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はてなキーワード: ウッチャンナンチャンとは

2024-01-29

はてなーウッチャンナンチャンの笑いは人を傷つけない」←本気か???

バラエティ番組で死人出てるウンナンが人を傷つけないはどう考えてもおかしいだろ!!!!!

ウォン・カークイ死亡事故とその影響

1993年6月24日未明フジテレビ第4スタジオで人気コーナー「やるやらクエストII」の収録中、ゲストとして参加していた香港ロックバンドBEYONDの黄家駒(ウォン・カークイ)がセットから足を滑らせて転落して頭部を強打し、重体(急性硬膜下出血頭蓋骨骨折脳挫傷)となって東京女子医科大学病院搬送される事故が発生した。この事故では内村も転落しており、全治2週間の打撲傷を負った。スタジオには狭いゴンドラのようなセットが約3メートルの高さに釣り上げられ、当時現場にいた関係者によればそのセットは水浸しになっていたといい、セットの下に緩衝材を設置するなどの安全対策は何らとられていなかったという[2][3][4]。内村はこの時のことを「後ろから崩れるような音が聞こえ、気がついたら転落していた」と振り返っている[5]。

6月26日番組冒頭に「先日、番組収録中に事故があり、皆様にご心配をおかけしましたことをおわび申し上げます。負傷されたウォン・ガークゥイさんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。」とのテロップを表示し、通常通り放送された。番組最後には、内村が「来週のやるやらはまたナイターでお休みでございます。再来週7月10日にお会いいたしましょう」と予告した。しかし、この日の放送結果的最終回となる。

6月30日16時15分、黄家駒が収容先の病院で死亡した。その夜にフジテレビ村上光一編成局長(当時)が緊急記者会見を開き、番組の今後について「当面、放送自体野球ですとかJリーグですとか、24時間テレビ平成教育テレビ)[注釈 6]といったようなことで、たまたま休みが入りましたので、その間にしかるべき結論を出したいという風に思っています」と発言した。

7月1日フジテレビ記者会見番組打ち切り正式に決定され、『タイム3』で詳細を公表した。

7月2日、この日の日中に黄家駒の遺体を納めた棺が香港に無言の帰国を果たす。夜には有楽町ニッポン放送ウッチャンナンチャンの2人による謝罪記者会見が行われ、「彼の分まで頑張っていきたい。残されたメンバーも僕らで役に立つことがあったら、また仕事をしたい」と涙ながらに謝罪した[5]。会見後の25時(7月3日1時)、内村が『ウッチャンナンチャンオールナイトニッポン』の番組冒頭より今回の事件に関して二人の口から語られ、黄家駒への追悼としてBEYONDの曲をかけ、リスナーから届いた励ましの便りなどを紹介した。

7月3日ナイターが雨で中止となるも『やるやら』は放送されず、特番あなたの心のスター全集!!」(司会:峰竜太中山秀征、鷲見利恵 制作ジャパンプロデュース)が放送された。

上述の6月26日放送で予告された7月10日Jリーグ中継[注釈 7]、7月17日上記の「あなたの心のスター全集!!」を再度放送。『平成教育テレビ』を挟んで2週間後の7月31日、土曜20時枠は『人気バラエティ最終回 感動の大特集』が生放送され、冒頭で露木茂による本番組打ち切りのお詫びと黄家駒への追悼の挨拶がなされた。この際、露木が「秋から形を変えてウッチャンナンチャンには頑張ってもらいます」と説明し、秋からフジテレビでのウンナンの新たなレギュラー番組が予定されているのを示唆するものだったが、それは製作会社スタッフの異なる『ビートたけしのつくり方』のレギュラー出演だった。

12月被害者側への賠償問題などを経てコーナーの収録に携わった番組プロデューサー以下スタッフ数名が警視庁により書類送検(後日、不起訴)された。

1994年4月11日からやるやら』と同じスタッフによるウンナンの新たなレギュラー番組として『ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?』を開始するが、1994年9月12日に全23回の放送で終了となる。

さらに3か月後、1994年12月28日の15:00 - 17:25に『ウッチャンナンチャン年末ジャンボ総集編』を放送[注釈 8]。『誰やら』『やるやら』の総集編とともに『やるやら』未放送の「ウチムラセブン 第6話約束」が放送された。

その一方で、土曜20時台は、1996年10月19日に、『めちゃ×2イケてるッ!』(『めちゃ×2モテたいッ!』の深夜からゴールデンタイムへの枠移動版)が開始するまで、再び迷走することとなる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%84%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%84%E3%82%89%E3%81%AD%E3%81%B0!

anond:20240128210519

嘘松か感度が低い。当時から暴力的だった。

とんねるずが100だとするとダウンタウンも50くらい。ウッチャンナンチャンは0。

2024-01-25

俺がダウンタウンが嫌いで浜田雅功が最も嫌いな理由

元々コント嫌いな所から来て、浜田雅功チンピラ芸が嫌いってのがあると気付いた。

その点で、松本人志と言う人物のもの浜田ほど嫌いではなかったと言うのも発見したりした。まぁ無関心とも言うが。

過去形なのは、今回の件で最近の振る舞いとか活動とかを知って、漫画に出てくる悪役みたいな事ばかりやってるんだなあと思ったから。その点で浜田雅功淡々自分仕事をこなしているんだなと気付く。嫌いだけどな。

