はてなキーワード: フィリピンパブとは
私はとある日系企業の駐在員としてフィリピンの某地方都市で働いている。この国では女性の方が男性よりも働き者で、私の同僚も女性が圧倒的に多い(比率は8:2ぐらい)。
女性優位な職場というのと、フィリピン人のオープンな気質も相まって、飲みの場では結構フランクに下ネタ系の話をすることも多い。
先日の会社の飲み会では、日本人夫婦のセックスレスが話題に挙がった。同僚の妹がいわゆる本場のフィリピンパブで働いているのだが、そこに来る日本人客のおじさんは、みんな口を揃えて妻とセックスレスだというらしい(狭い日本人コミュニティを見る限り、そもそも単身赴任の人も多い)。
ただ、日本にいた頃から子供が生まれるとレスになり、したとしても子作り目的の義務的なものしかしていない、という日本人おじさんの話にフィリピン人同僚たちはみな驚いていた。
彼女たち曰く、セックスに付き合うことは妻から夫への愛情表現の一つであり、夫を愛しているなら例え自分にその気が無くてもセックスするのが妻としての義務だという。
セックスレスの場合、夫が浮気したとしても妻がそれを責めることなどできないと言っていた。男の性欲はコントロール不可能なので、誰かが発散させないといけない以上は、妻がそれを担おうというもの。
日本人はセックスというのを必要以上に神格化(大変なもの)だと捉えている節があるが、フィリピン人は結婚した以上は暇つぶしのレジャーの一つぐらいに考えているようであった(カトリック主流の国なので婚前交渉には結構うるさい)。
私はまだ独身だが、今後結婚するにあたり、このフィリピン人スタイルを採用するのはめんどくさいな~という気持ちもありつつ、男の性欲の底深さにうんざりした。
こういう境遇の人も多いんだろうなあ
群馬県高崎市出身。両親は高崎市内で「フィリピンパブ」を経営していた。家族経営の店だったが、バブル時の好景気に乗って事業は拡大。最盛期には4店舗ほどに増えていた。ただ、フィリピンパブを営む家業には複雑な思いもあったという。
子供時代から歌うことが好きだった。お店のステージで、フィリピン人ホステスたちに囲まれて歌うこともあったという。
だが1989年にバブルが崩壊すると、日本全体が大不況に飲み込まれて行く。それにともない、彼女の人生も一挙に暗転。実家が経営するフィリピンパブは倒産。父親は多額の借金を抱え、一家は貧困生活を余儀なくされた。
父親は働いたが、多額の借金はなかなか減らなかった。身体の悪い母親まで働いていたが、家にはお金がない。それを見て、高校中退を決める。
「お金がない中でも、どうしても海外留学したいと思ってたんです。ただ留学費用は自分で稼ぐしかなかった。高校に通いながらバイトする程度では、とても留学費用には足りない。そう思って、高校は1年で中退しました。誰にも相談せず自分で決めました」
三人兄妹の末っ子。上に兄と姉がいるという。
ただその兄姉をはじめ、家族内の雰囲気に、幼い頃から「違和感」を感じていた。
「お父さんは私には優しいんですけど、お兄ちゃんとお姉ちゃんには、無茶苦茶当たりが強くて……。小さい頃、『お前はうちの子じゃないんだよ』と言いながら、お父さんがお兄ちゃんを殴ったりとか、『お前は川から拾ってきた子供だ』って言ったりとか……」
彼女には優しい父親が、なぜ兄と姉には辛く当たるのだろうか……。子供のころはまるで理解できなかったという。
「末っ子だから、私だけ可愛がられてるのかなって思ってたんですけど……」
その後、大人になった偶然突き付けられた真実は、想像していたような生易しいものではなかった。
「20歳の時に、パスポートを作ることになって、手続きのために戸籍謄本が必要になりました。当時は上京していましたが、謄本を取りに、高崎の市役所へ行きました。その時間違えて、私個人のじゃなく、家族全員の戸籍謄本を取っちゃったんです。それで、お兄ちゃんとお姉ちゃんは、私とはお父さんが違うことを初めて知りました」
一方、彼女は父親の実の娘で、兄と姉とは「種ちがい」の関係だった……。
衝撃的な事実ではあったが、兄と姉に対する父親の態度に、ようやく納得がいったという。
「戸籍謄本を見て、速攻でお母さんに電話しました。『お兄ちゃんとお姉ちゃん、お父さんが違うんじゃん! なんなら離婚もしてるじゃん』と。そうしたら母親がこう言ったんです。『今の時代、バツ2バツ3くらいついていないと、やっていけないんだよ』と。あまりに予想外の返事すぎてビックリしました(苦笑)」
「私のお母さんって、ある意味で肝っ玉母さんタイプっていうか、変に逞しいところがあるんです。私がAVを始めた時も、止めるどころか、『あなたの人生なんだから、好きにしなさい』と。
戸籍のことも、いずれ時がきたら自ずと知ることになるし、その時になったら話せばいいと思っていたそうです」
元増の妻はフィリピンパブ勤務の人だったの?
