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はてなキーワード: 投稿サイトとは

2018-06-28

短文投稿サイトブログ

ブログで書こうと思ったが、HageX氏の事件についても触れるので増田にする。

どう書いてもPV乞食のそしりは免れないと思うので。

それとこんな長い文章を書くのは初めてなので、だいぶとっ散らかってると思う。まずはそれをご容赦願いたい。

この事件に関する言及最初に読んだのが青二才氏のブログだった。

イジリはやる相手を見極めな~、みたいな論調で、最初の三行だけ読めばいい内容だと思った。

後は青二才氏の自分語りなので。

どうでもいいが、青二才氏のちょいちょい入る自分褒めってすごいな、って思う。悪い意味で。

それで「あーイジリは良くないよね」って思ってたんだが、青二才氏を諫めるブロガー界隈がえらい反発してた。

あざなわ氏のが一番過激だった印象。

HageX氏が「いじったのが悪い」って有責性を求めるような青二才氏の論調に大いに引っかかった模様。

それももちろんあるのだが、自分は「イジリが招く尻馬に乗っかるイナゴたちが悪い=イジリよくない」みたいな印象だった。

イナゴが乗っかってくるからイジリ止めましょうね、っていうのもおかしな話だが

乗っかってくるイナゴのもたらす憎しみの連鎖効果を真っ先に連想したので、そこまでは意識が及ばなかった。

誰がやったことであれ、というか知名度が上がれば上がるほどイナゴは寄ってきて、ただ炎上渡り歩くだけの燃えイナゴも多数いるので、それらに見つからないためにイジリを控えたほうがいい、みたいな一般論だったのかな、と。

イジッてたから襲撃されてもしょうがない、というのは青二才氏の飛躍で。

オマエも弄ってんじゃねーか、と反論されたらぐうの音も出ないんだから雑だし脇が甘すぎるよな、とは感じた。

ただここまでで思ったのは、

どうも青二才氏含むブロガー界隈の人と、ごく最近ブログ始めただけの自分との間に意識の差がデカいんじゃないか? という疑問。

どの辺が理由だろうか、と考えてみたんだけど

短文投稿サイト隆盛以前と以後で、ネッツに対する意識が分かれてるんじゃないかと。

短文投稿サイト以前からブログが主戦場の人は

青二才氏と言えども長文で自分の考えをまとめて発信する能力はある(論旨が時々トンチンカンでも)。

いっぽうで、短文投稿サイト → ブログになった自分経験からすると

長文でものを書く習慣が絶望的に薄いので、論旨が雑になるのがザラ。

ここまで読んでいただいてもだいぶ明らかだと思う。自分としてはある程度整理した上なのだ・・・

その辺ははてなブロガーの人たちも納得してくれるんじゃないだろうか?

新参って青二才氏のレベルにも達してない青二才以下の雑な認識の人びとが多いって。

(こういうことを書いて青二才氏の目に留まったらまた増長しそうなんでアレだが、自分も含めてじっさいそう思う)

青二才氏がアレでもまだギリギリ相手してもらえているのは「バカなりに話が通じる」という最低線はクリアーしているからで、短文投稿サイトからブログに移ってきた人はその最低線にすら達してないから、青二才以下でも放置されてる、というところがあるんじゃないかな…と。

青二才氏はそれでも話が通じるから諫めるけど、それ以後、短文投稿サイトから移ってきたようなのはまりに雑過ぎるので相手にする気が起きない、みたいな。

古参はてなブロガー諸氏、どうだろう?

青二才氏を馬鹿にしつつも、「それより下」のブログもけっこう観測範囲に上がってきてませんか?

それらが増えたの、短文投稿サイトピークアウトと重なってる、みたいなところありませんか?

青二才氏以上に雑にHageX氏の有責性を責める論調ブログがうじゃうじゃ湧いてきたのを見てそう思った。

はてなブロガーが期待してるような民度はもはやネットにはない。

とりあえず乗っかりやす論調マウント取りやす論調に乗っかって強い言葉を吐くだけの蟲たちの寄り集まって作る蟲毒。

「いじり」というのは皮相な見方しかできない、そうした短文投稿サイトツイッターでもはてブでも)で練り上げられた雑でシンプルかつ間抜けな人々にとっては絶好の好物だった。

HageX氏も、ブロガーも、訴えたい、伝えたい内容はどうでもよくてただ炎上の熱が欲しいだけの蟲たちがもはやネットではマジョリティ、ということを痛切に感じていなかったのではないか

そういう雑すぎる人たちがブログを主戦場とするあまり、視界に入ってなかったんではないか、と。

ブロガーなら互いに意思疎通ができる。

青二才氏ですらも。

もはやそういう基本すらも崩壊しているのが、短文投稿サイトが席巻した後の、今のネッツ空間なのではないかしら、と狭い観測範囲ながら思う。

最後に。

個人的経験では、はてブよりツイッターFBの方がクソみたいな罵詈雑言飛んでくる確率高かった。はてな基準だと思っていると、世の中をよりマシな方向に誤解するかもしれない(少なくとも自分はそうだった)。

2018-06-24

同人活動してる人へ

ダイマになるけど同人匿名質問投稿サイトを見つけたか布教

二次創作一次創作問わない。

こういうとこは人がいないとつまらんくなる。

https://cremu.jp

同人匿名サイト探してたから盛り上がってほしい。

ツイより匿名がいい派なんだ。

2018-06-17

連絡を取りたいわけじゃないけど近況を知りたい相手っているよね

私の場合は、10年近く前にネット上で仲良くしていた人達

当時はDSiの「うごくメモ帳」というゲームで、メモ帳へのコメント機能活用してちょっとしたチャットをしていた。今使っているはてなIDもその時使ってた物。日記投稿したりチャット専用メモコメント欄に深夜まで居座ってチャットしたり。当時まだ中学生だった私はいろいろ拗らせてたから、荒れてるコメント欄に飛び込んで好き勝手遊んだりとかもしてた。

そんなことを繰り返してると何となく顔なじみ(顔は見えてないけど)になる人も当然出てくるわけで。偶然どこかのコメント欄で遭遇すると挨拶して雑談する程度の仲にはなった。

