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2018-08-19

元号出典一覧

元号出典備考
大化書経』(『尚書』)大誥、『漢書』巻56、『宋書』巻20 
白雉漢書』巻12帝紀 
朱鳥礼記』曲礼 
大宝易経』繋辞下 
慶雲文選』巻6、『晋書』巻54陸雲伝 
和銅和銅(ニギアカガネ)が朝廷に献上されたことにより改元
霊亀瑞亀献上により改元
養老養老の滝命名に因んで改元
神亀白亀出現の瑞祥により改元
天平天王貴平知百年」の文字を背に負った瑞亀の献上により改元
天平感宝陸奥から黄金献上により改元
天平勝宝孝謙天皇即位により改元
天平宝字蚕が「五月八日開下帝釋標知天皇命百年息」の文字を成したことにより改元
天平神護藤原仲麻呂の乱神霊の護りによって平定したことによる
神護景雲瑞雲の発現により改元
宝亀瑞亀献上により改元
天応伊勢斎宮に現れた美雲の瑞祥により改元
延暦後漢書 五十二巻 
大同礼記』礼運篇 
弘仁 
天長 
承和 
嘉祥豊後国大分郡寒川現在大分川)で捕獲された白亀が献上されたことを大瑞として改元
仁寿白亀・甘露の瑞祥による改元
斉衡石見国から醴泉の瑞を献上された事による改元
天安美作国常陸国両国より白鹿、連理の樹が献上された祥瑞による改元
貞観易経 
元慶白雉・白鹿献上の瑞祥による改元
仁和 
寛平 
昌泰 
延喜尚書』旋璣鈐 
延長文選東都賦、白雉詩 
承平漢書 
天慶漢書 
天暦論語 
天徳周易 
応和「董巴議」 
康保書経 
安和礼記』楽記第19 
天禄 
天延天変、地震による改元
貞元火災地震による改元
天元災変、陽五厄による改元
永観書経』洛誥 
寛和 
永延漢書』巻75翼李伝 
永祚『晋書』巻21礼志 
正暦大風、天変による改元
長徳揚雄の『城門校尉箴』 
長保国語』(周語中) 
寛弘漢書」(元帝紀賛) 
長和礼記』(冠義) 
寛仁『会稽記』 
治安前漢書』 
万寿詩経 
長元六韜 
長暦春秋』または『晋書』 
長久老子』(七章) 
寛徳後漢書』(杜林伝) 
永承書経 
天喜『抱朴子』 
康平後漢書 
治暦尚書正義 
延久書経』または『尚書‐注』 
承保尚書 
承暦「維城典訓」 
永保尚書 
応徳白虎通」 
寛治礼記 
嘉保史記 
永長後漢書』巻1光武帝 
承徳周易 
康和崔寔『政論』 
長治漢書 
嘉承漢書』礼楽志 
天仁文選 
天永尚書 
永久詩経』?
元永天変、疾疫による改元
保安天変、厄運による改元
天治『易緯』 
大治『河図挺佐輔』 
天承漢書 
長承史記 
保延文選卷十一·魯靈光殿賦并序』 
永治『魏文典論』『晋書』武帝 
康治宋書 
天養後漢書 
久安『晋書』劉頌伝 
仁平後漢書』孔奮伝 
久寿『抱朴子』 
保元『顔氏家訓』文章 
平治史記』夏本紀 
永暦後漢書』辺譲伝、『続漢書』律暦志 
応保尚書 
長寛『維城典訓』 
永万漢書』巻64王褒伝 
仁安毛詩正義 
嘉応漢書』王褒伝 
承安尚書 
安元漢書 
治承「河図挺作輔」 
養和後漢書 
寿永詩経 
元暦尚書考霊耀」 
文治礼記祭法 
建久『晋書』『呉書』 
正治荘子‐漁父」 
建仁文選卷四十七・聖主得賢臣頌』 