ホストクラブは、稼げないホストがタコ部屋で共同生活させられてるからクラスタ化するってTVで言うてたらしい(未確認情報、外注先の仲のいい人と電話で雑談してて聞いた)、タコ部屋で暮らさせられてたか否かが、キャバクラとか風俗がクラスタしなかった理由なのだろうか。
昔、職場のおじさんに、フィリピンパブのピーナさんたちは古アパートで共同生活してる、という話を聞いたことがあって、へぇ面白い、まぁ移民がコミュニティ作るみたいなことかしらと思ってたんだけど、ホストが共同生活っていうのはどういう理由なんだろう。どんだけ稼げないホストでも一人暮らしぐらいはできそうな気もするけど、客が付かないとゼロとか、かけがあってマイナスとか、そういう感じなのかしら。体育会のノリ?で合宿感覚なのか、相互監視ぽい理由とか?分からない。ホストは客に酒を飲ませてそれを売掛で持たされるっていう話も聞いたことがあるが、それが本当ならホストすごい労働環境が酷いなぁと思う。逆にキャバクラ嬢とかは売掛とかないのかな。あるんだろうか。ホント何も知らないな私は。
あと、こないだホッテントリ上がってた文春の記事の、客らしき女性から両側から乳首をいじってもらってた?ホストの写真の話をして、客らしき女性が如何にもホストの客っていう水商売ノリじゃなくて何かモサい恰好だったんだよね、って言うたら、その外注先の営業さんから、あーなんかメイド喫茶の店員とかもホストハマるらしいですよ、って言ってて、キミどんだけホストクラブ事情に詳しいんや!って笑った。あとメイド喫茶の女の子たちは、何ていうかすごくライトなキャバ嬢みたいなものなのかなという気付きを得た。
何しろこちらは女で配偶者ともどもホストにもキャバクラにも縁がない割と地味な生活なので、この1か月でメキメキと情報(正しいか知らないが)が増えていて面白い。男性向けの接待業態ってすごい細分化されてるんだなぁ、というのと、女性向けのもそのうち細分化されていって、ホストたちの職場環境も改善したりするのかなとか思った。私は夜の街っぽい雰囲気はあまり得意じゃないし襟足が長い髪型はプロレスラー以外は許せないタイプ(プロレスラーでもできればやめてほしい…)だし、お酒はゆっくり飲むのが好きだし、そもそも貢げるほど稼いでないので売上の助けにはならないのだが。
愛知県蒲郡市で新型コロナウイルスに感染した50代男性が「ウイルスをばらまく」と知人に言い残してフィリピンパブなどを訪れた問題で、この男性が18日午後1時ごろ、県内の入院先の病院で死亡した。男性は新型コロナウイルス感染前から重い持病があったという。関係者への取材で分かった。
https://www.chunichi.co.jp/s/article/2020031890135412.html
例の、居酒屋とフィリピンパブに行った挙句に店員の女性に感染させた、あの50代男性だ。持病があったと書かれていたが、おそらく糖尿病か何かだろうと思う。
それにしても、何なんだろうか、この後味の悪さは。因果応報とか死んでザマァとか言うのは簡単だが、そんなことで償われる問題ではない、というのがひとつ。そして、こういう手合いが決してこの一人だけだとも思えないということ。あの50代男性は自ら言ったから露見したわけだが、黙ってフラフラしてる奴は確実に存在していることだろう。感染者が現れ、トレースが行われ、その結果発覚に至ることがない限り、誰にもそれは分からないのだから。
いいじゃん、どうせこんなんなっても死を惜しまれもしない奴なんだろ、とか聞こえてきそうだけど、おそらくそれは逆だ。人に求められることのない人だからこそ、こういう所業に至ってしまったのだろう。こういうことに至るかどうか、の閾はおそらく驚く程低い。そこを越える歯止めになるのは、おそらくは人との縁なのだろうと思うのだ。自分以外の誰かを、自分と同じめに遭わせたくない、と思えるかどうか。人にそう思ってもらえなかったら、人にその思いを向ける余裕も失ってしまうのではないか。月並な話だが、そんなことを考えてしまった。
