はてなキーワード: ジンクスとは
久しぶりに見た映画が酷かった話。
日頃応援する某グループ、メンバーの1人が主演をつとめた、少女漫画原作の映画を見に行った。
それが、あまりにも肌に合わなかった。
オブラートに包みに包んだ上で、私は面白かったと発信するのを躊躇った。でもこんな行き場のない気持ちを吐き出せないのも困るので、1回吐き出させて。
いや、あらすじは良い。健気すぎるまである主人公が、意中の相手の傍で諦めきれない恋心を燻らせる。可愛いね。圧倒的健気。
男女3:3のイツメン、登場する病弱美少女お嬢様、ヒロインに何かとちょっかいを出す遊び人。
怒涛の胸きゅんイベント紹介から詰め込まれる林間学校、海、夏祭り、極めつけに文化祭のジンクス。
何がやばいって、ここまで詰め込んで後半まで盛り上がった展開がほとんどない。無いわけではないけど、登場人物もシチュエーションもベタベタなので「どうせこうやろ」と思った展開通りになるし、何ならそこで話のポイントを作る為に、不自然にシチュエーションが捻じ曲がる。主に友達が消える。その上で来る展開がお約束、そのシーンが終われば即場転。展開の押し売りがすげぇ。襲い来る胃もたれ。繋ぎと演出があまりにも下手。
「男子の部屋に侵入して布団に隠れる」みたいなお約束(?)展開をもってきて、全くときめかなかったからすごい。消灯時間に人生ゲーム広げるやつがあるか。
展開のやばさはまだしも、主演が良かったらまだ耐えられたかもしれない。主演もやばい。
まずヒーロー役、あんなに演技やばかったっけ……?あんまり言うとあれだけど、贔屓目に見ても映画の主人公格にしてはちょっと耐え難い何かがある。声質はな……しょうがないけど……。これは演技が悪いのかキャラ設定が悪いのか、ヒロインが恋焦がれる相手にしては全体的にキャラが薄い。そのせいで後々の展開が後付けの設定みたいになるの、勿体なくないか???もっと明かすタイミング早めたり伏線濃くしたりやりようあっただろ。
あとヒロイン、役者はなんも悪くないけど、特段下手な訳じゃないけど、だからこそ見ててしんどい。
良い子で、まっすぐで、健気で眩しい。まさしく少女漫画のヒロインで、痛々しい。衣装も相まって(衣装あれもっと何かやりようあっただろ)、中学生が突っ走ってるのを見ているようないたたまれなさがある。あのひたむきさは一周まわって可哀想だとまで思った。
振り切るなら振り切るで周りの方がレベルが高いので、結果前進も後退もしない主人公カップルに煮え切らない感情だけが湧く。ロマンチックにくっついても「ハイハイ良かった良かった。公衆の面前やぞ」以上の感想はない。
最近はこのbotも下火な気がする。少なくとも以前ほどリツイートされていないようだ。以前よりもクソリプの数が減っている。なんでこんなものを見ているんだという気もするが、少なくとも心の底からの憎悪や怨念はなく、くだらないおふざけに近いので、ある意味では炎上狙いのネット記事よりも健全な印象を受けることさえある。しかし、おそらく何人かは本気でドラえもんのジンクスを信じているようで、ドラえもんの一挙手一投足に本気で一喜一憂しており、ギャンブルに依存するのは本当に怖いのだと闇をのぞいて確かめている面もある。こういうヲチは我ながらよい趣味とは言えない。
こういうものに対して冷ややかな目を向けているのは、自分の性格がギャンブルには向いておらず、ハイリスクハイリターンなことを考えるだけで疲れてしまうからであり、さらには迷信を信じるべきではないと思っているからだろう。株式だって信託投資だし、社会人になっても高額なものを買うときには延々と悩む。
とは言いながらも一時期はシヴィライゼーションにどっぷりはまって深夜の二時に寝ていた時期もあるので、自分もそうした依存症と完全に無縁だとも思っていない。
フォローはしていないがたまにのぞくアカウントとしては、勃起タイムbotとファルコンランチがある。余計なことを言わないランチアカウントはいい。自分も、ランチ記録用のアカウントを運用している。政治は大事だが、休息も大切だ。
いまだ無敗。今年の大本命。
父エピファネイアはジャパンカップ&菊花賞馬だし、産駒の傾向から言っても距離は大丈夫な感じがする。
まだ22歳の若手で経験の浅さが気になるが、彼が勝てば「戦後最年少のダービージョッキー」ということになる。
これまでの最年少は「僕はダービーに乗ったんじゃない、ヒカルイマイに乗ったんだ」で知られる田島良保か。歴史ですねえ。
これまで6頭のダービー馬を出しているディープインパクト産駒だし、
もともと末脚が自慢で桜花賞よりオークス向きだと言われていた馬だが、
これほど人気しているのはもちろん14年前のウオッカを想起するからだろう。
はたして勝利の美酒に酔えるか、それとも。
あのフォイヤーヴェルクの弟、というだけで競馬ファンはドキッとするのではないか。
デビュー前には「別の生き物」「凱旋門賞を意識している」などと絶賛されつつ、いざ走り出したら負け続けでがっかり、ということで有名な馬である。
ちなみに今でも現役で、障害重賞まで勝っているのだから、普通に考えるとなかなか優秀なのだが、さすがに前評判が高すぎた。
というわけで、「フォイヤーヴェルクのように騙されるんじゃないか…」という不安の意味でも、
「もしかしたら真の怪物は弟のほうなのかも…」という期待の意味でも、実績以上に注目されているのがグレートマジシャンなのだ。
ちなみに母系はドイツ血統で、産駒の傾向から見ても、距離は伸びるほど良いのではないかと思われる。
鞍上は和田竜二。あの覇王テイエムオペラオーの主戦だった男である。
その彼が「オペラオーに近い」と絶賛する馬こそ、このワンダフルタウンなのだ。
本当なの? マジでオペラオー? だったら鼻差圧勝してしまうじゃないか?
