はてなキーワード: 絶滅種とは
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ジェンダーニュートラルの風潮に乗って様々なジェンダー語が言い換えられている。
中でも男性配偶者を意味する「旦那」「亭主」「主人」はもう絶滅種と言っていい。
アナウンサーは、インタビューで婦人に「旦那様はどんなお仕事を?」とは訊かない。
今やNHKのアナウンサーでも「夫さんはどんなお仕事を?」と訊く。
今日は東日本大震災のあった日なので、震災関連の報道が多かった。
老齢のご婦人がインタビューに答えて「津波で亡くなった主人の遺志を継いでいきたい」というようなことを語った。
当事者が自分自身の配偶者を主人と呼ぶことすらNHKは許さないのだ。
この老婦人にとって夫は主人と呼ぶべき人物だったのであろうし、この世代の人々にとって「人前で自身の男性配偶者を呼ぶ場合は自分がへりくだる」というのは当たり前の価値観である。
たとえ家庭内ではカカア天下であったとしても、ともあれ人前では、自分は夫を立てる身だというポーズをとることが彼らには自然であるはずだ。
世の中が家父長制を否定しつつあるという風潮と、ある一個人が家父長制を受け入れているかどうかは、まったく別次元の話である。
耳の聞こえない人がこの報道を見たとき、「ああ、このご婦人は主人とは呼ばず夫と呼んだ」と思うだろう。
夫という言葉には、主人という言葉に込められていた思慕や崇敬の念が抜け落ちている。
主人と呼んだか夫と呼んだかで、在りし日の夫婦の関係性のニュアンスの受け取られ方が変わってきてしまうはずだ。
主人って呼んだのに。
世の趨勢に合わせてNHKが言い換えを進めるのは別にかまわないと思う。それを迎合とは思わない。
どこからそんな鯉憎しみたいな感情が湧いて出てるのか知らないけど、テレビのせいだとしたら本当に恐ろしい
すでに鯉のいる川に鯉を放流することが生態系に何の影響があろうか、というのは考える間もなくわかるだろう
そして安易な放流による問題は、外来種だからどうとか言う話とはまた違う話だろう
遺伝子汚染や病気の拡散もあるし、それそのものに問題点が存在するのは間違いない
しかし、放流や自然への介入というのは人間に利益があるからやってるんだよ
自然をそのまま自然のままにしておくべき、というのは宗教観であって科学や工学ではない
放流がダメだとか遺伝子汚染だとか生態系がとかそういう話をすれば、すべての栽培漁業もダメだし、一度捕まえたカブトムシは再び放せないし、農業だってできやしないわけで、それを厳密にしたいという主張なら別にそれはそれで否定しないけどさ
畑も林業もそうだし、田んぼのサイクルだってそれ込みで生きている生物はたくさんいるし、人の営みと生物の営みは結構相互作用しあってるものなのだけど、人は一切自然環境に影響を与えるべきでないかのような主張はかなり引く
何も鯉もおらず護岸も昔ながらのような川に放したという話じゃない
馬瀬川のコンクリート護岸の農業用水路のような状況を知ってて言ってんなら、それはもう宗教というか思想家やなあと
生態系を破壊しきって絶滅種が発生するようならそれは人類からするとマイナスだか、そうならずコントロールできる範囲で人が自然に働きかけるのは当然のことでしょう
そこに宗教心で憎しみをぶちまけるのはなんか怖いよ
うーん、ちょっと違う気がするね
生物は資源であり、人類が自らの手で新規に作り出すことができないお宝なんだよ
生物は色んな材料にもなれば、薬や有用物質を生み出す遺伝子を持っていたり、食料になったり環境再生に利用できたりもする
なので、外来種により生態系が崩れることで、絶滅種が出るようなことがあれば、それは人類の損失なわけね
そういう観点から考えると、外来種は非常に危険で、人類のお宝の消失につながりかねないことだってのがわかると思う
ただ、増田の言う意味が、「外来種の脅威と同等に、人間が護岸工事したり海を埋めたり環境汚染したりしてるのも、生物の消失につながるぞ」という意味なら、
全ての生物種を人間が発見し終えて、全ての種でクローン化技術が確立され、コールドスリープで保存が完了している未来が来たら、正直外来種とかどうでもいいと思う
ラジオ聞いてたら金木犀のフレーバーのスイーツが紹介されてて。
で、次の話題に移った。
あれ?それで終わり?
