はてなキーワード: 中学校とは
ちなみに筆者は就活生であったころロームに選考書類を送ったのだが、他社では聞かれたことがない出身中学校を教えてくれと追加連絡があり、返信後にお祈りされるという謎の経験をしている。
部落地名総鑑でも使ってたんやろな
就職差別につながるおそれのある質問例
https://www.kokenkyo.or.jp/news/pkobo_news/upload/54-0link_file.pdf
https://anond.hatelabo.jp/20200813115920
上記の記事を書いた増田です。外出して戻ってきたらまさかの100ブクマ越えだったんで、調子に乗って続きを書きます。
要するにソニーの半導体事業部。金額ベースでイメージセンサーの世界シェアが50%を超える王者。
裏面照射型や積層型といった新技術も世界に先駆けて開発しており、技術・規模両面において市場をリードしている。
ただし、スマートフォン・デジカメのハイエンド品がメインなので、数量シェアでは過半数を下回る。
また車載向けではシェトップではなく絶対的王者といえるほどその地位は安泰ではない。
ソニーのイメージセンサーの基幹工場。初めからイメージセンサー向けで建てられたという特徴がある。
イメージセンサーの主流がCCDからCMOSに切り替わるタイミングでの大規模投資が功を奏し、近年では珍しい日本企業の電子デバイス分野での覇権獲得につながった。
みんな大好き、SCEの久夛良木さんがPS3で夢を見てCell Processor量産のために大規模投資をした工場。
もともとハイエンドプロセッサ向けの工場だったのだが、PS3爆死のあおりを受けて設備投資が中断。
ソニー本体が65nmまででプロセス投資凍結 → 東芝へ売却 → ソニーによる買戻し → イメージセンサー工場に転換という数奇な運命をたどる。
これまたPS3のGPUであるRSXの製造を担当していた。ソニーがイメージセンサーの規模拡大のために東芝から買収。
もともとはNECの先端ロジック半導体の製造拠点。製造品目としてはWii / Wii UのCPUが有名。
NECのロジック半導体部門が分社化したNECエレクトロニクスが旧ルネサスと合併後、日立系との勢力争いで非主流派となり、工場閉鎖が検討されていたところをイメージセンサーの製造能力拡大を図りたいソニーが買収することになった。
こうしてみると、ソニーのイメージセンサーのシェア拡大には競争力のなくなった各社のロジック半導体工場の買収が大きく寄与していることがわかる。
最も、製造品目の転換にはデメリットもあって、最初から専用工場として建てられた場合に比べて効率が劣る部分があるのだ。
例えば、半導体の配線材としては銅が使われているのだが、金属汚染を避ける必要があるため工場内のレイアウトはそれを考慮されている。
ところが先端ロジック半導体では10層以上使っており配線工程が多いのに対して、イメージセンサーでは3層程度だったりするので、工場をそのまま流用すると製造装置の配置で効率が悪くなる部分が出てきたりするのだ。
ごめん、ぶっちゃけパワー半導体は詳しくない。三菱電機、東芝、富士電機あたりが主なプレーヤー。
現状では売り上げ、技術ともに世界上位だとは聞いているが、懸念点はある。
彼らは国内の自動車メーカーや重電・家電メーカーに納めるモジュール向けに生産しているのがメインで、半導体メーカーとして世界の顧客に積極的に売るという感じではないようなのだ。
かつての総合電機本体が自社の家電向けに半導体を生産していたのが、国内メーカーのデジタル家電のシェダウンで売り上げを落とし衰退したのを見ているだけに将来が恐ろしい。
ドイツのInfineonやアメリカのON semiconductorのようにウェハを300㎜化して外販増やす戦略もとっていないようだし、どうなることか…
■ ルネサスエレクトロニクス
かつてはマイコン世界一。旧ルネサス時代に日立系・三菱系の製品ラインナップを統合できない間に、NEC系の製品も入ってきて大混乱。
顧客が1社購買を避けるため、一時的には1+1+1=3になっていたが、現在ではいいとこ1+1+1=1.5程度ではないだろうか。
民生機器向けのローエンドマイコンではPICとAVRを有するMicrochipの攻勢を浴び、ハイエンド品ではArmベースで開発しやすさをうたうST Microの攻勢を受けて苦しい状態が続く。
ちなみにアナログ半導体でも日本最大、世界シェアでTop10に位置する。さすがは日本を代表する半導体メーカー。
とはいえ、アナログ半導体については国内の工場をガンガン閉鎖したため、ぶっちゃけ国内で製造している割合は大きくなく、買収した米国の旧Intersilの寄与分が大きい。
■ 東芝
電子工作雑誌、トランジスタ技術に乗っているような個別半導体を今でも作っている貴重な日系メーカー。ルネサスが古い工場をガンガン閉鎖してほとんど個別半導体から手を引いたため、
ちょっとした単機能部品を使おうと思うと日系メーカーでは東芝がほぼ唯一の選択肢となることも多い。
アナログ・ディスクリート部門の売上自体はNANDを作っているキオクシアに比べて規模が小さく地味な存在ではあるが、個人的には頑張って製造を続けてほしいと思っている。
■ ローム
何かと癖のある京都系メーカー。かつてはデジタル家電向けにカスタムICを作り高収益企業として知られていたが、最近ではそうでもない。
とはいえ、車載向けの比率を増やしたり、沖電気の半導体事業買収 / ヤマハから工場買収といったように経営的にはいろいろ模索している。
総合電機系の半導体メーカーが軒並み没落する中で、大崩れせずに生き残っているあたりはさすが京都系というところか。
なお、独自の社風は業界内でも有名。技術を身に着けた男性社員が転職して出ていかないように、地元京都の女子社員を顔採用してお嫁さん候補としている等の都市伝説あり。
ちなみに筆者は就活生であったころロームに選考書類を送ったのだが、他社では聞かれたことがない出身中学校を教えてくれと追加連絡があり、返信後にお祈りされるという謎の経験をしている。
■ TI
アメリカを代表する世界最大のアナログ半導体メーカー。半世紀くらい前から日本に拠点を構えている。外資系のためドライな部分があるようで、工場が老朽化すれば容赦なく閉鎖している感がある。
主力工場は旧Spansion (AMDと富士通が合弁で作ったNOR型Flash memoryの会社)から買収した会津若松工場。
小規模な工場が使われることの多いアナログ半導体では珍しく先端品同様300㎜ウェハを使った大規模工場だぞ。さすがはアナログの王者といったところか。
アメリカの電機メーカー、Motorolaの半導体部門のうち、アナログ / ディスクリート部門が分社化。三洋電機の半導体部門を買収。
日本にもそこそこの規模の工場や開発拠点を有しているが、気がかりなのは将来性。リクナビを見る限り、あまり積極的に人材採用してる感じじゃないんだよな。
定年等の自然退職分の補充だけというか。日本に進出している外資でも、Western DigitalやMicronは割と積極的に採用・投資している感じなのだが、同じ外資でも方針が分かれるのだろうな。
■ デンソー
トヨタが日系半導体メーカーの衰退に危機感を覚え、自前の開発リソース強化を決断、グループの半導体開発のリソースをデンソーに集約。
富士通から工場を買収したり、東京に設計拠点を開設してルネサス等の大規模リストラで失業したエンジニアを引き抜きしたりしている模様。
筆者の同僚も1人ここへ転職していった。
■ ソシオネクスト
富士通とPanasonicの先端ロジック半導体の設計部門が統合してできた日本最大のファブレス半導体メーカー。
デジタル家電や画像処理に強みを持つのだが、台湾勢とのガチ競合を避けるために若干ニッチにシフトしている感がある。
旧富士通と旧Panasonicの拠点が併存しており、社内文化の融合はあまり進んでいないとの噂。
■ メガチップス
任天堂関連銘柄。最初からファブレスで創業した日本では珍しい企業。大阪地盤だが、旧川崎製鉄の半導体部門を買収して関東にも拠点を確保した。
ソシオネクストが誕生するまで日本最大のファブレス半導体メーカーだった。
日本のファブレス半導体メーカーといえばかつてはここが一番有名だった。カリスマ社長が創業して、講演会や本の出版も盛んにやっていた。
デジタル家電で急成長してリーマンショック前には200億くらい売り上げがあったのだが、今では30億くらいに落ち込んでいる模様。
ある程度年齢を重ねて思うのだが、経営者がメディアに積極的に露出する会社は経営に割くべきリソースを浪費しているような気がする。
筆者も大学生のころは意識高い系だったので就活の時にはこの会社を志望していたのだが、今思えば採用されなくてよかったと思っている。
■ 日亜化学
LED大手。売り上げでは日系半導体メーカー上位だが残念ながら筆者は詳しくない。
■ シャープ
10年ほど前までは世界ランキング20位くらいに位置していたが、
最近はあまり開発リソースや設備に投資がされていないようで存在感があまりない。
■ EPSON
■ 日清紡
本業は繊維メーカーなのだが、最近はなぜか半導体メーカーへ出資をしている。
オーディオファンに知名度の高いオペアンプで有名な新日本無線や、電源ICを作っているリコーの半導体部門を買収している。
■ ミネベアミツミ
アナログ半導体に一定のリソースを割いている模様。10年ほど前に元になった会社のミツミがルネサスの工場を買収 / SIIの半導体部門が独立したエイブリックを買収など動きあり。
それにしても、エイブリックはあの事業規模でガンガン広告出しているが、費用対効果めちゃくちゃ悪くないだろうか。渋谷で看板を見たが主要顧客へのアピールやエンジニアの採用には役に立たない気が…
『この割れ切った世界の片隅で』を読んだ。クソだった。主体性がない。思考停止だ。何が統計だ。
アレは与えられた自我だ。存在しない役を演じようとする愚者に違いない。良く言ってあの文章は何も変えられないし、下手をすれば誤ったメッセージになるだろう。
