選択的夫婦別姓論はどこまでいっても感情論でしかない。選択的夫婦別姓賛成派(以下、別姓派とする)、反対派(以下、同姓派とする)双方の主張はそれぞれ価値観の違いでしかないため、議論の土台が無い。議論の土台がないため、議論が進まず感情の殴り合いでしかなくなっている。見苦しい。そこで本増田では折衷案として強制的夫婦新姓を提案する。強制的夫婦新姓により同姓派の考える家族の絆や伝統的家族観は守られ、さらに別姓派が指摘する様々な問題を解決するための議論のきっかけが生まれる。
現状、同姓派と別姓派の争点は主に以下のものとなっている。
特に最初の2つに関しては完全にただの価値観の違いであり、まともな議論をすることは非常に難しい。後半2つに関しても同姓派からの妥協案や指摘に対し別姓派は主たる主張を持っていない。
日本の結婚・戸籍システムは家父長制の流れを受け継いでおり、そこから男女差別的な部分を切り捨てていって今の形となっている。結婚をすると、夫婦は双方自分がもともと所属していた戸籍から抜けて新たな戸籍を一緒に作る。つまり戸籍=家族ともいえる。この際にこの戸籍=家族の記号として姓を決める。本来この姓というのは家族の記号であって個人の記号ではない。一つの姓のもとに家族が集まるというのが現在の日本の家族の考え方である。つまり改姓によりアイデンティティが喪失するというのは日本の家族観からしてそもそも間違いなのだ。別姓派はこれは120年しか続いていないので伝統ではないという主張をするが、120年も続いていたことを伝統でないと主張するのは少し無理がある。
これを踏まえた上で家族の絆と姓に関して議論をすることは無意味であることが分かる。家族の絆が無くなるか無くならないかという議論はどちらかが勝つことは不可能であるから議論する意味がないのだ。同姓派が家族の絆という時、先述した伝統的家族観―同じ姓のもとに集まる者たちが(核)家族―のことを意味しているのであろう。
この家族観を維持したまま夫婦の片方だけに負担を強いない方法がある。それは強制的に新姓とすることだ。新たな戸籍=家族を作る際に全く新しい姓の生成を義務付けるといったものである。こうすれば夫婦どちらも改姓をせざるを得なくなり、名義変更のコスト撤廃へと話が進んでいくことであろう。
そもそも名義変更に手間がかかるのは旧時代の遺物でしかない。なぜ自分の姓をキープすることで社会に合わせようとするのか。社会の方を新しくするべきではないのか。同姓派の主張するように通称利用可能な法整備を進めれば最初はそれで十分ではないのか。結婚した人が全員改姓する社会になると名義変更コスト撤廃への動きはより活発になるだろう。選択的夫婦別姓が実現したところで同姓にしたい人にはそのコストは残ったままなので幸せになる人は少ない。しかし強制的夫婦同姓であれば皆が幸せになれる。どうだ。
なんで一部の勝手な奴等のために皆がしたくないことしなきゃならんのだ?
「皆がしたくないこと」とは?
やっぱスカトロかなあ?
これ