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はてなキーワード: 占拠とは

2023-10-09

独身で初めて後悔した

焼肉屋に行ったらお一人様カウンターってのがあって、そこに通されたんだよ

ただ、俺の前に並んでいた5人家族が席が空かないのか立ちんぼだったんだ

なんかその家族の横を通るとき子供タイミング悪く泣いちゃってね

途端に居心地が悪くなっていつもなら2人前食べるのに味のしない肉数皿とジュースご飯食べてすぐ帰ってしまった

なんていうか自由で何でも自分で決められるのがいいんだが、社会から見たら俺1人分の居場所って5人家族場所を奪ったものと感じちゃったんだ

よく見ればレストランとかでも4人テーブルに暇なオジサン高齢女性が一人で占拠している光景が目に入る

人ひとりが座るには1人分の席で良いわけではない

社会がこういう個人に支払っている莫大なコストというのが4人席の空いた部分であり、俺のような一人者が押しのけた(そんなことはないだろうが)席なんだろう

メモ イスラエルの状況

ガザ地区への地上軍の投入は必至か?

現状ではハマスガザ地区から突出して占拠したイスラエル国内の拠点をすべて奪還できていない。

その地域では戦闘が行われている模様。

すべての地域を奪還したあとで、今回の被害の総計を知ることになる。

人質問題をどうするのか?

背後にイラン支援があると推測されている。

そのことの証拠イスラエルが入手した場合にはイランに対する報復行動が考えられる。

先々の話となるが、そのような状況は米国さらに困難な状況に陥れる。

中国シフトしつつあった米国だがウクライナ問題に加えて中東問題を抱えることで難しい状況となった。

中国との融和が必要な状況となりつつある。

米国空母打撃群を東地中海に移動させて、さらなる紛争を抑止しようとしている。

紛争が長引けば、イスラエルの対空防御兵器やその他の弾薬が枯渇する可能性があり急ぎ支援することを約束

大統領権限委譲出来る物資には制限があり議会予算を獲得しなければならない。

ウクライナ支援予算イスラエル支援予算を獲得する必要がある。

予算問題により、解任された下院議長の後継を務める人物政権協調姿勢を取るかは不明

2023-09-28

核使えないのはいいけどさ

原発占拠しといて普通に撤退したのなんなん?

DAM爆破するより原発の方が手札として強い思うんやが

2023-09-26

万物黎明』は人類歴史を誤解している・続きの続きの続きの続き

国家に反対すること

フラナリーやマーカス、スコットらに倣えば、最近まですべての階級社会における中心的な政治闘争は、誰が土地を耕し、誰が食料を手に入れるかをめぐるものだった。グレーバーとウェングローの見方は異なる。彼らにとって中心的な問題権力であり、中心的な敵は国家である。そのため、彼らはいくつかの点で階級無視している。これは彼らがアナーキストからではない。ほとんどのアナーキストは、常に階級権力を同時に重視することができる。

しかし、『万物黎明』における省略は重要である。グレーバーとウェングローは、合意的で参加型の集会を支持する議論推し進めようと躍起になっているように見えるが、そのために私たちに一連の謎を残している。4つの簡単な例を挙げれば、その問題がよくわかるだろう。

著者たちは、都市における国家に先行することが多い、村落における階級格差の拡大には関心がなく、その文献を否定している。また、小王国領主爵位にも興味がない。中央集権的な大国家が存在しなければそれでいいのだ。私たちは、複雑な採集民に関する彼らの説明の中に、このような紆余曲折をいくつか見てきた。このようなことは、他の多くの例にも現れている。

インダス

インダス川沿いの古代都市モヘンジョ=ダロでは、約4万人が階級的不平等国家もなく暮らしていた。

そして彼らは、ヒンドゥトヴァ派の歴史家たちと同様に、モヘンジョ=ダロは実際に南アジアカーストに沿って組織されていたと示唆する。しかし、グレーバーとウェングローは、これは平等主義的なカーストであったと言う。最初は驚かされるが、彼らが言いたいのは、王のいないカーストの不平等容認できるということである[11]。

ナチェス

彼らは一貫して伝統的な王権の力を最小限に抑えている。ミシシッピ川流域のナチェズ王国がその好例である。グレーバーとウェングローは、太陽王権力凶悪な残虐性は彼の村の外には及ばなかったと言う。しかし実際には、ナチェズは白人プランター奉仕する奴隷貿易における主要な地域勢力であった[12]。

人間犠牲

グレーバーとウェングローは、残酷人身御供祭り世界中の初期の州で見られるという重要事実を正しく強調している。数十人から数百人が生け贄にされ、その多くは戦争捕虜若い女性、貧しい人々であった。

彼らは当然憤慨している。しかし、これらの生け贄の目的は、敵である他国の人々を恐怖に陥れることであったとも感じている。それとは対照的に、私たちは、流血の主な目的は、流血の実際の聴衆である残酷地方国家臣民を恐怖に陥れることだったと考えている。

実際、このような残酷さが、それぞれの国家の初期の歴史に特徴的なのはそのためだろう。国家正当性がまだ弱く、恐怖が最も必要とされていた時代である国家権力が強化されるにつれて、戦乱や敵対は続くものの、壮大な犠牲が消えていくのもそのためだろう。

集会

集会のもの重要最後の例である。グレーバーとウェングローは、古代メソポタミア王国国家における都市集会の力を極めて正しく指摘している。彼らは、これは王がすべての権力を持っていたわけではないという証拠だと言う。これは正しい。これらの王国階級闘争が止まっていたと考えるのは、よほどナイーブでなければならないだろう。

しかし、グレイバーとウェングローは飛躍する。彼らは、これらの都市議会は、参加型民主主義を掲げる「占拠せよ!」やその他の社会正義運動集会に似ていると指摘する。

古代メソポタミアでは、参加型民主主義いかなる形態についても、これといった証拠はない。しかし、他の階級社会における都市全体や全国的議会については、膨大な証拠がある。そのどれもが、富裕層や有力な一族によって支配されていた。古代スパルタでは地主支配していた。ローマ元老院も同様だった。ジョン王や男爵家もそうだった。そしてごく最近まで、ヨーロッパのすべての議会有権者富裕層に限られていた。

この近視眼は重要である。他の多くの人々と同様、私たち王国国家を、不平等社会における支配階級ルールを強化し、強制するために集まる方法として理解している。『万物黎明』では、そのプロセスは目に見えない。

* *

グレーバーとウェングローは怒っている。この怒りには、私たちのようにグローバルな不平等絶望し、グローバル・エリート政治を憎み、気候の混乱を恐れる読者を喜ばせるエネルギーがある。

多くの点で、彼らの本は新鮮な風を吹き込んでくれる。そして私たちは、既存のすべての国家に対する敵意を共有している。しかし、今後、気候変動を食い止めるためには、階級環境の中心的重要性を含む人間の条件に関する理解必要である

脚注

[1] Fredrich Engels, 1884, The Origin of the Family, Private Property and the State. The book was revived as a key text by socialist and Marxist feminists in debates about women’s liberation. Pace the 19th century social Darwinism which clearly took a lead from the Old Testament, it is now quite clear that both pastoralism and slash and burn agriculture appeared after, and not before, the advent of settled agriculture.

[2] Franz Boas, The Mind of Primitive Man, 1911; Claudia Ruth Pierpoint, ‘The Measure of America’, 2004; Ned Blackhawk and Isaiah Lorado Wilner, Indigenous Visions: Rediscovering the World of Franz Boas, 2018; Rosemary Lévy, Franz Boas: The Emergence of the Anthropologist, 2019.

[3] Very good examples of this work include Sara Hdry, Mothers and Others: The Evolutionary Origins of Mutual Understanding, 2005; Elizabeth Marshall Thomas, The Old Way, 2001; two articles by Steven Kuhn and Mary Stiner: ‘What’s a Mother To Do’, 2006 and ‘How Hearth and Home Made us Human’, 2019; Loretta Cormier and Sharon Jones, The Domesticated Penis: How Womanhood has Shaped Manhood, 2015; a key paper by Joanna Overing, ‘Men Control Women? The “Catch-22” in the Analysis of Gender’, 1987; two books by Christopher Boehm: Hierarchy in the Forest and the Evolution of Egalitarian Behavior, 1999, and Moral Origins, 2012; every book by the primatologist Frans de Waal; the two chapters by Brian Ferguson in Douglas Fry, ed., War, Peace and Human Nature, 2013; Richard Wrangham, Catching Fire: How Cooking Made Us Human, 2010; and two books by the trans biologist Joan Roughgarden: Evolution’s Rainbow: Diversity, Gender and Sexuality in Nature and People, 2004, and The Genial Gene: Deconstructing Darwinian Selfishness, 2009.

[4] Our favourites among the ethnographies of our near contemporary hunter-gatherers are Marjorie Shostack, Nisa: The Life and Words of a !Kung Woman, 1981; Jean Briggs, Inuit Morality Play: The Emotional Education of a Three-Year-Old, 1998; Phyllis Kaberry, Aboriginal Women: Sacred and Profane, 1938, Karen Endicott and Kirk Endicott: The Headman was a Woman: The Gender Egalitarian Batek of Malaysia, 2008; Richard Lee, The !Kung San: Men, Women and Work in a Foraging Society, 1978; and Colin Turnbull, Wayward Servants: The Two Worlds of the African Pygmies, 1978.

[5] Kent Flannery and Joyce Marcus, The Creation of Inequality: How Our Prehistorical Ancestors Set the Stage for Monarchy, Slavery and Empire, 2012; and James C. Scott, The Art of Not Being Governed: An Anarchist History of Upland South-East Asia, 2009; Scott, Against the Grain: A Deep History of the Earliest States, 2017. Martin Jones, Feast: Why Humans Share Food, 2007, is also very useful.

[6] Edmund Leach had made a similar argument in 1954 in Political Systems of Highland Burma, and radically changed anthropology. For a brilliant ethnography of one group of anti-class hill rebels at the end of the twentieth century, see Shanshan Du, Chopsticks Only Work in Pairs: Gender Unity and Gender Equality Among the Lahu of Southeastern China, 2003. For Scott’s recent extension of his argument to ancient Mesopotamia, see Against the Grain.

