はてなキーワード: 投稿サイトとは
だから小説やアニメは基本見なくてマンガとゲームを趣味にしてる私でも見ることが増えた
なろう系って転生する以外にネトゲのRPG風な設定というのが基本だからゲーム好きな自分としてはけっこう楽しめる
だけど、問題があって、ちゃんとした完結が来るのか(見れるのか)がわからない
自分が読むのはマンガであって原作の小説はあんまり手を出す気が起きない
お金もらって出版社でだしてるんじゃなくてあくまでフリーの投稿サイトにある趣味の範囲の創作物なんだ
そこで思ったのがノベルゲー
ゲームって基本発売時にはストーリーは完結していて、連載ものみたいに待つ必要がない
それに周りの意見でフラフラすることもなく最初に決められた流れでいい感じに終わってることが多い、と思う
個人的にはノベルゲーって、キャライラスト・背景・ボイス・BGM・映像・演出・ユーザが操作可能といろいろな点で通常のノベルやマンガやアニメよりも優れてると思う
動き的にアニメがいいって人もいるけど、個人的には自分のペースで見れるほうが嬉しい
あくまでストーリーの感じがなろう系なものであって、実際になろうにある作品がノベルゲー化したものは逆にダメ
完結してない中途半端で、ラノベをアニメ化したものをゲームにした中途半端なクオリティの予感しかしないのでオリジナルなタイトルがいい
基準としては
・主人公は現実世界の知識があって現実離れした世界に行ってそっちの世界が舞台になること
転生でも転移でもどっちでもいい
・異世界に馴染むシーンから始まって、見る側が面倒なファンタジー世界の設定を一気に理解する手間がないこと
個人的に完全ファンタジー世界のマンガはあんまり読まなくてその理由が設定理解するのが疲れるからだったりするのでそこが楽なのがなろう系の1つの良いところだと思ってる
まあ正直このサイト自体は、無断転載と著作権侵害の巣窟だし、勝手に広告ポップアップするしで全然褒められたサイトじゃないんだが、
タグの取り扱いに関してだけは本気で感動したので紹介したい。
他のサイト(ニコ動とかpixivとか)もこういう仕組みになってくれないかなあ。
本当に無制限ってことはないだろうが、見かけ上の上限は無い。少なくとも50個くらいは付けられる。
キャラ名や作品名、シチュや場所を表す言葉から、キャラの人数、ポーズ、付けている装飾品の隅々までほとんどタグ化されている。
pixivなんかでよくある「好みの絵を探したいけど俺の好みはタグで表されない!」的な現象はほとんどあり得ない。
作者名や作品名やキャラ名には「Artist:」「Copyright:」「Character:」といった専用の属性をタグに付与することができ、これが付いているとタグの色が変わり、他のタグよりも上に表示されるようになる。
属性間の並び順も決まっているので、画像を開いてすぐに情報を視認しやすい。
特筆すべきは、「白い背景」「高解像度」のような「媒体」属性、「タグ希望」「重複可能性あり」「翻訳希望」のような「メタ」属性。
海外サイトなので全てのタグは英語なのだが、タグ編集画面を開くと、そのタグに対応する日本語を登録することができる。
そうすると、日本語環境で閲覧する利用者全員に対して、そのタグが日本語で表示されるようになる。
表記ゆれなどで、ほとんど同じ意味なのに異なるタグというものがどうしても発生してしまう。
たとえば、「miku_hatsune」と「hatsune_miku」など。
そんな時は、「miku_hatsune」をエイリアスに登録して「hatsune_miku」に関連付ければ、「miku_hatsune」は全て「hatsune_miku」であるものとして扱われるようになる。
これは両者のタグが完全に同じ意味だった時の場合だが、あるいは片方のタグがもう片方を完全に含んでいるという場合も考えられる。
「hatsune_miku」と「hatsune_miku_(append)」などがそれにあたる。
この場合は「hatsune_miku_(append)」をインプリケーションに登録して「hatsune_miku」に関連付ける。
そうすると、「hatsune_miku」を検索した際に「hatsune_miku_(append)」しかついていないような画像も一緒に表示されるようになるわけだ。
検索結果にしても、画像のページにしても、タグが表示されるような場面では必ずそのタグの横に「(そのタグのついた画像の総数)」が表示される。
これは意外と便利である。そのタグがどれだけ市民権を得ているか知っておけば検索もしやすい。
どの機能をとっても、「タグ検索で認識の齟齬が起こらない」ことが徹底的に追及されている。
いや、読者側の反応なのはわかっているよ
なんというか、どんな表現や作品でも嫌悪感を持つ人が一定数いるんだよ
本当に好きなものを好き勝手描いて多くの人に好意的に見られるなんて一握りの天才だけで、その天才もアンチがいない訳じゃないんだし
運営の判断はそういう耐性のない人の線引きだと思うので、それに納得できないなら他を探すか自前で場所を用意するかしかないんじゃないかな
表現の自由って言っても受け入れ難きはなかなか受け入れて貰えないよ。残念ながら
恐らくあなたは投稿サイトのルールに則って作品を投稿していたんだと私は思う(グロ規制の不満の比較としてあげられている過激なエロ表現が年齢指定なしの投稿で野放しの可能性はかなり低いだろう)
この長さの怪文書を投稿することにためらいはあるけれども。
偶には、言いたい事を思い切り言ってもいいかなと思う。
まず自分のことを書くと、稀にしか更新しない覚え書きのようなブログをやっている。あと好きな文章を書く人は結構な頻度でチェックしているくらい。
自分も新参だけれど、新しいタイプのブロガーの人が使う、押しが強めの手法がじゃっかん苦手である。
新規にブログを始めた際、こちらのブログは全く読まずに(本人には割と分かるものです)、宣伝のためにスターを付けてくる人が一定数いる。まあ当然、興味を持たれる文章を書けないこちらに非があるわけですが、「貴方のことは気にならないけど私の書いた文章はぜひ読んでくれ」と受け取ることもできる。
露出を求めて「記事お題」を引用し、全く関係のないことを書く人も多い。例えば「雨の日グッズ」というお題を引用しておいて、いつもの調子で日記を書く。露出したいのは分かるけれども、そのばあい読者が読みたいのは傘や長靴の話であって、職場の愚痴とか趣味の紹介とかではない。
あと、リクルートの適職診断、またはリクナビNEXTのグッドポイント診断を薦めるエントリ。MIIDASの適正年収診断、dTVの紹介。日常会話みたいな感じでお勧めされるんだけれど、あれは紹介料が入るからやっているのだそうで。道理で数が多いと思った。…あれはステマにはあたらないのだろうか。「PR記事」とかの表記がない分、「選挙前にさりげなく電話をかけてくる友達」みたいな感じがして、個人的には警戒してしまう。
CGMは、そのコンテンツの持つ価値の判断が難しい、とは思う。それは人によって違うし、ネットでの人気には「親しみ」も大きな要素である。
ただ分かりやすい基準として、例えば、寄稿や出版の話が来る人にはそれだけの実力と、その人固有のブランドがあるわけで。
なので余計に、「とりあえず100記事書きましょう」「SEOを勉強しましょう」「PVを稼ぎましょう」と、クリックしてもらうことに血道を上げる風潮がどうもよくわからない。読み手に客観的な価値を提供できているのかな?と、不安になることはないんだろうか、と。(言うまでもないことだけど、価値がある/ない、という話ではない。「価値のものさしはどこにあるのか」という話)
はてなの人なら、自分なんかよりよほど熟知されていることと思うけれど。執筆され、編集の手が入り、校正されてデータが印刷所に渡り、取次を経て本屋に巡ってきたり電子書籍になる、それだけの手がかかった、色々な「出版物」は本当に凄いなと思う。
個人がもっている「有益な情報」には限界がある。取材して一次情報にあたるプロに、正確性や量で比肩するのは正直、むずかしいのではないだろうか。
比肩しなくてもいいけれど、そこから発生する「収益」は最大限にしたい、というなら、それはインターネットが役に立たなくなるわけだと思う。
媒体が紙でもネットでも同じことで、例えばキッコーマンのサイトを見ると、料理の基本から旬の料理から詳しく載っている。歯の健康について知りたいときは、クリニカ辺りのサイトが役に立つ。商品の紹介記事にしろエッセイにしろ、企業がやっている媒体に掲載されている文章をみると、何歳ぐらいのどんな経歴の人が書いているんだろうと思う。
コードや料理が商品になるように、文章もまた商品として存在することは確かだ。ただ、コードを個人がお金にするにはそれなりの手順が必要だと思うけれど、文章はなぜか、個人がネットに上げるだけでも「儲かる」。
他にも、ネットにアップするだけで儲かるものは色々あるけれど、合法かつ元手がかからず、特に技術の習得をしなくてもできる「稼ぎ方」として、「文章を書く」というのは確かに適しているのだろうとは思う。
