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2023-10-09

子どもの頃スポーツが得意」「明るくて優しい」男性尋問にかける

※この記事趣旨は決して「昔こんないじめに遭った、ひどい」ではありません(世の中にはもっともっと凄絶で深刻ないじめ蔓延しているのだから、大昔のこの程度のことを訴えるために書いたのでは当然ない)。

しいて要約すれば「男性の優しさを厳しく見極めようとしてしまう変な癖がついてしまった人生」の話です。

私はアラサーになった今でも「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを一切信用できない。それゆえ、好意を打ち明けてくる男性がいると必ず変な尋問にかけてしまう。

小学生の頃、一日だけいじめにあったことがある。原因は私にもほかの誰にも、おそらくいじめてきた男子本人にすらわからない。ただある日突然、クラスのひとりの男子がこう宣言したのだ。「俺は今すごくイライラしているから、今日一日だけ、誰か一人をターゲットにしていじめる」と。その標的になったのが私だった。その男子は普段いじめっ子ではないし、また私も普段いじめられっ子ではなかった。たしか「だれにしようかな」とかでランダムに選ばれたのが私だったけど、その男子は足が速くて、私はめちゃくちゃ足が遅かったので、小学校ありがちな強者弱者の構図にぴたりとはまっていた。

それで何をされたかというと、かなり記憶が薄れてはいるが、覚えているのは体育館でひたすら一対一でドッジボールか何かの硬いボールを繰り返し投げつけられて私が逃げまわるという光景だ。あれが体育の時間だったのか休み時間だったのか、私がそこに行かない/そこから逃げ出すという選択肢はなかったのか、同級生先生たちはそのとき何をしていたのか、その場面に至るまでの状況は残念ながらもうまったく思い出せない。

普段問題児でもない子が、普段からいじめに悩んでいるわけでもない子に、一回限りだと宣言してやったことだから、周りの人たちもまあ反応に困っただろう。ボール遊びをしていて(同時に罵倒もされていたが)私が一方的ボールを当てられてしまうのは、単にその子運動神経がよくて私がどんくさいから、とも言えるかもしれなかった。

このほかにも、たぶん私がトロいせいで、小学生男子の有り余るエネルギー暴力として喰らってしまたことはある。掃除時間に床の雑巾掛けをしていたら男子がいきなり頭の上に座ってきて、床に顔面を強打したことがあった。どうもその男の子は、雑巾掛けをしている子たちの上に次から次へのしかかろうとして、雑巾係はその股の下を潜って避けたらセーフみたいな遊びになっていたらしかった。でも私はトロいから避けられなかった。床にぶつかった衝撃で鼻の付け根がツンとして涙がぽろぽろ出たが、目の辺りを打った生理的反応だと思われたのだろう(実際そうではある)、周りの子たちに「目、大丈夫⁈」と聞かれたのに対して咄嗟に「うん大丈夫だよ」と答えてしまったらそれ以上はなんの騒ぎにもならなかった。

上記男子の二人とも、もし小学生の頃の様子を友だちとか親とかに語らせれば、「スポーツが得意で明るくて優しい男の子でした」という具合になるんだろうと思う(知らんけど)。でも、私はそうじゃないことを知っている。だからはいまだに信用できないでいる。「子どもの頃スポーツが得意だった」「明るくて優しい」男性のことを。

私は男性好意を打ち明けられると真っ先にする質問がある。「小学生の頃、女の子ボールをぶつけたことはある?」だ。平成生まれのわれわれの多くはドッジボールというきわめて暴力的かつ非人道的競技を強いられていたはずだから、「ない」と即答されるとむしろ変だなとか思ったりしつつ、まあその後もいろんな質問をしてみる。これはべつに答えだけのドボンクイズじゃなくて、表情とか言葉の選び方から私は相手が「件の男子からどれだけ遠いか必死に見定めようとする。そんなことは不可能で無謀だとも思うし、「本当の優しさとは何なのか」なんて私にもわからないけれど、どうしても探らずにはいられないのだ。

(ないと思うけどもし万が一この尋問に覚えのある人がこの記事を読んでいたら、どうか私の身元はバラさないでそっとしておいてください。)

大人になった今考えると、当時のそういった男子たちは有り余るエネルギーだけではなくて中学受験勉強ストレスなんかも抱えていたのかもしれない。私が通った公立小学校の学区域地価の高いエリアが含まれていて、ハイレベル中学受験をする子が非常に多かった。エネルギーにせよ親からプレッシャーにせよ、それを正しく言語化できずに誤った仕方で発散してしま子どもはきっと少なくないのだろう。

