はてなキーワード: 冬彦さんとは
知人の女性の話。
オンラインだけの友だち、というのが男女問わず結構いる人なんだけど、よくモテる。
顔出しはしてないが、ボイスチャットとかはするらしい。
とても気の利く人で、声がかわいいのも手伝ってか、秋波を送って来る男性が多いそうで、ただ夫も子どももいる人なので、本人は「こんなおばさんにお前ら何を期待してるんだw」と笑ってる。
そうした男性は一様に、自分の事をわかってもらいたい、わかってくれれば好きになってもらえる、という考えを持っているそうで、
「私にさらけ出す「自分」の内容で、大まかに2種類に分けられる事がわかった。バカと赤ちゃんの2種類だ」
と言う。
「バカ」は、くだらない駄洒落だとか、小学5年生が言うような事を彼女に言ってしまう自分を隠さない。
要はどちらも幼稚な部分をさらけ出してくる、という事なんだろうけど、「バカ」タイプは脈がないとわかるとすぐに切り替えるのに対して、「赤ちゃん」は脈がないことに気づかないのかなんなのか、あきらめないんだと。
高額なプレゼントを送ってきたり、聞いてもいない自分ちの夫婦関係(例外なく冷えてる)を相談する体で告白してきたり、勝手に彼女との暮らしを妄想したり、会いたいとしつこく言ってきたり、極端なケースだと、離婚して「別れたから」と言ってきたりする。
それ、やべー奴なんじゃないかと思うんだけど、そういうのが一人や二人じゃないらしい。
そうして、せっかく居心地の良かったコミュニティから出なきゃいけなくなるのを繰り返したりしてる。
こう書くと、オタサーの姫っぽいイメージなんだけど、そういう感じの人でもない。
どちらかというと、筋の通ってない事に対しては厳し目だったりするんだけど、赤ちゃんタイプには、そういうのが響くらしい。
「バカ」と「赤ちゃん」のどちらか片方に振り切った人、というのはいなくて、ワインのボトルの裏に書かれてる「甘口/辛口」みたいな感じで「バカ/赤ちゃん」の度合いが示されてるような感じなんだとか。
どちらでもない人っていないの?と聞くと、「たぶん、そういう人は明治生まれがいなくなった時点で絶滅したんだと思う。お義母さんが「大人の男なんてこの世には存在しないのよ」と言ってたけど、最近その意味がわかってきた気がする」と。
彼女の夫という人を私は知らないのだが、旦那さんはどっちなの、と聞くと
「たぶん、知ってる男性の中では一番バカ。割といい大学出てるけど、友だち含めてみんなバカ。お義父さんもバカだったから、お義母さんいつも苦笑いしてた」
「バカ、っていう表現はとても失礼な感じに聞こえるんだけど、バカは馬鹿じゃないので」
話を聞いてるうちに、自分はどう思われてるのか少し気になって尋ねると、
「バカ」っ言われてホッとしてるのもおかしな話だけど、赤ちゃんのイメージが昔のドラマの佐野史郎がやってた冬彦さんで再生されたので。
自分が好きなものがマイナーなものにカテゴライズされる傾向は偶然にしろ確かにあるんだろう
逆に言うなら、自分が好きとか面白いと思うものは売れない、疫病神みたいな傾向もあるのかもしれない
そういえば、庵野氏も似たこと言ってたけど、売れるものを作るのが命題だと精神的にキツいかもしれない
自分が反吐が出るほど嫌いでも世間で売れるなら、というのはモチベーションとしては社畜サラリーマンと変わらない
例えば、作品自体には愛はないけど、制作スタイルとかワークフローを構築したいとか、
視点を変えることで選択権のない仕事を少しでも面白くすることはできるように思う
例えばクトゥルーネタを持ってくると売れない、みたいなのがあったけど、
ニャル子で確実にそれは覆された感はある…
え?ニャル子はメジャーではない?