ここまでを踏まえて。「商業のクオリティや情報量には敵わないが(※ケースバイケース)、読んだ人に満足を与えるような文章を書き、お小遣い程度の利益を得られる、Win-Winの取引(読者が読む時間によって「収益」を発生させるなら取引みたいなものではと思う)」を考えてみる。(ものすごく飛躍しているような気がするけど気にせず進めます)
商業ではなく、市井の個人が書くことに意味がある文章とは何か。
それは、「その人にしか書けない文章を書く」ということではないだろうか。
別に、個人情報を晒せということではない。出身地や職業、家族構成は確かに、その人を知る大事な情報だけれど、同じような属性を持った人が世の中にはごまんといる。
「他者から客観的に見た自分」と、「自分の演出したいキャラクター」には、往々にして懸隔がある場合が多いと思う。シニカルに渋く決めているかと思えば、愚痴や悪口を書いてしまったり。写真にお洒落な加工をしていても、背景がどうも決まっていなかったり。「本当の自分らしさ」は、他者からの反応や自省によって得られるもので、見たくもない自分を見せられることも多いし、自分の評価されたい項目と他者から評価される項目が違ったりもする。
それでも。「自分の良いところ、推せるところ」を見つけて、「それによって他の人を満足させ、楽しませる」ことが、「個人としてメディアをやること」の強みなのではと思う。
その人にしか言えない言葉、できない話。培ってきた価値観、文章のテンポや言い回し。自分なりの軸による知見や考察。人によってはイラストや作品。例えブログ名や使っているテーマを変えても、文章ならば増田に書いても、「ああ、あの人だ」と分かってもらえるかどうか。
「その人にしか書けないブログ」こそが、個人ブログの存在意義なんじゃないだろうか、と。
「商業に出来なくて個人ブログならできること」は多くある。言及合戦、ボールの打ち合いもそうだし、商業の連載や肩書を背負ったブログと違って、思ったことを好きなように、題材も自由に書ける。
日記を見ると、今日したこと、最近興味のあること、生活や感情の移り変わりを感じることができる。例えば料理や写真のブログであっても、書いている人のキャラクターが違えば、受ける印象は全く違う。
「その人らしさ」が感じられるなら、面白くないブログなんてひとつもない。どんな個性でも、ネットに上げれば一人くらい、それを楽しんで、好きになってくれる人がいる。それがCGMの良いところで、インターネットが普及した利点であると思う。
さらに言えば。有名ブロガーの人たちを見ていると、やっぱり「読者を楽しませること」にとても力を入れているなと感じる。
スタイルは人によって様々だけれど、重い段落がつづくとその人のやり方で空きを入れたり、ボケてみる。自分の愛されている分野以外のことはあまり書かない。反応がよかったらまた掘り下げる。とか。(まあ、こうやって分析されるのも嬉しくないのかもしれないけれども。)
当たり前に、お互いがWinWinになっている関係で。それは愛されるよなあ、と感心したりする。
「互助会」という言葉について書くにあたり、ブログをやっている人を便宜的にタイプに分けます。
A)古参。はてダ時代からやっているような人。総じて文章が上手い。更新頻度は低め。交流はあまりしない。
B)新参。好きなことを書いてあわよくば若干の収入を得たい感じ。更新頻度が高い。交流が好き。
C)アフィリエイター。以下のようなタイプがあるように見える。
・ガチのアフィの人。それなりの戦略があるタイプ。「かわいい猫画像!」とか「速報・芸能ニュース」とかそういうやつ。よくダッシュボードの右に載っている。他にも色々やっていると思われる。
・何を考えているのかよく分からないタイプ。ほぼ中身のない記事にひたすら広告を貼る。偏狭そうな人が多い。
・「ブロガーとして」明確に互助を目指し、ブクマ不正している、らしい。偶に増田で告発されているけど割とスルーされている印象(興味がないのでよく知らない)。
よく見かける「互助会」という言葉は、B)に向けて使われる。「お互いのブクマコメントでブクマ数を稼いでいるんだろう!」というやつ。
でも、実際のところ。「当たり障りのない敬語のコメント」は、「相手に好意をもっていて話しかけたいから」「交流が楽しくて」やっているのだと思う。
その証拠に、「スター・ブクマ・フォローしたけど返してくれなかった!PVが伸びない!」なんて愚痴を書いている人は誰もいない。(このクラスタは素直な人が多いので、そういう気持ちがあったらたぶん正直にそういう記事が書かれ、誰かの目に留まるのではないかと思う)
「ブクマしてほしい」という気持ちももちろん多分にあるだろうけれど、自分がリアクションするにあたっては、利益を期待してやっているんじゃない、と思う。
嘘だと思ったらそのへんの、自分が「互助会」と呼んでいるブロガーに聞いてみたらいい。相手に言葉をなげかけるのが楽しいから。相手のことが好きだから。たぶん、思うより多くの人が、そう答えるのではないだろうか。
そうはいっても、はてブ的には馴れ合いコメントは確かに鬱陶しいだろうと思う。では、コメント欄を使えば解決する話ではないのか、とも。
そう考える人はもちろんブログを書いている側にもいて、読者に向けて「ブクマでなくコメントで交流しませんか」という提案をするブロガーもいる。読者が何百人レベルになってくると、はてブ側に気を遣ってのことだと思われる。
Twitterとの連動など、利点はあるようだれど。言葉をかけたいだけなら、ブロガー本人が「互助会」と叩かれるリスクをとる必要もないのではないか。コメント欄をもっと気軽に使っても良いように思う。
もうひとつ。別にお互いに便宜を図っているわけでもないのに、「互助会」と呼ばれるのは何だかおかしい気がする。「交流会」「ひつじ会」とかのほうが実態を表しているのではないだろうか。(「ひよこ会」とかでもいい。何かかわいい名前がいい)
で、じゃあ「スター・ブクマ・フォローで利益を得ることを目的とした行為」はないのか!というと、うんざりするほどある。
C)のアフィリエイター系。これが本当にしつこい。見るからに書いていて楽しくなさそうな、NAVERまとめ的なブログからのリアクションがそこそこの頻度で来る。凄かったのは、同じ記事に2度3度つけてくる人。無言でそれをやられても、ただ気味が悪いだけで、何かを返したいとは思えないのだけれど。
相手の人格や思いを無視して、金銭のためにブクマをつけて何が楽しいのか、と。他人の顔が札束にしか見えていないような、うわべだけの文章を読みたいとは個人的には思わない。まして広告をクリックなんてしない。
これは自分に矛先が向くことを恐れているとか、好きな人を擁護したいとかでもなく、単純にクラスタの分類として。交流勢よりも、こういった「機械的な無言のリアクションによって、露出や返報を期待する」アフィリエイター勢のほうが、真に「互助会」と呼ばれるに相応しいのではと思うのだけど、どうだろうか。
ネット上で、文章で稼ぎたいのは勿論、悪いことではない。でも、個人的に読みたいのは、誰でも書ける情報のまとめとかではない。
アフィリエイトをやっている人であれば、どうしてそれを始めたかとか。情報収集はどうやってしているかとか。ライバルはいるかとか、作業するときにかけている音楽とか。その人にしか言えない言葉、面白い話。そういう文章が読んでみたい。
とはいえど。面白かったり為になる文章が無料で読みたい、というのもある意味、何というか難しい話だとは思う。
医学辞典なんて手元にないからネットでいいや、とか。先述のように、企業が宣伝のために作成しているページを利用する、とか。「ネット」と書いたけれど内訳は、キュレーションサイト・個人がアフィ目的で作ったサイト・質問投稿サイト・個人ブログのどれかが引っかかることが多いのではないだろうか。
それが確実な情報源でないことは、もちろん周知の事実である。それでも取り敢えず適当な情報がほしくて検索する人がいるから、それにあわせて少ない労力で情報を供給し、利益を得ようという流れが自然に出てくる。
「分かりやすく出所の確実な情報」ならば、上述のように、出版業界の商品に頼るのが却って近道ではないかと思うことが最近増えている。「集合知」は確かに無料だけれども、「文章」にクオリティを求めるならば、書籍を買うか図書館に行けばいい。紙が面倒ならデータの形で入手すればいい。
商業としての出版を信頼しているから、例えば某警察官やめたブログで暴露されていたように、CGMのふりをして売名する商業があるとしたら個人的には少し悲しい。プロとして作り上げたもの、プロモーションされたものに、正当な敬意を払いたい。
…ここまで書いてきて心配になったのだけれど、出版業界の回し者ではなく、ごく普通の読書好きのオタクが書いています。信じて欲しい、としか言えないけれども。
逆に言えば、ネットで、商業ではなく個人が発信するとき、それは受け取る側となんら変わらない、「普通の人」なわけで。文章を発信する側は全ての責任とリスクを負うべきで、受信側は何を言っても良い、ノーリスクハイリターンな立場である、とは自分には思えない。
ネットを使っている人であれば誰でも、ある程度の文章は書けると思う。たまには「発信側」になってみるのも、悪くはないんじゃないかと思ったりする。
