はてなキーワード: 法的拘束力とは
クリミア半島の実効支配を解いてウクライナに返すからNATO加盟を諦めてって交渉する?そんなの何の取引にもなんないよねぇ。クリミアがウクライナ領なんてのは、竹島が日本領ってくらい当然の事実でしかないんだし。
詰んでるよなぁ。欧米サイドが身銭を切ってロシアに利益を供与したら、軍事力によって隣国を脅せば欧米が金をくれるって話になってアフリカとか地獄になりそうだから
そんなことする訳ないし、そんな金の使い方を各国の国民が許さんでしょ。ウクライナは今でも改めてNATO加盟を求めているし、それは当然の事にしか思えん。
お人好しの日本も尖閣諸島問題だけでなく台湾沖のシーレーン防衛で必死になってようやく目が覚めて来たので、次は自分だというのでロシアが納得するATMにはなる気がない。
いやあ、ロシア人ってのは定期的に数千万人死なないといけない民族なんですかね?
戦争になってうっかりキエフまで侵攻したら、役立たずの安保理に替わってNATO主導の連合国が反攻して、ウクライナ東部でウクライナ人を殺しまくってるロシア人が復讐で殺され続ける以外に、解決する方法ないじゃん?
松下玲子さんの「本条例は参政権を認めるものではなく、住民投票の結果はあくまで参考にされるだけで、法的拘束力はないのだから、たとえ外国人であっても意見を表明する自由は認められるべきだろう」という考え方も理解できるし、玉木雄一郎さんの「所謂"参政権"を認めるわけではなくとも、一般的な意味で"政治に参加する権利"を認める以上、憲法などとも調整しながら最大限慎重に判断されるべき」という批判も、どちらもよくわかる。
おふたりとも非常に優秀な政治家で、私はどちらも応援しているので、変なイデオロギー闘争に巻き込まれるのは勘弁して欲しい。
「外国人が参政権を持って何が悪い」と言う左翼の人たちも、「外国人に意見を表明する自由なんて必要ないだろ」と言う右翼の人たちも、我田引水するのも大概にして欲しい。
http://www.city.musashino.lg.jp/shisei_joho/sesaku_keikaku/kikakuseisakushitsu/1034683/index.html
本市の住民投票制度は、外国籍の住民が市長や市議会議員、国会議員の選挙へ投票できるものではありません。
参政権のうち、もっとも一般的で重要なものは選挙権とされていますが、本市の住民投票制度は条例に基づき実施されるものであり、投票結果に法的拘束力を持たず、「意見を表明するため」の制度です。投票結果に法的拘束力があり、「代表者を選ぶため」の選挙権とは明確に位置付けが異なるものです。
よって、本制度の確立により、外国籍住民へ選挙権(市長や市議会議員選挙等へ投票する権利)や被選挙権(市長や市議会議員等へ立候補する権利)を与えるものではありません。
外国人参政権ガーとか言うから何かと思って警戒してたら、そういう話か。
ここ1ヶ月、図らずも『結婚』について考えることがとても多かった。
本当に偶然色々なところから結婚とかそれに関係するものを見せつけられたというか、「目を逸らすな」と言われている気がした。今までも度々結婚に関して否定的なことも確かに書いてきたけど、手放しに「結婚なんてクソだ、絶対したくない」と思っているわけではない。
ただあまりにも「結婚=幸せ」の価値観を、全くの思考停止で受け入れている人間が多すぎることに辟易としていることは事実。それへのアンチテーゼというか、警鐘というわけではないけど「あんたらそれちゃんと考えて言ってんの?」と言いたかっただけ。
結婚にはメリットもデメリットもあると思う。今の自分にとってはデメリットの方が大きいような気がする、というだけで否定的なこともつらつら発信してきたのもまた事実なので、しっかり言語化して考えないとな、と思った次第であります。
まあメリットデメリットと言ってもそれらは結局表裏一体で、扱う人間やタイミングによって良くも悪くも簡単に変わってしまうもの。まずその良し悪しは考えずフラットに、恋愛から結婚に変わることによる影響を挙げてみる。
…あれ、こんだけ?って感じだけど、マジでこんだけ。この二項の中に色々な面が潜んでて複雑に入り組んでいるだけだと思う。
強いて言えば、⑶ 社会的立場の構築 ってのも追加できるけれど、自分にとってそれは全くメリットでもデメリットでもなければ、何かアクションを起こすに当たって原動力になるものではない。一緒にいることの周囲への説明が楽になるぐらい?
