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2021-04-24

夢日記

高校時代に戻ってた

同級生の1人に告白された

結構仲は良かったけど、恋愛感情はなかったから人選が謎

かに告白されたり恋人ができたりしたことは無いからすごく舞い上がって、でもちょっと怖くて、それでも勇気を振り絞って返事をして付き合うことになった

一緒に帰ろうとしたけど、まだ何かやることがあるらしい

部活に間に合わなくなるから1人で帰った

急いで部活に行くとまだ音楽室は使われていた(自分運動部だったし、他の部員高校時代部員だったけど音楽室とそこにいた先生小学校時代のままだった、記憶が混ざったらしい)

この辺りで目が覚めて、自分はもう高校生じゃないから夢だったのだと気がついた

結局現実では喪女のままだと気づいて少しショックを受ける

ただあくまで夢の中で目が覚めただけだった

次に英語ワークショップに参加する

教室を借りるとかではなく、なぜかバスの中がメイン、たまに降車するバスツアーのような形式だった

全く知らない大人たちの他、高校同級生や先輩、小学校同級生も混じっていた

ペアワークをすることになって、近くの知らない人と組めばいいのに、皆うろちょろと知り合いを探しており、自分高校同級生と組んだ

その後バスは発車し、また停車しようとしたが、運転手が異様に停車が下手だった

路肩の停車ポイント(?)に停車しようとして失敗、次の区画へ……を3回くらい繰り返した

そのあたりでおかしいな、と思い目が覚めた

2021-04-23

[]ハルタコミックスいくつか

読む前にamazonレビューである程度評価が高いことを確認したけど、全部自分には合わなかった

嵐田佐和子 青武高校あおぞら弓道部

弓道漫画

2巻まで読んだ

地味で展開もありがち(弓道部いか部員集めるとか屋上練習するとか)

キャラも魅力を感じない

主人公だけだといまいちからキャラもいれとこう的な安易さも嫌い

嵐田佐和鋼鉄奇士シュヴァリオン

勇者アフターならぬ戦隊モノアフター

敵倒したのに変身がとけなくなったレッド主人公

いろいろちぐはぐな行動したりする

弓道部漫画とおなじ作者

うーん・・・悪くはないんだけど、パンチがよわい

変身がとけない=マスクしたままだから表情、目つき、口元がまったく見えないせいで、

絵とセリフから読み取る必要があるのがやっぱネックになってるように感じる

かといって他の変身とけてる元戦隊メンバーが表情豊かかというとそうでもなく、総じてギャグ漫画としていろいろ考慮が足りてない気がする

ズミツカサ 世界の果てにも風は吹く

ファンタジー世界のお役人が、各地の昔話を集める名目で困りごと解決したりするタイプのやつ

説明文字が多いのと展開もありきたりでつまらいから流し読みしておわり

ハルタ系列ならもっと絵や空間で語ってほしいわ

山本和音 星明かりグラフィクス

美大女子大学生の話

人間関係ダメ天才と、才能はないけど社交力はある人間が組んでいろいろやる

絵は好きだしマンガとしても読みにくくはないと思うけど、キャラストーリーが壊滅的

感情移入できないしひたすらストレスフラストレーションたまるばっかの展開が続く

美大あるあるオリキャラマンガにするのはいいけど、エッセイでもないのにただマンガにしてもつまらないだけ

福島聡 バララッシュ

2017年時点ではすでに成功したアニメ監督アニメーターが1話でえがかれる

2話から30年前の回想、というか本編になって、二人の出会いが描かれる

アニメ関係以外のシーンがかなり多くて冗長で見るのがタルい

はやくアニメつくれやと思ってしま

2021-04-19

なんで管理責任の方に話がいくのか

まずこれ先輩JK2人の責任を問うた上で管理責任に話がシフトすべきだろ

プロレス事故なら本人たちの責任になるのに、JKだといきなり管理のほうに話がいくのがよくわからん

高校生って自分たちで部をまとめ、練習メニュー自分達で考える。顧問なんていなくても、自主的活動できるように見える。

でも大会人生のゴールのようにさえ思っている彼らは一生懸命になるあまり安全とか学業との両立とか、本当は一番大事なことを二の次にしがち。

でも顧問先生にも、見る余裕がなかったりするよね。

私の高校時代部活も基本顧問は不在で、結果は出してたけど先輩やOBによるパワハラモラハラ指導オンパレードストレス病気になる部員もいた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/82450e5d7a9ca26bc24853bb232d62d921a3a580/comments

2021-04-08

anond:20210408232654

から銀座シャネルに言って、美容部員事情説明しろ

そしてなるべくしゃべるな

文章が下手なのはわかった

anond:20210408232152

もう1回言っておくぞ 大事なことだから

銀座松屋がある。

そこの化粧品コーナーのシャネルにいけ

そして、化粧品がほしいんだけど、どこに買いに行けばいい?って美容部員に小声で聞け。

教えてくれるだろう。シャネルなら。

2021-04-03

22卒だけどNNTが今のうちから見えてる

地方私文(1敗)

浪人(2敗)

コミュ障(3敗)

クソ雑魚国家資格は持ってるけどその資格を使う職には就きたくない(4敗)

競争が苦手(5敗)

そもそもやりたいことがない(6敗)

バイトリーダーじゃない(7敗)

カンボジア学校建ててない(8敗)

サークル副部長じゃない(9敗)

バイト先の売り上げアップに貢献してない(10敗)

客観的に見てもう死亡リーチ掛かってるよな。

3月ゼミ教授の言うことに従って資格関連の業界ES出してSPI受けて面接行ったけどさぁ、資格持ってても普通に意味ねえんだわ。やっぱ"人間力"よなぁ。5社受けて全部1次面接で落ちたわ。特に大企業ってわけでもないのにな。向いてないのはわかってんだから適性検査で弾いてくれや。

ゼミ教授にもキャリセンの職員にも〇〇さんはやればできる的な扱いされるけどさぁ、二十数年生きてきたら自分では分かる通り、やってこれやねんな。

そりゃこの地域では頭良い高校卒だし資格とかTOEICスコアとかまあそこそこ持ってるしGPAも高えのは確かだけど、そんなのマジでクソほども自慢にならんし、結局F欄やし、まずやればできる子浪人なんかしねぇし3年の3月から就活始めたりもしねぇんよな。

分かってることは自己肯定感の低さとかやる気のなさとか自分立場を踏まえてない冷笑的なスタンスとか自分自身の人生なのになぜか客観視してしまっていることとかで、それただの怠け癖のある社会不適合者なんよなーって。これが自己分析か?

自己肯定感の低さとかやる気のなさはまあ昔からなんで変えられないわな。

小中高と同じ部活やってたけどほぼほぼベンチだったんよな。まあ実際普通に下手だったんだろうけど、監督やらコーチやら同輩から決まって言われる「お前はやればできるのにな〜」というお言葉

やってこれやねんな。

元々の能力値が低いんだよ。

下手だから頑張れって言われるより残酷なんよ。

ていうか普通に馬鹿にされてたんだろうな。

まあ部活で言えば周りの自分と同じ状況の奴は必死になって監督ゴマすって試合に出ようとしてたけど。

それが「やる」ってことなんだろうかね〜とか、まず俗に言うエンジョイ勢から試合出なくたって良いよなぁとか考えちゃってなんもせんかったな。

練習監督が来たときだけ動きが1.5倍になる他の部員見てキモって思ってな。

そういうお前が一番キモいって話。それも分かってる(と言いながら多分分かっていないんだろう)。

「お前はもう少し媚びを売るようにしたら人生楽になると思うよ」っていつか友人に言われたな。

まあその通りだと思う。それすらも面倒くさいからやらんのやけど。

自己肯定感のなさは成功体験のなさ由縁とか言うけど、今のところ何したって成功って感じないしよく言われるたとえみたいに、朝起きれた偉い!とはならんのよな。

部活10年続けました!バイト3年間続けてます!←続けてるだけじゃん。惰性でしょ?

年間GPA4.0でした!←でもお前勉強してないしF欄じゃん?

資格一発合格しました!←特に本気になって取り組んだわけじゃないやん。クソ楽テスト受かって何になるの?

TOEIC800点でした!←でもお前英語喋れねーじゃん?