何故コントいか

コントというのは

と言うのが本質からだ。これは萩本欽一らによるコント55号が根本にあると思っている。

これは最近の「誰も傷つかない笑い」の話からすると真逆で、新喜劇コント55号以前のお笑い、例えばクレイジーキャッツドリフターズなどの言わば喜劇ベースとしたものと異なると思っている。

極端なことを言えば、これは白人連中が黒人を誇張して真似て嗤うのと同じことだと感じてしま

なので、ダウンタウンがやろうと、内村光良がやろうと、東京03がやろうと嫌いである。最近はそう言う本質が見破られてきたのか、だんだん需要がなくなって消えているのがうれしい。このまま消滅してほしい。

なぜチンピラ芸が嫌いか

上記コント芸の「普通からちょっと外れた人々、つまり異質な人間を嗤う芸の嗤う部分だけを取り出し直接的に弄るようなものからだ。

そしてそれに加えて浜田雅功場合は、そうやって凄んで見せて相手ビビって萎縮するところを浜田と一緒に嗤うことによって成立している所がより笑えない。要するに弱い者いじめ当事者とその周りでいじめられているのを笑ってる聴衆という図そのものであり、何が楽しいのかさっぱり分からない。

見ていて不快である。まぁだから見てないんだけどね。

それに対して松本人志

それに対して松本人志はふざけた事をいって笑わすタイプだったように思う。チンピラ芸と違い、純粋自分を笑いものにしたり滑稽芸で笑わせにいくタイプ芸人普通に笑っていて、芸として威圧したりしていなかったと感じている。

浜田雅功よりはマシだと思っていた。

ただまぁダウンタウンの笑いそのものが合わないので、最近全然見なくなっていたわけだが。

で、アマプラCMうぜーぐらいに思っていたら、今回のこれである

ついでに語ると

ウッチャンナンチャンについて。内村光良コントが好きでそもそもコントが嫌いなのだが、同時にお題を与えてそれで芸人が答える形でおもしろい事を引き出す芸も持っているためダウンタウンよりは良いと思っている。

とんねるずは、若いころはヤンキーのもので嫌いだったが、歳をとってから彼らの気持ち理解できるようになった。ひたすら身内身内に引きこもる感じだが、とんねるずは身内にネタ振りはするが威圧したりいじめたりはしないと言う事に気付いたからだ。一緒に出演する奴をみんな先輩か後輩かタメという地方高校部活動みたいな感じでシンプルに分類してネタ振りするみたいな奴。そのグループの中に積極的に入りこみたいとは思わないんだけど、こう言う連中は自分グループの外にいる奴を攻撃したりはしないし、オタクにやさしいギャルならぬ、オタクにやさしいヤンキーみたいなところで異物にたいしてやさしいのである

1人で飯を食うのが寂しくて後輩に電話銃弾爆撃して呼び出して馴染みの中華料理屋で奢る代わりに絡み酒するとか、半強制的フットサルチームに誘うとかそういうことはやらかすだろうが、自分の代わりに女をナンパさせるなんてことはやらないと思う。

オチ特にない。

anond:20240122221240

2024-01-10

anond:20240110214659

とんねるず実質的にもう消されてるな

爆笑問題はすでに散々炎上してるから今後も問題ないだろう

ウッチャンナンチャンワンチャン内村燃えそうだな

当時許されてた略奪愛も今なら番組降板レベルだし

anond:20240110214659

ウッチャンナンチャン爆笑問題も性加害してる気が全くしない

セクハラがたまに問題視されるさまぁ〜ずですらモラハラセクハラ不倫はありそうでも性暴力はないんじゃないか

おっさんにとってはこの辺の人間性視点のものを考えたこともないのかな

とんねるずは知らないからノーコメ

お前らダウンタウンの次はほかの芸人が消されるだけだぞ?

ウッチャンナンチャン

とんねるず

爆笑問題

 

松本が消えたら次のターゲットになるのはこのへんだろうな。

松本活動休止かに喜んでいる奴ら、正気か?

証言だけでタレント消せるって魔女狩りといっしょだぞ?