彼女の本当の仇打ち相手は長崎にも東京にも求めるべきではない。
おめでとう。彼女(君)は偉大なるあの割れた世界の壁(境界)を踏破したのだ。あの誰も越えることの出来ないはずの地域差の壁、格差を。そして熱にうなされた君は他の都会の連中や馬鹿には見えない、触れも出来ないあの透明な壁を崩すことに躍起になっているのかもしれない。だが、本当はわかっているだろう。それは幻想だ。
「けんじゅうのほうが楽しいーー!!」とAを選んだあなたはきっと正解です。身の丈にあった生活を選びましょう。拳銃の方が楽しい人はBを選びましょう。大陸間弾道ミサイルを打ちたい方はCを選びましょう。
テキトーな話は追いておいて、彼女が格差の象徴として提示したこの三つの世界は、フラット化した世界では同じ条件の同じ戦場であり、国連職員を目指す上でも本質的には何も違わない。
チャンスと試験は場所に関わらず平等だ。そのことにどうして気づいていないのだろうか。そうした話をした上で世界や社会ではないところに論点があることを示したい。
『いびきの鳴り響く会場。眠りこけてよだれを垂らす隣のおじいさん。「誰も聞いていないだろう」と適当な話を繰り広げる講師。たった一人聞いている私。全てが嫌になって、アンケートの評価項目すべてに1をつけてワンワン泣きながら外に飛び出した。』
『私のこの「別世界コンプレックス」の決定打となったHLABであった。HLABとは全国から集まる高校生が集まり寮生活を体験するサマーキャンプだ。そのほぼ100%が有名私立高校出身である。』
全然学ばないのな。 いや、悲劇のヒロイン症候群やってるのか。よくもまぁそんなに無駄にできる時間があったものだ。よく調べれば事前にわかることで話は終わっているし、その機会をさらに活用できなかった、しなかったのは君に執念、目的がなかったからだろう。
君の「周り」の人間はさぞかし大変だろう。君はいつも「周り」に大量の支援を要求するくせに、君はツラくなる度「周り」や「身近」が悪いと君の全責任を被せ断罪する。救いの手を差し伸べたつもりのクラウドファンディング支援者も近いうちに全員断罪されるだろう。「どうして半端な希望なんて抱かせたの?」と。
挙句、「お前の成果はお前の努力の成果だと思うな。東京の人間は本屋、電車、塾、ぜんぶがぜんぶに支えられてるたけだ」だと? なるほど、東京に来た君が断トツの最下位になるわけだ。他の奴等は他人の手じゃなく2本の足で支えられてるからな。
君が東京に来ても本屋も電車も塾も君には手を貸さないだろう。東京の人間が君とは異質なままだったように。長崎大学が君を見限ったように。君が同級生を見捨ててきたように。
そもそも世界は既にフラット化している。情報は誰でも大抵の情報は無料で公開されており、ググれば出てくる。SNSを使えばどういうやつが、どういうことをしているか、顔写真も見つかるしコンタクトも取れる。
フラット化した世界では東京と長崎の間には境界も情報格差も存在しないと見なされているし、対等に競争しなくてはならないし、残酷だがそれが可能な時代だ。可能である以上、これは魂の問題だ。
少なくとも東京の敵が長崎から討てる今、あなたの失敗を「周り」や地域格差に帰着させるべき道理はない。
親の資本と同級生の社会階層を東京の金持ち学校の生徒の持つそれと比べたときに有利不利は発生したかもしれないが、それも地域格差の問題ではない。
「情報が無いなんて甘えだ」とでも言うのか?
そうでしょ。それこそ『甘えwww』でしょ。スマホあんじゃん。学校にパソコンあんじゃん。執着があったんでしょ。ならそれを実現する手段を探すなんて当然の行動じゃん。っで君も最初は当然の行動したじゃん。最初だけ。すぐに悲劇のヒロインぶって話を逸らしたけど。
君が現実逃避して望んだように、誰しもが受動的に機会や情報が与えられるようになった世界が存在するならば、君はきっと英語の地方大会は予選落ちだろうし、君が見下していたクラス内ですら君は上位を取れなくなるかもしれない。
君が享受した意欲的な人限定の教育リソースの配給量は減り、凡人間の差が消え帰国子女と文化資本の持ち主だけが圧倒的優位を築くことになるかもしれない。まぁでも君がそれを望むなら、どうか人の邪魔にならない世界の片隅とかでそれを祈っていてくれ。
あと「人の努力は環境のお陰で、帰国子女じゃない私の英語の努力は正義」ってよく言えたね。「格差を言い訳に思考停止してるの甘えwww」だし「クラウドファウンディングとかめっちゃくちゃ甘えwww」だよ。
東京の人間は君と違って地方予選の一回戦から格上との対決も避けられない。その状況下で上を目指すなり、優位性を見つけるなり、撤退するなり、貧困に落ちつくなり自身のあり方が規定される。残酷だね。
一方、半端な君は自分より出来る人間を観光先に見つけては「アイツらは卑怯なだけ」と悪態を付いては逃げ出す。競争による規定から逸脱した上で、地元で他人に責任をなすりつける。幸福だね。
他人と競争するスタートに立ててないし、本当は参加資格もないよ。ヌルさが許容される土地に生まれたことを幸せに、そして誇りに思うべきなのに。
この袋小路の不幸は、君が自身のあり方を君自身で決断する重要な機会を奪った、あの「国連職員」が招いたものだ。
国連職員の方に会った瞬間、涙が止まらなかった。こんなにちっぽけな自分に、雲の上の存在の方が目を合わせてくださっている。
頭を撫でてくださっている。その事実だけで嗚咽が止まらなかった。「遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。」その一言で、心は決まった。
はい、皆さん。これが不幸の種です。希少な現物です。高級品です。粉末にして牛乳に混ぜてコネクリまわすと国連憲章を暗唱する小学生とか作れます。地面に植えたら不幸の木が育ちます。
これはただの社会的地位を悪用した生き方の押しつけだ。どうしてこんな酷いことを言うのだろう。中学校の教師が生徒に「君の実家の都合は知らないし興味ないけど、高校はアメリカの学校に進むと英語が得意になるよ。大学からでも良いよ。でもそれしか君の夢は叶わないから。」と言うだろうか。
国連職員は確かに海外生活が問題なく送れる程度の語学力と修士号が必要だが、現実的な方法として国内の大学で長期留学するか、成績取って海外大学院に進学すれば良いじゃん。
この国連職員はフィリピンの少年院を訪問しても言えよ。『遅くとも大学から、できるなら高校から、海外に出たほうがいいよ。』と。
東京まで行って参加したコンペに関して、受賞歴数バトルしてる世界観なら勝った数だけが大事だが、(もし)執着があったなら心の傷とか言って逃げてないで君は何もわからないなりに参加し続けるべきだったよね。
勝ち方は選べないが、負け方はそれなりに選べる。観光気分で参加した「なんとかチャレンジ」は負けれてよかったね、恥かけてよかったね。次はもっと本質的な醜く哀れな負け方ができたら良いね、そしたらそのうち勝負のスタートに立てたかもね、だ。もう手遅れだが。
これで『私は運命の流れを変えた。』と自称しているのは非常に片腹痛い。君のその薄っぺらい努力で変わる運命ってなんなんだよ。
鞭とわずかな餌で踊りを仕込まれた一匹の動物には、面白おかしい運命の綱渡り芸くらい見せて欲しかった。それが派手に失敗して落下したなら滑稽だった。でも残念ながら差し込んだ光明にも目を背ける君の主体性は植物未満だった。
ヒッピーもどきには難しい話になるかもしれないが、「ある種の」格差是正の担保の仕組みとして公正性・透明性ってあるじゃん。クラウドファウンディングって結構な歪みだよね。あれは君の大好きな格差社会が生み出した富める者の道楽だよ。
他人の人生を、雲を挟んだ安全圏からラジコン操作する道楽より悪いのは相続税100%ではないことかもしれないし、ソクラテスの『国家』が未だ実現されていないことかも知れないし、共産主義革命が実現されてないことかもしれませんが。
クラウドファウンディングの資金は、カンボジアの人跡未踏の山奥の誰にも見つからないところに井戸を掘ったり学校を建てるのに使うのがよい使い道なのではないでしょうか。
へぇ~、コロナは君にとって前向きに作用したんだ。そうなんだ、よかったね。「ふつう」の人はコロナの所為で教育格差が広がって苦しんでるよ。
格差についてもっと言うなら、君が戦うべき、憎むべきは東京の謙虚さの足りないあのおぞましい連中なのだろうか?
声なき声を上げても助けてもらえなかった「君の同級生」は君が主張するように社会の当事者全員で憐むべき対象だったのだろうか?
EFチャレンジという動画スピーチコンテストで何故か決勝に勝ち進み、東京へ母と向かった。
結果は惨敗だった。発音の悪さから能力を見限られたのか、審査員からの質疑応答でも聞かれたのは"Why do you study English?"の1問だけだった。
"Why do you study English?" この質問が全てで、君にはそれ以上の質問は必要ないだろう。っていうかこの質問はあまりに高尚すぎる、勿体ない問いだ。
それに君の周りの「ふつう」はこの質問まで辿りつかないらしいじゃないか。君はこの質問の答えを準備出来ていたのかい?
英語の民間試験が大学受験に必須?英検の受験料が皆払えると思ってるんですか? 思考力や文章力が重視される? 現代文の得点が、触れる情報量の差から圧倒的に地方のほうが低いのをご存知ですか?
留学プログラムの書類。今まで「自分をアピールする」経験なんて一度もしたことない、本当にいちばん海外から遠い子たちは応募書類を書くのもままならないこと、知っていますか?
大好きな統計を持ち出すなら長崎県の大学進学率は45%だ。50%未満だ。(クラウドファンディングを抜きにしても)君は君が所属していると思っている世界の分断の象徴になるのは本当は相応しくないのかもしれないし、君自身の「ふつう」のポジショニングの見直しを検討するべきではないだろうか。
その分断の壁って本当に越えられないものなんですか?
あなたに越えられてあなたの同級生が越えられない程度の壁ってなんなんですか?