テストとかなら結果出て5秒間くらいは嬉しいけど、その後は自分にツッこまれて「ま、こんなもんだろうな」って気持ちになってしまうんよな。みんなそうかもしれないけれど。

こういうの見ると自虐風自慢というか、自己肯定感ないって言う割に自分のことを高評価しすぎてる奴に見えるかもしれないけど、そこんところはよくわからんのよな。

とまあ、話は逸れるわ就活には関係ないわ、クソみたいな駄文書いてる暇なんてねえんだし、とにかく考えたってどうにもならんのだから早く必死になれって話なんよな。

必死になれないのはクズから。まず必死になるってなんなん?根性論じゃなくてやり方を教えてほしいんだよな。

まあでも、そんなすぐに人に頼ろうとするクズ就職先はありませーん。

でも就職しないわけにはいかねーしなっていう。

どうしたらいいんだろう?わからん。誰か教えてくれ。

2021-03-31

生きるのって辛い

私は20代女、公務員だが休職中。復職絶望的だろうと医師から見解。診断はADHD気分変調症。そして回避性パーソナリティ障害

休職とは関係ないが持病で脳血管疾患(難病)とハウスダストアレルギーと成人アトピーがある。

両親や親戚はおらず、精神障害を持つ年の離れた兄がいる。

まり詳しく書くと身バレが怖いが、時々辛くなって自分語りをしたくなる。

正直現状めちゃくちゃに生きずらい。薬がないとまともに生活を遅れないが、目に見える形の障害がないため健常者として生活を無理やり送ってきた。くそ長いけど私の人生を知ってください。

まず小学校中学年まではそれなりの生活を送ってきた。一軒家で両親健在。収入はそれなり。

問題子どもへの愛がなかったことくらい。衣食住に金をかけてもらえず、幼稚園のころから同じ下着をずっと着ていたり、朝食は8枚切りの食パン半分だったり(朝食が出るだけ良いかもしれない)したが、その年頃の子どもは家庭内世界の全てなのでそれが当たり前だった。

父親仕事ほとんど帰らず家は母親の天下だった。帰宅すると宿題をやった後、母親マッサージ。兄が帰ってきたら交代して、両親が買ってきた教材をやる。母親の機嫌を損ねるとヒステリックに怒られたあと無視され、ご飯を抜かれる。テストの結果が100点以外でも似たようなことになる。たまに甘えたくなり母親に近づくと「ウザいから近寄るな」と突き飛ばされる。触れ合った記憶は機嫌が良い時に耳掃除をしてくれたことくらいしかない。なので父親が帰ってきたとき必死父親に甘えていた。母親はそれを冷ややかな目で見ていた。

両親は外聞を気にするタイプだったので、私たち下着ボロボロでも服はそれなりに綺麗なものを着せられていた。外での母は優しかったが、そこではしゃぎすぎると帰ってから調子に乗るな」と怒鳴られ叩かれる。いつも母親の顔色を伺っていた。

ある日の夜、私は全身麻痺を起こして倒れた。前々から半身麻痺の症状が出ていたが、両親に話してもまともに取り合ってもらえなかった。私は救急車を呼んで欲しいとお願いしたが、「救急車を呼ぶと近所で噂になる」という理由拒否された。結局麻痺が収まら呂律も回らなくなり、父親の車で救急病院に連れていかれた。1週間ほど入院したが、病院生活がとても楽しかたことを覚えている。

半年後に手術をする予定ですすめていたところ、母親くも膜下出血で倒れる。私の病気母親から遺伝だった。この際、母親我が家貯金を全額実家横流ししていたことが発覚して両親が離婚する。私たちは両親のどちらにつくか選ばされたが、こんな状態父親以外選べるはずもなく兄妹ともに父親について行く。手術は無事に終わった。

父親と兄と3人で暮らすことになり、平和になるかと思えば、父親母親と似たような人間だった。特に父親プライドが高く、少しの意見も口答えも許さなかった。まだ小学生だった私には生きるためにも父親の顔色を伺いながら生活を送るしか無かった。やはりテストの点は満点しか許されなかったし、褒める時は「俺の娘は他のバカとは違う」貶す時は「こんなの俺の前に出して恥ずかしくないのか」と常に父親が中心の声掛けをされた。そのうちテスト学校で捨ててくるようになったが気が付かれなかった。週に1回父親と家の掃除をやり、週に2回父親に連れられて買い物に出かける。父親は「年頃の娘と仲の良い父親」像に固執しており、出かけることを拒否したり、外で不満を口に出すと家に帰ってから怒鳴り散らされた。少し抵抗するような態度をとれば「俺にそんな態度とっていいとおもっているのか」と怒鳴られ、物をぶちまけられて脅された。この頃には自己主張ができなくなっていた。おまけに父親は娘を育てる知識がなく、極少ないナプキンしか買って貰えずしょっちゅう服や寝具を血まみれにしたし、ブラも買って貰えず膨らんできた胸が目立つのが嫌だった。生理ショーツや胸パット付き下着存在もこの頃は知らなかった。

兄は父親に反抗し帰宅が遅く、部屋に閉じこもりがちだった。父親は兄に興味がないようで成績以外で構うことがなかった。だが、お金ほとんど渡していなかったようなので兄の生活は苦しかったと思う。(進学校バイト禁止だった)父親からは兄の愚痴を聞かされ、兄から父親愚痴を聞かされた。

父親地域の人との関わりを嫌い、学校行事にも一切顔を出さなかった。保護者ありきの授業参観運動会はとても惨めな気持ちになって辛かった。周りに頼ることは恥ずかしいことだと教えこまれ、誰にも何も言えなかった。自己主張ができない私は友だちも少なく、地域との繋がりも希薄で家が世界の全てのようなものだった。中学生の時は部員との交流はあったが、土日に友だちと遊ぶことに父親が良い顔をせず深い仲にはならなかった。小学校高学年のころいじめあい学校行きたくない父親に打ち明けたが、「ゲームを買ってやるから行け」と言われてちゃんと行った。ゲームは年に1回誕生日にだけ買って貰えるものだったので、いじめに耐えるだけで新しいゲームができるならそれでよかった。これ以降父親になにか相談することはなくなる。

中学生になった私はADHD特性が顕著に現れるようになった。遅刻したくないのに遅刻してしまう、授業に集中したいができない等のストレスから解離症状が出るようになり、色々な場面で意識を失うようになった。他にも色々と要因はあった(父親洗濯を正しく行えず体操服がいつも生臭かったり)(家庭内でも意識を失うようになり起きていられなかったり)で不登校気味になっていった。その頃には父親学校に行かないことに文句を言わなくなっていた。それだけはありがたかった。

そんな最中父親会社をクビになる。私が中学生の時のことだ。パワハラモラハラサボりが原因だ。父親会社営業本部長で実質No.2(本人談)だったが、母親離婚してからどんどん帰宅時間が早くなっていった。職場まで車で2時間かかるのに最終的には朝は9時に家を出て、17時半には帰宅していた。あまりにも出勤時間が短いので大丈夫なのか聞いたことがあるが、営業先に口裏を合わせてもらって出張扱いにしているらしかった。とんでもないことだがさらに、「俺は他のやつらより効率よく仕事をしているから早く帰っても問題ない」と言っていた。今思うと頭がおかしいとしか思えない。そして女性社員気持ち悪いメッセージを送り、新人愚痴を言いふらす……典型的なとんでもパワハラクソ上司だった。そんなだったので部下から告発を受け会社を即日クビになったのだ。本人は「不当な解雇だ。裁判を起こせば俺が勝つ」と何度も言っていたが、自分に非があることはわかっていたのだろう。裁判は1度も起こさなかった。

クビになったタイミングが悪く家を立替えた直後だったため、収入必要だった父親コンビニ店長をやると言い出した。しかし、コンビニ経営するには連帯責任者としてもう一人人員必要になる。父親には友人が一人もいなかったし、親戚も一人もいない。そのため、他社に内定が決まっていた成人したての兄を連帯責任者として引っ張りこんだのだ。今まで見たことがないくら必死拒否をする兄を力で脅して内定辞退させ、結局二人でコンビニ経営することになった。

その後研修のため2週間家を空けるとの事で、私は児童養護施設一時的に預けられた。そこで、我が家生活が異常だったことを知る。皆が好きなように時間を過ごし、ルールをこっそりやぶって笑いあったり、ご飯がまずいと文句を言ったりのんびり団欒を過ごしたりする。私はそこで初めて家庭の温かみを感じた(違うかもしれないが)、家庭の会話に温度を感じたのが初めてだったのだ。予定は2週間だったが、直前で兄が家出をしたため結局1ヶ月をそこで過ごした。兄は警察保護され、父親研修を受け、私は最終日に家に帰りたくないと大泣きした。そしてコンビニ経営スタートする。

そこから半年ほど私は廃棄のコンビニ弁当だけで生活をした。父親と兄はローテーションでひたすら無休で働いていた。生活リズムはめちゃくちゃだった。兄は父親への反抗で風呂に入らず出勤したりしていた。4日風呂に入っていない兄は汚くて臭くて嫌だった。これでコンビニ接客してるのは今考えてもやばい。私は父親に捨てられることが怖くて、反抗はできなかった。食器を並べる時、父親の箸を少し崩して置くのが小さな抵抗だった。父親メニエール病発症していたがそれでも休むことはなかった。「このままじゃ破綻すると思う」と声をかけても「私への誕生日プレゼントとして休みを取ってほしい」と声をかけても「俺の仕事に口出しするな」と怒鳴られ物を投げられて終わった。いつか父親死ぬだろうなと思った。死んだ。

中2の冬のある日。父親が死んでいた。

その頃の私は起きられている時に父親学校に送迎してもらっていた。その日もいつも通り学校へ乗せていって貰おうと思っていたが、寝室に父親がいない。トイレにもリビングにもいない。家中探してもいない。けど、外に車はある。そうして車を覗きに行くと、眠るように死んだ父がいた。最初普通に眠っているのかと思ったが、こんなに寒いのに白い息が出ていなかったため何かがおかしいと思った。大声で何度も父親に呼びかけるがピクリとも動かない。何度も何度も呼びかけても動かなくて混乱した私は中学校の先生電話をかけた。