ライトオタク女子がいいとか、ハンドメイド女子がいいとか言ってるバカが叩かれてるけど、本当に非モテにお勧めの女の子を教えてあげよう。アジアの女の子だ。
ぱっと思い浮かぶのはフィリピンとタイだけど、どちらも数週間単位で住んでたら非モテでもめちゃくちゃ若くてかわいい彼女ができるし、結婚だって自分が決めれば難しくはない。滞在する理由は何でもい。日本にあるフィリピンパブとかでも似たような効果は期待できる。パブのお姉さんは大学すら出てなくて学も常識もないから、結婚はお勧めできないけど。アジアの女の子でも大卒でいいところに勤めてる子なら先進国基準の(親族にたからない、程度の)常識は持ってる。そういう女の子にアクセスするには多少の工夫が必要になってくるけど、数週間くらい住んでたらいくらでもチャンスはいくらでもある。
どうせ日本で婚活しても、男に年収を求めて専業主婦でぐうたらしたいだけのク〇しかいないし、そういう金で買う結婚なら経済格差を利用して裁定取引をした方が、同じ金額ででいいものが買える。この場合の「いいもの」とは、めちゃくちゃ若くてかわいいお嫁さんだ。迷うことはない。君の持ってる日本国籍とあまり高くない収入でも、現地の平均以上として戦えるアジアの女の子を狙おう。
この記事は上場当日に自分が社内ブログに投稿した記事を編集したものである。
なぜそれをこうして公開する気になったかと言うと、もしかしたらこれからIPOを経験する人の参考になるかもしれない、というのは理由のひとつだ。
もっと大きな別の理由は、この記事には自分が以前に勤めていた会社のことが書いてあるのだが、昨日の忘年会で会った当時の同僚たちに読ませたところ「懐かしすぎてもだえ死ぬ」という好評価をいただいたので、もう少し広く仲間内で盛り上がるためである。
そして何より、年末の休暇にすることもなく暇だった。
中学受験体験記 https://anond.hatelabo.jp/20170206102543
内容的には今回の記事とは何の関連もないのだが、匿名とはいえ単一の人格として認知されたいと思ったので書かせてもらった。
では、以下投稿本文。
本日めでたく東証に上場した。このタイミングで皆に話をしないといけないと以前から勝手に思っていたことがあるので、長文だが昔話に付き合って欲しい。
勤めている会社がIPOするというのは、自分にとっては二度目の経験である。
最初にIPOを経験したのは、大学を卒業して新卒で入社した会社だった。
4月1日、入社式が終わるとオリエンテーションが始まる。しかしそのオリエンテーションで、なぜか銀行の人が前に出て話し始める。
「皆さんはとても運がいい。御社はIPOを目指している。皆さんには持株会を通じて未公開株式を取得するチャンスがあります。30万円を支払えば持株会に入会できます。お金がなくても心配はいりません。我々の銀行がお貸ししましょう!」
入社早々、新入社員に借金を背負わす会社があるか?むちゃくちゃ怪しくないか?もしかしてヤバい会社に入ってしまった?
しかし未公開株という言葉は魅惑的だった。ちょっと前まで世間を騒がせていたリクルート事件のニュースでよく聞いていた。が、聞いたことがあるだけで、実のところそれが何を意味するのかを理解していた人間はほとんどいなかったはずだ。
結局、同期のほとんど(全員?)は30万円を支払って持株会に入会した。自分も含め、ローンを借りた者も多かった。
また、毎月の給与からの天引きで持株会に拠出する制度もあり、自分は毎月1万円に設定した。
入社して半年ほど経ったある日、全社員に「持株会に追加拠出できます」というアナウンスがあった。1口 30万円、最大3口まで追加拠出できるということだった。
ローンを借りると翌月から返済が始まるので、たぶんその負担を考慮したのだろう、自分は2口 60万円を追加で借りることにした。
入社2年目の冬のことだった。IPOが決まった!というニュースが流れた。
この頃までに累積で110万円くらいを拠出していたはずだが、公開価格で計算すると5倍!