うごメモユーザーの中には、仲良くなった人にTwittermixiを教えてうごメモ外でも交流するって人もいた。けれど私はネット上でもコミュ障を発揮して、仲良くなった相手にもうごメモ外のアカウントは教えず、こちから聞くこともしないでいた。

そんなうメモ生活を続けるある日、はてなからうごメモサービス提供終了を告げられた。ゲーム自体は残るけど、投稿サイトが無くなる。今まで投稿したメモも無くなる。今まで残したコメントも無くなる。コメント欄でしかしたことのない人達との繋がりが無くなる。

そんな状況になっても私は外部サイトでつながろうという提案すらできず、仲の良かった人達コミュニケーションを取る場所は無くなった。

せめて、いつか誰かが気づいたらいいなという微かな希望を抱いて、はてなIDプロフィール欄にTwitterIDを載せた。まあ誰からフォローが来てないのでもう忘れられているってことなんだろうね。

10年近く経って、たまに当時のことを懐かしむようになった。そして一緒に思うのが、あの時会話していた彼らの現在のこと。

向こうはもう私のことを忘れているだろうから、わざわざ探してまた話したいなんて思わない。けれど、いま何しているのか、そもそも生きているのかくらいは気になる。

彼らもはてなIDを持っていたことは確かだから増田を見ながら「この中にあの人たちがいるのかもしれない」なんて想像を膨らましている。

2018-06-10

女性に嫌われるのが嫌で絵描きをやめた

萌え系の絵描きやってたが同人誌即売会で本出してたこともあったが全部辞めた!某イラスト投稿サイトに上げてた絵もとっくに全部消した、というかアカウントごと消した。

理由タイトルの通り。ここを参照して全てを悟った。 https://togetter.com/li/1172366 http://news.nicovideo.jp/watch/nw2931134 

ああ…本当リンク先見る度に今まで自分一生懸命打ち込んできた趣味全否定されたような気分で実に気が重い。じゃあ何だ、つまり俺は世間女性に目の敵にされるために高い金出してペンタブ絵画ソフトや絵の参考書買ったり自分の本出したりして、絵の上達を目指して何枚も何枚も描いて丹念に練習をしてきてたというのか。自分趣味極めるために金も時間も労力も費やせば費やすほど世間一般女性から蔑視嫌悪される対象になってたとかホント馬鹿らしいことこの上ないわ。散々色々と注ぎ込んだ結果がこれとかああ実に馬鹿らしい阿保らしい阿保くさい!萌え絵描き能力持つと一般女性に嫌われるペナルティ背負う羽目になるとかとか悪魔の実かよ。

てか萌え趣味絵描きの人にそう言うこと言ってる人達って結局何を求めてるの?「今まで貴方たち女性不愉快にさせるような趣味をもって本当にすみませんでした。これからはこういう趣味は捨てて真っ当な趣味を持って生きていくことにします」とでも言ってほしいの?同人誌即売会イラスト投稿サイトスタッフらも画材店や印刷所や出版社人達専門学校や口座の講師達も一般女性から軽蔑される人を量産するために朝早く起きていろんな人と接しながら汗水流して働いてるってのか?

そもそも世間趣味に対する評価に圧倒的格差があるのがホント腑に落ちない。所謂体育会系運動系趣味連中は基本極めてる奴ほど世間から持て囃されるってのにサブカル系特に萌え絵描き趣味の連中にはその評価とか。ああそうですか。そうですか。

何も萌え絵描いてるやつこそモテるようにしろとか運動系趣味極めてるやつも蔑視されるようにしろかいう気はないがせめてこれほどまでの格差はどうにかならないものか。まあどうにかなりそうにないから辞めることにしたわけだが。

まあとにかくそういうわけだから世間一般女性様の望み通り辞めた。完全に決心つけるためにペンタブリサイクルショップに売り払った。まだ他に代わる趣味は現状見つかってないがこんなことなら幼いころからもっと運動系趣味に浸っておくんだったわ。

2018-05-29

anond:20180529203654

投稿サイトって要は素人から糞みたいな文章が多い

それが好みに合わないってだけなんじゃ

ラノベじゃないのがよければ青空文庫とかKindle Unlimitedとかあるじゃん

2018-05-08

anond:20180508231029

だいたいの人ははてなブックマークホットエントリー経由で知ると思う

投稿サイトだとわかればあとはログインして「日記を書く」から書けばよい


まあ基本はてブから読むサイトであって自分から参加するサイトではない

意外とつまらないという感想が多いので期待も無理もしないほうがいいぞ

2018-04-23

サイバーリバタリアンからターナリスト達へ

DNSブロッキングってもしかしてもう始まってるのだろうか。生憎(一般コミック)に興味がないので、例の3サイトやらは使ってないから分からないが。そうだとしても、DNSが塞がれただけならIPアドレスを直打ちするか、hostsファイルを弄って正しい名前解決をさせればいいだけじゃないかなと思う。

ところで、そういう発想がポンと出てこないような低リテラシーなというか、情報弱者層がよく分からないままアホな事してるのを止めたい、ってパターナリズムは少し分かるところがある。何か高度なことをしようと思ったら、それ相応の学習をしなければならない。それが民主的社会を維持するためには必須から人民が賢くあろうとしないと判断能力すら育たない。でも学んだ人間が、意思思想をもってあえてルールを破ろうとする余地が一切残されていない社会健全とは言い難い。もしこうしたブロッキングが進んで、そういう余地が残されなくなってしまったら、本格的に日本社会主義国家とみなされるだろう。