青葉賞の勝ち馬はダービーで勝てない、というのが競馬界のジンクスなのだが、はたしてどうなるか。
やはり見逃せないディープインパクト産駒。牡馬ではこの馬が筆頭格か。
兄に皐月賞馬アルアインがいる良血で、共同通信杯ではエフフォーリアに敗れるも、毎日杯で驚異のレコード勝ち。
鞍上は福永祐一。3年前に悲願のダービー制覇を果たし、昨年は三冠馬でダービーを勝った男が連覇を狙う。
母クロウキャニオンは、毎年のようにクラシック戦線を賑わせる仔を産む名牝だが、
今年こそGIを、それもダービーを勝って、兄姉たちの無念を晴らせるか。
ちなみに馬主は金子真人で、もしヨーホーレイクが勝てば、なんと5度目のダービー制覇である。
ウマ娘的には…
元増田の見立てと自分の見立ては、半分合ってて半分違う。「朝日や毎日を共通の敵にして叩く」というのは計画的なことではなくて、単に偶発的なイベントだと思う。セキュリティ関連法的にはこれで両メディアの法的責任を問うのは難しく、朝日/毎日叩きの界隈では(サンゴKYのように)長く言及されても、世間的には尻すぼみの話題になるだろう。
増田の書いてることで的を射ていると思うのは、「今後何とかワクチン接種が進む度に防衛省は称賛され」の部分だ。今回の自衛隊による大規模接種プロジェクトには、第一にこの効果を狙った政治戦略・メディア戦略という側面がある。そしてそれは、より大きな政権の目的と結びついている。
そもそもこのプロジェクトはどう始まったか。産経報道(5/17)によれば、1月下旬に「菅義偉首相の「特命」を受け、杉田和博官房副長官をトップに防衛省、厚生労働省、総務省などから集まった約10人のチームが編成された」が、その事実は外部には3ヵ月以上秘密にされていた。理由は「自治体の接種態勢が緩む懸念もあったことから計画には箝口(かんこう)令が敷かれた」からだ。そして「河野太郎ワクチン担当相とは、異なるラインで計画は進められた」。
常識的に言えば、相当めちゃくちゃなやり方だ。自治体側のラインと国側の特命チームラインがあって、それぞれが互いに情報交換せず、箝口令まで敷いて、完全に二重行政のまま進んでいた。しかも自衛隊自身が大規模接種のためのリソースを潤沢に持っているというわけではなく、医療従事者の一部とイベント運営全体はそれぞれ医療系派遣会社と旅行代理店に外注する形になっている。なんでこんな不自然なことをしたのか。
この問題はもっと大きな枠組で見る必要がある。自民党の中枢や国会議員達から見て、今年最大のイベントは何か。それは五輪開催でもないし、コロナ鎮圧でもない。衆議院選挙だ。このまま菅首相が解散を行わなければ、2021年10月21日に衆議院は任期満了となり、総選挙となる。そしてよく知られている通り、戦後に行われた25回の衆議院選挙で、任期満了による選挙は1回しかない(1976年のロッキード選挙。自民は結党後初めての過半数割れ)。支持率が上がる政策をぶち上げてから解散権を行使できるのは政権与党が持つ最大の武器で、逆に任期満了による選挙、あるいはその近くでの追い込まれ解散では与党が負ける、というジンクスが政界には根強くある。
だから自民党は何としても任期満了前に解散総選挙に挑みたい。といって、むやみに「大義なき解散」はできない。党内でも菅降ろしのマグマは燻っていて、スジを整えなければ解散の流れが(ロッキード選挙時の三木内閣のように)党内で押し止められる可能性もある。だから国民に好感されるネタをぶら下げて「国民に広く信を問う」体裁が必要になる。そして今年は、平時では難しいが、今だからこそ「国民に広く信を問う」ことが可能なテーマがある。そう、憲法改正だ。
どういう切り口でやるのか。自民党の憲法改正提案のページでは、4つの項目を「変えたい」と言っている。
このうち一番下の「家庭の経済的事情に左右されない教育環境の充実」については、大きな方向性としては反対する国民は少ないだろう。下から2番目の「参議院の合区解消」は、一種のゲリマンダリング(自党有利に選挙区を改編すること)だ。現在合区になっている「鳥取・島根」と「徳島・高知」(いずれも自民党地盤)を分割することで自民党の議席を増やせるという露骨な党利党略案件で、与党の公明党にも疑問視され、日経でも厳しい批判を受け、産経にすら叩かれるという相当ろくでもない代物だ。これはこれで厳しく批判されるべきだろうが、いま注目すべきはその上の2つのほうだ。
これは後期の安倍内閣が目指していた「自衛隊明記改憲」という奴そのまんまだ。統計の取り方で国民の賛否がかなりブレるこの案件だが、新型コロナのワクチン接種に自衛隊を担ぎ出した時点で、勝負はほぼ決まった。各自治体のワクチン接種が(主には国側のロジスティクスの問題で)遅々として進まない中、国と自衛隊が大規模接種をアレンジして、1日100万人の接種水準を達成する。計画通りに行けば、高齢者たちは国と自衛隊に大いに感謝し、国民全体に「やっぱり自衛隊を大切にしよう」という雰囲気が醸成されていくだろう。
おそらく内閣と岸信夫防衛大臣はこのゴールを見据えて、ワクチン特命チームPT以外にもさまざまな仕込みをしてきた。岸大臣が就任した去年末頃から今年5月にかけて、民放テレビ枠で自衛隊の露出が確実に増えている。防衛庁・自衛隊の全面協力による番組コーナーが、ゴールデン帯で何度も放映されている。これまでの自衛隊では情報公開を渋ったような基地構造や訓練・兵装なども惜しみなく紹介し、番組側は「初潜入」「初公開」を謳って大々的にアピールする。元旦放映の「鉄腕DASH!」、幾度となく自衛隊をフィーチャーし、岸大臣自らも出演した「沸騰ワード」。さらに今日(5/24)は「深イイ話」で護衛艦「やまぎり」トップ女性艦長の密着取材をやる。おそらくあと3ヵ月程度は、こういう防衛庁・自衛隊のメディア露出が続くだろう。
防衛省・自衛隊が機微な防衛関連情報をネタにして番組制作者を惹き付け、「選挙まで最長でもあと数ヶ月」という今のタイミングを狙って、国民と自衛隊との接触機会を高める。人間は接触回数が多い対象に親しみを感じるようになることが知られている(ザイアンス効果)。「親しみやすい自衛隊が、コロナの制圧でも頑張ってくれた」。「ワクチンを打ちに行ったおじいちゃんに、自衛隊の人が敬礼してくれた」。こういう風に感謝と感動と親近感をトリガーする建て付けさえ成立していれば、多少のアラはどうとでもなる。
新型コロナウイルス感染症の第4波拡大と変異株の急増に伴って叫ばれるようになった「私権制限」がここにつながる。「今の国や自治体の権限では効果的な営業抑制や人流抑制ができない。法的な根拠・正当性をもって、ロックダウンをはじめとする強力な感染症抑制政策を実施するには、こうした緊急時に一定の私権制限を可能にするような憲法改正が必要だ」---5月になって、そんな議論が盛んにされるようになった(たとえば、いま話題の高橋洋一もこんなことを言っている)。
私権制限論については橋下徹や吉村府知事など大阪維新筋が積極的に発信しているが(ちなみに高橋洋一も政策工房経由で大阪維新と繋がっている)、政府・与党も折に触れて「現在の政府権限では、これ以上の対策は無理」という言い方をしてきた。もちろん感染拡大は一面では政府の失策でもあるのだが、エクスキューズとして「私権制限ができないのが悪い」と言い張れば、国民の不満の矛先は、政府の失策ではなく法の不備、つまり「現憲法における強すぎる私権保護」に向かう。実際、変異株が急増して切迫感が高まるとともに、私権制限をめぐる国民感情は明らかに「NO」から「YES」に傾きつつある。
こう考えてみると「合区解消」以外の3テーマについては、過半数の国民が「YES」と考えるような情勢が整いつつある。国と自衛隊主導でのワクチン接種拡大が「自衛隊明記論」を後押しし、変異株感染の増加と医療逼迫により「私権制限導入」が現実的選択肢として受け入れられていく。平時には国民の賛同を得るのが難しい私権制限論だが、コロナ禍真っ直中の今だからこそ「アリ」なのだ。
残る課題はタイミングだ。高齢者へのワクチン接種が一巡し、パラリンピック(8/24-9/5)も終了した9月中旬頃。おそらく菅義偉首相は衆議院任期満了の1ヵ月前に「憲法改正について国民の信を問う」として衆議院解散に踏み切り、そこで大勝して、自民党改正案の上記4項目を盛り込んだ形で憲法改正の道筋をつける。第二次安倍政権が9年かけても実行できなかった憲法改正を、安倍元首相の実弟の岸信夫大臣、そして昵懇の仲である大阪維新の会をうまく使うことで達成するわけだ。
ただ、このシナリオが成立するにはいくつか条件がある。国と自衛隊による大規模接種プロジェクトが破綻なく進行し、8末までに(自民・公明の大票田である)高齢者層への接種を完了すること。オリンピック/パラリンピックを、形式はどうあれ予定通りの日程で開催すること。コロナのこれ以上の拡大を選挙時点までうまく抑制すること。このどれかが破綻すれば、選挙戦略も大幅に見直さざるを得ない。あとはお手並み拝見というところだが、コロナの推移を見るに、正直かなり暗雲が立ちこめてきた感はある。
自分が好きなものがマイナーなものにカテゴライズされる傾向は偶然にしろ確かにあるんだろう
逆に言うなら、自分が好きとか面白いと思うものは売れない、疫病神みたいな傾向もあるのかもしれない
そういえば、庵野氏も似たこと言ってたけど、売れるものを作るのが命題だと精神的にキツいかもしれない
自分が反吐が出るほど嫌いでも世間で売れるなら、というのはモチベーションとしては社畜サラリーマンと変わらない
例えば、作品自体には愛はないけど、制作スタイルとかワークフローを構築したいとか、
視点を変えることで選択権のない仕事を少しでも面白くすることはできるように思う
例えばクトゥルーネタを持ってくると売れない、みたいなのがあったけど、
ニャル子で確実にそれは覆された感はある…
え?ニャル子はメジャーではない?
