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2018-12-01

[]くるみ割り人形秘密王国(つづき)

anond:20181201181251

の続き。

変態による変態のための変態映画(後編)

てなわけでー。テーマ性とか物語性とか、そういういつも以上に堅い話はノルマクリアしたので、こっからは書きたいこと書きますよー。

ぶっちゃけて言えば、前述した脚本とかね、監督脚本家に丸投げしてたんじゃねーかと思います。正直言って観客である自分はある種のアリバイ作りを感じました。「批評家に突っ込まれるような部分はちゃんと作っておきましたよ、これで文句ないでしょ」みたいな。

自分も前編で喪失回復とか継承とかそれっぽい感想書いたんでノルマクリアー。そういう意味共感しますよっと。

じゃあだとして、この作品監督は何をしたかったのよ? なにがドライブエンジンなのよ? といえば、それは変態フェチ)っすわ。

もう圧倒的な、服飾と、小道具と、美術に対するフェチ

際限のないクオリティ要求と、完全性に対する病的なこだわり。

フェティッシュ意味で、変態による変態映画

本年いろんな映画がありました。素晴らしい傑作映画、佳作映画、名作、快作、問題作。そしてうんこ漏らすほどの駄作。でも年末になってこれほど「やばい映画が来るとは思わなかった。

薄々そういう部分あるかな? と思っていったわけですが、度肝抜かれますよまじで。そういう趣味のない人には全く刺さらないと思うけど。興味ある人にとっては、鼻血ブーです。

そもそも舞台背景(現実世界側)はヴィクトリア朝ロンドンなわけです。おそらく爵位持ちのストームボール家がタウンハウスでのクリスマスの飾り付け準備ーからのー、名付け親ドロッセルマイヤー(眼帯をした黒人イケメンすぎるおじさま)邸宅に移動。

バラからブルーグレイに沈みゆちょっと煙っぽいロンドンの夕暮れを移動する馬車。街を行き交うあらゆる階層の人々! 

ドロッセルマイヤー家では係累おおよそ数百人を招いたクリスマスの催しが今まさに開かれようとしていますヴィクトリア朝舞踏会です!

スターウォーズクローン兵を見てがっかりした人いませんか? 自分がっかりしました。そりゃね、数万人が現れての合戦シーンは迫力あるって言われればそうかもしれないですけれど、でもCGでそれやるって、コピペじゃないですか。ウルトロンときもそうですけれど、大軍勢、大群衆は3Dモデル使い回して同じ姿の軍勢がうわーって押し寄せるわけでしょ。すごいけど、要するにそれってのっぺりした画面でもある。

でもこの舞踏会コピペがないんですよ。全員色とりどりの、贅を凝らしたドレスやらタキシードやらなわけです。どんだけスタイリスト動員して、服飾に予算投入してんだよ、鼻血出すぞこら。

主人公クララがね、おしゃれが苦手だっていうこの娘が、おねいちゃん(素が出てきた)に髪の毛とかしてもらって、すみれ色のオーガンジードレスで現れるわけですよ。オーガンジー。髪飾りは多分朱子織り。

分かる人には「オーガンジーの透け感のあるシュークリーム袖」という説明だけで、その可憐さが伝わることでしょう。

クリスマスパーティープレゼント交換会で館の奥深くに迷い込んでいくクララがたどるその通路ろうそくキャンドルゆらゆらと照らされる邸宅の暗がりの美しさ、赤い壁紙には黒いフクロウテキスタイルがやがて黒いネズミのそれに変わっていく。

現実世界物語内人であるフクロウドロッセルマイヤーおじさまのペットから幻想世界物語内人であるネズミねずみマウスリンクス)へと引き継がれていくその暗示を、美術レベルでやってのけるその凄まじさ。

暗い木の洞を抜けて館の暗がりから抜け出たその先は、幻想世界の「クリスマスの森」。雪で白くデコレートされた、しかし緑が目に染みる清冽な森のなかを、泥棒ネズミを追いかけるクララすみれ色のドレスネズミダイブしてぱっと舞い散るザラメのような雪の結晶幻想的な美しさ。