私は、違法行為がなんの知識思想もない人間の手の届くところまで降りてきていることが真の問題だと思っている。昔を思い返せば、マジコンしろ、怪しげな中国企業提供していた無料音楽アプリしろ漫画村しろ、ああいものを利用していたのは無知蒙昧な一般人層だ。本当のギークは、そんな二次三次放流の広告つきサービスなんかには目もくれず、WinMXだとか、Winnyだとか、今だとtorrentだとかのP2Pソフト、あるいはMegaやRapidgatorのような海外アップローダーだとか、そういう所で割れリーチし、海外のなんちゃらHentaiやら、なんちゃらSharingやら、なんちゃらSubsのような、特に広告があるわけでもない、ガイジン有志の熱意と寄付運営されている海外フォーラムサイト英語にめげずに巡回していたはずだ。そうしたサイト上で形成されたコミュニティーでは、同好の士独自ポリシーを持って勝手アニメカルチャーを広めている。功罪あれど、役人たちがクールジャパンと呼ぶもの実態はそうした活動によって広まっていった側面が決して小さくない。例えばアニメについてはrawブラックだろうが、そもそも日本アニメがきちんと海外配信に向き合ってこなかったこと、字幕を機敏につけられる体制がなくファンによる違法subに頼るしかない状態が続いていることが元凶になっている。ゲームROMのような権利的に完全にアウトではあるがハッキングコミュニティと繋がっているものもあり、また海外ポルノ投稿サイトが最もブラウザ脆弱性を知り尽くし裏をかい広告を表示させる技術力を持っていたりするのもそうだが、大きく捉えればコンピュータ技術の発展とウェブアンダーグラウンドは切り離せない。そうした繋がりをパターナリズムによって断絶させようとするのなら、人間健全消費者になるどころか、ますます愚かで思想を持たない一般人で埋め尽くされるようになるだろう。低い者に合わせようとした結果だ。

そして、そうなった時代コンテンツ未来はどうなるかというと、すべてが同人活動になっていくだろう。既に絵や漫画twitterpixivを漁れば十分な量の娯楽が、絵師さんたちの手で自ら無料で公開されている。そこで絵師さんたちが求めているのは共感評価であって、貨幣ではない。その傾向が加速して、コンテンツに対価を払うとか面倒くさいことは避けて、自給自足で楽しみ合おうじゃないか、という世界になるだろう。動画制作も、ゲーム制作も、より誰でも手軽に十分な品質のものが作れる環境が急速に整ってくるだろう。Vtuberの人気もそのコンテキストで見ることができる。技術環境さえ整って個人Vtuberリッチな絵面になれば、より自由度の高い個人の方が強くなってくる。そして広告案件すらださずに伸び伸びと演じるキャラクターの方が好かれるようになってくる。そうやって貨幣でない評価基準に価値見出し、「足るを知」った人たちによる狭小住宅ならぬ狭小エコノミー多数派になる。経済的にみると泡沫のようなもの多種多様に出てくるだけだ。そこには国家が望むような経済的成長はないだろう。

2018-03-02

anond:20180301221023

かつて続編や名前を聞かなくなったエロラノベ作家をふと検索したら、投稿サイトの片隅で訃報を見つけたことを思い出した…

2018-02-17

男前インテリア

インテリアを探していると、「男前」というキーワードが目に入るようになった。

何かと思って調べたら、お部屋自慢投稿サイトから流行りだした言葉のようだ。

私が好きなジャンルはミッドセンチュリーインダストリアル系で、確かに男性的ではあるが、

検索結果によく出てくるのは、それとはかけ離れた細いワイヤー雑貨男前という売り文句なのだから参ってしまう。

改めて男前という言葉確認してみたい。

大辞林 第三版の解説

おとこまえ【男前

① 男としての容貌や姿。 「 -が上がる」

② 男らしい顔つきや態度。男振りのよいこと。

上記から男前インテリアとは、男性的で格好良く感じるインテリアのことと考えられる。

女に比べ男は、大きく直線的で、硬質である。多くの場合、女より喋らない。

現代では優男がちやほやされたり男のイメージも様々あるが、ひとまず、男性的な特徴が誇張されたもの男前と受け取ってもよさそうだ。




男前インテリア」と検索すると、続々出てくる貧相なお部屋たち。

ビーカンパニーニコアンドに毛が生えたような、カントリー系に近いものばかりだ。

ばかでかい英字ステンシルが恥ずかしくてたまらない。おしゃべりな英字は、男前と言えるのか。

か細い100均アイロン雑貨で、何がどう男前なのか。

木と鉄の素材なら、なんでも男前なのか。


男前インテリア」は、「細マッチョ」のような、イメージが噛み合わない気持ち悪さを感じる。

女性向けのメディアは時々信じられないくら阿呆造語を発信するし、これもそのマーケティングの一つかもしれない。

男前なら、もっと重厚感を出し、愛想振り撒かず静かにどんと佇んでいてほしいものだ。

2018-02-15

オタクで、腐女子で、発達障害で、メンヘラの私にはいろいろつらい

文章もなにもかもぐちゃぐちゃです。


「どうして」

燃えている。わかり手(@anbakurakoya)氏のツイートが。

>『魔女集会タグからダダ漏れてる「彼氏みたいな息子が欲しい♡」という欲望、それリアルでやると毒親まっしぐらコースなんでマジで気をつけてな…。』

https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574691775447040

>『小学生くらいの幼女レイプしてぇ!というキモオタ欲望と同程度には醜悪欲望である自覚をな、できればな…』

https://twitter.com/anbakurakoya/status/963574949230256128

ああ、『現実に行えば』その通りだ。

その前提条件が読まれる事なく拡散されて反発の声が届くのは、気の毒だと思う。

私が、どうして、と思ったのは、ここじゃない。

その後だ。その後の言葉だ。

>『このツイート無限に怒りのリプライが飛んでくるんだけど、それを鑑みると女オタクと男オタクの違いは自分キモさに自覚的か否かだよな…、なんてことを少し思う。「キモオタ」と名乗るか「貴腐人」と名乗るか、みたいな。』

