はてなキーワード: 外交政策とは
個人的な印象を言うと言語学なんかは何語でやっても比較的大衆から信頼されると思うよ。良くも悪くも金にならない学問だし。でも政治思想と関わる社会学なんかはどうやって陰謀論が出てくる。御用学者もいれば、マルクス主義の流れだってある。そんな党派性が当たり前にあるなかで自分の大学教員としての学問性を担保できるのは海外査読の英語論文だけなんじゃないだろうか。
最初の増田でも書かれてたけどさー、言語別の研究蓄積の偏りみたいなのがあって、ぶっちゃけ日本社会に関する研究とかだったら日本語の方が圧倒的に詳しいしむしろ英語圏の研究に偏りがあったりすることがあるんだよな。オリエンタリズムみたいな偏見があるとかさ。
前に英語圏の大学でPh.D.獲った日本人の日本史研究者も、日本語圏での研究蓄積をぜんぜん踏まえずにトンチンカンなこと言ってる、って評判になってたな。
英語圏の日本研究にもすぐれた業績が多く、見習うべき点も多いけど、やっぱり日本での蓄積にはかなわないんですわ。ただ彼らの研究には日本出身の日本研究者にはない視野がある。そういう意味でもっと海外と交流しようというのは賛成だけど、別に英語圏が研究の最先端ってわけじゃないんだよなあ。
日本には日本のバイアスがあるし、英語圏には英語圏のバイアスがある。アルミニウムの密度は日本で測定しようがアメリカで測定しようが同じだろうし、ドイツ人のアイディアだろうがインド人のアイディアだろうが数学の世界では同じなのかもしれないけれど、人間社会を研究する学問ではどの言語で研究したって党派性は出てしまうんですわ。だからって開き直るんじゃなく、そういう党派性・バイアスの存在を自覚した上で文献を読み書きすることが必要なんだけどね。学問ってそうやって先行研究を批判的に継承した上に自分の発見を付け加えていくものだと思う。
日本研究の標準語は日本語にしろ、アメリカ人だろうがフランス人だろうが日本語で論文を書かないと無価値だ、という流れになって、結果的に日本語での研究が国際化する、という方向性も個人的にはありだと思うんだけど、連中なかなか日本語で書いてくれないんだよなー。日本語の方が研究蓄積厚いのにね。まあそれはお互い様ということで、私らもイギリスやドイツについての論文を日本語で書かせてもらってます。アメリカ人の東洋史研究者がみんな日本語や中国語で論文を発表し、英語で論文を書いてもアメリカのアカデミアでちっとも評価されない世界が訪れるなら、私らも現地語で論文書いてないやつは無価値だ主義に転向してもいいんだけどね。
あとついでに言うと経済と国際関係は絶対英語でやってくれ。自国経済や外交政策の運営が世界の潮流に裏打ちされてないなんて知ったら国民が不安になるじゃないか。
経済学についてはしょーじき、文系の中でもかなり「理系」的なとこなんで、どうなってるか純粋に人文系の俺にはよくわからんが、こないだ香港に頭脳流出してた若手経済学者とかいたから、英語で書いてんじゃね? 知らんけど。
論文を読めない素人さんあるいは専門外の人たちに何をベースに信頼を担保するのかという問題なのでは?
日本の学会誌に日本語で論文出したよって言っても、著者は偉い先生の弟子で、審査委員は全員その先生に逆らえない、あるいは論文の内容に関して政府から圧力が入ったって情報あるいは噂話が入ったら、論文の中身を自分で検証できない人は著者を信じることを躊躇しちゃうよね。理系で英語誌でもそういう贔屓の問題は起きないわけじゃない(実際米国でのコネが効くといわれている)けど、国際的に中立そうな権威から認められた論文のほうが大衆からの信用を勝ち得るというのは事実だと思う。
実際内容検証する人たちからすれば、それこそ全部arXivでいいし(分野によっては無名の学者がarXiv投稿しても読む人数が少ないのではという問題はあるが)、一つ一つの論文の重要性まで加味するなら、そもそも論文や発表の「件数」を数えること自体が無意味だよね。で結局は人間同士の信頼の話になるんだけどそれはコネと腐敗の温床であって、文系のアカデミアは今まさにその腐敗を指摘されてるんだと思う。
個人的な印象を言うと言語学なんかは何語でやっても比較的大衆から信頼されると思うよ。良くも悪くも金にならない学問だし。でも政治思想と関わる社会学なんかはどうやって陰謀論が出てくる。御用学者もいれば、マルクス主義の流れだってある。そんな党派性が当たり前にあるなかで自分の大学教員としての学問性を担保できるのは海外査読の英語論文だけなんじゃないだろうか。
あとついでに言うと経済と国際関係は絶対英語でやってくれ。自国経済や外交政策の運営が世界の潮流に裏打ちされてないなんて知ったら国民が不安になるじゃないか。
言語とか文化はいいんだよ。そういったものに国民はある程度の税金投入の必要性を感じてる。でも対立する社会政策や怪しい経済や国際論争に税金が投入されているのではないかと懐疑的になって税金を出すのをやめろという勢力が出てくるのは止められない。「自分たちは正しい」と居座るのでなしに、そういうのに答えていくのも科学者の仕事なのでは。
・経済政策
ただ長期的に見ると国によって株価が維持されている状況なので、市場経済的に健全とは言えません。
明確な出口戦略もないです。
つまり国が市場からお金を引き上げようとすると株価が暴落する可能性が極めて高いです。
・外交政策
あと北方領土問題を解決しないで平和条約を結べ、と言われています。
これは外交が上手なんでしょうか?外交がうまくいっていると思った具体的な理由は?
(麻生がプーチンの肩を叩いて談笑している写真はいらないです)
・憲法改正
私も絶対護憲という立場ではなく、世界平和の観点から自衛軍の存在を明確に認めることは良いと思っています。
しかし自民党改憲草案ではそれだけはなく国民の人権を縮小・制限する方向で書かれています。
自衛軍を持つなら持つで米軍の占領を排除すると打ち出すべきです。
陰謀論的になってしまいますが、国内の大手電機メーカーは軍需産業としての側面もあり、
それらが衰退しているいま、国家の軍拡化は経済界からの要望とも見るべきと思われます。
飯の種にならない兵器に国税が費やされて割りを食うのは庶民ですよ。
森友加計問題では決定的な証拠がいくつも出ていると思うんですが、あれ以上何を求めるんですか?