元久毛詩正義 
建永文選』卷四十二・曹子建與楊德祖書 
承元「通典」 
建暦後漢書 
建保尚書 
承久「詩緯」 
貞応易経 
元仁周易 
嘉禄「博物志」 
安貞周易』上経坤 
寛喜「後魏書」 
貞永易経」(坤卦) 
天福書経」(湯誥) 
文暦文選卷四十六・顔延年三月三日曲水詩序』 
嘉禎北斉書」 
暦仁「隋書」(音楽志下) 
延応文選卷二十四・潘安仁為賈謐作贈陸機』 
仁治新唐書 
寛元宋書 
宝治春秋繁露-通国身」 
建長後漢書 
康元赤斑瘡による改元とみられている
正嘉芸文類聚-歳時中・元正 
正元「詩緯」 
文応「晋書‐劉毅伝」 
弘長貞観政要‐封建」 
文永後漢書‐荀悦伝」 
建治周礼 
弘安「太宗実録」 
正応伏見天皇即位による改元
永仁『晋書』巻22楽志 
正安孔子家語』 
乾元周易 
嘉元芸文類聚天部 
徳治『左伝』 
延慶後漢書』馬武伝 
応長旧唐書礼儀 
正和「唐記」 
文保梁書 
元応唐書 
元亨周易 
正中易経 
嘉暦唐書 
元徳周易 
元弘芸文類聚天部 
正慶光厳天皇即位による改元
建武文選』?
延元梁書 
興国春秋左氏伝』昭公四年伝、『新五代史』伶官伝序 
正平天変や兵革による改元
建徳文選 
文中易経』彖伝上?
天授史記』淮陰侯列伝
弘和書経』君牙篇?
元中易経』彖伝上?
暦応帝王代記』 
康永漢書 
貞和芸文類聚 
観応荘子 
文和旧唐書』順宗紀、『三国志』呉志孫権 
延文漢書』儒林伝 
康安史記正義』と『唐紀』 
貞治周易 
応安毛詩正義大雅江漢 
永和尚書』舜典と『芸文類聚』巻8 
康暦唐書 
永徳『群書治要』巻17
至徳『孝経』 
嘉慶毛詩正義 
康応文選曹植七啓 
明徳礼記 
応永『会要』 
正長礼記正義 
永享後漢書 
嘉吉周易 
文安『晋書』 
宝徳旧唐書 
享徳尚書 
康正史記』と『尚書 
長禄韓非子 
寛正孔子家語』 
文正荀子 
応仁『維城典訓』 
文明周易 
長享文選 
延徳孟子 
明応周易 
文亀『爾雅』釈魚 
永正周易緯』 
大永杜氏通典』 
享禄周易 
天文易経 
弘治北斉書』 
永禄『群書治要』巻26 
元亀毛詩』と『文選 
天正文選』と『老子 
文禄杜佑『通典職官十七』 
慶長毛詩注疏』 
元和徳川家康の命により、唐の憲宗の年号を用いた
寛永毛詩朱氏注』 
正保尚書正義 
慶安周易 
承応『晋書』律暦志 
明暦漢書』律暦志と『後漢書 
万治史記』と『貞観政要』 
寛文荀子』致士篇 
延宝『隋書』音楽 
天和尚書』、『前漢書』、『後漢書』、『荘子 
貞享周易 
元禄文選 
宝永旧唐書 
正徳尚書正義 
享保後周書』 
元文文選 
寛保国語』周語 
延享芸文類聚 
寛延文選 
宝暦貞観政要』 
明和尚書 
安永文選』巻一 
天明尚書 
寛政『左伝』 
享和文選』ら 
文化周易』賁卦彖伝、『後漢書』荀淑伝
文政尚書』舜典 
天保尚書 
弘化菅原為定の漢文 
嘉永宋書』楽志 
安政内裏炎上地震安政の大地震)、黒船来航などの災異による改元
万延後漢書』馬融伝 
文久後漢書』謝該伝 
元治周易 
慶応文選 
明治易経 
大正易経』彖伝・臨卦 
昭和書経堯典 
平成史記五帝本紀、『書経(偽古文尚書)』大禹謨 