スイーツの製造元と電話で繋がってる、或いはゲストがスイーツ作ってる菓子店でそれを口にするのはさすがに失礼、とかでもないのに。
自分の中では「コオロギを食用に」と同程度のインパクトだったのに。
そうか、これ反応したら負けなヤツだ。
今時の若いモンは本当に知らんのじゃな。
知ってても知らないフリして流さなきゃダメなんじゃな、年寄り扱いされない為にはのう。
https://www.excite.co.jp/news/article/00091161497065/
菜食主義・ベジタリアン・ヴィーガンの議論(直近だと anond:20201226231316 に対するコメントとか)において、特に肉食側からの倫理的な議論が少ないように思えるので、簡単ではあるが、倫理的な観点からの肉食擁護を書いてみたい。
私はあくまで素人であり、以下の文章は個人の見解以外の何物でもないことは最初に断っておく。
肉食を倫理的観点から批判する際の最も大きな論点は「種差別」である。種差別とは、「単に種が違うからという理由だけで、ヒトとそれ以外の動物を差別すること」である。肉食が相手の"命"を奪う行為であることは万人が認めるだろう。また人間同士では相手の"命"を奪う行為に大きな制限をかけるべきであるということも大多数は認めるだろう。であれば、「"命"を奪うことについて、相手が人間以外の動物だからという理由で人間と同じだけの制限をかけないのは差別である」というのが種差別の考え方である。
この考え方は性差別や人種差別の形式と近い。例えば、男性の利益を"男性だから"という理由で優先して、女性には"女性だから"という理由で配慮しないことや、白人の利益を“白人だから”という理由で 優先して、黒人には“黒人だから”という理由で配慮しないことは現在では大多数の人が差別であることを受け入れている。同じ用に、人間の利益を"人間だから"という理由で優先して、人間以外の動物には"人間以外の動物だから"という理由で配慮しないことは差別であるというのが主張になる。
一方で、関係する全員に対して平等な考えに基づいた適切な理由によって、ある存在と別の存在の取り扱いを変えることは差別ではなく、倫理的に問題はない(※ここでいう差別とは”不公正な扱い”を意味しており”不平等な扱い”ではない)ことも重要である。「菜食主義者だって植物の"命"を奪っているじゃないか!」という批判はよくあるが、多くの菜食主義者は"苦痛を感じる能力(sentient)"の有無を理由にして動物と植物を区別しておりそこに倫理的な問題はないと考えている。(なお、植物本体を傷つけない果実のみを食べるフルータリアンはこの点で他の菜食主義者を批判する)
このように倫理的な観点から肉食を擁護するためには、人間が動物を食べることについて、すべての生命に対して平等な考えに基づいた適切な理由を検討して採用する必要がある。
すべての生命に対して平等な考えに基づいた適切な理由を検討といっても、何から手を付ければよいのかは難しい。考え方はいくつもあるが、ここでは、伊勢田の「動物からの倫理学入門(2008)」の議論を元に進めていく。余談だが、この本は倫理学の入門書としてはかなりオススメである。タイトルからは菜食主義の本のように思えるがそうではなく、各主張を紹介した上で応用の一つとしてそれを動物に当てはめるとどうなるかを検討している。また、伊勢田自身は菜食主義者ではないとのこと。
伊勢田はこの本で下記のように主張している。
④認知能力や契約能力等、動物と人間を区別する道徳的に重要な違いとされている違いは人間同士の間にも存在する(すなわち、限界事例の人たちが存在する)
これらの組み合わせから容易に「動物にも「人権」があり、危害を加えてはならない」という結論が導ける
(p320 終-3 結局動物とどう接すればよいのか)
「①~⑤を認めると動物に危害を加えてはならない」ことが正しいとすると、肉食を擁護するためには少なくとも1つを削除する必要がある。それは①~⑤のどれにすべきだろうか?