疑いがなければ公文書を隠蔽、改ざんする必要もないと思いますが。
あなたの論は全体的にふんわりしているので、なぜネトウヨ(もしくは親安倍)になったのか、もっと具体的な事柄を明示してくれると幸いです。
靖國神社は明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社が始まりで、明治12年(1879)に「靖國神社」と改称されて今日に至っています。
信教の自由の観点から、慎重に時間をかけて調査している間に、国際情勢が変化し、アメリカは、ソ連を中心とした共産主義国家に対抗することに外交政策の軸足を移した。
靖国神社の存続容認に、いわゆる逆コース、もしくは、「日本の非軍事化・民主化の促進に重点を置いた政策」から「日本を共産主義国家に対抗するアメリカの同盟国に変える政策」という政策変更が、作用したと見られている。
GHQによって、日本を戦争に駆り立てた宗教(神道)は禁止されたけど、アメリカとソ連の冷戦で、見直しになった。
外国から見ればA級戦犯でも、日本人にとっては同胞なので、日本人も靖国神社を容認/参拝している。
オウム真理教も事件を起こしたが、信者たちはいまだに教祖を尊敬している。
低能先生はじめ、40代ロスジェネ世代を今後どうするのかについて、少し考えてみた。
今の日本で一番お金を持っているのは老人と大企業ということになっている。
老人は金を貯め込んだまま何もしないし、大企業は完全に成熟し切った日本市場を無視して、海外の市場展開のために資本を投資し続けている。
もし日本共産党が政権を取ったら、これらから金を取り上げて、どうやって再配分するのか、怖いもの見たさで気になるよね。
正直言って、自民党政権は財界や地方選挙区とのしがらみが大きすぎて、自民党にはロスジェネ世代を救うのは無理だと思う。
日本共産党に政権を取らせるリスクとしては、内政はともかく、すぐに近隣諸国に謝罪・賠償を始めて、日米安保条約を廃棄して、日本の領土を中国共産党に売り渡す可能性が高いこと。
自民党の外交政策については国民も認めているので、このままでいい。
だから、外交政策は自民党にやらせて、内政については共産党にまかせる(自民党と共産党は互いに干渉しない、という形の連立)。
これの筆者です。
id:netcraft3さんに「このままシリーズ化してほしい」と言われたんですが、そのつもりはないです。歴史学に対してろくな知識もないから恥をかきそうだし、人気の増田(国会ウォッチャー)みたいに注目をあびるのは恐ろしいです。
なので今回で最後になるかもしれませんが、ひとまず「遣唐使」について見ていきましょう。
山川出版社『詳説日本史』の「遣唐使」という項は、次のように書かれています。全文引用します。
618年、隋にかわって中国を統一した唐は、東アジアに大帝国をきずき、広大な領地を支配して周辺諸国に大きな影響をあたえた。西アジアとの交流もさかんになり、都の長安(現、西安)は世界的な都市として国際文化が花ひらいた。
東アジア諸国も唐と通交するようになり、日本からの遣唐使は8世紀にはほぼ20年に1度の割合で派遣された。大使をはじめとする遣唐使には留学生・留学僧なども加わり、多い時には約500人の人びとが、4隻の船にのって渡海した。しかし、造船や航海の技術はまだ未熟であったため、海上での遭難も多かった。遣唐使たちは、唐から先進的な政治制度や国際的な文化をもたらし、日本に大きな影響をあたえた。とくに帰国した吉備真備や玄昉は、のち聖武天皇に重用されて政界でも進出した。
朝鮮半島を統一した新羅とも多くの使節が往来したが、日本は国力を充実させた新羅を従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた。8世紀末になると遣新羅使の派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった。一方、靺鞨族や旧高句麗人を中心に中国東北部に建国された渤海とは緊密な使節の往来がおこなわれた。渤海は、唐・新羅との対抗関係から727(神亀4)年に日本に使節を派遣して国交を求め、日本も新羅との対抗関係から渤海と友好的に通交した。
これはひどい。遣唐使の派遣再開が何年だったかという記述がありません。
そもそもこの派遣が再開であるという基礎知識すら、この教科書では把握できません。ページを戻って第2章「1,飛鳥の朝廷」の「東アジアの動向とヤマト政権の発展」という項では、「倭は630年の犬上御田鍬をはじめとして引き続き遣唐使を派遣し」たとあるのですけど、その後にしばらく派遣を中断した時期があることは記載なし。
一時期は中断していたからこそ、702年の派遣再開に歴史的意義があります。第1回の遣唐使派遣が630年ですから、何と、まだ大化の改新をやっていない時代ですよ? それくらい古い時代から派遣していたにもかかわらず、多くの教科書が8世紀初頭の出来事として遣唐使のことを説明するのはなぜでしょうか。それは再開というターニングポイントを重視しているからです。本書もそれに従って、「3,平城京の時代」という単元に「遣唐使」の項を配置しています。それならば、中断・再開の経緯について説明を載せるべきです。
ちなみに、他の教科書では、遣唐使の派遣再開についての説明が次のようになっています。
「7世紀前半にはじまった遣唐使は、天武・持統天皇の時代にはしばらく中断されていたが、702年久しぶりに難波津を出発した。」
「白村江の戦いののち、30年あまりとだえていた唐との国交が、701(大宝元)年の遣唐使任命によって再開され、以後、遣唐使がたびたび派遣された。それまで、半島からの渡来人や新羅などに学びながら、ある程度の国家体制を整えてきたが、この年の大宝律令とともに、唐との直接交通を始めたのである。」
「律令制度を整えた朝廷も、702(大宝2)年に遣唐使を復活させ、唐の文物や制度の摂取につとめた。[中略]
こうしたなか、朝廷は新都の造営や貨幣の鋳造、国史の編纂などを次々に実行して、中央集権体制にふさわしい国家づくりに励んだ。」
[引用者注:教科書のページを戻って「白村江の戦いと国内体制の整備」の項では、白村江の戦いののち、遣唐使が「669年を最後に中断した」という記述あり。]
遣唐使が中断していた理由もわかるし、大宝律令の制定と遣唐使の再開という2つの出来事を結びつけて理解することができます。
三省堂の記述もおもしろいです。私は前回、この教科書について、「時代の流れがよくわかる」「時系列にしたがった記述が多い」というようなことを書きましたけど、ここでもその特徴が出ています。
大宝律令の制定、平城京への遷都、貨幣の鋳造、国史編纂というのは国内政治です。一方、遣唐使、新羅・渤海との関係は、外交政策です。普通の教科書はこれを別項に分けますが、三省堂はこれを同じ項にまとめて一つの時代の様相として語っているのがすごい。
東京書籍、実教出版も、中断・再開に触れています。その点は『詳説日本史』より絶対にマシです。
山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)は、教科書のページ数が少なくて、内容もぺらぺらに薄いです。『詳説日本史』と同様、これでは大雑把に奈良時代の初め頃だったということしか分かりません。(しかも正確には702年に派遣再開されたので、これを奈良時代の出来事と把握すると誤りになります)
東大入試(2003年)は、遣唐使の本質にせまる問題を出しています。
次の(1)~(4)の8世紀の日本の外交についての文章を読んで、下記の設問に答えなさい。
(1) 律令法を導入した日本では、中国と同じように、外国を「外蕃」「蕃国」と呼んだ。ただし唐を他と区別して、「隣国」と称することもあった。
(2) 遣唐使大伴古麻呂は、唐の玄宗皇帝の元日朝賀(臣下から祝賀をうける儀式)に参列した時、日本と新羅とが席次を争ったことを報告している。8世紀には、日本は唐に20年に1度朝貢する約束を結んでいたと考えられる。
(3) 743年、新羅使は、それまでの「調」という貢進物の名称を「土毛」(土地の物産)に改めたので、日本の朝廷は受けとりを拒否した。このように両国関係は緊張することもあった。
(4) 8世紀を通じて新羅使は20回ほど来日している。長屋王は、新羅使の帰国にあたって私邸で饗宴をもよおし、使節と漢詩をよみかわしたことが知られる。また、752年の新羅使は700人あまりの大人数で、アジア各地のさまざまな品物をもたらし、貴族たちが競って購入したことが知られる。
設問:この時代の日本にとって、唐との関係と新羅との関係のもつ意味にはどのような違いがあるか。たて前と実際の差に注目しながら、6行以内で説明しなさい。