※すべてWikipediaから

 

調査を通じて学んだこと

※代始改元はかつては非礼とされていた

https://kotobank.jp/word/%E4%BB%A3%E5%A7%8B%E6%94%B9%E5%85%83-1359409

代始改元は,(中略)平安時代から806年平城天皇大同改元場合を除き,皇位継承の年に先帝の年号を改めるのは非礼であるとしてこれを避け,翌年に改元するのを原則とするようになった。

南朝元号の出典、勧申者がのきなみ不明になってる。焚書にあった?それとも元号を考えられる教養のある人がいなくて適当につけただけだったりする?

日本古典出典の元号過去に一件のみ存在する(弘化

元号って漢籍から適当に二文字抜き出しているように見える。「百姓昭明、協和萬邦」から明和昭和の2つの元号が作られているし。なんか規則あるんだろうか?

2016-11-18

久保帯人探偵ナイトスクープへの依頼を強く薦める理由

話題ツイートにリプ欄を覗くとナイトスクープへの熱い信頼(ほぼ関西人だと思われる)が寄せられていた。

ネタ不謹慎番組普段見ない人はそう思うのかもしれない。

しかしあの番組を見て育った関西人として、「本気で薦めている」ことがよくわかる。

そこで探偵!ナイトスクープの信頼と実績一覧(本年度分)をご覧いただこう。

尚、番組アーカイブを使わせていただいた。

先月結婚式福岡に。独身親族にいじられ、べろべろになるまで飲み、居酒屋で見知らぬ人たちに励まされた。

気付くとホテルの自室で、肩にホークスユニフォームがかけられていた。

→結果:返却成功

メキシカンバー開店の日、シェフが「ゴミ箱を買いに行く」と言って失踪

あれから10年。探し出してもらえないか

→再会。10年前の当日、急に体調が悪くなった。その後難病指定の病が発覚し戻ることもできず。4回目の結婚をしていることも発覚。

広島県男性(56)から。私には50年来「実のお兄さん」のように慕い続けてきた方がいる。50年前に放送されていた「なかよしリズム」という子供番組の「初代・歌のお兄さん」の中山克己さん。

発見。74歳と56歳おじさんたちの初々しい対面。

20年前の夏、大型トラックの僕のトラックの後ろにベッタリとつく大型トラックがいた。気持ち悪いので無視していると、横に並走してクラクションの嵐。恐る恐る見ると、運転手さんが身振り手振りで僕に何かを伝えていた。それは僕のトラックの後輪タイヤパンクしているという内容だった。そして一緒にパーキングに入り、真夏炎天下の中、タイヤ交換を手伝ってくれた。そのまま走っていたら大事故に繋がっていたかと思うと本当に命の恩人。お礼がしたくても、自販機すらないパーキングだったため財布から5千円を取り出して「これで飯でも食ってください」と渡したが、「そんなものが欲しくて手伝ったんじゃねえ」とブチ切れ出した。押し問答の末、最後運転手さんが折れてくれ「次に会ったら一緒に飯を食おう。その時はご馳走になるから」と言ってくれた。そして「次はお前が困っている運転手を助けるんだぞ。それがトラック野郎からな」

→再会

東京都女性(29)からアメリカボストン出身留学生代理で依頼をする。彼は10年前におばあちゃんから譲り受けた、沖縄の人が書いたであろう日記帳を、持ち主の家族に返したいと願っている。それは1928年・昭和3年の日記で、300ページ以上にもわたってぎっしり文字で埋め尽くされている。達筆すぎて内容はよくわからないが、持ち主であろう方の名前沖縄の住所が書かれていた。なぜ、アメリカの彼の家に保管されていたのか、はっきりした理由はわからない。彼の推察では今は亡きおじいちゃんが、第2次世界大戦の時に沖縄に行ったことがあるので、その時に持ち帰ったのではないか、ということだ。彼は日本語が少ししか話せないが、日記帳を返せるように協力してもらえないか、というもの

子供たちを発見子ども12人いた。子供は存命で、日記の持ち主は70歳で亡くなっていた。「日記をつけろ」と子どもたちにも伝えていたそうです。

33年前。中3の夏休みに友人たちと3人で大阪から自転車琵琶湖一周の旅をした。雨風が強くなったので、田んぼの中にポツンと現れたバス停横の小屋避難した。そこで雨風がおさまるまで寝ることにしたが、目が覚めると激しい暴風雨。民家を見つけたが、何軒も断られて諦めかけた時にようやく受け入れてくれるご夫婦出会った。寒さに震える僕たちを風呂に入れてくれただけでなく、豪勢な晩ご飯とふかふかの布団まで用意してくれた。本当に涙が出るほどうれしく、子どもながらに人の温かさに心が震えた。大阪に帰ったらきちんとお礼しようと、住所が書かれた表札の写真を撮ったがその写真を失くしてしまった。

→結果夫婦と再会。思い出話に花を咲かせる。

2016-01-26

アメ横

表参道で服を見ても

いまひとつ合うものがなくて

結局アメ横に行ってしま

有楽町で服を見ても

いまひとつ合うものがなくて

結局アメ横に行ってしま

アメ横アメ横

私にとってはアメカジ横丁

本当はアメヤ横丁

寛平はアメマ

2014-04-07

笑っててもいいかな?