どうして平然と英語なんて学んでいられるの?
『どうせ地元で英語の先生をするくらいが限界なんだろうな』と思っていた。でも外国の『不条理のせいで牢獄に囚われている恵まれない子ども達のために、人生を捧げようと思った。』
『しかし、周りのサポートのお陰で「大好きな人に囲まれてここまで来た自分」にアイデンティティを持てるようになった。ようやく、「未来は自分の手の中にある」と思えるようになった。』
いや~流石、雲の上の存在から目をかけてもらえる人間はやっぱ違うわ。選択肢も目のつけどころも「ふつう」とは異なるんだね。きっと雲の上にいる自分自身の明るい未来だけが想像出来ているのだろう。その格差雲から降って湧いたその貴重なお金で是非フィリピンのジャニーズ少年とお友達になって来てほしい。
でも地元で英語の先生する方が私は向いてると思うよ。東京の私立高の高層ブルジョアジーと戦う長崎の自由の女神像を無理なく演じられているようだし、その役回りを続ければよいのではないでしょうか。
あの記事がそうだったように駄目な大人や子供はそれで騙くらかせる。(ついで次世代に呪いも継承出来るかもしれない。)
まぁ君が見捨てようとしている君の地元、「世界の片隅」はその地方消滅まであと何年間猶予があるかは知りませんが。
確かに地元に残るのが良くないのもわかる。きっと君はただの社会の被害者で、君の言うところの「社会を創る」側に値しないのだ。これまでも「周り」の友人、「周り」の社会、「周り」の不条理すら変えられなかったのだから。 (そういう「運命ww」だったのだろう。可哀想に。)
ならば君は「選ばれし側に立つ、想像力が不足した遠くのご友人」とやらに一生祈り続けていれば良い。
「君」と二人称を使ったが、この文章に作者を中傷する目的はない。ただ、あの未熟な文章を読んで世の中をわかった気になってる大人が許せなかった。
人には人の執着、才覚、生まれがある。他人の意見や「周り」にしばられる必要なんてないし、不平等な世の中ならば好き勝手に生きてなんぼだ。
「身の丈に合わせてもらえれば」この言葉が生まれる背景には、「社会を創る層」「そうでない層」の分断があるのではないでしょうか。
地元が恋しいなら君は「国連職員の呪い」とジャニーズ系男子を忘れて地元に残って「社会を創る層」になればよい。
そうでないなら、これまで周囲の不条理に目をつむり地元という鉄格子の中で暮らす人々の苦労に沈黙し続けてきた君は帰属意識も捨て、地元の未来も見限って「そうでない層」として海外で救世主を演じればよい。誰しも、お好きな方を「自由に」選んでよいのだから。
ただそこに迂闊に何か大きな意味を背負おうとしてはいけない。君は日本の不条理と戦う、清く正しき人口の半数を代表する「ふつうの」正義の味方ではない。
まず、そんな大層なものは背負う必要はない。それこそ誰の身の丈にも合わないものだ。奨学金という「ふつう」の努力・競争を踏みにじって得たそのあぶく銭で自分のことだけ考えていればよい。
そもそも何が大多数だ、何が日本の「ふつう」の感覚だ。東京圏に人口の三割が住んでいるんだぞ。三大都市圏で5割超だ。それに長崎も佐世保も中核都市であり「ふつう」の田舎町ではない。
地方間の貧富格差の改善より地方都市の消滅が先で、情報格差はインターネットを活用すればネックにはならない時代だ。東京に住んでいれば、全員が英語を話せるようになる訳でもないし貧困は都市にも存在する。
都市部で行われる資本投下による激しい教育リソースの奪い合いに敗北した先の安定した貧困に落ち着くより、地方でぬくぬく運良く進学校に進めたことを幸せだと思えないのだろうか。
君は大多数の代表ではないし、そもそも一体、何を代表するんだ?君がちゃらんぽらんな態度で東京に目を向け見放した、(端から見捨てていた)生まれてから死ぬまで「ふつう」と日常(地元)の牢獄に縛りつけられる人達と君はもう既に別の視点、価値観を有してるだろう。
君が「地方で苦労している大多数である私達を東京の人間は憐め」「地方で苦労した私の努力を人は重んばかれ」と語るのははっきり言って不快だし、そんなのにシンパシー感じてる大人は反省しろ。お前も「国連職員」、ラジコン・観劇趣味かよ。
彼女に理性と人生を取り戻させてやれよ。あんなクソ以下のつまらない押しつけられた呪われた"社会的な"生き方を本当に演じるなら、祈祷室に籠って一生祈り続けるだけの方がまだマシだ。出て来ないで欲しい。
きっと彼女も大学で学ぶ間に、悲劇のヒロイン役を辞めて自分自身と向きあえれば目が覚めるだろう。社会と個人は違うのだ。覚められればよいが。
https://note.com/__carpediem___/n/nba61eb70085a
この記事を拝読して少し思うところがあったので初めて記事を書いてみる。
先に言っておくが、筆者を批判する意図もないし、世の中に何か伝えたいわけでもない。
ただ、自分の境遇を書き殴り、あわよくば共感してくれる人が現れることを期待しているだけだ。
ちょうど増田なら周囲のノイズ情報から人間性を邪推されることもないし、純粋なぼやきを書くのに最適だろう。
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筆者は田舎の一般家庭という途轍もないギャップを必死の努力とそれを土台とした更なる努力の積み重ねで乗り越えようとしている。このまま突き抜けて欲しい。
が、世の中にはそう上手くいく人ばかりではない。
たまたまちょっと頭が良かった田舎者が、分断された世界を乗り越えようとするも、中途半端な努力のツケが回ってきて手前の谷底に落ちて沈むこともあるのだ。
私も北関東の片田舎の公立中を卒業し、そこから紆余曲折あっていわゆる高学歴層である東京の大学に進学した。が、それは努力の放棄の結果でしかない。
「成功率1割未満の綱渡りを何度も繰り返して辿り着いた先には、そこが『スタート地点』の奴らがゴロゴロいた」なんて経験は彼女からすると慣れたものだろう。
だが、私はそれを高校進学で体験し、そこでまさしく「人生を賭けた」努力を放棄してしまった。スタートラインが高い奴に勝つには一点集中しかない。一点集中は苦手だ。
小中学校は地元の公立だった。この手の記事で紹介されている事実に相違ない。付け加えるとしたら同級生が暴行で少年院に入り、卒業生がバイクで学校に乗り込んでくるし、喫煙率は中学生の時点で1割ぐらいだったということぐらいだろうか。
そんな中学校だが、3年時の学年主任にまさに世界の分断を教えられ、県内でも都会の子供たちが通う私立高校への進学を勧めてくれた。(彼の息子さんがその高校の先輩で、今は東大を卒業して超大手メーカーで働いているらしい。息子さんは分断を乗り越えた。)
受けてみたら運良く特待生になれた。当時好きだった子が先に同じ高校へ進学を決めていたし、修学旅行が海外だったので親の許可をもらって進学を決めた。
(ちなみに中学の時一番勉強ができた奴は地元の公立高校から東大に進学し、今頃は公認会計士の試験に通っているだろう。彼も分断を乗り越えた。)
高校に進学していきなり衝撃を受けた。
まず、ブルーカラーの家庭が我が家しかない。みなホワイトカラーで高給取りの子供だ。余談だが私はそれを嫌だと思っていないしむしろ世の中の為になる仕事で稼いで育ててくれたことに感謝している。だが、どうしても育ちの違いはある。言葉で表現するのが難しいが、見た目・行動・趣味の全てに清潔感があり、上品さがある。
なるほど育ちの違いとはこういうことかと初めて身を以て理解した時だった。そして同時に思った。「こんなに育ちが良くてなおかつ才能もある人間に勝てるわけがない」
当時私はITエンジニアになりたいと思っていて、理系に進んで情報科で院進して…なんていう未来を思い浮かべていた。しかしおそらくこのまま理系に進んでも中の上ぐらいにはなれるが秀才・天才の類にはなれない。
そんなことを思って文系に進んだ。これが1つ目の努力の放棄だ。
文系でもSEとしてITの世界に入る道はあったから、最終的に同じような結果になる以上他の選択肢も広い方がいい。そう思って文系で高学歴を目指した。
といっても受験勉強はそれなりに頑張ったつもりだったし、結果的にはよいものだった。が、東大を受けなかったことはその後の努力を放棄することに繋がる。
東大に入ればもっと育ちの違い・地力の違いを認識させられる。しかも大学に入ってからも受験勉強のような厳しい勉強が待ち受けている。受験勉強で懲り懲りだ。そう思って東大以外の大学を受けた。
(ここでも自分が勝てなかった奴は東大に合格し、今頃は官僚になっているだろう。彼も片田舎から這い上がった。分断を乗り越えた。)
結果として受験は上手くいき、予想通り合格した。そして大学に進学した。まあ、そこも世間一般的には優秀とされている大学なのでありえんエグい育ちの違いを見せられるのですが…。
就職活動を通して思ったことだが、田舎から生産されるべきは理系の秀才であり、文系のエリートははっきり言って求められていない。というよりかは結局育ちの良さとコミュ力の高さとある程度の頭の良さと整った顔面が求められているので、そんな遺伝子ガチャを田舎で成功させることがまず無理に等しい。遺伝子ガチャに成功しても育ちの良さをカバーするための努力は尋常じゃない。冒頭の記事の筆者はそれを実現しそうなところまで来ている。本当に頭が上がらない。
https://anond.hatelabo.jp/20130809115823
そういえば高学歴の世界・低学歴の世界なんて言葉もあったな。どうも田舎の公立中を卒業して必死に努力して都会の旧帝大や早慶に何とか入った人間には、こうやってエリート層と底辺層との分断が実感を持ってのしかかるものらしい。
地元の公立中を出た人間が、初めて都会の人間と高校で交わり、そこで夢に向かって成り上がる努力を放棄した。次に大学進学でも妥協し、やはり頂点を目指す努力を放棄した。
周囲の「普通」を見ると出生ガチャの時点で勝ち目がなさすぎるし、一方で同じような境遇の人間は信念に裏付けられた本物の努力で分断を乗り越えている。
どちらもない自分はそんな分断を乗り越える人間のライバルとして花を添えることしかできなかった。