[7] This is all succinctly described in Brian Hayden, ‘Transegalitarian Societies on the American Northwest Plateau: Social Dynamics and Cultural/Technological Changes,’ in Orlando Cerasuolo, ed., The Archaeology of Inequality, 2021.

[8] Start with Philip Drucker and Robert Heizer, 1967, To Make My Name Good: A Reexamination of the Southern Kwakiutl Potlatch; and Eric Wolf, Envisioning Power: Ideologies of Dominance and Crisis, 1999, 69-132.

[9] Jeanne Arnold, ‘Credit where Credit is Due: The History of the Chumash Oceangoing Plank Canoe’, 2007; and Lynn Gamble, The Chumash World at European Contact: Power, Trade and Fighting among Complex Hunter-Gatherers, 2011.

[10] On the Calusa, see The Dawn, 150-2; Fernando Santos-Cranero, 2010, Vital Enemies: Slavery, Predation and the Amerindian Political Economy of Life, 2010; and John Hann, Missions to the Calusa, 1991.

[11] Rita Wright, The Ancient Indus: Urbanism, Economy and Society, 2010; and Andrew Robinson, The Indus: Lost Civilizations, 2015.

[12] Robbie Ethridge and Sheri M. Shuck-Hall, Mapping the Mississippian Shatter Zone, 2009; and George Edward Milne, Natchez Country: Indians, Colonists and the Landscape of Race in French Louisiana, 2015.

2023-09-20

anond:20230920131024

民主主義の根幹である選挙の結果を武力暴力でひっくり返すために議事堂占拠したんやで、準備や占拠後のプランがなくて失敗しただけで、やってるのはクーデターなんやで、それにガチのマジにならなかったアメリカが「マジでガチ」になることが難しいことは明らかやで。

銃が合法なんてのは広大な土地司法を配置しきれてないからなだけだから今回の話とは根本的に別の話やで。

anond:20230920130641

議事堂占拠に対してあの体たらくなら、国家の存亡に関わるようなレベルの規模で起きたら止めようがないのは想像に難くないやで。

anond:20230920130242

実態アメリカですら議事堂占拠を止められなかったんよね、中国ロシアでは絶対ありえないことだと思うし、民主主義国家という権力分散によるいい面と悪い面だよね。

2023-09-15

ガメラ リバース 続き

anond:20230915135827

映像ちょっと気になる点もある

肝心の怪獣戦闘がいいか基本的には満足なんだけど、二点だけそれでもなーという点が。

ガメラ形態変化

飛行形態時とかはウミガメシルエットになったりスピンしたりするんだけど、変形時はあからさまに煙で隠したりしてる。シームレスに変形したり部分アップでごまかしつつ変化を見せたりしないから、この点は手抜きというか…実写特撮的だな・モデル差し替えてるだけだなと感じてしまった。多大な労力を使う3Dから逆に実写的な限界が生じているのか?と気になった。そういえば怪獣の成長(巨大化)とかも目を離したら、という風だった。損傷で頑張ってたのは手の切断ぐらい?

一張羅の服!

主人公たちの服がエピローグ含めずっと一緒。これもモデル問題か。汚れとかは頑張ってて1話見たときは期待が高かったんだけどなぁ。大人制服組はこういった問題回避できるんだから主人公たちも学校服にすればよかったのに。それでもママの服が同じになるけど。

そも人間モデル怪獣に比べて簡略というのは怪獣に力入れてるってことなので目をつぶるけどそれとは許容できるラインが別。

 

どちらも他の作品でもおきる問題なんだけど、全体的に高クオリティ映像をお出ししているからこういった部分が手抜きに見えてひっかかった。

シナリオはちょくちょくうーん…

ジュブナイルものとして良くできてるし人間ドラマも悪くなかったけど、優れてるとはいえないひっかかりかたがまあまあ。

黒幕たちの目的が謎

怪獣人口減らしてぇ~!ってのが昔でも今でもかなりの支配階級人間思考になるのが謎。

せめて現代人口問題が起こってるシーンがあればよかったけど、ただの選民思想でとりあえず減らそって考えっぽくてわけがからない。古代計画の再演だけどどっちの理由も謎でなぁ。

さらどんでん返したかと思ったらそいつの野望も同じでやんの。現トップを切って自分派閥既存組織支配したい感じかな?私怨込みでトップ切る理由はわかるが人類減らしてぇ~は共通ビジョンなもんで。コイツなにがしたいん?主人公ガメラ処遇・行動目的には影響しねぇな?とモヤモヤした。演技も露骨に悪役でなぁ。

そもそも想定残人口が低すぎて文明維持できそうにないんよ。怪獣に荒らされた後だし。

目的といえば裏切られたトップたちが余裕だったのも見ながらだとわからない。食料がすぐに無くなり転覆成功されたら餓死なのにグラス片手に怪獣談義してんの。世界組織幹部家系とはいえ科学者一人で作った反乱組みでひとつの発射場を占拠したところでリカバリーが効くと考えたのか。(それでもイカ怪獣+主人公コード支配されたらやばくね?)よくわからない。

彼らは人口を減らした後の地球目的なはずだから帰還に寄与しないギャオス応援する理由にもならない気がするんだけどなぁ。

 

主人公たちの扱いも怪獣の増殖(体積?個体数?)の餌だったわけだけど、じゃあさっさと善人面したり事情を知らない人間を高めの地位につけて騙したりせずに拉致っちゃえばいいよね。世界の子供が候補怪獣に狙われ(生き延び)たら優先度アップ。どうせ滅ぼす文明社会にのんびり監視端末渡して解放してるのがなんだか謎。

ガメラが生き物じゃない

ガメラ主人公に絆がない。と言い換えてもいい。おそらくメイン主人公ゴジラ信者なのはコード保持者でガメラやオレリウム?だっけ?エネルギー石とシンクロできるから。だけど別に彼らが心を通わせてるわけでもなくて人(自分たち)を守ってくれてるガメラを慕ってるだけの一方通行

そもそもガメラは多分他の怪獣と同じ存在で、古代で反乱がおきて反乱側の人間コードを使って人間を守るように命令した。のかな。そういう風に解釈した。主人公を守るのもコード持ちを食べたら増殖して人類やばいから

まりガメラは守り神に見えても人間洗脳された人類怪獣から守るマシーンなわけですよ。脳だけ弄られた逆仮面ライダー?ジャイガー戦を見るにコード保有者を優先するけど一般市民の退避も待ってるようですし。

怪獣が現れたら都合よく何の縁もないただ敵に食われたらやばいコード保有者を守って身を犠牲にしても人を逃がし、敵を倒したら見返りも何も求めずただ去っていく。究極に人類に都合がいい、都合よくされた悲しきモンスター…。自立行動以上の自我を感じない。古代でおそらくワンオペ怪獣しばき倒して勝利して、だけど命令解除されず放置され現代でうん万年前の命令に縛られたまままたワンオペ怪獣しばき隊無償奉仕してる。

序盤で主人公カメを助けるじゃん?その心の優しさがガメラに見止められると思うじゃん?ないんだなそれが。

自我のなさは最後オマケ月破壊まで及びこんなもんシナリオに操られるだけじゃねーか。それが出来るなら襲われ待ちしないで怪獣痕跡がある各所を先制攻撃しとるよ。

主人公ガメラシンパだけどさぁ。君、過去を見た上でガメラ気持ち考えたことある?ってね。

そういうガメラ自身への掘り下げが行われなかったから、(考察しないのもどうかと思うが)当事者たちはともかく俯瞰する視聴者自分からガメラは哀れな存在に思えたし主人公たちと共感する妨げになっていた。

 

ヒーロー怪獣はなぜ人類を守るのか。まあ平成のまま生物兵器一言で片付けてもいいけどせっかく尺があったのにもったいない。それこそ精神的な意味でのガメラの「Rebirth」を描いてもよかったのではないだろうか。

ラストジョブズ

うーん…月を目指すわけでもなく当時財団が作ってたオーバーテクノロジーの超PHSをパクったかのような雰囲気になってるわで良いインパクトはないよね。なぜジョブズにしたかったのかさっぱりわからない。

雑なタイトル引用

wikiから

話数 サブタイトル

1話 東京上空

第2話 地下水道

第3話 深く静かに潜航せよ

第4話 斬る

第5話 月は無慈悲な夜の女王

第6話 幼年期の終わり

シンプルタイトル古典作品タイトルが混じっている。しかも斬るが小説の間に挟まるから日常からSFへの転換を表してるとも受け取れない(斬るって名前の有名作品が実はある?)(斬る自体ギロンのシンプルタイトルで好き)。

そして古典作品引用も非常に雑。月や潜水艦ネクストステージなど要素はかかっているかな?とは思うがリスペクトは多分ないよね。増田はどれも読んだことないけどサブカルじゃ頻繁に引用されるからそれと比較してもね。ナデシコブラッドボーンとかと比較しても雑だなぁと。内容に見合わない引用タイトルをつけるセンスの方が鼻についてしまう。

その他

なぜか前線に出てくる指揮官や待機の天丼を繰り返す自衛隊に思ったほど意味がなかったり東京への援軍に沖縄ハワイから要請するって距離的にどーなんだろと気になったり。

6話のギャオス基地跡地で誰にも観察されず育ってたり(政府との連携時で調査隊とか行かないか?)。

ガメラは全身から放電?がクソ強いか火球使わなくてよくない?とか。切り離しに犠牲必要設計とか。腹部負傷したやつに重労働はそりゃ裏切られるよ…よく人望集めたなね。とかね。キャラがよくても脚本の部分部分が悪くもありで全体評価で良いストーリーとは言えなくなる。

全部怪獣で帳消しになるんだけどね。

 


 

というわけで、気になる点はあるものの一周目は確実に楽しめると思う。二周目以降に怪獣部分以外が楽しめるかは人それぞれかもだけど、これだけ書いた増田でもまあ見れるんじゃないかな?程度には面白い

ラストは二期を匂わせとも取れるけど、どうでしょうね。今はわりとおなか一杯で満足しちゃってる。なのであれで綺麗に完結と受け取るよ。(時差が気になるけど)