20世紀末、日本経済はITバブルに沸いていた。そんな中、その会社の株も「有望」とみなされ、株価は上昇を続けていった。
当時はインサイダー規制も緩くて、みんな比較的自由に自社株を売ることができていた。周囲からは景気の良い話が次から次へと聞こえてくる。豪邸を建てたとかフェラーリを買ったとか。
同期で集まって酒を飲んだりすると、株や金の話になる。
「みんなで金出し合ってマンション建てようぜ」
「無人島とか買ったら楽しくない?」
億万長者が最も多くいる会社として、週刊誌の記事で取り上げられたりもした。
株価は上昇の一途。3日くらい連続でストップ高が続く時期もあった。自分の持株の含み益も1億円くらいになっていた。
でも周囲には5億、10億の人がざらにいたし、全然特別感はなかった。
この頃は狂っていた。株価が下がるのが怖くて株を売るやつはいない。逆に、自分が売った後にさらに株価が上がるのが怖くて売れないのだ。
「あいつは仕事もしないで株価チェックばかりしている」と言われる人が少なからずいた。
オフィスの自席の電話から大声で証券会社に売り注文を出す人間もいた。(当時、インターネットでの売買は現在ほどは普及していなかった。)
一方で、持てる者と持たざる者との分断も発生した。
IPO後に入社した人は、株をほとんど持っていない。周囲で自分には関係のない浮かれ話をされて面白いわけがない。しかも仕事をしないのである。
なにせ、ストップ高ともなれば、含み益が1日で数100万円増加、3日も続けば自分の年収を大きく超える金額になるのだ。何のために働いているのか分からなくなる。
冷静に考えれば、自分は1億円に値する働きをしていない。しかし当時の自分は「こういう会社を選んだのも自分の才能」と、完全に思い上がっていた。
世の中ちょろいと思っていた。自分には才能があるから、金なんかいくらでも稼げると思っていた。
株価が頂点近くのときに、試しに10分の1だけ売ってみた。数日後に銀行口座に950万円が振り込まれた。その金は1ヶ月半でなくなった。
追加の資金調達がきっかけだった。ついに株価の急落が始まった。連日のストップ安。
しかしそんなことはなかった。数ヶ月後には株価は半分以下、2年で数10分の1になった。
結局、数年後に残った株を処分したのだが、数100万円にしかならなかった。
しかし意外と悔しくはなかった。
結局、あの1億は自分の実力ではなく単に運が良かっただけなのだと思い直したし、出資した金額に比べればはるかに大きな利益を手にはしてたし、20代のうちに特異な経験をすることができたのだ。
自分の知り合いの事例をいくつか紹介しておく。
ある人は「これからは毎日サーフィンと株価チェックして過ごす」と言って辞めていった。そのうち自宅でデイトレードを始めたが、今は普通にサラリーマンをしている。
ある人は株を売って得た大金を、ソフトバンクや光通信など、他の流行りの株に投じ、結局手元には何も残らなかった。
ある人はフィリピンパブのお姉ちゃんと仲良くなり、家族を捨ててフィリピンに移住していった。
ある人は滝のある豪邸を建てた。高級車も買った。きれいな奥さんと結婚した。六本木での夜遊びは続けた。離婚して財産をほとんど持っていかれた。
ある人は息子たちがいい年になってもろくに働きもせず、親の金で夢を追いかけ続けた。
別にこの人たち皆が不幸せになったわけではない。そもそも消息を知らない人もいるし。
が、もしこういう人生を望んでいないのなら、過去事例を知っておいて損はないだろう。
入社6年目の終わりに会社を辞め、大企業に転職したものの、物足りなくなって1年半で再度転職した。
値下がりしきった株を処分するなどして作った1000万円を、自社のシードラウンドに投じた。
その会社は30億円以上を調達したものの最終的には立ち行かなくなって、現在ではゾンビ企業と化している。今でもその株式を持っているが、何の価値もない。
次に、今では超有望ユニコーン企業となっているスタートアップ企業に転職した。