同じ人間が一人としていないならば、誰にでも、「その人にしか書けない文章」があるはずで。私はそれが読みたい。
色々書いてきたけれども、これが正しい見方であるとは自分で思っていない。誤りや偏りの指摘も含めて、議論の一助になればと思う。
国内で発行された漫画や書籍、雑誌を著者や出版社の許可を得ずに無料公開する
インターネットの投稿サイトが5月初旬まで開設されていたことが8日、分かった。
現在は閉鎖されているが、無断公開された作品は数万点を超えるとみられる。
著作権法に違反する可能性が高く、大手出版社は警視庁に相談するとともに、近く実態を公表して被害を訴える方針だ。
サイトには「新着タイトル」「一般コミック・同人」「雑誌」などのカテゴリーごとに
投稿された書籍の表紙が表示されていた。表紙の1つを選ぶと投稿日や発売日、ページ数、投稿者名とともに閲覧ボタンが示され、クリックすれば作品のカラー画像が閲覧できる仕組みだった。
無断で公開されたとみられる作品は今年3月時点で計3万5000点に上った。
ただ5月3日にサイトは閉鎖され、現在は閲覧できない状態になっている。
サイトに大量のデータを送り付けるサイバー攻撃を受けた可能性があるという。
サイトには「著作権違反ファイルのアップロードをしないでください」などの注意事項が記載されていたが、
知的財産の取り扱い方針と削除要請の受付フォームもあったが、運営会社名や所在地、連絡先の記載はなかった。
被害を把握した大手出版社などはこれまでサイト側に作品の削除を複数回にわたって要請していた。
しかし削除されても再び掲載されるといった事態が続き、一部の出版社は警視庁に相談していた。
文化庁著作権課によると、著作物を著作権者の許可なくネットに公開し、
BazzFeedが「この火が消えないうちに」pixivが「マストドン」にいち早く企業として参入したわけなんて記事を出していたけど、PixivがやりたかったのはただTwitterのパイを奪うことだ。
そもそもPixivは以前から、TwitterやLINEなどの短文投稿型SNSを真似た機能を追加している。6年ほど前に追加された「ひとこと投稿」、ほとんど使われていない死に機能になっているけれど、文字数は140文字、Twitterと同じだ。Twitterを意識したものであることは想像に難くない。
コメント欄で利用できるスタンプ、あれもLINEスタンプからだろう。こちらはそれなりに利用されているようである。
これらをパクリ云々する気はない。機能の模倣はある程度どんなプロダクトにもあることだし、明確に何かの権利を侵害しているとは言い難いだろう。
ただ、PixivはTwitterのような短文投稿型SNSに近づけるための工夫を以前から行っていて、それはこれまでのところあまり上手くいっていなかった。
なぜPixivがTwitterのパイを狙うのか。それはPixivが以前、Twitterにパイを奪われたからだ。
日本でTwitterが流行する前、画像投稿型SNSの最大手はPixivだった。ふたばなどの匿名型サイトや弱小投稿サイトもあったが、Pixivにとっては特に気にするほどの勢力ではなかった。
絵師はこぞってPixivに投稿し、Pixivのuser数がステータスであった。
ところが、絵師がTwitterを日常的に利用するようになって、様子が変わった。
Twitterは流動性の高いメディアで、検索機能は弱いし、まして画像をTwitterで検索するのは非常に難しい。だから、画像のデータベースとしての機能は確実にPixivの方が強い。
一方で、リアルタイム性という点では、圧倒的にTwitterが強い。そして二次絵はTwitterでは非常に拡散しやすいコンテンツである(ある程度の質があれば、だが)。あっという間に数百数千のRTが貰える。投稿してすぐにフォロワーのファンから感想が来る。絵師にとってこれほど嬉しいことはないだろう。
その結果、絵師が描き上げた絵を真っ先に投稿するのはTwitterになり、PixivはTwitterに投稿された絵の単なる集積場と化してきてしまった。
もちろん、全部が全部そうではない。しかし、Twitterは確実にPixivの競合となり、Pixivがかつての力を取り戻すには、Twitterと同じようなリアルタイム性を手に入れなければならなかった。
そして、それは失敗した。これまでのところは。
そこに現れたのがmastodonだ。mastodonはTwitterによく似たインターフェイスで、Twitterユーザーが移行するハードルは低かった。また、Twitter社の業績不振などのニュースによる不安も、mastodonブームを後押しした。
さらに、mastodonはオープンソースソフトウェアであった。サーバー運営のノウハウと十分なインフラがあれば、即座に立ち上げが可能であり、また、開発者がいればいくらでも改造可能であった。
初めは個人の立ち上げたmstdn.jpにユーザーが集中したが、個人運営ではいずれ限界が訪れることは明白だ。こちらはこちらでさくらのインターネットなどが後押しをする体制になっているようではあるが、現状の運営権は個人の手にある。
Pixivが運営するインスタンスとなれば、データ全消しなどが発生する可能性は低いだろう。そうしてオタク系ツイッタラーは大勢pawooにアカウント登録した。
pawooが二次児ポで国交断絶されたというニュースも、ユーザー数増加に拍車をかけた。つまり登録すれば海外からシャットアウトされるレベルのエロが見れるのだから。
こうしてpawooは十分なユーザーを手に入れた。Pixivはあれほど欲しかった「画像投稿型リアルタイムSNS」の雛形を棚ぼたで手に入れたのだ。
こう考えると、pawooの国交断絶は実は大した問題でないことが分かる。Pixivが欲しかったのは、自由でオープンな世界中と繋がるSNS基盤なんかではない。ユーザー数が十分にあって好きに改造できる二次画像を中心にしたSNSだ。
だからむしろ、うるさいことを言ってくるくらいなら国交断絶くらい構わない。pawooの中で盛り上がればいいのだ。もちろん、新規のユーザーを獲得するためにも、その盛り上がりは多少は外から見えた方がいいけれど。
だからpawooが今本当にやりたいことは国交正常化ではない。Pixivとの連携を強化する機能の追加、より多くのユーザーを内部に囲い込むための仕組み作りだ。
もちろん、企業というものはそういうものだ。全く利益を出さないものに投資をするわけがない。それ自体はそんなに悪いことでもない。
だが、Pixivが今回これだけ即座に動いたのは、以前からリアルタイムSNSの計画があったからであって、使命感などではないのだ。
http://anond.hatelabo.jp/20170131142756
より続きます。
そうなんだよ。少なくとも顔だけは実写でなければダメ。二次元に萌える人(主にエロゲとか)にはその人なりの理屈がたぶんあると思うけど、自分には全然ピンとこない。顔はアニメキャラで身体だけ、あるいは局部だけが妙に人間ぽくて生々しいやつとかもあるけど、性的に感じる部分が自分と反転してるのかなって考えると、あれが好きな人の気持ちもわかる。
イラストはNG。確かにリアルな絵という意味では実写に近いのかもしれないけど、ビックコミックもぴあも、イラストレーターのタッチが割とハッキリしているから、その時点で対象外になってしまう。それと、ブコメ欄で誰も挙げていなかったのがちょっと意外だったんだけど、最近の主戦場のひとつとして、LINEの実写スタンプがある。その中にはリアル系のイラスト、もしくは、実写の写真をイラスト風に加工したものがあって、それはけっこう燃料として重宝している。最近は規制が緩和されたらしいけど、以前はスタンプに使う人物の頭身をキャラっぽくしないと配信するための審査が通らなかったとかで、それであんなに気持ち悪い実写、実写まがいのスタンプが作られるようになったらしい。また、韓国ではKakaotalk、インドネシアではWeChatといったように、各国でメジャーなLINE以外のトークアプリでも実写で顔デカスタンプ(海外ではSticker=ステッカー、Emoticon=絵文字という言い方がポピュラー)が作られ続けていて、いろいろな手段でそれを入手しては有効に?活用させていただいている。特に韓国は日本以上にアイドル大国なので、むしろ実写スタンプは韓国のほうが盛んで、名作もそこそこある。ただ、男性アイドルのスタンプも多く、画像検索する際にノイズを排除するのが面倒で面倒で仕方ない。
https://pbs.twimg.com/media/BxOHtdQIcAE4qpX.png:large
全然ダメ。観月ありさが実写版サザエさんをやったときのポスターで顔だけ実写になったものがあったと思うけど、あれがギリギリでストライクゾーン入り。ところで「ちびまる子ちゃん」って中国ですごい人気があるんだけど、中国で作られたちびまる子関係のCMでマンガの頭身をそのまま実写でやっちゃった狂ったCMがあって、あれもなかなかよかった。お母さんがもっと美人なら言うことなかったが、これは元のキャラがああなんだから諦めるほかない。
http://i.imgur.com/DP51nCz.png
湯婆婆とかでいける?