 フィナーレに関する目に留まったいくつかの……多くの記事と多くの部分におよそ三十年分の記憶との齟齬があり、明石家さんを軸に百字で収まらぬあれこれを書き留めておこうと。

笑っていいとも!最終回スペシャルで、明石家さんまはこう考えていた~エムカクさんによる文字起こし - Togetterまとめ http://togetter.com/li/651874

 文字起こしではなくライブ関西ローカルラジオを全国の明石家さんファンが聴けば、おそらくその数は激減すると思う。伊集院ラジオを聴きスタッフ馬鹿笑いにたちまち拒否反応を起こす関西人よりも多かろうと。

笑っていいとも!」へのたけし乱入はたいした事件ではなかった。登場でいきなり出演者の首を締め上げるのは当時からお約束。たけしが人選を間違えて変になった。「お笑い論を偉そうにぶっていた康夫にカチンときた」といった経緯もない。そもそも初期のいいともアングラ芸人タモリを始めとする監督芸術家作家アナウンサー文化人が時事風俗を斬る、社会風刺を主とする番組であったのだ(田中裕子回必見の安産祈願を巡る宗教団体の抗議等々により、観覧客だけでなく視聴者にもタモリは恐怖感を抱いてしまい、ゆるいお笑い路線となった。最終週の後説で安産祈願ネタタモリがややムキになって話していたのが感慨深い)。ほぼ初対面で髪をぐしゃぐしゃにされた康夫がむくれたのはたけしのミス。後のインタビューで「あそこで俺の首を締めかえしたら成立したのに、これだから作家ダメ」とたけしが語っていたが、芸人矜持を偉そうに語るなら当時毒づいていたタモリに(大橋巨泉なぞに認められる奴はそろって贋物だとか)いけよと思った。たけしオタクを自負する太田ならこのインタビューも当然読んでいたはずだが、フィナーレでは反撃を恐れて放りっぱなしで逃走、康夫は仕方なく傍の田中裕二に組み付いたが本気で抵抗され、諦めて壇上を降りる康夫の背中に裕二は蹴りをかます(当たってはいないが)。「あいつは、テレビの前の皆様に向けてじゃないんですよ。あれは俺に向けてやりよったんですよ」は明石屋さんの自意識過剰だと思われ。あと、いいとも降板は選手権で笑いを取ったことを責められせいではなく、制限時間オーバーで失格と裁定されたのが気に入らなかったため。

 鶴瓶ヤンタンも聴いたが、同じく最初に読み上げられたリスナーハガキが「師匠の引き際に感嘆した、素晴らしい」だったのが象徴的。共演NGが本人よりも外野スタッフ死活問題に帰するという見解は正しいのではと考える。さんま毒舌というより真正から他者批判を聞いていれば、共演を避けるよう周囲が動くのも仕方ないなと。さんまはNGが多いタレントという印象。徳光とのNGは徳光側の意向もあるのだろうが、「次番組に呼んだら俺は降板する」とからくりTVのスタッフに伝えた野村克也のケースは異例だろう。ひょうきん族とんねるずが出演した際、石橋に今後の相談を受けたさんまは、お前らなぞ眼中にないとばかり、そのままでええんちゃうと軽くいなしてやったと得意げにラジオで語っていた(のりお石橋はともかく木梨なんて竜介レベル、すぐに消えると言っていた)。石橋関西芸人敵視になったのも仕方ない。夕ニャンが終了した際は「フジテレビとしてはとんねるずよりおニャン子が惜しい、大事」と素人の私も首を傾げる業界事情を報告していた。松本に関してはさんまのまんま登場時の松本へのスカシや、最近も「すべらない話」なんて掲げる自体お笑い失格、恥ずかしいと語っていたが、吉本芸人同士、両者に重なるスタッフもいてあからさまな共演NGとはならなかったのだろう。後輩の松本配慮していたというのもある(まんま出演後は自らの失敗と反省していたし、「まだまだ売れるわー」の連呼もそう)。浜田に関しては先輩である寛平の頭を叩く行為に怒っているという噂も聞いたが、フィナーレでミニコントしたり、太田への浜田の苛立ちを腕を抑えて笑いにしたりと決して険悪な関係ではないのだろう。