そこで出会う「くるみ割り人形衛兵」の大尉

めっちゃイケメン黒人青年。赤い軍服に金のモール飾り。腰にはサーベル騎兵兜。すべてが完全にフェティッシュ。完敗。映画鑑賞中の感情をあえて言語化すると「ぎょぇわぁ!?」って感じです。

この映画の服飾はジェニー・ビーバンっていうおばちゃんがやってるのだけど、明らかに変態。っていうかおばちゃんマッドマックス 怒りのデス・ロード』でモヒカン衣装を量産してたじゃん? そんな二面性を持っていたのか。流石に度肝を抜かれたわ。おばちゃん最高や。

もしくは美術ガイ・ヘンドリックスディアス犯人なのか? 『アレクサンドリア』もかなりキてたもんな。

幻想世界にいっちゃってからは、その病的な美術追求がとどまるところをしらない。捻くれて枯れ果てた真っ暗な「遊びの国」の森には、鮮血のように赤い毒キノコが咲き乱れているとか、廃墟化した遊園地回転木馬グランギニョール道化ハーレクインの禍々しい美しさ。

巨大な城! 瀑布に差し出される水車と歯車! 真鍮の道管の迷路地下通路に、濡れてベッタリとした湿気。輝かしい水晶天井に照らされる螺旋階段

回想シーンで母に慰められる少女クララが着ている生成りエプロンドレスの白い生地には、藍色スズラン刺繍が散らされていて、これってもう完全にカネコイサオが『ワンダフルワールド』で夢見た世界なわけですよ。っていうか、全体的にカネコイサオでしょ。

10年代最後半にはいっていまさらそんな角度から奇襲受けるとは思わないじゃないですか? いくらヴィクトリア朝だとはいって、『ワンダフルワールド』のフェチズムが立ち現れるとは、キン肉マンフェニックスのあふれる知性でも予測出来ないわけですよ。

色彩設計がほんとうにほんとうに美しい。ローズガーデンのヴァイオレットベース茶色ラインとか、オリーブグリーンに熟れたオレンジ差し色とか。ため息が出るとかじゃなくて、鼻血が出るタイプの美しさ。

少女趣味オーバードーズフェチになってしまった病的な完全主義美術背景の惑乱

もうね、福井晴敏宇宙世紀が殺されるとか言ってる場合じゃないです。ディズニーカネコイサオが殺される。なお、もらい弾で少女革命幾原邦彦死ぬ

なぜなら遊びの国へ金の鍵を取り戻すため軍を率いて旅立つ王女クララがまとうのは、黒の軍服(金モール)に赤のロングスカートから。このロングスカート、品が悪くなりそうなところなのに布の質感と裾の縫い取り刺繍だけで男装めいた凛々しさをだしてるのだ。やばい。やばみ。

そのロングスカートから革のブーツでキックするクララ(なお、このキックが主兵装)。

この映画興行的には失敗だと本国では判断されているのですが、当たり前ですよ。だって制作費100億超えですもん。『ボヘミアン・ラプソディ』の二倍以上でしょう。見た感じ、そのほとんどを美術と背景に突っ込んでいるようにみえる。出演者の演技も悪くないけれど、目立った名前キーラ・ナイトレイくらいで他はあまり大きなギャラは発生していないのじゃないかな。

(このキーラ・ナイトレイ演じるシュガープラム金平糖の精)は、かなり演技が良かった。ちょっと頭の弱いアーパーふわふわした妖精キャラキーラ・ナイトレイがやっているのだけど、キーラ・ナイトレイだと気づかなかったですよ。この味は往年に美人だった頃のシンディ・ローパーが醸し出していたあれじゃなかろうか?)