一方でたまたま周囲の人間には恵まれ、人生そのものはコスパよく楽しくやっている。結局はずっと興味があったITの世界に入れることになったので(結局のところ分断は乗り越えられず大手の子会社だ)、これからもトップを目指さずに成功とも失敗ともつかない谷底の人生を歩んで行こうと思う。
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最後に、「この割れ切った世界の片隅で」の筆者はまだ高校生らしい。これからも私には想像できない、耐えられないような苦労をたくさんするだろう。我々のような屑の屍には目もくれず頑張ってほしいです。最後の最後まで勝ち残った時にはきっとその境遇が誰にも負けない強さとなって味方してくれるはずだから。応援しています。
まず言っておく。私は焦っている。友人を失うかもしれない。しかも、複数人まとめて。
この文章は、似たような境遇の人に共感してもらうなり慰めてもらうなりするためのものであり、説教も批判も求めていない。そういったコメントをしがちな人にはここで画面を閉じて欲しい。
特に、タイトルの言葉選びに対し思うところがあった人。今すぐこのタブを閉じるんだ。
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コロナ禍で何を、というご指摘はご遠慮願う。雑談時もマスクをするなど配慮はしていた。
年に一、二度程度しか全員で集まることのできないメンバー。頻繁に会えないため、食事の時の雑談において、趣味の話、職場の話、家族の話など話題は多岐に渡る。そして今回、友人の一人が街コンに参加したというネタを皮切りに、とうとう婚活という話題が表に出てきた。
正直居た堪れなかった。口数も明らかに減っていた自覚がある。どう返すべきかも分からなかった。
私は男が苦手だ。小中学校の間、同じクラスになった男子生徒からは必ずいじめられた。大人の男からも性的被害を受けているし、職場の上司からネトスト紛いのことをされたこともある。他、私の個人情報を業務上握っている一回りは上の男からアプローチを受けたこともある。
もちろん全員が全員そうとは思っていない。しかし、男である時点で信用しない方が賢明だという考えを持つには十分すぎるほど傷つけられた。
(自分はこんな酷い目にあった、みたいな話はやめてね。苦しみは存在自体が問題であって、その強さは関係ないし他人が量れるものではないので。)
自分の性格上、同世代に既婚者が増えてくれば世間体を気にして焦り始めることは容易に想像がつく。しかし、親は上記事情にも理解があり、もう私は結婚しないものだと思っている。孫など期待されていない。そして何より、信用できない男に自分の日常的な家事の代行権利を与えたり万一のことがあった時の判断を任せたりするよりは、一人で生きて行った方が幸せだと考えている。単身では家を借りられなくなるほど年老いる前に死んでいたい。
(余談:家の賃貸契約とかも所謂日常的な家事に含まれるので夫婦間で代行できる)
別に、友人も似た考えを持っているなんて思ったことはない。みんな適齢期になればどこかしらで出会った人と結婚して、私はもしかしたら周りからいつまで独身なんだろう……と同情と軽蔑の入り混じった目で見られるようになるのかもしれない、と怯えてさえいた。しかし、それとこれとは話が違うのだ。
友人たちも、何も結婚を急いでいるわけではないと言っていた。人生経験として知らない分野にいる人と出会い、巡り合わせが良ければそこから更に仲を深めていきたい、というふうに語っていた。私もその考え自体には共感できる。しかし、相手が男という前提がそれだけで私には恐ろしくて、まさか"イベントの類に参加するときは私も誘ってほしい"なんて言えないし思えなかった。"職場にいい人いないの"だなんて、思いつきもしない。
共有できない話題。友人たちがどう感じたかは分からない。しかし私は、自分と友人たちとの間に埋められない溝を感じた。そして、それを埋める努力をすべきなのか、見て見ぬ振りをすべきなのか、あるいは私の方から離れるべきなのか判断ができないまま数日経った。その間に、この出来事は思考の中心から一旦外された。
今日、カフェで読書をしてから帰った。帰り道でランニング中の男とすれ違った。人通りの少ない夜道。
学生時代、後ろから走ってきた男が私の隣に並んで以降追い抜いて行かないことが気にかかってそちらに目を遣ったところ露出狂だった、という出来事を経験した。今思い出しても身の毛のよだつ出来事だ。
腹が立った。ランニング中の男にではない。世の中に。そして、自分がどれほど男が苦手か、更には先日友人との雑談で何を感じたかを思い出してしまった。
(仕事でもないのに人通りの少ない夜道を歩くとか無用心だって指摘したくなった人がいると思うけど、こっちが用心しないといけない世の中にキレてることくらい分かるよね。分かったら黙ろうね。)
私の個人的な感情のために貴重な機会で持ち出す話題を制限する真似はすべきでない。
更に言えば、友人たちの方が、話題が合わなくなった私との会話を内心で気まずく感じているかもしれない。
私が黙っていればいい。誰もそれを不愉快にも不自然にも思わない。それなら私はそうするだろう。それで済ませられないのは、内心友人たちがどう思っているのかがさっぱり分からないからだ。
数少ない友人を失いたくはなくて、私は焦っている。ここまでくると、私はちゃんと友人たちを好きなのか、それともほとんど友人がいないから固執しているだけなのか、分からなくなってくる。どうすればいいのだろうか。今日も答えは出ない。
なんか最近こういう増田がちょいちょいバズってるよなあ。多分n番煎じだと思われるだろうけど、私の感情は私だけが煎じられるものなので、自分の言葉で記しておきたい。そしてできれば、私だけが悪いわけじゃないって言って欲しい。以上である。
-
スルーされるかなと思ったら反応頂いてて楽しくなってしまったのでお返しさせて
「婚活は話題に出てる状態さえ苦手だからそろそろ焦りだした友達をきりたいんだけど」〜
→惜しい、友人を切りたいとは思ってない これは本当
うんち長文と言いつつ読んでくれてありがとよ
→記事中の先制攻撃みたいなアイタタ文章は「こんだけ言っても無視する人は無視するやろな」くらいで入れたのでまあ というかやっぱり私の考え幼稚だよな〜!! 周りに甘やかされて生きてるので気をつけたい
あと確かにこれ改めて読むと友人への複雑骨折感情より男性恐怖と嫌悪が強いなと感じたのでこれは鋭い指摘 大変です
適齢期で結婚し家庭を持つという「普通」から外れることへの不安に〜
→普通を取るか捨てるか最終的にどっちが幸せか分からないんだよなあ 後から振り返って分かることでもないし 提案については枝の指摘の通りかもしれない 優しすぎて一周回って自己嫌悪に陥ってしまった
→鋭すぎてビビった 自分の考え方が原因で人と離れることになったとき、主観では全面的に相手のせいにするつもりはないけど、自分が”悪い”とは思ってないな 合う合わないは善悪と違うし
https://anond.hatelabo.jp/20200805230431
お前と同じような経験をしてきた者として言うが、お前の認知はどうもおかしいと思う。
俺に対するいじめが始まったきっかけが、ありがちなんだけど席替えで俺の隣になった女子が泣き出したことだったから、女の隣になるのが今でもトラウマだ
俺もこんな行為を小学校から中学校までの間ずっと受けていた。毎月席替えになると横になったバカ女が泣きだしたり、同じグループに分けられた女があいつは嫌だって騒ぎ出すってやつだな。
俺が下校しているのを見掛けるとギャアギャアと喚き立てながら逃げていくのも毎日だった。
そのとき、ただ自分を恥じてうつむいているだけの時間が耐え難いのはよくわかる。
しかし痴漢による被害と、お前の受けたその扱いというのは同類ではない。痴漢と元増田の間には加害と被害の関係が成立しているけれども、お前や俺の受けた扱いは別に加害ではない。
バカ女は誣告をしたわけではない。虚言ではないし誤解があるわけでもない。
お前に対する嫌がらせとして行ったつもりなんて一切なくて、単に本当に嫌だったことを正当に被害として申し立てただけのことだ。
だから公然と行われているのにもかかわらず教員も含めて制止しなかったし、デカい声で喚き立てるほどに効果的だったし、なんなら周囲の人間は全員お前ではなくバカ女に「アーカワイソ」って同情してたろ?
普通のいじめではこうならない。この攻撃手法はジェンダーに限って言うと、流れる方向は女→男で一方的になっていると俺は思う。
逆の事例はどういう風に起きるのかすら思いつかない。
たとえば詩織さんと山口さんの問題も、実際に山口さんが罪を認めて謝罪するかどうかはともかく、理論上は2人に謝罪の可能性が残っている。だから裁判なんかやってるわけだな。
普通のいじめも同じで、俺はハーフだから日本語の発音をバカにされたけれど、それは相手は謝ってくる可能性は論理的には残されている。お前が男子から受けたいじめだって同じことで、どんな暴力の程度にせよ善悪はその時点で明らかになっていて、その部分で対立はしない。
たぶんお前の隣になったことを被害として、連中は記憶してから忘れているんだよ。だから思い出してもらおうという愚痴にも告発にも意味がない。
大変偉そうなこと書いてるブクマカ共だって確実に「アーカワイソ」という視線を向けていたはずだ。どっちに向けていたかは聞くまでもないだろう。
だから、お前や俺の受けた扱いは元増田とぜんぜん同じじゃない。
バカ女に反省とか謝罪とか、そういう可能性を見出すことはできない。
残念な事実だけれども彼女たちの視点からみて俺たちの隣に座ることは確かに被害だった。
さて、女性恐怖症ということだが、俺が考えるに、お前がその時受けた扱いに釣り合うような加害を行っていないことに問題がある。
考えてもみろ。
たとえばMeTooなんて運動をやっているが、大昔に加害を受けたのに被害を告発できなかったから、今になって「私も!私も!」って騒いでるわけだろ?
