はてなキーワード: 何となくとは
数か月前に日本での発売が決定して話題になった時はヒステリックに批判する声の方が多かったのに今は賛同する声の方が多くてなんか変な感じ
批判していた人たちはタイトルだけ見て「“トランスジェンダーなどというものは実在しない”という本」だと強烈に思い込んでしまったんだろうね
日本の陰キャ・オタク女性だったらカースト上位のキラキラ女子のコミュニティや趣味になじめなくて幼少期に自身の性別を疑った経験があるのはわりとあるあるだと思うけど
そんな日陰者の女子がいることを知らないし理解できない、最初からずっと違和感なくオンナらしく輝いて生きてきた強者女性の方があの本に反発してそうだなと思った、何となく
そういう女子がいるんだ、私はそういうタイプじゃないから知らなかった、本当にトランスジェンダーの子だけじゃなくて他の悩みを抱えている子も救われる世の中にならなくちゃねくらい言えたらいいのに
本に限らずニュース記事のタイトルや動画のスクショ部分だけ見てカッとなって強い口調で叩くわりに中身とか前後の流れとか文脈とか何も確認しない人増えすぎだと思うけど
「ちゃんと調べたら分かること」がTwitterの正義厨にウケるものじゃなかったらスルーされるから今回はウケる方でよかったね
そりゃ俺だってあんなもん中二のバリエーションの一種じゃね、って何となく感じてはいたよ
まあ30近くになって私アセクシャルかもとか言い出す女もいたりするけどさ
だからあんな変態殴ったら治る、社会主義になったら君のホモも治るみたいに考えてたのが昔のジジババなわけだろ
でもあの手の活動家の皆様とそれに連帯してたリべ様まで「ああいうのは生まれつきで"矯正"しようにも無理なんです!」ってクソ真面目な顔で言うものだからうっかり信じちゃったじゃん
「LGBT当事者の自殺率が高い!」っていうのですら「そもそもメンヘラが自称してるからセーテキシコー以前に生きづらく死にやすいだけでした」って、そういうオチかもしれねえじゃん
なんなんだマジでよ
京都の水族館の研究室がバイオハザードのアンブレラ社っぽい、っていう話の画像の中でスタッフが関西弁云々ってのがあって、「この設備で関西弁って面白いな」となんとなく思った。
関西のラボが関西弁なのはよく考えたら当たり前で、そこに面白さを見出したのは、(特にマッドな)ラボのスタッフは標準語を話す、というステレオタイプを持ってることの現れだろう。したがってここでおかしいのはラボではなく自分の認知である。
とはいえ、ラボの標準語っぽさはどこから来るのか。「自閉症は津軽弁を話さない」という研究からすると、ASD者の特性が有利なマッドサイエンスでは標準語に偏りそうな感じもあり、なんとなく理系より文系の方が方言が強い感覚がある。(とはいえ私の通った大学は理系もみな関西弁だったから、ラボ=標準語というのはまるっきりテレビの世界の話だ。)
そういうわけで、方言を話すマッドサイエンティストというキャラを作るのは面白いかもしれない。
その際、単に方言を話させたり、そのお国のステレオタイプを塗り付ける(例:軽薄な関西人、寡黙な東北人など)のでもそれなりに面白そうではあるが、ここにさらに「自閉症は津軽弁を話さない」の理論を踏まえたそこのラボで方言が使われる理由のようなものを付け足しても良いかもしれない。
自閉症が津軽弁を話さないのは、ASD者は会話よりメディアから言葉を覚えるからだという。
そうすると、そのマッドサイエンティストは組織に育てられ組織のメディアで育ったのかもしれない。
組織は、言葉が違う=地域共同体的な側面があることからすると、政治経済を支配する中央から冷遇される、「南部」とか「少数民族」とかであろうか。
しかしそんな組織の中だけで高度な先端科学者を育成するのは難しいから、その科学者は英語圏か中国に留学したのだろう。だから母語は標準語に汚染されず、組織の使う方言のままになる。
何となくだけど、組織の設定も込みで、「方言を話すマッドサイエンティスト」キャラが出来てきた。
(余談だが、ASD者が方言を話さないのは会話よりメディアから言葉を学ぶからという理屈からすると、ネットメディアから言葉を学べばネットスラングに染まったASD者が発生しそうだ。理系研究室、会話でネットスラング使いがち問題の遠因だろうか。)
野菜の水分を考慮せず分量通りの水を入れたせいか少々薄かったが中々に美味であった
スッと寝付き6時間でパチッと目が覚め以降寝付けないというスッキリ爽やかボーイ
今日は1年のうち年末より忙しいと言われる超スーパーセールの日
前日に詳しい話を誰からも何も聞いておらず列の最後尾に社員が立つレベルで店外に並ぶ人&人に草を生やすワイ
おい社員さんよここまでエグいとは聞いてねえぞ情報共有の概念どこに置いてきたんだこの野郎!