過ちという点で言えば、私だってその後の女子校時代大学時代には、性格が弱々しいタイプでもなかったから(運動神経が悪い=弱者という動物的慣習は小学校で終わるのが世の常だ)、言動を誤って他人を傷付けてしまたことは何度もある。だから小学校時代の」「男子女子に対する」「身体暴力による」いじめだけをあげつらうつもりはない。言葉による暴力がどれだけ深く他人を傷付けうるか知っているつもりだし、自分がやってしまったそれは一生後悔し続けると思う。

私がここで語りたいのはもっと軽薄なことで、ようするに、結婚式の回想ムービーだかスピーチだかで「スポーツが得意な、明るくて優しい男の子でした」とか形容されてニコニコしているけれど実際は猿から人間進化しきれていない野蛮な小学生だった過去のある男性がそのイメージを保ったまま幸せ結婚をして平凡な家庭を築いているケースは日本全国そこらじゅうにわんさか転がっていると思っていて、ただ私だけは絶対にその類の男性にだけは引っかかりたくないし、そんな男に抱かれた日には死んでやるという気持ちで生きているということだ。

私が今のところ最も「優しい」と思えるのは、「自分の優しくなさや社会の優しくなさ(政府とか入管とか)に対して厳しく在ることのできる人」だ。いつでも穏やかにニコニコしていることとか、横にいる人の荷物を持ってあげることなんて、誰でも思いつくし誰にでもできる(下心があれば尚のこと)。「優しいは作れる」のだ。そんな小手先の優しい行為からは、その人が他者の痛みにどれだけ鋭敏で、自他の暴力性にどれだけ怒れるかなんて窺い知ることはできない。だから、私が無駄な問答を通して知ろうとしているのはおそらく、その人が自分無意識暴力可能性をどれだけきちんと検討できるのか、みたいなことだと思う。

私は今、小学校同窓会を欠席してこの文章を書いている。

2023-06-20

これからどうやって生きてどうやって死んだらよいのか

29歳、男、駅弁大卒(一浪二留)

大学卒業後、新卒で入った会社は四年で退職

奇跡ながら内定がとれた大手企業入社したものの、数か月で退職申請

リモートワークが自由にできる社風の為、転職活動をしながら現職の引継ぎ準備を適当に進めている。

社風、仕事内容、同僚達の雰囲気、それら全てが絶望的に自分マッチせず、入社後すぐに半年すら耐えられないと確信した。

自分は楽観的な性格のはずだが、自身我慢強さの無さ、社交力の無さ、責任感や成長意欲の無さを改めて突き付けられ、

落ち込んでいる自分に少々驚いた。

前職が長時間残業&長期出張が多い仕事かつ、賞与も高い会社であったため多少の貯金はあるが、

何年も生きていける金額でもない。

世代は着々とキャリアスキルアップをし、家族を持ち、人生を歩んでいる。

自分はどう飯を食っていくのかというレベルで悩んでいるのに。

薄くなってきた頭髪、うきわ状に出てきた腹が自分に29歳という現実を突き付けてくる。

これから何をしていけばいいのかなあ。

2023-03-02

マ〇ナポータル馬鹿すぎワロタ

(※個人意見です)

トップ画面にいきなり「新しいマイナポータル体験できます」「メンテナンスお知らせ」「無意味写真」「通帳が不要ですとかの無意味広告っぽいメッセージ」「口座を登録しておくことをお勧めします」とかの乱雑な誘導が、ボタンやらフローティングメニューやらで乱雑に置かれていて「2歳児のおもちゃ箱状態」w

スクロールすると「注目の情報」「注目の関連サービス」「ログインしてできること」とやらでこれまた雑な誘導が多い多いwシンプルログインボタンデカデカと表示してくれればいいです。公的サイトなのに注目とか知らん。ショッピングサイトじゃないんだから

アコーディオンメニューを押すと、「手続き検索電子申請」という、いきなり二択要素なリンクを1つのボタンに集約していて迷うw電子申請」「手続き検索」で分けるべきだろう。

・「もっとつながる」とかい抽象的なリンクが、「私の情報」「電子申請」「履歴」みたいな重要リンクと同列に並んでいてやる気が失せる。しろこの3つの重要リンクだけでいい。その下に同列で「就労証明書作成コーナー」とかいうきわめて詳細な手続きリンクが同列なのもよくわからん