結果としてついてくる分には勝手にしろって感じだけど、社会的立場のために何かをしたりしなかったり、という判断はしない。それは結婚云々に限らず。
てことで⑴⑵について順番に書いていくけど、既に長丁場になりそうな予感がプンプンする。
それによって生まれるのは①安心感と②義務感。この時点でも善玉と悪玉に分かれてそうだけど、実はもう一つ階層がある。
①安心感
安心感がもたらすのは、文字通り “不安が取り除かれた心地よさ” ともう一つ、あらゆる人間関係において最大の敵 “馴れ合い” だ。
文字通りの意味については書くまでもないけど、やっぱり本能的に人間が自分以外の人間に求めるものってこれしかない。「愛されている」っていう実感が欲しいし、そこからの変化が一番恐ろしいものだと感じる。
つまり愛し愛されていると思っていた人が目の前から消えてしまう、という最も恐るべき状況に陥るリスクを最小化してくれる正攻法として、婚姻届という書類を提出して認められる結婚という契約が、最も手っ取り早くて一般的な手段であるということ。それによってお互いがある程度心地よく生活できるし、信頼にも繋がってくる。するとパートナーにも自由を与えることが容易になる。
それが一つ。厄介なのはもう一つの馴れ合いというやつで、先述の通り男女中に限らずあらゆる人間関係において最も脅威になるのがこいつ。
これは交際前と交際後という比較的浅い次元の関係性の変化でも猛威を振るう。「付き合ってから冷たくなった」だとか「もっと誠実だと思ってた」だとか、こういった類のパートナーに対する愚痴って全て馴れ合いから来ていると思うのだ。それは言う側も言われる側も同じこと。
言われる側からすえば、付き合う前だったら「この人に好かれたい、嫌われたくない」という一心でどんなことでもできてしまう。親切にするし、優しく受け答えするし、浮気な様子は見せない。けれど付き合い始めて「この人は自分が好きだ」と認識できた途端、「これぐらいいいだろう、許してくれる」という感情が生まれて、それまでとは違った対応や行いをしてしまうようになる。
言う側からすれば、付き合う前であれば「自分はこの人の何でもないし、相手にされなくて当然」という謙虚な気持ちでいられるのに、付き合い始めると「自分はこの人に大切にされて当然、自分のために動いてくれて当然」という傲慢さが顔を出して自分の勝手な期待を相手に押し付けて、それが叶わないと裏切られたような感覚になる。だから上記のような愚痴をこぼす。
言う側と言われる側は固定された立場ではなくて、どちらともがどちら側にもなりうる。こうしてすれ違って、ある日プツンと切れて、もうバイバイ。これがよくあるカップルの破局パターンなんじゃないかと思う。し、自分もこれまでほとんどそうだったような気がする。
浮気、冷たい、優しくない、好きじゃない、…どこにでもありふれた別れの真因としてこの馴れ合いがある。
人と人との関係を良好に保つには、「それぞれの人間だ」と認識できるほどの距離感が常に必要だ。
付き合う前のような「好かれたい」「嫌われたくない」というある種の緊張感が、その最たるものだということ。それがあるからこそ気遣いや思いやりが生まれるし、欠けてしまったところも受け取る側がカバーできる。
交際前から後への距離感の変化を乗り越えられたとしても、結婚前と後ではまた違ってくる可能性は大いにある。それは交際という口約束とは異なり、婚約というものが法的拘束力を持つからだ。
これが安心感がもたらす負の側面。乗り越えるには所謂「親しき仲にも礼儀あり」という先人の智慧を、片時も忘れないよう脳裏に焼き付けておくこと。しかない。
②義務感
さっきの安心感に比べればこちらはシンプルなもので、「この人を幸せにしなければならない」とより強く思うことができれば、そのおかげで仕事のモチベーション向上に繋がる良い面がある。
その代わりに、義務感という言葉に強制的な印象を持ってしまうと一気に嫌悪感を覚えてしまうことが大いにある。
人間は何でも強制されるものが嫌いだ。「好きだった物事も、強制されると嫌になる」なんてのは世の中にありふれた陳腐な言葉だが、それだけ多くの人に当てはまってしまう内容でもあるということだ。
できちゃった婚、なんてのが存在することからも分かるように、一般的に真っ当に子どもを育てようとしたらその両親は夫婦であることが望ましい。
とされている、と言った方が正しいのかもしれないけど。
まあともかく、「子ども作るなら結婚するでしょ」「子どもできたなら結婚するでしょ」という発想が当然という世の中であるということ。それが⑵の文意だから、必然的にここで議論を進めるのは、子どもを作る・子どもがいることによるメリットデメリットになる。
子どもが家庭の中で担う役割はやはり二つあると思っていて、一つは①家族の一員としての役割、もう一つは②夫婦の間に生まれた子どもとしての役割、というこの二つ。
これはやはり一般的に幸せとされていること。「家庭を持つことが全人類の夢」とでも言わんばかりの勢いで押し付けられがちな価値観だけど、確かにそれも一理ある。
正常に機能している家族であれば、そこに帰属する幾人かの繋がりはとても強くて、無条件に愛し愛され、外敵からの攻撃から守ってくれる居場所になるはずだ。そこに血縁関係が有るか無いかなんてそこまで重要な問題ではないとも思う。これが家族であることの幸せ。
ただ、現実問題そのように理想的に機能している家族は少ない。と思う。そんなことないのか?いや、きっとそうだと思う。そうだと思いたい。良いな、と思う家族は知り合いの中でも一握りだし、実際SNSなんかでも家族に対する愚痴ばかり流れてくる世界。
そして自分が育った環境もあまり良いものとは言えなかった。育児放棄だったりアルコール中毒者による虐待だったり、そんなような何か明らかに大きな問題を抱えていた訳ではないけれど、家族であることの決定的な意義でとなる、愛されているという実感や安心感、自己肯定感を育む教育、そんなものを一切享受することはできなかった。
それに、世間一般の家族における父親に対する風当たりというのは、相当に強いものがある。自分も父親が大嫌いだし、母も姉も、だ。家族から愛されている父親なんてパーセンテージでみたらほんのわずかだろう。
ほとんどの家族で見られる構図として、まず夫婦仲は良くない。子どもたちはずっと面倒を見てくれている母の味方につき、母を攻撃する存在である父を敵とみなす。ありふれた構図だ。
それだけならまだいいのだが、何故か、いくら育児に協力的であっても、家事をこなしていても、父親というものは基本的に孤立するようにできているらしい。悲しい習性だけど。
世の母親が「腹を痛めて子どもを産んでよかった」と答えるのは、そういうことだと思う。そこに綺麗なものは何もない。