2024-01-09

ダウンタウンを通らなかった40代

周りの同年代男性松本人志信仰具合がよくわからない

お笑いは嫌いじゃない。フラットに同じ強さで好きというより人生で強くお笑い好きなタイミングがあったがダウンタウンは通らなかった

お笑いに初めて触れたのは多分笑点祖父母と一緒にテレビで毎週見ていた記憶がある。

子供の頃はテレビお笑い番組よりもギャグアニメギャグ漫画で笑いの湯に漬かっていたような思い出がある。

おじゃまんが山田君おぼっちゃまくんクレヨンしんちゃん奇面組燃えるお兄さん、とんちんかん

小学生も高学年になり周りがバラエティ番組を見る人が増えてからバラエティはそんな見なかった記憶がある。

中学になりギャグよりもオタク趣味、具体的にはファンタジーSFコメディ周りに軸足が乗った。

テレビを付けるのは主にゲームであり、また1日1時間だったのでその他は親が見ているNHKばかりだったよう記憶がある。

バラエティ記憶に残っているのはウッチャンナンチャン番組ぐらい。あとボキャブラ天国

高校大学自分人生で最もお笑いにハマった時期で何よりNHK爆笑オンエアバトルがその爆心地だった。笑う犬やその他お笑い番組も色々つまみ食いしていた記憶がある。

高校の頃バイトして買ったビデオデッキに3倍モードで毎週撮りためていたのをおぼえている。

そしてその時期自覚してダウンタウンを通らなかった一番の理由が私はお笑いでも漫才よりもコントを好んでいた。水のように変幻自在言葉応酬よりも、より硬く研がれた建築物のような笑いを好んだのだ。

大学後半にこのお笑いに対する情熱の火はふっと消え、以来は「普通に好き」ぐらいを通しているがやはりバラエティ漫才よりもコント系が好きで、結果松本人志はほぼ履修せずにここまで来た。

映画も好きだが好きになったタイミングがここ10年なので松本人志監督作品としては空白期間だ。

とはいえ周りには彼のファンも多く偉大なコメディアンであることは疑ってはいない。それに履修しなかっただけで好きじゃないが嫌いでもない。

2024-01-08

tomoP ねぇウッチャンナンチャン!? 爆笑問題ってだいぶ世代違わない?





爆笑問題ダウンタウンは確か2歳差

ダウンタウンが満を持して東京進出して全国区になるのと爆笑問題全国区になったのはほぼ同時期(ダウンタウン関西で4~5年足固めをした一方で、爆笑問題デビュー1年目で一気に売れたため)

anond:20240107145636

バラエティ番組で死人出てるウンナンが見過ごされてるのはどう考えてもおかしいだろ!!!!!

Ingunial 根拠にしているヒロトダウンタウンに救われたって話がデマ。逆に松本学生時代いじめとか、爆笑問題とかナイナイへの悪質ないじめは明らか。/私はウッチャンナンチャンが好きだった



ウォン・カークイ死亡事故とその影響

1993年6月24日未明フジテレビ第4スタジオで人気コーナー「やるやらクエストII」の収録中、ゲストとして参加していた香港ロックバンドBEYONDの黄家駒(ウォン・カークイ)がセットから足を滑らせて転落して頭部を強打し、重体(急性硬膜下出血頭蓋骨骨折脳挫傷)となって東京女子医科大学病院搬送される事故が発生した。この事故では内村も転落しており、全治2週間の打撲傷を負った。スタジオには狭いゴンドラのようなセットが約3メートルの高さに釣り上げられ、当時現場にいた関係者によればそのセットは水浸しになっていたといい、セットの下に緩衝材を設置するなどの安全対策は何らとられていなかったという[2][3][4]。内村はこの時のことを「後ろから崩れるような音が聞こえ、気がついたら転落していた」と振り返っている[5]。

6月26日番組冒頭に「先日、番組収録中に事故があり、皆様にご心配をおかけしましたことをおわび申し上げます。負傷されたウォン・ガークゥイさんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。」とのテロップを表示し、通常通り放送された。番組最後には、内村が「来週のやるやらはまたナイターでお休みでございます。再来週7月10日にお会いいたしましょう」と予告した。しかし、この日の放送結果的最終回となる。

6月30日16時15分、黄家駒が収容先の病院で死亡した。その夜にフジテレビ村上光一編成局長(当時)が緊急記者会見を開き、番組の今後について「当面、放送自体野球ですとかJリーグですとか、24時間テレビ平成教育テレビ)[注釈 6]といったようなことで、たまたま休みが入りましたので、その間にしかるべき結論を出したいという風に思っています」と発言した。

7月1日フジテレビ記者会見番組打ち切り正式に決定され、『タイム3』で詳細を公表した。

7月2日、この日の日中に黄家駒の遺体を納めた棺が香港に無言の帰国を果たす。夜には有楽町ニッポン放送ウッチャンナンチャンの2人による謝罪記者会見が行われ、「彼の分まで頑張っていきたい。残されたメンバーも僕らで役に立つことがあったら、また仕事をしたい」と涙ながらに謝罪した[5]。会見後の25時(7月3日1時)、内村が『ウッチャンナンチャンオールナイトニッポン』の番組冒頭より今回の事件に関して二人の口から語られ、黄家駒への追悼としてBEYONDの曲をかけ、リスナーから届いた励ましの便りなどを紹介した。

7月3日ナイターが雨で中止となるも『やるやら』は放送されず、特番あなたの心のスター全集!!」(司会:峰竜太中山秀征、鷲見利恵 制作ジャパンプロデュース)が放送された。