ちっともいけません。大事なことなので何度も言うが、美女は絶対条件である。湯婆婆も体型的にはアリだが顔面的にNG。でも、湯婆婆の声の主である夏木マリがあの頭身で現れたならちょっと考えるところではある。あぁ、俺って熟女もけっこうイケるクチだったとは・・・。
熟女といえば、高橋恵子だ。「段先生の奥さん」で調べてみたら『栞と紙魚子』というマンガが出てきたのだが、『栞と紙魚子の怪奇事件簿』のタイトルで実写ドラマ化されているではないか! 二次元ではダメだが実写だとアリの原則がここでも適用される。しかも、高橋恵子がこのキャラクターを演じているとは! この人も昔は美しく、今もなお美しい立派な熟女だ。ネットで見つけた写真を見る限り、これはかなり期待できそう。身体の処理がどうなっているのかによってまた印象は変わってくるだろうが、まずはDVDを入手してチェックしてみたい。深夜枠だったせいかまったくノーマークだった。教えてくれた人、ありがとうございます。
永井豪先生は『デビルマン』で美樹ちゃんを生首にしたり、『バイオレンスジャック』で人犬にしたり、実はこっち側の人間なんじゃないかって密かに思ってました。せっかく『デビルマン』で美樹ちゃん生首を忠実に実写化したんだから(地上波の深夜にテレビ放映した時、そのシーンがカットされてて怒り狂ったことがある)、サイコジェニーも実写にすべきだった。せっかくシレーヌに冨永愛を使ってたんだから、サイコジェニーもその気になればかなり気味悪いのができたはずなのに、惜しい。
http://i.imgur.com/xgbyR5R.png
これも顔が怖いんでムリ。
いそべいそべえの作者の新作とかオススメ
だんだんわかってそうなコメントが増えてまいりました。詳しい経緯は割愛させていただくが、そのマンガ、タイトルを調べて入手し、さっそく読ませていただいた。これは良い。マンガなのが本当に惜しまれる。読みながら試しに有村架純ちゃんで脳内実写化してみたところ、一度は滝クリで疲れ果てた身体がたちまち蘇り、大きな発電効果があった。このエネルギーは一体どこから来たのであろうか。これぞ人類の神秘。ドラマでも映画でもいいので、原作に忠実な実写化を熱望する。かわいければ架純ちゃんじゃなくてもいいから。読んでいてる最中、やっぱり男性キャラはかなり邪魔っけだった。逆に、女性キャラはモブであっても目が勝手に拾う。ええい、もっとかわいい女子を出さぬか。
ゆうきりん『ヴァルキュリアの機甲』(電撃文庫)オヌヌメ。首輪をつけた巨大美少女たちとキャッキャうふふ、美少女動物園ですよ!(やめろ 何と、妊娠出産も! 最後楽園へとたどり着く展開は必見(だからやめろよ
自分の場合ビジュアルがすべてなので、読んでみないとわからんが、ラノベはたぶんNGかも。ただ、前述した画像投稿サイトにはテキストのみの投稿機能もあって、自分の妄想小説をひたすら書き続けるアカウントはいろいろ見かけてはいる(英語圏限定。ちなみに、自作のコラ画像と妄想小説をセットにしてアップする気合いの入った人もいる)。読めばもしかしたら英語の勉強になるのかもしれない。
村上龍は女の足が好き過ぎる自分が変態じゃないかと不安だったが、谷崎を読んで安心したらしいので、同好のために小説を書いてみてはどうだろう。
むしろ自分で書けというご意見も。自分自身はそうでもないけど、文字列によって救われる人だって当然いるはずだとは思う。ただ、ネットに公開されてるこの手のフェティッシュSSはどれもこれも幼稚な自己満足ばかりで、読んでて痛々しさしか感じないので、あまりそこに魅力は感じていなかったりする。細かい嗜好が一致しなくて余計にいらだつ、なんてこともあるかもしれない。それこそ妄想でしかないが、なにかやるんならやっぱりビジュアルにこだわりたい。映画やドラマは難しいだろう。でも、「顔デカ美女写真集」をプロデュースくらいなら、どうすかね。これくらいならやれますかね。
「勃起が止まらなくなる」まではないけど、アニメイトのエレベーターに乗ると女性声優の顔がデカデカ写ったPOPが壁面に貼られてて正直ちょっと興奮するので気持ちは分かる
女性声優はいまやアイドルと同義。実力はともかくかわいい子がずいぶん増えたし、現役のアイドルと同じくらいの割合でこちらに訴えかけてくる広告やCDジャケットを作ってきそうな気はする。残念ながらアニメにそれほど興味がないのでこの方面はあまり拾えていないが。ところでそのPOPってどこのアニメイトなんでしょうか。
その3へ続くが、
1日の投稿制限に引っかかって、今日はもうこれ以上ムリなようです。すみません。
http://anond.hatelabo.jp/20170125015317
の追記です。元増田が張り切って書いた結果、かなり長くなってしまったので、別記事にしました。
おまけに一度登録しようとしたら、増田の文字数制限にひっかかりました。どんだけ書きすぎてしまったのか。
もうみんな忘れちゃったかもしれないけど、もしよかったら読んでやってください。
自分で動画のアドレスを貼るのはなんか必死過ぎてきめぇなと思ったので、きっと誰かが貼ってくれることを期待してわざと載せなかった。ま、どっちみちキモいことに変わりないんだけど。貼ってくれた人ありがとう。
端的に質問をポンポンと投げてくれた方がいたので、最初にこれから答えてみる。
③自分で顔の部分を拡大するんじゃだめなの?
④フェラされるの好き?
(註:番号を振って改行を入れさせていただきました)
答:①するよ。めっちゃする。②別にそういうわけではない。が、本当に2~4等身の美女がいたら別。現実ではありえないが。③どうもダメみたい。④⑤関係ないんで省略
端的に答えるとこういうことになります。オナニーします。キモいと思った方はそこでお帰りいただいて、本題へと入らせていただきます。
巨大女(Giantess)フェチはこれは日本でも海外でもけっこうな数がいて、割合メジャーな趣味だと思う。だがこれにはまったく興味がない。この道ですごいやつだと映像作家や映画監督になって、最新のCG技術を駆使して欲望を満たす奴もいる。大変うらやましい。『進撃の巨人』のタイトルを挙げている人も数人いたが、あれは絶対NG。第一、顔が怖い。こちらは美女が好きなんだから、顔が怖ければその時点で即対象外である。ちなみに、巨大女フェチが同時に抱えている率の高いものに、女の足の裏(feet)フェチってのもある。海外の画像投稿サイトには、女の足を生首とセットでお皿に乗っけるコラ画像を作りまくるキチガイもいる。ここで新たな恥ずかしい情報解禁。足の裏はそれほどでもないが、美女の生首はけっこう好きだ。
http://rejl.deviantart.com/art/Her-Useful-Members-404448733
ただ、生首フェチにもいろいろあって、この画像のようにドクドクと血を流し、切断面も容赦なく見たがるリアル志向の人と、自分のように完全なファンタジー志向の人に大別される。個人的な好みで言えば、生首になろうとも生きていなければいけないし、血を流すなんてとんでもない。切断面もなるべくツルツルが望ましい。リアル志向の人は、あんまりこじらせると殺人に走る可能性もあるが、その点自分は心配はいらない。絶対にリアル世界では再現不可能だから、妄想と現実のスイッチの切り替えは割合簡単なのである。
ブコメのリンクからCM映像見た。私はそういう性癖はないけどなんとなく艶めかしい感じがした。顔だけがデカイのがいいと言うよりは「顔と身体が分離してる感」に興奮しているのではないかと思った。
そうもしれない。この手の性癖に目覚めたきつまかけのひとつに「ろくろ首」があるが、それこそ、顔と身体が分離する妖怪だった(言い伝えによっては、首が伸びず、頭部だけが宙に浮くタイプのろくろ首もいるらしい)。
http://i.imgur.com/QlwWfr0.jpg
ここでろくろ首を演じた三輪明日美はそれほど美人だとは思わないが(姉の三輪ひとみの方が美人なのに)、神木隆之介の顔をベロベロと舐めるこのシーンには感じるものがあった。
特殊な性癖というと、俺はガキの頃よく人体切断マジックを見て勃起してた。もしかすると俺はヤバい性格なのではないかと、小指の爪先の先くらい悩んだこともないでもないでもないが、とくに自傷も他傷も脱童貞もせず
自分も昔、人体切断マジックには興奮させられた記憶がある。要するに、美女の身体が真っ二つになっても生きているのが良いってことらしい。美女の首を回し続けると、胴体が搾ったぞうきんみたいにギチギチになってしまうマジックもあって、そちらのほうがより興奮度が高かった。巨大女と同じくこれも割とメジャーな性癖で、海外でも日本でも、美女に酷いことをするマジック動画をひたすらリスト化し続けるアカウントはいくつもある。手術台フェチとか、そういった方面へ発展する可能性もある性癖だと思う。これは動画サイトをいろいろ回って実感したことだが、人によって性癖がキッチリと分かれているということはなくて、昔、数学の授業で習った「集合」の概念のように、互いの領域が少しずつ重なったり違ったりしていることがわかる。個人的に興味はないが、人体切断マジックも、巨大女や足の裏などと同じようにいつもニアミスしているネタではある。
キンタロー「呼んだ?」
呼んでない。あと、重要なので何度も言わせてもらうが、美女でないとダメ。キンタローや片桐はいりは俺の中では美女ではない。君たちの中ではキンタローや片桐はいりが美女だってことなのかい? ましてや石破茂なんてキモすぎてお話にならない。第一、野郎には年齢、容姿にかかわらず、まったく反応しない。どんな美少年であろうと、野郎の時点で即NG。そこでご覧いただくのは、NHKラジオの中高生向け番組の宣伝ポスターだ。ジャニーズの連中とオリラジの2人がメインだが、そいつらはただただ邪魔なだけだ。下にAKBメンバーが2人いる。これがいい。これが素晴らしい。いつまでも眺めていたい。もっと他の表情のパターンもあるのならぜひ見たい。
参考:らじらーポスター
http://i.imgur.com/EkcAgbB.jpg
http://i.imgur.com/RX5GXUI.jpg
ならば見せてやろう、というわけではないが、この2枚のポスターで、AKBの2人だけ表情が違っているのがおわかりだろうか? だからどうしたと言われても困る。俺にとっては貴重な燃料資源なのだ。AKBといえば、ぷっちょというグミのCMがキモいと評判になったことがあった。幼児たちの身体にAKBメンバーの顔を合成して、おゆうぎ大会をやっていた。
http://i.imgur.com/b7hmcYn.jpg
相対的な頭身の問題で、ミゼット(政治的に正しい表現では「小さな人」)と結婚すれば幸せになれるとか、そういう感じであろうか?