だとすると、それはそれで残念な気もするが、
それよりも平成ライダーとかガンダムではなかったか?という気がしなくもない
クトゥルーネタだと売れないジンクスは、どちらかと言うと映画の話であって、
サム・ライミのキャプテン・スーパーマーケットもその前作も、
最近のCGなりでダンウィッチの怪をやってもいいような気がするんだけど、
そのバックグラウンドというかスターシステムみたいなのが面白いわけだけど
日本のインスマスを覆う影と異なる脚色で、アクションなりエロなりを盛り込めたと思うけど、
あれはあれで、なんか長くない?という気がしないでもなかった
そう考えると、やはりインスマスは佐野史郎のあれがベストであって、
あれを観たのは自分がまだ子供で親戚の家に泊まっていたのだけど、
周囲からすれば迷惑だっただろうけど、テレビの前でワクテカして待機してたのを覚えてる
ネットはまだなかった気がするのだけど、
インスマスをテレビでやるという事前情報だけはキャッチしていた子供だった
佐野史郎もインスマスとか怪奇路線は本人も大好物のはずで、幻想文学が好きなはずだけど、
佐野史郎本人までバッシングされたぐらいだったように記憶している
冬彦さんブームというか、宅八郎と宮崎勤のような偏見や差別をマスコミも醸成してた気がする
結論としては売れる話とクトゥルーネタがまったく相容れないというか水と油なだけなのかもしれない
ラブロマンスな話を考えるとしても、彼女が半魚人とか、不死の恋人が登場するとか、そんな感じだろうか
そもそも、ラヴクラフト縛りみたいなのが足枷になっては良くない気もする
いずれにせよ、基本どうやったってホラーになるんだよなあ
数か月に一回行く風俗が楽しみだったのに、コロナで周りが自粛ムードになったこともあり一年近く我慢していた。
コロナが終息するまで外出もなるべく控えようと思っていたが、外に出るどころか、ずっと在宅で日の光も浴びる事が出来ない中、一年近く休日関係なく連絡が来るほど激務だったこともありメンタルに不調が出る始末。
先日、元コロナ患者の友人がソープいったのを知り風俗を我慢している自分がアホらしくなって、実家に帰省した際にホテヘルに行ってきた。
現地に着いてから、チェーンの喫茶店で当初行こうと思ってた人気のコスプレ風俗をチェックしていたが、気に入った服装に合う女の子がいない事や、そもそも女の子の数が少ない為、次の予定に間に合わなくなる事を考慮して実家に住んでいたころに利用していたホテヘルに決めた。
人二人がギリギリ入れる古臭いエレベータを上がった先に受付が合って、そこでいつも通りボーイさんと一緒に女の子を決めた後、イベント割を利用した金額、100分18,000円(税込)を支払い奥の待合室に通された。本当は120分が良かったがイベント割適応外なので、しぶしぶ諦めた。
待合室には、20代前半の男の人と40代くらいのおっさんがソファに座って待機していた。20代の子は緊張しているせいなのか何度もトイレに行っていた。緊張するとトイレにいきたくなるのは何故なのだろう。
すぐ案内される予定だったのだけれど、少し待たされたので、ここのボーイがよく言う出勤したての"今日処女"の子だったのかもなぁと思っているとトイレ男の後に呼ばれた。待たされるのは慣れている。
古臭いエレベータの前で待っていたのは、パワーショルダーのワンピースが似合うセミロングヘアのドチャクソかわいいタイプの女の子が待ってた。
風俗特有のマンファーストで古臭いエレベータに先に乗り込んだ後、女の子が乗り込んできて閉ボタンを1センチくらい押し込んでエレベータのドアが閉まった。
ちなみにこの古臭いエレベータがこの店のイチオシポイントで、狭い分少し女の子と密着する事が出来るのだ。なお入店時に譲らない男がいた場合、一緒に乗る羽目になる場合もあるので、ハイリスクハイリターンなスポットなのである。
エレベータから出てからは、ホテルに着くまで、その日の天気から始まり色々話した。
話の最中で実家の近くに住んでいることが判明して笑った。女の子は半笑いだった。
ホテルに到着し、女の子がホテルの受付にホテル料金を支払うとエレベータの横にある階段から部屋に向かった。
部屋に到着すると、女の子が手慣れた手つきで店に電話する。このときから時間との闘いは始まっている。が、風俗で遊ぶときはお風呂にはこちらから誘導しないようにしている。
なぜなら風俗の女の子はコミュニケーション能力がずば抜けて上手い事が多く、自分みたいなコミュ障でも楽しくお話出来るのだ。
女の子はプレイ時間を短縮できるし、自分は楽しくお話が出来るのでWin Winの関係ってところ。
20分位たった頃、お風呂に誘導された。お互い服を脱いでいるとき、男は女の子の体を見ると誰でも自分の息子で体の好みがわかるようトレーニングされているのだが、
自分の好みゲージは70%だった。恐らく乳房と乳首の大きさと反比例するほど大きい乳輪(Apple watchの画面より大きい)にびっくりしたのが原因だと思われる。なお平均値は20%なので当たりの部類。
風呂で特に何もイベントは起きなかった。サービスの良い女の子ならここで素股とかやってくれるエロイ。
その後、ベッドの上でプレイが始まった。とりあえずヘルスプレイなので、先に攻めてもらう事にしてもらった。
上から順に色々丁寧にやってもらい、お約束のフェラに差し掛かった時に異変は発生した。
今まで彼女や風俗嬢と色々な人にフェラをお願いしてきたが、いくら好みを伝えても誰一人として自分好みのフェラにフレキシブルにアジャストできる女の子がいなかったのだ。
フェラでイケないのは自分が遅漏かも知れないだとか、普段の基礎トレーニングを強くやりすぎているのかと思っていたが、どうやらそういうわけでは無く、あまりにも強すぎる刺激が来た場合、急に息子が無感症なるのがアダとなっていたみたいである。ちなみに股ではちゃんとイける。
以前、別の店の受付のボーイさんに「フェラでイった事が無いので、フェラが上手な女の子お願いします」と伝えた所、2時間待たされた挙句、「私フェラ得意なの~」と宣った挙句、糞硬い舌でちんこの先端の周りをただ激しくトルネードするだけだったときは、一度お手本を見せてやりたかった。
そんなわけで今までフェライキ童貞だった自分に奇跡のめぐりあわせが来たのである。
ちんちんは結構凄いことになってるし、フェライキ童貞を卒業しようとしたところ、思わぬハプニングが発生した。両足を攣ってしまったのである。
無論このままでも出せる事は出せるが、せっかくの卒業式に泥を塗ってしまうことになる。自分はとっさに足首を上に反らし、アキレス健君に頑張ってもらい何とか重症化する前に修正する事が出来たと同時に発射した。めっちゃ気持ちよかった。
