これは本当はどこかに公開するような話題ではないし、「匿名性を保ちながら人目に触れる場所に置き捨てたい」と思うこと自体が甘えであるとは自覚している。
それでも自分以外誰の目にも触れないハードディスクに封印して、後でパソコンごと破壊するよりも、インターネットの海に流しておきたいと思った。共感もコメントも望んではいないが、それでもどこかに言葉を残したかった。まあすぐ消えるかもしれないけれど。
匿名ダイアリーを選んだのは偶々知っていた媒体の中でちょうど良かったからです。見逃してください。
これまで築き上げてきた信用や成果や立場を、ものすごい勢いで壊してゆく。ここまで登ってきた道を、平気で転がり落ちていく。まだ間に合うから、立ち上がって、もう一回元来た道を登って、落としたものを拾い集めて、と自分に言い聞かせるけれど、ちっとも言うことを聞いてくれない。
「落とした信用も、まだ努力すれば回収できる範囲だから」と言い聞かせて、自分を落ち着けようとするけれど、無駄。努力をしたくない。もう十分努力した。その結果がこれだ。これ以上、一切合切の努力を私はしたくない。
私は焦っているのだろうか。落とした信用や遅れた仕事を取り戻せないと焦っていて、投げやりになっているのだろうか。
でもそもそも、取り戻したいのだろうか?
私は捨てたいのではないだろうか。手元にあったものを次々捨てていく不安や焦りと同じくらい、この手にあるものを憎らしく思っているのではないだろうか。
「こんなものいらない」と、ずっと思ってきた。
私が欲しいものは他に確かにあって、でもどれだけ努力しても私の手には入らなかったから、自分のスペックでも手に入るものに無理やり価値を見出し、「自分にふさわしい範囲で」生き方を決めようとしてきた。しかしこれは自己欺瞞だった。私は手に入るものに無理やり価値を見出そうとしてきたが、私が価値を感じるものは最初から他にあった。そしてそれは手が届かなかった。だから、自己欺瞞でしょうもない自分のプライドを守るように、手が届く方向に向かった。しかしそれも中途半端だ。
自己欺瞞でも間違った道でも、いっそのこと極められれば良かったのかもしれない。だが残念ながら、私にそこまでの能力はない。適正も熱量もないものに、一定以上の成果を出し続けられるほどの高いスペックは持ち合わせていない。「欲しいもの」には最初から手が届かず、「手が届きそうなもの」も完璧には極められない。私はつくづく中途半端だ。
歳をとってしまった。
今さら、無責任に希望を持てない。現在から不連続の未来を妄想できない。
この先、1年後、5年後、10年後、「現在」から連続した延長線上の未来しか想像できない。
まだ若かった頃、当時の「現在」がどれほどみっともなくとも惨めでも不幸でも、数年先の将来に何か突発的な事件が起きて、その先の「未来」は不連続な何かになるかもしれない、なんて思えた。逆説的に幸せだった、不幸で愚かで惨めな若かった私。
今の年老いた私には、そんな無責任な幸せは残っていない。現実的に、今現在の自分から想定しうる、「最良の未来」と「最悪の未来」が見えている。おそらく、このまま生き続ければ、現実はその間のどこかに落ち着くんだろう。そして非常に残念なことに、現実的に想定しうる「最良の未来」さえも私にはちっとも良いものには思えない。
これまでずっと夢を見ていたようだ。現実に引き戻されてしまった。目覚めたくなかったけれど、一度目覚めてしまえば、同じ夢には戻れない。
だから、私のこれはきっと ではない。私には が来たんだ。ひとより早く。
私はこの先の「未来」を生きるビジョンを持ち合わせていない。ビジョンもないまま生きられるほど世の中は私に甘くはないし、茫然自失でも歩き続けられるほど私はハイスペックでもない。だから、詰みなんだ。遂に時間が来てしまった。随分前から、時限爆弾は仕掛けられていたのは分かっていた。それを解くことが出来ないまま、見て見ぬ振りをし続けていたせいで、遂に動き出したんだ。