山川出版社『新日本史B 改訂版』(日B018)です。これ以外は、どの教科書も上記引用した『詳説日本史』と似たり寄ったりの内容ですから、いくら熟読をしても答案を書くことが難しいと思います。(三省堂をのぞく。後述)
8世紀に入ると、日本は20年に1度の回数で大規模な遣唐使を派遣した。日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢であり、使者は正月の朝賀に参列し、皇帝を祝賀した。[中略]
一方、日本の律令国家内では天皇が皇帝であり、日本が中華となる唐と同様の帝国構造を持った。日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけており、従属国として扱おうとした。
白村江の戦いののち、朝鮮半島を統一した新羅は、唐を牽制するために日本とのあいだにひんぱんに使節を往来させ、8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった。やがて対等外交を主張したが、朝廷はこれを認めず、藤原仲麻呂は新羅への征討戦争を準備した。一方で、新羅は民間交易に力を入れ、唐よりも日本との交流が質量ともに大きくなった。現在の正倉院に所蔵されている唐や南方の宝物には、新羅商人が仲介したものが多いと考えられる。[後略]
以上に準拠しながら、私なりに要点をまとめておくと、次のとおりです。
(1)は、日本が唐から律令を学び、その中華思想の影響を受けたことを言っています。つまり、日本はみずからが「中華となる」という「帝国構造」を作ろうとしたのです。「日本は新羅や渤海を蕃国として位置づけ」て、彼らを野蛮だと侮蔑し、従属国として扱おうとしました。ですが、唐だけは別格です。あのような大国を敵にまわすと、恐ろしいことになりかねません。そういう遠慮があって、唐のことだけは尊重して隣国と呼びました。
(2)は、「日本は唐の冊封を受けなかったが、実質的には唐に臣従する朝貢」をしていたということです。唐の臣下となって朝貢する国々の中にも、その立場にはランクがありました。日本と新羅はともに唐の臣下だったのですけど、日本は新羅より格上の臣下になろうとしたのです。
(3)は、日本と新羅の関係悪化について述べています。新羅が「8世紀初めまでは日本に臣従する形をとった」ので、その間は関係がうまくいっていました。しかし、新羅が「やがて対等外交を主張」するようになったから、両国関係はこじれてしまったのです。それが最終的には藤原仲麻呂が「新羅への征討戦争を準備」するくらいにエスカレートします。
(4)は、日本と新羅が政治的には対立しつつも、経済的には交流が盛んだったという内容です。「新羅は民間交易に力を入れ」ました。「新羅商人が仲介し」、日本へ「唐や南方の宝物」をもたらしたのです。それは貴族たちが競って購入したがる垂涎の的でした。現在「正倉院に所蔵され」ている宝物も、そういうルートで輸入したものが多いのです。
教科書の読み比べをすることの目的は、なにも入試に対応するためだけではありません。
例えば『詳説日本史』には、最初に引用したとおり、「日本は国力を充実させた新羅を従属国として扱おうとしたため、時には緊張が生じた」とか、「8世紀末になると遣新羅使の派遣はまばらとなるが、民間商人たちの往来はさかんであった」という記述があります。この短い記述が伝えようとしていることの本当の意味は、『新日本史B 改訂版』(日B018)のような他の教科書と併読することにより、はじめて正確に把握できるのです。
ところで、この教科書の著者は、東大の先生が3人、京大の先生が1人です。本書だけに載っているネタを使って入試問題がつくられたのは、そのへんの事情もあるのかなと勘ぐってしまいます。
もしくは、これは2003年の入試問題ということだから、ちょうど講談社の『日本の歴史』シリーズ(2000年~2003年)が発行されていた時期ですし、そちらの内容を意識しているのかもしれないですね。一応、そっちのシリーズからも引用しておきましょう。
国内及び新羅などの諸国に対する時と、唐に対する時とで天皇の顔を使い分けるという、まことにすっきりしない状況でもあった。このような努力・苦心を払って日本が手に入れようとしたのは、東アジアの有力国としては新羅より格が上、という地位の確認であり、また初期の遣唐使が唐の高宗に蝦夷を見せたことに示されているように(『日本書紀』斉明五年七月三日条)、日本は隼人や蝦夷などの異民族をも支配下にいれた大国かつ君子国であるという評価であった。いわば唐を盟主とする諸国の中での相対的に高い地位を求めるとともに、自らの小帝国であることを唐に認めさせようとしたのである。(石母田正『天皇と諸蕃』)
さきにもふれたように、「日本国」は唐帝国との公的な外交関係では「天皇」の称号を用いることができず、実際には二十年に一度の使い――遣唐使――を送る唐の朝貢国に位置づけられていたと考えられるが(東野治之「遣唐使船」朝日新聞社、一九九九年)、国号を「倭」から「日本」に変え、「天」をつけた王の称号を定めたのは、唐帝国に対し、小なりとも自ら帝国として立とうとする意志であったことも間違いない。
実際、「日本国」は「蛮夷」を服属させる「中華」として自らを位置づけ、「文明」的と自任するその国制を、周囲の「未開」な「夷狄」におし及ぼし、国家の領域を拡げようとする強烈な意欲を、その発足当初は持っていたのである。
[中略]
このように、朝鮮半島に対しても圧力を加えて、朝貢を強要する姿勢を示す一方、「日本海」をこえてたびたび使者を送って交易を求めてきた渤海については朝貢国として扱うなど、「日本国」は自らを「中華」とし、帝国として四方に臨もうとしていた。しかし東北侵略を止めた9世紀に入ると、こうした「帝国主義」的な姿勢、列島外の世界に対する積極的な動きはしだいに退き、十世紀になれば、ほとんどそれは表に現れなくなっていく。
日本が置かれている立場としては、唐への朝貢という屈辱外交をやめるためには、遣唐使の派遣を中止するしかないわけです。しかし、日本は唐と断交して敵対的にのぞむ国力も、その覚悟もありませんでした。
いっぽう、遣唐使は唐の皇帝から賜った国書(日本国王へ勅す)を持ち帰るわけにはいきません。日本が唐に朝貢していると認めることは、天皇の威信を傷つけることになるからです。
こうなると、実際には日本が唐に朝貢していることが明らかなのに、国内での建前としてはそれを否定してみせる必要が出てきます。要するに、「遣唐使の派遣は朝貢ではない。天皇が唐に臣従しているという批判は当たらない」という建前をでっちあげ、国内的にはそれをゴリ押しすることで、この矛盾を乗り越えようとしたのです。
私がこのエントリの題名に「白紙に戻せぬ遣唐使」と付けた由来は、多分みなさんもご存知の、894年に遣唐使が廃止されたことを指す語呂合わせ「白紙に戻そう遣唐使」です。しかし、日本がほんとうに、この"遣唐使"的なるものを白紙に戻せたかというと、それは甚だ疑問です。為政者が国内と国外で異なる顔を見せたり、外交姿勢の実態と建前を使い分けているというのは、室町時代に明に朝貢して「日本国王」となった足利義満に、ほとんどそのまま適用できる視点だと思います。
それに、このことは現代の外交問題についても、重要な示唆を与えてくれます。例えば政府が国内に向けて愛国心やナショナリズムを煽っておきながら、それと同時に国外に向けて国際協調のアピールをするというチグハグな状況は、まさにこの延長にあるんじゃないでしょうか。
あるいは唐側の視点で見ると、日唐関係はこんな見方もできるかもしれません。唐は日本がおとなしく朝貢するかぎり、細かいことに目くじらを立てなかった。唐としては蕃国をヘタに刺激して事を荒立てるより、多少その尊大なふるまいを黙認しておく方がメリットがあった。すなわち唐は日本と妥協しあって、朝貢関係があるとも無いとも、どちらとも言える状況を作りあげた。――こういう分析がどれだけ妥当か分かりませんけど、2国間に争いがあるとき玉虫色の決着をつけ、両国政府がそれぞれ自国民の耳に心地よい解釈で説明をしているというのは、これまた現代によく見かける話でしょう。
遣唐使についての解説が長くなりすぎましたが、じゃあここから、各社の教科書の読み比べをしていきます。
おもしろい特色がありません。
無理に良い所探しをするなら、「よつのふね」という文学的な呼び方を紹介し、その規模がいかに大きかったかを強調していることです。
華々しく飾り立てた大使節団というのは、それを送りだす側も、それを受け入れる側も、両国にとって国威発揚のイベントになったと推測できます。もっとも、沈没や行方不明になることも多々あったので、華々しさとはかけ離れたのが実態だったかもしれませんし、どうなのでしょう?