とにかく、画面のどこを見ても、美術的な意味で隙がない。コピペで穴を埋めておけとか、それっぽい小道具をおいてごまかしておけとか、撮影時に陰影をつかってしょぼいのを隠せとか、そういう気配がひとつもない。

監督もしくは美術の美意識が、一部の隙もなく、「この世界観でこのカメラアングルで、この角度を撮ったときには、ここにはこれがないとだめでしょうお前らなんでそれわからねえの!?」と言わんばかりの画面が、延々と、延々と続く。

それはたとえばパーティーシーンでテーブルの上のグラスがこちらのゴブレットは真鍮に銀メッキだけど、あちらのゴブレットは磨いた銅に幻獣鋳造とか、そういうレベル気合が入ってるにも関わらずそのゴブレットは2つ合わせても画面の面積の1%以下で5秒も写ってないとか、病気しか言いようがない。

変態が怖い意味やばい映画なのだった。冒頭に言った+50点はまさにこの変態性に対する評価なのです。もうちょっと金が出したいのもこの部分であり、実を言えばこの鼻血は、パンフを購入してもDVDを購入しても払拭できる気がしません(画面小さくなると美術の細部がわかりづらくなるので)。究極的にはエルミタージュ美術館にでもいかないと、この興奮(というか発作)は解消されないとおもいます