そうだったらまだ幸せになれたのかもしれないが、残念ながらギリギリNG。このCMにも最初はそれなりに興奮したが、すぐ飽きた。
世の中には色んな人がいるんだな。顔がすごく大きいのをコンプレックスに思っている女性と出会えるといいね。
顔がでかい女、俺は好きだけど単純にそれとは違うのか?福顔というか神々しさがあるように感じて好きなんだけど。カミさんがそうなんだ。
違う、だから違うんだ。CMの滝クリが目の前に現れれば話は別だが、そんなの生物学的にありえない。そのありえないところが好き、なのかもしれない。
http://i.imgur.com/g1UuLYO.jpg
これもちょっと違う。単に大きく顔が印刷されているだけならなんとも感じない。それにこの理屈だと街の巨大看板に印刷された美女を眺めただけでどうにかなってしまうことになる。もしかすると、そういう人もこの世には存在するのかもしれないが。さらに言うと、小保方晴子を美女だと思ったことはない。よって、俺の目の前に頭の巨大な小保方晴子が現れたとしても、きめぇなと思いながら無言でスルーすると思う。
そうなの?
これもちょっと違う。ただ、ストライクゾーンに飛んでくる広告を見つけた場合 話は別で、街を歩いている途中や電車の中などでどうにかなってしまったことは何度かある。恥ずかしながら。もちろんかわいい女の子、美女には等身にかかわらず人並みに反応する。イメージとしては、通常の大きさのストライクゾーンの中にもう1つ小さな枠があって、そこに直球やら変化球やらが飛び込んでくる感じ。
生きづらそう、、、、
この性癖ともだいぶ長い付き合いなので、すっかり悟ってしまった。なのでそれほど生きづらさは感じてない(景気の悪さとか、仕事のつらさとか、性癖と全然関係ない部分でだいぶ生きづらさは感じてるけど)。これまで何度となくこんな趣味卒業しようと思ったが、ムリだった。新しいネタを見つけると、どうしても飛びついてしまう。まだネットがなかった頃、スクラップ関係を一度すべて処分したこともあるが、業が深すぎて更生に失敗した。捨ててしまった広告の図版も、なんとなくだが脳内に記憶があって、今でも時々思い出すことがある。
その2へ続く
がアニオタの自分的には4巨塔だったが、それ以外にもアイアムアヒーローやHIGH&LOW、葛城事件、怒りなど様々な作品が目白押しだった。
しかし、「君の名は」に関する評価についてははっきり言って失望している。
ここまで見る目がなく、日本の一般大衆や海外の批評家、海外アニメファンと思考がこんなにも離れているとは思わなかった。
また、フランスの映画通に有名なカイエ・デュ・シネマが★5をつけたことなどを見ると海外の批評家筋はかなり高いクラスの評価をつけている。※カイエは千と千尋にすら★5ではなかったと思う。
その上でこれだけの高評価を叩き出しているのだ。
つまり作品の軸はきちんと他にあると明確に認識しているということになる。
台湾・タイ・香港・中国のユーザーレビュー投稿サイトでも超ハイクラスのレビュースコアを叩き出し
また、まだアメリカで公開されていないとは言えiMDBでは8.8という異常な点数である。(恐らく最終的には8程度になると思われるが。
また、作品を評価する際の下手くそさもコレだけ目立つとは思わなかった。
とんでもなく下手くそな比較論で敵を多数作り上げ、比較されたそれぞれの映画ファンの対立を誘発し映画界の盛り上がりを落とすような褒め方など
なるほどこれが日本の映画界が沈没する一つの要因なのだなと思い知らされた。
今のうちにこの習慣を改めないと海外とどんどん意識が乖離し、市場に捻れきった評論があふれることになる。
ナショナリズムで凝り固まった論評をする人が増え、近視眼的で客観的ではないレビューが増えることを危惧している。
そう、あの「ゲハ」のようにだ。
海外と日本の評論がずれる事による最大のデメリットが可視化したのがゲハなのだ。
私個人としてはとてもいい映画だと思うが、あれだけハイコンテキストな「シン・ゴジラ」を海外で受けると思っていた人は反省してもらいたい。
また、「この世界の片隅に」のような静謐さを備えた伝統的日本映画的なアニメーションもなかなか評価され難いだろう。
※japantimesは3/5の評価を下した。政治的な要素もマイナスに作用する可能性は十分に高い。もちろん一定程度の評価は私も受けるとは思っている。
個人的には、この世界の片隅により「聲の形」の方がまだ海外では評価されやすいと思っている。
公開されるのを待たねばならないが楽しみにしておこう。
さて、言いたいことはとりあえず言い終わった。
この先海外に売り込むアニメと日本で評価されるアニメに大きな違いが生まれる可能性すらありえる。
と言うか既になっている。
今のところ十分に楽しめているが、日本の評論家の発言を見ていると日本の映画市場が「ゲハ化」する可能性は十分高いと思っている。
引き続き見届けていきたい。
これ雰囲気づくりだよ。夜景の綺麗なレストランをデートの締めにすると見せかけて、よい雰囲気になったらホテルにしけこむみたいな(実際そんなことするのか知らないけど)。今から夢小説に没入する人のための雰囲気づくり。わかるか。
これも雰囲気づくりだよ。自己紹介だよ。ここから、夢小説を読む心の準備をさせてくれてるんだよ。大方の夢小説は(偏見に満ちているだろうけれども)二次創作で、既存の(原作の)キャラクターとの恋愛なんだろ? 好きなキャラクターから名前を聞かれてなにが悪い。歴代ポケットモンスターでも主人公は博士から名前を聞かれるんだからな。あれで(あっ、わたしポケモントレーナーになるんだ)みたいな気持ちになるんだよ。促しているんだよ!わたしは今からこのキャラクターと恋愛するんだよ!
(夢小説の)主人公が、なにか(主人公のかけ算の)相手にとって「おもしろい」行動をとったときに言われるやつ。
主人公補正だよ! 「名探偵コナン」ではコナンくんが行く先々で(あるいはどこにも行かずして)事件に遭遇するだろ。あれはそういう物語なんだよ。事件に遭遇しなきゃコナンくんは「名探偵」にはなれないんだ。いくら名探偵といえど事件をかけらも知らなきゃ、解決のしようもないだろ。恋愛もの夢小説で、主人公が相手と両想いになるためには、相手も主人公を知らなきゃいけないんだよ。きっかけだよ。「ほう……おもしろい」はきっかけだよ! 主人公を知らずして、相手を知らずして、どう両想いになるんだよ!
美人すぎる強すぎる完ぺきすぎる胸が大きすぎる性格がよすぎる云々。
これも主人公補正だよ! 言わば(もしかしたら作者の)理想の姿(かもしれないもの)だよ!