つづきを書きました→ http://anond.hatelabo.jp/20170611234459
首相動静―4月26日
8時52分、官邸。53分、谷内正太郎国家安全保障局長、外務省の秋葉剛男外務審議官、正木靖欧州局長。
10時4分、吉野正芳自民党衆院議員。27分、報道各社のインタビュー。57分、皇居。内奏、吉野氏の閣僚認証式。
12時1分、官邸。 11分、吉野氏に復興相の補職辞令交付。記念撮影。39分、東京・永田町の憲政記念館。50分、日本国憲法施行70周年記念式典の植樹式。
14時1分、谷内国家安全保障局長、北村滋内閣情報官、石兼公博外務省総合外交政策局長、防衛省の前田哲防衛政策局長、河野克俊統合幕僚長。
15時12分、読売新聞のインタビュー。49分、高村正彦自民党副総裁。
16時29分、北村内閣情報官。53分、外務省の秋葉外務審議官、正木欧州局長。
17時8分、鈴木茂樹総務審議官、外務省の秋葉外務審議官、正木欧州局長、松島浩道農林水産審議官、片瀬裕文経済産業審議官、田端浩国土交通審議官、真部朗防衛審議官、武内良樹財務省国際局長。
38分、麻生太郎副総理兼財務相、財務省の佐藤慎一事務次官、浅川雅嗣財務官、武内国際局長。
18時48分、東京・銀座のオーストリア料理店「銀座ハプスブルク」。葛西敬之JR東海名誉会長、清原武彦産経新聞社相談役と食事。北村内閣情報官同席。
http://blog.goo.ne.jp/satoru-kihara/e/4ab82ffd0fc5504804ceabdb07eba5fd
増田島。モンスーン気候に含まれ大陸の東岸に位置するその諸島では多くの家が覇を競い、謀略と決戦による離散と集合を繰り返したあげく、十一の家が生き残っていた。
一つ目は増田家。
増田島の北端部に位置するこの家は北方の豊かな資源を中継する立場にあり、回船によるすいすい水上交易で莫大な財産を築いていた。威信財を重視する家風がもたらす物欲のせいか増田家では内乱が起こりやすく、せっかくの資金力を安定して外征に投じることができなかった。厳しい冬の気候も遠征の障壁となっている。しかし、大量動員されたときの傭兵軍団の力は本物であり、革新的な当主にひきいられて都へ上ったことも何度かある。
本拠は増湊。
前述の増田家の南東に位置する増田家では、婚姻外交が盛んであり、周辺諸国や有力家臣のほとんどと血縁関係を有している。送り込んだ夫人とその侍女団によるもはやスパムめいた文通による諜報活動が増田家の地位を巧みに保ってきた。反面、他家の内輪もめに巻き込まれることも多く、いまいち地域の主導権を掌握できないでいる。
結婚はそろそろ分家に任せておけ。戦争せよ。が、新当主のモットーである。本拠は増谷。
三つ目は増田家。
増田家の南西、そして増田家の西に位置する増田家は、古代先住部族の血が濃く、やや異質な存在である。増田家内部でもその意識が強いため、かえって先進文化を取り入れることに熱心であり、増田海を利用した通商が盛んに行われている。北の増田家とは海上交易権をめぐるライバルでもあり、自分たちの土地よりも交易先の港で激しく干戈を交えている。ぶっちゃけ非常に迷惑である。両家の争いは都の外港である増瀬を炎上させたことがあり、そろって出入り禁止を言い渡された。
前代当主は大の鯖好きであり、そのために港を手に入れた。
本拠は増浜。
四つ目は増田家。
入港禁止を言い渡された増田海側北方の二家の縄張りに横から失礼する形で頭角を現してきたのが増田島の背側にある増田家である。もともと繊維の有名な産地であったが、一般には無骨な武人と思われながら実はトップセールスに優れた一面をもつ当主によって、繊維の染色から加工、納入までもこなす重商国家へ変貌を遂げつつある。
植物性繊維の染色に欠かせない明礬の鉱山の帰属を巡って、二つ目の増田家の南にある増田家と激しく争っている。
本拠は増館。
五つ目は増田家。
増田島最大の平野部を領有する増田島南東部の増田家は比較的あたらしい家であり、この時代を象徴する存在である。高度にシステム化された統治機構と徹底的な遠交近攻策によって平野部を平らげて来た。
しかし、近年は領土拡大に伸び悩みはじめており、また農業以外の産業育成にも苦戦している。四つ目の増田家と泥沼の戦乱状態にあるが、敵の求めているものをいまいち理解できていない( ・ิω・ิ)。
六つ目は増田家。
古くからの名門である増田家は、いわいる主語が大きくなった例としてよく知られる。きわめて機会主義的で行き当たりばったりの外交政策をとって来たため周囲に味方がまったくなく、いままでのツケを払わされつつある。それでも、他家の当主を低能とやたら罵倒する。
増田家が攻め込んできた時だけは、普段はいがみ合う増田家も同盟を結んで侵略者を撃退したという。そして撤退する増田軍の背中に塩をまく。敵に塩を送るの由来である。
本拠は増台。
七つ目は増田家。
商業の結節点である増津をおさえる増田家は財政的に非常に豊かであり、宗教と結びつく禁断の政策によってますます富を集積している。本来は宗教施設にしか使用できない角度とかにうるさい石垣技術をもちいた国境城塞群は難攻不落であり、増田家の富に垂涎する敵の侵攻をにべもなく、はねのけ続けている。女装癖の当主は勤勉で、年中むきゅうで働いている。しかし、増田島を統一する意欲には乏しい。
長く続く戦乱が武器産業に利益をもたらし、彼らが共依存する宗教にも信者獲得の機会を与えているからである。
本拠は増津。
八つ目は増田家。
都の周辺を押さえる増田家はいちおうは天下の号令者の立場にある。だが、前代未聞の宮中脱糞事件を含む不祥事続きで尊敬を完全に失っており、洛書にあざけられない日はない。結果、「都の地方勢力」に堕している。
支配する人口は非常に多いが文化的な反面、戦争に向かない人材の割合が多く、暴力による意志の強制にも成功していない雑魚ナメクジである。
本拠は増居。
九つ目は増田家。
増田島の長く狭い陸橋部を支配する増田家は律令制時代の駅長にはじまる豪族の出であり、社禝を守りじわじわと支配地をひろげていった結果、豪族からの二段JUMPで西増田島一の勢力と謳われるまでに成長した。
彼らが都の増田家を制圧してしまわないことは長年の謎とされている。下手に関わっても火中の栗を拾うだけであり、遷都などすれば柔弱な気質に染まると中興の祖が言い残したことが影響しているらしい。西方には年々攻勢を強めており、完全制覇がなれば都を抑えにでるとの観測もある。
本拠は増州。
十番目は増田家。
古代から大陸に対して開かれた湾港都市、増屋を支配する増田家は渡来人の血が濃く、一族の中には毛の色が増田島人一般とは異なる者までいる。大陸から導入した兵器を大量運用することで戦術や武勇の不足をおぎない周囲の弱小勢力を打倒した増田家であるが、より大規模な九つ目の増田家と十一番目の増田家との戦争では、文明力の差を軍事技術で埋められ、苦戦している。最後の三家の争いを特別に増田三国志と呼ぶこともある。
本拠は増屋。
十一番目は増田家。
増田島南端に位置する増田家は武勇の誉れ高く、それ以上に攻勢を一方向に集中できる利点を駆使して、勢力を拡大してきた。なお、家中は新参者に限らず犠牲になる粛清の嵐であり、酒の席はいつもピリピリしていたと言う。大喜利に滑った人間には容赦がない――が大喜利を強要する。
本拠は増林。
さあ以上、十一家の中で増田島の支配権を握るのは、どの家だ!?きみも当ててみよう。
次回
「韓国 米国 外交」とか「韓国 中国 外交」とか「米国 北朝鮮」とか「北朝鮮 粛清」とか「北朝鮮 人事」とかで、期間指定でググってみ
ここ1~2年で、急に緊張感が増してるの判るから。
特に米国筋が一昨年あたりから警戒レベル上げてたのが、最近さらに上がってる。
やっぱ三男坊が無茶な人事してるの不気味なんだよ。
どうすんのかだけどな、オマエがどうするのか考える必要があるんだよ。
韓国嫌いだから韓国は助けたくないなら、それもアリ。他国の戦争に首突っ込むこと無いもんな。
その場合は、集団的自衛権とか論外かつ、アメリカにネゴっとく必要があるから、自民党の安倍細田派には選挙で票を入れちゃならん。
たぶん、今んトコ共産党一択になって、どちらかと言うとアメリカとネゴる為に、中国寄りの外交政策を支持する事になるはず。
その流れで、平和安全法制とかちゃんと見といて、誰が何言うか確認して、選挙で落としたり票入れたりする必要がある。
逆に、アメリカ抜きの安全保障とか無理筋だと思うなら、自民党に票入れて、かつ、暴走しないように危険なヤツは落とす必要がある。
その場合は、国民感情抜きにして、北朝鮮と韓国間で戦争状態に入った時に、アメリカからの要請で、たぶん自衛隊が出る。
わりと昔からロシアは漁夫の利を狙って高みの見物決めてくるから、そっちも見とく必要はある。
さらにもっと具体的に言えば、「オマエ自身」はどうすんのか?って話にもなる。
北朝鮮が韓国と戦争するのは(アメリカですら無理なのに)オマエには止められねえだろ。
で、今んトコ徴兵制は導入されねえだろうし、戦地に行くことはたぶん無いが、戦場になることは十分考えられる。
(具体的に言えば、近所に自衛隊のレーダー基地とかあったら、ミサイル飛んでくるかもな。日本海側なら直接的に脅威に晒されてる)
引っ越しするのか、無駄だと思ってなにもしないのか、何なら国外避難できるように英語かスペイン語の日常会話ぐらいはできるようになっとくのか。
(スペイン語なら日本語と発音似てるからアンチョコ片手の日常会話はそこまで難易度高くねえよ)
そういう危機感を持っとく必要があるって話だよ。パスポートなきゃ国外脱出も出来ねえぞ。
自分には「どうにもできない」ってのと「できるのに何もしない」のは、違うぞ。
http://digital.asahi.com/articles/DA3S11412485.html?iref=comkiji_txt_end_s_kjid_DA3S11412485/
身内に「かなり重篤なギャンブル依存」がいるという「嘘」(と判断する理由は後述)から話を始めて、カジノに理解があるかのように装っています。
――ほう!