今までで何が一番気持ちよかったですか?と聞かれたらこの瞬間と答えると思う。
発射し終わった後、童貞を捨てた高校一年生の頃の感覚を思い出した。あの頃、自分は何でも出来ると思い込んでいたが、大人になってみると自分よりも何でも出来る人であふれていた。
でもフェラでイった時、自分は何でも出来ると思った。フェラはメンタルにも良いことが科学的に判明した瞬間である。
その後、女の子から続きをやるかどうか聞かれたが、断った。もはやこれ以上は無粋なのだ。
その後は、何故か女の子から別の客の無責任さで俺がなぜか説教されたり、会話中に女の子の本名がばれたりしてお互いワイワイ出来ていたと思う。全部計算づくだったら怖いが。
帰り際、LINEのアカウントを教えてもらいながら、次は指名で入ろうと思っていると自分の謎のジンクスを思い出した。
何故か自分が入った女の子は何故かみんなやめていくのだ。その店の所属歴に関係なく三か月くらいでやめていく。
それを女の子に伝えると何故か喜んでくれた。自分もやめられるときが来るのだと思うと嬉しいとの事。
自分のジンクスが人の役に立つのだと思うと嬉しかったが、フェライキ確定嬢が居なくなるのは自分としても辛かった為、交渉した結果やめるときは他にお勧めの女の子を紹介してくれるといったのでヨシとした。全然ヨシじゃないが。
部屋を出てからは、フェラが上手い女の子と少しだけ一緒に帰った。
残るは生中童貞だけだけど、たぶんこれは墓まで持っていく羽目になると思う。
今更ながら先月発売されたMyojoを読んだ。Jr大賞の結果が載ってる号。
私は所謂デビュー組のファンである。だからJr大賞に関しては部外者だ。だけどどうしても、Jr大賞って気持ち悪いなと感じてしまう。
アイドルの応援とはつまり趣味だ。趣味に多くの時間とお金をかける人もいれば生活の中のほんの少しのリソースしか割かない人もいる。それは個人の自由であり基本的には他人が口出しするものではない。それは分かっているがこのJr大賞は近頃急激に広がっている投票文化や推し信仰文化の押しつけの象徴のように感じて、私はそのような風潮が嫌なのでこの文章を書いている。
そもそもオタク達は物事の因果関係についてもっとしっかり考えるべきだ。Jr大賞で1位になった人は全員デビューした。そのことから分かる事実は「Jr大賞で1位になった人は全員デビューした」ただそれだけだ。なのに1位になればデビューできると信じている人が多すぎる。人気があってJr大賞で1位になれたからデビューしたのか、デビューできるくらいの人気があったからJr大賞で1位になったのかはこの事実からは分からない。デビュー出来るかどうかもJr大賞の順位も人気だけで決まるわけではないだろうが、デビューできる=人気のあるJrとJr大賞で1位になれる=人気のあるJrが一致することに何も特別なところはないだろう。そもそもジャニーズ事務所のタレントがデビューするかどうかが集英社の一雑誌のアンケートで決まるなんてどういう理論なんだ。それなのにJr大賞に力を入れるほぼ全てのオタクは当然のように1位になればデビューできるという根拠の無いジンクスを何も考えずに信じているように感じる。どうしてなんだ。
Myojoには毎号読者アンケート用紙がついている。そのアンケートには読者の学年を答える欄があり選択肢は〜小4から始まり高3までは学年ごとに区切られている。細かく区切られているということは編集部側がこの層の情報をより詳しく知りたいと考えているのではないかと推測できる。そのような本来想定されている読者層にあたるであろうローティーンの子供がお小遣いで買った1冊のMyojoに着いてきた投票用紙に「1位になったら〇〇くんがデビューするかも」と思いながら投票した結果なら何も思わない。
だが現実のJr大賞で順位に影響が出るほどの票数を投じているのはほとんどが大人だろう。多くの大人たちがなんの根拠もないジンクスだけを頼りに少なくないお金と時間をかけて投票している。これは怖いし気持ち悪い。
そのような人達はよく「推しのために頑張ることの何が悪いんだ」と言う。何が悪いのかと言われたら別に何も悪くはないのだろう。冒頭で述べた通り私は趣味にどれだけお金と時間を割くかは個人の自由だと考えている。だが商品への対価としてではなく確約された訳では無い「デビューへの条件」という形を持たないものに人生のリソースの多くを使う人が沢山いる。これはやっぱり気持ち悪い。
推しのために頑張ることこそが尊い。そんな考えは早く廃れて欲しい。推しを信仰する側の人からすればこんな文章を書く私の方が気持ち悪いんでしょうね。
隠す意味ないから最初に言うけどジャンプでやってる「ぼくたちは勉強ができない(以下ぼく勉)」の「武元うるか」ね。
ぼく勉がどういう漫画かっていうのはこの前(anond:20200724234926)書いたから省略するけどまあヒロイン5人分のエンド描いたラブコメ漫画ってことだけわかってくれればそれでいい。
ぼく勉は去年の年末に連載が終わったんだよ。最終巻の21巻は3月4日に発売されて、特装版には20巻と同じくヒロインの個別ルートのボイスドラマが付いてんの。一人25~50分くらいの。
これはまあいいファンサービスだと思うよ。俺もまあ普通なら普通に喜べたと思うよ。
ヒロイン5人のうち、うるか一人だけボイスドラマがないとかいうふざけたことがなければ。案の定だよね。
まあ別にわかってたんだよ。ジャンプの告知で21巻が最終巻って書いてたのに4人分しか発表されてないし、ファンブックが出るような人気作でもないからああそういうことなんだなって。
ただ最終回の後、作者へのお疲れ様のリプライの中に、「お疲れさまです、何か機会があればうるかの単独カラーかアニメか音声が欲しい、それとできればファンブックも見たい」って感じのリプがあったんだよ。作者はほぼ全リプしてたからそれにもリプしてたんだけど、それがこれ。
ありがとうございます!
そのへんはぼくの一存ではなんとも…(笑)— 筒井 大志@ぼく勉20巻発売中! (@Taishi_Tsutsui) December 22, 2020
これだけ軽く言うんだからもしかしたらサプライズ的にファンブックとその特典とかで発表されるかもくらいの期待があったんだよ。
頭の中の冷静な部分はそんなサプライズする意味ないからありえねえとか言ってたけどでもまあ多少の期待はしたよね。そこまでじゃないだろうとは思ってたよね。期待した俺が馬鹿だったけど。
それでまあ本当になかったということで改めてなんだけどさ。
(笑)って何? (笑)ってつける必要ある? どういう反応なわけ? うるかだけ表紙での単独カラーもボイスドラマもないからうるかのも見たいですって要望の一体どこに笑える要素があんの?