だとすると、それはそれで残念な気もするが、
それよりも平成ライダーとかガンダムではなかったか?という気がしなくもない
クトゥルーネタだと売れないジンクスは、どちらかと言うと映画の話であって、
サム・ライミのキャプテン・スーパーマーケットもその前作も、
最近のCGなりでダンウィッチの怪をやってもいいような気がするんだけど、
そのバックグラウンドというかスターシステムみたいなのが面白いわけだけど
日本のインスマスを覆う影と異なる脚色で、アクションなりエロなりを盛り込めたと思うけど、
あれはあれで、なんか長くない?という気がしないでもなかった
そう考えると、やはりインスマスは佐野史郎のあれがベストであって、
あれを観たのは自分がまだ子供で親戚の家に泊まっていたのだけど、
周囲からすれば迷惑だっただろうけど、テレビの前でワクテカして待機してたのを覚えてる
ネットはまだなかった気がするのだけど、
インスマスをテレビでやるという事前情報だけはキャッチしていた子供だった
佐野史郎もインスマスとか怪奇路線は本人も大好物のはずで、幻想文学が好きなはずだけど、
佐野史郎本人までバッシングされたぐらいだったように記憶している
冬彦さんブームというか、宅八郎と宮崎勤のような偏見や差別をマスコミも醸成してた気がする
結論としては売れる話とクトゥルーネタがまったく相容れないというか水と油なだけなのかもしれない
ラブロマンスな話を考えるとしても、彼女が半魚人とか、不死の恋人が登場するとか、そんな感じだろうか
そもそも、ラヴクラフト縛りみたいなのが足枷になっては良くない気もする
いずれにせよ、基本どうやったってホラーになるんだよなあ
知人の女性の話。
オンラインだけの友だち、というのが男女問わず結構いる人なんだけど、よくモテる。
顔出しはしてないが、ボイスチャットとかはするらしい。
とても気の利く人で、声がかわいいのも手伝ってか、秋波を送って来る男性が多いそうで、ただ夫も子どももいる人なので、本人は「こんなおばさんにお前ら何を期待してるんだw」と笑ってる。
そうした男性は一様に、自分の事をわかってもらいたい、わかってくれれば好きになってもらえる、という考えを持っているそうで、
「私にさらけ出す「自分」の内容で、大まかに2種類に分けられる事がわかった。バカと赤ちゃんの2種類だ」
と言う。
「バカ」は、くだらない駄洒落だとか、小学5年生が言うような事を彼女に言ってしまう自分を隠さない。
要はどちらも幼稚な部分をさらけ出してくる、という事なんだろうけど、「バカ」タイプは脈がないとわかるとすぐに切り替えるのに対して、「赤ちゃん」は脈がないことに気づかないのかなんなのか、あきらめないんだと。
高額なプレゼントを送ってきたり、聞いてもいない自分ちの夫婦関係(例外なく冷えてる)を相談する体で告白してきたり、勝手に彼女との暮らしを妄想したり、会いたいとしつこく言ってきたり、極端なケースだと、離婚して「別れたから」と言ってきたりする。
それ、やべー奴なんじゃないかと思うんだけど、そういうのが一人や二人じゃないらしい。
そうして、せっかく居心地の良かったコミュニティから出なきゃいけなくなるのを繰り返したりしてる。
こう書くと、オタサーの姫っぽいイメージなんだけど、そういう感じの人でもない。
どちらかというと、筋の通ってない事に対しては厳し目だったりするんだけど、赤ちゃんタイプには、そういうのが響くらしい。
「バカ」と「赤ちゃん」のどちらか片方に振り切った人、というのはいなくて、ワインのボトルの裏に書かれてる「甘口/辛口」みたいな感じで「バカ/赤ちゃん」の度合いが示されてるような感じなんだとか。
どちらでもない人っていないの?と聞くと、「たぶん、そういう人は明治生まれがいなくなった時点で絶滅したんだと思う。お義母さんが「大人の男なんてこの世には存在しないのよ」と言ってたけど、最近その意味がわかってきた気がする」と。
彼女の夫という人を私は知らないのだが、旦那さんはどっちなの、と聞くと
「たぶん、知ってる男性の中では一番バカ。割といい大学出てるけど、友だち含めてみんなバカ。お義父さんもバカだったから、お義母さんいつも苦笑いしてた」
「バカ、っていう表現はとても失礼な感じに聞こえるんだけど、バカは馬鹿じゃないので」
話を聞いてるうちに、自分はどう思われてるのか少し気になって尋ねると、
「バカ」っ言われてホッとしてるのもおかしな話だけど、赤ちゃんのイメージが昔のドラマの佐野史郎がやってた冬彦さんで再生されたので。