上述の6月26日放送で予告された7月10日Jリーグ中継[注釈 7]、7月17日上記の「あなたの心のスター全集!!」を再度放送。『平成教育テレビ』を挟んで2週間後の7月31日、土曜20時枠は『人気バラエティ最終回 感動の大特集』が生放送され、冒頭で露木茂による本番組打ち切りのお詫びと黄家駒への追悼の挨拶がなされた。この際、露木が「秋から形を変えてウッチャンナンチャンには頑張ってもらいます」と説明し、秋からフジテレビでのウンナンの新たなレギュラー番組が予定されているのを示唆するものだったが、それは製作会社スタッフの異なる『ビートたけしのつくり方』のレギュラー出演だった。

12月被害者側への賠償問題などを経てコーナーの収録に携わった番組プロデューサー以下スタッフ数名が警視庁により書類送検(後日、不起訴)された。

1994年4月11日からやるやら』と同じスタッフによるウンナンの新たなレギュラー番組として『ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?』を開始するが、1994年9月12日に全23回の放送で終了となる。

さらに3か月後、1994年12月28日の15:00 - 17:25に『ウッチャンナンチャン年末ジャンボ総集編』を放送[注釈 8]。『誰やら』『やるやら』の総集編とともに『やるやら』未放送の「ウチムラセブン 第6話約束」が放送された。

その一方で、土曜20時台は、1996年10月19日に、『めちゃ×2イケてるッ!』(『めちゃ×2モテたいッ!』の深夜からゴールデンタイムへの枠移動版)が開始するまで、再び迷走することとなる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%84%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%84%E3%82%89%E3%81%AD%E3%81%B0!

2023-12-29

ダウンタウンとんねるずばかり批判されてウンナンが見逃されてる

90年代ダウンタウンとかとんねるずとかのいじめで笑いを取るのがすごく嫌だったので今の世界の方が全然良い。



バラエティ番組で死人出てるウンナンが見過ごされてるのはどう考えてもおかしいだろ!!!!!


ウォン・カークイ死亡事故とその影響

1993年6月24日未明フジテレビ第4スタジオで人気コーナー「やるやらクエストII」の収録中、ゲストとして参加していた香港ロックバンドBEYONDの黄家駒(ウォン・カークイ)がセットから足を滑らせて転落して頭部を強打し、重体(急性硬膜下出血頭蓋骨骨折脳挫傷)となって東京女子医科大学病院搬送される事故が発生した。この事故では内村も転落しており、全治2週間の打撲傷を負った。スタジオには狭いゴンドラのようなセットが約3メートルの高さに釣り上げられ、当時現場にいた関係者によればそのセットは水浸しになっていたといい、セットの下に緩衝材を設置するなどの安全対策は何らとられていなかったという[2][3][4]。内村はこの時のことを「後ろから崩れるような音が聞こえ、気がついたら転落していた」と振り返っている[5]。

6月26日番組冒頭に「先日、番組収録中に事故があり、皆様にご心配をおかけしましたことをおわび申し上げます。負傷されたウォン・ガークゥイさんの一日も早い回復をお祈り申し上げます。」とのテロップを表示し、通常通り放送された。番組最後には、内村が「来週のやるやらはまたナイターでお休みでございます。再来週7月10日にお会いいたしましょう」と予告した。しかし、この日の放送結果的最終回となる。

6月30日16時15分、黄家駒が収容先の病院で死亡した。その夜にフジテレビ村上光一編成局長(当時)が緊急記者会見を開き、番組の今後について「当面、放送自体野球ですとかJリーグですとか、24時間テレビ平成教育テレビ)[注釈 6]といったようなことで、たまたま休みが入りましたので、その間にしかるべき結論を出したいという風に思っています」と発言した。

7月1日フジテレビ記者会見番組打ち切り正式に決定され、『タイム3』で詳細を公表した。

7月2日、この日の日中に黄家駒の遺体を納めた棺が香港に無言の帰国を果たす。夜には有楽町ニッポン放送ウッチャンナンチャンの2人による謝罪記者会見が行われ、「彼の分まで頑張っていきたい。残されたメンバーも僕らで役に立つことがあったら、また仕事をしたい」と涙ながらに謝罪した[5]。会見後の25時(7月3日1時)、内村が『ウッチャンナンチャンオールナイトニッポン』の番組冒頭より今回の事件に関して二人の口から語られ、黄家駒への追悼としてBEYONDの曲をかけ、リスナーから届いた励ましの便りなどを紹介した。

7月3日ナイターが雨で中止となるも『やるやら』は放送されず、特番あなたの心のスター全集!!」(司会:峰竜太中山秀征、鷲見利恵 制作ジャパンプロデュース)が放送された。

上述の6月26日放送で予告された7月10日Jリーグ中継[注釈 7]、7月17日上記の「あなたの心のスター全集!!」を再度放送。『平成教育テレビ』を挟んで2週間後の7月31日、土曜20時枠は『人気バラエティ最終回 感動の大特集』が生放送され、冒頭で露木茂による本番組打ち切りのお詫びと黄家駒への追悼の挨拶がなされた。この際、露木が「秋から形を変えてウッチャンナンチャンには頑張ってもらいます」と説明し、秋からフジテレビでのウンナンの新たなレギュラー番組が予定されているのを示唆するものだったが、それは製作会社スタッフの異なる『ビートたけしのつくり方』のレギュラー出演だった。