その騒いでる女共が大層な被害を受けたのは確かなんだろう。俺はその告発は大変に尊重したいと思う。なんせ俺はフェミニストだからな。
でもよ、逆があって当然じゃないか?
もし法的なリスクを気にしないなら、駅前でタックルすることも釣り合いを回復するのためには少しくらい役に立つかもしれない。もちろんデリヘルでガシマンなんてサイテーにくだらないことでも全然かまわない。
お前は世の中のタテマエというやつに苦しんでいるように見える。
確かに「男女平等」とか「性暴力の根絶」とかいうのは、より良い世間を作っていくには重要なことかもしれないが、お前の人生を良くするのに役に立つことは絶対にない。
単に法的だったり経済的だったりするリスクをどうするかってことだけ考えて、あとは自分にかかったストレスにどう対処するかの問題でしかない。
現に俺はDVが原因らしいが、3回離婚している。クソ女の元増田を読んだ後も非常に大きなストレスを感じたから、俺はあの時のそれを取り返すために行動をした。
何年も何年も、自分が存在することそのものを恥じるってよっぽどの罪があったのだと思わないか?
たぶん連続強姦殺人犯だって、俺たちほど自己の存在そのものを恥じることはなかったはずだ。
まだ間に合うぞ。そんなどうでもいい考え方で人生を台無しにする必要はない。お前は別に恐怖症ではない。少し過去と現在で釣り合いが取れていないだけ。
ところで「周りの男は何をしていた?」って書いてたブクマカがいたけど、お前そのとき何してた?
見たことがないとは言わせない。
ところで「主語がでかい」と書いてたブクマカがいたけど、統計的にnはいくつ必要なんだ?
私がオナニーを覚えたのは中学校に入学して半年が経った頃だった。
小学生の頃、辞書でオナニー、マスターベーション…そういう方面の単語も調べて知ってはいたがそれはどういった行為なのかは知らなかった。
その頃、私がいたクラスのほとんどの生徒は文化祭の準備で残されていたが、その時事件は起きた。私は、ふいに勃起してしまったのである。そうあまりにも突然のこと(特に興奮した覚えはない)だったので勃起を抑えることができなかった。その時だった、誰かに後ろから股間を触られてしまったのだ(股間を触ってきたのかはこの時は分からなかったが、後々分かることになる)
一応ここで触れておくが私が入った中学校は男子校であるため女子はいない…ここに出てくる人間は全員男だ。
それはそうと勃起していた時に触られた私の竿はピクっと反応してしまった。
そうすると
「やらない?」
と言ってきた。
この時彼が何を言っているのか分からなかった。
私が、どういう意味だ?と問いかけると、突然彼はズボンのチャックを開けパンツの上から竿を握った。そして彼は言った
「トイレ行こう?」
と
私は、おまえ何する気だ!と少し強い口調で言った
すると彼は間髪入れずに
「出すもの出そうよ」
と言ってきた。
私は出すものの意味が正直分からなかったので咄嗟に出すものも何もトイレにはいきたくないと答えた。
すると彼は耳元で
「一緒に来ないんだったら今ここで勃起した陰茎をクラス中に見せることになるぞ」
と脅してきた。
私は、それでも平気だそう答えると今度は
「じゃあ”折るぞ”」
といってきた、そして
「折れたらもう勃起できなくなるぞ」
と続けた、私はやめてくれと頼むと彼は強引に竿を握っていない方の手で腕を引っ張り言い放った
「交渉成立、トイレ個室でやるから誰にもバレないから安心しろ」
と、そして私は竿を握られなすすべもなくトイレについて行った。
ついて行ったトイレには誰もおらず、個室はすべてあいていた。そして私は個室に押し込まれた。そして一旦彼は腕から手を離し彼のズボンとパンツをおろしはじめた。私ははじめだった他の男の勃起したモノを見たのは…。初めて見た彼のはまだ毛が生えていなかった。そして彼は言った
「自分で脱げ。さもないと…分かってるよな?」
と言われ、私は分かったから竿をから一旦手を離してくれと頼むと彼は応じ個室の扉の前で私が逃げ出せないようにしっかりとガードした。私はもう逃げれまいと観念し、ズボンとパンツを下ろした。そうすると彼は
「まだ剥けてないのか?っていうか剛毛だな。こうだったから”あのとき”陰茎見せなかったのかよ…てっきり俺はおまえの平常時の皮余り短小を見られたくなかったからだと思ったぞ。でも勃起すると…」
と私の勃起したモノ見て言った。そして
「包茎か…剝いてやるよ」
と突然近寄ってきて亀頭の先端皮を指でつまむと皮を剝いてきた。そしてすぐに亀頭の全容が明らかになった。そして彼は
「なんだ簡単に剥けるんじゃないか、しかも先端から我慢汁ダダ漏れ、コウフンしてんのか?」
と言った、そして突然しゃがみだし剥けたばかりの亀頭にキスをするとしゃぶりだした、と思ったらすぐに彼はこう言った
「今みたいに俺のをしゃぶれ、あと恥垢も綺麗にな」
私は従うしかないと思いしゃがんでしゃぶったが、すぐに彼は言った
「気持ちよくないな…テコキしてくれ」
我々はすぐに彼のを握りピストン運動のように手を動かした、すると彼も私のものを握り素早く抜いてきた、すると下半身のほうが突然むずむずし何かがこみ上げてきた。彼は微笑みながら言う
「もうイクのか、早漏だな」
私はそう言われながらも我慢できずに初めての射精をしてしまった。私の精液はポタポタと床に落ちた。そうすると彼は
「俺はまだイってないんだけど」
と言い、私は必死で彼のをイかせようとした、が5分たってイかせることができず、彼は呆れたようにいった
私がオナニーを覚えたのは中学校に入学して半年が経った頃だった。
小学生の頃、辞書でオナニー、マスターベーション…そういう方面の単語も調べて知ってはいたがそれはどういった行為なのかは知らなかった。
その頃、私がいたクラスのほとんどの生徒は文化祭の準備で残されていたが、その時事件は起きた。私は、ふいに勃起してしまったのである。そうあまりにも突然のこと(特に興奮した覚えはない)だったので勃起を抑えることができなかった。その時だった、誰かに後ろから股間を触られてしまったのだ(股間を触ってきたのかはこの時は分からなかったが、後々分かることになる)
一応ここで触れておくが私が入った中学校は男子校であるため女子はいない…ここに出てくる人間は全員男だ。
それはそうと勃起していた時に触られた私の竿はピクっと反応してしまった。
そうすると
「やらない?」
と言ってきた。
この時彼が何を言っているのか分からなかった。
私が、どういう意味だ?と問いかけると、突然彼はズボンのチャックを開けパンツの上から竿を握った。そして彼は言った
「トイレ行こう?」
と
私は、おまえ何する気だ!と少し強い口調で言った
すると彼は間髪入れずに
「出すもの出そうよ」
と言ってきた。
私は出すものの意味が正直分からなかったので咄嗟に出すものも何もトイレにはいきたくないと答えた。
すると彼は耳元で
「一緒に来ないんだったら今ここで勃起した陰茎をクラス中に見せることになるぞ」
と脅してきた。
私は、それでも平気だそう答えると今度は
「じゃあ”折るぞ”」
といってきた、そして
「折れたらもう勃起できなくなるぞ」
と続けた、私はやめてくれと頼むと彼は強引に竿を握っていない方の手で腕を引っ張り言い放った
「交渉成立、トイレ個室でやるから誰にもバレないから安心しろ」
と、そして私は竿を握られなすすべもなくトイレについて行った。
ついて行ったトイレには誰もおらず、個室はすべてあいていた。そして私は個室に押し込まれた。そして一旦彼は腕から手を離し彼のズボンとパンツをおろしはじめた。私ははじめだった他の男の勃起したモノを見たのは…。初めて見た彼のはまだ毛が生えていなかった。そして彼は言った
「自分で脱げ。さもないと…分かってるよな?」
と言われ、私は分かったから竿をから一旦手を離してくれと頼むと彼は応じ個室の扉の前で私が逃げ出せないようにしっかりとガードした。私はもう逃げれまいと観念し、ズボンとパンツを下ろした。そうすると彼は
「まだ剥けてないのか?っていうか剛毛だな。こうだったから”あのとき”陰茎見せなかったのかよ…てっきり俺はおまえの平常時の皮余り短小を見られたくなかったからだと思ったぞ。でも勃起すると…」
と私の勃起したモノ見て言った。そして
「包茎か…剝いてやるよ」
と突然近寄ってきて亀頭の先端皮を指でつまむと皮を剝いてきた。そしてすぐに亀頭の全容が明らかになった。そして彼は
「なんだ簡単に剥けるんじゃないか、しかも先端から我慢汁ダダ漏れ、コウフンしてんのか?」
と言った、そして突然しゃがみだし剥けたばかりの亀頭にキスをするとしゃぶりだした、と思ったらすぐに彼はこう言った
「今みたいに俺のをしゃぶれ、あと恥垢も綺麗にな」
私は従うしかないと思いしゃがんでしゃぶったが、すぐに彼は言った
「気持ちよくないな…テコキしてくれ」
我々はすぐに彼のを握りピストン運動のように手を動かした、すると彼も私のものを握り素早く抜いてきた、すると下半身のほうが突然むずむずし何かがこみ上げてきた。彼は微笑みながら言う
「もうイクのか、早漏だな」
私はそう言われながらも我慢できずに初めての射精をしてしまった。私の精液はポタポタと床に落ちた。そうすると彼は
「俺はまだイってないんだけど」
と言い、私は必死で彼のをイかせようとした、が5分たってイかせることができず、彼は呆れたようにいった
私がオナニーを覚えたのは中学校に入学して半年が経った頃だった。
小学生の頃、辞書でオナニー、マスターベーション…そういう方面の単語も調べて知ってはいたがそれはどういった行為なのかは知らなかった。