それからはあっという間で先生が来て、警察が来て、救急車も一応来て、警察の人に「恐らく煉炭を使用した一酸化炭素中毒による自殺事件性はない」と説明を受けた。兄はコンビニに出勤していたので、事情聴取は私が受けた。警察の人に色々教えて貰って、家族葬の予約をとって父親を骨にした。

父親のために生きていたようなものなのに捨てられたんだなぁと思った。私と兄はみっともなくあがいて生きてまでどうにかしてあげたい存在ではなかったんだなって。

この時から私の内側の時間は止まっている気がする。

ちなみに母親は、父親の死を知り家に押し入って来て、殊勝な態度で「また一緒に暮らしたい」と言ってきた。どの口がと断るのだが断った途端に豹変し、ズカズカと家の奥へ踏み込んで家探しをして貴金属を持ち去っていった。

兄は対人恐怖症で私以外とまともに会話ができないので、来客や自治体等の対応は今も昔も私がしている状態だ。

なんか思い出してつらくなってきた。

この後のことは簡単説明する

・しばらく兄妹で生活する

精神科入院する(半年ほど)

退院と同時に児童養護施設入り(中3)

・入れ違いで兄が入院

高校進学。兄、就職

・兄が家事できず家がゴミ屋敷になる

・またも解離症状が出るも施設から理解がない

施設に馴染めず入院から退院

・安定して通学できず単位が危うくなるも担任先生サポートでなんとか進学

ADHDの診断を受けるがやはり施設から理解がない

・薬でなんとか通学できるようになる

公務員を目指す

・なんとか内定をもらい高校卒業する

施設を出て家に戻る(ゴミ屋敷)

公務員就職

パワハラやら元々の特性やらでぐちゃぐちゃになり休職

半年くらいの入院生活人生で1番楽しかった。

ゴミ屋敷支援員の方々の協力で脱却した。別に綺麗ではないけれど。

休職して半年ほど経つけれどいまだに無気力で何も出来ない。人とのコミュニケーションが怖いし、他人を信用できない。体調が良くなっても性格が、性格が良くなっても、特性人生邪魔をする。

目の前のことに必死すぎて友達ほとんどいないままここまで来てしまった。というか人の頼り方がわからなくて信頼関係が誰とも築けない。誰と話しても気を張ってしまう。相手不快にさせないようにと顔色を伺ってしまうし、自分自分を大切にできない。

兄は給料が少ないことと友達がいないことを度々気にしながらも、趣味ゲーム息抜きしながらなんだかんだ楽しそうに生きている。今はウマ娘にハマっているようだ。よく私に育成の楽しさを語ってくれる。

現状生きてれば良し、面倒なことは後回しで良くも悪くも細かいことは気にしない性格なのだ。私もそうなれたら良いのだが。

なんか今まで色々、色々あったけど社会に出たら一人の人間しかない。親ガチャの失敗のせいにしたいけど、毒親持ちでも立派にやってる人はたくさんいて、自分を褒めてなんてあげられない。

これからどうしたらいいのかビジョンも何も浮かばないよ。死ぬのは怖いから生きたいけど、生きるのは辛いよ。

2021-03-22

anond:20210322171305

悪化した褥瘡一種だと思う ググってみて褥瘡美容部員さんならこっち(褥瘡)のほうが検索やすいと思う

2021-03-19

anond:20210319070403

”口では「反・権力」等の綺麗事を言いながら本人は他人搾取したり抑圧したり”

これそんなにおかしくないだろ。

後輩の尻をバットでたたく野球部員がいたとして、そいつが先輩の尻もバットでたたくと思うのか?

成績の悪い後輩社員衆人環視の中で吊るし上げる奴が、上司に向かって「ろくに働いていないのになんでお前はそんなに高給もらってるんだ?」て詰めたりすると思うのか?

先輩部員上司には手をあげたり文句を言ったりしないと思うだろ?

それとも常識では逆なのか?

2021-03-01

2.5流の大学を出て大手企業に入った自分を許せないでいる

数年前に四年制大学卒業した。名を佛教大学という。

いわゆる中堅大といわれるところだ。平均偏差値は45くらい。滑り止めで入った学生が大半を占める。私もその一人だ。

大学4年間のことはあまり覚えていない。アルバイトサークル活動であっという間に過ぎていった。

記憶がない。本当に記憶がない…自分は何をしていたっけ? そこまで無為には過ごしてはいないはずなんだけど、私の記憶水槽の中には、講義中にボーっと過ごしていたこと、学食でいつも一人ご飯を食べていたこと、飲み会のノリについていけずにちびちびと酎ハイを啜っていたこと――大した思い出は詰まっていない。

こんな自分だけど、景気がよかったおかげか、いわゆる大手企業入社できた。この業界では一流とされている。

会社名を出したとすると、「いい大学を出ていない人でも社風がマッチすれば内定が取れそう」といったイメージを持たれることだろう。

私自身を殺したい。

子どもの頃は、絶望とか、虚無とか、疎外感とか、そういったものを感じたことはなかった。アニメドラマに出てくる人達がそういう状態になっていても、自分には関係がないと確信していた。

大学回生の秋になって始めた就職活動で思い知ることになった。通っていた大学レベルの低さを。

志望していた企業説明会すら受けられない。どれだけ気合いを入れてエントリーシートを書いても、通過率は2割に満たない。大手企業に至っては、今の会社以外すべて門前払いだった。

うすうす分かっていた。

学際サークル所属していたが、大学名で見事に序列ができる。特に、異性なんかは、私が大学名を出した途端に空気が変わる。嘗められている感じ――こいつはイケそうと思われている感じ――頭が弱そうと思われている感じ――とにかく、私が大学名を名乗ると、話相手だった人間の態度が変わる。心が変わる。私に対して変わる。

どうして私はあの時、浪人選択しなかったんだろう。どうしても行きたい大学があったのに。

あと少し頭の回転が速くて、あと少し努力ができて、あと少しだけ運がよければ合格できた。だったら浪人した方がよかったのに。

もうこんな年になるのに、あの当時の夢を見る。夢の中の私は、浪人を選んでいる。それで、もっともっと勉強して、第一志望の大学どころか、さらに上の国立大学合格して、それでも第一志望の私立大学を選ぶのだ。

朝になって目が覚めて、これが夢だとわかって、通勤中に夢じゃなければよかったのにと思い、勤務中に昔の自分を思い出しては嫌悪を感じ、過去自分に鞭を打つ。

こんな苦しい思いはしたくない。どうすればいいのだろう。



もう少しだけ聞いてほしい。もっと話せば、気持ちの整理がつく気がする。

まらなくないように配慮する。増田に書いてはいけないことを書くかもしれない。でも、それはフェイクなのでセーフということにしてほしいんだ。そういうことにしておいてほしい。頼む……

エピソードひとつ挙げる。私がまだ入社1年目で、転職エージェント見習いだった頃、先輩から課題が振られた。私ともう一人の同期の男子に。

その先輩は、事業所内でも実力のある若手だった。今では私の直属の上司だ。当時は、新人だった私のサポーターとして色々教えてくれていた。

課題というのは、転職希望リスト履歴書職務経歴書+参考資料)の並び替えだった。何十枚ものクリアファイルの一つ一つに、転職したい人の情報が挟んである

「お前ら2人で勝負な。これを並び替えといて。ルールは任せる。変な並びになってても、そのとおりに使うから。元に戻したりしない。その代わり、変なの作ってきたら今後のことは考える」

先輩が椅子腰かけていた。その目の前で、私と、同期の子が一緒に並んで話を聞いていた。先輩の指示を聞いていくうちに、どんどん不安になっていった。

昼ごはんの時のコーヒーが喉に絡んだ。いま話をしたら、変な声になるんだろうなと思うと、先輩の顔を見ることができなかった。スカートの上の方を握りしめて、離して、握って離してを繰り返していた。

納期は設定しない。ゆっくりやれ。でも、勝負からな」

勝負なんてしたくなかった。負けるに決まっていると思っていた。

「彼」は、私の同期だったけど、私とはレベルが違った。関西にある一流の私立大学を出ていた。浪人留年もしていない。そのうえもちろん、新卒入社だ。

私が行きたかった大学だった。それも法学部。私は1日に10時間以上もの勉強半年以上も続けて、模試で一番判定がよかった政策学部を受けたものの、合格点まであと30点も足りなかった。

でも、その彼は、高校3年生の夏頃まで、週に何度も同級生麻雀をしていたという。子どもの頃からサッカーをしていて、イケメンで、背が高くて、空気が読めて、……私よりも頭がいい。