12月被害者側への賠償問題などを経てコーナーの収録に携わった番組プロデューサー以下スタッフ数名が警視庁により書類送検(後日、不起訴)された。

1994年4月11日からやるやら』と同じスタッフによるウンナンの新たなレギュラー番組として『ゲッパチ!UNアワー ありがとやんした!?』を開始するが、1994年9月12日に全23回の放送で終了となる。

さらに3か月後、1994年12月28日の15:00 - 17:25に『ウッチャンナンチャン年末ジャンボ総集編』を放送[注釈 8]。『誰やら』『やるやら』の総集編とともに『やるやら』未放送の「ウチムラセブン 第6話約束」が放送された。

その一方で、土曜20時台は、1996年10月19日に、『めちゃ×2イケてるッ!』(『めちゃ×2モテたいッ!』の深夜からゴールデンタイムへの枠移動版)が開始するまで、再び迷走することとなる。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%83%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%B3%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%81%AE%E3%82%84%E3%82%8B%E3%81%AA%E3%82%89%E3%82%84%E3%82%89%E3%81%AD%E3%81%B0!

anond:20231229092717

ダウンタウンとんねるずが悪目立ちするだけで、当時のタモリウッチャンナンチャンも、今の価値観で見るとまあまあアウトなんだよね。

2023-12-20

10歳の息子の芸人知名度調査

ダウンタウン

「知ってる。おじいさんだよね」

松ちゃんがおじいさんに見えるらしい

よゐこ

「知らない」

子供に人気のイメージだったが、とったどー!は昔の話か

出川哲朗

バイク乗ってる人」

充電させてくださいのイメージらしい

ウッチャンナンチャン

???知らない」

どちらも知らないとのこと。ヒルナンデスもいってQも見ないからか

雨上がり決死隊

「知らない」

アメトーーク好きでレンタルしてたのに。どちらも分からないらしい

タモリ

「見たことはある」

今はMステくらいだもんなぁ

・逆に誰を知ってるの?

千鳥かまいたちが好き」

なるほど

バナナマンは?

「時々見る」

志村けんは?

「知ってる」

 

・たけしは?

「知らない」

さんまは?

「知ってるけど見ない」

サンドウィッチマンは?

「知ってる。よく見る」

調査は以上です。

2023-08-15

ロリコンは今すぐスーパードラッグストアデザート売り場に行け。そしてふわもちたい焼を買え

あの手触りは、あれこそまさに、俺がいつも思い描いていたロリコン感触だった!!!!!!

まじで衝撃だった!!!!!普通ドラッグストアウッチャンナンチャンよこんなの!!!

2023-07-01

おれが歳をとって老人になり、介護ホームみたいなところに入ったら、きっと部屋では延々とダウンタウンウッチャンナンチャン番組なんかが流れて、人気のミュージックステーション再放送では小室ファミリーヒット曲リピートレクリエーションルームではスーパーファミコンで初代マリオカートに興じたり…

悪く無いな

2023-06-03

anond:20230530110642

これ読んでほしい。

https://kakun-project.jimdofree.com/2014/05/04/%E3%83%80%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%81%8B%E3%82%89%E8%80%83%E3%81%88%E3%82%8B-%E7%9B%AE%E7%9A%84-%E3%81%A8-%E7%9B%AE%E6%A8%99-%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84/

ナンシー関曰く:

ダウンタウンウッチャンナンチャンを一緒にしてしまうことは間違っている。 百歩譲って、テレビタレントとして同ランクに並ばせることは仕方ないとしよう。 しかし「お笑い」という表現方法をとろうという人間である点で考えたら、その能力に差がありすぎる。ウッチャンナンチャンは近所の陽気な兄ちゃんである。かたやダウンタウンは 10年の1人のつっこみの天才浜田、笑いの狂気松本ダウンタウンは桁が違うである。 」

まぁナンシー関を知らない/評価していないなら仕方がないけれども、

テレビを見ていて感じた様々なモヤモヤや、ダウンタウンおもしろく感じたのに

ウンナンはそれほど刺さらなかった理由を、当時ナンシー関は見事に言語化

してくれたので、俺はナンシー関を信頼している。

なので、

1990年代ダウンタウンはすでにウンナンとんねるずより格上だった」

が俺の回答。日本国内全員がそう思っていたとまではいわないけど、

そう思っていた人は一定はいたと思う。

2023-05-30

anond:20230530150806

そんなのほとんど自明で、

松本人志とんねるずウッチャンナンチャンに比べると、作品性が高く、何らか新しいものトライし続けて、評価を勝ち取ってきたからでしょう。

一人ごっつ、IPPONグランプリ、ドキュメンタルとか、コンセプトが新しかったり。

高額のライブイベントセルビデオとかビジネスとして新しかったり。

テレビタレントとして使われているのでなく、企画立案者としての姿勢を見せていたり。

とんねるずウッチャンナンチャンは、TVバラエティタレントとしてはスーパー優秀だし、コントの人気もあって、その枠内では新しいこともやっているけど(歌出したりさ)、

松本の方が、新しいチャレンジの幅と量が強いから、信者のようなファンと、芸人フォロワーが集まるのでしょう。

まあ、ちょっと審査員役は集中しすぎだろうけど、

本人も嫌だけど、求められて、賞の格付け、ひいては優勝者参加者が得するように嫌々やっている風だけど、どうなんでしょうね?