「優れたビジネスマンですし、他の面ではいたってノーマルな人物なのですが、ことギャンブルとなると熱くなる。若いころは競馬場へ行って1日でボーナスをすってしまうというようなこともありました。海外出張の時はカジノに通っていました。なぜそんなふうにお金を無駄に使うのか聞いたことがあります。これで負けたら全財産を失うという時のヒリヒリする感じが『たまらない』のだということでした」
この人は「優れたビジネスマン」なんでしょ。エリートで「ボーナス」を擦っても大丈夫なくらい資産に余裕があるだけじゃないの? それとも本当に「全財産」かけてるの? 「ヒリヒリする」たまらない快感にお金を払っているだけなんでしょ? それなりに合理的に生きているんじゃないの? 「かなり重篤なギャンブル依存」のエリート???
――依存症は青少年や地域社会、治安への悪影響と並んで反対派、慎重派が最も懸念する点です。やはりカジノはやめたほうがいい、と。
「僕は別に賭博をやめろというような青臭いことは言いません。ただ、なぜ人は賭博に時に破滅的にまで淫するのか、その人間の本性に対する省察が伴っていなければならないと思います。賭博欲は人間の抑止しがたい本性のひとつです。法的に抑圧すれば地下に潜るだけです。[中略]だったら限定的に容認した方が『まし』だ。公許で賭博をするというのは、計量的な知性がはじき出したクールな結論です」
このあたりは、まだ事実認定としても、主張としても妥当ではないかと思います。
――カジノ法案は、政府内に管理委員会を置いて、不正や犯罪に厳しく対処するよう求めています。推進派の議員らは、十分な依存症対策も取る方針を明確にしています。それなら賛成できますか。
「賛成できません。法案は賭博を『日の当たる場所』に持ち出そうとしている。パチンコが路地裏で景品を換金するのを『欺瞞(ぎまん)だ』という人がいるかもしれませんけれど、あれはあれで必要な儀礼なんです。そうすることで、パチンコで金を稼ぐのは『日の当たる場所』でできることではなく、やむをえず限定的に許容されているのだということを利用者たちにそのつど確認しているのです。
面白い見解だけど、パチプロもいるし、妥当性があるかどうかははっきりしないのではないでしょうか? 実証研究など知っている人がいたら教えてください。
いや、サイコロと違って競馬には不確定な要素が多すぎるからでしょう。確率論の教科書には「パスカルの賭け」の話が載っているのを知らないとは!
なぜ「白昼堂々」「市民が」「生業として」なんて極端な想定を持ち出すのかな。それに「生業」にできるんならいいんじゃないですか。
「賭博が分泌する毒性」だって。こういう馬鹿な比喩を使うことについて「あまりに無自覚だと思います」。依存症のメカニズムくらい勉強してよ。 『快感回路』とか。
[中略]
――しかし観光振興の起爆剤になり、自治体財政にも寄与する可能性はある。デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか。
「安倍政権の経済政策は武器輸出三原則の見直し、原発再稼働などいかに効率的に金を稼ぐかにしか興味がない。でも、当然ながらリスクが高いほど金は儲かる。
「リスク」という言葉をご存知ない? 『リスクにあなたは騙される』なんてことにはなりませんように。あ、それに質問をはぐらかしてますね。・・・・・・というか、仮に内田先生の言うとおり、博打はリスクが高いから儲かるのなら、「デメリットを上回るメリットがあるとは考えられませんか」の答えは、たぶんイエスですね。
安倍政権でも麻薬の合法化はやらんでしょう。論点のすり替えっぽくなってますね。
それに戦争って儲からないよ。アメリカが儲かっているように見える? これについては『戦争の経済学』もある。知らないんだろうなぁ。きっともう頭の中に「金儲けは悪い → 戦争は悪い → ゆえに戦争は儲かる」というバカな公式が成り立っちゃっているんだぜ。
ほら! 思ったとおり。
そのとおり。為政者の大事なお仕事の一つは、内田先生の嫌いなお金儲けの算段、つまり「経(世)済(民)政策」です! まさか「経済」の語源を知らないの・・・・・・。
首相は営利企業の経営者じゃないし、国家は金儲けのためにあるんじゃない。福島の原発事故対策、震災復興、沖縄の基地問題の解決の方がはるかに優先順位の高い国民的課題でしょう。厳しい現実から目を背け、なぜ金儲けの話ばかりするのか」[中略]
なぜ? 原発事故の処理にも震災復興にも基地問題にもお金がいるんだよ!
――理想を高らかにうたうのは大切だと思いますが、現実的な議論をすることが、成熟した大人の態度と言えるんじゃないですか。
「それのどこが『大人の態度』なんです? 人間は理想を掲げ、現実と理想を折り合わせることで集団を統合してきた。到達すべき理想がなければ現実をどう設計したらいいかわかるはずがない。それとも何ですか? あなたはいまここにある現実がすべてであり、いま金を持っている人間、いま権力を持っている人間が『現実的な人間』であり、いま金のない人間、権力のない人間は現実の理解に失敗しているせいでそうなっているのだから、黙って彼らに従うべきだと、そう言うのですか」
現実を見てもいないくせに「現実と理想を折り合わせる」とか偉そうに! 後半、内田先生はインタビュアーがトンデモ発言をしたかのように言いがかりをつけて、自分が正しいかのように見せかけていますね。藁人形論法という詭弁の一種です。気をつけましょう。
――理想を語らず、目先の金。嫌な世の中になりました。
「[中略]有権者は独裁的に物事を決めていく安倍さんを『決断力がある』と見なして好感を持った。合意形成に時間がかかる民主制より、独裁的な方が政策決定の効率はいい。そう思うようになった。
この効率のよさを知らないとは言わせません。チャーチルが独裁的に動かなければ、おそらくイギリスはナチスに占領されたはずです。独裁の問題はその先にある。
それならもう国会なんか要らない。安倍さんがどれほど失政をしようと『劇的に失敗する政治』の方が『決められない政治』よりましだ、そういうニヒリズムが蔓延しています」
そう思っているのは、ニヒリストなのは、世間じゃない、あなたでしょう。誤魔化そうとするんじゃないよ。
――ニヒリズム……。
「米ソ冷戦の1960年代、米ソの外交政策に対して日本人は何の発言権もなかった。国内でどんな政策を行っても、ある日、核ミサイルが発射されれば、すべて終わりだった。そういう時代に取り憑(つ)いていた虚無感を僕はまだ覚えています。いまの日本には、当時の虚無感に近いものを感じます。
ほらね! あなたは、自分の勝手なニヒリズムを、世間に責任転嫁して、新聞紙上で垂れ流してるのよ。だらしないこと。
グローバル化によって海外で起きる事件が日本の運命を変えてしまう。どこかで株価が暴落したり、国債が投げ売りされたり、テロが起きたり、天変地異があれば、それだけで日々の生活が激変してしまう。自分たちの運命を自分たちで決めることができない。その無力感が深まっています」
「『決められない政治』というのは政治家の個人的資質の問題ではなく、グローバル化によって、ある政策の適否を決定するファクターが増え過ぎて、誰も予測できなくなったので『決められなくなった』というシステムそのものの複雑化の帰結なのです。何が適切であるかは、もうわからない。せいぜい『これだけはやめておいた方がいい』という政策を選(よ)りのけるくらいしかできない」
自分が「決められない」意気地のなさを「システム」のせいにしてさ、恥ずかしくないの? 「もうわからない」「できない」と言う前に、勉強しましょうよ。
[中略]
「民主制のもとでは、失政は誰のせいにもできません。
安倍政権批判を貫徹する勇気もないらしい。というか、民主制を維持しようとする気概もない。つまり、ただただ虚無感に打ちひしがれて、僕、内田樹と一緒に諦めましょう、と。最後まで何のまともな提案もないんですね。新聞に載せることですか?