4日後、私たちは小会議室に呼ばれた。

部屋の中央に長細い机がふたつ重なっていた。その上に、個人情報の詰まったクリアファイルの山が置いてある。私がまとめたのと、彼のだ。

彼は緊張している様子だった。いつもはニコニコしているのに。

「こいつの見てみ」

こいつ、とは私のことだ。彼は私が整頓したグループを手に持つと、指先で丁寧に捲っていった。

「お前も」

先輩から、「彼」が並び替えをしたクリアファイルの山をもらった。

……整然としていた。業界職種、特技、資格学歴――様々なカテゴリがきめ細かく揃っていて、一周する頃には、誰がどの辺りにいたのか大体思い出せた。

私は「彼」の方を見た。彼も、視線と体をこちらに向けた。

「参りました!」

芸人みたいなリアクションを取りながら、彼は私に頭を下げた。おどけた様子だった。

「俺のより〇〇ちゃんの方が絶対いい」「俺にはこの視点はなかった」「営業所全体で共有しよう」

そう言って私のことを誉めそやすけど、上っ面だった。こいつは私のことを馬鹿にしている。

「頑張ったな。こんなの作れるなんて、感動してしまった。お前はすごい」

声の方に体を向けると、先輩が、笑顔とも苦笑とも取れない顔つきで長机に肘を置いていた。

「そうでしょ!〇〇ちゃんスゴイって思いました」

彼の言葉は嘘だ。この場をごまかすためだけにしゃべっている。その証拠に、ネクタイの首元を撫でるように触れている。

「でもな。今回は、〇〇の勝ちとは言い難い。というのも……」

ほら、やっぱり。

もうロクに覚えてないけど、仕事の速度、コストパフォーマンスという言葉が出てきたのは覚えている。彼は、これを1日で仕上げてきたらしい。私は3日かかっている。だから、私の方が質がいいのは認めるけど、私の勝ちとは言い切れないって。

先輩は、彼と同じ大学だった。同じ部活か、同じゼミか忘れたけど、とにかく繋がりがあった。だからだと思った。彼のメンツを潰さないように配慮した。

先輩は、「彼」の顔を立てた。私がどれだけいい物を作ろうと、彼と同じ日数で完成させようと、彼がどれだけよくない物を作ろうと、『私が勝てない』という結果は決まっていた。

先輩は、私よりも彼の方が大事で、だから私をダシに使ったのだ。

しかった。涙が出そうになった。手と指でごまかした。

彼は、小会議室から出てすぐ、ディナーに誘ってきた。「ご飯行こうよ」と言われた。「泣かんでもいいじゃん。俺が負けたんやし」とも。

行きたくなかった。彼は私を馬鹿にしている。そんな相手食事はできない。

彼だけじゃない。私だって私を馬鹿にしている。私は頭がよくないし、子どもの頃から自分意思を実行する力に欠けている。

甘えたい私に負けて、自分自分に誤った道を導き続けてきた。だから、こんなに情けない今がある。周りにイジメられて弱くなったんじゃなくて、私が私と一緒に弱くなっていった。

これから自由にはなれないだろう。私が、私自身と気が合わないからだ。私が、私自身を恥じて顔を赤くするからだ。

私が先輩に提出したリストは、ある一つだけのルールに従っていた。

転職できる可能性順だ。社内にある過去転職データを基に全員をランク付けして、数か月以内に転職できそうな人はAランクほとんど可能性がなくて放置が望ましい人はCランク、それ以外はBランクにした。

クリアファイルの中の転職希望者は、その全員が20代後半までだった。

なのでこの場合優先順位は、①学歴、②社会人経験特に新卒で入った会社)、③希望する業界職種企業名になる。

学歴というのは、社会人として死ぬまで一生ついて回るものだ。転職エージェントとして一人前になって何年も経つけど、いまだに実感する。

②も大事だ。どんなレベル会社に籍を置いていたのか気にする企業は多い。その人が第二新卒だったらなおさらだ。有名な会社だと、欲しいスキルを身に付けているか予測やすいこともある。

③は、そこまで重視しなかった。本人が望んだ会社でも成功しないことはあるし、逆に志望していない会社でも、受けてみたら案外よかったということもある。

この時、私が見た転職希望者の中に、佛教大学卒業生がいた。

詳しく書くわけにはいかないけど、いわゆる高望みだった。小売業界で働いていて、とある電子機器メーカーを志望していた。それも一流の。

結果は目に見えていた。その電子機器メーカーの干飯スキルと本人のそれがぜんぜんマッチしていない。いわゆる論外だった。

その人の書類を2、3分ほど読んで、Cランクの一番下のあたりに入れた。そうせざるを得なかった。切ない気持ちになった。



今こうして自分の想いを整理してみると、母校への恨み辛みの感情は確かにある。

『嘘』を吐かれたからだ。

講義とか、就職関係行事などで、大学先生事務職から、「うちの卒業生はすごい!」という話を聞かされたり、アピールされたりすることがあった。

とある文学部先生が言うには、数十年前に国家公務員一種試験合格して法務省採用された人がいたらしい。後にも先にも、佛教大学卒業してキャリア官僚になったのはその人だけということだ。根が真面目で、卒業必要単位をすべて取っても、まだ大学に通っていたらしい。

とある社会学部の先輩が言っていた。(当時から数えて)数年前に、伊藤忠商事内定した人がいると。その人は、とにかく忙しい人で、講義にはあまり出席せずに水商売仕事に明け暮れていたらしい。それでも単位を順調に取得して、教職課程最難関の講義ではチーム全員で百点満点を取って、大学学園祭ではパヒュームダンスを踊ってウケを取って、とにかく活動的な人だったらしい。

私が在学中、社会人の先輩を囲んで話を聞く懇談会があった。就職活動中だった私は当然参加した。その会場には、いろんな会社の人や大学院生やNPOの人が来てくれていた。基本的に先輩方をちやほやして、実りのある話を聞く会だったのだけど、中でも別格だったのが、とある学校先生だった。

見た目は40代前半くらいだったけど、教育学部先生から熱烈な歓迎を受けていた。熱烈とかを超えて、もはや神扱いだった。懇談会が進む中で、その人が教師として実績を上げたことで、地元教育委員会に赴任して、〇〇教育(※よく覚えていない。社会教育とか生涯教育だった気がする)の分野で課長職にあるとのことだった。

相応に高齢で、そのうえ高い地位にある大学先生が、どうしてはるか下の人を神扱いするのだろう。当時の私には不思議光景だった。でも、とにかく、この会場にいる卒業生の人達がすごいことが伝わってきた。

すべて『嘘』であるとわかったのが就職活動の結果だった。学生が六千人もいれば、凄い人は必ずいる。ただそれだけのことだった。私は、私が才の足りない人間であることを理解できないだけだった。

大学について思うことがある。社会人になってそれなりの年月が経つけど、今いる会社の人に比べると、常識のない人、精神的に幼い人、人格おかしい人が多かった。

常識のない人

健康のために週3で通っていたトレーニングルームは、体育会部活支配していた。彼らは、50キロ以上ものバーベルを両手で上下させて1セットを終えると、上空からマットに投げ捨てていた。凄まじい音がするうえに、危険まりない。その横では、ベンチプレスをしている後輩の体をイタズラで小突く先輩がいた。一応、社会人利用者も同じ室内にいるのだが、誰も注意することはない。ほかに危険行為をしていた。

精神的に幼い人

講義中によくある光景だった。隣にいる人が先生に当てられるのだけど、その人は答えない。ノートを見ると、ちゃんと取っているように思える。答えだって書いてある。でも、こういう人は答えない。わかっていても、わかっていなくても、だんまりを貫くのだ。いわゆる、「大学生になってはいけない人」だった。行動が大人レベルに達していない。大学生は大人でないにしても、ひどすぎる。

人格おかしい人

私が在学中に、野球部の人が後輩に当たり屋強要して逮捕された。その人は、上に書いたトレーニングルーム危険なことをしていたうちの一人だ。柔道部の部室からは、たまに悲鳴や怒号が響いていた。ある土曜日の昼に中を覗いたところ、中で女子部員がされていた。すぐそばには、先輩に殴られたと思しき男子部員が長椅子そばで震えていた。

すぐに1階に走って行って、警備員の人に事情説明した。彼らが2階に上がっていったところで、心臓が痛くなって、気分が悪くなって、吐き気がしてトイレに行った。事の顛末も知りたくなかった。トイレから出ると、まっすぐに家に帰った。

大学卒業するまでの私は、一流とか、一流に準ずるとか、そういう組織所属したことはなかった。

大学だけでなく、中学高校もそうだ。当時、私が住んでいた地方都市では名門と呼ばれる高校に入ったものの、大人になってから、その名声がまやかしであると知った。

数年前のことだ。中高一貫校であったその学校が――中学卒業とともに別の高校に行く生徒を卒業式に参加させない慣行があったことがわかり、教育委員会から是正指導を受けていたことを知った。最近では、英語教師が、校内での英検試験実施後に、問題をすべてコピーして持ち帰っていたことが新聞沙汰になった。

高校だけじゃない。中学もそうだ。都市部の端っこにある、いわゆる貧困地区で育った私が、校内暴力その他の犯罪行為に塗れた母校に誇りを持てないのは当然だった。年に一度は田舎に帰るけど、あの学校が今はどうなっているのか、見に行ったことは一度もない。



このあたりで最後にする。自分の想いばかり書いてしまって申し訳ない。

学歴コンプレックスに打ち勝ちたいと思っていた。自分が何者でもない感じを拭いたかった。

私は運がよかった。中堅大学から大手企業に入ることができた。誰もが一流である認識するであろう組織の一員になれた。でも、拭えないんだ。ぜんぜん。

飲み会などで「大学どこ?」って聞かれる度に、嘘を答えたい気持ち抗うことになる。実際に、嘘をついたこともある。

嘘をついたら、その時は楽になったけど、後で罪悪感が浮かんでくる。自分自分を許せない気持ちになる。

どうして、あの時の私はもっと努力をしなかったのか? どうして、あの時の私は浪人を選ばなかったのか? どうして、あの時の私は第一志望の大学に行けなかったのか?