anond:20230530144145

故がないとは思わないけど、その90年代の時点でとんねるずウッチャンナンチャンと比べて人気に差があったとも思わんなあ。

この話って「なぜ松本人志カリスマになったか」じゃなくて「なぜ松本人志はこれほど凄まじいカリスマになったか」でしょ?

2023-05-07

大泉洋NHKに出てから政府に媚びだして幻滅したわ

ダウンタウンウッチャンナンチャンも終わってるしNHKに出た芸人はもう二度と見ない

2022-12-29

テレビバラエティー番組見るよりYouTube見てたほうが面白いんだけど物足りない

結局笑いって共感なんだな、って。

話術やネタクオリティでいったら圧倒的にTV芸人>>>>>素人Youtuberなんだけど、見てて楽しいのは同世代Youtuberなんだよね。

たことないドラゴンボールややったことないドラクエあるあるネタよりチェーンソーマンスプラトゥーンパロディの方が笑えるっていうか。

藤岡弘モノマネよりナルトの声真似のが面白いっていうか。

でも物足りないよ。

共感の笑いはあるけどそれだけっていうか。実力が足りてない。クオリティが低い。

高いクオリティプラスして共感の笑いがあればなー、って本当に思う。

 

昔のテレビはすごいよね。

ダウンタウンウッチャンナンチャンとんねるずナインティナイン

実力のある若手が20代から冠番組を何本も持って、演者スタッフがしのぎを削って、練りに練られたクオリティの高い共感の笑いで、同世代を虜にしてた。

あの時代若者だった人たちがうらやましいよ。

 