その頃、私がいたクラスのほとんどの生徒は文化祭の準備で残されていたが、その時事件は起きた。私は、ふいに勃起してしまったのである。そうあまりにも突然のこと(特に興奮した覚えはない)だったので勃起を抑えることができなかった。その時だった、誰かに後ろから股間を触られてしまったのだ(股間を触ってきたのかはこの時は分からなかったが、後々分かることになる)
一応ここで触れておくが私が入った中学校は男子校であるため女子はいない…ここに出てくる人間は全員男だ。
それはそうと勃起していた時に触られた私の竿はピクっと反応してしまった。
そうすると
「やらない?」
と言ってきた。
この時彼が何を言っているのか分からなかった。
私が「どういう意味だ?」と問いかけると、突然彼はズボンのチャックを開けパンツの上から竿を握った。そして彼は言った
「トイレ行こう?」
と
私は、おまえ何する気だ!と少し強い口調で言った
すると彼は間髪入れずに
「出すもの出そうよ」
と言ってきた。
私は出すものの意味が正直分からなかったので咄嗟に出すものも何もトイレにはいきたくないと答えた。
すると彼は耳元で
「一緒に来ないんだったら今ここで勃起した陰茎をクラス中に見せることになるぞ」
と脅してきた。
私は、それでも平気だそう答えると今度は
「じゃあ”折るぞ”」
といってきた、そして
「折れたらもう勃起できなくなるぞ」
と続けた、私はやめてくれと頼むと彼は強引に竿を握っていない方の手で腕を引っ張り言い放った
「交渉成立、トイレ個室でやるから誰にもバレないから安心しろ」
と、そして私は竿を握られなすすべもなくトイレについて行った。
ついて行ったトイレには誰もおらず、個室はすべてあいていた。そして私は個室に押し込まれた。そして一旦彼は腕から手を離し彼のズボンとパンツをおろしはじめた。私ははじめだった他の男の勃起したモノを見たのは…。初めて見た彼のはまだ毛が生えていなかった。そして彼は言った
「自分で脱げ。さもないと…分かってるよな?」
と言われ、私は分かったから竿をから一旦手を離してくれと頼むと彼は応じ個室の扉の前で私が逃げ出せないようにしっかりとガードした。私はもう逃げれまいと観念し、ズボンとパンツを下ろした。そうすると彼は
「まだ剥けてないのか?っていうか剛毛だな。こうだったから”あのとき”陰茎見せなかったのかよ…てっきり俺はおまえの平常時の皮余り短小を見られたくなかったからだと思ったぞ。でも勃起すると…」
と私の勃起したモノ見て言った。そして
「包茎か…剝いてやるよ」
と突然近寄ってきて亀頭の先端皮を指でつまむと皮を剝いてきた。そしてすぐに亀頭の全容が明らかになった。そして彼は
「なんだ簡単に剥けるんじゃないか、しかも先端から我慢汁ダダ漏れ、コウフンしてんのか?」
と言った、そして突然しゃがみだし剥けたばかりの亀頭にキスをするとしゃぶりだした、と思ったらすぐに彼はこう言った
「今みたいに俺のをしゃぶれ、あと恥垢も綺麗にな」
私は従うしかないと思いしゃがんでしゃぶったが、すぐに彼は言った
「気持ちよくないな…テコキしてくれ」
我々はすぐに彼のを握りピストン運動のように手を動かした、すると彼も私のものを握り素早く抜いてきた、すると下半身のほうが突然むずむずし何かがこみ上げてきた。彼は微笑みながら言う
「もうイクのか、早漏だな」
私はそう言われながらも我慢できずに初めての射精をしてしまった。私の精液はポタポタと床に落ちた。そうすると彼は
「俺はまだイってないんだけど」
と言い、私は必死で彼のをイかせようとした、が5分たってイかせることができず、彼は呆れたようにいった
私がオナニーを覚えたのは中学校に入学して半年が経った頃だった。
小学生の頃、辞書でオナニー、マスターベーション…そういう方面の単語も調べて知ってはいたがそれはどういった行為なのかは知らなかった。
その頃、私がいたクラスのほとんどの生徒は文化祭の準備で残されていたが、その時事件は起きた。私は、ふいに勃起してしまったのである。そうあまりにも突然のこと(特に興奮した覚えはない)だったので勃起を抑えることができなかった。その時だった、誰かに後ろから股間を触られてしまったのだ(股間を触ってきたのかはこの時は分からなかったが、後々分かることになる)
一応ここで触れておくが私が入った中学校は男子校であるため女子はいない…ここに出てくる人間は全員男だ。
それはそうと勃起していた時に触られた私の竿はピクっと反応してしまった。
そうすると
「やらない?」
と言ってきた。
この時彼が何を言っているのか分からなかった。
私が「どういう意味だ?」と問いかけると、突然彼はズボンのチャックを開けパンツの上から竿を握った。そして彼は答える「トイレ行こ」と
私はもう一度問いかける「何をする気だ!」
すると彼は間髪入れずに「出すもの出そうよ」と言ってきた。
そうすると彼は強引に「」
班編成は出席順で強制割り振り
カメラ含めて電子機器類はアナログの腕時計以外持ち込み禁止、カメラは班に一台の使い捨てカメラだけ
金銭持ち込みは二千円まで
宿泊先はボロい旅館で部屋に風呂もトイレも洗面台もなくて、大人が四人も入ったらいっぱいになりそうな大浴場と廊下にある共同トイレと流しだけ
朝は混雑の回避とかで班ごとに15分単位に利用可能時間決められて、流しは使ったら水滴を残さず拭き上げろとか、チェックアウト前には部屋掃除させられて髪の毛一本残すなとか、ゴミは全部持ち帰れとか…
食事も移動中もずっと班行動で、ちょっとでもはぐれると監視してる先生に止められて集まるまで待機
遊園地も乗り放題じゃないから持ち込み金額内だと乗れても二つかそこらへんだからただただ園内を無意味にうろうろしてただけだった
何も学ぶものなかったよ
せいぜい、行きのバスで歌わされた原爆の歌(原爆を許すまじ〜我らの町に〜みたいなやつ)が悪ガキにうけて卒業までいじめられっ子が名前もじって囃し立てられてたくらい
同じく町立の中学校は行き先は姉妹都市協定のある海外だったけど、内容はほぼ変わらず
日中は制服に指定運動靴に指定鞄、就寝時は体操服、靴下も下着も色の指定ありの名前記入必須、私物は筆記用具と時計以外は持ち込み禁止
飲み物やおやつも持ち込み禁止で業者手配の現地語の書かれたペットボトルの水と飴とガムだけだったかな
部屋は二〜三人で一部屋で風呂もトイレも洗面台もあったけど、オートロックだから夕食後に部屋に入ったら消灯巡回の先生に鍵を預けて部屋の外に出るの禁止
さすがにゴミは置いて帰ってよかったけど、部屋の風呂とかトイレは掃除させられた
ご飯も、田舎町でその国の料理なんか給食でしか食べたことない子も多くて口に合わずに残す子多数なところをマナーが悪いって完食強要して移動のバスでゲロ吐く子が複数出た
そういうわけで、何一つとして修学旅行に良い思い出がない。
地元の公立高校は修学旅行あるところとないところが半々で、自分のところは修学旅行なかったから行ってない。
余裕がなくて家族旅行もしない家だったから、進学して一人暮らしし始めるまでディズニーランドもUSJも富士急ハイランドも行ったことなかったし、社会人になって出張ついでに観光するようになるまで旅行とか遠出とかつまらない無意味な行為だと思ってた
何年か前に一人で広島観光したらすごく楽しかった。修学旅行がつまらなさすぎて記憶が無かった原爆ドームや原爆資料館行ったし宮島も行った。あんなに衝撃的な場所でも記憶に残らないって相当だと思う。
去年はついにパスポート取り直して海外にも出た。一発目は修学旅行で行った国にした。気になったところ全部回って、現地の料理もおしゃれなカフェも気になったものはなるべく回れるように厳選した。言葉は分からないけどすごく充実してて楽しかった。行ったのが観光地ばかりだから治安も別に悪く無かったし、親切な現地人にお世話になったシーンもあったし、初めての一人での海外旅行だったけどすごく良い旅行になった。
修学旅行に楽しい思い出がある人たちはせいぜいその思い出を大事に盛り上がれば良いけど、えー修学旅行が楽しくないわけナイでしょー!とかいってくる奴が本当に鬱陶しい!!!クソが!!!って内心思ってる
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。ここでは、そんな姉の話をさせて欲しい。
我が家は学歴にコンプレックスを持つ母とそんな母に言いなりな父に育てられ、母は俺達が幼い頃から「いい大学に出て、良い会社に就職するんだよ。」と教え込んでいた。兄は幼い頃から他の子達よりも優秀で、褒められてばかりの少年だったので母は自慢に思っていた様で、その頃兄と同等程度の学力を発揮していた姉を小学校1年生の頃から塾に通わせ、学校の授業の範囲を先取りする形でどんどん吸収させ、兄より優秀な娘を作ろうとしていた。また、ロングヘアも可愛らしい服も似合わないと笑われた過去をトラウマとしていて、それの当て付けの様に姉の髪を伸ばし、可愛らしい服を着せていた。姉はそれを従順に受け入れていたし、身内の贔屓目もあるが姉はかなりの美人であった為、幼少の頃の姉は俺にとって「可愛いお姉ちゃん」だった。
転機が訪れたのは、姉が小学校4年生、俺が小学校1年生の時だった。よく一緒にケーブルテレビで放送されていたスラムダンクを兄弟3人で観ていた俺達は、3人で地元のバスケチームに入りたいと両親に相談をした。
父は「スポーツを習うのは良い事だ」と賛成していたし、母もスポーツに興味を持った俺達を喜んでいたが、入部を認めて貰えたのは俺と兄の2人だけ。姉は「お姉ちゃんは大事な塾があるからそんな暇無いでしょう。」と却下されてしまった。その時姉は「それもそっか、塾と被るもんね。」と笑っていたが、その後子供部屋に戻った時、ボロボロと目から涙を零して「行きたくて塾行ってる訳じゃないのに。」と泣いていた。俺はそこで初めて、姉の本心を知った。兄はそんな姉を見て「母さんを説得しようか。」と声を掛けていたが、泣きながらも姉は「いい、無駄やと思う。」と首を振っていた。