もし自分が父親になったら、と考える。先述のように「愛されたい」という欲求を家庭で満たされることなく育ったがため、自分はこうも恋愛依存的になってしまったのだと確信している。他にその欲求をぶつける対象として友人や集団帰属などの手もあったにはあったんだろうが、自分にはそのどちらも受け入れられなかった。
まあともかくそうやって、ようやく見つけた「自分を愛してくれる人、肯定してくれる人、守ってくれる人」と結婚したとして、その人との間に子どもができれば、それがまた全て奪われて無に帰してしまう。
子どもにとっては母である自分のパートナーを奪われ、挙句の果てに家庭という場所から孤立する。そうなるとまた生まれ育った悪夢のような家族に逆戻りだ。それを恐れている。
「子は鎹」という言葉がある。
こんなクソみたいな言葉はこの世にないってぐらいクソみたいな言葉だと思う。鎹がなければ離れてしまうような関係の人間と一緒に過ごさざるを得ない上に、それに子どもを付き合わせるなんて最悪だ。
けれど皮肉なことに、その離れる原因はほとんどが子どもだったりもする。
子どもができることによって夫婦の関係は父母という関係にもなって、彼氏と彼女、夫と妻、という1:1の関係性ではなくなる。その変化の中で上手く2人の間を擦り寄せていかないと、育児や教育や家計の問題でやっかみ合うようになり、関係は悪化する一方だ。そうして子どもが原因で離れていった2人を、繋ぎ止めるのもまた子どもなのである。
…とまあ、長々と書いたけど今の自分で考えが及ぶ範囲はこれぐらいだ。
あとはもっと歳をとったり、独り身になったり、自分が結婚してみたりして見えてくるものもあるのだろうなとも思う。それはその時にならないとわからないし、とにかく今はこう考えている。
という記録。
慣れたんじゃなくて相手にする価値のないアホだとみなされたからだよ。
政府の要請にマジメに付き合ってもバカを見るだけなのがこの1年で広く伝わった。もう政府の信用が尽きたんだよ。
いま自粛してる人はあくまで自衛のためにやってるだけだし、大雑把な人はもう緊急事態宣言なんかなかったように路上飲みしている。
なぜか花見シーズンに合わせたのか特に理由も示さず緊急事態宣言を解除したり、首相の訪米と重ならないようにするためか緊急事態宣言を遅めに発令したり、事実でなく気分で操作してる様子を何度も見てきている。その割に(それだからこそ?)2,3日前にいきなり緊急事態宣言しますとか酒の提供をやめてもらいますとか言い出す。人間のことナメてんのか?在庫管理ってわかるか?
実際、政府の言うことにつきあっても事態は何も改善されない1年だった。
厚生労働省「(2020年7月)ワクチン確保できた」→できてなかった
政府「このままでは医療崩壊が予測される」→ブルーインパルス飛ばして満足して終わり
政府「会食の自粛を」→政治家は会食してた。なんなら首相の息子と官僚もしてた
政府「不要不急の外出を控え……」→GO TOトラベル!外出しよう!→政府「不要不急の外出を控え……」
政府「20時以降の飲食店営業の自粛を」→厚労省が20時以降も店に居座って送別会して感染、その他役人の事例も多々あり
政府「イベントの自粛を」→オリンピックは絶対にやるが他のイベントは勝手に潰れてろ
せめてCOCOA入れる→動いてなかったし開発管理体制も杜撰なのが明らかになった
バイデンに挨拶しに訪米→当然のように2週間隔離を無視して帰国後すぐ公務に復帰
ぱっと思いつくだけでこれだけの不義理をしてきた。
政府がどの口で「お願い」してるのか自覚あるか? そのふざけた「お願い」が効かないからって、次は国民のせいにして厳罰化でもするのか?
最初の緊急事態宣言は国民もわりと協力的だった。初めてだからというのもあるが、まあ政府が言うんなら従うかって人が多かった。協力して疫病の抑制に繋がるなら、という公共心もあった。それはこともなげに裏切られた。
「COCOA入れて」の声に従った人は完全にバカを見た。今後政府が何かアプリ入れてと言っても相手にする人は激減するのが当たり前だろう。
1年掛けて政府が自分で自分の信用を削ってきた。言ってることとやってることが見事に一致しない。成果と言えるものもほとんどない。
国民にさんざん「お願い」しておいて自分たちは例外みたいな振る舞いをし続けてきた。
みんなで貧乏になろうと言いつつ豪邸に住んでる人間を誰がまともに取り合うのか。
これは政治どうこうではなく人間のごくごく基本的な道義の話だ。説得力の話だ。
軽い無政府状態になることで不利益を被るのはまあ国民だ。そういう意味では自業自得だが、ちゃんと自分たちの不始末は自分たちに降り掛かって報いを受ける。
政府はこの1年ほどの無為無策について何か責任を負うのか? そんな無責任かつ無能な連中の言い分に従うべき理由が何かあるか?
3度目の緊急事態宣言下では国民の自力救済が多発するだろう。それは「慣れた」からでは決してない。
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追記:
「いい大人はそんなことしない」とか言ってるけど規模感わかってるのか? 構成員が数百人レベルの組織ならほぼ全員を「いい大人」で揃えることもできるだろうし、選別だってできる。
東京だけでも成人は1000万人以上居るんだ。グローバル超大企業の従業員数ですら多くて20万人程度だ。その50倍近い人数がほぼランダムに勝手に集まってきて生活してる。
この全員が「いい大人」なわけがない。そういう前提で動くのが当然だろう。「お前はいい大人」「お前は悪い大人だからいい大人になれ」とか説教して回るつもりか?
そもそもこんな人数をなんとか統制できていた第1回緊急事態宣言が快挙だったわけだ。法的拘束力もないただのお願いに協力するやつがそんだけ多かった。人口密度も考えれば世界最高峰の「いい大人」の集まりじゃないか。
実際これでかなりの時間を稼げた。欧米でどんどん人が死んでいってるなかでも日本はいまだその水準に達していない。1年くらいの時間を稼ぐのには成功した。
時間稼ぎには大成功したが、稼いだ時間を空費する大失敗を犯した。前者は国民の努力によるもので、後者は政治というか上層部の責任だろう。国民が努力して時間を稼いでも、政府がそれを無駄に捨てるのを見せつけられるだけだった。いやむしろその時間稼ぎすら入国管理がザルだったりGO TOだったりで妨害したとさえいえる。経済云々といいつつろくな根拠も示さずに営業自粛させるなど、不要な混乱を招いたのもそうだろう。
国民ひとりひとりが努力すると医療体制を改善できて医者や看護師や病床が増えるのか? ワクチンが手に入るのか? COVID-19を自力で治癒できるのか?