テレビクオリティYoutubeの笑いがみたい。

Youtubeには緊張感が足りない。必死さがない。

自分で演じて自分編集してるからテレビみたいに全カットされる心配がなくて手を抜きがち。

ぬるま湯につかったYoutubeの笑いでは物足りない。

2022-05-20

90年代前半のオリコン月間ランキングを眺めて知らなかった歌手ピックアップしていく

オヨネーズ麦畑

1990年1月の3位。わざとらしく東北弁を効かせたデュエットソング。90万枚の大ヒットだったらしい。

地方出身アーティストが真面目に歌っている…というわけではなく一種コミックソングの扱いだったようだ。

CoCoはんぶん不思議

1990年2月の8位。90年代前半に活躍した女性アイドルグループらしい。

おニャン子モー娘あいだの「アイドル冬の時代」において気を吐いていたアイドルの一つという感じか。

高野寛「虹の都へ」

1990年2月の13位。線の細い感じの男性シンガー

パッと聴いた感じは徳永英明稲垣潤一と似たような印象を受けた。

THE FUSEBoysGirls」

1990年3月の16位。ホコ天で人気のあったロックバンドらしい。

かにそれっぽい曲調。明るくノリのよいビートロック

AURA「愛・オーランド

1990年4月の19位。イカ天出身ヴィジュアル系バンド

当時のヴィジュアル系ってだいたいメタルパンク由来の「硬派」「尖ってる」感じを出してるイメージだけど、

このAURAは、ヘビメタ色の薄いコスプレ的な見た目、コミカルなほど明るい曲調など、後年のヴィジュアル系にかなり近いと思った。

NORMA JEAN「GET A CHANCE!! 」

1990年5月20位。イカ天出身ガールズバンド

いかにもプリプリの影響を受けて出てきましたという感じ。時代を感じる。

ribbon「あのコによろしく

1990年8月の19位。CoCoと同じテレビ番組から登場したアイドルグループらしい。

永作博美ってこれでデビューした人だったのか。

SHORT HAIRS「トランジスタグラマー

1990年9月の18位。レベッカNOKKOが、NORMA JEANの元ギタリストと組んで、レベッカ解散直前に一曲だけ出したもの

ギタリストの人がNOKKOのヘアメイク担当していた繋がりらしい。

BY-SEXUAL「FLAPPER」

1990年11月の19位。正統派な感じのヴィジュアル系ロックバンド

Wikipediaによると「日本一下手なバンド」として有名だったらしい。

丸山みゆきFIRE

1990年11月20位。テレビドラマスクールウォーズ2」の主題歌ということで、1の主題歌ヒーロー」を意識した洋楽カバーにしたんだろうか。

他の曲を聴いてみると、もっと大人しいアイドル然とした曲を歌っていたようだ。

晴山さおり「一円玉の旅がらす

1991年1月の18位。NHKみんなのうたからヒットしたという演歌調の曲。歌手は当時16歳。

消費税導入で(端数を支払うための)1円玉に注目が集まっていたという背景もあるらしい。

BAKU「ぞうきん」

1991年2月の16位。ホコ天出身らしい。

学校に提出するぞうきんのことを歌った明るいユーモラスな曲。

児島未散ジプシー

1991年3月の6位。物悲しい雰囲気歌謡曲

先日亡くなった俳優宝田明の娘らしいが、宝田明あんまりピンと来ないな…。

KATSUMI「Just time girl

1991年5月の6位。爽やかで癖のない男性シンガービーイング系っぽい(ビーイングではない)。

障子久美「あの頃のように」

1991年6月の13位。松任谷正隆プロデュースデビューした女性シンガーソングライター。

歌唱力で売っていた感じなんかな。ちょっと広瀬香美を思い出した(デビューは障子久美のほうが先)。

上田知華I WILL

1991年8月の19位。楽曲を聴いただけではあんまり引っかかりのない普通の曲だという印象。

当時からいろんな歌手楽曲提供して実績のあった人らしい。その中でいちばん有名なのは今井美樹の「PIECE OF MY WISH」か。

昨年亡くなったらしい。

L.L BROTHERS「L.L BROTHERSのテーマ

1991年10月の7位。ヒップホップ系。まだヒップホップが広くは定着してない頃だよねたぶん。

テレビ企画高校生制服対抗ダンス甲子園」で優勝してデビューしたらしい。

SUPER CHIMPANZEE「クリといつまでも

1991年10月の15位。何だと思ったらサザンオールスターズ桑田佳祐だった。

加納さん「加納さんのいいんじゃないっスか」

1991年10月20位。何だと思ったらウッチャンナンチャン南原清隆だった。

楠瀬誠志郎「ほっとけないよ」

1991年12月の7位。ピアノを弾きながら歌ってる映像を見て「愛は勝つ」のKANかと思った。

ピアノ弾きながら歌う系男性シンガーがちょいちょい出ていた時代だったのかな。

山本英美Christmas in the Blue

1991年12月の16位。名前女性かと思ったら男性シンガーだった。

「X'mas in the Blue」と「Christmas in the Blue」とがあって発売時期も違うみたいだが何が違うかよくわからない。

中西圭三Woman

1992年2月の13位。声のいいおっちゃんが歌ってるソウルっぽい楽曲

ZOOの「Choo Choo TRAIN」とブラックビスケッツの「Timing」の作曲者なのか。そう聞くとなんかすごい。

デイト・オブ・バース「ユー・アー・マイ・シークレット」

1992年2月の19位。アーティスト名も楽曲名も歌詞英語洋楽かと思った。

妖しげでトリップ感のあるサイケ楽曲時代を感じさせない。個人的いちばん気に入った。

島田歌穂ステップバイステップ

1992年3月12位。これは洋楽カバーなのか。ミュージカルっぽい発声…と言われたらそうかも。

エリート一家に生まれ英才教育を受けて子供の頃から現在まで芸歴を重ねているらしい。すごい(小並感)。

GAO「サヨナラ」

1992年7月10位。性別不詳の歌手っていうコンセプトがすごいな。確かに見ても性別わからん

RABBIT「Thank you my Girl

1992年7月17位。当時としてもオールスタイルだったのではないかと思われる正統派ロックバンドっぽい感じ。

イカ天出身バンドの中では最初メジャーデビューしたらしい。

KIX-S「また逢える…」

1992年8月の8位。B'zの女性版として企画されたらしい。