自分から5人ともヒロインですとか言い出したくせに、そのうちたった一人だけボイスドラマが出ないことに対する葛藤や痛痒を微塵も感じさせないこの軽さ。人の気持ちがわからねえのかな。逆にわかってやってんのかもしれねえけどさ。
作者にリプライしてない、ただツイートしただけの最終回に対する批判的な意見はエゴサしてまで「勉強になります」とかリプライして晒し上げるくせに、こういう要望とかうるかの扱いが悲しいって感想には一切まともに向き合わねえの。ごまかすか無視。こういう不誠実さがマジで無理。
というかマジで理解できないんだけど5人ともヒロインですって作品で一人だけボイスドラマ出さないとかどういうプロセスをたどればそういう結論になんの? ひと言も説明ねえんだぜこれ。
CDじゃなく配信だから容量の問題じゃない。各ヒロインのルートの巻にあわせて特典に付けてるわけでもない。他のヒロインのルートでうるかの台詞もあるらしいから構成や声優の問題でもない。
これ嫌いだから出しません以外に解釈のしようある? 俺にはとても思いつかねえんだけど。
一存ではなんともとかまるで他人事のようにほざいてるけど、5人ともヒロインですって作品で4人だけボイスドラマ作りましょうなんて狂った企画誰が提案できるんだよ。
もし仮にそういう企画が出されたとして、原作者以外に最終的なゴーサイン出せるやつがいるわけねえんだからお前の決断だろ。
したり顔でアニメでやっただろとか言われそうだから先に言っておくけど、アニメでやったのは原作とは似ても似つかない何かでしかないからな。出来不出来の話じゃなく単純に原作と全く違う展開のアニオリだから。
原作は卒業式当日に天気が大荒れで飛行機が遅れるから、うるかはオーストラリアで水泳の大会に出るために卒業式に行かないで空港に行くの。そんで成幸が卒業式抜け出して空港まで行ってうるかに告白するの。
アニメでやったのは
・原作をなぞった文化祭の後、最後の5分で突然数ヶ月時間が飛んで受験に合格して卒業式が始まり、また数ヶ月時間が飛んで空港でうるかの留学を見送る。
・他のみんなはすで集まってる中、空港に遅刻した成幸が慌てて転び、その手をうるかが取って文化祭の花火の瞬間で手をつないでいたジンクス(花火が上がった瞬間に手をつないでいた相手と恋人になる)の相手がうるかだと明かされる。
・飛行機の中でうるかが、空港で成幸が、それぞれ繋いでいた自分の手を見つめる。
これを5分でやっただけだから。告白なんて当然ないし、付き合っていることが示唆されるような描写もないから恋人にもなってない。頬を赤らめたりするような明確な好意の描写もない。いちゃつくどころか会話すらない。好意的に見て将来付き合うんだろうなって想像できるくらいだよ。
こんなもんが付き合うまでと付き合ってからを描いた原作のボイスドラマの代わりになるわけねえだろ。
アニメがあるからっていうやつは作者が何話もかけて描いたストーリーと数分でやっつけたこれを作者は同レベルだと思ってるって言ってるようなもんだけどわかってんのかな。作者に対する最大級の侮辱だろ。
うるかだけないといえば、ぼく勉って単行本だと1話毎にその回のその後的なものをおまけで描いてて、当然各ヒロインの最終回の後にも最終回のその後みたいなカット描いてんの。結ばれた後はこんな生活を送ってます的な。
これもうるかだけねえの。代わりにあるのがパラレル始まりますよ、他のヒロインのルートもありますよって告知。これもう喧嘩売ってんだろ。無神経で済むレベルじゃねえわ。
あと特典じゃないけど、ジャンプでぼく勉最終回のとき各ヒロインのミニ抱き枕を抽選でプレゼントしてたの。まあ俺は当たらなかったんだけどそれはそれとして。
https://www.shonenjump.com/p/sp/2020/tekigentei_bokuben-dakimakura/
このページ見ればわかるけど他の4人は各キャラ単独のカラー絵だけ使ってるのにうるかだけ裏面全部集合絵なの。
ああ、うるかだけ単独カラー絵なかったんだなって思うじゃん? まあ確かにないんだよ。本当に単独なのは表に使われてるこの1枚だけだったはず。その時点でムカつくんだけどさ。
準単独みたいなうるかがメインのカラーはあるんだよ。うるかがサンタの格好してて他のヒロインはSD絵のやつとか、15巻の表紙で成幸と肩組んで走ってるやつとか。雨の中傘さして成幸と2人でバス待ってるのもそうかな。
それ使わないでわざわざ他のヒロインも大きく描かれてる絵使ってんの。15巻の表紙はうるかだけ切り抜いて使ってるけど、切り抜きがありならあえて貴重なうるかが大きく描かれてる絵を切り抜かねえで他のカラー絵から切り抜けよ。
これ別に好きなキャラ以外が当たるような懸賞じゃないんだよ。好きなキャラを選んで応募する形式だからそのヒロインのファンしか応募しないの。だから他のキャラのファンが当たってもみたいな気遣いは必要ないし、実際他のキャラの抱き枕はそうなってんの。なのにうるかだけ他のキャラも大きく描かれた絵使われて割食ってんの。なんでこういうことすんのかな。どういうつもりなんだろうなほんと。
この前無限に死体蹴りされるとか書いたけどまさかこの作品でまたブチ切れることになるとは思わなかったわ。比喩のつもりだったのに現実になるからいっそすげえよ。
最終巻も出て何の告知もないから今後の展開もまずないし。普通にきつい。
ちなみにうるかのカラーイラストはこの間作者がTwitterで上げてたよ。いい絵だから見るといいよ。でも他のヒロインは単行本の表紙で手に取れるのにうるかは画像で見れるだけってさあ。
まあ見れた事自体は嬉しいからこれ以上言わねえけどさあ。描いた時期的に無理なんだろうけど、でもせめて抱き枕のイラストには使ってほしかったよ。
作者はうるか嫌ってないでしょ。
前も言ったけど人の心の中なんかそりゃわかんねーよ。
ただ作者がやってることは嫌いだと判断するのに十分だろ。
え、この作者のやってることが創作上の規範に反してるから怒ってると思ってんの?
ボイスドラマ一人だけハブられてたり幕間がなかったり色んな面で損してるから切れてるんだけど。そのくらいわかんない?
それともハブっちゃいけないという規範はないから怒るなって言ってるのかな。法の奴隷か何か?
つーか規範以前に作者自身が平等だとか言ってるのに露骨に扱い違うんだから普通怒るわ。
右ページに幕間入れたら左には何を入るのかな……みたいな。
作者様に名前を覚えられているぼく勉を代表するファンの方の想像するうるかの幕間がない理由。
人の神経を逆なでする目的ならセンスある。だいぶイラッときた。
万が一仮に、作者はこういう理由で入れられなかったんだからしょうがないって擁護するつもりで言ってるならサイコパスの素質あるよ。
https://twitter.com/ragnarok_ya/status/1142655678999216128?s=20
ん?無尽蔵のZeny?