コンプレックスないの? かわいくない弱い賢くないなにもできない胸が小さい性格が悪いって、実際にどうか知らないけど、なにがしかのコンプレックスありませんか? わたしにはあるね。胸が小さいし小さなブラジャーがないし「お客さまのサイズに合うブラジャーのとり扱いはございません」って大人になっても言われるし。夢小説を書く(読む)ときくらいボン・キュ・ボンの美人でもいいじゃないか! って思うね。
それでなくたってだな、キャラクターとの釣り合いのことを作者が考えたかもしれないんだぞ。完ぺきすぎるキャラクターに、あまりに凡庸すぎるキャラクターは似合わないみたいな。ハリー・ポッターの宿敵の闇の魔法使いヴォルデモートなんか若いころは「ホグワーツ開校以来の秀才」で超絶美形で人心掌握もできて、つまりなんでもできるんだよ。(おそらく)唯一の欠点といったら「愛を知らなかった」ことだよ。そんなキャラクターに「おもしろい」と思われるには(愛を教える……なんて傲慢! でも教えたいし助けたい! あわよくば交際したい!)、よほど人間ができている(性格がよい)とか同じくらい頭がいいとか人心掌握最高とか美形とか、そういう特別な設定が必要だとは思わないか? 繰り返しになるが、わたしは思う。
そのまま。こういうときの主人公は女性のことが多い(偏見だけど、もしかしなくても夢小説は二次創作であったりその主人公が女性であることが多いんだな)。
ヒロイン補正だよ! ヒロインつったけど別に男でもいいんだよ。でもヒロイン補正だよ。劇場版「名探偵コナン」を見たことがあるか? 蘭ちゃん、空手強いよな。てかあの世界のメインキャラクター武術嗜みすぎよな。それはおいといて、都大会優勝レベルとかいって、拳銃かなんかの弾を避ける程度には強いんだよ。実力者だよ。でも、いざというときには油断したりしてなかったりして、敵に捕まったり船にとり残されたりしたんだよ。こういうの、物語の展開のためっていったらそのとおりだけど、そんなもんだし、やっぱりヒロイン補正なんだよ。いいじゃん、好きな相手に助けてもらえるんだよ。強すぎると助け甲斐がなさそうだけど、ギャップ萌えとかあるじゃん。たまに見せる弱い一面にドキっとさせられるんだよ。素直に受けとろうよ。
戦力として数えられないほど弱いのに前線に立ちたがるみたいな。拒否されると、こっそり前線の近くまで行くみたいな。そんで、そのせいで(主人公の)味方の勢力が不利になったり主人公が捕まったりするんだな。
これもヒロイン補正だよ! 主人公補正でもあるよ! なにがどれがとか言えないけど、「できないからってあきらめるわけにはいかない」とか、なんかそういうことあるじゃん。やっぱり物語の展開には必要だったりして、これをきっかけに主人公が成長したりしなかったりするんだよ。失敗は成功の元って言うじゃん。見てるとイライラするけど、あとあと「おまえ成長したな」って思えるときがくるかもしれないんだよ。それに弱くてでしゃばることが、必ずしも悪いことになるとは限らないんだよ! 物語の展開にもよるけど。
悲劇的な殺人事件の唯一の生き残りだとか、殺人犯の子どもだとか、ロミオとジュリエットだとか、あまりの美しさに嫉妬した継母に家を追い出されたとか。なんか壮絶な過去。
これも主人公補正だよ! (夢小説の)物語の展開には必要になる(かもしれない)んだよ! ハリー・ポッターの過去は壮絶だぞ。史上最悪の闇の魔法使いヴォルデモートに両親を殺されたばかりか、そのヴォルデモートを赤子の時分に撃退したんだぞ! 親は友だちに裏切られてるし、なにかあるたびに額の傷は痛むし。でも、そんな過去がなかったら『ハリー・ポッター』の主人公にはなれなかったんだぞ。その過去が壮絶な(夢小説の)主人公だって、もしかしたらその壮絶な過去がなかったら、その夢小説の主人公じゃなかったかもしれない!
小学生や中学生や、それなのに、両親が海外で働いていたり亡くなってたりしてて、たくましく一人で暮らしてて、生活力がすごい。ことがある。みたいな。
知るかよ! たぶん主人公補正だよ! 少年マンガとかで、親が出てこないことあるだろ? 子どもの物語を描きたいときに、(言っちゃ悪いけど)両親という小道具が邪魔になることもあるんだよ。都合がいいんだよ! 作者に!
二次創作で、既存のキャラクターと……ってことが多い。過保護なまでに友愛を注がれていたりいなかったりする。
主人公補正だよ! 主人公はなにの主人公かって、夢小説の主人公だよ! 実在しない(悲しい!)キャラクターと、せめて夢小説のなかでくらい仲がよくたっていいじゃん! こんな友だちいたらいいなーとか、思わないの?
二次創作で。「未来を知っているわたしが未来を変えるわけにはいかないの」と悩んでいることもある。
あなたなにを読んでるの? 夢小説だよ? 異世界トリップもの! ほかのなにより明白に「その世界に存在しないもの」が紛れこむんだよ。てか異世界トリップものじゃなくてもだね、夢小説の主人公って、そういうものじゃないの? なにかしら変えちまうんだよ。こういうものなんだよ。だって原作に、あなたいないでしょ? でも夢小説の主人公っていうのは、たいていあなたで、原作にいなかったキャラクターなんだよ。いいじゃん、未来を変えたって。わたしはハリー・ポッターに倒されるヴォルデモートの未来を変えたいというか過去から変えたいというか、そもそもヴォルデモートになってしまうこと自体を変えたいというか、そういう気持ち、あるよ。
「ごめんね☆ ぼくのミスでうっかりきみをあれこれしちゃったから、お詫びに異世界へ連れていってあげる」とか。
あなた「神さま」を笑うの? 笑えるの? ノリ軽すぎとか突っこんでよいお立場ですか? 創造物ヒトだよ。脆くも儚い、神の創造物だよ。どんな態度で主人公に接したっていいだろ。これは神さまの、いわば気遣いだよ。創造物ヒトが怖がらないように発狂しないように、精神の安寧をすら気遣って、それでいろいろしてくれるんだよ。
宗教とか勧誘とか、そういう怪しい意図は、ここには一切ございませんし、わたくしそういうのの一員ではない。
「夢小説あるある」はネタなんだけど、使うひとにとっては、おおむね三種類それぞれの意味合いがあると思う。
そして、それを見たひとの楽しみ方は、おおむね二種類だとも思う。
「夢小説あるある」というネタである。使うとき、「こういうことがあった」「こんなんなんだろうな」「これあるある」という感情がある。それを、懐古や侮辱の共感を狙って、Twitterなどで発信する。
わたしもネタにする。ここであげたものは、わたしが通ってきた道で、歩いている道だ。現役の身としては、「こんなことがあったよね」という懐かしさを抱く。そして、これがすべてではない。
ところで、夢小説を好きだったことのないだれかは、どうやってこんな「夢小説あるある」を知るんだろう。まあ偶然にも夢小説サイトに出会った、なんてことはあるかもしれない。あるだろう。WWWは広く開かれているから。でも、だ。わたしは「夢小説あるある」ネタで「夢小説あるある」を知ったひとも、いると思う(それが「#夢小説あるある」の形をとっていたかは知らないけど)。そして、それをそのまま、偏見とともに受け入れ、侮辱の意味で(無意識かどうかを問わず)使ったり使わなかったりする。
使われ方には三通りあると言った。黒歴史、偏見、そして現在だ。この道を、まだ歩んでいるひとがいる。わたしもその一人だ。一例を挙げたけれど、あんなもの、ありふれているんだ。黒歴史と感じて恥じ入ることはあるかもしれない。かつての自分の作文を、目の前で読みあげられたら、あるいは自ら読み返したら、恥ずかしくもなるだろう。こと年を経るにつれ(幼稚園やら小学校で書いた作文は、大人になってみたら、支離滅裂だったり言葉が滅茶苦茶だったりするだろう)。そんなものだと思う。夢小説だけじゃなくて、文章だけじゃなくて。あんな下手な料理を人に振る舞っていたのかとか、あんな掃除でやり遂げた気になっていたのかとか、あんなボールの蹴り方をしていたのかとか。この日記だって、わたしの恥ずかしい思い出の一つになるかもしれない。
「夢小説あるある」が黒歴史の意味を持っているあなたに聞きたい。その黒歴史、いつのお話ですか? その黒歴史を歩いていたとき、あなたはおいくつでしたか? あなたは今おいくつですか? 黒歴史黒歴史って言うけど、作文だって下手な作文をめいっぱい書いてうまくなるんだよ。幼稚園児に、「きみはいつか大学で研究論文を発表するんだよ」って言ってごらんよ。わたしは信じられないよ。わたしはその黒歴史(下手だったり恥ずかしかったりするやつ)を積み重ねて、今はかつての面影もないようなウェブサイトをつくった。今ネタにされているホームページの面影なんかないからな(いにしえのホームページが悪いわけではない。ただわたしの好みの問題です)。「ほう……おもしろい」は、古今東西、あらゆるところで使われているんだ。なにも夢小説だけじゃない。プリキュアでも仮面ライダーでも、ちょっと自分にたてつくやつには「ほう……おもしろい」で余裕の笑みを浮かべるんだよ。わたしは今も使っているけど、昔よりはうまくなったと思うよ。