ビジュアルはまさに女性版B'z。こういうタイプ女性デュオって他にあんまり思い浮かばないし新鮮だな。

でも楽曲あんまりそれっぽくないな。VガンのEDテーマ歌ってる人なのか。そっちの曲は知ってた。

陣内大蔵「心の扉」

1992年8月の16位。じんのうちたいぞう。すごい名前だ。本名らしい。なんかネットリした歌い方をしてる。

西川幸一リキッドマン

1992年10月の15位。ユニコーンドラマーらしい。

当時、ユニコーンメンバー連続ソロシングルリリースするという企画があったらしく、この曲はその一環ということのようで。

なぜこの曲だけランクインしたのだろう…。

浜田麻里Cry For The Moon

1993年2月11位。女性ロックシンガー草分けとしていくつかのヒットを飛ばした人らしい。

雰囲気としては大黒摩季っぽいかもしれない(もちろん浜田麻里のほうがデビューは先である)。

久松史奈天使の休息」

1993年2月の18位。こちらも女性ロック歌手らしい。

なんか系譜を感じるな。もうちょっと後に相川七瀬とかが出てくるのか。

USED TO BE A CHILD「僕らが生まれあの日のように」

1993年3月の6位。出生率低下を受けた厚生省の「ウェルカムベビーキャンペーンの一環として結成されたチャリティーグループらしい。

メンツ小田和正チャゲアス飛鳥カールスモーキー石井玉置浩二徳永英明浜田麻里山本潤子となかなか豪華。

ちなみに翌年1994年出生率ちょっと回復したらしい。

MULTI MAX勇気言葉

1993年4月17位。こちらはチャゲアスチャゲを中心としたユニットらしい。

チャゲの歌い方って単体で聴く井上陽水に似てるな。

THE WAVES「WE ARE THE CHAMP 〜THE NAME OF THE GAME〜」

1993年5月の13位。これはサッカーの「オーレーオレオレオレー」か。Jリーグ開幕だなあ。

ZYYG「君が欲しくてたまらない」

1993年6月の3位。グループ名と曲名ビーイング系っぽいと思ったらビーイング系だった。

デビュー時は二人組、曲調はロック色が強い感じで、ちょっとB'z的なコンセプトだったのだろうか。

コルベッツ「瞳を僕にちかづけて」

1993年6月20位。ちょっと古くさいロックバンドという感じ。いまでもメンバー変わらず活動しているらしい。

本城裕二「夢 with You

1993年7月の6位。テレビドラマ「チャンス!」の企画として、久保田利伸の同名の曲を、主演の三上博史が役名でカバーしたもののようだ。

Z団「江ノ島

1993年9月の6位。サザンオールスターズ絡みの企画らしい。よくわからん

Voice24時間の神話

1993年9月17位。男性二人組ユニット双子らしい。ちょっとフォークっぽい曲調。

久宝留理子「男」

1993年10月の13位。女性目線で男を扱き下ろす歌詞おもしろい。ちゃんと本人の作詞なのも良い。

REV抱きしめたい

1993年11月の15位。ビーイング系。クソイケメンやな。

もともとZYYGベースの人と二人で組む予定だったのが音楽性の違いにより決裂してソロユニットになったらしい。

ちなみにZYYGベースの人は音楽性の違いによりZYYGからも早々に脱退しているらしい。

松田樹利亜「だまってないで」

1993年12月の16位。ほのか90年代後半っぽさが混じってきた気がする。

何も知らずに「実は小室ファミリーですよ」と言われたら信じるかもしれん。

高山厳「心凍らせて」

1993年12月の19位。こっちはド昭和だなあ。分類としては演歌になるのか。

東野純直「君だから

1994年2月の19位。爽やかな感じの男性シンガーいかにも90年代っぽいバラード調の曲。

いまは「支那ソバ玉龍」というラーメン屋をやっているらしい。音楽情報ラーメン情報が入り交じるTwitterアカウントおもしろい。

熊谷幸子「風と雲と私」

1994年3月12位。松任谷正隆に見いだされて他のアーティストへの楽曲提供も多数。「第二のユーミン」という異名もあったらしい。

この曲は明るい前向きな感じだけど、他の曲を聴いてみると郷愁を誘うような独特な曲調でちょっとジブリっぽいかもしれない。

池田聡「思い出さない夜はないだろう」

1994年3月の19位。80年代ぽさもある哀愁の漂う歌謡曲という感じ。

藤川賢一「大切な君の胸へ…」

1994年3月20位。しっとりとして高音が綺麗な曲。曲調だけならビーイング系DEENとかFIELD OF VIEWっぽいかもしれない。

To Be Continued「君だけを見ていた」

1994年4月の7位。楽曲としてはあまり癖のない感じ。ボーカル岡田浩暉俳優としてよく見かける(名前は知らなかったけど)。

ICE BOX「冷たいキス

1994年5月12位。こういう氷菓子あったよな、と思ったらガチ森永の「ICE BOX」の企画で結成されたグループらしい。

しかボーカル女性以外のメンバーは、中西圭三池田聡・(久宝留理子「男」を作曲した)伊秩弘将という、この記事で取り上げた人たちばかり。

点と点が線でつながった感覚やね。なんかこの曲の「令和バージョン」もあるらしいよ。

橘いずみ永遠パズル

1994年5月の19位。「女・尾崎豊」と言われたらしい。

暗めの歌詞をパワフルに歌う女性シンガーっていうとあいみょんあたりの先祖なのかもしれんね。

GEISHA GIRLS「Grandma Is Still Alive

1994年8月17位。お笑い芸人ダウンタウン白塗り芸者コスプレして歌うという企画らしい。作曲坂本龍一

Be-B「憧夢~風に向かって~ 」

1994年8月の14位。ソロ女性シンガー

見た目はかっこいいんだけど歌は意外にポップというか可愛らしい。ちょっとリンドバーグっぽいか

しまえに「家、ついて行ってイイですか?」に出演していたらしい。

山下久美子DRIVE ME CRAZY

1994年11月の18位。80年代から活躍しているアイドル(?)らしい。

この頃には30代半ばのはずだけどコロコロとした可愛らしい声だな。

Wikipediaによると「胸キュン」という言葉最初に発した人物だとか。マジかよ。

Dual Dream「Winter Kiss

1994年12月20位。男性ツインボーカルというのが特徴的だ。雰囲気TUBEっぽい。冬だけど。

ソースhttps://cd100.net/oricon/

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