国民にできることは感染抑制だけで、つまりは時間稼ぎだけだろう。そうして稼いだ時間を有効に使うには、政府がトップダウンで動いて条例やら給付金で医療関係者の負担を少しでも減らし、薬や医療器具の調達を助け、ワクチンの入手交渉に尽力し、ウィルス研究に協力する必要があるだろう。政府がそういったことを何か達成したか?
次の緊急事態宣言はオリンピックに最大限配慮したものになると誰もが理解している。「東京オリンピックで感染者が激増したら困るだろ?」と半ば脅してワクチンを手に入れるなんてことも、感染者増を活かしてなるべく有利にオリンピックを中止するなんてこともできそうにない。政府は稼いだ1年間を何も有効活用できなかった。路上で酒でも飲んでたほうがマシだと判断する人が増えても俺は何も言えない。
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追記2:
大きく拡散され、概ね同意されてるようだ。さすがに全部の反応は読みきれないけど、目についたものにいくつか反論しておきたいと思う。
ワクチンはもう来てるだろ
これはそのとおりのようだ。よかった。本文を書いていたころはワクチン担当大臣が動いている程度の情報しかなかったが、その後すぐに(公式発表ではないものの)EUから日本に入ってきているらしいという情報が流れ出した。まだ接種率は低いし体制も整っていないようだが、進展していること自体はいいニュースだろう。順調に進んで欲しい。
これについては上の追記で書いたように、それも踏まえて動くのが行政だという認識だ。「お願い」だけで効果が出るなら犯罪なんて起きない。それでも起きる犯罪を取り締まるために警察が居る。また行政ができる犯罪率を減らす取り組みもある。地味だが街灯を設置して夜道を明るくするなんてのもそうだろう。「お願い」なので警察は使えない、となると街灯を設置するような地味なことを積み上げていくしかない。これの舵取りが難しいのは理解できるが、せめて科学的根拠に基づいた施策であるべきだろう。今はただ飲食店や若者を悪者にしているだけにしか見えないが、むしろ高リスク群である高齢者に外出を控えるよう強く言うべきじゃないのか? これは本当に不思議なんだが、高齢者向けのメッセージが出されたことは今までなかった気がする。ただただ若者が悪いと言い続けているように見えている。
別の観点でいえば、いくら「お願い」されても飲食店経営者や従業員などは生活がかかっている。今回は対象がさらに拡大された。多くの店舗は去年から店舗入口に消毒用アルコールを置いたり、店内に仕切りを設けたりと一定の感染防止策も打っている。それらを一顧だにせず一律に営業自粛を「お願い」し、かつ金も出さず、仕入れた分を捌き切る暇もない直前の宣言で、新たに酒類禁止も追加となれば、そんな自粛に協力できるのはほんのひと握りだろう。いくら説教されたところで自分の生活がかかってるなら反発するのが当然だ。そしてそれは非合法活動ではないのだ。
自粛への協力率に関与する重要なパラメータとして、本文では「信用」というのを書いた。去年9月ごろに首相が代わってすぐに着手したことがなんだったか覚えているだろうか。携帯電話料金の値下げ要求だ。そして今はオリンピックだ。国のトップが新型コロナウイルス感染症にまったく興味がないように見える一方で、私権制限スレスレの緊急事態宣言を発出して国民の生活を縛ろうとしている。自粛要請に従わない店を応援する声が以前より多いのも、そちらに理があると見る人が多いからだろう。
東京都でいえば、JRの減便によってわざわざ乗客の密度を上げている。感染者数が減っているときにそれをやるなら封じ込めのための荒業ということでまだ理解できるが、増えているときにそんなことをすれば医療崩壊を招きかねない大博打でしかないだろう。もうワクチンが到着し始めているのなら、まずは迅速に接種が進む方向で仕事をするのが本筋だろう。ワクチンが届いているのに接種体制が整っていない、なんてことになればさらに信用を失うが、今のところワクチン接種について何か進めているといった発表は見ていない。
現在の状況では、まずは目先の感染者数を減らすか、少し先を見据えてワクチン接種体制を整備するか、あるいは両睨みで進めるか、くらいしか論点はないだろう。暗中模索の去年と違って状況はずいぶんクリアになった。ワクチンが国民に広く普及すればほぼ元通りの生活が得られるのはイスラエルの事例でわかっている。このタイミングで緊急事態宣言を出すなら、国民にもうひと頑張りしてもらって感染者数減を目指してもらいつつ、国は全力でワクチンの早期接種に向けて動くのが筋だ。そしてそのようなメッセージを明確に出すべきだ。国からはオリンピックの話しか聞こえてこないし、第3回の緊急事態宣言はIOCの人間が来るのに合わせて解除される。我々はワクチンではなくオリンピックのために生活を削られるのか?