ガメラたいして知らない人がみてもマジで一気見する力はあるから、見て。ストレス要素も少なく怪獣かっこいいだけで完走できるからダメージ負いまくってそれでもボコガメラかっこいいから。

みてね。

みて。

みろ。

2023-09-11

9月オールアンラーキーデイズ

毎年3月11日9月11日不謹慎だという連中や、「何らかの記念日だし普通の日とすべきだ」と書かれたアンサイクロペディア、全てにぶちぎれた増田が1年全ての日付(8月32日11月31日なども含める)を不謹慎の日と扱うリスト

それがオールアンラーキーデイズ(All anrakki days)だ

このリスト著作権なんかねぇから日めくりカレンダー薄い本もなんだってしてもらってもいいぜ

今日アメ公にとってもアンラーキーだナ

インガオーホーだヨ

(一方のジャップランドジャニーズビッグモーターで大変だけどネ)

決め方

以下の順番でその日に起きた出来事をチェック

基本は日本縛りだが、あまりにもデカすぎる事件事象場合や、不謹慎がない場合海外対象に入る

  1. インターネットミーム化したものなどのネット炎上事件増田らしく)
  2. 東日本大震災台風豪雨などの未曾有の自然災害
  3. 世界レベルで起きた戦争の開戦・終戦日(世界大戦及びそれに匹敵するレベルのもの冷戦など)
  4. 1900年以降に起きた戦争テロ等の軍事行動殺人事件ロシアウクライナなど)
  5. 1900年以降に発生した交通事故(空>海>陸の順、死亡しない場合は除外)
  6. 世界的に炎上問題行動を起こした人間誕生日(本当に話題が無い時に書く)

9月一覧

2023-09-10

今日の子連れ様

習い事してる子供のお迎えにミニバンで来て1車線塞ぐ

子供を少しでも歩かせたくないのか狭い道の片側をミニバンで塞ぐ

おかげでスレ違いもできねえよ!本人はママ友とおしゃべりに夢中で通りすがりが苦労しているのも気にならないみたい。

水族館水槽の前で延々と写真を撮る

家族そろって写真を撮りたいのはわかるが、わざわざ子供に撮らせたりジジババに撮らせたり

交代で写真を撮らせて10分以上占拠するのはどうなの?

「他に待ってる人がいるかもしれないから早々に空けよう」とは家族の誰も思わんの?

2023-08-28

新幹線と私

新幹線グリーン車を老人にたかられた、というのがネットニュースになっていて、おかしな人に絡まれて気の毒に…と心から同情した。

ところで、私は頻繁に新幹線に乗る。仕事プライベートで、かれこれ20数年の間、年間で片道50~100回くらい新幹線に乗っている。

あくまでも私見、かつ私の狭い観測範囲だが、中高年の男性は、特に東海道新幹線顧客だと随一にお行儀がいい、面倒のなさそうな人が多いと感じる。

中高年男性乗客の多くは新幹線に乗り慣れていそうで、「迷惑のかからないような乗客」としてのふるまいを理解している様子がある。それはそれでちょっと切ない(行儀が良すぎて)。

ゼロ年代ぐらいまでは、新幹線に乗るや否や靴を脱いでその足が臭い、みたいな人は確かに、たまにいたのだが、この20年近くでほぼ絶滅した感じがある。靴を脱いでる人はいるが臭ってはこない。新幹線の換気が良くなったとか洗濯洗剤が進化したとかそういうこともあるのかもしれないけど。

大昔に一度、あまりにくたくたで奮発したグリーン車で隣になった50がらみの男性の足が臭くて本当に、本当にびっくりしたことがあるが、そういう人は、その「彼」を最後に私は出会っていない。くだんのネットニュースの老人は、このころ中年だった人が高齢になったのかもしれない。知らんけど。

コロナ以前は特に東海道新幹線は、うっかりすると東京新大阪間の指定席が買えないぐらいの混在の時もあって、そういう時は、まれに物凄くおかし乗客に当たる。私が巻き込まれた「呆れるほどちょっとどうかしてるんじゃないか」という客は親子連れだった。

1組めは、夫婦幼児の3人家族下り東海道新幹線で、新大阪から乗車して東京まで。私は3列席の窓側のA席を買ってたのだが、既にその列はその親子連れにA~Cまで全て占拠されていた。

すみません、そこは私の席だと思うのですが…と声を掛けたら物凄くしぶしぶと言った様子で荷物やらごみやらをどかしてくれてそこに私がA席に座った後、親子はその席から離れてそして車掌と共に戻ってきた。こちらは切符を見せて当然何事もなし。そして車掌とその親子が何やら小声でもめている。

野次馬根性がもたげて聞き耳を立てていたら、その親子はB席を1席しか予約をしていなかったらしい。要するに大人2人幼児1人だが、指定席大人1枚と自由席大人1枚を買って、指定でB席1席だけを予約していた。そうするとAまたはCは空きやすい?らしく、親子3人でまんまとゆったり指定席に乗ろうというライフハック?手口?なのだそうだ。車掌さんにあとで聞いたらそういうことが割とあるらしい。

その後京都駅で当たり前だがC席も埋まって、親子は指定席Bと自由席とで離ればなれに。母親幼児が私の隣のB席に座り、恐らく自由席に移動しただろう父親の方が頻繁にこちらに様子を見に来る。C席に座っていた若い女性が迷惑そうで気の毒だったし、私も隣がわさわさしててなんだかなぁ…と思った。

もう一組も同じく、新大阪から東京に向かう新幹線の3列シートで、今度は私がB席の時に起きた。何だろう、お金がない界隈で3列シートライフハックが流行ってるんか。

B席は3列シートの真ん中なので、普段は「できればあんまり座りたくない席」ではあるのだが、その時は一本前の新幹線に飛び乗りたくて、新大阪から新幹線に乗り込むギリギリタイミングスマートEXで予約変更をし、その車両で唯一の空き席であるB席を取った。スマートEXまじべんり。

私が座ったB席の両隣、AとCは新大阪から乗り込んだ時は空いていたのだが、名古屋から親子3人連れ(子供小学校中学年ぐらい)が乗ってきた。その親子連れ指定をA席とC席しか取っていないようなのだ。間のB席は数十分前に私が新大阪飛び込み予約変更をした。親子を引き裂く形で私がB席にいる。

こりゃ申し訳ないので席を交換しましょうか?と申し出たところ、C席(廊下側)なら交換してもいいと言う。親子はAとBを3人で座り、私は廊下側に座るということになる。私が廊下側が好きだったらその申し出で何の問題もないのだが残念ながら廊下側が苦手。そもそも交換が必要だろう側が条件を付けてきたなぁ…とちょっと驚いていた。更にそもそもを言えば、小学生の子供がいるならちゃん指定席を取ってあげないと座れないのでは…。

返す言葉がなく困っていたらラッキーなことに車掌が来た。

意地悪したくなり、車掌に「こういう訳で席を交換しても問題ないですよね?」と水を向けてみたら、もちろん当事者同士で問題がないなら構いませんと説明される。そして車掌は親子3人を見て(当然だと思うが)指定席は2席で大丈夫ですか?別の車両なら、席は離れるが同じ車両で3席ありますよ、と案内。親子3人は別の車両に行くことになり、お母さんが私を睨みつけて車両を移動していった。

親子で旅行すると新幹線代がかさむから、なんかライフハック()を繰り出したくなるのかもしれないが、こういうのはどっと疲れるから本当に困る。

ただ、体感としてはこういう事件は極小ではある。20年×100回と仮定して概算2,000回の乗車でこういう酷いのはこの2例だけ。そして高齢者よりも親子連れ若い人の方がアレな率は高いと思う。

若い人に多い困ったケースは、席をまるで自分の部屋のようにしちゃう人だ。

テーブルスマホスタンド型の鏡とか何かの推しグッズ(小さいぬぐるみとかフィギュアぽいものとか)とか並べている。スマホは充電しているかケーブルが通せんぼ状態になってしまう。どう座ろうが他人がとやかく言う筋合いはないし、AとかE(窓側)で巣を作るのは全然かまわず新幹線満喫しとるなーと面白く思う。ケーブル通せんぼされても、快く通してくれれば何の問題もない。

ただ、これを通路側でやられるとこちらが降りられないから困る。こちらも別に東京名古屋ぐらいで文句を言うほど了見は狭くない。東京新大阪以西、新神戸岡山広島あたり下車の旅程の時に、「C、D席で巣を作る若者」に遭遇したりする。東京から新大阪以西に新幹線で移動中にどうしても「巣」が作りたいなら窓側にしてよ~~と割と真剣に思う。こちらが降りたくて声をかけると猛烈に不満そうになる。東京発だとだいたい新大阪でかなりの客が降りるわけで…そんな不満そうにされても当惑するしかなく。

同様にキャリーバッグを足元に置いて通せんぼする人もほとんどが若い人で、これはまぁ若い人が悪いわけじゃないが(新幹線の上の棚にキャリーバッグ上げるの面倒)、こちらが、すみません…と申し訳なさそうにしたら形だけでも「いいえお互いさまです顔」をしてくれないものか…。

あと若い人はマクドナルドを買って乗ってくる人が割とたまにいるね。551を買って持ち込むなというのはたまにインターネットで出てくるし(新大阪駅の土産コーナーで買うチルドの551豚まんは、どんどん包装が厳重になっている気がする)、確かに匂いちょっと気になるけど個人的には551でもビール匂いでもまーしゃーない、と思うタイプなのだが、マクドナルドポテトだけはダメなんだよなー、これは私の我儘なので怒ることはないが、出くわした時は早く食べ終わってー!と願っている。

コロナ最中2021年)にもやむを得ない事情新幹線にかなり乗った。コロナを警戒して社内ではNo食事になっていたが、そもそも21年の秋ぐらいまでは東海道新幹線は笑うほどガラガラだった。1車両乗客2、3人なんてザラで、あれは今思い出してもちょっと懐かしく、かつ、コロナ中なのに現場に行かねばならない仕事を持つ自分たちを憐れむような共感もあった。

笑ったのは、コロナ中のガラガラ新幹線で、3列シートで寝そべっている若い男性を見かけたことだ。作業着を着ていたか現業系のエンジニアなんかなーと思うが、なんかのやけくそだったかちょっとした悪ふざけだったか、少しうらやましかった。

そういえば、「オッサン新幹線マナーそんなに悪くない」の流れで言うと、ひと昔前によく言われてた「オバハンの団体は煩くてかなわん」というのも、最近のオバハンの団体も、わーもう無理ー!というレベル煩い人たちは居なくなったなーと思う。ただ、「オッサン」は数人以上の団体になり酒を飲み始めると逆にわぁ…という感じに騒がしくなるね。団体というのは恐ろしいものだ。

しかし、リニアができたらこういうストレスは減るだろうかね。

2023-08-15

anond:20230815133026

ロシア満州占拠したときに女の兵隊少年たちをレイプしたという事実がある。

ロシア軍とレイプ風習があったという背景もあるので女性主語にするのは大きすぎるかもしれないが、この事件から少なくとも体格差がある女性男性暴力を振るったという事実は認められる。

2023-08-13

anond:20230813204958

習高の近くに住んでるけど野球部に限らず歩道占拠するから嫌いだし応援する気なんて起きないやでという話

2023-08-08

平日未明ホッテントリジャンプ+が占拠するの何なん?