なぜかほぼ無尽蔵のZenyが手に入ったので、試してみました。
③失敗後に成功率が上がるかどうか
の3点です。
Zenyよりも作業効率優先で、ひたすら装備を叩き続けました。
ノイズになるかと思ったので、+3に落ちた装備はそのままさよなら、
7⇒8 50.26% (試行2310回)
7⇒8 48.98% (試行2323回)
ということで、いろいろやっても成功率は50%で変わらないということですね。
体感や少ない試行結果はあまり当てにならないといういい事例かと思います。
受験生各位、お疲れ様。今はなきセンター試験のことを振り返る。
とある地方の公立高校の現役受験生の当時、夢はでっかく東大合格!と張り切って受験。まずは東大の二次試験(文科三類)にたどり着くため、脚切りだけはなんとか回避すべく、85%以上を目標にした。
試験会場は近くのFラン私立大学で、親に車で送っていってもらった。毎年センター試験の日だけは雪が降るという謎のジンクスがあり、2年前に受験した姉のときも雪だったという。そしてその年もやはり雪だった。雪が年に1回か2回ほどしか振らない地域のため、母親が運転にビビりまくっていた。
現役生のため制服で受験したが、会場が暑い暑い。シャツの第2ボタンを開けて左右に体を大きく揺らしながら解いていたら試験監督に優しく注意された。
結果は、799/900点。数学は相変わらず苦手でうまく行かなかったのと、最大の得意科目である倫理でまさかの70点代を叩き出したが、それ以外の科目はほぼほぼ9割を確保。なんとか脚切りは回避できたと確信して、ホッとしたのを覚えている。
ちなみにこの年、文系では高校でトップの点数だった。いかにレベルの低い高校だったか…。
その後、満を持して東大を受験して1点以下の点差でギリギリ不合格。泣きながら一年浪人生活。
もはや過去問、各予備校の予想問題をあるだけ全部解き尽くしており、ほぼ二次試験のことしか眼中にないほど楽勝感があった。
この年の受験会場は、前年とは別の某公立大学。宅浪していたため浪人中に友達はいなかったが、センター試験の日の朝、偶然会場で高校時代の同級生に出会い、テンションが上がった。その友人は自分ともっと話したい様子だったが、自分としては乾坤一擲の勝負の日なので、予習があるからと言ってその場を辞した。ちなみにその彼は第一志望落ちたらしい。気合が違うんだよ、気合が。
結果は、827/900点。もうちょっと高めの点数が取れるかとも思ったが、ま、二次試験の足を引っ張るほどの点数でもないので良しとした。
その後、満に満を持して文科一類を受験。合格者平均点を少し上回る平凡な成績で合格。
ちなみに大学では普通に留年したし、なんとか卒業したけど就職も第一志望にはいけなかった。大学受験で燃え尽きて大学でサボるとこうなる。
なにか信じるものに従えば必ずおちんぎんもらえるって一点張りの無知を知性とか信仰とかいうとあとで悲しくなるかなと思うよ
宗教だって思ったりするのだとしたらその制約を誓ってたご本尊が蛆虫の塊だったって見えたとき絶望すると思うんだわ
まず経済を勉強して実地で体感してから金融派生商品を触ったほうがいいと思うよ
きっと何かに例える発想があるなら学んだその後できっといい表現が生まれる気がする
まずね経済が波があってその差で儲けるってのは波乗りとおんなじその局面でだけできる偏差がるんだわ
商売やってたり会計やってたりすると何日締めで何日払いとかあるよね
あれなんでだと思う?
販売があってお金が儲かるのがお仕事なんだけどあれ大概は借金してモノを仕入れてそれをいいタイミングで売って儲けるの
仕入れの代金とか従業員のお給料とか電光熱費に事務所家賃に税金などいろいろ
いつ払いますとかこれだけは年末までため込んで使っちゃいけないお金とかあるからどうしてもタイミングが合わなくなるものがでてくる
取引先がみんな25日締めで払いだとその日に全部の現金を用意してないといけないよね
なのでこっちにお金がはいってくるタイミングとお支払いするタイミングが分かれるわけ
これで差ができるんだなーと思ってもらえたらいいんだけどそうでないならもうちょっと
そのリスクを減らすために現金が発生するタイミングを増やしたりするんだよね
歳末とか毎週のセールとか取引を現金でするから値引きとか長いスパンでの取引とか
そうするとどこで現金がほしいか何の取引に利益がでるかで「そこでできた利益の分け前をくれ 仕入れの金を援助してやるから」って会社の機能を切り売りできるものがあるんだね
それが株なんだけど何をどうする予定があるとかわかればすぐそこに乗り込んできて利益をふんだくるやつがいるからインサイダーとか厳しい取り決めがあるんだけど
そういうこまかいのは調べればいっぱいでてくると思うので調べてみて
その今の時点の会社を買い支えるっていう公開株の取引きのほかに夏になったらビールが売れるとか冬になったらダウンがうれるとかのタイミングで
夏からダウンを作ってるところにダウンが売れるわけがないので製造料金は売上のない完全マイナスなんだけどこれを先に売ったりもできるんだよね
小麦がとか小豆がとかでヤバイって先物取引の話とか漫画にもなっててみんなよく知ってるよね
農家のみなさんはすでによくされてるけど作物が出来上がって売れたら初めてお金になる
台風とか水害とかこう害とかでダメになったら投資が全部ゼロの儲けになってしまうとかそんなのみんな知ってるよね
約束とか嘘とかそういう言葉にすればそういう取引だったり概念的だとか宗教的だとかいまはその知識に当てはめられると感じてるかもしれないけど
それは経済って仕組み一本で純粋に成り立っているので人間性とかそういうのは入らずにそんな仕組みはあるんだよ
なぜ未来がとか願いがとかって思うだろうけどそれは期日って決めたお互いの経済循環的機会つまりタイミングをずらすことで約束を破らず果たせるようにしてる姿なの
そのずれが大きく離れるときにリスクを回避するためにとる手段が現金とか流動貨幣的に募集したり投入したりするタイミングになるわけ
根性や自分ルールでその派生商品に利益がでるわけではないんだよ
単純に考えると自分が「儲かる!」って見えて感じてしまうそのタイミングが「どの周期をそう見てしまっているのか」という事に気が付いてルールにしたのなら
自分の感覚の動きが情勢を理解して把握しなくても小さなデータから傾向を割り出すことができる指針になっているかもしれないってことだね
そういう勘はその人自身の人生そのものが反映しているわけでだからどうだと言ってもマイルールを分けることや説明することに特に意味はないかな
たとえば私は交差点で目があった人とはかならず目をそらされてしまうそういうジンクスがあり傾向がありその性別はどちらが多いとかデータがあったとしても
取引には現金で即日という最強の取引から期待値に不動産を貸し出すとかまでいろいろあってそれぞれにちがうリスクがあるので
相互に埋め合わせるために盾と矛みたいな経済循環をもっていてそのタイミングに必要な貨幣量っていうのがその取引自体では等価なので
時間でその量がたまるのを待つ以外にはもっている人から借りるということで時間を減らすことがリスクの回避になっているから
その相手の必要なタイミングでお金をつっこめばありがとうって感謝とともの元本が返ってくる
逆に準備がし終わって払い出すタイミングだと払う側に準備予算と同じ高さで会社の一部を買い取ってその会社の「次に借りたいお金の分量」が下になるときに売ってしまうと
次のタイミング用に買い付ける人たちがその下側の値段でなら引き取りますよってくるんだね
FXとかはそのさらに大きな国単位での時期とか商品とか予算とかに全部の分の取引相手国の現金が必要なんだよね
これが商取引なんていう各個人それぞれの都合で必要な貨幣量の総合計を国とか銀行がストックするのってすごくリスクなんだよね
国単位の明日の状況とか予想とか出来る訳がないから現状を常に見て変動してるのでたしかに一日で倍になるかもしれない
同じ確率で半分になるかもしれないその安全性の確保は偉い人が「いい感じ」って言うとしてその理解をその下がどう行い市場がどう動きみんなが何を買うかで変わる