全体的に情報が多い。10分の1でいい。

 

感想

マイナRTAソチャートを完走した感想ですが、真面目に意見するとすれば、

・まず要素を10分の1にしろ

リンク誘導10分の1にしろ

・2つの要素のリンクを1つのボタンに集約するな

抽象的なメッセージと詳細な手続きリンクを同列にするな

というところです。

 

トップに載せるための役所内部のクソみたいな力学交錯してカオスになってるのかもしれんが、役人の数を減らせば台湾とかオーストラリアとかニュージーランドみたいなシンプルシステムになりそう。こういうのをシステム開発の現場でいうと「複雑性の注入」というらしい。(ちぃ最近おぼえた)

2022-12-19

「男も声を上げたらいい!」みたいなのが信用ならないのはさあ

例えば防犯ブザーみたいなもん

あれを誰も彼もが持ち歩くようになって、隙あらばカジュアルピーピー鳴らすようになったらすげー嫌でしょ

ブザーがやかましく鳴いてるもんだから、すわ誘拐かそれとも痴漢かと駆けつけてみたら、大の男が震えて涙が止まらなくなってましたって、そういう状況想像してみろよ

「チッしょーもねーな」って思っちゃうでしょ?

しかもそれをさ、「ブザーを携帯しない」「ブザーを鳴らさない」側の責任です、みたいに言われたって困っちゃうじゃん

現実全然違うし全然向き合えてねえわけ

で、そういう現実にどうしてなるかって言ったらさ

あんたらの大嫌いな「ジェンダーロール」や「昭和価値観」っていうよりは、例えば今の結婚相談所みたいなもんで

金も地位もない、ガキも産めないついてるものもついてない、そういうオスには何の価値もない、っつうきわめて新自由主義的な価値判断に他ならないわけ

戦場死ぬ男よりそこから逃げる女子供の方がもっと悲惨です、って思わず思っちゃうのと一緒

言っておくけど「保守おっさんや男社会にそう吹き込まれてるからしょうがない」とか、都合よく責任転嫁すんじゃねえぞ

本当に己の価値観の細部に至るまでそうやってガチマインドコントロールされてんならな、そもそも男や社会文句垂れるわけねえんだから

んなわきゃない

お前ら自身ソロバン弾いてそういう判断して、しかおっさん責任おっかぶせてるだけ

からおっさんいくらシバいたってそういう世の中が変わるわけねえの

おっさん大して関係ねえんだから

だいたいがフェミさんだって本音全然隠しきれてないしな

変えなきゃいけないとしたら社会思想よりは個々人の価値観であって、どうせそこまで口出せやしないだろ全体主義じゃねえんだから

俺は別にそういう価値観根本的に変えろと言いたいわけじゃない

どうせ無理なんだからもうしょうがない

からああやってイキるのやめろ

2022-10-28

読売新聞人生相談いしいしんじの回答があまり的外れ

いやぁ、今の時代に30代でこの感覚はキツいなぁ。いしいしんじさんの回答伝わるといいんだけど。10/27読売新聞人生案内

https://twitter.com/arapanman/status/1585416672571437056



いしいしんじもこの人も、問題をまるで理解していない。質問者価値観を「古い」と切り捨てているが、これは明らかに若い世代のきわめて「新しい」感覚を率直に述べたものである大学ジェンダー問題を教えている教師が、男子学生から同様の授業の感想を受け取ることは、しばしばTwitter上でも報告されている。そもそも本当の「古い」感覚九州男児は、「女性が羨ましい」などとは口が裂けても言わないだろう。自分理解でないものを「古い」というカテゴリーに押し込んで、問題から目を背けているだけである価値観アップデートできていないのは、いしいしんじのほうだろう。


質問者の言いたいことは、要するに次のことである。「女性に〈女らしさ〉を要求することは現在では差別とされ、バリキャリでも両立でも主婦でもさまざまな生き方承認されるようになっている。それに対して男性は依然として懸命に働いて家族扶養するという〈男らしさ〉を現実要求されており、しかもそのプレッシャーから男性解放すべきだと言ってくれる人もほとんどいない。男性は、稼ぐ能力がなければゴミクズ扱いをされ、人生全否定される。そのような男性から見ると、非正規でも無業主婦でも人生承認されている女性が、正直羨ましく感じる。」