平たく20~50件が一斉についてホッテントリに上がる、ほとんどはそのあと全然伸びずに朝昼には消えてく程度。

俺は税金払ってるから図書館で本借りても別に恥ずかしくないけど、寝に来てるホームレスは流石に恥じるべきだろうな

税金わず毎日図書館に来て冷房を浴びながら昼寝しているホームレスがいる。

何日風呂入ってないのかも分からないクッセーオッサン一角占拠している。

宿無し生活用の装備が詰まったリュックを近くにおいて椅子の上に横になって寝てる。

クッセー靴下匂いが染み付いて汚染された椅子は、あとで職員ファブリーズかけまくってるんだろうなと想像がつく。

住民税払ってる人間図書館に来て本を借りるのは全く恥ずかしいことじゃない。

皆でお金を出しあっているクソデカ学級文庫図書館なんだから

絵本をすごい勢いでグルグル読んでいく生き急ぎ園児ラノベを大量に借りているニキビ中高生、彼らはきっと親が税金払ってるから堂々と使って良い。

実験論文用の資料を読み漁っている大学生、その日の分の新聞を3つぐらい掴んで読み終わったらまた次の新聞を3つぐらい掴んで戻ってくる新聞ジジイ、将来税金を沢山収めてくれたり、過去たっぷり税金を払い終わった人間も堂々と使うべきだ。

だがホームレスはどうなんだろう。

ずっとずっと税金を払わず、本を借りるわけでもなくただ涼しい場所暖かい場所を求めてやってきて、夜の怪しい仕事にでも備えているのか堂々と昼間から寝息を立てている。

3人がけの椅子に堂々と横たわり、場合よっちゃ隣の椅子荷物ボンボン置いている。

まあ別にどう寝ようが関係ないんだよな。

だって臭すぎて半径5mぐらいは誰も近寄れないんだから

1円の税金も収めること無く公共施設を貸し切っているホームレス

こんな存在が許されて良いんだろうか。

ホームレスじゃなくてツーリストちょっと休憩に来てるのかもよ?」←知らねーよこの街で住民税払ってね―奴が知識や娯楽を求めるでもなくただエアコン効いてる場所で寝るためだけに来てるのがおかしいっつってんだよ。

健康で文化的な最低限度の生活を誰もが送るために弱い人にも優しくしなきゃいけないってのは分かる。

俺がいつかホームレスに転がり落ちた時、同じようにどっかのデパート空港の待合室で怒られるまで寝てるかも知れないから。

でも釈然としないんだよな。

ホームレスが単なるホームレスで居てくれているだけまだマシで、風雨を凌ぐ場所欲しさにどっかの家に押し入ってくるぐらいなら、公共施設悪臭撒き散らしてくれてた方がまだマシだってのはある。

いやでもマジで風呂洗濯しろよ。

冬場は凍りつくから仕方ないにしても、夏場だったら公園蛇口からぬるま湯が出てくるだろ。

でも今どきは公園全裸になることも許されないのか。

どうしたらいいんだろうな。

ホームレスを集めて仕事を与えるホームレス労働施設がやっぱり必要なのかな。

野に放たれた無数の落伍者対処に未だにこんなに頭を悩ませるとは。

2023-08-02

地方在住ファミリーディズニーランドに行ってきました

子供小学校入学し、最初夏休みに入り「夏休みどっか行きたいところある?」「ディズニーランド」となり、日曜日出発の2泊3日、地方在住の俺・妻・子供2人(姉小1、弟5歳)ファミリーディズニーランドに行ってきた。特に目新しい情報はないし、内容も日記としてありふれたものになるが、備忘録も兼ね残しておこうと思う。

●1日目(自宅~ホテル

地方在住なので、移動は新幹線に乗る必要がある(他の移動手段もあったが、新幹線利用は妻と子供希望)。

未就学児は膝上であれば料金はかからないが、暑いだの狭いだの騒ぐことは予め分かっていたので、お金はかかってしまうが、素直に4人分の指定席を取った。

3座席を取って子供を間に2人座らせるというプランもあったが、子供が2人同時に「窓側がいい」とか言い出すと死ぬので、その予防策として2座席2列とした。

2座席であれば大人のスペースは実質1.4~1.6人分ぐらいになり、ゆとりができるのもよい。

東北新幹線で午前中に乗車したので、昼時に上野駅で降り、某ファミリーレストランで早めの昼食。

日曜日ということもあって「普段こんなに並ばないよね?」という店もそれなりに行列が出来ていたりした。家族で(子供は初の)東京ローカルグルメに舌鼓をうつ

昼食後は駅に戻り、山手線東京駅まで。上野駅構内ではプラレールの展示などをしており、地方との経済力格差を改めて目の当たりにする。

東京駅に着いたので、移動で疲れた子供ガス抜きもかねて、東京キャラクターストリート散策する。日曜日に行ったので、まあまあの人だかりであった。

娘と妻のお目当てである「ちいかわらんど TOKYO Station」に至っては入場制限すら発生している始末で「ただ商品を見たいだけ」すら敵わずあきらめる。

このあたりから子供疲労を訴えはじめる。初の東京駅で人だかりに酔ってきたのだろう。適宜おんぶなどでやりすごす。

改札口から京葉線ホーム間の徒歩移動、これが今回の行程における最難関であるといってよい。

大人でも初めて行くとまあまあ遠いと実感するぐらいの距離で、普通に歩くと疲れるし、それでも普通に歩くしかないというところがつらい。

途中「動く歩道」があるのでまあまあやり過ごせるが、地方在住で車慣れしていると、この5~600mの距離ですら、えらくしんどく感じる。

行きはまだ子供が「動く歩道」にハマっていたので、完全おんぶ移動は免れた。

京葉線東京駅から新浦安駅まで移動する。最初舞浜駅で降車しイクスピアリに行き、そこからシャトルバスホテルへ行くことを予定していたのだが、思いのほか子供の疲れが早く来てしまったので、いったん新浦安駅至近のイオンスタイルで休憩がてら時間をつぶすことにしたためだ。

イオンスタイル日曜日にしてはあまり客がおらず「都会のイオン」にそれほど慣れていない地方在住ファミリーにとっては十分楽しめる空間であった。

ぼちぼち時間をつぶしたため、路線バスで某ホテルへ向かう。

シャトルバスではなく路線バスなので、乗車している客はほぼ「近辺に住んでいる人」で構成されており、各バス停でまんべんなく降りていくような具合だった。

明海付近団地はいつ見ても壮観で、子供も大いに興味を示していた。

個人的には今川団地を見ると「ああディズニーランドに来たな~」という実感が湧くのだが、共感してくれる人があまりいない。

ホテルは目立って可もなく不可もなくだが、コインランドリーが少ないのと、近辺にも単独コインランドリー存在しなかったため、洗濯にそれなりに苦労した。

大人だけであれば洗濯なぞせす、着替えも好きにすればよいが、子供が居るとなんだかんだで不意に汚したりすることもあり、いくら着替えを持っていっても足りない。帰宅してから大量の洗濯物と格闘するのもそれはそれでおっくうである荷物は予め送っておいたので移動する手間がなかったのは幸いだった。

子供を先に寝かせ、大人明日の準備などをし就寝。

●2日目(ホテルランドホテル

朝食会オープンと同時に即朝食を済ませる。朝食メニューは和・洋と極めて平均的な感じだが、スタッフが多く、ホスピタリティは高かった。

子供向けのバイキングコーナーもあり、やはり子供用なのと、夏休みということもあってほぼ戦場と化していたが、ああいうのも子供としては嬉しいのだろう。

嬉々として子供用のチーズフォンデュをこしらえて食べていた。

身支度を整え、シャトルバスディズニーリゾートへ向かう。

ちゃっかりパートナーホテルに泊まってしまったので、シャトルバスは「きょうリゾートを去る人」か「これからリゾートへ行く人」でバッサリ二択となる。

日曜日に前泊したのでランドへ行ったのは月曜日だったわけだが、それでもまあまあ「これからリゾートへ行く人」が多かったように思う。

子供休みなのはともかく大人が平日月曜日とあればそこまで混雑はしないのでは・・・という予想をしていたが、甘かった。

子供休みであれば大人休みだろうし、そういうタイミングを狙って来ている人も決して少なくはない。

このへん、地方に居ると「わざわざ感」が高くなってしまい、感覚としてわかりにくいところである

シャトルバスに揺られ、ランド横のバスターミナルで下車。

BGMやゲート前の雰囲気で、一度行ったことのある大人なら否が応でもテンションが上がる瞬間だが、子供はいつもよりも早く起床したせいで「眠い疲れた」などと言ってくる。

「もうすぐ楽しいのがいっぱいあるよ」など、抽象的な言葉で期待を盛り上げつつ、なんとかゲートを通過。

年齢が年齢ということもあり、ランドでの滞在の半分をほぼファンタジーランドトゥーンタウンで過ごす。

40周年記念プライオリティパスは「プーさんのハニーハント」に利用したが、朝9時の段階で17付近の案内になっていた。人気なのは分かってたけど、すごいな。あくまで平日ですよこれ。