 長々になってしまったので他の関係は駆け足で。

 太田談志後継者らしく政治的に動く人という印象(談志と揉めた後、業界の偉いさんらに悪口言い触らされたとたかじんがぼやいていた)。タモリさんま石橋があの芸風を好んで許容しているのかはなはだ疑問。ファンには「プロレスをせず、真剣で戦っている唯一の芸人なのだろうが、もしも浜田ツッコミを振り切り、例の客席、視聴者へのつまらぬアピールをやったら、浜田は加減なしでケツを蹴り上げる。今田東野宮迫もその覚悟を持ち共演しているが、怪我でもしたら社長吉本に大人の申し入れをしそうでなんとも。土下座事件は噂の真相事実のように書かれていたがこちらもはなはだ疑わしい話。たけし後継に勝手に名乗りを上げるなとプロレス好きの弟子水道橋が乗っかっただけのように思われる。太田が著書で松本批判をしたのは確かなので、ライバルとしてではなく、何が面白いのかわからぬ後輩の売れっ子がこっちにからんでくるなと、俺らウンナンとは違うからなという程度だろうと(太田は「笑いの殿堂」でメインのウンナンの悪口陰口を石塚英彦と一緒にくっちゃべっていた)。

 たけしに「男気」を感じたことは一度もない。その類のエピソードが語られるたびに、正月フジヒットパレードでの松村との初顔合わせのVTR、どこかに残ってないかと思う。最終回いいともの辞もありきたりのベタ。「似非インテリ集団」に担がれたが自虐ネタになってないのは辛かった(山下赤塚浅井慎平高平哲郎に比べ高田文夫テリー高信太郎はいかにも山師っぽい。筒井康隆タモリ小説に登場させたほどだが、たけしについては俺の毒舌二番煎じ、ぐらいに考えていた節がある)。

 ナイナイも当初は太田批判をANNなどで話していた。とんねるず世代で、舞台漫才ではなく、あくまでもテレビに出たい人。芸人ダメだしするなと中居批判、下駄を履いたジャニーズ批判もやっていて、めちゃイケ共演までははっきりと敵視していた。いいともへのレギュラーが決まった際は「見つかってもうた」と嘆き(有吉のバカに見つかっちゃったの先行事例)、その「タモリ愛」もジャングルTVから始まったものだといえる。ちなみに東野のツボ芸人は「さんまスポーツするぞ」で会話に割っていけず泣きくれたナイナイ矢部いいとも後期の森脇健児、どSの中川礼二現在爆笑太田

 鶴瓶はやはり怖いという印象。関西時代はたけしの何が面白いのかわからないと問うていた(問われた相手は爆笑こそしないがニヤリとはすると答え、そんなん笑いなら爆笑させんとと)。たけしのANN開始前に鶴瓶ラジオを参考にしていたと聞き、さらに「東京進出失敗」もあり「たけし兄さん」と呼ぶように。メインではなくサブに回るのには抵抗もあったはずだが、タモリに諭されいいとも出演を続けた。タモリとは深い親交を結んだが、さらに古いさだまさしとの親交は話さなかったらしくジャングルTVゲスト出演の際の交友フリップを見て初めて知ったタモリが「え、あんた友達だったの?」と仰天していた。いいとも出演よりもさんまの「覚えてるでえ」が東京での起爆剤になったと思う。

 タイトルにした香取慎吾スピーチは印象に残った。それぞれ良かったのではないか(石橋の発言は馬鹿にしたものじゃなく本心だと思うので、タモリの反応は可哀相だった)。これ以上の盛り上がりはない、スピーチは余計という声もあるが、芸人祭りで締めればそれこそ「バラエティーのフジテレビの終わり」で終了してしまう。

 

駆け足が長くなった。ここでおわり。

 
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ようこそ ゲスト さん