民主制より金が大事という判断を下して安倍政権を支持した人たちは、その責任をとるほかない。もちろん、どれほど安倍政権が失政を重ねても、支持者は『反政府的な勢力』が安倍さんのめざしていた『正しい政策』の実現を妨害したから、こんなことになった。責任は妨害した連中にあるというような言い訳を用意することでしょう。そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労ですけれど、それでも『金より大切なものがある。それは民の安寧である』ということは、飽きるほど言い続ける必要があります」(聞き手・秋山惣一郎)
たしかに『金より大切なものがある。それは民の安寧である』なんてお題目が、たいそう立派な「理屈」だと思って、それで何かを提案した気でいるんだから、「そんな人たちに理屈を言って聞かせるのはほとんど徒労です」よね。よく分かりました。
(もう正直ね、あまりに腹がたったので、言葉が荒くなってしまったようです。とはいえ、内田樹先生への批判として理屈は書いてあると思いますし、その理屈が本旨です。「あまりの酷さに腹が立った!」ということを伝えるためにも、文章は(概ね)そのままにしておきます。各自で不適切な表現を割り引いてくださいませ。)
お盆の時期は、思い出したように原爆の話題や戦争の話題が増える。
でも、戦争の悲惨さ、被害の甚大さを訴える話題は「だから鬼畜なアメリカ製品を棄てよ」とはならない。
「こんな悲惨な状況を生む戦争を、二度と起こしてはならない」と締める。
逆なんだといつも思う。
広島の平和記念資料館にあるような、熱線で焼けただれ血みどろになって廃墟の中を逃げ回るような悲惨な状況になったとしても、
絶対に戦争をしない、拳を振り上げないという覚悟が必要なんだと思う。
同じじゃないんだ。
アメリカが宣戦布告をしてきて、再度広島と長崎に原爆を落とすと通告してきても、国権の発動たる戦争は起こさない。武力は行使しない。
「国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」というのは、相手が殴りかかってきても対話でこれを解決するという宣言なわけだ。
また広島に原爆が落とされ、この世に地獄が現れても、戦争はしない。
また長崎に原爆が落とされても、紛争解決の手段として武力は用いない。
悲惨だから戦争を止めようというのは、「悲惨な状況が起こるのが目に見えているなら、止めるべきだ」と表裏一体だ。
そして、悲惨な状況が目に見えるから、それを守る、それを起こさないとなる。
日本人を守れ、同盟国を守れ、そして「日清戦争が始まり、日本は勝った」。
国家主権のプライドも、損得勘定も、感情論も、等しく全て「戦争」に結びつく危険がある。
どんなに恥辱に塗れようとも、果てしない損失と機会喪失があっても、凄まじく悲惨な被害があっても、全て無視して一切の武力を行使しない。
これは「悲惨なことになるから、武力を行使するな」とは、真逆の意志だ。
「武力を行使しない結果、悲惨なことになっても、受け入れろ」という強い意志だ。
グローバルスタンダードに乗ろうとした、明治維新と日本の近代国家化。
経済的、政治的に、西洋列強からの干渉を防ぎ自国を守ろうとした外交政策。
外交から同盟国の「悲惨な状況を防ぐために」日清戦争が起こり、日本は守りきった。
三国干渉を受けながらも空前の好景気を迎え、世の中は良くなった。
そして、「またも悲惨な状況を防ぐために」日露戦争が起こり、同じく日本は守りきった。
そのたびに景気は良くなり、西洋化は進み、戦争をせずに外交努力や経済的な進出によって日本は発展、
「人種的差別撤廃提案」という正義の法案を廃案にし「移民の全面禁止」に踏み切るような狭量な国家は、
「暗黒の木曜日」を引き起こし世界恐慌の引き金を引いたにも関わらず、自分たちだけを守ろうとブロック経済を敷く。
その後、日本と周辺諸国の安全と平和の為に絶対に必要な石油の全面禁輸に踏み切ったその国は、「米国」と言う。
だが、いついかなるときも、守ろうとする理屈も感情も正義も経済もクソくらえだ。
あなたはこの、『焼き場に立つ少年』の写真を見てもまだ、戦争はしょうがないと思いますか?
http://blog.goo.ne.jp/mayumilehr/e/c45f9793732aa7e8116d123f503b3dd9
「焼き場に立つ少年」が発生しそうになっても、決然と無視する。
「焼き場に立つ少年」がまた発生しても、しょうがないと諦める。
どんなに「焼き場に立つ少年」が繰り返し発生しても、絶対に武力は行使しない。
例え世界中から無責任だと非難されたとしても、武力は行使しない。
企業経営と投資で成功して去年40代でリタイアしたが、ずっとヒマ。
ヒマにかまけて色々情報収集したが、日本を良くする政策なんて本当に簡単だと思った。
思いついたことを適当に書いてみたけど、これが出来たら簡単に日本の未来は良くなる。
しかしみんな分かってるのに実際には不可能。
できない事だけ書いても仕方ないので、最後に出来そうなことを書いてみた。
結婚しなくても、収入が少なくても、誰でも子供を持てるようにする。
具体的には、保育園やベビーシッターやお手伝いさん、小中学生を預かる場所などを無料で利用できるクーポンを配ったり
大学までの教育費の無料化や子供手当の増額、結婚制度の見直しなど。
インフレが2%以下の場合は消費税をゼロにして消費を促し税収増を目指す。
税収が増えなくても、デフレの今なら、日銀に国債を買わせれば良い。簡単。
今年消費税を上げるなんてアホすぎる。
財務省の役人は税収を増やすよりも、税率を上げて自分たちが社会に与えられる影響の割合を高めることが目的。
(ここで反論があったけど前提が「現在の日本に問題はない」ということだったので議論にならなかった)
孫に贈与する場合は毎年1000万円までは無税にし、相続税を100%にすることで、若い世代がお金を使えるようにする。
ただし合計5000万円以上の資産の贈与は累進課税にし、極端な不平等をなくす。
所得税の累進性を現在より上げて、儲かった人からは多く取る代わりに、所得が低い人には最大で月5万円程度分配する。
生活保護による現金の支給は勤労意欲を低下させるので廃止する。
月額5万円で生活できない人にはフードスタンプや公共住宅の提供、医療費の補助など、現物支給で。
ここまでした上でなら、正社員の解雇規制を撤廃しても失業の恐怖は減り、むしろブラック企業を簡単に辞められるようになり、メリットは大きいだろう。
それと、所得税の累進性を上げると、優秀な人が海外に行ってしまうと言われるが、年収1億円以下の人と年収1億円以上の人で、どれだけ優秀さに差があるだろうか?