しかしここでは満足のいく成果を出すことができなかったし、ストックオプションもなかったし、そもそも当時は全然成長路線ではなかったので、ここでは夢を見られないと思い辞めた。
スタートアップ2社で消耗しきったので小休止が必要だった。それでいったん大企業に転職した。
しかし数年働いているうちにまた元気が戻ってきた。もう一度スタートアップの世界で勝負したい。
そしてこの会社にやって来た。
あのITバブルから20年、「次こそは」とスタートアップに身を投じてから15年、ようやくここまでたどり着いた。
熱狂と失望の後、その会社は本当につまらない会社になってしまった。
多くの人間が株に狂って会社を辞めていったし、上がらない株価を見ながら「あの頃は良かった」と昔の思い出に浸るやつ、持てる者と持たざる者の間に生まれたしこりも残った。
別にそれが主因ではないだろうけど、業績も悪化して早期退職を募集することにもなった。
自分は、この会社にはそんなことにはなって欲しくないと願っている。
この記事を書いているのはそのためだし、これを読んだ人にとって何かしら考えるきっかけとなってくれたらうれしい。
もちろん今はITバブルのときとは状況が違うから、同じように狂う人間が大量発生するとは思えないけど、それでも自制心は必要だと思う。
せっかくなのでいくつかアドバイスしておく。
「上場初日に読めてよかった」「背筋が伸びた」「何度も読み直した」などなど、うれしいコメントももらった。
その後、この記事の効果かどうかは分からないが、幸いなことに社内に浮かれた雰囲気は全くなく、株価の話をする人間もほとんどいない。入社以来、勝手に感じていた使命を果たすことができたような気がしてほっとしている。
ここに公開するにあたり、オリジナル版にあった固有名詞や株価の推移を示すチャートなどを削除しているので、文章からいくらか臨場感が失われているかもしれない。しかしもしこの記事がこれからIPOを経験するかもしれないどこかの誰かの役に立つのなら、望外の喜びだ。
なお、15年かけて再びIPOを経験できたのだからさぞや嬉しかろう、と思う人もいるだろう。
実のところ、嬉しさよりも社会的責任の重さに身が引き締まる思いのほうが強い。格好つけているわけではなく本当に。
ストックオプションを行使できるようになるのはまだしばらく先だし、その頃に株価がどうなっているかなんて分かりやしない。事件・事故を起こすことなく、しっかりと業績を上げていくこと以外にできることはないのだ。
俺も大人になったもんだ。
日本において合計特殊出生率が最低を記録したのは2005年です。
就職氷河期の最後が2005年度卒とされていて、出生率低下は就職氷河期により新卒の雇用が不安定だったから、なんて言われますが本当でしょうか。
2005年の日本で何が起きていたのかというとフィリピン人に対して興行ビザ発行を絞りました。
それまでは年に6万人とも8万人とも言われるフィリピン人女性が興行ビザにより日本へ入国し、働いていました。
日本は人身売買の温床、みたいなことをアメリカや国連に言われたので色々と(割とすぐに)対応し、その一つが興行ビザの発行を渋ることでした(これによりフィリピン人女性は興行ビザが切れる前に日本人男性と結婚するか、帰国するかの二択を迫れれました)。
興行ビザを減らしたことでフィリピンパブは2004年がピークに以降は徐々に減っていきます。
合計特殊出生率の底は2005年で、2005年に向かって徐々に低下していたわけですが、フィリピン人女性など外国人女性が(言葉は悪いですが)性のはけ口を担っていたため合計特殊出生率が徐々に低下していた可能性があります。
2005年から非モテの性のはけ口は少なくなる一方で、10年後にマイルドヤンキーと呼ばれ理由もなく馬鹿にされる層が高卒から順調にキャリアを積み結婚し子を設けはじめ合計特殊出生率が上昇に転じたと考えられます。
ちなみに、ミシェル ウエルベック の「闘争領域の拡大」(非モテが原因で死ぬ話)は2004年11月に日本語訳が出版されています。元は1994年に出版されているので、当時の世相・雰囲気から日本語訳が出版されたのでしょう。