何が正しいのか。頭ではわかっているし、心でもわかっている。

シロクマ先生ほか、有名なブロガー記事を読んでいて感じることがある。今の社会を生き抜くにあたって大切なのは自分自身を愛せることだ。そのためには、ありとあらゆる活動に手を出して、得意な分野、自分にとっての「たましいの仕事」を見つけて、自分を作り続けていく。それを繰り返すうちに、自分を愛することができる自我生まれる。

私にはできない。社会からどんなに認められても、自分を愛することができない。

今の私の転職エージェントとしての実績は、先ほど述べた「先輩」よりも上だ。数字でいえば、先輩の現役時代と比べて1.3倍以上の開きがある。営業所の若手の中では、私が一番多く給料をもらっている。部下も4人いる。みんな可愛い。私を慕ってくれる。最近、「彼」もできた。

満たされない。いつ、どんな時でも、高校時代努力が足りなかった自分を許せない。おそらく、死ぬまで過去自分を許せないんだと思う。

最近は、それでもいいかと思っている。思えば、この気持ちに向き合うことで私は成長してきたのかもしれない。

だったら、この、昔の自分が許せない気持ち感謝すべきなのかもしれない。むしろ、持ち続けるべきなのかもしれない。

ここまで聞いてくれた人、ありがとう

公共の場愚痴をこぼしてごめん。

涙が止まらないんだ。

昔の私に、いつか伝えてみたいことがある。

「諦めないでくれてありがとう」って。

2021-02-22

anond:20210221235545

リサーとかやってるチャラ男文化のものだね

そしてそういうのが好きなんだけど仲間に入れてもらえるほどのコミュ力はなくて、女を見下す精神性だけが残ったような男も確かにいる

そいつ弱者なら弱者男性に含むという定義もできなくはないが、そうすると弱者男性の中の文化の違いが大きくなりすぎて、テニス部員とコンピュータ部員を「どっちも部活経験者」でまとめるくらい何の意味もない定義になる

2021-02-21

「ヤバい吹奏楽部の見分け方」から抜けてる視点

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/twitter.com/yamazaki410623/status/1362701476942913537

これがバズってるが、1つ大きな視点が抜け落ちてる。

該当する吹奏楽部殆どが、女子部員中心であることだ。

一部男子校を除いて、吹奏楽部部員構成女子>>男子であり、女子生徒が部長やったり、各パートリーダーを務めたりしている。

まり女性中心の組織は「ヤバい」ということになってしまう。

もちろん顧問指導者権威が強すぎるというのもあるが、それを支持し、組織のヤバさを加速させているのは女子部員たち、つまりその場にいる「女性」なのである

普段女性もっと平等に扱え!と騒ぐはてなの連中は、この点に気付かないフリをしている。

20年前の吹奏楽コンクールで何もせず突っ立てた俺が今では家で楽器

20年前、中学2年生のときに参加した秋の吹奏楽コンクール夏休みをつぶして練習をしていた彼女たちを横目に見ながら、ステージの上で俺は何もせずに突っ立っていた。割り当てられた楽器トライアングル特定パートで音を鳴らすだけだった予定だが、誰かのミスで俺の楽器ステージに用意されることなく終わった。別にトライアングルを準備しなかった誰かを怨んじゃいないし、たぶん本当にただのミスだったんだと思う。悪いのは夏休み中に一回も練習に参加しないどころか、辞める意思を伝えなかった俺だと思う。

うちの家族音楽一家だ。俺が小5のときに死んだ父親フルートの奏者で、同期の友人を集めて社会人サークルを作ってときどき演奏会をしていた。姉も姉でピアノが得意でときどき、受験勉強の合間に演奏をしていた。妹もサックスの奏者で運転免許教習のためにと渡した金で自分用のサックスを買ってた。母親別に音楽はしなかったが、彼女たちを育てるのにリソースを費やしていた。そんな家族だったから俺も音楽が好きで、得意できっと才能もあるのだろうと思っていた。

俺が楽器に触っていた一番古い記憶幼稚園のころにピアノを習っていた記憶だ。音大卒業したばかりの若い女性の先生を家に呼んで姉と俺が習っていた。彼女の教え方は結構自由な感じで、俺は楽譜無視して勝手ペダルを押してみたり、習ってもない黒鍵を押して変な音を出したが彼女は「じゃあ、アレンジしてみようか」って言って楽譜の改変を許してくれたし、そんな優しい対応をしてくれる大人の女性に気恥ずかしさを感じた記憶がある。

それに対して母親はどちらかというと教科書的に楽譜を覚えさせようとする人で、幼稚園から帰ってピアノ自主練する時間になるとひたすら楽譜の同じフレーズを繰り返させられた。ちょっとでも間違えると「あと10回繰り返しなさい」という具合。これが原因でピアノが嫌いになってしまって先生を呼んでの個人レッスンも辞めてしまった(辞めた時の具体的な流れはもう覚えていない)。

そんな俺だったが小5のとき父親が死んだ。彼が残したフルートを見て「これを俺も吹けるようになりたい」と思った。そんなことを思いはしたものの、具体的に行動は起こさず、塾やら剣道やら(これも嫌いだった)中学受験に失敗したりしているうちに進学先の中学校に吹奏楽部があることを知ってそこに入部した。思えばこれが間違いだった。

俺の入部した吹奏楽部は俺以外全員女子顧問まさかの俺の父親の知り合いで、そこに男子が参加したものから舞い上がっていたように思う。最初に割り当てられた楽器チューバだった。いわく、低音でバンドの全員を支えろとのこと。チューバ奏者には申し訳ないのだが、これが全く楽しくない。低音を鳴らしても自分が何を演奏しているのか分からない。顧問部員モチベーションをあげるためなのか、自分趣味なのか分からないがみんな知っているポップス歌謡曲演奏させたが、メロディを奏でるメンバーが聞いたことのあるフレーズ演奏しているのに対して低音が演奏している音は一体何の役に立つのか全く分からなかった。定期的に同じ音を鳴らすこの行為になんの意味があるのか分からなかった。ついでに俺は残念ながら肺活量が低くてチューバを満足に吹くことができなかった。その後、顧問命令アルトサックスへ、そして最後コントラバス転向。もはや管楽器ですらなくなり、この辺で完全に俺のやる気は消失して部活をさぼるようになっていた。

で、中学2年生の夏休み。俺は部活に行くと言って家を出てから友達の家へ行って連邦VSジオンで遊んでいたものの、あるタイミング顧問がその友達の家に乗り込んできて俺は拉致されてしまった。与えられた楽器トライアングル夏休み明けのコンクール部員全員で参加して今の3年生を送り出すんだから、お前も参加しろとのこと。無理やりワンフレーズだけのパート練習させられて、そして迎えた本番で事故は起きた。トライアングルが無い。

理由は分からない。楽器を運ぶ担当の1年生からも下に見られていた俺は、楽器の用意をしてもらえなかったのかもしれない。それか、俺が自分責任で運ぶように指示されていたのかもしれない。分からないが、ステージ上で何もせずに突っ立っていた記憶だけは残っている。指揮棒を振る顧問の困った顔、演奏が終わった後でほかの部員から向けられた視線。すべてが苦痛で俺は逃げるように会場を後にした。顧問はさすがに哀れんだのかそれとも呆れたのか、それ以降俺を部活に連れていくことはなくそのまま俺の存在自然消滅した。

そんなことがあって、何年もの月日は経過したが幸いなことに音楽自体を嫌いになることはなかった。どちらかというとDreamcast勢だった俺はクレイジータクシーソニックアドベンチャー洋楽に触れて、バンド存在を知って低音が奏でる面白さをそこで初めて知った。と言って、特に具体的な行動を起こすでもなく大学に行ってからギターヒーローとかドラムマニアときどき遊ぶ程度。あとはオーケストラマーチングジャズなんかをときどき思い出しては聞く程度だった。だけど心の中で、音楽をもう一度やってみたいと思う気持ちだけはちょっとずつ育っていっていた。

結婚して子供もできて、その子供が8か月になったころの2020からコロナの影響を強く感じるようになった。仕事はそれ以前から完全リモートだったので特に支障はなかったのだが、趣味温泉旅行制限されたのはつらい。そんな中でおこもり需要の一つとして注目されたのが楽器だったわけ。俺もその例にもれずヤマハが発売しているヴェノーヴァを購入してみた。生まれて初めて自分お金で買った楽器。これがめちゃくちゃ面白い。