あなたの黒歴史は、あなたの過去だ。いろいろな人に黒歴史はあるかもしれない。けれど、それは今じゃない。スマートフォンのOSのメジャーアップデートの頻度をみてみろ。VRが家庭にやってきた。HTMLもCSSもバージョンを重ねたし、ウェブサイトの文字コード指定の主流はUTF-8になった。というか、ガラパゴスケータイじゃないんだよ、今は。スマートフォンだよ。かつて(もしかしたらそうかもしれない)黒歴史をつくっていた人たちが、今まで(夢小説を)つくるのを続けてきて、どうして変わらないと思う? 実際、JavaScriptの仕様変更にともなって、元祖(おそらく)ドリーム小説用変換ツール「DreamMaker」は、あまり推奨されなくなったよ。でも、同じJavaScriptでありながら現代基準のaliceもあるし、PHPを使うdream.phpというツールもでてきた。名前変換機能のついた投稿サイトpictMalFem(BLやGLに特化した姉妹サイトあり)もある。初めがどうだったかなんて知らないけど、夢小説は「キャラクター♂×自分♀」だけじゃない。今はいろいろな楽しみ方がある。二次創作だけが、恋愛だけが、自分♀だけが夢小説じゃない。
笑わないでほしい。侮辱しないでほしい。夢小説に、こんなあんまりな偏見を向けないでほしい。たとえ今つたなくとも、続ければうまくなる。再三になるが、人は進歩する。成長する。成長しうるんだ。続ければ。はじめたばかりのひとが、いきなり職人レベルのものをつくれるなんてことは滅多にない(あれば、それはそれでおめでたいことだと思うけど)。たいていは、つくり続けて、こつこつと上達していくんだ。けれど、笑われたり侮辱されたり、偏見を向けられたりして、「夢小説を好きでいること自体が、書くことが、読むことが、恥ずかしい」と思うひとがいる。わたしは「夢小説あるある」をあげたけど、雰囲気づくりだし、お化け屋敷におどろおどろしいキャッチコピーがつくようなものだし、あるいはありふれた要素だったりするんだよ。ちっとも恥ずかしいことではない。でも、恥ずかしいと思って、やめてしまったら、それ以上うまくなることはないし、それ以上楽しむことも、夢小説自体を楽しむひとたちと楽しみあうこともできなくなる。
夢小説について偏った知識しか持たないひとには、侮辱するのではなく、今の夢小説のことを知ってほしいし、できれば読んでほしいとも思う。夢小説が気になっているひとも、恥ずかしがらずに、まず読んでみてほしい(書くことから始めるのでもいいけれど)。
近頃、一部の夢小説界隈がざわついている。
ことの発端は「腐女子こそ夢小説を書くべき論」という投稿なので、読んだことがない人はご一読をお勧めする。端々に攻撃的な言い方がされているが意図的だろう。
この記事への反応は「わかる」から「わからない」まで様々だが、筆者が気になった反応のひとつに「腐向けと夢界隈は結局相入れないんだから棲み分けるのが大切だよね!」というものがあった。
腐向けと夢界隈は棲みわけられるのだろうか?最初に結論を言うと、不可能である。
腐向けの夢小説作品は男(またはオスなど)主人公が男(またはオスなど)キャラが恋愛関係にあるものを指し、これはBLDと呼ばれている。Boys Love Dreamの略だ。
BLDサーチなども複数存在することから、需要供給は相当数あることが推察できる。
腐向け作品と夢作品の棲みわけ推進派は、そもそもどうやって棲みわけをしようというのだろうか?
発表の場がpixivなどの作品投稿サイトならわかる。それぞれ腐向けタグをつけるなり、夢小説タグをつけるなりすれば作品単位での棲みわけはある程度可能だろう。
しかし個人サイトになるとどうだろうか。個人の作ったコンテンツがまるごとその個人サイトには載っている。ヘテロ恋愛のみを書く者、同性愛のみを書く者は問題ないが、いわゆる雑食者はヘテロ恋愛も同性愛も家族愛も同じページに載せる。
それについてとやかく言うことがナンセンスであることは火を見るよりも明らかだ。
参加するランキングやサーチには、先述したようにBLD専門のサーチがあったりと様々だがそこからサイトに飛べば異性愛を好む者が同性愛作品を目にすることもあるし、その逆もありえる。
夢小説を求めたサイトにBL小説(原作に登場するキャラのみのCP)も置いてあるということも珍しくない。
個人サイトで棲みわけをしたいということ自体が、自分の目的でない作品が目に映るのを許せないとする傲慢ではないだろうか。
話はややズレるが、「夢小説」というジャンルについて、少々誤解しているオタクを散見する。
この定義は間違ってはいない。間違いではないが、果てしなく狭義であると言える。
夢小説はそのまま「夢」という単語を取っても意味が通用するぐらい、幅の広いものだ。
間違ってはいないが、限りなく狭義であることがお分かりいただけるだろう。
日常を描いたものや友情を描いたもの、冒険譚から離婚待った無しのドロドロ不倫ものも存在する。
主人公も思春期の女性に限定することもない。男主人公も動物主人公も、スライムが夢主人公の話もある。
夢小説とは可能性だ、と筆者は感じている。いるかもしれない人物、あるかもしれない展開。その無数のifか夢小説という名前によってまとめられていると。
夢小説には興味がない、原作キャラ同士のCPだけで満足だ。という者も勿論いるだろう。
その上で夢小説を誹る者には少し想像してほしい。ゲーム画面の向こうにいるキャラクターが、「君もおいでよ!」とプレイヤーを誘ったり。遊園地のアトラクションで「今日初めて参加する君たちに、このツアーの主旨を説明するね!」とまるで来園者がその世界の住人であるかのように語りかける。ポケパルレでポケモンがかわいい仕草でハートを飛ばしてくれる。
人の趣味を笑うことはとても恥ずかしいことで、間違っても「#夢小説あるある」タグで夢作品を好きな者を笑ったり、夢小説を誤解したままにしないでいただきたい。自分がどれだけみっともないことをしているのか、少しは自覚したほうが良い。
かつて夢小説を好きで、今は「卒業」したという人。昔以上に夢小説の多様性は広がっているので、男夢主や人外夢主をないことにはしないように(そもそも男・人外が主人公の夢小説は少なくとも10年以上前には存在していたので、見ていた範囲がかなり狭かったことが予測されるか)。
理由はただ1つ。
「非オタファンはじめ、一般人に非常に悪い印象しか与えないから」。
私がこれを知るキッカケとなったのは、某有名カードゲームの男キャラクター同士の結婚式祝賀会。
参加者の投稿によると、式場かホテルの入り口には、本物の結婚式の方のものと一緒に、
と出されていたようです。
その横で、架空の人物を使った「ファンミーティング」という名の自慰集会。
人として、許されません。
「●●ファンや、アニメ・漫画オタクは、結婚式というセレモニーの場に混じって自慰行為に耽る、非常識なキチガイ集団」
と思われるのは、権利元にとって恥ずかしいです。
また、そう思われる行動をしておきながら、
「社会がオタクや腐女子を認めてくれない!」というのはお門違いです。オタクを巻き込むな。
二次創作はグレーです。
もう一度言います。グレーです。
公式がアウト、と言ったらアウトなのです。
二次創作を知り得ない一般の方から、二次創作に関する苦情が公式にあり、
そういう例を作りそうな行動をわざわざすることは、やめて欲しいです。
一人で自慰するのが苦手という腐女子、腐女子だからこそNLGLで自慰できないという人、
中には、二次嫁と結婚式を挙げたいけれど様々な理由からしていないオタクもいるでしょう。
「自慰」の腐った結婚式を行うというその軽率な気持ち・行動は、そういったオタクの気持ちを、ひどく踏みにじっているように思います。
SNSや投稿サイトの増加など、二次創作のBL作品の投稿への敷居が下がり、作品の量が非常に増えました。
だから
というのは、誤りです。【責任転嫁】です。
また、他のファンや他の人々に対して何をやってもいい訳ではありません。
「自重」や「配慮」、そして「敬意」を持って欲しいと思います。腐女子には無理かw
理由はただ1つ。
私がこれを知るキッカケとなったのは、某有名カードゲームの男キャラクター同士の結婚式祝賀会。
参加者の投稿によると、式場かホテルの入り口には、本物の結婚式の方のものと一緒に、
と出されていたようです。
本当にやめてください。
その横で、二次元の「キャラクター同士の結婚式」という名の「ファンミーティング」。