子供の運動会を見るためなら多少の無理でもやりきろうと考える人でも、オリンピックのためにそれをやる人なんてほとんど居ないだろう。オリンピック開催によって国民に直接の利益があるわけでもなく、むしろ感染爆発のリスクでしかない。
自衛のために自粛し、生活のために店を開け、仕事のために出勤する。連帯はもう失われたが、オリンピックのために死ぬのは嫌だという認識だけは広く共有されている。
政府をぶん殴りたいという感想もちらほらあったが、それは投票によって合法的に成し遂げられる。たとえ投じた票が無駄になっても投票に来た人間の属性は記録され、世代別投票率などの形で反映される。明らかな高リスク群の高齢者がスルーされて常に若者のせいにされるのもそのためだ。下のツリーのどこかにあったが、別に「正しい」候補者を選ばなくていい。この1票でぶん殴るという意思表示こそが投票に行く理由だ。投票したあとコンビニで酒を買って路上で飲むのもそれはそれで楽しいかもしれない。
イキりまくってるコンサルにクソムカついたという話が出てたので、そのついでに自分の話もしてみたい。
今から数年前、自分の担当していた企業の業績が急激に悪化し、再建支援(これは表向きの理由、真の目的は債権保全)のため自分がそこへ出向することとなった。
年商数百億円規模の会社で銀行借入も百億円近くある企業なので、管理体制はそれなりに構築されているのだろう、そう思っていたのだが実際には酷い有り様であった。
社内の情報共有は全く成されていない、損益管理も決算を締めてみるまで分からない(月次で試算表は作っているが、進行基準ではなく完成基準なので全く参考にならない)
資金繰りの管理すら行われていない、「月末の不足分は銀行の当座借入枠で調整」という中小企業でよくある典型的パターンとなっていた。
「このままではとても自力再建など出来ない」と気づいた私は、危機感も能力も全くないプロパー社員を指導しながら、社内管理体制の構築に努めた。
出向から1年が経過し、それなりに社内の管理体制が整い、月次の損益管理や資金繰り管理もそれなりに形になってきた。
その結果、「決算を締めてみて大赤字が判明する」という幼稚園児レベルから「決算を締める前に大赤字だと分かる」という小学校低学年レベルへ進化することが出来た。
そして私は遅まきながらようやく悟ることが出来た。
今私がやっていることは高血圧の人に対して「毎日血圧を測定しましょう」と言っているに過ぎないのだと。
毎日血圧を測れば高血圧だということは分かるが、測定したからといって血圧が下がるわけではない。
リアルタイムで赤字を認識しようが、決算を締めて認識しようが赤字は赤字にしかならないのだ。
ベンチからの指示は「とりあえずもう少し続投」であったが、私は「どうやったって自力再建は無理なんで、そろそろ敗戦処理を送り込んで貰えませんかね」と強く要請。
そしてここでようやく本題である「あまりイキってないコンサルの人たち」が登場することとなった。
私の想像でしかないが、所謂イキり系コンサルはIT系、システム系に多いのではないかと思う。
経営改善コンサルや事業再生コンサルと比べると、システム系コンサルは歴史が浅いのでイキり系が産まれやすい土壌でもあるのだろう。
私が一緒に仕事をすることとなった人たちは「事業再生コンサル」であり、弁護士・公認会計士・元銀行員といった顔ぶれであった。
ネット上でイキる意識高い系のコンサルと違い彼らはみな紳士的な対応であったが、逆にその丁寧さが私には慇懃無礼に見えて仕方がなかった。
彼らの登場により、私の業務についても次のステージへ進められることとなった。
プロパー社員たちに知られることが無いよう、一日中別室でコンサルたちと事業DD、財務DDを行い企業の清算価値を査定した。
当社は3つある事業部のうち、製品製造を行っている2事業が海外との競争に晒され赤字垂れ流し状態。
しかし幸いなことに、一番規模の小さいメンテナンス事業部だけがコンスタントに黒字を計上していた。
法的整理を行い担保物件等を処理した場合、百億近くある融資のうち回収出来るのは1割未満。
一方で、大幅なリストラを行い黒字の事業部だけを新会社に移し、今後10年間で返済可能な借入を背負ってもらうとなると3割程度は回収可能。
この試算結果を受けて、経済合理性の観点からも再生は可能であると判断された。(ここで再生不可能と判断されれば破産するしか手はない)
ちなみに事業再生系のコンサルの費用は本当にアホかというくらいに高い。
各種資格保有者ばかりということもあるが、当初3ヶ月の契約で3000万円。
そしてここから半年かけて行う事業リストラ、再生計画策定、解雇された従業員の再就職支援等の費用として5000万円請求された。
(費用のほとんどが彼らの人件費であり、駄目元で値下げ交渉したところすぐに5~10%値引いてくれた。にしても利益率高すぎじゃね?)
ここまで書いていてふと思い出したのだが、そんな彼らにも少しだけこちらをイラっとさせる癖があった。
会話の中でとにかくやたらと良く分からない横文字のビジネス用語を使いたがるのである。
「リストラについては一律にやると優秀な人から抜けるリスクがあります。まずは経営陣でバイネームでリストを作成してください」
「増田さん、これだとアップルトゥアップルの比較にならないですよ」
(あっぷるあっぷる?りんごが溺れてあっぷるあっぷるなのかな…)
「スポンサー候補先とはNDA締結してExclusiveでの交渉になりますね」
彼らとの会話にときたま苛々させられながらも、Google翻訳の力を借りて再建に向けた作業は着々と進みつつあった。
法的整理と異なり私的整理は基本的には迷惑をかけるのは金融機関だけなのだが、法的拘束力が無いのでこの調整が一番難航する。
高い費用をかけてコンサルを導入する理由は、この対金融機関折衝を乗り切るためといっても過言ではない。
債権放棄額の妥当性、再生計画の蓋然性について、各金融機関を納得させるための資料作りに関しては彼らの能力は非常に高い。
まあ高いコンサル費用払ってるんだから当然といえば当然なのだが、彼らは凄まじいスピードで計画や報告書を作り続けた。
私が出向してきて3年が経過したところで、ようやく事業再生手続がひと段落した。