練習はだいたい朝子供保育園に送る前と夕方保育園から帰ったあとの夕食までの時間。だいたいどっちも20分くらいだから1日のうち40分くらい。しか最近寒いから朝の練習はしない日もある。練習と言っても昔のように間違えたフレーズをなんども繰り返すわけじゃない。最初こそ音を鳴らす練習や指の運びの練習はしたけど、一通りそれっぽく音が出せるようになったら後は自由だ。楽譜を買ってきて自分が好きな曲を自分が満足するまで吹けばそれでいい。アニメ特撮が好きなので「ドラえもんのうた」とか「ウルトラマンのうた」とかを一通り吹いて、サビだけ吹けるようにしておしまい最近コンビニで曲ごとに譜面印刷できるので、気になる曲だけ印刷してくれば1枚400円くらいで収まる。飽きたらまた別の曲をやるし、ときどき思い出して前にやった曲を吹いてみて自分の中の変化に目を向けると、ちょっとは上手になったかな?と思って自己満足する。それだけでいい。

子供の時にやっていたバイエルをひたすら反復する練習は何だったのか。中学とき面白さが全く分からなかった低音をひたすら鳴らしていたのは何だったのか。そんなことやる必要なんてなかった。自分が好きな曲を適当に吹いてひとまず満足して、そしてまた戻ってきて高みを目指したり目指さなかったりすればいい。そう言う物だったんだな。

今にして思えば父親が俺に音楽を教えてきたことは無かった。たぶん、彼は今の俺と同じことが分かってて練習強要するんじゃなくてやりたくなったらやればいいくらいのスタンスだったのだと思う。俺もそういう気持ち子供に接して行きたい。

次はスタートゥインクル プリキュアのTwinkle Stars演奏したい。

2021-02-17

anond:20210216143936

メガネ君女子説が囁かれてるけど、高校野球女子禁止なのでそれだとそれこそ話が破綻するぞ

違うんだな

正確に言うと、高野連女子部員野球部に入部するのは認めているんだよ。

認めていないのは「公式戦で女子部員選手としてプレーすること」だけなんだ。

裏を返せば、練習試合なら女子部員選手としてプレーできるんだよ。ここに是が非でも白鳳に入部したいってモチベーションがある。白鳳なら全国的な強豪校と練習試合する機会がたくさんあるからね。弱小無名高でも公式戦にエントリできるけど、無名ゆえに強豪校との練習試合は難しい。

2021-02-16

生徒に柔道技「体罰に他ならない」 元教諭有罪判決

1年生部員に足払いをかけて床に打ち付けるなどの暴行を加え、背骨を圧迫骨折

https://www.asahi.com/articles/ASP2H3T3CP2DPIHB03C.html

anond:20210216021045

2021-02-12

anond:20210212142539

二十五年まえに卒業した写真部の現役部員から写真展の案内を貰いつけるようにしていて時々は観に行くようにしているのだが、写真タイトルの機材紹介欄にカメラの機種名ではなく「ケータイ」としか書いてないのが半数以上だったのにモヤったKKOOBであった。。。

2021-01-16

公的機関医療機関)の情シスをして分かったこと→DXなんて絶対無理

公的機関とある病院)で情シス部員として、もう何年か勤務しているが、なかなか酷い。

公共機関全部が一緒じゃないことは分かっている。

 

でも、これが医療情報学会が育てた医療情報技師の姿なのか?

 

理由1:請負業者外部業者に丸投げ

保守運用管理を別業者委託するのはよくあるにしても、

保守運用管理以外の仕事」も丸投げしてしまう。

理由は単純で、正職員が「定時で帰りたいか」と、「やっかい仕事はやりたくないか」(正職員のくせに)。

あと人によっては、実務担当職で採用されているのに「研究がしたいか」を理由請負業者に丸投げしている(口では言わないが、見てたら分かる)。

ちな、請負業者契約を切られたくないから、理不尽でもやらざるを得ない。

 

医療情報部的な部署がある医療機関になると診療情報管理士がいることもあるのだけど、

ITとか全然知らない人も多いので、文書とか診療情報のことに関しても、

ITとか全然からいか」ということで「保守運用管理」だけが契約範囲業者に丸投げする人もいる(管理士の仕事なのに)。

ただ、診療情報管理士が個人的に丸投げしているわけではなく、当病院では部署ぐるみ

実際はできないから投げているのではなく雑用だと決めつけ、やりたくないから、投げているのが実態

職員を甘やかしている。

 

まぁ、でも、当院の診療情報管理について言えば、とりわけ、丸投げとか「これは私の仕事じゃない」とすぐに逃げたりするのですけどね(システム職ではないが)。

システムことなんて分からない」と言えば、すぐに誰かに押しつけれる(請負業者に)。

そして、甘やかしてそれを認めてしま文化

 

それに対して、請負業者非常勤職員雑巾のように扱われる。

請負非常勤が大変な状態になっていても、「役割が違うから」と手助けすることは一切ない。

反対に、正規職が大変な時は、請負非常勤は手助けをするように求められる。

 

医師看護師が怒っても責任も含めて丸投げしているのが現状から改善しない。

現場から怒られるのは責任の重いはずの正規職員ではなく、半分は組織の外側にいる請負業者社員非常勤職員

逆に、忙しい人間を尻目に、半日以上も政治雑談したり、業務的に必然性のない資格勉強をしている職員も実際いる。

健全でしょ?

で、「自分公務員だぞ、いいだろ」という態度出てるんですよ。

 

そのくせ、指示されなければ何もしないのだけどね(当院について言えば、これは管理士・事務方に多いな)。

 

発注側」という高みに立って上から目線になっているのもあるし、

から見ていると「自分たちは公務員で誰もが羨む天上人」という意識があるようで、

公務員になれたというゴールを達成」したものから自己研鑽するという意欲さらさらない(実際にない)。

 

ちなみに、自己研鑽をしなくても怒られることはない。評価も下がらない。民間企業ではありえないぬる職場

 

あと、簡単な帳票を作成する作業でさえ、業者に頼らないといけない。

Accessレベルを使いこなせない、のが実態

 

ああ、あと、公的機関予算は全部使い切るのが基本なのも一因かもね。

手が空いている人もいるのに、請負非常勤に実務はそちらにふって、業務中に業務関係ない資格勉強をする人もいるのだけど、

請負非常勤存在がないと、そういう仕事の仕方は成り立たないでしょ。

 

腐ってるけど。

 

ちなみに、非常勤職員は1年の任期付きなのだけど、確信犯的に継続を繰り返して任用することが普通になっている。

時短勤務をしているだけの常勤職員」のはずなのに、経費の安い非常勤にしているだけ。

 

理由2:実務経験者が少ない

あとでも書くけど、特定大学のある研究室の就職の受皿になっているせいで、競争試験形骸化している。

医療情報学会経由かつ、その大学人間が優先的に採用されるのが実態

 

こういう人は大抵がSE実務の経験はないけど、「研究だけはしたい」奴ら。

 

帳票作れば多少の業務改善もできるのだけど、そんなこともできない

ただ、研究は大好きらしいので、医療情報学会とか論文の書き方は詳しい。

 

だけど、現場医師看護師さんが困っていても、

 

研究>>>>>>>>実務

 

という優先順位

 

大丈夫仕事が溜まったら請負業者時短勤務の非常勤職員ねじこめばいい。

 

こうして、

 

 

という構図ができあがる。

 

医師看護師の実務を改善してそれを研究成果にする、なら納得するのだけど、

あいにく、そうではない(あまり書くと身バレするが)。

 

技術的に分からないことがあったらどうするか?

これの解決方法は、簡単

 

外部業者請負業者に分かりやす資料作成させて説明させればいい。

説明するのは、お前らの仕事だ」と恫喝してね。

 

こうして、専門知識勉強していくわけさ。

 

理由3:正職員目標管理制度がザル(形式だけ)

そりゃあ、自己研鑽義務づけたら自分たちが大変になるのが分かってるから上司ぐるみちゃんとやらない。

 

DXもくそもない。

 

理由4:ずっと同じ作業しかできなくても評価は下がらずボーナス満額もらえる

公務員絶対首にならないからね。

 

しろ、DX推進なんてやったら仕事が増える。

から、やらない。

 

やっても、やらなくても給料は一緒だから

だったら、やらないほうが楽だよね?