そんなあたりが『くるみ割り人形秘密王国』の感想でした。この映画感想後編がわかった方には強烈におすすめです。それ以外の人にはそこそこ映画だったと思います

追記

この映画のもうひとつの特徴である「量産化ピエール瀧軍団vsドルイド文明の巨大人兵器」という側面には触れませんでした。この部分に対する評価は他の方に譲ります

2017-12-02

似ている曲

シンガーソングライター井上昌己が初期に出したシングルに『魚座たちの渚』という曲がある

最近初めて聴いたのだけれど、清冽で伸びのあるボーカルちょっと切ないメロディーが相まって、とても素晴らしいと思った

同時に、これ、どこかで聞いたことあるぞ? と思った

スターダストレビュー名曲、『もう一度抱きしめて』にサビの部分のメロディーが似ているような気がする

2つの曲になにか関係があるのだろうか、作家が同じなのだろうかと思うくらい似ている

なんのことかと思う人は、2曲ともYoutubeに上がっているので、聴き比べてほしい

魚座たちの渚』

https://www.youtube.com/watch?v=vw9G-AkNWbc


『もう一度抱きしめて』

https://www.youtube.com/watch?v=G6y2uORwWoc


魚座たちの渚』が発表されたのが1990年

『もう一度抱きしめて』が収録されたアルバムSOLA』が発表されたのが1993年

当時はこういうメロディーライン流行っていて、ありふれていたのだろうか


まさか


と思っても、自分スターダストレビューが好きなので気になってしま



なぜ似ているのかわかっても、自分人生は1ミリも変わらないと思うけど、もやもやする

当時の音楽シーンに詳しい人がいたら教えてほしい

2017-05-08

かっこいいと思う漫画家ペンネーム

羽海野チカ…「海野チカ」では印象がだいぶん違う。音だけ聴けば無くてもいい「羽」の一字がこれほどの豊穣をもたらすとは。

大島永遠…「永遠」と書いて「とわ」と読むだけでノックダウンされてしまうチョロい人間ですまない。しか本名らしい。

高河ゆん…「高河」のシャープさと「ゆん」の可愛らしさのマリアージュ清冽な印象を与える。

士郎正宗名前をあえて名字に持ってきておいて、そこに合わせるのが名刀・正宗というこの斬れ味

藤原カムイカムイからね。むしろ何と組み合わせればかっこわるくなるのかという話だよね。

槙ようこ漢字一字姓+ひらがな三文字名の黄金比よ。あと「槙」という字にはプリミティブなかっこよさがある。異論は認める

水薙竜…厨っぽいといえばそうだけど、たとえば「草薙」でないあたりでギリギリバランスが保たれて、むしろ粋に転化していると感じる。

由貴香織里…この作品にしてこの作者あり、と言わんばかりの豪奢な名前だよね。

幸村誠真田幸村新撰組という日本史二大ヒーロー連想させる素晴らしいペンネーム

2016-10-25

時代のせいにはしたくはないけど

岡井ちゃんがはじめて私たちの前に姿を現した2002年6月ハロモニ

当時20歳だった私は、一人暮らしワンルームマンションの14型のテレビデオぼんやりと見ていた。


8歳の岡井ちゃんアイドルとは無関係に思える「カントリー・ロード」をたどたどしく歌っていた。

その姿はどうしても有名になりたい才気あふれる特別女の子というよりは、

大人が笑ってくれたり褒めてくれたり叱ってくれたりすることがうれしくてしょうがない、

ただの人懐っこいひとりの子どもというように見えた。

私はハロプロキッズに対して得体の知れない忌避感と哀れみを感じた。

あんなにもかわいい子どもたちにも関わらず、なにかマズいことが起きているという直感

それをどういう言葉で表したかは人それぞれだが、ネット上ではそれなりに共有されていたように思う。

ただ、彼女たちが成長し魅力を増していく過程のなかで、それは杞憂だったと誰もが手のひらを返した。

私もその一人だ。


ところで、「今2016年アイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」がいるとして

の子アイドル恋愛についての事実認識は、

(それに何を感じ、どう行動するかは個人差はあれど)

私やこれを読んでいるあなたと大きく違わないのではないだろうか。

どうしたって突き付けられる事件が多すぎる。


当時の私はアイドル恋愛について何も考えたことがなかった。

そしてそこに無頓着なのは私だけではなかったのではないかと思う。


モーニング娘。ブレイクする1999年まではアイドル冬の時代と言われていた。

諸説あるだろうが、その始まりおニャン子クラブ解散する1987年とするなら

もはやその連続性のなかでアイドル文化を捉えられる人たちはきわめて少数になっていた。

1997年安室奈美恵20歳結婚した。

オジサンと言っていい年齢の男性とのできちゃった婚だったが

多くの人々が祝福し、「CAN YOU CELEBRATE?」が日本中結婚式で歌われた。

2000年には木村拓哉工藤静香結婚した。

ジャニーズでも20代になれば結婚してアイドルのまま家族を持つ時代がやってきたのだと誰もが思った。



そのようなおおらかな空気の中でモーニング娘。女性アイドルを復活させ、岡井ちゃんオーディション合格した。

意志をもってアイドルになった、というより気づいた時にはなっていたというほうが近いのかもしれない。

ハロプロ女性アイドルに再び春を呼び戻した頃も、恋愛絶対的禁忌ではなかった。

週刊誌報道はスルーされ、ファンのため息がなにか風を起こすようなことはなかった。



今とあまりにも違う。

しかし、時代はなぜか前近代的な方向に動き始める。



その時代の空気の変化の中に一番最初に巻き込まれ傷ついてきたのが

実は℃-uteであるということはもっと知られてもいいと思うし、

℃-uteファンでも忘れてしまっている人もいるのではないだろうか。

詳しくは書かないが、ファン事務所の締め付けが厳しくなる中で

実績のある先輩たちはある種の図太さを見せながらサヴァイヴしていったが

℃-uteメンバーはいきなり力尽きるように表舞台から次々と姿を消していった。



℃-uteBerryz工房のことを、きれいな空気のなかで大切に育てられ

人生の大半をアイドルに捧げた純粋性の高いエリートであるように言う人は多い。

私も一面ではそれは正しいし、彼女たちの清冽オーラ

年月と愛情をかけないと生まれないタイプのものだと思う。

一方で、最も「アイドルである自分」と「本来自分」を、

長い時間をかけて深く引き裂かれてしまったのもまた彼女たちなのではないだろうか。

そして、岡井ちゃんやまいまいや梨沙子のような、本当に幼い頃からキャリアスタートさせた子ほど、

その欺瞞合理化するような術をいまだ持てず、混乱の中にいるのではないだろうか。

「今2016年アイドルになろうとしている15歳くらいの女の子」や

ここ数年でアイドルを好きになったファンたちとは見えている世界があまりに違うのだ。



舞美ちゃんブログ更新を待っている間、夢幻クライマックスを何回も聴きながら

岡井ちゃんにとって「強くなりすぎた」とはどういうことなのか、

なにが舞美ちゃんを「さみし」くさせているのか、私はずっと考えていた。

 
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