もしこのように理解できるとすれば、どこにも差別主義的で古い価値観存在しない。質問者は、現代日本ではきわめてジェンダー平等規範が当然なものとなっているのに、現実男性に求められる社会的役割女性と比べても変化していない、というきわめて新しい感覚を率直に表現している。質問者現実存在する女性差別無知で鈍感というところは確かにあるが、学校職場日常的に目にしている女性が、むしろ男性よりも楽しく生き生きとしているように見えるという実感まで否定すべきではない。

2022-07-22

anond:20220722015902

統一教会攻撃性は、なぜこのように持続したのだろうか。教団として殺人を犯すに至っていないというきわめて大きな違いに加えて、どのような要因が考えられるだろうか。一つの要因として考えられるのは、統一教会政治的庇護を得たということである

  ・・・ 怖いよう、怖いよう、、 (´;ω;`)

anond:20220721224449

言われたので調べてなるほど、となっていたのですが、面白い記事がでてきました。

オウム真理教は外部社会との葛藤が増大した段階で、政治家を通して宗教法人としての認証を働きかけ、それを妨げる存在と疑った坂本弁護士一家ともども殺害した(1989年)。その前後の時期、オウム真理教は多くの著名文化人学者を味方にしようとして働きかけ、一定の成果は得ている。

たとえばダライ・ラマ14世と並んで写真をとったり、国内の著名な文化人学者の対談をしたり、支持的発言をとりつけたりした。だが、政治家等の大きな支持を得ることはできず、結局は、文化人らの支持を裏切るような方向へと進んだ。

オウム真理教は同時代政治的社会勢力保護や支持を求めはしたが、それが成功しないままに攻撃的関与をますます強め、解体していったのだった。

統一教会はきわめて多くの被害者を生み、膨大な額の賠償金被害者らに支払った。だが、それにもかかわらず、攻撃的な布教献金要求、物品販売などを続けてきている。裁判責任を問われたことにより。2000年代には極めて多額の被害者への返金等をせざるをえなかった。

だが、安倍元首相殺害犯の母親のように1億円以上を献金し、2002年自己破産をし、いったん5千万円とも言われる額の返金を得たにもかかわらず、それをさら寄付してしまったという例もあった。

統一教会攻撃性は、なぜこのように持続したのだろうか。教団として殺人を犯すに至っていないというきわめて大きな違いに加えて、どのような要因が考えられるだろうか。一つの要因として考えられるのは、統一教会政治的庇護を得たということである

オウム真理教統一教会の同時代性、そして共通点と相違点が見やすくなるだろう。まず、共通点ということでは、現世否定的な教えと現世離脱的な活動様式、そして攻撃的な外部社会との関わりということがある。

他方、相違点としては、オウム真理教政治家社会的有力者の支持を得ることに成功しなかったのに対して、統一教会はそれにかなりの程度、成功したということがある。だが、統一教会場合、それによって、市民社会における共存のためのモラルを我がものとする機会を見出すことができずに来たのである

ttps://www.moderntimes.tv/articles/20220721-01rel

やはり、件の事件を経て旧統一教会のことを初めて知った人たちが、旧統一教会批判コメントをすること、あるいは疑問の目を向けることにおかしい点はなさそうですね。

あと今更だけど、ここめっちゃ面白いw 火に油を注ぐのが上手いですね

寄付強要だって過去にたくさん問題になってから、今では巧妙化して法律に引っかからないようにやってる

2021-10-09

なぜリベラル派は中間層に支持されないか

東京大学豊橋技術科学大学香港城市大学の国際共同研究グループは、1億2千万件を超える安倍元首相に関するツイート(「安倍」または「アベ」が含まれツイート)を解析し,保守派ツイートの方がリベラル派のツイートよりも穏健な中間層によく届いていることを明らかにしました.