ファンタジーランドの「キャッスルカルーセル」や「アリスのティーパーティー」などは、正味ほかの遊園地でも体験できる類のアトラクションではあるが、ランドであえて乗る、というのも年齢が年齢でないとやらないものではあるので、そういう意味での新鮮味はあった。

トゥーンタウンではたまたまタイミング良く、短時間で「ミニースタイルスタジオ」と「ミッキーの家とミート・ミッキー」を楽しむことができた。

気持ちミニーの方が混雑していたように思う。ミートミッキーはもうみんなだいたい体験したのであまり並ばないのだろうか。

昼食は「クイーン・オブ・ハートのバンケットホール」で頂くことにしたが、ちょうど昼食の時間帯にぶち当たっていたせいで、30分ほど並んだ。

少し早めか遅めにすれば良いのだが、きりの良い時間でなかなかアトラクションを諦めきれないというところに、ランド飯の難しさがある。

子供はお子様セット、大人スペシャルメニューを堪能し、妻と「やっぱりランド飯はなんだかんだでうまい」と感想を交換し合う。

席は500席と多いのだが、子供連れが一挙に押し寄せてくるのもあってか、ほぼ満席だった。平日月曜日でこれなのだから休日の混在ぶりは想像に難くない。

なんとなくだが、この店は食事というより、お茶休憩などのニュアンスで利用したほうが間違いないかもしれないと感じた。

・・・とは言いつつ、お子様メニューがあるのでどうやっても混むのは仕方ないのだが。

昼食後はワールドバザール周辺をぷらぷらと移動しつつ、近隣のワゴンポップコーンを買ったり、アイスを買うなどして、夜のパレードまでやりすごす。

気温は34℃上半身が汗でビッチャビチャになっていつつ、1時間に1回は自動販売機に足を運ぶような勢いだったが、あの暑さでも徹底して自動販売機しかPET飲料で4種類くらいしかない)でなんとかせよという感じになっているので、コンセプトの揺るぎなさは流石だなと思うなどする。まあ売り切れることはないと思われるので、その点は心配なさそう。

ちょっと前は大人用と子供用で高さの違う水飲み場ランド各所にあった気がするが、自分が探した限りでは、ワールドバザール南西のトイレロッカー横にしか見つけられなかった。コロナ禍を経たせいでなくなったのだろうか?

PET飲料は持ち込み可とはいえリュックパンパンに詰めてランド内を歩くのはあまり現実的とは思えないので、もうちょっと簡単飲み物が入手できるようになってくれると嬉しい。

日中様々な場面で並んだが、行列から聞こえてくる会話のほとんどが外国語だったのは、ある種の驚きがあった。

日本語ほとんど聞こえないなと思ってはいたが、ここまでインバウンドがすごいことになっているとは思わなかった。

特にトラブルはなかったが、外国にもディズニーあるんだから少なくとも本国の人は本国ランドに行っといてくれと思うのは俺だけだろうか。

めちゃくちゃディズニーが好きで、特に日本しかない何かがあるとかだったらわからなくもないが。キャッスルカルーセルとか別にみんなで並ばなくてもよくない?

ここで唐突だが、筆者個人の「ファミリーから見た、ディズニーで嫌な気持ちになるゲストベスト3」を発表する。

3位は「スーベニアショップ一角占拠して写真を取り続け、自分たちの世界に入っている謎の男女ペア

2位は「似たような格好で6~8人1組になってイモムシのように移動・徘徊し、トイレなんかもその単位で入る女子集団

1位は「周りを全く見ずに列を乱したり乱入したりする男女混合の大学生らしき集団

お土産は安定のグランドエンポーリアム。正直ディズニー土産といえば、ここかボンボヤージュぐらいしか知らないというのはある。

面積がデカいので俯瞰して見れるのはよいが、時間があれば他のショップも回ってみたいなとは思った。

個人的にはホームストアやマジックショップあたりが好きなのだが、時間的な都合で行けず。

持って帰るとつらい量になってしまったため、日通配送サービスを使うことにし、ゲート付近プーさんに遭遇するなど、嬉しいハプニングもあった。

「一日でミッキーミニープーさんに会えるなんて、かなりイケてるぞ」と言うと、子供は喜んでいた。たぶん。

経験上、エレクトリカル・パレードの手前あたりでウエスタンランドに移動しておくと、パレード見物でわりと良いポジションが取れるということは記憶にあったので、夕飯はハングリーベアレストランカレーとんがりコーン(ただのシンプルとんがりコーンだが、この「ただのシンプル感」が敢えて良い)を食す。

カレーはお子様用もあるし、なによりハングリーベアレストランは席数が690席とアホみたいに多いので、よっぽどでない限り座れないことはない。

なによりメインメニューカレーなので、提供スピードもめちゃくちゃ速い。

エレクトリカル・パレード鑑賞を目的としていないのであれば他の選択肢でもよいが、そうでなければ個人的にはハングリーベアレストランを推す。

食事を済ませたあとは、ウエスタンランドファンタジーランドの境目あたりに着席する。

早めに行くにこしたことはないが、あのあたりはそこまでがっついて前に陣取らなくても、そこそこ山車の迫力あるムーブが楽しめると思う。

19:00時点で子供はかなり眠そうにしていたが、ピクニックシートで仮眠したのち、エレクトリカル・パレードでは大いにエキサイトしていた。

LEDのお陰で終始めちゃくちゃ明るく、子供は「全部すごい」という大雑把な感想であったが、一度行った大人的には最後提供車(日本ユニシス、今だとBIPROGYですね)を見送ったあとのサウダージ感が「まさにこれ」という感じで、なんとも言えない懐かしさで満たされた。

パレード後は流石にお土産を買う気力もなかったので、シャトルバスに転がり込み、ホテル風呂を浴びて速攻で寝る。

パレードが終わった直後あたりの時間を使ってお土産とかうまく買えそうな気もするが、子連れだとなかなかそうもいかなさそう。

●3日目(ホテルイクスピアリ帰宅

前日のパレード見物の疲れもあってか、ダラダラと起床し、ダラダラと朝食を頂く。

もう帰るとなると準備などにもあまり身が入らないが「最後イクスピアリ行くよ」と子供に伝え、身支度をさせる。

シャトルバスランド手前まで行ったのち、ぐるっと回ってボン・ボヤージュとイクスピアリへ。

ボン・ボヤージュでは(ランドで買えば日通で送れてよかったのに)下の子ベイマックスぬいぐるみにドハマリしてしまい、どうせあとは帰るだけだから気合で持って帰るか!となってつい購入してしまったため、帰り足はエコバックから顔だけを出したベイマックスらしき物体ファミリーに加わることとなった。

イクスピアリでも色々と見たかったが、さすがに2日間歩き通したのもあってか「もう歩けない~」となったため、早めに舞浜を後にする。

地元にはない3COINS+plusとかついでに見たかったんだがやむを得ず。

京葉線ホームから新幹線構内まではまた地獄の長距離移動となったが、ベイマックスを使いながらなんとか鼓舞した。

これだけでも買ってよかったと言えるくらいには、頑張って徒歩移動したと思う。作品もまだ見たことないのだが、ありがとうベイマックス。今度観ます

東京駅ではグランスタで遅い昼飯を調達し、新幹線ホームの休憩所でヌルッと休憩するなどし、無事乗車して帰宅の途につく。

東京駅は座る場所ほとんどなく、特に子供を連れたファミリー層に優しくないことこの上ないのだが、あれはもうちょっとなんとかならないだろうか。

とにかく座る場所がないので、子供は頻繁にしゃがみながら移動していた。おんぶしようにも大人の体力も無いし、だいいち前が見えなくて危ない。

新幹線改札口横にロッカーがあって、一旦そこに荷物を預けたのち、駅構内を移動できるとか、そういうのができるだけでもだいぶ違うんだが。

帰りの新幹線爆睡・・・という感じでもなく、遅い昼食を食べたり、買ってきた小さいお土産遊んだりした。

子供休みながら移動していたのであまり眠くなかったようだ。

さな、ありふれた旅行ではあったが、子供の成長を実感した旅であった。

追記 2023.8.3)

上野で降りたんなら、日比谷線に乗って八丁堀京葉線に乗り換えると、東京駅回避できたのに

最初それもちょっと考えたんですが、できれば東京キャラクターストリートに行きたいとなったので止むなく・・・でした。

>まだ小さいから連れてってつて言われないけど正直今のディズニーの値段は日帰りでもキツいわ

自分場合は、コロナ禍で3年くらいどこにも行けてなかったので、3年分積み立てていた旅行貯金を崩したような感じでした。

ただそれでも高いは高いですよね。

道中頻繁に「まあ、ディズニーだし、それなりに、な!」みたいなやりとりを妻としたりして、物価高を痛感した旅でもありました。

>「都会ではこれが楽しいんだ」と教えてやりたい

田舎だとなかなかできない「人がいっぱいいるゆえにどうにもならないことがある(アトラクションで並ぶとか、電車で座れないとか、店が混んでるとか)」を、ギリギリ楽しい」とのバランスを取りながら体験できるのが、ディズニーランド旅行なのかなと思いました。人馴れしてほしいというのも確かにあります

ただ、あんまり小さいと覚えてないかもしれないというのも、わかります。姉はたぶん覚えていると思いますが、弟はどうかな・・・

新浦安イオンまさか地方から行く人がいると思わなんだ

目的であるディズニーリゾートから一番近くて一番デカイオン、という感じで行きました。

ゲーセンGiGO)とかあるし、急に子供の何かが必要になってもデカイオンがあれば大丈夫かなと。

最初イオンモール幕張新都心へ行く計画も立ててたんですが、今考えてみると無謀すぎますね。

>「車でまとめて移動してホテルにぶち込んで後は勝手やらせる」方式家族旅行しかしたことがない

個人的には(地方在住ということもあり)車の方が良いんですが、妻と子供が圧倒的に「公共交通機関での移動スキー」なので、そこで折れました。

めちゃくちゃ疲れましたが、体験としては悪くなかったかなと。

電車で移動すると旅先で酒が飲めるというのが逆に新鮮で、そこだけちょっとしかったです。

追記 2023.8.4)