普遍化可能とは、簡単に言えば"ある状況である倫理判断を善いとするなら、同じような他の状況でも同じ倫理判断を善いとしなければならない"ということである。例えば、私が借金を貸す側のときに「借金を返さないことは悪いことだ」と言うならば、借りる側のときも同様に「借金を返さないことは悪いことだ」と言わなければならない。
これを削除すると、多くの倫理判断や社会のルールが無効化されてしまう。例えば、貸し手のときは「借金を返さないとダメ」と言いながら、借り手のときは「返さなくても問題ない」と言えてしまう。こうなると強者が弱者を思い通りにできる(少なくとも倫理の観点から批判することは出来ない)社会になるが、それを良いとする人は少ないだろう。また「人間と動物はお互いを殺してよいし、両者ともそれに抵抗してもよい」という方向で普遍化することも可能だが、それでは「人間は人間を殺してもよい」を否定する理由が難しい。
(双子を除いて)完全に同じ遺伝子を持つ人間がいない以上、遺伝的差異を差別の理由とするのは難しい。例えば肌の色を黒くする遺伝子を持つから差別していいとは多くの人は賛成しないだろう。生物学的種を考えて、交配して子孫を残すことが可能かという観点で区別するという主張はあるかもしれない。だが種差別の議論を考えると、交配の可否を"なぜ"差別の理由としてよいかを説明することは非常に難しい。また、(進化論を認めれば)すべての生物は連続しているので、AとB、BとCは交配可能だがAとCは交配不可というA, B, Cが絶滅種も含めれば必ず存在する。Aの立場で考えて、Aと交配可能なBは差別してはいけないが、差別してはいけないBと交配可能なCは差別して良いとするのはルールとしての一貫性を欠くだろう。
確かに、例えば未来の概念や愛の概念の有無などによってその苦しみの程度は異なるだろうし、動物の権利を主張する人たちも犬と人間が溺れていた場合に、より苦しみが大きいであろう人間を優先して助けることを否定するわけではない。しかし、多くの動物が少なくとも痛みや苦しみを感じる(sentient)ことは事実であり否定はできない。
先にも書いたように、多くの菜食主義者はこの③について、「脳を持たない植物(主張によっては一部の貝なども含む)は人間を含む動物と同じようには苦しみを感じない」として植物と動物を区別し、植物を食べることに問題ないと考えている。「植物も実は苦痛を感じているかもしれないじゃないか」というのもよくある批判だが、これはあまり意味のある問いではない。確かに植物も苦痛を感じている"かもしれない"が、動物は"明らかに"苦痛を感じている。何かを判断するときに、よくわからないことが1%あるから残りの明らかな99%も無視して良いとはならない。また、将来もし植物が"苦痛"を感じることが明らかになった場合は、菜食主義者の多くはフルータリアンなどに態度を改めるだろう。
これも事実であり否定はできない。人間の知能を動物の知能と直接比較すること(牛は人間でいうと何歳程度の知能か?など)はほぼ不可能であるが、それでも例えば0歳児や重度痴呆症、ある種の知的障害者などの限界事例の人たちと比較して牛や豚や鳥のほうが"賢い"と考えることは大きく間違っているとは言えないだろう。