もっと詳細書けばいいのに書かないってことは、今頃「なんで誰も僕の考えを認めないんだよ!」って冬彦さんみたいに癇癪起こしてそう
うちの親、いわゆる毒親。
学校でいじめられたりもあって、引きこもったりメンタルクリニック通ったりする中で、カウンセリングにも通ってた。
その中でだんだん、うちの親に苦しめられている自覚が出てきて、カウンセラーさんにぶちまけたかったけど、「親」と言うことが、何か禁忌に触れるようで、先生にさえ言えず、当時は毒親なんて言葉もなかったから、苦しさと罪悪感で一杯だった。
子ども頃、何かで怒られたとき、「バカだからお遊戯でトライアングルなんて任されるんだ」とか、今思うと意味の分からない罵倒に大泣きした。
小学校に上がれば、博物館へ行くのに無理矢理スカートをはけと怒られ、はかないなら博物館へ連れていかないとまで言われた。
どうしても嫌で下にキュロットはいてたけど、それも許されず、その日に撮った写真は全て仏頂面の苦い思い出。
まだある。
高校にあがり、寒くなったら去年のお気に入りのダッフルコートを着ればいいかと思ってたある日、帰ってきた途端鬼のような顔で「ダッフルコートなんて子どものコートを着るな!買ってきたこれを着ろ!」と怒られたりもした。
全くもって意味が分からず、戸惑いつつも反抗した。不安になって、翌日友達に確認したのを覚えている。
引きこもりのときも、「自分のペースでやればいい」と言いながら、唐突に痺れ切らして激しく責め立てられて否定され、その度にどん底に落とされた。
誕生日迎えた途端、昨日とは別人のように大人になれたら誰も苦労なんてしないのに。当時はそんなことにすら気づけず、ただただ自分でも自分をダメな人間だと否定していた。
そして私には兄がいる。
他の人に指摘されて気づいたけれど、母は考え方が古くて長兄を溺愛し、本人も「母親はみんな冬彦さんを育ててるんだ」とさえ公言した。
私が初めてもらった自転車はお古で、兄は新品だった。
中学生くらいまで、ずっと親と喧嘩になる度に兄をエコヒイキしている、と反抗していた。
そしていつも、私はヒステリーを起こしていた。
病院で働いてるとき、感染症の病気をもらってしまい、偏見と少ない知識で不安に苛まれているときに「私(母)と兄はどうなるんだ!」と責め立てられたこともある。
泣きながら病気について調べ、発症しなければ感染もないことなどをメールで送ったら、三日後にケロッとした顔で「私(母)も兄もそんなの(病気)気にしないし」と言われた事が忘れられない。
かなり経ってから上記の言葉は傷ついたと伝えたら「だってそのときは本当にそう思った」と悪びれた様子もなく返事をされて、私の中で何かが壊れた。
いつも頼んでないことを自分でしては「○○してあげたのに」と見返りを求めてきたし、ただコンビニに買い物行くのにさえ「あんたも行くら行くけど」とよっかかってきて気持ち悪かった。
やっと新しいカウンセラーさんと出合い、それでも親との関係が私の考え方にかなり影響しているの気づいてもらうのに、一年以上掛かった。
それでも、20年ぶりにバッサリ短くした髪を、親が真似て同じようにずっと長かった髪を同じ長さに切ったときの嫌悪感は分かってもらえていない。
親とは家庭内別居みたいになって、一切口もきかず、自分の生活は自分で面倒を見出してから、私はヒステリーを起こさなくなった。
いつも感情に嵐を起こしていたのは、親と関わるからだと気づいた。
あの、スイッチが入ったように訳もなく急に込み上げてくる怒り。
自信のなさからブラック企業ばかり選んでお金貯めるどころではない、ギリギリの生活ばかりしてた。
ようやく、最近まともな仕事に就いたので、ここで踏ん張って家を出ようとしている。
何度も同じことを、わからせようと無駄な努力を重ねてしまったのは、長年の憤り、親に対する分かってくれるかも知れないと言う僅かな期待があったと思う。
今はただ冷静に、スルーする力を身に付け、全力で逃げようと思う。
洒落っ気のない理系学生はヤバい性癖もってそうだというイメージ抱いた人がちょっとは増えたんじゃないの
昔「ずっとあなたが好きだった」というドラマが人気になって
それに似たインパクトはすくなからず今回あったような感じするわ
あの数式が羅列された卒業文集やハライチのボケの方みたいな写真見て、
いつもチェックのネルシャツをきているメガネ面の東工大生あたりを
洋画で頭脳派サイコパスを紹介するシーンでありがちな小道具そのままで、
心象の悪さに拍車をかけている。
あれを見て、「留学までして飛行機に執着するなんてハイジャックしそうで怖い」なんていう
馬鹿な女も多いんではないか?