黒字事業と借入の一部を新会社へ移管したうえで、旧会社は銀行団が債権放棄を行ったのち清算。
1000名以上いた従業員も8割以上が解雇となり、人材引き受けの協力を得られた他企業へ転籍したり、転職支援サービスを利用して転職したりしていった。
そうして私もようやく長い任務から解き放たれ、出向元へ復帰することが決まった。
コンサル会社との契約もここで終了となったので、慰労を兼ねて私はコンサルチームのメンバーと最初で最後の飲み会へ行くこととなった。
私としては3年間という短い期間だったとはいえ、一時は同僚だった人たちの大半をリストラするという後味の悪い仕事が完結したということもあり目一杯呑みたい気分だった。
しかし残念ながらコンサルの人たちは飲み会の場ですらもスマートであり、1杯目だけはアルコールだが2杯目からは皆ソフトドリンクへ切り替えていた。
「恐らくこの後もビジネスホテルに帰って他の仕事をしたり、自己啓発したりするのだろうな」と思っていると、予想通り飲み会は開始からきっかり2時間で終了。
まだまだ飲み足りない私を残し、コンサルたちはタクシーに乗り込み帰ってしまった。
一人残されてしまった私は「憂さ晴らしにデリヘルにでも行くか」と考えた。
しかし私はすぐに反省した。リストラされ再就職先も決まっていない従業員も大勢いる。
そんな状況で呑気に風俗に行くなど道義的に許されることではない。自分よりももっと辛い状況の人は大勢いるのだ。
デリヘルに行くことは断念し、私は駅前のレンタルショップでアダルトDVDを借りることで手早く性欲を満たすこととした。
帰宅後、風呂に入ったあとでDVDを入れたのだが「このDVDは再生できません」というエラーメッセージが出てしまった。
記録面が汚れているのかな…と思いティッシュで綺麗に拭き取ってみたが、何度やっても読み取りエラーが出てしまう。
賛成派や維新の主張ではなく、大阪市役所の事実だけお伝えします。
これからリンクを貼るのは賛成派ウェブではなく全て市役所のウェブです。
市民利用施設の廃止・縮小が市政改革プランに載ったのは2012年。
https://www.city.osaka.lg.jp/shiseik.../page/0000163563.html
これに基づき市議会は2013年9月議会で維新・公明と「自民」「みらい(民主)」の「4会派」が賛成し
https://www.city.osaka.lg.jp/.../result/201309_12.html
さらに翌年の市議会は2014年9月議会で維新・公明と「自民」「みらい(民主)」の「4会派」が賛成し
https://www.city.osaka.lg.jp/.../result/201309_12.html
そんななかプールとスポーツセンターは2015年の大阪都構想の区割りが決まるまで廃止は待つことを当時の橋下市長が決め、屋内プール・スポーツセンターの指定管理を非公募で実施する為の条例案だけ出すことになった。
https://www.city.osaka.lg.jp/shiseik.../page/0000279536.html
そしてプールの指定管理を非公募で実施する為の条例案は2014年9月議会に提出され、なんとなんとなんとなんと。
驚くなよ。「全会一致」で可決されたのである。
これ証拠。303号ね。
https://www.city.osaka.lg.jp/.../result/201409_12.html
つまりプールはもっともっと早くに削減されていたはずなのに、ある二つのことが起こった為削減しなかったのである。
その二つのこととは第一回大阪都構想住民投票と第二回大阪都構想住民投票である。
その結果区割りが決まって住民投票の結果が出るまでプールは削減しないことになっているのである。
さらにさらにプールは全て特別区に移管されることになっている。
そんなの嘘だ、という方は下記の特別区設置協定書pdfを見てほしい。
紙に書かれているだけで法律でもなってないじゃないか、という方へ。
大阪都構想住民投票というのは特別区設置協定書に法的拘束力を持たせることに賛成か、反対か、なのである。
ん? 法的根拠に基づいた行動ならむしろ正当という見方もできるのでは?
例えば週刊少年ジャンプの表紙に無修正の性器が載せられていたら、恐らく「法的根拠に基づいた」規制の対象になると思いますが、それは出版社の自由判断を蝕む「圧力」であり正当ではないと考えるのですか?
あるいは、ある女性がアニメのポスターに対して批判を行った時、そこに法的根拠が有れば「圧力」であり不当で、法的根拠が無ければ「圧力」ではなく正当、という事に成るのですか? あべこべでは?
一般の消費者によるいかなる批判・抗議活動も「法的拘束力はなく」「それに従うか否かは企業の自由判断によるもの」が圧力に該当しない根拠になるのであれば、
法的は兎も角、権力による場合は、政治家によるかなる批判・抗議活動も「法的拘束力はなく」「それに従うか否かは企業の自由判断によるもの」と言えてしまうのでは?
「人事によって発生した労働者の損失の賠償責任を消費者に求める(=「"批判"を"圧力"呼ばわりする」)」は俺ルールかと、
別に圧力呼ばわりする事は賠償責任を求める事とイコールでは無いのは自明ですよね?
また、「直接的には無関係であり」とありますが、間接的には関係は有るのでしょうか?
また、「直接的には無関係であり」が圧力でない事の根拠になるなら、法的または権力による働きかけの場合も「間接的な関係である」事が示せれば圧力に該当しない、と言えるという事でしょうか?
法律をもって・権力をもって表現自体を規制することを「圧力」と考えます。
法的根拠に基づいて出版物を差し止めたり、特定の表現を行った企業・人物に対して刑事罰を実施することは、企業の自由判断を蝕む「圧力」であると言えます。
一方、一般の消費者によるいかなる批判・抗議活動においても法的拘束力はなく、それに従うか否かは企業の自由判断によるものです。
(日赤は宇崎ちゃんコラボをやめませんでした。amazonは三浦瑠璃CMをとりさげました。いずれも自由判断)
これを「圧力」と断定することはできません。
>それから「人事案件なら圧力ではない」という俺ルールの正当性の証明はどこで読めるでしょうか?