何も聞いてねえから特売品のチラシのチェックもしてねえし陳列の場所もまったく予習してねえぞコラァ!!!
案の定お客様にゴリッゴリに特売品の場所のお問い合わせを頂き右往左往したじゃねえか!!!!
何度か買い物して何となくパスタの位置を知ってるお野菜奴隷ワイ「(パ、パスタ・・・?)ん~この辺だと思うんですけど~」
目の前にパスタを見つけたお客様「これ?これじゃないわよね値段が違うし」
お野菜とお客様の奴隷ワイ「そうですね~(チラシを覗き)あ、これ冷凍・・・みたいでスね?」
通りがかる店長
店長「どしたん?お客様に丁寧に対応してると仕事回んねえから!(割とデカい声で)どの商品?冷凍?あっちです!あっち!」
去る店長
お、おお・・・?すごい雑やな・・・?そんなんでええんやな・・・!(ワイの頭上に電球が出て)客捌(きゃくさば)ダイナミック!ヒョォォォン↑ドンカタシャイィィィィン!!(ちな斧はブラックかぞうに使わせる派)
このぐらい雑でええんやな雑で、と実感させられたワイは祭りの大らかさに認識を改め
小松菜一気に抱えて売り場にドバア!きゅうりを袋ごと載せてひっくり返してドバババァ!しめじをひたすらドバババア!
それをセコセコ並べ直すワイ!
一か所出し終えたらもう一か所がだいぶ減ってる!うおおおおおお!!!この品出しに追われる感じこそ俺が求めてた状況だよ!ウヒョホオオオオオオ!丁寧にやってられっかオラアアアアアアアアアアア!!!
といった具合に品出しを全力で雑にやるのであった
それでも売れるんだからやっぱ価格って正義だな、まあ俺もあの値段なら陳列が雑でも買うわ
陳列の美しさなんてただの自己満だな、価格の前には無駄だよ無駄
気づいたら4時間経ってて愉快でしたわ
テレビとね、おなじになったんですよ。
一通りのネタは手垢まみれになり、大資本による豪華なテンプレネタが持て囃されるようになった。
何となく昔の自由な空気は残ってるけど、そこにあるのは目新しい自由さではなく、昔あった自由さのリバイバルでしかない。
未開の荒野を我先にとギャロップで駆け抜ける奔放なノリの再現を求めて、保護区画の中で時限性の走行権を役所から買って駆け抜けているような。
ネタも全体的に加齢臭がしてきたっていうか、当時「10年前に流行ったよね」という感じだったのが、いまやそこから20年経って、30年前に流行ったネタ、つまり今の若者は一切知らない話で盛り上がってる。
本当に10年前に流行ったものは、その頃にはもうネットですっかり幅を利かせた老害達が世代断裂を生んで「今時のつまらんコンテンツ」として扱われてた。
もうね、世界が完全に断絶されているわけですよ。
なんとなーく薄く存在したネット上の同世代間が失われて、ネット文化の中にも世代が作られるようになった。
ネットが持っていた最大の強みって、老若男女が同じ空間でワチャワチャしてる感じだったと思うんですが、それはもうない。
なんとなく同じぐらいの年齢層同士でつるんで、なんとなくその世代で流行った話をしているだけ。
たとえばROやUOの初期にあったような、70代と10代が全く同じ話で同じように盛り上がってる感じがね、もう今のネットにはね。
人によって定義や範囲は違うだろうが、レスバとは、テキストによって議論、喧嘩、罵りあいを行うことを指す言葉だ。
最近は、レスバはSNSでよく行われる。X(旧Twitter)でもレスバは日常茶飯事であり、それを実際に「レスバ」という言葉で形容することも行われている。
さて、少し前に、5ch(旧2ch)ブラウザであるJaneがアップデートされ、5chではない別の掲示板に接続されるという事件があった。この別の掲示板のサイト名は忘れてしまったので、ここでは偽5chと呼ぶことにする。