党派的な傾向の弱い中間層に対して保守派リベラル派のどちらの方がよりよくリーチできているかは,ソーシャルメディア上の政治コミュニケーション有効性を理解する上で重要です.本研究の知見は,ツイッター上の党派的言説の拡散において保守派の方がリベラル派よりもより効率的コミュニケーションを行っており,このことが現実政治におけるリベラル派の苦境の一因となっている可能性を示唆しています

https://news.yahoo.co.jp/byline/toriumifujio/20211005-00261538



この記事について個人的な雑感。

(1)リベラル派には学者文化人が多く、言葉遣い一般人には若干難しい傾向がある。保守派匿名一般人が多く、言葉遣いが易しいだけではなく、受けるのであれば下品言葉遣いも厭わない。

(2)リベラル派は学者弁護士など一般的社会的地位が高く、周囲の評判も気にするので、素性の定かではない中間層フォローすることは避ける。保守派アカウントは多くが一般人で、学者でも周辺的な人なので、フォロワー数を求めて恐れず中間層とつながりにいく。

(3)リベラル派はその性質からして、多数派常識的直感感情に反するような、普遍的原則正義に訴えることが多い。逆に保守派は、多数派感情常識に訴えた物言いが多い。

(4)リベラル派は政治的には少数野党であり、現状の政治については批判非難ベースとした物言いがどうしても多くならざるを得ない。保守派絶対多数の与党なので、現状の政治に対しては称賛や擁護ベースとした物言いが多くなる。「安倍保守/反安倍リベラル」という調査手法問題点については、既に菅原琢先生などの批判がある。

個人的には(2)が1番大きいと思う。要は、リベラルアカウントには社会的地位の高い人が多いため、フォロワー数を増やすよりも、炎上ネタになることを避けるのに対して、保守派アカウントの多くは一般人で、フォロワー数を増やすために、炎上を恐れずなんでもやる傾向がある、ということだと思う。一言で言えば、リベラル派は活字文化では強くてもSNSでは弱いという一般的な傾向があるのだと思う。

リベラル派の政権批判の口調はしばしば過激だけど、「リベラル」「左翼」という括りにいったん入ってしまえば、それが炎上することは基本的にない。ツイッター党派性が強まってしまう傾向がある要因の一つは、そのほうが炎上確率が減って平和になるというきわめて単純な理由がある。内容のほとんどが政権与党への罵倒でありながら、炎上知らずで安定感は群を抜いている金子勝大先生が好例。

2021-09-09

anond:20210909094625

売春にしてもそうだけど、もうきわめて単純な話で

「後から手の平クルクルして被害者面するぐらいなら、今のうちから何もすんな」って、そういう話なんだよな

手の平返す前だけ女性自由だの主体だの変なことまで言い出すから、鼻で笑っちゃうわけで

2021-03-02

選択夫婦別姓はもう絶望

選択夫婦別姓の導入が進まないのは、これがイデオロギー闘争になってしまっているかである

選択夫婦別姓は、伝統的なイエや専業主婦家庭が減少し、同時に夫婦共通の姓を持つことの合理性が減少し、他方で不合理性が増えたことが最も大きな理由である。妻が文字通りの「家内」で、家族代表して家の固定電話に出る時代には、同姓は確かに合理的だったが、こうした風景はもはや既に過去のものになりつつある。選択夫婦別姓否定的女性国会議員たちも、当たり前のように戸籍仕事名前を使い分けている。夫婦同姓の強制が、現実社会生活にとっては不便で不合理なものしかないことは、保守派にとっても自明なのである

それにも関わらず、保守派選択夫婦別姓に強行に反対するのは、これが純粋イデオロギー的な問題であることを意味している。保守派家族のありかたにこだわるのは当然として、離婚中絶育児介護性別分業など、様々なより重要と思われる論点がある中で、日本では強制夫婦同姓を守ることが保守派生命線になってしまっている。つまり保守派がなぜ夫婦同姓に異常なまでに固執するのかと言えば、敵対する左派リベラル派が従来の家族モデル批判する文脈で別姓を推進しようとしている(ように見える)から、というのが根本的な理由である

夫婦別姓問題イデオロギー闘争にしてしまったのは、リベラル派にも少なから責任がある。世論とくに若い世代夫婦別姓容認に傾いているが、それは人の生き方価値観への押し付けや介入を嫌がるようになっていることが大きい。なので、伝統的な家族規範に対する批判の声をあまり強めてしまうと、それも若い世代には「特定価値観押し付け」に映ってしまうことになる。夫婦別姓推進派には、「頭の古い政治家は退場しろ」という声が多いが、選択夫婦別姓に賛成する若い世代の多くは、そういう攻撃的な物言い生理的に嫌っている。なので、野党リベラル知識人への積極的な支持は大して広がらない。