年収1億円以下の人が日本に一生住みたいと思うように調整すれば充分だろう。
ちゃんと機能する監査機関を作り情報の保護や不正の廃止に尽力する。
負の所得税だけでは生活できない人に負荷の低い仕事を提供したりもする。
国会議員が政策秘書を数十人雇うことができる予算を付けて、立法は議員に任せる。
官僚は大臣が雇えるようにする。大臣が代わったら、一旦全員クビ。
60歳以上は月3万円、65歳以上は月5万円、医療費は無料。ここまでを基礎年金として税金で保証する。
プラス、国民年金や厚生年金で5万円〜10万円。基礎年金と合わせて月額合計10万〜15万円程度になる。
足りなければ、前述の現物支給を申請したり、低い負荷の仕事をする。
これで生きられない人は子供や親戚に頼れ。それでも無理なら死ね。
(物価と連動する事が前提)
年500万円までの利益は無税にする代わりにそれを超える分は所得税とし累進課税の対象にする。
これによって日本人の投資を促しつつ、極端な利益は税収にする事で容易に隠居生活はできないようにする。
電波使用料を数十倍にし規制緩和して既存のテレビ局以外でもコンテンツをブロードキャストしやすくする。
クレームを入れた人の国籍、年齢、性別、職業、居住地などの情報も公開される。
同時に中国と韓国以外の国との友好政策を強化する。(中韓とは戦争しないよう努力する程度で良い)
全国津々浦々にはびこるパチンコの換金を完全に禁止する。パチンコの売上がトヨタの倍とか気が狂ってる。
カジノに参加するには資格が必要にして、多重債務者や反社会勢力の人は利用できないようにする。
筆者の知人にも、パチンコにハマって残念なことになっている人が居る。
そういう人は多いと思うが、この事の異常性に気がつくべき。親族がそうなったら目も当てられない。
身を持ち崩す程の賭博に誰でも簡単に参加できるのは非常に問題が多い。
上記の政策を全国で一斉に始めるのは不可能。
それなら、各州で独自に色々出来るようにして、国民は自分の好きな州に簡単に住民票を移せるようにするだけでも良い。
日本全部を道州制にするのが難しいなら、大阪都構想でも良いし、被災を大義名分に東北を特区にして自治を認めるとかでも良い。
せめてこれぐらいは実現して欲しい。
さあ俺が誰に影響受けたか分かるかな?w
戦争準備であるという意見の一つとしては、この孫崎享のインタビュー(http://wpb.shueisha.co.jp/2013/11/19/23215/)が幾つかの見方を示している。
私はこの記事全体や孫崎享の普段の言動全てに賛同しているわけではないけれど。
リンク貼って終わりというのもなんなので、門外漢ではあるが私なりの言葉で説明してみる。
特定秘密保護法案を後押しする背景には色々あるけれど、アメリカの意向に従うためというのは大きな要素の一つだという見方がある。
上で貼った孫崎享のインタビューはそれを強調した例だが、たとえば比較的中立そうな(という私の言葉を鵜呑みにするべきではないが)この郷原信郎の記事(http://www.huffingtonpost.jp/nobuo-gohara/post_6356_b_4388670.html)でも、
今回、この時期に、急いで法案を成立させようとしている背景に、アメリカの意向が働いていることは否定できないであろう。現在の、日本の外交政策の下で、外交・防衛に関する秘密管理を厳格化することは、「対米追従」を一層進め、アメリカとの軍事同盟を強化することにつながる。
という風にある。
相手はアメリカに限った事ではないと私は思うのだが、結局、情報のセキュリティレベルを上げないと、世界各国から情報面で信用してもらえず、安全保障上で有用な情報を提供してもらえない、というのがある。この法律によりセキュリティレベルを上げることでそういう情報をもらいやすくするというのはあるだろう。その、便宜を図ってくれそう・守ってくれそうな中心はやはりアメリカであるが。
しかし、当然外交は、情報をもらって「あざーっす」ではすまない。こちらからもお礼をしなければならない。それが問題だ。
安全保障の情報を提供してくれるというのは、やはり軍事的な繋がりを強くするということになる。
そして軍事的に強く連携した諸外国が日本に何を求めてくるか考えてみれば、それは自国の参加する戦争に日本も、自衛隊も参加してくれということだ。
私は、アメリカなどとの軍事的繋がりが強化されるという所までは間違いないと思う。ただ、果たしてこの、戦争に日本の武力を提供することを要求されるかという最後の部分はよく分からない。そうだ、とも違う、とも判断しきれない気がする。あいつら、何考えてるか全然わかんねーもん。ただ、懸念としては一理あるとも考える。
ここは、各国と連携を強めることで日本が戦争やテロ被害を回避する能力を手に入れるメリットが大きいと考えるか、連携に引きずられて戦争に巻き込まれるかもしれないデメリットが大きいと考えるかである。
そこに正解はあるのだろうか。
法案の修正案(http://www.asahi.com/articles/TKY201311260565.html)の最後の方に、『別表(第三条、第五条―第九条関係)』として特定秘密に指定可能な情報が列挙されている。
この辺りについて、曖昧で恣意的な秘密指定ができてしまう、という批判が多い。
戦争を危ぶむ人は
なんかに危機感を持つだろう。政府が自衛隊・防衛力について目論んでいることが、およそほとんど特定秘密に指定しうる。防衛力、言い換えれば軍事力を過剰に増強して戦争準備をしても、国民はそれに気付けないということだ。
また私としては、
イ テロリズムによる被害の発生若しくは拡大の防止(以下この号において「テロリズムの防止」という。)のための措置又はこれに関する計画若しくは研究
ロ テロリズムの防止に関し収集した【国民の生命及び身体の保護に関する重要な情報】又は外国の政府若しくは国際機関からの情報
辺りにも注目したい。
「テロに悪用されうる情報は特定秘密に指定しうる」ということだが、考えてみれば、悪用した際にテロリズムに結び付かない情報などあるだろうか。国に関する情報というのはほとんどが悪しきものの手に渡れば日本国にダメージを与える事態が想定しうる。つまり、どんな情報だってこの項目に当て嵌めて特定秘密に指定するよう理屈はつけられる。政権に不都合な情報を恣意的に特定秘密にできる。
もちろん、まともな政府なら、こっそりと極端な防衛力強化などしないし、特定秘密指定の濫用等しない。だが、自民党でも民主党でも他の党でもそうだが、今から未来に渡っての政府に対して常にまともであることを期待するのは、リスクが大きすぎるのではないだろうか。
人は愚かでエゴイスティックだし、権力はいつか暴走するものだと私は考えている。そういう政府権力が生まれた時に、この法案があると危険である。
しかし一方で、この特定秘密指定要件は妥当と言わざるをえないとも私は考える。
というのも、安全保障でも外交でも防諜でもテロ防止でもそうだが、それらについて公開するとまずい情報というのは様々なものがあり、ある程度曖昧な要件にして包括的に判断できるようにしておかなければ、この法律を善なる目的のために使おうとした時に困ってしまうからだ。
特定秘密指定は恣意的に出来てしまうが、恣意的に指定する柔軟性がなければ秘密の保護が有用性を持たないというジレンマがここにはある。
ただ、善後策として、あまりに秘密指定の濫用がされた場合に、それをチェックする機関を置くという手がある。
だが次項で述べるように、それも不十分であることがこの2の項の不安さを増している。
政府が万一悪用した際に大きな問題が起こる法律でありつつ、その運用のチェック方法が明確でない。
修正案では、
第十八条 政府は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施に関し、統一的な運用を図るための基準を定めるものとする。
2 【内閣総理大臣は】、前項の基準を定め、又はこれを変更しようとするときは、我が国の安全保障に関する情報の保護、行政機関等の保有する情報の公開、公文書等の管理等に関し優れた識見を有する者の意見を【聴いた上で、その案を作成し、閣議の決定を求めなければならない。】
【3 内閣総理大臣は、毎年、第一項の基準に基づく特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況を前項に規定する者に報告し、その意見を聴かなければならない。