もう勘で動くというのが4重奏くらいなわけ
こんな「くじにはあたりが必ず入っている」という確率が四分の一つまり「あたりなんてはいってない」が四分の一ほどにもある状態にみんなのお金を入れられないよね
博打の胴元をしてどうせ当たらないだろうと思って掛け金をのんじゃう人みたいなやばさがあるわけ
なので一般市民のみんなの現金をオラにわけてくれって方式で募るのが外国為替証拠金取引なの
みんなが保険会社みたいな感じだね
反対に度を越えたらみんなが保険金をお支払いするっていう契約の保険会社を自営業でやってる感じ
銀行や国が手をだしたくない賭けなのにみんなが必ずもうかるって訳はあるはずないよね
だけどその動きはできるだけ多くの情報を知ることでより確率の高い方向へ向かわせることができるよ
細かい連鎖が数珠のようにつながってるような鎖のペンダントみたいな形になっているというか紐を端から揺らすと先端がどこに動くかなんて予想がつかないよね
でも繋がっているものがそれぞれ全然ちがうものをつなぎ合わせてチェーンにしたものでもそれぞれがどう動くかなんとなくわかっていたら先端がどっち向くか予想はできるよね
その繋がっている情報をどうやって手に入れるかがとても重要な動向の予想の鍵になるわけで信仰とか宗教とか感情とか人間性はあんまり関係ないよ
でも逆に考えて人がそれぞれどういう感じでうごくからこんな施設があってこんな業態があってこんな商品がいつ売れているから今はどうなるかって予想は一人の人間でもできる範囲にあるよね
春だから何がうれるなーとか秋になったらとか男性だから女性だから子供だから作業員だから官僚だからといったようなそれぞれのニーズがそれぞれのタイミングで存在してまたそうじゃないタイミングとそうじゃないのに準備をしないといけないタイミングがあるよね
お米を売ったお金が入っていたらいいけど入っていない状態で田植えをするとなると「お米を買った人以外」からお金を集める方法が必要でそんなタイミングで売りに出るものがあってそこで買えるものは「お米が売れる時期」に価値が増すしそうじゃない時期にはお手頃で買えたりすることになる
その売りのタイミングや買いのタイミングを季節か雰囲気とかだれの態度とかどんな動物の状態かとかそんな雰囲気で感じ取って判断してアタリを引く人もいるわけで
そんなルールがあるならそれに従うといいねというだけの話であって「ビーバーが小屋をつくったら小麦の輸出高があがる」とか言い出す人のみているビーバーとあなたの観察しているビーバーが同一かどうかまた場所とか気候ほか温度やなにかについて同一でもないなにもかもが物理的に一致していない人が繰り返してもそれを感じ取ったりできる可能性は高そうではないよね
そう自分の財布にあるお金とその商品の末端の行き先の間にあるものを全部うめていけば科学的に値動きはわかるはずだよ
その一部だけでも形骸化して人間に把握できるようにしてるのが経済
あなたの持ってるお金で小麦の先物を買うとしたら知っておくべきは
・小麦の流通状況 組合などの状況とそれに接続している数件の業者と運営にかかわる状況
・運輸運搬・取引先の状況 事業自体に関わる法制度や自然環境的状況 取引先の状況
・小麦を使った製造業 市場における商品の状況とメーカーの状況
・製品の取り扱い業者状況 製品の広告や製品の販売実態に対する状況
・製品を取り巻く当期の状況 製品自体の販売タイミングにおける消費動向などの状況
これを全部把握するとしたら何億や何兆といった数の情報を行動について判断できる精度で得る必要があるのが最低限必要なんだけど
そんなの個人でできるわけがないのでそんなリスクを背負うことを業務としてはできないので個人のあまってるお金で投資っていうものをしてくださいねってのが一般の金融派生商品の約款には書いてあるというか取引条件がそれなんだね
でも人によってはそれらが織りなす大きなパターンをなにかの絵に見えたり動物にみたてたり風景のように感じて判断できる人はいないとはいわないしいるとおもう
みんなそれらが理解できないしあることがわかっていても風景にすら見えない人が全然関係ないものをあがめてその雰囲気を上記の最低限必要な情報の集合体と見立ててすがるのは
たしかに宗教的かなとはおもうけどその情報の集合体であるご本尊は貴重な市場データが高い純度でつまった大理石の像なのかなってことを知ってほしい
手垢にまみれたあまいつくりの木彫りのご本尊がそのたった1商品を取り巻く広大な情報と今後の世界における位置づけや動向について示すコンパスになりえるのか
崇めている巨大な「セミナー」とか「勉強会」とか「コーチング・コンサルティング」のその姿を成している情報の点の集まりは宝石なのか蛆虫なのかどうか
それすらわからないもう「宗教かも」というスケールでみているのだとしたら人工衛星から地表に設けたダーツ盤に矢を放つようなものじゃないかな
もしも投資をしていたりするつもりだったりそれがいいものだって思ったりしていたりするなら
いまいちど宗教とかそういう事から離れてまずお金ってどこから生まれてくるのか探してみたらいいんじゃないかな
そういう探求をしようと思った時「納得!」させてくれる人がいたらまずその人はさけるべきだとおもう
無知な人が理解ができる情報の限界は無知な人が理解できるレベルなはずがないんだよ
「納得」してしまう現実を見れる場所を教えてくれる人がもしそこに連れて行ってくれるというなら行ってみてもいいかもしれない
もちろんその人自身の知識を尊敬し理解し納得する最低限の法律と情勢の基礎知識である経済は簿記がとれる程度には知っておく必要があると思うんだけどね
わかってても敢えて痛くもない傷こじ開けられに行ったのかもな〜ってね
あと
事務所の近くにマンション風の建物の1階にひょいと仕出し弁当という看板があったので、
えいや!と暖簾をくぐってみたの。
実際には暖簾なんてないんだけど、
私の心の覚悟的な心理描写として心理暖簾があったってことだからね!
マンションの1階風の普通の住宅の感じにしか見えない仕出し屋さんがそこにあるとは誰も気付かないレヴェル。
実際には(揚げるのに10分)まで含めるのが正式名称のようで、
その心理的な描画とは裏腹に、
サクサクをじゅわっと包む餡が出汁が利いてて美味しかったわよ。
結構ガチ定番の心の心理描写っていちいち言うのはもう面倒くさくなってきたけど、
適当に私が思い付くお弁当のラインナップで打線を組めそうなほどのメニューは揃っているのよ。
だから、
結構この一見マンションの1階にある普通の住宅の窓にひっそりと仕出し弁当という
この「仕出し弁当」の木の看板は道場破りの勲章として持って行かれるんだなーってテイストの看板で
ちょうどここ2~3日私は日替わりという日替わり探検家として晴れ晴れしいデビュー戦を飾った、
あのブリ大根を優勝ベルトにした細かくディテールを再現したあの味を味わって以来、
日替わり冒険家と名乗るようになったんだけど、
ここも日替わり弁当があって、
日替わり冒険家欲をぞくぞくとかき立てるのよ。
でね、
本格前日予約に加え、
な、なんと!
前々日予約しか受け付けていないと言うデラックス極まりないお弁当も結構ラインナップがあって、
これでパリーグの指名打者制度の番付というか打順も決めれるほど、
ピッチャーはバッティングの練習をしないでいいぐらいなラインナップなのよ。
チラシもらったんだけど、
実際に見たときにガッカリするタイプじゃなきゃ良いんだけどなぁーって思わせぶりなそのチラシを私は1枚もらって帰ってきたの。
イースのアドルの書いた本が一体何冊あるんだよ!って思わずツッコみたくなるような、
何故イースたとえするかというと
今普通にVita版のイースやってからよ!っていう伏線も回収しつつ、
私はそのお弁当のメニューがフルラインナップ紹介してあるチラシで紙飛行機を作って飛ばしてみたの。
ああ!やっぱり超美味しい仕出し屋さんのチラシは紙飛行機にしたら良く飛ぶというジンクスを軽く超えるぐらいの距離を飛んで行ったわ!
だから私はその仕出し屋さんのチラシの一章を刻むために
チョップスティック!
