今更ながら先月発売されたMyojoを読んだ。Jr大賞の結果が載ってる号。
私は所謂デビュー組のファンである。だからJr大賞に関しては部外者だ。だけどどうしても、Jr大賞って気持ち悪いなと感じてしまう。
アイドルの応援とはつまり趣味だ。趣味に多くの時間とお金をかける人もいれば生活の中のほんの少しのリソースしか割かない人もいる。それは個人の自由であり基本的には他人が口出しするものではない。それは分かっているがこのJr大賞は近頃急激に広がっている投票文化や推し信仰文化の押しつけの象徴のように感じて、私はそのような風潮が嫌なのでこの文章を書いている。
そもそもオタク達は物事の因果関係についてもっとしっかり考えるべきだ。Jr大賞で1位になった人は全員デビューした。そのことから分かる事実は「Jr大賞で1位になった人は全員デビューした」ただそれだけだ。なのに1位になればデビューできると信じている人が多すぎる。人気があってJr大賞で1位になれたからデビューしたのか、デビューできるくらいの人気があったからJr大賞で1位になったのかはこの事実からは分からない。デビュー出来るかどうかもJr大賞の順位も人気だけで決まるわけではないだろうが、デビューできる=人気のあるJrとJr大賞で1位になれる=人気のあるJrが一致することに何も特別なところはないだろう。そもそもジャニーズ事務所のタレントがデビューするかどうかが集英社の一雑誌のアンケートで決まるなんてどういう理論なんだ。それなのにJr大賞に力を入れるほぼ全てのオタクは当然のように1位になればデビューできるという根拠の無いジンクスを何も考えずに信じているように感じる。どうしてなんだ。
Myojoには毎号読者アンケート用紙がついている。そのアンケートには読者の学年を答える欄があり選択肢は〜小4から始まり高3までは学年ごとに区切られている。細かく区切られているということは編集部側がこの層の情報をより詳しく知りたいと考えているのではないかと推測できる。そのような本来想定されている読者層にあたるであろうローティーンの子供がお小遣いで買った1冊のMyojoに着いてきた投票用紙に「1位になったら〇〇くんがデビューするかも」と思いながら投票した結果なら何も思わない。
だが現実のJr大賞で順位に影響が出るほどの票数を投じているのはほとんどが大人だろう。多くの大人たちがなんの根拠もないジンクスだけを頼りに少なくないお金と時間をかけて投票している。これは怖いし気持ち悪い。
そのような人達はよく「推しのために頑張ることの何が悪いんだ」と言う。何が悪いのかと言われたら別に何も悪くはないのだろう。冒頭で述べた通り私は趣味にどれだけお金と時間を割くかは個人の自由だと考えている。だが商品への対価としてではなく確約された訳では無い「デビューへの条件」という形を持たないものに人生のリソースの多くを使う人が沢山いる。これはやっぱり気持ち悪い。
推しのために頑張ることこそが尊い。そんな考えは早く廃れて欲しい。推しを信仰する側の人からすればこんな文章を書く私の方が気持ち悪いんでしょうね。
阿波おどりのキャッチフレーズ知らんの?