https://twitter.com/anbakurakoya/status/964050886040289280

>『自分キモいことくらい受け入れた上でオタクやれやと、キモオタ自分としては思いますね。』

https://twitter.com/anbakurakoya/status/964051192367144961

どうして。

メンヘラ世界

ここも同じか。ここも同じなのか。

メルトダウンを起こしている。オタクの、趣味世界での苦しい記憶フラッシュバックする。

まとめサイト、「腐女子のせいでジャンプがつまらなくなった」「おまえら夢小説ちょっと読んでみろwwwwww」

抱き合うように密着して仲睦まじい女子高生マイクロミニスカートから下着が見えている美少女イラスト男性を向いた表現作品名だけで済むのに。

キャラで同じような露出が、絡みがあれば、「『腐向け』のタグを付けろ、隔離しろ」と言われる投稿サイト

腐向け』『腐女子』は女オタクへのレッテルとして、今も現役だ。

フェミ腐女子の2つがあれば、ネット世界であらゆる女は罵倒できる。

腐った女、と自嘲する名前。それは『キモオタ』と近い。『貴腐人』も、『腐』、から結局は離れていない。

自覚がない、と言うが。

腐女子の『学級会』は、魔女会でも起きていた。あれは、私は好きじゃない。

あの自縄自縛自罰時間を、魔女狩りの様子を知らないのだろうか。

キモい』事に自覚がない、なんて。

外の誰に指さされる前から、内側で互いに『キモさ』を牽制する、あの空気を知らないのか。

見つからないように、作品名ではなくキャラの名でも引っかからないようにカップリング独自言葉で言い換えて。

純粋に』楽しんでいるファン世界に、異物が入らないようにとアカウントに鍵をかけ公式固有名詞を避けている彼女たちは、見えないようにすればするほど「いない事になる」。

そんな事をしても無駄だけれど。

検索RTで見つかった「痛い」奴が一人でもいればいい。

「『女オタク』が『腐女子』が、こんな事をしていた。やっぱりあいつらはろくでもない」

アスペルガー』が『ADHD』が『ボーダー』が、健常者の世界で、異物にならないようにと過ごして、障害が、疾患が、見つからない、いない事になる。

そんな事をしても無駄だ。

職場で、学校で、リアル世界で見つかった、『迷惑』な奴が一人でもいればいい。

「『アスペ』が『ガイジ』が『メンヘラ』が、こんな事をしていた。やはりあいつらはろくでもない」

一般人から切り離された『オタク』が、『男』『女』に分断されていく、そこから『(普通の)女』と『腐』に細分化されていく。

メンヘラ』、分断しますか?男と女に。

男の女の、うつ病双極性機能不全発達障害エトセトラエトセトラ

『腐』ではない女オタクからは、

『女オタク』は『腐女子』とは違う。

そうだね。嗜好は、まったく違う。

うつ病』は『ADHD』は『統合失調症』は『摂食障害』は違うように。

そう。苦しいところは、違う。

わかる。わかるんだよ。

わかる、だけど、どうして。

どうして。違いを語る言葉に、どうして否定が添えられる。

タイピングをする手が震えてくる。今日は眠れそうにない。もうぐちゃぐちゃだ。

オタクで、腐女子で、発達障害で、メンヘラの私には。

メンヘラ世界オタク世界リアル世界も生きづらい。

2018-02-10

anond:20180210160516

ほらanond:20180210151355で書いたとおり。

何故ネット中の匿名投稿サイトに乱投して目立とうとするんだ?無能なのに。

ネタも99%パクリで新味無いし、精神病他人議論はできる頭は残ってない

イラッとするとコピペの連投を始める。言い訳にすらなってない

anond:20180210150835

そのさびしんぼう性格どうにかしたら?

何故ネット中の匿名投稿サイトに乱投して目立とうとするんだ?無能なのに。

ネタも99%パクリで新味無いし、精神病他人議論はできる頭は残ってない

「私は安倍を叩いているんだ」という理由言い訳作って逃げてない?誰かに相手してもらいたいだけでしょ?

2018-02-05

web小説特有の改行文化が好きじゃない

元々、とにかく誰かの文章を読むのが好きで、小説とかニュースとかジャンルわずに暇さえあれば本やネットを読み漁ってた。

小説の傾向には、好き嫌いはあまりない。

なろうにこれでもかというくらいに溢れている異世界系も、特別好きでそれ目当てにアクセスするというわけではないが読み始めればそこそこ楽しんでいる自分がいる。

小説に限って言えば、本当なら少しお硬めの文体の人が好き。だから可能な限り好きな作家文豪の本は持ち歩くようにしている。

それでも、たまーには気分転換としてプロではなくアマチュアの不完全で危うく緩い文章を読みたいなと思う時もあって、そういう時は投稿サイトなどを巡る。

すると、内容が好みドンピシャのもの上記の通り、お硬めの作品が好きなのであまちにふざけすぎているものは好まない)に出会っても、とにかく改行が多くて読む動作自体ストレスに感じてしょうがない。

あれもネット小説文化だと割り切ってはいても、気になって調べてみると、作家側の意見としても「入れたくもない改行を、読者のために入れている」といった意見が数多くあることを知った。

横書きネット小説の、あの改行多用は一体何のためにあるのだろう?

読みにくいと感じてしまうのは私だけなのか?

極端な話、あの無駄な空白があることで、文章自体の魅力が半減以下になってしまう気がしている。折角ステキな題材なのに。そう思うことが多いのだ。

ネット小説文化の歩んできた歴史について、私はそこまで詳しくもないが、改行については昔から賛否両論だったらしい。

であれば、一度くらい、ネット上にアップする作品を「改行多用バージョン」と「通常バージョン」とで、二種類アップするようなやり方が流行たことはなかったのだろうか?

個人的意見として、文章が読めない・読みづらい・読むことが好きでない人は漫画を読んでいればいい。ただ、文章を読むことを幸せと感じ、誰かに書いてもらえた文章にありつけた時にこの上なく贅沢をしている気分になってしまうような私のような人間のために、せめて「文章を書くことを愛し、且つネットの改行文化に首を捻っている人」には(もしも周りに合わせなければと思って無理に改行を含ませているのなら)我慢してほしくないし、我慢しなくても良いような空気ができればいいなと思わずはいられない。

2018-02-04

なろうラノベを始める前に挫折

俺オッサンだけど、ラノベって憧れるんだよね。

10数年前にはケータイ小説というもの流行して、その程度の低いデタラメ小説ネットオタク達は嘲笑っていた。しかし数年後にはケータイ小説と似たような程度の低い文章カジュアル劣化アニメみたいなライトノベルがどんどん増えていった。

アニメばかり見てる奴が書いた「漫画イラストも描けないか小説で僕の考えた最強の妄想を!」という怠惰な下心が透けて見えるほどの薄っぺらライトノベルは、嘲笑すべき低俗小説に過ぎない。

 

…いやでも俺そんなのが結構好きなんだなw。

低俗妄想でも、その作者の面白いと思うものが詰め込まれラノベは魅力に満ちている。

中身や質を捨てても内容がガバガバでも、その作者のフェティシズムに全力を注ぎこんだ文章には駄菓子のような問答無用面白さがある。質より甘さ、安くてうまい

全く高尚ではなく、むしろ俗の極み。だからこその面白さ。

ラノベにはそういった俗な魅力があると思う。

 