選択夫婦別姓の賛成派は数こそ多いが、伝統家族観を積極的解体したいという左派リベラル派の思いとは逆に、大部分は「価値観押し付けを嫌う」「強制的同姓は日本だけ」というきわめて消極的ものなので、組織されておらず政治的には強くはない。対して反対派は、これが保守生命であるとして、死に物狂いの姿勢を見せている。日本会議のような強固なイデオロギー組織草の根運動を展開している。

菅政権選択夫婦別姓消極的になっている。民主党政権象徴されるように、政権内の「内輪揉め」は支持率を激減させる。自民党内の選択夫婦別姓への反対勢力は、政治生命を失ってでも反対するというほどカルト化してしまっている。だから無理に進めれば、このカルト化した反対勢力が騒ぎ出すことになり、「菅首相リーダーシップがない」という印象を与えてしまうことは確実である。とくに支持率が低迷している現在は、もう絶対に手が出せなくなってしまったと言っていいだろう。

選択夫婦別姓導入は、立憲民主党中心の政権が成立でもしなければ絶望的に不可能である。つまりほぼ絶望と言っていい。

追記

丸川珠代福島瑞穂国会のやりとりを見て追記

福島瑞穂は、夫婦別姓問題イデオロギー化してしまった元凶だと思っているので、いつまでもこの人を先頭に立たせてはいけないと思う。夫婦別姓を望む当事者も、必ずしもフェミニストではないのはもちろん、伝統家族規範が好きとか嫌いとか、そんなことを問題にしているわけではない。多くは、通名戸籍バラバラな現状を変えてすっきりさせて欲しいというだけであり、あるいは、生まれた姓にこだわりや愛着があるとか、両親の姓を失いたくないといった、より保守的な理由による賛成派も多い。

夫婦別姓のような、それで特に何かがよくなるわけでもないイデオロギー問題より、シングルマザーや中高年独身女性貧困問題とか、もっと臭い問題のほうでアピールすべきじゃないだろうか。既にやっていると言われるだろうけど。

2020-10-31

クロスバイク女子ストーカーされないの?

昨日クロスバイクを購入した。まだ手元にはない。

今まで生きてきて、イオンバイクやその他自転車屋ママチャリしか購入したことがなく、その日に家に持ち帰った経験しかない。

まだ手元にない愛車が盗まれいかから不安不安で鍵のことなどを調べている。家に連れて帰るのは一週間後である

同時に、とてもうきうきわくわくしており、同じメーカークロスバイクロードバイクに乗っている人のInstagramTwitterをチェックしたり、YouTube動画を見たりしている。とにかくすごくわくわくしている。

Instagramで、自分の購入したクロスバイクメーカー名でハッシュタグ検索すると、世界中クロスバイク乗りのいい感じの写真がたくさんヒットする。中には女性もいる。

日本人女性だけ検索してみるか?と思い、#メーカー女子検索。その中でも顔を載せている人のプロフィールをチェック。え?住んでる場所書いてあるけどいいの?でもまあ、サイクリングで遠い場所に行って愛車と景色自分撮影した写真ばっかりだし、心配することはないのかなと思った。

もう少し拡大して検索してみた#クロスバイク女子検索。出るわ出るわ。もうそれこそ顔載せてる人が多い。住んでる都道府県を書いている&顔を載せている&どのメーカーのどの色のクロスバイクを乗っているか分かる&行動範囲が限られている。大丈夫なの?勝手心配してしまった。

2020-03-22

anond:20200322164056

ところがどっこい作品性質上、友人の死をもとにした話で、ファンシー書体でうっきうきわくわくで「追悼記念ポップアップショップ開店!」

ってやるようなヤツが書いた話ということになるとちょっと変わってくるんだよな。

 

かわいい女の子主人公にした人気絵本作家ゴリゴリロリエロ漫画を愛好してるのがバレたら大バッシング受けると思うで

2020-01-13

anond:20200108063636

IT Japan Award 2009

独自手法10倍速開発 7割主義で変化対応力を高める

良品計画

https://tech.nikkeibp.co.jp/it/article/COLUMN/20090702/333080/

すべて「Bash」と呼ぶスクリプト言語記述する。しかデータベース管理ソフトを使わずデータはすべてテキストファイル管理する。「ミドルウエアのオーバーヘッドがない分、処理も速い。ごく普通パソコン動作させても、25万件の商品データなら2秒程度で全件検索できる」と山崎課長は胸を張る。