③に関係して、動物も人間と同じ用に苦しむのは事実だが、動物を苦しめずに殺すことは問題にならないと主張できるかもしれない。未来の概念がなければ生活計画を持たずにその時だけを生きているので、殺害して未来を奪うこと自体は倫理的に問題がなく、苦痛を与えることだけが問題であるという主張である。また、④に関係して、認知能力や契約能力などの"賢さ"によって人間と動物を区別でき、"賢くない"動物は殺しても良いと主張できるかもしれない。
しかし、これらの主張からは、未来の概念がない人間や"賢く"ない人間=限界事例の人たちを殺しても良いという主張が直接的に導かれてしまう。もし、限界事例の人たちを殺すのは良くないと考えるならば、その根拠は人権であろう。であればこれを否定することも難しい。そして限界事例の人たちに人権を認めるなら、動物たちに「人権」を認めないとするのは一貫性に欠ける。
以上のように①~⑤を検討してきたが、どれも削除するのはなかなか大変そうだ。「現代の代表的な倫理学者で動物の問題について発言している人はほぼ例外なく動物が直接の配慮の対象になるべきだという立場である(伊勢田, 2008)」というのもよく分かる。
しかし、倫理的な観点から肉食を擁護するためにはどれかを削除する必要がある。私は差別者であるという批判を受けることは承知の上で、⑤を削除することを提案したい。
(アドベントカレンダーからのリンク先が思いつかなかったので、ここで生成する。)
はい、そういうわけで、ですね!TUTのちょっと良いところ、言ってみたいんですけど!
東京工科大学だと思った人、残念ながら帰っていいですよ!
今はホットなのはそっちのじゃないほう大学です、ギコ大です!技科大です!
ちょっとあらぬ感じアレだったことを観測したので・・・時を戻そう。
(この記事は12月に23日のアドベントカレンダーからリンクされています、ていうかする予定ですという分かりづらいボケです。
だって26日より先が空いてなかったどころか枠がなかったんだもん。もんじゃねーよ。)
都会度というか、その辺りは
で、私自身技科大から豊橋駅に行くには上京する心づもりでした。
あとこれは200x年頃のお話なので、今は全然違うかもしれません。
◆環境◆
・豊橋のさらに奥の僻地にあり、近場のミニストップを神のライフラインとして崇めていた
・その次に近いのが徒歩10分位の距離にあるすき家(都会のライフステーション
・イオンに初日に行った帰りに迷うほど、目印の少ない牧歌的な風景
・最低でも原付は欲しいところ。なので学内で原付の売買がお盛ん
・それでも鋼の意思でチャリと徒歩で生き抜くならば毎日がエクササイズという特典が
・なのでお出かけの基本は車となり車を運転できる人間はそれだけでデキるやつだった
・車に全員載らない場合は車と単車、原付、場合によってはチャリで編隊されて行軍する
・大学はそれくらいの秘境にあるので、その寮へのネット回線はボッタクリナロードバンド月5000円一択のみ
・貧乏学生のライフライン、業務スーパーは普段生活のみならず学園祭の仕入れにもお役立ち
・なんで飛んで火に入る夏の虫のごとく、緑の看板には生活を求めて日々飛んで行ったよね
・ブレーカーを数部屋で共用する男子寮。ドライヤーひとつで数部屋を道連れにするスリル
・当然クーラーなんてないよね~、あんな貴族の嗜好品。夏の猛暑はアイスノンと扇風機で生き抜くサバイバル
・当然激セマ君ではあるのだが、寮費が光熱費込みで1万も行かなかった(5000円位だったか?
