳を取ってからだと、二次元とか純粋に楽しめないとも思うけどなー。
未来へ繋がる事も若い時にしか出来ないし、そういったオタカルチャーも若い時にしか思う存分堪能できない。
確かに心地良い、都合の良い物も多いかもしれない。だけどそこからは何も生まれないなんて俺は思いたく無い。
それだと俺の人生のほとんどを否定しているからね、昔からゲームや漫画、アニメなどと触れ合って来たからこそ、今の職につき周りには気を置ける趣味を同じとする仲間がいる訳だし。
周りの世界を見てみろ、と人はよく言う。だけど人にはそれぞれに適した世界という物がある筈だ。
どんな趣味だって偏見は絶対に持っちゃいけない、重要なのは"探求する意思"を忘れないこと。
探求し続ければ自ずと周りの世界も変わっている。停止する事こそ最も恥ずべきだ。
○○というアニメソングがあって俺はそれが好き
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アニメソングなのでこれを好きだと公言すると馬鹿にされる(見下される)
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みんなでいっぱい買ってランキング操作
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オリコン(非オタ界)で紹介
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オタじゃない世界でも認められた
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ヒットする前から評価してた俺勝利(見返してやったという満足感)
こんな感じかな。実際はランキングに乗ってもそもそもオタしか買ってないんだから、外界では別に評価されてないんだろうけど、オリコンに乗ったことで「一般人にもヒットしてる」と一般人に錯覚させるつもりが、自分がそういう錯覚に陥って「見返したった」と思ってるんだと思う。
初音ミクもちゃんと紹介されて凄さが伝わっていれば「初音ミクがテレビで紹介される前から知ってた俺博識。大勝利」となる予定だったのが狂ったから怒ってるんでしょう。
サイト乗っ取りかなんかの話で見たんだけど、女の場合は「こんな凄いものを作っちゃうアタシって凄い」願望があって乗っ取りに走るんだと。でも男の場合は「こんな凄いものを評価していて紹介できちゃう俺って凄い」願望があるから乗っ取りはあんまりしないんだと。
乗っ取り云々はともかく、オタカルチャーが一般層にも浸透すれば「先見の明がある俺が凄い」になるから見返せると思ってるんだと思うよ。
(追記)批判の意図はありません
どうして「見返す」って発想に繋がるのか、聞いてみたい。
っていうから理由を述べただけ。
ちなみにhttp://anond.hatelabo.jp/20071016153733 を書いたのは俺ではないが全面的に同意できたので、俺がそういう発想に至る理由を述べました。