情シスベンダーがそれぞれの仕事を全うすることがベスト関係を生む~良品計画システムを内製する理由

https://enterprisezine.jp/iti/detail/1380

無印良品ブランドでおなじみの良品計画。いまや海外15カ国にも展開するなど、好調事業を支えるのが、“ユニケージ開発”と呼ばれる独特の開発手法だ。Linux標準装備のシェルスクリプトの他は、開発言語やデータベースなどを一切利用せず、1~2週間というきわめて短い開発期間で、次々にシステムリリースしていく。


ユニケージか。なかなかよさげだね。

2019-04-19

anond:20190419163534

カレーの中で浮いてる肉はそう感じるだろうな。

しかしここでいう「not下方婚」のボリュームゾーン50%-60%というきわめて対等に近いもの

いわばルーに溶け込んだたまねぎみたいなもんだ。

2018-12-28

怪談と隣人―波勢邦生「トナリビトの怪」を読む

【読んだもの】本を購入しようと思ったら、リアル書店ネット書店最近では出版社による直販(弊社もやってます)などさまざまなあるかと思いますが、今回ご紹介したい『アーギュメンツ#3』という評論誌は「手売り」、つまり関係者による直接販売というきわめて珍しい流通チャンネル選択した書籍です。売り方の時点でかなりチャレンジングな企画なのは明らかで、魅力的な論稿も多数収録されているのですが(レイ・ブラシエ(佐藤正尚訳)「脱水平化―フラット存在論に抗して」や、大前粟生さんの小説断崖」もすごかった)、その中の波勢邦生さんの論考「トナリビトの怪」が本当に本当にすばらしかった。ので、今回はそれについて書きます

当該論考のテーマをおおきくまとめると、理性的自己判断できる存在としての近代主体(いわゆる「強い主体」)の淵源にあるものとしてのキリスト教という一般的イメージに対して、ハワイ日本沖縄におけるキリスト教受容史をふりかえることで別の可能性(本書でいう「隣人」)がたちあがる場としてダニエル書・イザヤ書を読みかえすという試みといえます

いろいろ論じたい点はあるのですが、とくに筆が冴えるのは、小原猛『琉球奇譚 キリキザワイの怪』に紹介されている怪談ジーマー」の話です。曰く、ある男性が「ジーマー」という老婆に「神様用事の手伝い」を頼まれる。それは波上宮という砂浜で、彼女三味線に合わせて民謡を歌うというもの。そこで事は起きる。

知ってる歌は歌い、知らない歌は手拍子うつ適当にこなすうちに背後の砂浜に人が集まりはじめるが、おしゃべりの中に英語やうめき声が聞こえるなど、奇妙な何かがそこにあった。徐々に不審なおもいにかられたその男性は後ろを振りかえる。「すると、そこには誰もいなかった」やがて夜も明けて、ジーマーの三味線も鳴り終わったあとに砂浜をみてみると、声が聞こえた場所には子どもをふくめた無数の足あとが残されていたという。こうした情景に、その男性は戦争太平洋戦争のことか?)の傷跡を読みとり、波上宮鳥居を抱きしめて泣く。「みんな死んでしまった。父親も、幼馴染の友達も、学校の恩師も、みんなみんな死んでしまった。自分は生き残ったが、果たしてこれは良いことだったのだろうか。自分のようなくだらない人間が生き残って、優しく勇気のあった友達や、才能のあった人々が死んでしまう。この差は何なのだろうか?」(30ページ)

この「ジーマー」は沖縄固有の物語ですが、波勢さんはここに「死者との交換可能性」という「怪談本質」を見ます。生者と死者の想像力が同時に起動する場所、そこに怪談という物語は立ち上がる。そして同論考にとって重要なのは、この「怪談想像力」はキリスト教テクストにも見出されるという点です。

(「怪談として聖書を読む」というこの箇所は本稿でもっとも屈折し、そして読みでのある所なのですが、そこはあえて飛ばします。気になる方は「アーギュメンツ#3」をお買い求めください)

この怪談という想像力からみて、「西洋近代的自我による主体区分による解釈は、恣意的グロテスクな切断」(34ページ)となりますしかバベルの塔神話が示すように、神は常に「言語文化を奪われたものの側に立ち上がる」。つまり強き主体の側にではない、という点が重要です。