現場医師看護師は大変だけど、「別業務で大変だから」とか「できない」と言えば、何とでもなる。

実態は、暇で手の空いてる人もいるけど。

 

ちなみに、現場医療職が怒っても、電話は受付対応非常勤職種請負業者に全てやらせている。

これについては、ある診療情報管理士の正規職員がこう言っていた。

 

電話や受付対応をすると怒られたり、トラブル対応のために走り回って調べないといけないから、やりたくない

 

「専門知識がないか対応できない」とか「正規職員業務差し支えから」、という理由なら理解できる。

でも、そうじゃないのは見れば分かる。

ただただ、ストレス仕事仕事の種類として嫌だから、えり好みしているだけ、なんだよな。

 

病院という組織立場に立って責任ある地位いるから高い給料を貰っているのに、ね

 

実際、正規職員SEも含めて、後ろに隠れたがる。

責任感ある正職員もいるが、全員がそうじゃない。

回答の責任も丸投げし、現場の怒りは請負業者非常勤職員対応させる。

 

正規職員責任なんてどこへやらだ。

 

博士課程で採用された人は、「私、博士卒だから給与はいいですよ〜(笑顔」と言ってた。

 

6時間勤務のはずの非常勤職種にも、常勤職員には与えないような詰め込みの仕事残業が発生しやすトラブル対応仕事を与えることも普通

見る限り、時短勤務の職員残業をする率が高く、申請もきちんとしていない(あまりきちんとやると「なんで多いんだ」と怒られる)。

 

請負業者も同じような境遇だ。

人の入れ替わりが多く、どんどん人が辞めていく。

でも、直接雇用しているわけじゃないから、何も問題視はされない

 

でも、こうなって一番困るのは、現場医師看護師コメディカルなんですよ!

 

理由5:特定大学出身者でポストが独占されてるから外部者が入らず、改善余地がない

まぁ、これも大きいよね。

 

能力じゃなくて出身大学で取るものから、実務能力関係ないし、公正な競争もない。

白い巨塔で育って来た人に実務ができるわけがない。

クビにすることもできない。

 

できないか請負業者非常勤職種に丸投げするしかない。

 

ちな、公的機関独立行政法人も)は、採用にあたっては必ず公募をしないとけない。

でも、特定の人しか入れないようにするための抜け道がある

 

これは、自分職場で実際していることなのだけど、

採用条件を他の人が応募できないような条件にしてしまこと。

 

博士課程保持者」とかね。

 

実際は博士課程の人間じゃなくても十分できる仕事なのだけど(そもそも実務の仕事博士課程は必要とは言えない)、

特定大学特定研究室の就職の受皿になっているから、要するに、特定者に便宜を図った不公平採用が行われいんですよ。

公平な競争なんて、一切無い世界ですよ、公共機関なのに。

法令遵守してんのかよ。

 

で、来た博士課程の人と言えば、院卒なのに実務的な対応能力なんて無いんですよ。

実務を担う職種研究職を無理矢理ねじ込んで研究活動してるもんだから現場から問合せが来ても他の誰かが代わりに対応しているのが実情。

 

理由6:職場組織問題に対して当事者意識がない、現場対応から逃げたがる

現場医療からの問合せに対して、受付対応・回答(調査をさせたりも)を請負非常勤職種やらせ

正規職はコア業務へ集中したいからと称して、ネットニュースサイトをずっと見ていたり、資格勉強をする者もいる。

 

正規職には現場の怒りは届かない。

彼らは後ろに隠れたがる。当事者意識なんてものはない。

なんだろうな、こういう意識の持ち方は公務員特有だという気がする(当然人によるよ)。

 

ああ、そいや、正職員の方々の中には、情報収集に熱心な人がいて、

管理する立場でもないのに請負業者が記録している対応履歴業務時間中にやたら細かく見てる人も、一定数いる

職務上は明らかにする必要ない行為なのだけど、そんな時間をわざわざ作る余裕があるから不思議

で、現場対応、窓口対応は嫌だと言う。

情報収集に熱心なのは、重たい仕事自分に来ないよう注意してるからだが。

 

現場対応はできればやりたくないか請負業者非常勤職員やらせ、これは本当に多い。

これは本当に正規職員給与に見合った責任ある行動なのか?

正規職員のイスはもらった。大変なことは別の人にやらせて、楽もしたい。でも、しっかりとした給与退職金福利厚生もほしい

それが実態

理由7:そもそも経費削減・業務効率化という意識がない。経費の使い方ガバガバ

 

だって、年間の予算全部使い切らないと次年度から減らされますから

備品必要ないのに買いまくってます

 

数名は職場自分PCに、iMac使用しています

当然、予算で買っている。

Macを買う業務上の必然性は一切ありません

ていうか、職場システムWindowsベースなんで。

なぜMacか?

当人達いわく「かっこいいか」「Macがいいか」だそうです。

同等の性能ならWindowsのほうが絶対安いですよ。

 

でも、Macがほしいから」というだけの理由Macを買ってました

いいねー、公務員

こういうことをするのは大抵、公的機関純粋培養された職員です。

 

職場全体は慢性的赤字なのだけど、経費は使い切るものという意識があるようで…。

 

さすがに自分Mac買ってません。

無駄遣いすぎることが分かっているので。

 

あぁ、あと、ブレードサーバーわざわざ買った人いるけど、

あんまし使ってらっしゃいませんね。

 

研究費は使い切るもんだという意識もあるみたいですが、それにしても無駄遣いでは?

業務効率化も糞もないのに、ボーナス満額もらえるんですよね、国の財源で

 

これが、公共機関情報システム部門ですよ。

 

DXなんてできない、というより、DXなんてそもそもやる気がない。

だって自分のことしか考えていないからね。

 

こうしている間にも、医療職はどんどん疲弊しているというのに。

 

くたばっちまえ。

 

医療情報学会も嫌いになりました。

 

これが、お前らの言う、コミュニケーションコラボレーション、コーディネーションの本当の姿だったんだな?

言っても何も変わらないんだ。

から、ここに書いて残す。

2021-01-13

出社続ける上司イヤミ…在宅勤務への圧力調査で鮮明

まだこんな昭和脳のアホがいるのか 干せ

「在宅の○○さーん」

 都内建設会社に勤める女性(42)は、オンライン会議での部長の呼びかけに、トゲを感じた。部長毎日出社している。部員の間でも「イヤミだ」と話題になり、以後、女性会議のある日は出社することにした。

 会社は「可能範囲で在宅勤務」を推奨しているが、部長本音が違うのは、態度で分かる。「自宅では、5歳の娘が近づいてきて集中できない」と相談した時も、「そんなに大変? 会社にいる人の方が大変だと思うけど」と言われて絶句した。

 部内で毎日のように出社してい…

2020-12-26

フェミニスト高校生美術部員を「クズガキ」「名誉メスガキ」って呼んでるのなんか凄いな、、、

TUTちょっと良かったこ

アドベントカレンダーからリンク先が思いつかなかったので、ここで生成する。)

TUTTUT

はい、そういうわけで、ですね!TUTちょっと良いところ、言ってみたいんですけど!

東京工科大学だと思った人、残念ながら帰っていいですよ!

今はホットなのはそっちのじゃないほう大学です、ギコ大です!技科大です!

ちょっとあらぬ感じアレだったことを観測したので・・・時を戻そう。

(この記事12月23日のアドベントカレンダーからリンクされています、ていうかする予定ですという分かりづらいボケです。

 だって26日より先が空いてなかったどころか枠がなかったんだもん。もんじゃねーよ。)