偽5chはXでも多少話題になったのだが、その中でも偽5chの技術スタックに言及したアカウントがあった。曰く、偽5chのWeb版はNext.jsという技術が使われており、掲示板サイトらしからぬモダンな造りであるとして、肯定的に言及していた。
このアカウントが普段からAI驚き屋行為で注目を集めていたこともあり、偽5chに言及したこの投稿は話題になった(いわゆる「バズった」)。
実際、このNext.jsという技術がモダンな技術のひとつであることは疑いようがない。デジタル庁が一度Next.jsを採用して話題になったが、モダンすぎて扱えなかったのかやめてしまったのも記憶に新しい。
話はレスバに戻るが、Xでの技術的な話題にはレスバが付きまとう。人によって好みの技術が異なるので衝突が起こるのは当たり前だ。高低さまざまなクオリティのレスバが日々繰り広げられている。
Next.jsはモダンな技術と書いたが、より後発の技術を推している人は、Next.jsは時代遅れで過去の技術だと言いながらレスバを挑んでくるだろう。新しい技術のほうが必然的に(まだ)単純なので、「Next.jsは過剰に複雑だ」といった論理展開も定番だ。
逆に、いわゆる「枯れた技術」信仰を持つ人は、Next.jsなんて枯れていないものは使えないという論調だ。これも人気の高い武装である。
偽5chのNext.jsに言及した投稿にも、例に漏れず、さまざまな異論が舞い込んでくる。Xのいつもの光景だ。技術的な話題で一定以上バズったら何をどうやっても叩かれる。
しかし、普段と違うところがあった。捨て垢で叩く人が多かったのだ。
正直に言って、捨て垢の人の批判はひどかった。中身のないワードサラダだ。技術的な内容ではなく、感情論やレッテル貼りを武器にしているようにも見えた。
知識が無くても使えるレスバの手法を用いながら、無理しつつもなんとか批判を書いているという印象を受けた。今ならChatGPTのほうが中身のある批判を書けるだろう。
ここからは妄想だが、そのような捨て垢の人は5chからやってきたのだろう。
当時、5chの住民は当然偽5chに対して敵対的だった。偽5chに対して肯定的な投稿があったとなれば、叩きたくもなるだろう。
裏は取っていないが、大方どこかで投稿が晒されて「凸」した人たちがいたのだろう(もう死語か? よく分からん)。
正直、偽5ch絡みを除けばよくあるNext.js上げの投稿だったので、それくらいしか捨て垢でわざわざ批判を飛ばす理由がないと思う。
「レスバ」という言葉は5chのような掲示板文化に由来する言葉だと思う。
Xなどでは返信のことを「レス」と言わない。「リプ」だ。
返信を「レス」というのは掲示板だ(メーリスとか、掲示板よりさらに古い文化由来だったらごめん)。
つまり、5chからXに捨て垢でやってきたのは、レスバの本場からやってきた刺客なのである。
まあ、刺客たちがみんな技術に詳しいわけでもないのだろうから、技術的な話題でレスバをこなせというのも無理な要求なのかもしれない。
6時45分起床。
無印良品週間でやたら混んでる。
ボディーネット5個買ったつもりが袋入れのときに一個泡立ちネットが紛れてるのに気づく。レジが長蛇の列なので交換をあきらめる。
本当はフレンチクルーラーとエンゼルクリーム両方食べたいけど、子供にドーナツ2個は多すぎる。
帰って昼飯。妻の作った焼きそば。3人分を4人で食べてるから少し少ない。
1時半にさっきのドーナツ食べる。
ポンデリングが甘くて食べられない息子もエンゼルクリームは食べれるらしい。
修行僧のスト6見ながらBalatroして一日終わり。