「神は奪われ排除されたものの側に立ち上がる。歴史と非歴史境界で『主体』と『弱い主体』を隔てる壁は消失し、ありうべからざるものが現れた。」「ぼくはそれを『隣人』という言葉に求めたい。なぜなら聖書において隣人とは、まさしく自他の交換可能性を示す言葉からだ。」「隣人が現れるとき、『神を愛せ、己を愛するように隣人を愛せ』というイエスの声が、聞こえ始める。隣人は、神の赦しを伝達するぼくらの似姿であり、またぼくらの赦しを待つ異形のものでもあったのだ」(35ページ)

ここで提示された「隣人」は、大仰で圧倒するような<他者>、私たち理解を拒む絶対的な<他者>ではないでしょう。どこにでもいるあなたであり、わたしであり、そして誰かです。これはブルーハーツの歌に出てくるような、といっていい。そう思います。(すこし恥ずかしいけれど、いや、しかしそう言ってしまっていい)

「隣人の思想」、波勢さんの論考が到達した地点をそう呼んでいいと思うのですが、ここで示された思想の内実とともに、この思想に至る論述あくまでもキリスト者としての波勢さんの信仰に貫徹されている。ここに本稿のもうひとつの傑出した点があります

たとえば「昨年11月、九三歳で祖父が死んだ」ではじまる本稿は、「キリスト教信仰告白せずに死んだ祖父天国でないどこかへ行ったのではないか不安になった」という文章地の文で、鍵括弧抜きで出てきます。たぶん信仰をもたない人にとってこの一文は、理解の遠い、「向こう側の人」の言葉に聞こえるのではないでしょうか。(本稿の最後、註のラスト文章も「神に栄光、地に平和、隣人に愛と怪。感謝して記す」です)

聖書怪談として読む」という本稿の試みをもし信仰をもたない人がするならば、さじ加減をまちがえたとき即座に「他者信仰否定」になるでしょう。でも、波勢さんはあくまでも信じることで聖典を読み替える(またはこれまで読まれなかったものを読み解く)という姿勢を貫く。そこにこのテクスト独特の緊張感と救いがあります

イスラーム法学中田考先生や、このたび『トマス・アクィナス』でサントリー学芸賞を受賞された山本芳久先生などもそうですが、これまで護教論や宗学として避けられがちだった信仰自身による学問考察のいくつかには、相対主義決断主義あいだでさまよう私たち課題を乗り越える何かがあるように思います。私にとって本稿はまちがいなくその一つです。そう断言していいものがこの論稿にはあると考えます

以上、編集Aは自社本を紹介していないどころか本すら紹介していないのではないか疑惑もあるのですが(広報誌とか、雑誌特集号の論稿とか)、これにて「トナリビトの怪」の長文の感想を終わります。ご清聴ありがとうございました。

2018-11-02

台湾電車事故で思い出す先輩の言葉

今はやめたんですけど、昔やってた仕事外国人との取引が多い関係で、外国に行くことが多かったんですけど

その仕事始めた時に教育係みたいな感じで先輩がついてくれたんですよ。で、その時に言われてた注意事項っってのがあるんです。

それがプライベート仕事において、利己利他日本海外では逆だって事なんですよ。


どういう事かっていうと、先輩曰く日本人っていうのは、金を払った以上はなんでもやれという経営者と、金をもらった以上は何でもやる労働者というきわめて利他的な活動する民族なんだそうです。

金もらった以上は、成人君主のように他人のために働く存在として日本人がいるわけです。

これが、外国ではそうではない、金をもらったら、利己的に動くんです。ようするに持ち場以上のことをやらない。指示されたこしかやらない。

よく日本人はマニュアル人間だっていうけど大ウソだって先輩は言ってました。


これがプライベートでは逆なんだそうです。

日本人って金もらってないときわめて利己的に動くんだそうです。だって金もらってないからくらいの理由でw。

でも外国だと逆で、プライベートはとても利他的なんだそうですよ。ボランティアとか。


から台湾事故で思い出すんですけど

インフラ系を海外に輸出するときって大変なんですよね。仕事から利己的な連中を相手にしないといけないんです。

台湾民族性がどうなのかは正直知らないですけどね。

先輩の言う話を当てはめるなら、ようするに金もらったか自分の持ち場以外は気にしない人と取引するわけです。

日本だったら仕事利他ブーストで持ち場以上の働きで、何か異常がないかみたいなことをそれぞれの立場を超えて確認を怠らない現場力なんてものでやると思うんです。

あの程度の問題はサクッと解決してたと思いますよ。だからブラックなんですけどね。

ほんと外国人って持ち場以上のことやらないですからね。だからインフラはほんと地獄だって思います

 
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