ケータイ小説に似たような低俗文章も、また魅力だ。

文字数行間文学を詰め込む苦労をいなくても成立するカジュアルさ。

執筆モチベーションの全てを文学的表現ではなく書きたい事だけに集中できる気軽さ。

本質のみに注力できて、高尚な事を書かずとも良いという、俗ゆえのメリット

そういったラノベ世間に少なからず受け入れられているという事実

 

ラノベといえども「創作」だ。クリエイティブな事だ。

創作には苦労が付きまとう。どういった創作であっても完成させる事は困難だし、完成させても評価される事は稀だ。それでも創作し続ける者にしか日は当たらない。

例えばラノベ投稿サイト作品をUPしても概ね9割は殆ど人目に触れないのだそうだ。俗な文章世界でも成果を得るのは困難を極める。

それでもラノベを書く事には価値がある。マスターベーションだ。自慰快楽を伴う創作が許容されているなんて素晴らしい事ではないか

 

俺オッサンだけど、そんな感じで時間のある時にシコシコとラノベを書き綴っていた。

から「こまけぇことはいいんだよ」と割り切って書くラノベ執筆のなんと楽しい事か。

昨年8月から書き始め、ある程度の段落が揃ったので、そろそろUPしようかと思って「なろう」の投稿の仕方とか調べていたところなのですが。

 

…なんだか俺の書いたラノベと似通ったアニメ放送されている!

いまからUPしてもパクリと言われかねないほど設定とか似ている!

こんな事なら完結の目処が立たないうちからさっさと公開していればよかったと後悔しながらお蔵入りとなった自作ラノベは書きあがる前に挫折したのでした。

 

侮っていたけど難しいもんだラノベって。

2018-01-16

新たな文章練習法について

 文章サボり過ぎている。頑張ろう。

 文章トレーニングのための新機軸練習方法を思いついた。まだ思いつきの域を出ていないとは思うが、それはどんなものかと言えば思いついた単語を片っ端から書くというものである。あるいは頭文字共通している単語を書きまくるというものである赤ちゃんあんこアンダンテアスキー、とかみたいにね。つまりそうやって適当単語を書きまくっている内に――つまり無秩序単語を書きまくっている内に――秩序のある文章を書きたいという純粋欲求が生まれてくることを狙った文章練習法なのである。訳分からんことを敢えて書きまくっていると勝手に訳の分かることを人間は書きたくなるのではないかと俺は思っているのである。どこかの作家が言っていたが「誰にでもできることから始めることで、より高度な行為可能になる」ということなのだ。思いついた単語を書き並べることは(殆ど)誰にだってできることである。だから、まずは誰にでもできることを行うのが肝要なのだ。俺はそう思う。


 例えば、今ここまで文章を書いたところで俺のモチベーションは随分と下がってきているのだけど、あんことかアンダンテとか有馬記念とかみたいな単語を並べることは当然できる。だからモチベーションアップを図ることができるのだ。多分。知らんけど。


 ここまで書いたところで更にモチベーションが低下してきた。それでもまだ例の文章練習法に頼る必要は無さそうである。このままとりあえず書き続けてみよう。それで、モチベーションが底をついたところで実際に例の文章練習法を試してみるのが良いかもしれない。とは言え一応文章を書き続けることが(今のところ)できているので、そう、今のところその文章練習法に頼る必要は無い。やったぜ。


 そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。独り言のように何とかなりそう何とかなりそうと呟ける内はまだ何とかなるのだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。「そろそろモチベーションが尽きかけてきた」→「何とかなる何とかなる」的な。しかし先程の論法に従って言い換えてみれば次のようになるのかもしれない。「同じことを繰り返し書くことは誰にでもできる。だから、そうやって誰にでもできることをやっている内に、再びモチベーションが生まれてくる」と。そういうことなのかもしれない。書くことに迷ったらあんことかアンダンテとかアルゼンチンとかそういうことを書かずに、今まで書いたことを書写していくのがいいのかもしれない。その方が文章推敲にも役立ちそうな気がする。今にして思えば。


 例えば、今からこの直前の段落を俺は複写しようと思う。「そろそろモチベーションが再び尽きかけてきた。いや、まだだ。まだ何とかなりそうだ。しかしそろそろ難しくなって来た感がある。というのもさっきから同じことの繰り返ししか書けていないかである。」

 やはり同じことの繰り返しとは言え、何かを書いている分には脳の方でも「こいつ何か書いてんな」と反応している感がある。つまり、脳は割と鈍感なのかもしれない。同じことの繰り返しであれ複写であれ何であれ、ともかく何かを書いていれば「こいつ何か書いてんな」と脳は認識し、結果的に「何かを書く練習」になるのかもしれない。つまり文章技術一般を鍛えるための練習になるのかもしれない。人間の脳なんて基本的に騙し騙されなのだ適当文章を何度も何度も複写していれば、まるで新たな文章を五千文字書いているかのように脳は錯覚してくれるのだ。多分。知らんけど。実際知らんけど。そもそも練習になっとるのかどうか知らんけど。結局は脳の判断云々よりも人間が如何に新しいものを書こうとするかに文章価値根本存在しているのだとすれば、今俺が「脳は結構鈍感で勘違いする」とか言ってる傍からオリジナル文章を書きまくっているその意味もはっきりしてくるのかもしれない。しれない。よく分からないけど、多分そうなのかもしれない。

 というか今これだけ色々と文章を書けているのはひょっとしたら昼間に飲んだコーヒーに含まれカフェイン効能なのかもしれない。それだけのことなのかもしれない。しれない。よく分からない。でもそうかもしれない。何か結局同じことを繰り返し繰り返し書いてるだけにはなっていやしませんかね自分

 あいうえおあんこアンダンテ、秋、憧れ、有馬記念阿久津主税八段(将棋棋士)。


 以上の文章文字数は千八百文字程度である。こんなに書いたのに、普段目標としている千文字文章を二つ分弱書き終えた程度の文字数しか稼げていないことに愕然としている。やはり繰り返すしか無いのかもしれない。あるいはあ行の単語やか行の単語を並べていくしかないのかもしれない。