私立中に進学する最大のメリットは、ユニークな個性が育ちやすい点だと思う。
公立中の子たちは、能力の高さを感じることがあっても、強い個性や自己主張にいまひとつ欠ける印象を受けることも多い。
令和の公立中の現場はわからないが、それなりに荒れていた自分の公立中の環境を思い出すと、尖った個性が表に出にくい環境というのは何となく理解できる。個性的であることが何よりも求められるこれからの社会において、これは結構まずいことだと思う。
その点私立中の子たちの話を聞くと、面白いし、大人であるこっちが、へーってなることも多い。
そういう個性が許される環境があるのだろうし、そういう個性を持った友人と関わることで、自分自身も個性的であることを目指すようになるのかもしれない。それはとてもうらやましいことだと思う。
一方、公立中のメリットは、自信がつきやすい環境であることではないか。
選抜されたメンバーからなる私立中の中では埋もれがちな子であっても、公立中ならばそれなりに「できる子」と周囲から見られて、何かと頼られたり、一目置かれたりする場面も多くなる。
それ故のやっかみもあるのかもしれないが、それでも自信、というのは幼い少年少女にとって、成長にとっての最大の原動力であるわけで。
もちろん私立中の中位以下の子たちも、中学生全体で見ると優秀なレベルにはあると思う。でも人間は自分の半径数メートルでしか自分を評価できないわけで、周囲と比較して自己を過小評価してしまい、能力を発揮できないケースはかなり多いのではないか。
あと、勉強頑張ったときの校内順位や偏差値の伸びも、公立中の方が大きいですよね。
では大学進学にとって、どっちが有利なのか、という話。
世間的には、私立中に行く方が圧倒的に有利、と思われているのだろう。確かに最難関の大学に行きたいのであれば、そのとおりと言うしかない。
だが個人的な意見としては、公立中で得られる自信は意外と侮れないし、その自信を武器に結構な大学に合格する子は少なくないように思う。
薬が効いてきた。多分少しはましになっている。
まだ今一つ度が高いが多少仕事もできるようになっている。
ただ、本当は休みたいを押し殺しているので、ちょっとストレスが強い。
その割に土日休みは何もする気になれない。
ミスはまだあるし、たまになんかやっぱり意味もなく全部嫌になるってタイミングもある。
心って一回壊すとなかなか治らないものなんだな…。
医者はひと月前、本当はきっちり休んだ方がいいと言っていたが、何となくその意味が分かってきた気がする。
心が壊れる前の自分に戻れる日は来ないのかもしれない。
基準が明確かどうかも重要だけど、その基準がなぜ設定されのか、それによって何かメリットをもたらしたりデメリットを減らしたりするのかみたいな基準の存在意義の方が大事だと思う。水着規制をすることで何かしら社会が良い方向に向かうなら肯定するし、何となく規制しただけならバカバカしいからやめた方がいいと思う。
まだ、ナーロッパ感が残ってて、俺が求めてるファンタジーじゃないんだよね。聖剣伝説Legend of manaみたいなやつ。こういうのが欲しいんだよね。奇妙さが含まれてるファンタジーって言うのかな?メイドインアビスはすごくいい。非現実、幻想。まさに、この言葉がぴったり当てはまる。
フリーレンは妄想の方が合うんよね。言葉的には。だから、なろう系寄り。奇想天外じゃないじゃん。何となく知ってる感じするじゃん。違うんだよな、こういうのじゃ。
別に嫌いってわけじゃないんだけど、本当に欲しいのはこれじゃなくて、ないから代わりに見てる、って感じ。うーん。言葉にするのが難しいけど、とにかく、しっくりこないんだよな。見てる時は面白いんだけど、心が満足しない。わくわくしない。