それから姉は、塾をサボる様になった。塾の時間に外に出て居るものの、友達の家で遊んでいる事を俺は知っていた。姉の友人の弟もまた、俺の友人であったからだ。でも俺はそれを両親に報告もしなかったし、姉に知っている事も言わなかった。しかし、なんだか俺は悪い事を姉と一緒に隠しているつもりになってしまって、落ち着かなかった。
塾からはいつも、姉が居ない事について電話が来ていたらしい。父がよく連絡を受けていたらしいが、父にも思う事はあったのか母には姉が塾をサボっている事を伝えていなかった様だった。悪い事は、父も一緒に隠していたのだと思うとなんだか安心したが、偶々その日家に居て塾からの連絡を受けてしまったのは母で、母は全てを知ってしまった。そして、帰宅した姉の髪を掴んで家の柱に顔を打ち付け、殴り、11月の寒空の下、ベランダに締め出した。姉は泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返していて、兄も俺も助けてやりたかったけど、母はそれを許さなかった。あの日、父が母を説得して家の中に入れてやるまでの3時間程度の間、俺と兄は母がトイレに行った隙にこっそり姉にカイロを渡す程度しかしてあげられなかった。
やがて、両親が離婚した。原因はまだ幼かった俺に説明は無かったが、兄と姉は知っている様だった。でも姉は「知らない方がきっとお前の為だから」と言っていたし、兄は「両親がお前には教えないと判断したなら、俺もお前には言えない。」と言っていたので、理由は知らないままであるが、兎に角離婚した。そして、俺達兄弟は父に引き取られた。母は少し離れた場所に引越し、1ヶ月に1度程度会う関係になった。
母の引越しが行われた日。母が出て行ったのを見送った姉は、そのまま一人部屋を得ていた兄の部屋へと向かった。俺も暇だったので何をしているのかと着いて行くと、姉は兄に「ねえ、お兄ちゃんの着れなくなった服ちょうだい。」と言い出した。「男の服だからお前が着ると変だよ。」と言う兄はそれでも、持っていてもどうせ着れないからと姉に小さくなった服をあげていた。いつか、俺が大きくなったらお下がりで貰おうと思っていた服もその中には混じっていて、姉はそれを嬉しそうに受け取るとリビングで着替えた。女の子らしい、可愛らしい服ばかりを着ていた姉が、男の子の格好をしているのにそれはそれは強烈な違和感があったし、見ていた父も何事かと首を傾げた。
次に姉は、そんな父の所へ行って「髪の毛切りに行きたい」と言い出した。父は了承すると姉に美容室代を渡して、姉は通い慣れた地元の美容室へと一人で出掛けて行った。リビングでそれを見ていた俺についでと言わんばかりに父はお小遣いをくれて、「これで駄菓子屋(美容室の隣にあった。)行ってお菓子買って、姉ちゃんとわけっ子して2人で帰っておいで。姉ちゃんの事待っとくんぞ。」と言った。俺は了承してウキウキで駄菓子屋へ自転車を走らせ、駄菓子を沢山買って店の前で姉が美容室から出て来るのを待っていた。
店の前に出て20分くらいだろうか。美容室のドアが開く音がして顔を向けると、そこには男の子の服を着て、髪をすっかり短く切った、ジャニーズ風の雰囲気の髪型になった姉が立っていた。「え、そんな切ったん?」「うん、長いの嫌やったっちゃん。てか何でおるん?」と会話をしている相手は姉なのに、見たことも無い姿にやっぱりなんだか違和感があった。離婚を機に、姉は塾も辞めたらしい。「ホントはずっと塾も長い髪も嫌やったっちゃんね。男子の服の方が動きやすそうやし、かっけーしさ。」と笑った姉は、何だかいつもより楽しそうだった。
中学生になった姉は、優秀な兄と比べられるストレス、兄が優秀な分同等の価値を求められるストレスから段々とおかしくなっていった。ちょっと悪い人達と一緒に居るようになって、学校をサボる様になった。髪を染めてピアスを開けて、知らない人みたいになっていった。偶に会う母と姉の関係は冷え切っていた。理想とは真逆を進み始めた姉を母は受け入れられなかった様で、居ないものとして扱うようになってしまったし、姉は「元々ね、うちと母さんは理解し合えんのよ。やけん仕方ないね。」と笑い飛ばした。結局姉はそのまま中卒で社会に出た。
俺が高校生になった頃。よく姉が仕事の休みの日に家に連れて来る女の子が居た。その子と姉は休みの度に会っているようで、なんだかやけに親しげだった。
姉は俺のテスト期間や週末に休みが被ると、よくご飯に連れて行ってくれて、多少値が張る店でも俺が好きそうな飯がある店によく連れて行ってくれていた。その日は個室タイプの居酒屋のランチ営業に2人で行っていて、聞けるのはこういう時しかない、と思って俺は口を開いた。
姉は驚いた様に目を開いて、暫く迷う素振りを見せた後静かに首を振った「違うよ、でも、最近連れて来るあの子と付き合ってんの。」そう零した姉に、俺は首を傾げた。女と付き合ってるならレズなんじゃないの?そう言おうとした俺に姉は「今からね、お前がびっくりする話すんね。でもお前にしか言わないから皆には秘密ね。」と続けた。
話によると、姉は性自認が人と少し違う人だった。でも、性同一性障害という訳でもないし、自分が女であるというのは理解している。でも、自分が女だという事に強烈な違和感があり、だからといって男なのかと聞かれればそれも違和感がある、所謂「性自認がどちらでもない人」だった。後で調べた話、こういう人をどうやら「Xジェンダー」と呼ぶそうだ。
そして、姉はレズビアンではなくて、性自認がどちらでもない関係上、女も男も異性であり同性。そして、自分とは違う人達という認識で、そこに差を持たない生粋のバイ・セクシャルだった。でも、男と付き合うと女である事を強く求められるけれど女と付き合うと自分のままでも受け入れてもらえるからと、女性と付き合う事が多いのだと話していた。
その頃の姉は奇抜な髪色に、耳と顔に沢山のピアス。そしてやっぱり、男性物の服を着た性別も年齢もよく分からない様な見た目をしていて、「そういう格好もわざとなん?」って聞いた。そしたら姉は「女を押し付けられたちっちゃい頃の反動。分かんない、反抗期なんかな。」と煙草を片手に笑っていた。俺は姉を「姉ちゃん」と呼ぶのを辞めた。友達みたいに、名前で呼ぶようになった。姉はそれに気付いたみたいで泣きそうに潤んだ瞳で一言「弟のくせに生意気」と言った。
そんな話から3年後。姉に珍しく彼氏が出来た。親や兄の前では特に触れてなかったが、彼氏の紹介を終えた姉は俺の部屋に来て「あんね、彼氏ね。うちの性自認も理解してくれる人なん。」「女の子やなくてね、うちのままで居ていいって言ってくれたん。」と嬉しそうに笑っていたし、性自認を打ち明けられない息苦しさと、女性と付き合うことによる周囲からの偏見の目に晒されていた姉の言葉に俺は夜じわじわと一人で寝る前に泣いた。幸せになって欲しかった。姉は派手な見た目と素行から誤解をされがちだったが、いっぱい我慢して来た人だった。そして、誰より優しい人だった。自分を殺してでも、周りが求める理想に従順である努力を、ほんの幼い頃から出来る人だった。ふたつしか貰わなかった大好きなクッキーを、「兄ちゃんと弟にあげるから」と食べずに持って帰って来る様な姉だった。人の為に、が出来る人だった。反発の仕方が分からなくて、反骨の仕方が上手くいかなくて、すっかり周りからは「グレたヤンキーのどうしようもない娘」だと思われていたけど、俺にとっては大好きで大事で、自慢の姉だった。
社会に出るまでの道筋は兄が示してくれた。でも、人に優しくする方法は、いつだって姉が示してくれた。
半年後、姉は彼氏と同棲を始めて家を出た。寂しくて、荷造りする姉の手伝いをしながら、昔話を2人でして、引越しの前はアルバムなんか俺が引っ張り出してきて、あんな事あったこんな事あったと話して2人で泣いた。随分派手な見た目になった姉は、それでもやっぱり昔のままで「うちの事受け入れてれてありがとう」と嗚咽混じりに告げた。髪が長くて可愛らしい服を着た「可愛いお姉ちゃん」は、見た目が変わってしまってもやっぱり美人で、俺にとっては「かっこいい兄弟」にランクアップしただけだった。姉は泣き腫らした顔で翌日旅立った。俺はその日、寝る前にまた一人で泣いた。
姉には幸せになって欲しかった。やっと姉が、姉のままで居られる環境に旅立てた事が自分のことの様に嬉しくて、次会った時にもっと男みたいになってて、俺よりよっぽどイケメンになってたらどうしよう。なんて再会を楽しみに思っていた。
思っていたのに。
髪を伸ばして、派手な色もやめて、ピアスだって全て外して、綺麗めな女性の服を着て、パンプスなんか履いていた。一人称は「私」になっていた。父には「やっぱ私さ、実家が好きだわ〜!嫁に行けんでごめん!」とか言って笑い飛ばしていた姉は、荷解きをする為に戻った自室で1人で泣いていた。
「びっくりした、めちゃくちゃ女になってて。」
「だって、そうしろって言われた。隣に並ぶの恥ずかしいってさ。」
嗚咽混じりに聞いた話はあまりに酷い話だった。
彼氏が姉の性自認を受け入れてくれたのなんて嘘だった。姉と付き合いたいが為に理解者のふりをしていただけで、同棲開始直後から女である事を求められ、髪は伸ばし黒く染め、持っていたメンズやユニセックスの服は捨てられた。一人称も、喋り方も矯正させられ、前の喋り方が出ると「気色悪い」と詰られた。