 ところで自分が何故このような文章練習法を思いついたかと言えば、それは安眠法の記事を読んだからなのだ。その安眠法は「連想式安眠法」と言って、先程述べていたような頭文字限定した単語を幾つも幾つも思い浮かぶ限りで頭の中で唱えていくという安眠法なのだが、これが中々人の脳の中にあるざわめきを抑える効果を持っているようで、つまりは実際安眠に役立つのである。で、俺もその安眠法のファンになってしまったのだが、しかし何度も何度も頭文字共通する単語を頭の中で唱え続けていると、今度は秩序だった文章を頭の中で唱えたい欲求が生まれてきたのである。この文章練習法は以上の体験を元に考案されている。どうだろう。結構この文章練習法良くないだろうか。実際相当文字数を稼げていると思うのだけど、でもやっぱりこれも昼間飲んだコーヒー純粋作用しているだけなのかもしれない。だってそんな簡単文章を大量に生産できるわけがないと思うのだ。今まで俺は文章をたくさん生み出すことが中々できないから焦ったり悩んだりしていたわけであって、それがこんな簡単方法によって改善するとしたらおかしいではないか、と心の一方では思っているのである。だから、どちらかと言えば自分自身の考案した練習法が功を奏したのではなく、昼間飲んだカフェイン所為と言ってしまう方が安心するのである。変な話だけど。

 基本的に俺という人間人生において空回りばかりをしており、自分の考案した方法が功を奏したことなど数える程も存在していないのだ。あるいは一つとして存在していないのだ、実数分からんけど俺本人の印象としては一つも存在していないと言いたいくらなのだ。だから、実際物事が功を奏したとはどうしても思いにくい、そう、「自分の手柄とは思いにくい症候群」が現れているのである。難儀なもんですね全く。ところでキーボードを叩き過ぎて段々指先が痛くなってきた。キーボードを叩くという実にヤワ運動が指先の神経を破壊したりするものなのかどうか俺には分からない。もしそんな事実存在するのであれば全国の小説家廃業しなければならなくなってしまう。だって彼らは日常的に三千文字とか四千文字文章を書きまくっているわけだから、つまりもしそんなペンだことかと同じキーボードだこ的な職業病存在するのだとすれば全国の作家及びキーボード日常的に使用する全ての職種の人々は皆等しく指先の神経破損症候群的な持病を抱えることになってしまうのであり、しかし世の中で生きていてもそんな持病の存在について耳にすることは殆ど無いことから、あるいはそんな持病は存在しないんじゃないかと思ったりもする。とは言え、俺のキーボードタイプする力は常人よりもやや強いのかもしれない。若干指先がひりひりし、指の第二関節が少しばかり痛む程度には俺のタイプチカラは強いのかもしれない。そもそも俺は小指を使わずタイピングを行う自己流の要矯正タイピング法に慣れ親しみすぎており、つまり他の人々よりも指の負担がやや多くなっている可能性があるのである。小指が本来受け取るはずであった負担を四本の指に分配してしまっている可能性があるのである。そう考えると俺だけがこの指先神経破損症候群的な症状に罹患してしまうとしても強ち想像力の枠外とは言いにくいのではなかろうか。


 こんなところでようやく文字数が三千文字を超えていった。とは言えまだ三千文字しか書いていないのかという感覚存在している。あるいは俺の考えた文章練習法のお陰ではなくカフェイン所為なのではないかという疑惑も依然として根強く存在し続けている。

 しかし今ふと思ったのだけれど、やはり効果的な練習法の条件の一つには、人間心理的ハードル技術的なハードルを落とすことが含まれるのかもしれない。あるいは技術的なハードル心理的ハードルを下げることを含む必要があるのかもしれない。だって幾ら効果的な練習法が存在したところで、それが技術ハードルおよび心理的ハードルをゴインゴインと引き上げてしまったら元の木阿弥で誰も挑戦しなくなってしまうことになるではないか。俺今正しいことを言ってる感覚がある。そう、「誰にでもできることから始めよう」作戦は実に正しいのである。例えば、カメラに習熟したいならシャッターを押しまくれば良い。シャッターを押すだけなら大概の人間にはできるからだ。バカチョンカメラとも言うではないか。誰でもちょんと押しさえすればカメラは大抵風景を切り取ってくれるものである。多分。もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれないけれど。

 ホラ見ろそんな注釈自分で付け始めることないのに自分からハードル高くしにいってんじゃねーかと思う。「もっと専門的でテクニカルな要素を持ったカメラ撮影があるのかもしれない」とか言い出しちゃうタイプ人間なのだ俺は。つまり自分心理的技術的なハードルをゴインゴインと上げてしまタイプ人間なのだ。俺は。そう考えるとやはり誰にでもできることをやることは、全くもって善なる練習法なのではないだろうか。だって俺がこういう性格しちゃってるもんだから、尚更その「バカチョンカメラ」式練習法が輝かしいものに感じられるのだ。つまり自分が書いた文章最初から書写したりとか、あるいは頭文字が「あ」で始まる単語を書きまくるとか、そういう「誰でもできること」がやっぱり大切なんではなかろうか。そんな気がどんどんとしてきた。ホラ、だって文章が目茶苦茶量産体制に入ってるのは、さっき自分心理的技術ハードルを落としたからではなかろうか? そう考える傍から「いやいやカフェイン所為でしょそれ」的な思念が浮かんできてしまうのだが、これは良くないことなのかもしれない。しれない。分からない。小麦粉か何かだ。古いねこのネタ。正直昔このネタ聞いてもあんまり面白いとは思わなかった。恐らくこのネタ楽しいと思うにはそれまでラーメンズが演じてきた演目に対する知識必要になるのではなかろうか。なかろうか。俺、さっきから「なかろうか」とか「かもしれない」的なことを書きまくってるけど、それは俺の中にある自分が書くものに対する不安の念の現れなのかもしれない。現れなのではなかろうか。しれない。かもしれない。分からない。小麦粉か何かだ。


 ようやく四千五百文字を超えた。というか文章を書き始めてからこの辺りで既に四十分近くの時間が経過している。あっという間だ。今俺はライティングハイ的な状態になっているのだ。それがカフェイン所為なのか、あるいは俺の編み出した練習法により心理的技術的なハードルが下がった所為なのかは分からないが(その真偽は恐らく明日以降カフェイン摂取しない自分が自ずから証明してくれるであろう)、いや分からんね。そもそも自分が何を書こうとしてるのか分からんから必然的に「分からん」とか「知らない」とか「小麦粉か何かだ」的な記述が増えてきてしまうのです。