>ちいかわの店は開店と同時位にいかないとなかなかしんどい

やっぱりそのくらい人気なんですね。ちいかわ人気は地方に居てもそこそこ実感してたんですが、東京キャラクターストリートともなると混雑具合は別格ですね。

東京駅アクセス至便というのが、一層難易度を高めている気がします。

>4人2泊3日でコミコミでおいくら万円

往復の電車賃(新幹線)、食費、ホテル代、入園チケットの合計で10万円付近でした。

(実際にはお土産とかもあるのでそれを超えましたが・・・

Permalink | 記事への反応(7) | 22:58

2023-07-30

anond:20230730174620

あの辺も浄化されたと思ったら違う奴らに占拠されて大変だな

2023-07-26

無事ラーメンスレ占拠されているわけだが

もまえら最近くったラーメンをおしえろ。

2023-07-22

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(前編)

名称概要
463年吉備氏の乱雄略天皇吉備田狭の妻を奪ったので、吉備田狭は新羅と結託して反乱を起こしたが、失敗した。
479年星川皇子の乱雄略天皇吉備田狭の妻のあいだに生まれ星川皇子が、吉備氏と結託して皇位を奪おうとしたが、誅殺された。
527年磐井の乱朝鮮半島出兵しようとした大和朝廷軍に対し、北九州豪族である筑紫磐井が反乱を起こしてそれを阻んだが、討伐された。
587年丁未の乱仏教布教を巡って、大臣蘇我馬子と、大連物部守屋対立し、戦に発展した。蘇我氏勝利した。
645年乙巳の変中大兄皇子中臣鎌足らが、朝廷壟断していた蘇我入鹿暗殺、続いて蘇我氏粛清した。
672年壬申の乱天智天皇後継者争いが発生し、皇太子大友皇子に対して、天智天皇の弟・大海人皇子挙兵した。大海人皇子勝利して天皇となった。
729年長屋王の変皇族長屋王に謀反の疑いがかけられて兵が差し向けられ、長屋王自害した。藤原四兄弟による陰謀とされる。
740年藤原広嗣の乱藤原四兄弟の死により藤原氏勢力が退潮し、九州左遷されて不満を持った藤原広嗣太宰府挙兵したが、朝廷軍により討伐された。
757年橘奈良麻呂の乱橘諸兄の息子・橘奈良麻呂が、藤原仲麻呂を疎んでクーデターを企てたが、事前に発覚して逮捕され、獄死した。
764年藤原仲麻呂の乱孝謙上皇対立した太政大臣藤原仲麻呂恵美押勝)が反乱を企図したが失敗、討伐された。
780年宝亀の乱朝廷に帰順して功績を上げていた蝦夷族長伊治呰麻呂が、陸奥按察使・紀広純殺害して反乱を起こした。
782年氷上川継の乱天武天皇の曾孫で臣籍降下していた氷上川継が、光仁天皇崩御に乗じて謀反を企んだが、事前に発覚して流罪となった。
807年伊予親王の変藤原宗成の謀反計画が判明し、その首謀者の嫌疑をかけられた伊予親王自死したが、のちに冤罪と認められた。
810年薬子の変平城上皇嵯峨天皇対立が激化し、平城上皇挙兵決断するに至ったが、嵯峨天皇が先んじて兵を差し向け、平城上皇出家した。
842年承和の変嵯峨上皇崩御に伴い、皇太子恒貞親王擁立する側が謀反人とされて失脚、藤原良房の支持を受ける道康親王皇太子となった。
866年応天門の変応天門放火があり、大納言伴善男が「左大臣源信仕業だ」と告発したが、逆に伴善男真犯人だとされて流罪になった事件
878年元慶の乱長年の苛政に不満を抱いた蝦夷の民が蜂起して秋田城を襲撃した。朝廷の軍はいちど敗れたが、蝦夷を懐柔・慰撫することで鎮圧した。
889年寛平・延喜東国の乱関東治安が低下し、群盗の蜂起が相次いだ。その鎮圧に功のあった平高望勢力を広げ、いわゆる坂東平氏の礎となった。
901年昌泰の変右大臣菅原道真が失脚し、大宰府左遷された事件左大臣藤原時平陰謀だとされる。
938年天慶の出羽俘囚の乱朝廷に服属していた蝦夷たちが反乱を起こして秋田城を襲撃した。その後の経過は不明
939年承平天慶の乱東では坂東平氏平将門が、西では藤原一族藤原純友が、ほぼ同時に反乱を起こしたが、朝廷により鎮圧された。
947年藤原是助の乱伯耆豪族藤原是助が、前任の国司だった物部高茂・忠明父子を襲撃した。物部忠明が追討軍を率いて鎮圧したという。
969年安和の変謀反の計画が密告され、それに関係したと見なされた左大臣源高明太宰府左遷された。藤原氏による陰謀だとされる。
986年寛和の変皇太子の外祖父であった右大臣藤原兼家が、孫の即位を早めるために、当代の花山天皇を唆して出家させた事件
995年長徳の変「花山法皇自分恋人に言い寄っている」と勘違いした藤原伊周が法皇を襲撃して左遷された。政敵の伊周が失脚したこと藤原道長が台頭していく。
1028年平忠常の乱坂東平氏の有力者だった平忠常が反乱を起こし、三年に渡って争いが続いた。元・主人の源頼信が追討に差し向けられ、忠常は戦わずして降伏した。
1107年源義親の乱源義家の子である源義親がまず九州、次いで出雲乱暴狼藉を働いていた。平正盛が追討に向かい鎮圧、のちの伊勢平氏繁栄きっかけとなった。
1113年永久の変千手丸という童子鳥羽天皇暗殺を企んでいると密告があり、輔仁親王の護持僧・仁寛が首謀者とされ、流罪となった。
1156年保元の乱後白河天皇藤原忠通派と、崇徳上皇藤原頼長派が対立して戦に発展し、後白河天皇派が勝利した。頼長は死に、崇徳上皇流罪となった。
1160年平治の乱信西の権勢に反発した藤原信頼・源義朝クーデターを起こし、信西を死に追いやったが、のちに平清盛に敗れ、信頼は処刑された。
1180年治承・寿永の乱いわゆる源平合戦平清盛を筆頭とする平氏政権が打倒され、源頼朝によって鎌倉幕府樹立された。
1184年三日平氏の乱平氏都落ちのあと、伊賀平田家継、伊勢平信兼藤原忠清といった平氏残党が蜂起したが、鎌倉軍に鎮圧された。
1189年大河兼任の乱奥州藤原氏の家臣だった大河兼任出羽国で反乱を起こし、藤原氏の残党も取り込んで暴れたが、鎌倉幕府の追討軍に敗れた。
1199年梶原景時の変源頼朝の死後、その腹心だった梶原景時が有力御家人に弾劾されて鎌倉追放された。のちに謀反を企てたが敗れて一族は滅亡した。
1201年建仁の乱梶原景時に恩のあった城長茂が京で兵を挙げ、本拠越後でも城一族が反乱が起こしたが、鎌倉幕府鎮圧された。
1203年比企能員の変将軍源頼家の舅として台頭した比企能員が、政敵北条一族に謀殺され、比企一族も滅ぼされた。それに反発した頼家も将軍地位を追われた。
1203年三日平氏の乱二十年前の三日平氏の乱で敗れた藤原忠清の孫・若菜盛高が再び伊勢伊賀で反乱を起こしたが、幕府軍を率いる平賀朝雅鎮圧された。
1205年畠山重忠の乱平賀朝雅および北条時政の謀略で、彼らと対立していた畠山重忠とその一族が討伐された。直後に時政は失脚し、朝雅も誅殺された。
1213年泉親衡の乱北条氏打倒の企みが発覚して和田義盛の息子などが捕縛された。首謀者の泉親衡は合戦ののち行方くらませた。続く和田合戦きっかけとなった。
1221年承久の乱後鳥羽上皇北条義時追討を宣言して挙兵したが、鎌倉幕府はそれを打倒した。後鳥羽上皇隠岐に配流された。
1293年平禅門の乱平頼綱北条氏の執事として権勢を振るったが、その権勢を危ぶんだ執権北条貞時に討伐された。頼綱とその一族は滅亡した。
1305年嘉元の乱得宗北条貞時の命令として北条時村が誅殺されたが、続いて「それは北条宗方による陰謀だった」として宗方が誅殺された。
1325年安藤氏の乱津軽で起きた蝦夷の反乱と、蝦夷代官安藤氏のお家騒動が重なり、それを幕府が上手く調停できなかったため内乱に発展した。
1324年正中の変後醍醐天皇の側近たちが鎌倉幕府打倒を計画したとされ、日野資朝佐渡流罪となった。後醍醐天皇は不問となった。
1331年元弘の乱後醍醐天皇鎌倉幕府打倒を計画し、いったんは失敗して隠岐へ配流されたが、その後に盛り返して幕府を滅ぼした。建武新政が開始された。
1335年中先代の乱最後得宗北条高時の息子である北条時行が幕府再興を掲げて挙兵、いったんは鎌倉占領した。足利尊氏に追討されて時行は逃亡した。
1336年建武の乱後醍醐天皇と、そこから離反した足利尊氏の戦い。尊氏勝利して室町幕府が成立するも、後醍醐天皇吉野に逃れて南北朝時代が始まった。
1366年貞治の変室町幕府で権勢を振るった斯波高経斯波義将父子が、周囲の不満の高まりにより失脚した。追討の軍が送られ、斯波氏の領国は没収された。
1375年水島の変九州派遣された今川了俊が、同じ北朝少弐冬資と対立したため、彼を暗殺した。了俊の仕打ちに反発して島津氏大友氏などが離反した。
1380年小山氏の乱鎌倉公方・足利氏満下野守護小山義政が対立し、小山氏が滅ぼされた戦い。小山義政は自害したが、遺児・若犬丸はその後も抵抗を続けた。
1387年小田氏の乱常陸小田氏が小山若犬丸を匿っていたことが発覚、鎌倉公方・足利氏満小田氏を討伐した。小田氏は降伏し、所領を没収された。
1389年土岐康行の乱有力守護の弱体化を図る将軍足利義満が、土岐氏の後継争いにつけこんで当主の土岐康行を討伐した。康行はのちに許されて伊勢守護となった。
1392年明徳の乱一族で十一カ国の守護となり権勢を誇った山名氏が、将軍足利義満挑発に乗って反乱を起こしたが敗れた。山名氏の所領は三カ国まで減らされた。
1395年田村庄司の乱白河結城氏と対立していた田村庄司氏が反乱を起こし、そこに小山若犬丸が逃げ込んだことで、鎌倉公方・足利氏満が出陣して田村庄司氏を滅ぼした。
1399年応永の乱六カ国の守護である大内義弘が将軍足利義満対立鎌倉公方と手を結び、土岐氏山名氏の残党と手を結んで挙兵したが敗れた。義弘は戦死した。
1411年飛騨の乱飛騨国司姉小路氏は三家に分裂しており、その内紛から姉小路尹綱が挙兵幕府の追討軍によって鎮圧された。尹綱は戦死した。
1413年伊集院頼久の乱島津家後継者争いをきっかけに、当主島津久豊対立した重臣伊集院頼久が反乱を起こした。一進一退の末に両者は和睦した。
1416年上杉禅秀の乱関東管領を更迭された上杉氏憲が、諸将を味方につけて鎌倉公方・足利持氏に反乱を起こした。幕府が持氏を救援し、氏憲は敗れて自害した。
1422年小栗満重の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府と結びついた小栗満重などの北関東武将が、鎌倉公方・足利持氏に対して挙兵したが鎮圧された。
1423年越後応永の乱室町幕府鎌倉公方が対立するなかで、幕府側の越後守護上杉頼方が、鎌倉公方側の守護代・長尾邦景を討伐しようとしたが、邦景が勝利した。
1429年大和永享の乱幕府との結びつきが強い筒井氏と元・南朝越智氏の長年の争いが激化し、最終的に室町幕府の追討軍に越智氏は敗れた。
1438年永享の乱鎌倉公方・足利持氏関東管領・上杉憲実の対立から室町幕府が持氏討伐を決めた。派遣された追討軍に敗れた持氏は自害した。
1441年嘉吉の乱三カ国守護である赤松満祐が、酒宴に招いた将軍足利義教暗殺した。幕府軍の追討により赤松氏は滅亡した。
1443年禁闕の変南朝復興を唱える勢力御所を襲撃し、三種の神器のうち剣と勾玉を奪った。すぐに幕府軍鎮圧されたが、勾玉は奪われたままとなった。
1455年享徳の乱足利持氏の息子・成氏により鎌倉公方が復活したが、関東管領との争いも復活してしまい、二十八年にわたって両者が争った。最終的には和睦した。
1457年蠣崎蔵人の乱陸奥国田名部の領主・蠣崎信純が反乱を起こし、南部氏がそれを鎮圧した。蠣崎信純は北海道に逃れて、のちに勢力を築いた。
1457年長禄の変赤松再興を目指す赤松氏の遺臣が、禁闕の変で奪われた勾玉を奪還した。その功績により赤松氏は再興を許された。
1467年応仁の乱畠山氏の跡目争い、斯波氏の家督交代、赤松氏再興、将軍の後継問題などから東軍細川勝元西軍山名宗全が戦った。東軍有利で和睦に終わった。
1476年長尾景春の乱関東管領・山内上杉氏の家臣・長尾景春が待遇への不満から挙兵したが、太田道灌によって鎮圧された。これをきっかけに享徳の乱も和睦に向かった。
1479年毛利次郎の乱赤松氏らの支援を得た因幡国人毛利貞元などが、山名氏に対して反乱を起こした。鎮圧されたが、国人たちの勢力は保たれた。
1486年江戸城の乱谷上杉氏の当主上杉定正が、麾下の名将・太田道灌を誅殺、その居城である江戸城占拠し、道灌の息子の太田資康を追放した。
1487年長享の乱享徳の乱を経て、関東管領の山内上杉氏とその分家の扇谷上杉氏が対立し、太田道灌誅殺をきっかけに戦乱となった。最終的に扇谷上杉氏が降伏した。
1487年長享・延徳の乱将軍足利義尚が自ら軍を率いて近江守護六角氏の討伐に向かったが陣中で病死した。後を継いだ足利義材が再び六角討伐を行った。
1489年山名新九郎・小太郎の乱伯耆守護山名元之の息子である山名新九郎らが、赤松氏の支援を得て伯耆守護山名尚之に反乱を起こしたが、鎮圧された。
1490年佐竹の乱佐竹宗家と以前から断続的に争っていた佐竹庶流・山入氏らが、佐竹義治の死去を機に佐竹氏の本拠攻撃したが、最終的に山入氏は滅ぼされた。
1502年伊庭氏の乱長享・延徳の乱の後、近江守護に復帰した六角高頼に対し、近江守護代・伊庭貞隆が二度に渡って出奔挙兵するが、最終的に鎮圧された。
1507年永正の乱越後守護代・長尾為景が謀反、越後守護上杉房能とその兄である関東管領・上杉顕定を敗死させた。関東管領の後継争いか関東を二分する戦いに発展した。