・貧乏学生をしていたので、食堂はあまり記憶にございませんねぇ
・バカ舌もあって味噌ラーメンとかはそんなに悪くなかったような
⇒そんな感じで、今や絶滅種の「昭和の貧乏学生」生活が送れる素敵な場所です。
◆勉学回り◆
・学生のほとんどは高専病に起因する英語ヨワヨワなんで許してあげてほしい
・というか高専教育が悪い。今は変わってきてるのかもしれないけど
・中学からの受験以降、受験とほぼ無縁で単位取得のサバイバルのみで生き延びた学生が多いイメージ
・なんで、興味範囲以外はいかに取りやすいか、いかに出席や提出物が少ないかが授業選択の最重要ファクターの学生がいたとかいないとか
・自分の居た系のみかもしれないが、大学で割り当てられるアカウントの個人領域のディレクトリに学生番号出来られていて、他からも見ることができた
・そこには過去の学年のレポートとかが眠っていた。なんで、そこから引っ張ってレポート提出する学生もいたとかいないとか
・だがまぁ、それは誰しもが考えるので、過去の有料レポートを提出すると中身同一レポートが教授のもとに集まり、諸共無言で最低点の裁きを受ける
・院試は自分の苗字名前をケアレスミス無く書ければ徹程度の難易度
・先生はダイバーシティの極みの極み、二重の極みで、まともな人、あきらめ系、変人などなんでもござれだった気がする。
・他と比較できてないからわからんけど変人の比率は高かった、と思う
⇒背景、状況から「普通ではない」ふいんき(なぜか変換できない)が醸成されていたのは事実かなぁ
◆サークルとか◆
・そんなわけで、高専からの入学がほとんどの技科大サークルはちょっと関係が難しい
・具体的には3年生新入部員と2年生の先輩部員という時空のひずみ
・とはいえ、3年生新入部員と3年生先輩部員も発生しうることから大概は学年で先輩後輩関係は形作られる
・ただし、そこにさらに時空の法則を破る留年先輩が出てくるがそうなるともう、年齢で判断することになる。
・そもそも、サークル活動的なのはあまり活発ではなかったイメージ
・ほぼ男子校の技科大生のあこがれ「愛知大学」との連携で女子とのキャッキャウフフを夢見る生徒も多かったとか少なかったとか
・あ、そうそう。サークルだけではなくて愛知大学と連携していて、確か愛知大学の図書館も使えたはず
・数式をおかずにして飯を食えと言わんばかりの糞高い技術書しかない技科大の図書館に比べて、文学教養の良書がタダで借りられる裏技があるんですよ!
⇒陽キャは居たにはいたけど、レア種でしたね。居ても、フェードアウトするとか。3年の夏休み前にパチプロになると聞いて以来、音信不通の彼はパチプロマガジンとかに出ているのかな。出ているといいな。
なんだろう、ぱっと思った限りこんな感じ。
うーん、まぁ学生生活にはちょうどいい閉塞感で、自分としてはこの環境を楽しませてもらいました。
なんか思い出して行きたくなるくらいには。
ヒト説
・フレンズはフレンズ化する前の記憶を持っていることがある かばんちゃんは記憶を持っていない
・帽子についている羽根は入場パスのような特別な役割を持っている 入場パスを持っているのはヒトである証拠
・フレンズは1種族に1個体いるので、今になって突然ヒトのフレンズが現れるとは考えにくい
・サーバルが崖から落ちても平気なように、フレンズは物理的損傷に強いと考えられる。 かばんちゃんは怪我や死を恐れているのでフレンズではない
・フレンズに捕食という概念が無い一方、かばんちゃんは「食べないで下さい!」「食べるなら僕を!」など明らかに捕食の概念を持っている
・ツチノコの「あいつまだ絶滅していなかったのか」という発言。フレンズには絶滅種も存在するので、ヒトという種族に対して「まだ絶滅していなかったのか」と言っていることになる。
・ラッキービーストがかばんちゃんのみに反応している かばんちゃんがヒトのフレンズだとしたら、他のフレンズと対等に扱うのではないか
ヒトのフレンズ説
・ジャパリまんと水以外の食べ物を食べている描写がない かばんちゃんは恐らく少なくとも2週間以上は冒険をしているが、生身のヒトが同じものを2週間以上食べ続けて飽きないわけがないし、栄養もかなり偏る
・フレンズは物理的衝撃を受けるとサンドスターみたいなものが体から出る かばんちゃんは1話の崖から降りる所などで体からサンドスターが出ている
こうして見るとヒト説のほうが強い気がする
他に何かある?