 ところでアレですよ、最近「なろう小説」というもの流行ってますよね。流行ってるんです。ええ。流行ってますとも。多分。知らんけど。

 この「なろう小説」の特徴としては、大体物語の冒頭で主人公が死んで転生するところから始まる。そして転生後の世界主人公稀有な才能を持った偉人として君臨することになる。そういう筋書きが殆どなのだ。この呼称はどのように生まれたかと言えば(アノニマスダイアリーに生息する御仁達には説明不要かもしれないが)この小説ジャンルは「小説家になろう」という小説系の投稿サイトで幅を利かせたジャンルなので、「なろう系小説」とか「なろう小説」といった呼称をされているのだ。説明すればするほど醜悪まりない作法によって書かれた小説ジャンルだと思うが、中には面白い作品もあって、個人的には「異世界料理道」なるタイトル作品推しておきたい。これはもう既に商業デビューを果たした作品であり、商業デビューするだけのことはあって世界観の組み立てやストーリーテリングが非常に上手い小説なのだ。二百話近くあるエピソードの半分以上を読んでしまったくらいだ。

 で、俺が言いたいのはそういう稀有面白さを持った小説に対する賛辞ではなくて、その「なろう系小説」を書いている人間文章生産能力に対する賛辞なのだ。俺はプロになる為には一日最低三千文字から四千文字文章生産する能力を持たなければならないと思っているが、いわゆる「なろう系」の小説を書く人間の中には一日に一万文字とか二万文字を平気で書き上げる人間ゴロゴロしていると言うのだから驚きである。一日二万文字と言えば、速筆で知られたか西尾維新氏が、それくらいの文章生産能力の持ち主だったかもしれない。しかし俺だってカフェインブースト心理的技術ハードルを下げる効果的な練習法さえあればそれぐらいの量の文章を書くことなんてお茶の子さいさいだぜと言いたくなってくる。実際そろそろ五千文字突破して六千文字に迫るか追い抜くかをしているところだと思うが、あ、そろそろキツくなってきたかもしれない。いやしかし「キツい」キツいと繰り返している内はまだ大丈夫だと先程言ったばかりである。これもまた繰り返している。繰り返し。繰り返し、リピートリピート。繰り返すことが人間心理的ハードル技術的なハードルを下げ、人間効果的な文章トレーニング提供することになるのだ。多分。でも一応今日はこの辺にしておこう。