「〜の変」「〜の乱」のまとめ(後編)

2023-07-20

anond:20230720210457

大戦略補給基地占拠してる友軍のくっそ弱いイタリア軍については撃ち殺したくなったな

2023-07-19

逆に『君たちはどう生きるか』を全力で宣伝していたらどういう光景

〜朝の情報番組


アナ「……いや〜宮崎監督の新作『君たちはどう生きるか』たのしみですね〜。

   そ・し・て! 今日映画から特別ゲストにお越しいただきました!

   『君たちはどう生きるか』のポスターにも起用された、アオサギさんです!!」


アオサギよろしくっピィ〜〜♪(手を振りながら入場)」


タレントたち「うわ〜〜〜♡」


お笑い芸人「っていうか、思ったより、デカッ!」


アナ(笑)映画でもね、人間くらいのサイズありますから


タレント「すごい羽毛が! ふわふわしてる〜〜〜」


アオサギ「かへっ! かへっ!(きぐるみを左右に揺らしながらリアクション)」


アナ今日映画宣伝のために、ですね、アオサギさんから特別クイズを! ご用意いただいたということでね」


アオサギクイズっピイ!(翼をばたつかせる)」


芸人「いや元気すぎやろ、朝から(笑)


アナ「じゃあ、さっそく、アオサギさん、クイズ、お願いします!」


アオサギ「まずは初級編だピ! 【第1問】北方領土不法占拠しているのはどの国でしょう?」


芸人「え〜、どこやろ(笑)


タレント映画観てないからな〜(笑) むずかしい!」

2023-07-17

虐待から性犯罪から幸福

正直、こういった文章を書くのは批判の的であり、読んで不快になるであろう人間が大多数だということを分かった上で、書きたいから書く。

最初にしっかりと明言しておくが、言い訳したいわけではなく、僕は僕がした罪、行いを許してもらおうとは微塵も思っていない。一生をかけて償わなければならず、一生忘れずに背負い続ける。そうして当然である

被害者に刺されて死ぬのであれば、当たり前だ。そう覚悟して今生きている。それを分かった上で、吐かせて欲しい。

 

 当方現在アラサー祖母が住んでいた家に恋人と二人で暮らしている。僕はフリーターであり、恋人製菓業界で働いている。養われていると言っても過言ではない。

 

在り来りと言えば在り来りなカップルなんだろうが、自分には在り来りという言葉では片付けられない過去がある。

 

 幼少期、5歳頃に両親が離婚してから母親虐待が始まった。

そもそも母親子育てに向いていなかったらしく、兄には過度の期待を寄せストレス精神破壊し、僕には殴る蹴るの暴行罵声を浴びせかけた。らしい。

 

「らしい」というのは、僕自身は殴られた記憶がない。よく聞く解離とかではなく、シンプルに思い出せないし、そんな思い出が無い。虐待自体記憶はある。

 大人になってから母に聞いたところ、「私は色んな虐待をしていた。だから貴方が人を傷つけてしまったのだと思っている。」と自白している。本当っぽいし、嘘をついてる風でもない。なので事実としてここに書く。

思い出せるものといえば、小学3年生まで床やパンツに放尿し糞をする僕を、家から締め出し、「自分で食ってみろ」とスプーンを渡され、自らの糞を食わされそうになったこと。

からそう遠くない河川敷に車で連れて行かれ、「もう捨ててやるよ」と置いていかれそうになり、それを兄が泣きながら止めてくれたこと。

から虐待記憶は、これくらいであり、僕自身は、「まぁ時々いるヒステリックな親だよな」くらいにしか思っていない。僕がおかしいのだろうかとも思うが、大して気にしていない。

勘違いしないで欲しいが、これが世の常識みたいに思ってるわけではなく、許されざることであり、もし友人がこんな親になろうものならぶん殴り通報する。僕が僕に大して、どうでも良い記憶として処理してるだけである

 

 小学3年生までと書いたが、小学3年生になり、僕がトイレで大便小便ができるようになった時、母から虐待が止まった。

どこが契機だったか定かではないが、確実に母の心へ衝撃を与え、虐待を止めたのであろう出来事がある。僕の作文だ。

 道徳の授業だったか忘れたが、「お母さんへの気持ちを書いてみましょう」みたいな授業だった気がする。

僕は虐待されていたにも関わらず、母親のことが大好きだった。ほぼ依存だった。たった一人の親だった。そんな僕が書く作文には、「おかあさん、ぼくのことを、うんでくれて、ありがとう」と書いていた。

心の底から思って書いたわけじゃないことは覚えいている。なんて書いていいのかわからず、「とりあえずみんなに見られて構わないことを書こう」みたいなことを考えて書いたことで、褒められたかったんだと思う。

 先生がそれを、家で母に読んで聞かせてこいと言うので、読んで聞かせた。直後、母から抱擁された。

とても、とても力強く抱きしめられたことを覚えてる。苦しかったし、意味がわからなかった。ただ、抱きしめられて嬉しい気持ちはあった。大人になってからあの時のことを聞くと、「自分がどれだけ酷いことをしたのか、心の底から申し訳なく思った。」と言っていた。母自身も、子供とどう接していいかからなかったが故の虐待だったのだろうか。

 