つまり箸を握ったってわけなのよ。
まあそんな具合で
思わずワンコインだからって2つ買ったら食いしん坊さんに思われちゃうところがたまに傷だけど、
べ、べつに一人で2つお弁当を食べるんじゃないんだからね!って
しれっと「あ、同僚に頼まれたんです」って小芝居を打ちつつ涼しい顔の鈴木蘭々顔して
今度は2つ買えるかな!って思ったわ。
うふふ。
レモン炭酸水に追いレモンしたレモン果汁たっぷり炭酸ウォーラー。
この時期は白湯と言っても
沸かすのに茶がヘソだから
時間がかかるし、
飲んだら身体を目覚めさせるはずよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
当時としてはそれが目新しく見えたのかもしれない。
そして当初の萌えキャラは見た目通りのストーリーと組み合わせて用いられていた。
つまり「日常系」「学園モノ」「ほのぼの」といった作風との組み合わせが本来の萌えだろう。
反対に「暴力」「エロ・グロ」「退廃的」は本来の萌えではないのだ。
萌えキャラ「なのに」ホラー。萌えキャラ「なのに」陰鬱。萌えキャラ「なのに」怪奇。
この時点で萌えキャラ人気はすでに実態を失っていたと言っていい。
だが次第にそんな変化球すらも飽きられてくる。
消費者だって「どうせほのぼのと見せかけて衝撃的展開()なんでしょ」と学習する。
この時点で萌えキャラの耐用年数はとっくに過ぎていたと言っていい。
とっくに時代遅れとなった萌えキャラを流用して騙し騙し使ってきたが限界が来たのだ。
言い換えるなら「羊の皮を被らない狼」の登場だ。
かつてはこういった作風は「ヤベーヤツ」扱いされていた。
なぜなら業界のジンクスとして魅力あるキャラクター()とやらが重視されていたためだ。
そして魅力は「萌え」「ラッキースケベ」「フェチ」といったキーワードと安易に結び付けられる。
だからだろうか脱萌え化を目指した直球怪奇は門前払いされていた。
だが運よく世に送り出された直球快気的な作品が予想外の人気を集める。
人々の人気を集めていたのは羊の皮ではなく、狼だったわけだ。
最近のヒット作を見る限りでは、もう結果は出たとして判断して良い頃合いだろう。
「萌えキャラが若者に人気」と思っている人々は「羊の皮をかぶった狼」に人気があるの見て「羊に人気がある」と思っているようなものだ。
笑わないはどうかと思ったけどその後のVSイマジネーターと夜明けのブギーポップと歪曲王は普通に面白かったなぁあのアニメ
元増田がジンクスショップまでを薦めてるのはそれ以降は上遠野浩平が別の作品に力を入れるようになったからかな?
事件シリーズとかナイトウォッチシリーズも面白いし好きだったなぁ
個人的最高傑作は元増田も挙げてる「ペパーミントの魔術師」かな。あれは多分いきなりペパーミントから読み始めても楽しめると思う
ブギーポップで扱われる痛みと今よく見る痛みが違うのはネットで誰でも自分の痛みを簡単に誰かに伝えられるような事になったのも大きいかな
乙一作品なんかもそうだけどあの手の作品に出てくる「痛み」は同じ傷を持つ者同士の傷の舐め合いというかコミュニケーションに使われているというのは何か分かる、元増田はとても言語化が上手い
まあブギーポップその物はメジャーの中のマイナーっぽい扱いだけどブギーポップフォロワーがどんどんメジャーになっていくのはいかにもブギーポップらしくて(まあいいじゃん)と思う
おいィ? どうして流行らないのかと言うと、例えば新しく作られたアニメが古株イラストレーターとの折衝で揉めてグダグダなスタートを切った辺りで既に炎上してたりしたこととか、むべなるかな、その後のアニメの展開もイマイチブギーポップの魅力を伝えているとは考えられない展開が続いて、あんまりインパクトを与えずに実質的なアニメ二期が終了してしまったこととかに問題があった気がする。とは言え十話を筆頭に面白い回もなくはなかったんだけどね……アニメ陣営の努力は認めるんだけど。
でもとりあえず第一作の『ブギーポップは笑わない』から第十作の『ジンクスショップへようこそ!』までは個人的に安心しておすすめできる作品である。是非皆さんも読んでほしいんだけど、個人的に特にオススメなのは第二作の『vsイマジネーター』と第五作の『夜明けのブギーポップ』。第六作の『ペパーミントの魔術師』それから第七作『エンブリオ侵食・炎生』辺りかな。繰り返すように第十作まではどれも満遍なくオススメできるクオリティではあるんだけれど、個人的にはこの辺りがオススメです。あと旧作アニメは個人的に好きなんだけどマジで人を選ぶので一旦忘れて下さい。
基本的にブギーポップシリーズにおいて重要になってくるのは、「人の痛み」です。
とは言え、現代においてはその主張は弱いのかなあ。
増田において、「痛み」が主題になっている記事って結構多いんだけれど、しかしそれは基本的に相手とのコミュニケーションを前提とした提示じゃなくて、「オラァ! 俺の痛みオラァ!」「何の! 私の痛みオープン!」みたいなある種のバトルの媒介として「痛み」が用いられている気がするんだよなあ。例えば、その痛みを媒介に他の痛みと繋がったり、あるいはお互いに痛みを癒やし合ったりといった、本来の「痛みの提示」の役割からはズレた役割において、増田の「痛みの提示」が行われているようでならないんだよなあ。
いや勿論ある程度本来の意味で痛みの提示が行われている部分もあるんだけれど、結局その痛みの提示は、大局としてのバトルの構造に包摂されちゃうんだよね。痛みがラベリングされて、そして戦いの場へと引きずりだされてしまう。例えば、「フェミニズムと反フェミニズム」みたいな対立構図に包摂されちゃう感じで、結局個人的だったはずの痛みが戦いのための尖兵として利用されてしまう。なんかラノベの世界設定みたいですね。そんなこんなで、人は本来癒やしを目的として痛みを語るべきところで、むしろその傷を、痛みを与えそして自らを傷つける為に用いてしまっているんですね。というかブギーの話はどこにいったのか俺。
というわけで、こんな時代だからこそブギーポップが効力を発揮するんじゃないかと思う。ブギーポップ。ブギーポップで主張される「痛み」は、人と人との距離を縮めるための「痛み」なんですね。人と人とがお互いを理解するために「痛み」が提示され、そして、他人の痛みを直視した途端に自分の痛みの存在に気付いたりとかする。とかくブギーにおける「痛みの提示」のプロセスは「痛み」の治療に集中しています。痛みって本来そういう風に使うのであって、特に現代においてソフィスティケートされた痛みを、我々は効率よく使っていかなければならない。少なくとも、その痛みは事態を悪化させるためではなく、改善するために、痛み自体を癒やすために、使われなくてはならない。
そう、現代はブギーポップの(必要な)時代と言ってもいいんじゃないかと。
いやしかしアニメ二期が思いのほかインパクトを残せなかったことが辛いなあ。面白いアニメを作る作業って凄い難しくて、何せアニメは一人で作ってるわけじゃなくて無数の動画マン・動画ウーマンと原画と絵コンテ切る人と監督とかの緊密な連携が必要なんだけど、それを高レベルで実現した作品と殆どないよね。カウボーイ・ビバップとかエヴァンゲリオンは面白かったなあ。個人的にはブギーポップとかと同じような意味合いで輪るピングドラムが好きです。それはそれとして、あああああもうちょっとブギーポップは流行っていてもおかしくないんだよなああああ、現代の潮流にも大枠で一致してるのにいいいい。なんで?