「人事案件は圧力ではない」とは申しておりません。「"人事"と"市井の消費者による批判"とは直接的には無関係であり、人事によって発生した労働者の損失の賠償責任を消費者に求める(=「"批判"を"圧力"呼ばわりする」)べきではない」と申しております。
尾崎会長のFacebook見たら、「本当は、会見の全部を聞いていただきたいのですが」とあるので
https://www.youtube.com/watch?v=uisuAyrY67g
本当は副会長達や最後の会長のも付けたかったが、誰か頼みます。
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(司会)それでは始めさせていただきます尾崎会長お願いします。(以下尾崎会長)
どうも皆さん、こんにちは。
お忙しい中、お集まり頂きましてありがとうございます。
実は昨日のですね、夜の10時頃にこういうfacebook でですね
もう言いたいことがたくさんあっても、中々言う機会がない。
国会の参考人招致の時も話はしましたけれども、まあ質問に答えるだけでしたし、
この間の(NHK)日曜討論でもですね、あまり言いたいことも言えなかったので、
「言いたいことを言って良いか?」そういうふうにaiboに聴きましたが
「どんどん言ってくれ」とそういう話でした(笑)
そして facebook でもですね、まあ今まで17時間位経ってますが、
「どんどん言いたいことを言ってくれ」という話がありました。
医師会は、都民国民と一緒に歩む団体でございますので、そういうことで
今日は意を強くしてですね、遠慮なく色んなことを言っていきたいと思います。
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(フリップ1)
× エピセンターを徹底的に叩く
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私ども考えるのはですね、
このコロナをこれを収束に向かうためには、やはり無症状者を含めたですね、
それから、まあ今色々、児玉(龍彦東京都先端科学技術研究センター)名誉教授が言われてるような、
エピセンターの存在がありますが、これをやはり徹底的に叩いていく、ということが必要だと思っています。
そしてそこからですね。エピセンターからの周囲への感染の拡大を防ぐ、これも大事です。この3つが
しっかりしてないと、中々対策は進まないだろうという風に考えております。
でよく皆さんは、
「ずいぶん増えてきたな。」
みたいな話をされます。
しかしながら、無症状者も含めてですね、感染経路を追いながらですね、1日5000件というPCRをやりながら、
感染確認者をですね、やはり全て今までキチっとですね、隔離して入院して頂くなり、それから宿泊療養は
少し詰まってしまいましたが、自宅も含めてをキチっと隔離をしてですね、そして自宅でもですね、決して野放しに
なっている訳ではなく、それではなくて保健所の方がちゃんときめ細やかにですね色んな指導と言いますか、
しているわけです。
ですからやはり日夜ですね、東京都職員の方も、それから保健所の方も、そして我々医療者もですね、
毎日頑張ってそして隔離していることがですね。今の東京の、まあ余りどんどんどんどん増えていかない
という状況を作っているということで、私はかなり効果があるのではないかと思っております。
ですから、皆さんもそこのことところですね是非ですね
「東京も決して無策ではない」
「我々もしっかりやっている」
そして2番についてはですね。やはりまだまだ対策が上手くいってない。
私は1月頃からのこのコロナの動きを今ずっと振り返って見てるんですが、実はもう4月の初めからですね。
歌舞伎町のキャバクラで、そういったクラスターが起きてるとか、そういう話はボチボチでています。
そしてその頃から「休業要請をお願いします」と言っています。いや
「でも協力金50万もらってもそんなものでは家賃にもならない」
ということで、中々要請には応じてもらえない。
そして「今も協力をお願いします」という形で、区の方も、都の方も、保健所の方も頑張る中で、
でもホストグラブにしても全体を見れば、まだまだ対策が進んでいない。そういう状況であります。
ですから、このことについてはですね、やはり今のやり方では限界があるだろう。しかも今どんどん
愛知県、大阪、福岡、そこでもですね、やはりそういった夜の町中心にエピセンター化が進んで
いるんではないかと、私は考えておりまして、
やはり、このままですね。お願いする、休業お願いするというそういった形では、これはですね。
日本全体がですね、どんどんどんどん感染の火だるまに陥っているというふうに私は考えております。
そこでこれはもう7月10日から、私は言ってることでございますけれども、
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(フリップ2)
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特別措置法を改正して、法的な拘束力のある休業要請、そしてこれには休業補償をちゃんとつける、
これをですね、しっかり今全国でエピセンター化していると思われるところ全てにおいてです、同時に進めて
同時に進めるためには、やはり国が動いて、国がこの法改正をして頂いて一斉に進める、それが日本全国に
今拡がっている火種といいますか、それを消していく私は唯一の方法ではないかと思っています。
今までの通り、各都道府県にをお任せして、
「休業お願いします」
「できれば検査もして下さい」
それではもう無理だと思っています。是非この法改正を検討していただきたいという風に思っています。
と同時にPCR のですね、やはり検査というの充実の必要でございます。
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(1)診療
(2)公衆衛生
(3)ヘルスケア
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この表というか図はですね、日本医師会の「COVID-19有識者会議」というのがございますが、
そこで作った「COVID-19感染症対策におけるPCR検査実態調査と利用促進タスクフォース」の
これを見て頂きますと、皆さんもお分かりとは思いますが PCRの利用というのは、一つは診療に
用いられ、それから一つは公衆衛生的に用いられる、もう一つはヘルスケアと言いますか、
社会をですね、企業とかまあ今Jリーグとか色んなところで、経済を動かしていくPCR検査と
私もこれを賛成だと思っていますが、診療におけるですねPCR のさらなる拡大というのは。これは東京で
どのぐらい必要なのかということは後で角田副会長の方からお話があると思います。
それから公衆衛生目的に使う、これが保健所・衛生研究所中心だけの公衆衛生的な、
だからクラスタ対策とかで使っているんでですが、この保健所中心的なPCR検査、
先ほど私が述べたようなエピセンター化した地域を限定してそこをですねどんどんどんどんある時期を