「お前みたいな厨二病のメンヘラと付き合ってやってんだから」と姉に言い聞かせ、2年間ずっと都合のいい存在として消費されていたらしい姉の話は、俺の心にずっしりとのしかかって来るなにかがあった。姉には幸せになって欲しかった。姉にはありのままの姿で生きていて欲しかった。泣いて帰って来てなんて欲しくなかった。
俺は財布から金を抜いて姉に渡した。「俺、お前のショートヘア大好きだったよ。かっけーもん。」
俺のお下がりの服は、体格差から姉にはかなり大きかったけど、それでも小さいサイズのものを選んで貸した。あの日から10年以上経って、姉は今度は兄ではなく俺の服を着て美容室へ向かい、長い髪の毛をすっかり短くして来た。ツーブロックまでした姉を俺はあの日と同じ様に駄菓子屋で待ちたかったけど、駄菓子屋は改装して雑貨屋になっていたから、雑貨屋で姉の部屋に飾るアクセサリースタンドを買って、袋を提げて店の前で待っていた俺に姉は「お前もおっきくなったね」と笑った。やっぱり中性的な姉は美人だった。
俺は5人家族、3兄弟の末っ子で上には兄と姉が居る。兄は絵に描いたような優秀な人で、頭のいい大学を出て新卒で入社した会社でも上手くやっているので、周囲からはよく「自慢のお兄ちゃんでしょう。」と言われる事があるし、肯定している。下の2人の手本になる様な人であれという両親の言葉を苦にもせず実行する姿を俺は尊敬している。
対する姉は、そんな兄の妹とは思えない様な人で、昔から小学校や中学校では「あの人の妹なのに」と言われていた様だし、俺も先生達から「君はお兄ちゃんに似ていて良かった。」と言われる事が多かった。「あの人の弟とは思えないくらい真面目だね。」と言われる事すらあった。しかし、俺は幾らだって言いたい。俺を優しいと言うけれど、その優しさは姉から貰ったものだった。優しくて、生きづらくて、それでも決して誰かを悪く言わない強い姉だって、昔から兄と同じくらい自慢の姉だった。
小中学校の頃、皆より胸の発育だけ早くていじめられてたわけではないけど、かなりいじられてた。
身長は小さく顔も年相応、よく陰で胸だけコナンって言われてた。
当時はすごく嫌だった。体育のとき、学生の人数も多く、トイレでタバコを吸う人が多かったからトイレで着替えるのが禁止で、更衣室も鍵が壊れて使えなかったから、皆教室で着替えることを強制されてた。
そのとき男子同士で情報のやりとりをしてるのか、私が着替え始めると他クラスの男子が見に来たり、時には写真を撮られたりもした。絶対に見えないような対策をしていたし、周りの女の子も注意してくれてたから別に触られたとか被害を受けたわけではないけど、嫌悪感はあった。
準備運動で走るときやジャンプするときなんかはかなりの視線を感じたし、恥ずかしくて体育がある日は仮病を使って休んだこともある。
だけど、ふと思った。友人が男女問わずさまざまな人から貧乳いじりをされて泣いているところを見て、まだマシなのかな、と思ってしまった。
よく「反応するから悪戯されるんだよ」と言われてきたこともあり、少しずつスルースキルを身に付けて視線やらカメラやらは流すことにした。
まあ、結論これは逆効果だった。見ていいんだ!と誤解した男子が視線だけでなく絡んでくるようになった。
卒業するまで我慢すればいいだけ、と言い聞かせて、とにかく耐えた。耐えまくった。
そして高校。高校になり彼氏ができ、体の関係を持つようになった。そのときもやはり胸を触る時間が長かったり、褒められたりすることが多かったから、これは武器になるのでは?と思った。いや、思ってしまった。
結局その彼とは数ヶ月で別れたけど、それからも体目当ての人と何回か遊んだ。顔も大して可愛くない私が男性から声をかけられるのは、恐らくまあ、そういうところに魅力があるからなんだろう。
そう思うようになってからは、悪い意味で吹っ切れた。来るもの拒まず去るもの追わずのビッチになった。けどこれはこれでいいかな、なんて思ってる。顔もスタイルも悪くて誰にも見向きされないよりかはマシかなって。人それぞれだろうし、多分周りに言ったら非難されるだろうけど、そういう人たちは僻んでるだけだなって思い込むようにしてる。
誰からも抱いてもらえないよりマシ。ひとつでも女としての魅力があるだけマシ。と、思う。言い聞かせてるのかは分からないけど。
https://twitter.com/hosono_54/status/1289304808269082624
細野豪志のいう大学関係者の危機感の無さについて、大学職員の俺もまったく同意だ。俺は都内の私立大学職員で技官である。もともとは建設畑の人間だが、大学の先輩から、後継者として数年前に引き抜かれた。40代、年収は1000万近い。私立大学職員は天国だといわれている。それは事実だろう。俺も自分の厚遇ぶりに吃驚した。でも、その実態は、何もしない公務員のような組織である。
小学校中学校高校高専と次々授業が再開されているのに、電車が普通に動いて会社が食堂が営業をし、図書館も美術館も開いているというのに、大学だけが授業再開しない理由は、しなくても高い給料が出るからである。
年間一人100万以上の現金がコンスタントに入る組織なので、まったく危機感がない。恐ろしいことに、対面授業再開について、議題にすらあがらないのだ。インセンティブの無い組織なので、評価は減点のみ。結果、何もやらない奴が生き残る。そんな組織の中で授業再開などリスクある行為を議題にする奴などいない。同じ仕事仲間で別の私大の知り合いに聞いても同じ。ましてや公務員の国公立が対面授業再開などするわけない。黙っていれば1000万プレイヤーなのだから。
を見て思い出したので書いてみる
元々水捌けがよすぎて、水害にも水不足にも悩まされる土地だったため
多少の反対はあれどすんなりと決まっていた覚えがある
市内の人もダムの水を使うということで、小さな村の大した価値もない土地だったがなかなかの額を提示され
たまたまダム予定地に半放置農をしていた婆ちゃんと俺の親(出戻りのシンママ)はホクホクしていた
住み慣れた環境と小学校を変えてしまうのもどうなんだってことで、ダムから少し降りた小学校のそばの土地を買って、家もローンを組まずに一括で建てた
山上の学校よりもさらに標高が高い山奥に住んでいた俺としてはこれ以上ない幸福だった。
それから暫くは何をするにも景気良く、その頃できたばかりであった遊園地にも行ったし、婆ちゃんと母ちゃんと俺の3人で伊勢参りにも行った。その時初めて食べた伊勢海老は今でも俺の好物である。
俺の小学校は1学年1クラスとかなりこじんまりしたところで、ダムで土地を売った組はクラスに3人。3人のうち、ダム予定地に住んでいたのは俺1人ということもあって、それからいっときはクラス中の興味が俺に向いていて随分楽しかった記憶がある。しかし、そんな俺以上に注目の的となったのが親父が建築会社をやっていた山内さん(仮)で、急にお嬢様になった彼女は田舎の小学校にあるまじき可愛らしい格好で登校するようになり、女子は勿論、男子の間でも「今まで気にしてなかったけどよく見ると可愛い」と話題になったものだ。(同時に注目を浴びた俺と山内さんは夫婦、とからかわれ俺は内心満更でもなかったのだが、何も起こることはなく、山内さんは中学校に上がってのちに生徒会長に抜擢される出木杉みたいなイケメンと付き合うこととなったという儚い思い出がある。)
その頃の小学校は山間部に住む生徒が多く、ダムの話は他人事ではなかったんだよな。一度はダム候補地になったものの、外された所の子なんかには少しやっかまれた。
そんな一時のダムバブルも少しすれば忘れ去られ、いつもの日常が戻った。
その頃、DV(などという言葉もなかったが)がひどく離婚もままならないままに逃げてきた父親がどこかからダムの話を聞きつけて、家に襲撃し、俺の親権を求めて訴えてくるというなんとも情けない事件もあったものの、それ以外はごく普通の平和な生活だった。
ダムができたことによる影響といえば、遠方の大学に行く学費+仕送りを母に出してもらえたことぐらいだろうか。シンママで、役場の仕事と少しの畑仕事(みかん農家だった)だけの母の稼ぎでは、とてもじゃないがそこまでは叶わなかっただろう。
俺の村では殆どが高卒だった中、市内の頭の良い学校に行って大学進学、という努力ができたのもダムのおかげだ。
今では東京育ちの嫁さんと結婚し、すっかり都会暮らしに慣れきっているので、ダム底にかつての家があることを思い出すと、なんとも奇妙な気持ちになる。
ニュースの小学生と同じように、小中学校の頃点字と手話を学んでいた。簡単な意志疎通程度しかできないけど、学校で難聴の子と話するときとか、誰も嫌だなんて言わなかったし逆に喜んで教えてくれたから自分も沢山使ってた
でももしかしたらそんな風に思う人がいたかもとか、気を遣われてたのかなとか…なんか色々ショッキングだった
ただ…正直健常者としては、どうして欲しいんだろうという戸惑いも大きい
初めて手話や点字を授業として習ったのは総合の時間で、そこではまず使ってみよう!みたいな感じで、正直文化や背景を知るというよりかはツール的な学習で終わった
私のいた学校はモデル校だったこともあって特殊で、難聴の子が1学年で10人近くととても多かった。手話に関しては授業で習うよりも先にその子たちから教わってたにせよ、点字に関しては総合の授業で学ぶことがなければ私は全く知らないまま今まで生きてきただろうと思う
安易に学ぶことをやめて欲しいというのが当事者の方の大まかな方向性であるのなら、私は学ぶのも使うのもやめるべきだろうけど
今でも仲良くしてる当時の難聴の友達にどう思ってるか聞いたら「はぁ?何それ」って返事が返ってきた笑