 それ以降、母は虐待することなく、むしろ僕のことを甘やかし、欲しいものは全て買い、やりたいことを全てやらせてくれた。

結果、どんな子供が出来上がるか。

 自己コミュ障チー牛オタク誕生である物心つく前から虐待により、僕には人との話し方がわからなかった。人の気持ち理解できなかった。

そうなると人間、居場所や仲間を求めるもので、僕はMMOネット掲示板に傾倒した。その末のチー牛である

 中学生時代黒歴史のもので、学校ではオタク友達ボカロ歌い手について語り、やれ鏡音リンレンが可愛いだの、やれこの歌い手が今アツいだの、自分達だけの世界を堪能し、家に帰れば仮想世界に入り浸り、非現実的な刺激を求めた。

この先の話に大事ことなので書くが、僕の性癖はこの第二次性徴で歪みに歪みまくった。ロリレイプ物の動画同人誌にのめり込んだのだ。

 後に精神科に罹り、勉強する中で知ったが、幼少から虐待された人間は、自分より弱い立場、弱い存在に大して加虐的になる傾向にあるらしい。性のエネルギーが向くのも想像に容易い。

そんな歪んだ僕は、ネカマ公言している当時高校生男の子と、マビノギ結婚するくらいには頭がおかしくなっていた。「男でも可愛いじゃん」と。今でもその性癖が残っているというのが、思春期時代での振る舞いの大切さがよく分かる。

 

 あまり詳しく書くと、コミュニティガイドライン抵触する恐れがある上、人によってはフラッシュバックを誘発する可能性があるので、抽象的に留めるが、僕は性犯罪をした。

時期は中学2年生のとき。13歳だった。相手は当時8歳。更に高校生の時、17歳だった。相手は18歳。どちらも性犯罪

1度目は13歳ということで犯罪として扱われず、施設に入り、2度目は正式(?)に逮捕され、留置場に入り、少年院送致された。

 

 結果的に今、再犯せず社会生活をしているわけだが、自分幸せにした人の数より、不幸にした人の数のほうが圧倒的に上だ。

何故、性犯罪を犯す人は再犯率が高いのか。そもそも何を考えているのか、加害当事者として、考えてることを書こうと思う。不快にする内容であるのは百も承知している。けど、耐えられなくなってしまった。申し訳なく思う。

 僕は虐待されていたからか、因果関係は定かではないが、人との関わり方、感情の読み取りが苦手だった。先生が怒っている顔をしていても怒ってるのかわからなかったし、悲しそうな人を見ても何とも思わなかった。

自分感情を抑える術も知らず、何時しか自己正当化するようになっていた。

相手はこれこれこうだから、こう言われても仕方なく、自分は正しい。そういう思考が常になり、自分以外が間違えていて、自分が最も正しいと勘違いしていた。

ここまでは、割とある話だと思う。小学中学生は皆、自分のことを正しいと思っているだろうし、大人でさえ自分が正しいと疑わない人がいる。

 

 だが、性犯罪者、もっと広く言えば、依存症者。これらは「認知の歪み」が生じている。一先ず性犯罪が「依存症」なのかという話だが、以前関東にある、性依存症専門の精神科に通った時の先生の話では、依存であるしかった。

もちろん、依存的でない性犯罪もあるとは思う。僕は知らないが。

依存症」という病気と「ただの依存」の違いは何かという話では、「依存症は代替が効かない」、「ただの依存代替が効く」という違いだと言う。人は電車バス依存しているが、最悪それが無くとも徒歩や自転車で通学や通勤することができる。

依存患者は、そうやって代替することができず、依存している対象「のみ」に執着する。故に治し方を知らなければ治せないとのこと。

僕はこの話を聞いて、「あぁそういうことなのか」と納得した。

 

 話を戻す。依存症における「認知の歪み」とは、考えれば当然であることなのに、あたかも当然でないように考え、自分矯正してしまっていることである。間違った捉え方、考え方とも言える。

道行く美女或いはタイプ女の子に対して、「触りたいな」と思う心を「社会的ダメだろ」と抑制することができることが正しい認知であるが、「認知の歪み」があると、これが変わってくる。

「触りたいな」と思う反面、「ダメだろ」と思うのだが、「でも触りたいし」「でも今触らないと勿体ない」「周りに人いないし叫ばれなければ大丈夫」と、自己正当化する思考が頭の中を占拠する。「自分は間違えてない」と、強烈な自己暗示をしてしまうのである。僕も例外ではなかった。

自分より弱い存在を見つけ、虐げ、凌辱する術を探した。何が何でも自分が正しいと思い込んだ。

 

 よく「何いってんだコイツ」という供述をする犯罪者がニュースになる。「目を合わせてくれたから好きなのかと思った」「露出の多い服を着てるから触って欲しいのかと思った」、こういった供述発言は、認知が歪んでいないと出てこない。

こういった歪みを正し、矯正することができれば、所謂更生することができる。

 

 僕の通った精神科では、専門の性依存カリキュラムがあり、ほぼ毎日15時頃から18時頃まで講義のようなものに出席し、運動をし、帰宅するというスケジュールだった。

認知の歪みを直すというのは、簡単なようで難しく、性に関することのみならず、日常生活における思考すらも省みて、全ての視点から自分を見ることを要求される。更に先生や周りの同じ講義を受けてる人間から第三者視点を交えて、初めて矯正できる。

1人で悩み、1人で解決しようとしても、見ている視点自分からのみで、そもそも何が歪んで何が間違ってるのかわからないので修正しようがなく、人の力を借りられなかった性犯罪者は、ほぼ必ず再犯すると言っても良い。

 ストレス関係していて、ストレス解消すれば治ると思っている人もいるが、間違いでなくとも正しくはない。例えば性犯罪を犯すことでストレスを発散、より細かく言えばドーパミンを分泌し多幸感を感じているとして、別の方法で同じことをしようとしても、

性犯罪を犯したことのある人間にとって、性犯罪を犯すこと以上にドーパミンを分泌するものが無いのであるご飯を食べることや寝ること、セックスすることでドーパミンが分泌されるが、比にならないのだ。

 だが、禁煙禁酒断薬と同じく、認知の歪みを治し、断てば断つほど欲求は減り、自制心で抑えることが出来るようになる。「認知の歪み」が治せていることが前提である。考え方が変わってなければ結局再発する。

 

 話が逸れたが、結果的に僕は比較的良い方向へ持ち直す事が出来、現在性犯罪への欲求はほぼ無く、趣味恋人とのコミュニケーションストレスを上手く解消している。

ストレスが溜まっていたとしても、溜まっていることを自覚し、自分感情欲求に振り回されることは無くなった。

 

しかし、結局は性犯罪者であり、生きている価値があるかと言われれば、多分ない。

事実、不幸にした人の数を数えれば、両の手じゃ足りない。

 

 ある日、通っていた精神科の先生に、この悩みを打ち明けたら、衝撃的なことを言われた。

「傷つけた被害者のことや、被害者家族のことを考える必要は無いよ。関係いから。」

僕は全くそうは思えなかった。僕は加害者であり、加害者は一生を持って償い、幸せに生きることは許されないと。

 

 けど、冷静に、理屈で考えてみれば、確かにそうだとも言える。関係ない。

僕がどれだけ反省してもどれだけお金で償おうと、どれだけ謝罪しようと、被害者幸せになるか。ならない。 何なら僕の顔、声、文字すら認知したくないだろう。

なら僕が死ねばいいか。死んだら被害者幸せになるか。ならない。 一時は恨みを晴らした気分になり、今後同じような被害者が増えないことを喜ぶだろう。けど幸せ成るかと言われれば、僕が死ぬことのみで成るとは思えない。

そして、何よりも、過去は変えられない。やらなければ良いに越したことはないが、やってしまったものは、どうしようもないのであり、既に過去であり、「今」この瞬間には存在していない。

 

理屈で考えれば考えるほど、「過去」というのは学びとしての価値はあれど、「今」の自分の持ちうるリソースを割いてまで悩む価値は無いと思えてくる。

 

 性犯罪加害者が、そう考えていいのか? 多分社会は許さないだろう。罪を犯したら、犯した者は同等の傷を負わなければならない。でなければ、傷つけ得な世界になる。

少なくとも僕は、先生のような割り切ったというか、吹っ切れた考え方はできない。やはり僕は犯罪者であり、人を傷つけた者であり、背負い続け苦しみ続けなければならないと思う。

 

 ただ、僕にも曲がりなりにも過保護バカ親が居て、何故だか出会ってしまった恋人がいて、こんな僕でも見捨てないでいてくれた友人が居る。この人たちは、幸せにしなくてはならないのではないか

この人達は、正に「関係ない」のではなかろうか。

いつ何時でも「今の僕を被害者が見たら」と思う。きっと殺されるだろう。でも、これもまた、起こってもない未来、「今」存在していないものに対する気持ちであって、「今」この瞬間に横にいる恋人には関係ないのである

 

 だから最近は人を幸せにすることが、せめてもの責務なのではないかと考えている。フリーターだが、時々ちょっとだけ贅沢できるくらいの生活で、恋人も僕も満足していて、誕生日にはサプライズケーキを買う。

これで良いのか。これで良いのだろうか。

色々考えるが、やはり「今」は「今」。忘れてはならないが、背負いすぎて不幸にする人を増やす方が、よっぽど社会迷惑まりない。

 

 二度と再犯せず、二度と同じ過ちを繰り返さず、二度と母親あんな顔をさせない。それだけが、僕の最低限守るべきもので、あとはただの我儘だよなと思う。

 

 

拙い文章だが、ここまで読んでくれた方が居たならば、ありがとう非難轟々でも構わない、ただ、耐えられなくなってしまって、思うがまま書いた。人に見られる前提で書いているのが気持ち悪いが。

 

ちなみに、恋人や友人は僕のしたこと全てを知っている。包み隠さず全て話した。

恋人に関しては、「今の〇〇さんと関係ないし興味ない」と一蹴された。いいのかそれで?いいならいいんだろうけど。

被害者に関しては、捕まった後に賠償金謝罪文を申し出ても、軒並み断られている。

総じて考えていることは、「二度と私の人生に登場しないでください」ということだと思っている。本当に、申し訳なく思う。

 

2023-07-11

別にAI書き込み占拠されたって構わないな

ちゃんとした日本語で書いてくれんのなら

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