空気を読んでください。
「●●ファンや、アニメ・漫画オタクは、平気でキャラクターの結婚式を、普通の結婚式に混じってやる、空気読めない迷惑集団」
また、そう思われる行動をしておきながら、
「社会がオタクや腐女子を認めてくれない!」というのはお門違いです。
お願いします。
せめて、"遠慮"を持ってください。
二次創作はグレーです。
もう一度言います。グレーです。
公式がアウト、と言ったらアウトなのです。
二次創作を知り得ない一般の方から、二次創作に関する苦情が公式にあり、
そういう例を作りそうな行動をわざわざすることは、やめて欲しいです。
BLが苦手という女性、同性愛者だからこそBLGLが苦手という人、
中には、結婚式を挙げたいけれど様々な理由からしていない人もいるでしょう。
「萌」としてBLの結婚式を行うというその軽率な気持ち・行動は、そういった人の気持ちを、ひどく踏みにじっているように思います。
SNSや投稿サイトの増加など、二次創作のBL作品の投稿への敷居が下がり、作品の量が非常に増えました。
だから
というのは、誤りです。【傲慢】です。
また、それが仮に正しいとしても、他のファンや他の人々に対して何をやってもいい訳ではありません。
「自重」や「配慮」、そして「敬意」を持って欲しいと思います。
わたしは増田。どこにでもいるふつうの承認欲求を持ったふつうの女の子♪
今日も釣り堀で脱糞活動をしていると、沼の中から泥だらけの小さな女の子が出てきたの。
その声、聞き覚えがあった。まだまだはてなでは若輩のわたしをおねえちゃんって呼ぶこの子は。
「ハイクちゃん!? その声、もしかしてハイクちゃんなのね!?」
ハイクちゃんは一回だけコクンと頷くと、また泣き出してしまった。
よく見ると、彼女の皮膚にこびりついているのは泥ではなくて、びっしりと書かれた小さな文字の羅列だった。
《Download Листовки на тему берегите природу картинки》みたいな意味不明の呪文が書かれてある。
肌を拭って消してあげようとしても、次から次へと文字が侵食していって、ハイクちゃんはどんどん真っ黒に塗り潰されていく。
「ひどい……いったい何があったの……」
「スパムだょぉ。はてなハイクはもう、スパムたちに支配されちゃって、ハイカーの体を蝕んでるの。スターイーターさんやスターメイカーさんたちも、スパムを前に為す術がなくて、みんな隔離シェルターのなかで震えてるんだょ」
「運営は、運営は何をやってるの? だって去年はスパムだって運営さんが退治してくれてたじゃない!」
言って、わたしは首を横に振った。
はてなハイクはもうダメだ。ウェブサービスとして、収益に繋がらない。はてなわんわんワールド、はてなボトル、はてなアイデア、みんな消えてしまった。
はてなハイクが辿るのも、きっと同じ末路。
まっ、国会デビューしちゃった増田は当面安泰だけどね、えへへ。
「おねえちゃん、あたしどうしたら……いいのヒグッ」
わたしは気休めを言う。
「考えてみなさい。《はてな承認プラットフォーム 大承認》なんて頭のおかしいサービスが、まだ生き残っているのよ。それは、サバカレーさんのような、はてなのサービスを愛する人たちが、まだ残っているから。希望を持ちなさい。あなたを愛する人たちが、世界にはこんなにたくさんいるのだから」
ハイクちゃんは目を涙でいっぱいにして、わたしをぎゅっと抱きしめる。
「おねえちゃん、あのね。ツイッターはファボをやめちゃったから、スターがつけられるのはハイクだけなんだょ」
「うん、そうね」
「それにそれに、その場でお絵描きをしてその場で投稿できるSNSも、ハイクだけなんだょ。そりゃ、ほかのお絵描き投稿サイトだってあるけどさ、ハイクは画力に自信のない人でも、気軽に絵を投稿できる。すっごく優しいサービスなんだょ」
「うん、そうね」
「ツイッターは、フォロー/フォロワーさん同士のコミュニケーションしかないけれど、ハイクだったら、共通の話題を持つ人同士でゆるく繋がったり、お題でボケたりもできるんだよ!」
「うん、そうね」
「ツイッターのいいね! はたったの1回しかつけられない。でもはてなハイクなら、スターをいくつだって付けられるし、引用スターだって、カラースターだってつけられる。ツイッターのいいね!みたいな単細胞みたいに単純な意思表示じゃなくって、はてなハイクなら引用スターで皮肉を伝えたり、レッドスターで殴りあったりなんかもできるの!」
「うん、そうね」
「だから!! あたしは!!! ツイッターよりも優秀なの!!!! ツイッターよりもあたしのほうがずっとずっと、すごいの!!!!! ねぇ、どうしてみんなあたしのことを見てくれないの。あたしだけを見て、あたしだけを愛してほしいの!!!!!!」
ハイクちゃんは叫ぶ。
しかしその嘆きも虚しく、数千、数万のスパムたちが彼女の体を侵食し、喰らい尽くし、彼女はやがて闇とともに消え去ってしまった。
nijie.info/
これpixivより後発です。
最初は凄く期待されてました。
どういう期待かというと、はっきり言って、
「pixivをかなりの部分パクリつつpixivのセコイとこや嫌なとこを取り除いた類似サイト」
が望まれてたんです。
それさえ作ってくれれば需要爆発だったんですよね。
人気順ソートもNG検索もプレミアム垢じゃないとさせないんですよ。信じられますか?
すごいせこい。
すごく無理した過剰なエロ、逆にエロさを感じなくなっちゃうような変な下品さをプッシュして
「エロイラスト専門サイト」という個性を打ち出してから回りしてしまいました。
誰もそんな個性求めてないし、単に便利な検索機能(pixivが意図的に制限してる)つけたなんでも投稿できるサイト提供してくれれば
自民には穴がある。へんてこな改憲草案とか。矢の止まってる中途半端なアベノミクスとか。
民進党に求めるのはそういう穴をなくした・自民のいやらしいとこ排除したver.2ですよ。
それさえやってくれれば天下窺えるのに。
全部自民の逆行こうとして経済の話税金の話フラフラして需要行方不明になってる。
それだけでいいのに。
スマホの写真加工アプリがあって、そのアプリからSNS的な投稿サイトにUPできるようになっている
けどこの加工が自分にとっては少々強く感じる
抜けるような青空にきらめく海面、朝露に濡れた草木に色があふれんばかりの花
どれもきっちり加工して絵に描いたような表現なんだ
きれいではあるんだけどさ
けどまあ、それは加工アプリ作ってるとこの主催サイトだしいいんだろうと思ってる
中にすごく加工の強い作品があるんだよ
あからさまに加工アプリ使ってて、ものすごく絵的な表現になってる
彩度をめいっぱい上げて、まるでアニメに出てくるような色合いになってる
それって「写真」か?
今や「JK」「JC」「JS」って言葉は一般的に使われてますよね。
女子小中高生たちは自分たちのことを自称するのに使ってますね。
その頃、普通の人たちはこの言葉を使ってませんでした。女子小中高生で使ってる人もいなかったし、全く一般的な言葉ではありませんでした。
当時、この言葉は盗撮の投稿サイトやエロ動画サイト、出会い掲示版サイトでしか見たことがありませんでした。
私がネットを始める前のことがわからないので調べてみたら、元々はブルセラ用語らしいです。
私は、女子高生たちが自分たちのことを「JK」と言ってるとなんだか複雑な気持ちになります。
まぁ、今ネットスラング系は若者たちの大好物だし、流行のギャル語(死語?)だってネットスラングばかりですよね。
でも、JKのルーツは闇深いというか、ちょっと質が違うと感じます。
本人たちは、わかって使ってるのかもしれないけど。
私は中学時代にJKが隠語として使われているのを知り、ものすごい嫌悪感を持ちました。
憧れの高校の制服の画像を検索してたら、盗撮サイトが引っかかりました。
そこで、JKという言葉とともに盗撮写真が載せられてて、気持ち悪くて仕方なかったのを今でも覚えてます。
追記
JKという言葉がだんだん浸透ていく様子もリアルタイムで体感していました。
当時ギャルたちの間で、2ちゃん語が流行り出した時期がありました。
その時、2ちゃんでもJKという言葉が使われていて、ギャル達はJKをただのネットスラングだと思って使い始めたのかな、、とか思ってます。
それか、隠語であるとわかっていながらどこかのギャルが自虐的な感じで使い始めた可能性もあります。
流行り始めたときも、元の使われ方を知っていたかどうかは人によりますしね。
これは予想だし、記憶も曖昧になってきてるので真相はわかりませんけど、、
ま、KY的なノリで自分たちで作り出して流行らせた言葉だと思って使ってる子たちが大半だと思います。実は隠語だったとは知らずに、、