としか女は思わないだろう。
http://anond.hatelabo.jp/20081117074409
被ブクマ数が100をこえていて驚きました。こんなに反響があるとは思いませんでした。励ましのコメントなど、ありがとうございました。
トラバやブコメにあった「お母さんはモトマスダが離れるのが寂しい」というご意見については、恐らくそうなのかな、という気がしていますし、それと同時に「今まで自立したことのないやつが一人で東京でやっていけるわけがない」と思っているのだと思います(後者は実際に口にも出されました)。
倒産するような企業に勤めていたような男ですので、給料も低く実家から職場に通うような状態でしたから、今まで自立したくとも経済的な自立ができなかった僕のことを子供扱いしているんじゃないでしょうか。ちなみに、正社員で年収160万くらいでした。賞与や残業手当などは無かったです。
事実、僕の母も母(僕にとっては母方の祖母)から言葉の虐待を受けて育ったと振り返っていますし、そのことは60近くなった今でも鮮明に覚えているそうで、幼少期に受けたそうした深い心の傷は一生癒えないんだな、と思いましたし、その母と別れたくてなのか分かりませんが、中学を卒業して名古屋へ出て、その後横浜へと移り住んだ経緯があります。地元に戻ってきてからも仕事を頑張り、ど田舎で狭い範囲でありながらも、女手一つで土地と家を購入し現在に至る状態です。ちなみに、僕の親族には中学を卒業してから地元を飛び出していく人が割と多く、彼らもまた親との関係に苦しんだり、家庭環境の不和みたいなものが原因であったと聞いています。飛び出したうちの一人は名古屋で成功し、独立開業して頑張っています。
母はそんな豪傑ですから、僕の存在が余計子供に見えるのだと思います。過剰な期待は掛けられませんでしたが、その分失敗や悩み事などがあって相談を持ちかけても、罵倒されたり余計心の傷を深めるような言葉を突きつけられたりしました。母から見れば「男としてもっと強くなれ」という意味が込められていたのかもしれませんけれども。
僕自身も甘えている(甘えていた)ことは事実だと思います。30にもなって親の意見に心を惑わされるような優柔不断な男。冬彦さんみたいになっているのかもしれない…と自分を錯覚してしまうことがありました。しかし、これはまったく不思議なんですが、ここ2年くらいの間で急に強烈な自立心が芽生えました。家を出たい、一人で暮らしたい、と強く思うようになって。まずは隣町でもいいからアパート借りて暮らしたい、と考えるようになりました。僕がいないほうが、ひょっとしたら母も僕も良い方向へ進むんじゃないか、と思うようになりました。お金を貯めつつアパートを借りる計画を進めていましたが、会社は倒産し、更に車の事故や故障が相次いで貯金も底を突きました。これでは将来どうすれば…と思い、思い切って東京の会社へ応募をしてみた次第です。
田舎は母子家庭に対して非常に冷たいです。偏見の塊のような形で見られます。実際、僕も小学校中学校と教師を含めイジメを受けていましたし、地域の大人からも「中学卒業したらお定まり(=不良orチンピラorヤクザ)やね」などと言われたりと、まともな人間とは思われていない言動を取られることが多かったです。そうした今までの人生で耐えてきた心の鬱屈みたいなものが、30を迎えた今になって「自立心」として爆発したのかもしれません。
面接には行くつもりです。ただ、事前に電話で確認したとき、相手の方がポロっと「家族構成についても…」と言ったのがとても引っかかっています。今まで家族構成について尋ねられた企業で、採用にまで至ったことはありませんでした。母子家庭など片親の子供は不利……以前、どこかで聞いたそんな言葉が頭を過ぎります。不安です。
■追記
■追記 2
一番最初の記事の「決別」という表現について、行き過ぎた表現であったことをお詫びいたします。この言葉で不快な想いをされた方がおられましたら、どうかご勘弁ください。
恐らく、母親との口論などでついカッとなってしまい、増田に書き込むときにその興奮が意識のどこかにあったがために、このような表現をしてしまったのだと反省しております。
一緒に暮らしているがゆえなのか、年々価値観のズレが酷くなってきており、些細なことで口論するようになってしまいましたが、悪い母親ではありません。僕を育てるために相当な苦労をしてきていることは重々承知しておりますし、母自体も辛い生い立ちを背負っていることはよく分かっております。
ただ、今まで触れたことのない「自立」についてのディスカッションに要らぬ感情を込めてしまったのが一番いけなかったと思います。僕が地元での成功体験がほとんど無いことも、その苛立ちに拍車を掛けたのだと思います。
母も「お前は家を出て自立せないかん」とは言っています。本心は別なのかもしれませんが…。母一人子一人なので、将来的には必ず母の面倒を診なければなりません。出来れば隣町でアパートを借りて、付かず離れずでいるほうがベストなのでしょうけれど、生活や仕事のことを考えるとそうもいきません。やはり、僕が自立することが良い方向へと向かうことになるのだと考えています。やってみます。