4 内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況に関し、その適正を確保するため、第一項の基準に基づいて、内閣を代表して行政各部を指揮監督するものとする。この場合において、内閣総理大臣は、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施が当該基準に従って行われていることを確保するため、必要があると認めるときは、行政機関の長(会計検査院を除く。)に対し、特定秘密である情報を含む資料の提出及び説明を求め、並びに特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施について改善すべき旨の指示をすることができる。】
(国会への報告等)
【第十九条 政府は、毎年、前条第三項の意見を付して、特定秘密の指定及びその解除並びに適性評価の実施の状況について国会に報告するとともに、公表するものとする。】
ということになっている。
要するに内閣総理大臣がチェック機関の役目を果たすということだ。しかしこれは全然チェックの役目を果たさないのではないか。
もし将来悪しき政府や悪しき行政が出現したとしたら、行政のトップである内閣総理大臣もその悪の側についている可能性が大きい。なのに内閣総理大臣が適性かチェックするというのは、まるで意味をなさない。
流石にこれだけではまずいと思ったのか、
(指定及び解除の適正の確保)
【第九条 政府は、行政機関の長による特定秘密の指定及びその解除に関する基準等が真に安全保障に資するものであるかどうかを独立した公正な立場において検証し、及び監察することのできる新たな機関の設置その他の特定秘密の指定及びその解除の適正を確保するために必要な方策について検討し、その結果に基づいて所要の措置を講ずるものとする。】
ということも追加されているのだが、チェック機関について検討し措置を講ずるというのは、これから講じますけど具体的に何をどうするか決まってないということになる。
まして、政治におけるこのような検討する・講ずるという言い方は、努力目標のようなもので、実際の対応には結びつかないことが多々ある。
真剣に適正さを確保するつもりなら、「検討し、所要の措置を講じた」上でそれを発表して、改めて法案を通した方が広く納得を得られるように見える。だが現在与党は見ての通り強行採決に踏み切り、それが「本気で適正な運用をするつもりがあるのだろうか?」という不安を煽る。
その辺りをつつかれたのか、昨日の12月5日にこういうニュースがあった。情報保全監察室を内閣府に設置、とのことだ( http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131205/k10013613641000.html)。
与党側は、5日午前、日本維新の会とみんなの党に対し安倍総理大臣が内閣官房に設置する考えを示した事務次官級による保全監視委員会とは別に、特定秘密の指定の妥当性をチェックする新たな機関を内閣府に設置することなどを提案しました。
これについて、菅官房長官は、法案を審議する参議院の特別委員会で「法律の施行までに内閣府に20人規模の『情報保全監察室』を設置して業務を開始したい。必要な場合は立法により、できるかぎり『情報保全監察室』を『局』に格上げすることを約束する」と述べました。
そのうえで、菅官房長官は、情報保全監察室が担当する業務について「独立性の高い第三者機関を設置する必要があると承知しており、各行政機関による個別の『特定秘密』の指定や解除、有効期間の設定や延長を検証・監察し、不適切なものについて是正を求めていく」と述べました。
情報保全観察室、とかいうチェック機関を置く方向を見せてきました。が、それが具体的にどんなものなのかはまだはっきりしていない。この瀬戸際で出された提案なので当然だが、内閣府に置かれたそれが第三者機関として十分に働くかは細部が分からないので何とも言えない。
これについても、真剣に適正さを確保するつもりなら、ある程度情報保全観察室であるなり、独立性の高い第三者機関設置なりの案を煮詰めてから、特定秘密保護法案を議論にかければよい。
私としてはこのチェック機関についての議論をもっと充実させてほしかった。
が、ここでもやはりジレンマが発生する。
秘密は知る人が少ないほどセキュリティが保たれるので、チェック機関が大がかりであるほど秘密の実効性が薄れてしまうのだ。
それならチェック機関を小規模厳密にすればいいかと言えば、そうすると少人数の意思だけで判断されてしまい、容易に偏ったり腐敗したりしうる。
どうしたらいいのか、私には分からない。
戦争準備という論点から外れて個人的な懸念も書いてしまったが。
上記1~3をまとめると、特定秘密保護法案が戦争準備のはじまりである理由は、
・実際に巻き込まれつつあっても/または日本単独で戦争に向かい出してもそのことを政府が隠蔽できる手段を与え、
という、複合的な理由によるものではないだろうか。
結局のところこれである。
政治家は必ずしも清廉潔白ではないし清廉潔白でも判断を誤り得る。
私を含め国民は誰もが賢いわけではないし容易に騙されうる。
行政、立法、司法、省庁、識者、学者、マスコミ、主権者たる国民、右翼に左翼にノンポリ、将来にわたり完璧に信用できる人間や集団なんてない。
適正に運用されればためになる法律だって、解釈を工夫すればいくらでも悪用できる。
だから、強力な力を持つ法律やシステムには可能な限りセーフティロックをかけておくべきだ。
だが、上でつらつら書いたように、セーフティロックが十分だとはとても言えない。
そこがよくないと私は考える。
諸手を挙げて賛成している人たちは、政府や、自分達国民を完全に信用しているのかもしれない。
私には強い不信感がある。多分反対する人たちの多くにも不信感がある。
特定秘密保護法案に限らないのだが、この、根本的な、国や人間そのものへの信頼意識のずれをすり合わせないと賛成反対の議論はかみ合わないだろうし、実際噛み合っていないことが多い。
FacebookでもTwitterでも「投票だん」とか「選挙に行こう」って投稿ばっかり。
いわゆる「意識高い」人だけじゃなく、意識高い人を馬鹿にしてたような人まで、
でも、正直面倒くさい。
せっかくの休みの日に、各党のマニフェスト読んで、誰に投票するか検討して、
ただただ面倒くさい。
3行にまとめられたマニフェストを一覧で見れて、
間違いなく投票すると思うけど。
けどこんなこと、「選挙行こうぜ」的な空気の中ではなかなか言いづらい。
別に、
「自分の1票じゃ何も変わる気がしない」とか、
そんなこと言うつもりはないのだけど。
自分の選挙への興味の低さに比して、投票の手間が大きいんだと思う。
別にどこが与党になろうが、消費税が何%になろうが、外交政策がどうなろうが、
席替えの日に休んでも、
そういう歴史的必然性みたいなのもよく聞く話なんだが、実際にはやはり反省の意味はある。
たとえば、第一次世界大戦後の戦後処理。知っているとは思うが、第一次世界大戦後、敗戦国のドイツに対して、フランスを中心とする戦勝国は莫大な賠償金を課した。世界恐慌などの不幸もあったが、賠償金の支払いはドイツの戦後復興を極めて困難にした。当時でも、ケインズなんかはドイツの経済復興を支援すべきだと論じていたが、復讐に燃えるフランスを中心とした国々はドイツを徹底的に痛めつけることを望んだ。その結果がヒトラーの台頭だ。対ヒトラーとしては、イギリスの宥和政策の失敗なんかが挙げられるが、実際には第二次世界大戦の根っこはそうした戦後処理のまずさにあった。そうした反省の結果、第二次世界大戦後には敗戦国に対して実行不可能な賠償を課すという方針は避けられるとともに、金融不安が生じさせる政治的危機を回避するために国際機関が設置された。
こういう側面を見ると、歴史を反省する意味はあると思わない?日本にしても、昭和16年夏に「日米戦わば必敗」という結論が見えていたにもかかわらず、戦争に突入してしまった。それ以外でも、日本の膨張的な外交政策に対する批判は当時から存在していた。「アジア解放」を訴える日本がなぜ中国と戦争しているのか、どうしても理解できなかったという回顧も聞く。日本人の多くが中国人や朝鮮人に対して差別的な意識を持っていることへの嘆きもあった。にもかかわらず、そうした批判の表明を困難にしてしまう空気が生み出された原因は考える必要がある。
もちろん、当時において個人のレベルで歴史の流れを変えることは不可能だったろうが、後に生まれた者の特権として反省はある。その意味でも、歴史は「過去と現在の対話」なんだろう(E.H.カー)。そうしたアドバンテージを活かすこともなく「仕方がなかった」で済ますというのは一種の思考停止だと思う。過去から学ぶことを否定する態度のうえにある改憲論はやはり怖い。