そもそも豊橋駅技科大敷地は同列に語るべきでなくて

都会度というか、その辺りは

豊橋駅<<(超絶超えられない壁)<<技科大

で、私自技科大から豊橋駅に行くには上京する心づもりでした。

あとこれは200x年頃のお話なので、今は全然違うかもしれません。

環境

豊橋さらに奥の僻地にあり、近場のミニストップを神のライフラインとして崇めていた

・その次に近いのが徒歩10分位の距離にあるすき家(都会のライフステーション

イオン初日に行った帰りに迷うほど、目印の少ない牧歌的風景

・そんな感じなので、基本的に車がないと人権がない

・最低でも原付は欲しいところ。なので学内原付の売買がお盛ん

・それでも鋼の意思チャリと徒歩で生き抜くならば毎日エクササイズという特典が

・なのでお出かけの基本は車となり車を運転できる人間はそれだけでデキるやつだった

・車に全員載らない場合は車と単車原付場合によってはチャリで編隊されて行軍する

大学はそれくらいの秘境にあるので、その寮へのネット回線はボッタクリナロードバンド月5000円一択のみ

貧乏学生ライフライン業務スーパー普段生活のみならず学園祭仕入れにもお役立ち

・なんで飛んで火に入る夏の虫のごとく、緑の看板には生活を求めて日々飛んで行ったよね

ブレーカーを数部屋で共用する男子寮ドライヤーひとつで数部屋を道連れにするスリル

・当然クーラーなんてないよね~、あん貴族嗜好品。夏の猛暑アイスノンと扇風機で生き抜くサバイバル

・当然激セマ君ではあるのだが、寮費が光熱費込みで1万も行かなかった(5000円位だったか

貧乏学生をしていたので、食堂はあまり記憶にございませんねぇ

バカ舌もあって味噌ラーメンとかはそんなに悪くなかったような

⇒そんな感じで、今や絶滅種の「昭和貧乏学生生活が送れる素敵な場所です。

◆勉学回り◆

学生ほとんどは高専病に起因する英語ヨワヨワなんで許してあげてほしい

・というか高専教育が悪い。今は変わってきてるのかもしれないけど

中学から受験以降、受験とほぼ無縁で単位取得のサバイバルのみで生き延びた学生が多いイメージ

・なんで、興味範囲以外はいかに取りやすいかいかに出席や提出物が少ないかが授業選択の最重要ファクター学生がいたとかいないとか

自分の居た系のみかもしれないが、大学で割り当てられるアカウント個人領域ディレクトリ学生番号出来られていて、他からも見ることができた

・そこには過去の学年のレポートとかが眠っていた。なんで、そこから引っ張ってレポート提出する学生もいたとかいないとか

・だがまぁ、それは誰しもが考えるので、過去の有料レポートを提出すると中身同一レポート教授のもとに集まり、諸共無言で最低点の裁きを受ける

・なんか学生課の職員の人が異様に態度LLだった気がする。

院試自分苗字名前ケアレスミス無く書ければ徹程度の難易度

・なんて状況がまた単位効率コスパ厨を醸成しているのだけど

先生ダイバーシティの極みの極み、二重の極みで、まともな人、あきらめ系、変人などなんでもござれだった気がする。

・他と比較できてないかわからんけど変人比率は高かった、と思う

⇒背景、状況から普通ではない」ふいんきなぜか変換できない)が醸成されていたのは事実かなぁ

サークルとか◆

・そんなわけで、高専から入学ほとんどの技科大サークルちょっと関係が難しい

・具体的には3年生新入部員と2年生の先輩部員という時空のひずみ

とはいえ、3年生新入部員と3年生先輩部員も発生しうることから大概は学年で先輩後輩関係は形作られる

・ただし、そこにさらに時空の法則を破る留年先輩が出てくるがそうなるともう、年齢で判断することになる。

そもそもサークル活動的なのはまり活発ではなかったイメージ

・ほぼ男子校技科大生のあこがれ「愛知大学」との連携女子とのキャッキャウフフを夢見る生徒も多かったとか少なかったとか

・あ、そうそう。サークルだけではなくて愛知大学連携していて、確か愛知大学図書館も使えたはず

・数式をおかずにして飯を食えと言わんばかりの糞高い技術書しかない技科大図書館に比べて、文学教養の良書がタダで借りられる裏技があるんですよ!

陽キャは居たにはいたけど、レア種でしたね。居ても、フェードアウトするとか。3年の夏休み前にパチプロになると聞いて以来、音信不通の彼はパチプロマガジンかに出ているのかな。出ているといいな。

なんだろう、ぱっと思った限りこんな感じ。

うーん、まぁ学生生活にはちょうどいい閉塞感で、自分としてはこの環境を楽しませてもらいました。

なんか思い出して行きたくなるくらいには。

社会人だと厳しいか、な?

引きこもりの私には何の問題もないけどそれはなんというか、属性問題かな。

2020-12-20

DHC販売店にいる美容部員みたいな売り子の姉ちゃんめちゃしこかわいいけど、

朝鮮人の血が混じってない純粋日本人大和撫子って確信できるから、興奮度MAX

ダイエットなんかしてないのに置き換えの食事買っちゃったw

2020-12-16

DHC社長共感できるがそれを出すのは違うと思った

DHC会長がいうことは理解できる、部落のない地域で育った人は被害にあってないので時代遅れかいうのは仕方ない。

分けるけど、時代ジェンダーフリーだし、差別排除する流れになってる。

なので、憎しといえど、日本人全てに通用する内容じゃないから控えるべきだよね。

自分に関しては、子供の頃から親に散々叩き込まれたのもあるが、

僕が小・中学校時代部落地域人間にされたことも経験としてあるから、尚更在日に対する意識は高い。

そして普段忘れるようにしているのだがチョン系の話題がでたらどうしても思い出してしまうのである

もっと精進せねば・・・

私が在日に受けたいじめ10選

通行料金の徴収として毎日100円払わないと学校に登校できない

②みんなの前で教室のはじからはじまでビンタされた(目があっただけ、力の誇示をしたかった模様)

文房具をしこたま盗まれた、それが表沙汰になった時親が「子供文房具大事にしない」とかって言って学校文句を行ってくる始末、さすがである

万引き犯罪につきあわされた(捕まりかけたが全力疾走で逃げた、もちろんこちらに取り分などない)

部活最中に、ボクシングのミットがわりに本気でなぐられる

休み時間サッカーボールで磔にされる

⑦小1の時、かぶと虫の幼虫をなくしたと因縁を付けられ裏山で夕方まで探させられた

⑧中1の時、欲しくもない洋服を1万で無理やり買わされた

学内での盗み(高級ボールペン)を盗んだと濡れ衣を被された上、ホームルーム犯人扱いされる

真犯人先生相談したら隠蔽野球部顧問部員よりでかき消し)、結果クラス内では私が盗んだことにさせられた

⑩5人程度囲まれ状態で、無理やり好きな女の子告白させられ笑い者にされた

全部、在日にやられた。

からDHC社長の言ってることわかるし、就職氷河期ゴミくそベンチャーに入って低賃金でこき使われてる身だったのに

あいつらは、在日特権職業ゴミ公務員で月40万の職業に就いてた。

ジェンダーフリー良いと思うが、在日人間が信頼できないのはそういうバックグラウンドがあるからである

地元に戻った時に見かけたら反吐が出そうになるが、大人対応を心掛けている。

ちなみに、中学3年の時に、こいつらと縁を切りたいと思い、高校受験死ぬほど頑張ってやつらが受けれない程度の高校入学した。

2020-11-25

新種のゴキブリ発見クラシエ公式の件から感じたこ

ただのお気持ち、散文、長文増田です

私は昔から昆虫特にゴキブリに興味を持っていました。それも所属していた学校部活(生物部)でゴキブリの観察実験をしたいと提案したり、生物系の大学入学したらどこかの製薬会社就職して毎日ゴキブリの世話と研究をするんだ!と中学生の頃に本気で思っていたくらいには。所属している部員顧問全員にその実験だけはやめてくれと言われたけど拒否の仕方が「気持ちいからやめて!」とかではなくもっと遠回しな表現だったのでありがたいことに周りに理解されていたんだな、と思っています。そんな感じで周りの環境が温かいのもあってゴキブリ展を見に行ったりゴキブリについての本を購入したりと趣味範囲内で自主的に学ぶ機会も多く、専門的にゴキブリを学んでいる方たちには遠く及ばないものの同年代(現在高校生)の多くの人たちよりはゴキブリについて知っているんじゃないかな~と自惚れてもいます

からゴキブリ好き(?)な私は今日公開された新種のゴキブリ発見記事を読んだ時は小躍りして喜びました。その勢いでゴキブリ有識者の方たちのツイートも見ようとしました。しか最初に目に入ったツイートアース製薬公式クラシエ公式のやりとりだったのです。

なぜ『衛生害虫駆除する薬品を作っている企業』と『暮らしに関わる企業』という衛生害虫について理解していなければいけない立場広報担当衛生害虫としてのゴキブリ(ワモン、クロ、チャバネなど)とそれ以外のゴキブリ(主に分解者としての役割果たしている種)をいっしょくたにしているのか。なぜ「嫌なニュースですね」など言えるのか。

ごく一部のゴキブリ衛生害虫として印象深い存在である以上、ゴキブリ=気持ち悪いの風潮は仕方ありません。広報担当の方が薬品の開発担当の方ではない以上、ゴキブリ=害という認識を持っていてもなんらおかしくはありませんしそれでも構いません。しかし新種の2種が人には害を与えない存在であることは記事を読めばわかるはずです。というかずっと発見されていなかった種、つまり今まで人と関わることのなかった種が人に忌み嫌われ続けている衛生害虫と同じわけないと考えなくてもわかるでしょう。また新種の生物発見ニュース本来喜ばしいことなはずです。それを公式アカウントという多くの人の目に入る環境で『嫌』と表現するのは如何なものか、とも思いました。

ただクラシエ公式謝罪している以上このままいろいろ文句を言い続けるのもな、って感じなのでこの件に関するお気持ち表明(笑)はここまでにしようと思います

ここまで無駄に長い文を打ち込んでいて「今私がとっている行動はタカラトミーアツギの件を批判していた方と同じだな」と思いました。自分が属している『女性』というグループに関することですらあまり感じることのできなかった問題が興味のある生物を通してここまで身近になるなんて正直びっくりです。今日クラシエ公式ゴキブリについて言及しなければ公式ツイッターでの問題発言という社会問題なんて一生対岸の火事だったかも。もちろんクラシエのあれはあまり褒められた発言ではないし見ていてなんだかイラっとしたしあんまり納得もいってないけど社会問題に触れるいい機会だったんだな、と思います公式アカウントの中の人ではないし今はまだ呑み込めそうにないけどこの件が興味のあるものを通して視野を広げられるきっかけになったらいいな。

2020-11-24

あの『前略・ミルクハウス』にイメージアルバムがあるとは!!(驚)

90年代前半のどっちかというと男臭い部室に何故かそっと放ってあった全巻を制覇しようと何度もチャレンジしたが、半分もいかないうちに他の部員が来てみんなで遊ぶことになって毎回ザセツしてた想い出。。。)

しかしこれい聴くとマジcitypopだわ、よう掘り出してきよったなぁ。。。

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