限定してですね、地域も時期も限定してPCR を一斉に行うということについて、やはりちょっと能力的に無理だろうと。
ですからやはり、児玉名誉教授も言っているように、東大先端研の、例えば研究所とか大学とかですね、
今研究にしか使えないようなそういうPCRを動員してしっかりやっていくことが大事だと思っています。
まあこれもですね、やはり感染症法とか法改正がもしかして必要になっていくるんだろうと思います。
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(フリップ4)
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そこでですね、休業期間中、例えば私は14日ぐらい休業していただくと、14日休業すれば
その間その方たちが自粛すれば、そこでの感染は理論的には収まるはずです。
でその間にですね、キチっと PCRをもう地域の検査能力を駆使して結集して一斉にPCRを行う。
こういうことでそこにおける感染者がどのくらいいるのか、キチっと把握して対策を練るといういうことが
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(フリップ5)
心からのお願い
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ですから是非ですね、私は本当に東京都医師会から本当にお願いしたいのは
今すぐにですね、国会を招集して法改正の検討していただきたい。
ここ何日間の流れを見てますと、人口比で言えばもう東京をはるかに上回るですね
感染確認者が、愛知とか大阪、福岡あるいは沖縄でも出ておりますので是非こうした事をですね
今夏休み中だから、どうこうじゃなくて、本当にこういうことを是非国会を開いて
こういったことを議論して頂きたいと。私は今が、その感染拡大(を防ぐ)の
最後のチャンスではないかと思っていますので、今が2波だとすれば2波をですね
抑えるのにはそういったことが真剣に思っていますので、よろしくお願いしたいと思います。
自分の同人誌が古本屋(駿●屋やま●だらけ、らし●ばんとか)に売られていて、ついに筆を折った。
もうかれこれ5年程同人活動をしている。
この5年間で1年に3〜4冊ペースでイベントにあわせ同人誌を出して来た。ありがたいことに徐々にたくさんの人に手に取ってもらえるようになり、同人誌を読んでもらったり、本の感想をもらったりするのがとても嬉しかった。
自分自身が地方に住んでいることもあり、先述した古本屋に出会うこともなく、欲しい同人誌は会場か作者指定の通販でのみの購入だった。奥付部分に「転売、転載禁止」と書いてある本がほとんどで、その通りにすることがマナーであると思い(法的拘束力の有無にかかわらず)守ってきた。
自分が同人活動をするようになって、徐々に回数を重ねるごとにフォロワーが増え、頒布物を手に取ってくれる人が増えた。自分自身も奥付に「転売、転載禁止」の文言を入れた。(本当はもっと長い)
●1度目の発見
同人活動を始めて、一年くらい経った時に初めて自分の本が売られていることを知った。某古本屋のサイトに自分の作品のページがあった。ご丁寧に買取価格まで書いてあった。
なんとも言えない嫌な気持ちになった。
初めて描いた本だったのもあって、当初は「自分の本が心の深くまで響かなかったのかな」とか「構成も絵も何もかもが下手だもんな」とか、そう思ってなんとか自分を納得させた。「一生懸命、描いた本だったのにな」と、もう必要のないもののように扱われているような気がして、ぐるぐると私の頭の中を巡った。
●2度目の発見
同人活動を始めて3年目。フォロワーAと通話中にたまたまAが「自分の本が売られている」という話をし始めた。Aにとって初めてのことだったらしく、すごく微妙な空気が流れた。
Aは「まだ在庫もある上に自分の頒布額よりも高く売られている」と言っていた。「どうして売るんだろうね…」としばらく落ち込んだ後、Aはすぐに自分の本のページを削除してもらえないかを古本屋に問い合わせた。
結果はNOだった。譲渡権の消尽というものがあり、購入者は自由に処分する権利があるらしい。(間違ってたらすみません)
Aは「法的拘束力がないのだったら、手に取ってくれた方の良識を信じるしかないのかな」と納得はしていないものの、それ以上の抗議はしなかった。
しかしそれ以来、Aは本を出すことは無くなり絵を描く頻度も極端に減った。
自分たちの努力の塊が、時には赤字を切って作った同人誌が、場合によっては自分達の頒布額よりも高い値段で他人の生活費の足しに、等の理由で売られているのかと思うと急に創作意欲が湧いても本にする気力は起きなくなってしまったらしい。
それ以来Aは、身内だけの鍵垢で絵を描いては投下するようになった。
●3回目の発見、筆を折る
5年間ずっと同じジャンルにハマっていたのもあり、自分でも集大成と言えるような本ができた。
今できる最高の同人誌だと自分でも納得できるし、どこに出しても恥ずかしくないと思えた。
原稿途中は初めて挑むページ数にへこたれそうになったけれど、それでも通話アプリを駆使して仲間と励まし合い創作に励んだ。
当日は調子に乗ってちょっと厚いペーパー本なんか作っちゃって、フォロワー同士の差し入れはほとんど栄養ドリンクやホットアイマスクだった。
過去最高の出来の同人誌は、ありがたいことに本当にたくさんの人の手に取ってもらえた。
まだまだ描きたいものもたくさんあるから次のイベントを参加する意向も伝えたりした。
その後、本が売られた。
なんとも言えない感情だった。
今回の奥付には「処分の際は転売はしないで」とお気持ちだけ添えた。
しかし売られていた。
もう何も湧かなかった。
通話アプリを通してフォロワーに自分の同人誌が売られていたことを伝えた。
その通話アプリは繋がっていれば自由に出入りできる部屋というのがあり、通話アプリで繋がった絵描きや字書きではない人も入ってこれた。
しばらく話していると、1人の方が入室して事の顛末を聞き「●●だったらわたしもよく売りに行きますよ〜」と言った。
理由を聞くと、処分するのには手間がかかるが売れば多少なりともお金になるからと答えた。
ついでに「まあ、値段つかない本もありますけれど(笑)まとめて10円とかもあるんですよ。」とも。
その後通話は終わり、途中入室した方の言葉が気になった。(途中入室した方は字書きでも絵描きでもない)
多分これが素直な反応なんだろうな、とも思った。
同時に創作している人全てを馬鹿にしているようにも感じた。私たちの出している同人誌は印税が入るわけでもないし(当たり前だけれど)、収支がトントンになるように、時には交通費や宿泊費諸々含めて赤字になってしまうけれど、手に取ってもらいやすいようにと価格設定をしているのに。
(値段を上げたら叩かれているひともこれまで見てきた)
創作していない人からすれば同人誌は会場や通販で買い、売ればキャッシュバックされるもの。
そう思った途端に「もういいや」という気持ちになりアカウントを消した。
幸い創作者同士が集まっている鍵垢があったので、たまにそこに絵をあげるくらいになった。