2018-01-02

昔読んだ漫画タイトルを誰か教えてくれないか

もう4~6年前くらいの漫画なんだが、どーしてもタイトルが思い出せないので、

増田諸氏、ブックマーカー諸氏の力を借りたい。

webで公開されていた

・一応BLものというくくりだった…と思う。が、恋愛のくだりはなかったので誰でも読めるという感じ。

・何か店(パン屋?)をやっているおじさんと、客の若い学生?)男の子の話

・双方、もしくは片方にゲイ自覚がなかった

・「お前らもう両想いだろ!」といいたくなるような態度なのに、前述の自覚のなさのせいで、自分の思いに無自覚

・でも、気持ちはあるのでどぎまぎはする。

以下、公開の方法など

4コマ漫画形式。1ページに2本づつ乗っているタイプ

pixivとか新都社みたいな、投稿サイトではなく、個人サイトで公開していた。

・全部、もしくは回によってはカラーだったと思う。

正月で暇をもてあましてる人、ちょっと力を貸してもらえないだろうか。

2017-12-11

おすすめ準〜ガチ匿名投稿サイト

🔵テルミー→アイコンの猿が特徴。このサルゥ!自分プロフ設定可能サービス閉じるのは時間問題http://tell-me.jp

🔵honne→レスがとにかく早い。楽しい。完全匿名http://iphone.ascii.jp/2017/04/30/04534543/

🔵2ちゃん→おなじみ

🔵はてな匿名ダイアリー20代〜30代があつまる長文匿名サイト。たのしいよ

https://anond.hatelabo.jp/

みんなちょっとひねくれてる

2017-11-23

なろう系っぽいノベルゲーってないか

最近マンガアニメでもなろう系が増えてると思う

から小説アニメは基本見なくてマンガゲーム趣味にしてる私でも見ることが増えた

なろう系って転生する以外にネトゲRPG風な設定というのが基本だからゲーム好きな自分としてはけっこう楽しめる

だけど、問題があって、ちゃんとした完結が来るのか(見れるのか)がわからない

自分が読むのはマンガであって原作小説あんまり手を出す気が起きない

コミカライズって原作最後まで行かないことも多い

特にネットノベルなんていつ終わるかわからないし

そう、このいつ終わるのかわからないというのが特に問題

お金もらって出版社でだしてるんじゃなくてあくまフリー投稿サイトにある趣味範囲創作物なんだ

からちゃんと完結してくれる保証も他のコンテンツより少ない

そこで思ったのがノベルゲー

ゲームって基本発売時にはストーリーは完結していて、連載ものみたいに待つ必要がない

それに周りの意見フラフラすることもなく最初に決められた流れでいい感じに終わってることが多い、と思う

個人的にはノベルゲーって、キャライラスト・背景・ボイス・BGM映像演出ユーザ操作可能といろいろな点で通常のノベルマンガアニメよりも優れてると思う

動き的にアニメがいいって人もいるけど、個人的には自分のペースで見れるほうが嬉しい

というわけで、ノベルゲーでなろう系な話ないか

あくまストーリーの感じがなろう系なものであって、実際になろうにある作品ノベルゲー化したものは逆にダメ

完結してない中途半端で、ラノベアニメ化したものゲームにした中途半端クオリティの予感しかしないのでオリジナルタイトルがいい

基準としては

主人公現実世界知識があって現実離れした世界に行ってそっちの世界舞台になること

 転生でも転移でもどっちでもいい

主人公が他の人にない特殊な力を持ってる

 物理的な力でバリバリ戦う系でなくてもいい、サポートとかでも

・異世界に馴染むシーンから始まって、見る側が面倒なファンタジー世界の設定を一気に理解する手間がないこと

 個人的に完全ファンタジー世界マンガあんまり読まなくてその理由が設定理解するのが疲れるからだったりするのでそこが楽なのがなろう系の1つの良いところだと思ってる

世界転生とはちょっと違うが「うたわれるものシリーズはすごく好き

家庭用ゲーム機でできれば原作エロゲとかは気にしない

2017-10-22

Sankaku Channel(海外画像投稿サイト)のタグの仕組みが凄い

まあ正直このサイト自体は、無断転載著作権侵害巣窟だし、勝手広告ポップアップするしで全然褒められたサイトじゃないんだが、

タグの取り扱いに関してだけは本気で感動したので紹介したい。

他のサイトニコ動とかpixivとか)もこういう仕組みになってくれないかなあ。

タグ数に上限が無い

本当に無制限ってことはないだろうが、見かけ上の上限は無い。少なくとも50個くらいは付けられる。

キャラ名や作品名シチュ場所を表す言葉からキャラの人数、ポーズ、付けている装飾品の隅々までほとんどタグ化されている。

pixivなんかでよくある「好みの絵を探したいけど俺の好みはタグで表されない!」的な現象ほとんどあり得ない。

タグ属性がある

作者名作品名キャラ名には「Artist:」「Copyright:」「Character:」といった専用の属性タグ付与することができ、これが付いているとタグの色が変わり、他のタグよりも上に表示されるようになる。

属性間の並び順も決まっているので、画像を開いてすぐに情報を視認しやすい。

検索時にこれらの属性指定した検索もできる。

特筆すべきは、「白い背景」「高解像度」のような「媒体属性、「タグ希望」「重複可能性あり」「翻訳希望」のような「メタ属性

翻訳機能

海外サイトなので全てのタグ英語なのだが、タグ編集画面を開くと、そのタグ対応する日本語登録することができる。

そうすると、日本語環境で閲覧する利用者全員に対して、そのタグ日本語で表示されるようになる。

検索英語日本語両方で可能で、同じ検索結果を返す。

今のところ英語日本語のみ。

エイリアスインプリケーション

表記ゆれなどで、ほとんど同じ意味なのに異なるタグというものがどうしても発生してしまう。

たとえば、「miku_hatsune」と「hatsune_miku」など。

そんな時は、「miku_hatsune」をエイリアス登録して「hatsune_miku」に関連付ければ、「miku_hatsune」は全て「hatsune_miku」であるものとして扱われるようになる。

これは両者のタグが完全に同じ意味だった時の場合だが、あるいは片方のタグがもう片方を完全に含んでいるという場合も考えられる。

「hatsune_miku」と「hatsune_miku_(append)」などがそれにあたる。

この場合は「hatsune_miku_(append)」をインプリケーションに登録して「hatsune_miku」に関連付ける。

そうすると、「hatsune_miku」を検索した際に「hatsune_miku_(append)」しかついていないような画像も一緒に表示されるようになるわけだ。

タグのついた画像の総数を常に表示

検索結果にしても、画像のページにしても、タグが表示されるような場面では必ずそのタグの横に「(そのタグのついた画像の総数)」が表示される。

これは意外と便利である。そのタグがどれだけ市民権を得ているか知っておけば検索もしやすい。

総評

どの機能をとっても、「タグ検索認識齟齬が起こらない」ことが徹底的に追及されている。

ニコ動pixivなどのサイトで散々検索に苦労してきた身としては、どのサイトにも欲しい機能ばかりだ。

こんなに素晴らしいシステム海外違法性溢れるサイトしかないという事実まことに残念である

2017-10-11

面白い本を探すことの難しさ

なんと言っても読んでみないとわからいからどうしようもない。

 

ベストセラー口コミで評判も面白いって意見は嘘ではないのだろうけど

自分の口に合うかはわからない

 

読んで試していくしかない以上

できるだけ当たりを引けそうな確率が高いところから

狙っていくのが効率的かと思う。

 

ジャンルごとに有名作家、有名作品辺りから試していったり

並行してなんとなく自分趣味はこんなんだって手がかりから

読んでみたい本を見つけてもみる

 

どんだけ時間を費やしたところで有名作品

読んでみたい本も読み切れないのに

素人投稿サイトにかじりつく奴が信じられない

2017-08-22

https://anond.hatelabo.jp/20170822031149

いや、読者側の反応なのはわかっているよ

それに、エロ表現特に擁護したりするタイプじゃないので


なんというか、どんな表現作品でも嫌悪感を持つ人が一定数いるんだよ

本当に好きなものを好き勝手描いて多くの人に好意的に見られるなんて一握りの天才だけで、その天才アンチがいない訳じゃないんだし

運営判断はそういう耐性のない人の線引きだと思うので、それに納得できないなら他を探すか自前で場所を用意するかしかないんじゃないか

表現の自由って言っても受け入れ難きはなかなか受け入れて貰えないよ。残念ながら


恐らくあなた投稿サイトルールに則って作品投稿していたんだと私は思う(グロ規制の不満の比較としてあげられている過激エロ表現が年齢指定なしの投稿で野放しの可能性はかなり低いだろう)

エロがよく話題にあがるけど、グログロで知らないとこで更にゾーニングされてたんだな

2017-08-09

https://anond.hatelabo.jp/20170809011633

それが欧州でまかり通るなら、海外版pixivみたいなイラスト投稿サイト素人の色鉛筆画みたいなイラスト投稿し続ける人が少しは減るはずなんだがな。

趣味くらいユルくたっていいだろ

2017-07-27

https://anond.hatelabo.jp/20170727055016

twitterとかで誰かが載せてる映像テレビ局側が頼んで使わせてもらっている、とか思ってるのかな

それなら元々お前(テレビ局)の為に撮影したものじゃないのに図々しい、と言う発想は分からんでもない

実際はテレビ局側に投稿サイトがあって、そこに投稿されているものを使っているわけだけど

2017-07-08

怪文書投稿サイト増田になろう!」

人気のジャンルうんこ政治、男女叩き、オタクネタ大喜利。たまに匿名告発。他サイトで人気の異世界転生や俺ツエーはあまり人気がありません。

ブクマを稼げば自己顕示欲を満たせます最近になってようやくデイリーランキングっぽい物が実装されました。

うまくいけば国会で取り上げられる事はありますアニメ化される可能性はほぼ無いです。

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